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人肉による賠償 : インドとヨーロッパで広く見られるモチーフ

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(1)

はじめに 「身体から肉を1ポンド切り取らせろ」というシャイロックの執拗な要求は, 合法的な契約に則ったものであるとはいえ,人命を奪うことになるだけに, 相手を絶体絶命の危機に陥れる。この要求は最後の最後でかろうじて退けら れ,事態は一変して相手は有利な立場を取り返す。よく知られているように, このアイデアはシェイクスピアの独創ではなく,裁判で人間の肉を要求する 話は12世紀の昔からヨーロッパにあり,この伝承を受けて『ヴェニスの商人』 の作者は作品を構想したのである。 そして,当然の要求として人間の肉を求める場面は,ヨーロッパの文学だ けに伝えられているのではない。インド文化圏では,紀元前に溯る文学伝承 に「人肉による賠償」のモチーフが知られていて,いろんな作品に用いられ ている。そして,その多くは翻訳を通じて中国にも伝わっている。1) 逆らいようのない状況の中で,損害に対する補償として,身体から肉を切 り取ることが求められる。当事者の意志に反して,一定量の自分の肉を提供 せざるをえない場面が設定されるのである。こういうことになるきっかけは, インド文化圏では天国の最高神が行うテストであり,ヨーロッパ文化圏では 人間が起こす裁判である。 インドの物語では,庇護を求める鳩をA(王)が守ろうとしたので,鳩を 追っていたB(鷹)は食料を失うことになる。鷹は食料を奪った王を責め,

インドとヨーロッパで広く見られるモチーフ

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自分の肉を代わりに差し出せと言う。そして,ヨーロッパの物語では,A(騎 士)が自分の肉を担保に入れてB(金貸し)から金を借りたが,決められた 期日までに返さなかった。金貸しは約束を破った騎士を責め,契約に従って 自分の肉を差し出せと言う。 いずれの場合も,「人肉による賠償」が避けられなくなり,命を落とさざる をえないはめになるが,この絶望的な状況に逆転が起こる。間一髪のところ で一命がかろうじで救われ,希望に満ちた未来が開けるのである。インドの テストでもヨーロッパの裁判でも,正体を隠した登場人物の決断によって, 最後に逆転の場面が実現し,すべてがうまく行った後で元の姿を取り戻す。 このような「人肉による賠償」のモチーフはインドとヨーロッパに広く拡散 していて,文献の中に記述されたり人々の間で語られたりしている。 第一節 インド文化圏の文献に見られる「人肉による賠償」 ある王のもとに鷹に追われた鳩が逃げ込んだ。食料を失った鷹は王に返却 を要求する。ところが,王は鳩を守ろうとして返却を拒否する。代わりに何 か他の肉を提供しようという王の提案にも鷹は応じず,あくまで鳩を返せと 言い張る。庇護を求める鳩を王はあくまで守ろうとするが,食料を失った鷹 も引き下がらず,「では,奪った鳩の肉を補償せよ」と言う。「王は食料を奪 ったのであるから,鳩と同量の肉を自分の身体から切り取れ」と言うのであ る。王はこれに応じて,秤の一方の端に鳩を乗せ他方の端に自分の肉を置い た。ところが,王が自分の肉をいくら継ぎ足しても鳩の方が重く,最後には 全身の肉を提供しなければならなくなった。 鷹の正体は神々の国の皇帝インドラ(indra)2)であった。自分は鷹の姿を とり,手下に鳩の姿をとらせて,王の志を試そうとしていたのである。王は 自分の命を捨てても庇護を求める者を守り抜こうとしたので,その志の強さ は疑う余地なく証明されることになった。この話に登場するのは,命を捨て てでも信念を貫こうとする人であり,想像もできないほど立派な人である。 −120−

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そして,これとは別の話も伝えられていて,そこに登場するのは逆に世に も愚かで卑しい人物であり,間違った相手に不当な暴力を加えて肉を切り取 り,後になって悔いて,それを補償するために同量またはそれ以上の肉を補 おうとする。そして,立派な人が切り取るのは自分の肉であるが,馬鹿で卑 しい男の方は他人の肉を切り取り,その埋め合わせに与えようとするのは自 分の肉ではない。 このように,二つの話は主旨が全く異なるのであるが,人間の肉を切り取 るという特異な発想が共通している。また,一方が信じられないほどの立派 な人物で,もう一方が信じられないほど馬鹿で卑しい人物ではあるが,両方 とも王であり身分が同じである。最高権力者でないとできないような蛮行が ストーリー展開の欠かせない要素となっているからである。 立派な人物の話が最初に現れるのは,最も古い世俗文学の伝統を受け継ぐ 叙事詩であり,馬鹿な人物の話が現れるのは,比較的後に編纂された説話集 である。そして両方ともヒンドゥーの文献であって,仏教の文献ではない。 二つの系統の間に継承関係があるとすれば,先行するのは立派な人の話であ ろう。登場人物の人柄が逆転したのは,立派な人の話を基に馬鹿な人の話が パロディーとして生まれたからであろう。一つ一つの作品の主旨とは別に, 「人肉による賠償」というアイデアが独立したモチーフとして文学伝承の中で 定着していたと考えられる。 A『マハーバーラタ』に採られた話に見られる「人肉による賠償」 紀元前に溯る伝承を継承するインドの叙事詩『マハーバーラタ』 (maha¯-・ bha¯rata)には,ウシーナラ王(usı¯nara)の話が採られている。この話で重 要なモチーフとなっているのが「人肉による賠償」であり,鷹が失った食料 の補償を要求するので,ウシーナラ王は鳩と同じ重さの肉を自分の身体から 切り取って引き渡すことになる。『マハーバーラタ』の第3巻131に伝えられ るウシーナラ王の話の梗概は次の通りである。 鷹に変身したインドラは,鳩に変身した火の神アグニ(agni)を連 −121−

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れて,ウシーナラ王のところへ行った。鳩に化けたアグニは,王に助 けを求めて逃げ込んだ。鷹に化けたインドラは「この鳩は私のものだ」 と言って,ウシーナラ王に返還を要求した。王はこれを拒んだ。「助け を求めてやって来た者を渡すわけにはいかない」と言うのである。だ が鷹は「返せ」と言い張る。 鷹は王に言った。「道義の人と言われるあなたは,なぜ道義に背くこ とをするのか。飢えに苦しむ私から食べ物を奪ってはいけない。」 王は答えた。「鷹よ。この鳩はお前を恐れ,救いを求めて私のところ へやって来た。保護を求めて来た鳩を守ってやらないのは,道義に反 することである。」 鷹は言った。「すべての生き物は食べ物によって生きる。食べ物を失 えば私は死んでしまう。私が死ねば,妻と子も死ぬ。鳩を守ることに よって,あなたは多くの命を殺すのだ。」 王は言った。「鷹よ。お前は立派なことを言う。そしてお前は道義を 知っている。だが,救いを求めて来た者を打ち捨てるのが,どうして 善いことなのか。もっと良い食べ物を得ることができるではないか。 猪や鹿など,望みの物を私が用意しよう。」 鷹は言った。「私は猪や鹿は食べない。鷹が食べるのは鳩と決まって いる。さあ,私の食べ物を返せ。」 王は言った。「鷹よ。救いを求めて来た鳩以外なら,望む物を何でも やろう。鳩を渡す代わりに私は何をすればよいのか。何でも言う通り にしよう。ただ鳩を返すことだけはできない。」 鷹は言った。「あなたが鳩を愛するなら,自分の肉を切り取って秤に 乗せ,鳩と同じ重さだけ私にくれ。そうすれば私は満足だ。」 王は言った。「鷹よ。それは好意の申し出である。これから自分の肉 を秤で量って,お前にそれをやろう。」 ウシーナラ王は自分の肉を切り取って秤で量ると,鳩の方は重かっ た。次々に肉を切り足したが,やはり鳩の方が重かった。ついに肉を −122−

