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1間接被害論・賠償範囲論の一帰納的考察1      ︑

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(1)

不法行為に起因するPTSD等の精神疾患と損害賠償責任︵五︶

1間接被害論・賠償範囲論の一帰納的考察1      ︑

山 口 成 樹

目次

一問題の所在

二予備的作業:イギリスのネグリジェンス不法行為       ︐︑

  ︵1︶注意義務要件

 入2︶コモンローにおける二つのバリアー

  ︵3︶精神疾患が発症する状況の類型︑

三ネグリジェンスに起因する精神疾患

  ︵1︶自己の身体的安全に対する脅威と恐怖

   不法行為に起因するPTSD等の精神疾患と損害賠償責任︵五︶         ︵都法四十四ー二︶ 一九五

(2)

  ︵2︶他人の死傷への遭遇と精神的ショック

  ︵3︶注意義務のフロンティア︵以上︑本誌四二巻二号︶

四PTSD等の精神疾患の病像

  ︵1︶ネグリジェンス責任要件と医学的知見

  ︵2︶心的外傷後ストレス障害︵㊦o︒︒げ茸き日ρひ﹂︒°︒☆①゜︒°・O↑°︒o己隅︶

  ︵3︶PTSD以外の心的外傷後疾患︵勺o°・詳蚕已日知江︒巨9︒︒°︒︶

  ︵4︶最近の疫学調査から

  ︵5︶一過性精神撹乱との区別および詐病・誇張の余地

  ︵6︶ネグリジェンス責任要件への影響︵以上︑本誌四三巻一号︶

五イギリス法律委員会を中心とした議論

  ︵1︶コモンローの到達地平と学説の対応

  ︵2︶予見可能性に加えて制限的要件を課す政策的根拠

  ︵3︶イギリス法律委員会報告書の議論

  ︵4︶資料:イギリス法律委員会立法案︵以上︑本誌四三巻二号︶

六わが国における間接被害論と賠償範囲論

  ︵1︶核心的困難とイギリス・コモンローの解答

  ︵2︶間接被害者論の様相

  ︵3︶民法起草過程での間接被害者論 一九六

(3)

  ︵4︶親族権概念および違法性理論と間接被害者論   ︵5︶企業損害と間接被害者論   ︵6︶間接被害・賠償範囲に関する一般理論︵以上︑本誌四四巻一号︶ 七わが国における解釈論の試み   ︵1︶一九世紀フランスにおける間接被害者論   ︵2︶ドイッ民法典起草過程における間接被害者論   ︵3︶日本民法の定位︵以上︑本号︶   ︵4︶間接被害者に生じる精神疾患と損害賠償責任

  ︵5︶いくつかの間題

七 わが国における解釈論の試み

 本稿の最終節であるこの七では︑間接被害者に生じたPTSD等の精神疾患に対して加害者が負うべき法的責任の

有無範囲に関する解釈論の提起を試みたい︒前節六では︑わが民法の出発点において間接被害者の賠償請求権は容認

されていたことを︑法典調査会の議論に析出した民法起草者の立法主義を検証することで明らかとした︒たしかに︑

民法制定後のドイッ法学の圧倒的影響は否定すべくもない︒権利侵害から違法性への転換もドイッ的な客観的違法性

概念の下でなされたものであるし︑間接被害者論における賠償範囲説もドイッ的な相当因果関係理論のコロラリーで     |

ある︒これに対抗して登場した独立構成説も︑相対的違法性概念と密接不可分のドイッ的な権利侵害要件と︑わが民

   不法行為に起因するPTSD等の精神疾患と損害賠償責任︵五︶         ︵都法四十四一二︶ 一九七

(4)

      一九八

法の権利侵害要件を二重写しにするものであった︒これらの学説がその論拠の第一として︑わが民法がドイッ法の系

譜にあることを主張する以上︑そのことを疑い︑わが民法がなおフランス法の系譜に留まるものと解し︑フランス法

的な賠償範囲論に親近感を覚える本稿の立場からすれば︑本節七ではまずこの起草者意思について比較法的検証を重

ねることで︑わが民法の出発点に関する私見の論証を深めなければならない︒わが民法起草者たちの立法主義を探る

目的からすれば︑ここでの検証の対象は彼等に強い影響を与える可能性のあった外国法の状況︑とくに︑一九世紀の

フランスとドイッにおける法状況に限定することが許されよう︒フランスの一九世紀はナポレオン法典の起草最終段

階で幕を開け︑法典制定後に数多くの大コンメンタールが登場して世紀末を迎える︒本稿ではこれら全体を傭敵する

    ︵1︶ 方法を採る︒他方︑ドイッの一九世紀にはなんと言ってもドイッ民法典の制定過程全体が収まる︒本稿では第一委員       ︵2︶ 会審議以降の起草過程に絞って検討を進めることとする︒

 ついで︑間接被害者の賠償請求権に関する現在の法状況につき比較法的考察を行う︒イギリスについてはすでに詳

細に紹介したので︑ドイッ法とフランス法の現状をここで追加する︒ドイッではイギリス同様に間接被害者の賠償請

求権を原則として認めないため︑本稿が関心を有する間接被害者に生じる精神疾患の問題が一つの争点を形成してき

たのでそれを扱う︒フランスでは逆に間接被害者の賠償請求権を容認するため︑こと精神疾患だけに焦点があたるこ

とはなく︑間接被害者の慰謝料請求の適正な限界付け一般が争点を形成してきたのでそれを扱う︒この比較法的検討

における本稿のスタンスは︑日本民法の原則的立場をいかに理解すべきかではなく︑わが民法がフランス法の系譜に

立ちながら間接被害者の賠償請求権を容認するものであることを前提に︑しかし︑実践的には避けがたい賠償範囲を

画定する作業に具体的アイデアを得ようとする点にある︒

 最後に︑イギリス︑ドイツ︑フランスの各法から得られた諸方途に依拠しつつ︑間接被害者に生じたPTSD等の

(5)

精神疾患に関する解釈論上の重要点につき私見を述べることとする︒

︵1︶一九世紀フランスにおける間接被害者論      ︑    ︐      

︵a︶フランス民法典中の不法行為規定の位置

1.関係条文       一

 一八〇四年に制定されたフランス民法典は︑不法行為の規定として=二八二条から=二八六条までのわずか五か条

を置くのみであるが︑このうち初めの二か条が原理原則規定にあたり︑残りの三か条はその適用展開規定となって

︵3︶ いる︒本稿の関心からして重要であるのは原理原則規定に限られるので︑=二八二条と=二八三条の二か条のみを以

下に訳出しておく︒

 =二八二条:他人に損害︵μo日日知σq①︶を生じさせる人の行為︵︷巴・︶はいかなるものであれすべて︑フォート

(吟 錘ィΦ︶によりそれをもたらした者にその賠償を義務付ける︒

 =二八三条:だれであれ自らの行為︵吟巴け︶によって生じさせた損害だけでなく︑自らの僻怠︵忌σq一﹂西Φ臣8︶また︑

は軽率︑︵一日肩昆①づ8︶によって生じさせた損害についても責任を負う︒

︑2.適法︵巨o二Φ︶行為と不法︵巨﹂︒一庁Φ︶行為の対構造

 さて︑フランス民法典は第三編﹁所有権を取得する仕方﹂中の第四章﹁合意なしに生じる債務﹂を二つに分ち︑°第

一節に﹁準契約︵O国ooの己>ooH−○OZ弓国﹀弓oo︶﹂を配し︑それに続けて︑第二節に﹁犯罪および準犯罪︵O国○︒O国ピ目゜︒

国弓O回乙︒の己﹀︒︒﹈白国口弓○︒︶﹂を配する︒この後者に不法行為に関する=二八二条から=二八六条までの五か条が置

   不法行為に起因苔PTSD等の精神疾患と損害賠償責任︵五︶    ︵都法四+甲二︶一九九

(6)

