• 検索結果がありません。

啓蒙主義時代におけるゲーテとベートーヴェン比較論

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "啓蒙主義時代におけるゲーテとベートーヴェン比較論"

Copied!
16
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)Title. 啓蒙主義時代におけるゲーテとベートーヴェン比較論. Author(s). 深井, 尚子. Citation. 北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編, 53(2): 49-63. Issue Date. 2003-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/752. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 3巻 第2号 北海道教育大学紀要 (人文科学・社会科学編) 第5 l I Sc i i ) Vo iけ of Educaロon 旧 皿 如d de ences lof Ho ー窓mdo Umve ld soc a jouma r s sal ‐53 ‐2 , No. 平成 15 年 2 月 Febma i r y , 2003. 啓蒙主義時代におけるゲーテとベートーヴェン比較論. 深. 井. 尚. 子. 北海道教育大学釧路校音楽研究室. 序. 論. 第1章 18世紀, 啓蒙主義の台頭. 第1節 啓蒙主義以前の音楽家の身分 第2節 啓蒙主義の時代 第3節. 第2章. 第3章. ドイ ツ の啓蒙 哲 学. ~カ ン ト~. ゲーテの作品とベートーヴェ ンの評価 第1節. 文学におけるシュ トゥルム・ウント・ドラング (疾風, 怒涛) とその発展. 第2節. ゲーテの音楽観とベートーヴェ ンの評価. ベートーヴェ ンの作品とゲーテの評価 第1節 ベートーヴェ ンの精神性と革新性 第2節. 結. 論. 序. 論. ゲーテとの関わり. ベートーヴェ ン研究を進めていくと, 彼の生きた時代, つまり, 1 8世紀~1 9世紀初頭の社会情勢に深く踏 み込まなければならない. バッハ, ハイ ドン, モーツァルトまでの作曲家とベートーヴェ ンの音楽は, 特に, 力強さ, 音楽構成の複雑さにおいても, 比較にならないほど変化がみられ, 作曲技法も発達し精神性が深まっ て い る. モ ー ツ ァ ル トや ハイ ドン は, 若 き ベ ー トー ヴ ェ ンの 指 導 者で も あり, 実 際 に ベ ー トー ヴ ェ ンと の か. かわりがあるため, ベートーヴェンと同世代の作曲家だと思われがちだが, モーツァルトやハイ ドンが実際 に活動していた時期は, ベートーヴェンの活躍した時代の1 0年ほど前になる. その僅かな時間差が, ベートー ヴェンとそれ以前の作曲家との間に大きな変化をもたらしたことは, 疑う余地がない. その僅かな時間でな にが起きたのか. ベートーヴェ ンが生まれた1 7 70年は, すでに, 中世的社会情勢が, 徐々に近代社会の方向 に向かっていたことが知られている. フランス革命に代表される新しい思想は, 1 0年代には, 機を熟しつ 7 7 つあっ た. 音楽家の身分は, 貴族の使用人の一人という立場から, 自己表現のための芸術としての作品制作. 49.

(3) . 深. 井 尚. 子. を担うものとしての意義を持ち始める. その新しい思想の中で, いわゆる芸術としての音楽を実践したのが, ベ ー トー ヴ ェ ンである.. 音楽家 (演奏家), 音楽学者, 音楽愛好家などと呼ばれるカテ ゴリーに分類される人々は, とかく, その 作曲家の生涯や同世代の作曲家との比較など, 音楽という枠の中だけでの考察にとどまっている場合が多い. それもある意味で, 重要な観点ではあるが, 人間の生活は, 一般的に見ても, 同じ職業の人々とのかかわり だけでなく, あらゆる分野との接触があり, すなわち, 読書などから来る知識, 教養などが複雑に絡み合っ て, 人格を形成してゆく. そのような幅広い観点からベートーヴェ ンと彼の音楽を考察する時, 啓蒙主義時 代の, 文豪ゲーテ, 哲学者カント, フランス革命の落し子ナポレオンなどの偉大な人物が浮かび上がって来 る. 今挙げた人物は, ベートーヴェンの人生に大きな影響を与えたことは, 文献によりあきらかであり, 個々 の人物像, 各人の業績, ベートーヴェ ンとのかかわりを追うことには, 大きな意義がある. こ こで は, 1749年~1832年 の, ま さ しく 啓蒙 思 想 の只 中 に人 生 を送 っ た ゲー テ と, ゲーテ より21歳 年 少 の. ベートーヴェンの関係を考察する. ベートーヴェンとゲーテは, テー プリ ッツでの出会いを含め, 手紙のや りとりがあり, ベートーヴェ ンは, 作品などを献呈するなど実際的な付き合いがあった. その点に着目し, 啓蒙思想を軸とする芸術の方向性をベートーヴェ ンとゲーテの比較により明らかにする. そして, 私たちが 現在, コモンセンスとして捉えている近代思想の原点となっている, 1 8世紀の啓蒙主義を再考し, ベートー ヴェ ンの音楽の本質を思想的観点から検討し, 音楽解釈の理解を深める.. 第1章 18世紀 第1節. 啓蒙主義の台頭. 啓蒙主義以前の音楽家の身分. 啓蒙主義が台頭するまでのヨーロッパの社会情勢は, どのようなものであっ たか. それを解説するために は, 多様なアプローチの仕方があるが, 芸術的な観点から見ると, バッハやハイ ドン, モーツァルトなどの 音楽家や宮廷に仕えた画家などの立場の考察から説明することができる. 現代では, 偉大な芸術家として認 知されているバッハ, モーツァルト, ハイ ドンなどの作曲家は, 当時, 封建貴族からは職人および召使と同 等の待遇しか受けていなかった. 音楽に対する認識も, 単に舞曲の寄せ集め, または気持ちを紛らわすため の音の出るもの, という今の感覚から見れば低俗なものであった. 内容と形式が優れたものでも, それを芸 術として理解されず, 余興の一つとしての認識しかなかった. バ ッ ハ( ian Bach 168 Johar 5~1750 )は, ワイ マ ー ル 候 や ア ンハ ル ト・ ケ ー テ ン候 な どの ドイ ツ 1n Sebast. 宮廷に仕え, 他方, ライ ブツイ ヒのルーテル教会に仕える音楽教師, オルガニストとして生涯を過ごした. ある面で職人的召使であっても, 大衆に話しかける ブルジョア的芸術家という認識を持っていた. それらの 相反する立場の間で生涯を過ごした. そのような認識は, 当時の社会では認められておらず, 彼が生きてい る間に出版された作品への批評や反駁は, 厳しいものだった. ) は, バ ッ ハ を, 「音 曲 師 1737年, 批 評 家 シ ャ イ ベ ( Sche be i. )」 お よ び 「音 楽 芸 人」 と酷 評 し, ikant 1us. 彼の作品はあまりにも複雑で難しすぎるため演奏できにくいこと, その上, 彼は演奏すべき音譜を一つ残ら ず書いているので, 他の人が即興演奏する余地をなくしてしまったことなどをあげて, 彼を攻撃した.( , ) ハイ ド ン ぜranz Josef Hay( i )は, 農民 の 出 身 で あり な が ら, 音 楽 の 才 能 を認 め ら れ, オ ー n 1732~1809. ストリアのエスターハージイ 公に仕えた. エスターハー ジィ 公は, ハイ ドンの音楽を賞賛していたが, 個人 的な召使い以上には認識してなかったため, 封建君主の暴政にも我慢をしなければならなかっ た. fgzmg Amadeus Mozart 1756~1791 モ ー ツ ァ ル ト(Wo l )は, ハイ ドンと は 対 照 的 な 立 場, つ ま り, 貴 族. と宮廷社会に生まれた. 有名な宮廷音楽家を父に持ち, 幼少から宮廷の中で活動した. しかし, モーツァル. 50.

