補助参加論の新たな試み︵一︶
ーアメリカ連邦民訴規則上の日9寒①巳∈・⇒との比較検討を基にー
和 田 直 人
︻目 次︼ ︐
序 論 第二節 連邦民訴規則における多数当事者訴訟の規律
第一章訴訟参加論の抱える問題点 第三節゜日冨叶く①葺日づとその沿革
第一節 訴訟参加申出の動機 第四節 現行連邦民訴規則
第二節参加類型峻別論 第五節一葺胃くΦづ江α白における訴訟参加人の権限 ・
第三節補助参加の利益 第六節小 括︵以上︑本号︶
第四節 補助参加人の従属性 第三章 日本法への示唆 ︵以下︑次号︶
第五節小 括 6 第四章私 見
第二章 アメリカ連邦民事訴訟規則二四条 結 び ︐ ︐
ー一白叶Φ吋くΦO江Oづ1
第一節 序
補助参加論の新たな試み︵一︶ ︵都法四十四ー二︶ .四一三
、
四一四
序 論
社会で発生する紛争には︑直接的にであれ︑間接的にであれ︑実に様々な利害を抱える紛争主体が関与しており︑
通常それは訴訟当事者にとどまらない︒しかしながら︑その紛争が訴訟の場に持ち込まれたときには︑原告︒被告︑ り ゆ あるいは参加人︑さらには証人まで範囲を拡げてみても︑当該訴訟に全ての紛争主体が関与しているケースというの
は︑非常にまれである︒法もまた︑︵固有必要的共同訴訟が求められる一部の例外を除いては︶全ての紛争主体の訴訟関与
を常に要求しているわけではない︒もっとも︑法が全ての紛争主体の訴訟関与を求めていないところに︑一般に説か
れるような紛争の相対的解決の理念が強調される契機が生じるのであろうが︑利用者たる訴訟当事者の視点に立てば︑
︵わざわざ裁判まで起こしているわけだから︶紛争がいわばコ件落着﹂のものとして解決される方が望ましいという思
いがあることは改めて言及するまでもない︒しかしながら︑判決が下されさえすれば紛争が必ず解決するというわけ
ではなく︑訴訟外における紛争当事者間でのやりとりであったり︑執行の局面まで含めて1結局は紛争当事者自
身の手によって1総合的に解決・処理されていくのが紛争というものであろう︒そう考えると︑紛争解決という
テーゼを打ち立てて多数当事者訴訟論︵のみならず︑民事訴訟法理論︶を展開することは︑利用者に対してミスリーディ
ングであるという点で大きな問題がある︒しかしながら︑裁判による紛争の終局的解決というテーゼがたとえ絵に描
いた餅にすぎないものであったとしても︑そこから直ちに裁判では紛争の相対的解決しかできない︵だから︑原告︒
被告以外の利害関係人は可能な限り排除するべき︶という結論を導くのも早計であって問題であろう︒終局的解決はでき
ないが︑相対的には解決できるという理屈は︑結局はトートロジーに過ぎず︑その結論自体が自己矛盾に含んでいる
だけではなく︑司法制度のあり方︑法律家としての心構えとしても大いに問題がある︒
また︑わが国の多数当事者訴訟論の骨格をなす理論・目的の他方として︑いわゆる合一確定・紛争の一回的解決の
理論があるが︑これもまた疑問が向けられなければならない︒すなわち︑その文脈で述べられるこれらの前提は︑た
とえば︑紛争の一回的解決がいわゆる合一確定を目指すための手段であり︑前訴と後訴との矛盾判決を回避するため
の法的施策であるように︑判決中心的な発想に基づく︵法専門家のための︶理念であって︑そこでの解決は︑先にも述
べたが︑あくまでも擬制としての紛争解決にすぎない︒もちろん︑民事司法・裁判への信頼や︑公的リソースを用い
た紛争処理機関としての裁判という制度の意義等の観点からみて︑矛盾判決の回避が重要な法政策の一つであること
は否定しがたい︒しかしながら︑多数当事者訴訟制度のあり方として︑合一確定のみを念頭においた紛争の一回的解︑
決というテーゼが果たす役割は必ずしも積極的な意味合いを持つものではない︒
結局のところ︑わが国における伝統的な訴訟参加論の中では︑訴訟当事者以外の紛争当事者は︑いわゆる厄介者と
して排除の対象であり︑仮に参加を認めるとしても︑たんなる判決効の対象としてのみでしか存在価値を見いだされ
ておらず︑その主体性.自律性は参加をめぐる議論のなかで見過ごされてきたといってもよい︒二当事者対立構造を
理論的基盤としてわが国の民事訴訟制度を考える以上は︑多数当事者論・訴訟参加論は重箱の隅の議論であって︑後 −
回しにすれば良いという発想が根底にあるのかもしれないが︑それでは︑現実の紛争には対応しきれない︒今後︑司
法が社会のなかでより大きな使命を果たすためにも︑国民からのより厚い信頼を得るためにも︑民事訴訟の基本的な
あり方が問われている今のこの時期に︑多数当事者論・訴訟参加論を見直すことがもたらす効果は決して小さくない
と思われる︒
そこで︑合一確定であるとか︑紛争の一回的解決という目的とは別個に︵むしろ︑これら判決中心主義の理念を排除し
︑補助参加論の新たな試み︵一︶ ︵都法四十四−二︶ 四一五
四一六
て︶︑より利用者の立場に近い視点から︑紛争の実態に則した訴訟審理のための理論として︑あるいは︑これら訴訟
の当事者ではない紛争主体が独自に有する利益︵地位︶と既存当事者が抱える利益︵地位︶との調整を当事者自らの
自律的な交渉によって図るための規律として︑従来よりも積極的に多数当事者訴訟を規律していく必要があるのでは
ないかと思われるのである︒ ︑ 本稿は︑以上のような立場から︑補助参加論に関する筆者の問題意識をより明確にした上で︵第一章︶︑アメリカ
の連邦民事訴訟規則における訴訟参加制度︵一〇けΦ吋くΦ﹈ρ叶一〇昌︶について概観し︵第二章︶︑これと日本の補助参加制度を
比較検討した後に︵第三章︶︑補助参加制度を中心に今後の利害関係人に対するアクセス保障のあり方について︑筆
者なりの見解を示すものである︵第四章︶︒
第一章訴訟参加論の抱える問題点
本章では︑次章以降での検討に先立ち︑まず︑本稿冒頭で述べた筆者の立場から︑わが国の訴訟参加制度に潜んで
いると思われる幾つかの理論的前提の誤解・問題を提示しておきたい︒
第一節 訴訟参加申出の動機
わが国の訴訟参加論が抱えている誤解の第一は︑訴外の紛争当事者の訴訟参加申出の動⁝機︒目的についてである︒
例えば︑補助参加人の場合には︑補助参加︵申出︶人たる利害関係人は被参加人を勝訴させるために訴訟参加をする
と通常は説明とされるのだが︑実はこの表現が非常にミスリーディングなのである︒なぜなら補助参加人は︑補助参