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切り落としようがなくなり,最後に王は自ら秤に乗った。 鷹は言った。「道義を知る者よ。私は実はインドラである。道義に関 して試すためにここにやって来た。身体から肉を切り取った以上,あ なたの輝かしい名声は世界を覆い続けるであろう。」3) インド叙事詩の中で,鳩は人々を脅かす鳥であり,死の使いと見なされて いた。4)そして,火の神アグニの役割は来客の守護者である。5)『マハーバーラ タ』の伝える「インドラがウシーナラ王を試す話」では,来客を守る神アグ ニ(agni)が正体を隠して,あえて嫌がられる鳩に姿を変えてウシーナラ王 の来客となる。王は忌み嫌われる鳩を受け入れて,来客として接したのであ る。王は分け隔てなく全ての者を受け入れる人物として,ウシーナラ王は描 かれている。こうして,比類のない度量の広さが証明されたのである。古代 のインドで訪れる者を歓迎することは,人間世界で重んじられる「道義」 (dharma)と見なされていた。インドラが王を「道義」の人として誉め称え たのは当然である。 インドラが化けた鷹は,食料として追っていた鳩がウシーナラ王に奪われ, 返却を拒否されたので,鷹の立場からすれば当然の損害賠償を要求する。賠 償品として差し出すべきは何の肉でもよいわけではなく,鷹の立場からすれ ば加害者であるウシーナラ王自身の身体から切り取った人肉である。肉の量 については,鳩と同じ重さというのが鷹の要求であり,公平な賠償という建 前をとっている。しかしながら,結局は王の肉全部ということになる。鷹に 化けたインドラの真意は別のところにあるからである。 ここでインドラが鷹に化けて王を試そうとしているのは,人間として究極 の「道義」を身につけているかどうかという点についてである。6)鳩一羽分の 重さの股の肉では,大きな痛みは生ずるが,生命が失われることはない。鳩 一羽分の股肉を捨てることは,相当の「道義」を証明することにはなるが, 究極の「道義」を証明することにはならない。命を捨てて初めて「輝かしい 名声は世界を覆い続ける」ことになるのである。 −123−

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B 仏教説話シビ王の話に見られる「人肉による賠償」 『マハーバーラタ』で語られたウシーナラ王の話は,シビ王の話として仏教 に採り入れられた。「鳩に変身したのがアグニではなくインドラの手下である こと」と「試される王がウシーナラではなくシビであること」が異なるもの の,仏教説話シビ王の話は『マハーバーラタ』が伝えるウシーナラ王の話と 構造が同じである。なお,仏教説話では王がシビ王と呼ばれているが,この 名は『マハーバーラタ』と無縁ではなく,犠牲祭を好むヤヤーティ(yaya¯ti) の孫として登場する。 『マハーバーラタ』のウシーナラ王が貫こうとしたのは,王として守るべき 「道義」であった。そのためには,世間で忌み嫌われる鳩の命を守るために, 自分の命を捨てるのも厭わなかった。このヒンドゥーの話が仏教に採り入れ られた結果,シビ王が貫こうとしたのは「ブッダになる決意」になった。「道 義」を讃える話がブッダになる決意を讃える話になったのである。そして, 「ブッダになる決意」が固いシビ王が実践しているのは,「物を与えること」 (da¯na/布施)7)であった。 さて,仏教に伝えられてきたシビ王の話には多くのヴァージョンがあり, 主として中国語訳で残っていて,8)ここで取り上げるのは,鳩摩羅什の『大智 度論』(405年)に採られた話である。数あるシビ王の話の中で最もよく知ら れているものであり,次のように話が展開する。 シビ王が「物を与えること」に熱中していると聞いて,神々の皇帝 インドラは実情を調査しようとした。もしシビ王が本気でとめどなく 他人に物を与えるなら,ブッダになろうとしているに違いなく,それ こそインドラが何よりも切望することであった。そこで,インドラは 鷹に化け,手下の者を鳩に化けさせてシビ王を試すことになった。 鷹に追われて鳩がシビ王の所に逃げ込んで来た。鳩を保護しようと する王に鷹は返却を求めた。命あるものを殺してはならないと言って, 王は鷹の要求を拒否した。すると鷹は要求を引っ込めるどころか,自 分も命ある者であると言い,生きるために欠かせない食料を失うわけ −124−

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にはいかないとさらに強く抗議する。鳩を見殺しにするわけにはいか ず,返却を拒否すれば鷹の命を奪うことになり,追い詰められた王は 自分の身体の一部を切り取って鷹の食用に当てる外なくなる。鳩と同 じ重さだけ自分の肉を鷹に与えて,食料を失った鷹に「人肉による賠 償」をせざるをえなくなるのである。 そこでシビ王は秤を持って来させて,一方の端に鳩を置き他方の端 に自分の肉を置いた。すると秤が鳩の方に傾いたので,自分の肉をさ らに切り取って追加しなければならなかった。ところがシビ王がいく ら追加しても,やはり鳩の方が重いのである。最後にシビ王は血まみ れになった自分の全身を秤に乗せることにした。9) 血まみれのシビが秤の上に全身を乗せようとすると,そばにいた者はすべ て賛嘆の声を上げ,大地は震動して大海は波立ち,枯れ木に花が咲いて天か ら香りのよい雨と花が降った。天女も神仙もシビ王が必ずブッダになると確 言した。10)しかしながら,インドラの立場からすると,みんなが感動するだけ では不十分であった。シビ王の決意は疑う余地のない手続きを踏まなければ ならないのである。 ここでシビ王は特別のパフォーマンスを行って,インドラの疑念を完全に 拭い去らなければならない。このためには昔からの伝承があった。遥か昔の ヴェーダ時代からインドには「真実」(satya)に対する信仰があったのであ る。「真実」を口にすることによって,奇跡を起こすことができると信じられ ていた。「Aが真実ならば,Bは実現せよ」という発言をすると,「真実」に 内在する強力な力が作動する。すると,奇跡Bが即座に実現する。これがイ ンドの文学伝統でよく知られている「真実の陳述」(satya-vacana)11)である。 シビ王が「真実の陳述」を行って,「私がブッダになる決心をしていること (A)が「真実」なら,身体が元通りになるという奇跡(B)が起こるように」 と口にする。そうすると,「真実」に宿る超自然力が即座に発動して,奇跡が 起こって身体が元通りになる。12) 血まみれになったシビ王の瀕死の身体は,こ こで以前と同じ状態に回復するのである。そして同時に,「真実」として宣言 −125−

