﹃
御
文
﹄
にみる蓮如の女人理解
大谷派沼
波
芳
子
はじめに そもそも仏教には、﹁変成男子﹂・﹁五障三従﹂という語に象徴されるように、女人への差別があるのではないか ということが指摘されているが、蓮如の女人観についても、従来から同様の指摘がなされるところである。 すなわち、蓮如の門徒勧化の中心をなす﹁御文﹄は二五二通にも及ぶが、その﹃御丈﹄をみると、特に女人への 並々ならぬ熱意が感ぜられる一方で、その﹃御文﹂ の中において蓮如は女人に対して多くの場合﹁五障三従﹂の語 を用い、﹁アサマシキ女人﹂︵必︶とか﹁一文不知ノ尼女房﹂︵出・五ノ二乙などと表現しているために、蓮知に女 人への差別意識・蔑視意識があったのではないかと批判的にみる見解があり、近頃では、該当する﹃御文﹄の拝読 をとりやめたり、該当箇所を読みかえて拝読するということまで行われている。 そこで、私は、今回、蓮如の女人理解について考察するにあたって、﹃御文﹄の文章について、﹁五障三従﹂をは じめ主だった語や表現方法を精査することを通して、今までの諸先学とは異なった視点から考察し、蓮如の女人に 対する意識について確認したい。一
﹁御文﹄にみる蓮如の女人理解 四 なお、﹃御文﹄は堅田修氏編﹁真宗史料集成﹂第二巻︵一九七七年・同朋金口︶による。よって、﹁御丈﹂ の ヲ | 用 あたっては、同書の一連番号を記し、併せて﹃五帖御丈﹄所収分は帖・通数を、帖外分はその番号を記した。ただ し、この二五二通の中には同文、同類小異、類似の﹃御文﹄もあるが、今はそれらをまとめて一通とはせず、それ ぞれを一通として扱うこととする。
一
、
﹁
五
障
三
従
ノ
女
人
﹂
蓮如の﹁御文﹄をみると、勧化の対象について、﹁十悪五逆ノ罪人﹂︵捌︶とか﹁造悪不善ノ衆生﹂︵苅︶のよう にすべての衆生を指す表現の他に、男女を並べて一言う表現も多くある。このうち、単に男女を指すものは、﹁男女 老少﹂︵町︶という表現が七例、﹁道俗男女﹂︵む︶という表現が一五例、その他﹁男子モ女人モ﹂︵捌︶などが一一 例と、合わせて二二例見られる。 こ れ に 対 し て 、 ﹁ 一 切 ノ 悪 人 女 人 ﹂ ︵ 却 ︶ のように、﹁悪人﹂﹁罪人﹂﹁凡夫﹂等の語に並列的に﹁女人﹂を並べた つまり、﹁悪人﹂﹁罪人﹂﹁凡夫﹂といえば、男女共に含んだ一切衆生を指しているにもかかわらず、 表 現 が あ る 。 その上に更に重ねて﹁女人﹂を言うものである。換言すれば、﹁悪人﹂だけでなく﹁悪人女人﹂という表現で一切 衆生を指すのである c この意味からいえば、﹁悪人﹂の語は男子を指し、﹁女人﹂と分けているともいえるのである。 こ の こ と は 、 ﹁ 十 悪 五 逆 ノ 罪 人 モ 五 障 三 従 ノ 女 人 モ ﹂ ︵ 創 出 ︶ と ﹁ : : : モ : : : モ ﹂ と い う 並 列 表 現 か ら も う な ず け る と ころである。このように、女人をも含む﹁悪人﹂﹁凡夫﹂等の語にあえて﹁女人﹂の語を重ねて、﹁悪人女人﹂と語 るところに、蓮如の女人への並々ならぬ思いが感ぜられるのである。蓮如には、女人に向けての﹃御丈﹄も多く、 またそうでない ﹃御丈﹂においても女人に言及するところは非常に多く、このことからも蓮如が、 一 切 衆 生 を 勧 化の対象としつつも特に女人に目を向けて、熱い眼差しで勧化していることがうかがえるのである。 さて、このように﹁悪人女人﹂と並列する表現は三二例を数える υ この中、大半を占めるのが﹁十悪五逆の罪人 ︵ 悪 人 ・ 衆 生 ・ 凡 夫 ︶ 五障三従の女人﹂という表現で、二一例ある。 つまり、悪人・罪人︵男子を指すと考えられ る︶等については﹁十悪五逆ノ﹂と形容し、女人については﹁五障三従ノ﹂と形容する。さらに、﹁罪悪生死ノ凡 夫 、 五 障 三 従 ノ 女 人 ﹂ ︵ 臼 ︶ のように、凡夫︵悪人・罪人・衆生︶については別の形容語を用いながらも女人につ いては﹁五障三従ノ﹂と形容する用例が四例あり、女人だけを指す場合においても﹁五障三従ノ﹂と形容する用例 は四例あって、女人について﹁五障三従ノ﹂と形容する用例は合わせて二九例になる。もちろん、単に﹁女人﹂と いう場合も多くあるが、なにがしかの形容をする場合には、女人については﹁五障三従﹂という語を必ずといって よいほどに用いているのである。 ところが、悪人を形容する﹁十悪五逆﹂と違って、﹁五障三従﹂は女人にとっていかんともし難い、言い換えれ ば女人自身が責任を負うべきことではない。この﹁五障三従﹂を女人の代名詞のように用いる蓮如に女人への蔑視、 一面からいえばもっともかもしれない。しか し、蓮如が生きた時代は、現実生活の中でまさに女性は差別され、虐げられていた時代であった。しかも、﹁﹁五 ︵ 4 ︶ 障﹂﹃二一従﹂というのは、室町時代の仏教における通念であっ﹂た。また、例えば﹃梁塵秘抄﹂は、﹁当時の全国に ︵ 5 ︶ 流行した今様を集めているから、その用語には、当時の庶民の日常性が言葉の上に現れると考えられる﹂のであり、 その今様は、﹁多くの人々の生きる日々の苦悩から発した信仰の歌謡となったものであ︵記﹂のであるが、その今様 差別視の意識があったとして、それを指摘する見解が出されるのも、 に も 、 沙掲羅王の女だに、生まれて八歳といひし時、 一 乗 妙 法 聴 き 初 め て 、 仏 の 道 に は 近 づ き し ︵ 一 一 一 一 一 ︶ ・女人五つの障り有り、無垢の浄土は疎けれど、蓮花し濁りに聞くれば 龍女も仏に成りにけり︵一一六︶ ﹃御文﹂にみる蓮如の女人理解 五
