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2.戦前の円相場

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(1)

最近の為替相場の実証的研究と提言

−改正外為法施行後の円相場の動向−

福島昌則

目次 1.はじめに 2.戦前の円相場 3.戦後の円相場

4.変動相場制移行後の推移概観 5.改正外為法施行後の円相場 6.問題点

7.為替相場安定化への摸索 8.おわりに

1.は じ め に

「昨年中(昭和57年)だけで1ドル60円もの振幅で相場が乱高下したよ うに,ここ2〜3年為替相場の変動が加速され,行き過ぎがあったことは万 人の認めるところである。」(1)

ここ2〜3年,即ち1981年(昭和56年)1982年(昭和57年)の円の対ドル 相場の乱高下ぶりは目にあまるという大分の見方である。本稿においては明 治以降の相場変動の推移を追いながら,最近2〜3年間の動きに特に注目し っっ為替相場の安定化について展望を試みることとしたい。

2.戦前の円相場

明治以降第二次大戦までの円相場について瞥見してみることとする。

(1)明治13年(1880)〜明治29年(1896)

金銀複本位制期間と称される時期で我国資本主義の黎明期後期とも云われ

(2)

る時期であるが,此期間の円の対米相場は, 100円について最高$95t,最低

$46号でその差$48去に達し為替相場の動揺は極めて甚だしい期間であった。

対英相場についても 1円につき最高310d(単位シリング以下同じ〉

最低111dと米弗同様の変動を示していた。因みに明治13年(1880 228日に横浜正金銀行が設立され,明治15年(1882年)1010日には日本 銀行が設立され我国の金融制度は乙れからのち逐次整備される乙ととなっ o

(2)  明治30年(1897)""'大正6 (1917)

此期間は我国資本主義の確立期とも称されまた金本位維持期間としての特 質を持った時期であるD

明治278年の日清戦争において戦捷を得た我国は,清国より賠償金約 3.6億円英貨で37百万ポンドをロンドンで受取り一部は金現送されて金本位 制確立基金となり残りは政府の在外正貨として,入超穴埋めの為替資金とな

7O

乙の金本位制確立基金をもとに明治30年(1897年)101日貨幣法が施行 され我国において金本位制がスタートする乙ととなったo (純金2=750 グラムをもって価格の単位とし,これを円と称する。)

当時の金平価は対米¥100二部49%,対芙¥1= 2  %6で、あったO 述したように明治13年以降変動が厳しかった対米英為替相場も金本位制確立 以後は金平価を中心に金輸出入点の限界内に安定せしめられることとなり,

大正6年(1917年) 9月第一次大戦による金本位一時停止までとの状態が続 くこととなったO

若干詳細に見ると明治31 (1898年〉年間最高弗49号最低弗48を,明治35 年(1902)最高$50最低$49号,明治40年(1907)最高$49吾,最低$49

士,明治45年 (1912) 最高 $49-~ 最低 $49 士という推移で極めて安定した状 態を示しているO

大正3年(1914) 728日第一次大戦勃発と同時に英国は実質的に金輸出 を統制した。我函と米国を除く世界の国々の大半が乙れに同調して金免換・

輸出の禁止を行ない世界の金本位制は半身不随という状況となったO 我国の

(3)

対英米相場は大正5年(1916)以降金平価対米$49%を超えはじめているが これは戦時の輸出超過が連続したことによるものである。大正5 (1916) の対米相場は最高 $50%最低49~4 ,大正 6 年(1 917) のそれは最高 $50~8最 $50;8を示しているO

(3)  大正6 (1917)"'5年(1930)

此期間は金本位停止期間と称されているo即ち大正6年(1917) 4月米国 が参戦し周年9月10日金輸出禁止に踏切ったため我国もこれに追随し9月12

日金輸出禁止令を公布即日実施,明治30 (1897)以来約20年間続き円の対 米英相場に安定をもたらした金本位制も停止されることとなった。このため 大正 7 年 8 年の対米円相場は金輸入点を上廻り $52~8 の最高値を設録する に至った。因みに対英相場は金平価¥1.ー=2s0dilrを上廻り大正7 (1918)  2 s d長大正8年(1919) 41日英国が正式に金輸出禁止措置 を採ったあとは同年最高2s d弘大正9年(1920)にぱ2s 10d%のピー クに達しているO 第一次大戦は大正7年末 (1918)に終了したが我国は戦時 中に蓄積した多額の外貨準備のおかげで為替相場は甚だしい動揺にさらされ ることなく推移し大正12年(1923)の対米相場は最高$49.‑最低$48泌を 示している。と乙ろが周年91日の関東大震災による経済不安推測と復興 の為の輸入超過増大のため翌大正13年(1924)には対米$38‑}対英1s 7 

d弘という暴落をみることとなり相場の動揺は昭和5年(1930) 1月11日の 金本位復活(旧平価をもって金解禁〉まで続くこととなった。

対米相場の推移は次のとおりである。

年 次 年間最高 年間最低

大正13年(1924) 大正14年(1925) 大正15 (1926) 昭和2年(1927) 昭和3年(1928) 昭和4年(1929) 昭和5 (1930)

$48

$43

$48

$49.

