翻 訳》
日本の経済犯罪におけるパラドックス
サリドマイド禍・ロッキード事件・構造的な政治汚職
ヘンリー・ N ・ポンテル, ギルバート・ガイス
(共著)小西暁和
(翻訳)1. はじめに
日本は, 次から次へと起こる経済犯罪に悩まさ れてきた。 こうした犯罪には, 例えば, 贈収賄, イ ンサイダー取引, 会計上の虚偽表示, またこれら に似た様々な形態のホワイト・カラーによる法律 違反といった問題が含まれる。 この多発する経済 犯罪は, 戦後日本で伝統的犯罪が驚くほどの低率 であり, 世界の犯罪学者の賞賛の的となってきた ことと対照的である。 本稿は, 日本の経済的不正 行為を取り上げ, 街頭犯罪が比較的少ないのとは 対照的に広範に生起する経済犯罪に関して論ずる。
第二次世界大戦後における日本の低い犯罪率は, 数多くの欧米の専門家達の解釈能力を試し, 犯罪 との間に通常, 正の相関関係が認められる多くの 諸条件に疑問を投げかけてきた。 ソビエト帝国の 崩壊後にロシアで犯罪率が明らかに以前よりも高
くなったのは, 新たに獲得した政治的・社会的自 由のせいであったと考えられている。 同様に, 工 業化・資本主義・都市化は, 違法行動の発生率を, ほとんど自由競争のない農村社会からなる産業化 以前の国よりも高めると言われている (Tsushima 1996)。
日本では, このような犯罪との間に高水準の相 関関係があると想定されている諸条件の全てが揃っ ている。 しかし, 明らかに, 反作用する多様な力 が, これらの条件よりも勝っている。 一例を挙げ ると, 日本に居住する人々は, 顕著に同質的であ る。 8世紀以来, 新しい人々が日本に流入するこ とはなかった。 また, 日本の国土は, 他の国々と 国境で接していない。 日本国籍を有していない人々 は, この国の人口の1%未満である。 こうした
「外国人」 は主としてコリアンである。 コリアン の多くは, 1910年に日本が朝鮮半島を併合した 時に, 強制労働者として日本に渡り, その後も留 要 旨
日本では, 強盗・脅迫・不法侵入のような街頭犯罪は賞賛すべき低い率にあるが, ホワイト・カ ラー犯罪は高い率にある。 日本文化の諸特徴が日本社会に見られる違法行為の水準を説明してくれ ると期待している者達は, 二つの犯罪率の食い違いによって試されている。 本稿は, 日本社会の上 層にいる者達の犯罪に関するエピソードを概観し, 街頭犯罪を抑制している共同体主義のエートス がこの国の商業や政治の領域にまでは及んでいないことを示す。
キーワード:街頭犯罪・経済犯罪の原因, 社会の上層にいる者達の犯罪に関するスキャンダル, 文化の影響, 共同体主義, 日本
まった。 ただ, こうした人々は, かなりの差別に 直面している (Ryang 2000; Wender2005)。 日 本は, その人口統計上の特徴の結果として, 次の 点で際立っている。 それは, 集団間の対立の度合 いが, 人種的・民族的な多様性がより大きい地域 で見られるものよりもはるかに低いという点であ る (Adler1983)。 しかし, 専門家達によると, 日本の犯罪率を低く止めている上で最も重要な要 素は, 著しく高度のインフォーマルな社会統制な のである。 こうした社会統制は, 文化上, 共同体 主義的な点が強調されることを特徴としている。
そこで, 法に違反した者の行為が非難されること になり, 正道から逸れた者達を主流となる社会に 統合・再統合する態度や行動が支持されることに なる。 こうした強調点は, 伝統が強く意識されて いることや, 法を遵守し, 社会に同調する行動を 強く求める共通の価値観が共有されていることの 上に成り立っている (Komiya1999; Vogel1979, 204214)。
ジョン・ブレイスウェイト (John Braithwaite) (2002) は, 最も影響力のある日本の文化的特質 に関する犯罪学的な考察を提示した。 彼は, 日本 の文化的特質が犯罪統制のためのモデル戦略を提 供していることを示唆している。 ブレイスウェイ トの著作は, 「修復的正義 (restorative justice)」
を強調している (全般的にはJohnstone & Van Ness2006参照)。 こうした著作は, あれこれと 定理を例証するために日本の実例に頼ることが多 い。 日本では, 謝罪・賠償・被害者による赦しの プロセスが破綻してしまっている比較的少数の軽 微な犯罪を除いて, 重大なケースでのみ犯罪の訴 追が行われる, と彼は指摘している (Braithwaite 1989,62)。 ブレイスウェイトはまた, 日本で個 人が法に違反した時には, 多くの場合, 家族・国・
学校といったその個人が属する集団や, 集合体の 名目上の代表者によって, 恥の意識が植え付けら れることも指摘している。 謝罪は, 日本で対立を 解決する際に中心的な役割を果たしている。 謝罪 によって, 社会に同調する者の内側にある悪の要 素が彼あるいは彼女から引き離されると考えられ ている。 こうした要素に, 彼あるいは彼女が悪い
行いをした責任があったというのである (全般的 にはWagatsuma & Rosett1986; Haley1986参 照)。
ブレイスウェイトは, 注意深くいくつかの問題 を指摘している。 こうした問題によって, 彼の立 場は疑問を投げ掛けられるかもしれないし, ある いは少なくとも低い犯罪率に高い代償が付くこと が示唆されるかもしれない。 個人的な見解として, 彼は, 日本文化が持つ共同体主義的な性質に内在 している交換条件に関する問題に焦点を当ててい る。 彼は次のように記している。 「私は日本が犯 罪統制を成功させたことを高く評価しているが, 日本に住みたいとは思わないだろう。 なぜなら, 社会に同調させるインフォーマルな圧力が耐え難 いものだときっと気づくと思うからである」
(Braithwaite1989,158;同旨van Wolferen1990, 17参照)。
我々の目的にとってとりわけ興味をそそること は, ブレイスウェイトの分析における見解である。
彼が犯罪統制に関する方策に盛り込んだ一つの見 解は, 少なくとも初読の際には, 彼の論旨を打ち 崩しているかのようにも思える。 彼は, 次のよう に記している。
