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保健教育内容・教材批判の根拠

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茨城大学教育学部教育研究所紀要14号特集(1981)199−209      199

保健教育内容・教材批判の根拠

一理論枠・クラークらのモデルから人体の構造・機能領域の強化を一

内 山   源

(1981年10月7日受理)

1.保健教育内容・教材批判の根拠としての理論枠

保健教科書批判とか学習指導要領の批判で,これまで多くの研究者が,それぞれの立場において,

それらが改訂になるたびにあらゆる角度から,多くが無関連的に「ばらばら」に批判してきたよう に思われる。1)批判の必要性とかあり方については別に述べてあるので,ここで改めて取り上げる ことは控えて先に進むとしよう。

二つ,三つの要点をひろい上げると,そこでは「批判の批判の必要」ということと,「批判の根 拠は何か」ということと,これに関連して「批判のための枠組とか尺度・基準」を明らかにするこ となどが,「部分批判」「ばらばら批判」を統一的,統合的批判へ向かわせるものであることなど を論及した。これまで筆者はそのような追求の姿勢で,1972年の学会シンポジウムで,「保健教育 内容の現代化論」を発表し,そこで保健教育内容の選択・構成の原理基準について説明した9)つま り,保健教科書教材であろうと学習指導要項であろうと,保健教育内容に関わるものであれば,何 でもこの種の原理・基準の観点で,例えばSHESのモデル,ホイマンのモデルなどで選択・構成さ 噛れなければならないということであり,そのことは一方において,「批判の基準」でもあることを

述べてきた。

むろん,部分的枠組としての図1−C一②学習者の条件については,その一部である「保健に関 する児童生徒の認識調査」として実態調査を実施し,これを現実の保健認識の学力の内容・水準の

Aレベル      Bレベル         Cレベル       Dレベル

①保健・安全に関する科学知識と  その論理

P↓ a)記述・説明部・要因構造 b)保健問題解決過程部 c)行動要因の構造

臨鴇麟]一一麟躍藁 卜一 ②学習者の条件・心身発達段階へ

@の対応

ェ↓ a)保健認識・学力,興味,態  度等

一傭碁鷹]

b)主体以外の学習条件

③教育理論

鰭朧鋤《難構造イり

↑↓ a)教授・学習理論 b)教育価値,目的論

④国民的,人類的課題からのニード

↑↓慧;1::謝識認努難

時 間 的 縦 軸

(保健教育内容のTime lag)   (内山)

図1 保健教育内容の選択・構成の原理

(2)

指標としてとらえ,これをもって,「認識の発達段階とか内容」に即応しない教材内容について批 判したことはある。その意味で,保健認識に関する研究は,単に題材毎の授業過程や,教材構成の 基礎資料や,教材の発達的系統性を追求するものに終るものではない。

ところで,カリキュラムとか教育内容構成の原理とか基準は,一般的に教育原理論ではどのよう に考えられているのであろうか。教育原理論は多くなされ,専門書も少なくないが,ここでは「教 育養成研究会」の「教育原理」についてみることにする。というのは,執筆者が我が国の著名な研 究者から構成されていることと,他の教育原理関係書をみても内容は殆んど変らないことから,こ の専門書に限定した。また,本稿では比較研究,検討が目的ではないし,それだけの余裕もないの で,「内容選択の基準」に入ることにしよう。

そこでは,「学校の教育内容を組織化したものを『教育課程』 (カリキュラム)とし,「教育課 程は,子どもの経験を,教育の目ざすところに向かって再構成していく計画である。したがって,

教育内容を選ぶ基準も経験の再構成に寄与する要因を求あることによって得られる」として,次の 四点をあげている。

(1)子どもの興味や必要や能力に応ずる活動内容

(2)社会生活をしていく上に,身につけなければならないものとして,社会から課される要求に こたえる活動内容

(3)問題に直面したとき,これを解決していくことのできる能力を伸ばす活動内容

④ 人類経験の成果として積み上げられた文化を学びとっていく活動内容,となっている。

これを筆者のそれ(図1の基準)と対応させると,図1−C一①は(4)の科学・技術の構造や体系 に対応し,②は(1)の学習者の内・外の条件に相当し,③のbの一部は(3)に相当し,④の一部は(2)に 相当している。しかし,詳細に検討すると,(4)の科学・技術・道徳・芸術の体系といっても,その 内部構造は不鮮明であるし,保健の場合はこの中,図1のごとく主として科学・技術に限定してい るが,それでも,この内部構造の論理や体系を追究しない限り,選択や構成の基準になり得ないこ とがわかる。

