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人文地理71巻4号

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Japanese Journal of Human Geography (Jimbun Chiri) DOI: 10.4200/jjhg.71.04_417

中国の中学校地理教科書における  日本に関する記述の変遷

南  春  英 *

(2019年2月18日受付,2019年11月9日受理)

I はじめに

II 中国の地理教育の制度的変遷

III 中国の中学校地理教科書における日本 に関する記述の量的変遷

1 量的変遷から見た時期区分 2 日本以外の国に関する記述割合との

比較

3 量的変遷からの検討

IV 中国の中学校地理教科書における日本 に関する記述の質的変遷

1 第1期(1949~77年)

2 第2期(1978~94年)

3 第3期(1995~2007年)

4 第4期(2008~2019年)

5 質的変遷からの検討 V おわりに

摘  要

本稿は,日本と長い歴史的関係を有する中国の地理教科書における日本に関する記述の特徴を明ら かにすることを目的とする。中国の中学校地理教科書における日本に関する記述は社会的背景の変化 と緊密な関係があると思われ,本稿では,中国の中学校地理教科書における日本に関する記述の変遷 を通じて,その社会的背景についても探っていく。中国において1949年から2019年現在まで使用さ れている中学校地理教科書の日本に関する記述を量的変遷と質的変遷の双方から分析し,日本に関 する記述の変遷とその特徴を検討した。その結果,1949~77年は国際情勢による政治的変化の影響 を受けた時期,1978~2007年は改革開放と社会主義市場経済による経済的変化の影響を受けた時期,

2008~2019年現在は日本への親近感の育成と日本経済への牽制を示した日中関係の変化の影響を受 けた時期と,変遷してきたことが明らかになった。また,中国の教育は国の政策の影響を受けやすく,

言い換えれば政府が教育を統制する力が強いことも明らかになった。

キーワード: 中国の地理教育,中学校地理教科書,教育課程,日本認識,アメリカ合衆国,ソビエト連邦

* 法政大学国際日本学研究所・客員学術研究員  E-mail: ncy0602@yahoo.co.jp

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Transformation of the Descriptions of Japan in Chinese Middle School Geography Textbooks

NAN Chunying

Visiting Scholar, Hosei University Research Center for International Japanese Studies (Received on 18 February, 2019; Accepted on 9 November, 2019)

This paper aims to clarify the features of the descriptions of Japan in Chinese geography textbooks.

Japan and China share a long-term relationship. The descriptions of Japan in Chinese middle school geography textbooks are likely to be closely related to changes in the social backgrounds. This paper will explore these social backgrounds along with the transformation of the descriptions of Japan in Chinese middle school geography textbooks. I analyzed the quantitative and qualitative descriptions of Japan in Chinese middle school geography textbooks that were used from 1949 to 2019. According to the quantitative and qualitative characteristics, the changes in the descriptions of Japan in Chinese middle school geography textbooks can be divided into the following three stages. The period from 1949–77 was one of political changes reflecting the international situation, 1978–2007 was a period of economic changes reflecting the reform and opening up and the socialist market economy, and 2008–2019 reflected the cultivation of sense of closeness with Japan and the restraint of the Japanese economy in Japan and Chinese relations. Through this analysis, we know that the description of Japan in Chinese geography textbooks is susceptible to political influence. In other words, the government has a strong control over education.

Key words: Chinese geography education, middle school geography textbooks, curriculum, recognition of Japan, United States of America, Soviet Union

I はじめに

教科書はその国の小宇宙(ミクロ・コスモス)

であるという言い方がある(唐沢, 1961)。世界各 国の教科書はそれぞれ個性的であり,別技(1997:

199)は,一般的な特色として,海外の教科書に はそれぞれの国情,民族性,歴史など,国による 性格が強く現われていると述べている。そのため,

教科書は,その国の教育の特徴,その国における 自国のイメージなどを研究する良い手掛りになる と言える。

日本の社会科教育分野において,海外の教科書 を対象とした研究には,上野(2000, 2010),別技

(1977, 1980, 1988, 1997, 1999),南(2018)がある。

これらの研究は,教科書における外国に関する記 述には偏向した記述や感情的な記述が多いことを 指摘し,客観的に外国を説明することがいかに困 難かを述べている。こうした困難性は,地理的に 接近しており,また,互いに長い歴史的関係を有 する国同士の間でこそ顕著に見られるのではない か,という仮説を筆者は持っている。この観点から,

筆者は前稿(南, 2018)において,日韓関係に注 目し,第二次世界大戦後の韓国の高校地理教科書 における日本に関する記述の変遷とその背景を明 らかにした。本稿は,前稿と同様の仮説に基づき,

日本にとって東アジアにおけるもう一つの重要な 国である中華人民共和国(以下,中国)を取り上 げ,日中関係に注目しようとするものである。

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識の違いなどによる摩擦を引き起こしてきた。互 いの認識や理解の乖離は学校教育を基礎に形成さ れていることが予想され,この点において本稿で 扱う地理科目をはじめとして,学校教育における 各科目の中で日本がどのように紹介され,理解さ れてきたかを明らかにする研究が求められている。

特に,中国における地理教育は愛国主義思想を養 うと同時に,国情と世界の基本状況が理解できる 国民を養うことを目標とする教育であるため(陈, 1998),教科書出版当時の対象国のイメージや中 国政府の対象国に対する姿勢などを直接表してい ると考えられる。

そこで,本稿では,既存研究で扱われてこな かった中国の成立から現在に至るまでの地理教 科書における日本に関する記述内容を取り上げる。

その中でも,特に国際関係が扱われる中学校の地 理教科書を分析対象とする。中国の小学校では主 に中国地理を学習し,かつ自然地理に中心が置か れている(陈, 1998: 205)。また,小学校の社会 科科目は,国際関係に触れることが少ない(高, 2012)。高校では,1985年から系統地理を学習し ており,地誌的記述が少ない。それに対し,中学 校では1949年の中国成立後から,地誌学習のた めの科目として「中国地理」と「世界地理」が設 置された。すなわち中学校の「世界地理」は,世 界の基本状況を理解させることで,外国に対する 認識の形成に重要な役割を果たしていると考えら れる。

また,中学校の地理教科書は,政治的影響を受 けていることが考えられるため,本稿では人民教 育出版社から出版された一連の世界地理教科書を 研究対象にする。人民教育出版社は主に基礎教

2) の教材や参考書および教育図書の編集と出版

を行っている出版社であり,日本の文部科学省に 相当する教育部直属の国営出版社である。そのた 日本と中国との間には近代の歴史的背景もあり,

時には歴史教科書問題といった問題が生じている。

また,日本では中国が「反日」教育を行っている と認識され,その代表として歴史教育が挙げられ ている。そのため,中国の教科書に関しては,こ れまで主に歴史教科書を中心に研究が行われて おり,並木(1997),王(2001, 2006, 2011),張・

那仁(2007),菊池(2011),松田(2017)など数 多くの蓄積があり,一定の成果を挙げている。

一方,中国の地理教科書における日本に関する 記述を分析した研究は,藤原(1992)と黄(2010)

だけであり,蓄積が乏しい。藤原(1992)は,1985 年に出版された中学校地理教科書の『世界地理 上冊』における日本に関する記述について述べて いるが,1冊の教科書を分析しているにすぎず,