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したこと(「私はブッダになるつもりである」)の信憑性が疑う余地なく証明 される。こうして「真実の陳述」は,ブッダになる決心を証明するための究 極的方法として使われるのである。 ブッダになるのは最も達成が困難なことであり,限りなく生まれ変わって 「善い行い」を限りなく繰り返さなければならない。しかも,その一つ一つの 「善い行い」は優れた「善い行い」では不十分であり,考えることのできる最 高の「善い行い」でなければならないのである。「物を与えること」は確かに 「善い行い」ではあるが,ブッダになろうとするなら,全財産を捨てたり身体 の一部を捨てたりするくらいでは不十分である。シビ王は鳩一羽分の肉を捨 てるだけでは満足せず,自分の命を捨てようとした。こうすることによって 初めて,シビ王の決心が「真実の陳述」によって証明されるのである。そし て,奇跡が起こって破損された身体は回復し,前と同じように「物を与える こと」を続けることができるようになった。これでインドラはすっかり安心 して天に帰るのである。13) C パロディーに用いられる「肉による賠償」(ヒンドゥー文献) 中国語で伝えられる仏教文献の『六度集經』や『大智度論』には,鳩の肉 の代わりに自分の肉を同じ重量分だけ鷹に与えるシビ王の話が語られている が,ヒンドゥー説話『カターサリットサーガラ』(katha¯saritsa¯gara)に採ら れた話に,肉を使って損害を賠償するモチーフが奇妙な形で使われている。 罰として500グラムの肉を切り取られた男があまりにも苦しむので,罰を科し た王が哀れに思い,500グラム以上の肉を与えようとするのである。 ある愚かな王が宮殿の露台から二人の男を見つけました。その一人 が王宮の厨房から肉を盗み出していましたので,王はその男の体から 五パラ(約500グラム)切り取ることを命じました。肉を切り取られた 男が,地上に倒れて呻いているのを見まして,可哀想になりました王 は侍従に「あの男は肉を五パラ切り取られたのであるから,あの痛み はおさまらないだろう。だから,あの男に切り取った肉よりも多くの −126−

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肉を与えるがよい」と言いました。侍従は,「頭を切り落とされた男に, 百の頭を与えたとて,どうして生き返りましょうか。ともかく,仰せ のとおりに,肉をやりましょう」と言いまして,王の前から退去し, 外に出ましてから大笑いをしました。そして,侍従は肉を切り取られ た男を励まして,医者にかからせました。14) 『カターサリットサーガラ』27の「馬鹿な王の話」では,ある馬鹿な王が食 肉を盗んだ男から罰として肉を切り取る。そして,後で男が苦しんでいるの を見て,切り取ったより多くの肉を返してやろうとする。肉の窃盗に対して 「人肉による賠償」をさせ,今度はその刑罰を補償するために「〔同量以上の〕 肉による賠償」をしてやろうとするのである。言い付けられた侍従は王を馬 鹿にして,その言い付けに従おうとしない。 『マハーバーラタ』や『大智度論』に採られた話で,賠償を払うために自分 の肉を切り取る人物は,インド文化圏で考えられる最高の人物であり,自分 の追求する理念のためには,いつでも簡単に命を捨てる。ところが『カター サリットサーガラ』27に登場するのは,世にも愚かで卑しい人物である。こ のように登場人物は逆の極端と言ってよいほど違うが,身分は同じように王 である。 そして,同じように同価の肉によって損害を賠償するものの,高潔さから 程遠い人物であるから,自分の肉を切り取るつもりはない。この馬鹿な王が 肉で賠償するという愚かなアイデアを出した背景となったのは,重罪を犯し たわけでもない人間を罰して肉を切り取るという愚行である。賠償に使う肉 をどこから持って来るのか明らかでないが,肉泥棒を不当に罰したことを後 悔しているので,まさか別の人間の肉を切り取るつもりはないであろうから, 今度は獣の肉でも持ってくるつもりであろう。 ウシーナラ王やシビ王と同じように,この馬鹿者の身分は王と設定されて いる。そして,ウシーナラ王やシビ王が登場する話と同じように肉によって 損害を補償するというのが話の中核を成すアイデアとなっている。しかしな がら,そのような見かけの類似にかかわらず,ウシーナラ王やシビ王の話と −127−

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は逆に,この話は世にも愚かで卑しい人物について語ろうとしている。『カタ ーサリットサーガラ』27の話は,古くから伝わる有名な話をもじったパロデ ィーなのである。 D パロディーに用いられる「肉による賠償」(仏教文献) この文献のテキストはサンスクリットで伝わらないが,中国語訳が残って い る。492年 に 南 斉 で 翻 訳 さ れ た も の で,全 部 で98編 の「馬 鹿 者 の 話」 (mugdha-katha¯)を集めた説話集である。その20番目が「人説王縦暴喩」と いう話であり,誤認逮捕した男から肉を取って処罰した愚かな王の話が語ら れる。誤って家来を罰して後悔した馬鹿な王が,倍の肉で賠償しようとする のである。 これは『カターサリットサーガラ』27の話と主旨が同じであり,ヒンドゥ ー説話として語られたパロディーが仏教に採り入れられたのである。インド ラが鷹に化けてシビ王を試す話は仏教の理念を高らかに謳った話であるが, この種の話の外に「肉による賠償」のモチーフが用いられたパロディーも, ブッダの教えに従う人々の間で好まれたようである。 昔,ある男が王の非難すべき間違いについて語った。そして,「王は 非常に乱暴で人々を苦しめ,政治は道理に叶っていません」と言った。 王はこの言葉を聞いて非常に激怒した。この言葉を語った者が誰かと いうことを徹底的に調査せずに,おべっか使いの部下の言うことを信 じて,ある賢い家来を捕まえて,仰向けに横たわらせ,背中から百両 の肉を剥ぎ取った。 ある人は証言して,「この人はそのようなことは語りませんでした」 と言った。すると,王は非常に後悔し,千両の肉を捜してきて,それ を背中に補填した。夜中に呻き叫び,非常に苦しんだ。王はその声を 聞いて,「なぜ苦しんでいるのかお前の百両を取って,その十倍をお前 に与えた。それでも不足か。どうして苦しむのか」と言った。 側にいた人が答えて,「大王様,たとえ子供の頭を取って,〔その後 −128−

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でその子供が〕百の頭を手に入れたとしても,〔頭を切られた〕子供の死 は避けることができません。十倍の肉を手に入れても〔この男の〕苦し みは避けられないのです」と言った。 愚かな人間のすることも同じである。後世〔にどうなるか〕を憂慮す ることなく,現世の楽しみを限りなく欲しがって,人々を苦しめてい る。庶民から取り立てて,多くの金銭と品物を手に入れる。そして, 〔それを使って〕罪を消し幸せな報いを得ようと望む。例を挙げると, あの王が人の背中を切り開いて肉を取って,別の肉で補填したのと同 じである。〔その男が〕痛くないようにと〔王は〕願ってのことであるが, これには道理がない。15) 『マハーバーラタ』のウシーナラ王も仏教説話のシビ王も,鷹が失った鳩の 肉を補償するために同じ重さの自分の肉を提供しようとする。ヒンドゥー説 話集『カターサリットサーガラ』に登場する愚かな王は,罰として切り取っ た重さ5パラの肉を賠償するために,重さ5パラ以上の肉を提供しようとす る。これは王自身の肉ではないし,人間の肉でさえないらしい。『百喩經』に 登場する王は,誤って剥ぎ取った100両の肉を補償しようとして,その10倍の 肉を背中に張り付けた。 いずれの場合も,失われた肉を補償するために,同量またはそれ以上,あ るいは10倍の肉が提供され,いずれにしても失った量を基準に賠償量が決め られている。どの場合も賠償するのは王である。ウシーナラ王の話やシビ王 の話があまりにも有名であったので,このようなパロディーが世に広まった のであろう。 第二節 西洋文化圏の文献に見られる「人肉による賠償」 「人肉による賠償」というモチーフは世界中にあり,インド叙事詩や仏教説 話やヒンドゥー説話の伝える話とは別に,「人肉の抵当」や「人肉裁判」の話 が西洋文化圏に見られる。主なものに限っても,12世紀のラテン語作品『ド −129−