そこで,筆者は,これを図1−C二①のa,b, c,としたり,①のa, bとして論じてきた。ま た,③のbが完全に欠落したり,④の社会的要求も単に社会からの要請であるばかりでなく,社会 の課題,人類の問題の中から,ニーズとしてとらえられなくてはならないと考える。

③のbは,「教授=学習の理論」の成果に対応していなくてはならない,ということである。実 践を通して,検証された理論に照応させてこそ意味があるのであって,①や②の対応とか④との観 点からだけ選択された教育内容は,実践的検証を得ていないという点で仮定的,仮説的にならざる

を得ないことになる。

さらに③のaにっいても,教育の目的,目標,価値といった諸側面から広く考察されるべきものと 考える。これを単に「問題解決的能力」に限定することは,人間としての全面発達とか,全人的発 達の観点からすると,かなり偏椅しているものと考える。

さて,このような批判から保健教育における「教育内容の選択・構成の原理基準」を考究し,提

示したわけである。そして,これと,「現代化論」の理論的,論理的結合を行なったのが,図1の

構造であるが,本稿ではこの基準枠の一つで,保健教育内容を批判してみたい。

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内山:保健教育内容・教材批判の根拠      201

2.科学的認識の育成と理論モデルの学習

基準枠の一つといったのは,図1−Cの①のaに限定するという意味である。これを①から④ まで詳細に述べることは限りがないので,①のaの観点からのみ批判をしても,次のごとき問題点 が指摘できるということである。

指摘できるという場合の対象自体は,何も事新しいものではない。しかし,これはその根拠に何 を置いているかが,追求されるとき,指摘のあり方自体が問われることになる。問題点を指摘する 根拠と,その方法に何をもってきているかを明確に提示,説明できないようでは,指摘した対象や 問題点について,主観的共感とか共鳴を呼ぶとしても,根拠は稀薄であるといえるであろう。

また,引用,博引勇証的方法によって権威づけるにしても,それはパース・Pierce 5)が「認識の方 法」として4つの一般的方法をあげているが,即ち①the method of tenacity(固執の方法)② the method of authority(権威による方法)③the a priori method(先験的方法)④the meth一 od of science(科学の方法)

②の権威づけによる方法に限らないこともないようである。つまり, lf the Bible says it, it

is so, If a noted physicist says there is a God, it is so. If an idea has the weight of tradi一

tion and public sanction behind it, it is so なのである。誰か偉い人とか著名人があることをい うと,「その通りである」と信じてしまったり,ある観念の背景に伝統的な重みとか大衆の賛同が あると,それも本当であると信じていくという方法である。

むろん,主張が価値的,当為的ないしは規範的なものである場合は事実を問うているのではない から,それに共感するなら,もともと主観的な事柄であるためとやかくいうことはない。また,そ れが仮説的な論究である場合,即ち論理の整合や理論的体系に矛盾がない場合も,事実の検証が確 認されていなくとも仮説として有効性をもつことはいうまでもない。

だが,保健教育の研究や発表に用いられるものはどうであろうか。どうも「アメリカでは……」

式の,その内容を論理的,理論的に,そして実証的に検討評価のフィルターを十分に通さないで,

「アメリカでは……」の紹介を自己の研究の重みづけにしている面が,性教育や安全教育面も含め て少なからずあるのではないだろうか。

つまり,保健教育内容の批判・問題点を指摘する場合,一体どんな方法において何を根拠に論及 しているかということの吟味である。これをパース・Pierceがいうように「権威づけに依る方法」

に近いものでのみ終っているとすれば,問題であり,より高次な③の先験的方法や④の科学的方法 へのアプローチがより必要ではないかということである。

さて,そのような考えのもとに,図1の基準で具体的に保健教材内容をみることにしよう。われ われは子どもに保健や安全についての科学的認識を育成しなければならないと考えている。むろん,

教育の目的にはその他の技術,能力とか態度の育成が含まれることはいうまでもないが,Bloonを もちだすまでもなく認知的領域(Cognitive Domain)の発達は教科学習の主眼であることは,ま た,いうまでもないことであろう。

