ペルー南部における海岸と高地の交流
著者 増田 昭三
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 5
号 1
ページ 1‑43
発行年 1980‑03‑30
URL http://doi.org/10.15021/00004530
増 田 ペル ー南部における海岸 と高地の交流
ペ ル ー南 部 に お け る海 岸 と高 地 の交 流
増 田 昭 三*
Interregional Relationships in Southern Peru: Maritime Activities of Highlanders in Three Southern Departments of Arequipa,
Moquegua and Tacna
Shozo MASUDA
One of the remarkable characteristics of Central Andean cul- ture is the way in which diverse ecological zones are controlled vertically by various social groups, thus leading to the formation of effective interregional mechanisms of social and political control.
This concept of "vertical control" has been discussed by ethnologists and historians since it was first advanced by John V. Murra.
Vertical control implies not only the maximum utilization of different ecological zones by agrarian producers, but also barter and trade among regions. In the Central Andes pastoralists apparently played a major role in the latter aspect. An ethnological investiga- tion conducted by the author in 1978 revealed that the traditional way of bartering among pastoralists and peasants is still practiced in some parts of Southern Peru, despite the recent penetration of the market economy into the region.
However, more significant in terms of interregional contact is the activities of the highlanders of Arequipa, Puno, Ayacucho and similar places, in the coastal areas of Southern Peru. Those high- land people, mostly with agricultural backgrounds, descend en masse from their homelands during certain times of the year to work as day laborers in such rice-producing regions as Ocoria, Camana- Majes, Quilca, as well as to engage in macha and camaron hunting.
The bulk of aquatic products are transported to the large cities, but some are dried and taken to highland villages by merchants and pastoralists.
Particularly interesting is the collection of a seaweed (known locally cochayuyo) by those highlanders who seasonally come down
*東 京大学教授 ・国立民族学博物館併任教授
国立民族学博 物館研究報告 5巻1号
to the coast. From Lomas of Ica Department to Atico and beyond, temporary settlements of the cochayuyeros appear each year between August and December. The seaweed is dried and sold to merchants or bartered with jerked meat of llamas which pastoralists bring, and is circulated quite extensively throughout the highland.
It is significant that what is called cochayuyo in the south is of the genus Porphyra, whereas in the north is of the genus Gigartina.
Another kind of cochayuyo is obtained from freshwater. It has several local names, such as cushuro and murmunta, and is also favored by the highlanders.
There is a recent and growing interest among archaeologists in the "maritime foundation of Andean civilization". But the importance of maritime products must be emphasized also in the context of contemporary ethnography. Clearly, marine activity can be regarded as one of the important items of "vertical control"
practiced by the highland people of the Central Andes.
1.研 究 の前 提
1.文 化 領 域 と して の中 央 ア ンデ スの 特質 2.戦 略 的 仮 説 概 念 と して の̀垂 直 統 御' 3.方 法 を め ぐって
4.ペ ル ー南 部 に お け る1978年 度 の 民族 学 ・調 査
11.ペ ル ー南 部 に お け る海岸 と高 地 の 交 流 1.ペ ル ー南 部 海 岸 地 方 の地 理 学 的 特徴
2.調 査 の 発端 3.高 地 民 と海 岸 地 方
4.高 地 民 の海 岸 低地 に お よぷ 商業 活 動 と 出か せ ぎ
5.高 地 民 の海 岸 地方 に お け る漁撈 活 動(1) 6. コチ ャユ ー ヨ と ク シュ ロ
7.高 地 民 の海 岸 地方 にお け る漁撈 活 動(2)
& 高原 の牧 民 と海岸 地 方
1.研 究 の 前 提
1.文 化 領 域 と して の 中 央 ア ンデ ス の 特 質
中央 ア ンデ ス は,周 知 の よ うに 比 較 的 幅狭 い経 度 間 に,は げ しい高 度 差 その 他 の 因 子 に よ って生 ず る 自 然環 境 の 大 きな 差 異 が 存在 し,そ のた め人 間 の適 応 と文 化 形 成 の 様 式 が,地 域 ご とに大 きな 多 様 性 を 示 して い る のが 特 色 で あ る。 この よ うな中 央 ア ン デ ス の生 態 学 的 条 件 と地 域 文 化 の 多彩 な様 相 は,古 くか ら多 くの学 者 に よ って論 ぜ ら れ,さ ま ざ ま な分 類 基 準 が これ に適 用 され て きた 。 常 識 的 な 次元 で も,海 岸 ・山地 ・ モ ン タニ ャcosta, sierra, montanaの 三 区 分 は 中央 ア ンデ スの 住 民 の 思考 の前 提 に 置