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ロパトス』(Dolopathos),13世紀に成立したラテン語説話集『ゲスタ・ロマ ノールム』(Gesta Romanorum),13世紀末の中世英語の長詩『世界を走り回 る者』(Cursor Mundi),15世紀ドイツの工匠歌人(Meistersinger)の作品な どがある。 このモチーフを使っていろんな形態をとる話がいろんな主旨を伝えている が,中核にあるのは「人肉による賠償」である。生きている人間から肉を切 り取って賠償に当てることが要求される。しかも,これが正当な要求である という状況が設定され,賠償を求める側は一分の隙もない論理を展開して, 求められる側は命を失うところまで追い詰められる。ことの成り行きに誰よ りも強い関心を抱く者がここに登場して,事態の収拾が取り計られる。意外 な措置が唐突にとられて,最後の最後には命が失われる事態は避けられる。 そして,絶体絶命の事態が逆転して,すべてはうまく行くのである。この間, 事態の収拾を見事に図った人物は正体を隠している。 このように「人肉による賠償」というモチーフを用いた話は,インドだけ ではなく世界中でかなり広く知られている。ここでは西洋文化圏に伝わる例 として,中世を代表する説話集『ゲスタ・ロマノールム』に採られた話を取 り上げ,合わせて最もよく知られている作品『ヴェニスの商人』にも言及し たい。「人肉による賠償」をモチーフとする一連の話では,期限内に返せなか った借金を自分の肉で補償するという契約を相手側と事前に取り交わされる。 借金を期限内に返済できなかったために,一定量の肉を提供しなければなら ないことになるが,血を流すことは契約になかったので,その履行は不可能 になる。文学モチーフを整理し分類したトンプソン(Stith Thompson)16)も, この「人肉による賠償」を一つの項目として取り上げている。17) 『旧約聖書』の「創世記」9.4 には,「肉は命である血を含んだまま食べて はいけない」という言葉があり,18) これを受けて「創世記」9.6 に「人の血を 流す者は,人によって自分の血を流される」と言われている。19)「人肉による 賠償」をモチーフとするヨーロッパの話には,独自の宗教伝統を反映する部 分があり,命を奪うことになる肉の切除は,「肉は取ってもよいが,血は一滴 −130−

(13)

も流すな」という原則を適用して,最後の段階で阻止される。 このように重要な点で独自の文化を継承するものの,ヨーロッパで作られ た『ゲスタ・ロマノールム』第195話と『ヴェニスの商人』でも,訴えられた 側が自分の身体から一定量の肉を相手側に引き渡すはめになる点は,インド の文献で語られる話の場合と同じである。そして最後の段階で命が救われる という点,絶望的な状況の逆転があるという点でも似ている。このように「人 肉による賠償」のアイデアが世界中に見られるのは確かであるが,インドで 起こったこととヨーロッパで起こったことが同一の起源に帰せられるかどう かを確認するすべはない。 ブロー(Geoffrey Bullough)20)は詳細を検討しないまま『マハーバーラタ』 の伝えるウシーナラ王の話に言及し,それに並べてモーゼの話を伝えるヘブ ライの伝承を挙げている。子羊を盗んだ鷹を責めてモーゼが自分の胸を与え た話である。21)ヘブライ−ヨーロッパの伝承を受け継ぐ話がインドの伝承を受 け継ぐ話と起源を共通するとほとんど決めつけているかのようである。22) しかしながら,この点については決め手となる証拠がなく,インドの話と ヘブライ−ヨーロッパの話との間に認められる基本的構造の共通点について 検討することさえ試みられていないし,ましてインドから西方へ伝わった過 程を想像するなど,試みるのもかなわぬことである。「人肉による賠償」とい うモチーフを用いた話が隔絶した地に見られるとはいえ,これが伝播の結果 であるのか,類似事象が偶然に起こったのか,どちらとも決めることができ ないのである。 A『ゲスタ・ロマノールム』第195話に見られる「人肉による賠償」 『ゲスタ・ロマノールム』(Gesta Romanorum)23)は中世ラテン語文学の傑 作であり,膨大な数の先行作品を継承し,後代に大きな影響を与えている。 「人肉による賠償」のモチーフが使われているのは,騎士と姫様が登場する第 195話であり,その梗概は次の通りである。 一人の騎士がローマ皇帝の姫様を愛していた。姫様と一緒に一晩で −131−

(14)

も過ごしたいと思っていた。そのためには,どれほどのお金でも喜ん で使ってよいと思っていた。あるとき,姫様は騎士に金貨1千マルク を要求した。そこで騎士は姫様にお金を渡した。その夜,騎士はベッ ドに入り,すぐにぐっすり寝てしまった。騎士は姫様と一晩を過ごす までは諦め切れない気持ちで,自分の土地を抵当にして,二度目のお 金を渡したが,やはり思い通りにならなかった。三度目の時,騎士は 一人の商人に1千マルクのお金を借りるために,「期限までに返済でき ない場合には,身体のどこの部分からでも貸したお金の重さと同じ重 さの肉を切り取る」という条件に同意した。もうこれ以上金を失うわ けにはいかないので,三度目に姫様と寝る前に騎士は学者の所へ行っ て,眠らずに済む方法を教えて貰おうとした。学者が言うには,姫様 のベッドには紙が一枚入っているとのことである。その紙はベッドに 入る者を眠らせる効能があり,男と寝るのを避けるために姫様が用意 したものである。学者は騎士に助言して,姫様に気づかれないように その紙を取り出して,遠くへ投げ捨てるように勧めた。 騎士がその通りにすると,姫様のベッドへ入っても眠らずに済んだ。 姫様は嫌がって,金を返すから何もせず帰ってくれと頼んだが,騎士 はこれを強く拒んだ。すると,姫様は急に気が変わり,騎士に夢中に なった。そうしているうちに日が経ち,商人と約束した期日を十五日 も過ぎってしまった。商人はどうしても騎士の言い訳を受け入れず, 倍のお金を返すと言っても同意しなかった。約束の通り,お金の重さ だけ騎士の肉が欲しいと言い張る。そして,騎士を捕らえさせ,法廷 に連行させた。姫様はすごく心配で,騎士を救うために男に変装して, 馬に乗って法廷に乗り込んだ。男に化けた姫様は,「肉の一部を切り取 るとは契約したが,血はちっとも流すな」と言って,商人を追い詰め た。商人は裁判に負け,貸した金も失った。 家へ帰った姫様に騎士は起こったことを説明した。すると姫様はし ばらく私室に下がって後,法廷にいた時と同じ扮装をして再び現れた。 −132−

(15)

その姿を見て騎士は狂喜した。やがて騎士は盛大な結婚式をして姫様 を妻に迎えた。二人は幸せに一生を送った。24) 『ゲスタ・ロマノールム』はキリスト教説話集であり,それぞれの話の後に 「教訓的解説」(moralizatio)が付されて,キリスト教の立場から解釈が試み られている。登場人物の一人一人が「神」や「キリスト」や「聖霊」などに 帰せられているのである。このように,『ゲスタ・ロマノールム』は話と教訓 を交互に配する形式をとっているのであるが,ここで重要なのは教訓であっ て,話はその例話(exemplum)に過ぎない。 騎士と姫様が登場する195話に付せられた「教訓的解説」によると,姫様の 父親である皇帝は「私たちの主イエス・キリスト」であり,姫様自身は「神 の姿に似せて造られた霊魂」である。騎士は「霊魂の伴侶たる肉体」であり, 昼となく夜となく姫様を罪へ駆り立てる。姫様(霊魂)がベッド(心)に紙 (清浄)を入れておくと,騎士(肉体)が眠るので罪は避けられる。条件付き で騎士に金を貸した商人は,「肉体の望みを叶えてやろうとする悪魔」である。 この商人(悪魔)は「被告の心臓の近くの肉を切り取れ」という判決を要求 する。そこで,姫様(霊魂)は男の服装をして馬(良心)に乗り,商人(悪 魔)と戦う。裁判所(告解の場所)で裁判官(賢い聴罪師)は商人(悪魔) を断罪するのである。25) このキリスト教説話集,『ゲスタ・ロマノールム』の作者あるいは編纂者に ついては,確かなことが何一つ分からない。成立地についても細かいことは よく分からないが,写本の分布状態がイギリスとドイツに片寄っていること から見て,そのどちらかで成立したと考えられる。この点についてエースタ ーライ(H. Oesterley)は仮説を立て,13世紀末にイギリスで編纂されてドイ ツとネーデルランドで改変と増補が行われたと考えている。26) 「人肉による賠償」のモチーフと「裁判」のモチーフを結び付けた作品は,12 世紀以後のヨーロッパで数多く作られたというが,人肉のモチーフと求愛の モチーフを結び付けたのは,13世紀に成立した『ゲスタ・ロマノールム』の 第195話が初めてらしい。27)ただし,『ゲスタ・ロマノールム』の初期近代英語 −133−