$48.

$49.

49-~

$38

$38

$43} 

$45l 

$44~}

$431

$49.‑

(4)

(4)  昭和6年(1931)~昭和 16年(1941)

乙の期間は,所謂管理通貨制期間と呼ばれる時期である。

昭和4年(1929) 1024日,ウオーノレ街の株価暴落をもってはじまった世 界恐慌によりまず英国が昭和6年(1931) 921日金本位制を停止し 3 月後の1213日に前年1月に金解禁を断行したばかりの我国も金輸出再禁止 に追込まれ,管理通貨制への移行となった。世界各国も続々と金本位制を停 止或は中断のやむなきに至り世界の金本位制は実質的に終りを告げることと なった。

此期間の我国対米相場の推移は次のとおりである。

年 次 年間最高

昭和6年(1931) 昭和7 (1932)

$49

37

年間最低

49~-

$19! 昭和8年(1933) 31 $19 昭和6年満州事変,昭和7年上海事変と多難な時代への動きがはじまった 時期であり相場は大きく変動しているo

昭和9年(1934) 30  28 ~ 昭和10年(1935) $29 $27!

昭和11年(1936) $29-~- 28-~

昭和12年(1937) $29 $28 昭和9年から11年までの3年間は所謂戦前の良き時代と云われているが,

為替水準も安定的に推移しているD 昭和127月日中戦争勃発により戦時体 制の確立が急がれる乙ととなった。

昭和13年(1938) $29i $27.‑

昭和14年(1939) $27 $23 昭和15 (1940) 23i 

昭和16 (1941) 23

昭和8 (1933)年末以降は為替相場に関し間接釘付政策がとられ,昭和 12年(1937) 8月以降は直接釘付政策に移行し,昭和14 (1939)10月以降 は公定方式となり,昭和16年(1941) 726日の米英対日資産凍結により為

(5)

替相場体制lこ終止符が打たれることとなった。 (2)

これを要するに,明治13年(1880)から昭和16 (1941)までの61年間の 対米為替相場の推移は貨幣制度の変遷にしたがって変動期安定期を記録して 来たということである。

即ち明治初期中期の金銀複本位制期間には相場変動の巾は極めて大きく最 $95ま,最低$46号を示しその隔差は$48}!乙達している口金本位制期間 の明明31年(1898).......5年(1916)の約20年聞においては最高$50音最 $48.ーを記録しその隔差は僅かに$2すに過ぎず極めて安定した推移を 示しているO 大正6年(1917)から昭和6年(1931)に至る14年間は所謂金 本位停止期間であるが此聞における為替相場は相当の変動を示し最高$52 最 低 $38きとその差は$14.ー に 達し て いるO 管理通貨制へ転換後の昭和7 年(1932).......16 (1941)の10年間は最高$37士最低$19まとその差は

$161と拡大しかっ円の低落傾向を示しているD

このように戦前の我国対米相場の勤きは,金本位制期聞の20年間は極めて 安定した状態で推移したがその前後は相場動揺の時代であり特に金本位制に 至るまでの17年間は変動甚だしき時期であったと云い得る。

3.  戦後の円相場

此章においては昭和20年(1945)ポツダム宣言受諾後から変動相場制移行 昭和48 (1973)までの間28年間の円相場の推移を概観してみることとす o

(1)  軍政時代,昭和20年(1945) 9月 昭和24年(1949)12

SCAP (連合軍総司令官)の全面管理下における国営貿易を原則とした 期間であった。初期の段階では対外経済は外国為替によることなく円と外貨 は全く切離された状態という特色があった。即ち輸出の場合はSCAPの指 示・承認により貿易庁が業者へ発註し国内公定価格で買上げ,円代金は貿易 資金特別会計から支払われた。輸出品の代金として入ってくる外貨はSCA

P管理下のドノレ建特別勘定に入金された。輸入の場合は頁入外貨代金は原則

(6)

