︿ い づ こ も 同 じ 秋
﹀
から
︿ こ と し の 秋
﹀
' ^ '
ーー ー島 崎藤 村
﹁こ とし の秋
﹂
論 ー ー
はじめに
藤村﹁ことしの秋﹂(﹃文学界﹄明治幻
‑ m
・却)は︑北村透谷が五月に自殺したその年の秋に発表された掌編である︒
( 1)
﹃一葉舟﹄(明治引・6春陽堂)に収録される際︑﹁秋詞﹂に改
題された︒明治二十六年一月から三十一年一月までの五年の間続いた雑誌﹃文学界﹄に関する研究には︑笹淵友一氏の大著
﹃﹁
文学
界﹂
とそ
の時
代﹄
があ
る︒
( 2)
﹃文学界﹄の同人らが﹁無限なるものへの憧慣﹂を本質とする浪漫主義︑とりわけ﹁形而
上的世界に対する憧僚﹂を典型とするキリスト教的浪漫主義を
基盤とし︑﹁西欧的神秘思想の上に立つ文学観が︑俳諾を経過した日本文学思潮としての幽玄の観念と合流して︑透谷その他﹁文学界﹂同人の風流的文学観が成立した﹂とする氏の卓説は︑
今なお有効と言える︒ただ氏は︑透谷の死の前後から見受けら
れる藤村の﹁人生派的傾向﹂の動機について︑﹁明治二十七年の夏藤村は初めてルソlの﹁機悔﹂に触れ︑(中略)生の矛盾
をそのまま肯定しようとする志向を抱き始めた﹂と︑藤村の回想(﹁ルウソオの﹁機悔﹂中に見出したる自己﹂﹃秀才文壇﹄明
五 十 里
映
文
治必
・
3‑
m)
を論拠としてルソl﹁告白﹂の影響という一点
から説明するに止まっている︒そして﹁山家ものがたり﹂(﹃文学界﹄明治幻・6・
8
︑﹁
こと
しの
秋﹂
︑﹁
村居
漫筆
﹂(
﹃文
学界
﹄
明治活・3・却)などのこの期の作品を︑それまでの借りもの
の観念としての﹁風流的文学観﹂から脱して本来の性向として
の﹁人生派的傾向﹂を示し始めるという見取り図のもとに説明している︒以後の研究は基本的に︑氏のこの見取り図を踏襲し
てきたと言える︒しかし私見によれば︑藤村が無限なるものへの憧憶を絶って人生を肯定し始めることには︑本来の性向に加
えて︑やはり透谷の死が大きく関与している︒﹁山家ものがた
り﹂︑﹁ことしの秋﹂はそのことが主題化されている看過できな
い作
品で
ある
︒(
ユ
笹淵氏は﹁ことしの秋﹂について︑次のように述べる(﹁島崎藤村﹂﹃﹁文学界﹂とその時代下﹄九一三頁)︒
﹁ことしの秋﹂はまだ美文意識︑風流意識を完全に脱け
切ってはゐないが︑しかし風流︑風雅の概念に煩はされない心情が比較的率直に吐露されてゐる︒
し ゃ く と り む し や か ま し ゃ
鳴呼々々吾等尺穫︑これをある訊刺家のいふが知く
‑46‑
に︑お茶を濁すと瑚るは酷なり︑又非なり︑人生実に
行路難し︑誰かお茶を濁さγ
らん
や︒
すでに執着多し︒執着の放れざるべからざることを知
りながら猶放る︑あたはざるもの︑これ人の姿ならず
や︒すでに縄墨多し︒縄墨の捨てざるべからざることを知りながら猶捨つるあたはざるもの︑これ人の形な
らず
や︒
当時の藤村は失恋と生活苦とのために暗潅とした日を送
ってゐた︒さういふ苦悩の中から溢れ出るヒュiマニテイの声││それは最早風雅意識などをもって糊塗することが
できない
oi l‑
が白期の声と共に聞こえてくる︒従来のス
タイルにのみ拘泥する街気を離れて自己を内観し始めたこ
とが感ぜられる︒ここでは︑本文が文脈から切り取られ︑﹁失恋と生活苦﹂の中
で﹁街気を離れて自己を内観し始めた﹂藤村の声に変換されて
いる︒池を廻って思索するという本作の趣向や︑人間を破砕する心情との対峠という本作の主眼について︑言及するところが
ない︒﹁人生派的傾向﹂と氏が言うとおり︑確かに以後藤村はこの世や人生を積極的に肯定し︑それが﹃若菜集﹄(明治加・
8春陽堂)に結実する︒しかしなぜ藤村は︑﹁無限なるものへ
の憧憶﹂を捨て﹁人生派的傾向﹂へと反転するのか︒その最たる動機が︑﹁ことしの秋﹂には語られている︒すなわち本作には︑無限なるものを志向していた﹁われ﹂が︑段階的な思索を
経て︑その志向と対峠した結果︑有限なるものへと眼を転ずる
に至る過程が描きこまれている︒ まず作品の冒頭を引く︒
一葉落ちて天下秋を知ると古人も申したりき︒ことしの夏こそは富士の高根を凌いで古き歌の心をも思ひ合せばゃな
ど︑指折り数へし甲斐もなく︑はづるればはづる︑人の
の ぞ み
希望かな︒友をうしなひてより兄に別れ︑兄に別れてより
世の網に陥りこれではならぬと腕を組みしま¥しようこ
で き ご
︑ ろ む め
