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シェイクスピアの史劇論 : 史劇の起源とジャンル分けの本質と悲劇への発展をめぐって

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Academic year: 2021

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(1)

―史劇 の起源 とジャンル分 けの本質 と悲劇 へ の発展 をめ ぐって一

英米文学教室 岡 シェイクスピアは史劇作家 として劇作家 のスター トをきった。 シェイクスピアは

,英

国の歴史 に材 をとった史劇 の最初 の四部作(『ヘ ンリー六世』二部作及び『リ チャー ド三世』)を書 き

,そ

の後

,同

じ く英国の歴史 に材 を とり

,前

の四部作 の前 の時代 を取 り扱 っ た四部作 (『 リチ ャー ドニ世』『ヘ ンリー四世』二部作及び『ヘ ンリー五世』

)を

書 いている。最初 の 四部作 を書 き終わ り

,次

の四部作 を書 きなが ら

,英

国のよ り古 い時代 に材 を取 った『ジョン王』 を 書いた。他 に悲劇 (あるいはローマ劇 またはローマ史劇 ともい う)『タイタス・アン ドロニカス』及 び『ジュ リアス・ シーザー』 を経て

,四

大悲劇へ と向かってゆ く。喜劇 は『リチャー ド三世』 と同 じ時期 に書いた『間違 いの喜劇』 を始 め とし

,史

劇 を書いていた時期か ら

,四

大悲劇 を書いていた 時期 (『以尺報尺』

)ま

で続 けて書いている (『ヘ ンリー八世』は

,シ

ェイクス ピアの

,劇

作家隠退後 に書かれ

,し

か もジ ョン・ フレッチ ャとの共作で もあるので

,

ここでの考察 の対象か らは除外 した い)。 このように

,シ

ェイクス ピアの初期 の劇作品には

,史

劇が多数 をしめているわけであるが

,史

劇 とい うジャンルその ものは

,そ

れほど古い もので はなかった。 古来 より創作論 として有名であつたア リス トテレスの『詩学』 には

,ジ

ャンル としての史劇 はな かった ことを銘記すべ きである。 ア リス トテレスは, 叙事詩 の創作

,悲

劇 の創作

,さ

らに喜劇

,デ

ィテュランボスの創作

,笛

や竪琴な どの音楽 の大部分一 これ らを全体 として一括す る規定 をあたえるな らば

,い

ずれ も描写行為 (ミーメ ーシス

=模

倣 。まね

)に

ほかな らない1。 という有名 な創作論 を書いているが

,こ

の中に史劇 は含 まれていない。なぜな らば

,ア

リス トテ レスは

,歴

史家の著述 と創作家 の仕事 を区別 したか らである。 ア リス トテレスは続 けて, 創作家 (詩人

)の

仕事 は実際 に起 った出来事 を語 ることで はな く

,起

るであろうような出来 事 を

,す

なわち

,

もっ ともな成行 または必然不可避 の仕方で起 りうる可能事 を語 ることだ, とい うことである。 換言すれば

,歴

史家 と創作家 (詩人

)と

の違 いは

,語

るに韻律 をもってす るか否か という 点 にあるので はない。ヘロ ドトスの文章 は

,こ

れを韻文 に直す こともで きるであろうが

,し

か しそれが歴史であることは

,韻

律 の有無 にかかわ らず

,す

こしも変 るところがないのであ る。両者 の違 いはむ しろいま言われた点 にある。すなわち

,歴

史家 は実際 に起 った出来事 を 明 俊 村

(2)