としてSCAPドノレ建勘定から支出され国内業者へ売却した円貨代金は貿易 資金特別会計へ入金された。

此状態での為替レートというのはSCAPが定めた軍用レートのみであっ 7

占領軍の軍用レートの推移は次の通りである。

昭和20 (1945) 9月 $1=15  昭和22 (1947) 3月 $1=50  昭和23 (1948) 7月 $1=270 

昭和244月 $1=360の単一為替相場制定とともに軍用レートは廃止 された。 (3)

昭和23 (1948)10l自に輸出入商品別グループ別に円・外貨の換算比 率を定めたP.R.S方式 (priceratio system)が施行され擬制的複数為替 相場制度が確立された。即ち輸出品については$1=200乃至¥600,輸入 品については$1=67乃至¥350というものであった。

昭和24 (1949) 425日には久しく待望されていた単一為替相場が次の とおり制定されるに至った。

1=360  .:E  =¥450.80 

昭和24 (1949)12l日「外国為替及び外国貿易管理法J (旧外為法) が制定・施行され,同時に輸出の民間貿易が再開,翌昭和25 (1950) 1 l日からは,輸入も民間貿易方式へ切換えられるに至った。同時に外貨の管 理権も米ドノレに限り SCAPから日本政府(外国為替管理委員会)へ移管さ れ名目的に民間貿易時代を迎えることとなった。 (4)

(名実共に日本政府に移管されたのは昭和27年(1952) 428日の詰和条 約発効時であるo ) 

(2)  単一為替レート時代 1=360 

昭和24 (1949) 4月から昭和46年(1971) 8月のニクソン声明までの22 年間が所謂$1=360円の単一為替レート時代である。前述した金本位制 期間が約20年間で此聞の対米相場は¥100=$ 49号前後で安定していたが期

(7)

聞の長さという点では両者はほぼ匹敵しているo

昭和24年(1949) 4月以降の為替相場安定は金本位制によるものではなく 管理通貨制度の下における現象であるがこれを支えたものは1944年(昭和 24)  7月に成立したブレトン・ウッズ機構(国際通貨基金IMFおよび国際 復興開発銀行1B R  D)であるO 乙の機構の下で金 1オンスニ$35と定めら れ各国の為替平価は乙れをもとにして決定され,直物相場を為替平価の上下 1労以内におさめるという義務が課された。即ち我国について云えば為替平 価は$)1 =360であるからその1963.60を¥360に加減した範囲内つまり 上限¥363.60下限¥356.40の間ということであるD

為替平価を変更する機会も各国に与えられており,加盟国は自国経済に基 礎的不均衡 (fundamental disequi1ibri um)が 存 在 す る 場 合 に 限 り 乙 れ の 是正手段として国際通貨基金に為替平価の変更を申し込む乙とができるとさ れていた。

プレトン・ウッズ機構発足早々の1948年(昭和23) 1月にフランスが当時 の平価 lド=119フランを85%切下げ214フランに改め,また1949年(昭和 24)  9月に英国が1ポンド=3.04ドノレを2.80ドノレに切下け'ポンド地域が追随 するという事態が発生したが,我国の円に関しては, 22年 間 $1=360 為替平価を維持しつづけることとなった。

乙の22年間の我国の貿易収支および貿易外収支の伸展状況は次のとおりで あるD

円 切

1 ‑

Aq

i

Q U Q V  

‑1‑11a‑

4 a 円 ︒

2 4  

輸 出 235  47

輸入(億ドノレ)

157  (5)  22

輸出額で47倍,輸入額で22倍と於くべき進展ぶりを示している。

受 取 支 払

昭和24年(1949) 昭和46年(1971) 倍 率

0.6  48.4  80

1. 65.8  (5)  36

(8)

貿易外受取で80倍同支払で36倍となっているJ

戦争で焼土と化した我国が数々の幸運に恵まれながら驚異的発展を逐げて 来たわけであるがブレトン・ウッズ機構のIMF体制による固定相場制の下 において国民・国家一体となっての経営努力が実ったものと云い得るo即ち,

努力の成果が為替相場の急激な変動によって容い去られることを危倶するこ となく全国民一丸となって廃j塩から立上る勤勉度がそのまま報酬として与え られたということであろう。

完全な海図を持っているお蔭で天候気象の変化にさえ注意を払っておれば 安全な航海が保証されていた時期であったとも考えられるJ

4.  変動相場制移行後の推移概観

持っている海図に変化が生じたのは,昭和46年(1971)であるJ

同年8月15日にドル防衛の為の金・ドノレ交換停止を骨子とした「ニクソン 声明」が発表され各国は混乱回避の為に為替市場閉鎖,為替管理強化等の対 策をとったがJ 我国は市場閉鎖までに約10日間を要したことにより,其間大 量の短期資金が流入した。

