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「歴史と私たち自身に向き合う (Facing History and Ourselves)」 によるワークショップ 「アラバマ物語を教える」の検討 ―社会的事実に基づいて多面的・多角的に考える道徳授業を目指して―

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(1)

1. はじめに

 

2019

年度から「特別の教科 道徳」(以下 「道徳科」)が中学校においても完全実施される。 道徳科では、これまでのような読み物教材にお ける登場人物の心情の読み取りのみに偏った指 導ではなく、児童生徒が道徳的な課題を自分自 身の問題と捉え、物事を多面的・多角的に考え 主体的に判断するような授業の一層の充実が目 指されている。また、

2017

2018

年の学習指 導要領の改訂全体の方針においては、「育成を 目指す資質・能力」の三つの柱の中に「どのよ うに社会・世界と関わり、よりよい人生を送る か(学びに向かう力・人間性)」という視点が 示されている。  これまで我が国の道徳の授業では、一定の 「道徳的価値」を取り上げることに重点が置か れてきた。しかし、特定の「価値」を取り上げ ることばかりに注意を払うと、児童生徒は、多 面的・多角的というよりも一面的に物事を見、 判断してしまいかねない。宮澤弘道は自身の小 学校での実践について、児童は教科書から特定 の「道徳的価値」を読み取り、それが「正解」 だと思ってしまうと述べている1。教科書を用 いながらもその教材内の「価値」にとどまらず、 自らが「どのように社会・世界と関わ」ってい くのかについて考え判断できる具体的な社会的 事実を児童生徒に提示していく実践が検討され

「歴史と私たち自身に向き合う

(Facing History and Ourselves)

によるワークショップ

「アラバマ物語を教える」の検討

―社会的事実に基づいて多面的・多角的に考える道徳授業を目指して―

原口友輝

【要 旨】  本稿では、米国を拠点とするNGO「歴史と私たち自身に向き合う」の提供するワークショップ「アラ バマ物語を教える」について、その特徴を明らかにしたうえで、多面的・多角的に考え主体的に判断さ せる授業を実践するための支援という観点から、我が国の道徳教育に対して得られる知見を考察した。 「アラバマ物語を教える」は小説『アラバマ物語』を用いて授業を行う際の情報を提供するワークショッ プであり、物語教材を用いながら現実の問題を考えさせるための多様な指導方法を、参加者の教師に 体験させるかたちで紹介するものである。  物語の背景にある歴史や様ざまな社会的事実を知り、文学作品を歴史的事例や現実の問題のひとつ として詳細に検討させる手法、また独自の「スコープとシークエンス」に従い教材の内容と自分たちとを 結び付けて捉えさせる手法を教師自身が相互体験的に学ぶことは、「考える道徳」の実践のために有効 であると指摘した。 キーワード:「歴史と私たち自身に向き合う」、ワークショップ、『アラバマ物語』、教材、 社会的事実 研 究 ノ ー ト

(2)

なければならない。  従来型の読み物教材を用いて「価値」を取り 上げる実践に比して、考え判断できる具体的な 社会的事実を用いた実践をするには、教師の側 に従来とは別種の準備が必要となる。

2018

の『道徳教育』

11

月号では「ノンフィクショ ン教材のサイドストーリー」についての特集が 組まれた2。特集の「論説」で貝塚茂樹は、ノ ンフィクションを用いる教材研究では「多くの 時間と労力」が必要となるとともに、教師自ら が多面的・多角的な視点で題材に触れ、それに ついて冷静に判断する段階が必要となると述べ ている3  この点で、米国を拠点とする

NGO

「歴史

と私たち自身に向き合う(

Facing History and

Ourselves

)」(以下

FHAO

)の活動は注目に値す る。

FHAO

は「生徒が歴史と自分自身の生活 で直面する道徳的な選択の間の本質的な関連を 構築する」ことを目指し、歴史的な事例をもと にして現在の社会の問題を考える実践のための 教材と方法論の開発を行ってきた団体である4 そもそもはホロコーストを教えるための教材と 教授法の開発を目的として、

1976

年にボスト ンで発足し、活動の規模と範囲を拡大してきた5  

FHAO

の活動が注目に値するのは、第一に 具体的な社会的事実を基にして生徒に考え判断 させる多くの教材と方法論を開発してきたとい う点からである。また第二に、専門職能開発

Professional Development

)として、教師を 対象に多くのセミナーやワークショップを行っ てきた点である。さらに

FHAO

の近年の新し い試みとして、ワークショップ「アラバマ物語 を教える(

Teaching To Kill a Mockingbird

)」 の開催があげられる。これは、中等学校以上の 教師を対象に、世界的に有名な小説『アラバマ 物語』6(原題:

To Kill a Mockingbird

) を用 いて授業を行う際の情報を提供するワークショ ップである。

FHAO

は物語教材を用いて現実 の社会的問題を考えさせるという実践にも取り 組み始めている。  

FHAO

については多くの研究の蓄積がある が、物語教材を中心に用いるという点は新しい 試みであり、これに関する先行研究は管見の限 り存在しない。物語教材を用い、それと現実の 社会的問題とをどのようにつなげて扱うか、ま たその教材と方法論をどう教師に提供するのか を検討することは、我が国の道徳科実践の在り 方を考える上で示唆に富む。  そこで、以下では

FHAO

の活動と先行研究 を概観したうえで、

2018

3

18

日から

19

にニューヨークで開催された同ワークショップ について、教師の学びという観点からその特徴 を明らかにする。そのうえで、多面的・多角的 に考え主体的に判断させる授業を実践するため の支援という観点から、我が国の道徳教育に対 して得られる知見を考察する。

2.FHAOの概要

(1)教材開発と教師支援

 

FHAO

の活動は、①資料集・教材や授業プ ラン、単元例などの開発・作成、②専門職能開 発、③スタッフによる教師の授業実践への支援、 ④教授法の研究と開発(研究者同士の交流を目 的とした会議の開催など)、⑤地域社会での活 動(ゲストスピーカーを招いた講演や参加者の 交流など)⑥その他の活動(

FH

学校7の運営、 映画の製作、米国外の

NPO

との提携など)な ど幅広い8。以下では①と②について述べる。  

FHAO

が開発してきた代表的な資料集は 『ホロコーストと人間の行動』である。同書は

1982

年に出版され、

1994

9

2017

年に大幅 な加筆を伴う改訂が行われた10

2017

年の改 訂では、歴史的な事項、特に第一次大戦とその 結果に関して多くが盛り込まれた。またデジタ

(3)

ル化もされ、内容はすべてネットで公開されて いる。  

FHAO

の資料集は大きく分けて

2

種類ある11 生徒が学習する際に「資料」として使用するも のと、教師が教える際に手引きとするスタデ ィ・ガイドである。『ホロコーストと人間の行 動』は前者に属する。また後に述べる『物まね 鳥を教える』は後者である。近年とりわけ多く の資料集が開発され、

2018

8

月時点では

61

種類ある。  

FHAO

はセミナーやワークショップを通し て教師に教材の提供や指導方法の提示を行って いる。これらは多数開催されているうえ、内容 も多岐にわたる。たとえばニューヨーク・オ フィスだけでも、

2017

7

月からの

1

年間でセ ミナーが

5

回、ワークショップが

9

回開催され、 合計

295

人の参加者があった。内容はホロコー ストや『アラバマ物語』、公民権運動、米国南 北戦争後の「リコンストラクション」、そして 「南京事件」12などである。参加すると教師は

FHAO

のスタッフからカリキュラムや授業運 営などについて個別の情報提供や提案などを受 けられるようになる。オンラインでもセミナー 等を実施している。

(2)評価

 

FHAO

は、 米国においてホロコーストに 関する教材、カリキュラムを提供している最 も代表的な団体の一つであるとされてきた。

FHAO

の手法は、ホロコーストの持つ現代的 な倫理的教訓を学習させようとしている点で、 いわゆる歴史教育よりも道徳教育に近いとされ ている13。また

1980

年代の段階で

FHAO

が核 兵器及び核戦争の問題を取り上げていたことに 対して、ホロコースト教育の中に現代の問題を も取り入れたとの評価がある14。現在でも、ホ ロコーストやその他の歴史的事例と、生徒にと って身近な現代の問題との共通点を考えさせる というスタンスは変わっていない。これは「歴 史に向き合い、私たち自身に向き合う」という 団体名にも表れている。  

FHAO

の手法の道徳教育としての効果につ いては、多くの量的・質的研究において指摘さ れてきた。

FHAO

の開発したプログラムを受 けた生徒は、差別的な態度と偏見が減少し他者 に対し共感を持つようになり15、自身と他者と の行動の意味と結果についてよく考えるよう になり16、市民として社会の問題に取り組もう とする態度を持つようになったとされる17。し かも、凄惨な歴史を取り上げながらも生徒を 「思考停止」状態にはさせておらず18、生徒が 歴史の因果関係を分析する思考技能も上昇して いる19。また教師においても自己効力感と専門 職に従事する満足感が上昇した20。これらから、