(4) . 啓蒙主義時代におけるゲーテとベートーヴェン比較論. トは, 腐敗し, 非合理な封建的秩序を軽蔑していた. モーツァルトが25歳の時, 相変わらず音楽家の認識を 召使い としか考えられなかっ たザルツ ブルクの大主教のもとを離れたことは, 芸術の独立に対する歴史的宣 言でもあった. しかし, 当時は, 封建社会はゆるぎないものとして存在し, モーツァルトの芸術家, 思想家 としての自負は, 貴族たちには認められなかった. しかし, 一般大衆は, モーツァルトの音楽を愛し, 大流 行 と なり, 「フィ ガ ロ の 歌 は, 街 や 庭 園 に こだ ま し, ビヤ ホ ー ル のハ ー ピ ス トは, 人々 に聴 い て も ら い た け れ ば, “も う 飛 ぶ ま い ぞ こ の 蝶 々 伽on piu an虚縦)” を弾 き は じめ な けれ ばな らな か っ た.」 と 言 わ れて い. ばならなかっ る.( 2 )(譜例1) それほどの人気があっても, 生活のためには, 王侯や貴族の援助 を求めなけれ た. それを裏付ける手紙が残っ ている. その手紙には, 「王妃様は火曜日に私の演奏を聞きたいと言ってい ますが, でも, 私はあまり報酬を貰えないでしょう.」 「私の演奏会は, 名誉と栄光という点からいえば非常 な成功を修めました. しかし, 金銭に関する限り, それは全く失敗に終わりました」 とある.( ) 3 と思いながらも このように, 作曲家自身 は, 自信と誇り を持っ て, 音楽家, 芸術家または哲学者 , 封建制 度が当たり前だっ たこの時代に生きた音楽家は, 屈辱的な待遇に甘んじなければならなかった.. (譜例1) モ ー ツ ァ ル ト作 曲. 「も う 飛ぶ ま い ぞ、 こ の 蝶々」. ) (Non piu andrai 84. N?9 Aria. わな。 ) ( ” βc怨, i i o( b Aue ro F nの こ uC辰r u gar o - So ‘ dmf o‐解α-溺0-γ ’ o冗〆☆”だ ‐声凝- ,戸αγ ‐ eD F 1 e h q-βe s K。 - 8 i-5 g l b i * e s e Nuね ve r-g 〉g. 毎γ αれ - 〆効 キ ーγ -”o 岸 -紗γ -“o ぜ1” en Fリヒーt u Ro - s e r nvonRo-se z. i-”o dセーmoち c 5畔-≠44βo“ - i B i do-口 i l i-ne r c 5 e rNa もe nk - ,. 1メーf d6 ’ 5 u”d da. るα”do” “‐夕o-sの 八をγ d“-c る e云 為 無r -〆‐ i 丘 E i h h !d tme Dc r duwl tO r‐o-be nゞe n A- e1 亡 r z仁 s c r ‐. fータo‐so d認‐ご 彰;-Z e f飾ろα覆わ” r ′ 漸”れ “- h h i i d tn i tme e 1e r‐o-b観 umr s c 「d e日c ズ 1 n A- r n ▲z ,e. f-元o dお-J 5メー云 z c o 托O欠 ′ ′ -do r B i do‐n ー l i‐l i ~ e r-c nk c 「 Na i . ,e. 51.

(5) . 深. 井. 尚. 子. 第2節 啓蒙主義の時代 啓蒙主義に代表される事柄は, フランス革命であり, 封建制度, 王政などが崩壊し, 農民や市民が貧困か ら開放され, 自由と平等を勝ち取ったことである. このヨーロッパの大変革期が, 1 8世紀~1 9世紀初頭に起 こっ た. 1 8世紀の啓蒙思想の発芽は, 1 7世紀後半に, イギリスにおいて, 各国に先駆け 「名誉革命」 として 市民の政治的地位を確立し, 経済的にも商業資本主義から産業資本主義を形成した その流れは, ヨーロッ . パ 大 陸, ま ず は, フ ラ ンス に大 き な 影 響 を与 える よ う になる ダラ ン ベ ー ル ( 1717~1783 ), ディ ドロ ( 1713 .. ~1 ) 79 4 , 啓蒙思想家, つまり, 「百科全書」 編纂に尽力した人物であるが, 無神論, 唯物論を唱え, 生命論 的自然科学としての実験哲学であり, それに加え, エルヴェ シウス ( 17 ) は, 社会論政治論を展開 1 5~17 7 1 さ せ, 一 種 の 啓 蒙思 想 的 体系 を作 り 上 げて い た しか し, そ の 後 ルソ ー ( 1712~1778 ) は, 17世 紀 の 形 而 . ,. 上学的を根底 に, 1 8世紀の問題を考察し, 学問, 文化主義に対して批判を行う. ルソーの思想は, 1 8世紀を 超え, 1 9世紀の思想に先駆するも のとなり, その思想は, やがてフランス革命へと導いてゆくことになっ た . ルソーの思想は, すなわち, 第2章, 第3章で述べる, ベートーヴェンやゲーテに与える啓蒙思想となった. 具体的な内容を端的に表現した文章は以下の通りである. 「百科全書学派の文化主義に対して, 批判する 学問芸術は道徳を純化したどころか それを腐敗させた . , . 無学にして粗野なる民衆の中にこそ真の徳がある. アテナイよりスパルタがルソーの理想であった “社会” . の成立と “国家” の成立は同時であり, 国家権力の根底は, 平等な個人の間の協定によって成立した人民主 権 にある. こういう原理上の “民主主義” “共和国” の理想をもと にして, 行政府のさま ざまな 形態 (政体)」 , すなわち, いわゆる君主制, 貴族制, 民主制が分けられるのである.」 教育の原理もこれに基づき, 「自然人の教育」 と唱えた まず, 幼児は 「事物の必然性」 を学び 少年期には 「技術の教育」 を与え . , , , , 青年期には, 他の同胞との感情的共同がきざせば, はじめて道徳, 宗教 (自然宗教) が学ばれる このよう . にして, 正しい平等社会の人民活主権者となる べき人間が形成される. と考察した.( 4 ) 啓蒙主義の思想にも, このような流れがあり, 学術的啓蒙と人間的啓蒙 にわかれて行くのであるが, それ らの思想 の発現から次章で述べる, カントの哲学が大きな意味を持つことになる 哲学は カント以前 カ . , , ント以後といわれるほど, カントの思想が近代思想と古典的思想を分けるといわれる. その大きな思想的流 れの変換期が, 1 8世紀であり, ベートーヴェン, ゲーテが活躍 した時代であったことは, 象徴的である. 第3節. ドイ ツの 啓 蒙哲 学. ~カ ン ト~. 第2節で述べた, イギリス, フランスの啓蒙思想とドイツの啓蒙思想の形態は, 異なっている. 1 7世紀に おける30年戦争の荒廃のあと, ドイツは, 政治的にも近代国家の統一には至らず, 多数の小候国に分かれた ままだった. 啓蒙思想も, 市民の政治的経済的自己主張にはならず, 市民の日常生活の合理化という形をと る. つまり, ドイツ思想は, 1 7世紀以来の形而上学的思考を持ちつづけたのである. この状況が, ドイ ツ観 念論につながり, 大きな哲学の体系を築くことができたのである. ドイ ツ啓蒙哲学のみでなく, 哲学全体に 大きな影響を及ぼした哲学者は, カント Qq I Kant 1724~1804 ) で ある. カ ン トは, 理 性 を斥 ける ≠無a ・ ue 1 懐疑的自然主義に対して科学的理性を確保しニュートンの自然学を肯定する知識論を求め, そのような科学 的自然の基礎となる形而上学的真実在を, 道徳的信仰の内容と説く. この一つの統合の成果が, 「純粋理性 批判」 と 「実践理性批判」 となるのである. カントは, 第2章で述べたフランス啓蒙思想の文化主義とルソー の道徳主義の両方を受け入れることができた. つまり, カントは人間の歴史を, 倫理的目的論によって解釈 した. それは, 人間はまず, 自然の粗野で無知な状態から現れ, 社会と文化を作り文明に至るが, そこから さらに進んで, 真に道徳的な社会, 世界市民の共同体にまで至らなければならない, と考えた そして 世 . , 界平和を世界連邦状態によって理想化した. カントは, 霊魂不死と神の理念にも, 道徳的意味を与えた. 神, 52.

