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(1)

平安・鎌倉時代に於ける副詞「たとひ」の漢字表記 について : 僧侶実用漢字の世界

著者 山本 真吾

雑誌名 三重大学日本語学文学

巻 1

ページ 16‑24

発行年 1990‑06‑03

URL http://hdl.handle.net/10076/2595

(2)

平安・鎌倉時代に於ける副詞「たとひ」の漢字表記について

僧侶実用漢字の世界

山本 真吾

○与‑ワード‥た虻ひ・漢字の用法・僧侶実用漢字・位相

一、・・問埠の所在・

平安・鎌倉時代に於ける漢字表記文献の用字法については、

近時、この方面の研究が盛んになって飛躍的に進展し、殊に、

副詞の漢字表記については、峰岸明『平安時代古記録の国語学

的研究』(昭61・東京大学出版会)に於いて、当代の日常実用

・常用の漢字の実態がほぼ明らかにされたといえる(注1)。

峰岸博士ほへ漢字専用文献として、鎌倉極初期もしくはやや

湖る院政期の書写と見られる『高山寺本古往来』をはじめ、往

生伝の『日本往生極楽記』・『拾遺往生伝』、公卿日記の『小

右記』・『長秋記』、往来物の『明衡往来』・『貴嶺問答』、

併せて、漢字片仮名交用文献の例として、説話集の『今昔物語

集』を選定され、用字l覧を作成された。これによれば、副詞

「たとひ」の漢字表記は、次の如くである。 ○『古往来』・・縦、『極楽記』十縦、『拾遺』‑(掲出セズ)、『小右記』・,偶・椴令・縦、『長秋記』1縦、『明衡』ト縦・誓、『貴嶺問答』‑個令、『今昔』‑縦・設・響・辞しかるに、最近、小論の筆者が調査を進めている院政・鎌倉

時代書写の法会関係の文献資料の中に、『今昔物語集』.の用字

群にはかろうじて見出せるものの(注㌢)、通常、これらのい

ずれの文献の用字にもー致しない事例が見出された。

米設ヒ害シ山野之蹄ヲ殺江河之ヲ吉クツ(金沢文庫蔵仏教説話集15

‑16‑

ウ1)

米設短命ナリトモ味レハ伊王薄伽ノ薬議扇寿‑議定シテ無疑(醍醐寺本

薬師

甲本・川ウ7)

米謝又仙人詞賓ナリトモ公ハ軍7カコラへ給へ寺(山口光円氏蔵草案集

15左8)

右の「設」字によって表記された語は、部分附訓や当該文脈

により、副詞「たとひ」であることは疑いを容れないであろう

(注3)。古辞書に拠っても、三巻本色葉芋類抄には「タトヒ」

(3)

の箇所の初掲字にこの「設」字が挙っており(黒川本中巻辞字・夕・7ウ7)、又、観智院本類策名義抄の「設」字の所にも

「タトヒ」の訓が登載され・ている(法上五六)。

この「設」字は、当時の日常実用・常用の漢字群の基盤から

外れた、記主の個性に基づく独自の用字法なのであろうか。あ

るいは、時代差、意味・用法の差などの別の理由が存するので

あろうか。小論では、この間題の検討から出発して、考察をす

すめることとしたい。

二、『平安辻文』・『鎌倉達文』所収の古文書に於け

る副詞「たとひ」の漢字表詑

一口に、平安・鎌倉時代書写の漢字文献と言っても、古社寺

所蔵の写本等も含めると、多種多量のものが今日伝存し、それ

らを隈なく調査しっくすことは、現段階では不可能と言わざる

を得ない。

そこで、まず、この間魔の解決を得るための手懸りとして、

『平安遺文』・『鎌倉遺文』所収の古文書を調査対象文献とし

て選びたいと思う。これら古文書群に着目したのは、年代が確

定していて適時論的考察にたえうること、当時の日常実用文の

全般を眺めわたせること、文章様式・記主の社会的属性が多様

であることなどの理由による(注4)。

『平安遺文』(第一巻‑第十l巻)・『鎌倉遺文』(第一巻

・・・東三十七巻)所収の古文書全三四、八〇l一通に於いて、副詞

「たとひ」の表記に供せられたと思われる漢字は、次の如くである。

(1)「縦」字…・………‥………九一〇例

×然別縦離便補御封米、尚又有其余剰欺、(『平安遺文』一

三七三官宣旨案、永長二年)

