平成24年 2月 13日
提 出
石垣 りんの詩が もつ教材 としての可能性
― ジェンダーの視点か ら一
教科教 育専攻
国語教 育専修 山下
麻衣
目次
序章
は じめに 。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 。
1
第1節
研究の動機 と目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1
第2節研究の方法・・・・・・・・・ 。・・・・・・・・・・・・・・・・・ 。 2 第 1章
石垣 りんの生い立 ち とその生 きた時代・・・・・・・・・・・・・・・・・
第2章
教科書掲載作品についての考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9 第1節
「私の前にある鍋 とお釜 と燃える火 と」・・・・・・・・・・・・・・・
12
第2節「崖」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
13
第3節
「シジ ミ」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
15
第3章
「表札」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 。
17
第 1節
教材観・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17 第2節
昭和49年に提案 された学習課題の考察・・・・・・・・・・・・・・・ 19 第3節
現在の学習課題の考察・・・ 。。・・・・・・・・・・・・・・・・ 。
23
第4節
過去 と現在 における学習課題の比較 と考察・・・・・・・・・・・・・
25
第4章
現在 の教科書課題 にみ られ る特徴 と傾 向・ ・・・・・ ・・・・ ・・ ・・・ 27 第1節
「崖」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
27
第2節
「シジ ミ」・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・ 28 第3節
本章 のま とめ
・ ・・・・・・・・・ ・・ ・・・・・・・・・・・・・・ 29
第5章
石垣 りんの詩 を用 いた新 しい授業の提案・・・・・・・・・・・・・・・ ・31 第 1節
「私 の前にある鍋 とお釜 と燃 える火 と」 を教材 に した授業・・・・・・ 。31 第 1項
学習課題・ ・・・・・・・・・ ・・ ・・ ・・ ・・・・・・・・・ ・・ 。31 第2節
「儀式」 を教材 に した授業・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32 第 1項
教材観 ・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・ 33 第2項
学習課題・ ・・・・・・・・・・・ ・・ ・・ ・・・ ・・ ・・・ ・・・・ 34 第3節 2つの詩 を比較 して読む授業・・・ ・・・・・・・・・・・ ・・・ ・・・36
第 1項
「私の前にある鍋 とお釜 と燃 える火 と」 と 「儀式」 との関連性・・・・36 第2項
学習課題 ・・・・・・・・・・・・ ・・ ・・ ・・ 。・・ ・・・ ・・・・ 37 第4節
「喜び」 を教材 に した授業・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・38 第 1項
教材観 ・・・・ ・・・・・・・・ ・・ ・・・・・・・・・・ ・・ ・・・38 第2項
学習課題・ ・・・・・・・・・・・ ・・ ・・ ・・・ ・・ ・・・・・・・40
第5節
本 章 のま とめ・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・41 終章
研 究の成果 と今後 の課題 ・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ ・・ ・・・ ・・43 訪寸辞・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。45
引用 。参考文献一覧・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・ ・・・・ ・・・・・ ・・・・46
資料・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・ ・・・ ・・49
「私の前にある鍋 とお釜 と燃 える火 と」・・・・・・・・・・・・・・・・ 。・・ 49
「崖」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 51
「シ/う
'ミ」・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ● ● ● 52
「ブ尋本L」・
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・ 53
「儀式」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 54
「喜び」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 55
序 章
は じめに
第 1節
研 究の動機 と目的
なぜ ジェンダー
1に