﹃御文﹄にみる蓮如の女人理解 ム ノ、 ・龍女は仏に成りにけり、などか我等の成らざらん、 五障の雲こそ厚くとも、如来月輪隠されじ︵二
O
八 ︶ ・龍女が仏に成ることは、文殊の誘へとこそ聞け、さぞ申す、沙掲羅王の宮を出でて、変成男子として遂には 成 仏 道 ︵ 二 九 二 ︶ とうたわれていることからも、当時の社会の中で、﹁変成男子﹂と共に﹁五障三従﹂の認識も広く流布していたこ ︵ 8 ︶ とであることを物語っている。 そうした時代背景の中で、蓮如は、﹁実母との生別、継母との確執、また吉崎進出の頃までに二番目の妻と四人 ︵ 9 ︶ の子女に死別するという人生の深い悲しみ﹂も相侯って、女人への熱い思いを抱き、ひたすら女人の救いを説いた の で あ る 。 そもそも、何事も、その時代性というものに留意しつつ理解をしなくてはならないことは言を侯たない。﹃枕草 子﹄において、下衆の家に月の光が差し込むことに嫌悪を示した清少納言を、差別思想の持ち主であると非難する であろうか。女性遍歴を重ねる光源氏を不道徳だと批判するであろうか。蓮如の用語を時代性という点からとらえ ︵ 凶 ︶ ︵ 日 ︶ るべきだということについては、稲葉秀賢氏や池田勇諸氏をはじめ、多くの研究者が言及しているが、その中、加 来 知 之 氏 は 、 ﹁御丈﹂は、当時の仏教の通念や女性に対する差別事象を背景にして語られているものであり、また手紙であ るから基本的に宛先となる特定の個人や講を念頭において書かれている。だからその文脈を離れては、本来の 意図が伝わらない。当時の女性差別を当然とする社会の中で、﹁五障・三従﹂を、観念や知識としてではなく、 現実の差別事象として身にしみて体感している女性達にとって、蓮如上人の﹁御丈﹂の言葉は解放力を持ち得 たのであり、現代とは状況が違うと言わざるを得ない。・:︵中略︶:・御文の本意を十全に汲み取るには、歴史 的文脈にまで一戻って、その言葉を味わう必要があろう。と 述 べ て い る 。 ま た 、 池 田 勇 諦 氏 も 、 いったい今日私どもがどこで蓮如上人にかかわるのか、蓮如上人に学ぶのかということが改めて問われてまい りますが、それは少なくとも次の二つの側面を内容とした視点、そこでかかわることにおいてだけ、初めて正 しい蓮如上人へのかかわりが成り立つのではなかろうかと私には思えます。そのこつというのは何かと申しま す と 、 一つは﹁立場性﹂という側面です。蓮如上人の身をおかれたお立場です。立場性という側面が一つ考え られます。それから今一つは﹁時代性﹂という側面です。蓮如上人の生きられた室町時代の、日本文化の暗黒 期といわれる、あの時代性をふまえた時代教学性であります。この側面が深く留意せられるということを中身 とするようなかかわり方の場というものが、私どもにはっきり見定められてこなくてはならないのではなかろ ︵ 日 ︶ うかと私は思います。 と 述 べ て い る 。 すなわち、蓮如が﹃御文﹂において王法を尊重し領主に従えと説くことについては、時代件ととらえて誤りだと は非難せず、蓮如が﹁五障三従﹂の語を用いたことだけを時代性を無視して批判することはおかしいと言わねばな らない。何事も、時代の中で語られたことに留意し、時代性を考えずして判断することは厳に慎まなければならな ︵ 日 ︶ つまり蓮如は、女人が差別に苦しんでいた現実の社会状況を認識する意味において、﹁五障三従﹂な い の で あ る 。 ど の 、 一見、差別的な語を用いたのである。 しかも、蓮如は、女人は﹁五障三従﹂の身であると心底からとらえていたのではないのである。この点について、 次 に 考 察 す る 。 ﹃御文﹄にみる蓮如の女人理解 七
﹁御文﹂にみる蓮如の女人理解 i
へ
一
一
、
﹁
五
障
三
従
ト
テ
﹂
さて、蓮如は女人に対して﹁五障三従﹂という語を合言葉のように用いているが、果たして蓮如自身は女人を ﹁五障三従﹂の身であると認識していたのであろうか。何度も繰り返すが、たしかに蓮如は女人に対しては常に ﹁五障三従ノ﹂という表現を用いている。しかし、そのような用例のほとんどが﹁五障三従ノ女人﹂と端的な表現 である中で、次のような表現が三例みられる。 オホヨス当流ノ信心ヲトルヘキオモムキハ、 マ ツ ワ カ 身 ハ 女 人 ナ レ ハ 、 ツミフカキ五障三従トテアサマシキ身 一 一 テ 、 ステニ十方ノ知来モ、三世ノ諸仏モステラレタル女人ナリケルヲ、 カタシケナクモ弥陀如来ヒトリヵ、 ル機ヲスクハントチカヒタマヒテ、 ステニ四十八願ヲオコシタマヘリ。︵m
− 一 ノ 十 ︶ 女人は﹁五障三従﹂といって罪深くあさましき身であるというのであるが、ここで注意したいのは、﹁五障三従 トテ﹂とある﹁トテ﹂という語である。﹃日本国語大辞典﹄︵平凡社︶をはじめいくつかの辞書によって﹁とて﹂と いう語の意味を調べると、次の如くである。︵例文は﹁御丈﹂から出す︶ 一 、 格 助 調 ① 他 の 言 葉 ・ 丈 を 引 用 し て 、 下 に 続 け る 。 ︵ : : と 言 っ て 、 : : : と 思 っ て ︶ ・アリカタクオホヘハンヘレトテ、此山中ニカヘラントセシカ︵叩・帖外 6 ︶ ・コレマテニテ候トテ、イトマ申ストイヒテ︵雌︶ ② 体 言 に つ い て 、 事 物 の 名 を 表 わ す 。 ︵ ・ : : と い う 名 で 、 : : : と い っ て 、 : : : と し て ︶ ・南大門北大門トテ南北ニ其名アリ ︵ お ・ 帖 外 日 ︶法性真如ノ城トテ日出殊勝ノ世界︵山・帖外お︶ ③ 理 由 ・ 原 因 を 表 わ す 。 ︵ ・ ・ : と い う の で 、 : ・ : か ら と い っ て ︶ ・サテアルヘキコトナラネハトテ、野外ニオクリテ︵
