︑
資科
ゴビノオに於ける文化の諸概念
松
尾
正 ・
路
序︑営︑
筆者の︑ゴビノオ﹁人種不平等論﹂の紹介は︑今日ナチスの民族論がフランスから出てゐるといふ皮肉な文
化現象に鉗する興昧からである︒だ
この皮肉は︑男性的要素と呼ばれるアリアン民族の優秀性と血の純潔を読くゴビノオ自身が︑人種混滑と人
類文化の蓮命に關し︑極端な宿命論を読きつ曳︑女性文化の代表者となつてゐる黙で︑}面的には救はれてゐ
る︒
ゴビノオの﹁人種不準等論﹂については︑建國大學の申野清一玩から懇切な敏示を戴き︑・同氏の敏へにょっ
ゴビノナに於ける文化の諸概念(松尾)一四五
一四六
て噛加田哲二氏の近著﹁人種︑民族︑職孚﹂を知り︑﹂その中で︑ゴビノオの人種論が既に明治三六年︑森鴎外
によつて紹介されてゐるととも知つた︒
然し︑それにもか玉はらす︑今︑此虚にゴビノオの人種論を紹介するのは︑軍なる﹁皮肉な興味﹂に絡ちな
いだけの意昧もあることを考へたからである︒例へば︑ゴビノオの人種論を今B流行の民族論と︑それを基礎
とした文化の諸問題に關聯させるならば︑東亜協同艦論に於ける民族論と地坑論の論事の如き︑當然ゴビノオ
再跨味に便する問題であると思ふ︒民族紐帯としての血縁誰は正しくゴビノオの民族論であるが︑民族本能に︑於ける﹁閉ぢられたものしと︑﹁開かれたるもの﹂に關する高田博士の見解は全く反ゴビノオ的であ駄︒然し︑
筆者は民族學者ではない故︑これらの論争に参加する資格は持つてゐない︒
ゴビノオの思想に科學的な根擦のみを追求することは︑彼の後櫃者チエンバレンが︑自著﹁↓冨♂暮費ユ︒葛
︒臨昏︒三昌魯9再浮6窪窪越﹂について語つてゐる如く︑か玉る性質の著述が到底一個人の能力によつては不可
能であるといふ常識から考へても︑不當な要求であらう︒從つて︑ゴビノオの思想も︑寧ろ多く個人的なヴジ
ヨンに貫かれた文化批判として受けとるべきであらうと思ふ︒へ呪
へ文學的な作品は別として︑ゴビノオ㊨著作が租國フランスで虐待されたことは︑彼の思想的傾向が明瞭に物
語つてゐるばかりでなく︑彼の彪大な著述の大牛が今日なほ絶版歌態にあり︑評論︑随筆︑書簡の多激が未襲
刊のま玉残されてゐる︒
以下のゴビノオ紹介はN・R・F出版の﹁ゴビノオ選集﹂にょることを断って置く︒
1)高 田 保 馬,東 亜 と民 族 原 理,改 溝 昭 和 十 四 年 十 一一・一月 號
一︑民族の衰頽.