       二〇〇

かれている︒本稿にとってはこの分かち書きが極めて示唆深いものとなるのである︒一八〇四年一月三〇日に国務院        ︵4︶ を代表して弓﹃①一臣p江が立法院において語る民法典最終草案の理由説明を聞いてみよう︒

 弓冨﹇一冨己は︑債務が債務者と債権者のいずれの承諾もまた合意もなしに生じることがあり︑それは一つに相隣関

係におけるように法律の権威から生じる場合であり︑もう一つに債務者個人の行為から生じる場合であるが︑この第

四章﹁合意なしに生じる債務﹂では後者の場合のみを扱うと言う︒その上で︑合意なしで債務を発生させる債務者個

人の行為︵︹巴古︶には︑許された︵b胃邑︶行為と不法な︵巨↑︒一・Φ︶行為とがあるから︑この区別に対応する形で第一

節に適法行為たる事務管理や非債弁済などの準契約を︑第二節に不法行為たる犯罪および準犯罪を振り分ける節立て

が必要となった︑と起草趣旨を説明している︒

 このような適法・不法の対構造はその後の最終草案の可決に至る過程で︑ロΦ詳蚕邑−巳①−Ω冨昆一①︵二月六日の護民      ︵5︶       ︵6︶      ︑ 院への公式通知︶や弓胃巨巨Φ︵二月九日の立法院での討議︶によって繰り返し言及されており︑第三編第四章の疑う

余地のない基本構造として了解されていたものと考えてよい︒民法典成立後に登場する主要コンメンタールもこうし

た事情に忠実に︑許容ないし適法行為と不法行為という二元的思考枠組みを一貫して堅持している︒かくして︑第二

節の表題に採用された犯罪と準犯罪の両概念が︑民法典の起草当時から﹁不法な行為﹂として統一的に理解されてい

たことが判明する︒

 一九世紀末にロ碧鮎昌9u︒巴口①は法的には同じ効果を導く犯罪と準犯罪を区別する必要はないとの観点から︑.誕

生間もない日本民法が﹁不法行為﹂を表題に採用したことを好意的に紹介し︑それにO①゜︒p9Φ已﹂︒﹇古①ωの訳語を当て  ︵7︶ ている︒穂積陳重ら日本の起草者が旧民法の﹁犯罪及ヒ準犯罪﹂を捨てて﹁不法行為﹂の採用を決意したとき︑フラ

ンスでの声一︒﹂古Φ対︽巨︒声9の枠組みが念頭にあったことは想像に難くない︒ドイッ民法典が採用した﹁d口Φ巳p已宮①

(7)

  =p昆巨5σq雲︵許されざる行為︶﹂が︑弓冨一芦Φ己の許された行為︵品ピb零日一︶を想起させることは言うまでもなか

   ろう︒切p昆昌9bO巴匹①はこのドイッ民法典が採用した表題にも同じ>9①゜︒﹂巨︒ピ︒ωの訳語を当てている︒わが起

︑  草者たちもまた︑事務管理や不当利得と区別された損害賠償制度を︑条文中の個々の要件とは異なる次元で包括的に

  性格づける表題として︑行為の﹁不法性﹂に着目したものと推測されるのである︒

    ︵b︶﹁犯罪および準犯罪﹂概念

    1.要件構造の解明としての定義づけ

     犯罪︑準犯罪という言葉は第三編第四章第二節の表題に登場するのみで︑フランス民法典はこれらになんら定義を

    与えていない︒他方︑すでに述べたように︑不法行為の原理原則規定は=二八二条と=二八三条であり︑ここに損害

    賠償責任の要件が規定されている︒したがつて︑民法典の解説においては後者の条文にこそ全力を傾注すべきものと

    思われるが︑一九世紀の主要コンメンタールはこぞって前者の表題に多大の頁数を割いている︒その結果︑=二八二

︑   条中のフォート︵壁己け①︶や︑=二八三条中の慨怠︵5︒σq一一σq窪︒Φ︶または軽率︵ぎb巨合白8︶などの重要概念の定義

    づけが十分でない︒

     表題にしか登場しない犯罪と準犯罪の概念に関心が集中する第一の理由は︑これら用語が刑法でも採用されており

    ながらその意義がまったく異なるという事情による○フランスのように刑事裁判での附帯私訴を認める法制下では︑

    同じ言葉の異なる用法により生じる混乱は致命的であろう︒したが⇔て︑附帯私訴がらみで民法典中の犯罪と準犯罪

    を定義づけるという姿勢はすべてのコンメンタールに共通している︒第二の理由は︑これら用語がローマ法に起源を

    有するにも関わらずその用法に類似点がまったくないという事情による︒フランス民法典の立法主義をロLマ法源と

       不法行為に起因するPTSD等の精神疾患と損害賠償責任︵五︶^        ︵都法四十四ー二Y二〇一

(8)

       ︑二〇二

の接合性において解説するファッションからすれば︑同じ言葉の異なる用法を関心の外に置くことは不可能であった        ︵8︶ と思われるのである︒

 ところで︑加害行為が犯罪または準犯罪と評価されると行為者は損害賠償責任を負う︒このことに疑いはない︒そ

うだとすると︑犯罪と準犯罪の概念を定義づけることで損害賠償責任の要件が規定され︑表題の解説はそのまま要件

構造の解説となるから︑=二八二条や=二八三条の解説を重ねて行うことは必須ではないと言えなくもない︒フォー

ト︑僻怠︑軽率などの定義づけへの関心の弱さが目立つのもこうした事情からであろうか︑また︑日常の用語法に委        ︵9︶ ねれば足りるとの考えからであろうか︒世紀が代わって二〇世紀に入ると︑フォート概念に学者の関心が集中し︑逆

に︑犯罪・準犯罪への言及が激減してゆくこととは対照的である︒

 さて︑犯罪と準犯罪の両概念は害意︵﹈暮Φ口註o口巳①5已冨︶の有無のみで区別されるというのが︑起草段階以前か       ︵10︶ ら一貫してすべての論者の一致するところである︒すなわち︑損害発生を認識・意欲して行為するのが犯罪で︑そう

した認識・意欲を欠くのが準犯罪である︒害意を欠いても損害賠償責任をもたらす場合のあることを認めることに眼

目があるのであるが︑準犯罪と評価されるには害意以外のなんらかの主観的態様が要求されても不思議ではなく︑し

たがって︑条文中に見えている慨怠や軽率を準犯罪の定義に組み込むことがあってもよさそうであるが︑そのように

明記するコンメンタールは見当たらない︒犯罪概念の定義づけに終始して︑準犯罪については害意のない点以外は犯

罪と同じである︑と言うことで済ませる手法が普遍的である︒このように準犯罪において主観的態様への関心が後景

に引いていることは注目に値する︒

 このように害意の有無以外の点では犯罪と準犯罪はまったく同じとされるのであるが︑両者が共通に有する性格中

でもっとも核心的とされるのは行為の不法性である︒他人に損害を与えただけでは賠償責任は生じない︒不法な行為

(9)

