保健教育内容・教科書内容批判 のための基本的観点について
一自主二成との関連も含めて一
茨城大学教育学部学校保健内山 源 i 教科書批判と自主編成
教科書内容に関する批判は,ここ数年間の学校保健学会の発表をみても,翻るいは保健教育関係の報告 や論文をみてもかなりきびしくなってきているようである。これらは直接保健教科書の内容に具体的にふ れたものから間接的に学習指導要領を通じて保健教科書内容にふれたものもあるQ
むろん、これらの教科書批判の動きは保健分野に:限ったことではない,むしろ他領域に論いて先行し、
盛んであり,そこには一般的批判の題題点が少なからず指摘されているようである。
このことの裏をかえせば,その批判的立場に立って,改良前進するものが「教材の自主編成」というこ とになるわけであろう。とすると,保健科領域以外のところで「自主編成活動」というものが多く叫ばれ,
実際に編成されているが,これらの活動の基点には厳密な学習指導要領診よび教科書内容批判が当然なさ れ,その上に立って「自からの目と手による教材が編成されるべきもの」といった観点が必要だろう。
つまり,「自分たちの教材編成の基本的原理をもつて,自主的教材が編成される」ということである。
だが,その実際はどうであろうか。ところがそうはいっても保健科教育の領域では,教科書批判や教材 批判はかなりあっても,具体的内容まで下ろされてきたものはきわめて少ない。そのためここでは個々の
ものについての検討は特に取りあげないことにする。
ただ,ここで考えて幽きたいのは,これらの数少ない貴重な,努力の集積である自主編成教材が,教材 内容構成の原理遜るいは教科書内容批判の原理をもたなかったがために漠然としたものとか偏ったものに なって,高橋氏①が「自主編成というのは決して日教組で編集した『私たちの教育課程研究』を実践する ことではない。………組織から出されたものを大切にするパターンは安易に教科書に従って授業するとい う態度に簡単に変る。自分自身の内的欲求がないからである。『文部省の反動文教政策に抗して……』つ くられたという自主編成カリキュラムをいくつか見聞したが,理科に関するかぎ蛎大部分はその教材観 が指導要領のものとそっくりであるのはそこに原因があるようだ。同時に,『私たちは一党一派に偏せず,
多くの資料を客観的に研究して主体的につくりました。これが自主編成のカリキ:一ラムです』という教師 を私は全然信用しない。そんなものはさまって現行教科書よりまだひどいものであるからだ」ときわめて手 きびしく述べているように,苦労して作ったものが,それらの研究グループだけの内的な自己満足に終り,
しかも外的には「教科書教材より程度が低くなっていたり,どこがどれだけ優れているのかわからない程 度のもの」でありはしないかということである。
努力して編成した教材がそうあってはならないし,また,偶然に「すぐれた教材が出来上った」では困 るのであるQ
一@8 3 ・一・
やはり。教科書内容の批判は。客観的科学的な批判である限り。 「批判の原理」あるいは「基本的観点」
が提示されなければならないし、そしてまた,この作業は。このことによって終るのではなく。前進的に
「教材の自主編成」に踏みきらなげればならないのである。
そして。ここにも批判の観点を貫ぬく教材構成の原理がなくてはならないのである。
もっとも近年は保健教育領域に澄いても、r保健教材構成の原理2と称するものを提示してe rα領域 私案」といった「教材領域の構造的内容」を示したものが現われている。
しかし 「保健教育内容の構成原理」は急に思いついたように、ある特定の団体でのみ容認され,評価 された自己満足的なものばかりでは理論的構策の対象にはならないことを自覚せねばならない◎
保健教育に新しい教育領域であり。戦後の教科領域でもある。この領域設立以前に9古い歴史と俵統に 支えられた他の教育領域には「各教科を含め,通じた一一般教育内容構成原理」という思考枠ないし理論が
「カリキュラム論」として存在するのに、これすら無視したかのような「構成原理」を提示し しかも
「論理的関連」や「A貫性」の成立し得ない「私案」では問題にもならないのである。
傲育内容の構成原理」を示すからには、特定のグループに客認されるだけではなく。自由に。何入に も理解されるような形で提示されねばならないしまた。その原理によってr具体的な教材・教科書1を 批判したり「教材領域」を構成する場合には, r誰にもわかる」論理で説明されなげればならないのであ
る。
「教材構成原理」でもって具体的な教材といった対象も斬れず,斬っても「特定集団1にのみ論理が通 じているようでは旧観性」や「信頼性」「妥当性」に澄いて疑いをかけられても,仕方がないというこ とになるのである。
