コンピュータ倫理における プロフェッショナルと不可視性
梅 田 敏 文
1. はじめに
コンピュータがわれわれの生活の多様な分野に活用され、われわれの活動を変化させ、予 期せぬ結果を数多く生みだしている現在、コンピュータ倫理の必要性は自明の理のように見 える1。コンピュータ活用時に衝突するユーザーの利害、その背景にあるルールの真空地帯、
どのような方向に進むべきか不明な状況、選択の判断を決めかねる事態、こうした場合の活 動指針となるものがコンピュータ倫理の研究成果である。
コンピュータ倫理には多くの論点が含まれる。たとえば、個別の論点として、コンピュー タ犯罪、ソフトウェアの不正コピー、コンピュータウィルスへの対応、プロフェッショナル 倫理、ハッカー、クラッカー対策、知的財産権の保護、プライバシー保護などである2。
こうした課題は、法学、社会学、倫理学など多くの学問領域に関連し、コンピュータ倫理 研究者は、現在、個別ケースの分析や技術的、社会的対応策の論議に追われている。
しかし、コンピュータ倫理に対する体系的なアプローチは、まだ、十分論議されていない。
体系的アプローチを検討することは、社会や情報技術の見方を組織化し論議を進める上で役 立つ。本稿では、コンピュータ倫理への体系的なアプローチのひとつの試みとして、コンピュー タ倫理の概念的な枠組みを、プロフェッショナルと不可視性の概念を使って描いてみる。
コンピュータ倫理の課題には、情報技術に詳しいプロフェッショナル3と、システムのユー ザーの観点から把握すべき論点や、活動の仕組や内容が不可視性に包まれていることから発 生する課題、反対に、他者から見えすぎる活動や情報を不可視性によって守るべき論点など に分けることができる。本稿の目的は、プロフェッショナルとユーザー、および、不可視性 と可視性というふたつの軸で諸課題を捉え、コンピュータ倫理の内容をより深く整理するこ とにある。
このような取組みは、コンピュータ倫理の論点や課題の相互関係を理解し、個別問題を全 体の中で理解することに役立つ。それはコンピュータ倫理をさらに分析、検討する際のアプ ローチのヒントにもなる。
2.コンピュータ倫理のベースとしての不可視性
James H. Moorは、その論文「What is Computer Ethics?」のなかで、コンピュータ 倫理が必要となる誘因としてコンピュータの持つ三つの不可視性を指摘する。その第一の不 可視性について以下のように述べている4。
The most obvious kind of invisibility which has ethical significance is invisible abuse. Invisible abuse is the intentional use of the invisible operations of a com−
puter to engage in unethical conduct.
彼の言う不可視性の第一は、コンピュータを悪意で活用する不可視性である。たとえば、
銀行オンラインシステムを利用して、多数の顧客口座の端数利息を自分の口座に集めるサラ ミ5と呼ばれる行為は、コンピュータの悪用である。ソフトウエアを不正にコピーし、企業 の顧客情報を不法に検索、収集して利用することも、コンピュータの悪意による活用である。
こうした悪用は、コンピュータネットワークシステムのなかで不可視性に包まれている。プ ログラムを見たり、コンピュータ操作や処理結果だけを見たりするのみでは、それが正当な 活動か、悪用かは判断できない。コンピュータはブラックボックスの性質を持つ。
Moorの指摘する、第二の不可視性は、プログラマーの価値観の不可視性である。コンピュー タを活用するには、プログラム作成が必須である。そのプログラムには、論理展開や仕様の 決定場面においてプログラマーの価値判断が埋め込まれる。彼は言う。
Asecond variety of the invisibility factor, which is more subtle and conceptually interesting than the first, is the presence of invisible programming value.
Invisible programming values are those values which are embedded in a computer P「og「am・
価値観の不可視性の例として、Moorは、かつてのアメリカン航空のSABRE座席予約シ ステムをあげる。これは、予約1可能なフライトを表示するのに、アメリカン航空のフライト が常に最初に表示されるシステムであって、不正なシステムであると糾弾された。しかし、
プログラマーは不正なシステムを作成する意図はなく、単にアルファベット順に、予約可能 なフライト便を表示したにすぎないかもしれないのである。そこでは、検索結果リストのア ルファベット順表示は自然であるという彼の価値観がプログラムに反映され、それが、経済 的な競争に大きな影響を与える画面デザインに結びついたとも考えられる。
第三の不可視性は、コンピュータが行う計算内容の不可視性である。コンピュータの計算 能力が膨大でずば抜けているのに対して、人間の認知能力には限界がある。
Athird variety of the invisibility factor, which is perhaps the most disturbing,
is invisible complex calculation. Computers today are capable of enormous calcu−
lations beyond human comprehension. Even if a program is understood, it does not follow that the calculation based on that program are understood、
コンピュータに与えたプログラムのロジックは、人間が理解できても、計算結果が常に正 しいかを人間は短時間には検証できない。