加人自身の名と費用で訴訟に関与してくる者であるので︑その点に︑補助参加人は自らの利害をかけて訴訟を追行す
る者であると理解する契機があるからである︒
もっとも︑補助参加人の場合︑自己の目的を達成する︵利益を保護する︶ためには被参加人の勝訴が必要なわけで
あるから︑必ずしも講学上の説明が誤っているというわけではない︒しかしながら︑被参加人の勝訴が自らの利害と
関係してくる以上︑補助参加人は被参加人の訴訟追行に大きな感心を持つ紛争当事者なのである︒つまり︑被参加人︐
の訴訟追行に対し︑参加申出人が満足しているのならば︑その紛争当事者がわざわざ補助参加を申し出るインセンティ ブは大幅に減少するのである︒そのように考えると︑訴外紛争当事者が補助参加を申し出る動機の基礎は︑あくまで
も自らの利益を守るためであって︑それ故に︑その量的・質的な軽重はあるにせよ︑補助参加人は被参加人とは異な
る︵参加人自身による︶訴訟追行を欲していることにあるとまず第一に理解すべきなのである︒
︵1︶ 高橋宏志﹁各種参加類型相互の関係﹂新堂幸司編集代表﹃講座民事訴訟③﹄︹弘文堂︑一九八四︺二五六頁は︑参加人の
﹁弁論の要求﹂こそが参加申出の動機の根本であると指摘する︒なお︑井上治典・判評・判評二九四号︵判時一〇七九号︶
三九八三︺二〇九頁︑拙稿﹁補助参加の利益論の限界ー最高裁決定の比較検討を材料にー﹂東京都立大法学会雑誌四
三巻二号︹二〇〇三︺四五二頁も参照のこと︒
第二節 参加類型峻別論
わが国の訴訟参加法制は︑任意参加につき︑多数のルートを用意しているのが特徴である︒このことは︑次章で触
れるアメリカ法における訴訟参加制度が任意参加について︑一つのルート︵後述の訴訟参加︵一暮Φ2Φ昆・づ︶のみ︶し
か有していないことと比べるとまさに対照的である︒参加のルートが多数あるということは︑これを積極的に評価す
補助参加論の新たな試み︵一︶ . ︐ ︵都法四十四⊥一︶ 四一七
四一八
れば︑法として緻密であるといえるのだろうが︑消極的に評価すると融通が利かないということにもなる︒
これらの両面につき︑わが国の訴訟参加制度を評価するならば︑筆者の目には︑どちらかというと後者の方が強く
印象づけられる︒ζのようなわが国の訴訟参加制度に内在する硬直さは︑わが国の訴訟参加制度が一般理論と同様に
請求概念中心の判決至上主義に基づく理論によって支えられていることに起因する︒
具体的にわが国の任意参加法制は︑補助参加︵四二条ないし四六条︶︑当事者参加︵四七条︶︑共同訴訟参加︵五二条︶
および︑解釈上認められる類型として共同訴訟的補助参加の類型を用意しているが︑この分類の基礎は︑既存当事者
で争われる請求︵訴訟物︶と参加人との距離であり︑それに対応して異なる参加人に対する判決効の強さの違いであっ
て︑わが国の訴訟参加理論は︑これらの分類に沿って︑細かな争点の議論を精緻に積み上げてきたものである︒しか ︵2︶ しながら︑既に指摘されているように︑各参加類型には共通の要素・流動性がみられるのであってさらには︑請求・
判決を中心とした参加類型の分類は当事者以外の紛争当事者の真の態様とは必ずしも適合的ではないので︑これらの
分類・枠組みを必要以上に強調することは現実の紛争処理の観点からすると妥当であるとは思えない︒
︵2︶ 高橋・前掲注︵1︶二六二頁以下︑井上治典﹁参加﹁形態論﹂の機能とその限界﹈同﹃多数当事者訴訟の法理﹄︹弘文堂︑
九八二三〇七頁以下︑同﹁訴訟参加制度の現状と課題﹂同﹃多数当事者の訴訟﹄︹信山社︑一九九二︺一八六頁以下︒
第三節 補助参加の利益
前節で指摘したように︑わが国の訴訟参加法制が抽象論・個別類型毎の法理論の緻密化にこだわりすぎた故に現実 ︵3︶ の実務との連動が困難になった典型的な例として挙げられると思われるのが︑いわゆる補助参加の利益論である︒
わが国の補助参加制度は︑﹁訴訟の結果に利害関係を有する者﹂にその参加を認めている︵四二条︑だだし四四条︶︒
しかしながら︑この﹁利害関係︵いわゆる補助参加の利益︶﹂がいかなる範囲で画されるものかということについては︑ ︵4︶ 昭︐和四〇年代以降平成に至るまでの間︑基準定立のために数々の論争が繰り広げられてきたが︑その試みはいずれも
成功したとは言い難い︒すなわち︑判例・学説一般に容認される﹁補助参加の利益11法的利益﹂という方程式も︑そ
の利害関係を訴訟物にかかるものに限定する立場と判決理由中に拡張する立場との相違も︑実際の補助参加申出︵お
︐よびその許否判断︶の局面に適合するだけの理論・基準を打ち出すことはできず︑その事案ごとにおける︵許否判断の︶ ︵5︶ 結論に形式上の正当性を与えるための常套句としての意義しか見いだすことはできないのである︒
このように既存の補助参加の利益論が現実の訴訟参加に通用しなくな?たことの理由としては︑要件と効果︵参加
人の地位︶との連動を無視して︑要件論のみが一人歩きして議論されたことが挙げられる︒特に補助参加の場合には︑
株主代表訴訟の事例などのように︑補助参加できるか否かという論点それ自体が法政策上重要となる事案をリーディ
゜ングケースとして議論されてきたことの弊害もあって︑補助参加それ自体の本質からは離れた議論が展開された結果︑ ︑ ︵6︶ まず参加要件ありきの考え方が顕著であったと思われるからである︒本来訴訟参加の議論は︑入り口だけの議論だけ ノ ︑ ではなく︑その内部︵参加人の地位︶︑出口︵判決効︶の議論も見据えて総合的に考慮されるべき問題であって︑わが
国のように︑要件.参加人の地位・判決効のそれぞれの議論を一度切り離したうえで精緻化した後に改めて体系化す
るという方法論では︑現実の紛争類型に柔軟に対応するのは難しいのである︒
︵3︶ 筆者は前稿で︑平成=二年一月三〇日と二月二二日に最高裁第一小法廷が下した二つの補助参加許否決定を題材として︑
補助参加許否判断の背後にある︑不可視で不意打ち的な裁判所の裁量の問題点を浮き彫りにさせることで︑ζれまで学説が
展開してきた﹁補助参加の利益論﹂が実務上では有効に機能していないことの論証を試みたことがある︒和田・前掲注︵1︶
補助参加論の新たな試み︵一︶ ︵都法四十四ー二︶ 四一九
四二〇
四二三頁︒
︵4︶ 補助参加の利益をめぐる学説の変遷については︑井上治典﹁補助参加の利益−半世紀の軌跡1﹂同﹃民事手続の実