増 田 ペルー南部にお ける海岸 と高地の交 流
かれ て お り,ま た局 地 的 に は各 地 域 の住 民 に よ って,さ らに こまか い分 類 が 日常 生 活 や 生 業 活 動 にお い て 用 い られ て い る(本 号 大 貫 論 文 参 照)。 そ して,専 門 の学 者 の分 類 と して は,ブ ル ガ ル ・ビダ ル[PuLGAR VIDAL 1946],ト シ[rosI l 960],ト ロル [TROLL 1958]等 に よ る分 類 が と くに有 名 で あ る。 い ず れ にせ よ,環 境 の 多 様性 と そ れ に対 応 す る人 間 の 適応 の 多様 性 と は,自 明 の理 な ので あ る。
と こ ろが 反 面,中 央 ア ンデ ス に お いて は,全 地 域 を一 貫 した 文 化 的 統一 性 と い う も の が,た しかに あ る よ うに感 ぜ られ る。 人 間 の生 活 様 式,習 俗,言 語,思 考 形 式,価 値 観,世 界 観,民 話,伝 承 な ど 多 くの側 面 に わ た って,中 央 ア ンデ ス の住 民 は基 本 的 要素 を共 有 し,同 一 構 造 の 文 化 の 型 が,地 域 間 にお け る生 業,経 済 的 適 応 の 多 様 さ に もか か わ らず厳 然 と して 存 在 して い る よ うに思 わ れ るの で あ る。 そ もそ も中央 ア ンデ ス とい う地 域概 念 は,同 時 に文 化 領域 概 念 で もあ って,そ の等 質 的 文 化 的 特徴 は,そ の 地 域 の 人 々に と って,こ れ また 自明 の理 で あ る と言 え る。 多様 性 に もかか わ らず 存 在 す る統 一 性,ま た統 一 性 に もか かわ らず そ の 内部 に認 め な くて はな らな い多 様 性 は,
中央 ア ンデ ス の 本質 的 な生 態=文 化 的特 質 の 構 造 の 二面 を示 す もの で あ り,も し 中 央 ア ンデ スの 文化 形成 お よ び 文化 的 特 徴 を と らえ よ うとす る と き,そ の よ うなふ たつ の 面 の い ず れ を も無 視 しな いで 現 象 の分 析 を お こな わ な い か ぎ り,そ の 本 質 的 な文 化 構
造 は理 解 しえ な い で あ ろ う。
以 上 の よ うな 見 地 か ら見 る と,従 来 の 中央 ア ンデ ス の 文化 の民 族 学 的 研 究 に は,大 きな欠 陥が あ った よ うに 思 わ れ る 。民 族 学 の 研 究 が,社 会 全体 の動 態 や機 能構 造 よ り も,規 模 の小 さ い地 域 社 会 の 直 接 観 察 に基 礎 を お く以 上 当 然 と言 え る か も しれ ない が, これ まで 中央 ア ンデ スで お こな わ れ て きた研 究 は,同 地 域 の 生 態 学 的条 件 や文 化 的 適 応 の 多 様 な 諸相 の一 カ ス ス に集 中 す るあ ま り,文 化 の 全 体 的 統 一 性 と研 究 の対 象 に な った 特 定社 会 の結 び つ きに つ いて 考 察 され る こ とが ほ とん どな か った 。 そ して そ の反 面,中 央 ア ンデ スに 文 化 的 統一 が 存在 す る こ とは,当 然事 と して 前 提 され,そ の 統一 性 の具 体 相 や 構 造 につ い て 論 ぜ られ る こと は,ほ とん どな か った ので あ る,。この点で,キ ル ヒホ ッフ が規 定 して 以 来,多 くの民 族学 者 に よ って 考 察 の 対 象 と され,き た え られ て
きた メ ソ ア メ リカMesoamericaと い う概 念 に く らべ て,中 央 ア ンデ ス とい う文 化 領 域 概 念 の 内 容規 定 は,は な はだ 漠 然 と して いた と言 わ な くて は な らな い[KIRCHHOFF
1952]。
多 様性 あ る統 一 とは,中 央 ア ンデ ス に限 らず,他 の文 化 圏 にお い て もあ りう る特 性 で あ る。 た とえ ば,地 中 海世 界 の 文化 と か,東 ア ジア の文 化 な ど に も,そ の よ うな性 格 が た しか に認 め られ る と言 って よ い 。 しか し文 化 領 域 と して の 中央 ア ンデ ス を特 色
国立民族学博物館研究報告 5巻1号 づ け る もの は,そ の 多様 な る相 の 間 に見 られ る振 幅 の 大 き さで あ り,ま た そ れ に もか
かわ らず 成 立 して い る文 化 的等 質性,共 通 性 の 異 常 な る強 さで あ る。 地 中 海 世 界 の場 合 は,あ くま で地 中 海 と い う共 通媒 体 が あ って,多 様 な る諸地 域 の統 一 性 が 生 れ た の で あ った 。 しか もそ の共 通 媒 体 は,た だ 単 に交 流 や伝 達 の 中だ ちを した だ けで な く,
「地 中 海 性 気 候 」 と地 理 学 上 言 わ れ る風土 の共 通 項 を さ し出 して,各 地 域 に お け る相 似 した 自然条 件 の 併 存 を可 能 に した の で あ った。 東 ア ジ アの 場 合 に は,そ れ と は おの ず と条 件 が こ とな る の は 当然 で あ った が,環 黄 海,環 東 シナ海 の 文化 圏 的形 成 や,
中国 を 中 心 と した東 ア ジ ア の政 治 的統 一,お よび,い わ ゆ る照葉 樹 林 帯 と呼 ば れ る 自 然 条 件 の 普 遍,な どに よ って,文 化 的斉 一 性 が成 り立 つ 構 造 契 機 は 十 分 に存 在 して い た と言 って い い 。 と ころ が 中央 ア ンデ ス の場 合 に は,た とえ ば プ ル ガ ル ・ビダ ル の 分 類 に よ って も,チ ャ ラChala,ユ ンガYunga,ケ チ ュアQuechua,ス ニSuni,ブ ナス Punas,ハ ンカ スJancas,ル パ=ル パRupa=Rupa,ア マ ソ ニ ァAmazoniaの 少 な く
とも8つ の気 候帯 が 峻別 され,そ の そ れ ぞ れ が,た が い に きわ だ って こ とな った 特 徴 を賦 与 され て い る の で あ る[PuLGAR VIDAL 1946:Introducci6n]。 こ の よ う に大 き くへ だ た った 自然条 件 の間 に,文 化 的 統一 が あ らわ れ た の はな ぜ で あ った か。 こ の 問題 の 考 察 に は少 な か らぬ 困難 が と もな って い る。 なぜ な らば,各 地 域 間 の差 異 と多 様 性 を 強 調 す れ ば全 体 の統 一 性 は薄 れ,逆 に普 遍 的 均 質 性 に焦 点 を合 わせ る と,全 体
を構 成 す る個 の 特 質 と独 自性 が ど う して もお ろ そ か に な って しま うか らで あ る。
2.戦 略 的 仮 説 概 念 と し て の̀垂 直 統 御'
以 上 述 べ た,中 央 ア ンデ ス の 多 様 性 の 統 一 を 説 明 す る 有 効 な 原 理 と して プ 最 近 唱 え られ る よ う に な っ て き た の が,い わ ゆ る̀垂 直 統 御'vertical colltrolの 概 念 で あ る [大 貫 1978aユ 。 こ れ は,1562年 の ワ ヌ コ 文 書[ORTIz' DE ZuNIGA l967‑1972]の 民 族 誌 資 料 的 利 用 を 考 察 す る 際 に,ア メ リカ の 人 類 学 者 ジ ョ ン ・ム ラ が 提 唱 し た も の
で あ り[MURRA 1972],そ の 後,中 央 ア ン デ ス の 文 化 的 諸 現 象 を 理 解 す る 上 で,き わ め て 有 効 な 概 念 と し て 多 くの 学 者 に よ って 論 ぜ ら れ て い る[FLoREs OcHoA 1978;
FORM【AN l978]。
垂 直 統 御 と は,中 央 ア ン デ ス に お け る,4,000メ ー トル 以 上 の 標 高 差 に よ って 生 ず る こ と な っ た 自 然 環 境 の 資 源 を 最 大 限 に 利 用 し て 有 効 な エ コ シ ス テ ム を 操 る,政 治 ・経 済 ・社 会 体 系 の 運 用 を 総 称 す る 概 念 で あ る 。 ム ラ 自 身 の 表 現 に よ れ ば,そ れ は 「生 態 学 的 階 床 の 最 大 限 の 垂 直 統 御 」el control vertical de un maximo de pisos ecologi‑