Moorは、コンピュータの三つの不可視性が、われわれの活動に新しい倫理を要求すると 主張する。不可視性は、コンピュータの悪用や、プログラマーの不適切な価値観のプログラ ム化、膨大なデータの計算ミスなどを、われわれから隠す。したがって、このコンピュータ の不可視性が関係する分野で、われわれはどのように対処すべきか不明な事態が生じやすい。
ここにコンピュータ倫理が重要になる背景がある6。
3.Moorの不可視性概念
不可視性に関するMoorの考察は、ソフトウェアの特質を指摘して、かなり納得性の高い ものであり、不可視性の概念はコンピュータ活用の場面で広く応用できる。現在のコンピュー タネットワークで発生する詐取、なりすまし、知的財産権の侵害などは、コンピュータの持 つ不可視性を悪意で利用していると考えられるからである。
この不可視性概念に対して、可視性という概念を明確化することもできる7。コンピュー タの活用によって個人情報や営業機密情報が簡単に流出するおそれがある現状をみれば、可 視性を積極的な概念として取り上げる理由がある。すなわち、不可視性をなるべき減少させ、
活動や意図の透明性を図ることをMoorが主張したように、可視性をなるべく制限し個人の 自由やプライバシーを尊重する活動における規範のあり方もコンピュータ倫理の重要な課題 である。
また、Moorの言う不可視性を伴う行為の主体として、プロフェッショナル、ユーザーの 区別を識別できる。プロフェッショナルは高度で複雑な不可視性を持ち、ユーザーの権利を 容易に侵害するスキルや知識を持つ。反対に、ユーザーは被害者になりやすいと共に、知識 不足故に無意識のうちに加害者になるという立場にもある。プロフェッショナルにはその地 位、役割に応じて大きな責任が求められるので、両者に適用すべき倫理はかなり異なる。
プロフェッショナルと不可視性の観点からコンピュータ倫理の諸論点を整理すれば、コン ピュータ倫理の全体像を理解し易くなると思われる。まず、Moorの不可視性概念とプロフェッ ショナル概念との関連性を考えてみよう。
Moorの言う不可視性の第一であるコンピュータの悪用の分野では、プロフェッショナル とユーザーというふたつの主体を区別できる。プログラムの設計や開発の段階で、サラミプ ログラムを正常なプログラムに組み込み、開発の終了したプログラムにワームやウィルスを 挿入させるのは、プロフェッショナルが行うコンピュータ悪用である。これに対して、ソフ
トウェアを不法にコピーしたり顧客情報を入手したりするのは、プロフェッショナルをも含 んだシステムの一般的な利用者が行い得る行為である。また、コンピュータ活用の被害者や、
無意識な加害者になりやすいのも一般ユーザーといえる。
第二の不可視性、すなわち、プログラマーの価値観のプログラムへの挿入は、プログラム 開発プロフェッショナルの行為に伴う不可視性である。プロフェッショナルとしてのプログ ラマーには、そのスキル、知識、経験に応じて社会的な地位と待遇が与えられる。同時に、
プロフェッショナルには、職務に伴うより大きな責任が負わされる。したがって、プログラ マーは自己の価値観に社会規範の点から偏りがないかを、常に意識し、自分で自分を律する 行為が期待される。この責任に対する規範の研究がプロフェッショナル倫理の課題である。
第三の不可視性、すなわち、技術の性能と人間の能力の乖離を劇的に表すコンピュータの 膨大な計算能力は、プロフェッショナル、ユーザーの区別に関係なくコンピュータ利用者す べてが関わる不可視性である。そして、この不可視性は、不可視であっても、コンピュータ の処理内容が正当で適切であれば、人々の活動にとっては高生産性をもたらす。ここでは、
可視性の減少、すなわち、人々がその仕組や内容を見て検証するという作業を省力できれば できるほど社会全体の生産性は向上する。こうした観点からみると、プロフェッショナルに は人々が不可視性を許容できる仕組構築に対する責任が要求される。
Moorの指摘した不可視性の概念は、コンピュータ倫理を考えるうえで重要な概念である。
しかし、その反対概念としての可視性も積極的な意味を持つ。プライバシー情報に限らず、
商取引や電子メールの内容などが容易にアクセスされ、その情報が他へ流通する現象が大き な問題となっているからである。すなわち、可視性が容易に破られる現象も、コンピュータ 倫理の研究が取組むべき重要課題である。
4.プロフェッショナルと不可視性概念による個別課題の分析
本節では、コンピュータ犯罪、プロフェッショナル倫理、知的財産権の保護、プライバシー の4項目を、プロフェッショナルとユーザーの関係、不可視性と可視性の観点から分析す
る8。
(1) コンピュータ犯罪
コンピュータやネットワーク活用の場面で現在、さまざまな犯罪の発生が指摘されている。
ネットで商品を詐取する、ネットで代金を詐取する、賭博行為を行う、狼褻物を頒布する、
ねずみ講の商品を勧誘する、爆弾や覚せい剤の製造情報を流し販売を行う、セクハラメール を送る、競馬法違反の呑行為を行う、サイバーストーカーの行為をする、名誉殿損の情報を 流す、など枚挙にいとまがない。これらは、コンピュータの濫用、あるいは悪用として糾弾
されるべき行為であり、コンピュータ犯罪として論じられている9。
しかしながら、ノートパソコンを凶器にして人を殴ることや、オフィスにあるコンピュー
タを盗むことがコンピュータ倫理の固有の問題ではないように、こうした行為はネットワー クを利用して既に存在する違法行為を行うことにすぎず、コンピュータの出現によって発生 する新たな犯罪であるとは即断できない1°。ただし、ネットワLクやコンピュータを利用す る場合のマナー、ルール、使い方と深く関係する行為なので、コンピュータ倫理と一般倫理 の双方に関連する問題と考えられる。
また、コンピュータ倫理固有のコンピュータ犯罪としては、盗聴、システムへの不正アク セス、システム妨害などを挙げることができる。コンピュータネットワークを活用するには、
IDやパスワード、クライアント端末が必要であり、掲示板、 Webへのアクセスも不可欠で
ある。