(16)

訳は二つあるが,28)そのどちらにも「人肉の抵当」の話は出ていない。『ヴェ ニスの商人』に先立つ二つの英語訳に第195話が訳されていないのであるから, 人肉裁判に関する限りシェイクスピアは直接に『ゲスタ・ロマノールム』第 195話を使っていないということになる。

B『ヴェニスの商人』に見られる「人肉による賠償」

『ヴェニスの商人』(The Merchant of Venice)はイギリスの劇作家/詩人ウ ィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare 1564―1616)の戯曲であり, 「人肉による賠償」のモチーフは実に効果的に使われている。この戯曲は1594 年から1597年の間に書かれたとされているが,世界中で最も有名な劇作家の 作品であるだけに,「人肉による賠償」のモチーフの代表例とされている。 古いヨーロッパの説話伝承を受けて,シェイクスピアは『ヴェニスの商人』 を構想した。『ゲスタ・ロマノールム』第195話を直接の典拠としているわけ ではないにしても,この話に登場する姫様はシェイクスピアのポーシャに対 応し,騎士はバッサーニオに対応していて,同じ説話伝承を受けていること を思わせる。『ヴェニスの商人』の概要は以下の通りである。 ポーシャと結婚しようとして,バッサーニオはそのために必要な金 をアントーニオに用立ててもらおうとする。ところが,アントーニオ の全財産は航海中の商船にあり,金を貸すことができない。アントー ニオは悪名高いユダヤ人の金貸しシャイロックに金を借りに行く。「期 限までに返さなければ,アントーニオの肉を1ポンド引き渡す」とい う条件で,シャイロックは金を借す。 そうしているうちに,アントーニオの商船が難破して,金を返すこ とができなくなる。シャイロックは,日頃からアントーニオを快く思 っていなかったので,復讐できる機会を得たことを喜ぶ。裁判でシャ イロックは契約通りアントーニオの肉を要求する。若い法学者に扮し たポーシャが,この件を担当することになる。慈悲を促しても応じな いシャイロックに向かって,肉を切り取っても良いという判決をポー −134−

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シャは下す。喜んだシャイロックが肉を切り取ろうとした時,ポーシ ャはさらに言う。「肉は切り取っても良いが,契約書にない血は一滴と いえども取ってはならない。」 仕方なく肉を切り取ることを諦めたシャイロックは,改めて金の返 済を要求するが,すでに本人が受け取りを拒否しているので,それは 認められなかった。それどころか,ヴェネツィア市民の命を奪おうと した罪によって,全財産の没収を言い渡され,その半分は国庫に帰す ことになり,そして半分は被害者のアントーニオに帰すことになる。 アントーニオの請願によって,この財産没収は特赦が認められる。ア ントーニオに帰すことになった分については,娘夫婦に相続させると いう条件とキリスト教に改宗するという条件で,シャイロックに返さ れることになる。難破したと思われていたアントーニオの商船は,商 品を満載してすべて無事に帰還する。29) 『ゲスタ・ロマノールム』の初期近代英語の訳に「人肉の抵当」の話が出て いないのであるから,シェイクスピアがその第195話を使っていないのは確か である。それに,『ゲスタ・ロマノールム』の第195話に登場する商人はユダ ヤ人ではない。反ユダヤ人色の強い『ヴェニスの商人』の先駆者として,こ の点はふさわしくなさそうである。ちなみに,借金取りがユダヤ人でないの は『ゲスタ・ロマノールム』の第195話だけに見られる特異な事象ではない。 13世紀という古い時代に成立した『ゲスタ・ロマノールム』だけではなく, その流れを汲む後続作品の中にも,しかもシェイクスピアの同時代人のマン ディ(Anthony Munday)が1580年に出した物語集の中にも,強欲な借金取 りがユダヤ人でない話がある。30)そうすると,『ヴェニスの商人』と矛盾する 伝統につながる『ゲスタ・ロマノールム』の第195話は,この戯曲の成立とは 何のかかわりもないのであろうか。そうではない。『ゲスタ・ロマノールム』 第195話は『ヴェニスの商人』と相容れない要素をいくつか含むのは確かであ るが,この戯曲にぴたりと合った要素も多く含むのである。 シェイクスピア時代のイギリスには似た話がいくつか出版されていたとい −135−

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うし,31)口頭で流布していた可能性もあろう。『ヴェニスの商人』には細かい ところで『ゲスタ・ロマノールム』第195話を思わせる箇所が見られるのであ る。シャイロックは契約の時に「旦那の身体のどこからでも,好きなところ から,その真白い肉をきっかり一ポンド」と言っていたが,32)契約書のことが あれほど話題になっているのに,法廷で言及されるのは「心臓すれすれの部 分」である。33)『ゲスタ・ロマノールム』第15話でも,金を貸す時には「どこ でも好きな場所の肉」34)と言っていた商人が,法廷では「胸だ。心臓がある場 所だ」と言う。35)『ゲスタ・ロマノールム』第15話と『ヴェニスの商人』の 関係を考える上で,このことは注目すべき点である。36) それに,『ゲスタ・ロマノールム』の第195話に登場する金貸しがユダヤ人 でないのは確かであるが,『ゲスタ・ロマノールム』が全体として反ユダヤ人 感情と無縁というわけではない。37)そして,このキリスト教説話『ゲスタ・ロ マノールム』を基に多くの話が作られている。しかも,『ゲスタ・ロマノール ム』と近い時代のイギリスで,ユダヤ人の金貸しが登場する作品が出ている のである。 13世紀の末にイギリスで成立した中世英語の物語詩『世界を走り回る者』 (Cursor Mundi)38)にはすでに,同じ重さの肉を返す契約をユダヤ人の金貸し と結ぶ話が出て来るのである。神を敬う心が厚い聖ヘレナ39)の宮廷に,キリス ト教徒の金細工師がいたが,金を借りる際にユダヤ人の男と契約を結んだ。 借りた金を返済しなければ同じ重さの自分の肉を引き渡すというのである。 法廷に出たユダヤ人は,「相手は憎い敵であるから,契約の枠内で可 能な限り最悪のことをしてやりたい」と言う。「まずは目をくり抜き, それから仕事をする両手,そして次には舌,さらには鼻という風に, 契約した通り〔貸した金と同じ重さ〕になるまで〔次々と体から肉をもぎ 取ってやる〕」と決意しているのである。血を流してはならないと言わ れて,ユダヤ人は判事に呪いをかけた。 残酷さゆえに,ユダヤ人は聖ヘレナに財産の没収と舌の引き抜きの 刑を宣告された。狼狽したユダヤ人被告は,聖ヘレナの許しを得よう −136−

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として,キリストが磔にされた場所を教えた。〔お陰でユダヤ人は刑を 免除され,聖ヘレナは十字架を発見した。〕40)