践と理論﹄︹信山社︑二〇〇三︺一六七頁以下が詳しい︒
︵5︶ 和田・前掲注︵1︶四二一二頁︑特に四四六頁︒
︵6︶ 和田・前掲注︵1︶四五二・四五三頁︒
第四節 補助参加人の従属性
従属性の問題に関して一番重要な点は︑わが国の議論が参加人一般という形で抽象的にしか論じられてこなかった
という点である︒このことは︑わが国の法理が従属性原則を所与のものとして受け入れたことの現れでもある︒しか
しながら︑参加人が従属する対象が被参加人なのか︑それとも係属している訴訟︵の状態︶であるのか︑はたまたそ
の両者であるのかということを突き詰めて考えるとーわが国では両者に従属するという建前を採っていると思わ
れる1実はその根拠はあやふやなのである︒そもそもわが国の従属性原則の母法であるドイッ法においても︑当 ︵7︶ 初は独立性を強調する学説が主であったことは既に先学が指摘するところである︒すなわち︑ドイッでは一九世紀に
なるまでは︑参加人の独立性が主流であったものの︑一九世紀ドイッの歴史法学の中で論理的一貫性を過度に追究し
た結果︑従属性が主となっていたのであるが︑その議論を無批判のままに受け入れたわが国において根拠︒理論的な
基盤があやふやなことはより明白である︒
もっとも︑わが国においても︑ドイッにおいても︑実はこの従属性原則は完全なものではない︒すなわち︑被参加 ︵8︶− 人から参加に対する異議が述べられた場合であっても補助参加の利益が存在すれば参加が認められるし︑極端な表現
をすれば︑被参加人に抵触する行為であっても参加人は行為を為すことそれ自体は可能だからである︒このことは︑
︵任意の︶訴訟参加が原則として訴外利害関係人のための制度であるということを端的に現しているといっても差し
支えなかろう︒さらには︑現在のわが国では︑むしろ独立性を強化する議論の方が優勢であり︑補助参加人の権限は ︵9︶ 拡がる傾向にある︒
権限拡張の傾向それ自体は支持できるものであるとしても︑最も大きな問題は︑これらの参加人の権限が画一的・
確定的に強化されるということなのである︒確定的であるということは︑補助参加が認められさえすれば︑全ての補
助参加人に対して無条件に等しくその地位が与えられることを意味する︒わが国においては︑参加人の権限・参加人
の地位の従属性の議論の範疇では︑既に﹁参加が許されている﹂という前提で︵すなわち︑抽象的なある利益を有する補
助参加人を念頭において︶のみ議論がなされてきたために︑参加︵申出︶人個々人が抱える軽重様々な利益の具体相を
まったく考慮していないのである︒結局︑わが国の場合︑そのしわ寄せは︑最終的に補助参加の利益論︑すなわち参
加申出に対する許否判断に寄せられることになる︒つまり︑参加人の地位に関する議論に柔軟性が欠けているが故に︑
地位を拡張すればするほどに︑裁判所は参加申出許可に厳しい立場を採るようになるという皮肉な結果がもたらされV
実際の利用者にとっては︑窮屈な法制度になっているというのがわが国の補助参加に対して持つ筆者の印象である︒
︵7︶ 井上治典﹁補助参加人の訴訟上の地位について﹂同﹃多数当事者訴訟の法理﹄三頁以下︑特に七頁以下を参照のこと︒
︵8︶ かつてドイッでは︑ゲンスラーのように﹁被参加人は参加人の補佐を拒否できる﹂と主張する学説もあった︒しかし︑わ
が国および現在のドイッの従属性理論はこれを採っていない︒詳しくは︑井上・前掲注︵7︶八頁以下を参照のこと︒
︵9︶例えば︑先の平成民訴改正では︑補助参加人による再審提起までもが理論上可能となった︒
補助参加論の新たな試み︵一︶ ︑ ︵都法四十四ー二︶ 四二一
四二二
第五節 小 括
本章でこれまで述べてきたことは︑実は︑既に二〇年ほど前から繰り返し主張されてきたことであり︑共通の要因
に基づくと考えられる︒すなわち︑その第一は︑多数当事者訴訟・訴訟参加論への関心の低さであり︑第二は︑わが
国の複数主体をめぐる議論が︑ミクロレベルかつ抽象的な議論の積み重ねでしか議論されてこなかったことにある︒
個々の制度それぞれをとってみても︑例えば補助参加の議論では︑要件論・参加人の地位に関する議論・判決効︵参
加的効力︶に関する議論は︑かなり細かなところまで議論されてはいるものの︑それらを総合的にまとめあげる基礎 ︵10︶ 的な理論・視点については︑必ずしも充分に議論されてきたとは言えないのである︒
わが国のように︑訴外紛争当事者の訴訟関与を歓迎しない雰囲気が一般的に強い中で個別類型毎・個別論点毎の理
論が精緻化されるということは︑利用者側にとっては︑逆に制度の敷居の高さにつながるおそれがある︒わが国の場
合︑数ある参加類型のうちどれを利用するかを選択するのは︑利用者側であり︑それは参加申出の時点でなされなけ
ればならないので︑利用者が負わされる負担は重大である︒
そこで︑利用主体にとってより有益な制度として訴訟参加を再構築しようとするならば︑わが国でこれまで展開さ
れてきた議論のスタイルを転換させる必要があるのではないかと筆者は考えるのである︒要するに︑わが国の議論で
当然のようになされてきた﹁要件ー地位−判決効﹂の連鎖を断ち切った上で︑それぞれの議論において︑再度﹁訴訟
参加︵の目的︶とは何﹂かを問い直さなければならないのではないかということである︒次章以降︑特に第三章以降
での本稿の検討および試論は︑この悪循環的な連鎖を絶ち︑要件のルートと効果のルートを分離することによって︑
率直に利害関係人各々が有する利害関係の程度︵補助参加の利益の程度︶によって異なる権限を想定し︑補助参加の入
口だけではなく︑その内部においても︑既存当事者と参加人との手続権の衝突局面を調整することを可能とすること
で︑より柔軟な訴訟状態を創出することを目的とするものである︒
そのための議論の糸口を求めて︑まずは︑次章においてアメリカにおける訴訟参加︵戸5ひΦ﹃<ΦO↑戸Oづ︶の規律を眺め
てみることにする︒
︵10︶ 井上・前掲注︵2︶の両論文によって既に指摘されることである︒ −
第二章 アメリ力連邦民事訴訟規則二四条
、
本章では︑アメリカ連邦民事訴訟規則︵勺Φ合﹃巴因巳Φo︷○才匡Φ勺88巳ξΦ︶二四条︵アメリカ連邦民事訴訟規則につ
いては︑以下︑単に連邦民訴規則と記し︑さらに条文に関しては︑印巳︒陪という形式で引用する︶が定める訴訟参加
(一