こうした場面で、他人のIDやパスワードを盗んで使用したり、他人のホームページの書 き換えを行ったり、他人が使用中のクライアントコンピュータで、その離席中にデータを覗 いたり、メールボンバでシステム障害を引き起こしたりすることがコンピュータ悪用である。
この悪用は、コンピュータの一般ユーザーが意図的に行うこともあるし、自分のIDやパ スワードの他人への貸与のように犯罪を意識せずに行う場合もあるし、募金や血液提供者を 募るチェーン・レターのように善意から出る場合もある。
コンピュータ犯罪は、ネットワークやコンピュータ利用者の行為とその意図が容易に確認 できないために、安易に行動を起こすことが原因のひとつである。状況が見えないままに加 害者、被害者となる場合も多い。すなわち、サイバースペースが持つ不可視性の高い環境が コンピュータ悪用を助長している。こうした不可視性を減少させ可視性を高めるには、誰が 何の目的で、何をおこなっているか明確にできる仕組を公開すべきである。
たとえば、あるWebサイトの安全性を知るためには、そのサイトの不可視性の程度を評 価することが役立つ。そのサイトの作成者、運営者に関する情報の明示、サイトが収集する 個人情報の使い方やサイトの実績、および利用者の提供する信頼情報、さらに仕組のディス
クローズなどにより、不可視性が少ないサイトこそ安心できるサイトである。
コンピュータ犯罪は、一般ユーザーが被害者になりやすく、また、知識を持たないが故に 加害者になる、あるいは加害者を支援する立場に陥りやすい。自分が何をどのようにしてい るか常に明確にできるような可視性を高める態度や仕組の構築が必要になる。
(2) プロフェッショナル倫理
コンピュータ倫理の一分野であるコンピュータ犯罪では、一般ユーザーは、被害者、加害 者の両方に陥りやすい。これに対して、プロフェッショナルは圧倒的に加害者の立場になり やすい。システムに侵入し、IDやパスワードを盗み出す「トロイの木馬」や、前述したサ ラミの手法はプロフェッショナルの行う違法行為であり、ハッカー、クラッカーのデータ侵 害やシステム破壊、コンピュータウィルスなどもプロフェッショナル、あるいはプロフェッ
ショナルと同等のスキルや知識、経験を保有するひとびとの仕業であると考えられる。
Moorの指摘した、悪意のもとにプログラムを作成したり、プログラムにバイアスのある
価値観を混入したりできるのはプロフェッショナルである。プロフェッショナルこそ不可視 性を意図的にコントロールできる。政治や経済、社会生活の中に浸透している情報技術の活 用を意図的にコントロールできるプロフェッショナルは世界に対して強力な影響力を持つ。
その意味では、コンピュータ倫理とは狭義には、主にプロフェッショナル倫理といってもよ いo
プロフェッショナル倫理とは、プロフェッショナルが遵守すべき倫理、すなわち、職業倫 理である。原子力技術者、医者、弁護士、コンピュータ技術者など、それぞれの職能に応じ た専門家が遵守すべき規範である。ここで、コンピュータ倫理の対象になるのはコンピュー タプロフェッショナルであるから、その代表的団体である米国のACMを取り上げ、その倫 理綱領を見て、情報技術プロフェッショナルに対する規範構築の意図を考えてみよう11。
ACMの倫理綱領で定められた義務や責任は、大きく三つに分類される。「一般的な道徳上 の義務」、「より特別な、専門家の責任」、「組織の指導者の義務」の三項目である。
この分類は、コンピュータのプロフェッショナル倫理が一般的な倫理の上に成り立つと共 に、自己責任だけではなく組織としての責任を負うことを示す。コンピュータネットワーク が情報技術という専門的な知識、スキル、経験をもとに構築され、システム開発が多くの人々 の協業で行われることを前提にしているのである。
ACMの「一般的な道徳上の義務」内の細則では、社会と人間の幸福への寄与や、財産権 やプライバシーの尊重などと共に、1.2で「他人への危害を避ける」、1.3で「誠実で あり、信頼されるようになる」、1.8で「信頼を裏切らない」という規定がある。これは、
プロフェッショナルが一般ユーザーに比べて、システム構築の責任者として期待されること を示し、また加害者になる可能性が高い位置にあることを示す。
「より特別な、専門家の責任」の細則では、仕事の品質、効果、品位の確保と能力開発、
責任の尊重と共に、2.4で「適切な専門的検査を受け入れたり、提供したりする」や、2.
7で「コンピューティングとその結果に対する一般の理解を向上させる」ことを規定する。
これは、プロフェッショナルが独善的になりやすいことや、プロフェッショナル活動の不可 視性を、可視性を持つ活動に変えることを積極的に奨励しているとも考えられる。
「組織の指導者が持つ義務」の細則としては、システムの適切な設計や資源管理を心がけ ると共に、3.1で「組織的な統一体のメンバーの社会的な責任を明確化し、それらの責任 を完全に引き受けるように奨励する」ことを規定している。これは、社会とシステムのユー ザーに対するプロフェッショナルの責任の表明である。
ACMのプロフェッショナル倫理は、知識、スキルをベースにした職務、地位に伴う責任 の重大性を認識し、システム構築目的を明らかにし、仕様の公開によって社会への責任を明 確にし、コンピュータ犯罪の加害者にならないように規則を定めたものである。
それは、プロフェッショナル活動の中の、コンピュータネットワークに絡む不可視性を、
社会の人々が理解できるように可視化する方針を宣言した綱領である。
(3) 知的財産権の保護
ソフトウェアの不正コピーは、コンピュータネットワークが進展してくると共に大きな問 題となった。ここで論じられるのは、プロフェッショナルが作成したソフトウェアを、他の プロフェッショナルや一般ユーザーが無断でコピーし、転用する問題である。
プロフェッショナルやその組織が開発した知的財産は、特許(patent)、著作権(copy−
right j、営業機密(trade secret)などとして開発者の権利が法律上、認められている。こ