さらに, 「何故,この教材構成の原理を適用すると,α領域私案1になるのかの論理的説明が成立し得 ないとしたら、この種の教材構成原理は,先の高橋氏が指摘したように「より低劣なもの」であり, 「論 外」ということになるのであろう。
「ec領域の私案」は単に「et領域の範囲」だげではない,それはr内部構造領域一分野間の構造」につ いても「その原理は対応・説明し得る能力を有しなければならない」のである。
その点,やはり確として,すぐれたものは,幾つかの未解決な問題点を残すものの小倉氏のLeavell
&C五&rkのdiagrgmに拠る伍領域試案」といってよいであろう。
「教材領域私案」を提示するからには,これまでr批判の対象」としたものを「誰でもが理解できる論 理」で超えることができるような内容と説明で示されねばならないのである。
「なぜ、この私案が生れるか.1を示すには,現状に知ける「問題点1を反映したものであると同時に,
「教材の構戒原理」が保健安全に関わる諸現象と,また。保健や安全に関わる諸科学の成果とどのような
「関連」にあるのかを記述、説明するものでなくてはならない。
そして, r誰でも」がrその構成原理」を適用すると、 r必然的に所与条件の中で」 rα領域私案」に 到達するものでなくてはならないのである。
それが,作成した当人にもできずにいるようであったり、その属するr研究集団」と称するものにおい ても不明であったりするならば「私案」などと公刊を通じて提示するなど論外とされねばならないだろう。
「当人」だけでなく「誰でも」が「所与の条件の中で」 「いつでも」考察,適用できるものであって。
はじめてr原理」として確立したものになるのであり。それまでは、安直な私案など提示せず「研究・検 討」のつみ重ね方がより重要となるのである。
一一
W4一一
繰り返すことになる競 r只反対し」「安直な自主編成教材・教材領域」を作成したとしても。既成の もの。文部省のそれより「劣悪・低劣」であっては,何のための自主編成教材か、ということになるので
ある。
「よりよいもの」への改善・改造・改革前進でなくてはならないものが「提示された内容」は「より低 劣」であ♪ては論外ということになるのである。
そのためには。私案・試案の提示以前にr保健教膏内容の選択・構成原理」に関する慎重な考察と検討 が,単局面的にではなく多元多層的になされなげればならないのではなかろうか◎
2 保健教科書批判の葭は具体的教育実践の中から
このようにみてくると,自主的に保健教材を編成する以前に。現在あるものを・教育の現場で使用して いるものを冷静な科学的な目で見ることが要求されている。つまり。保健教材・保健教科書:内容批判の
「目jである。
この「目」の如何によって、次に続く「自主編成教材」がかなり皇右されるからである。
この「且」が偏っていれば。その「昌」でしかみない「保健教材」が作成されるわけであb、まずもっ てこのr批判の目」の追究が大切となる。
それとさらに重大なの矯冷静な論理的批判の目を下から支えるところの。現場教師の自からの体験を 通じて得たところの,保健教授に於げるr教えにくさ」に対する反省的思考である。実際の保健教授活動
を通じて感得するr苦しみやつらさ」と自己のrどうにもならない」。現行の教科書をもってr進めるに も進められない」泥沼に足をとられたような無力感からの憤りである。
②i懸姻⑨
これまでの貴重な調査報告が示すように保健授業の場合、Rainy day less◎ns といわれるような 状況の中で。保健授業を完全に終らすものはほとんどないといわれているが このことは他方に凄いて
「高いモラール」をもって熱心に教授した場合、完全に保健教科書内容を消化しきれるかということであ
る。
つまり,教師自身としては. 「部活動」や「…大会」に入賞したくて。保健授業などあまりやらない状 態で, 「Oやいやながらの保健授業」を, 「下らぬ保健授業」を第三者・他教科教師等に批判させないた めに、ある特定の教科書批判の目をもつことなどもってのほかであるということである。
もとに戻して。筆者自身は高校生対象の保健教授を解剖生理も含めて6年ほど年聞を通じて実施してい るがpその体験や観察からみれば、現在の保健教科書内容は、所与の教育的内外の条件に於いては.いか に熱心にやろうと終了させることは不可能であるということである。
それどころか。やればやるほど「進めようにも進めることが」できないということである。
この辺のところは,熱意ある僅かな保健授業担当教師の他の目からみればどうなるだろうか,知りたい ところである。
つまり。中学校で学習してきた筈の保健教育・学習内容に関する基本的概念・事物概念も事象概念も含 めて,高校の保健授業ではどうしても「積み重ね」ができない「木に竹をついだ」ような状況が毎年の保 健授業開始時期に見られるということである。すなわち,教材の教育的系統に海ける縦の系統が「教科書j