120 岡村俊明 :シ ェイクス ピアの史劇論 語 るに対 して

,創

作家 (詩人

)は

起 るであろうような出来事 を語 る

,

という点 にある。 この ゆえにまた

,創

作 (詩作

)は

歴史 とくらべて

,よ

り哲学的であ り

,価

値多い もので もある。 なぜな ら

,創

作 (詩作

)が

語 るのはむ しろ普遍的なことが らであ り

,他

,歴

史が語 るのは 個別的なことが らだか らである。(傍点 は原文 のまま。以下同 じ。

)(20頁

) ア リス トテレス は

,こ

のように創作家 と歴史家 を

,ま

た創作 と歴史 (史書

),創

作 (悲劇 または喜 劇

)と

史劇 (と後 にいわれ るもの

),の

それぞれ両者 を区別 している。 このような説か らは

,シ

ェイクス ピアの史劇 は生 まれなかった ことになる。 しか しア リス トテレ スの主張 した両者 の大 きい違 いは

,チ

ューダ朝 (1485-1603年

)に

なって

,互

いに歩み寄 ることに なる。 それには

,一

つ は

,チ

ューダ朝の史書の隆盛が大 きい影響 を与 えている。 ポ リドール・バージル は『英国史』(1534年

)を

書 き

,こ

れに刺激 をうけて

,エ

ドワー ド・ホール が,『二大名家 ランカスター家 とヨー ク家の和解』(1548年

)を

書いた。 さ らにこれに刺激 されて, ラファエル・ ホ リンシェッ ドが『年代記』(1577年

)を

出す ことになった。 同 じ時期 に

,右

の歴史家以外 に

,ウ

イ リアム・ ハ リソン

,ジ

ョン・ ス トウ

,ジ

ョン・ ス ピー ド, ウイ リアム・ カムデ ン

,ジ

ョン・ リーラン ド

,ジ

ョン・ フォックス等が次々 と史書 を出版 した。彼 らは共通 した基盤―愛国心― を持 っていたのである。 そのために彼 らは

,そ

れ まであまり願 み られ なかった自国の歴史 を発見 し

,英

語 を使 って著作 に励 んだ。 その うちの一人 カムデンは, 私たちの英語 は

,ラ

テン語 と同 じように優美で

,ス

ペイン語 と同 じように洗練 され

,フ

ラン ス語 と同 じように宮廷風で

,イ

タ リア語 と同 じように恋 をかたるにふ さわ しい2。 と

,英

語 に対す る強い誇 りを示 したが

,こ

れが どの歴史家 にも見 られたのではなか ろうか。 シェイクス ピアは

,

こうい う時期 に書かれた史書のうち

,特

,ホ

ール とホ リンシェッ ドの史書 を

,史

劇 (そして悲劇

)の

素材 として利用 した。特 に

,ホ

ールの史書 についていえることは

,史

観 がチューダ朝 とア リス トテレスの時代 とは大 きく変わって きたことである。「起 こった こと」のみを 語 るのがかっての史書であった とす るな ら

,ホ

ールの史書 はそれだけで はなかったのである。 ホール は

,ヨ

ーク家 とランカスター家 の争 いをこまか く描写 しなが ら

,そ

の史書 の序文 に書いて いるように,「ヘ ンリー四世 はその争いの始 まりと源であった3」 を人々 に思い出 させた。かつ彼 は, 「気高 く

,賢

明なヘ ン リー八世 は両家 の正統 な花であ り

,相

続人3」 とぃ ぅことを力説 した。 ホール は

,チ

ューダ朝 にいたる英 国の統一 を

,そ

れ までの内乱 と鋭 く対比 させ たのである。 この新 しい統 一 は

,王

位纂奪者 によって

,ぃ

つ何時瓦解 し

,か

ってのような内乱が起 こるか も知れない ことを, 多 くの人々に予測 させた

,

ともいえよう。 この書が書かれた目的がそうであるばか りでな く

,そ

の後 のイギ リスの歴史的状況がそれ までの 内乱 を思わせ るもの となった。史書が書かれた目的及びその後 の時代的状況が

,ア

リス トテレス流 にいえば,「起 こるであろうようなこと」 を意識的 に

,

しか も強 く提示 していることになる。 このような史書 の特色 の変化 とあいまって

,他

方で は

,創

作 その ものの特色 も

,シ

ェイクス ピア の時代 には変化す る。 ア リス トテレスによると, 作家 (詩人

)が

作家であるのは彼が描写 をお こなうか らこそであ り

,そ

して構写す る対象 は ほかな らぬ行為であるか らには

,ま

さにそのか ざりにおいて

,作

家 は韻律 の作 り手であるよ りも

,む

しろ物語の作 り手でなければな らぬ。(21買) と

,彼

は物語 の作 り手 としての作家の特色 を強調す ることであった。

(3)

そ して

,こ

こでい う「物語の作 り手

Jと

しての創造性 は

,広

い意味での「描写」行為であって, 両者 は矛盾 しているので はなか ろう。 その物語 の作 り手 とは

,ア

リス トテレスの念頭 にホメロスが あったようである。 しか し

,ア

リス トテレスによれば

,作

者が作 りだ した という物語の構想 は

,例

えば

,英

雄的な戦 争や数奇な冒険 にみちあぶれた『イ リア ッ ド』や『オデュセイ』 は

,シ

ェイクス ピアの作品か らは 考 えられない ことになる。なぜな ら

,シ

ェイクス ピアの殆 どすべての作品には素材が あ り

,そ

れを 彼が利用 して劇 を作 ったか らである。 したがって

,物

語 その ものを作 ることが シェイ クス ピアの

,ま

たエ リザベス朝作家 の特色ではな くなって きてい る

,

といえよう。 ア リス トテレスにあっては

,大

き く隔たっていた史書 と創作の両者が

,チ

ューダ朝

,特

にエ リザ ベス朝 にあっては

,こ

のように

,互

いに大 き く接近 して きた。 この接近 を背景 に

,シ

ェイクス ピア を始 め とす る英国史劇が生 まれ ることになった。 1580年代 には

,い

ずれ も作者不詳 の『ヘ ン リー五世 の有名 な勝利』『ジャック・ス トローの生 と死』 『ジ ョンエの苦難 にみちた治世』及び『 リチ ャー ド三世 の真の悲劇』等が書かれてい る。 今 日か ら見 ると