ついて考 えるのか。1979年国連総会 にて女性 差別撤廃 条約 が採択 され、国内で も女性差別撤廃 の動 き もあ り、1985年「男女雇用機会均等法」が制定 された2。 この よ うな制度 の中で、教育の現場 で も 「男女混合名簿」 な どが採用 され るよ うにな り、子 ど もた ちの意識 にあ る性別役 割分業や それ に基 づ く職 業観 。人生観 を見直 してい く動 きがみ られ るよ うになつた。 国語科教育 においては、性別役割分業 に基づ く男女像 が描 かれ た教 材 な どは教科書 の 中か ら除外 され た。例 えば、男性 作家 の作 品が多 く使 われ ていた こ とに よつて、暗 に学習者 は作家=男性 とい う職 業観 を与 え られ て きたが、現在 で は女性作家 の 作 品の比率 も増 えた とい うこ とが言 える。 しか し、教材 の登場人物 の話 し方や語 り手 の語 り方 を見てい くと今 なおステ レオ タイプな男女像 が見 られ 、私た ちの生活 の中に男 らしさ や女 らしさの レッテル は消 えるこ とはない。子 どもた ちは学校 で大 半の時間 を過 ご し、学 校 とい う集 団生活 の 中で 自己のアイデ ンテ ィテ ィー を作 り出 してい く。 そのた め、学校 の 授 業 で取 り扱 う教材や周 囲 の環境 が子 どもた ちのジェンダー意識 の形成 に大 きな影響 を及 ば してい る。周 りの教師や生徒たちの何気 ないや り取 りの中で、性認識 が形成 され てい く。
国語教育 では、学習者 は教材 との対話
3を
通 じて様 々な情報 を入 手 し、書 かれ た内容 を 自ら の 中に消化 してい く。人間は言葉 に よつて物事 を認識 してい くので あ り、言語活動 を中心 に行 われ る国語科 の授業か らジェンダー の問題 を認識す ることがで きる と言 える。 も し教 材 に偏 つた男女観 が書 かれ ていて、授 業 でその内容 に疑間 を抱 かず 、弟島呑 み に して しまつ ていた ら、子 どもたちの思想や価値観 も偏 った男女観 になって しま うだ ろ う。 しか し、授 業 の 中でその よ うな教材 を批判 的 に見た り、価値観 を揺 さぶ るよ うな内容 の教材 を取 り扱 うこ とがで きれ ば、子 どもた ちの ジェンダー に対す る問題意識 を高 め る こ とがで き るので はないか。教材 の内容 に疑 間や違和感 を抱いた り、逆 に納得 した りす ることを通 して、新 しい ものの見方や 自分 自身 の問題 を角牢決 してい く過程 で子 どもたちは 自分 たちの男女観 を 見直 してい くこ とがで きる と考 え られ る。教材 自体 が ジェンダー の問題 に言及 す る内容 の もの を扱 うこ とで、それ まで子 どもた ちが抱 いて きた価値観 に揺 さぶ りをか け、 自分 自身 の問題 として考 える機会 にな るだろ う。ジェンダーの問題 を考 えるための教材 として石垣 りんの詩 に 目を向け よ うと思 う。牛 山
1ジェンダー とは、社会的文化的性別を意味する学術用語である。
金井一郎ほか著『学術 会議叢書
14
性別 とは何か一ジェンダー研究と生物学の対話』(2008)財団法人日本学 術協力財団 p.7 江原由美子の定義による。
2神埼智子 (2009)『戦後 日本女性政策史一戦後民主化政策から男女共同参画社会基本法ま で』明石書店 pp.246‑248参 考。
3立川健二・山田広昭 (1990)『 ワー ドマップ
現代言語論
ソシュール
フロイ ト
ウィ トゲンシュタイン』新曜社
「対話
ミハイル・バフチンとともに」
pp.176‐
181参考。恵 「国語教材論一 ジェンダー と国語教材一」4で 「ジェンダーか らの解放を目指す教材」の 視点を4つ挙げている。
①筆者、作者が女性である作品
②女性の登場人物がいて、その人物の描かれ方が類型的ではないこと
③男女の関係が類型的でな く、おたがいを認め合つて共に生きる者であること
④男女の差別や役割意識の現実に対す る批半
J的
な視点に立つ ものであること石垣 りんの詩はこの
4つ
の視点に当てはまる教材 として取 り扱 うことができると考えら れ る。その多 くの詩がこれまでの教科書に掲載 されてきたが、詩の授業はあま り重要視 さ れず、学習者の記憶にもあま り残 つていない現状である。 しか し、作者 は短い詩の中で自 身の主張を表現 し、読み手に印象づける。作者の語 り方に 目を向け、詩か ら情報 を読み取 ることは国語科の学習 として意味あることであると考える。石垣 りんの詩が実際の授業で どのように活用 されてきたのか、そ してこれか らどのように活用 してい くことが必要 とさ れているのかを考えたい。石垣 りんの詩 は戦後の変化 してい く社会で女性が どのよ うに生きてきたか、女性への抑 圧 にたい して女性たちは どのよ うに生きていかなければな らなかったのかをとても生々 し
く描いている。働 く女性の 日線か ら、 日常にある多 くの物事 を多角的に とらえ、詩 によつ て表現す る。読み手は驚 くよ うな発見を して、 自己を見つめなおす ことができる詩であろ う。読み手は書かれていることか ら読み手の思想 に寄 り添い、当時の価値観や社会背景を 読み取つてい く。戦後の女性像 と現代 を比較す ることで、学習者の中に葛藤が生 じ、ジェ ンダーの問題 を追及す ることが可能である。そのよ うな石垣 りんの詩が教材 として どのよ
うな価値があるかを明 らかに してい くことを目的 とす る。
第2節
研究の方法