(6) . 啓蒙主義時代におけるゲーテとベートーヴェン比較論. すなわち, 世界を支配する全能なるものの存在を要請する. 神の存在は, 理論的に証明されないが, 実践的 には要請されると説いた. その後, この神の摂理の信仰を背景に, 神の技としての美的対象と有機的生命を 認めるとし, 美や生命に対して, 「判断力批判」 を著した‐ カントは, 芸術についても哲学的に論じている. 芸 術, つ ま り, 「美」 につ い て 次 の よう に述 べ て いる.. 「美は, 一つの快楽であり, 美的判断は感情の判断である. しかし, 単なる経験的な快感の判断とは異なっ て, 主観に対する普遍妥当性を要求している. 美的判断が感情に基づく判断でありながら, 普遍妥当性を要 求し得るとすれば感情そのものが単なる経験的性格において成り立つものではなく, 先験的原理を有しなけ ればならない. 感情は, アプリオリな作用との直接結合を構造原理として成立する.」( ) 5 このような考えは, 同世代に生きた, ベートーヴェ ンとゲーテにも彼らの創作に多大な影響を及 ぼし, 各 作品に反映される. 1 8世紀の ドイツ啓蒙主義は, 第3節冒頭で述べたように, 小候国に分かれていた ドイ ツ において, 大きな市民革命に発展することはなかっ た. なぜなら, 小候国の君主の中には, 新しい思想を率 先して推進する, 啓蒙君主と呼ばれる君主が, 大学を設立し, 学問を推し進める政策を行っ たからである. そのような啓蒙君主が治めた典型的な場所が, ベートーヴェンの生地, ボンを含む, ケルン候国であり, ボ ンには, ケルン選定候が住んでいた..ケルン選定候は, オーストリアのハ プス ブルク家の君主, ヨーゼフ2 世 の弟 で, プロ シ ャ のフ リ ー トリ ッ ヒ 国王 と 並 んで, 啓 蒙思 想 を積 極 的 に取 り 入 れた. しか し, ドイ ツ の啓. 蒙思想は, ここで, フランスやイギリスにおける啓蒙主義の発展とその経過, つまり, 産業革命やフランス 革命など市民革命に至るような, 一般市民の啓蒙という形を取らなかったことに注意しな ければならない‐ 革命は, あらゆる点で, 社会情勢が大きく変化し, 実生活に大きな変化をもたらすが, ドイツの啓蒙主義は, 君主のもと, 学問の推進, 精神的な開放というような, ゆるやかな発現をする. ベートーヴェ ンは, その ドイツ啓蒙主義の只中に生まれ, その中で育っ たという点で, 作品解釈にもその 思想的影響を考慮しなければならない. モーツァルト, ハイ ドンもすでにその新しい時代の流れを感じてい ながら, 結局は, 社会情勢に目立っ た変化が起こらなかっ たため, 新しい考えは受け入れられず, 封建貴族 たちの使用人としての立場から, 脱却できなかっ た. オーストリ アの強大なハプス ブルグ王家が統治する首 都ウィ ーンは, イギリス, フランス と距離的に比較的遠かっ たため, 革命の実際的な状況の伝達も, フラン ス革命のような過激な行動も, 市民に深く浸透するのに時間がかかっ た. そこにいた, モーツアルト, ハイ ドンは, 思想的には先んじていても, 結局は, 封建主義の因習の中からは脱却できなかった. しかし, ベー トー ヴ ェ ンが育 っ た ボ ン は, フ ラ ンス に距 離 的 に近く, ベ ー トー ヴ ェ ン が, ウ ィ ー ン に移 っ た 直 後, フ ラ ン. ス軍に占領され, ケルン選定候の時代は終寿を迎える. そのような地理的な環境を持っ たボンの啓蒙主義と ウィ ーンの啓蒙主義の影響力は, 異なっており, その点を見ても, ベートーヴェンの思想は, 新しい方向に より近かったと考えられる. ベ ー トー ヴ ェ ン が彼 の 作 品 に傾倒 し 尊 敬 した ゲ ーテ も ベ ー トー ヴ ェ ンと 同 じく ル ソ ー カ ン トの 影 , , , , 響 を強 く 受 け た. しか し, ゲ ーテ は, 21歳も ベ ー トー ヴ ェ ンより 年 長 とい う 背 景 か ら, この二 人 の 基本 的生. 活態度, 思想的行動が違う形で表れる のが興味深い. 第2章では, その相違点を意識しつつ, ゲーテの思想, 人格について述べる.. 53.