により損害を与えたことが必須要件であることが︑ローマ法のアクィリア訴権以来の伝統に依拠して強調される︒こ

れに加えて︑行為の帰責性︵旨苫富昆富︶が犯罪と準犯罪に共通する構成要素として掲げられるのが通常であるが︑

論者により触れない者もいる︒ただ︑帰責性の意味が後で見るように行為性ともいうべきものに近いので︑帰責性に

言及しない論者もそれを不要とする趣旨ではなくべ損害発生や因果関係と同様に当然視しているものと思われる︒以

下では︑この加害行為の不法性と帰責性につき少し立ち入って観察してみるこ乏とする︒     ︐

2.不法な行為︵︹巴げ巨﹂oピΦ︶

 ただ損害を与えたというだけでは足りない︒加害行為が不法な性格を帯びたものであることが賠償責任の要件で

︵11︶ ある︒ならば︑不法性の定義いかん︒

 起草過程でのロ隅胃昌宇合−Ω冨邑﹂Φから世紀末のロp巳昌9ロp巳Φまで数多くの論者が挙げるのは︑同語反復的な        ︵12︶ 定義であるが︑法規︵︸巳︶に反すること︑これである︒法規または衡平︵9巳芯︶が法的義務の形式で課した︒oσqΦσqΦ        ︵13︶ 日①暮に反すること︑と言うこともできよう︒より分りやすく言えば︑法規が禁じていることをすること︑命じてい          ロ  ることをしないこと︑である︒法規の種類に限定を付す論者はおらず︑刑法・特別法・森林法・出版法など違反行為       ︵15︶      ︵16︶ のすべてが対象とされており︑刑事法規違反に限られないことが重要である︒比較法的には︑個人の権利保護を目的

とし−て制定されたのではない行政法規への違反から損害が生じた場合をどう考えるかが重要であるが︑こうした場合        ︵17︶ に損害賠償を命じた裁判例が肯定的に紹介されていることは見落とせない︒         ・       ︵18︶  法規違反には言及しない論者も含めて︑すべての論者が不法の定義として挙げるのが︑他人の権利の侵害︑である︒        ︵19︶ 公的利益の擁護を刑事法に委ね︑私的利益の保護を民事法に委ねる構図からすれば︑不法行為法の目的を社会構成員−

   不法行為に起因するPTSD等の精神疾患と損害賠償責任︵五︶         ︵都法四十四ー二︶ 二〇三

(10)

      二〇四       ︵20︶ 各人の権利保護に︑したがって︑不法性の中心を他人の権利の侵害に求めることは自然なことである︒かくして︑法       ︵21︶ の保護の下にある私益の侵害すべてが不法となる︒

 不法ではないこと︑として反面から捉える不法性の定義としては︑法規が命じたり許したりしていることをするこ       ︵22︶ とは不法ではない︑というものがある︒そして︑法規が禁じていないことは許されており︑それをすることは妨げら  ︵23︶ れない︒したがって︑自己の権利を行使して他人に損害を与えても賠償責任を負わない︒これは全員が認めるところ

である︒しかし︑その理由として挙げられるところは︑一方で権利があるとしながら︑他方で権利行使を不法とする

のはおかしいという︑多分に形式論理的なものであるから︑これに満足せず︑権利行使であっても正当な限界を超え        ︵24︶ ないように︑また︑他人の権利を侵害しないようにしなければならないとする論者がある︒       ︵25︶  他人の権利こそが自らの権利行使の限界であり︑他人の権利を侵害すればそれだけで賠償責任が生じる︒権利の乱       ︵26︶ 用は権利の行使ではないと言うのである︒したがって︑法的義務に違反せず︑個人の権利を侵害しない限り︑害意で        ︵27︶ 損害を与えても不法ではない︒とはいえ︑他人に損害を与えないで済む方法が他にあるにもかかわらず︑自らの利益        ︵28︶ にはならないが他人には有害となる方法を︑他人を害する目的だけで選択実行することは不法だとする論者もいる︒        ︵29︶ これらとはまったく逆に︑シカーネでも許されるとする論者も存在する︒

 最後に︑一九世紀フランスのコンメンター︑ル中では︑そうする権利のないことをすることを不法と呼ぶことが広く   ︵30︶ 見られる︒制定された法規や承認された権利の存在など行為者にとり外在的な要素には依存しない︑極めて広範で柔

軟な不法要素であると言えよう︒        ﹇

3.帰責しうる行為︵措詳一日b暮pげ一Φ︶

(11)

        加害行為の行為者への帰責性につき鮮明な形では触れない論者も存在するが︑帰責性を犯罪および準犯罪の概念要

素に位置づける論者においてはその内容は一致している︒後者の論者が行為の帰責性として問題としていることは︑

行為をコントロールする意思力の有無と︑コントロールを妨害する外的作用の有無である︒自らの意思τ︵<o一〇巳巴﹃①︶        お  自由に決定された︵﹂まば胃げ旨Φ︶行為であるか否か︑これである︒知性を欠く幼児や精神障害者の行為は前者︑強

迫や自然災害などの不可抗力︵⌒︒﹃8日ぼΦξ①︶やたんなる偶然事︵︒p︒︒合詳巳古︶に支配された行為は後者の例とし

て挙げられる︒

 このように︑行為の帰責性の問題は︑加害行為が行為者自身の行為と看倣し得るか否かの問題として考えられてお

り︑いわば﹁人の行為﹂の定義づけとも言える︒このことは︑たとえば︑相続人が他人の債権の目的となっているこ

とを知らずに相続財産を殴損した行為を︑フrトでも軽率でもないが帰責しうるグ何為であるピ説明する鬼によく

現れている︒このように︑行為の帰責性において故意・過失が観念されることはなく︑﹀已ぴ昌9国p已に至っては︑

犯罪における害意および準犯罪における僻怠・軽率を︑不法性︑帰責性と並ぶ第三の要件として明示的に区別して論    あ  じている︒したがって︑行為の帰責性に言及しない論者も︑真に自由な決定にもとつく行為でなければ犯罪ないし準

犯罪とはならない︑という意味での帰責性は認めているものと思われる︒なぜなら︑人は自らの行為の結果に責任を

負うこと︑ないし︑行為の結果を担保するのは行為者本人であることは︑普遍的原理原則として疑いのないところで

あるからである︒

︵C︶﹁フォート﹂︑﹁僻怠または軽率﹂概念

すでに述べたように︑犯罪︑準犯罪の言葉は民法典中の表題に現れるのみで︑それらに定義を与えてきたのはもっ

  不法行為に起因するPTSD等の精神疾患と損害賠償責任︵五︶         ︵都法四十四1二︶ 二〇五

(12)