m
・ 五 ノ 十 六 ︶ ・無下ニサ様ニセラルマシキモノヲトテ、城榔ヲカマヘ ︵m
︶ ④ 動 作 の 目 的 を 表 わ す 。 ︵ : : : と し て 、 : : : と 思 っ て ︶ ・ コ レ ヲ タ ス ケ ン カ タ メ ニ ト テ 、 五劫カアヒタ思惟シ、永劫カアヒタ修行シテ︵附︶ 仏法聴聞ノタメニトテ、人数オホクアツマリタラン時モ ︵ 凶 ・ 四 ノ 五 ︶ 二、接続助詞 ① 逆 説 の 仮 定 を 表 わ す 。 ︵ た と え : : ・ と し て も 、 ・ : ・ て も ︶ ・今日無為ナレハトテ、アスモシラサル人間ナレハ ︵ 川 ・ 帖 外 部 ︶ ﹁御丈﹄には﹁トテ﹂という語は計三九例用いられているが、その中、 一 ー ② の 用 例 が 最 も 多 く 、 ﹃御文﹂︵却・一ノ十︶についてみてみると、ここも一ーー②の意味である。すなわち、﹁五障三 一 六 例 み ら れ る。さて、引用の 従という言葉で言われているように﹂、﹁五障三従と称されているように﹂、﹁五障三従と世間で言われているよう に ﹂ 、 と い っ た 意 味 で あ る 。 同 じ 表 現 は 、 他 に 、 ・ オ ト コ ニ ツ ミ ハ マ サ リ テ 、 五 障 一 二 従 ト テ フ カ キ 身 ナ レ パ 五障三従トテオトコニマサリテヵ、ルフカキツミノアルナリ︵出・五ノ七︶ ︵ 日 ・ 帖 外 辺 ︶ ・ 女 人 ノ 身 ハ 、 の 二 例 が あ る 。 ﹃ 御 文 ﹂ に は 、 罪ヲイヘハ十悪五逆詩法聞提トテ、 コレニスクレテフカキハアルヘカラス ︵ 訂 ︶ ﹃御文﹄にみる蓮如の女人理解 九﹃ 御 文 ﹂ に み る 蓮 如 の 女 人 理 解
。
と﹁十悪五逆誘法闇提トテ﹂と用いた用例もみられ、これも、﹁十悪五逆詩法闇提という言葉で言われているよう に﹂、という意味である。すなわち、蓮如自身が、女人は﹁五障三従﹂の身であると決め付けているのではない。 従来言われてきた、世間で言われている﹁五障三従﹂という語を引用して言っているのである。蓮如自身の認識で はなく、仏教の中で言われてきた表現を、仏教界、また世間でそのように言われている、そのことを引いて語って いるのである。繰り返すが、蓮如自身が女人を﹁五障三従﹂の身であると断じているのではないのである。 つ ま り 、 蓮如にとっては、﹁五障三従﹂は女人を表わす、従来から言われてきた言葉としてとらえているのである。たしか に、ほとんどすべては﹁五障三従ノ女人﹂というだけの端的な表現であるが、この﹁五障三従トテ﹂という表現に 蓮如の﹁五障三従﹂についての認識をみる時、他の﹁五障三従ノ女人﹂という端的な表現についても、﹁五障三従 トテ﹂と同じ意識で使われていると受け取れるのではなかろうか。ここに蓮知の﹁五障三従﹂についての認識を知 るのである。したがって、その前後の文も、この観点に立って読むことが必要である。例えば﹁オトコニツミハマ サ リ テ : : : フ カ キ 身 ﹂ ︵ 日 ︶ 、 ﹁ オ ト コ ニ マ サ リ テ : ・ フ カ キ ツ ミ ノ ア ル ナ リ ﹂ ︵ 出 ︶ も 、 ﹁ 五 障 三 従 ﹂ に つ い て の 蓮 如の認識と同じ視点から読み解くべきである。加来知之氏も、 同じ﹁五障・三従﹂という言葉が使われていても、﹁差別されるべきである﹂あるいは﹁差別されて当然であ る﹂と肯定的に主張するのと、﹁現に差別されている﹂ということを械土における女性の現状と確認した上で、 弥陀の本願による救済には老若男女貴賎の区別はない、と否定的に主張するのとでは、やはり言葉の機能が異 なるというべきである。蓮如上人の﹁御丈﹂の言葉は、﹁他の仏教から五障の存在と差別され、この差別的社 会において男性に従属すべきものとして虐げられている女性よ﹂というように、女性に対して差別的になった 仏教や差別的社会に排除され庇められて苦しむ女性への呼びかけと聞き取ることができる。 と 述 べ て い る 。さらに、池田勇諦氏は 蓮師の場合、女性に対する蔑視の現実を、蔑視から生じた﹁五障・三従﹂の語をもって把握した点は 万三
祖
と・筆者注︶同様であるが、既述のごとく当時の女性の役割と実態とを直視することによって、何よりもそう した女性たちに宗教的解放を願われたことでなかったろうか。蓮師における女性勧化の焦点が・:︵中略︶:如 来大悲の平等の救いの強調にあったことは、その証左と言えるであろう。そのかぎり蓮師は、五障・三従の語 をもて却って五障・三従を超えていこうとされたのではなかったか。:︵中略︶・:蓮師のそれは広く女性に宗 教的平等を説くものとして、女性のよき理解者であったことが見落とせないであろう。 と、蓮如は﹁五障・三従の語をもて却って五障・三従を超えていこうとされた﹂のであるととらえているのである。一
、
﹁
ワ
レ
ラ
悪
人
女
人
﹂
また、蓮如が﹁ワレラ女人﹂という表現を用いて、自らを含む同じ凡夫として女人をとらえていることは、すで に先学によって指摘されているところであるが、今、女人に限らず用いられている﹁ワレラ﹂という一人称複数 ︵ ﹁ 私 た ち ﹂ の 意 ︶ の語は、﹁ワレワレ﹂という同義の語も含めて ﹃ 御 丈 ﹄ 全 体 で 二OO
