印度學佛敎學硏究第68巻第2号 令和2年3月 (19) ― 1088 ―
プラーナ文献と仏教文献における
「マガ」の記述の相違
永 井 悠 斗
1.はじめに
プラーナ文献に属するSāmba-purāṇa(=SP)およびBhaviṣya-purāṇa(=BhP)に は,太陽神を崇拝する「マガ・ブラーフマナ(Maga-brāhmaṇa)」と呼ばれる宗教集 団が現れる.SPとBhPが語る伝説によれば,マガたちはクリシュナの息子サー ンバが建てた太陽寺院の神像に奉仕するために,Śākadvīpaと呼ばれる異国の地 からインドの地に連れて来られた人々で,太陽神に仕えるのに最も相応しいバラ モンとされる. インド移住の伝説と並んでSPおよびBhPはマガの宗教についても言及する が,そこには通常のバラモンには見られない宗教的義務や固有名詞が散見され, 更に重要なことに,それらはむしろイスラーム以前の古代イラン宗教1)の特徴を 示す.そこでプラーナ文献の「マガ」については,インドに移住した何らかの古 代イランの宗教者であるとするのが先行研究において定説となっている2). 一方,SPとBhPとは別に,仏教文献にも「マガ」に関する記述が存在するこ とが,春日井(1954)やKawasaki (1975)等によって明らかにされている.これら の先行研究は,マガが近親婚を行うという記述に特に注目して,仏教文献のマガ もまた何らかのイラン系宗教者であり,プラーナ文献のマガの前身あるいは,こ れに連なる存在であると見ている3). 本稿では,先行研究が前提とするプラーナ文献と仏教文献のマガの同一性につ いて,両文献の記述の比較を通じて検討する. 2.プラーナ文献におけるマガのイラン的特徴
プラーナ文献におけるマガのイラン的特徴の主なものとしては,まずSPと BhPに共通する記述から,マガが太陽崇拝を専門とする宗教者であり,avyaṅga と呼ばれる腰紐を着用することが挙げられる(SP 26, 33–36/BhP I, 139, 76–79).腰紐(20)
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プラーナ文献と仏教文献における「マガ」の記述の相違(永 井)
avyaṅgaは,ゾロアスター教徒が腰に巻く聖紐,アヴェスター語のaiβiiā̊ŋhanaに
比定される.これは今日のパールシーの間ではkustiの名前で知られ,その着用 はゾロアスター教徒の義務とされている.
また,BhP I, 139, 59はマガについて「pūrṇaikaを右手に,varśmanを左手に持
ち,patidānaによって口を覆う」と述べるが,ここに現れる三つの名詞の内,
varśmanとpatidānaは,音の類似とその機能の一致から,それぞれアヴェスター
語のbarəšmanとpaiti.dānaに比定される.barəšmanとは古代イラン宗教において
神官が儀礼の際に手にしていた木の枝の束で,paiti.dānaとは,儀礼に際して呼 気で聖火を汚すことを避けるために神官が身に付けていた口覆いを指す.
次いで,BhP I, 140, 36b–37は,マガたちが彼ら独自の四つのヴェーダを持って
おり,その名前はVeda, Viśvavada, Vidud, Aṅgirasaであると述べる.これらのマガ のヴェーダは,ゾロアスター教の聖典Avestaあるいはそれを構成する諸書に比定 される4).
更に,BhP I, 139, 32–64には,太陽神が中に入った火と女神ニクシュバーとの
間に生まれた息子としてJaraśabdaという名前の人物が現れる.先行研究は,こ
のJaraśabdaをゾロアスター教の教祖Zaraθuštraに同定している.他にもこうし
た名称の一致として,BhPが太陽神の陪神として挙げるRājñaとSrauṣaが,ゾロ アスター教における神格RašnuとSraošaに類似すること等が挙げられる5).
3
.仏教文献におけるマガ
マガに言及する仏教文献としては,『業施設論』,『阿毘達磨大毘婆沙論』,
VasubandhuのAbhidharmakośa-bhāṣya(=AKBh)等の諸々のアビダルマ文献,次い
で中観派の論師BhāvivekaのMadhyamaka-hṛdaya-kārikā(=MHK)とその自注とさ れるTarka-jvālāが挙げられる.これらの仏教文献において,マガは不殺生戒と不 邪 戒を犯す悪しき宗教者として言及される6).『業施設論』を始めとするアビ ダルマ文献におけるマガの記述の内容はほとんど同一であることから,他の文献 におけるマガの記述は,成立先代の最も古い『業施設論』の記述を引用したもの と考えられる. その『業施設論』でマガが言及されるのは,三不善根とこれより生じる十不善 業道を説明する文脈においてである.癡に基づいて生じる断生命と欲邪行に当た る悪しき例として挙げられているのが,老いたり病んだりした父母の殺害の肯定 と近親者との性的関係の肯定という二つのマガの教えである7).
