カ ン トの ロ ック批判 〜先験 的対 象 と実体 の議 論 を巡 って
稲 垣 東 ‑
1 は じめ に
近代哲学 の大 きな問題 の一 つに観念説 の問題 が あ る.観念説 の問題 とは, われわれが直 接 に達 しうる もの は観念 のみであって, その背後 にあ る物 に達 す る ことはで きない, とい う問題 であ る. この間題 が問題 た る所以 は, われわれが物 に達 す る ことがで きない以上, 観 念 と物 とを一致 させ る ことが不可能 にな り,異 な る認識 を持 つ ことがで きな くな る とい うこ とにあ る. この間題 は,哲学史的常識 にお いて は, デカル トに始 ま り, ロ ック,バ ー ク リ, ヒュ‑ム と解決策 が講 じられ るが, いずれ も失敗 に終 わ った, とされ てい る. そ し て, カ ン トの経験説 もまたそ うした哲学史的常識 に もとづ いて解釈 されて きた.例 えば, その代 表者 として‑ ン リー ・ア リス ンが い る. ア リス ンは, カ ン トの経験説 をロ ックの観 念説 の再解釈 として捉 え, カ ン トの経験説 に とって軽視 され て はな らない 「 先験 的対 象」
の概念 をロ ックの 「実体 」 と重 ね合 わせ に した.
本稿 の意 図 は, カ ン トの ロック解釈 ( 批 判) を明 らか にす る こ とを通 じて, カ ン トの批 判哲学 の立場 を明 らか にす る ことにあ る. そのために まず初 め に,哲学 史的常識 の立場 に 立 って先験 的対 象 を解釈 したア リス ン説 を概観 す る. その次 に, ア リス ン説 の問題 を指摘 し, カ ン トの先験 的対 象概 念が ロ ックの実体概念 と重 ね合 わせ に され ない こ とを確認 す る.
最後 に, それ を踏 まえてカ ン トの ロ ック批判 の検討 を通 じて, カ ン トの批判 哲学 の立場 が 明 らか に され る.
2 H. E. ア リス ンの 「 先験 的対象」解釈
まず は じめ に先験 的対 象の問題 を取 り扱 うに先立 って,I l . E . ア リス ンの 「 先験 的対 象 」
解釈 を見 てお きたい. とい うの は, ア リス ンは先験 的対 象 の問題 の取 り扱 い を解釈史的 に ま とめ, さらに先験 的対 象 の問題 をロ ックの実体 を巡 る問題 と重 ね合わせ に してい るか ら で あ る. それ故, ア リス ンの解釈 を概 観 す る ことは, カ ン トとロ ックの哲学的立場 を明 ら か にす るための手 がか りにな るのであ る.
さて, ア リスンは 「カ ン トの先験 的対 象の概念 」 ( Kan
tlsConc e ptoft r ans c e nde nt al Ob j e c t ) とい う論文 の中で,現代 まで に至 る先験 的対象 を巡 る議論 を三 つの立場 に区分 し て い る 川 .第 一 に,先験 的対 象 を物 自体 と同一一裸す る立場. 第二 に,先験 的対 象 を物 自体 と区別 す る立場.第二 の立場 は,先験 的対象 をコンテ クス トに応 じて 「 物 自体 と同一 の先 験 的対 象」 と 「 物 自体 と峻別 され るべ き先験 的対 象」 と区別 す る立場 で あ る. そ して, ア
1
リスンは第三 の立場 に t L Lつ. なぜ ア リス ンが この立場 に立 ったのか. ア リス ンは第 ・ の立 場 を 『 純粋理性 批判』 を前批判期 の残梓 と批判期 の円熟 した思考 の合体物 と見 なす ことを 根拠 としてい る, と考 えるか らで あ る. そ して, ア リス ンが第二 の立場 に立 つ ことがで き ないの は,第二 の立場 を採 る人 たちが カ ン トが 「先験 的対 象」 とい う術語 を不注意 に用 い てい る とい うこ とを論拠 としてい るか らであ る. つ ま り,第
一一の立場 も,第二 の立場 も哲 学 的根拠 に もとづいて 「 先験 的対 象 」を解釈 す る こ とを放棄 してお り,哲学 的根拠 に もと づ いて先験 的対 象 を解釈 しうるな らば, その方が 『 純粋坪性批判 』 の趣 旨を正 当に理解 し うる, とア リス ンは考 えてい るので あ る.
それで は, ア リスンの哲学 的 な根拠 とは一体,何 か. その前 に まず確認 しておか なけれ ばな らない ことは, ア リス ンの先験 的対 象解釈, いや, カ ン トの経験 説解釈 の根本的立場 であ る. それ は, 「カ ン トの認識説 は観念 説 の再解釈 であ る」とい う立場 で あ る. ここで言 われ てい る観念説 とはいわ ゆ る,近代哲学史 の常識 として言われ てい る観念説 ( カ ン トの 言葉 を借 りれ ば,経験 的観念論)の こ とに他 な らない. つ ま り, 「われわれ は直接 にわれわ れ 自身 の観念 と意識状 態 のみ を意識 してい るにす ぎず, これ らの観念 に対 応 す る外的 な対 象 の現実存在 は,直接的 な把捉 の問題 と言 うよ りむ しろ因果 的 な推論 の問題 であ る 」 ( 2) と い う観念説 で あ る. この観念説 を採 るな らば, われわれ は外的 な対 象 にたん に間接 的 に達 す るのみ な らず,外的 な対 象 に確 実 に達 す る こ とも不可能 にな ろ う. なぜ な ら,われわれ の観念 か ら推論 に よって外的対 象 に到達 した として も, われわれ はその当の外的対 象 に は 観念 に よって達 す る ことはで きないので あるか ら, そ うした推論 は不確 実 とな らざるをえ ないか らであ る. そ うす る ことに よ‑ )て,われわれ は決 して真 な る認識 を持 つ ことがで き ない とい う懐疑論 に陥 らざるをえない. カ ン トが対 決 を試 み た経験 的観念論 を採 る哲学者 はデカル トとロ ックであ る とア リス ンは考 えてい る ( 3) . さ らに, ア リス ンは, この議論 を 英 国古典 経験論全般 に まで広 げ, ロ ックの観念論 の綻 びで あ る実体 とい う外的対 象 を放 棄 し, それ らを単 な る 「 観念 の集合体 」 や 「印象の集積」 に還元 す るバ ー ク リや ヒュ‑ム を もカ ン ト0 )対決者 と見な してい る ( 4 ) . この ことは, ア リス ンによれ ば, カ ン トの先験 的観 念論 が デカ) L /ト ・ロ ック流 の ( バ ー ク リ ・ヒュ‑ム も含 む)経験 的観念論 を回避 す る一 つ の方法 であ る ことを意味 す る.