Z↑Φ弓くΦ5け↑Oコ︶について紹介する︒
第一節 序
本稿において︑筆者がアメリカ法を題材として取り上げた理由は︑アメリカ連邦民事訴訟規則における訴訟参加の
規律が︑わが国が前提とする二当事者対立構造を放棄している︵採用していない︶ことにある︒すなわち︑わが国の
多数当事者訴訟制度の規律︑ひいては︑補助参加制度に関する様々な限界の要因をへわが国︵ならびに母法であるドイ
ツ法︶が前提とする二当事者対立構造と︑前章で述べたようなわが国の訴訟参加理論が抱える硬直さに起因すると考
補助参加論の新たな試み︵一︶ ︑ ︵都法四十四ー二︶ 四二三
四二四
える筆者の問題関心からすれば︑この基本的な前提の違いこそがそのまま示唆に富んでいると考えられるからである︒
わが国の訴訟参加論が抱える問題を打破しようとするならば︑二当事者対立構造を前提として基本事件における判決
の第三者︵参加人︶に対する効力に焦点を絞った議論︵相対的解決論︶のみでは︑決定的な理論を打ち出すことは不可
能であり︑逆に補助参加制度の存在価値を媛小化させかねないことは︑近年までのドイッ法における補助参加の議論 ︵1︶ が停滞してしまっていたことや︑わが国の補助参加の利益をめぐる議論においても︑株主代表訴訟における会社の被
告側への補助参加の許否をめぐる議論のように︑補助参加論が﹁道具化﹂され︑それが補助参加の議論の主流 ︵2︶ となることで︑議論の本質がすり替えられてしまっていたことからも明らかである︒
その点︑連邦民訴規則の規律は︑後にも説明を加えるように︑参加を申し立てた訴外の紛争主体は︑ひとたび参加
が許可されると︑原則として完全なる当事者としての地位を獲得する点でわが国の規律とは大きく異なる︒すなわち︑
わが国の規律では︑補助参加の場合︑参加人・被参加人と相手方の三者の関係は︑被参加人と相手方の請求定立関係
を基礎として︑あくまでも︑被参加人の補佐役としての地位にとどまるのに対し︑アメリカ法の訴訟参加において︑
この三者の関係は︑まさに三面的︵苛戸Φ匹︶なのである︒もっとも︑基礎的な前提が異なるアメリカ法の規律をわが国
にそのまま輸入するようなことは困難なことであろうし︑さらには︑以下で触れる訴訟参加︵一づけΦ﹃<Φづ↑声O昌︶は︑わ
が国の訴訟参加類型との比較においては︑独立当事者参加︵四七条︶が最も近いものであると思われるので︑補助参
加とは︑仕組みそのものが異なるのではないかとの批判を受けることも容易に予想される︒しかしながら︑わが国に
おける停滞した議論を打破するためには︑やや乱暴な表現かもしれないが︑この異質さに示唆を求めること︑その示
唆を基礎に︑わが国の議論を再度見つめ直すことに全く価値がないとは言えないのではないだろうかと筆者は考えて
いるわけである︒
︵1︶ これまで特に目新しい動きのなかったドイツの補助参加をめぐる議論でも︑近年になって︑たとえば︑勺9隅﹀°≦日匹Φ亡
O胃甘8﹃︿Φ5江05︒︒σq2づ匹匹Φω㎝ΦΦ﹀ぴΦ﹈N勺○巴゜・㊥8NΦ゜︒后言巨σqωぴΦ︷已σqユ゜︒︵﹂8N︶のように︑補助参加を利害関係
人の訴訟追行権の観点から把握しようとする学説が登場してきた︒なお︑≦↑己Φ﹂の説については︑福本知行﹁ドイツ民事
訴訟法における補助参加の理由をめぐる近時の議論の一断面﹂大阪市立大学法学雑誌凪九巻一号︹二〇〇二︺九九頁に詳細
な紹介がある︒
︵2︶ この点については︑和田直人﹁補助参加の利益論の限界﹂東京都立大法学会雑誌四三巻二号︹二〇〇三︺四二三頁︑特に
四四三頁および四四九頁注︵27︶を参照されたい︒
第二節 連邦民訴規則おける多数当事者訴訟の規律
まず連邦民訴規則における多数当事者訴訟を規律する手続一般について︑簡単に概観する︒連邦民訴規則では︑わ
が国における多数当事者訴訟︑訴訟参加・引込みに対応する手続類型を複数用意しているが︑それらは︑紛争を関係
者全体にわたって一個の訴訟で解決するために関係者を訴訟上も当事者とする手続のグループと︑個人の集合が集合 ︵3︶ のままに訴えまたは訴えられることを可能にする手続のグループとに大別される︒前者に属するものとして︑強制的
当事者併合︵︒o日言﹂mo昌﹄日邑胃o︷勺①昆Φω︶︑任意的当事者併合⌒勺2日一゜︒巴くΦ⊂︒↑えΦ﹃︶︑訴訟参加︵戸暮Φ2Φ巳戸8︶︑
引込訴訟︵↑日宮Φ昆胃ないし各貯匹己p﹃P買知o江○Φ︶︑競合権利者確定手続︵一葺Φ日﹂Φ巴零︶があり︑後者に属するものに︵
主としてクラス・アグションがある︒
以下において︑それぞれについて簡単に説明を加えるが︑訴訟参加については︑第三節以降で別に述べることにす
る︒
︵1︶ 当事者併合 ー ︵ ° 補助参加論の新たな試み︵一︶ ﹁ ︵都法四十四ー二︶ 四二五
四二六
紛争を関係者全体にわたって一つの訴訟で処理しようとする手続のうちで︑最も直裁的なのが当事者併合であろう︒
連邦民訴規則上は︑一定の︵原・被告外の︶紛争当事者が訴訟上も当事者となることを法律上要求する強制的当事者
︵4︶ ︵5︶ 併合︵印巳Φ§と︑併合を原告の意思に委ねる裁量的当事者併合︵国巳Φ・︒O︶とが規定されている︒わが国の制度で ︵6︶ は︑前者は固有必要的共同訴訟に︑後者は通常共同訴訟に対応するものであるといえる︒
︵2︶ 引込訴訟
被告が本訴において敗訴したとすれば第三者被告︵吟臣己6胃蔓9︷Φa9げ︶がその責任の全部または一部について
填補︵日9旨巳蔓○﹃Ooづ日9・一8︶義務を負うと主張して︑被告︵第三者原告⁚け三aも巴蔓且巴暮↑︹︷︶の填補請求を ︵7︶ 本訴と同一の訴訟の中で処理させる手続のことであって︑勾巳Φにが規律している︒なお︑被告が反訴を提起した場
合には︑原告の側が第三者を引き込むことも許される︒引込訴訟においては︑付加管轄権が認められる程度の関連性
は当然としても︑原則として第三者の引込みの許否は︑裁判所の裁量に基づき︑どの当事者も引込訴訟に異議を申し
出たり︑分離を申し立てることが可能である︒
︵3︶ 競合権利者確定手続
例えば︑生命保険金に対し︑相続などを根拠に権利者であると主張する者が複数いる場合などのように︑ある義務
者に対し複数の権利者が競合する権利を請求する場合に︑義務者の側から訴訟を提起して︑複数の権利主張者間の権 ︵8︶︵9︶ 利関係・持分を整合的に処理するための手続であって︑閲巳Φ鵠が規律している︒
︵4︶ クラスアクション