米老父縦倍顔子之短命、如来必示指南於浄方、(『鎌倉遺文

』四五七六菅原為長逆修願文、天福元年)

×氏女縦難漏庭分、非指不孝之身、苧無御計哉、(同七九〇

四関東下知状案、建長七年)

米縦雛不被用彼書替、宗房任宗吾、(同一二六四六能範申状

建治二年)

米縦線懸置、構不賓之答、難及罪科之間、不及尋問、(同二

〇四七六鎮西下知状、正安二年)

(2)「設」字…・………・………・一九二例

米設又難為百余町、首荘御封既百四十飴石也、(『平安遺文

』二八八六東大寺三綱陳状案、保元二年)

米設比五天之勝踊、此事猶不可恥、況於日本一園之内哉、

『鎌倉遺文』一三四四笠置寺碓萱等修造勧進状、建仁三年)

米若背此旨者、設離山僧、設難土民、諸衆同心、鷹鹿重罪央、

(同二六二六高野山衆徒置文、承久二年)

(3)「偶令」字・………‥……・・・一三例

米側令l以二百六十余丁為一番、経廿箇年可勤一頭、(『鎌倉

ー17‑

(4)

遺文≡〇九二二関東御教書、文永八年)

米鳳令l難備百通之文書、敢以不足謹跡者也、(同一四二六一

河内金剛寺衆徒申状案、弘安四年)

(4)「縦使」字……・…………・五例

米縦佳人地酒不失、亦上天宮無忘、(『鎌倉遺文』九〇一七

北条時頼書状、弘長三年)

米楓鳳雛披経数日、此外至干自余雑事、博夫馬等者、令停止

之了、(同一ニー七九建部清網所領処分状、建治元年)

(5)「慣」字…‥ト…・………五例

米側路歎掌中之玉突、深悲窓間之燈永消、(『鎌倉遺文』八

八二働修寺牒案、弘長二年)

米側有本所、雄司有御成敗、静□也、(同一三四七八某申状、

弘安二年)

(6)′「響」字……・………圭例

米誓雑有女子、随其分限、一期之間、可計宛少分也、(『鎌

倉遺文』七九七七藤原茂知宣置文、建長八年)

米彼代官忠頼状去、乳酪不勤先例、如自関東・六披羅殿、可

令勤仕彼役之由、於被仰下着、云雑草、云地頭、何可令達

背哉云々、(同一〇四六七太良荘雑草垂申状、文永六年)(7)「縦令」字・……・…………三例

×右、件元者、縦令選任高雄、可遠絵本領之由、雛被下宣旨

官府候、如此不便蒙仰、(『鎌倉遺文』三八四五定真起請

文、寛善元年) 米院主衆徒弟子、楓令l難為器量之仁、七歳末満者、為含坊、

不可捕示本位、(同八七九一陸奥中尊毛越寺両寺座主下知

状写、弘長二年)

(8)「傾便」字………‥1⊥一例

×入阿鼻獄者、捏襲第十九云、傾使一人椀堕是獄、其身長大

八萬由延、煽満其中間、無空虚、其身周市、受種種苦、

(『鎌倉遺文』一四三八三日蓮書状、弘安四年)

米金色の彿一博、無間地獄に出現して、働使l適法界、断善諸

衆生、高法華経、決定成菩提云々、〈同‑四五〇五日蓮

書状、弘安四年)

