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南部ペルーのアンデス西斜面における環境利用

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南部ペルーのアンデス西斜面における環境利用

著者 大貫 良夫

雑誌名 国立民族学博物館研究報告

巻 5

号 1

ページ 44‑82

発行年 1980‑03‑30

URL http://doi.org/10.15021/00004531

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国立民族学博物館研究報告  5巻1号

南 部 ペル ー の ア ン デ ス西 斜 面 にお け る環 境 利 用

大 貫 良 夫*

Environmental Exploitation of the Western Slope of the Andes of Southern Peru

Yoshio ONUKI

The higher elevations of the western slope of the Andes of southern Peru support vast tracts of puna and the lower levels are characterized by a gigantic plateau. Rivers cross the plateau in deep gorges, which inhibits the formation of extensive alluvial plains downstream. This, in turn, is a major factor that accounts for the lack of strong societies with large populations along the littoral of southern Peru. At the same time, the absence of a strong coastal society enabled the highlanders to manage effectively an archipela- gic vertical control as modeled by Murra [1972].

Today, the dominant type of vertical control on the western slope is the specialized one [ONUKI 1978]. Each of the three well- defined ecological zones is occupied by people specialized in its exploitation. Most probably there existed formerly a close, interdependent relationship among the three ecological zones, which were linked through trading and barter networks.

Wool industries appeared in the puna in the latter half of the 19th century, and the advance of truck transportation in the middle of the 20th century accelerated the alienation of the puna herders from the traditionally interdependent, inter-zonal networks. In the kichwa zone, on the other hand, the milk industry established in 1950s led kichwa farmers, especially to the south of Arequipa, to convert from subsistence pursuits to commercial milk and pastoral production. Economic changes both in the puna and kichwa facilitated the breakdown of the traditionally interdependent network and the inhabitants of both zones became market-oriented.

The yunga zone had already dropped-out, probably in the colonial period, from the system of interdependence. Now the system of

*東 京大学教養学部 ・国立民族学博物館企画委員

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大貫  南部 ペル ーのア ンデス西 斜面にお ける環境利用

vertical control is found only in extremely remote places, such as the headwaters of the western slope.

But no ecological zone can be self-sufficient, and subsistence requirements must be satisfied through a system of exchange. This can no longer be called vertical control since Andean vertical control is a system of exploitation of multiple ecological zones in which exchange is carried out according to the conventional rate, which differs from that of the market. - This conventional rate is based on reciprocity which generally underpins all kinds of social, economic, and ritual behavior in the Andes. The true nature of Andean vertical control, therefore, should be sought in the local concept of reciprocity.

1..は じめ に II.調 査 地 域 の 概 要 皿.調 査 経 路

1V.南 ペ ル ー 西 斜 面 の 環 境 区 分 V.環 境 利 用 の 諸 形 態

1.Apurimac県Chalhuanca谷 2.Ayacucho県Parinacochas郡

3.Arequipa県Chuquibamba谷 4.Arequipa県Cotahuasi谷 5.Moquegua県Puquina‑Omate 6.Moquegua県Moquegua谷 VI.プ ー ナ の 牧 民

W.ア ン デ ス 西 斜 面 の 環 境 利 用 の 類 型 と歴 史

田.結 論

1.は じ め に

中 央 ア ンデ ス高 地 の 人 間生 活 は,お よそ2,000mか ら3,000mの 高 度 差 の な か に 展 開 さ れて き た。 この 大 きな高 度 差 は,当 然 の こと なが ら,高 度 に よ って 自然 環 境 の 性 格 が異 な る こ とを 意 味 し,人 間 の 側 か らす る.自然 へ の はた らきか け も,そ れ ら高 度 に 応 じて異 な る 自然 条 件 にあ わせ て,さ ま'ざまな異 同を み せ て い る。 た しか に,海 抜 4,000mを 越 え る高 地 で は,ラ クダ 科 動 物 や ヒ ッ ジな どの 飼 育 以 外 ほ とん ど他 に有 効 な 食 料 生 産 の活 動 が み られ ず,一 方2,000m前 後 の 谷 あ い に は,バ ナ ナ,オ レ ンジ, パ パ イヤ な ど 暖地 産 の果 樹 を は じめ,多 種 類 の 農 作物 が植 え られ,農 業 が 最 も重 要 な 生 業 にな って い る。 これ らの こ とは,ペ ル ーの 高 地 を一 度 で も旅 行 す れ ば,ま ず 最 初 に 目 に入 って くる現 象 で あ り,高 度 差 に対 応 した 自然 な らび に人 間 生 活 の鮮 や か な差 異 は,き わ め て 印 象 的で あ る。

こ う して,高 度 差 は そ れ に応 じた 自然 資 源 の差 を 生 み,そ れ ら異 な る 自然資 源 の 利

用 に基 づ く人 間 の生 業 形 態 を生 ん だ 。 そ して,そ れ らの生 業 形 態 が相 互 に結 び あ わ さ

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国立民族学博物館研究報 告  5巻1号 れ て ア ンデ ス高地 の生 活 が成 り立 って お り,そ の結 合 の 方 式 に注 目 して 最 近 の ア ンデ ス高 地 の文 化 生 態学 の研 究 が進 め られ て きた。 そ の よ う な研 究 動 向 の直 接 的 契 機 とな った の はMurraの 論 文[MuRRA  1972]で,以 後 多 くの研 究 が発 表 され,そ の い く つ か は筆 者 も以 前 紹 介 した こ とが あ る[大 貫   1978]。

 従 来 の研 究 は,ア ンデ ス高 地 で もど ち らか と い うと分 水 嶺 の 東側 に重 点 が 置 か れ て い た 。Murraは16世 紀 の事 例 の な か に,チ チ カ カ湖 岸 の民 族 が ア ンデ ス西 斜 面 の谷 間 ま で を利 用 す る,非 常 に 広範 囲 な活 動 を 営 む もの が あ った こ とを記 して い る が,最 近 南 ペ ル ー の ア レキ ー パ県 高 地 の研 究 論 文集 が編 まれ[PEAsE(ed).1977],現 在 で も南 高 地 の牧 畜 民 が太 平 洋 沿 岸 に まで下 りて 採 集 や交 易 活動 を行 な う こ とが紹 介 され, 西 斜 面 の 研 究 の必 要 性 も大 き くな った。 西 斜 面 の 高地 と海 岸 との交 流 に つ い て は,す で に先 史 時 代 か ら両 者 の 関係 が あ った わ けで,ま とめ の部 分 で多 少 そ の点 に つ いて 触 れ る こ とに す る が,ナ ス カ谷 よ り南 の地 域 に関 して は,ほ と ん ど砺 究 が成 さ れ て お ら ず,い わ ば未 開拓 の領 域 で あ る。

  そ こで,以 下 に お い て,南 ペル ーの ア ンデ ス西 斜 面 で 試 み た 調査 を も とに,観 察 事 実 と問 題 を 整 理 して み よ うと思 う。 な お本 調 査 は,昭 和53年 度 文部 省 科学 研 究 費 に よ る海 外 調 査 「中 央 ア ンデ ス農 牧 社 会 の民 族 学 的 研 究    海岸 ・高 地 ・熱 帯 低地 地 域 間 の 動 態 的 社会 関係 」(研 究代 表 者 増 田 昭三)の 一 環 と して 行 な った もの で あ る。

亜.調 査地 域 の概 要

  ア ンデ ス 山脈 は,ペ ル ー南 部 のパ ラカス半 島 をす ぎ る と,そ の 幅 を急 に増 し,チ リ 領 とア ルゼ ンチ ン領 に ま た が る に至 って ふ た た び幅 を 減 じ る。 この 幅 の増 大 は,太 平 洋 沿岸 部 に広 大 な 形 で ひ ろ が る 台地 を形成 させ て い る。 そ の 台 地 は,海 抜3,000m前 後 の高 さを もち,ア ンデ ス 山 脈 の分 水 嶺 の 西 に平 坦 に伸 び,太 平 洋 へ急 峻 な断 崖 と な

って落 ち込 んで い る。 した が って,海 岸 部 の地 形 は,ナ ス カ谷 以 北 と,そ れ よ り南 と で は大 き な ちが い を み せ る 。特 に そ の ちが い は,河 川 の 形 に は っき り と出て い る。

  す な わ ち,ペ ル ー北 部 の ラ ンバ イ ェケ 谷 か ら南 の ナ ス カ谷 まで の 地方 で は,ア ンデ

ス 山脈 に端 を発 して 太 平 洋 に注 ぐ諸 河 川 は,上 流 部 に おい て 深 い峡 谷 を刻 ん で斜 面 を

流 れ下 り,中 流 部 か ら下 流 部 に か け て,谷 底 に沖 積 平 野 を 作 り,し ば しば下 流 部 に は

扇 形 に ひ ろ が る平 野 を 形 成 して い る。 これ に対 して ナ ス カ谷 の 南 にあ る ア カ リー谷 を

は じめ そ れ よ り南 で は,高 い台 地 が 海 岸 に まで 張 り出 して きて い る た め に,河 川 は上 流

か ら河 口に まで,幅 を や や変 化 させ つ つ も,ほ とん ど峡 谷 の ま ま の形 で 流 れ るの で あ る。

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大 貫   南 部 ペ ル ー の ア ンデ ス西 斜 面 に お け る環 境 利 用

  幅 の 広 くな った ア ンデ ス 山脈 は,南 ペル ー に広 大 な プ ー ナ地 帯 を 作 り出 して い る。

す な わ ち,海 抜4,000mを 越 え る部 分 が 非 常 に 大 き く,そ れ だ け降 雨 量 も大 き くな っ て い る。 その 結 果,南 ペ ル ーの ア ンデ ス山 脈 に 源 を もつ河 川 の水 量 は一 般 的 に言 って 大 き い。 南 ペル ー最 大 の ア プ リマ ック川 の 水 量 は有 名 で あ る が,太 平 洋 側 に流 れ る川 も,雨 期 の と き はほ とん ど川 幅 い っぱ い にあ ふ れ る。 この た め,峡 谷 の 形 を と る河 川 の 谷底 は,あ ま り使 い もの にな らな い。 特 にオ コー ニ ャ谷 と か マ ヘ ス(カ マ ナ)谷 な ど大 きな川 の場 合,中 流 部 か ら下 流 部 の谷 底 は ほ とん ど利 用 され て い ない 。小 規 模 の 耕 地 は開発 され て い る が,川 底 の 広大 な ひ ろ が りに比 べ れ ば 実 に小 さ な もの で あ る。