の権利は、個人や組織活動の結果、生産された価値を保護するものであり、個人の創造性発 揮の機会を促進し、社会における企業の競争活力を生み出すものとして必要である。したがっ て、有償ソフトウェアの不正コピーや他者のホームページの文章や画像の無断転載は、生産 者の持つ価値を侵害する違法行為である。
情報技術の特許や著作権の分野では、対象となる機能は、その内容が整理されブラックボッ クス化された状態、すなわち、カプセル化されて提供されることがある 2。たとえば、パソ コンのOSを考えると、われわれはWindowsのソースコードを手に入れることができない。
ソースコードは開発者のみが保有し、ユーザーには不可視である。われわれはOSの機能を 外部から理解して利用せざるを得ない。OSが不可視性を持つのは、 OSの内容をマイクロソ フト社が公表しないからであり、不可視性を持つが故に価値を維持できるからである。経済 的な競争優位を確立しようとする企業は、自ら構築したソフトウェアを無償では提供しな
い130
情報技術の知的財産権が認められていることは、不可視性が増大することを意味する。ソ フトウェアを組み込んだ機器があらゆる場面で利用されるようになるからである。Moorが コンピュータと不可視性が表裏一体であることを指摘したように、取引をコンピュータ化す ればするほど不可視性は増大する。われわれの生活も、自然が持つ不可視性に満ちているが、
コンピュータ化された取引は、人工物の不可視性や仕組の不可視性をベースに構築されるの で情報化とともに増大する。そして、その不可視性のある部分は価値を持ち、知的財産権の 対象として守られている14。
コンピュータを信頼できるものにするには、コンピュータシステムの持つ不可視性を減少 させ、不可視性を可視性にかえればよいことは繰り返してきた。コンピュータシステムの運 営が健全なものであり、使用されているプログラムが偏見や不適切な価値観とは関係がなく、
処理されたデータも安全で確実なものであれば、われわれはコンピュータの処理結果やシス テムを信頼して活動できる。
しかし、コンピュータ社会では、コンピュータの構成要素であるソフトウェアに価値を認 め、その開発者の権利を保護する。したがって、ソフトウェアがカプセル化され不可視性を 維持したまま、市場に流通する機会も増大する。不可視性を持つカプセルこそがコンピュー タ社会のプラットホームをなしているとも考えられる。このように考えると、コンピュータ 倫理の分野では、不可視性と可視性という二律背反が生じる。不可視性を可視性に変えるだ けでなく、特定分野における正当な不可視性を保証してプロフェッショナルの創造的な能力
を発揮できる仕組作りも、コンピュータ倫理の果たすべき大きな役割である。
(4) プライバシーの保護
プライバシーの問題とは、コンピュータネットワークが生活に浸透するにつれ、コンピュー タユーザーや、コンピュータを直接、操作しない人々をも含んだ個人情報が収集され、本人 の知らないうちに流通、利用され、個人のプライバシーが侵害される現象である。たとえば、
ネットワークを流れる個人情報は、一般的には取引決済やサービス受け取りのために、個人 が自発的に開示した情報である。名前、住所、電話番号などは商取引に必須の個人の属性情 報である。しかし、その情報開示は、個人が特定の目的のみに開示した情報であり、他での 転用や他人に知られることは意図していない。個人情報には、個人が他人に知られたくない 情報を多々含むのである。
プライバシーとは、私事を内密化することであり、プライバシーの権利とは、個人の私事 に関する情報を秘密に保つ権利である。それは他人から干渉されない権利であり、現代社会 においては、自己の情報を自分で管理、処分するコントロールの権利をも含む。
個人のプライバシー保護が重要な理由は、プライバシーがわれわれの社会生活の基礎を構 成するものだからである。実際、われわれの意図や行為の全てが他人から見られ、管理され る状況を考えると、われわれは、自分の意思で自由にものごとを考え、選択し決断する範囲 が制限されると感じる。また、他人が持つ、われわれに関する情報によって、われわれのイ メージが勝手に作られ、変形され、利用されて、われわれ自身のアイデンティティが破壊さ れる危険もある15。そこでは、自律的な個人という概念が成立しない。
プライバシーの保護は、われわれの社会生活の基本である生命、身体、財産の不可侵と同 じく、自律的な社会生活を送るために必要な権利である。こうしたプライバシーの対象には、
個人の属性情報だけでなく、取引上のデータ、電子メールの内容なども含まれ、それらは、
他人から見られることを拒絶すべきである。
いままで論じてきたコンピュータ犯罪、プロフェッショナル倫理などは、目に見えない活 動、仕組、意図を、可視性のもとに明らかにするための議論と考えることもできる。不可視 性があるから発生するルールの真空地帯を、新しいルールや方針を示すことによって、その 内容を理解できる形に変容させるのである。
しかしながら、プライバシーの保護は、それらとは全く正反対の位置にある。むしろ、知 的財産権の保護と同じ分野に位置する。知的財産権においては、対象となる生産物の価値を 保護するために、他人の可視性を拒絶する。同じように、プライバシーも他人から容易に見
られる可視性を拒絶するのである。
コンピュータ倫理の問題では、全てが可視性を持てばよいわけではない。コンピュータ倫 理の論点のなかには、不可視性を維持してこそ、社会生活の基礎となりうる要素も含まれる。
その代表的なものが個人情報であり、プライバシーである。したがって、コンピュータ倫理 の課題としてのプライバシーの保護は、個人の特定情報に対して不可視性を持たせることを
要求すると考えられる。ここでは、極力、不可視性を守り、保持することが倫理的な対応で
ある16。
5.コンピュータ倫理課題のカテゴリー化と対応
このように見てくると、Moorの指摘した不可視性がコンピュータに関連する諸活動のな かにルールの真空地帯を作り上げると共に、反対に、不可視性を持つべき対象や情報が可視 性のなかに置かれるために、さまざまな対立や権利侵害が発生することが理解できる。われ われの倫理的な行為は、対立や権利侵害の予防、調整のために必要となるとも言える。