日本とスイスの共同体主義的な文化は, 興味深 いケースである。 両国では共に, ホワイト・カ ラー犯罪の下位文化を維持させるために, これ らの社会が異常に一致して動員されるという共 同体主義の目立った実例が見られる。 だから, 日本は, 国会内の田中派を取り巻く政治汚職と いう強欲な下位文化で知られている。 …また, 両国は, 製薬業界における企業犯罪で悪評高い。
(Braithwaite1989,136137)
ブレイスウェイトは, 共同体主義は両刃の剣に なり得る, と主張する。 しかし, 彼は, 「犯罪を 防止する側の刃は, 犯罪を産み出す側の刃よりも はるかに重要である」 と指摘している。 というの も, 「刑事法が, ホワイト・カラー犯罪に関連す る刑事法も含めて, 非常に強力な意見の一致と共 同体の関与を享受しているという事実の」 ためで
ある, と彼は主張する (Braithwaite1989,137)。
ホワイト・カラー犯罪に対抗する 「強力な意見の 一致」 や 「共同体の関与」 と言われている状態と, 一般に認められているようにホワイト・カラー犯 罪に関わる行動が広範囲に存在している状態との 間には矛盾がある。 こうした矛盾が, 我々が本稿 で考察しようとしているパラドックスなのである。
ブレイスウェイト自身は, 彼の論文が 「実際には 別の目的を念頭に置いて実施された既存の研究」
(Braithwaite1989, 108109) に基づいているた めに瑕疵を生じるかもしれないという事実に注意 を喚起し, また, 日本の文化的規範と犯罪との間 の関係にさらにエスノグラフィックな関心を払う よう求めている。
テッド・ウェスターマン (Ted Westermann) とジェームズ・バーファインド (James Burfeind) は, 法を遵守する社会同調的な日本像の描写にホ ワイト・カラー犯罪が広範囲に行われてきた状況 を盛り込もうとする際に, ブレイスウェイトと同 じように指摘している。 彼らは, 「日本で一体誰 がこうしたタイプの略奪的な犯罪を行っているの か」 との誇張した問いを立てる。 しかし, その後 で, 彼らは, 自分達が提起した疑問に取り組む代 わりに, 「暴力団」 や 「ヤクザ」 といった組織犯罪 集団に関する議論へと方向を転換する。 そして, こうした集団の構成員は, 社会の主流から疎外さ れており, 家族に忠誠を誓う代わりにギャング集 団に忠誠を誓ってきた, と彼らは主張する。 「こ うした構成員は, 社会からののけ者で孤立者であ るためにギャング集団に受け入れられたので, こ うした者の準拠集団は, もはや合法的な秩序では ない」 (Westermann & Burfeind1991,151)。 し かし, 経済犯罪を行う者は, 社会から疎外された のけ者でもないし, 主流の価値観あるいは少なく とも最も主流の価値観に反感を抱いている訳でも ない。 そのため, 提案されている説明は役に立た ない。
ジョン・ヘイリー (John Haley) は, 日本に 見られる遵法性と経済犯罪活動の温床との間の矛 盾を解くための異なったアプローチを提供してい る。 ヘイリーは, 「日本の多くの謎の内のほとん
どは, 犯罪のない, 規則を遵守する, 結束した社 会が, 非常にあからさまな暴力や広範囲にわたる 法の軽視, また憎悪に満ちた対立を抱えていると いうパラドックスほどに深刻なものではない」 と 述べている (Haley1982,276)。 ヘイリーにとっ て, この難問を解く鍵は, 次のような事実にある。
それは, 日本では害を及ぼす行動が違法とされて いるのだが, 制裁が科されない場合が非常に多く, そのために法律に違反した者が不当に利用する大 きな抜け穴が残されている, という事実である。
国民は, 比較的実効性を欠く刑事司法システムと 共に生活しながら, 最も容認できない行動を統制 する社会的な慣例に伝統的に頼るようになってき た。 そうした取り決めがなければ, 日本人は残忍 性を備えた恐ろしい行為をする可能性があるとい うことは, 第二次世界大戦の間の日本の軍隊によっ て証明された (Wallace1958; Tanaka1996)。
ルース・ベネディクト (Ruth Benedict) (1946) は, これを日本軍に対する国内的制約からの解放 と結び付けた。 ヘイリーは, ブレイスウェイトと 同じように, 自分の解釈は, 提起したパラドック スに対する 「完全な答えはおろか, ある程度の答 えですら」 ないかもしれないことを認めている。
人によっては, 犯罪を促進しかつ防止すると言 われている特質の解釈上の真意に関して知的な困 惑を抱くかもしれない。 また, そうした特質にお ける犯罪統制に関わる要素が, 企業の法違反行為 や政治汚職を生み出す側面と比べて全体像では
「より重要で」 あるという考えを受け入れること に気乗りしないかもしれない。 結局のところ, よ り安全であるが, より汚職の多い社会は, より一 層汚職がないけれども, より安全ではない社会よ りも優れているのだろうか。 あるいは, 強欲な企 業を抱えているが, より安全な社会は, 企業体が 法を遵守しているけれども, より安全ではない社 会よりも良いのだろうか。
ブレイスウェイトは日本人の生活を構成する要 素が経済領域で犯罪活動に影響していると説明し たが, 彼がこうして説明した諸変数を敷衍するた めに, 我々は, 彼の提案に従い, エスノグラフィッ クな洞察に焦点を当てていく。
2. ドイツと日本におけるサリドマイド 薬害事件
サリドマイドは, 1951年から1957年までの間 にシュトルベルクにある研究所でハインリッヒ・
ミュクター (Heinrich Muckter) 博士によって 開発された。 そして, 1957年10月に西ドイツで
「コンテルガン (Contergan)」 という商品名で発 売された。 グリュネンタール化学社 (Chemie Grunenthal) は, 妊娠時のつわりを含む人体の 多種多様な不快な症状に対する緩和剤としてこの 薬を積極的に売り込んだ。 1959年までには, お よそ100万人のドイツ人がサリドマイドを日常的 に利用していた。 サリドマイドは, 子供達のケア をしてくれることから, ある著名な医者が, 「西 ドイツのベビーシッター」 と呼んだほどであった (Taussig1962,1109)。 ドイツのいくつかの州で は, サリドマイドは処方箋なしに販売されていた (Kirk1999; Zichner, Rauschmann & Thomann 2005)。 この会社の広告は, 立証されておらず, 不幸をもたらした主張であると判明することにな る次のような宣伝文句を掲載している。