ナ ス カ 谷 の北 の イ カ谷,そ れ よ り北 の チ ンチ ャ谷 の 沖積 平 野 と そ こ に展 開 す る耕 地 の 広 さ と は ま さに 好対 照で あ り,そ の よ うな平 野を 流 れ る川,す な わ ち イ カ川 や チ ンチ ャ川 は,逆 に水 流 の幅 が極 端 にせ まい 。上 流 の方 で 灌 瀧 用 に水 を とる た めで あ ろ うが, 下 流 まで 流 れ て くる水 は ご くわ ず か な ので あ る。 こ う して南 ペ ル ー の河 川 は,峡 谷 の

ゆえ に谷 底 平 野 が な く,下 流 部 で はあ ま り利 用 され ない ま ま水 が 海 に流 れて しま う。

そ こで 近 年 ペ ル ー 政府 は,こ の水 を 台地 の上 に あ げて,峡 谷 の外 に ひ ろ が る広 大 な砂 漠 を 畑 に変 え よ うと 計画 して い る。 す で に タ ンボ川 下 流 で 砂 漠 の一 部 が緑 野 と な り,

マ ヘ ス川 下 方 の 台地 で もマ ヘ ス計 画 と して大 規 模 な開 発 が 行 な わ れ つ つ あ る。

  谷 の狭 さ と深 さに 対 して,高 地 は無 辺 の ひ ろ が りと なだ らか な 起 伏 の連 続 で あ る。

け わ しい雪 山 は は るか 東方 の端 に退 き,南 ペ ル ー の高 地 は広 い 草 地 の プ ー ナ地 帯 と な り,農 耕 に は不 適 で も,家 畜 飼 育 に は都 合 が よい 。 ラクダ 科 動 物 の 飼 育 は南 ペ ル ー で 最 もさ か んで あ る。 特 に湿 地 を好 む アル パ カの 飼 育 は,南 ペル ー独 特 の 生業 で あ り産 業 で あ る。16世 紀 以 後,ウ シ と ヒツ ジが 加 わ った が,リ ャマ と アル パ カ の適 応 性 は高 く,南 ペ ル ー高 地 の主 要 な 家畜 と して の地 位 を 失 って い な い。 そ して そ れ ら家 畜 飼 育 を 専 業 とす る人 び と,す な わ ち牧 民(pastores)が 多 くい る。 最近 に な って この牧 民 の 民 族学 的研 究 が活 発 に行 な わ れ は じめて い るが,南 ペル ー高 地 の 文 化 生 態学 に と っ て,東 斜面 で あ れ西 斜 面 で あれ,牧 民 は きわ めて 重 要 な存在 で あ る。

  この 広大 な高 地 の な かで 河 川 が 深 い谷 を刻 む。 そ して 上流 部 の谷 間 や斜 面 で 農 業 が 営 まれ る。 河川 の下 流 部 は ほ とん ど使 え な い が,ま だ 水 量 の少 な い上 流 部 の 諸 支 流 域 で は,あ る程度 の谷 底 平 野 が あ り,そ れ に続 く緩 傾 斜 の 斜面 も農 地 に利 用 され る。 そ

して 標 高 の 高 い 斜面 に も農 地 が 開 か れ る。

  南 ペル ーの ア ンデ ス 西斜 面 で は,ア ンデ ス 山脈 の分 水 嶺 か ら西 へ 台地 が張 り出 し,

太 平 洋 岸で 断崖 を作 る。 河 川 は深 い峡 谷 の まま 海 に注 ぎ,下 流 平 野 を 形 成 しない 。 そ

れ ゆ え に海 岸 地 帯 に大 きな都 市 も発 達 しな か った 。 ア レキ ーパ や モケ グ ア,タ ク ナ な

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国立民族学博物館研 究報 告  5巻1号 どの都 市 は,植 民 地 時 代 に な って か ら発 達 した 。 台地 は海 抜2,000mか ら3,000m の 高 さで太 平 洋 岸 に連 な り,砂 漠 も し くは半 砂 漠 の 景 観 を呈 す る。 諸 河川 の上 流 部 に 至 って は じめ て,谷 底 や 斜 面 を 農地 と して 利 用 で き るよ うに な る。 また,台 地 は東 の 方 へ ゆ くに つ れ て徐 々 に高 度 を 増 し,海 抜4,000mの あ た りか ら起 伏 の 多 い草 地 とな って,家 畜 飼 育 が可 能 にな る。 この上 流 部 の農 業 と高 原 の牧 畜 と が結 び つ い て,ペ ル ー高 地 に一 般 的 なツ エ ラ的 生 活 様 式 が で きあ が る 。 但 し,牧 畜 の 重要 性 と,そ れ に 従 事 す る人 口の 大 き さは,ペ ル ー の他 の 高地 とは異 な った,南 ペ ル ー の特 徴 で あ る。

皿.調 査 経 路

今 回 の調 査 は,1978年8月 末 よ り11月 初 め まで の お よ そ2カ 月 間 で あ った。 南 ペル

ー の西 斜 面 につ い て は ,民 族 学 的 に も先 史 学 的 に も資 料 は皆 無 に 近 く,南 ペル ー西 斜

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大貫  南部ペルーのアンデ ス西斜面における環境利用

面 とい う地域 の概 念 を 把 握 す る た め に,広 範 囲 を 見 て ま わ る 必要 が あ った 。 そ こで筆 者 は特 定 の 地 域 に定 着 し集 中 的 な 調 査 をす る の で はな く,で きる だ け広 く歩 き まわ る

なか で,南 ペ ル ー の一 般 的 特 色 を つ か み 出す 仕 事 を 担 当 した 。 したが って,各 地 で の 滞 在 は1日 か ら3日 く らい とい う短 い 時間 と な り,得 られ る情 報 に は限 りが あ り,き わ めて 表 面 的 な もの とな った の はや む をえ な い。 しか しな が ら,乏 しい見 聞 と はい え, 実 際 に南 ペル ー を 歩 き,現 地 の人 び とに接 す る こ とはや は り貴 重 な経 験 と い うべ きで, 南 ペル ー の西 斜 面 の 自然環 境 と生 活 の 関係 につ い て,概 略 的 な 展 望 を得 る こ とが で き

た 。調 査 経 路 につ い て は,図1の 概 念 図 に示 す 通 りで あ る。

IV.南 ペル ー西 斜 面 の環 境 区 分

  地 形 上 の 特 徴 は,ペ ル ー の 北 海 岸 や 中 央 海 岸 と異 な る と は い え,ペ ル ー 南 部 西 斜 面 の 生 態 学 的 条 件 は,特 に 環 境 区 分 帯 と して み た 場 合,ペ ル ー の 他 の 地 域 と共 通 す る 。 す な わ ち 海 岸 地 帯 は 砂 漠 で あ り,河 川 の 流 域 下 流 部 か ら 中 流 部 は ユ ン ガ で あ り,上 流 部 の 谷 間 は キ チ ュ ワ と な る 。 そ し て 海 抜4,000m以 上 の 高 原 は,プ ー ナ と し て の 諸 条 件 を も つ 。 本 稿 で はPulgar  Vidal[1946]の 用 法 に 依 拠 し て 環 境 区 分 を 設 け る 。 そ の 大 要 に つ い て は 別 稿 で 紹 介 し た[大 貫   1978]が,表1の ご と くで あ る 。 な お ユ ン ガ に つ い て,Pulgar  Vidalは 海 岸 ユ ン ガ と 山 間 ユ ンガ を 区 別 し て い る 。 そ して 海 岸 ユ ンガ は ア ンデ ス 西 斜 面 の 海 抜500mか ら2,300  mま で の と こ ろ に 分 布 す る と して い る 。 南 ペ ル ー 西 斜 面 の 場 合,諸 河 川 の 下 流 に は も ち ろ ん 海 岸 ユ ン ガ が 見 出 せ る が,か な り上 流 に 入 っ た と こ ろ に も あ る 。 定 義 的 に は 海 岸 ユ ンガ と い え る の で あ る が,近 く に は キ チ ュ ワ 地 帯 が あ っ て,さ ら に プ ー ナ 地 帯 と の 関 係 の 強 か っ た 歴 史 が あ って,ペ ル ー の 他 の 地 域 の 山 間 ユ ン ガ と 共 通 す る 点 が 多 い 。 そ う し た 河 谷 中 流 な い し上 流 の ユ

ン ガ は,南 ペ ル ー に あ っ て は,河 谷 下 流 に つ な が る も の で は な く,む し ろ高 地 に つ な が っ て い る の で あ る 。 こ の 点 は,南 ペ ル ー 西 斜 面 独 特 と い っ て よ い 。

        表1ア ン デ ス 高 地 の 環 境 区 分

海 抜 名 称 主 た る 特 徴

5,000m

プ ー ナ (Puna)

起 伏 の 多 い な だ らか な 草 原 。 寒 冷 。 雨 量1,000mm以 上 。 植 物:チ ャ ンパ(Distichia  muscoides)

      イ チ ュ(StiPa  ichu)

作 物:ジ ャガ イ モ,オ オ ム ギ

家 畜:リ ャ マ(Lama  glama glama)

      ア ル パ カ(Lama  Pacos)

      ヒ ツ ジ

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国立民族学博物館研究報告  5巻1号

4,000m

ス ー 二

(Suni)

3,500m

キ チ ュ ワ Kichwa

ま た は Quechua

2,300m

1,000m

ユ ン ガ (Yunga)

谷 の 源 頭;斜 面 上 部;な だ ら か な 起 伏 地 。 寒 冷 。 雨 量1,000mm以 上 。

植 物:タ   ヤ(LepidoPh211um  sp.)         キ ヌ ア ル(Polllepis  「acemosa)         キ ス ワ ル(BuddleJ'a  sp.)         イ チ ュ

作 物:マ シ ュ ワ(丁 吻 αθ ぬ 配 励870躍 切         キ ノ ア(ChenoPodium  quinoa)         カ ニ ワ(ChenoPodiwm  canihaα)         オ ユ コ(Ullucus  tuberosus)