混乱収拾の為に同年12月スミソニアン合意により多角的平価調整が行なわ M F体制は再発足の乙ととなった。

この為$1 =360の我国の平価は16.88%切上げの乙ととなり, 1 =¥  308となった。

乙の状態も長続きせず,昭和48年(1973) 2月に至り各国は通貨不安によ る混乱を避ける為に変動相場制に移行する乙ととなった。

変動相場制移行当時の円相場は, 1 =270前後を示し旧平価308円に対 10%強の切上げとなった。相場の推移は次の通りであるo

昭和46年(1971)8月 $1 =339.00  昭和46年(1971)12月 $1 =314.80  昭和48年(1973) 2月 $1 =270.0

ニクソン声明後僅か1年半,スミソニアン合意後l年で,海図が消え失せ

(9)

る事態となり,変動相場の世界をさまようこととなった。

変動相場制移行当初はこれを一時的措置とみて固定相場制への復帰努力が 試みられたが,昭和48年(1973)秋の第一次石油ショックが固定相場制復帰 への手掛りをすべて帳消しにし変動相場制の長期持続をもたらすこととなっ 7

またこの時期は,ベトナム戦争によるアメリカの敗北が決定しその威信が 急速に低下したことも重視しなければならない。

昭和46 (1971) 8月から昭和48年(1973) 2月までの対米相場‑の年間最 高最低(但し月末終値円建lドノレにつき)の状況は次のとおりである(6)

昭和46年(1971) 339 .00  8 314.80  12 昭和47年(1972) 310.45  l 301.10  10 昭和48年(1973) 301.15  1 270.00  2

逐年円高傾向を辿っているが昭和46年は8月以降の隔差が2420 a昭和 47年の年間隔差(但し月末終値比較〉が935銭,昭和48年には2月の変 動相場制突入とともにlか月間で3115銭 高 と な り $1=¥270.00となっ 7

次に変動相場制突入以降昭和57年(1982)年末までの各年月末終値の最高 値最低値を紹介しておく(6)

昭和48年(1973) 280.00  12 263.47  7 昭和49年(1974) 302.70  8 276.00  3 昭和50年(1975) 305.15  12 286 60  2

(10)

昭和51年(1976) 303.70  1 288.76  8 昭和52年(1977) 288.25  l 240.00  12 昭和53 (1978) 241.74  l 176.05  10 昭和54年(1979) 249 50  11 201.40  1 昭和55年(1980) 249.80  2 203.70  12 昭和56年(1981) 239.75  7 211.40  3 昭和57 (1982) 277.40  10 228.45  1

本表より年間隔差を算出するとその推移は以下のとおりとなるD

昭和48年(1973) 16.53  49年(1974) 26.70  50年(1975) 18.55  51年(1976) 14.94  52年(1977) 48.25  53年(1978) 65.65  54年(1979) 48.10  55年(1980) 46.10  56年(1981) 28.35  57 (1982) 48.95 

以上の2表をまとめると次の図表に示すとおり円相場の振幅が一目瞭然と なるO

(11)

円相場振幅推移表(月末終値年間最高最低値による〉

昭和48 (1973)  49  (1974)  50  (1975)  51  (1976)  52  (1977)  53  (1978)  54  (1979)  55  (1980)  56  (1981) 

57  (1982) 

巨豆[

26.7o  日亙l

48.10 

1~~1

i 4 8 . 9 5  

ドノレ=円 300  290  280  270  260  250  240  230  220  210  200  190  180  170 

此図表で明らかであるが,変動相場に移行した昭和48年(1973)以 降4 間は,円相場の振幅は15"'30円の聞に収まっていたが,移行5年目から一 挙に拡大し, 48"'65円という大巾な変動を記録するに至っている。

なお,此図表の数値は,月末終値について年聞の最高最低値を示したもの であるが,変動相場制移行後は,月間の変動幅も拡大しており,毎日の終値 による年間最高最低値と比校した場合の年間変動幅は,上述した図表の変動 幅より更に拡大した数値となってきているO その拡大の程度を例示すれば次 のとおりであるO

昭和52 昭和53 昭和56

月末値振幅 4825 6565 28円35

毎日終値振幅 55円 ‑ 67円 ‑ 44円05

(12)

昭和57 48円95 60円80

乙のことから,現在外為市場関係者の間では,円の変動幅は年間60円とい う見方が常識として定着してきているo対米1ド=240円前後の年間変動 幅60円ということは為替レートが年間25%前後変動するということで企業経 営の面からは非常に困難な局面にさしかかっている状況にあるo