       二〇六

ばら学説であった︒民法典自身が損害賠償責任につき要件を定めるのは=二八二条以下の条文中においてであり︑そ

・の=二八二条から読み取れる損害賠償責任の要件は︑人の行為︑損害︑フォート︑そして因果関係︑である︒これを

︵b︶で見た犯罪と準犯罪の概念要素とつき合わせると︑損害と因果関係はいわば当然視されているので考慮の外に

置くとすると︑﹁フォート﹂は行為の不法性と帰責性に対応していることになる︒帰責性が﹁人の行為﹂の要素でも

あることを考えると︑フォートは不法性とこそより親和的な概念のように思われる︒

 次いで︑=二八三条から読み取れるのは︑直接には﹁僻怠または軽率﹂の要件だけであるが︑それが前条の﹁行為﹂

に対応していることから︑間接には前条中に﹁害意ある行為﹂を読み取ることを許す︒しかし︑フォートと︑害意・        ︵35︶ 僻怠・軽率との関係が文理上は不明であり︑ここに民法典編纂上のネグレクトを見出すことができるとされている︒

以下︑これらの問題につき論者の見解を検討してみよう︒

1. フォート概念における不法性

 民法典制定に先立つ伝統的フォート概念は︑故意︵⊆o一︶とは異なるもの︑僻怠や軽率などを総括するものと解さ    ︵36︶ れてきたが︑民法典中にその定義は見当たらず︑=二八二条の﹁フォート﹂もまたこうした伝統的用語法に従ったも

のであるかどうかは疑問とされている︒

 弓o已巨零は=二八二条の﹁フォート﹂を︑故意とは異なるものとして︑重過失・軽過失・最軽過失の区別を有する

ものとして︑つまり︑行為者の過ち︵︒巳冨昆ぽ︶の程度を示す概念として理解してはならないと警告する︒﹁フォー

ト﹂が伝統的用語法に従って僻怠や軽率などを総括していると解することは︑=二八三条がわざわざ﹁僻怠または軽

率﹂に言及していることに矛盾する︒=二八二条の﹁フォート﹂は惚怠・軽率とは次元を異にした概念と解すべきで

(13)

       ︵37︶     ある︑と言うのである︒

      では︑﹁フォート﹂の意味するところは何か︒これに対して弓゜已巨隅は︑する権利めないことをするこど︑なすべ

    きことをしないこと︑これが=二八二条の﹁フ.オート﹂であると︑犯罪・準犯罪概念におげる行為の不法性と同様の          ︵38︶     定義を与える︒同旨を反面から︑権利行使はフォートではない︑との表現で主張する者に︑O烏知巳oP廿巴o日宮警Φ        ︵39︶      らがおり︑弓o巨戸隅もまた同様に語っている︒このように︑フランス民法典のフォート概念に不法要素を取り込むコ

     ンメンタールが大多数をなしている︒

  ︐  なすべきことをなさない不法︑なさざるべきことをなす不法︑という観点からのフォート概念を弓o邑一Φ﹃はさら

     に具体化して︑︐回避できるのに回避しないこと︑職業上知っているべきなのに知らないこと︑能力上できないのにで        ︐︵40︶     きると過信すること︑事前に払うべき注意を怠ること︑などをフォートの例として挙げている︒これら注意義務違反       ︵41︶     と総称しうるフォート概念は廿p已Φ巳も明示的に語っており︑一九世紀末にOd碧合ぺ9︑bd障巳①が︑フォートとは法規       ︵42︶     が与えた一般的義務への違反である︑と定義することに結実する︒

     ところで︑回避できるのに回避︐しなかったことが責任原因となる゜ことについては︑起草過程でもbd2苛p邑ム①−.       ︵43︶     Ω田巨﹂①が触れていたが︑そのときの彼の意図は害意がなくても責任を負うべき場合があることの説明にあった︒す

   なわち︑回避可能性を=二八三条の﹁惚怠または軽率﹂の問題とレて取り上げたわけである︒こうして×・フランス民

    法典の﹁僻怠または軽率﹂が不法要素︵11回避できるのに回避しない不法︶としても理解されていることが判明する︒

    U①日○ざ日ぴΦは次のように表現している︒一﹁行為の不法な性格がフォートを︑そして︑僻怠または軽率を構成し︑適       ︵44︶    ・      −     衡法な行為はフォートを構成しない﹂と︒      ・         ︑

     弓o巳一∈隅は﹁フォート﹂.と﹁解怠または軽率﹂を次元の違うものと把握して︑前者を不法要素で構成したのである

       ︑不法行為に起因するPTSD等の精神疾患と損害賠償責任︵五︶      ︵都法四十四−二︶ 二〇七

(14)

      二〇八

が︑O①目oざ目ぴΦは両概念の次元の異同には触れず︑むしろ︑伝統的用語法に従ってフォートが僻怠・軽率を総括す

るものと考えた上で︑両者とも不法要素で構成しているかのごとくである︒なお︑窓巴○巴Φは︑そうする権利のない

ことだけでは足らず︑これに知性を持って自由意思でなされたことを加えて︑不法性と帰責性を合わせたものがフォー       ︵45︶ トであるとするが︑帰責性が行為性に等しくいわば自明の要件と考えれば︑窓曽︒毘①もまたフォートを不法要素で構

成する論者の一人と言えよう︒

2. フォート概念における心理的要素

∪巨p巳巴は害意の存否は神のみぞ知ると主張し︑廿鎚旨Φ巳は実務においては害意が立証できそうな場合でも解怠       ︵46︶ や軽率の認定ですませる裁判官が多いことを紹介している︒たしかに︑被害者を確実に救済すれば足りるとの観点か       ︵47︶ らすれば︑害意ないし故意による﹁犯罪﹂を民事責任の構成要件として取り上げる必要性はないとも言えよう︒本稿

が右の叙述に関心を有するのは︑害意の立証は困難だが燦怠・軽率の立証は容易であることが自明視されている点で

ある︒なぜか︒前者は内心状態であるが故に覗き見ることができず︑後者は外面状況であるが故に露見していると考

えられているからではないだろうか︒そうだとすれば︑フランスの当時の裁判実務を支配した傾向においては︑慨怠・

軽率はなすべきこと︑なさざること︑といった形式で定立された客観的法義務に違反する不法性の次元で把握されて

いたことになる︒

 ピpξΦ巳は一三八二条の﹁フォート﹂を僻怠・軽率を総括する伝統的用語法に︑それには含まれていなかった故意

を加えて︑﹁故意から軽率まで含む極めて広いもの﹂したがって﹁帰責の原因となるもの︵旨b暮pぴ巨咋①︶のすべて﹂          ︵48︶ と定義付けるのであるが︑その故意と惚怠・軽率の関係についての彼の理解が右のようなものであることは見落せな

(15)

゜い︒起草過程においてすでに切Φ月貫p且占?Ω田已巨Φが﹁自分自身への警戒ないし用心を欠いたことにフォートがあり︑       も  このフォートこそ賠償の対象である﹂と主張していることについても︑先に見た彼の惚怠・軽率を回避義務違反とし

て不法性の次元で理解する仕方に照らして考察する必要がある︒

 そうすると︑=二八二条の﹁フォート﹂に心理的要素を読み込もうとするにしても︑それは害意ないし故意の場合

に限定されざるをえない︒フォート概念の心理的要素につき明瞭に語る国已︒や゜︒巴Φ巨Φも︑フォードを﹁行為者の責

任を暗示する道徳的秩序に関わるもの﹂との理解を示した上で︑フォートとは﹁不法行為︵③︑Oげ① ﹂一一↑O↑げΦ︶を犯す意       の  図︵↑昌古Φ5古一〇口︶﹂であると故意の文脈で語る︒燦怠もフォートであるとは言うものの︑それは行為の有害な結果や不