保健の科学的認識の発達とは,無限,無数の未知の秩序も論理もついていない世界に混沌とした カオスの世界に,Popper流に述べるなら理論という網を投げかけてとらえる力を育てることにな

る。

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この理論についてポパー・Popperは「理論は,われわれが『世界』とよんでいるものを捕えるた めに,つまり,世界を合理化し,説明し,支配するために,投げかけた網である。われわれはその 網目をたえず精緻しようと努める」としているが,このような世界をとらえるためには理論的枠組 が認識の中に形成されていなければならないことを示唆しているといえよう。

認識能力としての網目をより精緻にすることが研究として,科学として必要であると同時に,一 方において教育・学習として認識の発達に必要不可欠であるということである。保健現象に対して,

子どもがどのような網目をもっているか,いないのか,子どもの網の目はあらいのか細いのか,精 密なのかによって子どものとらえる保健現象のとらえ方は異なってくる。先のパースではないが認 識の方法(ways of knowing)として迷信とか信じこみ,固執の方法・常識の方法というものであ れば,科学的保健認識は育たないことになるわけである。

そこで,学校教育として科学的認識を育てるための方法が必要となるのである。そこには,科学 としての「網の目」が必要となる。つまり,保健現象を「記述・説明」するための理論モデルであ る。その学習が子ども認識の発達を育てるのである。理論モデルを適用,使用して,保健現象を記 述し,説明し,さらに未知の新しい現象にまで適用し, 「理論モデル」の射程・有効性や限界を逆

にフィードバックプロセスで認識することで,更に認識は自覚的に拡大することになる。

理論モデルをモデル概念としての自覚も認識もなく,単に機械的な記憶の対象として名称をおぼ えるだけでは,認識は発達も拡大もしない。「理論モデル」の要素について十分な理解のもとに,

それを現実の諸原象に適用することによってオリジナルとしての現象世界の無限性,未知性,無秩 序性を知り,さらに「精緻な網目」を追究することが認識の発達につながるのである。

では,そのモデルにはどのようなものがあるであろうか。これについては既に学会等において発 表したので,ここで詳述はしない。そこで,せいぜい現行の高校教科書に用いられているモデルに ついて考えてみることにしよう。

3.保健教育内容教材としてのクラークのモデル

それは「Leavell&Clarkのモデル」8)といわれている天秤形のDiagramである。保健に関 わる凡そほとんどの現象の生起・消長等についての記述,説明ができ,多くの問題点が残されるも のの現在では,かなり有効な理論枠といえよう。それは教育的にも有効な理論モデルともいえる。

このモデルの問題については,6〜7項目にわたって,たとえば,時間次元や空間次元の記述,

説明にどの程度有効であり得るか等について検討したが,因果性とか主体の行動要因等の問題等も 含めて,ここでは一切,深く追求しないことで,このモデルの有効性の中で考察することにした。

即ち,この理論モデルは図1−Bの疫学理論或は公衆衛生学理論の中で,図1−Aの保健現象 を把握するために論理的に構成され,多くの下位要素概念や法則のもとに理論化されたものである。

このモデルをもって保健現象の多くが記述,説明されるということであり,この種のモデルがない と,保健現象についての理解が科学的になされないということである。

たとえば,今から約100年ほど前の西欧では,有名な科学者であるリービッヒとか医学者のウィ ルヒョウでさえ,悪疫の流行,疾病の原因を「悪息ガス」「酸化作用」とか「細胞の受動的あるいは能 動的の障害」としてとらえていたという事実は,病因自体についての科学的知識がなかったことと,

病因と主体と環境との相互作用,相互関係・疾病の発生・消化とか健康状態の維持要因・条件につ

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内山:保健教育内容・教材批判の根拠      203

いての「複合要因的関係」や「現象生起と要因・条件の因果,相互関係」についての理論モデル・

認知構造・認知シェーマが,現在の科学・疫学のそれと全く異なっていたとみることができる。

「単一原因的思考習慣」10)というのが人間の思考認識にはつきものであるが,これについては「人 間行動について,客観的に妥当な理解をしたかどうかの決め手となるのは,原因,・結果についての 常識的な思考習慣である。簡単にいえば,結果はむしろ単純な原因に起因すると考えがちであり,

また実際にそのような場合も,しばしば存在することも確かである。……         ・ これらの原因は無数にリストアップすることができよう。……

したがって当然,このような状況を頭に入れて考えれば,:事故の原因が,:特定の状況で想定され る無数の要因のうち,どれか一つによって起こったことは考えられないはずである。……

