信義則(最大善意の原則)
梅 津 昭 彦
■アブストラクト
保険法 が成立しその施行を待つばかりであるところ,具体的な規定と しては盛り込まれなかった信義誠実の原則(信義則)について,保険契約に おける信義則のこれまでの議論と若干の判決例を整理することにより, 保 険法 に信義則を明確にする規定は必要であったかどうかを探りたい。確か に,民法において明文規定を置く信義則(民法1条2項)を民法の特別法と しての地位が与えられる 保険法 にあえて規定する必要性は認められない かもしれない。しかしながら, 保険契約者の保護 が 保険法 制定のひ とつの趣旨であるならば,やはり,保険契約の契約としての特殊性,すなわ ち保険契約の(最大)善意契約性を確認し,保険者側にこそ強く信義則が要 請されるものであり,保険契約における信義則の具体的内容と効果を示すこ とができないとしても, 保険法 に明文化する意味があったのではないか と考える。
■キーワード
信義誠実の原則(信義則),善意契約性,保険契約者の保護
1 はじめに
平成20年6月6日に法律第56号として成立し交付された 保険法 は,平 成22年4月1日に施行される(平成21年7月3日官報第141号) 。本稿は,
/平成21年9月8日原稿受領。
1) 保険法 制定の経緯については,萩本修他 保険法の解説⑴
NBL883号
かかる 保険法 に盛り込まれなかった(条文化されなかった)問題として,
保険法における信義誠実の原則(以下,信義則)について扱う 。
法制審議会保険法部会における審議過程においては, 保険法 に信義則 という一般原則をあえておく必要性が認められないこと,あるいはその具体 的効果の不明確性から文言化に反対する意見と,保険契約者または被保険者 のみならず保険者側も信義に従い誠実に行動する趣旨を含むものとして,
保険法 解釈の指針を示すものとして規定化に親和的な意見があったとこ ろである 。そして, 保険法の見直しに関する中間試案 (平成19年8月8 日法制審議会保険法部会決定)およびその補足説明が公表された段階では,
次のように述べられていた。それは,保険の仕組みに関する情報が構造的に 保険者側に偏在していることに対して,危険選択のために必要な情報は構造 的に保険契約者側に偏在していること,モラル・リスクの可能性があること
(2008年)12頁以下,萩本修 新しい保険法の概要 商事法務1839号(2008年)
27頁以下,萩本修編 保険法立法関係資料(別冊商事法務321号) (商事法 務・2008年)(以下, 保険法立法関係資料 )1頁以下,山下友信 新しい保 険法 ジュリ1364号(2008年)10頁以下,萩本修 保険法現代化の概要 落 合=山下編 新しい保険法の理論と実務(別冊金融・商事判例) (経済法令研 究会・2008年)14頁以下,萩本修編著 一問一答保険法 (商事法務・2009年)
2‑10頁。
2) 保険契約は最大善意(utmost good faith)の契約としての性質を有し,そ れ故に保険契約の両当事者は一般契約における以上に信義則が強く要求され,
また保険契約に特有の法則ないし契約当事者に特別の権利義務が認められると の理解がある。それに対し,信義則は,後で確認するように,民法にその根拠 条文を有し(民法1条2項),権利の行使または義務の履行に際してその行為 者に要求される基準である。そのような意味において,最大善意の契約である ことと信義則とは区別され論じられる必要があるかもしれない。筆者は,平成 20年度保険学会共通論題 いま保険とは何かを考える において,保険契約の
(最大)善意契約性について発表させていただいた。梅津昭彦 保険契約の法 的性質再考―保険契約の(最大)善意契約性から導かれること― 保険学雑誌 605号(2009年)33頁以下。
3) 法 制 審 議 会 保 険 法 部 会 第12回 会 議 議 事 録(http://
www
.moj
.go
.jp
/SHING12/070627‑1. html
)。を前提とした規律があること,契約の直接当事者でない被保険者や保険金受 取人等に対しても一定の契約法上の規律が及ぶものとされており,多数の保 険契約者の存在を前提としているという保険の特性を指摘することができ,