(7) . 深. 第2章 第1節. 井 尚. 子. ゲー テの作品と ベ ートー ヴェ ンの評価 文学における, シュ トウルム・ウント・ ドラング (疾風, 怒涛) とその発展. ゲ ーテ ( Johann wolfg2ulg. von. ) は, 1749年 に ドイ ツ,.フ ラ ンク フ ル トで 生 ま れ, 1832年, 83 Goe the. 歳の生涯を閉じた‐ このゲーテの生きた時代は, まさしく啓蒙主義の発芽から成長, 発展のすべてを見とお すことのできた時代であることは, 注目しなければならない. 啓蒙思想は, ダランベールなどが, 学問を広 く広めようとする動きからはじまり, 百科全書編纂が, 人々を啓蒙するという動きの基となっ た. その動き が, フランスでは, 一般市民の社会情勢を変革させるフランス革命へと進んでいっ たが, ドイツでは, その ような市民活動には至らず, まもなく, 知識層のあいだで, 特に, 思想と文芸の領域で, 啓蒙主義に対して, 強烈な反対運動が沸き起こった. それが, <シュ トゥルム・ウント・ ドラング>と呼ばれる流れである. そ の 代 表 的 な 文 学 者 が, 若 き ゲ ー テ と若 き シラ ー で あ っ た. シ ュ ト ゥ ルム ・ ウ ン ト・ ドラ ン グを生 んだ 有 力 な. 基盤は, ルソーである. 第1章第2節で述べた, 啓蒙主義の流れは, ドイ ツ に渡り, 知識層の内面に作用し た. ルソーは, 人間存在の根源としての自然への復帰を説き, 個人の情感と意欲の尊厳を目覚めさせたので あるが, ドイツでは, この悟性の専制や作為への反逆, 自然な感情の開放として受け取られた. 当時の小君 主国によって分断され, 現実生活におのおのが共通の活動権を持たなかっ た ドイツにおいて, 中産階級は, 公的な中枢には入れず, 政治に関与はできず, 君主や旧勢力の閉鎖的な貴族たちに生活を保証される状態が 続いていた. 若きゲーテな どの中産知識階級もまた, モーツァルトやハイ ドンと同様の立場だった. そこに ルソーの思想が到来し, 精神的独立のための創作としての活動をはじめた. シュ トゥルム・ウント・ ドラン グ (S立山m ) は, ゲーテの表現によれば, 「私 が生まれた文学上の時代 は, 抗議, 抗言によっ ang r m・d Dr て, それに先行する時代から展開したもの.」 であっ た. その精神を今一度要約すれば, 悟性に対し感情, 合理主義に対し非合理主義, 外的に規制された形式に対し内発的で根源的な生命力の自己主張ということで あった. そして, その具体的な活動は, 冷ややかな理論の展開ではなく, 文学的作品によってなされた. ゲー テ の シ ュ ト ゥ ルム ・ ウ ン ト・ ドラ ン グ時 代 の 代 表 作 は, 「若 き ヴ ェ ルテ ル の悩 み」 で あ る. ドイ ツ 文 学 は,. この策によっ て世界文学の舞台に登場し, フラ ンス, イギリスなどにロマン主義の要因となった. ゲーテは, この 「若きヴェルテルの悩み」 によって, 若者が能動的な意欲持ち, 虚飾を排し, 事故の内部から涌き出る 感情を重んじ, 本来の自己の本質を重んじて生きようとすることを主張し, しかし, 体面や慣習や利己心を 持つ現実の ドイ ツ社会がそれを許さず, その旧体制の犠牲となっ て滅びるという, 反旧体制へ抗議したので あ っ た. この 「若 き ヴ ェ ルテ ル の悩 み」 をナ ポ レオ ンが 7度 も 読 み, エ ジ プ ト遠 征 にも 持参 し, ピ ラ ミ ッ ド. の下でも読んだという事実は, 当時の能力ある若者たちの希望の書でもあったと考えられる. このような, 文学革新の形を取った, 激しい旧体制への否定の爆発が, 本来の意味の啓蒙思想による, 新 しい 時代 の 道 しる べ と な っ た. ゲー テ は, ベ ー トー ヴ ェ ン より21歳 年長 で ある, と いう 事 実 には, 大 き な意 味 がある. ベ ー トー ヴ ェ ン は, シ ュ トゥ ル ム ・ウ ン ト・ ドラ ン グ時代 を過 去 のも の と して 受 け止 め, そ の爆. 発的文学活動を冷静に見ることができる時代に生まれた. その点, ゲーテは, 大きな社会情勢の変化の過渡 期に, 社会的に大きな影響を与え, ヨーロッパ全体にその存在を知られていた. その後, ゲーテは, 爆発的で刺激的な作品から徐々に抜け出し, 古典主義を確立して行く. 晩年の教養小 説 「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」 の中に, 次のような文章を見出せる. 「徳の最高のものとみなされているのは, <畏敬>であり, それを象徴して挨拶の形式も定められている. われわれの上にあるもの, 天への畏敬, 下にあるもの, 地への畏敬, そして, われわれと共にあるもの, 運 命や苦労の畏敬である. この3つの畏敬から, 自分自身への畏敬という最高の畏敬が生じます. また, この. 54.

(8) . 啓蒙主義時代におけるゲーテとベートーヴェン比較論. 畏 敬 か ら前 の 3つ の 畏 敬も 出 て きま す. そ して, 人 間 は, そ の 達 しうる か ぎり の 最 高 の こ と, つ ま り, 自分 自身 と い うも の を, 神 と 自然 が生 み 出 した 最 高 のも の と 考 える こ と に到 達 す る の で す.」( 6 ). カントが 「実践理性批判」 の中で, 無窮の星空と共に自己の内部の道徳律を畏敬するといっ た理想主義の思想と, 一致するものである. ゲーテの生涯を通じての彼の仕事は, 近代精神に目覚めた人間 こ の 思想こそ,. のあり方を大きなスケールで見定め表現したことにある. 自然を尊び, 調和の精神を持っていたゲーテは, どんな時でも一面的な片寄りにおちいらず, 人間の創造性, 生産活動を重んじ, 多くの知識階級に多大な影 響を与えたと考えられる. 第2節. ゲーテの音楽観とベートーヴェ ンの評価. ゲーテの音楽についての著述は, 思いのほか多い. ベートーヴェ ンの音楽をどのように評価していたかと いう問題の前に, ゲーテが総合的に音楽とどのように関わっ ていたか考察する. まず, ゲーテは, 音楽の主権を認めている. 「音楽こそいかなる理性の近づ きえない高みに立っている. 1831年) と 述 べ て い る. そ の他, そ して, あ ら ゆる 物 を支 配 して い る が, そ の効 果 は何 人 も 説 明 で き な い.」 (. ベッティ ーナ・ブレンターノ( 7 )との書簡やエッカーマンの対話集などから, ゲーテの音楽観や音楽体験は, 次 の よう に要約 で きる.. 1. 騒音を嫌い, 大の鳴き声や騒がしい音楽を嫌っ た. 2. 詩作する時, 口ずさんで歌っ ていた. その声も美しいバスであった. 3. ピ アノ と チ ェ ロ を学 ん で い た.. 4. 音楽を聴いた時が, いつも仕事がはかどる. と述べている. 5. 自 ら作 曲 した.. 6. 歌劇やオラトリ オを愛した‐ バッハ, ヘンデルの宗教曲やロッ シーニの歌劇をよく鑑賞した. 7. 理性的傾向の強い音楽を愛した. 特に, バッハの作品は, 実に簡単な問題と壮麗な詩的効果をもっ た, 数 学的 作 品 で ある と 言 っ た.. 8. 「色彩論」 の他に 「音響論」 を書いた. 物理学的音楽の源は人間性にあるとして, 音楽家の耳があら ゆ る 自然 現 象 を支 配 する. と 考 えた.( 8 ). 1 8 1 8年, 若き神学者でア ダルベルト・シェ プケがゲーテの詩に作曲し, ゲーテにその作品を送り批評教示 を求めた‐ 特に, 「音楽における模倣の限界」 について質問したことに, ゲーテは, それに次のように答え ている. 「音楽家が直接に外的感覚を通じて受けるかぎり, 音楽家が絵を描いてよいかという問いは無意 味 である. しかし, この外的感覚の力を通じて受けた感じを表すなら, 描写してよろしい. 音楽で雷鳴をうつ すのは芸術ではない. 雷鳴を聞いたときの感じを表すのは大いに結構である. 同様に, 安静, 沈黙, 否定な ども音響で表し得る‐ 心のうちを平 凡な外的手段を用いることなしに気分に変えることは音楽の特権であ る.」( ) 9. ここで, このゲーテの音楽観とベートーヴェ ンの音楽観が完全に一致している点をみいだすため, ベートー ヴェンの第六交響曲 “田園” についてのベートーヴェ ン自身の記述を紹介する. (譜例2) 「この交響曲は, 絵画的再現 よりも感情 の表現である 心4e l口 Ausdruck der Empf indlmg al ) s Ma娘erei .. つまり, 音楽の主なる表現範囲は感情であり, 音楽が現実なるものを写す場合, それが感情を用いて, その できた作品が知らず知らずのうちに, その根源を暗示するような特徴を帯びる場合は, 絵画的要素が許され る. 音楽は, 決して自然の音を模写してはならない. これが, 自然の音に近ければ近いほど, 芸術から遠ざ か る.」( ) 1 0. 55.