妊娠中や授乳期間中, 女性の体の組織は, 強い ストレスの下に置かれています。 不眠・不安・
緊張は, 常に現れる症状です。 お母さんにもお 子様にも害の及ばない鎮静・催眠薬の服用が, 多くの場合に必要なのです。 (Teff & Munro 1976)
1961年に, オーストラリア人の医者であるウィ リアム・マクブライド (William McBride) は, ランセット 誌 (Lancet) に手紙を送った。 こ の手紙では, 彼が多発性の肢体の深刻な奇形を発 現している数多くの新生児の出産に立ち会ってい たこと, こうした新生児の母親は, サリドマイド を服用していたことが報告された (McBride1961)。
その後間もなく, この警告は, ハンスルドルフ・
ヴィーデマン (Hans-Rudolf Wiedemann) 教授 (1961) がドイツの奇形児を再調査し, 13の事例
に関する写真入りの報告書を出版したことで裏付 けられた。 2ヵ月後に, 臨床遺伝学の専門家であ る ハ ン ブ ル ク 大 学 ヴ ィ ド ゥ キ ン ト ・ レ ン ツ (Widukind Lenz) 教授が, 52の類似した事例 を観察したと報告した。 さらに, 彼は, この問題 に関して講演をした時に, 出席していた医師達か ら115のさらなる実例を知らされたと報告した (Lenz & Knapp1962)。
何年もの間, グリュネンタール化学社は, この 薬の催奇形効果を否定していた。 この会社は, 明 らかに, 会社に対する抗議を封じ込めたり, ある いは弱めたりしたいと思っていた。 アメリカ合衆 国では, 連邦食品医薬品局の職員であったフラン シス・ケルシー (Frances Kelsey) が, サリド マイドに認可を与えることを断固として阻止して いた。 そのため, 米国ではわずか17の奇形の事 例が判明しただけであり, しかも全員, 外国から 薬を入手した女性であった (Bren 2001)。 西ド イツでは, ケルシーの行動と同等の行動は, 起こ り得なかった。 なぜなら, 政府は, 医薬品を禁止 する権限を有しておらず, 医薬品の回収を命じる ことしかできなかったからである。
1967年に, 西ドイツ政府は, サリドマイドが 招いた危機的状況の結果として, 18名の被告人 に対する刑事訴追を行った。 その主要な罪責は, 被告人達が, きちんとこの薬を治験したり, この 薬の危険性に関する警告に留意したりするのを怠 り, その代わりに不利な情報を隠そうとしていた というものであった。 その公判は, 1968年1月 から1970年12月まで3年間続いた。 それは, こ の国の歴史上で最も長い期間にわたる司法的判断 となった。 こうした公判で, 判事団は, 60名の 専門家を含む120名の証人から証言を聞いた。 被 告人側弁護人は, 主要な専門家証人であったレン ツを激しく攻撃した。 14ヵ月後に提起された申 立てが功を奏し, 彼の証言は却下されることになっ た。 彼は, 手紙のやりとりの中で自分がサリドマ イド中毒の被害者の側に立っていることを明らか にしていたので, 先入観に捕われた (befangen) 人物であるということが, その理由であった。
この訴訟の進行が止まった時には, いかなる判
決も下されなかった。 裁判所は, この刑事事件は もはや全く公益を欠いているため手続は停止され ることになる, という奇妙な宣言を出した。 製造 会社がサリドマイドによる被害者に補償をするた めの基金を設立することに同意した時に, 全ての 罪責は, 不問に付されることになった。 やがて, お よ そ 2,866 名 の 人 が 支 払 金 を 受 け 取 っ た (Curran1971)。 医薬品が市場に出回るまでの手 続を変えるための取り組みがなされた。 しかし, アーサー・デームリッヒ (Arthur Daemmrich) (2002, 14; さらにはDaemmrich 2004, 5065参 照) は, 「その後もドイツでは医学界・産業界・
政府の間で権限を分配するシステムが維持された」
と述べている。
我々の比較研究の目的にとって幸いなことにも, レンツは, 日本国内でのサリドマイドの使用が元 となった日本での裁判手続に参加するように要請 された。 日本でその薬害が蔓延した絶頂期は, こ の薬がもはやドイツでは市場に出されなくなった 時に来た。 木田盈四郎は, 日本政府がサリドマイ ドによる危機的状況に対処するために適切な措置 を講じなかったことに厳しい判断を下している。
そこで, 木田は, 「この問題に対処する際の日本 政府の態度は, 他の国々とは全く違っていた」 と 記している。 「政府は, 最初から製薬会社の側に 立っていて, 長い時間をかけてようやくサリドマ イドが関連する様々な問題の原因であるという結 論に至った」。 彼は, 「こうした態度は今日までは びこっている」 と付言している (Kida1987,2)。
レンツは, 1971年に日本にやって来て, サリ ドマイドを販売していた大日本製薬に対する訴訟 で証言を行った。 彼は, 東京の裁判所の様子が, ドイツで経験していたのとは 「際立って違って」
いることに気がついた。 「言葉遣いが口調や表現 においてより一層丁寧であったということだけで はない。 被告側の弁護士は, 一層よく事情に通じ ており, 事実により関心があるように見えた。 さ らに, こうした弁護士は, 侮辱的なあてこすりで 対立する側の人達の面目を失わせたいとはそれほ ど思っていないようにも見えた」。 両当事者は刑 事事件に決着を付けることを強く望んでいるのだ
が, 被害者達はむしろ賠償請求に有利な決定を手 に入れたがっている, という噂が立っていた (Lenz1992)。
1974年10月までに, さらに3年を要して, よ うやく東京や日本中の他のいくつかの都市で最終 的な和解が成立した。 日本の厚生省は, 全体とし て300名のサリドマイドによる被害者を認定する に至った。