cosで あ り,ま た 「垂 直 的 列 島 の 同 時 的 統 御 」cl contro1 simultaneo dè̀archipie1agos
増田 ペルー南部に おける海岸と高地の交流
verticales"[MuRRA 1975:60】 と も表i現され て い る 。ム ラはい わ ゆ る イ ンカ 。ホ ラ イ ズ ン,ま た は後 古 典 期 か ら植 民 地 時代 初 期 にい た る 中央 ア ンデ ス各地 の社 会 的 統 合 を説 明 す る とき,そ の 生 態学 的,経 済学 的基 礎 にあ る もの と して この概 念 を 提 示 した わ けだ が,同 時 に彼 は この概 念 が,対 象 社 会 の大 小 の別 に かか わ らず有 効 で あ り,ま た イ ンカ ・ホ ライ ズ ン以 前 の先 史 時代 に た い して も,現 在 の民 族 誌 分析 に おい て も適 用 可 能 で あ る と唱 え た[MURRA 1975:61]。 要 す る に垂 直 統 御 とは,中 央 ア ンデ ス の 自然 条件 とそれ に対 応 す る生 態学 的階 床 の多 様 牲 そ の ものを 積 極 的 に開 発 す る こと に よ って,生 活 体 系 を 政治 ・社 会 ・経 済 等 の レヴ ェル に お いて 統 一 的 に編 成 す る人 間 の 努 力 を意 味 し,し た が って 主 体 的 な人 間 存 在 の 表 現 と して と らえ る こと も可 能 で あ って,多 様 な る 自然環 境 が主 体 的 な空 間 構 造 へ と統一 化 され て行 く過 程 に おい て は た ら く原理 と考 え て もさ しつ かえ な い もので あ る。 そ こで垂 直 統 御 とい う概 念 の 中 に は, 多 様 と統一 の 関 連 が ア プ リオ リに 内含 され て お り,わ れ わ れ が最 初 に略 述 した 中央 ア
ンデ ス の特 色 的 な 文化 構 造 を 分析 す る うえ に,き わ めて 大 きな戦 略 的 意 義 を 持 つ もの と考 え られ る。
しか しなが ら,ム ラの言 う垂 直統 御 の概 念 に は,多 分 に あい まい な側 面 も含 ま れ て い る。 極 端 な 高 度差 か ら生 ず る 「きわ めて 差 の大 き い環 境 下 にあ る生 態 学 的 な"島 々"
の 同時 的 統 御」 が,同 一 の社 会 単 位 に よ って お こな われ る こ とは具 体 的 事 例 に よ って 示 さ れて い る とは言 う もの の,そ の よ うな 統 御 の営 為 が,ど の よ うに して そ れ に対 応 す る社 会 システ ム を作 りだ して行く か とい う過 程 の説 明 が,ほ とん どな され て い な い ので あ る。 そ こで,ム ラが具 体 的 事 例 と して あ げでい るチャウピワランカChaupi‑
waranqaの よ うな2,500〜3,OOO世 帯 て い どの 村 落 と,テ ィテ ィカ カ 湖 畔 の ルパ カ' Lupaqaの よ うな2万 を こす 世 帯 よ り成 る首 長制 社 会 の 差 が,垂 直 統 御 の 量 的 拡大 と
して生 ず るの か,ま た は ど こか の段 階 で 質 的 な 転換 が お こ って こ とな った 次 元 の社 会 統 合 が可 能 にな る の かが ま った くあ き らか に され て い な い。 い わ ん や タ ワ ンテ ィ ンス ー ユTawantinsuyuの よ うな全 中央 ア ンデ ス に ま た が る政 治 シス テ ムを ム ラ流 に説 明 しよ う とす る と き,仮 に そ れ を複 数 の 垂 直 統 御 シス テ ムの 統一 と理 解 して み た と こ ろで,そ れ で は そ の よ うな 統一 を可 能 に した 全 体 的 な メ カ ニズ ムは ど の よ うな もの で あ った か,と い う疑 問 が あ らた に生 じて 来 ざ るを得 な い ので あ る。 結 局,垂 直 統 御 と い う概 念 は,中 央 ア ンデ スの 複雑 な現 実 を 分 析 す る た め に,有 効 な 仮説 的 概 念 で はあ る にせ よ,そ の 内容 の 厳 密 な規 定 が まだ まだ 不十 分 で あ る こ とを認 識 して か か らね ば な らな いの で あ る。
国立民族学博物館研究報告 5巻1号
3.方 法 を め ぐ っ て
それ で はわ れわ れ は,ど の よ うに した ら中 央 ア ンデ スの,背 反 的 な側 面 を か か え こ ん だ文 化 構 造 を あ き らか にす る こ とが で き るで あ ろ うか 。
1) まず個 別 的 な地 域 社 会 を と りあ げ,そ の 文化 内容 を 詳 細 に 観察 して,中 央 ア ン デ ス社 会 に関 して基 礎 的 な情 報 を得 る こ とが必 要 で あ ろ う。 この 場 合,従 来 の コ ミュ ニ テ ィ ・ス タデ ィの よ うに,全 体 との 関連 につ い て あ ま り顧 慮 せ ず に 調 査す る ので は な く,た え ず 汎 中央 ア ンデ ス的 な 普 遍 価値 体 系 の 存在 を か た わ らに意 識 しな が ら,そ の コ ミュ ニ テ ィの社 会 組 織,経 済 生 産,政 治 体 系,儀 礼,宗 教,等 につ い て資 料 を集 め,ど の要 素 が 汎 中央 ア ンデ ス的 で,ど の要 素 が 地 域 的特 殊 的 で あ るか を識 別 す る よ うに努 め る必 要 が あ る。 と言 って も,こ の方 法 で 中央 ア ンデ ス のす べ て の コ ミュニ テ ィを調 査 す る こ と は事 実 上 不 可 能 な の で あ る か ら,こ とな った 自然 条 件 下 にあ るい く つ か の コ ミュニ テ ィを選 択 し,そ れ らの 間 の比 較 を お こな う こ とが 有 効 で あ ろ う。
2)つ ぎに,全 中央 ア ンデ スの 地 域社 会 をつ らぬ い て,均 質 性,等 価 性 な どを生 ぜ しむ る に至 った と考 え られ る,コ ミュニ ケ イ シ ョ ンと交 流 の体 系 につ いて 具 体 的 な調 査 を お こな う こ とが 必要 で あ ろ う。 こ こで,ム ラの 「垂 直 統御 」 の概 念 が 有 効 性 を発 揮 す る はず で あ る。 「垂 直 統 御 」 の 実 態 を観 察 す る にあ た って は
a.生 産 に お け る垂直 統 御 b.生 産物 の分 配,流 通,循 環
の ふ た つ の側 面 を区 別 し,そ れ ぞ れ の次 元 に お い て広 域 にわ た る人 聞活 動 が,人 間 間 お よ び コ ミュ ニ テ ィ間 に ど の よ うな接 触 や 交 換 を み ち び きだ す か を記 録 しな くて は な
らな い 。
生 産 に お け る垂 直 統 御 は,し ば しば多 くの 人 間集 団間 に接 触 を 生 ぜ しめ る。 ブ ラ ッ シ ュ は,垂 直統 御 を,圧 縮 型Compressed type,列 島 型Archipelago typeお よ び拡 散 型Extended typeの 三 つ に分 類 して い る が[BRusH 1977:10‑・16],と くに拡 散 型 の 垂 直 統御 の場 合 に人 間 集 団 間 の接 触 と交 流 は多 い だ ろ う[GADE 1975:51‑54]。
ブ ラ ッシ ュの 類 型論 は,ム ラの 垂 直 統御 説 が 出て 以 来 は じめて お こ なわ れ た 分類 で あ り,今 後 具 体 的 事例 に そ く して 検 討 す る必 要 が あ る。
圧 縮 型 は,比 較 的 限定 され た 急 傾 斜 の地 域 内 に 自然 区 分 の 階 床pisOが 連 続 して存 在 し,そ れ が 一 世 帯 な い しは数 世 帯,な い しは ひ とつ の コ ミュニ テ ィに よ って 統 御 さ れ る ケ ー スで あ り,現 在 の 中央 ア ンデ ス に お いて も っと も多 く見 られ る型 で あ る。 そ の性 質 上 自 己限 定 的で,集 団 間 の 接 触 や交 流 と い う点 か ら見 る と重 要 性 は うす い。 し
増田 ペルー南部における海岸 と高地の交流