集団︵クラス︶が大きすぎるために全集団員個々を当事者とすることが非実際的であり︑かつ︑クラス全体に共通
の法律問題または事実問題がある場合に︑その請求または防御がクラス全体にとって典型的であり公正かつ適切にク
1
︑ ラスの利益を守ると思われるメンバーがクラスを代表して全メンバーのために訴えまたは訴えられることを許す手続
であり︑印巳Φ.Nωが規律する︒現実のクラス・アクションは︑請求があまりにも少額であるであるために個別の訴訟
を提起したのでは経済的に引き合わない請求に関するものと︑共通の権利侵害を受けた多数の被害者のためにするイ
ンジャンクションの訴訟の場合の二類型に大別できるが︑クラスアクションについては︑既に詳細な紹介がわが国で ︐︵10︶ もなされているので︑本稿ではこれ以上触れることは割愛する︒
なお︑派生訴訟︵O①ゴ<p﹂<Φ︾△↑日コ︒︒ξo︒プ2筈︒一雪︒︒一印巳①・︒ωヂ一︶︑法人格なき社団に関する訴訟︵>95口閲Φ︸Φ下
日σq8己巳58巷︒﹃巴Φユ﹀︒︒︒︒○○巨8房一國巳Φ・︒ω.・︒︶は︑伝統的にクラスアクションの一部とされてきたが︑実体法関
・係に特色があるために︑一九六六年の改正で分離されたものである︒
︵3︶ 高橋宏志﹁必要的共同訴訟論の試み︵一︶﹂法学協会雑誌九二巻五号︹一九七五︺五〇四頁の分類にならった︒
︵4︶ 印巳①一q⊃ 強制的併合
︵a︶ 可能であれば併合される者︒訴状の送達に服し︑︑その併合が裁判所から訴訟物について管轄を奪わない者は︑︵ユ︶
その者を当事者としない限り︑既に当事者となっている者の間で完全な救済を与えることができない場合︑または︑︵2︶そ
∵の者が訴訟物に関する利益を主張し︑その者を当事者としないでなされた訴訟処理が︵i︶事実上彼の当該利益を守る能力を一 ・
侵害するか︑︵i︶主張されている利益のために︑既に当事者となっている者が︑重複する義務または両立しない義務を課ざ
れる実質的危険に晒される場合︑当該訴訟に当事者として加わる︒その者が当事者として加わっていないときには︑裁判所
がその者を当事者とするよう命令を下す︒その者が原告として加わるべきであるのに拒否する場合︑その者は被告とされ︑
または適当な事件では︑非自発的原告とされうる︒併合された当事者が裁判地について異議を述べ︑その者の併合が訴訟の
裁判地を不適当なものとする場合︑その者は訴訟から排除される︒
°︵b︶ 併合が不可能な場合の裁判所による決定︒︵a︶︵1︶ー︵2︶で示された者が︑当事者とされ得ない場合︑裁判所は︑
. 衡平と良心に基づいて︑訴訟が裁判所の前にいる当事者間で続けられるべきか︑却下され︑当事者となっていない者が不可
補助参加論の新たな試み︵一︶ ︵都法四十四+二︶ 四二七
四二八
欠とされるべきかを決定する︒裁判所によって考慮されるべき要素は︑第一に︑その者が当事者でないうちに出た判決がど
の程度その者または既に当事者となっている者に不利益を与えるか︑第二に︑判決内の保護条項︑救済の工夫またはその他
の方法でどの程度この不利益が緩和︑回避し得るか︑第三に︑その者が当事者とならないうちに出された判決は適切かどう
か︑第四に︑無併合によって訴訟が却下された場合に原告が適当な救済を得るかどうかである︒
︵c︶ 無併合に対する理由の訴答︒救済を求める請求を定立する訴答は︑︵a︶︵1︶1︵2︶に示される者のうち併合されな
い者の名を︑もし訴答者に知れていれば︑明らかにし︑併合されない理由を明示する︒
︵5︶ 印巳Φ︒︒O 裁量的併合
︵a︶ 裁量的併合︒何らかの救済を受ける権利を共同または連帯して主張する場合︑または同一の取引もしくは事実ない
しは一連の取引もしくは事実に関する︑またはそこから発生したもので︑全員に共通な法律ないし事実上の問題が訴訟に生
じるような救済を受ける権利を主張する場合には︑全員が原告として一つの訴訟に併合される︒救済を受ける権利がその者
らに対して共同または連帯して主張される場合︑または同一の取引もしくは事実ないしは一連の取引もしくは事実に関する︑
またはそこから派生したもので︑全被告に対して共通の法律または事実上の問題が訴訟内に生じるような救済を受ける権利
を主張された場合︑全員被告として一つの訴訟に併合されうる︒個々の原告または被告が︑全員に対して要求される救済が
獲得され︑防御されることに利益を持つ必要はない︒
︵b︶分離トライアル︒裁判所は︑その者に対して当事者が請求を立てず︑その者も当事者へ請求を立てない者の加入に
よって︑当事者が混乱し︑遅延し︑出費することから免れさせるような命令︑または分離トライアルを命じる命令その他︑
遅延と不利益を避ける命令を出すことができる︒
︵6︶ 高橋・前掲注︵3︶五〇四頁︒
︵7︶ 国巳Φ忘 第三者引込み
︵a︶ 被告が第三者を引込むことが出来る場合︒訴訟開始後であればいつでも被告は第三者原告として︑当該訴訟の当事
者ではなく︑原告の第三者原告に対する請求の全部または一部につき︑第三者原告に対して責任を負い︑または責任を負う
可能性のある者へ︑呼出状と訴状の送達を為すことができる︒第三者原告は︑第一の答弁書を送達してから一〇日以内に第
三者訴状を提出した場合は︑許可を得る必要はない︒それ以外の場合には︑第三者原告は︑当該訴訟の全当事者に告知をし
た上で申立に基づいて許可を得なければならない︒呼出状と訴状の送達を受けたものは︑以後第三者被告と呼ぶが︑印巳Φ
烏に規定されるように第三者原告の請求に対していかなる防御もなし得︑國巳Φ﹂ωに規定されるように第三者原告に対する
訴訟物から生じた︑原告に対する請求を主張することもできる︒原告は︑原告の第三者原告に対する訴訟物から生じた︑第
三者被告に対する請求を主張することができ︑第三者被告はそれについて国巳Φ旨に規定されるように防御をなし得×國巳①
一ωに規定されるように反訴を提起し︑共同訴訟人間請求を定立しうる︒どの当事者も︑第三者請求の却下または分離を申し
立てることができる︒第三者被告は︑この規定の下︑当該訴訟で彼に向けられた請求の全部または一部につき彼に対して責
任を負い︑または負う可能性のある当該訴訟の当事者でない者に対して手続を進めることができる︵以下略︶︒
︵b︶ 原告が第三者を引込める場合︒反訴が原告に対して提起された場合︑原告は︑この規定のもと被告がなし得る状況