FHAO

の手法は「考えさせる」という点で効 果があることがわかる。実際

FHAO

は、基本 的な考え方を政治哲学者ハンナ・アーレントの 思想に依っており、生徒が考え判断することを 重視してきた21  

FHAO

に関するこれまでの研究では、生徒 への実践及びその方法と効果に注目が集まって きた22。一方でそのような実践を行うことにな る教師の専門職能開発について道徳教育の観 点から分析したものはほとんどなかった。た とえばフェリシア・ティビッツは

FHAO

が現 地協力した南アフリカ共和国の教師対象のセミ ナーを分析し、その有効性を述べている23。し かしそこでの実践は、教師がまず自分たちの過 去(アパルトヘイト)と向き合うことの重要性 を訴えるものであり、そのための手段を提供す るための場であった。本稿では、民主制への移 行期という特殊な場面ではなく、必ずしも特 定の共通体験を持っていない教師たちに向けて、

FHAO

がどのような専門職能開発を行ってい るのかを見ていく。

(4)

3. ワークショップ「アラバマ

物語を教える」の特徴

 『アラバマ物語』は、人種差別や不正義、貧困、 ジェンダー、そして倫理的ジレンマの問題が多 様な立場の諸個人の観点から取り上げられてい る小説で、米国の青少年に幅広く読まれており、 教材として用いられることも多い。

FHAO

2014

年に『物まね鳥を教える』というスタデ ィ・ガイドを作成し24、ワークショップを開始 した。スタッフによると、このワークショップ だけですでに

100

回以上開催されたという。  このワークショップの参加者には英語の教師 が多いが、社会科やヒューマニティの教師もい る。ただし、

FHAO

は中等教育段階以上の教 師を対象としているため、小学校の教師は参加 していない25。本研究で調査したワークショッ プは

2

日間に渡って両日ともに午前

9

時から午

3

時半まで、ニューヨークのメトロポリタン・ カレッジにおいて行われた。ファシリテーター

2

人、参加者は

21

人であった。  以下では、参加者の教師はいかなる内容を学 ぶのかという観点から、ワークショップの特徴

4

点にまとめる。 ①  「スコープとシークエンス」に基づいた展  第一の特徴は、

FHAO

の「スコープとシ ークエンス」が用いられていたことである。

FHAO

は創設から一貫して独自の「スコープ とシークエンス」を提供してきた。これは、学 習者が「自分とは何者か」、「自分と自分の属す る集団や社会とはどのような関係にあるのか」 といった、諸個人のアイデンティティなどの観 点から歴史的事例を捉え、そのうえで再度自分 の存在の在り方に戻ってくる方法論である。学 習者が教材の内容を自分との関わりの観点から 学ぶためのものであり、五つのセクションから 構成されている26  図

1

は今回のワークショップで提示された 「スコープとシークエンス」である。表

1

は、

2

日間のワークショップの展開を配布物と提示物 をもとにまとめたものである。ワークショップ 全体が「スコープとシークエンス」に則って進 められていたことがわかる。参加者はこの「ス コープとシークエンス」を体験的に学ぶ。その ことで、それに基づいて『アラバマ物語』に取 り組む意義を学ぶのである。  参加者はまず自分のアイデンティティや他者 との関係について見つめる。さらに自分に対す る他者の捉え方が、自分についての自分自身の 意識にどう影響を与えるかを考える。そのうえ で物語内のいくつかの場面における登場人物そ れぞれの行動の原因や思いについて、物語の背 景にある現実の差別的事例も踏まえながら解釈 していく。この時、登場人物の行動が「良い」 か「悪い」かよりも、なぜその人はそのように 行動したのかに注目する。そしてその人をそう 行動させる要因や人間の行動について考えたう えで、さらに自分自身と関連づけながら自分た ちの行動について考えていく。「スコープとシ ークエンス」を通して参加者の教師たちは、「自 図1:「スコープとシークエンス」

(5)