3. 田中首相とロッキード社
ウェスターマンやバーファインドと共にブレイ スウェイトも, 日本の企業の世界において組織犯 罪と経済犯罪を結び付けている。 こうした結び付 きは, アメリカ合衆国で見られる状況とは異なっ たものとなっている。 アメリカ合衆国では, こう した二つの領域は, 分離され, 独自な方法で動い ている (Szymkowiak 2002)。 日本における組 織犯罪と経済犯罪の結合関係は, ロッキード航空 機会社 (Lockheed Aircraft Corporation) の贈 収賄事件で脚光を浴びることとなった。 この事件 は, 間違いなく戦後の日本で最も悪名高い経済犯 罪である。 人類学者のハルミ・ベフ (Harumi Befu) が皮肉を込めて述べたように, 既存の法 を正しく執行するために, 日本政府は巨大な 「贈 収賄捜査省」 を設置しなければならないであろう (Kaplan & Dubro2003,154において引用)。
アメリカの企業が婉曲的に 「エージェント」 と 呼ぶような人物が, 日本では多くの場合に政府の 役人と海外企業の関係者の間の疎通を容易にして いる。 ロッキード事件でのそうした 「黒幕」 は, 児玉誉士夫であった。 彼は, 彼なりのやり方を巧 みに使って莫大な財産を築き上げていた右翼の事 業家であった。 児玉は, 日本の閣僚達を大量に暗 殺しようと企てたことで1932年から1937年まで 投獄されていた (Baerwald 1978)。 彼は, 戦争 犯罪に関する罪責で再び1946年から1949年まで 収監されたが, 起訴されることは全くなかった。
ロッキード社が彼を雇った時までに, 彼は, 「占 領期後の日本で最も影響力のある人物」 となって いた。 彼は, 「日本人が 黒い霧 と呼んでいる
世界を操る中心人物」 であった。 「黒い霧」 は,
「闇に包まれている漠然とした世界で, そこでは 巨 額 の 金 が 動 く 駆 け 引 き が 行 わ れ て い る 」 (Boulton1978,45)。 彼にはまた, 日本の組織犯 罪集団である 「ヤクザ」 との強い結び付きもあっ た。 アメリカ占領軍の諜報部員達は, 児玉を 「極 めて賢く, 狡猾で, また有能であり」, 「危険な思 想」 を持った人物として評していた (Hunziker
& Kamimura1996,44)。 ロッキード社は, 彼が 取りまとめた航空機発注の金銭的価値に応じた相 当高い歩合の報酬に加えて定額の報酬をも児玉に 支払った。 児玉は, 違法な取引の主要当事者達か ら注意を逸らすために, 贈賄者と収賄者の間の緩 衝装置として利用されていた。 主要当事者達を守 るために, 交渉や取引からは一定の距離が置かれ る必要があった。 そのために, 児玉は, うまく保 有することが可能な限りの多くの資金を保持して おくことができた。 というのも, 会社が正当な支 出であると主張している出費に関する証拠をその 会社の監査人や税務当局が要求しない限り, 領収 書なしで済ませることができたからである。
ロッキード事件は, 全日本空輸 (全日空) がロッ キード社の製造したL1011トライスター機21 機を発注した件が絡んでいた。 この計画に関与し ていた日本の大物政治家が, 田中角栄首相であっ た。 田中は, 新潟県で大家族の下に生まれた。 彼 の父親は, 農耕馬を使った競馬で頻繁にギャンブ ルをしていた。 また, 田中は, たった8年間しか 学校教育を受けていなかったという。 これは, 典 型的には東京大学で法学の学位を取得したような エリート達が日本を統治するという傾向からは目 立って外れていた (Kerbo & McKistry1995)。
日本が満州を占領していた間の1939年に, 田中 は, この地域で陸軍兵士として短期間だが兵役に 就いていた。 しかし, 彼は, 第二次世界大戦への 関与を逃れた。 大戦中に彼は肺炎と胸膜炎を発症 していたからである。 彼が成功への道を歩むこと になった大きなきっかけは, 東京の成功している 土木会社の亡き代表者の娘と結婚したことであっ た。 彼は, 1942年にこの会社の経営を受け継ぎ, 戦 時 中 の 多 く の 契 約 を 通 じ て 裕 福 に な っ た
(Schlesinger1997)。
その後, 田中は, 政界に入り, 与党である自由 民主党 (自民党) の派閥の領袖になるまでに出世 した。 自民党は, 1947年から1948年までの短い 空白期間を除き, 1955年から1993年まで日本を 統治した。 田中は, 43年間に及ぶ16期も国会議 員に選ばれた。 彼には, 波瀾に富んだ個人的な経 歴や, 強い印象を与える政治上の実績があり, ま た彼が国会議員として選出される彼の生地の選挙 区に強力な支持者がいた。 1948年に, 彼は, 炭 鉱業を国営化しようとする法案に反対票を投ずる よう福岡の炭鉱業者から賄賂を収受したことに関 して有罪判決を受けていた。 歴史家のチャルマー ズ・ジョンソン (Chalmers Johnson) (1986,6) は, この罪責は 「ほぼ間違いなく本当であった」
と述べている。 こうした罪責によって, より重大 な賄賂から注意を逸らすことが意図されていたよ うだ。 そうした賄賂は, 政府による低利の融資を 得ようとしている肥料会社によって政府の役人に 渡されていた。 最終的に, 政府の役人も田中も共 に上訴で無罪を勝ち取った。 また, 1949年に, 田中は, 保釈で拘置所から出ている間に, 国会議 員に再選された。 1974年に, 彼は, ある事件に 巻き込まれた。 この事件では, 彼が, 土地の闇取 引に投資していた事実を偽装するために, ある芸 者を当事者として利用した。 彼は, この芸者を置 屋から身請けしていた。 著名な人物が, こうした 身 請 け を す る の は , よ く あ る こ と だ っ た (Hunziker & Kamimura1996,116)。