となしの壮意遂に春の花のうつろひに似たり︒青梅の落ちそめしころより三輪の片田舎にありて友の為に病床を備
へんと約せしこともありしが︑この友一たび去ってまた帰らず︑荷花まづ散りて荷葉随って破れ︑いづこも同じとは
読みいでられけむ︑秋は昔も今も変らざりけり︒
おもしろいかな造化のこ冶ろ︒かなしいかな清秋のすがた︒
われは五早心を慰めんとて庭に立ち出で小池のほとりを一め
お き な わ れ /
¥
ぐりせり︒自然と名のついたる翁の心はたやすく人間の味ひがたきものなるべけれど︑この翁決してこ︑ろなきもの
く さ き か れ を
にはあらず︒誰か草木の黄落つるを見︑きり介¥すのかな
ひ は ほ う じ ろ ひ よ ど り
しい歌をき¥鵜︑画眉鳥︑鴇のうらさびしき声に耳そ
ばだて︑︑ひとりをもひを傷ましめざるものゃある︒
は ち す
﹁敗荷もて満ちたる﹂﹁小池のほとりを一めぐり﹂した﹁われ﹂は︑この後︑﹁こまやかに秋の心を味﹂いながら﹁更に小池の
ほとりをめぐ﹂り︑更に﹁三度目﹂を廻る︒前年︑透谷は文学
を軽視する山路愛山を論敵として︑﹃文学界﹄(明治初・2
・お
)
に﹁人生に相渉るとは何の謂ぞ﹂を書いた︒そこで透谷は︑ 司IA斗
﹁自然﹂を﹁実﹂としての側面︑すなわち﹁風雨雷電を駆って吾人を困しましむる﹂﹁力としての自然﹂と︑﹁虚﹂としての側
面︑すなわち﹁美妙なる絶対的のものをあらはして吾人を楽し
ましむる﹂﹁美妙なる自然﹂とに分け︑﹁自然﹂の﹁限なき力﹂ちカらに﹁物質的の権﹂を以て対処するより︑﹁美妙なる自然﹂を
﹁好友﹂として﹁吾人の霊魂をして︑肉として吾人の失ひたる自由を︑他の大自在の霊世界に向って縦に握らしむる﹂に如か
ないことを説く︒その際︑芭蕉の﹁名月や池をめぐりて夜もす
がら﹂の句を引合いに出し︑彼は池の一側に立ちて池の一小部分を脱むに甘んぜず︑
徐々として歩みはじめたり︒池の周辺を一めぐりせり︒一めぐりにては池の全面を脱むに足らざるを知りて再回せ
り︒再回は池の全面を脱むに足りしかど︑池の底までを脱むことを得︑ざりしが故に更に三固めぐりたり︑四固めぐり
たり而して終によもすがらめぐりたり︒と︑名月の照らす池を終夜廻ることで︑﹁すべての愛縛︑すべ
ての執着︑すべての官能的感覚に固まれである﹂﹁肉をもて成
りたる人間﹂が︑﹁実を忘れ︑肉を脱し︑人間を離れて﹂﹁天涯高く飛ぴ去りて絶対的の物︑即ち
Eg
にまで達したる﹂句とし
て解説した︒文士は﹁局捉として人生に相渉る﹂ことなく︑この匂のように現象界から脱して宇宙の実相を透徹せよ︑と︒愛
山が︑﹁芭蕉も透谷氏の為めには天涯高く飛ぴ去りて︑肉眼に
︑ っち
ては分り兼ねる理想の中に住する人となれり︒平民的短歌の作アイデアリスト者も一種の理想派となりて︑さぞ満足なることならんと難も︑
実を忘れ︑肉を忘れ︑天外高く飛ぴ去り︑籍{旅判せず迷覚了せ ざる的の漢となりて一生を漫遊せんことは彼と難も難レ有涙をこぼすなるべし︒﹂(﹁凡神的唯心的傾向に就て﹂﹃国民新聞﹄明治
初・
4
・ 凶 ︑
4・印)と応酬して論陣を張るのに対し︑藤村は書簡で︑﹁芭蕉の一句をぬいて透谷庵の風流を吐くところ︑
桃青も大喜びと存候︒﹂(明治活・3・7星野天知・北村透谷・
星野男三郎・平田禿木宛引用は﹃藤村全集第十七巻﹂昭和
幻・日筑摩書房)と快哉を叫んだ︒戸川秋骨も︑ゲlテを言うアイデア際に﹁彼は明月の夜池畔を廻り明して観念にまで達したる人の
如く
には
あら
ず︑
﹂(
﹁ゲ
lテの小河の歌を読む﹂﹃文学界﹄明治
活・H‑m)と表現しており︑﹃文学界﹂においては透谷の句解や主張が共有化されたと見られる︒
以上から︑思索しながら池を廻るという趣向は︑﹁人生に相渉るとは何の語ぞ﹂における透谷の句解や主張を踏まえたもの
と考えられる︒ならば︑﹁われ﹂に求められるのは︑現象界から
脱して宇宙の実相を透徹する境地へと到達すること︑﹁空の空の空を撃って星にまで達する﹂ことである︒しかし︑それとは
正反対の境地へと︑作品末尾の﹁われ﹂は到達することになる︒
‑48‑
前節の冒頭に一周めの前段落までの本文を引いたが︑そこに
立ち上げられているのは︑﹁古人﹂や﹁古き歌﹂を拠り所としながら︑万古不易なるもの︑無限なるものを志向している人物
像であると言える︒
﹁ことしの夏こそは富士の高根を凌いで古き歌の心をも思ひ
合せばや﹂とある︑その古歌とは︑﹁山部宿祢赤人望二不尽山一歌一首井短歌﹂(﹃万葉集﹄巻三・雑歌・三二O︑三二こで
ある
