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寛容さと批判と

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Academic year: 2021

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神戸市外国語大学 学術情報リポジトリ

寛容さと批判と

著者

御輿 哲也

雑誌名

神戸外大論叢

68

1

ページ

15-16

発行年

2018-04-20

URL

http://id.nii.ac.jp/1085/00002209/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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寛容さと批判と

御輿 哲也

国学者の本居宣長は、弟子たちに向かって「わが説にななづみそ」と伝えた といいます。「な~そ」は古典文法でお馴染みの表現で、「~してはいけない」 という禁止の意味、「なづむ」は「とらわれる」「こだわる」といったニュアン スの動詞です。従って、全体としては「私の唱える説に(それを正しいものと 決めつけて)執着してはならない」といった意味合いになるのでしょう。 ごもっともな言葉ですが、ちょっと立派すぎるような気もします。そもそも 弟子としては、ある程度は師の説く学説に従順に対応せざるをえないはずです し、一方教える側としても、自分の解釈や主張がたやすく乗り越えられたりす ると、師として身のおき所がないのでは、と心配になったりします。まあ宣長 ほどの学者なら、「そう簡単に自説が覆されるわけがない」といった自恃の念が あったのかもしれませんが。 ただ、そうは言いながらも僕自身、本学の教壇に長く立たせていただいてい る間に、学生の皆さんの発言に蒙をひらかれた思いがしたことは、一度や二度 ではありません。それは当方のつまらない勘違いの指摘にはじまって、時には 思いもよらぬ視点の存在を教えられることさえありました。 特に第 2 部のゼミ ではかなり多くの社会人の皆さんが参加して下さっていて、いろいろな面で勉 強になりました。職種も実に多様で、元高校教員の方や役所勤めの方、さらに は元工場主、警察官、看護士の方までいらっしゃり、ちょっと他所では聞けな いような話(ウラ話を含む)を様々な機会にうかがえたことは、僕にとって大 切な財産になっています。「第 2 部廃止 論」というのは、今もあちこちで怪し くくすぶっているらしいのですが、 むしろ第 2 部には「大学とは何か」という、 少しばかり大げさな問題を考えるヒントになるものがたくさん見つかるような 気がします。 そもそも、多様な意見やユニークな発想を重んじること、あるいは少数者の 考えにも敬意をはらい、十分な配慮をおこなうことは、大学に課せられた役割 のなかでも最も基本的で重要なものであるはずです。そして我田引水だと言わ れるかもしれませんが、外国文学の研究・教育という営みのなかには、本質的 15 寛容さと批判と

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にそうした多様性や独創性の意味と深く関わるものがあると思います。たとえ ば、イギリスの作家の文章を日本人としてどのように読むべきか、または読み うるかについて、たった一つの答えしかないなどというのは考えられないこと で、できることは皆がそれぞれの解釈を持ち寄り、比較検討をとおして自分な りの解釈をさらに掘り下げ深めて、説得力のあるものに高めていくことに他な らないはずです・・。などとまあ僕が変に力んでも、あまり「説得力」はない でしょうから、ここは一つ本物の作家の毅然とした言葉の力を借りてみようと 思います。 20 世紀イギリスの小説家 E.M.フォースターは『インドへの道』などの作品で 知られていますが、政治問題や社会問題をも射程におさめた数多くのエッセイ の筆者としても著名な存在です。なかでも「寛容の精神」と題するエッセイに は、彼の人生観のエッセンスが盛り込まれているように思えます――「〔大事 なのは〕いばらず、怒らず、苛立たず、怨みを抱かぬこと。積極的、戦闘的な 理想はもはや信じられません(略)。寛容精神は(略)冴えない美徳ではありま す。しかし、これには想像力がぜったい必要なのです。たえず他人の立場に立 ってみなければならないのですから」(小野寺健訳)想像力を擁護してはいるも のの、これではいかにも微温湯的な主張に聞こえるかもしれません。けれども、 こうした一見温和な主張の背後には、それを支える強靭な批判精神があったは ずで、そうであればこそ、一方では「イギリス人は体力は発達し、知力もまず まずだが、情緒的な発達は皆無だ」といった歯に衣きせぬ痛烈な皮肉が語られ ることにもなるのに違いありません。 単に曖昧に受け入れるのでなく、単に一方的に非難を浴びせるのでもない ――要は寛容精神と批判精神をどのようにバランスよく共存させるかなので しょうが、これを実現するのはなかなか難しいことだと思います。自分自身を 振り返ってみても、ひとりの教師として首尾よく実践できたと思えたことはほ とんどありません。ただ社会全体としても、これだけ苛烈をきわめる競争社会 ゆえ、批判精神はかなり発達しているのに、寛容精神の方はひどくなおざりに されたままだと感じるのですが、皆さんはどう思われるでしょうか? 最後になりましたが、退職にあたり同僚の先生方や院生・卒業生の皆さんが、 大部の記念論文集『言葉という謎』(大阪教育図書)を贈呈して下さったことに、 あらためてお礼を申します。何人かの友人から「お前は幸せ者だぞ」と言われ ましたが、本当にそう思います。現在やや不安定な状態の体調が許すなら、何 とかあと1 冊ほど研究書を上梓することで、なけなしのご恩返しができればと 念じているところです。 16 御輿 哲也

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