ロッキード事件は, 1976年2月6日に, 突如 として日本で明るみとなった。 この時に, アメリ カ合衆国連邦議会上院の外交委員会多国籍企業小 委員会は, それ以前に企業の 「裏金」 が暴かれた ことにも駆り立てられて, 口実を設けた他の企業 資金の利用にまでその関心を拡大していた。 そう した 「裏金」 が, ウォーターゲート事件における 不法侵入とそれに続く隠蔽工作に資金を提供して いた (Brown2003)。 この委員会は, ロッキード 社の副会長で前社長のA・カール・コーチャン (A. Carl Kotchian) による証言を聴聞した。 彼 の証言によると, 西側世界で最大の国防契約企業
であったロッキード社は, 日本人がこの会社から 購入した製品の代価の一部が日本の政府の役人や 企業の役員の手に渡るように手筈を整えていた。
典型的には, 賄賂の金は, 購入価格に上乗せされ ていた。 こうした手筈は, 納税者がコストを負担 することになるので, 全ての関係者が合意できる と認めるものだった。 犯罪学者のマーシャル・ク リナード (Marshall Clinard) とピーター・イェー ガー (Peter Yeager) は, アメリカの会社によ る海外での企業の贈賄に関して暴かれた事実を次 のようにうまく要約した。
外国での賄賂の受け渡しに関する真相究明は, 大企業がビジネス倫理や多くの場合に法律に違 反する際に見せる巧妙さと悪質さを恐らく何よ りも暴いている。 調査されたほぼ全ての事件で, 受け渡しを隠そうとする工作は, 非常に入念で 狡猾なものとなっていた。 そのために, 思いが けない調査でも, 関係企業がそうした行動を違 法であり反倫理的であるかもしないとみなし, また少なくとも大いに見苦しいものとみなして いたことがはっきりと示されているだろう。
(Clinard & Yeager1980,171)
ロッキード社が機体の幅が広いトライスター型 ジェット旅客機を強力に売り出すキャンペーンを 始めた時に, 田中は在任してからわずか6週間し か経っていなかった。 丸紅の代表者であった檜山 広が, 彼に働きかけた。 この会社は, ロッキード 社のビジネスをも取り扱っている組織であった。
その当時, 競合企業の方に傾いていた航空機発注 の判断を, 田中がその影響力を使ってロッキード 社の方へと転換させるという条件で, 檜山は田中 に5億円を渡すことを申し出た。 後に檜山は, 彼 らの5分間の会合で, 田中が, この提案に対して
「よっしゃ, よっしゃ」 と答えていたと証言した (Boulton1978,244)。 全日空が21機のトライス ター機を購入した時に, 田中には4回に分けて少 なくとも170万ドルが渡された。
田中の逮捕は, 「戦後の日本政治史の中で最も 劇的な出来事の一つ」 と呼ばれてきた (Fisher
1980,134)。 田中の公判は, ロッキード事件の関 係者の四つの公判の内の一つであった。 日本では, 有罪答弁をするという選択肢が人達に与えられて いない。 しかし, 自分に対する罪状の正確さを認 否することができる。 ロッキード事件の捜査の準 備段階の間には, 被告人達が数多くの自白を行っ ていた。 だが, こうした自白は公判で否認された。
1人の元最高裁判所判事と10数人の弁護士達が, 田中を弁護した。 こうした弁護士達の多くは, か つて検察官であった (Castberg1997)。
田中の公判では最後に, 収賄と外国為替管理法 違反の罪状に関して有罪が決定した。 この判決は, 1983年10月12日に下された。 この事件が日本 のメディアで初めて明るみになってから, 正確に は, 7年と1ヶ月と8日が経過し, 190回の公判 が開かれていた。 日本では, 公判は, 過度に緩慢 なペースで進行する。 そこで, 一般的には, 1日 限りの審理が1ヶ月ごとに設定されたりしている (Fisher 1980,145)。 田中は, 4年の拘禁刑と追 徴金を言い渡された。 彼の元秘書や, 丸紅のかつ ての会長と2人の常務取締役にも2年の拘禁刑が 言い渡された。 裁判所の判決が公表された直後に, 田中は自分の無実を訴える次のような声明を発表 した。 「生きている限り, また国民の支持と理解 が得られる限り, 私は, 国会議員としての職務を 果たし続けるつもりだ」, と彼は語った (Hurst 1983,9)。
ロッキード事件では, 当初, 16名の人達が罪 を問われていた。 この内の10名が公判以前の段 階では犯罪を行っていたと認識されていた。 そし て, 他の人達は死亡したか, 児玉のように病状が 非常に悪化したために起訴されることが不可能だっ た。 田中が裁判所の決定に関して上訴する間, 彼 の処罰は棚上げにされた。 東京高等裁判所は, 1987年に彼の控訴を棄却した。 そこで, 田中は, 自分の事件を最高裁判所に持ち込んだ。 1993年 に田中が死去する前に, 最高裁判所が判決を出す ことはなかった。
1983年に, 有罪判決を受けた後だったが, 田 中は, 先例のない地滑り的勝利で国会議員に再選 されていた。 他方で, 彼の所属政党は, 国会の多
数の議席を失った。 彼は, 270,761票を獲得した。
また, 彼は, その年に国会の議席を目指して出馬 した数百人の立候補者の誰よりも得票率が飛びぬ けて最も高かった。 そこで, 彼の総得票数は, 彼 が首相に選任されていた時に獲得していた票数よ
りも38,000票も多かった。 日本語の語彙には,
ここで起こった現象を表す特別な言葉がある。 そ の言葉は, 浄化の儀礼を意味する 「みそぎ」 であ る。 この言葉は, 神道の儀式に由来する。 この儀 式では, 罪のある者が川に身を沈めて罪や穢れを 洗い清める (Hunziker & Kamimura1996,56)。
田中は, 1989年に国会議員を辞職した。 彼は, 病気に苦しんでいたが, いまだに自責の念を表さ なかった。 そこで, 彼は, 「我が政治家人生に悔 いるところなし」 と断言していた (Hunziker &
Kamimura1996,180)。 彼は, その4年後に死去 した。
4. 他の同様の事例
日本では街頭犯罪が目立って低い率にあるのに 対して経済犯罪は目立って高い水準にあるという 現象に関する疑問に応えるために, 我々が特異な 事例を選び出したように思われるかもしれない。
そう思われないように, 詳述した二つのエピソー ドの持つ意義を補強するための一致するいくつか のエピソードを簡単に指摘したい。