,こ

れ らの作品 は史劇 の草創期 にしめる意義 はあ り

,か

つ当時の観客が史劇 を要 求 していた とい うあか しを提示 していることになる。 しか しそれ以外 の独 自の文学的価値 には乏 し ヤゝ。 この意味で注 目すべ きは

,ク

リス トファ・マーロウであ り

,彼

の史劇 『エ ドワー ドニ世』(1592年 初演

)で

ある。『エ ドワー ドニ世』をもって して初 めて

,史

劇が文学上のジャンル としての存在 を主 張で きることになる。 しか し

,シ

ェイクスピアは

,1590-1年

の間に

,史

劇 『ヘ ンリー六世』第二部及び第二部 を書い ている。 したがって,『エ ドワー ドニ世』初演 の ころ

,シ

ェイクス ピアは,『ヘ ン リー六世』二部作 をすでに書いてお り

,し

か もその後 も史劇 の傑作 を書 き続 けているのである。 とい うことは

,シ

ェイクス ピアが最初 の本格的な史劇作家であることになる。 そのためシェイク ス ピアは

,草

創期 の作家が直面す るさまざまな問題 に直面 した。その一つ はジャンル としての史劇 が持つ問題である。 それを明 らかにしなければな らないが

,ま

,史

劇 は

,悲

劇 また は喜劇 といか に異 っているか を考 えてみよう。 シェイクスピアの殆 どすべての作品には素材があるが

,素

材 をみるか ざり

,史

劇 と悲劇 の大 きな 差 はない。 これに反 して

,史

劇 と喜劇 の素材 は大 きく異 っている。 喜劇 にはひ とつの作品のなかに もさまざまな素材が入 り乱れている。主な素材 として は

,民

間の 伝承 (『じゃじゃ馬 な らし』)す シンシオ

,ボ

ッカチォ等のイタ リアの小説(『ベニスの商人』『か ら騒 ぎ』『十二夜』『以尺報尺』『終わ りよければすべてよし』

),イ

タ リアの喜劇(『恋 の骨折 り損』『夏の 夜の夢』

),チ

ョウーサの詩 (『夏の夜 の夢』

),オ

ーヴィ ドの詩 (『夏の夜の夢』

),ロ

ーマの喜劇 (『間 違いの喜劇』

)等

がある。 どの喜劇 の素材 に も史書 はない ことを銘記すべ きである。 悲劇 の主な素材 は

,一

つは史書

,

もう一つ は小説

,詩 ,劇

またはパ ンフレッ トである。前者 に属 するものは,『ジュ リアス・シーザー』『コリオ レイナス』『ハムレッ ト』『マクベ ス』『 リア王』と『ア ン トニー とクレオパ トラ』であ り

,後

者 に属す るものは,『タイタス・ アン ドロニカス』『ロ ミオ と ジュ リエ ッ ト』 と『オセロー』である (『ハム レッ ト』のように

,紛

失 した『原ハム レッ ト』がある とすれば,こ の劇の素材 は前者 と後者 の二つの範疇に属す るもの となる)。 したがって

,素

材か ら見 る限 り

,悲

劇 は史劇 と喜劇 と重なっているということがで きる。

(4)

岡村俊明:シェイクス ピアの史劇論 創作時代か ら見れば

,喜

劇 は史劇 と悲劇 と重 なっている。しか しシェイクス ピアは

,原

則 として, 素材 を選択 した ときに

,少

な くとも

,史

劇か喜劇 か は決めていた。 あるいは逆 に

,史

劇 か喜劇かを 決めた後 に素材 を選択 した といってよい。倉J作時代 は重 なっているけれ ども

,そ

れ ほ ど両者 の素材 は大 き く異なってい るのである。 これに反 して

,素

材 の選択 だけで分か らないのは史劇 と悲劇である。それ らは

,素

材が重 なって いるばか りでな く

,劇

の特質か らいって も

,両

者 の区別 は困難 な場合がある。 私 たちは

,シ

ェイクスピア劇 の

,特

に史劇 と悲劇 のジャンル分 けの本質 を考 えなければな らない が

,ま

,シ

ェイクス ピア時代 のジャンル分 けを提示 してみよう。 その ことで最 もよ く知 られているのは

,ヘ

ミング とコンデルによって1623年に出版 された『シェ イクス ピア全集』(第一二つ折 り版)であろうЬ それ によると

,史

劇 は『ヘ ンリー六世』二部作,『リ チャー ド三世』『リチ ャー ドニ世』『ヘ ン リー四世』二部作,『ヘ ンリー五世』及び『ジョン王』であ る。すべてが英国史 に材 をとった劇であることになる。 史劇が生 まれた経緯か らして