(21) ― 1086 ― プラーナ文献と仏教文献における「マガ」の記述の相違(永 井) この内,後者の近親者との性的関係の肯定については,先行研究が既に古代イ ラン宗教と一致することを,近代以前のゾロアスター教で奨励されていた近親婚 Xvaētuuadaθaの存在を根拠として指摘している.加えて,AKBhの記述は上記の 二つのマガの教えをペルシア人のものとしており,マガがイラン系の出自を持つ ことを示唆している. 4
.両文献の記述の相違
両文献の記述を比較すると,プラーナ文献が挙げるマガの風習と仏教文献のマ ガの風習がほとんど一致しないことが分かる.SPとBhPが共通して言及するマ ガの腰紐アヴィヤンガについて仏教文献は全く言及しておらず,またマガの太陽 崇拝について仏教文献にはそれに類する記述がない.一方で,仏教文献に見られ る老いたり病んだりした父母の殺害と近親婚の肯定というマガの二つの教えは, プラーナ文献には全く現れない.唯一,Bhāvivekaが言及するMagaśāstra(ma ga i bstan bcos)8)がプラーナ文献に現れるマガの四つのヴェーダに相当する可能性はあ るが,その一致は確実なものではない. こうした不一致の理由としては,そもそも二つの文献群において,マガに対す る記述態度が異なっている点が当然指摘できよう.仏教文献のマガの記述は仏教 徒側の倫理に照らして非倫理的な教えに限定されており,従って,非倫理的とは 言い難い腰紐の着用や太陽崇拝といった振る舞いについて,仏教文献は沈黙して いるのだと理解できる.しかし,それだけでは仏教文献において近親婚や老病者 殺害の風習を持つとされたマガが,プラーナ文献においてバラモンと見なされて いる事実に十分な説明を与えられない.近親婚や老病者の殺害の二つは,ヒン ドゥー教の倫理に照らしても非倫理的行いであり,そのような風習を持つ人々が そのままバラモンとして見なされるようになったとは考え難い. また一方で,仏教文献とプラーナ文献のマガの記述が古代イラン宗教との一致 を示すという点で共通することも事実であり,両文献の「マガ」には何らかの連 続性が認められる.プラーナ文献と仏教文献の不一致は,それらが全く別個の集 団に言及していることを意味するのではなく,むしろそれぞれが異なる時代のマ ガについて記述した結果であり,マガの変化を跡付ける資料として価値がある. プラーナ文献に先立って『業施設論』等の仏教文献において記述されたイラン の宗教者マガは,インドに到来して老病者の殺害や近親婚といった元来有してい た風習を喪失した.そうしてインドの宗教伝統に適応した結果がプラーナ文献に(22) ― 1085 ― プラーナ文献と仏教文献における「マガ」の記述の相違(永 井) おけるマガ・バラモンなのではないだろうか.プラーナ文献と仏教文献のマガ は,同じマガではあるとは言え,直ちに同一視されるべき存在ではない.むしろ 両者の間には,彼らのインド到来を契機とした何らかの歴史的変化の存在が想定 されねばならないであろう. 1)本稿では「古代イラン宗教」という語をゾロアスター教やそれ以外の古代イランの多神
教を包括する概念として用いる. 2)足利 1953; Hazra 1958; Stietencron 1966; Humbach 1978. 3)春日井(1954, 303)およびKawasaki(1975, 1098). 4)Humbach(1978, 248) は 最 初 のVedaをAvestaを 指 す も の と 解 し, 残 り を そ れ ぞ れAvestaを 構 成 す る
Vīsperad,VīdēvdādそしてNīrangに比定する.一方,足利(1953, 97)はNīrangに代わって
Ātaš Niyāyišnを挙げる. 5)BhP I, 124, 13および同124, 34. 6)『成実論』『十住毘 婆沙論』『雑阿毘曇心論』『阿毘達磨順正理論』等には,『業施設論』のマガの風習をAKBh と同様にペルシア人のもの(ただし『成実論』では安息の地における風習)とする記述が 存在する.いずれもマガではなくペルシア人となっていることからAKBhを除いて本稿の 考察の対象からは除いた. 7)D 192a5–193a6; P 231b4–P233b6. 8)MHK IX, 31. 〈略号〉
SPお よ びBhP: Stietencron, von Heinrich. 1966. Indische Sonnenpriester: Sāmba und die
Śākadvīpīya-Brāhmaṇa: Eine textkritische und religionsgeschichtliche Studie zum indischen Sonnen-kult. Wiesbaden: Otto Harrassowitz.
〈参考文献〉
Hazra, R. C. 1958. Studies in the Upapurāṇas. Vol. I: Saura and Vaiṣṇava Upapurāṇas. Calcutta San-skrit College Research Series, No. 11. Calcutta: SanSan-skrit College.
Humbach, Helmut. 1978. Miθra in India and the Hinduized Magi. In Études Mithriaques: actes du
2e congrès international Téhéran, du 1er au 8 septembre 1975, 229–253. Téhéran: Bibliothèque
Pahlavi; Leiden: Diffusion, E. J. Brill.
Kawasaki Shinjo. 1975. A Reference to Maga in the Tibetan Translation of the Tarkajvālā. 『印度学 仏教学研究』23(2): 1097–1103. 足利惇氏 1953「マガ婆羅門について」『印度学仏教学研究』2(1): 92–100. 春日井眞也 1954「業施設論に引用せられたるマガ婆羅門について」『印度学仏教学研究』3 (1): 299–304. 〈キーワード〉 マガ・ブラーフマナ,サーンバ・プラーナ,『業施設論』,古代イラン宗教 (筑波大学大学院)