用例数ほ、古文至通に二例以上存する場合、;数え挙げ

てある。

又、右のうち、(3)二慣令」字は、高山寺蔵鎌倉後期書写

題未詳仏書注釈書に、

○舛里刊ウ1者ヲ申サハキ界園ヲ不別スル心宍心ノウハへ也

(19オ‖)

とあって、「ケリヤウ」と読んでおり、所謂漢語副詞の可能性

を有する例である(注5)。

これら、(1)〜(8)に関しては、特に、用字の相違に反

映された意味・用法の差異や特定の用字の時代的偏りといった

ことは認めがたいように思われる。

右の(1)〜(8)を通覧して知られることに、平賀・鎌倉

時代に於いては、「縦」字が、古文書の世界でも副詞「たとひ」

ー.1■8‑

(5)

の表記に最、もよく使用される漢字であるということがある。

この字は、峰岸博士が副詞「たとひ」の表記に供せられる漢字

のうち、日常常用漢字と認められたものと一致する(注6)。

さて、(3)以下が極めて少数例であるのに対して、(2)の

一設」字一九二例は、やはり注意される用字であると言えよう。

この一設」字を用いる古文書に関して、いっそう注目に値する

ことは、これらの文書の記主がいずれも仏家の僧侶と認められ

るということである。

×官符院宣之上、設難天下一同公役園内平均所課、永可停止

一切他所役之旨、(『平安遺文』二四八一紀伊園大席法院

三綱解案、康治元年)

×設若件文書自他虞出来て候とも、彼四郎丸直米既請取候了、

(同三五五六僧文海書状、嘉応二年)

米但病癖病なんとにては、設雑大事候、多分及死門事不出来

欺、(讐鎌倉遺文』一五〇四源空書状、元久元年)

×彼云設雑務諸経諸彿、非浄土之障、只唱一撃十撃、必遂往

生之望、(同三二三四延暦寺大衆解、貞応三年)米紺青法難代虞、於彼職武士之進退、不可過其分斉、(同三

三四九興福寺僧良範申状、元仁二年)

米又設錐不列説戒座、一山之内有過法大過之人、随見聞可封

治之、(同四二五九高塀置文、寛喜四年)

米一画難為名利学聖教、必可廻向無上菩提事

(同四七六

六宗性起請文、文麿二年) 米設錐末代、難披弄絹之、何況大師御記文、(同八八六九園

城寺解案、弘長二年)

×設ひ等覚の菩薩なれとも、元品の無明と申す大悪鬼に入て

法華経と申妙覚の功徳を障へ候也、(同一一八七一日蓮書

状、文永十二年)

一九二例中、一七一例は、僧侶を記主とする文書の例と解し

て矛盾しない。即ち、約九割もの例が僧侶の手になる文書に集

中して認められるのである。

「某書状」など記主未詳のものを除いた残りの例については、

やはり、記主の社会的属性によって、次の二つの文書群に分か

つことができる。

(a)下級役人・百姓等関係文書

米設難不披寄神社争有先例限停止牧役、可為領主慈意哉、

(『平安遺文』四二〇七摂津国垂水西牧萱野御百姓等解、

元暦元年)

×設雑作人住他所、何負名可成他領哉、(『鎌倉遺文』一〇

七三大和長瀬荘百姓等量申状案、正治元年)

(b)社司・神官関係文書

×設難非情宗之母方之祖父之所領所帯仁、萄清宗彼智囲之嫡

子也、(『.鎌倉遺文』一六七二安部清宗解、建永二年)

×設雑無先例、被奉令寄進免田於併神等者、是政道之至也、

(同一四二七七筑後高良別宮杜司神官等言上状尭、弘安四■年)

‑19r.