サリドマイド薬害事件と並行して, 1970年に, 薬品キノホルムが原因となった被害に関するいわ ゆるスモン (亜急性脊髄視神経障害) 事件で, 二 つの日本の会社と外国の製薬会社チバ社 (Ciba) (現在のチバガイギー社 (Ciba-Geigy)), そして 厚生省に対して, 全国的な一連の訴訟が提起され た。 この薬は, 重症のアメーバ赤痢を治療するた めに使われることが認められていた。 しかし, キャ ンペーンを張って売り込んだ結果として, 約
10,000人の日本人が下痢止めとして, あるいは一
群の著者達が述べるように 「腸管のためのビタミ ン剤として」 この薬を服用することになった (Silverman, Lee & Lydecker1982,45; Hansson 1979もまた参照)。 スモンのエピソードは, エリー
ト達の無責任さを例証していると言われてきた。
エリート達は, 日本が 「制裁のない法律を有する 社会」 であるという事実をうまく利用しているの である (Haley1982,276)。 原告達による訴訟は, 10年以上も裁判所でだらだらと長引かされた。
和解が成立するまで, この訴訟は, 被告側の業者 達と政府によって激しく争われた。
1999年9月に, 日本は今までで最悪の原子力 事故を経験した。 この時には, 東海村の核燃料加 工工場で制御の利かない核反応が起こった。 この 事故によって, 少なくとも2名の作業員が最終的 に亡くなった。 生産に向けた圧力が, この惨事の 一 因 と な っ た と 言 わ れ て い た (Clark 2006; Meshkati1999)。
ビジネスと政治の世界では, 数多くの重大な経 済犯罪が起こってきた。 ごく最近では, 2006年 に, 脆弱な建築と隠蔽により, 政府は, 東京下町 の265室のホテルを取り壊させることにした。 そ のホテルの設計士は, この建物が中規模の地震で も確実に倒壊しないようにするためには不十分な 量の鉄筋が使われていたという事実を隠していた。
この設計士は, 設計と建築のコストを切り詰める ようにとの企業からの極度の圧力を感じていたと 語った (Zielenziger2006)。
1984年のリクルートコスモス事件は, 政権を 崩壊させた。 この事件は, 多くの点でそうした不 正工作の元祖に似ていた。 その元祖とは, 18世 紀のイングランドで起こった南海泡沫事件のエピ ソードである。 そのエピソードでは, 584名の国 会議員が, 投機的な株式発行に投資していた。 そ の多くの者は, 株式の大幅な値引きや贈与を受け て投資していたのである (Carswell1960)。 リク ルートコスモス事件では, 1,200万株の巨大複合 企業の未公開株が76名の者に売却されていたと いう事実が絡んでいた。 こうした者達には, 1名 の元首相, 多数の政治家や企業幹部, また数名の 学者が含まれていた。 いくつかの例では, 株の購 入を助成するために, 低コストの融資が用意され た。 本当の受益者を偽装するために, 関与してい る上層の者達の側近や仲間が, 名目上の株式所有 者となった。 この会社の見返りには, とりわけ情
報通信設備の売買に関する裏取引が含まれていた。
リクルートコスモスの会長自身は, 政府の四つの 諮問委員会の委員に任命された。 この事件の結果 として, 53名の者が辞職した。 また, 他の19名 の者は, 贈収賄から証拠の隠匿にまで及ぶ様々な 罪責で正式起訴された (Kerbo & Inoue 1990; Yayama1990もまた参照)。
佐川急便事件は, 日本の戦後の汚職に関するエ ピソードのリストに間違いなく登載されることに なる別の見出し事項である。1992年に, 金丸信は, 贈収賄の計画に巻き込まれることとなった。 彼は, 日本の主要な陰の実力者として見られていた。 警 察は, 彼の自宅で5,000万ドルの現金と金の延べ 棒を見つけ出した。 また, 別に彼の息子の家で 3,400万ドルを見つけ出した。 この事件は, 「日本 の支配階級が階級独自の世界で暮らしている」 と い う 問 題 点 を 際 立 た せ て い る と 言 わ れ て い た (Kerbo & McKistry1995,4)。 この事件はまた, ビジネスの世界における組織犯罪と経済犯罪との 間の密接な結合関係をも強調していた。 組織犯罪 に従事する暴力団員達は, 実業家などから金を巻 き上げて, 政治家に金をつかませるために利用さ れ て い た 。 デ イ ヴ ィ ッ ド ・ カ プ ラ ン (David Kaplan) とアレック・ドゥブロ (Alec Dubro) (2003,193) は, 「米国史には匹敵するものがない」
と指摘する。 そして, 「それはまるで, メリルリン チ社 (Merrill Lynch), フェデラルエクスプレス 社 (Federal Express), またベクテル社 (Bechtel Corporation) が [ マ フ ィ ア の ] ガ ン ビ ー ノ (Gambino) 一家に20億ドルを手渡すようなも のである」 (Iwai1986もまた参照)。
最後に, リジンに関して価格を決定し, 市場シェ アを割り当てる反トラスト法違反の共同謀議につ いて書き留められてもよいだろう。 この共同謀議 には, アメリカの巨大複合企業であるアーチャー・
ダ ニ エ ル ズ ・ ミ ッ ド ラ ン ド (Archer Daniels Midland (ADM)) 社と日本の会社数社が関与し ていた (United States v. Andreas1996)。 2名 のADM社役員が24ヶ月の刑期の拘禁刑を言い 渡され, また1名のADM社役員には, 30ヶ月 の刑期が決まった。 1名の日本人の共謀者は, ア
メリカ合衆国で正式起訴されたが, 出廷しなかっ た。 そして, 日本も彼を引き渡すことを拒んだ。
また, 彼は, 日本で公判に付せられることもなかっ た。 日本では, 独占禁止法はめったに執行されな いのである (Johnson1995,73)。 ただ, 日本の 裁判所は, この計画に参加した数名の者とその会 社に重い罰金を科した (Eichenwald2001)。
5. 考 察
