アイデア・制度的環境・政策転換
ーソ連ゴルバチョフ政権における﹁新思考﹂外交の分析ー
︑
逸 見 勉
第一章 はじめに
第一節 問題の所在
第二節新思考外交の特徴−分析対象の定義
第二章 国際政治理論とソ連の対外政策転換
第三章 アイデアと制度的環境に関する枠組の設定
第一節 ﹁アイデア﹂に関する国際政治理論 −
第二節 ﹁制度的環境﹂概念の構⁝築
第三節アイデアと制度的環境のダイナミズム
第四章 ソ連における新思考と制度的環境
アイデア.制度的環境.政策転換 ︵都法四十五ー二︶ 二七五
二七六
第一節 八〇年代前半における知識人の位置
第二節 二人のリーダーーアンドロポフとゴルバチョフ
第三節 新思考と規範構造
第五章 結 論
註 第一章 はじめに
第一節 問題の所在
本稿は︑八〇年代半ばにソ連で起きた対外政策の転換を︑国際政治理論の中でも特にアイデアに注目する枠組を用
いて分析する試みである︒八五年三月ソ連にゴルバチョフ政権が誕生し︑九一年一二月にソ連が崩壊するまでの短期
間に起きたことは︑国際政治学にとって﹁驚くべき﹂事態であった︒国際政治学にとって自明の前提と考えられてい
た冷戦が終結してしまったからである︒国際政治学にはこの変化をテーマとする一連の研究の流れー﹁冷戦終結研
究︵°力﹇已゜ぎ§団§;①︒°乏巨1が存在するが︑ソ連の政策転換は︑冷戦終結研究のメインテ←の;
であり続けている︒本稿もこの一連の研究の一角を占めようという試みであり︑主たる関心は以下のような問題意識
である︒
︵2︶ ①変化の要因について ソ連の対外政策転換はなぜ起きたのか︒ ︑
②変化の方向について ゴルバチョフが採った政策は︑なぜ他の政策でなく﹁新思考外交﹂であったのか︒ ︑
. ③変化のタイミングにσいて 政策転換はなぜ八〇年代半ばという時期に起きたのか︒ ︑
それではここで本稿の概観を簡単に述べておこう︒次節では︑分析対象を明確にするため︑ソ連の新思考外交の概
要を整理する︒続く第二章では︑ソ連の政策転換について既存の国際政治理論からの説明を概観し︑批判的な検討を
行う︒この作業を通じてそれらの枠組の限界点を明確にし︑本稿で用いるアイデアを用いた枠組の意義を確認する︒
第四章ではアイデアを用いた枠組を整理した後︑ソ連の政策転換を分析するための枠組を構築し︑その枠組を用いた
︑事例分析を第五章で行う︒最後に︑第六章において本稿での分析を総括し︑今後の課題等を明らかにする︒
第二節 新思考外交の特徴−分析対象の定義
− 周知のようにゴルバチョフの対外政策は﹁新思考外交﹂と称される︒それでは﹁新思考外交﹂は︑それまでのソ連
の対外政策に対して何が﹁新し﹂かったのであろうか︒本節では︑ゴルバチョフの対外政策の特徴的な点を取り出し︑
分析を鮮明にするために︑それらを図式的に整理・再構築して本稿における﹁新思考外交﹂の定義を行う︒
ここでの議論の前提として︑本稿では﹁新思考﹂と言えばゴルバチョフの政策の基本となつてきた﹁思想﹂のこと
を意味し︑﹁新思考外交﹂と言えばゴルバチョフ政権が着手した対外政策を指すものとする︒しかしながら︑﹁階級的
利益に対する全人類的価値の優先﹂といった﹁思想﹂が︑政策言説としてそのまま打ち出されている点も見られるた
め︑ここでは﹁新思考外交﹂を﹁言説のレベル﹂と﹁行動のレベル﹂の両者を含むものとして扱うこととする︒
アイデア・制度的環境・政策転換 ︵都法四十五−二︶ 二七七
二七八
これまで冷戦終結研究でもソ連の政策転換の事例が扱われてきたが︑多くの研究が﹁新思考外交﹂を構成する要素
︵思想︑政策︶を取り出して分析の対象としてきたため︑新思考外交が従来の政策を﹁根本的に再定義﹂したもので