教科書に掲載 されている詩 を取 り上げ、その詩 をどう読み、そ こに教材 として どのよ うな価値があるかを見出す。そ して、石垣 りんの詩教材が現在 どのよ うに扱われているか を、教科書の 「学習の手引き」によ り考察 し、教科書が示す教材観や想定す る授業を考え る。特に 「表札」では、昭和49年に提案 された学習課題の在 り方を示 したもの と現在の教 科書の 「学習の手引き」 とを比較す ることで、それぞれの学習課題 にみ られ る特徴や傾向 を捉 え、現在の学習課題 の問題点を見出 してい く。石垣 りんの詩教材 が今 日の授業におい て どのよ うに扱われ るべきかを考 え直 し、 どちらの学習課題 にも見 られない よ うな新 しい 問いを提案す ることで、国語教材 としての可能性を広げてい く。過去 と現在の学習課題の 比較か ら得 られた改善点をふまえた上で、ジェンダーについて考 えてい くことを課題 とし た新 しい授業を提案す る。授業の提案では教材 としての可能性 を広 げるために、今まで教
4田近洵一 (1996)『国語教育の再生 と創造一二一世紀へ発信する十七の提言』教育出版
pp.246‐
247よ り抜粋。科書に掲載 されてきた詩や教科書に掲載 されていない作品、複数の詩 を取 り上げて比較 し なが ら、詩に対す る学習者の読みを深 める授業を提案 してい く。
第
1章
石 垣 りん の 生 い 立 ち とそ の 生 き た 時 代石垣 りん について
5
大正九 。二・ 二一〜平成十六・十二・二六。詩人。東京都港 区赤坂 の生れ。仁 、すみの 長女。父 は薪炭 商。 母 には 四歳 の とき死別。 その後 、つ ぎの母 もまたつ ぎの母 もや がて死 に、四度 日の母 を迎 える とい うす こ し複雑 な家庭 に育つ。小学生 の ころか らだれ に教 わる ともな く少女雑誌 に詩 を投稿。家計ためではな く、早 く社会 に出て 自立 したい とい う意欲 か ら、高等小学校 を卒業 して昭和
9年
に 日本興業銀行 に勤務。以後、戦争 をは さんで長 く 同 じ職場 にあ り、独身 を守 る。 こ うした じみで堅実 な生活 の持続 か ら、 自己を支 えて くれ る と同時 に苛む社会や家庭へ の鋭 い批判 を含む ところの、人 間へ の温かいいたわ りの詩が 生 まれた。 それ は認識 のゆ とりか らくるユーモ アを ときに漂 わせ る、残酷 な 日と優 しい心 の独特な結びつ きによるもので、そ うした女性 の詩 が 自分 の職場 の組合新 聞や、金融機 関 の組合連合 の年刊 ア ン ソロジー『 銀行員 の詩集』 を通 じて、昭和二十年代半 ばごろか ら頭 角 を現 したのはい か に も戦後 的で あった。 ところで、戦争 中の彼 女 の文学的 な出発 は詩 と 小説 の試 み を並行 させ た ものである。 昭和一人年、 ある雑誌へ の投稿仲 間十数人の女性 と 同人誌 「断層」 を創刊 し、民衆派 の詩人福 田正夫 の指導 を仰 いだが、その前後 の時期 の彼 女の詩 よ りはむ しろ庶 民的で写実的 な短篇小説 に腕 を示 し、それ はあ とか らふ りかえると、ま るで戦後 に リア リズムの詩 を開花 させ る運命 的な準備 を していた よ うに見 える。戦後詩 人の 中で も、散文か ら詩へ の道 を、敗戦 の解放的な面 を通 じてた どつた経歴 は異数だろ う。
石垣 りん 自筆年譜
6
1920(大正9)年2月 21日
父仁、母すみの長女 として東京赤坂 に生まれ る。家族 は他 に 祖父弥人 、祖 母 さく。 家業薪炭商。
1922(大正 10)年 2月
弟 達雄生 まれ る。
1923(大正 12)年 9月
関東大震 災。
1924(大正 13)年 1月
妹 さく生 まれ る。3月
母すみ死去。前年 の震災時、子供 をかば つて落 ちて来た梁 を背 に受 けたのが病気 の原 因 とい う。生 まれ たばか りの妹 さくは、静岡 県伊豆 の母 の実家 に預 け られ る。
1925(大正 14)年
仲之町小学校付属幼稚 園 に入 園。一人 で通 えず 、祖母 と弟 が弁 当持参 で付 き添 つた とい う。
1926(大正
15。
昭和元)年
仲 之町小 学校入学。学校 へ行 くのがいや で泣 いて困 らせ た記 憶が ある。4月祖母 さく急逝。
5日本近代文学館『 日本近代文学大事典
第一巻』
(1977)
6小り抄録。田啓之『現代詩手帖特集版
石垣 りん』(2005)思潮社 より抜粋。 (1998年 4月以降編集部補足)
講談社
清岡卓行
pp.92‐
93よ「石垣 りん自筆年譜」
pp.220‐
2221927(昭和
2)年
9月父 亡妻 の妹 き くと再婚。
1929(昭和
4)年
7月母 き く死去。
1930(昭和
5)年
父、千葉 県か ら妻すづ を迎 える。1931(昭和
6)年
2月妹初江生まれ る。
1932(昭和
7)年
赤坂 高等小学校入 学。放課後氷川 図書館 によく通 う。詩集 を読み、詩 を書いて作文 の時間に提 出 した りす る。1933(昭和
8)年
妹蔦子生 まれ る。1934(昭和
9)年
4月日本興業銀行 に事務見習 として就職。就職難 の時代 に、初任給
18
円昼食支給 は好 条件 で あつた。 勤 めの余暇 を投稿 (「少女画報」「女子 文苑 」)に
専念す る。当初 のペ ンネー ムは、夢路 りん子、御 空 ゆき、青空美加。
1935(昭和 10)年 3月
弟利治生 まれ る。
1936(昭和 11)年 5月
妹初江、千葉 県の伯父夫婦 の養女 とな る。6月
妹 蔦子急逝。
1937(昭和 12)年4月
父 、すづ と離婚。
1938(昭和 13)年 1月
父妻 隆子 を迎 える。妹 さく伊豆か ら戻 る。4月
文書課事務員 に なる。11月