(6)

これらの事例の解釈については、尚、慎重な検討が必要であ

るが、現段階では、次のことを付言しておきたい。

(a)に関しては、黒田俊雄氏が、次のような示唆に富む発

言をされている(注7)。

○在村の寺庵は、このように寺自体が村落生活のための施設

であるだけでなく、寺憎も村人の教育係と惣の書紀役の役

割をもっていたC村の鎮守や寺庵につたえられている惣の

文書にしばしば見うける「筆師」「執筆」の肩書の僧侶は、

たいていはそういう寺僧であっただろうし、百姓等の申状

を代筆した者も多かったでぁろう。

百姓等の文字教育が寺僧によってなされたとすれば、これら

の文書における「設」字の使用は首肯される所となる。逆に、

黒田氏の推定を、実際に書かれた文書の用字によって裏付ける

ことになるかも知れない。

(b)についても、社家・雨宮を仏教の従属的部分として位

置付ける当時の寺院と神宮の関係を考えれば、むしろ自然なこ

とであろうと思われてくる。

尚、この他、

米縦l掛不運道理、一同之書法也、設雛披行非接、一同之越虔

也、(『鎌倉遺文』四三四一幕府評定衆連署起請文、貞永

元年)

の例など、記主の社会的属性という観点では、説明のつかない

事例も若干存する0これなどは避板法の如き修辞論的観点より アプローチしてみることも必要であろう。

三、副詞「たとひ」の漢字表記を通して観た僧侶実用漢字

の世界

以上述べてきたように、『平安遺文』・『鎌倉遺文』所収の

古文書について見た場合、副詞「たとひ」の漢字表記として

「設」字を用いるのは、僧侶を記主とする場合であるという、

位相の問題としてこれを理解すべきもののように思われるので

ある。小論の一で既に紹介した、法会関係の文献は、いずれも

僧侶の手に成るものであるし、この他にも、

米設ヒ善等ノ心所顎リヤムト難トモ。後念力為ニ。全ク中間二間隔ノ

義ナキ也。(金沢文庫本解脱門義聴集記第八)

×設疲戒元俄ノ故へ呑㌔熱球ノ丸「(金沢文庫本言泉集、三帖

之三〔比叡山]19ウ)

米然別終ノ年モ設難有卜小分其義前年十二月廿一日二大后崩給之

間正月二尤余眉自同廿二日御悩也

(聖徳太子俸古今目録

抄下、二紙8行)

などの僧侶の手に成る文献にその例を指摘することができるの

である。

ここで、さらに追究してゆかねばならない問題が二つ存する。

第言、僧侶文書に於いても副詞「たとひ」の漢字表記は、

「縦」字が優勢(三三四例)である。僧侶の手になる文書に

ー20‑

(7)

おける一縦」字と一設」字との関係は如何であるか。

第二に、鳳故僧侶の手に成る文書に限って、一設」字を使用

するのかという、用字選択の理由に関する問題がある。

いずれも俄かに論断する用意ができていないのであるが、前

者に関して、一つに、より公的な文書か私的な文書かという文

書の性格によって使い分けの存する場合があ、るように思われ、る。

「縦」字使用の文書と「設」字使用の文書について、その様式

の別によって用例の多い順に整理すると次の表の如くなる。

表①・⊥.縦」字米全三三四例中、上位五位までを掲げる。 表②仁「設」字米全一七一例中、上位五位まで掲げる。

二義

進 状

文 解

二請 文

埠 文

・書 様

一式

用 七 ■例

■6 宅 5 七 数

起 ■ 藷 文

状 勧 進

∴書

状 文 書 様 式̀

用 例

.数

‑21‑

申状・解・起請文の如く重なる文書様式も存する中で、「設」

字の使用の文書の一位が[書状](六五例、三八・〇パーセント、「縦」字の場合、一位の[申状]は五七例、一七・一パ

セント)である点が注目される。文書を公・私の別に二分する

こと自体に無理が存するけれども、概してより私的な場で一.設」

字を用いることが多かったのではなかろうか。公的な役所等に

差し出すわけではない、前掲の法会の記録資料などに「設」字

が散見されるのも強ち偶然ではないように思われる。

(8)