0(4)やはり透谷は︑﹁富山獄の詩神を思ふ﹂(﹃文学界﹄明治
初 ・
1・引)でこの和歌を引きつつ︑﹁富山獄よ汝こそ不朽不死
主fかに週一きものか︒﹂と富巌を称賛した0(5)﹁われ﹂は︑地上では唯一不朽不死の存在とされる富山獄を拝し︑遠い万葉の時代にも赤人が︑天地開闘以来神々しく存在し続ける姿を称えたその心
を思い合わせることによって︑無限なるものを味わいたいと願
っていたのである︒しかし願い空しく︑(透谷が自殺し)友に別れ︑(長兄秀雄が収監され)兄と別れ︑兄との別れによって
生活苦に陥り腕組みをするうち︑庭の池の﹁荷花まづ散りて荷葉随って破れ﹂たことから︑﹁一葉落ちて天下秋を知る﹂とい
う﹁古人﹂の言葉
( 6)
に促されるように︑立秋を知る︒
﹁われ﹂が﹁いづこも同じとは読みいでられけむ︑秋は昔も今も変らざりけり︒﹂とその到来を知る秋とは︑﹃後拾遺和歌集﹄
(第
四・
秋上
・一
二三
一二
)に
︑ 題 不 知 良 選 法 師
さびしさにやどをたちいでてながむればいづくもおなじあ
きのゆふぐれと詠まれるところの︿いづこも同じ寂しき秋﹀である︒これを
本歌として代々数多くの歌が詠まれ︑(ヱ当時も﹁秋タ﹂と言え
ば﹁いづこもおなじ﹂︑﹁秋望﹂と言えば﹁いづこもおなじ秋のくれ﹂︑﹁立秋(初秋ごと言えば﹁さびしき宿﹂と歌うような
伝統が息づいていた(中郁秋香﹃新体詩歌自在﹄明治引・日博
文館)︒与謝野鉄幹﹁秋思﹂(﹃二六新報﹄明治幻・H・
2)
に
も ず
も︑﹁門の柳に百舌なきて/入日さびしき夕まぐれ/立出でて
主 主
ひとりながむれば/ゆく水ながし山たかし/画にかかば佳き画の景色/詩に入れば長き詩の題/さはいへ我は見に行かじ/秋
の思ひをいかにせむ﹂と︑秋の夕べの寂しさに宿を立ち出で秋思に沈む心情が歌われている︒蓮の凋落に古人の言葉を思い合
わせて立秋を知り︑古歌を思い合わせて︿いづこも同じ寂しき秋﹀の感慨にとらわれた﹁われ﹂は︑本歌さながら︑﹁五中心を
慰めんとて﹂﹁三輪の片田舎﹂の︿寂しき宿﹀から﹁庭に立ち
出で﹂る︒そして小池を一周し︑草木の黄落や﹁きりρ¥
すの
かなしい歌﹂︑鳥たちのでつらさびしき声﹂などに﹁をもひを
傷ましめ﹂︑団々たる露が﹁万古のかなしみを漏らす﹂のを聴き取っていく︒秋の寂しさを慰むべく宿を立ち出で︑かえって
︿いづこも同じ寂しき秋﹀という万古不易なるものに取り囲まれるという文脈は︑まさしく本歌に準じている︒﹁富士の高根
を凌いで古き歌の心をも思ひ合せばや﹂という願いはもはや叶っていると言うべきだろう︒
このように︑冒頭及び一周めからうかがわれるのは︑万古不易なるもの︑無限なるものを志向する﹁われ﹂のありょうである︒
‑49‑
二周
めに
入っ
た﹁
われ
﹂は
︑﹁
秋に
随ふ
二人
の童
子あ
るを
認め
﹂︑
げにやむかしより秋はかなしきもの︑一に数へられて︑童
子ひとたび琴を弾ずれば草露をのづから秋の声を放ち︑童
つるぎ
子ひとたび利剣を振へば千山たちまちにして黄ばみ落つ︒
姿やさしく心かなしきものは一人の童子なり︒姿ものぐるはしく心切なるものは一人の童子なり︒われは先づ金剛利
剣の童子を捕へてこまやかに秋の心を味ふべし︒
と︑まず草木を黄落させる童子の側面から玩味するとし︑以下のようなことを述べる︒このように造化に﹁粛殺﹂の心があるな
しずみうり ら︑人間仰がも﹁破砕﹂の思いがあるだろう︒というのも︑人間は﹁造花の惇﹂である︒﹁王侯﹂も﹁市に走る腕売﹂もその点か
ら見れば同一である︒シェークスピア﹁ヴエニスの商人﹂で言えば︑シャイロックは欲の塊の悪人に見え︑パサl
ニオ
lは愛
情に満ちた善人に見えるが︑その利欲も愛情も同じく﹁一つの
執着﹂であって︑造化の惇という点で両者は同一である︑と︒続けて﹁われ﹂は次のように嘆く︒
かれはげ℃ハ¥の知く思はる︑に︑これは君子の知くに
ur il l‑ Il li
‑‑
h怜
kt
h怜
札 ー や か ま し ゃ
思はる︒鳴呼々々吾等尺穫︑これをある楓刺家のいふ
が如くに︑お茶を濁すと瑚るは酷なり︑又非なり︑人生実
に行路難し︑誰かお茶を濁さγらんや︒鳴呼シヤィロック︑
皮比一り悪診ηら︒烏乎ベッザニオ︑皮比一η賓ナ支乃与O
PI
ll
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‑1
11
11
11
11
11
11
11
11
11