当時の地理教科書の全体像を捉えたとは言えない。

黄(2010)は清末・中華民国1)期(1910~45年)

に出版された地理教科書の記述に見られる日本像 を分析したが,中国成立から現在に至るまでの地 理教科書における日本に関する記述を分析した研 究ではない。従って,中国の地理教科書における 日本に関する記述については,いっそう幅広い観 点から研究する必要があると言える。

国際化が進む今日,地理教育は国際化した社会 で生きていく生徒に対して最も基本的な学習科目 の一つであり,また,一般社会において身につけ るべき教養として,その重要性に理解が示されて いる(揚村, 2008: 133)。地理教育の教材の一つ である地理教科書は,学習段階の早期から生徒が 接する図書であり,生徒の世界観の形成に影響を 与えるものと言えよう。こうした観点から見ても,

中国の地理教科書に関するいっそうの研究が必要 であろう。

中国と日本は近現代において戦争を経験したた め,緊密な国際関係を保ちながら,時には歴史認

1) 黄(2010)の研究における中華民国とは,1912年1月~1949年9月に中国本土に存在していた国民党政府のこ とを指す。

2) 基礎教育とは,幼稚園から高校までの教育を指す。

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ソビエト連邦(以下,ソ連)の中学校の教科書を 手本として,中国の需要に合う新たな教科書を編 集すべきであると指摘した(中国教育学会地理教 育研究会, 2003: 9)。このことを受けて,教科書 は教育部が制定した教学大綱に基づいて,人民教 育出版社によって編集・出版されてきた。

1958年からは社会主義大躍進政策6)により地理 教育が大幅に削減され,高校においては地理科目 の学習がなくなった。1966~76年の文化大革命 の時期においては,従前の学校教育が破壊され,

教科書は各省や各地域でそれぞれ編集されるよう になり,人民教育出版社が教科書を編集すること はなかった(王, 2001: 8)。文化大革命の10年間 に及ぶ混乱の後,教育は次第に正常化し,1977年 に教育部は新たに教学計画の策定に取り組み,教 学大綱を制定した。

1949年10月の中国成立から1985年までの約40 年間,教育部が制定していた教学大綱に従って 編集された教科書は,各教科につき1種類が使わ れていた。中国では「一綱一本」7) の時期と呼ばれ ている。この一綱一本の時期の教科書は,中国成 立から1985年まで人民教育出版社がほぼ独占し て編集してきた(諸外国の教科書に関する調査研 究委員会, 2006)。つまり,すべての科目の教科書 は国定制であった。しかし,その後の1986年9月,

全国小中学校教科書検定委員会が正式に設立され,

小中学校の教科書の検定制度が始まった(中国教 育学会地理教育研究会, 2003)。検定制の導入によ り,人民教育出版社以外の機関,特に各省の教育 委員会が教科書を出版することができるように なったが,教学大綱の内容から逸脱しないという め,教科書に政府の政治経済政策が直接反映され

ていると考えられる。また,文化大革命期間を除 く,1986年の教科書検定制の導入以前は教科書の 出版を独占しており,検定制の導入以後,現在に おいても採択率は60%を超えている(公益財団法 人教科書研究センター, 2015)。

以上のことから本稿の目的は,中国の中学校地 理教科書における日本に関する記述内容の特徴を 取り上げ,そこに伏在する政治や経済の影響を明 らかにすることである。本稿の構成は以下の通り である。すなわち,II では中国の地理教育の制度 的変遷について見ていく。III では,中国の中学 校地理教科書における日本に関する記述の特徴を 主に量的側面から明らかにし,IV では,日本に 関する記述の特徴を,主に記述内容に焦点を当て ることで,質的側面3) から分析し,中国の中学校 地理教科書における日本に関する記述の変遷と社 会背景との関係を明らかにする。III と IV の日本 に関する記述の時期区分に関しては,教科書の出 版年次に従い時期区分をする4)

II 中国の地理教育の制度的変遷

1949年10月1日に中国が成立して以降,中国 政府は全国共通の教育制度を実施した(国立教育 政策研究所, 2009: 58)。1949~51年は革命根拠

5) で使用していた教科書を元に改訂を重ねなが

らも,1949年以前の中華民国期の教育システム が基本的に維持されていた(王, 2001: 8)。教育 部は1951年3月に第一次全国初等教育会議を開 き,中学校教育の趣旨と教育目標を制定し,また,

3) 本稿で述べる質的側面とは,教科書における記述や理解の具体的な内容を指す。

4) 日本に関する記述の分析に当たっては,量的変化,質的変化,量的・質的変化を合わせた総合的な変化を区別す るために,時期区分の後ろにそれぞれ(量),(質),(総合)という略記を付した。

5) 革命根拠地とは,1945年10月~1949年9月の中国の内戦で,中国共産党が設置した革命拠点とした行政区画の ことである。

6) 大躍進政策とは,1957年10月~1962年12月の間,中国で施行された農業と工業の生産量を増やすための政策で あり,その影響は教育にまで及んだ。

7) 「一綱一本」とは,1986年以前に人民教育出版社から出版された全国共通の国定教科書を意味している。

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2014)。教科書も生徒の情報収集や問題解決能力 の育成を目指す課程標準に対応したものになって いった(松田, 2017: 33)。

中国の教育課程は,1949年10月の中国成立か ら2019年現在実施されている第9次教育課程ま で8回改訂されている(第1表)。現行の教育課 程は,義務教育段階では2011年に公布された課 程標準が使用されている(文部科学省生涯学習政 策局, 2016: 248)。

III 中国の中学校地理教科書における 日本に関する記述の量的変遷

本章では,中国の中学校地理教科書における日 本に関する記述の特徴を,記述量の推移を中心と した量的側面から分析していく。分析する際に は,対象国である日本だけではなく,日本に関す る記述の量的変化の特徴をより明らかにするため に,日本に関する記述の割合と日本以外の外国に 関する記述の割合を比較する。また,教科書出版 当時の社会状況や政治的要素なども考慮に入れる。

1 量的変遷から見た時期区分

中国の中学校地理教科書における日本に関する 記述の割合を算出すると,第1図の通りである10)。 日本に関する記述割合の変化によって時期区分す ると,平均記述割合が3.0%である1949~1977年,

平均記述割合が1.8%である1978~2007年,日本 に関する記述の量が一気に増加し,平均記述割合 が7.7%である2008~2019年の3つの時期に分け られる。

しかし,本稿では記述の割合だけではなく,記 条件があった。編集された教科書は,必ず教育部,

あるいは各省の教育委員会に直属する小中学校教 材審定委員会の審査を受けなければならなかった

(王, 2001: 8)。これより中国では,「一綱多本」8) の時期になった。統一された要求と検定のもとで,

教科書は異なる出版社から出版され,教科書に多 様性が見られるようになった。

21世紀に入ってから,中国の学校教育は大きな 変革を経験した。その代表例の1つとして挙げら れるのは,従来の中国の教育方針であった教学大 綱を,名称を含めて大きく改めて課程標準として 改正したことである(松田, 2017: 32)。すなわち 2001年6月,教育部が『基礎教育課程改革綱要(試 行)』を発布することによって,初等中等教育課 程改革が正式に始まり,従来の教学大綱期から課 程標準期へと転換した。そして,教学大綱期の