法な性格を発見しないことであると定義付けており︑客観的一般的予見義務違反として扱っているとも解されるので

ある︒ 3. ﹁フオート﹂と﹁解怠または軽率﹂︑および︑.=二八二条と一.三八三条の関係

 第二節の表題である﹁犯罪および準犯罪﹂に︑条文の=二八二条と=二八三条を対応させて︑前者を害意のある犯

罪の場合を︑後者を害意のない準犯罪の場合を扱ったものと解するのが一般的である︒文理上は=二八三条の﹁僻怠

または軽率﹂と対応しているのは︑=二八二条の﹁フォート﹂ではなく﹁行為﹂であることが明白であるから︑﹁︵害

意ある︶行為﹂と﹁︵害意なき︶慨怠または軽率﹂と読むのが素直と言えよう︒とすれば︑﹁フォート﹂は﹁︵害意あ

︑る︶行為﹂および﹁︵害意なき︶僻怠または軽率﹂といかなる関係に立つのか︒両者は次元が異なるとしたのが弓o巳﹂一胃

であった︒しかし︑弓o邑﹂①﹃はフォートを不法性で把握すると明言するものの︑︐害意・慨怠・軽率を責任要件上どう

位置づけるべきかは語らない︒       −        ・

   不法行為に起因ずるPTSD等の精神疾患と損害賠償責任︵五︶−        ︵都法四十四ー二︶ 二〇九

(16)

      二一〇

 これに対して︑=二八二条と=二八三条を犯罪と準犯罪に逐一対応させることはせず︑=二八二条がすでに犯罪と

準犯罪の両方を規定する一般条項と考え︑=ご八三条は犯罪と準犯罪を区別する伝統に配慮した注意規定であると考

える仕方がある︒こうした考え方をする論者の中でも︑﹁フォート﹂﹁行為﹂﹁僻怠または軽率﹂の関係については見 解が分かれる︒ζ隅︒江Φはフォートを不法性と帰責性の総合と位置づけ︑行為には害意によるものだけでなく惜怠ま

たは軽率によるものをも含め︑したがって︑=二八三条は=二八二条の繰り返しに過ぎないうえに︑不正確で誤解を       ︵51︶ 招くがゆえに不必要であると言う︒他方︑Pp烏Φ葺はフォートに害意・解怠・軽率のすべてを含めつつも︑実務的に

は外面的に認識できる解怠・軽率こそが不可欠の責任要件であり︑一三八三条は=二八二条のフォートに解怠・軽率       ︵52︶ が含まれることを確認する上で必要な規定であると言う︒このように伝統的用語法に反して︑フォートに害意を含め

る場合は︑燦怠・軽率をたんなるフォート︵°︒旨旦Φ芦暮Φ︶ないし本来のフォート︵壁暮Φ肩○宮Φ日Φ暮合古①︶と呼

び︑害意ないし故意をそれ以上のフォートと呼ぶことになる︒

 最後に︑=二八二条と=二八三条の関係には触れないまま︑したがって︑コンメンタールとしての立場からではな

く︑フォートに害意のある場合を含めず︑慨怠・軽率をその一形態とする伝統的用語法を踏襲すべきことを主張する       ︵53︶ 論者も存在する︒ただ︑この論者もフォート概念を心理的要素だけで考察してはおらず︑法的義務違反という不法要

素を合わせ含むものとして定義づけていることに注意が必要である︒

︵d︶間接被害者の損害賠償請求権

 本稿が関心を寄せる間接被害者の賠償請求については︑フランス民法典の起草過程ではとくに言及がないが︑一九        ︵54︶ 世紀の主要コンメンタール中では約半数の論者がこの問題を取り上げ︑そのすべてが間接被害者の賠償請求権を肯定

(17)

している︒中でもO①日oざ昌ぴΦの論述が最も詳細かつ明晰であり︑他の論者もこれに異を唱えていないのでへ彼の論

説を中心に考察する︒

       ︵55> 1.・O①日o一〇日ぴ①はまず︑﹁自分が直接に︑自分の財物または身体・人格に︑打撃を受けたことを要するか﹂︑それと

も︑﹁損害を間接に︑余波゜.とばっちりによって︑不法な行為から生じる結果として被らたことで足りるか﹂と選択

肢を提示するとともに︑後者を選択した場合に避けがたい危惧を次のように紹介している︒すなわち︑﹁間接被害し

か根拠に持たない請求をひとたび認めるとなるときりがなくなる︒請求は次から次へとはるか遠くまで拡大し︑精確

に限界を画することは不可能である︒一体︑何処で止まればよいのか﹂と︒      ︐ .      °

 しかし︑O①日○一︒日ぴΦはこうした危惧にもかかわらず︑間接被害者の賠償請求は認められるべきであるとして︑三・

方向からそれを理由付ける︒第一は法規の文理解釈によるものであり︑第二は損害賠償の制度趣旨によるものでありへ

第三はそうした危惧自体が杞憂に過ぎないとするものである︒OΦ日o一〇日ぴΦが文理解釈の対象として挙げるのは︑ 一

三八二条の﹁他人に損害を生じざせる人の行為は﹂という文言と︑刑事訴訟法一条二項の﹁損害賠償請求権はその損

害を被った者すべそが行使でぎる﹂という文言である︒OΦ日︒﹂°日ぴΦはこれらいずれのテキストも︑﹁直接損害と間

接損害を区別しておらず︑むしろ逆に︑その一般的表現においてこの区別を排除している﹂と主張するのである︒

 続いてOΦ目日o一〇日ぴ①はこうした文理解釈が︑﹁損害賠償制度のルールを支配する理性と衡平に完全にかなってい

る﹂ことを論証しようとする︒彼はこう述べる○被害者にとって損害が直接に生じたものか間接に生じたものかはど

㌧つでもよいことである︒一被害者の受ける負担と苦しみはいずれの場合も同じであるからである︒したがって︑その責

任はいずれの場合も加害者のフォートに︑軽率または解怠に帰すべきである︑と︒

   不法行為に起因するPTSD等の精神疾患と損害賠償責任︵五︶   °︑    ︵都法四十四ー二︶ 二=

(18)

      二一二

 以上の形式論と実質論に加えて︑間接被害者の賠償請求を認めるべき理由付けの最後として︑O①日o一〇日亘Φは際限

のない賠償を封じる手立てがすでに存することを強調する︒まず︑間接損害も賠償されるためには︑それが不法な行

為の直接的な︵﹇白口b口Φ餌↑P古Φ Φ汁 匹﹂﹃ΦO古Φ︶結果でなくてはならないから︑この面からの制限に期待できる︒次いで︑間

接損害も賠償されるためには︑それが現実に実現されたものでなくてはならず︑場合によっては起りうるというよう

な仮定的で︑将来の不確実な偶然事にかかるものであってはならないから︑この面からの制限に期待できる︒最後に︑

間接損害も賠償されるためには︑裁判官にそれと認定されることが前提であるが︑この認定に当たって裁判官が裁量

的権限を行使することは明らかであり︑この面からも際限なき賠償という事態は防止されうるというのである︒

      ︵56︶ 2.OΦ日o﹂o日亘①は自説が判例からも支持されるとしていくつかの興味ある裁判例を挙げている︒その最初に挙げら

れているのが火災保険会社の事例である︒火災の被害者に保険金支払債務を負った保険会社は︑右債務負担を損害と

して火災の加害者に対して損害賠償請求をすることができる︒これは︑被害者の加害者に対する賠償請求権の代位行

使ではなく︑=二八二条にもとつく火災保険会社固有の損害賠償請求権の行使である︑という︒

 次いで︑直接被害者が死亡した場合の各種事例が挙げられる︒間接被害者が配偶者の場合︑父母その他の直系尊属

の場合︑子の場合︑これらの場合はいずれも賠償請求権が認められることを疑いのない前提とした上で︑たとえば︑

夫婦共同体の破壊による死別の悲しみ・苦しみといったような非金銭的利益も賠償の対象となることが強調される︒

また︑子の請求においては︑死亡した直接被害者たる親がその子の被扶養者であったとしても︑つまり︑子が加害行

為のおかげで親を扶養する負担から免れたとしても︑子は相続人ではなく個人の資格で=二八二条の請求ができると

される︒

(19)