(9) . 深. 井 尚. 子. ゲーテとベートーヴェ ンの音楽観の一致が, おのおの別な場所で語られていることは, 興味深い事実であ る. この点において, 根本的な音楽観は, この二人の芸術家 において, 同じであるということは重要なこと であり, 音楽美学上でも, 強調されるべき事柄である. (譜例2) ベ ー トー ヴ ェ ン作 曲. 交 響 曲第 6番 “田 園” より. 第1楽章 “田園に近づく喜び” より (小島の鳴き声) . f L. oも. 50. 0GT,6. 第2楽章 “小川のほとりで” より (うぐいす、 うずら、 ほととぎす). 富三. 滋宏ぬ群件. ’ ″ ; ‐ r 圃 て 』 」 リ. ;. ‐. . e f鳥 ; 芦春ど【 捺 ー「 ー k u c u c頭ほととぎす} 0$× l 」 ▲. :r. . 1 lr V “,. 霊- -▲. ニ ー て ん L r - ′. み 一 .ず. だ r. ヱー ー’ 一J 1 3 00GTβ. ‐ ;〆 ー. : r. か. ≠. ▼. .. 二 e. 、 ;.. 56. ′ イ メーデ ー n, ′ ノ 回 .U . た ^-号長こ. f硬ぐ ′. ク. L. ‘ ‐. 三m. ’ 麦 言 ÷・ ケ お り′ ‘ 納暁 ” …↑ 酷縦 ォ 〆b;;賞 , か ・ C ム 『 ; ぼ ダー . 三 - r ′ 妙 E t ヱ . ′ ” 1 眺 ヴ , ーーた ・ - r ;「ず ▼ 「 ム ザ ′ : 1 ▼ γ , 、 i ・- - , … ザ 雪 : 、 に ; : . ′. 1 ′ 葛ー ^ ‐★′ ▲. ・. 1 ・▲. r」 L、. ?;. - - ′ ー ー. l i, ; .. .- ・iー -2 ”制 バ , ” 一. -. … ÷. デメ. 繍敏彦. を 海 ▼}. .. ぷ. 野 ;. #. :.

(10) . 啓蒙主義時代におけるゲーテとベートーヴェン比較論. (譜例2) 第4楽章 “嵐” より (嵐). ▼▼ …. 前 . 「き ”,. ▲. : ,「h ” ~. に r A. h. ー ‐. ー. 二 ノ. ; ▲ :. . ▼▼. . ・. 、. ▼ ▼▼ ▲. ー :. - ー. . ぬ,,墓 : . - ▽ “ 孝 n ” l r”ュ i. 参. 屋 :. 鼻 . 1▼. ゑ. 幸 , r j. 1 ▲ 「. -′ ≠ ‐ fr. ・ ー ー ▼t. ”」 ▼ ▼. 〕 t ′下 r1 ヱ 三 ー ‐ ュ 7 ▼ ヱ, 一 1 ヱ ーュ ; 7 ‘ 1 J ー i 」 エ ー 1 ▲ ’‘ . ‘ ヱ l ● r 窄 -) ー 【 ン‐r ‐ ▼ ● . 」▼’ ーー . i’ ヒ r ヒ , ′’ ▼ ′ ▼. r r. r. LT. 第4楽章 “嵐” より (閃光、隊雨) y } ▼U. ザ. ′ ヅ. ” 【 む. ・ ザ. ザ. ・ r ”. ・ も & *. 、. y. 1 ザ. &. 飽 転 ー. ゲ. ′ グ. ザ. 字 式÷ .. ! -グ ‘ 係. ”,. 一 愈 ゾ ‐‐ Z. り. ー ザ ず 野 上 平 や ・▲ 君 ぬ,. -一. リ. 略すすす げ ー ゾ ; ダ ÷. ダ. ダ. ザ. ゲーテは, ベートーヴェンの音楽に対して冷ややかであった. 音楽観は, 似ていながら, ベートーヴェ ン が〉 ゲーテの作品を非常に高く評価し, ゲーテに対しても一生, 尊敬の念を抱きつづ けていたのとは対照的 に, ゲーテは, ベートーヴェンの音楽に対しては, 沈黙をし続けた. ベートーヴェ ンは, ゲーテの詩にいく. 57.