例用いられている。そのう ち 我ラモ八十余リニマカリナリ候へトモ ︵ 問 、 蓮 如 を 含 め て 坊 主 分 を 指 す ︶ のように、蓮如を含む特定の限られた人々を指す用例が三例、 トシコロ我等カコ、ロエノオモムキハ ︵4
・ 帖 外4
、 ﹁ ア ル 俗 人 ノ 二 人 ﹂ を 指 す ︶ のように、蓮如の一言葉ではなく特定の限られた人々の言葉︵したがって、蓮如を含まず特定の人々への言葉︶ で あ ﹃御文﹄にみる蓮如の女人理解﹁御文﹄にみる蓮如の女人理解
一
︵ 口 ︶ る用例が二七例あり、蓮知自身の言葉は一七O
例である。しかもそれらのほとんどが、女人に限る場合も含めて衆 生を指すものである。蓮如も含めた衆生を指す﹁ワレラ﹂という一人称複数の意の用例が非常に多く用いられてい ることは、蓮如が自らを勧化の対象たる衆生と同じ凡夫という立場に立っていたことを、用語の上からも知ること が で き る の で あ る 。 さて、蓮如が﹁ワレラ女人﹂というような表現を用いて、蓮如自身を含む凡夫として女人をとらえている直接的 表 現 は 、 ・ ワ レ ラ コ ト キ ノ ア サ マ シ キ 女 人 ︵ 叫 ︶ ・ 弥 陀 如 来 ノ ワ レ ラ ヲ タ ス ケ タ マ フ 御 恩 ︵ 女 人 へ の 説 一 不 −m
− 一 ノ 十 ︶ など九例で、すべて女人への勧化の﹃御丈﹂ で あ る が 、 他 の 一 六 一 例 は 、 ﹁ 我 等 凡 夫 女 人 ﹂ ︵ 苅 ・ 一 二 ノ 一 ︶ や ﹁ 一 切 のように、﹁女人﹂の語を含む用例も含めて、蓮如自身を含む衆生を指す用例である。 ﹁ワレラ女人﹂という直接的表現はわずか九例であるが、先に述べたように、﹁悪人女人﹂という表現のように、す 我 等 女 人 悪 人 ﹂ ︵ 附 ・ 五 ノ 六 ︶ べての衆生を一不す﹁悪人﹂や﹁凡夫﹂という語に更に重ねて﹁女人﹂という語を絶えず用いるところに、蓮如の勧 化の対象の中心が女人にあったことが理解されるのである。このように蓮如は、勧化の対象である衆生と同じ凡夫 として自身をとらえているのである。換言すれば、蓮如自身も勧化を受ける罪悪深重の衆生の一人として自身をと らえているのであるが、蓮知の勧化の対象の中心が女人にあったことから考えれば、蓮如が女人と同じ立場に立つ て、すなわち、自らも女人の側の一人として共に自らの勧化を受けていこうとしていたのである。蓮如は、自身を 高みにおいて衆生へ教えを垂れるというのでは決してなく、どこまでも自ら罪悪深重の衆生の中の一人として、共 に教えを受けていこうとしたのである。このことは、親驚が、 ︵ 出 ︶ い し ・ か わ ら ・ つ ぶ て の ご と く な る わ れ ら な り ︵ ﹁ 唯 信 紗 文 意 ﹄ ︶ということに通ずるものである。 田 代 俊 孝 氏 は 、 われわれは一般的に、蓮如上人は五障三従と言って女性を蔑視していたのだというふうに、短絡的にとらえて いますけれども、実はそうではないのだということです。:︵中略︶・:蓮如上人の態度はどうかといいますと、 蓮如上人は﹁あきましきわれら凡夫女人﹂と言われて、御自分は女性の側に立っておられるのです。けっして 男性の側から、高いところから言っているのではないのです。今日われわれが差別の問題を考えるときに、や はり差別をされている側に立つという姿勢が大事だということを教えられるのですけれども、それと同じよう に、蓮如上人は女性と同じところに身を置いておられたということがはっきりしているのです。また、このこ とは、女性を男性に比較して﹁あさましき凡夫女人﹂と言っているのではないということです。阿弥陀仏に対 して﹁あさましきわれら凡夫女人﹂と言っておられるのです。﹁機の深信﹂として言っておられるということ ︵ 円 ︶ で す 。 と、蓮如が﹁ワレラ﹂と、女人を含めたすべての衆生の側に立っていたことの意味をとらえ、﹁機の深信﹂として の言であるととらえているのである。 四 ﹁ : : : ヘ シ ﹂ ・ ﹁ : : : ヘ キ モ ノ ナ リ ﹂ さて、このように自らを罪悪深重の凡夫、中でも特に女人の中の一人として身を置く蓮如は、当然のことながら、 悟りきった者が上から下へ教え諭すというような立場には決して立っていない。それは﹁御丈﹂ の文章に命令口調 がほとんどないことからもうかがうことができるのである。 ﹁御文﹄にみる蓮如の女人理解
一
一
﹃御文﹄にみる蓮如の女人理解 四 ﹁御丈﹄に用いられている命令形はすべてで九例あるが、そのうち、﹁心得候ヘトサツケタリ﹂︵関︶と﹁江州堅 固ニ御ワタリ候ヘト申セハ﹂︵胤・帖外却上半︶の二例は直接に衆生への命令ではない。他の七例が直接に命令す る 用 例 で あ る 。 ・アヤマリテ詩スルコトナカレ︵お・一ノ十四︶ ・ 世 間 ノ 仁 義 ヲ ム ネ ト シ 諸 宗 ヲ カ ロ シ ム ル コ ト ナ カ レ ︵ ∞ ∞ ︶ ソ シ リ ヲ ナ サ 、 レ ︵ 問 ・ 四 ノ 四 ︶ −アヒカマヘテ偏執ヲナス事ユメ/\ナカレ︵同・四ノ四︶ ・御耳ヲスマシテ御キ、候へ︵巾・夏の御文
2
︶ −ネンコロニ聴聞候ヘ﹂︵問・夏の御丈3