        ジ ャ ガ イ モ,ソ ラ マ メ,オ オ ム ギ,オ カ(Oxalis  tubθ70∫a) 谷 上 流 部;山 の 斜 面 。 温 暖 だ が 霜 も あ る 。 雨 量1,000mm以 下 。 植 物:レ タ マ(Cassia  sp・),モ リ ェ(Schinus  molle),         マ ゲ イ(A.gaue  amen'cana),ユ ー カ リ,サ ボ テ ン 作 物:ト ウ モ ロ コ シ,コ ム ギ,ジ ャ ガ イ モ,ソ ラ マ メ,        そ の 他 野 菜 類

果 樹:イ チ ヂ ク,ブ ドウ,ア ン ズ,モ モ 家   畜:牛,馬,ロ バ,ラ バ,ヒ ツ ジ,ヤ ギ な ど

山 の 斜 面 下 部;谷 底 。 温 暖,乾 燥 。 雨 量1,000  m以 下 。 植 物:マ ゲ イ,サ ボ テ ン,モ リ ェ,ユ ー カ リ,ヤ ナ ギ 作 物:ト ゥ モ ロ コ シ,サ ト ウ キ ビ,サ ッ マ イ モ,コ メ,そ の 他 果 樹:パ パ イ ヤ,チ リモ ヤ(Annona  cherimelia),

      ル ク マ(Lescwma  obovata),パ カ エ(lnga  feuillei),         ア ボ カ ド(Persea americana),ブ ドウ,オ レ ン ジ,そ の 他 (1)ユ ンガ の う ち,海 岸 ユ ン ガ は,海 抜500mか ら2,300  mま で 。

(2)動 植 物 学 名 は,[PuLGal(・VIDAL  1946]と[SouKuP  1970]に 依 る 。

V.環 境 利 用 の 諸 形 態

1.Apurimac県Chalhuanca谷

  チ ャル ワ ン カ(Chalhuanca)谷 は,ア プ リマ ッ ク県 と ア ヤ ク チ ョ県 の 境 と な る プ ー ナ 地 帯 に 端 を 発 し,途 中 南 か ら ア ン タ バ ンバ(Antabamba)谷 を 迎 え 入 れ,ア プ リマ ッ ク県 の 首 都 ア バ ンカ イ(Abancay)の 南 側 を 通 って ア プ リ マ ック 川 に 合 流 す る 。 こ の チ ャ ル ワ ン カ 谷 と そ の 南 側 の 山 地 を ひ と つ に し て こ こで 検 討 す る 。 そ の 山 地 は 主 と して プ ー ナ 地 帯 と雪 山 か ら成 る が,コ タ ワ シ(Cotahuasi)谷 方 面 に も つ な が り,チ ャ ル ワ ン カ 谷 は ア ンデ ス 分 水 嶺 の 東 側 に 位 置 しつ つ も,西 斜 面 と の 交 渉 が み ら れ る と こ

ろ で あ る 。

南 海 岸 の ナ ス カ を 出 て ア ンデ ス山 脈 の 西斜 面 を登 る 自動 車道 は,プ キオ(Puquio)

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大貫   南部 ペルーの アンデ ス西斜面における環境利用

か らア バ ン カ イ を 経 て ク ス コ に 通 じ,南 ペ ル ー の 最 も 重 要 な 幹 線 道 路 の ひ と つ で あ る 。 ナ ス カ か ら お よ そ80km,約3時 間 の 急 な 登 り を 続 け る と,海 抜3,600  mに 達 し,そ れ ま で の 乾 き き っ た 荒 地 の 山 に 草 地 が み え は じ め,ヒ ツ ジ の 放 牧 が み られ る よ う に な

る 。 そ し て3,800mあ た り か ら プ ー ナ 地 帯 に 特 徴 的 な イ チ ュ と い う草 が 多 く な り,そ れ と と も に プ ー ナ の 野 生 動 物 の 代 表 と も い え る ラ ク ダ 科 の ビ ク ー ニ ャ が 姿 を 現 わ す 。 山 は す で に な だ ら か な 起 伏 の 高 原 に 変 る 。 こ の 平 坦 と も い え る プ ー ナ 地 帯 の ま ん な か に プ ン タ ・ガ レ ー ラ(Punta  Galera)が あ り,そ こ に は,ビ ク ー ニ ャ の 保 護 と 繁 殖 に あ た る ペ ル ー ・ ドイ ツ 合 同 の 事 業 所 が あ る 。 こ こ を す ぎ る と 道 は 下 り に な り,ナ ス カ よ り143km,時 間 に して お よ そ5時 間 で ル カ ナ ス(Lucanas)の 村 に 着 く 。海 抜3,375 mの この 村 は せ ま い 谷 間 に あ り,両 側 の 山 の 斜 面 下 部 を 畑 に して い る 。

  こ の 村 の 東 側,谷 の 左 岸 側 の 山 上 に プ ラ プ ク(Purapucu)と い う遺 跡 が あ る 。 粗 石 や 整 形 した 石 の 建 物 が あ り,そ の 積 み 方 を は じ め,表 面 に 落 ち て い る 土 器 片 の 幾 何 学 文 は,明 らか に イ ン カ 様 式 で あ る 。 保 存 良 好 の 建 物 の ひ と つ は,自 然 の 山 の 斜 面 を 奥 壁 に 利 用 した も の で,内 部 の 幅 約2m,長 さ4mの 長 方 形 を 呈 し,長 辺 の 中 央 に 幅 1m程 の 入 口 が あ い て い る 。 内 部 の 天 井 高 は 約2血,石 壁 の 厚 さ はlmと 厚 い 。 天 井 に は 長 さ2m以 上 の 大 石 を 渡 し て い る 。 こ の よ う な 建 物 の ほ か に,周 囲 に は 長 方 形, 方 形,円 形 の,粗 石 積 の 建 物 が 密 に 分 布 して い る 。 長 方 形 の 建 物 は,墓 室 と も み え る

が,そ の 他 は 住 居 の 跡 と考 え られ る 。

  ル カ ナ ス を 出 て 谷 沿 い に 下 っ て 少 し行 く と プ キ オ の 町 で あ る 。 海 抜3,200m,比 較 的 平 坦 な 土 地 に か こ ま れ た 町 で,周 囲 は 牛 の 牧 場 と な っ て い る 。 プ キ オ を 出 て 約1時 間 半,海 抜4,350mに 達 す る と ま さ に 広 大 無 辺 の プ ー ナ の 草 原 で あ る 。 お よ そ2時 間 こ の プ ー ナ 地 帯 を 横 切 っ た の ち に チ ャ ル ワ ン カ 谷 へ の 下 り と な る 。 プ キ オ や ル カ ナ ス の あ る谷 間 は,ア カ リー(Acari)谷 の 源 流 部 分 で あ る か ら,プ キ オ を す ぎ て チ ャ ル ワ ン カ に 向 か っ て 横 切 る プ ー ナ 地 帯 が こ の 部 分 の ア ンデ ス 山 脈 の 分 水 嶺 と な る 。 下 り道 に な っ て4,000  mか ら3,800  mあ た りの と こ ろ に は,イ チ ュ で 屋 根 を 葺 い た,粗 末 な 石 造 り の 家 が 点 在 し,そ の 家 の 周 囲 に は,石 積 み の 囲 い が あ る 。 こ れ ら は,エ ス タ ン シ ア(estancia)と よ ば れ,リ ャ マ や ア ル パ カ の 飼 育 を 営 む 牧 民 の 住 居 で あ る 。 こ こ を 過 ぎ て 谷 間 に 入 る と,海 抜3,400mあ た り か ら,谷 の 両 側 の 斜 面 下 部 に 整 然 と し た 階 段 畑 が み え は じ め,灌 木 類 や ユ ー カ リ の 木 が 姿 を 現 わ す 。 そ し て コ タ ル セ (Cotaruse),カ ラ イ バ ンバ(Caraybamba)な ど の 村 が 形 成 さ れ,や が て 海 抜2,900  m の チ ャル ワ ン カ の 町 に 着 く。

  チ ャ ル ワ ン カ は,南 海 岸 の ナ ス カ か ら ク ス コ へ 通 ず る 幹 線 道 路 に 面 し,バ ス や トラ

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国立民族学博物館研究報 告  5巻1号

写 真1  プ ー ナ の 牧 民 の エ ス タ ン シ ア

ッ ク の 中 継 地 と し て 商 業 活 動 が さ か ん で あ る 。 し か し住 民 の 少 な く と も半 分 は 農 民 で, 幅 の せ ま い 河 岸 段 丘 と,そ の 背 後 の 急 峻 な 山 腹 に 畑 を 作 る 。 チ ャ ル ワ ン カ の 農 業 は ト ウ モ ロ コ シ,ジ ャ ガ イ モ,オ オ ム ギ,コ ム ギ,ソ ラ マ メ を 主 作 物 と し,ほ と ん ど が 自 家 用 で,換 金 す る の は,ご く少 量 に す ぎ な い 。 チ ャル ワ ン カ の 人 び と は,山 の 上 の プ ー ナ を 直 接 利 用 す る こ と が な い 。 プ ー ナ に は 牧 民 が い て,チ ャ ル ワ ン カ と は ま っ た くべ つ の カ テ ゴ リー に 入 る も の と さ れ て い る 。 も ち ろ ん 通 婚 関 係 は な い 。 牧 民 た ち は 必 要 に 応 じ て チ ャル ワ ン カ に下 り て き て,砂 糖 や 塩 を 買 う 。 そ の と き チ ャル キ と い う 乾 燥 肉 や ア ル パ カ の 毛 な ど,プ ー ナ の 特 産 物 を も って く る 。 か つ て は,牧 民 と チ ャ ル ワ ン カ の 住 民 と の 間 に は 物 々 交 換 が 行 な わ れ た で あ ろ う が,現 在 は ほ と ん ど 貨 幣 を 媒 介 と した 交 換 で あ る 。 チ ャル ワ ン カ に は ア ル パ カ の 毛 を 扱 う 大 き な 商 社 の 支 店 が あ り,プ ー ナ地 帯 で 毛 を 集 め,チ ャ ル ワ ン カ に そ れ を 集 積 し た あ と,ト ラ ッ ク で プ ー ノ (Puno)に 運 び,そ こ か らお そ ら く ア レ キ ー パ 経 由 で 国 際 市 場 へ と 出 し て い る 。 し た が っ て,牧 民 は プ ー ナ 地 帯 で す で に 貨 幣 を 入 手 し て い る の で あ る 。