投稿誌 「女子分苑」 の詩 の選者 の福 田正夫 の指導 を得 て女性 だ けの雑誌 「断 層」 を創 刊、 同人 13人。
1940(昭和 15)年 5月
調査部へ異動。
1941(昭和 16)年
1月
「女子分苑」に短篇 「荷」を発表。9月 「女子分苑」「断層」に 合併。12月太平洋戦争開戦。
1942(昭和17)年 5月
千葉県ですづ死去。10月
妹 さく入院先の伊豆松崎で死去。
1943(昭和18)年 5月
「断層」に短編 「幕張行」発表。7月
弟達雄出征。11月 「断層」
終刊。
1945(昭和20)年 5月
空襲で家屋全焼。当夜、祖父は伊豆に、弟利治は学童疎開で留守。
父母 と
3人
残 つていたが身体無事。数 日間防空壕で過 ごした後、父母は品川の知人宅へ避 難。約 lヶ 月伊豆に滞在、7月 、帰京 して銀行の女子寮に入 る。8月敗戦。品川の路地裏
にある10坪ほどの借家に、分散 していた家族6人が徐 々に集まる。
1946(昭和 21)年
職場では 「行友会誌」「行友ニュース」少 しお くれて 「組合時評」等 が発行 され、随時詩その他 を載せ る。
1948(昭和
23)年
詩誌 「銀河系」同人に参カロ。「峠」「それ を見るのは」「この世のなか にある」「0」
を発表。1950(昭和25)年 4月
職員組合執行部常任委員になる。任期半年。 メーデーに初参加。
6月
朝鮮戦争勃発。 レッ ド・パージも始まっている中で、委員会は緊迫、活気に満ちてい た。7月
詩誌 「時間」同人に参加。1年足 らずで辞す。
1951(昭和26)年アンソロジー『銀行員の詩集』(1951年版
)全
国銀行従業員組合連合会 刊行。選者壺井繁治、大木惇夫両氏。「原子童話」「用意」「白いものが」「よろこびの 日に」4篇収録 され る。『 銀行員の詩集』は以後年1回選者 を替えて計 10冊刊行。
1952(昭和 27)年
『銀行員の詩集』(1952年版
)伊
藤信吉、野間宏両氏により「祖国」「私の前にある鍋 とお釜 と燃 える火 と」ほか2篇選ばれ る。4月
考査部へ異動。
1953(昭和28)年 4月
祖父弥人死去。
1954(昭和29)年 10月 よ り翌年 3月 まで職員組合執行部常任委員。
1957(昭和32)年 12月
父仁死去。
1958(昭和33)年 11月
椎間板ヘルニアにて慶應病院整形外科 に入院手術。化膿 して後 三回手術 を受ける。
1959(昭和34)年4月
退院、銀行の鎌倉腰越寮にて 8月 末まで療養。9月
復職、業務 部に配属 され る。12月
第一詩集『私の前にある鍋 とお釜 と燃 える火 と』書肇ユ リイカよ
り刊行。快気祝いの品物 として配 る。
1960(昭和35)年『銀行員の詩集』1960年版 にて終刊。
1965 (日召和40)年 「
I歪
程」同ノ、に参力日。1966(昭和41)年 4月
経営研究部へ異動。
1968(昭和43)年 12月
詩集『 表札など』思潮社刊。
1969(昭和44)年『表札な ど』第19回
H氏
賞受賞。1970(昭和45)年
東海テ レビ制作 ドキュメンタ リー 「あやまち―一九七〇年夏・四 日市」
に詩 を書 く。 11月
大田区南雪谷アパー トに引越す。一人暮 らしとなる。
1971年
(昭
和46)年 7月行友会事務室へ異動。12月
『 現代詩文庫46 石垣 りん詩集』
思潮社刊。第一、第二詩集 の全詩及び 「構成詩 あやまち」、未刊詩篇等 を収録。
1972(昭和47)年『石垣 りん詩集』第12回田村俊子賞受賞。4月
管理部所属 となる。
(株
)興銀データサー ビス出向。
1973(昭和48)年 2月
散文集『 ユーモアの鎖国』北洋社刊。
1974(昭和49)年 4月
母隆子死去。
1975(昭和50)年 2月 20日 、 日本興業銀行 を定年退職。
1979(昭和54)年 5月
詩集『 略歴』花神社刊。第4回地球賞受賞。7月
妹初江、千葉 県の婚家先で死去。
1980(昭和55)年 3月
散文集『 焔に手をかざして』筑摩書房刊。
1981(昭和56)年 5月
『 ユーモアの鎖国』講談社 より再刊。11月
編著『 家族の詩』
(詩
のお くりもの3)筑
摩書房刊。1983(昭和58)年 9月
『 現代の詩人
5
石垣 りん』中央公論社刊。1984(昭和59)年 4月
詩集『 や さしい言葉』花神社刊。
1987(昭和62)年 11月
詩集『 略歴』石垣 りん文庫 3と して再発行、花神社刊。12月
文 庫『 ユーモアの鎖国』筑摩書房刊。石垣 りん文庫 4『や さしい言葉』花神社刊。
1988(昭和63)年 2月
石垣 りん文庫
1『
私の前にある鍋 とお釜 と燃 える火 と』花神社干J。この年 「歴程」同人を辞す。
1989(昭和
64・
平成元)年
2月弟達雄死去。5月
石垣 りん文庫 2『 表札など』花神社
刊。散文集『夜の大鼓』筑摩書房刊。
1992(平成
4)年
9月文庫『焔に手をかざして』筑摩書房刊。10月
編著『詩の中の風 景』婦人之友社刊。 12月
大活字本『 夜の太鼓』埼玉福社会刊。
1994(平成
6)年
12月大活字本『焔 に手をかざして』埼玉福社会刊。
1997(平成
9)年 1月
選詩集『 空をかついで』童話屋刊。1998(平成10)年 6月
文庫『石垣 りん詩集』角川春樹事務所刊。
2000(平成 12)年 3月
『 表札など』10月
『私の前にある鍋 とお釜 と燃 える火 と』童 話屋 より再刊。5月
NHKニ
ュース番組 「おはよう日本」に出演。2001(平成13)年 2月
文庫『夜の太鼓』筑摩書房刊。6月 『 略歴』童話屋 よ り再刊。
2002(平成14)年 6月 『や さしい 言葉』童話屋 より再刊。
2004(平成16)年 6月