︶ ・ ノ チ ニ 見 人 、 モロ/\ノ仏神等ヲモオロカニカロシムルコトナカレ︵四︶ こ の う ち 、 ︵ 市 ︶ と ︵ 問 ︶ は 敬 語 を 用 い た 命 令 で あ る が 、 ︵巾︶は蓮如が﹁これからわたしが申し上げることを、耳を い ﹂ と い う の で あ っ て 、 ︵問︶も同様に、﹁わたしが申し上げることをしっかりとお聞きくださ い ず れ も 教 え の 中 に お い て 命 令 す る も の で は な い 。 ︵ お ︶ と ︵ ω ∞ ︶ は 諸 宗 を 誹 詩 す る こ と を 戒 澄ませてお聞きください﹂というのであり、 めるものであり、︵問︶も、時代環境の中にあって仏神を軽んずるなと戒めるものである。また、︵問︶の二例は蓮如 の ﹁御丈﹂について自ら﹁卑劣ノ此コトノ葉ヲ筆ニマカセテカキシルシ﹂たものであるから、﹁後に見る人、誇る ことをするな﹂といい、﹃御文﹂に﹁偏執することは決してするな﹂というのである。 つまり、直接に命令する意 味で用いられている命令形は、すべて教えを説く中において命令するものではないのであり、しかも、﹃御丈﹂全 二五二通の中でわずか七例である。 このように直接の命令形を全く用いていないといえるが、それに代わって蓮如が多く用いたのは﹁ベし﹂である。助動調﹁ベし﹂にはいろいろな意味があるが、そのうち教えを説くのではないところでは、推旦一・適当・椀曲・可 能・意思等の意味でも用いられている。しかし、蓮如が教えを説くところでは、命令もしくは当然の意味での用例、 つまり﹁・・:べきである﹂と訳す用例が非常に多く用いられている。そのほとんどは﹁:::ヘシ﹂、もしくは打消 に 続 い て ﹁ ・ : ・ ヘ カ ラ ス ﹂ と い う 用 い 方 で あ り 、 例 え ば 、 ・タトヒ名号ヲトナフルトモ、仏タスケタマヘトハオモフヘカラス ・信心決定ノ因ハオコサシムルモノナリトシルへシ︵
2
・ 帖 外2
︶ な ど で あ る 。 ﹁ : : ・ ヘ カ レ ﹂ ﹁ : : ヘ カ ラ サ レ ﹂ と い う ﹁ べ し ﹂ ﹁ ベ し + ず ﹂ ︵ 1 ・ 帖 外 l ︶ の命令形は使われていない。ところで、 このように直接に命令形を用いないで﹁・:べし﹂を用いるということは、蓮如が教えを命令口調で説くのではな 一歩下がったところで説いていることを物語っている。﹁:::せよ﹂と迫るのではなく﹁:::すべきである﹂ と勧める違いである。さらに、命令形は相手に強制するのに対して、﹁:::すべきである﹂左いうのは、自分自身 く においてもそうすべきであると考え自らにも受け取る物言いである。 さて、この用例は ﹃ 御 文 ﹂ 全 体 で 実 に 四O
六例を数えるが、そのうち、﹁モシハ仏法者トミユルヤウニフルマフ ヘカラストコソ ︵ 聖 人 は ︶ オ ホ セ ラ レ タ リ ﹂ ︵ 判 ・ 二 ノ 二 ︶ のように親驚の言葉七例を含めて、他人の言葉であっ て蓮如の言葉ではないものが一九例あり、蓮如の言葉であるものは三八七例である。 一方で、﹁べし﹂を用いながらも﹁:::ヘシ﹂﹁:::ヘカラス﹂といった﹁ベし﹂で終わる用例とは異なり、 ﹁::・ヘキモノナリ﹂﹁:::ヘキナリ﹂といったように、﹁べし﹂に助動詞の﹁なり﹂が続いた用例がある。この用 例と同類といってよい﹁:::ヘキコトナリ﹂とか、﹁:::ヘキニ候﹂と﹁なり﹂に続けて敬語の補助動詞﹁候ふ﹂ が続くものも含めて、この用例は ﹃御文﹄全体で三二九例みられ、このうち蓮如以外の言葉は一例で、蓮如の一言葉 としては三二八例である。この用例は﹁:::すべきもの ︵ ヲ ﹂ と ︶ で あ る ﹂ と 訳 す の で あ り 、 や は り ﹁ : : : せ よ ﹂ と ﹁御文﹄にみる蓮如の女人理解 五﹃御文﹄にみる蓮如の女人理解 ー ム ノ、 いった命令口調から一歩下がった物言いであることは﹁:::ヘシ﹂と同様であるが、﹁:::ヘシ﹂の用例よりも更 に 一 歩 下 が っ た 、 一段と柔らかなニュアンスで語っているのである。また、自分自身もそう考え自らにも受け取る 物 言 い で あ る こ と は 、 ﹁ : : : ヘ シ ﹂ と 同 様 で あ る 。 つ ま り 、 ﹁ : : : へ シ ﹂ は ﹁ : : : せ よ ﹂ と い う 命 令 形 を 用 い た 物 言 い よ り も 一 歩 下 が っ た 物 言 い で あ り 、 ﹁ : : : ヘ キ モノナリ﹂は﹁:::へシ﹂よりも更に柔らかな物言いになっており、次第に命令口調が薄らいでいっていると言え
ょ 、 っ
。
このようにとらえた上で、﹁:::ヘシ﹂と﹁:::ヘキモノナリ﹂とについて更に検討すると、まず、蓮如の言葉 の﹁:::ヘシ﹂の用例三八七例のうち、教義上のことではなく、世間・世俗のことや教義とは関係のない用例が七 四 例 あ る 。 こ の 用 例 は 、 他宗他人ニ対シテコノ信心ノヤウヲ沙汰スヘカラス ︵ 必 ・ 二 ノ 二 ︶ ・内心ニハ他力ノ信心ヲフカクタクハヘテ、世間ノ仁義ヲ本トスヘシ︵臼︶ ・王法ヲ先トシ、仏法ヲハオモテニハカクスヘシ︵槌︶ のように、時代環境の中で世俗のことについての制戒が大部分である。教えを説く上での用例はコ二三例になる。 それに対して﹁:::ヘキモノナリ﹂の用例では三二八例のうち教義上のことではない用例は、 ・右此十一ヶ条於背此制法之儀者、堅衆中可退出者也︵刊・帖外げ︶ ・ 此 当 山 ヘ 出 入 ヲ 停 止 ス ヘ キ モ ノ ナ リ ︵ 日 ・ 二 ノ 一 一 一 ︶ −イヨ/\公事ヲモハラニスヘキモノナリ︵町・二ノ十︶ などのわずか一九例で、教えを説く上での用例は三O