それで は, ア リス ンに よるカ ン トの経験 説解釈 を具体 的 に概観 して見 る ことに したい.
デカル トや ロ ック と同 じよ うにわれわれが達 しうる もの は観念 ( 表 象) のみで あ る. しか し, デカル トや ロ ックの場合 は,外的対 象 は観念 か ら隔 て られ た もので あったが, カ ン ト において はそ うで はない. カ ン トの場 合,空 間 ・時間 とい う直観 の形式 の うちにあ る対 象 はすべて直接的 で あ り, その対 象 の現 実存在 を疑 うことはで きない. つ ま り, カ ン トに と って外 的 な対象 とは,空間 の うちにあ る もの を意味 し, 内的 な対 象 とは時間 の うちにあ る もの を意味 す るので あ る. それ故, デカル トとロ ックは空 間 と時 間 の うちにあ る対 象がわ れわれ に とって直接 的 で疑 い えない ものであ る とい う先験 的観念論 の立場 に立 たず に,感 覚 ・知覚 とい う直接 的所与 ( 例 えば, 「 赤 さ
」「 芳香 」等) か らそれ に対応 す る対 象 ( 例 え ば,香葡 その もの)へ と推論 したが ため に, 「内的 外 的」 の意味 を誤 解 したのであ る. そ
2 ‑
れ に対 して, カン トの先験的観念論 の立場 は,空間 と時間 を直接 的な表象 と見 なす とい う ことにおいて成立 している.表象が主観 の 自由意志 によって創造 され た ものではない以上, それ を生 み出 した原因 を持 たな くてはな らない. それが 「 物 自体」 「 先験的対 象」と呼 ばれ る実在 である. そ うした対象が知 られ るの は,われわれが批判哲学 の立場 に立 つか らこそ である. この意味での 「 物 自体」 「 先験 的対 象」 はデカル トとロ ックが感覚 ・ 知覚か らそれ に対応す る対 象へ と推論 したの と同 じ仕方で知 られ る対象であ る.そ して, この「 物 自体」
「 先験的対象」があるか らこそ,われわれの認識 の対 象 は可能的経験以外 にない と述 べ る ことが可能 にな る. ア リスンは, これ はカ ン トが近代 の観念説 の難問か ら解放 されていな い ことを意味す る, と断定す る. しか し, だか らといってア リス ンは 「先験的対象」が持 つ重要な意味 を取 り逃 していない. すなわ ち 「先験 的対象」が先験 的統覚 の相関者 とい う 意味 を持 つ ことを捉 えている. カ ン トにおいて もデカル トや ロ ック と同 じ くわれわれ は表 象 に達す るのみである. それ故,表象 とそれ に対応す る対象 ( 先験的対 象) とを比較 して, 認識 の成立 を説明す ることは到底 で きない.従 って, ア リス ンは表象 とそれ に対応 す る対 象の関係,換言すれ ば,表象 と先験的対象 との関係 を表象間 の必然的関係 へ と還元 す る.
この ことは,真理 の対応説 の言葉遣 いに よって真理 の整合説 を説明す る ことを意味す る.
それ故,先験 的対 象 は真理 の整合説 を説 明す るための予備的概念 であ り,統覚 の統一 によ って経験 を説明す るための概念 にす ぎない.
以上 のア リス ン説 の概観 か らア リスン説 の哲学的立場 が明 らかにな ろう.すなわち, カ ン トの先験的観念論 はわれわれが表象 にのみ達 す る とい う観念論 であ り, それ に対I , t け る 対 象 を認識 の成立 において用 いず に,表象の範囲内で認識 を説明す るとい う,首尾一貫 し た立場 である. しか しなが ら, このア リスンの立場 には次 の大 きな問題 が あることを認 め ざるをえないように思われ る. つ ま り, カ ン トの先験 的対 象の役割 とロ ックの実体 の役割 をそのまま同一視 しうるのか, と. ア リス ンは,観念 か らそれ に対応 す る対 象へ と推論 に よって到達 す るとい う方法が, カ ン トの先験 的対 象 について も見 られ る とい うことか らカ ン トの先験的対象の役割 をロックの実体 の役割 と同一視 す る. しか し,推論方法の同一性 を論拠 として, ロ ックの問題設定 とカン トの問題設定 を即座 に同一視 す ることはで きない.
む しろ,両者が どういった問題設定で実体 や先験 的対象 について論 られていたのか を検討 すべ きであ ろう.
3 ア リス ン説の問題
前章で確認 したように, ア リス ンはカン トが先験 的観念論の立場 を取 る とい うことに も とづいて,先験的対象の解釈 を試 みた. さらに, カ ン トの先験的観念論が表象 に対応す る 不可知 な対 象 を想定せ ざるをえない とい う点 において, デカル トや ロ ックの経験的観念論 と同 じ難問 を持 つ とア リス ンは考 えた. しか し,果 た してデカル トや ロ ックの経験的観念 論 とカ ン トの先験 的観念論 の問題 を同一線上 に置 くことがで きるのであ ろうか. その間題 を解決す るためには, カン トが先験 的対象 の概念 をいかな る問題構制 において用 いてい る
3 ‑
のか を考察せね ばな るまい.