しかし,我々は事故その他の出来事について,それがただ一つの原因によって起こるかのように 習慣的に考えている。……」

しかし,「我々の直面する問題が重要なものであれば,ただ一つの原因で満足してしまう思考習慣 には非常に問題がある。」10)と指摘されているように,きわめて単純で漠然とした「単一原因的思 考習慣」によるとらえ方が,その時代の病因論であり,疾病に対するモデルであったようにみるこ

とができよう。

これでは,多くの経験的事実が基準となり根拠となって,保健現象を記述,説明することはでき ないのである。(しかし,保健認識調査が示すように,現代の子どもの認識はむろんのこと,成人 のそれにも,クラークのモデル枠のごとき認識の枠組をみることに残念ながら殆んどできないよう である。例,おかしな体力づくり,新健康法など)

↓ クラークのモデルの学習のあり方

そのためには,どうしても小学校段階においても,学習可能な保健現象認識のための理論モデル の学習が必要と考える。学習可能なといったのは,既に一部発表したごとく,少し古くなるが授業 研究において確かめられたからである。11)最近では小倉氏らが小学生を対象にして広い範囲に授業

を実施12)して,その学習可能性を更にひろげている。

その理論モデルというのは現行の高校保健教科書にある「クラークのモデル」である。保健現象 をより深く理解認識するためには,各要因内の内容について,先ず知識を広げ,理解を深めなくて はならないことはいうまでもない。要因内の知識がなければ,次の要因間の関係・相互関係や作用 についての認識はでてこないし,生ずる筈がないからである。この要因間のモデルについては,こ れも「中型モデル」とか「中位モデル」として述べているので深入りしないことにしよう。「大型 モデル」とは総合モデルであるクラークのモデルを指しているのであり,その部分モデルであるも のを中位モデル・部分教材構とか小型モデル・題材,構造など小型要素モデルなどと呼んでいる。

したがって,要因内の知識とは,主として小型モデルに関係する知識であるということになる。

そのような知識を主体要因(Host factor)についても.動因(Agent factor)についても,環境要 因(Environment factor)についても必要なのであり,批判の基準としてみるときは,この理論モ デルが,どのように,どれほど,図1−Dすなわち,保健教育内容・教材に反映しているかをみれ ばよいわけである。

クラークのモデルはDiagramとして教えてあるにしても,その要因という容器・受け皿に内容

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が,どれほど,どのように盛りこまれているかによって,保健現象を認識するための質や量は変っ てくる。深く,広ければ広いほど,そして要因内の関係が法則的に,概念としての論理が明確にあ ればあるほど,現象を理解する秩序はより精緻になるのである。

      

ニいうわけで,現行のごとく要因という 受け皿 だけ教材化してみたとしても,受け皿の内容 がなければ先ず無効であるし,次に要因・条件間の相互関係についての教材化・全体構造化から部 分,要素構造化やこれに対応した教授・基本的概念の構成,発問構造の構成などがなければ,理論 モデルの適用や使用における有効性は全く形式的なものとなる。

だから,「役に立たない」とか「概念的である」などといった奇妙な批判すらうまれてくるので

あろう。

筆者がこの理論モデルの検討・研究を学会等に提唱して以来,かなり経過したことになるが,殆 んど無反応という状態におかれている。アメリカでは執拗なほどにHoymanが,そしてSHESの Conceptual model等が盛んであるが,わが国ではそれほどこの面への関心は少ないようである。

それはごく最新の学習指導や保健教材の批判論においても,このような「科学の方法」としての 理論モデルを根拠にした批判は全くみられないのである。もっとも,この場合,すでに検討したよ

      パ

、に,クラークのモデルが余りにも幼稚すぎるから問題にしない,というのであれば,話は別であ る。ところが,これらの批判論をみてみると,現象・オリジナルの理解認識のために不可欠な理論 モデルの必要などすら念頭になく,まして科学の方法において必要とされ理論モデルを教材化する ことなど全く自覚的に取扱われていないのではないかとさえ思われる。 (しかし,現実には教科書 には載っている)

そして僅かな反応のなかには「あんな理屈っぽいことをやってなんのためになるのですか」,「現 場の保健教育にどのように結びつくのか」「保健教育の実践と結びつかない」ではないかという近 視眼的なものがある。科学の方法として,認識の方法として「理論モデル」の必要性については,