ある点が十分に示されていなかった︒すなわち︑﹁言説のレベル﹂だけを対象とするならば︑過去にソ連が発表し︑
西側がそれを単なるスローガンだとして退けてきたものとの区別がつかなくなってしまう︒一方︑﹁行動のレベル﹂
のみを扱えば︑単なる戦略の変化と区別がつかなくなってしまう︒総合すると︑﹁新思考外交﹂を﹁言説のレベル﹂
と﹁行動のレベル﹂のセットとして扱うことによって︑ゴルバチョフの対外政策が言行一致を目指した点を明確にす
ることができ︑従来の対外政策との質的な相違を分析対象に組み込むことが可能になるのである︒以下︑﹁新思考外
交﹂に特徴的な点を上記の二つのレベルに分けて特定する作業を行う︒
初めに﹁言説のレベル﹂を見てみよう︒これには﹁相互依存﹂の世界観︑および﹁階級的利益よりも全人類的価値
を優先﹂するという対外政策の基本方針が含まれる︒新思考外交においては︑このような認識が実際にソ連の指導者
の言説として登場する︒これは︑マルクス・レーニン主義国家としてのソ連がこだわってきた﹁階級闘争としての世
界﹂観と﹁階級的利益﹂を追求するという︑それまでの対外政策を相対化してしまったという意味で︑ソ連の見方の
根本的な変化を表していると言えよう︒また︑より具体的なレベルにおいては後述する軍縮政策に関連する因果的な
認識が存在する︒すなわち︑﹁共通の安全保障︵8日日8°・8ロ巳k︶﹂︑﹁合理的十分性︵﹃8°・o宕巨①゜・ロ茜︒δ8∨︶﹂などと
いったアイデアであり︑これらの根底には︑軍備を削減することによって安全を確保する︑という因果的な認識が存
在した︒この点︑軍拡によって安全を確保しようという従来の認識とは︑まったく異なる考え方である︒
またこのレベルのもう一つの特徴は︑﹁対外政策に対する国内政治の優先﹂である︒それまでのソ連の外交姿勢は
西側との軍拡競争を進め︑量的に高いレベルでの戦略的均衡を目指すものであった︒その背景には︑軍拡によって安
︵3︶ 全を確保するという因果的な認識があったと考えられるが︑そのために軍事が優先される状況であった︒一方︑ゴル
バチョフの政策を見ると︑対外政策の転換のみならず政治・経済・社会など︑国内のあらゆる領域において改革︵ペ
レストロイカなど︶が行われた︒ここでは︑国内の改革を円滑に進めるためには対外環境が安定していなくてはなら ︵4︶ 一 ないという論理が︑対外政策と国内政治を繋いでいた︒・ここからわかるように︑国内優先の論理は従来の国防優先の
論理を転換するものであり︑対外政策と国内政治の間の価値序列を転換した点に︑新思考外交の特徴がある︒この点
を踏まえて︑国内優先の論理を﹁言説のレベル﹂に含める︒
次に﹁行動のレベル﹂である︒新思考外交においては︑各国との関係改善︑ブレジネフ・ドクトリンの廃止︑東欧
\︑ の民主化容認︑アフガニスタンからの撤退︑環境問題への取り組みなどさまざまな政策が行われたが︑特に顕著な変
化と言えるのが軍縮政策である︒なおか︐つ軍縮交渉の過程は︑ソ連側からのイニシアチブによって進展した︒この
点︑数量的な均衡を維持しようとして手詰まりになっていたそれまでの軍縮交渉を一気に打開するものであり︑新思 ︵5︶ 考外交の大きな特徴である︒また︑一方的な軍縮は︑勢力均衡を主張する︵ネオ︶リアリズムの立場にとって︑あり
えない事態と捉えられるため︑理論的にもパズルとして扱うことができる︒このように︑新思考外交ではさまざまな
行動の変化が見られたが︑軍縮政策はその中でも顕著な変化として捉えることができるため︑本稿では新思考外交の
﹁行動のレベル﹂については軍縮政策に限定して扱うこととする︒なお軍縮政策は﹁言説のレベル﹂で挙げた﹁相互