下で第三者を引込むことが出来る︒
︵8︶ 閲巴Φ︒︒︒ 競合権利者確定手続 ︐
︵1︶ 複数の者が原告に対して請求を有し︑それらの請求が︑原告を重複する責任に晒しうる場合︑原告は︑彼らを被告
として併合し︑互いに争うこと︵戸暮Φ昌﹂Φ昆︶を要求できる︒複数の請求者の請求またはその者の請求が依拠する権原が共
通の起源を持たないこと︑その者の請求が同一ではなく互いに相反するか独立であること︑または︑原告が請求者の一部ま
たは全員に対して︑全部または一部責任を負わないと確信していることは︑併合に対する異議事由とならない︒同様の責任
に晒される被告は︑共同訴訟人間請求または反訴によってそのような競合権利者確定手続に移行することができる︒この規
則は︑國巳Φ・︒Oによって許された当事者併合を補完するものであり︑いかなる意味でも制限しない︒
︵2︶ ここに規定される救済は︑連邦議会制定法二八号一三三五条︑二二九七条および二三六一条の救済に付加されるも
のであって︑それに取って代わったり︑制限したりするものではない︒この規則のもとに提起された訴訟は︑この規則に従っ
て進められる︒ ︐ −
︵9︶ 競合権利者確定手続を詳しく紹介する最新の邦語文献としては︑濱田陽子﹁競合権利者の訴訟引込み﹂九大法学八一号
︹二〇〇〇︺二六七頁がある︒
︵10︶ クラス・アクションに関しては︑さしあたり︑谷口安平﹁多数当事者紛争とデュ︑ープロセス﹂法学論叢七八巻五号︹一九
− 六六︺二四頁以下︑同﹁クラスアクション運用上の諸問題﹂ジュリスト五二五号︹一九七三︺四七頁以下︑新堂幸司﹁クラ
ス・アクション・アレルギーの予防のために﹂鈴木竹雄先生古稀記念﹃現代商法学の課題 上﹄︹有斐閣︑一九七五︺四九七
頁︵同﹃民事訴訟法学の基礎﹄︹有斐閣︑一九九八︺一八五頁以下所収︶を参照されたい︒
補助参加論の新たな試み︵一︶ ㌧ ︐ ︵都法四十四ー二︶ 四二九
四三〇
第三節﹂巳隅くΦ暮日口とその沿革
まず最初に︑戸巳胃くΦ巳日5の制度を理解するために︑ごく簡単にではあるが︑米国﹂巳胃くΦ暮8昌の沿革を本稿の関 ︵11︶ 心にあわせる形で探っていくことにしたい︒
第一款 連邦民訴規則制定以前
戸巳胃く①暮日昌の起源は︑訴訟における敗訴当事者が︑訴外利害関係人にとって不利な決定に対し︑不服を申し立て
ないかもしれないという可能性に対して︑この訴訟上の当事者ではない利害関係人に防御の機会・方法を与える目的 ︵12︶ でに広く訴訟参加が認められていた中世ローマ法に求められるのが一般であって︑中世コモン・ローにおける任意参 ︵13︶ 加との関連性は否定的に解釈される︒これは︑戸巳Φ目合且胃と戸日芭①註Φ吋の起源が︑それぞれ中世コモン︒ローにお
ける︑旨けΦ壱一Φ毘隅とくo已合窪古o≦p︒苔日身︵権原保証者の呼出し︶に求められることとは対照的である︒
そして︑近代英米法においては︑イギリスの教会裁判所︵Φ○○一ΦoQ↑中の否一〇①﹂ OO信内一m︶︑コモンロー裁判所︑大法官府裁
判所︵8⊆詳o︷9曽8昌︶でも︑任意参加がみられるようであるが︑いわゆるぎ汁隅く巴江05が時期的に最も早い段 ︵14︶ 階での発展が認められたのは︑海事裁判所におけるいわゆる対物訴訟︵①O江○づ H5吋Φ旨︶である︒これは︑説明する
までもなく︑対物訴訟の判決が対世的効力を有するがために︑参加によって訴外の第三者の利益を保護する必要が大
きいためである︒しかし︑イギリスにおける訴訟参加制度の進展は︑﹁訴訟は原告の管下に服する﹂という原理が一 ︵15︶ 般理論であるコモン・ロー上の伝統の影響を受け︑制約された局面でのみ許容されるものであった︒
他方︑アメリカにおいては︑ぼ富署①暮85を広汎化し︑コモン・ローによる形式的制限を打破しようという動きが︑
一九世紀半ばの州法典にみられる︒一八五一年のアイオワおよびニューヨーク州法典や︑一八五四年のカリフォルニ
ア州法典がそれである︒これら州法を大別すれば︑︷暮胃く①巳一〇口について制限的な︵裁判所の管理下にある財産に利益を め 持つ者のみに参加を認める︶一八五一年三ユーヨーク州型の立法と︑寛容的な︵判決に利益を持つ者一般に参加を認める︶
ロ 一八五四年カリフォルニア州型の立法に大別される︒さらに︑一九二〇・三〇年代に入るとアメリカ諸州において
一巳2<Φ日日5制定法化の現象が顕著となる︒
アメリカ連邦法に目を向けてみると︑コモン・ロー上の日叶①自雲泣8では︑Oo昆自日ピペ済9︵一八七二年制定︑
一九二六年改正︶によって効力を与えられた各州法が適用され︑エクイティ上の﹂暮胃<①暮一〇口では国ρ已身印巳Φωべ お
(一
繹齠年制定︶が適用された︒これらと並んで海事法の分野では海事法規則が存在し︑また︑コモン・ロー上の訴
訟にエクイティ上の抗弁︑請求等を提出することを認めたPp零p昆国ρ巳身>9︵一九一五年制定︶が一暮胃くΦ巳一9
にいかに適用されるかという問題が存在するなど︑一九三八年に連邦民訴規則が制定されるまでは︑訴訟参加をめぐ
ア し プ る立法状況はかなり複雑な模様であった︒ ︐
第二款 一九三八年連邦民訴規則 ︐
一九三八年に連邦民訴規則が制定されたが︑さっそく︑その条文を確認してみることにする︒
︵a︶ 権利参加 ﹁適時の申立てにより以下の場合には参加が許される︒︵1︶合衆国制定法が無条件の参加権を与
える場合︒︵2︶当事者による︑申立人の利益の代表が不適切であるか︑そのおそれがあり︑申立人が当該訴訟の
判決によって拘束されるか︑そのおそれがある場合︒︵3︶申立人が︑裁判所またはその官吏の保管下にある財産
の分配または他の処分によって不利に影響を受けるような状況にある場合﹂︒ ︐
補助参加論の新たな試み︵一︶ ︵都法四十四−二︶ 四一一=
四三二
︵b︶ 許可参加 現行法と同じ︵本章第四節参照︶
条文からもわかるように︑この一九三八年連邦民訴規則が規定した戸暮隅く①白亘o昌は︑権利としての訴訟参加︵一〒
け①﹃<Φ呂︒コ︒︷置σqま⁚権利参加︶と︑裁判所の許可による訴訟参加︵O零日一c︒°・一くΦ一巳雲くΦ口江05⁚許可参加︶の二つのコー
スを用意している︒この分類は︑参加人の参加権能をその者の参加の必要性の程度に対応させており︑まず︑権利参
加は︑参加人が訴訟に参加する権能を裁判所の裁量に委ねられない固有の絶対的権利︵9臣o﹂暮Φユσqま8﹇暮Φ﹃<⑩g︶