先述したようにその面の専門書を参照していただくことにして,ここでは,その注文なり,批判と もとれる筆者の研究の有効性の一つを示すものとして保健教育内容の検討なり,批判を行なってみ ることにしたい。

5.主体要因の一内容としての構造と機能教材の強化を

〜概念,法則の選択・構造の必要〜

つまり,図1−Aの現象を理解するためにBの科学・技術・理論があり,それらを教育内容・教 材化するためにCの①〜④があり,C一①はBを総合的に反映したものであり,学習者は主とし てC一①の思考枠に従ってAを見,考えるということである。そのC一①のaのモデルーつに 現行教科書のクラークのモデルが位置づけられるわけである。(①のbとかcは単純化のため本 稿ではふれない)

すなわち,Aを理解認識するためにはクラークのモデルのHost factorでもAgent factorでも,

三つの中のどれか一つでも欠けては,理論モデルとして成立しないこと,つまり,オリジナルであ る保健現象を科学的に理解,認識することはできないことを示している。

したがって,保健現象を理解するためには,各要因についての知識・概念・法則の学習が不可欠

なのである。これまでどれほど多くの教育学,教授研究者が,法則性とか概念の学習の必要性を主

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張したであろうか。同じように保健教育の方でも近年では若手研究者がそのことを主張している。

しかし,理科の物理学や化学の教材研究とか教材化のごとく,保健教育でそのような実質的研究 作業が行われているのであろうか。

すなわち,生理学とか衛生学,生化学等における法則とか基本概念の情報収集と教材化のため研 究検討である。

この種の研究作業なしには,三大要因という 受け皿 の内容は満たされないのである。「概念 や法則を教えなくてはならない」といっていながら,それはスローガンに終ってはいないかという ことである。それは「主体要因」については主体の構造と機能であるから,先ず生理学や解剖・組 織学(図1のB)から「概念や法則にはどんなものがあるか」をみなくてはならないであろう。

LeavellやClarkはこれらの要因という 受け皿 に内容をもるため丁寧な説明を加えている。

このように述べると,「そんな広い深い内容をどうして保健で教えることができるか。みなが医療 学者になるわけでもないのだから……」という反論があるかもしれない。しかし,だからこそ図1一 Cの②③④の基礎があってさらに,「精選」されるわけであるし,最も重要なことは最少限に教材 をおさえるにしても,その内容でもって図1−Aが科学的にとらえられるか,ということが最大の 問題になる。若し,そのことにおいて無効であるとすれば,それが満たされるまで,要因の内容に ついての知識を広め,要因間の関係についての理解を深めなければならない。

そのような教育内容の質の有効性において授業時間や教師の資質,制度等の外的,内的条件が決 められなくてはならないのである。その学年段階の学習者に必要な(図1−C一②,④)保健現象 を科学的に理解することに欠ける保健教材であるなら,根本において保健教育は殆んど無効である ことを示している。

このような作業を続けると図1−Cの①一aの段階でさえ,十分に批判のための理論枠は成立す る。むろん,これに②,③,④を組み入れていけば,これにこしたことはないのであるが,本稿で は論理的①一aのレベルでのみ,見ているため,この段階の内容を基準にして,しかも主体要因に ついてみることにしよう。

そこで,毛eavellらはその内容に何をもっているかをみてみると, Host factorは先ず食品,料 理,冷凍,清潔,低温殺菌等に関係する「保健習慣」とか「社会的慣習」をあげている。次は「年 齢,性,人種的特性要因」である。次いで「結婚要因」では,独身か既婚か寡婦か離婚などであり,

「職業要因」 「体質・遺伝要因」「心理特性」「一般的・特異的防衛機構要因」などとなっている。

これらからわかるように主体要因は身体的機能的,構造的要因から精神的心理的要因へ,さらに 社会的,文化的生活行動の型とか状態にまで及んでいる。主体要因の中に,このような社会や環境

との関係において生起する「人間としての行動要因・条件」をこみにして組み入れることの可否に ついての検討はさておくとしても,単に静的な身体的,・精神的要因,・条件だけでないことに注目し たい。っまり,健康や安全現象を理解認識するためには基本原理(Basic principles)としてこれら の内容を 受け皿 の中に盛りこんでいる。