  チ ャ ル ワ ン カ の 少 し南 に カ ラ イ バ ンバ の 村 が あ る 。 こ の 村 は 同 名 の 小 さ な 谷 間 に 少

し 入 っ た と こ ろ に あ る が,谷 の 両 側 に 天 に も と ど か ん ば か り に 続 く階 段 畑 は壮 観 で あ

る 。 そ の 階 段 畑 は 海 抜3,800mあ た り ま で あ り,下 限 は3,200な い し3,100mあ た

り に あ る 。 畑 は ほ と ん ど キ チ ュ ワ地 帯 に 位 置 す る が,上 端 は ス ー 二 地 帯 に 入 る 。 そ し

て こ の 部 分 に 大 き な 遺 跡 が あ り,カ ラ イ バ ンバ を くわ し く 調 査 し た 友 枝 に よ る と,か

っ て は そ こ に 住 ん で い た と い う伝 承 が 残 って い る と い う 。 チ ャ ル ワ ン カ や カ ラ イ バ ン

バ は,キ チ ュ ワ=ス ー 二 地 帯 の 農 業 を 経 済 的 基 盤 に し て い る が,古 く は そ の 上 端 に 居

(11)

大貫  南部ペルーのア ンデ ス西斜 面における環境 利用

写 真2  カ ラ イ バ ン バ の 階 段 畑

を 構 え て,そ れ よ り下 方 の 畑 を 運 営 し て い た も の か も し れ な い 。 そ う な る と プ ー ナ 地 帯 は 目 の 前 で 弟 り,プ ー ナ の 利 用 に も 便 利 が よ か っ た で あ ろ う。 た と え プ ー ナ は牧 民 の 土 地 で あ っ た と して も,そ の 牧 民 と の 相 互 依 存 の 関 係 は 今 日 よ り は る か に 密 接 で あ っ た に ち が い な い 。

  カ ラ イ バ ンバ の 谷 を 源 ま で つ め る と 起 伏 の 多 い プ ー ナ 地 帯 に な る 。 そ し て モ リ ェ バ

ンバ(Mo11ebamba)の 村 へ 下 り,ふ た た び 高 い 山 を 越 え て ア ン タ バ ンバ に着 く 。 カ

ラ ィ バ ンバ か ら お よ そ100kmの 道 の り で あ る が,5時 間 を 要 す る 難 路 で あ る 。 そ れ

だ け 起 伏 が は げ し い 山 地 と い え る が,こ の 自 動 車 道 よ り少 し 南 の 方 と か,ア ン タ バ ン

バ の 東 の 方 に は も っ と な だ ら か な プ ー ナ 地 帯 が ひ ろ が り,牧 民 の エ ス タ ン シ ア が 点 在

す る よ うで あ る 。 ア ン タ バ ンバ は,山 奥 に あ る 町 に して は 大 き くか つ 近 代 的 で,家 屋

の 屋 根 は 赤 瓦 の も の が ほ と ん ど で,大 き な 学 校 や 立 派 な 教 会,毎 日 開 く わ け で は な い

が 劇 場 兼 映 画 館 も あ る 。 住 民 は メ ス テ ィ ー ソ が 主 体 で,多 く は プ ー ナ 地 帯 や 村 の 近 く

で 牛 を 飼 っ て い る 。 裕 福 な 牛 飼 い は リマ に 家 を も ち,そ こ へ 子 供 達 を 送 っ て 教 育 さ せ

た り し て い る 。 ア ン タ バ ンバ の 町 の 上 方 の 山 の 斜 面 に は 小 さ な 農 民 の 家 が 散 在 し,ジ

ャ ガ イ モ の 栽 培 と家 畜(リ ャ マ や 牛)の 飼 育 を 細 々 と 行 な っ て い る 。 ア ン タバ ンバ は

海 抜 約3,600mに あ って,キ チ ュ ワ 地 帯 の 上 限 で あ る 。 そ して 町 の 下 の 海 抜 約3,200

mの 谷 底 か ら4,100m程 の 高 さ ま で に わ た って,・ 急 峻 な 斜 面 が 畑 や 牧 場 に な っ て い

る 。 ア ン タ バ ン バ の 牛 は 近 隣 で は な く,遠 く ア レ キ ー パ と か リ マ な ど の 海 岸 低 地 の 大

都 市 に 売 られ る も の で あ り,ア ン タ バ ン バ は 周 囲 の 村 や 町 を 一 足 と び に越 え て,経 済

的 に も 文 化 的 に も 都 市 に よ り 強 く結 び つ い て い る 。

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国立民 族学博物館研究報告  5巻1号   さ て チ ャ ル ワ ン カ 谷 に も ど り さ ら に 下 って ゆ く と,海 抜2,400mあ た り か ら周 囲 の 植 物 景 観 が 少 し ち が って く る 。 そ れ ま で 多 くあ った モ リェ(Schinus  molle),マ ゲ イ (Agave  americana),レ タ マ(Ca∬ia  sp.)な ど の ほ か に,ル ク マ(Lucwma  obovatの や チ リモ ヤ(Annona  cherimolia),パ パ イ ヤ,オ レ ン ジ な ど の 果 樹 が み え は じ め,空 気 は暖 か く な り,乾 燥 が 強 ま る 。 つ ま り キ チ ュ ワ 地 帯 か らユ ンガ 地 帯 に 移 る の で あ る 。 そ し て こ の ユ ン ガ 地 帯 は さ ら に 下 方 の ア バ ン カ イ ま で 続 く。 ア バ ン カ イ 周 辺 の 農 業 地 帯 は, 現 在 や や 衰 え て は い る が サ トウ キ ビ は じ め,果 樹,ト ウ モ ロ コ シ な ど を 産 し,多 くは

自 家 用 と い う よ り も換 金 作 物 で あ り,10年 程 前 ま で は 大 規 模 な ア シ エ ン ダ 経 営 の み ら れ た と こ ろ で あ る 。

  以 上 の 観 察 を も と に,チ ャ ル ワ ン カ 谷 を 中 心 に し て や や 広 い 地 域 を 図 式 的 に と らえ る と す れ ば,そ の 環 境 利 用 の 形 は,表2の よ う に ま と め る こ と が で き る 。 す な わ ち, ま ず 高 い と こ ろ に あ る プ ー ナ 地 帯 に は,牧 民 が い て リ ャ マ と ア ル パ カ の 飼 育 を 行 な う。

ま た プ ー ナ の 一 部 は 牛 の 飼 育 に も 用 い られ る 。 牧 民 の 産 す る ア ル パ カ の 毛 は,ほ と ん ど が プ ー ノ に 拠 点 を も つ 獣 毛 業 者 が 買 い と っ て し ま う 。 ま た,牛 は メ ス テ ィ ー ソ の 牛 飼 い に よ っ て 大 都 会 に 売 り さ ば か れ る 。 こ う し て,プ ー ナ 地 帯 は 近 隣 の 農 村 よ り も, 遠 い と こ ろ に 中 枢 を もつ 国 家 経 済 や 国 際 経 済 と 結 び つ い た 形 に な る 。 しか しな が ら,

表2チ ャ ル ワ ン カ 谷 の 環 境 利 用 海 抜

5,000m

4.000  rm

3,500m

2,800m 2,400m

1,000m

環 境

プ ー ナ

ス  ー 二

キ チ ュ ワ

生 業 と 経 済

牧 畜(1):ア ル パ カ,リ ャ マ

牧 畜(2):ウ シ 農 業 と牧 畜(ジ ャガ イ モ,

リ ャ マ,ウ シ) 農 業:ジ ヤ ガ イ モ,オ

オ ム ギ,ソ ラ マ メ

農 業:ト ウ モ ロ コ シ

商 業

主 た る 集 落 エ ス タ ン シア に 分 散

ア ン タ バ ンバ

カ ラ イ バ ンバ モ リ ェバ ン バ

チ ャ ル ワ ン カ

環 境 利 用

交 換

キ チ ュ ワ

ユ ン ガ

農 業:ト ウモ ロ コ シ, サ トウキ ビ等 の 他,す べ て換 金 作物

無 入

ア バ ン カ イ

△:遺 跡

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大貫  南部ペルーのア ンデス西斜面における環境利用

写 真3プ ー ナ の ア ル パ カ 放 牧

近 隣 の 農 村 との伝 統 的 な関 係 が必 ず し も絶 たれ て はい な い よ うで,そ の点 に つ い て は カ ラ イバ ンバ な ど の くわ しい 調 査 が明 らか にす る こ とで あ ろ う。

  キチ ュ ワ地 帯 の住 民 は各 所 に村 落 を構 え,そ の上 下 の斜 面 を 耕 作 す る。 キ チ ュ ワ上 部 か らス ー 二地 帯 で ジ ャガ イ モ や ム ギ類,ソ ラ マメ な ど を,下 の 方 で 主 と して トウモ ロ コ シを作 る。 この地 帯 で モ リェバ ンバ は特 異 な存 在 で,将 来 の 研 究 に と って 興 味 深 い 。 ま ず,住 居 が ほ とん どす べ て草 葺 き屋 根 で,他 の赤 瓦 や トタ ンの 屋根 の多 い集 落 とは異 な る。 そ して 住 民 の ほ とん どが イ ンデ ィオ で,ケ チ ュア 語 が 優 勢 で,ス ペ イ ン 語 が通 じに くい。 女 性 の 服装 は典 型 的 な イ ンデ ィオ様 式 で あ る。 ア ンタバ ンバ,カ ラ イバ ンバ,チ ャル ワ ンカな ど メ ス テ ィ ー ソが主 体 の村 や 町 に く らべ て,き わ め て伝 統 的 な色 彩 が濃 い とい え る。 時 間 の都 合 で モ リェバ ンバ に立 寄 れ な か った の は遺 憾 で あ った が,く わ しい調 査 を して み る価 値 が あ りそ うで あ る。