シェイクスピアの『ヴェニスの商人』では,「人肉による賠償」のモチーフ が「悪辣なユダヤ人」というモチーフに結び付いている。ユダヤ人に対する シェイクスピアの扱いという点で注目すべきは,マーロウ(Christopher Mar-low)の戯曲『マルタのユダヤ人』(The Jew of Malta)である。41)0年に初 めて上演されて非常に評判が良かった。『ヴェニスの商人』が書かれたのは, その6年か7年か後のことである。この『マルタのユダヤ人』に登場するの も,金にしか興味がないユダヤ人42)の極悪非道な親に似合わぬ善い人柄の娘で ある。43) ユダヤ人に対するイギリス人の憎悪は16世紀末に限られていたわけではな かった。44)『ヴェニスの商人』が成立する30年も前に,物語詩『世界を走り回 る者』が成立していて,悪辣非道なユダヤ人の話が語られていた。そして, 何とこのユダヤ人は,貸した金の抵当として相手の肉を法廷で奪おうとする のである。このユダヤ人は合法的にキリスト教徒を殺そうとしたのである。 13世紀末の物語詩に登場するユダヤ人は,キリスト教徒を激しく憎んでい て,あくまで契約を楯に取って相手の命を取ろうとする。そして,13世紀末 のイギリスで語られた話の中で,ユダヤ人の極悪非道を阻止するためにコン スタンティヌス大帝の判事が用いたのは,「創世記」9.6 に溯るキリスト教の 原則「血を流すな」であった。そして,キリスト教徒の気に入らないことを して罰せられたユダヤ人は,信心深い太后の意を迎えるために,キリスト教 徒の知りたがっていることを教えたのである。 C「人肉による賠償」を争う裁判の話に出てくる箱選びと指輪 さて,シェイクスピアの戯曲『ヴェニスの商人』には,「人肉による賠償」 をめぐる裁判の外に,箱選びの話と指輪の話が語られる。箱選びの話とは, ポーシャの肖像が入った鉛の小箱をバッサーニオが選ぶ話である。45) これを選 んで,バッサーニオは首尾よくポーシャを手に入れる。そして,ポーシャが −137−

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愛の印としてバッサーニオに指輪を渡すが,46)これが指輪の話である。 このように三つのモチーフがシェイクスピアの『ヴェニスの商人』に見ら れるが,そのうち人肉裁判と指輪が出てくる話は,14世紀のイタリアで作ら れた『馬鹿者』(Il Pecorone)47)という物語集に見られる。これはセル・ジョ ヴァンニ(Ser Giovanni Fiorrentino)が編纂したもので,問題の話は「第四 日の第一話」として出ている。この話にはベルモントの貴婦人が指輪を男に 与える場面は見られないが,話が進むと分かるように,主人公のジャンネッ トー(Giannetto)は愛の証しとしてこれを付けることを誓わされているので ある。48)しかしながら,この14世紀イタリアの物語集には箱選びの場面が欠け ている。 ジャンネットーは貿易のために航海していたが,ベルモンテの港に 大富豪の美しい貴婦人がいることを知った。この貴婦人とうまく一夜 を共にしたら,結婚して膨大な財産を手に入れることができるが,う まくいかなければ船荷はすべて没収される。ジャンネットーは邸宅を 訪れる。夜になって貴婦人と寝ようとしたが,直前に飲まされた酒に 薬物が入っていて,直ちに眠り込んでしまって,朝の9時まで目覚め なかった。こうして,船もろとも積み荷をすっかり失ってしまう。同 じ失敗を二回も繰り返した後,三回目の時は親切な女中に教えてもら って,飲み物に薬物が入っていることを事前に知り,まんまと目的を 達することができた。 さて,ジャンネットーにはアンサルドーという大富豪の義父がヴェ ネツィアにいて,貿易をするために資金を出してもらっていた。近頃 このアンサルドーは資金繰りが苦しくなって,あるユダヤ人から融資 してもらっていた。これには条件がついていた。期限までに返済でき ない場合は,アンサルドーの体のどこからでも1ポンドの肉を切り取 るというのである。アンサルドーは期限までに返済できず,金貸しの 訴えによって逮捕された。 妻となった貴婦人を連れて,ジャンネットーはヴェネツィアに帰っ −138−

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た。貴婦人と結婚して今や大富豪となったので,大金を持ってユダヤ 人に会いに行ったが,金はいらないと言われる。「アンサルドーは期限 までに返済しなかったのであるから,契約した通りに1ポンドの肉を 欲しい」と言うのである。ヴェネツィアは法の支配で知られる都市で あり,ユダヤ人の主張は合法的であった。 貴婦人は法官の服装をして,ボローニャで研修を終えたばかりの振 りをした。ジャンネットーとユダヤ人がこの若手法律家に会いに行っ た。「金を受け取って債務者を解放してやれば,人々はいつまでも感謝 するだろう」と法律家はユダヤ人に助言した。裁判が始まって長いや りとりが続いたが,ユダヤ人は頑固に言い分を変えない。最後に,例 の若手法律家が言う。「契約通りに肉を1ポンド取ってもよい。ただし, 血を一滴も流してはならぬ。」 裁判の後で若手法律家にお礼を言おうとした時,手にはめている指 輪を求められたので,しぶしぶジャンネットーは渡した。みんなが家 に帰った後で,貴婦人はジャンネットーの指輪がなくなっているのを 責める。貴婦人は自分の持っている指輪を見せ,あの時にジャンネッ トーと交わした話を復元した。こうして,実際に起こったことをジャ ンネットーは初めて知った。49) 『馬鹿者』という物語に出てくるベルモントの貴婦人は,『ゲスタ・ロマノ ールム』の第195話に登場する姫様に相当し,貴婦人に憧れるジャンネットー は第195話の騎士に相当する。そして,このイタリアの物語に登場する二人の 主要人物は,シェイクスピアの『ヴェニスの商人』で,それぞれポーシャと バッサーニオに相当する。 この物語に姿を見せる悪漢はユダヤ人であり,場所として設定されている のはヴェネツィアである。『ゲスタ・ロマノールム』第195話の場合と違って, 悪辣な金貸しと契約を結ぶのは,主人公自身ではなく主人公の身内である。 そして,それまで正体が分からなかった法律家が実はベルモントの貴婦人で あったと,指輪によって初めてジャンネットーに明らかになる。50)この話は多 −139−

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くの点で『ヴェニスの商人』によく似ている。 1378年のイタリアで成立した『馬鹿者』は,「恐らくシェイクスピアに知ら れていたであろう」と言われ,「シェイクスピアの主要な素材であった可能性 がある」とも言われる。51)すでにこのイタリア話には,「人肉による賠償」を めぐる裁判の話に指輪の話が組み込まれている。足りないのは箱選びの話だ けである。しかしながら,この『馬鹿者』には確かに箱選びの場面はないが, 同じ主旨の場面が別の形を取って仕組まれているのである。52) シェイクスピアの戯曲で箱選びが行われるのは,ポーシャに結婚を申し込 む男たちから一人を選び出すためである。『馬鹿者』に見られる花婿候補者テ ストの場面は,『ゲスタ・ロマノールム』第195話から継承されたものである。 3回にわたってテストをする従来の試験53)は,『ヴェニスの商人』で,3人に それぞれ小箱を選ばせる試験に代えられていている。このことはモチーフの 転換あるいは新モチーフの成立というよりも,古くからあるモチーフの復活 と言える。54) 「人肉による賠償」のモチーフが「悪辣なユダヤ人」または「悪辣な非ユダ ヤ人」のモチーフと結び付いて,「人肉裁判」のモチーフが成立する。ことの 成り行きに深くかかわる賢い女が男に扮して法廷に現れ,誰も思いつかなか った根拠に基づいて,被告に不利な裁判を見事に逆転するのである。55)すでに あった指輪のモチーフと箱選びのモチーフとがこれに加わる。このように, 一つ一つの構成要素はすべて昔から知られていたにもかかわらず,その組み 合わせもすでにどこかで試みられていたにもかかわらず,シェイクスピアの 作った作品は尋常ではない。 作品を少し読んだだけでは気付かなくても,使った可能性のある素材と比 べる作業をわずかでもして見ると,この作者の並外れた人間洞察の深さと表 現力の的確さを察することは難しくない。遥か昔から人間は「人肉による賠 償」をモチーフとする作品を作ってきた。その数は限りがないほどである。 しかしながら,その中で今でも世界中で親しまれているのは,『ヴェニスの商 人』ただ一つである。 −140−