,英

国史 に材 を とった ものを史劇 とするのは当然 として も

,こ

こで 特異 なのは,『ジ ョン王』である。なぜな ら

,他

は連続 した時代 を取 り扱 った二つの四部作であるが, この作品のみ時期的 に隔っているか らである。 このジャンル分 けの後味の悪 さを持 ちなが ら私たち は

,他

の作品を見 ると

,別

な矛盾があることも知 ることになろう。 シェイクス ピアのすべての劇作品 は

,そ

の『シェイクス ピア全集』 に収録 されているが

,全

集 に 収録 され る前 に

,い

くつかの作品 は単行本 (四つ折 り版

)と

して出版 されている。悲劇 『ハムレッ ト』『オセロー』『マクベス』『 リア王』は単行本 として出版 された。その際それぞれの原題 は

,例

え ば『デンマーク王子ハムレッ トの悲劇』と

,即

ち,「悲劇」とい う題 をもってお り

,こ

れが全集 にな って もそのまま残 っている。 それに反 して

,史

劇 の うち『ヘ ンリー六世』第二部,『リチャー ド三世』『 リチャー ドニ世』 の単 行本 の原題 は

,例

えば『 リチャー ド三世 の悲劇』 と「悲劇」 とい う言葉が

,そ

れぞれ はいっていた が

,全

集で は「悲劇」という言葉が削除 され

,そ

れぞれ

,例

えば,『リチャー ド三世 の生 と死』とな っている。 ということは

,シ

ェイクスピア自身が

,単

行本出版 の際

,史

劇 と悲劇 のジャンル分 けをそれほど 厳密 に考 えていなかったので はないか

,

とい うことになる。 また

,当

時 として も定着 していなかっ たジャンルを

,全

集出版 のさいに

,ヘ

ミング とコンデルが多少 とも強引に整理 し

,区

分 けした もの で はなかっただろうか

,

とう疑間 も同時に起 こって くる。 その疑間に正確 に答 えるには,史 劇(HiStory)を ,言葉の歴史 において見直す ことが必要であろう。 歴史的方法 に則 り

,一

語一語の語義 の最初 の使用例か ら今 日に至 るまでの変遷 を明 らか にしてい る『オ ックスフォー ド英語大辞典』によれば,「史劇」の最初 の用例 は

,シ

ェイクス ピアの『 じゃじ ゃ馬な らし』(1595年

)の

, それ はいわぼ史劇 だ。(序

2場

) である。 最初 に使 ったのが シェイクス ピアであるとい うこと

,し

か もその年 (1595年

)が

持 ってい る意味 を考 えなければいけない。それ は

,い

くつかの史劇が書かれ

,そ

の後 を追 っか けるようにして

,そ

の劇 を明示する言葉が生 まれた

,

とい うことである。 当時 として も

,史

劇 というジャンル及 び「史劇」 とい う言葉 は新 しいわけであったが

,そ

の語が 始 めて使 われてわずか30年足 らずの間に

,ヘ

ミング とコンデルによって

,そ

のジャンル に区分 けさ

(5)

れた全集が この ように出版 された。それが単行本 と全集 の間の原題 の異同であ り

,動

揺であつた と 考 えられ よう。 単行本 と全集 の間の異同ばか りでな く,『シェイクスピア全集』のなかで も

,編

者 自身がジャンル 分 けで動揺 を示 している痕跡が見 られ る。 その第一 は,『 トロイラス とクレシダ』のジャンル分 けである。全集の目次 (A Catalogue)に は, その劇の記載 はな く