本章では、いままでの議論を踏まえ、まず、最初に、一般的な倫理とコンピュータ倫理の 関連を考え、次に、コンピュータ倫理の論点を、可視性と不可視性の軸、プロフェッショナ ルとユーザーの軸を活用して整理する。
(1) 一般倫理とコンピュータ倫理
コンピュータ倫理は、既存の一般倫理と異なった倫理ではなく、一般倫理の基礎のうえに 構築される。一般倫理は近代以降構築されてきた基本的人権、民主主義、自由、平等、公正
などの価値観をベースにして、人間と人間の関係のあり方を追及してきた 7。
コンピュータ倫理とは、コンピュータの使用によりお互いの権利が侵害される場合、これ を規制する内在的原理である。ぶつかり合う意図、権利を調整し、加害防止、被害防止を図 るものであって、図1に示されるように、現代の一般倫理を支える概念を基礎にしている。
コンピュータが開発され社会の多様な分野で利用されて、現代社会が高度情報社会の特質を 持つことによって、それに相応した倫理が求められているのである。
たとえば、ACM綱領の中でも、1.1では、「社会と人間の幸福に寄与する」という道徳 上の義務を最初に述べることによって、一般的な倫理の遵守を求めているIS。
一般的な倫理では、基本的人権、民主主義、自由、平等、公正などの価値が認識され、こ れを遵守する規範が社会に受け入れられている。したがって、既存の倫理で禁止されるもの、
たとえば、物を盗む、嘘を言う(HPを書き換える)、暴力を振るう、誹諺、中傷するなどは、
サイバースペースでどのような媒体を利用する場合でも、許されない。
コンピュータ倫理
・パブリックな事柄は見えるように プライベートな事柄は見えないように
・プロフェッショナルの責任
・ユーザーの責任 一般倫理
・基本的人権、自由、平等、公正
図1 一般倫理とコンピュータ倫理を支える概念
サイバースペースと現実世界とでは、感覚上の奇妙な差異があり、禁則ルールの内的規制 が個人の意識内で緩和されるきらいがある。しかし、サイバースペースも、もう一つの現実 であり、コンピュータ倫理は一般倫理を基礎にして構築される。
(2) コンピュータ倫理のカテゴリー
コンピュータ倫理は一般倫理の上に立つけれども、一般倫理の原則そのものがコンピュー タ倫理の原則となる場合、あまりにもその射程距離が大きくなる。たとえば、「社会の幸福 に貢献する」ための倫理と述べることは、一般倫理としてもコンピュータ倫理としても間違 いではない。しかし、「社会の幸福に貢献する」と述べるだけでは、コンピュータプロフェッ ショナルの活動の方向性が具体的には明示できていない。コンピュータ倫理の適用分野に即 した、より具体的な基準が求められるのである。
これまで論じてきた可視性と不可視性、プロフェッショナルとユーザーの概念は、コンピュー タ倫理体系化の軸として、図2のように、コンピュータ倫理の論点をカテゴリー化するのに 利用できる。
プロフェッショナル
不可視性
知的財産権 プロフェッショナル倫理
プライバシー コンピュータ犯罪
可視性
一般ユーザー
図2 コンピュータ倫理のカテゴリー化
図2は、現在、コンピュー一タ倫理の課題として論じられている四つの主要論点を、可視性 と不可視性、プロフェッショナルと一般ユーザーとの軸でカテゴリー化したものである。こ こで可視性とは、行為者の意図や行為そのもの、また、行為の場や仕組が透明性を持ち、誰 もが理解できる可視性を有することを目指すルールや規範の構築を目標にする。反対に、不 可視性とは、その内容が保護され一定の権利を持つ人以外には、その内容を見ることができ ず機能を利用できない仕組を意味する。
また、たて軸の上にあるプロフェッショナルの意味することは、上部カテゴリーの行為の 主体者が主にプロフェッショナルであって、その地位と責任に応じた倫理が求められること を示す。一般ユーザーは、プロフェッショナルのような地位に応じた責任を負わないので、
遵守すべき規範も、主に一般倫理の範囲内のものが多い。また、一般ユーザーは、コンピュー タ犯罪やプライバシー侵害の被害者や加害者などの当事者になる可能性が高い。したがって、
それらのカテゴリーに近い、たて軸の下に位置付ける。プロフェッショナルがユーザーとし て活動する場合は、一般ユーザーの軸に位置付けられる。
まず、図2の右下にあるコンピュータ犯罪とは、ユーザーがコンピュータネットワークの不 可視性を利用して、コンピュータの悪用、濫用を行い、その多くの行為に対して、既存の違 法性がそのまま認められる分野を示す。ここは、一般ユーザーの可視性を論議する分野であ り、ユーザーの行為に関わる不可視性をいかになくして、その行為、仕組の可視性を向上さ せるかが議論される。
たとえば、eBayオークションサイトでは、取引当事者の過去の取引実績を信頼情報とし て提供している19。ネットワークにおける電子署名制度も本人の不可視性を可視化する手段 であり、これらはコンピュータ倫理で構築される規範を支援する技術的な仕組であるC°。
ここで、不可視性を可視性に変えるといっても、現実には、カプセル化された機能が、商 品、サービスとして流通しており、それらの内容を全て明らかにすることが目的ではない。
可視性を拒絶している製品は、その価値が守られ不可視性を是認されたものと考えて、その 流通過程の透明性が確認できればよい。
次に、プロフェッショナル倫理とは、プロフェッショナルの可視性を論議する分野の論点 である。不可視性という本質を持つソフトウェアの生産や運用に携わるプロフェッショナル が不可視性を悪用する行為を規制し内部統制を推進することが主要目的である。プロフェッ
ショナルが作成するソフトウェアの不可視性をいかに減少させるかが重要な問題であるが、
単に悪用を規制するのみならず、自らが関わる技術の適正活用に積極的に参画し提言する仕 組作りも含まれる。
したがって、ここではプロフェッショナルは数々の倫理問題と直面する。上司との葛藤、