  ユ ンガ地 帯 は最 近 まで ア シエ ンダ経 営 の 行 な わ れ て いた とこ ろで,サ トウ キ ビの植 付 け と砂 糖 の生 産 が さ かん で あ った が,10年 前 の 農業 改 革 で 個 人 経 営 や 組 合経 営 に変 って か らは活 動 が大 幅 に低下 した 。 それ で もユ ンガ地 帯 の農 業 は国 家 経 済(市 場 経 済) の一 環 で あ る とい う性 格 は変 って い な い。

  ア ンデ ス高 地 の環 境 利 用 は,同 一 エ ス ニ ック ・グ ル ー プ が異 な る生 態学 的 ゾ ー ンを

複 合 的 に利 用す る方 式 か,異 な る エ ス ニ ック ・グル ー プ が異 な る生 態 学 的 ゾ ー ンを 開

発 し,交 換 を 通 して相 互 依 存 の 関係 を保 つ 方 式 を 基 本 に して い るが,チ ャル ワ ンカ 谷

の場 合,そ の前 者 の方 式 はな く,後 者 の形 は と って いて も,相 互 依 存 の 関係 は 弱 ま っ

て い る。 わず か に プ ー ナ とキ チ ュ ワ=ス ー 二 との間 に,完 全 な 相 互 補 完 で は な い が,

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国立民族学博物館研究報告  5巻1号 古 くか らの結 びつ きが残 って い る にす ぎな い 。

2.Ayacucho県Parinacochas郡

  プ キ オ か ら東 へ 行 く道 は,乾 燥 の 強 い 山 地 を 抜 け る 。 灌 木 の 林 も と こ ろ に よ って は あ り,キ ヌ ワ ル(PolylePis  sp.)の 林 な ど あ る と こ ろ を み る と,ス ー 二 地 帯 に 入 る と し て よ か ろ う。 人 間 の 居 住 は な く,プ キ オ と か チ ャ ビ ー ニ ャ(Chavifia)な ど,少 し下 の キ チ ュ ワ 地 帯 の 住 民 が 薪 と か 木 材 用 に 灌 木 を 利 用 す る ら しい 。 プ キ オ か ら約100km,

5時 間 の 悪 路 の 道 の りを 経 て,海 抜3,060mの コ ラ コ ラ(Coracora)に 着 く 。 三 方 を 山 に 囲 ま れ た 広 い 盆 地 状 の な だ ら か な 傾 斜 を も つ 平 坦 地 で,そ こ は 太 平 洋 に 入 る ヤ ウ カ(Yauca)谷 の 源 流 地 帯 で あ る 。 コ ラ コ ラ の 町 は 碁 盤 目状 の 整 然 と し た 町 並 み を み せ,中 央 の 広 場 に 面 して 教 会,市 役 所 が 配 置 さ れ,非 常 に 近 代 的 な 感 じ の 町 で あ る 。 住 民 の 大 半 は メ ス テ ィ ー ソ で,町 の 外 に ひ ろ が る牧 場 で 牛 を 飼 育 し て い る 。 こ こ の 牛 や 乳 製 品 は 南 海 岸 の ナ ス カ や そ こ を 経 由 して リ マ の 方 に 売 られ て ゆ くが,か つ て は 一 部 が プ ー ナ の 住 民 の リ ャ マ や ロバ の 背 に 乗 せ られ,チ ャ ル ワ ン カ 方 面 に も 運 ば れ た と い う 。 し か し,ヤ ウ カ 谷 の 方 に つ な が る 自 動 車 道 が で き,プ キ オ と コ ラ コ ラ も 自動 車 で 結 ば れ て い る 今 日,チ ャ ル ワ ン カ へ 運 ぶ の は あ ま り得 策 で な く,最 近 は 自 動 車 を 利 用 して 海 岸 地 方 と の 取 引 き だ け に な っ て し ま った ら しい 。

  コ ラ コ ラ を 出 て 盆 地 の 端 を ま わ り こむ よ う に して 南 へ 行 く と,盆 地 の は ず れ に チ ュ ン ピ(Chumpi)と い う小 さ な 村 が あ る 。 こ こ は コ ラ コ ラ と は 対 照 的 に,イ ン デ ィ オ 的 色 彩 が 濃 い と こ ろ で,村 よ り下 方 に ひ ろ が る 畑 の 耕 作 を 行 な って い る 。 チ ュ ン ピ を す ぎ 小 灌 木 の 多 い 荒 地 を 抜 け る と,前 方 に パ リナ コ チ ャ(Parinacocha)湖 が み え て く る 。 直 径10km程 の 大 塩 湖 で,湖 岸 に は 白 い 塩 が 堆 積 す る 。 そ の 手 前 は 草 地 に な って い て,牛 の 放 牧 場 に な って い る 。 湖 面 は お よ そ 海 抜3,270mで あ る 。

  湖 の 東 北 に イ ン ク ー ヨ(Incuyo)の 町 が あ る 。 こ の 町 の 東 側 の 斜 面 が 畑 に な って い て,ジ ャ ガ イ モ や ト ウ モ ロ コ シ を 作 る 。 そ こ は3,200mか ら3,000mく ら い ま で の 斜 面 で,畑 と し て は あ ま り大 き くな い 。 た だ,こ の 斜 面 を さ ら に 東 へ 下 る と パ ウ サ (Pausa)の 谷 に 入 る 。 そ こ は オ コ ー ニ ャ(Ocofia)谷 の 上 流 の 一 支 流 で,谷 間 は 温 暖 で オ レ ン ジ な ど 柑 橘 類 を 産 す る と い う 。 パ ウ サ は海 抜2,500m,平 坦 な 河 岸 段 丘 上 に ひ ろ が る 農 地 は,ほ ぼ ユ ン ガ 地 帯 の 上 限 に 入 る も の と 思 わ れ る 。 そ し て パ ウ サ は イ ン ク ー ヨ を 経 て 南 海 岸 に 自 動 車 道 で つ な が っ て い る。

  以 上,チ ャ ビ ー ニ ャ,コ ラ コ ラ,イ ン ク ー ヨ,パ ウ サ の 一 帯 を,パ リナ コ チ ャ ス 郡

と して ま と め る と,表3の よ う な 環 境 利 用 の 図 式 が 得 られ る 。 プ ー ナ は,プ キ オ と チ

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大貫  南部ペルーのア ンデ ス西斜面における環境利用

写 真4  パ リ ナ コ チ ャ 湖

ヤル ワ ン カ の 間 に ひ ろ が る も の が コ ラ コ ラ や チ ャ ビ ー ニ ャの 地 方 に の び て い る 。 リャ マ や ア ル パ カ の 牧 畜 地 帯 で あ る が,牧 民 は プ ー ナ の 北 の チ ャル ワ ンカ や ア ン タ バ ンバ, オ コ ー ニ ャ 谷 上 流 の コ タ ワ シ な ど に 結 び つ い て い て,南 の コ ラ コ ラ 方 面 と は あ ま り 関 係 を も た な い よ うで あ る 。 コ ラ コ ラ周 辺 の キ チ ュ ワ地 帯 は,牛 の 牧 場 と し て さ か ん に 利 用 さ れ て い る が,そ の ほ か トウ モ ロ コ シ,オ オ ム ギ,ジ ャ ガ イ モ の た め の 畑 も あ る 。 パ ウ サ 方 面 の ユ ンガ 地 帯 は 実 際 に は 目 に して お らず ,は っ き り と した こ と は言 え な い が,果 実 類 は 多 くが 換 金 用 に な っ て い る と 思 わ れ る 。 た だ,プ ー ナ の 牧 民 の 交 易 品 の な か に 乾 燥 果 実 が しば しば 見 出 さ れ る の で,牧 民 と の 関 係 が み られ る か も し れ な い 。   チ ャ ビ ー ニ ャ と コ ラ コ ラ で は,町 の 郊 外 の 小 高 い 山 上 に 遺 跡 が あ る 。 チ ャ ビ ー ニ ャ

表3  パ リ ナ コ チ ャ ス 郡 の 環 境 利 用

海 抜

4,000m 3,800m

2,800m 2,600m

環 境

プ ー ナ

ス  ー 二 ・

キ チ ュ ワ

生 業 と 経 済

牧 畜:ア ル パ カ,リ ャ マ

ユ ン ガ

牧    畜:ウ シ

農 業:ト ウモ ロ コ シ,         ジ ヤガ イ モ,オ         オ ムギ 農    業:果 樹

主 た る 集 落 エ ス タ ン シア に 分 散

      ム イ ンクー ヨ チ ュ ン ピ    ム

コ ラコ ラ    ム パ ウサ

環 境 利 用

遺 跡

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国立民族学博物館研究報告  5巻1号

写 真5  サ ン ケ サ ン ケ 遺 跡 の 小 山

付 近 の ア ル トク ワ チ ャ ナ(Altoqhuachana),ア ン カ ス コ チ ャ(Ancascocha),セ レ ナ パ ク チ ャ(Serenapaccha),コ ラ コ ラ 付 近 の サ ン ケ サ ン ケ(Sanquesanque)そ の 他 で あ る 。 ま た パ リナ コ チ ャ湖 の ま わ り に は い くつ か あ る ら し い が 実 見 す る余 裕 が な か っ た 。 こ こ か ら 山 づ た い に 海 岸 へ ゆ く と,チ ャ ラ(Chala)の 町 に 出 て,ケ ブ ラ ー ダ ・ デ ・ ラ ・バ カ(Quebrada  de la Vaca)の 大 遺 跡 や イ ン カ 王 道 が あ る 。 イ ン カ 帝 国 の 伝 承 で は,比 較 的 早 い 時 期 に パ リ ナ コ チ ャ か ら南 海 岸 へ の 進 出 が 行 な わ れ た よ うで,

コ ラ コ ラ の サ ン ケ サ ン ケ な ど は,イ ンカ 帝 国 の そ う し た 進 出 の 拠 点 と も な っ た 可 能 性 が あ る 。 パ リ ナ コ チ ャ か ら コ ラ コ ラ お よ び 海 岸 地 方 の ヤ ウ カ 谷 の 先 史 学 的 調 査 は,イ