か し,圧 縮 型 統 御 を お こ な う農 民 が,ブ ナ 面 に お い て 隣 接 す る リ ャ マ,ア ル パ カ の 遊 牧 民 と生 産 に お い て あ る 契 約 を む す び,自 己 の 所 有 す る 家 畜 の 飼 育 を 彼 ら に 委 託 す る
こ と は ・ 友 枝 啓 泰 に よ る ア プ リマ ッ クApurimac県 カ ラ イ バ ンバCaraybambaの 調 査 や,佐 藤 信 行,山 本 紀 夫 に よ る ク ス コCuzco県 マ ル カ パ タMarcapataの 調 査 に お い て も あ き らか に さ れ て い る 。 し た が って そ こ に は,こ と な っ た 社 会 集 団 間 の 交 換 が 生 じ て い る こ と に な る 。
列 島 型 は,利 用 さ れ る 土 地 が 遠 く は な れ,本 来 の コ ミ ュ ニ テ ィ の セ ン タ ー か ら飛 び 地 と し て 統 御 さ れ る 型 で あ る 。 も と も と ム ラが16世 紀 文 書 に よ っ て あ き ら か に した テ ィ・テ ィ カ カ 地 方 の ル パ カ 族,ワ ヌ コHuanuco地 方 の チ ュ パ チ ュChupachu族 が そ の よ う な 垂 直 統 御 を お こ な っ て い た が,ブ ラ ッ シ ュ は 現 在 の 例 と して バ ー チ ャ ド Burchard,フ ォ ンセ カFonseca,マ イ エ ルMayerな ど が,パ ス コPasco,ワ ヌ コ 両 県 で 調 査 し た 諸 農 村 や,ア ン カ シ ュAncash県 の ラ バ ヤ ンRapayゑnな ど を あ げ て い る[BRUSH l 977:11‑12]。 す な わ ち,ジ ャ ガ イ モ,ト ウ モ ロ コ シ な ど ア ンデ ス 的 な 生 産 物 に 依 存 す る 地 域 の コ ミ ュ ニ テ ィが,モ ン タ ニ ャ 地 方 に 数 日 な い し十 数 日 か け て 移 動 を お こ な い,飛 び 地 で 耕 作 を お こ な う の で あ る 。 しか し,列 島 型 垂 直 統 御 は,ブ
ラ ッ シ ュ が あ げ て い る よ う な,農 民 コ ミ ュ ニ テ ィ の 飛 び 地 耕 作 だ け に 限 ら れ る も の で な い こ と は,わ れ わ れ の 中 央 ア ン デ ス 南 部 の 調 査 が あ き らか に し て い る と お り で あ る (後 述[ ‑5.以 下 参 照)。
つ ぎ に 一 生 産 物 の 交 換,一 流 通 を 通 じて の 垂 直統御 の 問 題 に う つ る が,こ れ は さ ま ざ ま な 社 会 集 団 間 の 交 流 ・接 触 を 見 る た め に,生 産 に お け る 垂 直 統 御 よ り さ ら に 大 き な 重 要 性 を 持 って い る と 考 え ら れ る 。 こ の 問 題 は,も っ ぱ ら生 産 様 式 の み に 焦 点 を あ て た ブ ラ ッ シ ュ の 類 型 論 に は は い って こず,大 貫 良 夫 は そ の 点 を 批 判 し て,垂 直 統 御 に 第4の 型,す な わ ち 専 業 型Specialized typeを 追 加 して い る 。 そ れ は 「異 な る エ ス ニ ッ ク ・グ ル ー プ が,そ れ ぞ れ 異 な る 環 境 を,い わ ば 専 業 的 に 開 発 し,産 物 を 交 換 し あ う タ イ プ」 と規 定 さ れ て い る[大 貫 1978a:729]。 大 貫 に よ れ ば,拡 散 型 に お い て も, 異 な る 環 境 の 産 物 を 交 換 参 る こ と は 認 め られ る が,そ れ は 「ひ とつ の 谷 を 占 め る 同 一 エ ス ニ ッ ク ・グ ル ー プ 間 で 成 立 す る も の 」 と して,専 業 型 と は 区 別 さ れ て い る 。 た し か に 大 貫 が 生 産 物 の 交 換 と循 環 に 注 目 し た こ と は 意 義 が あ る が,こ れ も事 例 に 則 して 見 た 場 合,さ ら に 細 密 な 規 定 や 細 分 が 必 要 で あ る よ う に 思 わ れ る(後 述 」 ‑5. 参 照)。
さ て,生 産 や 交 換 を 通 じ て,広 域 に わ た る 諸 社 会 集 団 の 間 に 接 触 や 社 会 関 係 が で き あ が った と す る と,そ れ を 基 礎 と して 他 の 次 元 で も さ ま ざ ま な 関 係 が 成 り立 って 行 く こ と が 期 待 で き る 。 た と え ば 婚 姻 関 係,宗 教 観 念 の 共 有 と 儀 式 へ の 参 加,情 報 の 交 換,
国立民 族学博 物館研究報告 5巻1号 共 通 的 な 社会 ・自然 カ テ ゴ リーの 承 認,な ど が進 行 し,べ つ べ つ の 自然環 境 に住 む者 た ちが,個 々の社 会 を孤 立 した切 りは な され た もの と して 見 な い で,価 値 と シ ンボル
の体 系 を 持 つ ひ とつ の よ り大 き な世 界 の 部 分 と して 意識 す る こ とが 可 能 に な る だ ろ う。
ひ とたび 観 念 の共 有 が成 立 す れ ば,集 団 間 の 接 触 が維 持 さ れ る こ と に よ って た えず 新 しい観 念 が 生 れ,伝 達 さ れ,ま た そ うす る こ と によ って そ の よ う な観 念 を わ か ち持 つ 者 た ち の 内面 的 世 界 の構 成 は ま す ます 強固 にな って ゆ くだ ろ う。以 上 述 べ た よ う な こ とが らを 具体 的 に調 査 す れ ば,中 央 ア ンデ スの 文 化 の 多 様 な 相 を つ らぬ く文 化 的 統 一 の 実 体 はお のず と あ き らか に な って ゆ くで あ ろ う。
3) 以 上 の考 察 に お い て は,垂 直 統 御 を,主 体 的 な 人 間 の 空 間 利 用 の様 式 と して ひ た す ら記述 して きた 。 しか し,人 間 存 在 の 構造 を ただ 単 に空 間 性 と して の み と らえ よ う とす る こ とは一 面 的 で あ ろ う。 垂 直 統 御 が,バ ラバ ラの個 々 の人 間 の 営 み で は な く, 人 間 が さ まざ まな結 合 や協 同 関係 を か た ちつ くる こと に よ って 生 れ る社 会 的 行 為 で あ る とす るな らば,そ こに は空 間 性 と時 間 性 が表 裏 一 体 と な った 構 造 が 作 られ,社 会 的 構 造 の時 間 性 が,主 体 的 人 間 の空 間 構 造 を 通 じて展 開す る結 果,歴 史 が 形 成 され るは ず で あ る。 そ う した時 間 性,歴 史 性 を 捨 象 した議 論 は,主 体 的 な人 間 の 生 活 形 成 の 原 理,す な わ ち文 化形 成 の原 理 と して の垂 直 統 御 の 本 質 的 な機 能 と作 用 につ い て,皮 相 的 な理 解 しか 与 え な い で あ ろ う。 中央 ア ンデ ス の 人 間 の 垂直 統 御 の努 力 は,現 在 とい う切 断 面 で 個 々の人 間 が主 体 的 に維 持 す る環 境 利 用 の 様 式 で あ る だ けで は な い。 そ れ は長 い歴 史 的 な過 程 に お い て 中央 ア ンデ スの 人 間 が 身 に つ け た社 会 的行 動 様 式 で あ り,
自己了 解 の方 法 で あ り,対 象 と して の 自然 を把 握 し理 解 す る カテ ゴ リー で あ る 。 ム ラの垂 直 統 御 論 にお い て も っ と も欠 けて い た の は,ま さ し くそ の よ うな時 間構 造
の考 察 で あ った。 垂 直 統 御 が,単 な る環 境 適 応 の 様 式 と して だ け で はな く,社 会 シス テ ム形 成 の 重要 な条 件 と して 考 え られ た だ け に,そ れ は致 命 的 な 欠 陥 だ った と も言 え る 。言 い か え る と,チ ュパ チ ュや ル パ カ や タ ワ ンテ ィ ンス ー ユの 社 会 シ ス テ ムが,垂 直 統 御 の 体 系 に ど の よ う に呼 応 して 形 成 され る の か とい う説 明 が ム ラに お い て ほ とん