(11) . 深. 井 尚. 子. つもの音楽を作曲し, それがベートーヴェ ンの歌曲の中での傑作にもなった. ゲーテがベートーヴェ ンに宛 てた, 「エグモント」 についての表面的な書簡が残っているが, 音楽の真髄に迫る内容ではない. 理論的に 考える時, ゲーテとベートーヴェ ンは, お互い才能を認め合い, 良好な芸術のパートナーとなり得るはずで あっ た. しかし, このベートーヴェ ンのゲーテへの尊敬と畏敬は, 決して受け入れられることはなかった.. 第3章 第1節. ベ ートー ヴェ ンの作品とゲーテの評価 ベートーヴェ ンの精神性と革新性. ベ ー トー ヴ ェ ン (Ludmg vzm Beethoven 1 ) の作品には, 強い個人主義が見出される. 個人 7 27 7 0~1 8. 主義とは, 社会奉仕のための芸術ではなく, 芸術のための芸術という概念, つまり, 大衆に望まれた作品で ‐ ベ はなく, 芸術家が聴かせたい作品を書くということである. ートーヴェ ンは, まさに, この概念を確固と して持っ た作曲家であった. ベートーヴェ ンが活躍する10年ほど前の社会情勢は, ハイ ドンやモーツァルト の音楽を, 一種の娯楽, あるいは典礼のためにあるという概念があたり前であった. 注文によって仕事をす る芸術家的職人であった音楽家の地位を, 自由な自己表現をする教養ある芸術家まで高め, それを, ベートー ヴェン自身の態度と作品の内容によっ て示し, それを定着させた. それは, それまでの音楽家とは, 全く異 なる芸術へのアプローチであっ た. ベートーヴェンの作品は, 音楽家として特に悲劇的な事柄として扱われ る難聴, 金銭面や考え方の相違から来る兄弟との確執など実生活の困難から解釈されることが多い. ベートー ヴェ ンを追求する上での資料として, 難聴であったための筆談帖, 「不滅の恋人」 に宛てた物に代表される 数々の手紙, ハイリゲンシュタッ トで書いた遺書などが残されている. それらの文献に現れる物語性のある エピソー ド以外の部分に, ベートーヴェ ンの精神性と革新性の根源を見出す思想的観点を発見することがで きる・. ベートーヴェ ンの日記帳, 筆談帳, スケッチ帳の中には, 当時, ベートーヴェ ンがあらゆる書物を読んで いたことを示唆する書き込みが散見される. それらは, クローズアッ プされることが少ないが, ベートーヴェ ンの精神性, 革新性の思想的根源を発見することができる. その中に, カントの書物からの抜書きがある. そのいくつかをあげると次のようである. 「原始の偶然の集合体が世界を形づくっているのではない. 最も懸命な理性に源を発する, 根源的力と法 則が, 世界秩序の恒久的な源となっているのである. 世界秩序は偶然的ではなく必然性を持っ て理性に源を 発しなければならぬ. 世界秩序と美について明らかにされるものがあるとすれば, それは神である. 美も神 を基とすることでは世界秩序と少しも変わるものではない. 世界秩序が一般的な自然法則に源を求めること がで き る の は, そ れ は, 全 自然 が最 高 の叡智 の働 き で ある か らで ある.」( ) , ,. 「いろいろの異なる諸惑星の住民たち, それだけでなくこれらの惑星上の動物や植物さえもが, それを形 成している素材は, 結局それらが太陽から遠く離れていれ ばいるほど, それに正比例して, それだけ軽くま た繊細な種類のものでなければならぬ. またかれらの構造に特徴的な繊維の弾力性はますます完全でなけれ ば な ら ぬ.」( ) ・ 2. 「考える自然の優秀さ, 彼らの表象の機敏さ, 彼らが下界の印象によって得る概念の明確さと活発さ, そ れに加えるにこれらの概念を合成する能力, 最後にまた実践行動の機敏さも, 要約すれ ば彼らの完全性をす べて包括する一定の規則のもとにあり, この規則に従って, これらの性質は, 彼らの住んでいる場所が太陽. 58.

(12) . 啓蒙主義時代におけるゲーテとベートーヴェン比較論. からの距離に比例してより優秀になり, また完全になる. 惑星の精神世界と物質世界の完全性は, 水星から 土星に至るまで, あるいは恐らくさらに土星を越えて (なお他に惑星があるかぎり) ひとつの正しい級数的 な続 き をな して おり, 太 陽か らの距 離 に比 例 して 増加 し前 進 して 行く.」( 3 ) .. 「一つの力, 双方とも同じ大きさで, 同じように単純で, 同時に根源的で普遍的である力, すなわち求心 力と遠ノ. 力.」Qの. 上記のカントの著書からの抜書きから, ベートーヴェ ンは, カントの自然科学的概念に強い関心を寄せて 1 7年頃の物と考えられる. 同世代の新しい思想と哲学を著したカント いることがわかる. この抜書きは, 18 を早速受け入れ, 小さな世界観ではなく, 宇宙にまで視点の幅を広げている. ベートーヴェンは, ボン時代 の最後の数年, つまり, 18歳~22歳頃, ボン大学でこれらの新しい哲学を学んだと考えられる. 当時のボン 大学のシュナイダー教授, フィ ッシェニッヒ教授が講義をしていたが, 彼らは二人とも, カント哲学に精通 し, カント倫理学を講じている. それらの事実と筆談帖への抜書きから考察すると, ベートーヴェンの音楽 の革新性は, 当時のフランス革命などの実際的な事実からより, 自己を高め普遍的な道徳の原理に至るとい うカ ン ト的 思想 か ら起 こ っ た も の と考 え ら れる. ベ ー トー ヴ ェ ン の作 品 は, 常 に 「革 新 的」 ま た は, 「革 命 的」 と い わ れる が, そ の 思想の根源には, カントに代表される啓蒙思想からの影響が大きいのである.. 第2節. ゲーテとの関わり. ベートーヴェンは, 年上のゲーテを深く尊敬していた. 21歳の年齢差があるため, ベートーヴェンは, 幼 少 の 頃か らゲー テ の 作 品 に親 し み( ), 心 の 糧 に して い た. 1810年 5月, ベ ッ テ ィ ー ナ・ブレ ンタ ーノ との 会 , 5. 談の際, 彼女に語った言葉が残っている. 「ゲーテは, 生きている. そして, われわれは, 彼と共に生きなければならぬ. 彼の作品は, 実によく音楽 にな る の だ. 彼 ほ どそ の作 品 が音 楽 になる も の はい な・い.」( ) , 6. その他にも強い口調で, ゲーテとの会談を, ベッテイ ーナに依頼している. 「私のことをゲーテに話してください. 是非, 私の交響曲を聴く必要があると彼に言って下さい. 音楽こそ, 人間を覆い包んいて人間には, 補足することのできぬ知識に, いっそう高い世界に入る唯一の形なき入り口 であるという, 私の意見にゲーテは賛成するでしょう. 精神が感覚によって音楽から受け取るものは具象化 した精神的な啓示です. 私のことを理解してくれるなら, ゲーテに私のことを書いてください. そしてまた, 彼 から 教 え を受 ける こ と を心 か ら願 っ て いる の で す.」( , 7 ). ベートーヴェンは, 音楽になるすばらしい文学的な台本を探し求めており, その理想的なものとして, ゲー 808年には, ゲーテの 「ファウスト」 を劇に改作できる テの作品 を音楽への近親感を持ってとらえていた‐ 1 人物を探していた. 結果的には, 他の交響曲やオラトリオに時間をとられ実現しなかっ たが, ゲーテの傑作 「ファウスト」 にも音楽化に強い関心を寄せていた. その他にも, たくさんのゲーテの詩に音楽をつ けてい る.. ゲーテに実際会うことができるなどとは思いもよらない若い時期, 1 796年以前にもすでに 「五月 の歌」 鯛 職gesang )を書 い て い る し, 1808年 に は, 「ミ ニ ヨ ン」 水em・s t du das Land ) , ゲ ー テ の小 説 「ヴィ ル. ヘルムマイスターの修業時代」 第三部の冒頭, ミニヨンの歌 にも 作曲している. (譜例3) ベートーヴェ ン は, 1795年の この小 説の初 版 本 を持 っ て おり, この小 説全 体も読 んでいた. 1809年 には, 宮 廷劇 場か ら, ゲー テ の悲 劇 「エ グモ ン ト」 を依 頼さ れる. この よう な 時期 に, ベ ッ テ ィ ー ナ・ブ レ ンタ ーノ と の 出会 い が あり,. ゲーテとの会談が, 現実味を帯 びてくる.. 59.