ン カ 帝 国 の 伝 承 と あ わ せ て 進 め て み る と 興 味 深 い の で は な か ろ う か 。

3.Arequipa県Chuquibamba谷

  南 ペ ル ー 最 大 に し て,ペ ル ー 第 二 の 都 市 ア レ キ ー パ か ら西 へ ゆ き,途 中 で パ ン ア メ リカ ン ・ハ イ ウ ェ イ を は な れ て 進 む と,マ ヘ ス(Majes)川 に 出 る 。 道 路 が こ の 川 を 渡 る あ た り は す で に下 流 部 で,河 口 ま で60kmく ら い しか な い と こ ろ で あ る が,川 の 両 側 は 切 り立 つ 断 崖 を 呈 し て い て,谷 幅 はlkmあ る か な い か と い っ た せ ま さ で あ

る 。 した が っ て,谷 幅 い っ ぱ い に 河 礫 の ひ ろ が る 状 態 で,畑 は 幅 の せ ま い 河 岸 段 丘 や

水 の か ぶ ら な い 谷 底 の 平 地 を 利 用 して 作 られ て い る 。 これ らの 畑 で は,ト ウ モ ロ コ シ,

サ トウ キ ビ,コ メ な ど を 主 に 作 り,バ ナ ナ,パ パ イ ヤ そ の 他 暖 地 産 の 果 樹 も 多 い 。10

年 前 ま で は ア シ エ ンダ 経 営 に よ る 農 地 で あ っ た 。 ア プ ラ オ(Aplao)の 町 を 出 て 急 坂

を 登 る と,マ ヘ ス 川 の 右 岸 の 段 丘 上 に 出 る 。 あ た り全 域 が 乾 き き った 砂 漠 で あ る が,

58

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大貫  南部 ペル ーのアンデス西斜面における環境利用

写 真6マ ヘ ス 川 下 流

近 年 に 至 り灌漑 工 事 を 行 な っ て,段 丘 上 の 平 坦 地 の 一 部 に 水 を ひ き,そ こ を 緑 野 に し て 牛 を 飼 い は じ め た 。 海 抜1  ,OOO m程 の と こ ろ に あ る こ の 人 工 の 牧 草 地 帯 を 横 切 る と,ま さ に 一 木 一 草 な い 砂 漠 と禿 山 で,そ こ に 深 い 峡 谷 を え ぐ って チ ュ キ ハ ン ハ の 谷 が あ る 。 こ の 谷 沿 い に 山 道 を 登 り,海 抜2,500mあ た り に な る と,両 側 の 斜 面 が な だ らか と な り,人 家 や 畑 が み え は じ め,や が て 海 抜2,970mの チ ュ キ バ ンハ の 町 に 着 く。 ア レ キ ー パ よ り約250km,約5時 間 の 道 の り で あ る 。

  チ ュ キ バ ン ハ の 町 は,同 名 の 谷 の 源 流 部 に あ り,周 囲 三 方 は4,000mを 越 え る 山 で あ る 。 町 と そ の ま わ りの 畑 は,三 方 の 山 か ら落 ち て くる 斜 面 の 上 に 乗 る 。 畑 に は 細 い灌漑 用 の 水 路 が は り め ぐ ら さ れ,牧 草 を 植 え て い る 畑 が 多 く,水 際 や 家 屋 ま わ り の 木 々 が 色 濃 い 緑 を 添 え て,美 しい 眺 望 の 楽 し め る 谷 間 で,キ チ ュ ワ地 帯 の 典 型 と も い

写真7 ナ ユキハ ンハ の町(中 央 や や 右)と 谷 間

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国立民族学博物館研究報告  5巻1号 って よ い と こ ろ で あ る 。 牛 を 飼 い 牛 乳 を 売 り に 出 す ほ か に,畑 で は ト ウ モ ロ コ シ,オ オ ム ギ,ジ ャ ガ イ モ を 主 作 物 と し て い る 。 さ ら に ア プ ラ オ の 少 し上 の 新 し い 緑 野 に 土 地 を 買 い,牛 を 飼 う者 も い る 。

  チ ュ キ バ ン バ の ま わ り の 山 々 は,そ の 背 後 に 広 大 な プ ー ナ 地 帯 を も っ て お り,そ こ に は エ ス タ ン シ ア を 構 え た 牧 民 が い る 。 チ ュ キ バ ンバ の 人 び と は 牧 民 達 を 「イ ン デ ィ オ シ ト」 と よ ん で い る 。 牧 民 は リャ マ の 背 に 薪 を 積 ん で 町 に 下 りて くる こ と が あ り, 町 の 人 び と は そ れ に よ び か け て 必 要 な だ け 薪 を 買 う。 売 って 得 た 金 で 牧 民 は 自 分 達 の ほ しい もの を 商 店 で 買 う。 牛 に よ る 収 入 が あ り,ア レキ ー パ 方 面 と の つ な が り も 強 い の で,町 の 人 び と は あ ま り プ ー ナ に 関 心 を 示 さ な い 。 ま た プ ー ナ の 人 び と も,大 き な コ ロ ブ ナ 山(6,425  m)の 南 側 の せ ま い プ ー ナ よ り も,そ の 北 側 に ひ ろ が る プ ー ナ を 重 要 視 して い る ら し く,エ ス タ ン シ ア の 分 布 は 北 側 の 方 が 多 い 。 そ して,そ こ か らプ ー ナ づ た い に ク ス コ県 や ア レ キ ー パ 県 カ イ ヨマ(Cailloma)郡 そ して プ ー ノ 県 と結 び つ く方 を 好 ん で い る ら しい 。 ご く僅 か な 聞 込 み で あ る が,チ ュ キ バ ンバ と プ ー ナ の 関 係 は 弱 い よ うで あ る 。 チ ュ キ バ ン バ の 北,コ ロ ブ ナ 山 に さ ら に 近 い と こ ろ に,海 抜 お よ そ3,200mの 町 パ ンパ コ ル カ(Pampacolca)が あ る 。 チ ュ キ バ ンバ か らの 自 動 車 道 も 通 じ て い る が,か な り山 奥 で チ ュ キ バ ンバ よ り不 便 な と こ ろ で あ る 。 しか し,プ ー ナ と の 結 び つ き は か な り強 い よ う で,コ タ ワ シ の 方 で と れ る 岩 塩 や 牧 民 の 産 物 は,プ ー ナ を 通 っ て こ の パ ンパ コ ル カ に 運 ば れ る こ と が 多 い と い う 。

  こ の チ ュ キ バ ンバ に は,ハ ラ ンパ(Jarampa)と い う名 前 の 大 き な 遺 跡 が あ る 。 濃 い 赤 色 で よ く み が い た 地 色 の 上 に 黒 で 文 様 を 描 く,い わ ゆ る チ ュ キ バ ンバ 様 式 の 土 器 片 を 出 す と こ ろ で あ る 。 遺 跡 の あ る 丘 の 斜 面 に は,階 段 畑 の 跡 が た く さ ん あ り,往 時 の 繁 栄 ぶ りを 偲 ば せ る 。 丘 の 頂 上 付 近 に は,使 い 古 さ れ た 石 臼 が 何10個 とな く捨 て ら れ て お り,斜 面 に 何10本 も の 平 行 の 縞 目 を 残 す 階 段 畑 と 共 に,さ か ん な 農 業 の 行 な わ れ て い た こ と を 物 語 る 。

  チ ュ キ バ ンバ か ら コ タ ワ シ方 面 に 通 ず る 道 を と って 町 の 背 後 の 山 を 登 り き る と,海 抜4,000mか ら4,600mの 高 さ で ひ ろ が る プ ー ナ 地 帯 で あ る 。 チ ュ キ バ ンバ か ら お

よ そ1時 間,道 の 左 手 の 丘 の 中 腹 に 遺 跡 が あ る 。 長 方 形 の 建 物 が 多 く,入 口 は ほ とん

ど が 北 側 に あ り,巨 大 な コ ロ ブ ナ の 雪 山 に 向 か って い る 。 小 灌 木 の 多 い と こ ろ で,ス

ー 二 と プ ー ナ の 接 点 と も い え る 。 土 器 片 は チ ュ キ バ ン バ 様 式 で は な く,イ ン カ 様 式 に

入 る よ う に み え る 。 建 物 の 数 は 判 然 と しな い が,少 な く と も300mか ら500mく ら

い に わ た っ て 建 物 が 分 布 し,小 さ な 集 落 の 規 模 に は な る 。 農 耕 は 不 可 能 で あ る か ら,

家 畜 を 飼 う人 び と の 住 む と こ ろ と い う可 能 性 は あ る が,石 造 の 立 派 な 外 観 か らす る と,

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大貫  南部 ペル ーのア ンデス西斜面にお ける環境利用

表4チ ュ キ バ ン バ 谷 の 環 境 利 用

海 抜 環 境

プ ー ナ

生 業 と 経 済

牧 畜:リ ャ マ,ア ル パ カ

主 た る 集 落 環 境 利 用

4,000m 3,500m

ス ー 二

キ チ ュ ワ

農 業:ト ウ モ ロ コ シ, ジ ヤ ガ イ モ,牧 草

牧 畜:ウ シ

商 業

無 人

チ ュ キ バ ンバ

交 換

2,500m

無 人

1,000m ユ ン ガ

牧 畜(ウ シ)と 牧草 作 り 500m

農 業:コ メ,ト ウ モ ロ コ シ,果 樹,サ

トウ キ ビ

ア プ ラオ

△:遺  跡

特 殊 な 行政 上 の機 能 を もつ もの で あ った ろ う。

  チ ュ キバ ンバ 谷 を 中心 に,隣 接 す る プー ナ か らア プ ラオ まで 含 め て,そ の環 境 利 用 を概 観す る と,表4の よ うに な る。 プ ー ナ,キ チ ュワ,ユ ンガ はそ れ ぞ れ の住 民 の 利 用 す る と ころ で あ るが,近 年 に な って マヘ ス 川 の 段丘 に牧 草 地 が 作 られ,そ こに土 地 を 所 有 した た め に キ チ ュ ワ とユ ンガ の両 方 を 利 用 す る者 が チ ュ キバ ンバ の 町 に現 わ れ た 。 しか し,こ の異 な る生 態 学 的 ゾ ー ンの利 用 は,少 数 の 限 られた 者 に よ って行 な わ れ て い る もの で,そ の 目的 は乳 牛 な らび に食 肉牛 の飼 育 で あ り,市 場 経 済 に直 結 した 産 業 で,ア ン タバ ンバ の牛 飼 育 と同 じ性格 を もつ 。