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第三節 民話に見られる「人肉による賠償」 「人肉による賠償」をモチーフとする民話も,ノルウェーとアイスランドで 成立していると言われ,さらにはフィンランドやリトアニアやロシアでも語 られているという。56)多くの言語圏で網羅的に話が集められているわけではな いので,その相互関係について判断できる状態にはない。しかしながら,こ のような民話が存在すること自体が興味深い問題であるので,報告の出てい るものをここでまとめておきたい。 さて,トンプソンによると,シェイクスピアが『ヴェニスの商人』の中で その一部を使った「肉1ポンドの話」は,57)ノルウェーとアイスランドで口承 話として伝わっていて,「シェイクスピアの作品とは関わりがないようである」 と言う。58)シェイクスピアも使った数多くのモチーフがヨーロッパ文化圏の北 辺にも流布していて,シェイクスピアとは無関係に民話が形成されたことに なろう。 トンプソンは続けて,「この種類に属するその他の話で民間伝承の中に入っ ているものもあるが,それらはみな明らかに文学作品から出たもので,本当 の口承昔話とは考えられない」59)と言う。そして,フィンランドとリトアニア とロシアでは,そのような「本当の口承昔話」でないものが「民間の昔話の 中に数えられている」という。60)文学作品に起源があるというなら,どのよう な文学伝統のどのような段階にある話が基にあるかが重大な問題であるはず であるが,この点についてトンプソンのような民話研究者の関心は薄いよう である。 A 北欧の民話に見られる「人肉による賠償」 「シェイクスピアの作品とは関わりがない」とトンプソンが言う話がノルウ ェーで語られている。出来事はトルコを舞台に展開する。妻を手に入れるた めに男が借金をし,その際に自分の肉を1ポンド担保に入れるのである。女 −141−

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きん の重さだけの金を支払うという重量等価の原則は,失われた肉と賠償すべき 人肉の重量が等しいとするインドの伝承を思わせる。 きん 商人がトルコで花嫁を買う。彼女の重さだけの金を支払わなければ ならない。自分の身体の肉1ポンドを担保として金を用立ててもらう。 結婚後に夫は旅に出る。留守中に二人の商人が妻を誘惑しようとする が,妻は彼等をうまくだまして,秘密を守る約束でかえって彼等から 金をまき上げる。 夫の帰りを待って妻は家を飾る。だが夫は誤解して妻を追い出して, 海中へまたは島へ流す。妻は船に救われる。男装してトルコに着くと 夫は牢屋に捕らわれていた。妻は夫を牢屋から出してやるが,夫の債 権者が肉1ポンドを請求している。妻は裁判官として現れて夫を救う。61) ノルウェーに伝わるこの民話で,自分の肉を担保にして金を借りるのは夫 自身であり,したがって訴えられて牢屋に入れられるのは夫である。ここに はアントーニオがいない。したがって,バッサーニオもいない。この話に友 情は関与しないのである。主人公はたまたまトルコへ行った時に花嫁を買っ たのであって,恋い慕って苦労のあげく結婚したわけではない。ここにはポ ーシャもいない。この話に愛情は関与しないのである。当然ながら,三つの 箱は出てこないし指輪の話もない。 しかしながら,結婚するために金が必要になった点,自分の肉1ポンドを 担保にして金を借りる点,訴えられて夫が窮地に立つ点,男装した妻が裁判 官として夫を救済する点など,重要な構成要素が『ヴェニスの商人』に共通 する。しかも,そのような要素の組み合わせさえ,かなり類似したところが ある。 トンプソンの言うように,この話がシェイクスピアの作品とは全く関わり なく成立したものであるなら,『ヴェニスの商人』に使われたモチーフの多く は,16世紀のイギリスで大劇作家が出現するまでもなく,ノルウェーやアイ スランドのようなヨーロッパ北端の国で,民話の素材としていつでも使える ように用意されていたことになろう。そして,同じようなモチーフがいくつ −142−

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か結びついて,似たような民話が自然に発生する状況があったことになろう。 自分に言い寄ろうとする商人を妻が騙したり,夫が妻を海に追い払ったり するのは,このヴァージョンに特有の部分変異ということこになろう。そし て,『ゲスタ・ロマノールム』から『ヴェニスの商人』に至る「肉1ポンドの 話」では,借金返済の期限が厳しく問われるが,このノルウェー民話ではそ れほど厳密に問われることがない。 ノルウェーとアイスランドだけでなく,デンマークにも「肉1ポンドの話」 があって,17世紀に起こったことを伝えると言われる。62)この話でもトルコで 起こったことがきっかけとなる。ノルウェーの話に似て,言い寄ろうとする 商人たちを妻が騙している。借金返済の期限も厳密ではない。興味深いこと に,ノルウェーの話と違って愛情が関与しているし,男装した妻がポーシャ と同じ言葉で金貸しを退ける。 ハンブルクの若い貿易商アンドレアスは,コンスタンチノープルで 見かけたイザベラと結婚したいと思ったが,その父親は娘と同じ重さ きん の金を支払わない限り結婚はさせないと言い張る。アンドレアスは持 っているものをすべて売りつくしたが,必要な額に1ポンド足りない。 「同じ重さのキリスト教徒の肉を7年後に引き渡すなら,1ポンドを用 立ててやる」と言うユダヤ人から金を借りる。 無一文で帰国した息子に父親が激怒し,夫婦は困窮する。三人の立 派な商人が同時にイザベラを愛し,アンドレアスを遠ざけるために, 資金と船を用立てる。商人たちが言い寄り始めると,イザベラはうま く騙して大金持ちになり,自らも商売を始めて繁盛する。 帰国したアンドレアスは裕福になった妻を見て,不倫をしたに違い ないと思い込み,刺し殺そうとする。再び海に出たアンドレアスは海 賊に捕まる。イザベラも海に出て,男の姿で海賊に捕まるが,聡明さ を発揮して信任を得て,アンドレアスを自分の奴隷として受け取る。 アンドレアスは債権者のユダヤ人に偶然に逢い,5年も期限が過ぎた 支払いをせき立てられて苦境に立つ。この件を持ち込まれたイザベラ −143−