,実

際 は本文で は『ヘ ンリー八世』の後 に (その最後の買 は232)『 トロイラス とクレシダの悲劇』が収録 されている。 しか も

,そ

の作品に打 たれた最初 の頁 は79で

,そ

の次 は80 となっているが

,あ

とは頁 も打 たれていない状態である。 その編者 は『 トロイラス とクレシダ』 のジャンル分 けを最後 まで迷 っているのである。 また これ にとどまらず

,今

日で は喜劇 (またはロマン劇

)で

ある『シンベ リン』が

,全

集では悲劇 となって いる。 したが って,『シェイクス ピア全集』だけに

,そ

のジャンル分 けの根拠 を依拠す るのは危険である といえよう。 私たちは

,史

劇 のジャンル分 けを劇 の特質か らしなければな らないので はなか ろうか。 それには まず

,テ

ィリヤー ドの主張 を取 り上 げねばなるまい。 その どの劇 [シェイクス ピアの最初 の四部作

]に

も[登場人物 としての

]主

人公 はいない。 そしてその理 由の一つ は

,そ

の どの劇 にも一人 の際だった無名 の主人公がいるか らである。 それ はイングラン ドであ り

,…

イングラン ドは

,登

場人物 として は

,完

全 に排除 されている けれ ども

,シ

ェイクスピアの最初 の四部作の真 の主人公である4。 ティリヤー ドの この主張 はそれな りの説得力 はもってい よう。 しか し

,劇

の特色か らす るジャン ル分 けは

,そ

れが どのようにす ぐれた ものであって も

,自

己矛盾 の要素 をはらんでいる。 とい うの は

,初

期の史劇 のなかで はす ぐれた作品であ り

,ま

た悲劇 的要素 ももってい る『リチャー ド三世』 の主人公 は

,テ

ィリヤー ドによれ ば

,イ

ングラン ドということになるが

,人

間 としての リチャー ド も描かれていないか, とい うことである。ティリヤー ドの論 は, まず前提 として『シェイクス ピア 全集』のジャンル分 けがあ り

,そ

れを受 け入れた後 の説明 にす ぎないのではないだろうか。 ではこの説 を修正 して

,よ

り実状 にそった論 の展開が可能であろうか。 劇 の中心人物 に対 する作者の描 く力点が,個人 の命運 より国の命運 に大 き く置かれている場合 は, 史劇 と定義 され

,国

の命運 を背景 にして個人 の命運 に置かれている場合 は悲劇 と定義 されれば

,

ど うだろうか。 こうすれば『 リチ ャー ド三世』『 リチャー ドニ世』が悲劇的な特色 を持 っているが

,や

はり史劇で あるという意味で

,私

たちはこれ らの作品 をよりよ く理解で きる。 さらに

,他

の史劇 とは違 って時 代的統一がない『ジ ョン王』 も英国史劇 として説明で きよう。 しか し,『ヨ リオ レイナス』『ジュリアス・ シーザー』 というローマ劇 は

,史

劇 なのか または悲劇 か ということが新 しい問題 となる。特 に『ジュ リアス・ シーザー』 の場合 は

,主

人公が歴史上 の実 在人物 として

,よ

く知 られている とい う意味で史劇 としたほうが よいので はなか ろうか。 そうすれ ば

,輪

郭のはっきりしている素材があ り

,は

っきりしている歴史上 の実在 の人物 を

,国

の命運 のな かに描いているイギ リスの史劇 とローマ劇 を史劇 として くくることになろう5。 この提案 を元 にして

,更

に考 えを深めてゆきたい。 シェイクスピアは

,初

期 の史劇か ら『ジュリアス・ シーザー』 を経 て

,四

大悲劇 に向かってい く が

,そ

の史劇か ら悲劇への発展 は

,何

よ りも

,シ

ェイクス ピアの創作上の必然性 といえるもので は

(6)

岡村俊明 :シ ェイ クス ピアの史劇論 なか ろうか。 その ことをこれか ら明 らかにしたい。 まず,シェイクス ピアの史劇及 び悲劇 の創作年代及び扱われた工侯 の治世期間を提示 してみよう。 創 作 年代

1590-2 *

1592-3 *

1593--4 1594--5

1595-6 *

1596--7 * 1597--8 *

1598-9 *

1599--1600 1600--1 1604--5 1605--6 1605--6 1606--7 1607--8 1607--8 *Ettは 『 シ ェイ 『タイタス・ アンドロニカス』 ローマ帝国 作

名 『ヘ ン リー六世』二部作 『 リチ ャー ド三世』 『ロ ミオ とジュ リエ ッ ト』 『 リチ ャー ドニ世』 『 ジ ョン王』 『ヘ ン リー四世』二部作 『ヘ ン リー五世』 『ジュ リアス・ シーザー』 『ハ ム レ ッ ト』 『オセ ロー』 『 リア王』 『マ クベ ス』 『 コ リオ レイナス』 『アテネのタイモ ン』 治世 期 間 また は国 1422--61 1483--85 イタ リア 1377--99 1199--1413 1399--1413 1413--22 ローマ帝国 中世 のデ ンマー ク イタ リア 中世 のイ ング ラン ド 中世 のス コ ッ トラ ン ド ローマ帝国 古代 ギ リシ ャ 『ア ン トニー とクレオパ トラ』 ローマ帝国 クス ピア全集』 によれ ば悲劇 となってい る。 シェイクス ピアは