にも、それで学ばされた子ども・中学生の頭脳・思考認識構造の中にも存在していないということである。
第2には,保健授業が:進むにつれて,第一章から第二章へ,そして第三章へという横の水平的系統を保 持するための「学習の教授の論理」・r認識のための論理」がないということである。いわゆるバラバラ
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教材とかガラクタ教材といった教材の不連続的記載である。
そして,第5にはe高校の保健授業を中心において考えるなら,学習者をとりまく学習条件冗関わるも のである。すなわち,児童生徒がテレビや新聞雑誌等で多くの関心や興味をもち、さらにニードを示す保 健安全に関わる問題事象に対して,保健の教科書は直接的には無論のこと,間接的にも殆んど応えていな いということである。
このようにあげていくときりがないので,この辺で,保健教育内容選択・構成の原理でもある保健教科 書内容批判の視点を次に述べるとしよう。
3 保健教科書内容批判の視点
祝点を述べる前に実際の保健授業上での教科書内容の問題点を上記の5点に続いて簡単に列記すると,
教材内容の真理性信頼性,時間的廠ギャップ,難易性,能率性,教育的効果性、学習意欲・認識的興味:
の発達性などがあげられる。
これらを分析的に構成すると9s・ Stそ次の4つの横軸の視点とGつの時間的縦軸の視点が必要となる。
すなわち。縦軸の視点とは,時間的なギャップを極少にする視点である。つまり,保健安全に関する科 学技術の最新鍼果と教納容とのギ・・プを可能な限り小さくい0年趨前の成果をその蕪言己載
することがないように最新の成果を繰り入れること・現代化することである。
横軸の視点とは,①現代に澄ける科学・技術の成果・知識体系の論理とその構造体系を保健教育内容に 反映させること,②学習者の静的学習条件であるところの保健認識内容とその発達段階foよび興味・膜沁,能力 保健安全に関するニード,保健学習への意欲,態度などを保健教育内容に反映させ。心身の発達段階に最 近接領域として即応させること。③保健教授瓢学習に診げる動的条件であるr教育を発達1との関連にお ける教授,学習理論の成果を反映させることQさらに広くe教育理論の成果、教育価値,教育目的論との 対応をはかって保健教育内容を選択・構成すること。④国民大衆の,人類の保健・安全に関わる生活の,
社会の,文化の問題,殊に科学技術の成果を生活に適用する過程で生じた問題とその中で生れる国民大衆
の舗徽へのニードを保勝事内容欝させること・の4齢である・
これを図示すると図1のようになる。
図1 保健教育内容の選択・構成の原理 A B
陰茎轟義糊⇔隈麟藁 下灘罐堅め)仁(諜灘勲
C
①保tw e安全に関する科学知識 とその論理
②学習者の条件・心身発達段階 への対応
③教育理論
a)教授・学習理論 b)教育価値,目的論
④国民的,人類的課題からのニ ード
SocialneedsとS◎cial relevance
D
⇔臨翻
ぐ一一一時 間 的 縦 軸 (保健教育内容のTime lag)
一一一 8 6 一一一
さらに第5視点を詳述すると,第⑤の視点と1.て,(保健教科書内容を構成し批判するものとして)独 立し得る教科書内容の表現形式に関する広のである。これは主として視聴覚教育的側面の理論が反映され
ることに:なる。
次に述べるものも第③視点に含まれるものであるが教科書内容の難易性ないし「読み易さ」(Readability)
に関する第⑥の視点である。これを列記すると,(a)保健教科書文章,文体のスタイルとか表現形式・当該 する学問領域における文章表現との学術用語とか表現慣習による偏りとか不適切性(たとえば,解剖学的 用語とか、その表現形式),(b>教科書文章の形体拾よび量・単文。複文,文:章の長短性.(c)文章による表 現内容の一般性、抽象性i15・よび具体性に関するもの,(d)保健安全現象の記述や問題要因の指摘診よび問題:
要因による説明に用いられる論理とその構造の適切性などである。
この点について丁丁は既にアメリカの保健教科鵡=研究の動向を紹介して次のように述べている。 rアメ リカの保健教科書研究の方向は、どのような健康情報(教材)鵜どの程度とりあげられているか,そ{、
てそれら{建康情報が正確なものであるかどうかの検討,つまり教材内容の分析に細かれている。他の方向 は、教科書が読みやすいか(r℃adability)どうかの検討に齢かれている。教科書が読みやすいものであれ ば,児童生徒が読んで意味を了解することができるし、利益を得ることができるし、再び読むご.とに興味 @
を抱くということで,きわめて重要視されているのである。」