カ ン トが 「先験 的対 象
」「 先験 的客観
」「あ る もの ‑
Ⅹ」 とい う概念 を用 いる局面 は , 3 つ あ る. それ は,人間 の認識能力 であ る 「 感性
」「 悟性
」「 理性 」 であ る. そ して,先験 的 対 象 は (1)感性 において はわれわれ を触発 す る対 象で あ り ,(2) 悟性 にお いて は統覚 の 相 関者 であ り
, (3)理性 にお いて は揮念 に対応 す るわれわれ に世 界 の体 系的統一 を与 える 虚焦点 であ る.
(1)感性 にお ける先験 的対 象 は,触 発す る対 象 であ り,現象 の根拠 で あ る.現 象 はわれ われ に直接 に与 え られ る対 象 であ る. それ故, この場 合,経験 的観 念論 にお けるよ うに ま ず は じめ に物 が実在 し, その物 がわれわれ の うちに観念 を生 み出す の とは異 な っている.
なぜ な ら,経験 的観念論 の場合 は,観念 は感覚 を介在 して得 られ る間接 的 な ものになるか らであ る. む しろ, カ ン トの場 合,空間 ・時 間の うちにあ る物 ( 現 象) は経験 的観 念論 の よ うに観念 を生 み出 した もの を持 ち出 さな くとも, それ だけで実在性 が保証 され てい る.
しか し,現 象がわれわれ に直接 に与 え られ た と言 って も, それ はわれわれが 自由意志 に よ って創造 した もので はない. それ故,現 象の背後 に現象 で はない対 象 ( 先験 的対 象) をわ れわれ を触 発す る対 象 として想定 しな くて はな らない .付
この場 合 の先験 的対 象 は,現象が現 象 として成立 す るための根拠 であ って,経験 的観念 論 の場合 の よ うに観念 に対応 す る実在 的 な物 で はなしゝ . む しろ,先験 的対象 は,現 象 を可 能 にす る概 念 として規定 され てい る. それ故,経験 的観念論 において は経験 的真稗 の成」
'/ 二 において観念 に対応 す る対 象 をいか に して把捉 す るのかが大 きな問題 とな るが, カ ン トの 場合 に は,経験 的真理 の過程 において先験 的対 象 は全 く関わ らない.
(2)悟性 にお ける先験 的対 象 は統覚 の相 関 者で あ る. こ0 )意味 の先験 的対 象 は, ア リス ンが述 べ てい るよ うに,真理 の整合 説 を真理 の対 応説 の 言葉 で説明 す る概 念 の側面 を持 つ.
カ ン トにおいて経験 の成立 は,現 象 を統覚 によって綜 合的 に統一 す る こ とを意味 す る. そ れ故,現 象が予 め先験 的統一 を持 ってい るので はな く, む しろ統覚 が現 象 に対 して統一 を 付与 す る ことになる. それ故,現 象 とそれ に対 応 す る対 象 を一致 させ る こ とに よって経験 が成立 す る とい う経験 的観念論 の問題 設定 は ここに はない
. '6' それ な らば,先験 的対 象 は いか な る意味 を持 つ のか. そ もそ も先験 的対 象 は表 象 ( 現 象) の対 象 とい う意味 を持 つ.
それ故, 「 表 象 の対 象 は何 か」とい う問 いが問われ た場 合 に初 めて,先験 的対 象 は表 象 を必 然的 に強制 す る もの とい う意味 を持 ‑
」 . h'しか し, われわれ は表象 としての現象 にのみ達 す るにす ぎないのであ るか ら,先験 的対 象 に達 す る ことはで きない.経験 とはそ もそ も, 現 象 を統覚 に よって綜 合的 に統 一す る こ とを意味 す る. それ故, これ まで表象 に対応 す る 対象 と言われ ていた対 象 ( 先験 的対 象) は, われわれ の経験 的認識 を強制 す る概 念 として 規 定 され,経験 的認識 U )先験 的対 象への関係 は,統覚 の統一 の制約 の もとに立 た され る こ とに よって 現 象 と統覚 の統一 との関係 として説明 され る. この先験 的対 象 は,現 象 の現 実 存在 U )根拠 とい う意味 を畢 みつつ,統賞 を現象へ志 向 させ る とい う役割 を持 ち,経験 的認 識 に客観 的実在性 を供給 す る0 )であ る.
こ0 ) 場 合の先験 的対 象 もまた,現 象か らそれ に 対 応 す る対 象へ と遡源 す る問 いに対 して,
4表 象 としての現 象 を統一 す る根拠 で あ r ),統覚 の統一 を説 明 す る概 念 として規定 され てい る.
(3
)理性 にお け る先験 的対 象 は,理念 に対応 す る対 象であ り,世界 の体 系的統一 の根拠 とい う意味 を持 ってい る.世 界の体 系的統一 とは,世 界 の諸現 象 につ いての諸 々の認識 を
‑ ‑ )の原稗 の下 に統 ‑す る こ と,換 言 すれ ば,一 つの最 高原因 に もとづ いて諸 々の認識 を 説明 す る こ とを意味 す る. ところで, そ もそ も現 象が実在 的 な物 として思考 され るために は, すべ ての物 の可能件 とな る質料 が/ d括 的 にわれわれ に与 え られ な けれ ばな らない. な ぜな ら, そ う した田料 が なけれ ば,われわれ は現 象 を無秩 序 な物 と見なす はかな くな り, 認識 が成 立 しな くな るか らで ある. そ して, 実際 にわれわれの認識 は成1 ▲ / J ̲ してい るの だか ら, そ うしたI F室 料 を認 め ざるをえないのであ る. この よ うに して, われ われ は現 象 に0)み 適用 され うる悟 性の原則 を拡 張使 用 して,現 象の 可能性 とな る包括 的 な質料, つ ま り, 現 象o )垢 高原州 を実体化 す る. しか し, われわれが達 しうる領域 はf i L 象界o )みであ る. この ことが知 られ る とき, われわれ は現 象界 に限界づ け られ,現象 の最 高原因 はわれわれ に は 到達 しえない対象 として規定 され る. そ して, われわれ の悟性 は,最高原因 を現 象の範囲 内で探 求 す るように強制 され る. これが理性 の統制 的原稗 で あ る.従 って, われわれ は諸 認識 を体 系的 に統一 す る場 合,理念 に対応 す る対 象が諸 認識 の うちにあ るか の ように見 な して諸現 象 を体 系的 に統一 す る.しか し,この統一 は常 に相対 的統一 に とどま り,理念 ( 絶 対的統一・ ) に対応 す る対 象 は虚焦点 として規 定 され る. なぜ な ら, 実際 に はそ うした理念 に対応 す る対 象 を現 象や その認識 の うちに見 出 だす こ とはで きないか らで あ る.