として保障されなければならない場合であって︑他方︑許可参加は︑一定の要件を充足すれば必ず参加が認あられる
というのではなく︑参加の拒否につき裁判所の自由裁量に委ねられる場合の裁量的参加権能︵u2巨゜︒°・才Φ口σq巨8日− ︵21︶ ﹇2<巴Φ︶に基づく訴訟参加であるとされている︒
この一九三八年の連邦民訴規則が現在において有する最も重要な意義は︑アメリカにおける訴訟参加にとって︑コ
モン・ローとエクイティでの手続上のあらゆる区別が撤廃され︑﹂暮Φ自Φ巳﹂§を広く認めるための制度的な整備が整っ
たことにあるといってよい︒
第三款 一九六六年の改正
現代アメリカ法のぎ古隅Φ<Φ暮﹂05の発展過程において︑もっともドラスティックな展開をみせたのが︑ 一九六六年 ︵22︶ になされた修正である︒この修正の契機となったのは︑°︒知日呵o×勺旨﹂冨巨口西09<°d巳古①巳゜︒富げΦ︒・事件であるが︑
事案の概要は以下の通りである︒本件はレコード会社である参加人が独占禁止法違反訴訟において︑当事者間におい
て予め締結された同意判決︵︒o霧Φ暮甘江σq日①葺︶を修正するために︑勾巳Φ賠︵知︶︵︒︶に基づいて権利参加を申し
立てたという事案である︒
さて︑この参加申立に対し︑最高裁判所は権利参加に関して狭い解釈を示している︒すなわち︑申立人は判決に拘
束されない場合には訴訟参加できず︑その代わりに︑その利益が十分に代表されていない場合には判決に拘束されな
・いというものである︒この解釈の結果︑国巳Φ︒︒︽との関係で︑次のようなジレンマが生じることとなった︒つまり︑−
○︒p日呵︒×事件判決の実際上の帰結は︑先の権利参加に関する︵2︶の要件をを抹消し︑︵1︶および︵3︶の要件の場合 ︵23︶ ・ にのみ権利参加を制限するに等しいことになるのである︒
ζの修正を契機に民訴規則の諮問委員会による再検討を経て︑国巳Φ・︒命は︑一九六六年に権利参加を広く許容する
ミ ように改正を受けたのである︒旦ハ体的にば︑それまでの﹁判決に拘束されるのでなければならない﹂という要件が排
除され︑それに代えて︑訴訟参加人の利益が適切に代表されている場合を除いて︑ゴ巳①゜︒°︒書Φp旨﹂ロp暮︑°・巨げ胃︒°・古
− ︵24︶ ︐ ﹂°︒巴Φρ爵叶①一ぺ器買Φ゜︒①昌・江ξΦ邑゜︒ひぎσqb9江Φ゜︒︑︑訴訟参加を認めると修正された︒また︑後に最高裁判所は︑修正 ︵25︶ ︑ 直後の○巴︒江①Z巴烏巴Ω①ωOo門O°<°日勺p°︒02巴ξ巴Ωρ︒︒Oo°事件において︑この一九六六年修正が要件を緩
和して権利参加を拡張したものであることを認めている︒
︵11︶︐アメリカの訴訟参加に関する邦語文献としては︑レ井上治典﹁アメリカにおける訴訟参加制度﹂同﹃多数当事者の訴訟﹄ .
︹信山社︑一九九二︵初出一九六六︶︺二五七頁︑高橋・前掲注︵3︶︑菱田雄郷﹁第三者による他人間の訴訟への介入︵二︶﹂
法学協会雑誌=九巻八号︹二〇〇二︺一四四六頁が詳しい︒なお︑本稿の記述もこれらに負うところが非常に大きいこと
を予めお断りしておく︒
︵12︶寄戸昆①暮冨︸沃巴Φき巳窓戸已﹃9ミさ︒6&ミごト︒邑Φ9Sq︶ω︶巴ω①Φ゜qp日Φ切≦窓゜ζ゜°奉き巳臣≦2江=°
PΦ<吉ぱ合ミこミ・ミ§s↑§ご゜﹃言包讐二︒ミミし§Φ§良碧゜亮§芯§§富㎡巴Φピこ゜︵﹂・ωΦ︶巴mΦρO①゜︒°
︵13︶ 中世コモン.ローにおける訴訟参加制度については︑閲巴臣く°出oσq隅゜︒甘82Φ口江oo巴Oo日日oつ目p乏︑⑩合廿゜⇔右
補助参加論の新たな試み︵一︶ ︵都法四十四⊥︑一︶ 四三三
四三四
國゜台Oを参照のこと︒
︵14︶ ﹈≦oO﹃Φ\廿Φ己句§這﹂ト︒p■9⑩
︵15︶ 呵口aΦ5苦巴只pコΦ①昌匹︼≦巨2句§日﹂N巴ω否Φ゜
︵16︶ しかし︑これらの法典において一暮窪くΦ5泣ooは仮差押と動産回復訴訟に限定され︑金銭訴訟には認められなかった︒なお︑
井上・前掲注︵11︶二六七頁︒
︵17︶・この法典はH艮隅くΦo江oづを金銭訴訟においても認めたばかりか︑冒9﹃<︒暮一〇コを三つの場合︑すなわち︑原告と共同訴
−訟人になる場合︑被告と共同訴訟人になる場合︑原告と被告双方を相手方としこれに対する請求を主張する場合に分類する
という︑エクイティ上にも見られない独自の制度を規定している︒なお︑井上・前掲注︵H︶二六七︑二六八頁︒
︵18︶ 井上・前掲注︵11︶二六八頁︒前者に属する州は︑オハイオ︑コネチカット︑カンザス︑ウィスコンシン等一四州を数える
と言われるが︑一般的傾向としては適用面において自由な後者が優勢であったとされる︒ZgP⑦oミ⑩㌔ご9霧ミ導⑩≧⑩ミ
ペoき9SN㌔︑90泣8﹄災Qさ⇔知ミo宮︒︒﹂Oo↑ρ目□°閲Φ<°︵﹂q⊃o︒一︶巴ば゜︒も参照のこと︒
︵19︶ 国ρ已ξ印巳Φωべは次のように規定している︒..︾づぺoコΦ○一巴日日σq①5日9﹃Φ雲日庄Φ一巨σqp已o口旨①ぺ巴知づぺ江日Φ
OΦbΦ﹃日戸江98p︒︒°・Φ二古声m口σq宮ぴk戸巳隅くΦ艮戸oo︑ぴ9夢o戸艮零くΦ暮日づ︒︒S知にぴΦ芭・︒已ぴo己ぎ巴日づ庁opo江
一つ呂Oo西巳江050で臣巴古ゴ︒肩ob注Φ蔓o﹇庄Φ日巴コb80ΦΦ臼ぎσq°︑.﹁訴訟に利益を主張する者は参加によっていつで
も自らの権利を主張するために参加を許されるが︑参加は主たる手続に従属し︑承認するべきである﹂︒詳しくは本章第五
節を参照のこと︒
︵20︶ 井上・前掲注︵11︶二六九頁︒
︵21︶ ζoo﹃Φ\Po<↑句ミ∨︑9﹂N巴O°︒﹂°これらの分類は︑連邦民訴規則の制定以前から認められていた判例法上の分類をそのま ︑
ま継承したものであって︑固定的な概念による分類というわけではない︒したがって︑権利参加が認められなければならな
い場合にも参加人の権利が先に念頭におかれたというよりは︑参加の許否に関する裁判所の裁量権をどの程度コントロール
できるかどうかが主たる議論の念頭におかれていた︒なお︑この分類についての詳述は︑参加人の権限との関係で本章第五
節で改めて行う︒
︵22︶ ω⑳Φ己゜ω゜Φo︒ω◎︒一G力゜9°一ωOぷΦい゜団合毘ΦO﹄︵一q︶Φ﹂︶
︵23︶ ζO°Ω冨Φ見肉&ミミ〜ミ冨§6S軋§自㌔︑§翫9︵﹂q⊃Φ﹂>5白゜乙oξ︿Φぺo﹃﹀日゜ピ①乞︶巴鼻︒︒ゴお・⊃◆
.