依存の世界観﹂︑﹁階級的利益に対する全人類的価値の優先﹂という考え方とも深く関連を持つ︒すなわち︑これらの ︵6︶ − ︵7︶ 考え方の基礎にあるのが︑﹁核時代﹂と言う時代認識であり︑核戦争そのものに対する脅威認識だったのである︒
以上のように新思考外交は︑単なる戦略の変化に限らず︑それを取り巻く認識の変化が言説として表面化してい
る︒新思考外交は︑﹁行動のレベル﹂と﹁言説のレベル﹂がセットとなった︑従来とは質的に異なる対外政策だった
アイデア・制度的環境・政策転換 ︑ ︵都法四十五−二︶ 二七九
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︵8︶ のであり︑抜本的な政策転換であったと言える︒本稿では︑﹁新思考外交﹂を以上のように定義した上で︑このよう
な政策がどのようにして可能となったのか︑そのメカニズムを検討することで︑問題意識に対する回答を試みる︒
第二章国際政治理論とソ連の対外政策転換
本章ではソ連の政策転換に対して国際政治理論から提示されている諸説明を概観し︑批判的に検討する︒この作業
を通じて︑アイデアを用いた枠組を用いてこの事例を分析することの意義を明らかにする︒
ネオリアリズム
ソ連の政策転換は国際政治学にとって﹁驚き﹂であった︒この評価は国際政治学において支配的な見方とされたネ ︵9︶ オリアリズムからなされたものと考えられるが︑なぜネオリアリズムはソ連の政策転換を捉えられなかったのであろ
うか︒ネオリアリズムでは︑システム内のパワーの配分が変化した際︑国家の行動が一時的に変化し︑再び勢力均衡
が達成されると論じられる︒このとき国家は︑自国のパワーの増強︑もしくは他国との同盟のどちらかの行動をとる
と予測される︒理論的には同盟組み換えの際に︑一方的なパワーの削減が発生することもありうるが︑二極対立であ
る冷戦においては同盟の組み換えという選択肢自体ありえないため︑ソ連のケースのような政策転換は説明できな
い︒ ︵10︶ そもそも八〇年代前半において米ソ間でパワー配分の顕著な変化があったとは言い難い︒すなわち当時の米ソの軍
事力の差に際立った変化は見られない︒また︑たしかにソ連では七〇年代後半より経済状態が悪化したとはいえ︑こ
の時期にはアメリカの経済も悪化していたため︑ネオリアリズムが重視する相対的なパワーバランスに大きな変化が
あったとは言い鎚四・もともとネオリアリズムは・システムの安定を説明する理論であるため︑大規模な変化は分析
の射程外であるとも言える︒これに代わる枠組を用意する必要がある︒
/認知を重視するリアリズム お 次に認知を重視するリアリズムはどうだろうか︒ここで重視される要因は︑レーガン政権の強硬姿勢である︒この
見方をとるならば︑ソ連がアメリカの姿勢に屈し︑−やむを得ず軍備を削減するという事態が観察されるはずである︒
しかし︑実際のところソ連は積極的な姿勢で軍備削減を行ったのであり︑上記の枠組でこの姿勢を説明することはで
きない︒またソ連が屈服する立場であったとすれば︑自らが積極的なイニシアチブをとって軍備削減を行ったことは
ともかくいアメリカに対しても軍備削減を求め︑交渉の末軍縮条約を締結させることなどできなかったであろう︒
また︑レーガン政権の強硬姿勢を重要な要因として考える見方に対しては︑以下の二点が指摘できる︒一つは方法
論的な批判である︒すなわち理論的には︑アメリカの強硬姿勢に対してソ連もまた強硬な態度で応じる︑というシナ
リオも可能で稔・したがって・アメリヵの強硬姿勢という独立変数と︑ソ連の政策転換という従属変数の間に︑な
んらかの媒介変数を導入しなければ︑議論は説得性を欠いたものとならざるを得ない︒もう一つは︑.レーガン政権の