ここで理念 に対応 す る対 象 は先験 的対 象 であ るが,上述 の先験 的対 象 もまた,(1) (2) の先験 的対 象 と同 じ く,現象 ( 現 象 についての諸認識 ) か らそれ に対応 す る対 象へ と遡源 す る問 いに対 して現 象 を体 系的 に統 一 す る根拠 として説明 され, われわれ に は現 象 に達 す るにす ぎない とい うことが知 られ る と同時 に,先験 的対 象 は現 象 の綜体 を可能 にす る根拠 で はあ るがわれわれが到達 しえない根拠 として,現 象の背後 に想定 され る. そ して, この こ とが理念 の統制 的使 用 を説明 して い る.
以上, (1)
(2) (3)において先験 的対 象 の概念 の意味 を ご く簡単 に ま とめたが, ここ で最 も注意 しな くて はな らない こ とは,現 象 ・現象 につ いての諸認識 か らそれ に対応 す る 対 象が問われ てい る点 で あ る. その対 象 は (1) において は現 象 の現実存在 の根拠 として 規定 され
, (2)において は 「 統覚 の統一 の相 関者
」 (3)にお いて は 「 程念 に対応 し現象 の総括 を可能 にす る根拠」 として説 明 され る. そ して,先験 的対 象 はそれ ぞれ の局面 にお いて別様 に語 られてい るけれ ども, いずれ も現 象 を根拠 づ ける もの として語 られて い る こ とに注意 しな くて はな らない. この こ とは,先験 的対 象が認識能 力 の各局面 に別様 の仕 方 で機能 してい る とい うよ り, む しろ,同一 の事態 の別表現 と考 え られな けれ ばな らない.
こう した ことか ら,先験 的対 象 の概 念 は,現象 とい う概 念が矛盾 しない ように, まさし く 概 念 として想定 され る ものなのであ る. それ故, カ ン トの先験哲学 の基礎 とな る概 念 なの で あ る. た しか に先験 的対 象 は,経験 的観念論 の対 象 と同 じように推論 に よって到達 され る もので はあ る. しか し, この概 念 が経験 的観念論 の対 象 と異 な るの は, それがわれわれ
‑ 5 ‑
の経験 の対 象で はな く, む しろわれわれ の経験 の対 象 つ ま り現 象 を可能 にす る概念 で あ る とし〕う点 であ る. この概 念 が あ らゆ る対 象か らわれわれ に とっての対 象 を現象 に確定 す る ことを可能 に してい る以上, われわれ は経験 的観念論 にお けるよ うに認識 の発生 ( プ ロセ ス) をカ ン トの先験 哲学 に読 み込 む余地 は全 くな く, む しろ,現 象 の存立 の説 明 を読 み取 らな けれ ばな る まい.
以上 の ことか ら,経験 的観念論 の問題 とカ ン トの先験 的観念論 の問題 は同一線上 におか れ るべ きで はない こ とが明 らか にな った. デカル トや ロ ックの経験 的観念論 が カ ン トの先 験 的観 念論 と哲学史的 に連続 して いる, とア リス ンが考 えていた ことは前 章で明 らか に さ れ た通 りで あ る. しか し,経験 的観念論 と先験 的観 念論 が同 一線上 におかれ るべ きで ない ことが明 らか にな った以上,経験 的観念論 の克服 としてカ ン トの先験 的観念論 を解釈 す る ことは試 み として は面 白い もので はあ るが,哲学 的 な根拠 を持 つ もの とは言 い難 い と思 わ れ る. その根拠 として, カ ン トが ロ ックの経験 説 をいか な る もの として解釈 し, また,批 判 していたのか を検 討 す る必要が あ ろ う.