顧客への責任、組織に対する忠誠心、そしてなによりも自らの職業の倫理綱領に対する忠誠 心などの間における選択肢の判断である。そこでは、プロフェッショナル倫理の観点から組 織活動の不適正を指摘する内部告発などが深刻な課題となる。社会の安全のために社会正義 のために、自らの職を賭けて、内部告発を行うことは、困難な行為である。コンピュータネッ トワーク社会が拡大し、プロフェッショナルの社会的影響が増大する状況では、責任を持つ プロフェショナルが自らの正当な意見を表明でき、しかも、その地位を維持できるような可 視性のある社会的な仕組作りが必要となろう。
また、プロフェッショナルを擁する組織は、その組織への入会や、プロフェッショナルの 認定の仕組をとおして、プロフェッショナルの資質や、望まれるスキル、知識の審査基準を 明確化するとともに、プロフェッショナルの倫理綱領の理解と受容を促進して倫理意識の向 上を図るべきである。同時に、内部、外部の監査機能を充実して、プロフェッショナルの態 度や行為を検証し評価することも重要である。
プロフェッショナル活動のなかでも、たとえば、内部告発の匿名性などは不可視性を維持 する必要性があるけれども、内部告発を行う場合の手段や手順、その結果の処遇などはパブ
リックな課題なので可視性を確保すべきである。
第三番目の知的財産権は、プロフェッショナルと不可視性の軸で構成される領域である。
典型的な例は、ソフトウェアの法的保護であり、プロフェッショナルの生産したソフトウェ
アの内容を他人に容易に知られたり、無断で利用されたりする可能性をいかに防ぐか、すな わち、不可視性を効果的に高めるかの論議の場である。
したがって、ここでは、不可視性という言葉は、価値の保護(特にソフトウェアの価値)
という意味に読み替えてもよい。むしろ、不可侵性という意味を盛込む必要があると考えら
れる。
ソフトウェアとして世にでた製品は、市場で流通するパブリックな側面を持つが、ソフト ウェアの生産そのものは、プロフェッショナルの創造的な活動である。それは、個人のアイ ディアから展開されたものであり、プライベートな側面が強い。図2の左側の象限は、不可 視性を守り、増大させる方向の諸問題を位置付けるものである。それは同時に、プライベー
トな要素を、より強くもつ課題でもある。プライベートな問題は、不可侵の性格をもつ。
しかし、著作権などが消滅したソフトウェアは法的保護の必要性はない。それは、プライ ベートな領域からパブリックな領域に移された価値と考えられる。
最後のプライバシーについては、一般ユーザーと不可視性の軸で構成される領域であり、
個人情報、取引情報、メール情報などを活用する場合、一般人のプライベート情報の不可視 性をどのように維持、拡大していくかという論議の行われる場である。
この分野では、企業の顧客へのマーケティングと個人情報の取扱が大きな課題である。現 在では、個人が企業で商品を購入しサービスを受ける場合、個人情報の提示を求められるこ とがある。たとえば、電気機器購入に際しては、保守のために個人情報を提供し、クレジッ トカードによる商品、サービスの購入では購買履歴が自動的に管理される。こうした情報の 機密性がしばしば保たれないことが指摘される。これは、本人が自発的に提供した情報が、
他に流通する例であり、その不当性が指摘されている。
しかし、さらに問題になるのは、本人が意識しないうちに個人活動に関する情報が収集、
分析、管理される問題である。その一つの例が職場における作業監視であり、たとえば、コ ンピュータを利用する作業員のキーストローク数、閲覧したWebの種類、内容、閲覧回数、
閲覧時間などの詳細が管理者から監視される問題である2 。職場におけるコンピュータ利用 は仕事に関連する作業に限定することは認められるにしても、その管理を個人のプライバシー と抵触する側面を持つような方法で行うことは個人の自由な意思決定を抑制する可能性もあ
る。
以上の軸で構成されたカテゴリーを分析してみると、二つの視点が明確になる。
まず、第一の視点は、プライベートとパブリックの区別である。左側の象限にあるプライ バシーや知的財産権など、その情報価値をプライベートな観点から保護すべきものは、不可 視性を保証していく必要がある。個人の自発性や創造力の発揮、組織の活性化には、プライ バシーの保護や個人の生産する価値を保護することが必須である。反対に、右側の象限にあ るプロフェッショナルの活動や、一般ユーザーのネットワーク活動は、パブリックな要素が 強い。パブリックなものは可視性のある仕組の中に置くことにより、誰もが理解できるよう にする必要がある。この分野で不可視性を維持すれば、不法、混乱、エラー、非効率な結果
を生み出し、国民経済的にも不利な結果をもたらすからである。
第二の視点は、基本的自由と社会規範の区分である。これは第一の視点とも関連するが、
社会活動を行う上で、近代の民主主義社会では生命、身体、財産の安全と共に、個人の自由 を尊重する。それは言い換えれば、プライバシーの尊重や、個人の生み出した価値の不可侵 に他ならない。左側の象限は、そうした自由や価値に対する不当な制限を拒絶する。一方、
右側の象限では、無制限の自由や放縦を制限するのである。コンピュータ犯罪の分野では、
社会正義の実現のために、法律や規範の遵守が求められ不法、不当な活動は規制される。ま た、プロフェッショナルの活動分野では、規範の確立と遵守が求められ自律的な対応が要請
される。
ただし、現実の社会の中では、パブリックな領域とプライベートな領域が明確に分かれて いるのではなく、また、自由な活動と規範を遵守する活動などが区別されてはいない。ひと びとの社会的活動は、そうした要素が入り混じって形成され、プライベートの対象領域その もの、パブリックな領域そのものが、ダイナミックに変動していると考えられる。
(3) コンピュータ倫理課題への対応
各象限のコンピュータ活用に関わる諸課題を、一言で表現すれば、図2の右下から、コン ピュータ犯罪の頻発、コンピュータプロフェッショナルによるコンピュータの濫用、知的財 産権の侵害、そして、プライバシーの侵害と呼ぶことができる。この課題には、さらに多く の具体的な細かな問題が含まれており、その問題に対応する方針も図2から導くことができ
る。