,同

じ時代 を決 して繰 り返 し描かなかったことが

,こ

の表か ら理解 され よう。 シェイクスピアは,ヘンリー六世 の時代 よ リリチャー ド三世 の時代及 び リチ ャー ドニ世 の時代 より, ヘ ンリー四世及びヘ ンリー五世 の時代 を扱 っているが

,そ

の どれ も時代が重なっていない。 また,『ヘ ンリー六世』は二部作であるが,その どれ も時代が章 なっていない。第一部 は1422年(ヘ ンリー五世の葬儀

)か

1443-4年

(ヘンリー六世 の婚約

),第

二部 は

1443-4年

(ヘンリー六世 の 婚約

)か

ら1455年 (セン ト・オルバ ンの戦 い

),第

二部 は1455年 (セン ト・オルバ ンの戦 い

)か

ら1475 年 (レニェ公が娘の身代金 を求めるところ

)ま

でを扱 っている。 それ は『ヘ ン リー四世』二部作 に ついて も

,同

じことがいえる。 次に

,一

番新 しい時代が 『 リチャー ド三世』の時代で

,あ

とは古い時代 となっていることが理解 され よう。 これ らのことか らいえることは

,こ

の時期 に他 に取 り扱 える時代 として,「ヘ ン リー七世」「ヘ ン リー八世」「エ ドワー ド六世」「メア リー女工」「エ リザベスー世」等があったはずである。それ をシ ェイクスピアは避 けて

,イ

ギ リスの

,ま

た は外国の古い時代

,あ

るいは伝説上の

,ま

たは小説 のな かの人物 を選 んだのである。 その理 由はなんであろうか。 一つには

,

リッチモ ン ド伯 (後のヘ ンリー七世

)が

,い

わゆる「 ヨークとランヵスター家の和解」 を果た した とす る説である (『リチャー ド三世』

5幕 4場

参照)。 和解が成立 した以上

,王

位纂奪 と それに伴 う動乱 を描 く必要 はな くなった とする考 えである。 しか し

,既

に考 えて きた ように

,政

治的 に危院な状態 はまだ続 いていた

,

と私 は思 う。そのため シェイクス ピアは

,同

時代に より近い時代 を描 けば

,政

治的に危険であると考 えたのではなか ろう

(7)

か 。 1601年

,エ

セ ックス伯反逆の前夜 に反徒が

,シ

ェイクス ピアの劇団に

,王

位纂奪 を扱 っている『 リ チャー ドニ世』 を上演 させて

,挙

行 し

,失

敗 に終わ った ということがあつた。 とい うの は

,ヨ

ーク とランカスターの両家が和解 したが

,エ

リザベス女工 の時代 には

,王

位纂奪 の危険性 はない という 安定 した状況で はな く

,い

つなん どきそれが現実の もの となるか もしれない とい う不安が続いてい たのである。 そのような状況では

,同

時代 の宮廷人 の反逆の企てばか りでな く

,劇

作家 に とってす ら

,そ

の筆 のために投獄 され

,悪

くす ると一命 を落 としかねない ことになる。「起 るであろうような こと」を描 くことは

,シ

ェイクス ピア史劇 の当初 の目的であ り

,史

劇成立の基盤であったが

,近

い時代 を扱 つ てその態度 をお し進めると

,基

盤 その ものが壊れかねない という自己矛盾 もはらんでいた。 しか し

,も

っ と大 きい理 由は

,シ

ェイクス ピアが同時代 に近い時代 を扱 えば

,歴

史上 の人物 を扱 う以上 に

,純

粋 な意味で

,創

作上 の自由が狭 まると考 えたか らで はなか ろうか。生 きた人間の記憶 に残 っている事件や人物

,ま

たは生 きた人物 その人がいれば

,そ

れ は素材 として は柔軟性 に欠 ける という大 きい短所 も持 っているか らである。 シェイクス ピアは

,最

初 の四部作 を書 き終わ り,『タイタス・アン ドロニカス』 と『ロメオ とジュ リエ ッ ト』 を書 き

,そ

の後次の四部作 に移 りなが ら,『ジ ョンエ』 を書いていった。 その後 は,『ジ ュリアス・ シーザー』 を経て四大悲劇 に向かってゆ く。 その間の移動 についてい えることは