ゾゴビノオの人種不李等論はA民族(窟ξ♂Y嚢頽(9㎝qぎ驚︒8窪8)の解繹から出嚢し︑民族の血液がその解繹
の基礎となつてみる︒即ち︑民族の嚢頽とは︑ある民族の血が他民族との混渚⁝によつて純度を失ふにつれ︑そ
の民族固有の贋値を失ひ︑或は低減を來すことである︒血液混合の結果︑﹁異質の要素が支配的となり︑全く
薪しい民族性曾麟θご鶏一寡)を構成する︒而してその民族性は當初の固有の民族性にとつては不幸な結果となる
もゐである︒それは︑極めて傍系的な線によつてのみ先租と呼ばれるものκ薦し︑か﹂る民族はやがて︑最初
,の種族的要素が他種族との混溝の申に分配され溝滅して途に活動力を失ふ時︑決定的にその文化と共に死滅す
ラノる︒L/
かくの如く︑ゴビノオが考へる民族の嚢頽は︑輩に一種族の純潔性の問題に止らす︑その血の純潔さを吸牧
混濁することにごつて生する薪な民族自禮が必然的に衰滅するといふ決定論的な宿命鶴の上に立つてゐる︒
エジプト︑アシリヤ︑インド︑ギリ画ヤ︑ローマを始め,あらゆる過去の民族文化が︑この衰頽の法則に從
つてゐるのみならす︑同時代のフランスに關して薩會批評を試みる時でさへ︑彼は常に同じ宿命観に立つてゐ
る︒﹁人種不平等論﹂が呼び起した批難に答へ︑トクヴイルに宛てた書簡は最も明かにそれを語つてゐる︒
﹁私は諸君(フランス入)が赦さるべきだとか︑罰せらるべきだとか云つてゐるのではない︒諸君は死ぬだ
らう︑と云つてゐるのだ︒然し決して︑諸君が間歓的な活動力に騙られて︑時には征服者たるごとさへ不可能
であるなどとは考へない︒まして㌃諸君がさうするこどを禁じようとは思はぬ︒それは私にとつて何の關係も︑
辱ゴビノオに.於ける丈化の諸概念(松尾),一四七
叔
1)Es,saisurrIn6galit6desHmmahnes}Firmin・Didot,1,p.24。
一四八
ない事だ︒然し私は︑諸君が青年期を過ぎて老境に達してゐると云ふ:三・︒
帝國やモナルシイや共和國や︑'諸君の欲するものを建設し給へ︑私は反野しない︒それは可能である︒支那へ行つて支那人を苦しめ︑トルコを買牧し︑ペルシヤを抱き込み給へ︑それは可能であるばかりでなく︑避け
難い事である︒然し︑結局は︑そのやうな活動によつて諸君の嚢頽は釜々深まり︑絡極に達するのである︒そ
してその時︑諸君の身代りとなるべき後纏者は全世界に一入も居ない︒諸君を駆り立てる物質的な享樂主義が
その確かな徴候である︒それは肺病患者の赤い頬の様に確實なクリテリアムである⁝⁝ゆ﹂
このやうな宿命観によれば︑事實的には地球上のあらゆる民族文化が衰滅することになり︑ゴビノオのペシ︑・︑スムは︑後述の如く︑人類の道徳的肚會的進歩を否定する哲學となつて現れてゐる冷
この民族文化衰滅決定論は︑彼が考へる人類の理想的丈化︑即ち︑理想的血液混渚の歌態とは全く遠いもの
である︒ゴビノオは︑事實上︑そのやうな理想歌態は存在しないといふ認定によつて︑この論法を押し進めて
行く︒
二︑人種の不卒等
﹁様々な種族間に於ける出生や起原の不李等が︑分明にして連績的なものであるといふ槻念は︑最秀古く一
般的に探用されてゐた見解の一つである︒こσや5︑な見解は︑都族や土民の源始的な孤立状態︑また︑還近の
過去に於て彼等のすべてが行ひ來つた自己申心的な傾向を見るならば︑敢て奇とするには當らない︒最近代に
起つた事件は例外として︑國家の政治組織に關するすべての原理は︑この観念に由來してゐる︒大小を問はす
如何なる民族もこれを國家の基本的原則として出獲してゐない民族はない︒カスト的階級︑華族や貴族の組織
も︑それが出生の特禮の上に建てられてゐる限鉢︑他の理由によるものではない︒家系に於ける長子とその子