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li
‑‑
ぽ 津 川 崎 ぽ 陣 内 出 ほ れ 同 い は 昨 同 同 門 い 同 片 岡
じ去るなり︒一夢を演じ去るなり︒彼持は皆造化の惇に外ならんや︒鳴呼篤実勤行の清僧をして﹁デンマーク﹂の狂⑤ 公子が悲歌を聴かしむること勿れ︒老杜をして感激して︑
孔聖盗拓皆な塵挨と沸涙せしめたる︑其心むしろ哀しから
ずや
︒
右の傍線①と④は︑次のハムレットの言葉を指していよう︒ コレ︑オフイリア︑尼寺へ行かれい︑そもじ故に︑罪人を作るが本望でもあるまい︑此身自らさへ︑清く正しい身なれども︑我ながら呆る﹀程の不徳に充ち︑寧そ生れて来なんだらと思ふ位︑倣慢で復讐好で野心高く︑其外思ふまい︑想像すまい︑行ふまいと思はる冶不徳は数知れず︑身のや
で き
うなものが︑此天地の間に這廻りながら何が成就ゃう︑我
等は皆な悪物ぢや︑唯一人信じ得られう者はない︑尼寺へ
行かれい︑(戸津姑射訳﹃沙翁全集第一巻ハムレット﹄
明治
認・
9大日本図書第三幕第一場)
この言葉は透谷﹁我牢獄﹂(﹃女学雑誌﹄明治お・6・
4)
にも
︑
﹁デンマルクの狂公子を通じて沙翁の歌ひたる如くに我は天と
地との聞を幅ひめぐる一痴漢なり︑崇重なる儀容をなし︑威厳ある容貌を備へ︑能く談じ︑能く解し︑能く泣き︑能く笑ふも
人間は遂に何のたはれごとなるべきやを疑へり︑然り我が五十
J乞ご年の生涯に万物の霊長として倣るべき日は幾日あるべき︑﹂と
引かれている︒
( 8)
清廉の士を自認する者の心にも罪や執着は
巣くっているという︑悲観的に人間を相対化するようなこの考え方は︑秋骨が﹁白からが懐抱せし思想を言へば︑凡ての道義
は偽善なり︑凡ての宗教は虚偽なりと云ひ︑善悪無差別論を以て天来の福音となし︑金科玉条となしたりき︒﹂(﹁新思想とし
ての自然主義﹂﹃新人﹄明治4・3・
1)
と回想するように︑透谷を中心とする︿第一期﹀の﹃文学界﹄が共有していたもの
である︒そのように人間を相対化した上で︑おしなべて同人たちは︑夢︑迷いと知りつつも自分が価値を見出す対象に迷い尽
n u
︐ ︑
J
くすような生き方を︑真実なるものとして称揚していた0(9)
傍線②は︑次の﹁ヴエニスの商人﹂のアントl
ニオ
lの言葉を指していよう︒
イヤ拙者はさして此浮世を大事には思はぬ︒浮世と申すものは詰まり大仕掛に組み立てられし芝居の舞台︑何れの人
め い /
¥ し
も皆各自の役割を演て居る所︑さし当り拙者は︑愁歎の役を勤めて居るので︒(浅野病虚訳﹃沙翁全集第三巻ヴェニ
スの商人﹄明治労・2
大日本図書第一幕第一場)
人生は夢の舞台であり︑人間は皆各々ある役所を演じているに過ぎない︑と︒人間をそれぞれの執着に繋がれて生きるたわい
ないものと見る点で︑ハムレットの言葉に通ずると言える︒傍線③と⑤もこれらと同様の意味合いと言える︒傍線③にあ
る﹁造化の惇﹂という言葉は︑﹁たとへ王侯といへどもこの惇LJみうりの数には漏れじ︑市に走る腕売といへどもこの惇の数には漏
れじ﹂という表現が見受けられるところからも︑おそらく︑透
谷が﹁人間も亦た宇宙の一部分なり︑人間も亦た遠心︑求心の二引力の持主なり︑又た二引力の臣僕なり︒魚市に喧審せる小
民︑彼も亦た宇宙に対する運命に洩れざるなり︑彼も亦た彼の部分を以て︑宇宙を支配しつ冶あるものなり︑この観を以てすれば︑王侯将相と彼との聞に何の径庭あらんや︒﹂(﹁頑執妄排
の弊﹂﹃文学界﹄明治初・5・引)と述べた︑﹁人間も亦た宇宙
の一部分﹂と同義のものと思われる︒秋骨﹁ゲlテの小河の歌
を読む﹂(﹃文学界﹄明治初・日・却)に︑﹁無限の内に宿るもの︑造化の手に抱かれたるもの︑何れか幼児ならざる︑英雄も
其の事業を誇るべからず︑哲人も其の智を侍むべからず︑彼等 は皆無限のチヤイルドのみ︑﹂とあり︑このあたりで表現が改まったのであろう︒平田禿木﹁三日風流﹂(﹃文学界﹂明治幻・7・
m
︑8・却)にも︑﹁まことに我造化の児︑﹂と登場する︒ともあれ︑宇宙︑無限という観点から人間や人生を等し並みに相対化するような考え方である︒傍線⑤は︑社甫﹁酔時歌﹂の
一節︑﹁孔正盗町倶塵挨﹂を指し︑善人の孔子も悪人の盗妬も死ねば等しくごみと化してしまうのだと︑学識ある友人鄭慶と
自分との不遇について慨嘆したもので︑やはり︑人間は皆無差別で人生は夢であることを悲観的に述べるのに援用されてい
おいて同じであり︑皆各々の執着にとらわれつつ人生という夢 すなわち﹁われ﹂はまず︑善人も悪人も造化の悼という点に る ︒