月肖梗塞で都立荏原病院へ転院。同所に入園す る弟利治 と再会を果 たす。20日 後、12月 26日 、心不全のため死去。享年84。
2005(平成 17)年 1月 15日
両親の眠る南伊豆町西林寺へ納骨。2月 7日
お茶の水 。 山の上ホテルにて、「さよな らの会」が行われ、お よそ300人の参加者が詩人 を見送 った。
生きた時代について
7
戦前の女性がおかれた立場は現在 とは大きく異な り、女性の労働条件でいえば男性 との 賃金格差や労働 内容の違い、家庭では家父長制な どにみ られ る男性優位 の制度な ど女性の 立場はかな り低いものであった。戦 中は、多 くの女性が戦争の犠牲 にな り、命 を落 として いった。 このよ うな時代か ら女性 の立場が大きく変化 したのは、戦後の民主化政策以後の ことである。
戦後の民主化政策 によ り女性は多 くの権利 を得た。政治の分野では1945年「婦人参政権」
を認 めることにより、男女の平等は法によ り定められた。社会的分野においては、「労働基 準法」により、戦前にみ られた女性労働 の劣悪な環境は改善 された。 しか し、 この法律は
「女性は保護すべき弱者」 とい う立法担当者たちの思い込みによつて、女子保護規定 しか 見えない立法であつた。そのため女性の健康維持のためには役割 を果た したが、女性が労 働 の場において一人の人間 として、男性 と同 じよ うに働 くとい う点において、欠陥を持つ た立法 となつた。社会の女性 に対す る考え方 として、社会における女性の責任 は家庭 を守 ることにあるとい う考 えが労働基準法に反映 していた とい うことも男女平等の雇用条件に 達す ることができなかった要因である。
1954年か ら高度経済成長期に入 り、女性の就学率 。進学率が上昇 したことによつて、女 性労働者 も増加 していった。そ して、1985年女子差別撤廃条約承認か ら、あらゆる法改正 が行われ、男女の固定的な役割分担 を変え、女性に役割であつた家庭責任は男女が共同で 分担すべきであるとい う考えをもた らした。1990年代か らは世界女性会議で導入 された「ジ
7神崎智子 (2009)『戦後 日本女性政策史一戦後民主化政策から男女共同参画社会基本法ま で』明石書店
参考。
ェンダー」の概念 が、男女平等 を 目指す あ らゆる分野の政策 に取 り入れ られ ることになつ た。
以上 の よ うに、男女 の平等 は戦後 か らの女性政策 に よつて、法律 では整備 され ていつた。
石垣 りんは女性 の立場 が変革 してい く中で、女性 労働者 として社 会 に身 を投 じ、一方 で家 庭 を支 え る立場 で もあつた。制度 的 に変化 してい く女性 の立場 と、石垣 りんが現実 におか れ てい る女性 と しての立場 との差異 は、石垣 りん に とつて詩 を作 る源 になった のではない か。法律上では女性差別か ら角牢放 され、女性 が 自由に生 きることが可能 になった世 の中と、
石垣 りん は家族 を支 えるた めに働 き、家庭 の犠牲 にな らなけれ ばな らなかった状況 との矛 盾 を抱 えなが ら詩 を書いた ので ある。
第2章
教科書掲載作品についての考察
教科書掲載作 品一覧
年 出版社 教科書 単元
>表題 作 品
1982
筑摩国
Iことば と社会 >私 の 自叙伝 挨拶―原爆の写真によせて
筑摩国
Iことばと社会 >私 の 自叙伝 挨拶―原爆の写真によせて 1988 筑 摩 国
Iことば と社会 >私 の 自叙伝 挨拶一原爆の写真によせて
三省堂 現 国
①崖
三省 堂
国 Ⅱ
① 崖1986
三省 堂国 Ⅱ
① 崖三省堂 国 Ⅱ
①崖
1992
三省 堂国 Ⅱ
①崖
1996
三省 堂現 文
現代詩 崖2006
三省 堂国 総 詩
崖大修館 現 文
現代 の詩崖
1995 大修館 現 文 詩 歌 崖
1973
筑摩 現 国ことばの働 き
>美しいことば とは
崖 筑 摩現 国 ことばの働 き
>美しいことば とは
崖1979
筑 摩現 国
こ とばの働 き>美しい こ とば とは 崖1982 筑 摩 国
Iことば と社会 >私 の 自叙伝
崖筑 摩 国
Iことば と社会
>私の 自叙伝 崖
1988
筑 摩国
Iことば と社会 >私 の 自叙伝 崖
筑 摩
国 総 詩
崖1998 桐 原 国
I詩
崖桐 原
国 総 詩
崖第 一
現 国 詩 感 想
第 一 現 国 詩
感 想学 図 現 文 詩 >詩 のこころを読む
くらし1982
筑摩国
I こ とば と社会>私
の 自叙伝くらし 1985
筑 摩国
Iことば と社会 >私 の 自叙伝 くらし
筑 摩 国
Iことば と社会 >私 の 自叙伝 くらし 角り
││国 Ⅱ
人間 を見つ めて>詩 >詩
の こころを読む く らし 角川国 Ⅱ 青春の叙情 >詩 のこころを読む くらし
角 川 国 Ⅱ
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1977
光村現 国 詩 子 供
日書 国
I人間を見つめる G寺
) シジ ミ日書 国
I人間を見つめる鮨寺
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国
I 人間 を見つ める儒) シジ ミ東 書
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文 学の方法シジ ミ
1998
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I 詩 の世界 シジ ミ第 一
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I 詩 の世界 シジ ミ第 一
