遠州海岸部丘陵における水田分布と地質との一関係
著者 加藤 芳朗
雑誌名 地学しずはた
巻 9
ページ 4‑8
発行年 1956‑01‑10
出版者 静岡大学教育学部地学研究部
URL http://doi.org/10.14945/00005965
遠 州 海 岸 部 丘 陵 に か け る 水 田 介 布 と 地 質 と の 一 関 係 *
加 藤 芳 朗 波 浪
1
ま え が き
遠州梅岸部の稲作地稽は天慌 ] 1 1 ・ 太四日 l
・菊川な E の下流峻りいわゆる沖積平地を中心に展開 する一方洪積古地平第三紀届丘陵町小さな谷川にも喰いこんでいる。牽者は地質調査や地質巡検 の折臣、こ札らの小さな谷沿いの水回の分布およびそ札に対する穂波用の櫛也の分布が地形・地 質と関連しているように丸えたりで、大ざっぱだが以下に述べるような検討を加えてみた。もち ろん酔偽り竣を脱しないもので水足型地質学的な斜査によって裏付け苫札なけれ」まならなし、
*
1955年
11月
20白、静岡地温談話会で講演発表。
来 栄
静大農学部
遠州地方の地形は古第三証以前の古い地層からなる山地と新宮百三紀以降の地層からなる海岸部 とに分けることができる。 このうち海岸部を地形・地質から便宜上つぎのよ 5 に分けて島〈。
地 域 時 代 地 形 菌 培 質
白 須 賀 台 地 C 天伯崎() 洪 積 層 一 方 原 台 地
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1に示t..t.ば亜りである。
来
小笠群鶴川市を中心に走向は北西ー南葉で、南 1 転は池新町、北西は山梨町方面に帯状 に分布する旬以下「掛川丘陵」と絡する。
2
水 回 り 分 布
ま ‑ r ‑ . 上Jo の暑のおのの柑;th I Jt"‑J]備の分布状態を持ててみる。資料はお万分の 1 地形閣に記 入さ札た水悶を塗色したものを使う F 淡水悶は,土とんどが谷川沿いに分帽しているからます弟一
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に谷川の系統や密度、い X かえf凶t 台段丘陵の ~H折状熊によって決まる 。
一 一
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3つの却型のある
ことに気付〈 。
1 1 1 白須賀古地 三万JJ;{台地の大昔5. r . t J I I H A での谷川は モの殆ど谷良必丘〈まで水聞がはい のびて いる。
1 2 ) 牧 ノ原台地では上ほどではな いが少〈とも中・下流部は水田で占めら札ている。三方眼古 地の官巨禄部白須賀台地もこ
tLと問機である。
( 3 ) 舘岡原台地 ・小笠山国 史では一部を除いては谷川に水聞がなしわ宇治、に谷町出口附近に 存在しているにすき ・ ない。
来
地脱却の地頬の信~庇判羽長重である札こ L で扱う程度の府皮には充分堪えうるもの である。
こりような水同舟布の差謹は経抗的
・虚史的な原凶もある主治" モ札よりもむしろ自然品計牛ノ
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13在件(持 f DkJ J t )に;s t ざすものであるおくこの問題は後出の h む f びの項で再びふれ る)。すなわち春から初秋にかけて常時i1l<田をうる : s ; すに足りる水を谷川 l が保持するかどうかにか ムっている。ではどんな水手勝ミ件であろうか,各地域の匂健から水丞を考えてみることとする。白 須賀
(flglA)、三方原
(flglBl,
B2)、磐岡原(
flglC)、牧ノ[宮(
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)の各台地
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bり構成地層は古地面に大梓平行してど〈ゆるキ
aかに傾〈程度 である。 4 笹 山 丘 積 (
fョ 、 1 D )の地庖
11 . ~-1σの帽1叫で南西に惜し tf北掛)11層群の俊 は凶に示してないが砂または泥貸の地府で 10 ・内外の角度で南西に傾〈。さて上に記した水間分布
の額型
QJI!除 よ 凶 2 ) に属する地竣で山谷川における水回分布目最上肢はいつ N ι も泥絹をの他不逃水 腐の段上院とほど一致している。これは土位の多孔質、 書量透住町地 m く主に礁周〉をしみこんでき た雨水治川ミ通水屑にぶつかつて
fiq2Al、
A2に示すようにして地表に溜き出すためと考えら 札る。と;rLに対し寸:1 3 同 地 域 で は i 謀)1 1 が 淳 す ぎ て 谷 川 に 不 法 水 沼 が 露 出 す る こ と な
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ω降 雨 時 以 外 問 地 去 を ( 谷 川 を
って主主 b 札 る の
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々と配列するようなことになる。白須賀台培、三 方原東縁部、小笠山ではこ札が認めら札る。とこ
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〈なった場合には湧均 f ( 下する水が地下に諺企 T
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または非常に少〈なり、水量 る量は殆どない
hは査官で
J世間が谷川を埋めつ〈すばかりでな<.