を演じているに過︑ぎないことに思いを致した︒しかも人はそのことを自覚し﹁執着の放れざるべからざることを知りながら猶
放る︑あたは﹂ず︑夢の人生を生きるしかない︒人の世について改めてこう顧みた﹁われ﹂は︑﹁こ︑にいたりて始めて金剛とんぼぐさ
利 剣 の 童 子 が 心 を 味 へ り
︒
﹂ と 言 う
︒
﹁ か の 悪 草 と
︑ か
の瓢蓬と︑かの幽蘭と︑かの香菊と皆な同じく﹂粛殺して︑﹁万古の春﹂すなわち無限を帰さしめる童子の﹁粛殺の心﹂を
再認識したというのである︒悪人も善人も皆同じく破砕して︑
執着から放れられない人間を執着から放ち無限に帰さしめるということなのだと︑人の世の場合に鑑みての再認識であろう︒
以下︑﹁われ﹂はまさに︑そのときの童子の心情に思いを馳せ︑痛ましいものとして思い遣る︒ 噌Ei
H︑J
と ん ぼ ぐ さ か は ら よ も ぎ つ る ぎ わ れ
Ji︑
童子よ︒汝が悪草と瓢蓬とを斬るの剣を以て︑人間の
われ/¥
執着を斬らしめんか︒汝人間の執着を斬らんとせば︑汝が
つる ぎ
心いかに悲しからまし︒汝が香菊と幽蘭とを切るの剣を以
ょ の な か じ ゃ う ぎ よ の な か じ ゃ う ぎ
て︑社会の縄墨を破らしめんか︒汝社会の縄墨を破らんとせば︑汝が心いかに悲しからまし︒汝をしてこの世と戦は
しめんか︒汝をしてこの世を薫殺せしめんか︒汝をしてこ
の世を破砕せしめんか︒汝をして万古の春を帰さしめんか︒鳴呼々々童子︑汝誰と共にか沸泣せんや︒凡夫の哀しさ︑もとより聖のむねのうちを割って見るべき
よしなけれども︑国破れて山河在り︑城春にして草木深し︑
われはか︑る意味にてこの匂を読むの楽みを持つものな
り︒われは不知庵先生の訳筆によりて僅に罪与罰のをもかげをのぞいたるのみなれど︑またか︑る意味にて狂客ラス
コリニコlフの心情をかなしむなり︒バイロンいたずらに
世を憤ると見るは非なり︒沙翁いたずらに世を罵ると思ふはあやまちなり︒われは独逸語を解せざれば︑其の出花を味ふによしなけれども︑またか︑る意味にてウエルテルが
悲涙を飲むことをたのしむ︒
詩聖︑杜甫﹁春望﹂の﹁国破れて山河在り︑城春にして草木深
し﹂の一節は︑童子が執着に生きる人聞を破砕してこの世に無限を帰さしめることを表現したものと見ると︑味わい深いとい
う︒ドストエアスキー﹁罪と罰﹂の︑﹁訳の解らぬ︑因業な︑しみツたれ横道な︑寄音な﹂金貸しの老婆を︑﹁殺人ハ素より大罪である
か ね
が︑此婆アを殺して其金子を奪ッて他の善事に使用するハ人道に外れた事でない︒﹂(内田魯庵訳﹃小説罪と罰﹂明治お・日︑ お・2内田老鶴圃上篇第六回)という考えのもと殺害したラスコールニコフの痛ましい心情についてもまた然り︑と
0 (叩)
ラスコールニコフに続いて﹁世を憤る﹂パイロンの名も挙がってくるが︑このあたりは秋骨﹁変調論﹂(﹃文学界﹄明治幻・
1・却)が念頭に置かれていょうか︒秋骨はここで︑﹁宇宙と
人心とに溢れたる生命﹂が﹁自由に閲歩朝刊刻するの境﹂こそ﹁人間の終極宇宙の最後﹂であるとし︑その境に到達するため
に﹁進歩﹂を続ける﹁生命﹂が﹁大いに動く﹂ときに生ずる不健全な﹁変調﹂の大人として︑パイロン︑ゲlテなどを挙げる︒
﹁世は枯草の一束︑人はそを牽く駒なるかも﹂と世を瑚罵する
バイロンらの﹁生命﹂は︑﹁遠く時代を破りて進﹂んでいるため﹁当時の状態が要する法規と縄墨とを破﹂るのだと︒またラスコールニコフも﹁世の縛墨よりすれば彼は罪人﹂であるが︑
﹁人間心裡の生命を知るもの知何ぞ彼を以て罪人なりとするを
得ん︑彼が心理の生命は活動して此の変調を起さしめ︑計らず彼れをして此の罪と言はるべき行為に導きしのみ︑﹂なのだと︒
次節の冒頭に引く︑後続段落中の﹁パイロンは自然と名のついたる天馬の伯楽か︒﹂の﹁自然﹂という言葉についても︑秋骨
﹁活動論﹂(﹃文学界﹄明治幻・2・
n )
を踏まえると解しやすい︒秋骨はそこで︑﹁生命と云ひ活動と云ふものが其ま主に顕
れ来るを自然と云ふ︑(中略)人間の動作も此の活動を顕す時
に於ては自然なり︑凡そ人の心は此の如き自然を求むるものなり︑異常にして規矩を外れたる動作が人に喜ばる︑も自然を顕
すがためのみ︑﹂と︑﹁自然﹂という言葉を︑﹁変調論﹂に言うところの﹁当時の状態が要する法規と縄墨とを破﹂る﹁変調﹂ ウ‑戸 ︑
J
の﹁生命﹂と同意に用いている口すなわちバイロンらは︑無限