かかる特性から, 保険契約のすべての関係当事者には,保険契約の締結か ら終了に至るまで,保険契約における信義則に基づき,必要に応じて互いに 協力するよう努めることが求められると考えられる として,関係当事者間 の信義則を具体化するための規律を設けた場合には, この規律を具体化し た個々の規律や民法の一般法理(権利濫用(民法第1条第3項),公序良俗 違反(同法第90条)等)の適用について解釈する際の指針となるものと考え られる というものであった 。
しかしながら,成立した 保険法 においては,保険契約に信義則を確認 する規定は盛り込まれなかった。その理由として,立法担当者の説明によれ ば, 保険法 が民法の特別法であるとの性質上,民法において一般原則と して規定されている信義則(民法1条2項)を規定することは適当ではない こと,そして 保険法は保険契約に関する契約ルールを定めるものであり,
その違反があった場合には契約の解除や損害賠償などの私法上の効果を伴う ものとして規定を設ける必要があり ,信義則のような 私法上の効果を伴 わない形での抽象的な規定を設けることは困難である ことが言われてい る 。
そこで本稿では,信義則の意義を一般的に確認した後,保険契約における これまでの議論と信義則が適用された最近の判決例,特に保険者側に信義則 を要求する判決例を概観することによって浮かび上がってくる点を整理した うえで,成立した 保険法 を評価してみたい 。
4) 保険法立案関係資料 59頁,87‑88頁。
5) 萩本編著・前掲注1)37頁。
6) 保険法 成立後に,当該問題を論ずるものとして,大串淳子 保険法と信 義則・消費者契約としての保険契約 自由と正義60巻1号(2009年)53頁以下。
2 信義則と保険契約
⑴ 信義則の地位と機能
民法1条2項が 権利の行使及び義務の履行は,信義に従い誠実に行わな ければならない と規定するところ,かかる文言の内容は, 社会共同生活 の一員として,互いに相手の信頼を裏切らないように,誠意をもって行動す ること であると説かれていた 。当該条文は,一般的倫理的基準を示すも のであり,そのことから何らかの法的効果が直接的画一的に導き出されるも のではない一般条項であると考えられる 。そして,かつては,民法1条2 項が ひろく権利および義務一般について規定するのは,その表現において 広きに失しており,解釈上は債権および債権関係の変動を生ぜしむべき形成 権について主として適用せらるべき とも理解されていた 。しかし現在で は,民法学においてかかる信義則は,債権法を支配する原則に止まることな く,広く物権法,家族法,訴訟手続法等の領域に適用される原則としての地 位を確立するに至っている 。
そして,現在,民法学において信義則は,その機能上の分類(類型化)を 通じて理解することが主流となっているようである。例えば,それは諸裁判
7) 我妻榮 新訂民法總則(民法講義Ⅰ) (岩波書店・1965年)34頁。
8) 内田貴 民法Ⅰ総則・物権総論[第4版] (東京大学出版会・2008年)488‑
49頁,山本敬三 民法講義Ⅰ総則 (有斐閣・2005年)522‑36頁。民法学にお ける信義則を理解するための文献を網羅的に引用し分析することはできないが,
それらを整理し問題点を指摘するものとして,例えば,河上正二 民法学入門 民法総則講義・序論 (日本評論社・2004年)83頁以下。
9) 川島武宜 民法総則 (有斐閣・1965年)51頁。
10) 四 宮 和 夫=能 見 善 久 民 法 総 則〔第 七 版〕 (弘 文 堂 ・2004年)16頁, 我 妻・有泉コンメンタール民法総則・物権・債権(第2版) (日本評論社・2008 年)47‑50頁。その生成と展開については,谷口=石田編 新版注釈民法⑴総 則⑴〔改訂版〕 (有斐閣・2002年)75頁以下(安永正昭)。また,民法1条2 項と3項との関係については,例えば,大村敦志 民法読解総則編 (有斐 閣・2009年)20‑22頁。
例の分析を通じて,イ)裁判官が既存の制定法の枠内でその法規の具体的
(補充的)適用を具体化する意味で職能的(法具体化)機能,ロ)既存の具 体的法規の枠外にある基本命題(法理論的振舞いへの要請)に基づく実質的 正義・衡平を裁判官が実現する衡平的(正義衡平的)機能,ハ)社会の進展 に伴い既存の法規の枠組みでは妥当な解決が図られない場合に,裁判官が実 際の必要性に応じ既存の制定法を踏み越え修正して法規を適用する社会的