4 カ ン トの ロック批判
『 純粋理性 批判 』に はロ ックについての 言及が, 6 箇所 あ る. それ を見 てみ ることに した
い
引用 1 1 現代 において は, た しか に一度 は ( 有名 な ロ ックの)人 間知性 のあ る種 の 自然 学 に よって これ らのあ らゆ る争 いが終結 され,形而上学 の合 法性 が十分 に決定 され るよ う に思われ た
.」 ( A I X)
引用 2 「 個別 的 な知 億 か ら普遍的概 念 へ と高 まるために,われわれ の認識能ノ Jの最初 の努力 を追求 す る こ とが きわ めて有効 で あ る こ とは疑 いな い. そ して, ロ ックが その ため の道 を拓 いた こ とに感 謝 しな くて はな らない. しか しなが ら, ア ・プ リオ リな純粋概念 の 演梓 は, ロ ックの道 に よって は達成 で きない. とい うの は, ア ・プ リオ リな純粋概念 は こ の道 に はま‑ )た く見出 だ され ないか らであ る. なぜ な ら, ア ・プ リオ リな純粋概 念 が将来 使 用 され る場 合, その使 用 は経験 か らまった く独立 であ るべ きだか ら,純粋概 念 は経験 か らの起 源 とはまった く別 の出ノ ト証明証 を示 さな けれ ばな らないか らで あ る. この ロックに よって試 み られ た R然学 的 な導 L l l は,本 来的 に演梓 と呼 ぶ こ とはで きな い. 〔 省略 〕 それ 故,純粋概 念 につ いて は先験 的演梓 のみが あ りえて,経験 的演梓 は決 してあ りえず,経験 的演緒 はア ・プ リオ リな純粋悟性概 念 に関 して は虚 しい試 み以外 の何 もので もない し, そ うした試 み に携わ る人 が, こうした認 識 に関 す る独 自の本性 を坪解 していない こ とは明 ら かであ る
・.」 (AH伝.H7/H119)引用 3 「 有 名な ロ ックは, こうした考察 [カテゴ リー の演鐸論 l を欠 き,経験 の うちに 悟件 o )純粋概 念 を見出 だ したために, それ を また経験 か ら導 いた. そ して, こ0 )概 念 に よ
6
ってあ らゆ る経験 の限界 を越 えた認識 への試 み を敢 えて行 う とい う不条理 な仕 方 に陥 った ので あ る. 」 ( B1 27)
引用 4 「この有名 な二人 [ロ ックとヒュ‑ム] の うち,前者 [ロック] は熱狂的迷妄 に 門戸 を開い た. なぜ な ら,理性 は一旦, 自分 の側 に権 限が あ る と認 め られ る と, もはや節 制 とい う唆味 な褒 め言葉 に よって抑制 され る こ とはないか らで あ る. 」 ( B1 2 8)
引用 5 「ライプニ ッツが現 象 を知性化 したの は, ロックが悟性概念 全体 を (こうした表 現 を使 うこ とが私 に許 され るのな らば)精神発生論 〔 Noogoni e 〕の体 系 に則 って感性化 し たの と同様 なのであ る.別 言すれ ば, ロ ックは悟性概念 を経験 的概 念 あ るい は抽 象的反省 概念以外 の何 もので もない と主張 したのであ る. 」 ( A271 /B327)
引用 6 「ア リス トテ レス は経験論者 の第一人者 と見 な され, プ ラ トンは知性 論者 の第一 人者 と見 な され る.現代 にお いて は, ロ ックが ア リス トテ レスに従 い , ライプニ ッツが プ ラ トン (もっ ともプ ラ トンの神秘 的体 系か らは十分 にか け離 れ てい るけれ ども) に従 って いる. それ に も関わ らず,両者 は この争 い にいか な る裁 決 も下 す こ とが で きなか った.
」( A85 4/B882)
以 Lの 6 つの引用 に共通 す るこ とは, いずれ もロ ックが純粋悟性概 念 を経験 か ら導 いた こ とに対 す る批判 で あ る, とい う点 であ る. カ ン トに よれ ば, カテゴ リー はア ・プ リオ リ であ って,決 して経験 に起 源 を持 つ もので はない. それ故, カテ ゴ リーが現 象 に対 して適 用 され るために は,現 象 に対 して カテ ゴ リーが いか に して適 用 され うるのかが問われ な く て はな らないので あ る. これ こそが,先験 的演揮諭 の意 図であ る. そ もそ も純粋悟性概 念 はア ・プ リオ リな概 念 で あ り, それが経験 の成立 に不可欠で あ る限 り先験 的演揮論 を必 要 とす る. ところが, ロ ックは,経験,換 言 すれ ば観念 か ら出発 し,観念 を分析 す る ことに よって純粋悟件概 念 を導出 した. その よ うな 仕 方で純粋悟性概 念 を導 出すれ ば,純粋悟 性 概 念 を経験一般 に適 用す るこ とは到底 イく 可能 にな り, せ いぜ いの ところ,過去 の経験 につ いて適 用が許 され るにす ぎない こ とにな る. カン トが, ロ ックを批判 してい る点 は, まさ し くこの) ∴ ミなので あ る.
カ ン トが ロ ックを批判 してい る, L . t J ‑ 1 は,観念説 を採 用 す る と,観念 の背後 にあ る実在 に到 達 す る ことがイく 可能 にな り,経験 的真坪 が成 立 しな くな る とい うことで はない. む しろ, カ ン トは,引用 2 に見 られ るように,個別 的知能 か ら普遍 的概 念 へ と高 まる とい う実験 的 方法 をロ ックの うちに十分 に認 め, その 1 二 で,経験 を可能 にす るはずの純粋悟性概 念が経 験 か ら導 き出 され たJ L . まを批判 しているのであ る. この こ とは,経 験 的観念者 の うちにデカ ル トとバ ー ク リは含 まれ るが, ロ ックは除外 され てい る こ とを意味 す る. それ故, ロ ック の経験 説 とカ ン トの経験説 を殊更 に結 びつ けるア リスンの試 み は誤 りで あ る とい うはか な い. しか し, ア リスンは次 の ように反論 す るか もしれ ない.近代 の観念説 の問題 はすで に
7
ロ ックの存命 中 に問題 とな っていた に も関わ らず ( メ ) , カ ン トは 『 人間知性論 』 の問題, つ ま り観念説 の問題 を まった く誤解 して いたのか, と. そ うで はあ る まい. む しろ, カ ン ト は, ロ ック0 )哲学的意 義が観 念説 の問題 にあ るので はな く,実験 的 方法 の問題 にある こ と を認 めていたのであ る. その意味 で は, ロ ックが存命 していた当時 の哲学者以上 にロ ック の哲学的意義 を認 めていた とい うべ きであ ろう. それ故われわれ は, ロ ックと. i ' 」 時代 の哲 学 荷が ロ ックの哲学 的意義 を誤解 してい たのであ って, カ ン トはロ ックの哲学 的問題 を十 分 に坪解 していた と, ア リスンに対 して反論 せね ばな る まい.