なる生命の自由を求めて人間の執着や縄墨を破砕する存在というわけである︒
﹁われ﹂の思索は二周めまでに︑執着に繋がれながら夢の人
生を送る人間に向けて破砕の利剣を振るい︑独り心に悲しみを抱えながら無限を帰さしめる童子の心情を痛ましいものとして
思い遣るところへと至った︒
四
は ち す
かく思ひとりてわれは更に小池を一めぐりせり︒わが敗荷
もて満ちたる小池をめぐれるは︑これにて三度目なり︒目を挙げて孤雁の天に飛ぶをうかγへば︑をろ/¥として泊
ひ と や
零つること甚だし︑悲恋の鍵を抱いてこの牢獄を開いたるはウエルテルのをもしろきところなるべけれども︑われに
まご︾ろは万象のつめたきをいかんせんや︒至情の涙を以て地獄を
踏み破りたるはダンテの高き心なるべけれども︑われには大空のひや︑かなるをいかんせんや︒青蓮は虚無といふ盃かなづちを持ったる飲みぬけの狸々か︒ゲーテは至粋といふ鉄槌ををやぢ持ったる鍛冶の正宗翁か︒パイロンは自然と名のついたる
う ま か た あ ら ず
天馬の伯楽か︒非か︒わが心は友を求めんとして反って友に遠かるぞ口惜しき︒
ウエルテルは︑ロッテとの愛を確信しつつ﹁ロッテの君よ︑未
来永劫!(中略)我は進まむ︒我が父︑御身が父の許に行かむ!(中略)御身来らば︑走り迎へて御身を抱かむ︒﹁無窮﹂ の前に︑永世に相抱きて御身と共に留らむ︒﹂(久保天随﹃うえるてる﹄明治幻・7金港堂)と︑自殺して﹁無窮﹂へと向かっ
た︒﹁神曲﹂でダンテは︑﹁肉界なり醜界なり魔界なり︑夢想兵
衛の所謂色欲固なり﹂という地獄から︑﹁無限の境﹂の天国へと向かった(藤村﹁人生の風流を懐ふ﹂﹃文学界﹄明治初・
4・
m )
︒青蓮は李白の号で︑﹁ひとり悠々として天のほとりにか︑れ
る﹂月の無限性を問う藤村﹁月﹂(﹃文学界﹂明治幻・4
・却
)
に︑万古不易なる月を詠じた李白﹁把酒問月﹂の一節が引かれている︒この詩について大野賓之助氏は︑﹁李白の生きる歓び
は酒を飲み月の光りを鑑賞することであった︒名誉と利益とは世俗常人の脳裏を常に去来し︑それが即ち普通人の生きる力で
あると言っても過言でないであろう︒しかし李白は世人の欲す
る名利を超越し自然を友として遊ぶことに人の世の生き甲斐を感じた人である︒﹂と解説する(﹁李太白詩歌全解﹂昭和白・5
早稲田大学出版部)︒ここも︑このような李白の像を踏まえて︑執着を超越し︑無限なる月を求めた詩人という意味合いで挙げ
られ
てい
よう
︒
独り心に悲しみを抱えながら人間の執着︑社会の縄墨を破砕し無限を帰さしめる童子の心情を痛ましいものとして思い遣った﹁われ﹂は︑その心情を﹁をもしろき﹂︑﹁高き﹂ものと感じ
る一方で︑﹁万象のつめたき﹂︑﹁大空のひや︑かなる﹂感覚を
禁じ得ず︑﹁反って友に遠かる﹂と言う︒﹁孤雁の天に飛ぶ﹂のを見て感泣するのは︑その孤独な雁に破砕の境地が投影されて
いるためであろう︒これについては藤村﹁かりがね﹂(﹃学窓余
今 ︑
J
J︐ ︑
談﹄明治日・叩
‑ M A )
を参照すると解しやすい︒そこでは︑
﹁まづかぎりなき一声に/涙をさそふ秋の雁//長きなげきはなれ池らすとも/なほあまりあるかなしみを/うっすよしなき汝がひずき身か/などかく秋を呼ぶ声の/荒き響をもたらして/人の心を
乱すらむ//﹂と︑﹁あまりあるかなしみ﹂の龍もる︑﹁秋を呼みそらぶ﹂﹁荒き﹂声を漏らしながら︑寄る辺なく﹁天の海﹂を行く
雁が歌われている︒こうした雁の境地は︑独り心に悲しみを抱えながら粛殺︑破砕の利剣を振るって無限を帰さしめる秋の随
身の
童子
のそ
れと
重な
る︒
(日
)
﹃文学界﹄には︑透谷の自殺を無限へと向かった行為と見なす観点が存在していた︒(口)すなわち︑人聞を破砕して無限を帰さ
しめる童子とは︑人聞が無限なるものに到達すべきことを説
き︑身を以てそれを遂行した︑透谷のことでもある︒よって藤村はここで︑透谷の主張やその最期を象徴するかのような句解を
趣向に構えつつ︑その︑人間を破砕して無限を帰さしめる境地に自分はどうしても共鳴しきれないと︑それとの対峠を吐露して
いると考えられる︒﹁空の空の空を撃って星にまで達する﹂ことはもう目指せないと︒ならば︑どのような境地へ達するのか︒
感激せるわが傍に歩みよれる他の童子ありて︑その姿を見
るにいとす?しく︑その形はやさし︒其手にはいみじき琴を抱いてわが為に噌々たる妙音を弾ずれば︑おもしろやわむしゃくしゃが欝屈せる心はこれを聴いて更に一歩を転ずるかとも覚