どな され て い な い の は,歴 史 史 料 を 用 い な が ら,社 会 存 在 の空 間 性 の説 明 に終 始 し, 時 間 的 構 造 を 無 視 した結 果 で あ った 。 垂 直 統 御 が成 り立 つ こと に よ って 可能 にな る統 一 的 な 社 会 シス テ ム とは,一 定 の文化 と社会 の構成 を内包 した入間 の有機的な結合体 で あ る。 したが って そ の よ うな シス テ ムの 内 容 の分 析 は,地 域 の多 様 を超 え た 普 遍 的 価 値 の 体 系 を あ き らか に す る と考 え られ,中 央 ア ンデ スの 自然 的 環 境 の 多様 性 と文 化 的統 一 の両 面 を そ な え た 構 造 の 分析 とい う,は じめ にわ れ わ れ が か か げ た研 究 目的 の た め に も大 い に意 味 が あ るだ ろ う。文 化 人 類 学,民 族 学 の 概 究 が,し ば しば文 化 の時
増 田 ペルー南部にお ける海岸 と高地の交 流
間構 造 や歴 史 性 を 回避 して手 抜 き作 業 を や り,平 板 な 民族 誌 資 料 解 釈 に走 る傾 向 が あ る の を反 省 しな が ら,中 央 ア ンデ ス各 地 に 蓄 積 され た豊 富 な地 方 文 書 を手 が か り と し て,垂 直 統 御,地 域 間交 換,交 流,人 間 集 団 間 の 接 触,物 質 と観 念 との循 環 と共有 な
どを,歴 史 的 に考 察 す る こ とが 必 要 で あ ろ う。
4.ペ ル ー 南 部 に お け る1978年 度 の 民 族 学 調 査
東 京 大 学,財 団 法 人 リ トル ・ ワ ー ル ド,国 立 民 族 学 博 物 館,広 島 大 学 の 研 究 ス タ ッ フ が,協 同 で1978年7月 か ら1979年3.月 ま で お こ な っ た 「中 央 ア ンデ ス 農 牧 社 会 の 民 族 学 的 研 究 一 海 岸 ・高 地 ・熱 帯 低 地 地 域 間 の 動 態 的 社 会 関 係 」*は,3.に 述 べ た 研 究 方 法 に も と づ き,1.に 略 述 さ れ た 中 央 ア ン デ ス 社 会 の 文 化 的 特 徴 を 分 析 解 明 す る た め に お こ な わ れ た も の で あ る 。 上 記3.の1)の 方 向 の 研 究 対 象 と して は,ア プ リマ ッ ク 県 と ク ス コ県 の ふ た つ の コ ミ ュ ニ テ ィ が 選 ば れ,佐 藤 信 行,山 本 紀 夫 が 調 査 を お こ な い,一 部 藤 井 竜 彦 が 参 加 し た 。 前 者 に お け る カ ラ イ バ ン バ,後 者 に お け る マ ル カ パ タ は,い ず れ も典 型 的 な 垂 直 統 御 を お こ な う コ ミ ュ ニ テ ィ で あ り,生 産 の 実 態 と と も に, 社 会 組 織,儀 礼,シ ン ボ ル 体 系 な ど に 関 して 多 くの 資 料 が 得 られ た 。 同 じ 時 期 に 文 部 省 在 外 研 究 員 と して ペ ル ー 滞 在 中 の 友 枝 啓 泰 は,カ ラ イ バ ン バ に つ い て 別 の 角 度 か ら 調 査 を お こ な い,多 く の 教 示 を 与 え て くれ た 。 ま た,と く に マ ル カ パ タ で,エ ス ノ ボ タ ニ ー の 専 門 家 で あ る 山 本 紀 夫 が 調 査 を お こ な い,高 度 差 に よ る 農 耕 の 区 分 と 栽 培 植 物 の 品 種 に つ い て の 具 体 的 研 究 を お こ な っ た こ と は,作 業 仮 説 と して の 垂 直 統 御 論 に 実 地 の 検 証 を 試 み た 作 業 と し て 大 き な 意 義 が あ っ た 。
3.の2)の 項 目 に 関 して は,上 記 カ ラ イ バ ンバ,マ ル カ パ タ で も 情 報 は 得 ら れ た が, 中 央 ア ンデ ス 南 部 海 岸 地 方 に お け る漁撈,農 耕,牧 畜 の 三 つ の 生 業 間 の 相 関 を 見 る た め,増 田 昭 三 が,ア カ リAcar丘 川 流 域 か ら ペ ル ー 最 南 端 の タ ク ナTacna地 方 に い た る ま で の す べ て の 河 川 流 域 の 広 域 調 査 を お こ な っ た 。 ま た,同 地 方 の 生 態 学 的 先 史 学 的 様 相 に つ い て,大 貫 良 夫 と藤 井 竜 彦 が 調 査 を お こ な っ た 。
最 後 に3.の3)に 関 し て は,ア レ キ ー パArequipa,モ ケ グ ァMoquegua,タ ク ナ 三 県 の 地 方 文 書 調 査 が,ペ ル ー ・ カ ト リ ッ ク 大 学 の フ ラ ン ク リ ン ・ ピ ー スFranklin Pease,ウ ィ ス コ ン シ ン大 学 の ロ ラ ン ド ・メ ジ ャ フ ェRolando Mellafe,お よ び 増 田 昭 三 の 手 で お こ な わ れ た 。 そ の 結 果,ア レ キ ー パ 市,タ ク ナ 市 の 地 方 文 書 館,タ ク ナ 市 の サ ン ・ペ ドロ 教 会 で 多 く の 関 係 文 書 が 得 られ た が,特 筆 す べ き こ と は,モ ケ グ ア 市 の 公 証 人 ビ ク トル ・ク テ ィ ペVictor Cutip6氏 の 自 宅 倉 庫 に お い て,1586年 か ら現
*1978年 度 文部 省 科 学研 究 費 海 外調 査 補 助 金(課 題番 号404312)に よ る。
国立民族学博物館研究報告 5巻1号 代 にい た る彪 大 な公 証 人 文 書 が調 査 で きた 事 実 で あ る。 元 来 モケ グ ア は,海 岸 地 方 に
あ りなが ら,高 原 の チ ュ ク ィー トChucuito地 方 と関 係 が ふ か く,1567年 の チ ュク ィ ー ト文 書 に も,テ ィテ ィカ カ湖 南 岸 の 首 長 た ちが,同 地 方 に飛 び地 を 持 って 小 麦 や ト ウ モ ロ コ シの 耕 作 を お こな い,列 島型 の 垂 直 統 御 を お こな って い た こ とが あ き らか に さ れて い る[DIEz DE SAN MIGu肌 1964(1567);MuRRA 1968】。 また植 民地 時 代 初 期 にお い て,モ ケ グ ア は チ ュク ィー トの 管 轄 下 に あ った た め,両 地 方 間 に は絶 え ず 連 絡 交 通 が お こな わ れ,生 産 や交 易 に おい て 関 係 が ひ じ ょ うに ふ か か った 。 ク テ ィ ペ氏 蔵 の 文 書 に も,海 岸 と高 地,さ らに は ア ンデ ス 東 部 低地 間 の接 触 と交 流 を 示 す 多 くの民 族 誌 的 資 料 が 含 まれ て い る こ とが 確 認 され た が,と りあ えず17世 紀 は じ め まで のす べ て の 文 書 の マイ ク ロ フ ィル ム化 が お こな わ れ,目 下 そ の テ キ ス ト化 と分 析 が 進 行 中で あ る。
1978‑79年 に お こ なわ れ た 調 査 は,3.に 述 べ た 方 法 に も とつ く中央 ア ンデ ス調 査 の発 端 にす ぎな い が,調 査 期 間 中 に得 られ た 資 料 は,い ず れ も将 来 の研 究 の有 望 な 展 開 を示 唆 して い るの で,今 後 引 きつ づ き実 地 調 査 を お こな って,問 題 の解 明 に努 力 し た い と参 加 者 一 同 は考 えて い る。
皿.・ ペ ル ー 南 部 に お け る 海 岸 と 高 地 の 交 流
以 下 に 述 べ る の は,1978‑79年 の 調 査 の う ち,増 田 が 担 当 した ペ ル ー 南 部 に お け る 海 岸 と高 地 の 交 流,と く に ア レ キ ー パ,モ ケ グ ア,タ ク ナ 三 県 に お け る 高 地 民 の漁撈 活 動 と 交 易 に 関 す る 調 査 の 報 告 で あ る 。
1.ペ ル ー 南 部 海 岸 地 方 の地 理 学 的 特 徴