「難,繁,偏,旧」9) という「必死に教科書の知識 を暗記」させる教育から,課程標準では「学習内 容と生活,現代社会,科学技術の発展を結びつけ」,

「生徒が主体的に参加し情報を集め」,「問題を分 析・解決し,人と協力する」能力を育む教育を目 指すようになった(松田, 2017: 32)。つまり,従 来の教学大綱においては授業の中心は教員であり,

知識伝授に偏重し,教員の教えた知識を完全に暗 記させる暗記型の学習であった。だが,課程標準 においては授業の中心が生徒になり,教員が基本 的な知識を生徒に伝え,生徒の積極的で自発的な 学習態度を養うことが強調された。また,従来の 暗記型の学習からの転換を目指し,参加型,探究 型および実験型の学習が提唱され,生徒の情報収 集と処理能力,問題を解決する能力,交流協同 能力の育成が重視されたのである(和井田ほか,

8) 「一綱多本」とは,教科書検定制により,国から教科書の出版を許可された各出版社から教学大綱に沿って出版 された,いくつかの種類の教科書を指す。

9) 「難,繁,偏,旧」とは,難度が高く,繁雑で,バランスを欠き,内容が古いということである。

10) 日本に関する記述の割合は「記述されたページ数÷総ページ数×100」で計算した。しかし教科書は出版時期に より,外国を扱う教科書は上・下冊に分冊されている場合と1冊にまとめられている場合など出版形式が異なる。

そのため,上・下冊の2冊で外国地誌を扱っている際には,日本に関する記述割合は「記述されたページ数÷上・

下2冊の総ページ数×100」で計算した。

(6)

は第2期(量)と変わらないが,記述割合は第2 期(量)より減って1.8%前後である1978~2007年,

第4期(量)は記述ページ数が多く,記述割合も 増加した2008~2019年である。

以上の日本に関する記述の量的特徴から見られ る中国の中学校地理教科書における日本の扱いは,

第1期(量)と第2期(量)の記述割合に比べて,

述のページ数の特徴も踏まえ,記述の量的変化 を次の4つの時期に分ける(第2表)。すなわち,

第1期(量)は日本に関する記述ページ数が多く,

記述割合が3.0%前後である1949~59年,第2期

(量)は記述ページ数は第1期(量)より少ないが,

記述割合は第1期(量)と変わらず3.0%前後で ある1960~77年,第3期(量)は記述ページ数

第1表 中国の教育課程における中学校地理科目の編成方針の変化

Table 1. Changes in the editing policy of middle school geography textbooks in the Chinese school curriculum 教育課程 科目名,学年(週時限数),必修・選択 分析した世界地理教科書

第1次a) 1949~52年

「本国地理」1学年(2)必修

「本国地理」2学年(2)必修

「外国地理」3学年(2)必修

1949年『新世界地理 上册』b)

1951年『新世界地理 上册』c),『新世界地理 下册』

1952年『外国地理课本 上册』,『外国地理课本 下册』

1953~57年第2次

「自然地理」1学年(3)必修

「世界地理」2学年(2/3)必修

「中国地理」3学年(3/2)必修

1955年『世界地理』

1958~65年第3次 「中国地理」1学年(3)必修

「世界地理」2学年(2)必修 1960年『世界地理 上册』,『世界地理 下册』

1966~76年第4次 「地理,地理常識」1学年(2/3)d) 1972年『世界地理』e) 1975年『地理 下册』f) 1977~85年第5次 「中国地理」1学年(3)必修

「世界地理」2学年(2)必修 1978年『世界地理 上册』,『世界地理 下册』

1984年『世界地理 上册』,『世界地理 下册』

1986~91年第6次 「中国地理」1学年(3)必修

「世界地理」2学年(2)必修 1988年『世界地理 上册』

1989年『世界地理 下册』

1992~2000年第7次 「中国地理」1学年(3)必修

「世界地理」2学年(2)必修 1995年『地理 第1册』,『地理 第2册』

2001年『地理 第1册』g),『地理 第2册』

2001~2010年第8次 「世界地理」1学年(1)選択h)

「中国地理」2学年(1)選択 2008年『地理 七年級下册』

2011年『地理 七年級下册』i) 2011~2019年現在第9次 「世界地理」1学年(1)選択

「中国地理」2学年(1)選択 2016年『地理 七年級下册』j)

a) 第1次~第9次の区分は中国の教育課程の変化を示す時期区分であり,III と IV において(量),(質),(総合)を 付した時期区分とは異なる。

b) 人民教育出版社設立前の教科書である。本教科書は,1949年9月に華北人民政府の検定を受け,新中国聯合出版 社から出版された。

c) b)の教科書の第7版である。

d) 文化大革命により,全国的に統一した教育制度がなかったため,表で示しているのは北京市の地理教育の科目名 と学年,週当たり時限数である。

e) 文化大革命の時期であるため,人民教育出版社から教科書が出版されておらず,本教科書は遼寧省人民出版社か ら出版された。

f) e)と同様の理由で,本教科書は北京人民出版社から出版された。

g) 「教学大綱」から「課程標準」への転換期であるため,教科書の出版が遅れるなど,教科書の出版年次と教育課 程の年次がずれている。本教科書は第7次教育課程以後に出版されているが,第7次教育課程の編集方針に従っ て編集されたため,第7次教育課程で分析する。

h) 財団法人学校教育研究所(2006: 79)によると,中学校1・2学年の週時限数がそれぞれ3・4時限であり,「歴 史」と「地理」科目中で一つの科目を選択し,週時限数の3~4%の時間配分であったことが分かった。計算す ると,「歴史」あるいは「地理」の週時限数は1.02~1.36になり,本稿では四捨五入で1時限とする。

i) g)と同様の理由である。

j)中国の中学校教育現場における最新版の中学校地理教科書である。

(中国地理科目の「教学大綱」および「課程標準」,北京地理学会 (1980).『中学地理教育和教学研究』上海教育出版社,

財団法人学校教育研究所(2006)より筆者作成)

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なると,日本に関する記述の割合とページ数がと もに増加し,日本を重視していることが分かる。

2 日本以外の国に関する記述割合との比較 日本に関する記述の量的変化の特徴をより明ら かにするために,本節では,上述した日本に関す る記述の量から見た4つの時期区分に沿って(第 2表),資本主義大国であるアメリカ合衆国(以 下,アメリカ)と,社会主義大国であったソ連11) に関する記述の割合と比較した(第2図)。その 結果,この時期区分がアメリカやソ連に関する記 述においても有効であることが明らかになった。

第1期(量)では,日本に関する記述の割合は 教科書全体の3.0%であった。それに対して,米 ソ両国に関する記述の割合は多い。日米ソ3か国 の中ではソ連に関する記述の割合が最も多く,そ 第3期(量)の記述割合は低下し,比較的日本を

軽視する傾向が見られる。だが,第4期(量)に

第1図 中国の中学校世界地理教科書における日本に関する記述の割合とページ数 Figure 1. The proportion and number of pages of descriptions on Japan in Chinese middle school World

Geography textbooks

(各年版の中国世界地理教科書より筆者作成)

第2表 中国の中学校世界地理教科書における日本に 関する記述の量的変遷とその特徴

Table 2. Quantitative transformation and characteristics of Japan-related descriptions in Chinese middle school World Geography textbooks