分とは何者か」といったごく基本的な各自の背 景を見つめ直し、それを起点にしてワークショ ップ全体の内容を自分との関わりで学習してい くのである。  今回のワークショップで参加者は、学習内容 を「学習者」及び「教師」として、二重の視点 で捉えていくよう促されていた。たとえばファ シリテーターは参加者にまず「ここでの話は一 個人としての私にどのような影響を与えていま すか」といった学習者目線で考える問いを投げ かけ、そのうえで「この話は自分の生徒にどう 影響すると思いますか」といった教師目線で考 える問いを、対比させるように投げかけていた。 これにより、参加者はまず自分が学習者として 学ぶ側の気持ちや思考過程を体験しながら理解 したうえで、生徒たちが何を学びうるか、教師 としてどのような学びをさせられるかを考える ことができる。 表1 「アラバマ物語を教える」の展開と指針となる問い(筆者作成27 全体に渡って中心と なる問い 文学は、私たちが自分たち自身の世界における人種、階級、ジェンダーに向き合 うのを、どのように手助けできるのだろうか 1日目 指針となる問い 【セクション1】 個人と社会 ・どんな要因が私たちのアイデンティティに影響を与えているのか ・どの程度私たちは自分のアイデンティティを決定しているのか 【セクション2】 私たちとかれら ―状況を設定する ・どうすれば歴史的文脈からメイコームの共同体の中への洞察を得られるのか メイコームの町に住む人々の関係に影響を与える、明文化されたルールとされて いないルールとは何か 【セクション3】 私たちとかれら: 「義務の領域」 ・社会は誰が属して誰が属さないかをどのように決定するのか ・社会は「義務の領域」をどのようにして定義するのか 自分の行動が社会のルールと期待にそわない時、諸個人はどんなジレンマに直面 するのか 2日目 指針となる問い 【セクション3】 分科会 ①カニングハム家、 ユーイル家、フィ ンチ家:貧困、階 級、キャラクター ②メイコームにおけ るジェンダーとア イデンティティ ①・『アラバマ物語』において階級はどのように焦点が当てられているか  ・社会の「義務の領域」は経済的階級によってどのように推移するか  ・ メイコームにおいてカニングハム、もしくはユーイル、もしくはフィンチであ るということは何を意味するのか ②・ 誰が属するのかについての共同体のルール――明文化されたものとされていな いもの――に挑戦するという選択をする人々に対する結果は何であろうか  ・ この時代のジェンダーに関する書かれていないルールは、私たちの性格のアイ デンティティとその可能な選択肢とに、どのような影響を及ぼすのか 【セクション4】 行為の主体と私たち が果たす役割 ・私たちのアイデンティティは自分の選択にどのようなインパクトを与えるのか ・共同体の「義務の領域」の外にいると思われていた人々に対する結果は何か 【セクション5】 公正じゃない:正義 ・公正な社会を作り出すうえで法と諸個人が果たす役割は何か 不正義との出会いは、正義と道徳性についての私たちの信念をどのように形づく るのか ・『アラバマ物語』は、私たちが今日の正義と不正義について考えるよう、どのよ うに訴えかけるのか 【セクション67遺産と「参加するた めの選択」 ・私たちがいまだに無視できないこの歴史の遺産とは何か より強いデモクラシーを作り上げるために必要な価値観、経験、技能を、私たち はどのようにして育てるのか

(6)

② 背景情報の提供  第二の特徴は、アフリカン・アメリカンへの リンチ事件など、『アラバマ物語』の背景に関 する事例やデータが多く取り上げられていたこ とである。物語の内容それ自体の解釈よりも、 作品を手掛かりに社会的背景を学ばせようとし ている点に特徴がある。もちろん、物語自体を 解釈する場面は多々あった。しかし、『アラバ マ物語』に直接は関係ない作品や証言、差別の ある社会での人々の暮らしの写真、「ジム・ク ロウ法」やリンチについての映像など、『アラ バマ物語』の背景的情報も多く取り上げられて いた。  作品の解釈よりも背景的情報が多く取り上げ られる理由としては、

FHAO

のスタンスがある。 それは今回のワークショップの「全体に渡って 中心となる問い」、すなわち「文学は、私たち が自分たち自身の世界における人種、階級、ジ ェンダーに向き合うのを、どのように手助けで きるのだろうか」にも表れている。

FHAO

主眼は、『アラバマ物語』を通して参加者が「人 種、階級、ジェンダー」といった問題に向き合 うための手がかりを探ることにある。著者のハ ーパー・リーは、フィクションであるからこそ 現実の問題をより鮮明に描けると考えた。しか しその際に下地にしたのは身の回りの現実の事 件であった28『アラバマ物語』という文学作品 を、当時の歴史の一つ、あるいは現代の問題 の一つとして読み解いていこうというスタン ス、また物語の生まれた背景を知ってこそ物語 や自分たちの行動について深く考えることがで き、道徳的な教訓も得られるというこのスタン スは、

FHAO

の大きな特徴の一つであると言 える。参加者は作品の背景にある問題を見るこ とで、より深くこの作品のテーマを理解でき、 現実の問題にも向き合いやすくなる。 ③ 多様な指導方法や学習活動の実践  第三に、多様な指導方法、学習活動の実践 である。例としてここでは、「アイデンティテ ィ・チャート」の作成、「義務の領域(