まず、左側にある知的財産権やプライバシーへの侵害は、個人が基本的人権として持つ自 由な活動に対する脅威である。そこでは、自由そのものをより多く享受できるようにさまざ まな規制や介入は最小限に抑えるべきである。個人や組織の活動に条件や制限をつけるので はなく、他からの介入を防ぐ手立てが期待される。
次に、右側のコンピュータ犯罪の頻発やコンピュータプロフェッショナルによるコンピュー タの濫用は、社会規範を確立、遵守し、個人活動の管理を合理的に行うことこそ望ましい。
そこでは、不可視性に包まれやすい活動を他から理解することができる方法や、その活動に 関連するひとびとが自由に意見を表明し意思決定に参画できる合理的な仕組の構築が必要で
ある。
以上の分析から、左側の象限の問題に対する方針は、安全保護の充実である。個人が自由 に振舞うことによって生産した独創的な価値や、個人が自由に振舞うときに流出する個人の プライバシーを保護する仕組やセキュリティネットワークを確立する必要がある。これに対 して、右側の象限の問題に対する方針は、情報共有である。プロフェッショナルの恣意的活 動やネット上の犯罪は、お互いの情報を明示し共有することにより、効果的に抑制し管理で
きる。
こうした方針を踏まえ、コンピュータ倫理の課題に対し、三つの観点からのアプローチが
考えられる。個人の内的規制や社会規範などによる抑制、仕組や法律による対応、そして最 後に、技術的対応である。
第一の個人の内的規制や社会規範などによる抑制では、ネットワークの活用に際して、利 用者がネットワーク活用の規範を遵守し、不法行為を行わないように内的な自己規制の意識 を醸成する必要がある。コンピュータ犯罪に陥りやすい行為や、他への影響が大きいプロフェッ ショナル活動を行う場合、特にこうした意識が要請される。規範やルールを作成し、教育を 充実させ、お互いに積極的に意思疎通を図り情報を共有することが効果的な対策となる。コ
ンピュータ倫理の基本部分は、まさに、この分野の政策やルールを明示する。
第二の仕組や法律による対応では、内的規制や社会規範の遵守では十分対応しきれない違 法行為に対して、社会的な制裁を明示することでその行為を抑制し、その行為が行われた場 合には、加害者には罰則を、被害者には救済を明示してネットワーク利用者の活動をコント ロールする。企業の就業規則など、強制的にその行為を抑制できるものはこの対応に含まれ る。法律を制定して違法行為を事前に抑制するのはもちろん、ネットワーク端末のある部屋 をロックしたりセキュリティエリアを設けたりして部外者の侵入を禁じることも含まれる。
重要な点は、行為に関する価値観をディスクローズし、望ましい行為と望ましくない行為を 明確化することである。
第三の技術的対応では、ネットワーク技術の隙をついた悪意のシステム侵入や破壊に対し、
技術で応えようとする。たとえば、IDやパスワードを管理する、暗号化を進める、アクセ ス管理を強化するなどは、技術的な安全保護を推進する手段であり、ソフトウェアの不法コ ピーやプライバシー侵害などへの技術的な対応である。技術的な対応では、コンピュータウィ ルス対応やハッカー、クラッカー対策などプロフェッショナルが、その対象である。したがっ て、技術的には、守る側の安全保護策の確立、攻める側のその保護策を破ってのシステム侵 入という、技術の際限のない繰り返しに陥る傾向にもある。
このように、コンピュータ倫理のカテゴリー化と各種問題の対応を検討すると、それぞれ の問題分野に大きな影響力をもつものが浮かびあがる。コンピュータによる犯罪を助長した り、知的財産権を侵害してシステムに侵入したり、プライバシー情報を容易に入手したりで きるスキルと知識、経験を持つ者、それがプロフェッショナルであり、プロフェッショナル 倫理こそ、各カテゴリーの根底に重大な影響力を持つ。
知的財産権やプライバシー保護のために、セキュリティを構築するには、コンピュータプ ロフェッショナルの技術が必須である。また、コンピュータ犯罪を技術的に防ぐこともプロ フェッショナルの重大な任務であり、何よりも自らの活動がネットワーク社会の技術基盤を 支えている。
技術基盤のみならず、社会の仕組の中に、可視性と不可視性を恣意的に持ち込んで、現代 社会の望ましい理念やルールに反する仕組みの構築を行う場合も、コンピュータプロフェッ ショナルが関与せざるを得ない。Faucaultは、 Benthamのパノプティコンの着想に化体さ れた監獄の思想をベースに、近代の管理社会の論理を描き出そうとした22。コンピュータブ
ロフェッショナルが、職場や家庭の不法な監視システムや、データベースによる個人管理シ ステムや、情報操作を行って合意を意図的に形成する社会コントロールシステムの構築に無 意識のうちに加担する恐れは多い。プロフェッショナルは、自らの倫理絹領を充分に理解し 受容して、ネットワーク社会の健全な発展を推進する責務を持っているのである。
6.おわりに
Moorの指摘したコンピュータの不可視性の概念は、現代社会におけるわれわれの活動を 考える場合、避けては通れない基礎概念である。不可視性が被う活動によってコンピュータ と関わるさまざまな課題が出現している。しかし、すべての活動から不可視性を排除して活 動内容を明示化することも同様に幾多の問題をはらんでいる。プライバシーに関わる情報や、
個人が創造した価値は、何の制限もなく他から見られることから守られねばならない。ここ に、可視性という概念が浮かび上がる。したがって、不可視性を最小化してその内容を明示 化する方針と、可視性を制限してその情報や価値を保護する方針が並立することになる。
また、不可視性を持つソフトウェアの設計、生産、運用、保守を考えれば、ソフトウェア そのものの生産や高度な運用を行うプロフェッショナルと、生産されたソフトウェアを利用 する一般ユーザーとの二つの主体を識別することができる。この二つの主体はソフトウェア を介して、販売者一購入者、権利者一義務者、管理者一被管理者のように対立する立場に立 つ可能性が高く、さらに、この主体はコンピュータ倫理との関わり方も大きく異なるのであ
る。
こうした分析をベースに、コンピュータ犯罪、プロフェッショナル倫理、知的財産権、プ ライバシーというコンピュータ倫理の諸課題を、不可視性一可視性、プロフェッショナルー ユーザーの軸で整理して、それぞれの特徴と対応状況を検討した。これによって、コンピュー