量的変遷 ページ数記述の 平均記述割合 日本の扱い 第1期(量)

1949~59年 多い 3.0% 中間 第2期(量)

1960~77年 少ない 3.0% 中間 第3期(量)

1978~2007年 少ない 1.8% 軽視 第4期(量)

2008~2019年 多い 7.7% 重視

(各年版の中国世界地理教科書より筆者作成)

11) ソ連崩壊後はロシアを分析対象とする。中国の中学校地理教科書では,1949~94年はソ連,1995年版以後はロ シアと表記している。そのため,本稿では1995年版を境にソ連,ロシアとそれぞれ記述する。1995年前後を合 わせて論じる際には,ソ(ロ)と表記する。

(8)

の割合が大きく減少し12),その後の1975年版でさ らに減少した。アメリカに関する記述の割合は 1952年版で最も多く,1955年版で若干減少し,さ らに1960年版で大幅に減少して日本に関する記述 の割合よりやや多い程度となり,1975年版では日 米ソ3か国に関する記述の割合はほぼ同率となっ ている(第2図)。

第3期(量)では,日本に関する記述の割合は 第2期(量)より少なく,教科書全体の1.8%を 占めているにすぎず,米ソ(ロ)両国に関する記 述の割合より少ない。米ソ(ロ)両国に関する記 述の割合をみると,アメリカに関する記述の割合 は第2期(量)と変わらない。しかし,ソ連(ロ)

に関する記述の割合は第2期(量)に大幅に減少 の記述割合は日米両国に関する記述の割合を合わ

せた割合とほぼ同じであった。また,日本に関す る記述の割合の変化が少ない反面,米ソ両国に関 する記述の割合の変化は激しい(第2図)。本期 の日本に関する記述の割合を米ソ両国のそれと比 較すると,日本に関する記述の割合が最も少なく,

米ソ両国に比べると,日本は軽視されていたこと が明らかである。

第2期(量)では,日本に関する記述の割合は 第1期(量)と同じ3.0%を占めており,第1期

(量)と比べて大きな変化は見られない。それに 対して,米ソ両国に関する記述の割合は第1期

(量)より減少した。ソ連に関する記述の割合は 1960年版において多かったが,1972年版ではそ

第2図 中国の中学校世界地理教科書における日本・アメリカ・ソ連(ロ)に関する記述の割合 Figure 2. The proportion of descriptions on Japan, the United States and the Soviet Union in Chinese

middle school World Geography textbooks

1949年版(下冊)は本稿執筆時点で閲覧できていないため,1949年版のアメリカに関する記述 割合は1951年版(下冊)のアメリカに関する記述のページ数で算出した。1951年版は1949年版 の改訂版であり,外国の記述のページ数もそれほどの差がないことから,分析において問題は ないと考えられる。

(各年版の中国世界地理教科書より筆者作成)

12) 1960年版に対して,1972年版のソ連に関する記述の割合は急激に減少したが,この2冊の教科書の出版年次が 12年も離れ,ほかの時期より教科書の出版間隔が大きいことも急な変化として表れた理由の1つとして考えられる。

(9)

にかけて大きく減少し,アメリカに関する記述 の割合は1955~60年にかけて大きく減少したが,

アメリカに関する記述の割合に関しては1949~

2007年において1952年版と1955年版を除き,ほ ぼ変わらないことから,元の割合に戻ったとも言 える。言い換えれば,アメリカに関する記述の割 合は1952年版と1955年版で特別に多かったので ある。米ソ両国に関する記述の割合は1975年版 で同率になり,1978年版からはアメリカに関する 記述の割合がソ連に関する記述の割合を超えた。

中国は建国時からソ連と同盟を組み,友好関係 にあったが,1960年代中期から中ソ関係は極度 に悪化した。そのため,ソ連に関する記述の割合 は1960~72年版にかけて大きく減少したと思わ れる。一方,1970年代に入ると中米両国は急接 近し,1972年のニクソン大統領の中国訪問により,

中米関係はそれまでの対立から和解へと転換した。

そのため,1978年版からはアメリカに関する記 述の割合がソ連に関する記述の割合を超えたと思 われる。

こうした米ソ両国に関する記述の割合の変化は,

冷戦による中国側の反米・親ソの中米対立と,反 ソ・親米の中ソ対立の時期と重なっている。日米 ソ3か国に関する記述の割合から見ると中国の中 学校地理教科書は,中国を含む日米ソの4か国の 枠組みの中で変化しており,つまり国家間の政治 的関係が地理教科書に反映されている。国際社会 の情勢による政治的関係の変化という大きな枠組 みの中で,対象国に関する記述量が調整されたと 考えられる。

ただ,上述したように1952年版と1955年版に おいてアメリカに関する記述の割合が特に多いも のの,増えたのはアメリカを批判するための戦争 に関する記述であった。そのため,1952年版と 1955年版における記述割合の増加の原因は,中米 両国の国際関係が良好であったことではなく,中 国側が朝鮮戦争によりアメリカを敵視したことに あると思われる。この点については,IV の日本に したうえ,第3期(量)でもさらに減少し,1978

年版からはアメリカに関する記述の割合よりも少 なくなっている(第2図)。

日本に関する記述の量に大きな変化が見られる 第4期(量)では,日本に関する記述の割合は 7.7%と急激に増加し,2008年版で初めてロシアに 関する記述の割合(7.2%)を超えた。また,2016 年版において日本に関する記述の割合はさらに増 加し,アメリカに関する記述の割合と並ぶ7.8%

までになった。本期では,日本に関する記述の割 合だけではなく,同時に米ロ両国に関する記述の 割合も増加しているが,日本に関する記述の割合 が最も大きく増加していることが分かる(第2図)。

3 量的変遷からの検討

本章では,中国の中学校地理教科書における日 本に関する記述の特徴を量的側面から検討した。

その結果,日本に関する記述の割合は,教科書全 体のおおよそ2~8%を占めており,1970年代後 半~2000年代前半にいったん減少したが,2000 年代後半からは大きく増加していることが明らか になった(第1図)。

また,米ソ(ロ)両国に関する記述の割合の変 化が激しいことと比較すると,日本に関する記述 の割合は1949~2007年において比較的安定して いた。だが,2008~2019年においては,日米ロ 3か国いずれも記述の割合が増加している中で,

日本に関する記述の割合が最も増加したことが分 かる(第2図)。

1949~77年において,日本に関する記述の割合 の変化は少なく,1972年の日中国交回復前後にお いても大きな変化が見られなかった。それに比べ ると米ソ両国に関する記述の割合の変化は激しい。

1952年版では米ソ両国に関する記述の割合が大 きく増加し,ソ連に関する記述の割合は1952年版 と1955年版,1960年版で多く,アメリカに関す る記述の割合は1952年版と1955年版で多い。そ の後,ソ連に関する記述の割合は1960~1972年

(10)

れる。

次に,中国の中学校地理教科書における日本の 位置付けを記述割合から分析する。中国の中学 校地理教科書における日本に関する記述の割合 は,1949~2007年において比較的安定していた。

1975年版以前の日米ソ3か国に関する記述の割 合をみると,日米両国を合計した記述の割合とソ 連に関する記述の割合はほぼ同じであり,日本は アメリカの従属国という認識があったと言える。