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I 詩 の世界 シジ ミ1996 右 文 現 文 詩
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1982 筑 摩 国
Iことば と社会 >私 の 自叙伝 略 歴
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I こ とば と社 会>私
の 自叙伝 略歴1988
筑摩国
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1983
教 出現 文 随筆
1(詩歌の心
)>詩を書 くことと、
生 きること
私の前にある鍋 とお釜 と燃 える火 と
教 出
現 文 随筆 1(詩 歌の心
)>詩を書 くことと、
生 きること
私の前にある鍋 とお釜 と燃 える火 と
教 出
国 Ⅱ 詩 >詩 を書 くことと、生きること 私の前にある鍋 とお釜 と燃 える火 と
旺文社 現 国
詩>詩
を書 くことと、生 きるこ と私の前にある鍋 とお釜 と燃 える火 と
旺文社 現 国 詩 >詩 を書 くことと、生きること 私の前にある鍋 とお釜 と燃 える火 と
1992 第 一 国 Ⅱ 現代文編・表現編 >詩 を味わ う 私の前にある鍋 とお釜 と燃 える火 と
第 一国 Ⅱ 現代文・表現編 >詩 を味わ う 私の前にある鍋 とお釜 と燃 える火 と
・阿武泉 (2004)「 戦後高等学校 国語教科書デー タベース」
。文部科学省ホームページ 「教科書 目録」
httpソ
/www.mext.go.jp/a menu/shotou/1cyoukasho/mokuroku.htmよ り抄録。11
本章では過去 か ら現在 に至 るまでの教科書 において石垣 りんの作 品が多 く取 り上 げ られ て きた こ とを概観 した うえで、ジェンダー についての問題 を学ぶための教材 として今 日的 価値 があると考 え られ る作 品 を取 り上 げて、それぞれ の詩 について考察 してい く。
第 1節
「私の前にある鍋 とお釜 と燃 える火 と」
「私の前にある鍋 とお釜 と燃 える火 と」は、第一詩集『私の前にある鍋 とお釜 と燃える 火 と』の表題 にもなっている石垣 りんの代表作の一つである。
台所で働 く女性たちを描いた詩であ り、家事を行 うことと同様に愛情 を持つて社会に出 ていこうとす る姿勢を示 し、女性の社会進出を世間に認識 させ よ うとす る′点で、当時革命 的な詩であつたことだろ う。「私の前にある鍋 とお釜 と燃 える火」は 「私たち女」の前に長 い間置かれてきたものであつた。それは、母や祖母 さらにその母たちへ と劫初か らうけつ がれてきた とい う事実が長い歴史のなかで存在 している。家事は女性が行 うものであると い う男女の役割分担が歴史的に作 られてきたことは否定できない事実である。 しか しこの 詩では、女たちが家事を行 うのは、強制 されて行 うものではな く、家族への愛情の表れ と して行つてきたのであると表現 している。私たち女の前には 「いつ も幾た りかのあたたか い膝や手が並んでいた。」つま り、女たちの子 どもや夫やその他身内 とい う愛情の対象が存 在 し、その人たちへの愛情がなければ、女たちは 「いそいそ と炊事など」をこんなに長い 問繰 り返す ことはできなかつた と述べている。
女性が行 う炊事は家族への愛情ゆえに「無意識なまでに 日常化 した奉仕の姿」であった。
女が炊事などを行 うことが歴史的に続いたことにより、当た り前のこととして捉 えられる よ うにな り、無意識に 日常化 した とい うことではなく、家族への深い愛情によつて無意識 に 日常化 し、 自分の利害に関係 な く家族に愛情を注ぎ、尽 くしたのである。そのような考 え方に基づ くことによつて、炊事などの労働が女性の役割 として担われてきたことは決 し て不幸なことではない と女性に認識 させたい とい う意図がこの詩か ら読める。女性の労働 は社会的に低い地位にあ り、政治や経済や文学に劣 ると考えられ、女性 自身 も自分の労働 に対 して劣等感 を持ちなが ら行 つてきた。 しか し、この詩によつて、まずは女性の考え方 か ら覆す ことによつて、家庭 に縛 られなが ら生きてきた女性たちを解放 しよ うとしたので はないだろうか。
そ して、女性は今か ら社会に進出 しても遅 くはない と主張す る。「私たちの前にあるもの は
/鍋
とお釜 と、燃 える火 と」の後に続 くものは、「幾た りかのあたたかい膝や手」である。女性たちは家族への愛情の表れ として炊事を行い、家を支えてきた。同 じよ うに愛情を持 つて政治や経済や文学を勉強 し、これか らは家族のためだけではな く人間のために役立つ 労働 をしようとい うのである。「お ごりや栄達のためでなく」 とは、つま り今まで男性が社 会的権力や地位 を得 るために労働 をしてきたことを表 していると考 えられ るが、女性は男 性のように自分 自身の地位 を得 るためでなく、今まで行つてきた炊事な どの労働 と同様に、
12
人間へ の愛情 を持 ち、利 害 に関係 な く労働す ることの価値 を述べ た。男女の違 い に関係 な く、 どの よ うな労働 において も社会的地位 向上 のためや私欲 を満 たす た めだ けの労働 には 価値 はな く、人 間のた めに行 われ る労働 に価値 を見出 してい る。
石垣 りんは この詩 を書 いた経緯 を 「詩 を書 くことと、生 きるこ と」 の中で次 の よ うに表 現 してい る。