(法修正的)機能,そしてニ)時代の要請が既存の法規に反しても新たな法 を裁判官に創造することを求める機能授与的(法創造的)機能に分類される ところである 。例えば,相手の債務の履行に必要な協力をしないでいると 信義則上の責任が問われるような場合 ,あるいは些細な不履行を理由とす る契約の解除が信義則上認められない場合は ,イ)の機能が認められる場 合であり,消滅時効の援用することが信義則に反し許されないと判断される 場合などは ,ロ)の機能に該当する 。
以上のように民法学は,信義則の機能別の外延を示すことによって,信義 則の適用範囲を画しその法的安定性を確保しようとしている。それでもなお,
信義則が用いられまたそれを基礎として判断されて使われた裁判例が,契約 法の条文や当該契約書の文言から導くことのできない法理を,信義則という
11) 以上のような分類については,好美清光 信義則の機能について 一橋論叢 47巻2号(1962年)73頁以下,菅野耕毅 信義則および権利濫用の機能 民 法の争点Ⅰ(ジュリスト増刊) (有斐閣・1985年)6‑11頁,同 信義則および 権利濫用の研究 (信山社・1994年)81頁以下,87‑89頁,谷口=石田編・前掲 注10)88頁以下(安永)。なお,広中俊雄 民法綱要総論上 (創文社・1989年)
120頁以下では,信義則の機能を,本来的機能である裁判基準としての機能と,
個別事案の処理のために適用可能な裁判基準を構成するために利用される欠缺 補充機能とに分類される。
12) 例えば,最判昭和46・12・16民集25巻9号1472頁。
13) 例えば,最判昭和41・3・29判時446号43頁。
14) 例えば,最判昭和51・5・25民集30巻4号554頁。
15) 他の具体的判決例,そして他の機能が認められる具体例については,谷口=
石田編・前掲注10)92頁以下(安永)を参照されたい。
一般条項を媒介として導いたとしても,それらは,取引関係に内在する 内 在的規範 を裁判官が吸い上げたものとみることにより正当化できるとも主 張されている 。
⑵ 保険契約の(最大)善意契約性と信義則
以上のように民法学において理解・整理されている信義則は,保険契約に おいても,その権利の行使および義務の履行にあっては,契約の両当事者は それに当然に従うべきものであって,あえて 保険法 が明文をもって規定 する必要はないともいえる。それでも,これまでの保険法学において,保険 契約の善意契約性を承認する立場から強く信義則を強調する見解も有力であ り,その適用事例を分析する試みもなされてきたところである 。すなわち,
契約当事者の実際の給付義務の発生またはその範囲が契約成立時には不確定 な偶然の事実により左右されるという意味で保険契約は射倖契約であり,そ の射倖契約としての特殊構造故に契約当事者双方に相手方に対する信義則が 強く要請される契約としての善意契約性を認める見解である 。とくに,保 険契約の最大善意契約性を認めてきたのは英国保険法であり,そこでは契約
16) 内田貫 契約の時代 (岩波書店・2000年)73頁以下,84‑85頁,石川博康 信義誠実の原則 民法の争点(ジュリスト増刊) (有斐閣・2007年)54‑55 頁。
17) 野津務 保険法における信義誠実の原則 (中央大学生協出版局・1965年)69 頁以下,坂口光男 保険契約法の立法論と信義則 商法の課題とその展開
(野津先生追悼) (成文堂・1991年)243頁以下,花房一彦 保険契約法・保険 契約と信義則 同書305頁以下,勝野義孝 生命保険契約における信義誠実の 原則―消費者契約法の観点をとおして― (文眞堂・2002年)。なお,ドイツ法 における議論を紹介するものとして,福瀧博之 保険契約法における信義誠実 の原則―保険料の支払の遅滞の場合と
Helmut Heissの見解―
保険法の現 代的課題(三宅先生追悼) (法律文化社・1993年)36頁以下。18) 大森忠夫 保険契約の善意契約性 保険契約の法的構造 (有斐閣・1952 年)173‑74頁,176頁,同 保険制度 と 信 義 則 保 険 契 約 法 の 研 究 (有 斐 閣・1969年)1頁以下。これまでのわが国における議論の整理として,梅津・
前掲注2)35‑39頁。
の両当事者にそれぞれ最大善意を要求する相互性(mutuality)が強調され ている 。
他方で,射倖契約という概念の理解に差があり,また信義則という一般原 則は当然に保険契約にも認められ承認されるものであることから,あえて保 険契約の善意契約性を強調する必要はないとする善意契約性否定論も展開さ れていることも忘れてはならない。とくに射倖契約との関連において,保険 契約に特殊な規定・制度は,保険技術,情報の非対称性やモラルハザードの 抑止という点から説明されるべき見解が示されている 。