,シ

エ イクスピアは

,彼

の時代 に近 い自国の歴史 に材 を取 る一方で

,イ

ギ リスの古い時代 の王や古代 ロー マの歴史上の人物 を選 んだ り

,イ

タ リアの小説 の中の人物 を選んでいるとい うことである。 シェイ クスピアは

,四

大悲劇で は

,イ

ングラン ドまたはスコッ トラン ドを選ぶ にして も

,あ

ま り知 られて いない

,ま

たは伝説上の人物 を取 り上 げている。 あるいは

,デ

ンマー クやイタ リアな どの場合 も, 同 じく伝説 また は小説の中の人物 を選 んでいることである。 これ は

,シ

ェイクス ピアの創作 の発展 に とって

,単

,史

劇か ら悲劇期へ と移 つた とい うことで はない。 シェイクスピアの関心 は

,国

の中の人間

,集

団の中の人間か ら

,例

えば

,国

を背景 とした 人間

,個

人 としての人間に関心が移 り,しか もそれ は創作上 の必然性 に裏打 ちされていたのである。 このようにしてシェイクス ピアは

,か

な り自由に書 くことがで き

,か

つ人間の内面 まで掘 り下 げ る素材 を求 め

,そ

の結果

,彼

の同時代か ら離れた ものを

,時

間的に も

,空

間的に も

,心

理的にも遠 く離れた人物 を選 んでいったのである。 関心の移動 と創作上の多 くの自由を求 めた このシェイクスピアの動 きは

,登

場人物 の数の絞 り込 み

,舞

台 にのせ る日数等 の減少化 とい う作業が要請 され る。そうして こそ初 めて シェイクス ピアは, 集中的な効果 を期待で きるか らである。 次の表 を見 なが らその集中的効果 について考 えてみたい。その表 は

,シ

ェイクス ピアの四大悲劇 に至 るまでの

,主

な作品の舞台にのせ る日数

,イ

ンターバル (舞台にのせ られていない時間上 の空 自

)及

び登場人物 の数の三つの要素 について まとめた ものである。 作 品

名 『 リチ ャー ド三世 』 『 リチ ャー ドニ世』 『ヘ ン リー四世』(第一部) 『ヘ ン リー四世』(第二部) 舞 台 にのせ る 日数 イ ンターバ ル の数 詫 倍鑑

11 4 41(13)

14 11 28( 9)

13 6 22(10)

12 6 41( 8)

(8)

126

岡村俊明:シェイクスピアの史劇論 『ヘ ンリー五世』

9 5 45( 7)

『ロ ミオ とジュリエ ッ ト』

6 o 26( 9)

『ジュ リアス・ シーザー』

5 4 35( 4)

『ハムレット』

7 2 24( 7)

『マクベス』

9 3 29( 6)

『オセロー』

3 1' 14( 7)

『リア王』

lo 2 21(6)6

史劇 は舞台 にのせ る日数が多 いが

,四

大 悲劇 に向か うにつれて

,概

して

,そ

れが少 な くなって き てい る。 『 リチ ャー ド三世』『 リチ ャー ドニ世』はそれ ぞれ14年及 び

1年

10ヶ月 の期 間 を扱 つて い るが

,舞

にのせ る日数 はそれ ぞれ11日 と14日 で あ る。 そのため にシェイ クス ピア は時間 を短縮 す る種 々 の試 み を して きてい るが

,そ

れで もイ ンターバ ルの数が多 く

,か

つ それぞれのイ ンターバ ルが持 つ空 白 の時間が長 くな るの は仕 方が なか った。 史劇 として は

,比

較 的短期 間 で終 わ ってい る『ヘ ン リー四世』第一部 といえ ども

,舞

台 にのせ る 日数 は13日 で あ るが

,そ

の劇 は3ヶ月間近 い期 間 にわ たってい る。 イ ンターバ ル は

6個

あ り

,そ

れ ぞれ のイ ンターバ ル は

,長

い順 か ら

, 3, 4週

, 2週

, 1週

(3度

)及

2, 3日

か ら成 り 立 ってい る。 これ に比 して

,悲

劇 は

,例

えば,『ロ ミオ とジュ リエ ッ ト』の場合 は

,舞

台 にのせ る 日数が6日で, イ ンターバ ル は完無 であ る。『マ クベ ス』や『 リア王』に して も

,そ

れ ぞれ舞 台 にのせ る日数が9日 と10日 であ り

,し

か もイ ンターバ ル の数 が それ ぞれ

3個

4個

と少 ない。 なおかつ

,イ

ンターバ ル その もの も約

2週

間1個と

4, 5日

間が

2個

及 び

2週

間足 らずが1個と

, 1, 2日

1個

にな って い る。悲劇 にな るにつれて

,舞

台 にのせ る 日数 ばか りで な く

,イ

ンターバ ルの数及 び それ ぞれ のイ ンターバ ルが持 ってい る空 白の期 間が少 な くなって きてい る。 登場人物 の数 は,『 ヘ ン リー四世 』第二部 ,『 ヘ ン リー五世』で は