■
︵24︶ 付言すれば︑この修正は︑訴訟参加人から代表関係の不適切さに関する証明責任を訴訟参加に異議を唱える当事者に移動
﹂ させたものであるといえる︒
︵25︶ ω゜︒Φ900°一ト︒ぷ゜︒べω゜9°q︒ωb︒︑S⊂°国Pト︒匹゜︒忘︵一q⊃Φぺ︶°
第四節 現行連邦民訴規則
/
本節では︑現行連邦民訴規則におけるぎ吟零くΦ暮ざ口の規律について︑簡単に紹介する︒既に説明したように︑國巳Φ
ト。
xが規律するぎ富自Φ巳↑o昌は︑判決によって自己の権利が不当に害されることに対して訴外第三者が自らの利益を
守るために訴訟に加わる手続であり︑権利参加︵92<Φ昌︒5︒﹃國パの宮⁚國巳Φぱ︵Φ︶︶と許可参加︵b隅邑゜・°・↑<Φ
戸巳零くΦ昆○づ⁚切巳Φ逡︵ぴ︶︶の二つのルートにわけられている︒細かな点は後に触れることとして︑まずは現行連邦
民訴規則の条文を確認することから始ある︒
︵a︶ 権利参加 ﹁何人も︑以下の場合においては︑適時の申立てに基づき︑訴訟に参加することが許される︒︐
︵1︶合衆国の制定法が条件を付けることなく参加する権利を認めているとき︑または︵2︶申立人が訴訟の対象と
なっている財産または取引に関連する利益を主張し︑かつ︑当該事件の処理が︑実際問題として︑この利益を守
ろうとする申立人の能力を害し︑または妨げるおそれがあるとき︒ただし︑︑申立人の権利が既存の当事者によっ ︵26︶ て適切に代表されている場合には︑この限りではない﹂︒
︵b︶ 許可参加 ﹁何人も︑︵1︶合衆国の制定法が条件付きで参加する権利を認めているとき︑または︑︵2︶申立
人の請求または防御と主たる請求との間で︑法律上または事実上の問題を共通にするときには︑適時の申立てに
基づき︑訴訟に参加することが許されうる︒︵3︶訴訟当事者が︑制定法または連邦もしくは州政府の公務員︑機
︐補助参加論の新たな試み︵一︶ ︵都法四十四ー二︶ 四三五 ︑
四三六
関による行政執行命令に︑または︑制定法もしくは行政命令にしたがって発せられた規則︑命令︑要求もしくは
合意に︑その主張もしくは防御が根拠づけられる場合には︑当該公務員または機関は︑適時の申立てに基づき︑
訴訟に参加することが許されうる︒この裁量権を行使するにあたり裁判所は︑参加を許可することが既存の当事 ︵27︶ 者の権利についての裁判を不当に遅延させ︑または害することにならないか否かを考慮しなければならない﹂︒
︵c︶ 手続 ﹁参加を求める者は︑参加申立書を五条の規律通り当事者に送達する︒申立書は︑参加の理由を明示
し︑そのために参加が求められる請求または防御を示す訴答を伴わなければならない︒合衆国制定法が参加権を
付与する場合も同様の手続が踏まれる︒公益に影響を与える議会行為の憲法適合性が︑合衆国又はその官吏︑官
庁︑労働者を当事者としない訴訟で問題となった場合︑裁判所は︑連邦議会制定法二八号二四〇三条に規定され
るとおり︑合衆国司法長官へ通知する︒公益に影響を与える州法の憲法適合性が︑その州またはその官庁︑官吏︑
労働者を当事者としない訴訟で問題となった場合︑裁判所は連邦議会制定法二八号二四〇三条に規定されるとお
り︑当該州の司法長官に通知する︒立法の憲法適合性を攻撃する当事者は︑それに伴う義務に関して裁判所の注 ︵28︶ 意を喚起すべきであるが︑そうしないことは︑他の点で適時に主張されている憲法上の権利の放棄ではない﹂︒
●
第一款 権利参加︵ぎ汁隅くΦ5註o口o市艮σq江︶
連邦民訴規則は︑印巳Φ賠︵p︶に基づいて︑次の要件を満たす場合には︑訴外の第三者に対し︑その者の権利とし
ゆ り ゆ ゆ て訴訟参加を認めている︒権利として参加を認めるということは︑その第三者からの参加申立てに対し︑裁判所はこ
れを原則として認めなければならないということを意味する︒
権利参加は︑次の要件のいずれかを満たす場合に認められる︒ ・
︵1︶ 第三者の利益が﹁訴訟物に含まれる財産あるいは取引に関係する﹂場合 ︵29︶ 参加が許容されるためには︑どの程度の関係性が必要かという点について明確な基準は存在しない︒訴訟参加の訴 ︵30︶ ︐ 訟上の役割のなかで︑次に挙げる要件︵利益の侵害︶との関連で柔軟に解釈すべきであるとされている︒ \ ︵2︶ 第三者が当該訴訟により﹁利益の侵害を侵害されるおそれ﹂のある地位にある場合
この要件は︑利害関係人が当該判決に法的に拘束される必要性までは要求していない︒当然ではあるが︑既判力や
争点効は︑原則として当事者でない者を法的に拘束しないからである︒また︑以前は利害関係人が判決の直接的な法 ︵31︶ 的効果によって︑利益を得るか損失を被ること︵西巴づ○﹃︸o︒︒Φ︶を要求していたが︑現在においては︑侵害される利 ︵32︶ 益が直接的︑実際的でなくても広く参加が認められている︒
︵3︶ 第三者の利益が﹁既存当事者によっては適切に代表されない﹂場合
既に述べたように︑°︒p日呵○×事件判決を契機とする一九六六年改正の主眼とされた要件である︒訴訟参加人を代
表する代表者と相手方当事者との間に通謀がある場合︑代表関係が訴訟参加人に対する信託上の義務を履行していな
い場合のように代表関係が明らかに不適切である場合に︑訴訟参加が許容される︒この不当代表︵代表関係の欠映︶
の典型とされるのが︑いわゆるクラス・アクションでの被代表者である︒また︑信託上の受益者︵99︷一巳p蔓︶や将
来の権利者等もこれに含まれる︒したがって︑クラス・アクションのなかでもいわゆる疑似代表訴訟︵moξ↑°cの︒﹂pωω
。。 吹jは︑判決の効力が代表が正当である場合でも第三者たる被代表者に及ばないのが一般的な理論であることから︑
権利参加に親しまない︒
︵4︶ 第三者に﹁合衆国制定法が無条件の参加権を付与﹂する場合
補助参加論の新だな試み︵一︶ ︑ ︵都法四十四⊥一︶ 四三七
四三八 ︵33︶ 右の三要件に加えて︑制定法による授権がある場合に権利参加が許容される︵勾巳Φ・︒只①︶︵一︶︶︒この制定法のうち
で︑特に重要とされるのが州政府に対し︑特定の制定法の合憲性が争われている連邦訴訟における訴訟参加を付与し
ている︑連邦議会制定法二八号二四〇三条である︵国巳Φ︹︒貞o︶︶︒
第二款 許可参加︵b胃巨︒・︒︒↑<Φ日9自Φ巳一〇昌︶
権利参加が認められない場合でも︑次の場合には裁判所の裁量によって訴訟参加が許容される場合がある︵国巳Φ
。。s︵ぴ︶︶︒