例えばこれまでの保険契約に関する判決例の分析から,一般の契約におけ ると同じ平面で信義則が問題となる場合には,とくに保険契約における信義 則を特殊なものとして強調する必要はなく,まして 保険法 においてそれ を強調する規定を組み入れる必要はないともいえよう。しかしながら上述し たように,保険契約の射倖契約性または(最大)善意契約性という保険契約 に特別の構造・性質を認めることにより,保険契約に特別の法則が信義則上 必要とされる場合,保険契約の解釈において特別の考慮が必要な場合には,
信義則が保険契約・保険法において固有のものとして強調される必要があ る 。
そこで,より具体的に裁判例において信義則が保険契約の解釈・適用の点 でいかに機能してきたかをみることによって,以上のような理解が可能かを 判断してみたい。
3 裁判例にみる保険契約と信義則
⑴ 近時の裁判例
以下では,ごく僅かではあるが最近の判決例をもとに,保険契約ないし約
19) 梅津・前掲注2)40‑45頁。
20) 山下友信 保険法 (有斐閣・2005年)72‑73頁,284頁。なお,善意契約性 否定論については,梅津・前掲注2)37‑39頁。
21) 坂口・前掲注17)249‑56頁。
款条項の解釈・適用,あるいは事案の解決において信義則が機能したと思わ れる場合をみてみよう。特に,保険者側の態様に信義則が機能する事案を紹 介することにする。もちろん,信義則は契約の両当事者を支配する一般原則 であるから,保険契約者または被保険者側にもそれが要求されるところであ るが, 保険法 制定の趣旨のひとつが 保険契約者の保護 にあるとする ならば ,保険者側の態様にこそ信義則が強調されるべきであると考えられ るからである 。
①東京高判平成11・9・21金判1080号30頁は,他人のためにする生命保険契 約の保険金受取人として指定された者が同時に当該保険者の保険募集人(保 険外務員)でもあり,その者が保険契約者に代わって契約申込書を作成して 締結された保険契約に基づく事件である。そのように作成され保険者に提出 された申込書には,保険者が保険契約の締結を承諾するかどうかを判断する 重要な部分に関し虚偽の記載があり,かかる虚偽記載は保険募集人の職務上 の義務違反となり,その者が保険金受取人として保険金請求権を行使するこ とは,募集人としての行った行為の違法性故に,信義則に反し認められない とされた 。
②神戸地判平成15・6・27(判例集未登載)は,当該漁船の滅失,沈没,損 傷その他の事故を保険事故とする漁船普通損害保険契約において,当該漁船 が他船との衝突事故により損傷を受け,当該漁船について計6回の修繕を行 った被保険者が保険者に対し,修繕完了前の分損保険金支払を予備的に請求 したのに対し,保険者は,当該保険契約の定款条項の厳格な適用と分損保険 金について履行請求(民法412条3項)をしていないことを主張してそれを 拒絶した事案である。裁判所は,保険者が,本件衝突事故直後から終始,当
22) 諮問第78号( 保険法立法関係資料 58頁)。
23) 以下で紹介する裁判例には,他にも法的論点があるが,本稿では,信義則の 観点からのみ整理するので,他の論点については,各評釈を参照されたい。
24) 笹 本 幸 祐 ・ 私 法 判 例 リ マ ー ク ス21号(2000年)110頁 以 下,野 口 恵 三 ・
NBL681号(200年)68頁以下。
該漁船の修繕方法について積極的に関与し,保険者の意に沿わない被保険者 発注の修繕工事に対しては,保険金の支払を拒絶することをほのめかし,被 保険者が保険者の意に反する修繕を行うことを実際上困難にした,そして定 款条項を厳格に適用すれば,被保険者は,新たに巨費を投じて修繕を完了し なければ分損保険金を請求することができないことになり,保険者の意向の 下,表面的修繕に終始したことが原因で,被保険者に,計6回の修繕費用と いう漁船保険のてん補の対象とならない余計な出費を強いる結果になってお り,これに加えて修繕の完了のために,さらに多額の資金負担を求めるのは,