ブレイスウェイトは, 共同体主義的な習律が, 日本で見られる法を遵守する行動の核心部分に存 在し, また同時に, それほどではないにせよ, 経 済的な犯罪性向の根本にあるということを強調し ている。 サリドマイド事件やロッキード社の贈収 賄事件の詳細を, さらには他の経済犯罪に関する 情報を, こうしたブレイスウェイトの強調点に関 係させることは可能である。 ブレイスウェイトの 理論は, そもそも原因論的な定式ではない。 つま り, 彼の理論は, 犯罪の諸原因に焦点を当てるの ではなく, 犯罪活動を抑制している要素を指し示 し, そうした条件を欠くことが法違反を助長する ということを示唆している。
ブレイスウェイトは, 日本で汚職が広範に見ら れると一様に言われている事実を彼の理論上の立 場と一致したものと解釈している。 こうしたブレ イスウェイトの解釈は, 我々のエスノグラフィッ クな素材に基づいた議論にも開かれているように 思われる。 様々なケーススタディは, 共同体主義 的な結び付きを指し示しているのではなく, ドイ ツやアメリカ合衆国で見出される不正行為者のパ ターンと非常に良く似ていると解釈することが最 も理に適っているだろう。 日本のサリドマイドの 販売業者は, この薬の持つ恐ろしい副作用に関す る信頼できる情報があったにも関わらず, なかな か市場からこの薬を回収しようとしなかった。 こ うした事実を考えると, この販売業者は, 多くの 奇形児が誕生したことに責任があった。 この会社 の欲得深い自己利益以外には, 何に対しても責任 感が見られなかった。 この会社の社長は, 個人的 に, この事件のドイツ人の専門家証人であったレ
ンツ (1992) に対して, この会社が疑いなく非難 されるべき立場にあることを認めた。 それは, 潔 い行動であった。 日本人は, この上ない潔さで謝 罪を行うものである。 しかし, この会社が取った 利己的な遅滞行動は, そうした社長の誠実さが偽 りであることを示していた。 トレーシー・ゴヴィ エ (Tracy Govier) とウィリアム・ファーウー ルト (William Verwoerd) が述べているように, 謝罪は, 「不誠実な, 利己的な, 逆効果な, ある いはやり方によっては不適切な」 ものになり得る (Govier & Verwoerd2002,140; Tavuchis1991 もまた参照)。 日本のビジネスと政治の領域では, 不正行為が頻繁に発生し, また再発している。 そ こで, 「汚職が至る所にある風土」 があると言わ れている (Fisher1980,222)。 こうした事実を考 えると, これらの事件でエリート達が見せた謝罪 の姿勢が, 多くの場合に, 哀悼と悔恨の情を表明 しているというよりも, むしろ演技をしていると いう性質を帯びたものなのではないかと疑って掛 かることは, 的外れではないように思われる。
ジョン・ヘイリー (1978) を始めとした論者達 (Ramseyer1988; Ramseyer & Nakazato 1989) は, サリドマイド訴訟を, 次のような事実を例証 しているものとして引き合いに出してきた。 それ は, 外部の者達や日本人自身が, 日本人の文化は 融和的であり, そこでは法廷で形式的に対峙する よりも, むしろ好意的に歩み寄る方が好まれてい るという見解を感傷的に語っているという事実で ある。 ヘイリー (1978,366) は, 「日本人が並外 れて訴訟を嫌悪している結果として当事者が訴訟 で得られると予想できる決着よりも利益の少ない 決着を受け入れているという証拠は, 少しでもあ るのだろうか」 と誇張しつつ問いを立てている。
そして, 「その答えはノーだと思う」 と応えてい る。 彼の主張したかった点は, 日本人は, 資本主 義社会の大部分の人々と同じように, 富を最大化 させようとしており, 裁判所の運営のされ方を考 えると, 訴訟はほとんど割に合わない, と評価す るようになったということである。 同様に, 街頭 犯罪もほとんど割に合わない。 しかし, 経済犯罪 では, 魅力的な利得が得られるのである。
田中は, 有罪判決を受けた時も, また死去する 前に出した声明の中でも, 自責の念を表さなかっ た。 罪の意識は全くなかったようだし, 少なくと も人前では, 恥の意識を微塵も表に出さなかった。
彼は, 屈服するためではなく, 戦うために裁判所 にやって来た。 彼のお抱え運転手は, 贈収賄に関 する決定的な情報を検察官に提供した後に, 自動 車の排気ガスを使った一酸化炭素中毒で自殺した。
この運転手が, 恥の意識に由来する伝統的な絶命 の儀式を実行していたとか, 田中の目から見た自 分の汚名をそそごうとしていたというのは, 疑わ しくさえある。 というのも, 日本法の下では, こ の運転手が当局に話していた事実は, 彼の死後に は被告人に対して利用しにくくなるからである。
ロッキード社は, ロッキード事件のために社内 関係者の自殺を経験した。 それは, 副社長で会社 の財務担当役員だったロバート・N・ウォーター ズ (Robert N. Waters) が銃による自殺をした時 であった。 実際に, 経済犯罪を行って逮捕された 高い地位にある者が自殺するという事実は, 決し て日本が独占している訳ではない。 ウォーターズ が自殺する少し前に, ユナイテッド・フルーツ社 (United Fruit) の会長であったエリ・ブラック (Eli Black) は,44階から飛び降り自殺した。 彼 は, 125万ドルの贈収賄に関して捜査を受けてい た。 もっと以前の古典的なホワイト・カラー犯罪 の事件でも, スウェーデンのマッチ王であったア イヴァー・クロイガー (Ivar Kreuger) (Shaplen 1960), マッケソン・アンド・ロビンス社 (McKesson and Robbins) の社長であったドナルド・コスター (Donald Coster) ( 別 名 フ ィ リ ッ プ ・ ム ジ カ (Philip Musica)) (Wells 2002), またミネアポ リスの不動産業界の重鎮であったウィルバー・フォ シェイ (Wilbur Foshay) (Sutter 1923) の全員 が, 当局によって窮地に追い込まれた時に, 自分 の命を絶った。 より最近では, 2002年に, エン ロン社 (Enron) の副会長であったT・クリフォー ド・バクスター (T. Clifford Baxter) が, 銃に よる自殺をした。 彼は, 政府参考人となる見込み があった (Eichenwald2005)。 日本とは違って, これらの事件の大多数では, 多くの場合に, 否定