それに対して,1975年版では日米ソに関する記 述の割合がほぼ同程度になった(第2図)。その 後の1978~2007年における日米ソ(ロ)3か国 に関する記述割合の差は大きくない。こうしたこ とから,日本への認識はアメリカの従属国から独 立国に変化したと言えよう。これは,1972年の 日中国交回復により日中関係は国同士の関係にな り,日本はアメリカに支配されている従属国から 独立国へと認識が変わったことによると思われる。

最後の2008~2019年においては,日米ロの3か 国に関する記述の割合が急激に増加した。その原 因として,第8次教育課程から「近隣諸国」とい う新しい学習項目が追加されたことにより,「近 隣諸国」に該当する日ロ両国に関する記述の割合 が増加したことが考えられる。だが,「近隣諸国」

に該当しないアメリカに関する記述の割合も増加 しており,この点では経済的側面の影響を受けて いると思われる14)。主に分析した日米ロの3か国 の中で日本に関する記述の割合が最も増加した要 因について,これまで述べてきたことから仮説を 立てると,次のようになる。すなわちソ連崩壊後,

米ロ両国の国際社会への影響力がアジアから次第 に後退する中,日中関係が東アジアにおいて重要 関する記述の質的特徴において改めて述べる。

その後,1978~2007年では,日米ソ(ロ)3 か国間の記述割合の差は1949~77年ほど大きく なく,安定していた。だが,中国の中学校地理教 科書では,日米ソ(ロ)3か国に関する記述の割 合が減少した反面,第三世界に属している国々に 関する記述ページ数が増加していた13)。この時期 の中国にとっては,第三世界の国々への配慮が必 要となり,そうした中国の政治的要素が反映され ていると思われる。また,中ソ関係が悪化したこ とにより,1970年代に出版された教科書における ソ連に関する記述の割合は大きく減少していたが,

その割合は当時親米であったにも関わらず,アメ リカに関する記述の割合と大きな差がなく,日本 に関する記述の割合よりも多かった。こうしたこ とから,中国にとって,中ソ関係は悪化したとは いえ,ソ連は隣国であり,また社会主義大国とし ての認識は変わらず,その存在はアメリカ並みに 重要であったことが分かる。さらに,改革開放に より経済発展を「すべての事柄の中心」とする政 策の下で,中国は「如何なる大国あるいは如何な るブロックにも決して依存しない」という,各国 と等距離を保つ独立自主対外政策を打ち出し(増 田・波多野, 1995: 95–96),経済発展のために多く の国との友好関係を模索した。経済発展を重視す る姿勢は,IV で述べる日本に関する記述の質的 特徴でも確認できる。そのため,親米の時期であっ ても,親ソの時期のソ連に関する記述の割合とソ 連以外の外国に関する記述の割合に見られたよう な大きな差を設けなかったと理解してよいだろう。

すなわち1970年代末から,中国政府が従来の政 治より経済発展を重視するようになったと考えら

13) 同じく人民教育出版社から出版され,上・下冊の2冊と同じ出版形式である1960年版と1978年版におけるアフ リカとラテンアメリカに関する記述のページ数を調べた結果,アフリカに関する記述のページ数は14ページから 36ページに,ラテンアメリカに関する記述のページ数は5ページから18ページにそれぞれ増えていた。これら のページ数が総ページ数に占める割合を,1960年版と1978年版とで比べてみると,アフリカとラテンアメリカ に関する記述のいずれについても1978年版のほうが大きくなっている。その理由は,当時中国は毛沢東が提唱 した3つの世界論に基づいた外交を展開し,1971年の中国の国連加盟においても,第三世界から大きな支持を 得たことにあると思われる。

(11)

太島,我が国の台湾と琉球,および朝鮮半島全部 を占領した。だが,野心は消えず,さらに我が国 の東北を占領した。その後中原に派兵し,第二次 世界大戦を起こした」とある(卢・陈, 1949: 82)。

1952年版は戦争に関する記述割合が最も多い 教科書であり(第3図),「1857年に日本は,ロシ アを騙し千島列島を手に入れた。また,1876年 に日本は南の小笠原諸島を占領し,1879年には 我が国の琉球諸島を占領した。そして,1891年 には火山列島を占領し,その後,第一次中国侵略 戦争16)(1894~95年)を起こし,我が国の台湾と 澎湖諸島を奪った。日本は1905年の日露戦争を 通じて,ロシアの南樺太と我が国の関東州を奪っ た。その後,朝鮮を「独立」させるという名目で,

1910年に朝鮮を植民地化した」とある(陈, 1952:

52–53)。

1955年版と1960年版では,「日本は,以前,凶 悪な帝国主義国家であり,我が国と朝鮮,東南ア ジアの諸国を侵略した。第二次世界大戦中,我が な位置を占めるようになり,中国にとって日本は

ますます無視できない存在になっていった。特に,

2016年版の教科書においては,日本に関する記述 の割合はアメリカに関する記述の割合と同程度に なった。日本は中国にとって近隣諸国,さらに経済 大国として重視しなければならない相手国になった と考えられるのである。

IV 中国の中学校地理教科書における 日本に関する記述の質的変遷

本章では,中国の中学校地理教科書における日 本に関する記述の特徴を,質的側面から検討しな がら,III で分析した量的な特徴と合わせて,中 国の中学校地理教科書における日本に関する記述 の特徴と,そこから見えてくる中国の教育の特徴 について検討していく15)

日本に関する記述の質的変化は,次の4つの時 期に分けられる(第3表)。第2表と第3表に示 されているように,量的変化と質的変化による時 期区分は部分的に異なるものの,大きく見れば一 致する。

1 第1期(1949~77年)

本期の日本に関する記述の質的特徴をひとこと で言えば,「政治的記述とアメリカに対する批判 的記述が集中した時期」であり,その特徴は大き く5点にまとめられる。

一番目の特徴は,戦争に関する記述が集中して いることである(第3図)。1949年版と1951年版 では,「日本の資本主義の発展により,日本のファ シズムは経済侵略のため,ロシアの千島列島と樺

第3表 中国の中学校世界地理教科書における日本に 関する記述の質的変遷とその特徴

Table 3. Qualitative transformation and characteristics of Japan-related descriptions in Chinese middle school World Geography textbooks

質的変遷 日本に関する記述の特徴 第1期(質)

1949~77年 政治的記述と対米批判的記述が集中 第2期(質)

1978~94年 政治的記述が弱まる,対米批判から対 ソ批判へ,資本主義経済強調 第3期(質)

1995~2007年 政治的記述が完全に消え,日本の経済 発展を全面に強調

第4期(質)

2008~2019年 日本への親近感の育成に努めながらも 日本の経済を牽制

(各年版の中国世界地理教科書より筆者作成)

14) 第8次教育課程に出版された世界地理教科書の記述対象国・地域は,近隣諸国の学習項目に書かれている日本,

東南アジア,インド,ロシアのほかは,オーストラリア,アメリカ,ブラジルが国単位で,中東,西ヨーロッパ,

アフリカが地域単位で紹介されている。対象国・地域の選定に際しては,ヨーロッパの中では経済力の大きな西 ヨーロッパだけが取り上げられたり,経済力がそれほど大きくない国々は地域としてまとめられたりするなど,