経済的に余裕のない被保険者に著しい困難を強いることになり,不慮の事故 による損害の復旧を容易にし,かつ漁業経営が困難となることを防止するこ とを目的とする漁船保険の趣旨に悖るものと解され,保険者は,被保険者に 対し,当該漁船の修繕が未了であっても,信義則上,分損保険金の支払を請 求することができ,保険者は,信義則上これを拒否できないものと解するの が相当であると判示した。また,保険者が被保険者の保険金請求権の消滅時 効完成後に,被保険者に対し,保険金請求手続を直ちに取るように求めたこ とは,被保険者の保険者に対する保険金支払義務の存在を前提とする行為を しており,これは黙示の債務承認に該当するから,保険者が被保険者に対し 保険金支払請求権の消滅時効を援用することは信義則上許されないとした 。
③最判平成15・12・9民集57巻11号1887頁は,その原審(大阪高判平成13・
10・31判時1782号124頁)において, 保険会社と消費者との間において,地 震保険に関する情報面での格差が著しいこと,原則付帯方式及び地震保険意 思確認欄への押印による地震保険不付帯の意思の確認が行われる地震保険法 及びその運用方式は,保険会社又はその代理店による地震保険・意思確認欄 への押印についての情報提供・説明を当然の前提として おり,同法(地震
25) 他に近時の判決例として,対人賠償保険契約を締結していた加害者に対する 損害賠償請求の事案において,訴外保険者によるかかる損害賠償請求権の時効 援用が信義則上許されないことを前提とした大阪高判平成9・3・27判タ971号 155頁がある。甘利公人・損害保険研究60巻4号(1999年)237頁以下。
保険法:筆者注)の上記改正の際の審議会答申・委員会での質疑応答でも,
この説明の重要性を指摘しており,旧募取法(現保険業法)などにおいて保 険会社に説明義務が課せられている重要事項にも当たると解されることなど を総合するならば,損害保険会社である第一審被告らは,第一審原告らが本 件火災保険の申込みをするに当たって,地震保険の内容及び地震保険意思確 認欄への押印の意味すなわち同欄への押印によって地震保険不付帯の法律効 果が生じることについての情報提供・説明をすべき信義則上の義務があると いわなければならない としてかかる義務違反による慰謝料請求を認めたの に対して , 地震保険に加入するか否かについての意思決定は,生命,身 体等の人格的利益に関するものではなく,財産的利益に関するものであるこ とにかんがみると,この意思決定に関し,仮に保険会社側からの情報の提供 や説明に何らかの不十分,不適切な点があったとしても,特段の事情が存し ない限り,これをもって慰謝料請求権の発生を肯認し得る違法行為と評価す ることはできない と判示した 。
④高度障害保険特約付き生命保険契約の事案である大阪高判平成16・5・27 金判1198号43頁は,被保険者が身体障害者等級第1級に認定されたことから,
保険者の支部長に高度障害保険金請求について相談したこところ,同支部長 により 高度障害保険金をもらうと,同契約が終了し,今後入院したときに 入院給付金がもらえなくなるから,このまま保険に入り続けて,まとまった お金が必要になったときに高度障害保険金を請求した方がいい とアドバイ スされたので,当該請求を先に延ばして後で請求したものであった。保険金 請求権者が以上のアドバイスに従わず高度障害保険金の支払請求をしていれ ば,その支払を受けられたことの可能性が高かったという事情の下で,同部
26) 石田満・損害保険研究64巻2号(2002年)193頁以下,笹本幸祐・判評530号
(2003年)31頁以下,李芝研・ジュリ1266号(2004年)196頁以下。
27) 竹濵修・ジュリ1269号(2004年)117頁以下,後藤巻則・法教287号(2004年)
102頁 以 下,黒 木 松 男・判 評549号(2004年)34頁 以 下,笠 井 修・NBL795号
(2004年)68頁以下,山下典孝・私法判例リマークス30号(2005年)94頁以下,
志田原信三・法時58巻1号(2006年)356頁以下。
長の職務内容,地位等を考慮すると,保険者が後になって同保険金の支払請 求を拒絶することは信義則に反し認められないと判示された 。