九 例 と な り 、 ﹁ : : : ヘ シ ﹂ と ほ ぼ 同 数 で あ る 。 つまり、蓮如 は、直接の命令形を用いて上から下へ命令口調で教えを説くのではなく、﹁べし﹂を用いて一歩下がった立場から教え諭すのであり、さらに一層椀曲的な﹁:::へキモノナリ﹂という表現で柔らかに説いているのである。 ま た 、 そ れ ぞ れ の ﹁ 御 文 ﹄ の末尾︵﹁アナカシコ/\﹂の前を指す︶に注目すると、末尾に﹁:::へシ﹂が来る ものは一一通であるのに対して、﹁::ヘキモノナリ﹂︵同類の表現を含む︶で末尾を結ぶものは一二五通であり、 の半数は﹁:::ヘキモノナリ﹂︵同類の表現を含む︶で結ぼれているのである。すなわち、 全 二 五 二 通 の ﹃ 御 文 ﹄ 蓮 如 は 、 一通の﹃御文﹄を結ぶにあたって、厳しく命令口調で結ぶのではなく、より一層穏やかで柔らかく聞える 表現を用いたのであり、そこに蓮知の思いがみられるのである。先にみたように、高みから見下ろして説くのでは なく、﹁ワレラ﹂という表現を用いて自らをも勧化の対象の一人としてその中に身を置き、自らも教えを受ける罪 悪深重の衆生の一人として、教えの前に頭を垂れる蓮如であった。その思いがあったればこそ、おのずから﹁:: せよ﹂と命令口調で説くようなことはあり得ず、ア・:べきことである﹂と柔らかく穏やかに諭すような表現とな り、また、自分自身もそう考え、自らにも受け取る表現となったのである。ここに、﹁御文﹄ の勧化の対象の中心 が女人であった蓮如が、自らも女人の中の一人として、共に自らの勧化を受けていこうとしている姿をみるのであ る この点について親驚においてはどのようであろうか。まず、﹃教行信証﹂において、引丈を除いて御自釈の部分 に つ い て み る と 、 ・穣を捨て浮を欣ひ、行に迷ひ信に惑ひ、心昏く識寡なく、悪重く障多きもの、特に如来の護遣を仰ぎ、必ず 最勝の直道に蹄して、専ら斯の行に奉へ、唯だ斯の信を崇めよ。:・︵中略︶:・誠なるかなや、掃取不捨の員 ︵ 初 ︶ 言、超世希有の正法、開思して遅慮すること莫れ。︵総序︶ ・海邦を欣ふ徒衆、穣域を厭ふ庶類、取捨を加ふと難も、致誇を生ずることなかれ。︵別序︶ など、わずかに使われている他には命令形はなく、また﹁ベし﹂も少なく、ほとんどが断定の﹁なり﹂で文が結ば ﹃御文﹂にみる蓮如の女人理解 七
﹃ 御 文 ﹄ に み る 蓮 如 の 女 人 理 解 ; , 、 れている。このことは、他の漢文のものでも同様であるが、これはそれぞれの書が教義を説く目的であるからで、 当然のことである。そこで﹃御文﹂に近い文体と思われる書簡、すなわち﹁御消息集︵広本︶﹄、﹃同︵善性本︶﹄、 ﹃ 同 拾 遺 ﹄ 、 ﹃ 血 脈 文 集 ﹂ 、 さ ら に ﹃ 末 燈 妙 ﹄ に つ い て そ の 文 末 を み て み る ︵ 目 、 ﹁ べ し ﹂ の 用 例 は 、 ﹁ 広 本 ﹄ で は ﹁ べ し﹂二七例、﹁さふらふ+ベし﹂四二例、﹁ベく+さふらふ﹂二六例あるが、書簡の末尾はわずか一五例しかなく、 それよりも﹁さふらふ﹂の用例が圧倒的に多い。﹃善性本﹂ では文末六六例のうち、﹁べし﹂﹁さふらふ+ベし﹂は 合わせて五例しかなく、﹁べく+さふらふ﹂はない。やはり﹁さふらふ﹂の用例が非常に日につく。﹃末燈紗﹄ で は ﹁べし﹂、及びそれに﹁さふらふ﹂などの敬語の補助動詞が付いた用例は六八例で、文末全体四一五例に比して極め て少ないといわざるを得ない。 一方、﹁なり﹂は一六六例あり、﹁さふらふ﹂は一二
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例みられる ︵ ﹃ 拾 遺 ﹄ お よ び ﹃ 血 脈 文 集 ﹂ は 省 略 す る が 、 大 差 な い ︶ 。 ﹁ : : : べ き ︵ も の ・ こ と ︶ な り ﹂ の 用 例 も 、 ﹃ 広 本 ﹄ 四 例 、 ﹁ 善 性 本 ﹂ 伊l
﹁末燈紗﹂二例と極めて少ない。すなわち、これらにおいては、﹁べし﹂﹁ベき︵もの︶なり﹂の用例で顕著な点は みられず、むしろ、﹁さふらふ﹂が非常に多く用いられている。これは、専ら個人宛に幸一日かれた書筒形式のものが 多いことによるものであり、多人数を対象として書かれた﹁御丈﹄と単純に比較することはできないし、﹃末燈紗﹂ の、例えば第八通では文末三七例のうち﹁なり﹂二九例・﹁さふらふ﹂五例・﹁ベし﹂二例であるのに対して、第二 十通では文末四二例のうち﹁さふらふ﹂三六例・﹁べし﹂三例・﹁なり﹂一二例であるなど、書簡ごとに文末の語の偏 りがあることからもわかるように、親驚が語る内容による点も留意しなければならないが、ともかくも、この﹁ベ し﹂の用法は﹁御丈﹂特有のものと考えてよいであろう。 と こ ろ で 、 こ の ﹁ : : : ヘ キ ︵ モ ノ ︶ ナリ﹂にせよ、先に考察した﹁トテ﹂にせよ、所詮は単なる言葉遣い上のこ とであると軽んずるむきもあるかもしれないが、﹃御文﹄ の文章にしたがって忠実に読み解くことこそ、蓮如の勧 化の趣意を正しく受け取ることになるのであって、決しておろそかにすべきことではないと考える。五、自らへの勧化 さ て 、 今 更 一 言 、 つ ま で も な い こ と で あ る が 、 ﹁ 御 丈 ﹂ は 各 地 の 門 徒 へ 勧 化 を 施 す た め に し た た め ら れ た も の で あ る 。 つ ま り 、 ﹃ 御 文 ﹂ は門徒への呼びかけである。しかし、前述したように、蓮如自身も﹁ワレラ凡夫﹂のように﹁ワ レラ﹂という語を用いて、勧化の対象である衆生と自身とを一体のものとして語っている。たしかに﹃御文﹂は門 徒の人々への勧化の文であるが、人々を勧化しつつも、自らもその勧化の対象として、つまり、衆生を勧化しつつ も、自らも勧化の対象として、自らの勧化を受ける立場に身を置いていたのである。