それ で は, カ ン トとロ ックの宣場 の相違 は どこにあ るのか. それ は,経験 o )捉 えノ jで あ る. ロックに とって 0 ) 哲 学的問 いは , 個別的知でi r か らいか に して普遍 的概 念 を構成 す るの か, とい う問題 であ る. ロ ックの
吉子柴 を借 りれ ば,i i 1 ‑ 純観念 を複雑観念 へいか に して高 め てい く0 )か, とい う問題 であ る. この問題 は,近代 o )実験 科学 にお ける個別的 デ‑ 夕か ら いか に して複 雑 な知識 が構成 され てし、くのか, とい う問題 に対応 してい る∴ 。 ' それ に対 し てカ ン トは, ロ ックの ような哲学的 な問題 を問 うまで もない大 前提 として認 めてい る. / ) 法 り,個別的知覚 な くして , 普遍 的 な知識 が構 成 され ない とい うことを認 めてい る. カ ン
トの問題 はそ うした個別的 な知I Hが あ って も, それ を知識 として高 め る手段 であ る概 念が な くて は経験 的知識 は成立 しないので はないか, とい う問題 であ る. しか も,概 念 は経験 一般 ( 知覚 一 般 ) を取 り扱 うのであ るか ら,概 念 は経験 か ら導かれて はな らないのであ る.
それ故, カン トが 「 先験 的演鐸論」 で取 り扱 お うとした問題 は, ア ・プ リオ リな概 念 が経 験 一 般 をいか に して可能 にす るのか, とい う問題 となる. そ して,概 念 はア ・プ リオ リで あ る以上,経験 ( 現 象) に対 していか に して適用 され るか, とい う問 いが主題化 され る こ とにな る. ロ ックは普遍的知 識が いかな るプ ロセス を通 じて成 立 したのか を問 うた. それ に対 し, カ ン トは, その当の経験一般 が いか に して成立 す るのか, とい う問題 を論 じてい るのであ る. カ ン トが 『 純粋理性批判』 を通 じて主張 して いる ことは, われわれ人間 に と っての 「 経験 」 とは, い ったい何 で あ り, しか も, いか な る条件 ・制約 が人 間の認識 を成 立 させて い るのか, そ して, いか に して その条件 ・制約 が経験 を可能 に してい るのか, と い う問 いに他 な らないので あ る . ∩( ) )
5 むすぴ
カ ン トの先験 的観念論 は , 個別的知覚 か ら普遍 的概 念へ といか に して認識 を高 めてい く か とい う観念論 で はな く, そ うした方法 それ 自体 が いか な る条件 ・制約 の もとで成立 し,
しか も, その条件 ・制約 が いか に して成 立 す るのか を論 ず るための大前提 であ る.先験 的 観念論 とは,対 象が時間 ・空間 とい うわれわれ の直観形式 の うちに直接 に与 え られ る とい う観念論 であ る. この観念論 にお いて は,概念 は現象 とは異種 的 で あ るため,概 念 の適用 可能性 が論 じられ な けれ ばな らない. そ して, 「先験 的演揮諭 」で この概念 の通用 口 摘巨性 が 現 象つ ま り可能 的経験 に制 限 され, 「先験 的原則論 」 で実体 の原則 や因果律等 の可能性 が示 され る. そ うす る ことに よってわれわれ の経験 の範 囲が カテ ゴ リーが現 象 に適 用 され る規
‑ 8
別 の範 囲 内 に限定 され る. これ こそが, カ ン トが哲学 的 に問題 とした ことで あ る. それ故, ロ ックの哲学的手法 に岡執 す る限 り, カ ン トが程起 した問題 は解決 され ない. そ して,一 連 の カ ン トの ロ ック批判 もこの間題 を巡 ってな され てい るので あ る. それ故,先験 的観念 論 の立場 を採用 す る限 り,先験 的対 象 t ) 経験 の制約 を構成 す る要 素 と見 な さな くて はな ら ず, ロ ックの実体 や観念 の背後 にあ る不 可知 の実在 と見なす ことは許 され まい.
最後 に, カ ン トの先験 的対 象 をロ ックの実体 か ら断 ち切 る ことに よって得 られ る洞察, 言 い換 えれ ば,先験 的観念論 を経験 的観念論 か ら断 ち切 る こ とに よって得 られ る洞察 を挙 げてお きたい.
第 一 に, 先験 的対 象が 先験 的観念論 の枠組 み に不可 欠 な も0 ), つ ま r ),f i i象,統 党 の統 一,認識 o) 体 系的統一 とい う概念 が意味 を持 つ ために必要 とされ る もの にな り,由接 に は, 認識 o j成 立の局面 には不必 要 とな る. しか も,従来 の よ うに, 実体 の カテ ゴ リーや統覚 o ) 統 一を被 っていない現 象 と先験的対 象 を同一視 しな くともよ くな る.
第二 に,個別的経験 か ら普遍概念 へ と認識 を高 め る とい うロ ック的 な手法 は,実験 の場 面 にお いて成立 してい る こ とが明 らか にな る. 一 方, カ ン トの批 判哲学 が重視 す る点 は, 経験 ( 実験 )に先 だ‑ )て概 念 が確実 でなけれ ばな らない, とい うこ とで あ る. つ ま り, ア・
プ リオ リな概念,例 えば 「実体」 の概 念 か ら 「力」 とい った概 念 を導出 し,理論体 系 を予 め立 て た上 で,初 めて実験 が 可能 にな るが, その 「実体 」 の概 念 は,経験 に左右 され る も ので はな く確 実 で なけれ ばな らない
.( l l )そ して, 『自然科学 の形而 f ‑ ̲ 学 的原理』 において これ らの諸概念 は自然科学 において前提 され, それ らが物質 の本質規 定 に関 わ る もの とし て主題化 され る.