後者の問題については、訓漢字(注8)あるいは日常常用漢

字と称される書記用漢字の実態が明らかにされろつある中で、

そもそも何故それぞれの漢字が、理解漢字群の中から書記用漢

字として選択されたのかといった問題を投げかけているかの如

くであって、今後その全般に及ぼすべき重要な課題であると思

われる〈〉ここで述べた「設」字の使用に閲し.て言えば、やほり、

僧侶の読書生活・漢字学習の場との関係を無視するわけにはい

かないであろう。具体的には、僧侶の通常慣れ親しんでいる書

物、即ち、仏典の、中でも時代を通じて多くの僧侶に幅広く熟

読された仏典の漢字の用法との関連に注目する必要があると患

うのである。

例えば、訓点資料の伝存することによって古来よく読涌され、

研究されてきたことの知られる、経典の用字に注目すると、

米設ヒ我が口の中に千の舌有りて、無量の劫を経て如来を讃

(し)たてまつルとも、世尊の功徳を思議すべカラず〔不

〕。r設我口中有千舌経無量劫諌如来世尊功徳不思議]′

(西大寺本金光明最勝王経平安初期点、巻第五蓮華喩讃品第

七)

の如きであって、「設」字を使用していることが知られるので

ある。尚、この問題は、一体、いつ頃より、副詞「たとひ」の

漢字表記に「設」字を用いることが行われたかということもか

らめて考えてゆかなければならないであろう。 右の私見は、あくまで憶説であって、その域を出るものでないことを断っておく。かかる性質の問題は、徹底的に調査し、多角的に考究することを侯って、結論を下すべきものと考える次第である。

四、結び以上の検討により、・法会関係の記録文献に認められた副詞

「たとひ」の漢字表記「設」′字は、公卿日記等の日常実用の漢

字群からほ外れるが、平安・鎌倉時代の僧侶社会に於いてはか

なり広く通行していたらしいことが判明した。従って、今後、

当代の日常実用の漢字の実態を考えてゆく上で、僧侶の手に成

る漢字文献の存在は無視できないように思われる(注9)。

他の語の漢字表記に関して、かかるケースはそれほど多くは

ないと思われるが、当面は、接続詞「これによりて」や連語

「かくのごとし」の漢字表妃などについて、注目してみたいと

考えている。

「因之」・「因立」・「依之」など接続詞「これによりて」

の漢字表記は複数存したけれども、僧侶の手に成る文書の申で

常用とも言うべき最もよく使用される漢字は「依之」のようで

ある。又、これも実証は行われていないが、「かくのごとし」

について、漢籍系漢文に「如此」、仏典系漢文に「如是」が主

として使用される旨、既に指摘がなされている(注川)。

‑22‑

(9)

かように、この時代の日本人の漢字生活に関しては、今後に

残された課題の少なくないことを痛感するのである。

(注)