経済力が重視される傾向がある。

15) ここで紹介する教科書本文の日本語訳はすべて筆者による。

16) 日本では「日清戦争」と呼ばれ,中国では「中日甲午戦争」とも呼ばれている。

(12)

になる。アメリカは日本が民主化へと進むことを 許せなかった上に,再び日本を武装させ,一方的 に日本と同盟を結んだ。日本はアメリカ帝国主義 の半植民地になり,アジアを侵略する軍事基地に なった」とある(人民教育出版社, 1955: 45)。

1960年版では,「アメリカ軍は第二次世界大戦 での日本の敗戦を契機に,長期にわたって日本を 占領している。アメリカ帝国主義は当初の協定に 違反し,日本の軍国主義を復活させ,様々な隷属 的性格を持つ条約と協定を結び,日本を支配して いる上に,日本に軍事基地を設けた。現在,日本 は様々な面において,アメリカの干渉を受け,ア メリカに支配されている」とある(人民教育出版 社, 1960: 39)。

記述内容からみると,過去の中国への侵略戦争 に関する記述より,当時アメリカに占領されてい た日本の「現在」に関する記述が多く,主な批判 対象はアメリカになっている。

しかし,本期の最後の1975年版においては,上 述した反米の記述と異なり,「長年にわたり,日 国とソ連赤軍の攻撃を受け,1945年に降伏した」

とある(人民教育出版社, 1960: 39)。

二番目の特徴は,アメリカに対する批判的記述 が多く書かれていることである。この特徴は,一 番目の特徴の延長でもある。一番目の特徴で述べ た戦争に関する記述では,アメリカへの批判も大 量に記述されている。

1952年版では,「第二次世界大戦後,アメリカ は日本を占領した。アメリカの統治階級は極東に 向かって拡張するため,日本の反動勢力17)を支 持し,日本の軍事工業を復活させることを決めた。

アメリカは不法に再び日本を武装させ,極東の平 和を威嚇した」とある(陈, 1952: 51)。

また,1955年版における日本に関する記述は,

第3章の「アジアの民族解放運動が高まっている 国家」の中に見られる。そこでは,当時の中国が,

「日本は現在アメリカ帝国主義の統治から解放さ れるために戦っている」と認識していたことが分 かる。その記述は,「アメリカによる日本占領は,

当初の同盟国間の協定に完全に違反していること 17) 反動勢力とは,日本の帝国主義を支持する者を指す。

第3図 中国の中学校世界地理教科書における日本に関する記述の内容別割合 Figure 3. The composition of descriptions on Japan in Chinese middle school World Geography textbooks

(各年版の中国世界地理教科書より筆者作成)

(13)

集団はアメリカ帝国主義に頼り,自国人民から搾 取していると同時に,アメリカ帝国主義の政策に 従い,我が国に敵意を持ち,また,我が人民と 日本人民間の友好的関係の発展に敵意を持ってい る。日本の反動統治集団の行為は,多くの日本人 民の反対と非難を受けている。日本人民は日本の 軍国主義の復活に反対しており,独立,民主,平 和,中立のために戦っている」(人民教育出版社, 1960: 39–40)。また,1972年版では,「偉大であ る毛沢東主席は,日本民族は偉大な民族であり,

彼らはアメリカ帝国主義に長年にわたり支配され ていることを絶対許さないだろうと述べている。

日本人民は,アメリカと日本の反動勢力との戦い をやめたことがない。近年,日本人民はアメリカ に反対する戦いをしており,アメリカと日本の反 動勢力に衝撃を与えている」とある(辽宁省中小 学教材编写组, 1972: 30)。

五番目の特徴は,政治的な用語が多用されてい ることである。上述した4つの特徴を述べた際に,

例として挙げた記述には政治的用語が多く使用さ れており,それだけでなく,以下の記述において も強い政治的要素が見られる。

1951年版では,「日本の帝国主義者らは中国の 貧困の原因は人口過剰にあると主張し,中国への 侵略行為を隠し,中国人民に災難をもたらした。

だが,中国の独立後はどうなっているのか。事実 ははっきりしている。中国人民は立ち上がった。

中国は人口の圧力が大きいと感じていない。中国 では,人民が暖衣飽食している局面が現れ始めた。

こうした状況は,新たな社会制度の優越性を十分 に表している。人口過剰という状況は成立してい ない」とある(卢・陈, 1951: 86)。また,「日本 の食糧不足の原因は,日本人民からの搾取にある。

日本人民から搾取しているのは,日本の大資本家 と封建地主だけではなく,さらに凶猛で無慈悲な 本人民はソ連に占領されている北方領土を取り戻

すために正義の戦いをしている」18)という反ソの 記述がある(北京市教育局教材编写组, 1975: 22)。

同一教育課程期に出版された1972年版と1975年 版において,反米が反ソに変わったことと,この 時期は日中国交回復と米中国交回復が行われた時 期であることに留意すべきである。

三番目の特徴は,日本の反動勢力と軍国主義の 復活を批判していることである。本期の二番目の 特徴で述べたアメリカへの批判的な記述とともに,

しばしば日本の反動勢力と軍国主義の復活に対す る批判的な記述が見られる。例を挙げると以下の 通りである。

1952年版には,「アメリカ帝国主義は日本の反 動勢力を支持し,日本の軍事工業を復活させるこ とを決めた」とあり(陈, 1952: 51),1960年版には,

「日本の大部分の工業生産は,独占資本家により 占められている。資本家は残酷に労働者から搾取 しており,その中でも特に,女性労働者と児童労 働者に対する搾取が酷い」とある(人民教育出版 社, 1960: 42)。その後の1972年版では,「第二次 世界大戦後,アメリカ帝国主義の支持の下で,日 本の反動勢力は,吉田茂と岸信介から佐藤栄作に 至るまで,一貫して中国を敵視する政策を実施し ており,日本の軍国主義の復活を加速させている」

とある(辽宁省中小学教材编写组, 1972: 30)。

ただし,「アメリカ帝国主義は日本の反動勢力 を支持し」,「アメリカ帝国主義の支持の下で,日 本の反動勢力は」など,戦後における日本の資本 主義と帝国主義の復活はアメリカ帝国主義による ものとし,批判の対象は依然としてアメリカに なっている。

四番目の特徴は,日本の資本主義と帝国主義,

日本人民を分けて記述していることである。1960 年版では,「日本人民と異なり,日本の反動統治

18) だが,ここでの記述には詳しい島名などはなく,次の第2期(質)の教科書に詳しい記述があり,北方領土を含 む日本地図が掲載されているため,次の第2期(質)で詳しく紹介する。

(14)

4次教育課程期に出版された教科書にもかかわら ず(第1表),1972年版では反米,1975年版では 反ソと,その記述内容が根本的に大きく変わった ことである。この時期は日中国交回復と米中国交 回復が背景にあることに注目すべきである。

これらの2つの例からみると,中国の中学校地 理教科書には政治的要素がいち早く反映され,政 治の変化に敏感であったことが分かる。中国の教 育は国の政治の影響を受けやすく,言い換えれば 政府の教育に対する統制の力が強いと言える。

2 第2期(1978~94年)

本期の日本に関する記述の質的特徴は,第1期

(質)より政治的要素が弱まったことと,日本に 関する記述における批判対象が第1期(質)のア メリカからソ連へと変わったことである。そのう えで本期の質的特徴として大きく以下の3点が挙 げられる。