姿勢についてで曇・レーガンは大統領就任直後から反ソキャン→ンを始めたが︑そのト←は平和運動などによ ロ る影響で一貫していたわけではない︒八四年にレーガン自身が核戦争について否定的見解を出したと思うと︑その後 パ ロ の軍縮交渉では再びSDIにこだわるという点も見せており︑アンビバレントな姿勢であった︒
アイデア・制度的環境・政策転換 ︵都法四十五ー二︶ 二八一
二八二
ネオリベラリズム
それでは次に︑国家間の協力の可能性を理論的に検討したネオリベラリズムについて検討する︒ネオリベラリズム
では︑国家間関係をゲーム理論の﹁囚人のジレンマゲーム︵PDゲーム︶﹂として扱う︒アクセルロッドは︑繰り返
しゲームによるシ︑三レ←・ン分析によってpD状況下における協力の可能性を導き出撞・ではソ連の政策転換
はこの枠組で説明できるのであろうか︒この場合︑冷戦を﹁繰り返しPDゲーム﹂と見なせば︑相互主義戦略による
協力達成の可能性は理論的な帰結として視野に入ってくる︒PDゲームでは︑アクターの選択肢は﹁協力・非協力﹂
のどちらかである︒軍縮を協力︑軍拡継続を非協力としたとき︑繰り返されるゲームのある時点でソ連が協力を選択
し︑アメリカもそれに相互主義で応じたと見れば︑ソ連の政策転換について一応の説明は成り立つ︒
しかしこの枠組においても︑非協力から協力に転ずるタイミングが説明できないため︑本稿の問いに対する回答は
与えられないままである︒そしてもう一つの問題は︑ネオリベラリズムがアクターの選好の変化を視野に入れていな
い点である︒ネオリベラリズムは合理選択理論の前提に立っているため︑アクターの選好を所与として仮定する︒し
かしソ連のケースにおいては︑行動に限らず︑選好のべースとなる認識自体が変化しているため︑合理選択論の見方
からは十分な理解ができなくなってしまう︒
国内要因
このように国際システムレベルの要因のみでは︑ソ連の政策転換をめぐる本稿の問題意識に十分な回答を与えるこ
とができない︒変化のタイミング︑及び方向の問題に十分な回答を与えるためには︑国内政治過程に視点を移す必要
があろう︒すなわち政策転換は政策決定者による﹁決定﹂を経ているため︑その決定が行われた背景を探る必要があ
る︒また︑国内をブラックボックスとして扱うことによって︑システムレベルの枠組が見落としてしまう国内構造の
影響を拾い上げることができる︒
そこで国内に目を転ずると︑ネオリアリズムのところで指摘したようにべ八〇年代前半のソ連国内では︑経済の悪
化が深刻化していた︒ただしここでの問題は︑経済悪化が国家間の相対的なパワーバランスに与えた影響ではなく︑
絶対的な意味での経済悪化である︒ゴルバチョフの発言などからも︑この要因は実証的に妥当なものと言える︒しか ︵19︶ − し経済の悪化は七〇年代から問題と.なつており︑タイミングの問題は依然未解決のままである︒さらに︑変化の方向
についても疑問が残る︒すなわち経済の問題を解決するために︑なぜ他の政策分野を巻き込む必要があったのであろ
シ プ コ ︑つカ
この変化の方向の問題に答えるためには︑アイデアに着目することが有用であると思われる︒経済悪化という要因
と対外政策がどのようにリンクされたのか︑軍縮政策と国内経済改革がなぜ同じ論理の上で扱われたのか︒実施され
た政策の諸要素を理解する上で︑アイデアへの着目は不可欠と思われる︒以上︑国内への視点の移動︑アイデアへの
着目という二点を踏まえ︑次章ではアイデアに着目した理論を整理し︑本稿の分析枠組を構築する作業を行う︒
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