あ を め ひ よ ど り
し︒庭の梢にきて秋や哀しと告げ顔なる青目︑鴇︑ほう
じろの友を呼ぶさま︑わが破れたる耳にも更に新しきが如きりρ¥すく︑わが足もとにうたう賂蜂の歌も又新しき妙味をもた らすに似たり︒めづらしや何の味ひもなく何のあた︑かみもなかりしもの︑忽ちにして童子の琴にかきならされ︑蒼々たる天︑若々漠々たる地︑万象ふた﹀ぴ元の万象には
ひ と や
あらざるかとも覚ゆ︒うれしゃ牢獄にもをのづから明月の
あ れ の
照らすあり︑かなしゃ荒野にもをのづから秋風の吹くあり︑
す な ち あ け の み や う じ ゃ う
おもしろや砂漠にもおのづから暁星の落つるあり︑心
ど ろ な み い な び か り
地ょや濁浪にもをのづから驚電の影の馳するあり︒
われはこれより庭に出で︑小池をめぐるごとに︑いよ/¥
は ち す
敗荷の泥に委するを悲めり︒されどかの童子来りていみじき琴の音をかきならし︑必ずやこの世を化して味ひあるも
のとなさずんばやまず︒鳴呼白露あしたにひや︑かに三輪の秋ゆふべに深し︒風のをとない今も猶さら/¥としてや
まざるは︑童子琴を抱いて吾破窓に立てばなるべし︒三周めに入り︑破砕の心情に自分の心が遂に共鳴しきれないこ
とを痛感した﹁われ﹂は︑次の段階として︑新たな認識へと辿り着く︒﹁秋や哀しと告げ顔なる﹂鳥たちの声は﹁新しきが知
きり介¥すく﹂聞こえ︑﹁わが足もとにうたう牒蜂の歌も又新しき妙味を
あ け の み や う じ ゃ う い な び カ り
もたらす﹂︒﹁明月﹂︑﹁秋風﹂︑﹁暁星﹂︑﹁驚電の影﹂とい
ひ と や あ れ の す な ち
った無限なる天上のものたちも︑﹁牢獄﹂︑﹁荒野﹂︑﹁砂漠﹂︑﹁桜蹴﹂のこの地上に降りてくる0(日)最終的に﹁われ﹂はこの
ように︑﹁味ひあるもの﹂としてこの世を感じることができる
ようになる︒池を廻る思索を通して﹁われ﹂は︑無限なるものへの志向のもと︿いづこも同じ寂しき秋﹀を観じる者から︑その志向と対峠しつつ︿ことしの秋﹀の妙味を味わう者へと転身
を遂
げた
︒
4・
戸 ︑
J
おわりに
明治二十九年九月三十日発行の﹃文学界﹄に載る︑﹁流星﹂という藤村の詩がある︒
門にたち出でたfひとり/人待ち顔のさみしさに/ゆふべの空をながむれば/雲の宿りも捨てはてて/何をかこひし
き人の世に/流れて落つる星一つ
ある夕べに︑﹁さみしさ﹂に宿を﹁たち出で﹂る︒伝統的には︑そこで万古不易の︿いづこも同じ寂しき秋﹀を見出すのが正統
である︒しかしこの詩では︑粛殺され万古の春を帰された︿いづこも同じ寂しき秋﹀ではなく︑﹁雲の宿り﹂を捨てて﹁人の
世﹂へと落ちてくる﹁星﹂が見出される︒無限なる天上のものも有限なる地上を慕って降りてくることが歌われる︒(叫)この
詩が﹁ことしの秋﹂の世界を踏まえているのは明らかだろう︒
この詩について藤村は︑﹁自分のたど/¥しい出発は︑こんな地上の愛ともいふべきものからであった︒﹂(﹃藤村文庫第三篇
早春﹄昭和日・4新潮社)と述べている︒﹁地上の愛﹂︑すなわ
ち﹃若菜集﹄の詩情を獲得した藤村は︑秋についても次のように歌う(﹁秋のうた﹂﹃文学界﹄明治
m ‑ m
・ 却 ) ︒
ひとは
秋は来ぬ/秋は来ぬ/一葉は花は露ありて/風のきて弾く
琴の音に/青き葡萄は紫の/自然の酒とかはりけり//
も み ぢ
(中略)秋は来ぬ/秋は来ぬ/くさきも紅葉するものを/たれかは秋に酔はざらめ/智恵あり顔のさみしさに/君笛
を吹けわれはうたはん
秋風は﹁琴の音﹂を弾き︑葡萄は﹁自然の酒﹂に熟し︑草木は 紅く﹁秋に酔﹂っている︒末の二句はあたかも︑﹁ことしの秋﹂
か れ を
の末尾の﹁われ﹂が︑﹁誰か草木の黄落つるを見︑きり介¥す
ひ は ほ う じ ろ ひ よ ど り
のかなしい歌をき¥鵜︑画眉鳥︑鴇のうらさびしき声に
耳そばだて¥ひとりをもひを傷ましめざるものゃある︒﹂と︑
︿いづこも同じ寂しき秋﹀というこの世を静観する﹁智恵﹂に悲しむ冒頭の﹁われ﹂に向かい︑そのような﹁智恵﹂は捨てて︿こ
としの秋﹀に酔い痴れようと誘いかけるかのようである
0 8 )
諸家の指摘があるように︑﹃若菜集﹄以後︑藤村はその陶酔
の詩情と訣別し︑活動︑労働の世界へと眼を転じる︒この点に関して︑これまで述べた﹁ことしの秋﹂の私見を踏まえると︑
﹃若菜集﹄刊行の翌月に発表された﹁きり
ρ¥
す﹂
(﹃
文学
界﹄
明治
加・
9‑
M)
で早くもその詩情との別れが歌われていたことが明らかとなる︒