筆者も保健教科書を批判する視点としてのReadabllityは,我が国の場合でも同様に重視されねばなら ないものと考えている。この視点を抜きにした保健教育内容の欠落、偏り等を主張してみたところで、そ れこそ,児童生徒の発達段階に適合しないものであり、教授・学習理論の成果に反するものとなるわけで
ある。
したがって、この点は他の視点と同じで強調されるべきものと思われる。
ちなみに,昭和27年文部省告示弟88号のr教科用図書検定基準」によると,教科書検定のための査 op
定項目は凡そ次のように示されている。
竃。絶対条件
①国の教育目的ど一 一・A致しているか。
②立場は公正であるか。
③教科の指導目標と一致しているか。
2.必要条件 ① 内 容
⑤ 現行の教育課程に基づいているか。
⑤ 内容は正確であり、信頼できるか。
◎ 内容は現代の進歩に応じているか。
④ 内容は児童に適応しているか。
② 児童の発達
⑤児童の個人差に応じて活用し得る幅があるか。
③組織・配列
⑤配列が適当であるか。
⑤分量・区分が適切であるか。
◎ さし絵。写真・地図などが適切に用意されているか◎
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④ 有効に使用できるように工夫されているか。
⑤ 地域の差に応ずる幅があるか◎
④表現
⑤表現が明確平易で魅力があり,児童に親しまれやすいカ・。
⑤表現の難易が適切に順序づけられているカ・。
⑤ 漢字。かなづかい。ローマ二つづbが適切であるか。
⑤ その他
⑤文字の大きさ,字体が適切であるか。
⑤字間と行間が適切にとられているか。
以上の査定項目からわかるように(2)の必要条件の中には。筆者の提示してきた第⑤と第⑥の視点に相 当するものが二,三みられてto b,このことは,それなりに評価せねばならない。
しかし。全体としてみれば、やはり,国の方針の囲いに誇さめられた拘束と基準の枠での締めあげが強調 されていて,教育内容面に澄ける選択。構成とか批判の視点。原理といったものは全く無内容とみること
ができる。
もっとも。これは全教科にわたるものであるから,保健教育内容に適用されるほど具体性はもたせられ ないものかもしれないがそれにしても(1)の絶対条件の各項や(2)の必要条件の①などは一般的で無内容で
ある◎
しかしだからといρて。近年の保健教科書批判の視点にみられるようにこの内容面にばかり集中して よいわげはない。
やはり、第⑤,第⑥の視点は同じように重視されるべきものであろう。
では次に。近年のアメリカに澄げる保健教科書研究の中のReadabili敏に関する報告を簡単にみてみる としよう。
@
らは保健教科書選定の際に見逃したり。無視されたりしている一つの選定変数要素に Etean F. Miller
教科書のReadability lereelがある。教科書が学生にとって, readi㎎g leve1が高すぎたため理解され ない場合とか逆に特定の者にとって余りにやさしすぎたりすると教科書内容となる素材が如何に念入りに 構成されていようと,正確であろうと、学習者の興昧を誘い込むように作られていようとあまり意味はな
くなってしまうとして,保健教科書の備えるべき要件としてのReadabilityについて論及している。
ここ℃彼らの調査結果について詳細に紹介する余裕はないがそこではSentence cα卿1exi ty(length)
とVocabulary difficultyが評価基準となって保健教科書のReadabilityが調査されている。
この2つの基準は学習者の保健認識の発達水準とも密接に関連して澄り。単に文字が読めるとか解剖・
生理学用語が読めるといった問題ではなく。これらの保健安全に関わる基礎的概念の理解認識と用語との 対応関連の理解認識に関わって。我が国に旛いても必要で重要な研究と思われる。
もっとも。我が国でも保健教科書のReadabilityの視点で追及したものではない鵜保健認識の発達に
関する研究や保健知識調査等に、また最近では学校にkける性教育の用語に関する調査に冷いて散見され
ている。筆者らは保健認識の発達に関する調査や授業研究に澄いて このことを追究しているが,たとえ
ば「公害」とか「環境汚染」 「社会(科学)的環境1ギ医療制度」 「健康権」 「安全権」 「栄養」 「錐体
路」「基礎代謝」「性徴」「運動中枢」などといったものであるが、Readabilityの研究は保健認識の発達
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に関する研究と併わせて重視されるべきものと考えている。
これらの第⑤⑥の視点は上記の4っの視点に密接に関連を保ちながらのその適切性が問われるものであ るが・殊に第②の学習者の学習条件・心身の発達段階に即応する視点は重視されなげればならない。