5.  改正外為法施行後の円相場

此章では,前章で概観した変動相場期間の10年聞のうち最終期間の2 間,即ち昭和56年(1981)昭和57年(1982)について円相場の動きを詳しく 追うこととするo

昭和55年(1980) 12l日,原則自由・最少限規制を旗じるしとし有事規 制を盛り込んだ改正外為法が施行され対外取引の円滑な発展と長期的には我 国経済のより一層の効率化と健全な発展に寄与するものと期待された1年目 が昭和56 2年目が昭和57年にあたり,此面からの考察も意義あるものと 思料される。

(1)  昭和56年(1981)

昭和56年のインターバンク取引初日である 15日の直物相場終値は201 円40銭であった。翌16日は199円60銭となったが此日が年聞の円最高値

となった。以後逐月円安傾向を辿り 83日には243円65銭の年間最安値を 記録し以後円高傾向を辿り年末には220円25銭となったロ

結局,年間最高値199円60銭最安値243円65銭振幅値44円05銭を記録したこ ととなるO

月別の動きは次のとおりであった。

〈東京インターバンク直物相場lドノレ=円)

月間最安値 月間最高値 振 幅

1 205.20  199.60  5.60  2 208 85  203.20  5.65  3 212 85  206.40  45 

(13)

4 218.65  211.95  5 225.20  215.70  6 229.00  221.05  7 239.75  227.05  8 243.65  226.90  9 232.95  225.35  10 235.85  226.55  11 230.35 214.15  12 222.70 214.40  月中直物相場の平均値は次のとおりであった。

1 202.11 2 205.76

5 220.78 6 224.22 3 208.84 7 232.11

6.70  9.50  7.95  12.70  16 65  7.60  9.30  16.20  8.30 

9 229.83  10 231.42  11 223.76  4 215.07 8 233.62 12 219.02 (7) 

8月を例にとれば,僅か1か月のうちに,円相場の変動幅は16円65銭に達 し,また月中平均値は233円62銭となり 1尽の平均値202.11に比較して31 51銭の円安相場となっているo

昭和56年当初における56年中の円相場予想は日本経済のフアンダメンタノレ ズの優位を基礎として組立てられた円高想定であった。政府予想213円,野 村総研190円乃至京大経研211円ということで190円乃至213円という見通しで あった。実績値は既述のとおりとれらの予想を裏切り円安コースを辿ったこ とになる。

円安コースを辿った理由は,一言にして云えば日本の経常収支は黒字基調 を回復したものの,米金利の高騰による資本流出によって予想外の円安コー スを辿りこれが輸出の増大を招き乙のため対米対欧輸出入不均衡を拡大し通 商摩擦を激化させるという結末を招来する乙ととなった。

昭和田年12l日に施行された新外為法の第l年目が昭和56年であるが,

同法関述では,居住者外貨預金が年間67億ドノレの増加を記録しまたインパク トローンは年間96f立ドノレが増加した。更に香港の対日株式投資グループのー

(14)

つのニューピス・ホンコン・リミテッドが昭和562月23日に東京地裁に対 し,外国投資家が自由に株式を取得できない企業として片倉工業を日本政府 が指定した告示を不当とし同告示を取消すための行政訴訟をおこした。乙れ

らの事例はあったが有事規制の発動等のことはなく波澗なく推移した(8) (2)  昭和57年(1982)

昭和57年の円相場は,年初210円台ではじまり以後10か月間にわたってほ ほ一貫した円安傾向を辿り11月はじめ278円10銭まで軟化し以後急速に反騰

して年末235円30銭に戻すという経過を辿った。

年間最高値は l月217円80銭年間最安値は111278円10銭年間変動指は 60円80銭となり昭和53年の年間変動幅67円に次ぐ記録となった。

月別の勤きは次のとおりであった。

月間最安値 月間最高値 振 幅

1 230.50  217.80  12.70  2 241.10  230.60  10.50  3 248.30  233.95  14.35  4 248.90  236.30  12.60  5 243.70  231.80  11.90  6 258.70  241.40  17.30  7 259.60  250.50  9.10  8 265.35  251.4 13.90  9 269.50  256.40  13.10  10 277 .40  264.25  13.15  11 278.10  249.55  28.55  12 250.25  233.70  16.55  月中直物相場の平均値は次のとおりであった。

l 224.55  5 236.97  9 262.74  2 235.25  6 251.11  10 271.33  3 240.64  7 255.10  11 265.02  4 244.90  8 258.69  12 242.49  (9) 

参照

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