「戦後、女性 は解放 され、男女同権が唱え られ。結成 された労働組合 の仕事な どもいた しま したが。世間的な地位 を得 ることだけが最高に幸福 なのか、今迄の不 当な差別 は是非 撤廃 して もらわなけれ ばな らない けれ ど。男 たちのす でに得 た ものは、 ほん と うに、すべ て うらやむに足 りるものなのか。女の して来た ことは、そんなにつま らない ことだつたの か。 とい う疑いを持 ち続 けていたので、職場の組合新 聞で女性特集号 を出すか ら、 と言 わ れ た とき、書いたのが次の詩 で した。」θ
この文章に表れてい る思いが 「私 の前 にある鍋 とお釜 と燃 える火 と」 とい う詩 に表れた のだ ろ う。石垣 りん 自身社会 で高い地位 を得 ることになんの意味 も感 じてお らず、出世す るた めの努力は何 も して こなかった と書いてい る。戦後、男女の平等が うたわれ るよ うに な り、働 く女性 の立場 が確保 されてきたのは確 かである。 しか し、 これ まで男性が得てき た よ うな世間的な地位 を得 ることが必ず しも幸福 とは言 えない。 その地位 を得 るために ど れ ほ どの労働 を重ね、家庭 を犠牲 に してきたのか。本 当の幸福 とは何 なのか を考 え させ ら れ る作品である。
今 日の私た ちの生活 に この詩 を当てはめて考 えてみたい。 この詩 が書 かれ た時代 か ら変 化 し、女性 の労働 は家庭 か ら社会へ と移 り変 わ り、多 くの女性 労働者 が社会進 出を果た し てい る。 しか し、まだまだ多 くの家庭 において炊事な どの労働 は母親 が行 うものであると い テ性別役割分担が根 強 く残 うてい るのではないだろ うか。家事 とい う労働 の価値 を見出 した ところで、本 当に女性 た ちは救われ るのか。本 当の幸福 を手 に入れ ることは可能であ るのか。私は今 も歴史的な女性へ の固定観念が根強 く残 り、無意識 の うちに受 け継 がれて い く現実 を見逃す ことはできない と考 える。
第2節
「崖」
太平洋戦争 中に、ア メ リカ軍 と 日本軍 の激戦 が繰 り広 げ られ たサイパ ン島
9を
舞 台 に、女 性 た ちの悲劇 を描 く作 品で あ る。 アメ リカ兵 に よる投 降勧 告や説得 に応 じず 、バ ンザイ ク8石垣 りん (1987)『 ユーモアの鎖国』「詩 を書 くことと、生きること」ちくま文庫 p.165 より抜粋。
9北マ リアナ諸島の南部の島。アメ リカ合衆国 自治領。太平洋戦争 中1944年 6月 15日 ア メ リカ軍上陸か ら、
7月
9日アメ リカ軍のサイパン島占領声明までの約1か月間続いた、サ イパン島の戦いの舞台。多 くの 日本人兵士や一般市民が断崖か ら飛び降 り自決 した。サイ パン島の戦いで 日本軍はほ とん どが戦死、戦火 に倒れた市民は1万人を越 えた とみ られて いる。児島襄 (1966)『太平洋戦争(下 )』
中公新書 pp.174‐222参考。13
リフ と呼ばれ る断崖絶壁 か ら日本兵や 民間人が 「天 皇陛下、万歳」 と叫び なが ら身 を投 じ て 自決 した史実は、現在 で も映像 として残 るほ ど衝撃的な出来事であつた。
この詩 は戦争 の犠牲 になつて死んでいった女性 と戦後の現代 に生 きる女性 とを関連づ け て考 えることのできる詩である。
女たちは 「美徳や ら義理や ら体裁や ら何や ら。火 だの男 だのに追いつ め られ て。」崖 に身 を投げた。 この時代 は 自ら天皇のために命 を ささげ、敵の捕虜 になるくらいな ら自殺 した ほ うが良い とす る美徳。天皇の命令 は絶対守 らなけれ ばな らない ものである とい う義理。
実際 に 「万歳突撃」 とい う日本軍兵士 による玉砕 覚悟 の突撃が行 われ た。 そ して世 間的 に みて、当時の美徳や義理 に反 した行動 はできない とい う体裁。「火 」 は戦火 で あ り、「男」
が表す ものは 日本人兵士たちを含 め、その頂点に立つ天皇の存在 であろ う。 このよ うに女 性 たちは多 くの権力や社会的体裁 な どに身 を追 われ て、選択肢 を失 い、死 ぬ しか行 き場 が な くなって しまった。 同様 に戦後 の社会 にも美徳・義理・体裁 が存在 し、女性 たちは強大 な権力にあ らが うことができないために、社会か ら身 を引かなけれ ばな らない状況が多 く あったに違 い ない。詩 の中で『
(崖
はいつ も女 をまっ さか さまにす る)』
と表現 してい るよ う に、現在 も過去 も未来 も崖 はいつ も女 を苦 しめる。 この詩 の 「崖」は、サイパ ン島のバ ン ザイ ク リフで あるこ とに加 えて、窮地 の よ うなぎ りぎ りの状況 を示 し、女性 は窮地 に立たされた とき、自分 の身 を犠牲 にす る しかない ことを表す。過去 に さかのぼる と、『 平家物語』
10に
描 かれ る壇 ノ浦 の戦 いで、源 氏軍 と平氏軍の合戦 のなか、平氏が壊滅状態 にな り、平氏 の敗北を悟 つた平氏一 門の女性 たちは次々に海 の中に身 を投 じた とい う。武士 とい う男性 社会 の権力争 いに巻 き込 まれ 、死 んでいった女性 た ちはサイパ ン島のバ ンザイ ク リフの女 性 たち と同 じ状況 にあつた とい える。 戦後 では、女性 の進学率 が高ま り、女性 労働者 が増 カロす るこ とになった。 しか し、企業 に とつて女性 が長 く社会 に残 るこ とを必要 としてい な かったた め、女性 の早期退職制度11な