(13) . 深. 井 尚. 子. 1812年 7月, チ ェ コ のテ プリ ッ ツ で, ベ ー トー ヴ ェ ンと ゲーテ は, 実 際 に会 談 する. ベ ー トー ヴ ェ ン は,. ゲーテの作品から, 自分と同じ思想を持ち, 同じ精神性を備えた人物として大きな期待を持っていた. 二人 は, 同年 7月19日 に, ゲー テ が ベ ー トー ヴ ェ ン を訪 問 する と い う形 で, は じめ て 出 会 い, 翌20日も 共 に散歩 を してい る. 21日も, 23日も ゲー テ は ベ ー トー ヴ ェ ン を訪 れ, そ の 際 ベー トー ヴ ェ ン は, ゲ ー テ のた め にピ. アノを弾いている.( )ゲーテが妻に宛てて書いた手紙には, ベートーヴェンについて, 「私 はこれまでに, , 8 これほど強い集中力を持ち, これほど精力的で, これほど内面的な芸術家を見たことがなかった.」 inger habe ich くZusal x Mmengefasster ,energischer ,鱈l ler gesehen>。9 inen Kunst noch ke ). このように残された手紙や日記によって, ベートーヴェンとゲーテは, 同じ精神性を持った偉大な芸術家 同士として親交を深めたように思われるが, その後の人間関係は, 良好とはいえない事実が浮かび上がる. ゲーテは, ベートーヴェンの音楽を, ベートーヴェンが感じてほしいようには理解しなかった. そのテプリッ ツでの会談の後は, 彼らは, 二度と会うことはなかったが, ゲーテのベートーヴェ ンに関する記述は, 辛嫌 な も の と なり, 反 ベ ー トー ヴ ェ ン の 音 楽 愛 好 家 の ベ ー トー ヴ ェ ン批 判 に 同調 した り,α ) ミ サ ・ ソ レム ニ ス o につ い て の ベ ー トー ヴ ェ ンの 依 頼 にも, 全く 応 じな か っ た. m ). ・ンは ゲーテに対して 非常に革新的な まさに 新しい思想を持って 貴族や王族 一方, ベートーヴェ , , , , , に毅然とした態度を取るべきだと諭した. 啓蒙主義の時代とはいえ, ウィ ーンの社会情勢は, まだ貴族たち が, 歴 然 と存 在 して おり, フ ラ ンス の よう な 市民 運動 には発展 して い な か っ た しか し, ベ ー トー ヴ ェ ン は , .. そのような旧体制に対し, 貴族の使用人の立場であることは, 実際的にも精神的にもなかったため, 優れた 芸術家は, 王族, 貴族にへつらう必要はないと確信していた. ゲーテは, そのようなベートーヴェ ンの態度 を無礼と感じ, 傍若無人であるといっている. ベートーヴェ ンとゲーテは, 作品のみでなく, 人間同士の付 き合いとして, 思想や芸術性には関わりない 「性格」 や 「人間性」 の部分で相容れないことになってしまっ たのである. ベートーヴェンが一生尊敬しつづけた人物という観点から, ゲーテ を見なおした時, そこに現 れる事実は, ベートーヴェ ンの一方通行の尊敬ということばかりであった.. 結. 論. ベートーヴェ ンとゲーテは, 同世代に生きた偉大な天才である. 250年経った現在も, この二人の業績は, 輝かしいものである. その個々 の作品は, 社会において広く受け入れられ, 人間の生きる糧になっている. その事実の理由を探るためには, 彼らの生きた啓蒙主義時代というヨーロッパ の思想的大変革の時代を深く 研究する必要があっ た. 啓蒙主義の発芽は, 1 8世紀の初期であり, 発芽期の新しい思想は, 徐々に熟成し, カントから ドイ ツ観念 論 に至る わ けで ある. こ の 間, 100年も か か っ て い な い. ゲー テ は, 83歳ま で 生 き た の で, そ の思 想 の 発芽. 期から成熟期のすべての流れを体験することになり, 若きゲーテは, 反啓蒙主義の流れといわれる, シュトゥ ルム・ウント・ ドラングの中心的活動をした. その思想は, やがて啓蒙思想が市民階級まで浸透し, 結果的 には近代思想と呼ばれるようになる根源となる. ドイ ツの旧体制の中で, 抑圧された精神状態を体験し, そ の抑圧からの脱却として, 自然の感情を素直に表現する文学を創造した. 近 代思 想 の 入り 口 の 時代 に生ま れた ベ ー トー ヴ ェ ン は, シ ュ ト ゥ ルム ・ウ ン ト・ ドラ ン グの 時 代 が 終わり,. 社会は近代国家に向かう時代に生き, 芸術家として独立した存在を主張することができつつある体制で, 独 自の生きかたを推し進めることができた. 皇帝にも貴族たちにも, けっ してへつらうことなく, 芸術家の尊. 60.