 間接被害者が兄弟姉妹の場合はどうか︒互いに扶養義務を負わないので扶養にまつわる金銭的損害は生じない︒し

がし︑OΦ日○一〇日ぴΦは損害が生じる限りは賠償請求権が認められるとして︑兄弟姉妹の共同で工場を経営していたよ

うな場合を想定する︒       ︾

 死亡した直接被害者と間接被害者がなんらの親族関係にもない場合はどうか︒ここでは︑間接被害者論の一般化が

問題となる︒OΦ日○一〇目ぴ①はこれに十数行を費やすことで躊躇を表しつつも︑﹁要は原告が不法な行為から生じた損

害を被ったか否か︑それを被告に帰すことができるか否か﹂であるとして︑先の火災保険会社に請求権を認めたこと

から予想できるように︑間接被害者の賠償請求権を一般的に承認するに至る︒したがって︑死亡した直接被害者と組

合契約ないし共同出資関係にあった第三者は︑前者の死亡に起因して損害を被った場合は間接被害者として加害者に

対して賠償請求権を有することになる︒

 ︵e︶小括︒独立構成説か賠償範囲説か︒

  一九世紀フランスにおいて間接被害者の賠償請求権がいかに取り扱われたかを考察してきた︒たしかに︑フランス

民法典の起草過程で間接被害者の賠償請求権が議論された形跡はないし︑一九世紀の主要コンメンタールにおいても

詳しく論じるのは一部に限られまったく言及しないものも目立つ︒こうした間接被害者論の全体としての低調さは︑

しかし逆に︑間接被害者の賠償請求権を議論の余地ない自明の問題と看倣す傾向の現れであった︒

 フラン・ス民法典=二八二条が規定する損害賠償責任の唯一の規範的要件は﹁フォート﹂であるが︑これと民法典第

三編第四章第二節の表題﹁犯罪および準犯罪﹂の定義づけから引き出される行為の﹁不法性﹂とを一体的に解し︑そ

−して︑=二八三条の﹁僻怠または軽率﹂を行為の﹁不法性﹂を示す要素と解する論調が︑一九世紀フランスにおいて

   不法行為に起因するPTSD等の精神疾患と損害賠償責任︵五︶         ︵都法四十四ー二︶ 二三二

(20)

      二一四

顕著でることが明らかとなった︒しかも︑この行為の﹁不法性﹂したがって﹁フォート﹂が被害者ごとに分断されて

相対的に把握されることはなく︑当該加害行為に固有の一個同一の不法性として対世的に把握されてきた︒このこと

は︑禁止命令法規違反の不法だけでなく︑他人の権利侵害の不法においてもそうである︒

 このように︑フランス法においては間接被害者の賠償請求権の問題は︑直接被害者に対して成立する不法行為の賠

償範囲の問題として位置つくのであり︑この範囲の画定に当って何らかの損害が間接被害者に生じるにつき予見可能

性の要求されることもない︒損害の直接性・現実性が考慮されると言うものの︑賠償範囲の画定は裁判官の衡平妥当

の感覚にこそ依存することが明らかとなった︒

︵2︶ドイッ民法典起草過程における間接被害者論

︵a︶第一委員会審議の概要

 債務法部分草案総則部分︵OΦ﹃弓Φ臣Φ艮≦烏市昔m國Φ各げ︒︒匹20力合巳ユ<Φ書巴言↑°︒c︒Φ︶の第一五番目のグループには       ︵57︶ ﹁許されざる行為︵己9巨p已宮Φ出9合§西①昌︶﹂の見出しが付けられており︑その第一条こそが本稿の関心の対象で

ある︒<°民己ぴ巴の手になる第一条は次のように規定されていた︒

 ﹁違法な︵<へ↑巳Φ吋吋OO古古一↑6古Φ︶行為または不作為を通して故意︵︾ぴc力戸︒ま︶または過失︵国①庁辰゜・︒・品冨一げ︶から他人       ︵58︶ に損害︵ω合巴窪︶を与えた者はだれであれ︑その他人に対して損害賠償の義務を負う︒﹂

 この不法行為の原理原則規定に関する討議は連続した四回の委員会審議で行われ︑第一回目の討議︵一八八二年七

月三日︶は違法性の要件に当てられ︑残る三回の討議゜︵七月五日︑九月一日︑九月四日︶は故意過失の要件に当てら

れた︒まず︑この一連の討議内容を傭畷しておく︒

(21)

  1.違法性要件について

   第一〇八回審議会︵七月三日︶では︑≦巳口︒︒9Φ↑9民ξまp已β勺﹂き筈の三名それぞれから修正案が提出された︒   ︑

  これら三案とも基本方向では一致していた︒違法性を禁止法規違反ないし権利侵害と理解する前提にもとついて︑そ

  れでは不法行為の成立範囲が狭くなりすぎ被害者救済に不十分であるという︒そこで︑三案は一致して違法性要件の

︑ 削除を求めたのであった︒修正案相互の違いは︑故意過失要件だけでは逆に広くなりすぎることに対して︑いかにし

  て絞りをかけるかにつき存在したが︑討議の結果三名は修正案を一本化することに同意しそれが採決に付された︒

    ﹁︵故意または過失により︵S°︒°︒Φ暮一一合○烏電合冒一四゜︒︒・﹂の≦Φ富Φ︶︶他人に損害を与えた者は︑その他人に対して損

  害賠償の義務を負う︒ただし︑個別の権利を行使するものとして︑または︑自然的自由を良俗に合致した仕方で行使

  するものとして行動した場合はこの限りでない︒﹂

 七たがって︑法規に違反していなくても︑また︑権利を侵害していなくても︑不法行為の成立する場合があること

になる︒それは結局︑自分にそうする権利があるとまではい゜えないが︑そうする一般的自由は認められていることを︑        ︵59︶ しかし︑良俗に反する仕方で行って他人に損害を与えた場合︑ということである︒

.この統一修正案は七票の賛成で可決されるが︑審議会での討議を支配した考え方は以下のようであった︒当時フラ

ンス法を除けば諸国の不法行為法は被害者の保護に十分でないとの主張が広く観察されたようである︒委員会はこの

主張をいささか根拠薄弱で誤解に基づくものとして︑さりとてまったく正当化の余地無しとも言えないものとして受

け取り︑被害者保護を厚くする課題を自らにも課している︒統一修正案への賛成理由はおよそ次の点にあった︒債務

法部分草案は各則であれこれの行為を禁止して特別不法行為の数を増やしたり︑故意や中傷など特別の要件を立てる

ことで保護を拡大する一方で︑総則の一条では違法性要件を加えて保護を絞る方法を採っている︒しかし︑﹁法典は

   不法行為に起因するPTSD等の精神疾患と損害賠償責任︵五︶        .︵都法四十四ー二︶ 二一五     ・

(22)