⑤東京地判平成17・1・14判タ1230号272頁は,集団扱定期保険が個人扱に変 更されたことに伴い,保険料の払込みについても当該集団代表者が集団構成 員から徴収して取りまとめ保険者に払込がなされる方式から,契約者個人が 保険料の払込口座として新たに銀行口座振替の手続をとり個別に払込がなさ れる方式となったところ,当該契約者がかかる手続を怠ったため扱い変更後 の保険料が未納のまま被保険者が死亡した事案である。保険者が保険料未払 による契約の失効を主張したのに対し,保険金受取人は,集団扱から個人扱 への変更は契約内容の変更であり,保険契約者の個別の承諾ないし同意が必 要であるところそれがなされておらず,また当該変更の通知も受領していな いとして保険金の支払を求めた。裁判所は, 集団の閉鎖及びそれに伴う契 約条件の変更に際しては,いずれも集団構成員である各保険契約者の個別の 承諾ないし同意は必要でないと解される けれども,かかる契約条件の変更 は,保険者と 集団代表者との間の集団特別取扱に係る契約が解除されるこ とにより生じることになるから,集団扱定期保険の保険契約者は,その経過 について知る機会を与えられない限り,常に保険料及びその払込経路の変更 による保険料不払とそれに伴う契約失効の危険にさらされることになる の で,保険者は 集団を閉鎖して集団扱定期保険を個人扱定期保険に変更しよ うとする場合には,信義則上あるいは保険契約に係る付随的義務として,集 団構成員である保険契約者に対し,当該保険契約について個人扱となるため 契約条件に変更が生じることを通知 する必要があり, かかる通知の到達 なしに上記の契約条件の変更を保険契約者に対抗することはできないと解す るのが相当である と判示した 。
28) 山 下 典 孝・金 判1198号(2004年)62頁 以 下,小 林 道 生・事 例 研 レ ポ204号
(2006年)1頁以下,石田清彦・ジュリ1334号(2007年)246頁以下
29) 小野寺千世・損害保険研究69巻3号(2007年)244頁以下。保険料の支払に 関しては,保険契約者側の信義則を問題とする事案であるが,東京高判昭和
⑥福岡高判平成19・9・27(判例集未登載)は,保険料の支払方法につき口 座振替がとられている場合に,口座振替予定日に保険契約者が振替に用いて いた預金口座の残高が当該保険料相当額に不足していたため保険者は口座振 替ができなかったところ,未払保険料の支払猶予期間を1日経過した日に保 険契約者が当該未払保険料を払い込んだが,保険者が生命保険契約の失効を 主張した事案である。第一審は,支払猶予期間を2日も経過しないうちに未 払保険料の支払が行われ,それまで6年間,保険契約者は遅滞することなく 高額の保険料を支払っていたことを考慮して,仮に保険契約者に債務不履行 が認められるとしてもそれは軽微なものであり,保険者が失効約款の適用を 主張することは信義に照らし相当であるとはいえないと判断した。それに対 し控訴審は,保険者が保険料の振替が不能であることを保険契約者に通知し 契約者としては保険料相当額を預金口座に確保することは可能であったこと,
契約者は失効約款の存在を知っていたこと等を考慮して,保険者が失効約款 の適用を主張することは信義に反するものではないと判断した(上告不受
59・8・29判時1129号128頁,判タ533号がある。同事件判決は,月掛店舗総合 保険契約において,当該保険料支払債務が当事者間では取立債務の約定がなさ れたことを認めたうえで,被保険者は保険者側からの保険料取立行為に対して 信義則上要求される措置,具体的には,保険料相当額の現金ないし小切手を準 備しておくから集金にくるよう告げることなど,保険者に集金の時期および場 所を具体的に通知すべきことを怠ったとして,保険料支払債務の履行遅滞の責 めを免れないとした。石山卓磨・判タ540号(1985年)76頁以下,岡田豊基・神 戸学院法学17巻4号(1987年)225頁以下,甘利公人・ジュリ920号(1988年)
101頁以下。また,保険者の履行補助者による対応の点から,保険代理店に対 する損害賠償責任が認められた事案がある。当該代理店と当該顧客との間のそ れまでの保険料支払に関する取扱から,被保険自動車が自損事故を起こし全損 したが,保険料が未納であったため車両保険金の支払を保険者に拒絶された事 案で,東京地判平成6・3・11判時1509号139頁,判タ873号171頁は,当該保険 代理店は,保険料の額,支払方法ならびに支払期限を徒過した場合の保険代理 店の処置を伝える信義則上の保護義務を負うものであり,その違反による賠償 を認めた。出口正義・損害保険研究58巻2号(1996年)227頁以下,行澤一 人・損害保険判例百選[第二版](1996年)40頁以下。
理) 。
⑵ 小括