中 央 ア ンデ ス の 南 部 は,中 ・北 部 と は ち が う地 理 的 特 徴 を そ な え て い る 。 す な わ ち 高 地 に お け る ア ル テ ィ プ ラ ノ の 発 達 と,海 岸 地 方 に お け る 高 い 堆 積 台 地 の 形 成 で あ る 。 ア ル テ ィ プ ラ ノ と は,東 西 コル デ ィ エ ラ の 中 間 の 盆 地 帯 を さ し,比 高 数 百 メ ー トル ほ ど の 残 丘 を も つ 波 浪 状 の 隆 起 準 平 原 で あ る が,と く に ペ ル ー,ボ リビ ア 地 方 の 海 抜 4,000メ ー トル て い ど の 高 度 に あ る 冷 寒 で 自然 の 樹 木 に と ぼ しい 一一Ptの ス テ ッ プ 的 景 観 を も つ 高 地 は,ブ ナpunaと 呼 ば れ て い る[佐 藤 1979:13]。 ア ル テ ィ プ ラ ノ は ペ ル ー,ボ リ ビ ア 国 境 付 近 で 最 大 の 幅 を 示 し,テ ィ テ ィ カ カ 地 方 の 大 盆 地 を 形 成 し て い る 。 こ の 地 方 は,む か し か ら リ ャ マ,ア ル パ カ 等 ラ ク ダ 科 の 動 物 の 飼 育 が さ か ん で あ っ た 所 で,農 業 に お い て も,ジ ャ ガ イ モ,キ ノ ァ,オ カ,マ シ ュ ア,オ ユ コ な ど の
増田 ペルー南部における海岸 と高地 の交流
特 色 あ る産 物 を 開発 して い る。 テ ィ テ ィ カカ 湖以 北 に な る と,ア ル テ ィプ ラ ノの 幅 は ぐっ と狭 ま り,そ の盆 地 床 平 原 は,東 側 か ら侵 入す る ア マ ゾ ン河 系 の 河 谷 に 開 析 され
・て 平 頂 の 狭 い 高 原 群 に分 れ,縦 谷 や盆 地 が 発 達 す る よ うに な る(図1)。
海 岸 地 方(太 平 洋 岸)に お い て は,西 コル デ ィエ ラの 西 に,狭 い低 地 を は さん で 低
図1 中央 ア ンデ スの 地域 区 分(右 上)と 地 形分 類([佐 藤1979]に よ る)
国立民族学博物館研究報告 5巻1号 い 海岸 山脈 が走 って い る。 ペ ル ー北 部 に お いて は,こ の 低地 帯 が海 に面 した 平 野 とな
り,海 岸 山脈 は水 中 に没 して 大 陸 棚 が発 達 して い る。 そ れ に 反 して 南部 にお い て は, 海 岸 山 脈 が西 コル デ ィ エ ラ と密着 し,海 岸 にむ か って傾 斜 す る 台地 と化 して い るた め, 平 野 が 存在 す る余 地 はほ とん どな い。 ま た大 陸 棚 は,北 海岸 に比 べ て急 にそ の 幅 を 減
じて い る(図2)。
この よ うな地 形 の 差 は,イ カ川 以 北 と以 南 の人 間 居住 の 様式 に,大 きな ちが い を 与 え て い る。 ペル ー北 部 の ラ ンバ イ ェケ川 流 域 か らイ カ川 流 域 ま で は,程 度 の 差 こそ あ れ 海 岸 地方 に発 達 した 平 野 の オ ア シス地 帯 に古 代 か ら農 耕 が お こなわ れ て 文 明 が発 達 し,そ れ が ア ンデ ス 高 原 に発 達 した 数 々 の盆 地 の 文化 と呼応 しなが ら,海 岸 と高 地 と の 関係 が形 成 され て 行 った の で あ った。 そ して クス コ,ア ヤ ク チ ョ,ワ ンカ ヨな どの
図2 ぺ ル ー 断 面 図(Ernesto Currilに よ る)
増田 ペルー南部における海 岸と高地の交流
高 原 盆 地 に お け る農 耕 は,一 方 に お いて はブ ナ にお け る ラクダ 科 動 物 の 飼 育 を お こな う牧 畜 民 と関 係 を 持 ち,ま た他 方 に お いて は,東 側 か らア ル テ ィプ ラノの 盆 地 床 平 原 を 開 析す る大 河 の 流 域 の 温 暖 な ケ チ ュ ア地 帯 の 農業 開発 に支 え られ て,独 自の 型 の 文 化 を発 達 させ る こ とが で きた 。 イ カ の南 の ア レキ ー パ県 ア カ リ川 以 南,ペ ル ー 最 南 端 の タ クナ まで の海 岸 地 方 にお い て は,台 地 状 の地 形 が 海岸 近 くま で張 り出 し,急 に海 に落 ち こん で い る た め,海 岸 平 野 は ほ と ん ど発 達 せ ず,農 耕 は も っぱ ら狭 い 河 谷 の河 岸 平 地 で お こなわ れ る にす ぎな い 。 そ して,背 後 に ひ か え るア ンデ ス高 地 にお いて も, 広 大 な テ ィテ ィカ カ盆 地 は海 抜 高 度4,000メ ー トル 内 外 で あ って,孤 立 した 内部 流 域 を な して い る た あ,テ ィテ ィカ カ以 北 に お け る よ うな大 河 川 の 侵 入 とケ チ ュア地 帯 の 発 達 が 見 られず,そ の 内部 で,リ ャマ,ア ルパ カの 飼 育 や ジ ャガ イ モ,キ ノア 等 高 度 に適 応 した 農 産物 の耕 作 をお こな って,そ れ 自体 が 自立 性 の 高 い生 産 圏 を かた ち つ く って い る。 ま た,海 岸 地 方 との 関 係 にお い て 見 る な らば,山 地 が 極端 に海 岸 線 に迫 っ た か っ こ うに な って い る ので 高 原 の 文 化 は,北 ・中部 海 岸 にお け るよ り も,よ り海 岸 の住 民 に接 近 して い る と言 う ことが で き る。 つ ま り,北 ・中部 海 岸 にお い て は,海 岸 文 化 が,広 い 平 野 部 に発 達 した 農 業 地 帯 の 生 産 に支 え られ て 大 きな 政 治勢 力 を 作 り, 高 原 の文 化 と対 峙 して い た の に た い し,南 で はそ の よ うな海 岸 文 化 の発 達 が見 られず, 高 原 の住 民 や 文 化が直接 海岸 に迫 る,と い う勢 い を 示 して い た の で あ る。
タ ク ナ以 南,チ リ北 部 の 情勢 も,ペ ル ー南 海 岸 の そ れ と は,は っき り こ とな って い る 。 チ リ北 部 海 岸 に おい て は,コ キ ンボCoquimbo付 近 か らペル ー。の タ クナ 付 近 ま で,海 抜1,000メ ートル 前後 め 細長 い縦 谷 が 走一り;‑盆地 状 の 低地 帯 を作 って い る。 こ れ は ア タカ マAtacamaと 呼 ば れ る ひ じ ょ うに乾 燥 した砂 漠 地 帯 で あ り,西 コル デ ィ エ ラか らの 雪 ど け水 も,盆 地 の 東縁 ま で達 して やが て 末 無 川 とな る。 した が って農 耕 可 能 の 限 界 も山 麓部 に 限定 され て い る。一 方 高 原 で は,テ ィテ ィカ カ盆 地 とつ づ くウ ユ ニUyuni盆 地 が背 景 とな るが,こ こに は 海抜4,000メ ー トル の高 原 に,テ ィテ ィ カ カ 湖 の 約2倍 の大 き さの大 塩 湖 の干 上 った ウユ ニ塩 荒 原 が ひ ろが って農 耕 に適 さず, 周 辺 の 草 原 地 帯 で リャマ等 の牧 畜 が お こな わ れ る にす ぎ ない 。 そ こで,高 原 と海 岸 の ダ イ ナ ミ ックな 相 互 作 用 を生 む よ うな 強 力 な生 産 的 要 因 は,こ の 地 域 に は見 られ な い
の で あ る。
以 上 述 べ た よ う に,ペ ル ー南 海 岸 地 方 は,北 ・中部 海 岸 地 方 と も,チ リ北部 と もは っき り と区 別 され る 自然 環 境 を持 って い る。 そ して それ に と もな って この地 域 の歴 史 的発 展 も独 自の もの が あ った 。 わ れわ れ が,調 査地 と して この地 域 を え らん だの は, 以 下 の 理 由に よ る。
国立民族学博物館研究報告 5巻1号 1) ペ ル ー 北 ・中 部 海 岸 は,古 来 は や く か ら農 耕 の 開 け て い た 地 域 で あ り,ま た ペ ル ー 共 和 国 独 立 後 も,世 界 市 場 を 対 象 と した 商 品 作 物 が 大 農 園 経 営 方 式 に よ っ て 生 産 さ れ て き た 。 住 民 は 大 部 分 メ ス テ ィ ソ で あ り,産 業 的 に 見 て ペ ル ー で も っ と も 進 ん だ 地 帯 を 構 成 し て い る 。 し た が っ て こ の 地 域 に 関 し て は,多 く の 先 史 学,歴 史 学,社 会 学,社 会 人 類 学 上 の 調 査 が お こ な わ れ て い る 。 こ れ に 反 し て 南 海 岸 は,先 ス ペ イ ン 期 に モ チ ェ,ナ ス カ,イ カ,チ ン チ ャ の よ う な 有 力 な 文 化 は生 れ ず,ま た ペ ル ー 独 立 後 の 産 業 発 展 も,北 ・中 部 海 岸 に く らべ て は る か に お くれ て い て,各 分 野 で の 研 究 が ま
だ あ ま り お こ な わ れ て い な い 。