孫の特棲も亦︑この原則から流れてゐる︒
かくの如く嵩ゴビノオの人種不準等論は︑直ちに肚會の傳統的階級と家族制度の擁護となり︑フランス革命
(一七八九年)の根本精紳であつた﹁入礎宣言﹂を否定し︑彼の﹁人種不畢等論﹂が出版された五年前︑即ち︑
一八四八年の共和革命に封テる最も顯著な不満足派の一人となり︑近代の反デモクラシイ思想に於ける先駆者
となつてゐるのである︑四八年の革命が主張した普通選學の蓮動がゴビノオの不挙等論と相容れないのは當然
である︒彼は平等思想の由來を人種論の立場から次のやうに詮明してゐる︒
﹁上述の原則は︑各民族(塁酔凶§)の排外的傾向や隣接民族に謝する優越感と合致する︒然し︑諸民族が混合
し︑併合されるにつれて︑援大文明化されたこれらの諸民族は相互の利釜關係から次第に寛大な硯野を持ち︑
遂に不畢等の鐡則が︑何よりも先づ民族聞の敵意が麩裂を生じ︑論議されるに至るのである︒次に︑その國家
5の最大多歎の市民(集o饗蕊)が彼等の血管の中に混合した血液を感じ始める時︑︑この最大多数は︑彼等自身の
貰理を普遍的な眞理に攣へて︑総ての人聞は卒等なりと断定するに至るのである︒かくて︑知識人の総てが墜
迫に劃する彼等の讃ふべき憎悪や︑暴力に封する正當な恐怖心から︑︑且て支配者たりしところの︑そして或る孕
程度までは多くの非難を茸受しなければならなかつたところのー何故ならそれ.が世界の現實である1種族
め記憶を一暦悪く上塗りしてしまふのである︒彼等は暴政への抗議から︑特権(oξ鑑︒昏εの自然的原因の否
定へと移り︑か㌔る特椹を非道且つ專横なりと宣告する︒ある種の能力が必然的に︑運命的に︑ある子孫に屡
ゴビノオに於けろ丈化の諸概念(松尾),一四九
1)Moreeauxchoisis,P.II:1,InegalitξdesRa¢es,1,P.35.
・.・︑㌧︑・...ヒ一五〇
する遺産であるといふ事實に封する彼等の否定は全く誤つてゐる︒︑要するに︑8ある民族の構成が異質の要素を
加ぶるにつれて︑様々な能力が同程度に︑・全人類の所有であり︑もしくは所有たるべきであると考へたがるの.
めであるo﹂,
塾︑即ち︑ゴビノオに從へば︑デモクラシイや挙等の理念は政治上の原則としての軍なる意味であつて︑科學的
︑
な翼理ではない︒フランス革命も亦巴里の人種的混清の所産たるに過ぎないのである︒
最も多様な人種的見本の縮圖である巴里は︑すでに如何なる傳統も特種な傾向をも理解し愛し奪敬ずべきモ
Lチフを失つてゐる︒この互大な首都︑バベルの塔は︑フランドルやボアトウやラングドックや︑すべて過去
かと絶縁し︑その傳統的な習俗とは最も無關係な思想の實験へ︑︑フランスを引きつり込んだのである︒
か襲み非科學的な實験に封する科學的な眞理とは︑人間が︑平等の信徒である時でさく︑不雫等の原則を克
服するに足る能力を持ち合せてゐないといふ歴史的な事實であり︑文化の獲達もこの事實から脆け出すことは
ト不可能であり︑不雫等の原則こそ人類の蓮命的な現實である︑とゴビノオは考へる︒
.﹁イタリヤのローマ人はギリシヤのローマ人をO鎚︒o巳器と呼び︑虚榮の鼎舌と勇氣の訣如を彼等に蹄し・
た︒カルタゴの移佳民を︑悪意と訴訟好きな氣質によつて千人中に一人居る時でさへ見分けることができる色
の云つて輕蔑し︑アレキサンドリヤ人は鋭利傲慢不穏な分子と見徹された︒﹂
このやうな不平等の現實と平等思想の食違ひは︑﹁今日に於ても︑デモクラシイの信奉者蓮が︑北アメリカ
のテクソン人が同じ大陸の他のすべての民族に優ることを観編する黙で人後に落ちない明白な事實を考へるな
らば︑釜々重大な矛盾としで我々の目に映る︒﹂."︑口
﹁
二) 3) 4)