そこで,以上の判決例を信義則が機能した場面ごとに整理すると以下のよ うになろう。①事案は,やや当事者関係が複雑な事案であり,明確に保険者 側の信義則が問題とされたとは言い難い面もあるが,募集人としての行為の 違法性が認定され,そのような行為を前提として募集人でもある保険金受取 人の請求は信義則に反するとされている。したがって,保険者の支配権の範 囲内にある者についての教育・指導の不十分さを原因とするとも評価される 行為にもとづく権利行使が認められない場合である。かかる点では,事案④ も,保険者の支配下にある者の行為(言動)を信頼した者の利益を保険者は 害することはできないことを信義則に基づいて判断したといえよう 。
そして,②の事案では,保険事故発生後の付保対象物の扱いに保険者が関 与し,その関与の度合いからそれに反する主張を許さない,あるいは保険者 による消滅時効の援用が信義則上認められない行為を認定している。また,
⑤および⑥事案は,場合によっては,失効約款適用の主張が信義則上許され ないことがあることを示唆する判決例であり,とりわけ,生命保険契約にお ける失効約款の適用を保険者が主張するに際しては,保険料支払猶予期間と の関係から保険契約者の単なる不払いという要件のみならず保険契約者帰責 性を要件とする解釈が提示され ,その基礎に保険者に対する信義則の要請
30) 甘利公人・事例研レポ225号(2008年)1頁以下,広瀬裕樹・事例研レポ226 号(2008年)8頁以下。さらに,札幌高判平成18・9・28判タ1226号200頁も,
保険者が生命保険契約の失効を主張し,死亡保険金請求を拒絶したことが信義 則に反しないとされた事案である。藩阿憲・事例研レポ216号(2007年)1頁 以下,新井修司・事例研レポ219号(2007年)11頁以下。
31) 山下・前掲注28)67頁以下では,信義則違反を基礎づける理由に疑問を呈し ている。また,原審判断については,山野嘉朗・法学研究(愛知学院大学)45 巻1・2号(2003年)37頁以下。
32) 甘利・前掲注30)6‑7頁,山下・前掲書注20)343‑44,349頁。
があるとも理解できよう 。
③事案は,一定の契約交渉過程において,一方当事者に相手方の契約締結 意思決定に影響を与える重要事項を開示・説明する義務が認められるか問題 となった事案である。原審では,保険者側にいわゆる重要事項について信義 則上の情報提供・説明すべき義務を認めたことで画期的であったと評価でき るが,最高裁はかかる義務の存在を明確に否定しているとも言い難く ,ま た義務性を問題とすることなく事実関係から保険契約者の契約締結意思決定 を侵害したほどの違法行為と評価される特段の事情はなかったとしたもので あるとも理解しうる 。
以上のような分類・整理は,上述したように民法学において信義則を機能 面から整理することに対応するかもしれない。すなわち,事案①および④は 信義則の衡平的(正義衡平的)機能 ),事案②,⑤そして⑥は職能的(法 具体化)機能 )または衡平的(正義衡平的)機能 ),事案③は機能授与 的(法創造的)機能 )を裁判所が発揮したものと考えられよう。
4 結びに代えて
若干の判決例ではあるが,事案に即した保険契約における信義則の具体的 適用を概観し,それらがこれまでの民法学における信義則の機能面からの分 類の中で整理してみた。これまでに現れてきた判決例の整理からは,あえて 保険法 において信義則を強調し明文化する必要性は認められないかもし れない。それでもなお,信義則は 保険法 において他の一般契約とは異な る場面で問題とならないかを考察する必要がある。すなわち,これまで保険 契約が(最大)善意契約性を有するが故に,契約当事者に対し信義則が強く 要請されその具体的発現として保険法に特殊な法則が認められるとの主張と
33) 広瀬・前掲注30)18‑19頁。
34) 竹濵・前掲注27)118頁。
35) 笠井・前掲注27)69頁。
の関連をいかに理解するかも必要である 。すなわち,保険契約者側の告知 義務(保険法4条,28条,37条,55条,66条,84条),通知義務(保険法14 条,35条,50条,79条),損害防止義務(保険法13条)などの規定の根拠・
解釈において,そしてその違反を主張する側である保険者のその主張の適否 において,保険契約が(最大)善意契約であることから信義則に基づく具体 的判断が要請されるのではないか。