一番目の特徴は,戦争とアメリカとの関係に関 する記述が消えたことである。第1期(質)の日 本に関する記述の一番目の特徴として,戦争に関 する記述が多い点を挙げたが,本期においては,

戦争に関する記述が消え(第3図),アメリカに 対する批判的記述も消えた。また,第1期(質)

の日本に関する記述の特徴の1つに,日本の帝国 主義と資本主義に対する批判的記述が見られるこ とを挙げたが,それも消えている。

二番目の特徴は,日本の北方領土問題に関連し てソ連を批判する記述が見られることである。本 期に出版されたすべての教科書で,「日本の北方 には歯舞群島,色丹島,国後島,択捉島がある。

これらの島々は日本の固有の領土であり,第二次 世界大戦後ソ連により占領されている。長年にわ たり日本人民は,北方領土に対する領土主権を回 復するために,断固たる戦いをしている」とある

(人民教育出版社地理社会室, 1978: 22)。「日本の 固有の領土」とした記述は,北方領土が元々日本 の領土である正当性を強調し,「領土主権を回復」

アメリカ財閥と軍閥である。アメリカ財閥と軍閥 を日本から追い出し,自ら政権を握る時こそ,日 本人民も中国人民と同じく幸せになれる」とあり

(卢・陈, 1951: 86–87),階層を分けて記述するこ とにより,中国政府の立場を明確に示した。また,

これら以外にも「労働人民」「小資本階級」「帝国 主義列強」など,政治的用語が多く使われている。

本期(1949~77年)の質的特徴と,III で分析し たこの時期に該当する第1期(量)と第2期(量)

の量的特徴を合わせると,いずれも中国側の反米・

親ソの中米対立と反ソ・親米の中ソ対立の時期と 重なり,日本に関する記述には国際社会の情勢に よる政治関係の変化という大きな枠組みの中で,

敵対関係が反映されている。また,III では日米ソ 3か国に関する記述の量的側面から,1970年代 前半までの中国の対日認識はアメリカの従属国で あると述べたが,実際に本期の質的特徴の二番目 で挙げたように,「日本はアメリカ帝国主義の半 植民地になり」とあることからも,当時の中国に おける対日認識はアメリカの従属国であったと言 える。これらを踏まえると,1949~77年における 中国の中学校地理教科書は政治の影響を受けてお り,教科書の記述は政治的変化を反映していたこ とが明らかである。

政治的変化の反映を示す2つの例を紹介しよう。

第一は,アメリカに関する記述の割合が1952年版 で最も多く(第2図),さらに内容としては,対 米批判を含む帝国主義に関する記述が1952年版 で最も多いことから(第3図),教科書の記述が 朝鮮戦争の影響を受けていたと思われることであ る。日本では教科書の記述は同一教育課程におい て,一定程度の統一性が見られる。また,教科書 は編集と検定から採択と発行まで,少なくとも4 年の期間がかかる。こうした日本の教科書をめぐ る出版事情と比較すると,中国の教科書では1950 年勃発の朝鮮戦争が早くも1952年に出版された 教科書に反映されていることが特筆される。第二 は,1972年版と1975年版の2冊の教科書は,第

(15)

いることが明らかである。また,記述の質的特徴 として,日本の発展した資本主義経済を強調して いた。その原因は,中国の国家政策にあると思わ れる。改革開放から自国の近代化を目指す中国に とっては,日本の資金と技術は何よりも魅力的で あり,中国の経済改革と対外開放の急速な進展の ためには日本の経済力が不可欠であったと考えら れる。こうした経済重視の戦略を背景に,1982年 の教科書問題や1985年における中曽根首相の靖 国神社への公式参拝など,「戦後処理」に関わる 政治的に不安定な要素があったにも関わらず,教 科書にはこれらの政治的要素が量的・質的特徴と して現れていない。つまり,国家の最優先課題と しての経済発展を追求する際に,経済大国となっ た日本の経験と日本からの協力を重視する必要が あり,そうした対日姿勢が教科書に反映されてい ることから,この時期の日中関係が政治より経済 の影響を受けていたことが分かる。

3 第3期(1995~2007年)

本期の日本に関する記述の質的特徴は,政治的 要素が消えたこと,日本の経済発展に関する全面 的な強調と日中の緊密な貿易関係を記述している こと,文化に関する記述が出現したことである。

一番目の特徴は,日本に関する記述から政治的 要素が消えたことである。日本に関する記述にお いて,第1期(質)では,日本とアメリカを結び 付けており,日本を占領しているアメリカを批判 し,第2期(質)では,北方領土問題における日 本への支持から,ソ連を批判していた。だが,本 期においては,日本以外の国と結び付けながら記 述されることがなくなった。記述には日本の発展 した経済に関わるものが多く見られる一方で,政 治的要素は見られない。

二番目の特徴は,日本の経済発展を全面的に強 調するとともに,日中の緊密な貿易関係について 述べていることである。第2期(質)は経済に関 する記述に「資本主義」という用語を用い,中国 や「断固たる戦い」などの表現から,日本を強く

支持する立場を示している。従前の地理教科書よ りも北方領土に関する記述においては強い感情的 な表現と政治的意図が見られる。

三番目の特徴は,日本の資本主義経済の発展を 強調していることである。第1期(質)における 日本に関する記述の特徴の1つに,日本の資本主 義に対する批判的記述を挙げたが,本期において は,批判的記述がなくなった反面,発達した資本 主義経済に関する説明を通じて日本の発展を強調 している。

1978年版では,「日本は経済が発達している資 本主義国家であり,工業の近代化水準が高い。主 要な工業部門には鉄鋼,機械,電子機器などがあり,

自動車,船舶,電化製品などの領域で世界の上位 にある。日本の農業は近代化の水準が高いが,耕 作農地が少ないため,主に小型農業機械と肥料を 使い,念入りに耕作し,誠意を込めて作物を作っ ている。日本の漁業は発達しており,北海道付近 は寒流と暖流が交流し合うため,魚類が多く,世 界的に有名な漁場の1つであり,函館と下関は日 本の2大漁港である」とあり(人民教育出版社地 理社会室, 1978: 23–24),日本の産業の発展を強 調している。こうした記述は1984年版と1988年 版においても見られる。

上述した記述は,第1期(質)の経済に関する 記述に比べると,その違いが大きい。第1期(質)

の1975年版では,「日本の経済はいびつに発展し,

悪性に膨張した」と批判していたが,3年後の 1978年版では,経済に関する評価が完全に変わっ たのである。こうしたことから,経済面においても,

短期間で教科書の内容が大きく変わり,いかに中 国政府の政策が教科書に大きい影響を与え,政府 が教育を強く統制しているかが分かる。

III で述べたこの時期の日本に関する記述の量 的特徴から,この時期の中国の地理教科書は,各 国と等距離を保つ独立自主対外政策を実施し,経 済発展に専念した中国の経済政策の影響を受けて

(16)

~2007年における中国の地理教科書の記述は,自 国の資本主義経済を強調した改革開放と,日本の 発展を全面的に強調した上での自国の社会主義市 場経済の発展など,中国国内の経済戦略の変化に 影響を受けていることが分かる。その根底では,