Universe

of Obligation

)」を考えるための活動、「ファウ ンド・ポエム」の作成、「少し大きな紙(

Little

Big Paper

)」活動を取り上げる。  「アイデンティティ・チャート」の作成は、 自分あるいは対象人物のアイデンティティがど のようなもので構成されているかを書き出す活 動である。中心に自分の名前を書き、その周り に「妹/姉」「背が高い」「完全な『アメリカ人』 ではない」「移民」「英語になまりがある」など、 自分を説明する言葉を書いていく29。いわゆる ウェビングの一種である。この活動には自分や 登場人物の置かれている状況などを意識化する 働きがある。ワークショップではセクション

1

において、参加者が自分のチャートを作成して いた。その際に、「あなたが自分で選んだアイ デンティティの一側面」「あなたが受け継いだ こと」「他者があなたに帰したり、あなたに選 んだりした要素」といったヒントも提示されて いた。この作業を通して参加者は、望まないの に自分が自分以外の他者からも作られることが ある、という事実に気付く。それによって物語 の登場人物のアイデンティティについて、さら には自分と他者、社会とのつながりについて様 ざまな視点から検討できるようになる。  「義務の領域」とは社会学者ヘレン・ファイ ンが考案した概念である。その社会内において、 ある個人や集団が尊敬を払われたり、かれらの 権利が尊重されるに値すると思われたりする、 その程度を表す概念であるとされる30。参加者 はセクション

3

でまず自分について「義務の領 域」を考える活動を行う。四重の円の一番内側 から、①自分の名前、②自分が強い義務を負っ ていると思っている人や集団(実名である必要 はない)、③いくらかの義務を負っているが②

(7)

ほどは強くないと感じる人々、④若干の義務を 負ってはいるが③ほども強くないと感じる人々 を、それぞれ記入していく作業である。その後、 物語内の「メイコームにおいて中心にいる人々、 周辺にいる人々」や、登場人物ごとの「義務の 領域」の認識の違いについても同様の作業を行 う。この作業により参加者は、たとえば登場人 物ごとで互いに重視・軽視している人々が異な っていることを可視化できる。  「ファウンド・ポエム」は、『アラバマ物語』

20

章におけるアティカスの最終弁論の文章から、 印象に残った語やフレーズを抜き出してそれら を組み合わせて模造紙にカラフルな詩を作ると いう活動である。完成したらグループごとに読 み上げる。グループで全く違ったものが出来上 がり、見た目にも面白い。また活動を通じてテ キストの理解を深めることもできる。

FHAO

が実施したアンケート31では、

3

分の

1

の参加 者が「自分の学級に戻ってこの方法を使おうと 思う」の欄にファウンド・ポエムを挙げていた。  「少し大きな紙」活動というのは、余白部分 の広い「補償」という資料の拡大コピー(

A3

サイズより縦長)を読んで、参加者が

2

1

で黙ったままそこに考えたことを各自記入して いく活動である。「補償」の内容は、

1923

年に フロリダ州で「黒人男性」が「白人女性」を強 姦したという誤った告発から「白人」の暴徒が 「黒人」の街を完全に破壊、

1994

年になってこ の事件の生存者とかれらの子孫に対して賠償金 が支払われたという事例である32。資料の中に は、この補償を「正義の例」として支持する意 見も、前の世代の罪を償うことへの批判も掲載 されている。参加者は互いに考えた内容を余白 に書いていきながら相手の記述にもコメントを 付していく。その後、その紙を周りのペアと交 換し、同じ作業を続ける。最後に全体で、この 活動を通して考えたことを共有する。これは、 差別的な事例など、情緒的に強いショックを受 けたり意見が分かれたりする内容について、時 間をかけて落ち着いた意見交換をするための方 法である。深刻な事例を見て早急に自分の思い を話したり議論に入ったりするのではなく、紙 にまとめる時間をとることで、事例を見ること にも表現の仕方にも慎重になれる。また自分の ノートにまとめるのとは異なり、空いたスペー スに自由に表現できるため、コメントを書く場 所や書き方、文字などの視覚情報を有効に使っ て相手に伝えることができる33 ④ 教師同士のアイデアの共有  第四に、教師としてどのような教材をどのよ うに用いるかについてのアイデアの共有であ る。ワークショップでは、しばしば『アラバマ 物語』の解釈とその背景情報、及び指導方法な ど、教材内容と方法に関して、参加者同士アイ デアの共有がなされていた。たとえば初日の序 盤には、作中に登場する極めて強い差別語を授 業でどう取り上げるかについて、ディスカッシ ョンの時間があった。作品を解釈するうえでも 差別の現実を学ぶうえでも無視することはでき ないが、生徒の中にはショックを受ける者も出 るかもしれない。