       二一六

それら特別規定のすべてを包摂する主要原理を語らねばならない﹂のであって︑部分草案一条の原理はその点解決た

りえていない︒それに対して︑統一修正案は﹁特別の権利を行使する者はシカーネで行動しても常に無責であるが︑

自然的自由によって行動する者はその自由を乱用して他人に損害を与えてはならない﹂という考え方に基づいており︑

それは﹁現代的な法律観に合致する︒﹂ただ︑こうした原則によれば加害者の責任が拡大し過ぎる恐れがあり︑そう

ならないよう慎重さが要求されるところ︑各委員は﹁裁判官がうまくやってくれる﹂ものと︑裁判官の事件処理に厚       ︵60︶ い信頼を寄せるのであった︒

2.故意過失要件について

 かくして部分草案一条に元から存在する規範的要件は故意過失だけになったわけであるが︑二回目からの討議では

この故意過失要件における認識ないし予見の対象を何に求めるべきかが︑激しく議論され結論は一転二転する︒

 まず︑七月五日の第一〇九回審議会で次の三項がさしたる異論もなく決議される︒

 ﹁この要件は損害それ自身にではなく︑客観的な違法性に関連するものであるから︑客観的な違法性が意欲された

か予見されたかすれば十分である︒﹂

 ﹁この原則には例外がある︒禁止され︑また︑客観的に違法と宣言されているものの︑それ自体としては権利侵害

を含まない行為が︑所与の事件においてそのような権利侵害ないし損害を引き起こしたときは︑損害賠償の義務はま

さしくその損害が認識されたか認識され得た場合にのみ生じる︒﹂

 ﹁前回の審議会の決議により損害賠償義務を生じさせることになった不誠実な︵巨oぺ巴︶行為に関しては︑その概

念からして損害賠償義務は損害が意欲されるか︑または︑損害ないしその規模が認識され得た場合にのみ生じる︒﹂

(23)

      要するに︑故意過失における認識ないし予見の対象は︑原則として行為の客観的違法性であり︑例外として損害発

     生にまで認識ないし予見の対象が拡大する︑ということである︒したがって︑それ自体として権利侵害を含む法規違

     反と︑権利侵害は原則の適用場面となり︑それ自体としては権利侵害を含まない法規違反と︑良俗違反の自然的自由

     行使は例外の適用場面となる︒

      この原則ー例外構造の理由付けとしては︑故意による権利侵害の場合に損害結果まで予見を求めることは被害者に

     酷であること︑逆に︑権利侵害を含まない行為を禁止する警察行政法規違反の場合に違法性の予見可能性だけで済ま        ︵61︶      せることは加害者に酷であることなどが挙げられている︒

      ところが︑夏休み明けの第=○回審議会︵九月一日︶では︑国き○オから予見対象を有害結果︵°︒合巴﹂↑︒冨昌国匡o一西︶

     とし︑権利侵害は常に有害結果と看倣されるとする提案があり︑また︑qoけo≦から予見不能の損害に対しては責任

     は生じないとし︑保護法規違反による損害は常に予見可能と看倣されるとする提案があり︑討議を進めるうちに各委

     員は当面する原理的問題につきあらためて採決を行う必要を感じるに至る︒その採決の結果は次のとおりであった︒

      故意過失要件は客観的に違法な行為に関連するものか︑それとも︑損害に関連するものか︒前者︒被害者の主観的   ︑

     権利が侵害されていない場合は︑故意過失は損害の発生に関連するという例外を設けるべきか︒否定︒かくして︑故

     意過失要件における認識ないし予見の対象は︑例外なく行為の客観的違法性であることに決議が変更されたわけであ

     るが︑予見不能の損害にまで責任範囲が広がり加害者に酷となる場合があることに対しては︑行為と損害との間の因

     −果関係を否定して軽減する方法が提示されており興味深い︒裁判官の事実認定上の裁量判断に委ねようというわけで

     ある︒

︑     こうして︑故意過失における認識ないし予見の対象を論議するうちに︑一〇八回審議会で削除された違法性要件が

        不法行為に起因するPTSD等の精神疾患と損害賠償責任︵五︶         ︵都法四十四ー二︶ 二一七

(24)

      二一八

いつの間にか復活していることに気付かざれる︒そもそも一〇九回審議会からすでに行為の客観的違法性につき言及

がなされていたのである︒これをどう解するべきか︒上述の合古o乞の提案の前半部分に手がかりを見出すことがで

きる︒合ぎ≦は﹁違法な行為または不作為を通して他人に損害を与えた者はその他人に損害賠償の義務を負う︒自

然的自由の行使ではあるが良俗に違反した加害行為もまた違法である﹂と述べていた︒すなわち︑違法性の概念要素

を禁止法規違反と権利侵害だけから良俗違反にまで拡大することで︑違法性要件の堅持と被害者救済の拡大とを両立        ︵62︶ させ得るようになったのである︒このことは結局︑違法な行為こそが損害賠償を義務付けるとの法規範が明らかとさ

れるに至ったと解すべきであろう︒

 しかし︑決議は再び逆転する︒第=一回審議会︵九月四日︶の冒頭︑前回の審議会で多数派に与したある委員か

ら︑後になって考えてみると内容的に間違っていたと確信するに至ったのであらためて決議を求める旨の発言がなさ

れた︒短い討議の後︑前回の決議は次のように変更された︒

 ﹁違法な行為︵または不作為︶を通して故意︵﹀ぴ゜︒一︒宮︵<o霧p言︶︶または過失から他人に損害を与えた者はすべて︑

その他人に損害賠償の義務を負う︒﹂

 ﹁違法な行為︵または不作為︶を通して被害者の︵主観的︶権利が故意︵﹀ぴ口○宮︵<o臣巴N︶︶または過失から侵

害されたときは︑損害それ自身が故意︵﹀●︒︒戸︒江︵<o嵩巴N︶︶または過失から与えられたのではない場合でも損害賠

償の義務を負う︒﹂

 すなわち︑故意過失における認識ないし予見の対象は︑損害が原則であり︑権利侵害はその例外となる逆転が生じ

たわけである︒損害発生を予見不要とできるのは権利侵害の場合だけに限られるということであるが︑権利侵害を広       ︵63︶ 義の損害と看倣すことでもある︒前回の審議会の㊥一芦爵の提案の線に沿った決議となっている︒

(25)