経済戦略のための対外政策が影響を与えていると 思われる。

また,日本の経済発展を全面的に強調したのは,

1989年の天安門事件後,欧米諸国が中国への借款 やその他の援助を打ち切るなど厳しい制裁を科し たのに対して,日本は先進国の中でいち早く365 億円に及ぶ対中借款を実施するなど,中国にとっ て日本は経済的に必要な国家であるという認識が 背景にあったからだと思われる。

4 第4期(2008~2019年)

本期の日本に関する記述の質的特徴として,日 本の自然災害に対応する知識の学習,日本への親 近感の育成,日本経済への懸念の3点が挙げら れる。

一番目の特徴は,日本の自然災害についての学 習を意図した記述が見られることである。日本 の自然環境に関しては,1949~2019年の全期間 を通して記述されているが(第3図),本期では,

木造建築の耐震対策と学ぶべき避難訓練について,

図などを用いて表現されるようになる。そして,

最後に「我が国も地震が多い国であり,日本から 学ぶべきことは?」という問いを投げ掛け,生徒 に考えさせており,思考型学習の教材として用い られている。これは,II で述べた課程標準の特徴 が現れた部分でもある。

二番目の特徴は,日本への親近感の育成を意図 した記述が見られることである。本期では,中国 人の中学生が日本の学校に通い,日本人と似てい るところが多いことから,日本人と打ち解けてい く日記が地理教科書に掲載されており,日本への 親近感の育成を図っている。中国人の中学生が書 いた日記は,「2011年4月2日:今日は私の初の の政治的立場を反映した記述がある程度は見られ

るが,本期においては「資本主義」の用語が消え,

記述の中で日本の発展を全面的に強調している。

経済に関する記述においても政治的要素が見られ なくなったのである。

また,これまで記述されていなかった中国と日 本との関係については,「近年,日本と中国間の 貿易は大きく発展した。日本は中国から衣服,石 油,石炭,綿花,水産品,野菜などを輸入し,中 国へ鋼材,電化製品と他の工業製品を輸出して いる」とあり(人民教育出版社地理社会室, 1995:

107),日本との緊密な貿易関係に触れている。

三番目の特徴は,これまでなかった文化に関す る記述が見られることである。たとえば日中両国 の文化的交流を示す記述が,以下のようにある。

「日本の民族文化は,外来からの文化を継続して 吸収し,日本独自の文化の一部分になっている。

現代の日本文化は,伝統的な日本民族の文化であ りながら,東西文化の特徴を兼ね備えている。古 代から日本は中国などの東洋国家と往来し,中国 から水稲,鉄器などが伝わり,また,日本の芸術 も中国の影響を受けていた。近代に入り,日本は 西洋の科学技術を学び,急速に資本主義経済を発 展させた。欧米文化が日本社会に深く影響を与え た」(人民教育出版社地理社会室, 1995: 109)。

「外来からの文化を継続して吸収し,日本独自 の文化の一部分」という記述には,中国の日本に 対する文化的優越性の意識が見られない。また,

「古代から日本は中国などの東洋国家と往来し」

とあり,古代から日中両国間に交流があったこと を示している。

III で見られた本期の日本に関する記述の量的 特徴は,日米ロに関する記述の割合の変化が少な いことであった(第2図)。質的特徴では,第2 期(質)において日本の発展した資本主義経済を 強調していることを述べたが,本期でも日本の発 展を全面的に強調している。日本に関する記述の 量的特徴と質的特徴を重ね合わせてみると,1978

(17)

経済発展と成熟により,日中両国は経済貿易上で 共通利益はあるが,日中間の新たな経済競争とい う対立から,相手国に対する経済的牽制の姿が 見られる。この点については,兪・今野(2016:

163)が「2013年の日本の「新成長戦略」の中には,

高速鉄道などの中国との競合分野も含まれている」

と述べ,日中間の新たな対立の火種の1つとして 経済戦略を挙げている。

5 質的変遷からの検討

本章では,主に中国の中学校地理教科書におけ る日本に関する記述の特徴を,質的側面から検討 した。その結果,中国の中学校地理教科書から理 解される日本の記述の大きな特徴として以下の3 点が挙げられる。

一つ目は,中国の中学校地理教科書は政治的影 響を受けやすいことである。それは,反米記述が 反ソ記述へと変わったことが日中間と米中間で国 交が回復した時期と重なることから言える。また,

こうした記述は同一教育課程期における記述の変 化であることから,中国の教育は国の政策の影響 を受けやすく,言い換えれば政府が教育を統制す る力の強いことが明らかになった。

中国成立後から1970年代初期まで,中国の地 理教科書においては,中国を侵略した日本への批 判より,アメリカに占領されていた当時の日本に 関する記述が多く,批判対象はアメリカであった。

こうした記述から,冷戦という当時の世界情勢の 下,社会主義陣営であった中国の最大の対立国は,

資本主義陣営の筆頭国とも言えるアメリカであっ たと考えられる。『中華人民共和国外交大記事』19) では,「ソ連と同盟を組む条約の目的は,日本帝 国主義を復活させ,あるいは利用したいと思って いる国への牽制であり,明確にいうとアメリカへ の牽制である」(宋・黎, 1997: 12)と記述している。

登校日である。1年1組の教室に入った時は緊張 していたが,クラスメートと触れ合っているうち に,私の緊張感はいつの間にかなくなっていた。

私と日本人は似ているところが多い。私たちは同 じく黒い目に,黄色い肌を有しており,同じく箸 でご飯を食べている。日本の教科書にはたくさん の漢字があり,大体の意味が推測できる。これら のすべてが私に親しい感じを与えた」とある(人 民教育出版社课程教材研究所・地理课程教材研究 开发中心, 2016: 21)。

上述した記述で見られる「私たちは同じく」「似 ている」「親しい感じ」などの記述は,中国と日本 との距離感を縮め,日本への親近感を与えている。

三番目の特徴は,日本経済への懸念を示した記 述が見られることである。本期においても,工業 を中心に発展した日本の経済に関する記述を前面 に出している。だが,2008年版と2011年版の工 業に関するコラムにおいて,日本は太平洋沿岸地 域の汚染,地盤沈下,用水不足などにより,汚染 の多い工業部門を海外へ移転させたこと,漁業 資源の「乱獲」,自国の森林資源を保護するため,

世界各地から最も多く木材を輸入する国の1つで あることなど,日本経済への懸念を示す記述が初 めて現われている。しかし,直接的な批判的記述 はない。

2008~2019年の量的特徴と質的特徴を総合的 にみると,以下のことが指摘できる。2008~2019 年では,日米ロに関する記述の割合の中で,日本 に関する記述が量的に最も大きく変化した。質的 特徴の自然災害についての学習と日本への親近感 の育成から,日本を学習対象とし,また日本との 関係を重視していることが分かる。だが,日本経 済への懸念を示す記述から,経済発展により自信 をつけた中国の姿も見ることができる。こうした ことから,日本との関係を重視しながら,中国の

19) 『中華人民共和国外交大記事』(宋・黎, 1997)は,日本の外務省に当たる外交部で処理した事項を時系列で記述 した冊子である。『中華人民共和国外交大記事』の説明では,「本書は,中国政府の事件に対する立場,観点と態 度を示している」と書いている。

参照

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