2) "進 ん だ"北 ・中 部 海 岸 地 方 に お い て は,近 代 化 が 進 行 し,伝 統 的 な 文 化 パ タ ー ン や 社 会 関 係 が 破 壊 さ れ て い る の に た い し て,"遅 れ た"南 海 岸 に お い て は,旧 い 文 化 要 素 や 慣 習 が よ り 多 く遺 存 し て い る 可 能 性 が 大 き い 。 と く に,わ れ わ れ の 研 究 の 目標 の ひ と つ で あ る,こ と な った 社 会 集 団 間 の 接 触 や,地 域 間 交 流 に 関 し て,興 味 ふ か い 事 例 が い ま だ に 多 く見 出 さ れ る で あ ろ う と の 情 報 が 得 られ た 。 た と え ば,北 ・中 部 海 岸 で は も う ほ と ん ど 見 ら れ な く な って い る,リ ャ マ,ア ル パ カ 牧 民 の 海 岸 地 方 へ の 進 出 が,こ の 地 方 で は 現 在 で も ひ き つ づ き お こ な わ れ て い る,と 判 断 し て い い 理 由 が あ っ た 。 3) に も か か わ らず,南 海 岸 に も 近 代 化 の 波 が 少 しず つ 押 し寄 せ て 来 つ つ あ る こ と
は 疑 い を 容 れ ず,そ の た め 貴 重 な 伝 統 的 民 族 誌 資 料 が 失 わ れ て ゆ く危 険 が あ る 。 カ マ ナCamana川 上 流 の マ ヘ スMajes川 流 域 に お い て は,マ ヘ ス,シ ワ スSiguasの パ ン パ の6万 ヘ ク タ ー ル に 灌 概 を お こ な お う と す る,い わ ゆ る マ ヘ ス 計 画El Proyecto Majesが 立 て ら れ,ダ ム や 発 電 所 の 建 設 が 実 施 さ れ た た め,地 域 住 民 が 労 働 者 と し て 雇 用 さ れ,ま た 外 部 か らの 労 働 者 の 流 入 に よ って,伝 統 的 な 生 活 様 式 に 大 変 化 が お こ り つ つ あ った[VALDIVIA 1978]。 ま た,ア レ キ ー パ 市 に 本 拠 を お く グ ロ リア 乳 業 Leche Gloriaが ア レ キ ー パ,モ ケ グ ア,タ ク ナ の 三 県 に 原 乳 購 入 の シ ス テ ム を 作 っ た た め に,多 く の 農 民 が 伝 統 的 な 農 業 を お こ な っ て き た 耕 作 地 を ア ル フ ァル フ ァ の 牧 草 地 に 変 え て 乳 牛 飼 育 に 転 じ つ つ あ る た め,そ れ らの 地 方 の 文 化 や 社 会 関 係 に も 大 き な 変 化 が お こ りつ つ あ る[JELICIC l978:141‑148,232‑234]。 し た が っ て,伝 統 的 な 型 の 生 産 関 係 や 社 会 関 係 に 焦 点 を あ て る ペ ル ー 南 海 岸 地 方 の 民 族 誌 的 調 査 は,で き る だ け 早 く お こ な った 方 が よ い と考 え られ る 。
4) ア プ リ マ ッ ク県 の カ ラ イ バ ンバ,ク ス コ 県 の マ ル カ パ タ の コ ミ ュ ニ テ ィ 調 査 が 同 時 期 に お こ な わ れ る こ と に な っ て お り,さ ら に ア プ リ マ ッ ク県 ア イ マ ラ エ スAy‑
maraes郡,ア ヤ ク チ ョ県 パ リナ コ チ ャ スParinacochas郡,ア レ キ ー パ 県 ラ ・ウ ニ オ ン La Union郡 等 の 生 態 学 的 条 件 の 一 般 観 察 が お こな わ れ る 予 定 だ っ た[大 貫 1978b]
増 田 ペルー南部 における海岸 と高地の交流
ので,そ れ らの地 方 と南 海 岸 の 関係 を 知 る こ とは有 意 義 だ と考 え られ た 。
2.調 査 の 発 端
調 査 の 手 が か り と な った の は,ペ ル ー ・カ ト リ ッ ク 大 学 が,カ ナ マ=マ ヘ ス 川 上 流 の コ ル カColca川 流 域 の カ イ ヨ ー マCaylloma地 方 で お こ な っ た 学 術 調 査 に よ っ て 得 ら れ た 情 報[PEAsE(ed・)1977]で あ っ た 。 カ ト リ ッ ク 大 学 の 調 査 は,1591年 の 巡 察visitaの 古 文 書 を 発 見 し,そ れ を 分 析 し た 結 果,同 地 方 の 農 村 が,ブ ナ 面 で の 牧 畜 か ら,コ ル カ の 渓 谷 の 急 斜 面 に お け る 農 耕 に い た る,垂 直 統 御 を 古 く か ら お こ な っ て い た こ とを あ き らか に し た[PEAsE l977]が,1974‑75年 に 同 地 方 の 民 族 学 的 調 査 を お こ な っ た ク ァ ドロ ス は,現 在 の 農 民 が,牧 農 に わ た る 垂 直 統 御 を 引 き つ づ き お こ な っ て い る ば か り で な く,ア ル テ ィ プ ラ ノ の 塩,海 岸 地 方 に お け る 海 産 物,お よ び 海 岸 の 島 々 に お け る グ ァ ノ の 糞 の 開 発 も お こ な い,予 想 外 に 広 い 垂 直 統 御 の 範 囲 を 持 っ て い た こ と を あ き ら か に し た[CuADRos l977]。 こ の う ち も っ と も注 目 さ れ る の は, 海 産 物 で あ る 。
グ ァ ノ の 糞 は ぶ る くか ら ペ ル ー の 農 民 に よ って 肥 料 と し て 利 用 さ れ て き た こ と は あ き らか で あ る が,は た して 山 地 の 農 民 が 海 岸 に ま で 降 りて こ れ を 採 掘 し て い た か ど う か は よ くわ か ら な か っ た 。 ク ァ ド ロ ス に よ れ ば,カ イ ヨ ー マ の 住 民 た ち は,海 岸 地 方
マ タ ラ ニMatarani付 近 の ヘ ス ス ・デ ・イ 三 ヤ ニJesus de lfiafii諸 島 で グ ァ ノ の 糞 の 採 掘 を や っ て い た とい う[CUADROS‑」977:‑50]。 一ま た リ ・乏の 国立 交 書 館 所 蔵 の 一 文 書(Der:lnd.C.490‑1793‑95)に よ れ ば,モ ケ グ ア 県 の 山 地 プ キ ー ナPuquina地 方 の イ ンデ ィ オ た ち が,海 岸 の タ ン ボ 居 住 の1ス ペ イ ン人 を 相 手 ど ら て,ポ コ ウ ン タ Pocohuntaと い う グ ァ ノ 諸 島 の 資 源 所 有 権 を 主 張 した18世 紀 末 の 文 書 が あ る と い う [CUADROS 1977:50, n・5]。 わ れ わ れ が,調 査 中 に,タ ク ナ の 地 方 文 書 館 で 発 見 し た 1788年 の 文 書 に も,ア リカAricaの モ ロMorroの グ ァ ノ を イ ン デ ィ オ が 自 由 に 採 掘 す る 用 益 権 を,エ ス テ ィ ケEstiqueの 首 長 フ ラ ン シ ス コ ・マ ル カFrancisco Marcaが ア リ カ 市 の 官 憲 に 訴 え た 記 録 が あ っ た(Archivo Dcpartamental de Tacna, ARICA‑
Estique,1788)。 そ れ に よ る と,イ ンデ ィ オ の グ ァ ノ 採 掘 は 「今 日 ま で 守 ら れ て き た, は る か む か しか ら の 慣 習 で あ る 。」 と記 さ れ て い る 。 だ が 今 日 で は,山 地 の イ ン デ ィ オ 農 民 が,海 岸 な い し は 沿 岸 の 島 々 の グ ァ ノ を 採 掘 しつ づ け て い る 例 は ま っ た く 見 られ な い と言 って よ い 。 こ れ は,外 資 系 の 会 社 が ペ ル ー 政 府 か ら グ ァ ノ 採 掘 権 を 得,モ エ
ン ドMollendo一 マ タ ラ ニ 地 方 で1909年 か ら事 業 を 開 始 した た め で あ ろ う[CuADRos 1977:50,n.7]o