こ ぞ
去年蔦の葉の/かげにきて/うたひいでしに/くらぶれば/
ことしも同じ/しらべもて/かはるふしなき/きり
ρ¥
す//耳なきわれを/とがめそよ/うれしきものと/おもひ
しを/自然のうたの/かくまでに/旧きしらべと/なりける
か / /
きりぎりすは伝統的に︑秋に悲しみをかきたてるものとして詠み継がれてきた
O B )
一周
めの
﹁わ
れ﹂
はそ
の通
りに
︑﹁
きり
ρ ¥
すのかなしい歌をき¥(中略)ひとりをもひを傷ましめざるものゃある︒﹂と述べたが︑終わりには︑﹁わが足もとにうた
きり
ρ¥すう撚蜂の歌も又新しき妙味をもたらすに似たりよと︑﹁この
世を化して味ひあるものとな﹂す歌として再発見したのだった︒それがすなわち﹃若菜集﹄の詩情であるが︑﹁きり
ρ¥
す﹂詩
︐ ︑
J
圏 ︑ J
篇ではそのことを踏まえて︑﹁うれしきものと/おもひし﹂そ
の詩情が今や﹁旧きしらべ﹂となってしまったと︑別れの思いが歌われていると見られる︒
地上や人生を肯定する﹃若菜集﹄の詩情の獲得に際しては︑無限なるものを求めて人間を破砕する心情︑要するに自殺して
しまった透谷の心情との対峠ということが︑大きな動機となったことを︑﹁ことしの秋﹂は教えてくれる︒そのように﹃若菜
集﹄の詩情の発見に至る心理を主題とした作品であったためで
あろう︑その詩情との別れの思いを詩にする際にも︑藤村は﹁ことしの秋﹂の世界を前提にして歌った︒﹁ことしの秋﹂は
﹃若菜集﹄前後の藤村を検討する上で欠かすことのできない作品と言えるだろう︒
注(
1)
﹃読
売新
聞﹄
る ︒
(2
﹃﹁文学界﹂とその時代﹂上下(昭和)
MM
・‑
︑%
以・
3明
治書
院)︒以下の引用は下巻﹁近代浪漫主義文学の性格﹂(二O
O九1二O一O
︑二
O二九頁)に拠る︒
(3
)﹁山家ものがたり﹂については拙論﹁透谷の︿無限﹀︑藤村
の︿
無常
﹀
l島崎藤村﹁山家ものがたり﹂論│﹂(﹃稿本近
代文学﹄平成口・ロ)で論じた︒
(4
)
山部宿祢赤人望二不尽山一歌一首井短歌
ア メ ツ チ ノ ワ カ レ シ ト キ ユ カ ム サ ピ テ タ カ ク タ フ ト キ ス ル ガ ナ ル フ ジ ノ タ カ ネ ヲ ア マ ノ ハ ラ
天地之分時従神左備手高貴す駿河有布士能高嶺乎天原
(明
治お
・日
・お
︑ ロ ・
2)
に再掲載されてい
フ リ サ ケ ミ レ パ ワ タ ル ヒ ノ カ ゲ モ カ ク ロ ヒ テ ル ツ キ ノ ヒ カ リ モ ミ エ ズ シ ラ ク モ
︑ ィ ユ キ ハ
︑
︑ ヵ
振放見者度日之陰毛隠比照月之光毛不見白雲母伊去波代加
リ ト キ ジ ク ゾ ユ キ ハ フ リ ケ ル カ タ リ ツ ギ イ ヒ ツ ギ ユ カ 今 ジ ノ タ カ ネ ハ
利時自久曾雪者落家留語告言継将往不尽能高嶺者反歌
タ ゴ ノ ウ ラ ユ ウ チ イ テ
︑ ミ レ パ マ シ ロ ニ ゾ フ ジ ノ タ ヵ
︑ 不 ニ ユ キ ハ フ リ ケ ル
田児之浦従打出而見者真白衣不尽能高嶺爾雪波零家留
(佐々木弘綱・佐々木信網校注﹃日本歌学全書第九編万葉集上巻﹄明治M
・叩
博文
館)
(5
)関西漂泊中に発表された藤村﹁かたつむり﹂(﹃文学界﹄明
治お・3・引)に︑富山獄を望みながら﹁透谷子が富山獄の詩
神を思ふといへる一文を味ふ﹂場面がある︒なお︑鶴田喜一郎﹁探美小遊﹂(﹃早稲田文学﹄明治初・叩・口︑日・印︑
日・幻)でも︑﹁赤人が富山獄の詠や︑其の荘厳秀麗の相に
兼ねて更に悠久なる神霊の影の努繋して顕はる︑を感ず︒﹂と述べてこの和歌を﹁有限の外相と無限の内相とを統こした﹁真実の象﹂と解している︒
(6
む和歌は枚挙に暇がない︒﹁おちそむるきりの一葉の声の )﹃准南子﹄(説山訓)に基づく︒桐の落葉に因んで立秋を詠
うちに秋のあはれをききはじめぬる﹂(﹃風雅和歌集﹄巻五・秋歌上・四五0・入道二品親王法守)︑﹁一葉まづはか
なく落つる桐の葉に秋立つけさの風をしるかな﹂(﹃大江戸
倭歌集﹄巻三・秋歌・六九五・少将慶徳朝臣)︑﹁かぜさそふ桐の一葉にこゑはしですがたは見えぬ秋ぞきにける﹂
(﹃
為広
ぐるや風の心なるらむ﹂(﹃琴後集﹂巻三・四七四)など︒ 集I﹄一二六)︑﹁ちりそむる桐の一葉に秋来ぬとつ
(7
すそにすずむしぞなく﹂(﹃江帥集﹄一O )例えば︑﹁さびしさにのべにたちでてながむればさやまが
八)
︑﹁
木葉
ちる
秋
4U 戸 ︑
d