4.Arequipa県Cotahuasi谷

  チ ュ キ バ ンバ か ら北 西 へ,コ ロ ブ ナ 山 の 南 側 を 巻 く よ う に プ ー ナ 地 帯 を ゆ く と,オ コ ー ニ ャ谷 上 流 の コ タ ワ シ谷 に 入 る 。 コ タ ワ シ谷 も南 ペ ル ー の 西 斜 面 の 河 川 の 例 に も れ ず,両 側 は 高 い 断 崖 の 様 相 を 呈 す る 。 プ ー ナ は な だ ら か な 起 伏 の 連 続 で あ る が,コ

タ ワ シ谷 は そ こ か らお よ そ2,000mも 探 く切 り こ ん で い る 。 コ タ ワ シ へ の 下 り道 は,

ア ン デ ス 高 地 有 数 の 急 峻 な 坂 道 で あ る 。 プ ー ナ の 端 か ら眼 下 に コ タ ワ シ の 町 が 見 下 ろ

せ る が,そ の 急 坂 の 上 部 は 垂 直 な 断 崖 に も等 し く,灌 木 類 が 辛 う じて 生 え る く ら い で,

,人間 の 生 活 は 不 可 能 で あ る 。 海 抜3,400mの あ た り か ら や や 傾 斜 が ゆ る ま る が,そ

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国立民族学博物 館研究報告   5巻1号

写 真8  コタ ワ シ谷 。左 端 の谷 底 に コ タ ワ シの町 が あ る

れ と共 に 畑 が あ ら わ れ る 。 整 然 と した 階 段 畑 は な く,不 規 則 な 曲 線 状 に 石 積 み の 土 留 壁 を め ぐ らせ た 斜 面 畑 で あ る 。 コ タ ワ シ の 町 は 谷 底 の 低 い 段 丘 の 上 に あ り,海 抜 約 2,700m,小 さ な 雑 貨 商 店 が 多 く,住 民 は商 業 と農 場 経 営 を 営 む 者 が 多 い 。

  コ タ ワ シ か ら上 流 は,両 側 の 山 の 斜 面 が 上 端 部 を 除 く と や や ゆ る や か に な り,谷 底 の 段 丘 と 両 側 斜 面 に 畑 が 作 られ て い る 。 谷 底 部 分 に は モ リ ェ,レ タ マ,種 々 の サ ボ テ ン,マ ゲ イ な ど が よ く生 え,空 気 も暖 か い が,平 均 気 温 が20°C以 上 に な る 月 は な く, ユ ン ガ を 思 わ せ る 景 観 で は あ って も,キ チ ュ ワ地 帯 に 入 る と して よ い 。 コ タ ワ シで は ブ ド ウ や ア ンズ を 農 場 で 作 る が,パ パ イ ヤ,バ ナ ナ,ル ク マ,ノ ぐカ エ,チ リモ ヤ な ど ユ ン ガ を 代 表 す る 果 樹 が な い こ と か ら して も,キ チ ュ ワ地 帯 と い っ て よ い 。 換 金 用 の ブ ド ウ や ア ンズ な ど の 果 実 の ほ か に,畑 で は ト ウ モ ロ コ シ,ジ ャ ガ イ モ,ソ ラ マ メ, オ オ ム ギ な ど を 作 る が,こ れ ら は ほ とん ど が 自 家 消 費 に あ て られ て い る 。 ま た 小 規 模 な が ら牧 草 地 も あ り,牛 が 飼 育 さ れ る 。 ア ン タ バ ンバ の 牛 を コ タ ワ シ に 運 び,そ こで 太 らせ て か ら市 場 に 出 す こ と も あ る と い う。

  コ タ ワ シ か ら,上 流 の ア ル カ(Alca)ま で の 谷 底 部 分 は,こ の よ う な 農 業 が 行 な わ れ る が,住 民 の ほ と ん ど は メ ス テ ィ ー ソ で あ る 。 そ し て 彼 等 は 自 分 達 は ス ペ イ ン 入 で あ り,両 側 の 山 の 斜 面 や プ ー ナ に住 む 人 び と,す な わ ち 谷 底 の 人 び と が い う 「イ ンデ ィ ヘ ナ 」 と は ま っ た く ち が う種 類 の 者 で あ る と い う 。 つ ま り,斜 面 や 高 い と こ ろ に 住 む の は イ ンデ ィ オ で あ り,谷 底 の 住 民 は 「ス ペ イ ン人 」 と 自 称 す る メ ス テ ィ ー ソ も し く は 白 人 系 な の で あ る 。

  ア ル カ よ り 上 流 部 の 谷 間 や 斜 面,お よ び コ タ ワ シ周 辺 の 斜 面 に は,大 小 の 村 が あ っ て,た しか に 住 民 の ほ と ん ど は イ ン デ ィ オ の よ うで あ る 。 斜 面 上 の 畑 で は トウ モ ロ コ シ,ジ ャ ガ イ モ,オ オ ム ギ な ど を 中 心 に,自 家 用 の 農 業 を 営 ん で い る 。

  谷 底 と斜 面 は キ チ ュ ワ地 帯 に 入 り,斜 面 の 上 方 で 一 部 ス ー 二 地 帯 に 入 る で あ ろ うが,

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大 貫   南 部 ペ ル ー の ア ン デ ス西 斜 面 に お け る環境 利 用

コ タ ワ シ谷 で は,キ チ ュ ワ地 帯 が2分 され,下 方 は換 金 用 果 実栽 培 や牛 の飼 育 を 行 な い,都 市 との結 び つ きが きわ めて 強 い 。 一 方,上 半 部 の方 は 自給用 の農 業 を営 み,村 人 間 の相 互 扶 助 の 慣 習 や プ ー ナ の牧 民 との 交 換 な ど も行 なわ れ て い る。 アル カ よ りさ

らに上 流 部 に も農 村 が点 在 す る が,そ れ よ り上 の プ ー ナ は牧 畜 地 帯 で リャマ とアル パ カ が数 多 く飼 育 され る。 この地 方 を現 在 調 査 中 の 稲村 哲 也 に よれ ば,牧 民 の交 易 や交 換 活動 は か な り旺 盛 で,ア ンタバ ンバ,ク ス コ県,ア レキ ーパ 県 カイ ヨマ郡 な ど との

交 流 が行 な われ て い る とい う。

  コ タ ワ シ谷 の環 境 利 用 は表5の よ うに ま とめ る こ とが で きる が,プ ー ナの住 民 と谷 間 の 住 民 との間 に は,つ い10年 位 前 まで は か な り密 接 な 関係 が あ った よ うで あ る。 プ ーナ の 住 民 は リャマ と い う運 搬 手 段 の使 い手 で ,谷 底 や斜 面 の農 民 の と こ ろで収 穫 時 に作 物 を 運 搬 す る仕 事 を 担 当 した 。 そ の他,獣 毛 や 乾 肉な ど を持 って きて,農 作物 と 交 換 した り,商 品 を 買 って 帰 った とい う。 コ タワ シの 近 くに は,1年 程 前 閉 鎖 にな っ た が,ワ ル ワ(Huarhua)と い う と ころ に岩 塩 の 鉱 山 が あ り,そ こで とれ る塩 を牧 民 達 は ア ンタバ ンバ やパ ンパ コル カ な ど,谷 あ い の村 や 町 へ 運 ん で い た。 な お,プ ー ナ の牧 畜 は,コ タ ワ シな ど に住 む者 の経 営 にな る場 合 もあ る。 そ の 場合 プ ー ナの 住 民 は 家 畜 管 理 の仕 事 につ く雇 わ れ者 で,報 酬 と して 家 畜 の一 部 を 受 け と って い る。 それ で も彼 等 は代 々 プ ー ナで 生 きて きた の で あ り,リ ャ マ とアル パ カの 扱 い に つ い て は熟 練 して い る 。家 畜 の所 有 者 は町 に住 ん で時 折 見 廻 り にゆ く程 度 で あ るか ら,プ ー ナ の住 民 は,自 己 の所 有 に な る家 畜 を 飼 育 して,同 時 に農業 地 帯 と接 触 を 保 って 自活 して ゆ か ね ば な らな い 。

  コ タ ワ シ谷 の ア ル カ あ た りまで の 谷 間 に は コ ヨタ(Coyota)と い う遺 跡 が あ る。 コ

表5  コ タ ワ シ 谷 の 環 境 利 用

海 抜

4,000m 3,800m 3,500m

環 境

プ ー ナ

ス ー 二

生 業 と 経 済

枚 畜:リ ャ マ,ア ル パ カ

農 業:ト ウ モ ロ コ シ, ジ ヤ ガ イ モ,オ オ ム ギ

主 た る 集 落

エ ス タ ン シ ア に

分散 無 人

ワ イ ナ コ タ タ ウ リ ス マ

環 境 利 用

交 換

3,000m

2,500m

キ チ ュ ワ 農 業 と牧 畜(ウ シ) 果 樹:ブ ドウ,ア ンズ

商 業

ア ル カ コ タ ワ シ

△:遺  跡

(22)

      国立民族学博物館研究報告   5巻1号 タ ワ シの 町 の対 岸 の低 い段 丘 上 にあ る 。粗 石 積 で は あ るが,3mか ら4mに 及 ぶ 高 い 壁 を 作 り,部 屋 や 広場 を構 成 して い る。 形 はす べ て 長 方 形 で あ る。小 さな小 山群 の 間 の 窪 地 を 利 用 し,遠 くか らは見 え に く くな って お り,建 物 は高 い 周壁 の 内側 に集 ま っ て い る。 土 器片 は イ ンカ様 式 ら しい もの が多 い が,近 くで ワ リ様 式 ら しい土 器 片 も数 点 見 出 され た 。 チ ュキ バ ンバ の 背 後 の プ ー ナ地 帯 の遺 跡 の 建 物 と よ く似 て お り,や は りイ ンカ時 代 の 行 政 的機 能 を もつ 建 物 か と思 わ れ る。 な お コ タ ワ シ谷 上 流 の プ ー ナ地 帯 か らス ー二 地 帯 にか けて 遺 跡 が 多 い とい う こ とで あ るが,ブ イ カの 上 方 で コ ヨタ に よ く似 た建 物 の 遺 跡 もあ る。 この 方 は 保 存状 態 が よ く,し か るべ き調 査 が 望 まれ る。