したがって各種の疾病を理解したり,予防したり問題解決するためには,これらの知識の理解が 基礎になっているということである。ということは,そのためにさらに,どのような知識を教材と

して学ばなければ,それらが理解認識し得ないかということにつながってくる。

たとえば,「一般的・特異的防衛機構要因」を理解するために人体の生理・病理・解剖・組織学に

関する知識の理解認識が不可欠となるし,同じように「体質・遺伝要因」を学ぶためには,人体生

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理学等の他に遺伝ヂ優生学等を学ぶことが必要となり, 「年齢,性,人種的特性要因」を学ぶため には人体生理解剖学の他に発育発達学,人類学等を学ぶことが求められるであろう。

ということは,主体要因について基礎的理解を育成するためには「人体に関する生理解剖・組織 学等」の理解認識が不可欠であることを論理的に示している。

さらに,このことは基礎原理から「原理の適用」への章において,即ち保健に関する諸現象への 適用において,たとえば「伝染病」について主体要因を上記の年齢や性から防衛機構まで説明して いるが,これは伝染病の生起・消長について記述,説明,理解認識するためには,これらの各種要 素についての知識,情報の理解が必要であることを示している。つまり,疫学的認識のための基礎 的知識の理解である。

たとえば, The first lines of defense are the natural barriers against disease agents of al1 Kinds:the intact skin, mucous membranes and nails, the hair, respiratory cilia, and se.

・・eti・n・…m・・f whi・h・・e b・・t・・i・id・1・The sec・nd li…fd・f・n・e inv・lves filt・ati・n by

the lymph glands, tonsils, liver, and spleen. Other internal defense mechanisms…−」3) と あるように防衛機構ラインを三段階にわけて,病因源の侵入に対する解剖・組織学的機構を第一段 に,第二段にはリンパ組織肝臓や脾臓の網細組織系機構を,第三には,白血球作用,免疫等に関 する防衛機構を述べているのであるが,伝染病の予防(The prevention of communicable Disease)

を理解するために,これらの知識が必要であり,そのためには部分的,断片的でない人体について の理解が必要となる。これは別に伝染病に限ったことではない。後に続く「癌予防」 「事故予防」

「母子保健」「精神保健」「長期疾患・慢性病」などにしても同様である。

とすると理論的にも,論理的にも保健現象を理解するためには人体の構造を機能等に関する基礎 的知識が,保健教育内容教材に必要となってくる。14)

6.クラークのモデル及びSHESモデルによる人体領域の検討・批判

むろん,主体要因を学習理解するためには,人体や構造や機能に限定するものではない。この他 にもあるわけであるが,本稿では主として,これに焦点化したい。

これまでも多くの研究者が人体に関する教材化の必要を述べている。しかし,その場合の指摘の 根拠ないし論理はどうであろうか。常識的論理ではなかったか。そしてそれは「権威づけの方法」

に依ってはいなかったか。保健現象を多面的,多要因条件的に把握しようとする理論枠の中に位置 づけられていたか等といった点に問題が残される。

先に対象自体の指摘は改めていうことはないといったが,問題はそのたあの根拠であり,論理で ある。わが国では最近でもよく引用されたり紹介されたりする約30年も前のソ連の教科書・人体 の解剖生理(カバノブ著)には,そのような論理は当然のことながら存在しない。同じく,その13 年後の教科書(マルコフ他著)にもないし,さらに,1977年の教科書「人,解剖・生理・衛生学」

にもない。

このようにみてくるとSHESのConceptual Modelに学ぶべき点は少なくないようである。モデ ル自体やその構成の論理には問題が残されるもののすぐれた「総合的モデル」といえよう。

さて,現行教材の批判であるが,これまで述べた論拠においてみると,全体的には「人体の器官系

統」を総合的に学ぶ教材がない。なかでも神経系統の生理,解剖に関する教材用語は随所にばらばら

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内山:保健教育内容・教材批判の根拠       207

にみられ,理解や説明を困難にしている。ばらばらであるということは指導や学習の過程で系統性 がないということでもある。教科書「健康の成立条件」の主体の項で,「身体の形態と機能,およ び精神の機能」とあるが,生徒に「からだのはたらきには,どんなまとまったはたらきがあるか,