2

日目の初めにも、この作品 を生徒に使用することについての批判的な見解 をも含んだ資料に基づいて意見交換がなされて いた。批判的な見解とは、たとえば、作品内の 「黒人」の描写を見てアフリカン・アメリカン の生徒たちが嫌な思いをしたりかれらの自尊心 が下がったりする、何よりアフリカン・アメリ カンの教師である自分自身がそういう生徒たち を見て、教えることに深刻な葛藤を感じる、な どである34  このような共有は、とりわけ差別や貧困など の取り扱いが難しいテーマにおいて重要である。 どのような点に気を付けるべきか、自分とは異 なる人種的・社会的立場の生徒からはどのよう な反応があるかなどを、自分の授業に先立って

(8)

他の参加者と共有しておくことができる。先述

FHAO

のアンケートにおいても、ワークシ ョップの強みは、「小説についての他の教師の 意見を聞けること」と書いている参加者や、「と りわけ開かれたディスカッション、教師仲間か らの貴重なアイデア提供」と書いている参加者 がいた。

4. 我が国の道徳教育に対する

意義

 ワークショップ「アラバマ物語を教える」 は、参加者が教師でありながら学習者の立場 に立って『アラバマ物語』の解釈と背景情報、

FHAO

の「スコープとシークエンス」や指導 方法・学習方法を体験的に学習し、互いの知見 を共有する場となっていた。以下では、物語教 材を通じて社会的事実について多面的・多角的 に考え判断させる授業を実践するための支援と いう観点から、それらの特徴が我が国の道徳教 育に対して持つ意義を、内容と方法に関してそ れぞれ述べる。  第一に、教師が教材の解釈のみならず、多く の背景的情報とその用い方を学べるという点で ある。

FHAO

は文学作品を単純に作り話とし て扱うのではなく、それを通して現実の問題と 向き合わせようとしていた。ワークショップで も、物語の背景にあった事例などについて、他 の資料を豊富に用いながら詳細に検討させてい た。そのことによって、『アラバマ物語』の内 容は、たとえば思いやりや友情、相互理解、社 会正義という「価値」の観点からのみではなく、 米国の人種差別や貧困などの現在まで続く問題 に向き合う一つの材料として取り上げられてい た。はじめに述べたように、具体的な社会的事 実を用いた授業をする際には、取り上げる事例 や登場人物などについて教師自身がよく知って いなければならない。教師はこのワークショッ プを通じて『アラバマ物語』に関わる多くの情 報を知ることができる。加えて、一つの文学作 品に多様な歴史的・社会的情報があることに気 付く。さらに、そのような背景的資料をどのよ うに探しどのように用いればよいか、すなわち 物語教材をどう自分たちに引きつけたり社会に 開いたりすればよいのかを学べる。この点は、 次に述べるワークショップで用いられていた指 導方法にも関わっている。  第二に、教師が

FHAO

の指導方法・学習活 動や「スコープとシークエンス」を、相互体験 的に学習するという点である。  学習者と教師の両方の目線を行き来する学習 活動は、教師に授業内容と方法に関して実用可 能な具体的知見をもたらすことができる。すな わち教師は、いかなる教材と方法をどういった 順で用いるとどのような学習が生じうるかにつ いて、自身の体験に基づいた予見を得ることが できる。  また、教師は

2

日間のワークショップで、「ス コープとシークエンス」を体験する。先述のよ うに、「スコープとシークエンス」は教材を見 ていく際の視点を提供するものである。順序立 てられ、それぞれの段階での学習内容や目標が はっきりと設定されている。この手法は、特に 深刻な歴史的事例について検討する際に、早急 に善悪のみを判断するのではなく、様ざまな角 度から自分と事例とを関連付けて考えていくた めに用いられてきた。今回のワークショップか らは、この手法がホロコーストなどの歴史的事 例のみならず、文学作品を教材とする授業でも 有効であることがうかがえた。「スコープとシ ークエンス」に基づく様ざまな学習活動は、教 師にとって、社会的な事実や問題を自らと結び 付けながら多面的・多角的な視点で捉え、それ らについて冷静に判断する過程となる。教師自 身がこの過程を経ることで、我が国の道徳の授 業について言われている、「自己を見つめ」た

(9)