るものが存在 し、女性 は結婚 して家庭 を持つ と仕事 を や めなけれ ばな らない とい う状況 に立た され ていた。戦 中の 「天皇」 に象徴 され る、絶対 的権力 がその後 の社会 に も存在 していたので ある。最後 の第4連では 「それ がね え」 とい う日常会話 の中に含 まれ る 日調 か ら始 ま り、llT話 をす るかの よ うな言葉 か ら入 るこ とに よつて、読み手 の意識 を最後 の言葉 に向ける効果 が ある。「まだ一人 も海 に とどかないのだ」戦争 とい うものの犠牲 になつた女の死が無意味な ものであ る とい うこ と、海 とい う救いの地 にも届 くこ とができない女 の無念 さを表 し、戦 争 か ら15年の時が過 ぎて もなお、女性 たちの立場 は変わつてはいない とい う語 り手の主張 がみ られ る。
大 きな権力や絶対的な権力 は今 日の社会 にも存在 してい るのではないだろ うか。人々は
10冨 倉徳次郎 (1975)『鑑賞
日本古典文学
第19巻
平家物語』杉本圭二郎 「平家物語
に 現 れ た 女 ̀性 」 pp.440‐
448参考 。
11神崎智子
(2009)『
戦後日本女性政策史―戦後民主化政策から男女共同参画社会基本法まで』明石書店 pp.209‐210
14
その権力 に逆 らうことがで きず 、問題 を抱 えてい る。権力 の中に統治 され てい る人間もそ の こ とに気付 かず、 自分が犠牲 になることに何 の疑間を抱 かない。戦 中で天皇のためな ら 身 を ささげるこ とをい とわず 、む しろ天皇のために死ぬ ことができて万歳 とい うよ うな考 え方 と同様である。昔か ら重視 されてきた美徳や ら義理や ら体裁や らに意味があるのか、
それ は大 きな権力 が都合 のいい よ うに作 つてきた ものではないだろ うか。 そのよ うなもの を鵜呑み に して しま うことの危機感 を伝 え、生 きてい くうえで私たちが正 しい選択ができ る環境 にあるのか、 とい う問題意識 を抱かせ る詩である。
第3節
「シジ ミ」
第2詩集『 表札 な ど』 に収録 された詩 である。短い詩ではあるが、かな り刺激的な詩 で あ り、人間が生 きてい くためには他 の命 を食べなけれ ばな らない とい う命 の孤独感 を感 じ る。
シジ ミとは私たちの生活 にあふれ た食材 の一つであるが、 この詩 の中の 「シジ ミ」は何 か別 の意味を持 つてい るよ うに も感 じられ る。伊藤信 吉は次の よ うに述べてい る。
「私のシジ ミ連想 は味Π曾汁 くらいの もの、平凡 だ。 そのシジ ミは鍋釜 の台所 に もあつた にちがい ないが、冬のひ と り寝 の台所 におかれた この詩の貝は、 もはや鍋釜 の熱 い味Л曾汁 とは別 だ。その貝の小 ささは凝縮 したいのちの何かを象徴 してい る。 それ は石垣 りんの生 の寂蓼感 の寓意的化身 に他 な らぬだろ う。」″
ひ と り寝の夜 に同 じ家の中に生 きた ものが存在す る。静ま り返 つた家 の中で、生 きたシ ジ ミの立てる音 に夜 中 目を さます。 しか し、夜 中に生 きていたシジ ミも朝 になれ ば料理 さ れ て、「私」が食べて しま う。「寝 るよ りほかに私の夜 はなかつた。」つま り、生 きたシジ ミ を逃 がす こともできず、ただシジ ミを食す る朝 を待つ しかない。 その孤独感 を詠 つてい る のである。
「夜が明けた ら
/ド
レモ コ レモ/ミ ンナ クツテヤル/」
と笑 う鬼ババ は よく昔話 に出て くる存在 であ り、 山の中に来た者 を襲 って食べ るとい う山姥 な ど恐 ろ しい存在であること は知 られ てい るこ とで ある。 ここで注 目したいのはなぜ途 中でカタカナ表記 に変わつたの か。 それ は 「私」が言お うとしてい ることが鬼ババ と同 じであるこ とを 「私」が認識 して しまったか らである。恐 ろ しい鬼ババ と同 じよ うに 「私」 は生 きた ものを食べ続 けなけれ ばな らない。「鬼ババ の笑い を/私
は笑つた。」 と描 いたのは、人間を食べ ることによつて 生き続 けてい る鬼ババ のよ うな恐 ろ しい存在 と同 じく、人間 も生 きる物 を食べなければ生 きることがで きない存在 であることに気付 き、嘲笑 してい るよ うである。 しか し、そのこ とに気付 いた ところで何 をす るわけではな く、眠 りについて明 日を迎 え、「シジ ミ」 を食べ なけれ ばな らない、 ど うしよ うもできない孤独感 を表 してい る。2小田啓之『現代詩手帖特集版
石垣りん』(2005)思潮社
伊藤信吉「作品鑑賞として一
『表札など』」p.200よ り抜粋。
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「うつす ら口をあけて」寝 る 「私」は、「台所のすみで/口 をあけて」明 日食べ られ ると も知 らず に生 きてい る 「シジ ミ」 と同 じよ うに表現 されてい る。人間に食べ られ る弱者 と しての 「シジ ミ」 と変わ らない 「私」の行動が表す意味は、「私」 も 「シジ ミ」 と同 じよ う に人 間社会に生 きる弱者 であ り、社会 の権力や強い ものの犠牲 にな る存在である とい うこ
とを示 してい るのではないだ ろ うか。
この詩 は人間が生 きてい くとい うことが他 の生命 の犠牲の上 に成 り立ってい る とい うこ とを認識 させ る。 さらに、人 間 も人間の犠牲の上 に立って生 きてい るとい うことを考 え さ せ られ るのである。