このことは、﹁蓮如上人御一 代記聞書﹄にも、自ら製作した ﹃ 御 文 ﹂ に つ い て 、 ︵ お ︶ ﹃御文﹂は如来の直説なりと存ずべきの由に候。形をみれば法然、詞を聞ば嫡陀の直説といへり。︵一二四条︶ と 言 い 、 ま た 、 ︵ 包 ︶ 我つくりたるものなれども殊勝なるよと仰られ候。︵一二五条︶ と か 、 ﹃ 御 文 ﹂ は こ れ 凡 夫 往 生 の 鏡 な り 。 ﹃ 御 文 ﹄ ︵ お ︶ のうへに法門あるべきやうに思ふ人あり。大なる誤なりと云云。 ︵ 一 七 七 条 ︶ と語っていることからもわかるのである。 こ の よ う に 蓮 如 が 、 自 ら も ﹃ 御 文 ﹄ の勧化の対象の一人として、共に教えを聞く立場に身を置いていたのであり、 この点についてはすでに諸先学の攻究もあるが、そのことに十二分に肯きつつも、私は、今、更に一歩進めて考え , − 、 a O ナ 人 ’ ν ﹃御文﹄にみる蓮如の女人理解 九
﹃御文﹂にみる蓮如の女人理解 四
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﹃御文﹄は講などのように複数の人々の中で拝読されたであろうことは明らかであるが、受容する側からいえば、 多人数がその場にいるといっても、勧化される人は一人ひとりである。換言すれば、その場に多人数いたとしても、 全員で一まとまりの教えを受け取るのではない。教えは一人ひとりが受け取るのである。 つまり、何人いたとして も、わたし、あなた、この人、その人、あの人それぞれが、わが身一人に受け取るのである。﹃御文﹂ は、複数の 人々へ発せられた文であるが、その教えは複数で一つにまとまって受け取るというものではなく、あくまでも個人 で受け取るものである。そういう意味において、﹃御文﹂は一人ひとりへの勧化であり、そこに何人いようとも、 一人ひとりとして受け取られるものである。 の勧化の対象の一人として、衆生の中の一人に身を置く蓮如にすれば、門徒の人々 を勧化しつつも、自らを勧化するものでもあったのである。﹁ワレラ﹂の語が蓮如自身を指す一人称単数として用 ︵ お ︶ いられた例が、わずかながらも﹃御丈﹂の中にみられるのも、うなずけることである。親驚が、 ︵ 幻 ︶ ひ と へ に 親 驚 一 人 が た め な り 。 ︵ ﹃ 歎 異 抄 ﹄ 後 序 ︶ そ う な る と 、 自 ら の ﹁ 御 文 ﹄ 弥陀の五劫思惟の願をよく/\案ずれば、 と語ったことを努需とさせられるところである。 金子大築氏は、親驚における﹁われら﹂という語の意味するところについて、 この﹁われら﹂といふ言葉の感じは・:︵中略︶:﹁私たち﹂といふことでせう。而してそれは﹁自分﹂とか ﹁人々﹂とかいふのと別なものがあるのであります。﹁人々﹂はどうか知らんが﹁わし﹂はさうではないといふ。 しかし﹁われら﹂という時には、﹁人々﹂もみな﹁われ﹂の﹁ら﹂の中へ入るのであります。そこに﹁私たち﹂ といふ言葉の意味があります。まあ今日のやうに個人といふことを主張するときになると、この﹁われら﹂と いふ言葉は喜ばれないかも知れません。たとへ ﹁われら﹂といふ言葉が用ひられでも、その﹁ら﹂を﹁われ﹂ に負ふてゆくといふ感情がないのではないでせうか。・:︵中略︶・:われらといふは、その﹁ら﹂において、世をとがめ人をとがめるものではない。世をとがめ、人をとがめても、その﹁ら﹂がそのまま﹁われ﹂であると いふ責任が感ぜられる。それが﹁すなわちわれらなり﹂と︵親驚が・筆者注︶領解せられた思召であります。 しかれば﹁われ﹂なりといはないで﹁われらなり﹂といはれたところに十方衆生と御自身とを一つにせられた ︵ 親 鷲 の ・ 筆 者 注 ︶ 御 心 持 が あ る の で あ り ま せ う 。 ととらえているが、﹁われら﹂をそのまま﹁われ﹂に受け止めていく蓮如の心持が、親驚と同様であることを知る の で あ る 。 結 以上、蓮如の女人理解について、まず、﹁悪人女人﹂などと、一切衆生を指す﹁悪人﹂の語の上に更に重ねて ﹁女人﹂と語るところに、蓮如が、一切衆生を勧化の対象としつつも、特に女人に対して熱い眼差しで勧化してい ることをうかがい、次に、﹁トテ﹂の語を考察することによって﹁五障三従﹂が蓮如自身の意識ではなく、どこま でも差別に虐げられていた女人の現実状況を認識する意味において、この語を用いたのであったことを再確認した。 また、﹁ワレラ﹂の語を、自らも勧化の対象の一人として衆生、特に女人と共に教えを聞く立場に身を置いている ナリ﹂の表現を多く用いているところに、 高みから命令口調で教え諭す態度ではないことを明らかにし、このことからも、やはり蓮如が共に教えを聞く立場 に身を置いていることを確認した。さらに進んで、﹃御文﹄の勧化を受ける人々の連帯感の醸成と共に、そもそも 教えはこの身一人に受け取るものであることから、蓮如は、人々の中に身を置きながらも、同時に自らの勧化をわ が身一人に受け取る身としても立っていたのではないかということにも言及した。 こ と を 物 語 る も の と と ら え 、 さ ら に 、 ﹁ : : : ヘ シ ﹂ ・ ﹁ : : ; ヘ キ ︵ モ ノ ︶ ﹁御文﹄にみる蓮如の女人理解 四