国立民族学博物館研究報 告 5巻1号 塩 の 採 掘 も ふ る く か ら カ イ ヨ ー マ の 農 民 の 慣 行 で あ っ た ら し い 。 彼 ら は,高 地 の ユ タLlutaに あ る 塩 山 に 特 別 の 権 利 を 持 ち,1年 の 一 定 の 時 期 に キ ャ ラバ ンを 組 ん で, 塩 の 採 掘 に 出 か け た と い う。 し か し こ れ も 現 在 で は お こ な わ れ て い な い 。 し か し,カ イ ヨ ー マ よ り さ ら に 高 い 土 地 に 住 む 牧 民 た ち は,ユ タ と ワ ン ボHuamboの 塩 山 に 行 き,採 掘 した 塩 を リ ャ マ の キ ャ ラバ ンで 輸 送 す る 習 慣 を 現 在 に 至 る ま で 保 ち つ づ け て い る 。 そ して こ れ は,19世 紀 末 に ペ ル ー 政 府 が 塩 の 専 売 を お こ な う よ う に な り,塩 山 の 国 家 管 理 を お こ な う よ う に な って も つ づ い て い る[CuADRos l977:46‑48】 。わ れ わ れ が ア レキ ー パ 県 シ ワ ス 川 上 流 の ピ タ イPitay村 ピ エ ・デ ・ラ ・ク エ ス タPie de la Cuestaで 得 た 情 報 に よ れ ば,現 在 で も ブ ナ の 牧 民 た ち が ユ タ の 岩 塩 を 持 っ て と き ど き 降 りて き て,農 民 の 生 産 す る トウ モ ロ コ シ,小 麦,イ チ ゴ な ど と 交 換 す る と の こ と で あ っ た 。 交 換 の 比 率 は,塩1quinta1(=46 kg)に た い して, トウ モ ロ コ シ 等2 ア ロ ー バarroba(1 arroba=11.502 kg)と の こ と で あ る 。 な お 岩 塩 は 食 用 に す る の で は な く,薬 用 に 用 い る の で あ り,ア グ ア ル デ ィ エ ン テ,オ レ ン ジ の 皮,ニ ッケ な ど と ま ぜ て 調 合 し,カ チ カ ン カcachicancaと い う,流 寒,肺 炎,気 管 支 炎 な ど の 特 効 薬 を 作 る の で あ る 。 最 近 の 情 報 に よ る と,ペ ル ー 政 府 は,ユ タ,ワ ン ボ の 塩 坑 も 入 口 を ふ さ い で 採 掘 を 全 面 的 に 禁 止 し た と い う 。
グ ァ ノ の 採 掘 が19世 紀 に す た り,岩 塩 の 採 掘 も政 府 に よ っ て 統 制 さ れ て い る の に た い し て,カ イ ヨ ー マ の 農 民 の 海 岸 地 方 に お け る 海 産 物 の 採 取 は,今 日 で も さ か ん に お こ な わ れ て い る と い う 。ふ た た び ク ァ ドロ ス に よ れ ば,カ イ ヨ ー マ 地 方 の 海 抜3,900メ ー トル の 高 地 に あ る シバ ヨSibayoの 農 民 は,毎 年10月 に 海 岸 に 降 り,イ ス ラ イIslay の 北 西 約7キ ロ メ ー トル の と こ ろ に あ る コ ロ カ 岬Punta Colocaに 約30日 間 居 住 して, 魚 を と り,貝 類 を 採 取 し,コ チ ャ ユ ー ヨcochayuyoす な わ ち 海 草 を 集 め て,山 に 持
っ て 帰 る,と の こ とで あ る[CuADRos l977:48]。 シ バ ヨの 農 民 の こ の 習 慣 が 特 殊 な も の な の か,そ れ と も高 地 に 住 む 農 民 や 牧 民 が 海 岸 に 来 て 海 産 物 を と る こ と が ペ ル ー 南 部 に 見 られ る 一 般 的 現 象 な の か ど う か,と い う 問 題 を 調 査 の 出 発 点 とす る こ と に して,わ れ わ れ は1978年10月11日,ア レ キ ー パ 市 か ら海 岸 の イ ス ラ イ に 行 き,マ タ ラ ニ 港 で 漁 舟 を や と って,海 上 か ら コ ロ カ 岬 に 迫 る こ と に し た 。
そ の 日 は か な り波 が 荒 く,コ ロ カ 岬 近 く の 狭 い 砂 浜 に 上 陸 す る こ と は で き な か っ た が,岬 の 直 前 に あ る タ ル プ ィTarpuy谷 の 近 くの 岩 壁 の 上 で,コ チ ャ ユ ー ヨ の 狩 場 を さ が す3人 と,コ ロ カ 岬 の 海 岸 の 絶 壁 の 上 か ら,コ チ ャ ユ ー ヨ 採 取 の た め の 岩 場 を さ が し て い る ら し い2人 を 認 め た 。 同 行 の マ タ ラ ニ の 漁 夫 に よ れ ば,や は り ク ァ ドロ ス が 報 告 し て い る よ う に,シ バ ヨの 高 地 民 が10月 に や って 来 て,貝 類 を と り,コ チ ャ ユ
増田 ペルー南部における海岸 と高地の交流
一 ヨを 集 め,乾 燥 させ て か らマ タ ラニ に行 き,そ こか らバ スで 郷 里 に帰 る,と の こと で あ った 。 コ ロ カ岬 か らマ タ ラニ まで,収 穫 物 運 搬 の た め に マ タ ラニ 港 の 舟 を や と う こ と もあ る そ うで あ る。農 民 が10月 に来 る理 由 は,8月 ごろ か らコ チ ャユ ー ヨが 大 き くな り,ま た10月 にな る と比 較 的 海 が お だや か に な るの で,岩 壁 に群 生 す る海 草 の 採 取 が 容 易 だ か らだが,現 在 の よ うに10月 に な って も海 が 荒 い と きに は,多 少 滞 在 の 期 間 を ず らさな け れ ば な らな い,と 説 明 され た 。 コ チ ャユ ー ヨ は岩 の 多 い と ころで な け れ ば取 れ ず,そ の た め採 取 作 業 は,絶 壁 か ら ロー プ を垂 ら しそ れ に 身 を縛 りつ けて お こな うた めか な り危 険 が と もな い,時 に よ る と死者 が 出 る こ と もあ るそ うで あ る。 シ バ ヨの農 民 が と くに コ ロカ 岬 で作 業 を お こな うの はむ か しか らの習 慣 だ か らで あ り, べ つ に法 的 な権 利 を持 つ わ けで は な い,と の ことで,土 地 の漁 民 と の間 に紛 争 が お き ない か との 問 い に たい して,マ タ ラニ の漁 夫 は,わ れ わ れ は漁 船 で 魚 を 取 るの が 仕事 で あ り,コ チ ャユ ー ヨを 取 る の は も っぱ らセ ラー ノserrano(山 地 民)だ か ら,べ つ
に問題 は お こ らな い,と 答 え た。
山地 民 が,季 節 的 に わ ざわ ざ海 岸 まで 降 って海 産 物 を 取 る こ とに ひ じ ょ うな興 味 を お ぼ え たわ れ わ れ は,ア レキ ーパ,モ ケ グ ア,タ ク ナ の南 部3県 の 海岸 を廻 って 情 報 を 集 め る ことを 決 意 した 。 同 時 に,3県 の 川 の 流 域 をで きるだ け さか の ぽ って,低 地 'に 降 りて くる高 地 の 農 牧 民 の 活動 と,低 地 農 民 との 接触 に つい て 調 査 す る こ とに した。
3.高 地 民 と 海 岸 地 方 1
978年10月 か ら1979年1月 ま で の 間 に,わ れ わ れ は,南 部 海 岸 の 以 下 の 川 筋 に そ っ て 調 査 を す す め た 。 北 か ら順 に つ ぎ の と お りで あ る(図3)。
1) ア レ キ ー パ 県
ア カ リ川 流 域(河 口 か ら チ ャ ビ ニ ャChavi五aを 経 て ア カ リ ま で) ヤ ウ カYauca川 流 域(ヤ ウ カ か らハ キJaquiま で)
チ ャ ラChala地 方 パ ラ ラParara渓 谷(チ ャ ラ か ら チ ャ ラ ・ ビ エ ホChala Viejo ま で)
チ ャパ ラChaparra川 流 域(河 口 か ら チ ャ パ ラ ま で)
ア テ ィ コAtico一 カ ラ ベ リCaraveli川 流 域(ア テ ィ コ か ら カ ラ ベ リま で)
オ コ ニ ャOcna川 流 域(河 口 か ら モ エ バ ンバMollebambaま で と,中 流 の イ キ ビIquipi周 辺)
カ マ ナ ーマ ヘ ス ーブ ラ ン コBlanco川 流 域 (河 口 よ り ア プ ラ オAplaoを 経 て チ ュ キ バ ンバChuquibambaま で)
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図3ペ ルー 南 ・部 海 岸.3県 地 図
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