以上が保健教科書内容批判の基本的視点であるが、これらを用いて,実際の教科書内容や学習指導要領 の批判が必要となり、さらに保健教科書批判の批判ないし追加補足批判がfiされなげればならないのであ
る鵜今回はその余裕がないので具体的内容については別の機会としたい。
ただe二.三述べれば、教科書批判なり,保健教材の自主的編成は、これらの視点のどれか一つを踏ん でいればそれで事足りるというものではないのであり,これらの4つの視点が視点間にまル・て内部的に統 合調整されていなくてはならないことである。
したがって。第①の視点に相当するもので保健教材の記述が「学問的に誤っている」ことを指摘した批 判というものが多い鵜 これは不可欠ではあるが、これだけで「批判は終った」 「足りた」ことにはなら
ないということである。
また。誤謬記載を指摘するものではなく。記載欠如を指摘するもの、たとえば保健安全面に診ける社会 科学的側面,がみられるがこれとても同じである。
これらは必要条件ではあるが十分な条件ではないのである。主として。第②③の祝点との対応が要求さ れなげれば,それだけでは教材として意味をなさなくなるからである。
だが。そのSうにいっても未熟で不毛であり困難なものは,第③の祝点である。すなわち、保健教育に 関する保健教授・学習理論に関する成果である。現時点では。これも貧しいので他教科や・一般的教授理論 面の仮説等を援用するしか方法はないのである。本来ならば保健教育独自の保健教授理論と保健学習理論 が一般教授・学習理論に並行して。その成果を提供することになるのであるが。それがないとしたら一般 理論と近接教科理論に依拠する形で選択」にしろr構成」にしろr批判jにしうなされなげればならな いと思う。
保健教育に於いて未発達であり。成果が少ないからといって。全くこの視点による検討を無視してはな らない。殊に保健教育内容に於いては身体の疾病・傷害等による苦悩や痙痛。不安,恐怖感といったもの が自己の生活体験を通じて密接に関連してくるため,低学年の児童たちに,保健教育・指導内容や方法の 如何によっては.rどのような、発達に対する影響を与えているか」等を,この視点に於げる理論の追究 によって明らかにせねばならないと考える。
教師側にしてみれば,病気の「つらさ」 「こわさ」「苦しさ」などを熱心に教え、学ぱ寄せていれば、
子どもたちは保健の学力もつき、みかけの行動形成にも寄与している,つまり子どもたちの保Pt 安全に 関する学習を積極的に支援していることになっているのではないか、或いはrなっている.1と信じている のである。その場合でも,それは,子どもたちにとってみれば意外にr情緒面の発達をy精神衛生面の心 情を」病気への「怖れ」や「こわさ」によって。場合によっては。教師側にしてみれば教育的磯能をねら ったものが,子ども側には「おどし.1として受容れられ,「心情・情緒の発達」を精神面の発達を「傷つ け・破壊」しているかもしれないのである。保健教育や指導は衛生教育にみられるよSな「恐怖教育」で あってはならないのである。
むろん,この種の非教育的作用は,現代における教育諸制度の中で、特に受験・入試歯応の中では, 「 みかけの学力向上Jの陰にかくれてどれほど「いびつな」 「化け物的,知識蓄積的生物秀才.1「小才のき いたガリガリ秀才」が,「情操面の欠落しに受験向き戦略少年」が育っているかは。これまでの多くの指摘
一89一
にある通りである。したがって,このことをも含めて,保健教育面固有の発達と共に,人間として全面的 発達に関わる側面を教授,指導,学習の側面から追究していかねばならないと考える。
また,この視点は, 「教育・教授。学習理論」の成果への対応といえば。直ちにr教育心理学」に結び つくように思わ礼現状の教育理論や教員養成磯関に於けるrカリキェラム」ではそのようになっている が,果して,人間としての発達に関わる理論として。それだげでよいものか,事足りるものなのであろう か◎つまり、心理学面の探究だげがそのことに対する解答を与え得るものだろうか、ということである。
教育に澄ける心理的現象を支える内面には、厳として物質的レベルにおける生理的側面が存在している ことを忘れてはならないと考える。すなわち,教育現象の理解認識や説明にそして。教育的作用の発達 に関する説明や予測に物質的レベルで関与する「教育生理学・生化学1とか「教育環境生理学」 「教育衛生 学」などといった側面の成果も求められねばならないだろう。
「教育生理学」の内容構想については別の機会に。これまでにr教育生理学」と称されたものとは異な る視点で述べることにして,これ以上ふれないことにするが,第③の視点にはこの種の研究成果も理論と して含まれるべきであることを強調して;IS・きたい。
参考引用文献
①②③④
@
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一一