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は,「肉を1ポンド取るのはよいが,血を一滴も流すな」と一喝する。 こうして,男の姿をしたイザベラは夫の命を救う。63) B トルコの民話に見られる「人肉による賠償」 トンプソンは言及していないが,「人肉による賠償」のモチーフを使った興 味深い話がトルコ人の間に伝わっていて,エーバーハルト(Volfram Eber-hard)64)が取り上げている。65)イスラム文化圏に伝わる「肉1ポンドの話」と いうところであろうか。66)文化圏が異なるにしても,話を構成する諸要素が同 じであったからか,この話はキリスト教文化圏の「肉1ポンドの話」に似た ところがある。実際のところ,事前に交わした契約も,それが原因で訴訟に 追い込まれるのも,さらには女房が裁判に関与するのも,その判決理由もシ ェイクスピアの戯曲によく似ている。原告に不利な事後の成り行きも『ヴェ ニスの商人』を思わせる。 負債を抱えた若い男が知り合いから資金を借りる。条件として「利 子といっしょに元金を返済しない場合は,1キロの肉を足から切り取 ってもよい」とする。このことが後に法律上の争いに至る。その商人 の妻が「遠方から来た裁判官」(mekke mollasi)として登場して,公判 に立ち会う。その「遠方から来た裁判官」は原告の言い分が正しいと 認める。しかしながら,「切り取る肉は1キロより多すぎてもいけなし, 少なすぎてもいけない」と言う。そこで原告は債権を放棄する。そし て罰金を支払わなければならない。67) しかしながら,この話には決定的な特異点がある。肉を切り取る場所を足 に限定していることである。足ならいくら肉を切り裂かれても,死ぬ心配は ないからである。1キロは少し多すぎるような気がしないでもないが,たと え足を2本とも切り取られても,命を失わずにすむ。原告は被告の命を奪お うとしていないのである。これは他に例を見ない話である。 これまでに論じてきたすべての話で,自分の肉を差し出すということは, 命を差し出すということであった。「人肉による賠償」というモチーフに何ら −144−

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かの普遍性があるとすれば,それはこの点であろう。一見したところ,多く の点でキリスト教圏に伝わる「肉1ポンドの話」によく似ているように見え るトルコの民話も,最も肝心のところでキリスト教版から乖離しているので ある。 トルコで伝わってきた話では,「肉を1キログラムより多く切り取っても少 なく切り取ってもならない」ということになり,このことは『ヴェニスの商 人』でも同じである。ただしポーシャが化けた裁判官の判決では,「きっちり 1ポンドだけ肉を取れ」に先だって「血を流すな」という言葉があり,キリ スト教徒の血を取ることが厳しく禁じられている。68)ところが,トルコに伝わ るイスラム版「肉1ポンドの話」では,血を流すことが全く話題になってい ないのである。 すでに13世紀末の『ゲスタ・ロマノールム』第195話で,「人肉による賠償」 のモチーフは求愛のモチーフと結び付いている。69)ところが,トルコに伝わる 「遠方から来た裁判官」の話では,「人肉による賠償」のモチーフが求愛のモ チーフと全く結び付いていない。ただし,インドに伝えられる話と違って, そして『ゲスタ・ロマノールム』の第195話と同じように,トルコの話にも 「人肉による賠償」の話の中に裁判が組み込まれている。そして,被告に最も かかわりのある女が変装して法廷に登場して,他の人々が思いつかなかった 知恵を出して,絶望的な状況に逆転が起こる。 C 朝鮮の民話に見られる「人肉による賠償」 朝鮮の民話を研究した孫晋泰70)は『朝鮮の民話』を編纂しているが,その中 に,「人肉による賠償」のモチーフを使った話が採られている。この話の伝承 者自身が不思議がっているように,期限内に返却できない場合は肉を取らせ るという条件で高利貸から金を借りたこと,問題が紛糾して裁判に持ち込ま れたこと,関係者に身近な女が「血を流さずに肉を取る」をいう案を思いつ いたこと,この話は重要な局面でシェイクスピアの『ヴェニスの商人』に実 によく似ている。 −145−

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昔,金某と李某という二人の少年がいた。二人は一つの書堂(塾の こと)において勉強し,兄弟のように仲がよかった。ところが彼らが 大きくなって共に一人の娘を思慕するようになってからは次第にその 仲が悪くなった。金某が貧しく李某は富者であったので娘はとうとう 李某の妻となった。金某はいたくそれを恨み,金をためようと決心し て学問を止め,高利貸しその他あらゆる方法を以て莫大な財産を作り あげた。その間に幾年経ったかは分からないが李某の家は次第に衰え た。その上,彼はある親友のためにどうしても千両の金を工面しなけ ればならなかったので,その相談を金某のもとに持ちかけた。金某は 言下にそれを快諾したが,その際に一つの条件を付けた。「私はこの金 を無担保で貸そう。だが期限に返金のできない場合は君の肉を一斤取 ることにしよう」と言うのである。李某は火急の場合ゆえやむなくそ の約束で金を借りた。けれども期限にそれを返すことができなかった。 それなのに李某が肉を切らせないというので,とうとうこの事件は官 廷に持ち出された。 使道(郡守のこと)はこの事件のためいたくなやまされ,食事もと らず煩悶していた。父の様子を見て使道の娘はそのわけをたずねた。 「女の知ったことではない」と初めは取り合わなかったが,あまり娘が 熱心にきくので使道は始終を物語った。娘も幾日かの間それがために なやんだが,別にいい考えは浮かばなかった。ところがある日針仕事 をしているうちに,指の先が針に刺されて血が流れるのを見て大いに 悟るところがあって,父のもとにかけて行き「肉を取る約束はしたけ れども,血を流してもいいという約束はしなかったから,血を流さな いよう一斤の肉を切り取れと金某にいい渡しなさい」といった。この 名判決のためかの使道は名官としてうたわれるようになった。71) 朝鮮で民話を収集していた孫は,1930年の3月に大邱市本町に住む李相! からこの話を聞いた。72) この話を知ったいきさつについて李は特に言葉を添え, 「シェイクスピアのヴェニスの商人の話と酷似しているけれども,これは私が −146−

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子供の時に家の下女たちよりよく聞かされた話で,決して近頃の輸入説話で なく朝鮮在来の説話と固く信ずる」と言っている。73)この民話が採取されたの は1930年であるから,李が子供の時に「下女」たちから話を聞いたのは,遅 くとも20世紀の初めであろう。 つぼうちしょうよう 1930年頃の朝鮮で知識人なら坪内逍遥訳でシェイクスピアを読んでいたで あろうが,20世紀の初めに「下女」たちが属していたのは伝統的な儒教社会 であり,西洋文化と全く縁のない世界である。この話が「朝鮮在来の説話で ある」と李が言うのはもっともである。そうすると,この話に出てくる「血 を流さずに一斤の肉を切り取れ」という言葉は,キリスト教の伝統と関係が ないということになろう。 『大智度論』系の話にせよ『百喩經』系の話にせよ,仏典から入った説話を 基に高利貸や裁判が出てくる民話が朝鮮で成立したとは考えにくい。そして, 中世以来のヨーロッパの民話伝承が昔の朝鮮半島に伝わっていたとはもっと 考えにくい。やはり李の言うように,『ヴェニスの商人』と偶然に似た話が19 世紀以前の朝鮮でたまたま独自に発生したのであろうか。 非キリスト教圏のトルコでも「肉1ポンドの話」が民話として語られてい る。話を構成する要素の多くが近隣のヨーロッパから伝わったのであろう。 しかしながら,20世紀初頭以前の朝鮮はヨーロッパから最も遠い国である。 そうすると,人肉を担保にして金を借りた男が返済できずに窮地に立った話, 「血を流さずに一斤の肉を切り取る」というアイデアを女が出したお陰で救わ れた話は,ヨーロッパの説話伝承とは全く無関係に偶然に発生したことにな ろう。何とも不思議で不可解なことである。 D 中国で伝えられる「半額で半死」の話 中国では仏教文献に伝えられ高潔な人物が登場するシビ王の話が好まれた が,これを基にしてパロディー版が作られ,愚かで卑しい人物が登場する。 民話として伝えられているのは,文献に残るパロディー(第一節CD)をさら に茶化したものとも言うべきで,作られた年代は分からず,これが文字化さ −147−

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