それらの器官にはどんなものがあるか」等と聞くと,せいぜい4種か5種類でとまり,器官系統の 概念ランクの下位のものまでたくさん入ってくるのである。

そして高校生でも消化器系の器官を口から順にいわせると途中で膀胱や腎臓に入ったり,大腸部 から膵臓や肝臓につながったりするものがいるのである。(これは1978年4月調べであるが,過 去にも同様な調査報告がある)このように授業をしてみると高校段階で必要な保健認識を育てるに は「10の器官系統」について,少なくとも先述のようにソ連の教科書教材に匹敵する教材の学習 が必要となるであろう。そうでないと,各種の保健現象は理解できないからである。「心臓がどこ にあるか」「どんな働きをしているか」がわからないで「最大酸素摂取量」「心拍量」や「血圧」

を理解すること,さらに健康状態の「指標」としての意味を理解すること。また,細胞やその分裂・

増殖等について学ばないでいて「性染色体」を理解させること,体腔・中空性器官組織・構造を知 らないでいて「腹腔」を。同じように「子宮内膜の剥離・初潮指導,性教育」「動脈硬化」などを,

どのように教えることが可能か,ということである。

これらは各種器官,組織の事物概念を明確にとらえ,それらの関係を法則的に学習することによ って初めて主体の身体的側面が理解されることになるのである。クラークのモデルの三大要因とい う 受け皿 に内容がなくては,モデル自体の意味もわからないし,その適用も困難になるという ことである。

高校理科・生物では部分的にかなり高度な人体の生理について教えている。だが,それは保健の 学習において,保健としての認識を育成するのにさして有効ではない。それは,ばらばらであるか

らであり,理科として教えるからであろう。

部分的にみていくと,もう限りなくなるが,今年度(1978年)実施の実践的,実験的高校保健 授業終了の教材から,いくつかみてみよう。r身体機能の老化」では,身体が凡そ10の器官系統

にわけられることから,それぞれについて学習しないと,身体機能の老化を理解することにはなら ない。教科書には感覚器系,神経系,筋肉系,呼吸器系,生殖器系等の中から部分的に断片的に「近 点距離」とか「聴力」などをあげてあるが,他の器官系統はどのように考えているのであろうか。

第2章で「年齢による身体の変化」を学ぶには,その基礎となる人体の知識が必要なのであり,さ らに「発育の成立要因・条件」についての理論モデルがとらえられていなくてはならない。

老化現象の「記述」や,現象把握のための「指標」の提示だけでは,老化現象の生起についての

「説明」にはならないからである。

次の3章では,「身体の環境適応の生理」になると,これは真に主体と環境との関係における身 体の現象についての学習であるため,クラークのモデルでいうと「中型モデル」であり(Host)×

(Environment)についての概念や法則についての学習となるわけである。

そのためには,動的平衡概念を各種生理的機能面から理解させなければならないことになる。体 温,体液,血液,血糖等はその理解のための主な教材であり教育内容ともなるものであるが,一体,

血糖調節を理解させるため,どのような教材による学習が事前になされ,どのような認識能力・学 力を必要とするであろうか これは大変なことである。

唐突に「交感神経」や「血糖調節中枢」「ホルモン」などがばらばらにでてきては,学ぶ方は,

(10)

自己の日常の機能概念と結合しないのである。

このようにみてくる高校教材は随所に中型モデル以上に相当する教材がでてくるが,それを基礎 づける小型モデルないしその要素概念等については全く欠落したまま指導と学習を強いているよう にもとれる。

これまでクラークのモデルに従ってきたが,これをSHESのConceptual Modelを基準にして みるとさらに鮮明に,何が欠落しているかが浮びでてくる。以上は高校教材であるが,これを中学 校教材においてみても,そのことは全く同様である。SHESのモデルやわれわれの提唱のごとく小 学校段階から人体についての認識を系統的,総合的に発達させておかなくてはならないのである。

その意味で,高校教材は,保健・人体に関する基礎知識が学力となって機能的概念として定着し ているという仮構の上に築かれているといえる。ところが保健認識調査結果が示すように保健の学 力・認識内容は驚くべきほど低いのである。これでは教授も学習も成立する筈はないのである。

ところで先のSHESのモデル15)から基準となる例をいくつかあげてみると,10概念の中の第1 概念の行動目標の中に,シークエンスのBの1に,

Names major body parts and organs and their related functions.

また,Aの皿に,

Describes the basic structure and functions of the human organizm as it relates to grow.

ing and developing.