り「自分との関わり」で社会の様ざまな問題を 考えたりする実践を行いやすくなる。  加えて、教師は互いに意見を交換しアイデア を共有することにより、教材の内容や授業方法 に関しても、他者の視点からより幅広い知見を 得られる。とりわけ人種やジェンダーなど社会 的背景が自分とは異なる参加者から考えを聞い ておくことで、多様な生徒たちの意見を受け止 めやすくなる。そしてそのような多様な意見を 学習活動に活かしやすくなる。  人は授業を構想・実践する際、まずは自分の 学んだ経験を基にすると言われる。それは自ら の経験から学習の過程を予想しやすいからであ る。しかしながら我が国では、道徳の授業を行 うにあたって、考え判断する道徳の授業を自身 が受けた経験のない者が多い。そのような教師、 あるいは教職を志望する学生にとっては、まず 自身が多面的・多角的に学べる機会が重要であ る。教師や学生に対し以上のような学習活動を 提供する場を充実させていく必要があるだろう。 1 宮澤弘道・池田賢市編著『「特別の教科 道徳」っ てなんだ?―子どもの内面に介入しない授業・ 評価の実践例』現代書館、2018年、30-37頁。 2 『道徳教育』201811月号、明治図書。 3 貝塚茂樹「ノンフィクション教材の研究と活用の 視点」、同上、4-7頁。 4 FHAOのホームページ(https://www.facinghistory. org/about-us 2018.8.16)。 5 現在では米国内及びカナダと英国の計10箇所にオ フィスを構え、加えて南アフリカ、北アイルランド、 中国などでも現地のNPOと提携するなどして幅 広く活動を行っている。2016年の年間報告による と、2015年の1年間で134ヶ国の41千人の教師 410万人の生徒に対してFHAOの教材と教授法 を使用したとされている。Annual Report(https:// www.facinghistory.org/about-us/annual-reports  2018.8.17)。 6 『アラバマ物語』は1930年代の米国アラバマ州「メ イコーム」という架空の街を舞台にして、主人公 の女の子スカウトを中心に繰り広げられる物語で ある。スカウトの目線から、無実の罪で訴えられ た「黒人男性」を弁護する父アティカスの姿など が描かれる。人種差別と偏見をはじめ、家族愛、 信頼、真理の追求など、人間の本質を描きだして いる。ハーパー・リー著、菊池重三郎訳『アラバ マ物語』暮しの手帖社、1964年。 7 FH学校は2005年に開校したニューヨーク市内の 公立高校である。市の教育委員会との提携で発足 した。学習内容や教授方法の選択をはじめ、学校 の運営全般をFHAOが担っている。原口友輝「『歴 史と私たち自身に向き合う』ニューヨーク・オフ ィスと実践現場を訪問して」共生と修復研究会『共 生と修復』第3号、2013年、84-85頁。 8 2011年時点でのFHAOによる分類。原口友輝「『歴 史と私たち自身に向きあう』プログラムによる道 徳教育の可能性―『思考』と『判断』の観点から ―」『筑波大学人間総合科学研究科学校教育学専攻 学校教育学研究紀要』第4号、2011年、44頁。

9 Stern Strom, M., Parsons, W. S. Facing History

and Ourselves Resource Book: holocaust and human behavior, Watertown, Massachusetts: Intentional

Educations, Inc., 1982. 以下、Facing History and Ourselvesの出版物は「FHAO」と略記する。

FHAO Facing History and Ourselves Resource Book:

holocaust and human behavior, Brookline, MA:

Facing History and Ourselves National Foundation, 1994.

10 FHAO Holocaust and Human Behavior, Revised edition, Brookline, MA: Facing History and Ourselves National Foundation, 2017. 576ページ 734ページとなった。

11 原口、前掲、2013年、83頁。

12 201712月に香港でも「南京事件」のワークショ ップが開催され、32人が参加した。

13 Shoemaker, R. “Teaching the Holocaust in America’s Schools: some considerations for teachers,” Intercultural Education, 14, 2, 2003, pp.193-194.

14 Fallace, T. D. The Origins of Holocaust

Education in American Public Schools, Holocaust

and Genocide Studies, 20, 1, Spring, 2006,

pp.94-96.

15 Schults, L. H., Barr, D. J., and Selman, R. L. The Value of a Developmental Approach to Evaluating Character Development Programmes: an outcome study of Facing History and Ourselves,

Journal of Moral Education, 30, 1, 2001,

pp.3-27 . Brederson, J. D. The Facing History and Ourselves curriculum: Its effect on responding

(10)

without prejudice and empathy levels, Ph.D.

diss., Northern Arizona University, 2006.

16 Bardige, B. Things so finely human: Moral sensibilities at risk in adolescence, in Gilligan, C., Ward, J. V., and Taylor, J. M., and Bardige, B. (eds.) Mapping the moral domain: a contribution

of women's thinking to psychological theory and education, Cambridge: Harvard University Press,

1988 , pp. 87 - 110 . Fine, M. Habits of Mind:

struggling over values in America’s classrooms, San

Francisco, Jossey-Bass, 1995.