タ倫理の個別課題の位置付けと相互関係を、より体系的に理解できるひとつの視点が得られ
る。
さらに、プロフェッショナルが、個別のコンピュータ倫理の課題に大きな影響を与える存 在であるとともに、不可視性を利用する悪意を持って、大きなパワーを行使する可能性を持 つことも指摘できる。コンピュータプロフェッショナルこそコンピュータ社会を動かす主要 プレイヤーであり、今後は、プロフェッショナルの倫理行動についての議論や研究が、ます ます、重要になってくると思われる。
注
1 コンピュータ倫理(Computer Ethics)の他に、情報倫理(Information Ethics)という用語がよ く使われる。情報倫理は、医療カルテ情報や遺伝子情報の取扱などの問題を含むとも考えられる。ここ
ではコンピュータ活用に関する倫理の意味でコンピュータ倫理という用語を使用する。
2ここで例示された課題は、以下の著作でコンピュータ倫理の個別課題として共通に取り上げられてい
るものを示している。Deborah G. Johnson(1994)、 Deborah G. Johnson&Helen Nissenbaum (1995)、Joseph M. Kizza(1998)など参照。
3ここで言うプロフェッショナルとは、主にソフトウェァの設計、コーディング、テスト、システム運 営などを行うスキル、知識、経験を持つ情報処理技術者をさす。一般のユーザーがスキルと知識を習得 し経験を積んで、地位と役割を得れば情報処理のプロフェッショナルと認定される。
4James H. Moor(1985)。当論文ではじめて「コンピュータ倫理」という用語が深く分析された。
5サラミソーセージのように、複数の口座から少量つつの金額を抜き取るテクニックを言う。
6 Moorは、同時に不可視性の効果も指摘する。すなわち、コンピュータ処理が不可視性をもつために、
われわれは銀行の取引内容を検証したり、膨大な情報の一つ一つを確認したりしない。不可視性はわれ われの活動の効率性を高めるのである。
7コンピュータの浸透による人間活動の時間、空間の制約条件の減少は、秘すべきものが容易に見られ すぎる現象を引き起こしている。これが可視性である。
8安全保護、社会的責任、リスクなどが論じられる場合もあるがこの四項目が主要論点である。
9知的財産権の保護、プロフェッショナル倫理、プライバシーなども当然、コンピュータ犯罪に関係す るが、通常、コンピュータ悪用(Computer Abuse)の犯罪を、コンピュータ犯罪として論じ、他の3 項目は別個に論じられる場合が多い。
10これらは刑法の窃盗、詐欺、横領、恐喝、狼褻、淫行勧誘などの罪に問われる違法行為である。
11ACM(Association of Computing Machinery)の倫理綱領は1973年に採択、1992年に改定された。
日本では情報処理学会があるが、その倫理綱領は1996年に施行された。ACMの倫理綱領は、 Deborah G.Johnson(1994)、 pp.165−177を参照。
12カプセル化とは、特定の機能を一つのまとまりとして構築し、汎用的に利用できるようにしたもの。
コンピュータの分野ではモジュール化という用語が使われる。国領二郎(1999)参照。
13これに対して、公表されたOS、すなわちLinuxが登場し広く浸透しつつある。 Windowsとの関連にお いて今後の動向が注目される。
14ソフトウェアに加え、ビジネスのやり方などのビジネスモデルにも特許が認められている。
15たとえば、個人の投票する政党や候補者の情報が全て、他人に伝わり管理されるならば、その人は完 全に自由に意思決定できないおそれがある。また、自分の運転免許証が盗まれて悪用され続ければ、自 分の悪いイメージが形成され、アイデンティティが損なわれる。
16Moorはソフトウェアの持つ不可視性を論じたのであり個人情報やデータの不可視性を論じてはいない が、どちらもコンピュータシステムの主要構成要素であり、コンピュータネットワークを利用する人に とっては、不可分の関係を持つ。
17これらの価値は、ヨーロッパ、北アメリカなど西洋型近代社会の価値であり、民族、地域、宗教など によって、それぞれの倫理は異なる価値を基礎にしている。
18ACM倫理綱領。情報処理学会倫理綱領でも、「1.1 他者の生命、安全、財産を侵害しない」、「1.
2 他者の人格とプライバシーを尊重する」という一般倫理の規定が最初に置かれている。
19http://www.ebay.com/
202001年4月に施行された電子署名法は、第三者機関による情報の信頼性を認証する制度である。
21職場の作業監視プログラムとして、たとえば、http://www.winwhatwhere.com/のソフトを参照。
22Faucault(1977)。刑務所の監視塔であるパノプティコンでは、不可視性と可視性を巧妙に操作する管
理が行われた。情報パノプティコンについては、梅田(1999)参照。
参考文献 Faucault M.1977「監獄の誕生」、田村淑訳、新潮社
Johnson Deborah G.1994℃omputer Ethics Prentice Hall
Johnson Deborah G.&Nissenbaum Helen l995 Computers, Ethics&Social Values Prentice Hall
Kizza Joseph M.1998 Ethical and Social Issues in the Information Age Springer
国領二郎、1999「オープン・アーキテクチャー戦略一ネットワーク時代の協業モデルー」、ダイヤモンド 社
Moor James H.1985 What is Computer Ethics? Metαphilosohbl16
梅田敏文、1999「電子コラボレーションが引き起こすオフィスパワーの変革一オフィスにおける情報パノ プティコンー」、経営情報学会誌、VoL7 No.4、 pp.69−83.