(8 ) 蘇 暦 が な い 朔 1 )
L 治 、 L
谷の斜閲白泥風上限にまで見事な段
A畑をなすこ (側えは'三方
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とが多も、
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71<1語の嘩!71<主主、露出識が狭〈モの上向 3B の
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は 、 i A 膚が谷川に認出ずる部分にわ ‑ r i J
s存在する
だけでおり、谷
Q)他の部制主水の企〈なレ澗れ谷
,
となっている。
以
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と地質の関係、は主に.:Þi曜の~"、#持 E 台地・丘陵を銅に浮べておいたのであるが、
掛川丘陵は殆ど砂泥貨の地刷で機感のような主主水 性の大きい
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こ 机は噌必のような容刀、注の大きいほ泊 ' 1 3 がない為に
除った~N 7J\")多〈は泊予分地去を流出 u,
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Kが殆どなし
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:;:!約すると谷川に常時盛首位九三を供給しうるよ うな、水 I U ( 1 ) 氷 山 l に l i}合のよい地質は上部に泊当
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り 、 しかも地場がほ と んど伺出 していないこと、
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A ,不 1 童 オ〈 層 が 傾 斜 し て いる
目見合(小 笠 山 〉
B . 谷 1 i を E 穿 が 埋 め マ い 否 湯
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I1;水の路地対失り少ないことである。三万以中・副官自が この魁合に当 り、以下イ、泣水府の薄い白須貨古地・三方1Jj(君主縁など、 端 、 J l i 上己枝、 智向原
・小 笠山 の脱に λ y 利条件叫悲
tなってゆくということができる。
3
溜 抱 の 分 = i ' t
i沼地は * 1 1‑1の必要と す
ξ, i i l u r J J 背水を常時併苦 t r J " る ことく . も一つはホ誌を広めること〉を目的と して1 乍らf もるので、 主
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it与の分布の祖訟は圭の地哉の谷川の水のイ r 在状態を示す目安
tこなる と 考えてよかろう。(むうん t i t 行・経核合吋サな』 f 社会的要因の他?く温の関係もあるが〉。こり ょう
ヨな見地に立つ Ci'iìii也円分布ぞ~;lべてみるω 資料は 2 万 5 千分の l 地形図に W(~人さ札丈 腎虫をす
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5万分の
l地
;f:tf‑ ' ! J に記入し、各'>.'1箔を能債
10等分して作った方限内の沼地の放を教えて.
f 工引のような分布図針。た。但し溜池が丁度方肢の境問、ゆときは';/, ‑,.つに教えた,地 対車閣に~ける溜池のE己入洩1Lベ戸部品己入tZ今士で歩いた純矧では非常に少な L 、ょうである。
jJí照で地質によって谷川水田
の7.k~;1, 除1l1=;~Ìo どのように彬討さ札るかを見て来たが、 モこで f J t ょ , 結晶と溜坦の分布との l 誌にどヨいう同係があるだろうか。 f ェ g 4 において沼地り殆と'ない地主主 としては望器削減・小笠山 ・三万J f f' 四百部が
bる 。また 分市の催村主としては、 芝 方 嶋荘 司王 牧
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b 点、持に f 五 十 J 1
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j':音に耐えT
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.tl谷 で b る上に溜他の
71 < i 見りを防ぐ不込水温がないためであ旬、一方三コ吉原 1 1 . J 1 < 悶が多いに もかかわら宇、そ2 もらをまかなうだけの長官な水盆を谷川が供給するために設ける必要がないと 考えねばならない。後者として挙げた地竣は活水によって谷川に水はあるけ札 E もモの量出不足
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ていることを物滞hモ札ぞれ崩
I項に挙げたような地質と水利の調係によって説明できるので ある。特に掛 1 1 1 丘陵に溜池が密集するのは有穏な府溜届である俄周のない ことの外.谷密度大君
〈谷JII~流域面積治主小苫 ν、為水量が不足することと次にのべるように沼地を設置する地質地形条
件にめぐま札ているためである。次に溜池は水を洩らさない不 : i 2 V 1 < 性地盤のところ陥没 i t なく
てはいけなし、。モの上なるべく谷の上流でしかも谷岳皮が高〈量!7.~;竣の広いとこうがよ し 、かよ
うなわけで櫛也は谷川に露出する不選別圃の最上般的近に設けら札ているものが多い。
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