(14) . 啓蒙主義時代におけるゲーテとベートーヴェン比較論. 厳を持ちつづ けた. 若きベートーヴェ ンは, ハプス ブルク王家が統治するウィ ーンではなく, フランスに近 いボンで, 啓蒙思想が花開いた時代に, 大学でカントを学ぶこともできた. 最も感受性の強い青年期に, そ のような思想の中で教育を受けたことは, 後のベートーヴェ ンの創作に多大な影響を与えた. ボンから, 音 楽の才能だけを持ってウィ ーンにやっ てきたベートーヴェ ンは, 最初から, 王室や貴族の内部に入りこまず 独自の活動を始めるのである. この行動は, それまでの音楽家の地位を, 根底からくつがえすもので, 決し て権力に屈しないベートーヴェ ンの生き方は, 自然と社会に受け入れられるようになったことを述べた. このベートーヴェ ンとゲーテの社会情勢の僅かな差が, お互いの人格や性格的な部分に違和感をあたえた. その上, 21歳も年少のベートーヴェ ンは, ゲーテの権威に屈するような振る舞い を非難し, 意見を述べてい る. 年長のゲーテは, それに対して, ベートーヴェンを無礼な人物として, 敬遠してしまう. このようなす れ違いによって, 結局, 同じ新しい感覚と思想を持った, 才能ある芸術家は, わかりあえることがなかっ た. ベートーヴェ ンとゲーテの比較から, 芸術の本質が見えてくる. ベートーヴェ ンもゲーテも全世界を代表 する芸術家であることをあげた. 芸術作品を創作し, その作品は, 高度な技術と高い思想的観点からの裏づ けがあり, 人々の人生の糧となるような社会的にも意義の深いものである. そのような選 ばれた才能を持つ 芸術家でさえも, 別な分野の芸術や, 当時は新しいといわれる, 進んだ芸術表現に対して, 単なる感情的な 受け止め方をしたことをあげた‐ ゲーテは, 新しい芸術の先駆者として自認しながら, こと音楽に関するか ぎりは, 保守的で牧歌的な音楽から抜け出ることができなかっ た. つまり, ゲーテは, ベートーヴェ ンの音 楽を, 彼の才能は, 認めながらも, 進歩的な音楽形式, 音楽表現などをよく理解していなかったと考えられ る. ゲーテ 自身が文学の分野では, 最も前進的であった事実とは矛盾するが, この矛盾は, 現在でも, 芸術 鑑賞, 芸術批評にも見ることができる. ゲーテが, 当時, ベートーヴェンを正当に評価しなかっ たことは, 現在の楽聖ベートーヴェ ン像に, 全く影響はなく, むしろ, 文豪ゲーテは, 音楽がわからなかっ た, という 定説ができあがっている. このベートーヴェンとゲーテの芸術を比較する時, カントの音楽美学の概念が, 重要な意味を持つ. カン トは, 広義の美的判断 (規定の基盤が主観でしかありえない判断) を趣味判断 (美を対象とする判断) や芸 術判断 (趣味判断を越えて芸術作品の文化価値へ向かう判断) から区別している. 音楽と哲学を結びつける 音楽美学は, 哲学的に基礎付けられた音楽史的現象と考えられる. 音楽をめぐる直感としての音楽美学は, 哲学の問題設定からから生まれ, 文化体系の中で音楽の位置を新たにした. ゲーテは, カントの音楽美学の 概念に近いものを感じていたと思われる. カントは, 音楽美を 「感覚の単なる遊び」 ではなく, 「音楽の躍 動における比率という数学的なも の」 と 「音階における緊張の多様性による質的な変化の知覚」 と考えた‐ 音楽を形式美が高度でない場合, 感覚的に快適な作用として解消されているかぎりは, 文化になり得ないと 説いている. しかし, 芸術に対するとき, カントが言うような概念や理論が正しいということはできない. 芸術も哲学も, 正しい答えなどないからである. 旧体制から, 近代思想への大きな時代の変化の時期に現れた, 二人の偉大な芸術家が, 新しい思想, 新し い社会情勢の中で, 革新的な創作活動をしつつも, 芸術の批判や受ける感覚は, 現代と変わりなく, 普遍的 な評価などはどこにもないということなのである.. 61.

(15) . 深. 井 尚. 子. 註 (1) 音楽はどう思想を表現するか. フィンケルシュタイン著. 三一新書. 田村 一郎訳 (2) 同上 (3) Moza附. 用謄ed Eins i t e n. (4) 西洋哲学史. 野田 又男. ミネルヴァ書房. (5) 芸術哲学 形 式と理想). 木村 素衛. 河出書房. (6) ヴィルヘルムマイスターの遍歴時代 (7) ベッティーナ・ブレンターノは, ゲーテのかつての成就しなかった恋人の娘であり, 1 8歳の時ゲーテと会い, その後, 後に絶縁するまで, 親蜜な交際をする女性である‐ ゲーテは, 若きかつての恋人の面影をベッティーナに見て, 数多くの手紙のやりとりをしている‐ ベッティー ナの意見や願いをゲーテは, いつも聞いていた‐ 1 8 1 0年, ベートーヴェンをウィーンに尋ねてから, ベートーヴェンの音楽に傾倒し, ベー トーヴェンが尊敬するゲーテとの会見を実現させようと努める‐ (8) 音楽芸術論. 村田 武雄. 音楽文庫. (9) ゲーテと音楽. 石倉 小三郎. 堀書店教養叢書. 小松 雄一郎. 岩波書店. ロマ ン・ロラン. 潮 文庫. ゲーテ全集. 潮出版社. ( ) 同上 1 0 ( ) ベートーヴェン音楽ノート 1 1 ( 2 ) 同上 1 ( i 3 ) 同上 ( ) 同上 1 4 ( 1 5 ) ゲーテとベー トー ヴェ ン ( ) 同上 1 6 ( ) 同上 1 7 ( 1 8 ) ゲーテの日記 ( ) 同上 1 9 ( ) ゲーテの信望者で音楽教師だったツェルテルは, ベー トーヴェンの音楽を全く理解せず, 常に, ゲーテに対して, ベートーヴェン批判 20 をした‐ 一説には, ツェルテルの助言が, ゲーテのベートーヴェンに対する態度の影響を与えているといわれる. ( ) 1 2 2 1 8 3年, ベートーヴェンは, ミサ・ソレムニスの出版に際して, ヴァイマール大公とゲーテにこの曲の予約を依頼してほしい旨の, 長文 の手紙をしたためる. 内容は, 尊敬と敬意に満ちたものであったにもかかわらず, ゲーテは, それに対して, 一切返事を書かなかった‐ ヴァイマール公も予 約者にはならなかった.. 参考文献 ベートーヴェン音楽ノート. 小松雄一郎. 岩波書店. ベートーヴェンの手紙. 小松雄一郎. 岩波書店. ゲーテとベートーヴェン. ロラン. 潮出版社. 音楽の発見. . ムスルジア全書. 音楽社会学序説. アドルノ. 平凡社. 芸術哲学入門. ラゴス ト. 白水社. 西洋哲学史要. 波多野精一. 角川書店. 芸術の哲学. オルドリッチ. 培風館. 芸術哲学. 植田寿蔵他共著. 河出書房. 西洋哲学史. 野田又男. ミネルヴァ書房. 音楽芸術論. 村田武雄. 音楽之友社. 音楽はどう思想を表現するか. フィ ルケ ンシ ュタイ ン. 三一書房. ドイツ文学史概説. 上村潜延. 福村書店. 音楽と思想. シクラ. 三一書房. 学生と語る. 阿部次郎. 角川書店. 鳴り響く思想. 大宮員琴他共著. 東京書籍. 62.

(16) . 啓蒙主義時代におけるゲーテとベートーヴェ ン比較論 ドイツ文学案内. 手塚富雄. 岩波書店. 西進し押しての音楽史. 野村良雄. ムスルジア全書. ベートーヴェンの美学. グリーン. 到草書房. ベートーヴェン辞典. 平野昭他編. 束京書籍. ゲーテ的世界観の認識論要網. シ ュタイ ナー. 筑摩書房. ゲーテとの対話. エツカーマン. 岩波書店 理想社. ゲーテの世界観. ジーベック. 古典的・ロマン的音楽美学. ダールハウス. 純粋理性批判. カント. 岩波書店. (本学講師 釧路校). 63.

(17)

参照

関連したドキュメント

「文字詞」の定義というわけにはゆかないとこ ろがあるわけである。いま,仮りに上記の如く

このように資本主義経済における競争の作用を二つに分けたうえで, 『資本

第四。政治上の民本主義。自己が自己を統治することは、すべての人の権利である

これはつまり十進法ではなく、一進法を用いて自然数を表記するということである。とは いえ数が大きくなると見にくくなるので、.. 0, 1,

だけでなく, 「家賃だけでなくいろいろな面 に気をつけることが大切」など「生活全体を 考えて住居を選ぶ」ということに気づいた生

2) ‘disorder’が「ordinary ではない / 不調 」を意味するのに対して、‘disability’には「able ではない」すなわち

 今日のセミナーは、人生の最終ステージまで芸術の力 でイキイキと生き抜くことができる社会をどのようにつ