さらに, 保険法 が各所でその片面的強行規定である旨を規定している ことは(第7条,第12条,第26条,第33条,第41条,第49条,第53条,第65 条,第70条,第78条,第82条,第94条),保険契約上保険契約者保護が必要 な場合として,保険者に特に信義誠実を要求する現れとみることができるの ではないだろうか 。そしてそのことにより, 保険法 における保険契約 者保護を徹底させる趣旨ではないか 。例えば,約款規制における保険契約 者の保護という観点からは, 消費者契約法 が重要である。同法第10条は,
民法1条2項の規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害する 条項を無効とするものである。かかる条項の適用にあっては具体的に裁判に 持ち込まれ裁判所が判断することになるが,信義則に反する条項については その権利行使を認めないとするにとどまらず,消費者契約に関する一定の特 約を無効とする効果を与える規定である 。 消費者契約法 があえてこの 36) 大森・前掲注18)( 保険契約の善意契約性 )169頁以下,178‑79頁,坂口光 男 保険法 (文眞堂・1991年)38頁,石田満 商法Ⅳ(保険法)〔改訂版〕
(青林書院・1997年)58‑59頁,中西正明 生命保険法入門 (有斐閣・2006年)
14‑15頁。
37) 坂口・前掲注17)256頁以下では,かつて保険法制研究会が公表した 損害保 険契約法改正試案 に信義則がいかに具体的に発現しているかを検討されてい る。とくに信義則の 法修正的機能 と関連する規定を保険契約者の保護に向 けた片面的強行規定として評価しておられる。
38) 萩本編著・前掲注1)20‑22頁。
39) 落合誠一 消費者契約法 (有斐閣・2001年)144‑55頁,内閣府国民生活局 消費者企画課編 逐条解説消費者契約法〔新版〕 (商事法務・2007年)200‑07 頁。さらに他法に目を転じてみると,民事訴訟法2条は, 裁判所は,民事訴 訟が公正かつ迅速に行われるように努め,当事者は,信義に従い誠実に民事訴
ような規定をおいたことの趣旨については議論があるが ,保険者側が約款 を作成するに際して 消費者の利益を一方的に害する 条項とならないかど うかを信義則に従って検討する意味合いがあるのではないかと思われる。
信義則に関する規定を 保険法 においた場合に,保険契約者側の義務を 強調するための根拠規定として使われるとの懸念が示されていたところであ る 。あるいは,契約当事者ではない被保険者ないし保険金受取人について 信義則の要請は及ぶかという点では,その法的根拠如何の問題があろう。し かしながら,信義則は契約両当事者に要請される原則であり,とくに保険者 側にこそ信義に従い誠実に行為することを要求するという本稿の立場からす ると,保険契約の締結前・締結過程,そして保険事故発生時ないし保険金支 払時における保険者に対する信義則に基づく要請としてとらえる必要性は無 視できないのではないかと考える。やはりここでも,保険契約の他の一般的 契約とは異なる性質,それを射倖契約と呼ぶか(最大)善意契約と呼ぶかは 別にして ,そのような性質を承認することにより,例えば,保険者の情報 提供義務を認める根拠として,または保険金請求時に保険者側に協力を求め
訟を追行しなければならない。 と規定し,訴訟行為に信義則が適用されるこ とを明らかにしている。伊藤眞 民事訴訟法[第3版3訂版] (有斐閣・2008 年)296‑99頁,中野=松浦=鈴木編 新民事訴訟法講義[第2版補訂2版]
(有斐閣・2008年)26‑28頁,栂善夫 民事訴訟における信義誠実の原則 民 事訴訟法の争点(ジュリスト増刊) (有斐閣・2009年)16頁以下。例えば,広 島高決平成9・3・18判タ962号246頁では,生命保険契約約款所定の専属的合 意管轄および義務履行の裁判籍を当該事案のもとで保険者がそれぞれ主張する ことは 民事訴訟における信義誠実の原則にもとる ものであると判断されて いる。小林登・損害保険研究60巻3号(1998年)211頁以下。
40) 消費者契約法と保険法との関係については,山下友信 消費者契約法と保険 約款―不当条項規制の適用と保険約款のあり方― 生命保険論集139号(2002 年)1頁以下,とくに13頁以下,大串・前掲注6)57‑58頁。
41) 保険法立法関係資料 158頁。
42) 保険契約の性質としての射倖契約性ないし(最大)善意契約性については,
先にも示したとおり,梅津・前掲注2)35‑39頁に引用した各文献を参照された い。
る必要性からも信義則が 保険法 に規定される意味は軽いものではなかっ たのではないかと考えるところである。
(筆者は東北学院大学大学院法務研究科教授)