,そ

れ ぞれ41人

,45人

で あ るが, 『オセ ロー』『マ クベ ス』 で は

,そ

れ ぞれ14人

,21人

で あ る。他 の作 品 につ いて もい え ることだが, 登場人物 の数 は

,悲

劇期 に移 るに したが って

,少

な くなって きてい る。「 その他 の人達 」の数 も

,概

して

,減

少傾 向 にあ る とい えよう。 これ ら二 つの要素 をそれ ぞれ単独 に考 えて きた。勿論 それ に も意味 はあるが

,重

要 な こ とは

,そ

れ ぞれ の作 品 にお ける総合 的 な効 果 とい え る もので あ ろう。悲劇期 に移 るにつれ て

,シ

ェイ クス ピ ア は確実 に

,総

合 した二 つ の要素 を質量 ともに絞 りこんで い る。 この結果

,縮

約 され た集 中的 な効 果 をね らって いた とい え よ う。 シェイ クス ピア は

,純

創作 的観 点 か らい って

,英

国史劇 にお ける三 つ の要素 の総 量 としての大 き さ もまた

,扱

いが たい こ とに気付 いた とい える。 シェイ クス ピア は

,史

劇 にお い て

,集

団 の中 にい る人 間

,歴

史 の中で動 く人 間 を描 いて きた。 シ ェイ クス ピア はその ように して時代 を描 くこ とが で きた。 しか しそ こで活躍 す るの はあ くまで人間 で あ る。人 間 その ものにあ くな き関心 を持 っていた シェイ クス ピアは

,時

代 を彼 の同時代 か ら遠 く 離 す

,イ

ギ リス以外 の国 を描 く

,あ

るい はあ ま り知 られ ていない人物 や小説 の中の人物 を素材 に し て こそ

,よ

り自由に描 くことがで きた。 シェイ クス ピア は

,総

合 した二 つ の要素 の数 を質量 ともに絞 り込 み

,集

中的 な効 果 を獲 得 しなが ら

,よ

り自由 に

,人

間 その もの に焦 点 を合 わせ て きた。

(9)

このようにして

,他

の史劇 と時代が離れている『タイタス・ アン ドロニカス』や『ジ ョン王』が 生 まれ

,そ

れが きっか けとなって

,史

劇 としては成熟 した『ジュリアス・ シーザー』が生 まれ

,四

大悲劇 となる と

,そ

れ までの作品 と異なるものが生 まれ ることになった。 シェイクス ピアは史書 を 用いなが らも

,成

熟 したかたちで

,個

別的な ものか ら普遍的な ものへ と向か うこととなった。 それ ら史書 を用いた『マクベス』や『リア王』の悲劇 は

,完

成 された史劇 と呼ぶ ことも

,こ

れ までの呼 び方で

,悲

劇 と呼ぶ ことも可台ヒである。 江 ア リス トテ レス (藤沢令夫訳)『詩学』筑摩書房,1966年, 8頁。

Charles Whibley,“Chroniclers and Antiquarieぎ ',7功♂Cα物う湾弛9打,sん99アどηど′λ力Lゲルηttηf Fιη盗じ¢ηθ¢ αηプ資っのタクηα″οη,Vol HI,Sir A WヽVard and A R Waller,eds(Cambridge U P,1932),p313

Geoffley Bullough,ハ リ陶磁汝わ9,ηガDttη α″εδοクπ盗 げS力》妙 ″紀すEρガル″βηg′ゲs力可テs力υ PIttsf Fraηっ レ監 買去,力α知グザIL買ん力αガ rr Vol HI(London:Routledge and Kegan Paul,1966),p42

EMヽ

V Tillyard,“ The First Tetralogy",S滋力盗″効″C力″θλ″7935‐7θσO(Oxford U P,1963),pp 87‐88

『ジュ リアス・ シーザー』論 について は,拙著 『シェイクス ピアを読 む』所収 の「歴史劇への視点一 『ジュ リア ス・ シーザ ー』J(朝日新聞社,朝日選書)61-69頁を参照。 舞台 にのせ る日数及 びイ ンターバル については『研究社詳注 シェイクス ピア』 による。登場人物 の数 は『 リバ ー サイ ド・ シェイクス ピア』版 を元 に してい る。 そ こに登場人物 として名前の出ている者 の数 をかぞえ,その最後 にひ とまとめに くくられている人物 を「その他 の登場人物」 としている。かぞえる際,「2人の人夫」「3人の魔 女」等 をそれぞれ1人としている。 (1992年8月31日受理)

(10)

参照

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