第三 に,近代哲学 の観念説 の問題 を回避 で きる.近代 の観念説 の問題 は,懐疑論 をいか に して回避 す るのか とい う問題 であ った.先験 的対 象が近代 の観 念説 ( 経験 的観念論 ) に お ける観念 の背後 にあ る実在 と同一視 され ない こ とに よって,人 間 の認識 は形而上学的 レ ヴェルの懐疑論 か ら解放 され, 当時 の 自然科学 の確 実 な歩 み と背反 しない ことにな るので あ る.
註
カン トの著作か らの引用はアカデ ミー版 カン ト全集にもとづ き
,F 純粋理性批判』第一版 を A , 第二版 を B と記 し,ページ数をアラビア数字で示 している.
(1)Vgl .H. F . . Al l i s on ,Kant ' S( , o n
Ce f , i( ) I t hel r l i nS C e nde nt al( ) b j e c t( Kant ‑ St udi e n,Bd.5 9 ‑ 1 97 2) S, 1 6 5 ̲ ア リスンの立場 は,先験的対象 と物 自体をコンテクス トに応 じて区別すべ き だという第三の立場であるが,著者はこの立場 に立たない.むしろ,第‑ 一 一 の立場 に立つ.
ただしア リスンが批判 しているコー‑ ンやケンプ ・ス ミスと同 じ論拠でこの立場 に、 t ∠つの ではない. これについては,拙稿 「 先験的対象 と物 自体」 ( r 中部哲学会年報』第3 0
号1 9 9 8
年)pp1 7 3 0
参照.(2)Al l i s on ,a . a.
0. .S1 68 .
(3)ア リスンはデカル トとロックを経験的観念論者 と見なしているが,実際にカン トが経験的
‑ 9
観念論者 と見な しているの はデカル トとバー ク リで あ る. そ して, デカル トの観念論 は蓋 然 的観念論 と呼 ばれ,バ ー ク リの観念論 は独断的観念論 と呼 ばれ てい る.Vgl̲B274(4) カ ン トは, バー ク リを経験 的観念論者 と見な してい るが, ヒューム を経験 的観念論者 とは 見 な していない. カ ン トが ヒューム を専 ら批判す る点 は,囚果律 を習慣 に基 づ くと見 なす
ことに よって 「経験 」 と 「夢 」の原理的 区別 が な くな って しまう, とい う点 で ある.
(5) カン トの現象 と物 自体 の関係 に知覚 の内果説 を読 み込 む ことはで きない. なぜ な ら, カ ン トは現 象 と物 自体 を経験 の時 間 的発生 (Entstehung)の問題 として語 って い る の で はな く, む しろ存立 (Bestehung)の問題 として語 ってい るか らで あ る. カ ン トは次 の ように述 べ てい る.
「なぜ な ら,感性 的直観 はあ らゆ る もの に無差別 に関係 す るので はな く,む しろ他 の対 象 に場 を残 すが ゆえに, そ うした対 象 は端 的 に否 定 され ない. しか し, その特定 の概 念 を欠 いてい る ので (いかな るカテゴ リー もそ うした対 象 を理解 す るのに役立 たない),われわれ の悟性 の対 象 として主張 されす らしえないのであ る.
従 って,悟性 は感性 を限界づ け, その領域 を拡張 しない ようにす る. そ して,悟性 は感性 が 物 日体 その もの に関係 す る とい う借越 を犯 さず に, む しろ単 に現 象 に0)み関係 す るように警告 し,悟性 は対 象 それ 自体 を思考 す る. しか し, その対 象 を現 象 の原田 であ る (それ故現 象 な ら ざる)先験 的客観 としてのみ思考 す るので あ る
.
」 (A288,344)これ らの引用 をみ る限 り, カン トは物 自体 について T現 象が現実存在 す る」 とい うことを説明 す るため に想定 してい るこ とが分 か る.感性 は現 象 にのみ関係 し, われわれ は現 象のみ を受 け取 る. しか し, その よ うに語 りうるためにはあ らゆ る対 象か ら区別 され た †現 象」 について語 らな けれ ばな らな い. それ について語 るため に,硯 象 の背後 にその根拠 として0)物 自体 (先験 的対 象) を想左 したのであ る. これ に対 しては,先験 的対 象 は不可知 であ るに もかかわ らず, どう して物 自体 と区別 され るのか, とい うIx論 をi7Lて るこ とが で きるか もしれ ない. しか し, これ について もLuj答 は目指巨で あ る. なぜ な ら,現象が現 象 として知 られ る局 面 は,現 象 はわれわれの表象 であ るに もかかわ らず, われわれ が創造 した物 で はな く与 え られ た物 であ る こ とに気付 く局 面 だか ら である. この根源的 事業 に気HAくときに初 めて先験 的対 象 を現 象 の根拠 として想定 す る ことが可 能 にな るUjであ る.従 ‑)て,現 象が /jえ られ る,現 象 を受 け取 る とは,現 象の背後 に現 象 の根拠 としての先験 的対 象 を想起す るこ とに よ‑)てそれ に対 して受動 的 になる ことを意味 す る0)であ る.
それ故, ここに はロ ックにお けるように まず物体 がわれわれ を刺激 して, それ に よって観念 が /iiみJlされ る とい う発生 の問題 はな く, む しろ,現 象か ら.出発 しその根拠 を問 う とい う存立 の問 題 のみが あ る. しか も, この存立 の問題 において は,物 自体 か ら現 象へ推論 す る ことはで きない.
だか ら といって,近代斯学 史の実体 と観念 の問題 に巻 き込 まれ る こ とはない. なぜ な ら, ここで は認識 の発生 の問題 が語 られ てい るので はないか らであ る.