17 Barr, D. J., Boulay, B., Selman, R. L., Mccormick, R., Lowenstein, E., Gamse, B., and Leonard, M. B. A Randomized Controlled Trial of Professional Development for Interdisciplinary Civic Education: Impacts on Humanities Teachers and Their Students, Teachers College Record, 117, 2015, pp.1-52.

18 Brabeck, M., Kenny, M., Stryker, S., Tollefson, T. and Stern Strom, M. Human Rights Education through the Facing History and Ourselves

Program, Journal of Moral Education, 23 , 3 , 1994, pp.333-347.

19 Barr et al., op. cit., 2015.

20 Ibid. また「社会性と情動の学習」 の普及に取 り組むNPOCASEL(The Collaborative for Academic, Social, and Emotional Learning)

は、2015年にFHAOのプログラムを米国で効 果が実証された九つのうちの一つと評価してい る。“Our Impact(https://www.facinghistory. org/our-impact/evaluation-studies-and-research  2018.8.24) 21 原口、前掲、2011年。 22 我が国でFHAOの授業プランを検討したものと して次のものがある。原口友輝「歴史的事例の探 究を通じた道徳教育の可能性―『水晶の夜』を教 える授業プランに着目して―」『筑波大学道徳教育 研究』 第15号、2014年、33-42頁。 空健太「民 主主義社会の市民の育成を目指した世界史の授業 Facing History and Ourselves によるレッスン

『ワイマール共和国の政治と選挙』の場合―」愛

知県世界史教育研究会『世界史教育研究』第4号、

2018年、57-64頁。

23 Tibbitts, F. Learning from the Past: supporting

teaching through the facing the past history project in South Africa, Prospects, XXXVI, 3 , 2006 , pp.301-304.

24 FHAO Teaching Mockingbird: A facing history

and ourselves study guide, Brookline, MA: Facing

History and Ourselves National Foundation, 2014. 25 FHAOは発達段階上の理由で、発足当初から第8 学年以上の生徒を対象としてきた。FHAO, 1994, op. cit., p.xx. 26 原口友輝「人権教育の指導方法に関する一考察― 『歴史と私たち自身に向き合う』プログラムの検討 を中心に―」関東教育学会編『関東教育学会紀要』 34号、2007年、66-68頁。 27 「セクション3」が二つあるが、表記は配布資料の ままにした。 28 チャールズ・J・シールズ著、野沢佳織訳『『アラ バマ物語』を紡いだ作家』柏書房、2014年、 192-197頁。 29 提示資料に基づき、その中のいくつかを示した。

30 FHAO, 2014, op. cit., pp.64-65, 78.

31 これは、スタッフが最後に参加者へ実施した「ア ラバマ物語を教えるワークショップ評価」であ り、教えている学年と教科などを答える項目の他に、 どんな方法や教材や考えを自分の学級で使おうと 思うか、このワークショップの強み(良かった点) は何か、改善点は何かなどの自由記述の項目があ る(回収数は21)。

32 FHAO, 2014, op. cit., p.197.

33 他にもセクション2において「思考博物館(Thought Museum)」という活動が行われていた。これは、 十数枚の模造紙の中心に人種差別を表した写真を 貼り、その周りに参加者が声を出さずに自分の考 えた内容と疑問を書いた付箋を貼っていく活動で ある。

34 FHAO, 2014, op. cit., pp.211-213.

(11)

A Study of the Workshop, “Teaching To Kill a Mockingbird” by Facing

History and Ourselves:

Toward Moral Education Practices by Thinking in Multifaced and

Diverse Ways Based on the Social Facts

HARAGUCHI Tomoki

【Abstract】

This paper assesses the knowledge relevant to moral education in Japan drawn from examining “Teaching

To Kill a Mockingbird,” a workshop presented by Facing History and Ourselves, the international education

and teacher training organization based in the US, from the point of view of supporting the practice of the lesson that makes students learn the way to think in multifaced, diverse and independent ways. The workshop introduces various teaching methods with Harper Lee’s novel, To Kill a Mockingbird to make students think the real issues by letting the participant teachers experience the methods.

It is effective, as “moral education through deliberating,” for teachers to learn such methods empirically, in other words, to know various social facts in the historical and cultural background of the novel, to analyze the literature in detail in the context of both history and current issues, and to learn how to connect the material contents and the students by using the “Scope and Sequence” presented by Facing History.

(12)

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