 このように決議の変更を促した理由は︑やはり前回審議会が採用した原則では耐えがたい苛酷さに行き着くとの判

断であった︒委員会の多数意見は次のように考えた︒損害の発生が認識不可能でも賠償責任を負うとするような原則

を正当化できるのは︑被害者の主観的権利が侵害され︑被害者がその権利領域において直接に侵害された場合に限ら

れる︒なぜなら︑こうした場合は権利侵害自体がすでに広い意味での損害と看倣されるからである︒そうではなくて︑

法秩序により禁止されてはいるが主観的権利の侵害を含まない行為の場合は︑損害の発生が予見されたか注意すれば

予見できたことが賠償責任の根拠とならなければならない︑と︒前回審議会から空気は一転して︑裁判官の事実認定

上の裁量判断に委ねることはできないとされたわけである︒        ︵64︶  かくして合計四回の審議会討議でまとまった結論は次のようになる︒

 §a﹁故意︵<o﹃c︒巴N︶または過失から違法な行為︵作為または不作為︶を通して他人の権利を侵害するか他人に

損害を与えるかした者はすべて︑その他人に対して行為を通して生じさせた損害を賠償する義務を負う︒﹂

 §b﹁それ自体は許されているが他人に損害を生じさせる行為もまた︑その実行が良俗に反してなされたときは違

法となる︒ただし︑その実行が.一般的自由に基づかず︑特別な権利の行使においてなされたときはこの限りでない︒﹂

3. ドイッ民法曲ハ第一草案       ︵65︶       °       ︵66︶  その後︑編集委員会あて編集原案︵印昆く○巳︶一四五条・一︑四六条︑編集委員会決議暫定集成︵N已゜︒け○閲︶ 一四五        ︵67︶      .  ︵68︶ 条・一四六条︑編集委員会草案︵民国︶六九八条・六九九条による微修正を経て︑第一草案︵日︶七〇四条・七〇五

       ︵69︶ 条に至るが︑−編集委員会草案︵民国︶六九八条に対してなされた民已冒巴日の損害規模に関する修正案が重要である︒

 同条一項では損害規模の扱いが不鮮明なため︑発生したすべての損害に認識ないし予見を要求しているかのごとく

   不法行為に起因するPTSD等の精神疾患と損害賠償責任︵五︶         ︵都法四十四ー二︶ 二一九

(26)

       二二〇

読めるが︑後に見るように一=回審議会において損害規模の認識ないし予見を不要とする芭呂︒Wの提案が支持さ

れている︒したがって︑認識ないし予見が要求されるのは︑権利侵害を含まない違法行為から何らかの損害が発生す

ることについてであって︑それから生じるすべての損害についてではない︒こうした点を明確にすることが

民ξまき日の提案の趣旨であり︑六九八条一項は損害規模につき加筆修正され第一草案七〇四条一項となる︒しかし︑

このような加筆修正は二項に対しては不要である︒なぜなら︑二項は権利侵害から生じる損害だけを扱っており︑そ

の権利侵害を含む同じ違法行為から生じる別の損害は一項が扱うことになっているからである︒       ︵70︶  編集委員会草案︵民国︶六九九条はΩΦぴ冨巳の表現上の微修正案が容れられて第一草案七〇五条となる︒

 七〇四条

 ﹁故意または過失から始めた違法な行為−作為または不作為ーを通して他人に損害を与えた者はすべて︑その損害

の発生を予見していたか予見しなければならなかったときは︑その規模を予見し得たか否かに関わりなく︑その他人

に対して行為を通して生じさせた損害を賠償する義務を負う︒﹂

 ﹁故意または過失から違法な行為を通して他人の権利を侵害した者はすべて︑権利侵害を通して他人に生じさせた

損害を︑その発生が予見不能であったときでもその他人に対して賠償する義務を負う︒生命︑身体︑健康︑自由︑そ

して名誉の侵害もまた︑この規定の意味での権利の侵害と看倣す︒﹂

 七〇五条

 コ般的自由によってそれ自体としては許されている行為もまた︑それが他人に対して損害となり︑その実行が良

俗に反してなされたときは違法となる︒﹂

(27)

︵b︶第一委員会審議における間接被害者論

 すでに見たように第一委員会審議の主要論題は︑違法性要件の扱いと︑故意過失要件における認識ないし予見の対

象であり︑本稿の関心たる間接被害者の賠償請求権を正面から問題とした議論は見られない︒しかし︑討議の中でそ

れに言及する場面は存在し︑かつ︑そこでは間接被害者の賠償請求権が自明のことであるかの様子も窺え︑事実︑第

一草案七〇四条に結実する立怯主義は間接被害者の賠償請求を認めている︒そこで︑討議から窺える間接被害者論を.

明らかにしつつ︑第一草案﹁理由書﹂中に現れる相対的違法性論につき問題点を探ることとする︒

r.第=○回審議会

 ここで出9済が予見対象を有害結果とし︑権利侵害は常に有害結果と看倣されるとする提案をおこなったことは

すでに紹介した︒彼はそれに続けて︑損害の規模︵己日合編︶については︑とくに︑有害結果からさらに生じる後続

損害︵°・合注﹂↑合Φロ呵巳σq①昌︶については︑予見不能であっても賠償義務を負うとも提案していた︒巳9昆は問題の後

続損害が誰に生じたものかには触れていない︒直接被害者がさらに損害を被った場合だけを問題にしているのか︑そ

れとも︑別の被害者すなわち間接被害者が後続損害を被った場合を含めて問題にしているのかははっきりしない︒

 いずれにせよ︑この=○回審議会では︑一切の例外なしに予見の対象を客観的違法性とし︑損害発生の予見は不

要とする決議がなされたため︑四p昌品の主張の前半は退けられたことが明らかである︒しかし︑後続損害に予見は

不要とする彼の後半の主張を各委員がどう受け止めたかは判然とし玲・

2.第一=回審議会

   不法行為に起因するPTSD等の精神疾患と損害賠償責任︵五︶         ︵都法四十四ー二︶ 一.一二一

(28)

       二二二

 第一委員会が間接被害者の賠償請求権を認める立法主義を明瞭にしたのはこの審議会においてである︒間接被害者

論を探究する本稿にとりここでの討議は最大級の関心事であるが︑問題の立法主義の明瞭化は消極的な形で遂行され

ており︑議事録の記載も数行にとどまっている︒それはともかく︑第一草案が間接被害者の賠償請求権を認める立法

主義に立つと判断すべき根拠は次の事情にある︒

 不法行為の原則規定に関する四回の討議のかなり早い時点で︑おそらく一〇八回審議会の時点で︑民已吋一ぴp已日から

過失事例での間接被害者の請求権を正面から否定する修正案が出されていた︒すなわち︑﹁損害賠償義務は他人に損

害が加えられたことによって誰かが被った損害には及ぼない︒ただし︑最初の損害が加害者によ・て意欲されたもの

である場合はこの限りでない︒﹂と︒

 ところが︑内烏旨雲白はこの=一回審議会においてこの修正案を取り下げるのである︒すでに見たようにこの審

議会で故意過失要件における認識ないし予見の対象が︑原則として損害発生︑例外として権利侵害へと逆転するので

あるが︑民烏まp已日が提案を取り下げざるを得なかったのも︑こうした決議の変更により間接被害者に対する賠償義        れ  務は一重に損害発生の予見可能性にかかることになった︑との了解に各委員が達したからである︒かくして︑間接被

害者の賠償請求権を正面から認める第一委員会の立法主義は明瞭となった︒

 これに加えて︑前回の審議会で出された田き筈の修正案の後半︑つまり︑損害規模ないし後続損害には予見を必

要としないとする提案もこの=亘譲会で明示的に支持えるに艶・予呆要とする点から推測して︑

勺一き゜オの後続損害は同一人に生じるものが想定されていると言えよう︒そうすると︑間接被害者に何らかの損害が

発生することさえ予見可能であれば︑加害者は間接被害者の被るすべての損害を賠償する義務を負うことになるわけ

である︒

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