1

第l一部第〓早古文書・古記録の文章表記第〓即席山寺本

吉往来における漢字の用法について(四三三頁以下)。

2

嘩岸注(1)文献第三部第〓早第一節今昔物語集におけ

る漢字の用法に関する一試論

この中で、本実の「響

」字・「設」字に編者の用字と認むべきものの存するこ

とが指摘されている。このことと小論で得た結論がどの

ように関係してくるかが興味深く思われる。

3

副詞「たとひ」についての文法的研究の主なものに、次

の御論があるQ

春日政治『古訓点の研究』・小川本大乗掌珍論天暦点

(昭3r・風間書房)。

久山善正「「タトヒ」(偶使・偶令)についての一考廣」

(『訓点語と訓点資料』‖、昭34・3)。

築島裕『平安時代の漢文訓読語につきての研究』第玉章

漢文訓読語の文法(昭38、東京大学出版会)。

・4

近時、かかる古文書の国語学的研究もいよいよ盛んになってきたように思われる。

辛島美絵「国語資料としての仮名文書‑鎌倉時代のオ段

長音の開合と四つ仮名の混乱表記を通して・‑」(『国語

5 6 8 7

学』…、昭61・9)。

大久保恵子「『鎌倉遺文』にみるイカサマ・ナニサマ」

(お茶の水女子大学『国文』72、平2・1)。

辛島氏の御論では、古文書を用いての表記研究に活字本

文を用いることの危険性を指摘され、原本に拠るべきこ

とを主張していられる。小論では、『遺文』によっ.てお

およそ.の傾向性を把接し、複製本その他で原表記に迫れ

る用例で以て、所論の補強に努めたいと思う8

柳田征司〓烏山寺蔵鎌倉時代後期書写題未詳仏書注釈書

(『鎌倉時代語研究』1、昭53・3)

峰岸明〓南山寺本古往来における漢字の用法について」

(高山寺資料叢書2『高山寺本古往来・表白集』昭椚)

黒田俊雄『寺社勢力1・もう一つの中世社会』(岩波新書

昭55・4)一四六頁。

右の他、寺僧と村落との関係については次の御論が有益

である。黒田俊雄r中世寺社勢力論」(岩波講座『日本歴史』6

・中世2、昭川)。

河音能平『中世封建社会の首都と農村』(昭5g・東京大

学出版会)。

工藤敬一『荘園の人々』(教育社歴史新書「日本史」53

昭53)。

小林芳規「上代における書記用漢字の訓の体系」(『国

‑23・‑

(10)

l 9∩〓U

語と国文学』471川、昭45・川)を始発とtて、日本思

想大系1『古事記』(昭57・岩波書店)に集大成。

院政・鎌倉時代の文字生活を論ずる上で、一般僧侶の役

割に注目した御論に、次のものがある。

小林芳規「中世片仮名文の国語史的研究」序章一、国語

史における中世の痕念と本稿の対象時期(『広島大学文

学部紀要』特輯号3、昭46)。

峰岸明「記録体」(岩波講座『日本語』川・文体、昭52

)の注(叩)。 受贈書目

〓九八九年一〇月〜一九九〇年三月迄五十音順) [附

記]本稿は、平成元年度鎌倉時代語研究会夏期研究集

会で行った口頭発表の一部を基に纏めたものである。席上、

小林芳規先生・山本秀人氏には貴重な御教示を賜った。又、

寺僧と村落とのかかわりに関する歴史学の方面の研究文献に

ついてほ鈴木理恵氏(長崎大学教育学部)に御教示頂いた。

ここに、銘記し感謝の意を表する次第である。

[本学教員] 《その一》『愛知大学国文学』『香川大字国文研究』

『学習院大学

国誰嬰学会誌』

『学大国文h(大阪教育大学)『汚水日文一

『北九州大学国語国文学』

『汲古』(古典研究会)『京都教育大学国文学釜誉

『教育国誰肺胞文学』(早稲田大学)

『ぐんしょh

『言語文化研究』(松山大学) 一五・再刊六八巻→ 二九号一円号三三号三三号二〇号三号〓ハ号二三号一六号・七号二コ号

̲24̲

『皇学館大学国文学全会報』

『皇学館論叢』

『高知大国文』

周甲南国文h

『国語研究h(横浜国立大学) 一八号

一二九・言一〇二三一号

二〇号

三七号八号

『国誰恵凶文学研究』(熊本大学)『国語国文学報』(愛知教育大学) 二五号四七l・集

参照

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︵原著三三験︶ 第ニや一懸  第九號  三一六

2 学校法人は、前項の書類及び第三十七条第三項第三号の監査報告書(第六十六条第四号において「財

条第三項第二号の改正規定中 「

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