﹃ 御 文 ﹄ に み る 蓮 如 の 女 人 理 解 四 その結果、﹃御丈﹂における蓮如の女人理解は、決して女人を蔑視し差別的にみるものではないことを、再確認 できたのである。すなわち、蓮如は、女人が過酷なまでに厳しく差別祝されていた時代の中にあって、女人こそ弥 陀の救いの正機であるととらえ、懸命に勧化をなしたのである。 しかしまた、女人正機については存覚の ﹁女人往生聞書﹂からの考察が必須であり、また、そもそも如上のよう な蓮如の女人への理解および熱い思いについて、広く当時の仏教界における比較検討ならびに位置付けもなさなく てはならない。今後を期したい。 註 ︵ I 2 田上太秀氏は、変成男子・五障を中心に、女性差別についてその初期段階から精査され詳述されている︵﹃仏教 と 女 性 | | イ ン ド 仏 典 が 語 る ﹄ ・ 二 O O 四 年 八 月 ・ 東 京 書 籍 ︶ 0 用例の判断においては多分に主観が入りやすいものであり、したがって用例数についてはその傾向を知る手がか りと認識していただきたい。用例数の小さな違いに拘りそれに頼りすぎないよう、慎重に扱わなくてはいけない と 自 戒 す る も の で あ る 。 脇田靖子氏はその著﹁中世に生きる女たち﹄︵一九九五年二月・岩波新書︶において、当時の女性一般は、例え ば糸つむ、ぎ、布織り、刺繍、裁縫、染物、紙漉き、物売り等、庶民生活において重要な役割を担っていたことを 明らかにし、同時にそのような女性も男性差別社会の中で差別や蔑視に虐げられていたことを明らかにしている。 加来知之氏﹁﹃五障・三従﹄の﹁御文﹄拝読について﹂一 O 九頁︵教学研究所編﹃教化研究﹄一三五号所収・二 00 六 年 五 月 ・ 真 宗 大 谷 派 宗 務 所 ︶ 0 新日本古典文学大系﹁梁塵秘抄閑吟集狂言歌謡﹄︵岩波書店︶﹁解説﹂五 O 七 頁 。 註 ︵ 5 ︶ に 同 じ 。 ﹁ 解 説 ﹂ 五 五 四 1 五 頁 。 ﹁ 梁 塵 秘 抄 ﹄ の 本 文 も 註 ︵ 5 ︶ に よ る 。 漢 数 字 は テ キ ス ト に 付 さ れ た 番 号 で あ る 。 西日順子氏は、﹁大多数の女性たちにとっては、転女成仏・変成男子説が、実感としてはそれほど深刻に受け止 め ら れ て い な か っ た の で は な い か と 思 わ れ る ﹂ ︵ ﹁ 中 世 の 女 性 と 仏 教 ﹄ ・ 二 O O 六 年 三 月 ・ 法 裁 館 ・ 一 五 八 百 八 ︶ と 述べるが、そうでないことは本論文中でも﹁梁塵秘抄﹄を引いて論じたところである。 3 4 ︵5 ︶ ︵ 6 ︶ ︵ 7 ︶ ︵ 8 ︶
︵ 9 ︶ ︵ 叩 ︶︵日︶ ︵ 辺 ︶︵日︶ ︵ 日 ︶ また、拙論と直接に関わることではないが、﹁変成男子﹂に関わって、氏は、親驚の二首の和讃を挙げて、親驚 も﹁変成男子・五障について言及しており:・︵中略︶しかも、和讃という形式で語っている点で、確信をもっ ていた﹂︵光華女子大学・同短期大学編﹁日本史の中の女性と仏教﹂・一九九九年十一月・法蔵館・一九一頁︶と 述べ、﹁法然・親驚にしても、おなじく転女成男を説いた﹂︵前掲﹁中世の仏教と女性﹄一二七頁︶と言、つが、私 は、第三十五願及び当該和讃の理解において見解を異にする︵拙稿﹁親驚における﹃変成男子の願﹄試解﹂参照 ︿ ﹁ 印 度 撃 仏 教 皐 研 究 ﹄ 第 五 十 八 巻 第 二 号 所 収 ・ 平 成 二 十 二 年 三 月 ・ 日 本 印 度 学 仏 教 学 会 ﹀ ︶ 。 池田勇諦氏著﹃御文勧化録﹄一一四頁︵一九九八年三月・真宗大谷派宗務所出版部︶。 ﹃ 蓮 如 上 人 の 殺 事 ﹄ 四 六 1 八頁︵昭和二十四年四月・大谷出版社︶ 0 註 ︵ 9 ︶ に 同 じ 。 一 一 四 1 五 頁 。 註 ︵ 4 ︶ に 同 じ 。 一 一 一 頁 。 ﹃ 蓮 如 上 人 に 学 ぶ ﹂ 九 1 一 O 頁︵東本願寺伝道ブックスお・一九九八年十一月・真宗大谷派宗務所出版部︶ 0 先日開催された真宗連合学会第五十七回大会にて口頭発表した席上、金龍静氏より、﹁五障三従﹂のうち﹁一一一従﹂ が定着したのは江戸時代からで、蓮如当時には必ずしも妻は夫に隷従してはいなかった、とのご教示をいただい た。本論文では、当時﹁五障﹂が一般に認識されていたことについては触れたが、蓮如がすべて﹁五障三従﹂と 熟して用いていることもあって、特につ一一従﹂に限つての考察はしていない。たしかに、蓮如の意識も考慮に入 れ つ つ も 、 ﹁ 五 障 ﹂ と ﹁ 一 一 一 従 ﹂ と を 個 別 に 考 察 す る 必 要 が あ る 。 今 後 の 課 題 と し た い 。 註 ︵ 4 ︶ に 同 じ 。 一 O 九 1 一 O 頁 。 註 ︵ 9 ︶ に 同 じ 。 二 一 六 頁 。 ただし、これらの用例の他に、﹁ワレラナントニモ対面ヲトケンハ﹂︵訂︶のように、蓮如自身一人を指す、つま り 一 人 称 単 数 ︵ ﹁ 私 ﹂ の 意 ︶ の 音 山 味 で 用 い ら れ た 、 ﹁ ワ レ ラ ﹂ の 例 外 的 用 例 が 四 例 あ る 。 また、ちなみに、﹁ワレ﹂﹁ワ﹂という一人称単数︵﹁私﹂の意︶の語は﹃御文﹄全体で約一六六例みられるが、 ﹁ ワ レ ハ ︵ 私 は ︶ ﹂ ﹁ ワ カ ︵ 私 の ご と 名 乗 る 主 体 は 、 ・ワレカシコクテオコスニハアラス︵衆生・ 2 ︶ ・ワカ身ハ十悪五逆五障三従ノアサマシキモノソト︵女人・お︶ ・ワレヲ一心ニタノマン衆生ヲハ︵弥陀・凶︶ ︵ 日 ︶ ︵ 同 ︶ ︵ 口 ︶ ﹃ 御 文 ﹄ に み る 蓮 如 の 女 人 理 解 四
﹃ 御 文 ﹄ に み る 蓮 如 の 女 人 理 解 ︵ 同 ︶ ︵ 叩 ︶ ︵ 却 ︶︵幻︶ ︵ 辺 ︶ ︵ お ︶ ︵ 担 ︶ ︵ お ︶ ︵ 部 ︶ ︵ 幻 ︶︵却︶ 四 四 ・ワレモノシリトオモハンタメニトテ︵坊主分−