(6)(5)て も述べ た よ うに, カ ン ト0)経験 説 の根本 的 17̲場 は現 象の存 lLLを問 うことにあ る. そ れ放,現 象の発牛 を問 うとい う認識論 的 な問題 が入 り込 む余地 はない. それ に対 して, L7
・テク0)経験 説 において は まさし くこの発生が問題 であ る. なぜな ら, ロ ックが問題 として い る こ とは現代 o)自然科'?I:で言 えば, 実験 ・観察 にお けるスキルの問題 だか らであ る. ロ ック0)問題 について は,ffl村均 「ジ ョン ・ロ ッ ク0)口然科学 の斯学」 (b何
字
l第47号 u 本Ff
芋会編 )pI)2()7‑216.参 照.1()
(7) この先験 的対 象 をカン トは,統覚 の統一 の相 関者
( ei n Cor r el at um de r Ei nhei t der Apper z ept i on)
と呼ぶ.表 象 を強制 す る もの は統覚 であ るに もかかわ らず,先験 的対象が 表 象 を強制 す る とは どうい う関係 であ るのか, と問われ るか もしれ ない. ここでの局面 を 二 つ に区別 す る必要が あ る と考 える. つ ま り,概 念 に よって表 象 を統一 す る局面 と対 象 に 受動的 に関係 す る局 面.前者 は, いわ ゆ る統覚 の統一 と言われ る もので あ り,後者 が統覚 の統一 の相 関者 であ る. われわれが経験 す るため には,現 象 を綜合 的 に統一 しな けれ ばな らない. そ して, 現象 を綜合的 に統一 す るためには予 め先験 的対 象 に対 して受動 的 でなけ れ ばな らない. われわれが,先験 的対 象 に対 して受動 的 にな らざるをえな い以上,先験 的 対 象 はわれわれ に対 して認識 を強制 す る と考 えるほか ない. そ して, ここに こそたんな る 表象が現 象 と区別 され, しか もこの受動性 が統覚 を統一 す る局面 において は必 ず働 いてい な けれ ばな らない. なぜ な ら, さ もな けれ ばわれわれ は単 な る表象 と虚柑t,てい るにす ぎな い こ とにな るか らであ る.(8) ロ ックの同時代 人 の哲学者 エ ドワー ド ・ステ イ リング フ リー トはロ ックに対 して次 の よう に反論 してい る.
「単純観念 は, それ 自身 を越 える確 実性 の根拠 を まった く与 えない.」
「われわれ は,思考,懐疑, 思慮等 とい った力 を持 って い る と,確 実 に知 ってい る. しか し, 貴殿 [ロック] は, こうした知覚 が物質 か らや って来 るのか,非物質的 な実体 か らや って くる のか, をわれわれ は単純観念 に よって確実 に知 る こ とはで きない, と語 ってい る. とい うの は, 物質 は単純観 念 をわれわれ に生 み出す よ うに洗練 され,修正 され ているか もしれない, と責殿 は考 えてい るのだか ら. ところで, わ た しに は次 の こ とは奇妙 に思 われ る. 知性 を持 つ人間 は, こう した単純観念 をわれわれ のあ らゆ る知識 と確実性 の基
礎 とす る. それなのに,われわれ は人 間 o).+.発1.7JL・る単純観念 に よっていか な る確 実性 に も達 す る ことが で きない.
」
「われわれ に刻 み‑)け られ てい る印象 の真 o)腺 川 につ いてわ れわ れ は単純 観念 に よ‑)て何 も 知 る ことはで きないのに, こう した単純観 念 はいか に してわれわれ の知識 と確 実性 の基礎 であ
るのか.」
*いずれ の引用 も
,Edwar d St i Ⅲngf l eet , The I ミ i s hop ofW( ) r ce s t er ' sAns we rTo Mr Locke' sLe t t e r( 1 69 7), i ǹ Thr e eCr i t i ci s ms。fLocke'( Geor gOl msVer l ag) 1 98 7. ,p̲ 2 2
fLここでのステ イリングフ リー トの ロ ック批 判の論点 は, われわれ は単純観念 に達 す るのみ であ るか ら,単純観念 を生み出 した物質 に到達 す るこ とはで きず, われわれ の認識 は不確 実 にな.J'ざるをえない, とい うこ とであ る. この批判 は, まさし く近代哲学 史の常識 で言われ てい る もの と
l
u1‑ の t)0)であ る.従 って, この問題 をカ ン トが理解 していなか った とは考 え られ ない. なぜ な ら, カ ン トは観 念論論駁 等 で この問題 に正面 か ら収 り組 んでい るか らで あ る. それ故, ロ ックを批判 す る際 にカ ン トが この間題 に触 れ ていない とい うこ とは, カ ン トll
は近代 哲学 史 の常 識 で語 られ てい る よ うに はロ ック を確 解 して い なか った こ とを意味 す る と 考 え ざる をえな い. もし もカ ン トが近 代 哲 学 史 の常識 に従 って ロ ックを理解 してい た とす れ ば, ロ ックはデ カJL,卜や バ ‑ ク リ以 卜に批 判 の的 にな るで あ ろ う. なぜ な ら, ロ ックaj外 的 対 象 はデカル トの場 合 の よ うに神 に よ‑)て証 明 され す ら して い ないか らで あ る.
(
tj) Lf]村均 「ジ lン ・ロ ックの 自然 科 学 の所掌
」(『額芋
g第4 7
号 日本 哲 学 会編 )p. 21 2 ∴
参照L
(10) ここで ロ ッ クとカン トど ちらの ;J二喝 に \'/̲つべ きか, とい う問 いが提起 され るか も しれ な い.しか し, 若者 が 見 る限 り, そ もそ もロ ッ クとカ ン トの問題 設定 が 異 な ‑)て お り, どち ら0)
、l{̲場 に \'!二/)べ きか, とい う 二荷択 ‑a
) F
T恥 、を 、JlIて る こ とそ0)i)のが州 難 で あ る とJLtlJ)れ る.(ll) こ0)こ とは, ア リス トラ レス
i
三振的 ス」 ‑7L l ; / :
吊が ポ イJ L , 0 ) T t
'/;
uI'尖験 o)ノLlJ‡味 を少 し t)
理解 できな か った 上 J)な坪