などといったものがある。Bの1は身体の主な部位や器官各称やそれらに関係する機能がどんなも のであるかを示すことであり,Aの皿は成長発達に関連する人体の基礎的構造や機能を記述するこ とであるから,それなりの人体の構造と機能に関する教材が編成され,学習することになる。

これからもわかるように現行保健教材は,中学,高校ともに,図1−Cの①一aの論理におい てみたと同様な論理で,人体の構造と機能教材が殆んど欠落し,しかも論理的系統性も構造分類的 系統性も殆んどみられないといえる。その点は先に紹介した1977年のソ連の理科教科書「人,生 理,。解剖・衛生学」16)が参考になると考える。

7.おわりに

健康観・健康の成立条件について歴史的にみると,古代の人々は「神罰」とか「悪霊」などを病 気や災害の原因と考え,その対策として「お祈り」・(Cult of Ascepius, Demoniac Concept)な

どを行ってきたとされている。

このような認識枠のもとでは,健康の維持や疾病の予防や治療に対して,人体について知る必要,

学習の必要性はない。それらは非物質的であり,未知不明の非科学的存在であるからである。つま り,主体(Host)に関わりのないところで健康や病気が支配されているからである。むろん,愛知 主義的・学問的な立場で人体について学ぶことは,この場合,論外である。

次に,1800年代にとんで,細菌学時代に入ると,一原因論的な「細菌と人体」との認識枠・

(Germ theory)がでてくるが,ここでは当然,細菌についての知識の理解と人体についての知識

の理解・認識が健康保持増進,疾病予防治療のために不可欠となる。どちらか一方でも欠けると両

者の間の関係・法則性の認識は成立しないからであり,そのことは問題解決方法や対策を創出する

ことを困難にするからである。このように「Agent×Host」の認識枠でさえ,人体に関する学習

(11)

内山:保健教育内容・教材批判の根拠      209

は不可欠なものとなる。

だが,人類は,これだけの理論枠から,ずれた適用不能な多くの問題事実・経験的事実を知るこ とで「環境要因」の存在をrAgent x Host」の枠組に結合させるわけであるが,その中の一つが クラークのモデル・(Multiple causation theory, steress theory)ということになる。ここでは

(Host×Agent) (Host×Environment),(Agent×Environment)そして(Host×Agent×

Environment)の関係において, Host自体の認識を他要因・条件との関連における認識において Hostの認識・学習が求められることになる。

このような理論枠・モデルにおける諸概念,法則等に基づいて保健教育内容・教材は批判なり構 成なりなされなくてはならないと考える。(本小論は,1972年日本学校保健学会シンポジウム及 び1978年学会に発表したものの一部である)

参考引用文献

1)内山 源「新学習指導要領・保健教育の批判のあり方」r学校保健研究』Vo121,Nα4,1979年 2)内山 源「保健教育課程改訂のための原理・基準の必要性」r学校保健研究』Vol 20, Nα11,1978年 3)内山 源「シンポジウム・保健教育内容の現代化」 r第19回,日本学校保健学会講演集』1972年,p.

115〜

4)教師養成研究会r教育原理』 (学芸図書出版,1971年)p.43〜

5)パース『論文集・現代論理学の課題(世界の名著,48)』(中央公論社,1968年)p.53〜

6)Kerlinger, Foundation of Behavioral research, (Holt,1973)p.5 7)Popper・大内訳『科学的発見の論理(上)』 (恒星社厚生閣,1974年)p.71

8)Leavell&Clark, Preventive Medicine for the Doctor in His Community, (MacGraw Hill,1965)P.49

9)内山源「保健教育内容の選択・構成原理における横軸基準①の科学技術の成果・知識体系に関する原 理についての検討」『日本学校保健学会講演集』1975年,p.103

10)Seiler,小林訳『組織と人間行動』 (丸善,1969年)p.2

11)内山 源「保健教育内容の構造化に関する授業研究」『学校保健研究』1967年,8月号 12)小倉 学『小学校保健教育の計画と実践』 (ぎょうせい,1977年)

13)前掲書8,p.139〜

14)スペンサー・三笠訳『知育・徳育・体育論』(明治図書,1969年)p.27

15)SHES, Health Education, (3MEducation Press,1967)p.38

16) Uy3Mep, nerpHI皿Ka. qe・πoBeK 8 K認acc. 納ocKBa, 1977.

参照

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