  5.Moquegua県Puquina‑Omate

  ア レ キ ー パ か ら東 方,海 抜3,000m前 後 の 高 さ で 山 腹 を ほ ぼ 水 平 に 横 切 る 自 動 車 道 は,プ キ ー ナ を 経 て オ マ テ に 通 じて い る 。 プ キ ー ナ は じ め そ の 東 西 に あ る 小 村 は, ピ チ ュ ピ チ ュ(Pichupichu)と い う海 抜5,664  mの 山 の 南 斜 面 に 位 置 して,一 般 に 乾 燥 の 度 が 強 い 。 ア ンデ ス 山 脈 の 奥 で は な く,む し ろ 西 端 に 近 い 独 立 峰 の 斜 面 で あ る た め,谷 の 水 も 乏 し い 。 そ れ で も 小 さ な 谷 筋 で は,海 抜3,000mあ た りか ら下 の 部 分 に 幅 の せ ま い 階 段 畑 が 作 られ て い る 。 ほ と ん ど が 乳 牛 用 の 牧 草 を 植 え て い る 。   プ キ ー ナ 地 方 の 乳 牛 飼 育 は1947年 以 後 の こ と で,近 くの ア レ キ ー パ に 大 き な 牛 乳 工 場 が で き て か ら で あ る 。 こ の 牛 乳 会 社 は,1942年 ア レキ ー パ 市 に 工 場 を 建 設,同 市 の 近 郊 を は じめ,プ キ ー ナ 地 方 か ら さ らに 南 の モ ケ グ ア(Moquegua)谷 方 面 に ま で 乳 牛 飼 育 を 奨 励 し,牛 乳 確 保 の 営 業 政 策 を 実 施 し た 。 そ の た め ア レ キ ー パ 以 南 の 諸 河 川

写 真9プ キ ー ナ 付 近 の 農 地

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大貫  南部ペルーのア ンデス西斜面にお ける環境利用

の 下 流 部 は,ほ と ん ど 乳 牛 飼 育 地 帯 に変 っ て し ま った 。 そ れ 以 前 の プ キ ー ナ 地 方 は, トウ モ ロ コ シ や ジ ャ ガ イ モ を 作 り,自 給 し て い た 。 遠 くの プ ー ナ 地 帯 か ら も 牧 民 が き て 交 換 を 行 な い,ま た プ キ ー ナ の 人 は,良 質 の ジ ャガ イ モ の 種 芋 を 求 あ て チ チ カ カ 湖 方 面 に よ く 出 か け た と い う 。

  プ キ ー ナ を す ぎ て さ ら に 東 に 進 む と,道 は タ ン ボ 川 の 谷 間 へ と 下 る 。 そ し て 海 抜 2,300mの コ ア ラ ケ(Coalaque)の 町 を 通 り,2,200  mの オ マ テ に 着 く。 両 側 の 山 は 茶 色 の ひ か ら び た 土 と 岩 ば か りで,谷 底 だ け が 緑 で あ る 。 コ ア ラ ケ と オ マ テ で は,牧 草 と果 樹 を 育 て て い る が,す べ て 外 部 に売 る た め の もの で,牛 を 飼 わ な い 。 果 樹 に は

オ レ ン ジ な ど も あ り,家 々 の 庭 に は,チ リ モ ヤ,パ カ エ な ど も 植 え られ て,ユ ン ガ 地 帯 の 景 観 と な って い る 。 ご く最 近 ま で オ マ テ に は,プ ー ノ 県 の 牧 民 が 下 りて き て,果 実 類 を 入 手 して 山 に 帰 っ た と い う。 しか し,ア レ キ ー パ と の つ な が り が 密 接 に な り, 乳 牛 用 の 牧 草 を 作 る よ う に な り,さ ら に モ ケ グ ア 市 へ の 自 動 車 道 が 開 通 す る に お よ ん で,オ マ テ と海 岸 低 地 の 都 市 と の 結 び つ き は 強 ま る 一 方 で あ る 。 後 述 す る が,プ ー ナ 地 帯 の 牧 民 の 方 に も,べ つ の 変 化 が 生 じた 事 情 も あ って,オ マ テ と プ ー ナ の つ な が り

は も は や か つ て の よ う な 緊 密 さ は な い よ うで あ る 。

  途 中 散 見 し た 遺 跡 に つ い て 若 干 述 べ て お く。 ア レ キ ー パ の 東 約30kmの ボ ク シ (Pocsi)谷 で は,東 側 斜 面 下 部 に 階 段 畑 の 跡 が あ る 。 今 日 で は ま っ た く乾 燥 し て い て 使 用 さ れ て い な い 。 プ キ ー ナ の 町 は ず れ の 丘 は ベ ヤ ビ ス タ(Bellavista)と よ ば れ, 丘 の 上 は す べ て 遺 跡 で あ る 。 石 壁 は ほ と ん ど 崩 さ れ て,残 る も の は わ ず か で あ る が, 土 器 片,石 皿,バ タ ン(平 らな 上 面 を も つ 石 臼 用 の 大 石)な ど が 表 面 に ち ら ば っ て い

る 。 プ キ ー ナ を 出 て 少 し東 に ゆ き,ラ ・カ ピ ー ヤ(La  Capilla)へ の 分 岐 点 の と こ ろ に あ る マ ウ カ ヤ ク タ(Maucallacta)の 小 山 も遺 跡 で,た く さ ん の サ ボ テ ン が 生 え る 。 円 形 や 方 形 の 小 部 屋 の よ う な 石 壁 遺 構 が 乱 雑 に 集 ま っ て い る 。 こ れ ら の 遺 跡 の 時 代 や 文 化 的 系 統 は 何 ひ と つ 判 っ て い な い が,明 らか に イ ン カ 様 式 の 特 徴 を もつ 土 器 も見 出 さ れ る 。 遺 跡 の 多 く は,3,000  m前 後 の 小 山 の 上 に あ る 。

6.Moquegua県Moquegua谷

  モ ケ グ ア 谷 は,ア レ キ ー パ か ら南 へ お よ そ200㎞ の と こ ろ に あ る 。 この 谷 の 水 は

東 の プ ー ノ 県 の プ ー ナ に 端 を 発 し,モ ケ グ ア 市 の 周 囲 に せ ま い 平 野 を 作 っ た の ち に,

100㎞ 近 い 峡 谷 と な っ て 太 平 洋 に 入 蒼 。 モ ケ グ ア 市 は 海 抜1・400mの 谷 底 に あ り,

常 夏 の 気 候 の も と で 雨 が 少 な く,周 囲 の 山 は 砂 漠 の 景 観 を 呈 す る 。 ペ ル ー の 海 岸 低 地

に 一 般 的 な 果 樹 の ほ と ん ど が モ ケ グ ア に は あ り,典 型 的 な 海 岸 ユ ンガ と い って よ い 。

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国立民族学博物館研究報告  5巻1号  モ ケ グ ア 市周 辺 の平 地 は,今 日ほ とん どが 乳 牛 飼 育 の牧 草 地 とな って い る が,ト ウ モ ロ コ シを は じめ 暖地 向 きの 作物 は何 で もで き る。 谷 を つ め た東 に はプ ーナ地 帯 が ひ ろが り,チ チ カ カ湖 の方 へ つ な が って い る。 現 在 で も湖 畔 の プ ー ノ市 との 交 通 は頻 繁 で あ るが,イ ンカ 帝 国 の時 代 に は,チ チ カ カ湖 岸 の 住 民 が トウ モ ロ コ シや 棉 作 りに こ の モ ケ グ アの 谷 間 を 利 用 して いた 。Murraの 垂 直列 島論 は,そ の よ うな チ チ カ カ 湖 畔住 民 の 環 境 利 用 の 形態 に注 目 した と ころ か ら生 れ た の で あ る 。

  モ ケ グ ア市 近 郊 の 牧草 作 りと牛 の 飼 育 は,最 近 まで はア シエ ンダ に よ る経 営 で あ っ た が,農 業 改 革以 来 個 人 経 営 に変 った 。牧 畜 と若 干 の 農 業 に従 事 す るの は メ ステ ィー ソ達 で,イ ンデ ィオ の 要素 は ほ とん どな い。

  モ ケ グ ア市 の少 し上 流25kmの と ころ に トラ タ(Torata)と い う町 が あ る。 この あ た りまで の 谷 底 部 分 は牧 草 地 ば か り とい って よ い。 例 の ア レキ ー パ に大 工 場 を もつ 牛 乳会 社 が ミル クを 確 実 に 買 って くれ るの で,安 定 した 収 入 が 得 られ る の で あ る。 ト ラ タをす ぎ る と 山の 斜 面 が は じま り,道 は登 り坂 とな る。 斜 面 部 は乾 燥 が 強 く,ほ と ん ど荒地 で あ る 。海 抜3,000mか ら3,200mの あ た りで,プ ー ノへ続 く自動 車 道 は, 急 な斜 面 上 に作 られ た階 段 畑 を 横 切 って ゆ く。 そ して 道 の 右側 の小 山 の上 に,1㎞

四方 あ ま りに わ た る石 造 建 築 の 遺跡 が ひ ろ が る。 カ マ カ(Camaca)山 の 西 南 麓 に あ る こ の遺 跡 は,落 ちて い る土 器 片 か ら して イ ンカ時 代 の もの ら しいが,そ の まわ りの 壮 大 な階 段 畑 と共 に,少 な くと も イ ンカ帝 国 の あ る時 期 に,大 規 模 な農 地 開 発 が この あ た りで 行 なわ れ た こ とを物 語 る。今 日で は ま った くひか らび た荒 地 で しか ない 。 モ ケ グ ア か ら トラタ まで の谷 間 は ユ ンガ 地 帯 で あ る が,こ の カ マカ 遺 跡 の あ た りは キ チ

写真10モ   ケ  グ  ア  市 近 郊

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