する圧倒的な証拠があったにも関わらず, 多くの 者が, これらの人物は口封じのために殺されたの だと主張していた。 また, アメリカ合衆国とは違っ て, 日本での自殺者の相続人は, 生命保険証券を 受け取ることを禁じられていない。
強い印象を与えるほど法を遵守する日本人と同 じように, 田中も, 集団による支持を命じ強化す るものではあるが, 異なった共同体主義的な規律 に従っていたと言われている。 言い換えるなら, 日本でもどこでも, 全ての犯罪は, 集団への帰属 に由来する学習された価値観の産物であり, 日本 では, こうした価値観が, 価値観のスケールの社 会同調的な側に非常に大きく偏っているというこ とである。 しかしながら, 我々のケーススタディ は, 経済犯罪に関してだけであるが, こうした定 式化に疑問を投げかける。 田中の反応は, 法より も優っていて, 法からの要求はほとんど意に介さ ずに無関係であるという感覚, つまりは傲慢さに 根差していた。 彼は, 抑制のない絶大な権力を保 有していた。 こうした権力によって, 彼は, 他人 が費用を負担する形で私腹を肥やすことができた。
彼は, 多くの経済犯罪が持つ包括的な共通点を露 見させていた。 それは, 権力を保持して善事を行 うためには非合法な行為が必要なのだとの確信に よって合理化された貪欲さである。 最も重大なこ とは, 田中が, 彼の準拠集団を形成している人達 の持つ共有された価値観をはっきりと反映してい るようには全然見えなかったということである。
彼の行動様式は, 主として個人主義的なものであっ た。 ただ, そうした行動様式は, 違法な取引のう ちの一層手の汚れる部分を片付けるために必要な 共犯者達を伴っていた。 ジェーコブ・シュレジン ガー (Jacob Schlesinger) は, 次のように田中 の仲間達には連帯意識や集団への忠誠心が欠けて いたことを指摘している。
しかし, 田中が, 必滅の運命にあることが分か ることになった。 彼の門弟達の高慢な野心の餌 食となったからである。 彼の失脚は, 結局, 彼 の最も近くにいた追随者達によって巧妙に画策 された。 この者達は, ボスに対する鉄のような
忠誠心で有名であった。 こうした政治家達は, 政治集団に対する何らかの反感や政治集団を解 体したいという何らかの欲求に駆り立てられた のではない。 反対に, この者達は, 政治集団の 永続的な威力に魅せられて, 最終的には政治集 団を自分達で所有したいと強く望んだのである。
(Schlesinger1997,157)
リチャード・ミッチェル (Richard Mitchell) が述べているように, 他の場合には街頭犯罪を抑 制するエートスがあるにも関わらず, 日本では, 贈収賄や汚職が至る所にあり, また長い伝統を有 している。 いくつかの点で, こうした贈収賄や汚 職は, 深く根付いた贈り物を贈る慣行に由来して おり, あるいは恐らくこうした慣行にうまくとけ 込んでいる。 この慣行は, 欧米社会の親しい者の 集団の内で行われている慣行をはるかに凌いでい る。 ミッチェルにとって, 治療のための方途は,
「政党を再編成することと, 国民の間で今までに ない態度を取ること」 にある。 それに加えて,
「政治家・官僚・実業家を結び付けている鉄のト ライアングルが, 打破されなければならない。 こ のトライアングルは, 納税者を犠牲にして相互に 利益を得るために形成された」 (Mitchell 1996, xvi)。 我々のテーマに関して言えば, そうした 成果が得られるためには, 日本で他の形態の犯罪 を非常に賞賛に値する低いレベルに止めるのに役 立ってきた価値観と慣行が, 経済犯罪を行う者達 の内面に同化されることが必要だろう。
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訳 者 註
本 稿 は , Kai-D. Bussmann, ed. (2007). Mo- natsschrift fur Kriminologie und Strafrechtsre- form,90(2/3) (April/June), pp.103113.に掲 載されたカリフォルニア大学アーバイン校ヘンリー・
N・ポンテル教授 (Prof. Henry N. Pontell) と同 校ギルバート・ガイス名誉教授 (Emer. Prof.
Gilbert Geis) による論文 “The Paradox of Eco- nomic Crime in Japan : The Thalidomide Scourge, the Lockheed Scandal, and Endemic Political Corruption” の翻訳である。 当該研究 誌では 「国境を越えて 国際的な観点から見た 経済犯罪 (Crossing the Borders : Economic Crime from an International Perspective)」 と 題する特集が組まれていた。 ポンテル教授とガイ ス名誉教授は, アメリカ合衆国における経済犯罪 研究の第一人者として, それぞれアメリカ犯罪学 会の副会長と会長を歴任している。 両教授には, 拙訳を本誌に掲載することを快諾していただいた。
そこで, わが国における経済犯罪の一層の理解に 資するため, 本稿を掲載することにした次第であ る。
本稿の 「経済犯罪 (economic crime)」 という 概念は, 犯罪学上, 一般的に用いられている 「ホ ワイト・カラー犯罪 (white-collar crime)」 の 概念とほぼ同義に用いられていると考えて差し支 えない。 「ホワイト・カラー犯罪」 の概念は, エ ドウィン・H・サザランド (Edwin H. Sutherland) が1939年にフィラデルフィアで開催されたアメ リカ社会学会とアメリカ経済学会の合同会議にお いて講演を行った際に, 新しく提唱された。 彼は,
「ホワイト・カラー犯罪」 を名望ある社会的地位 にある人物が, その職務上犯す違法行為として定 義していた。 その後, 学界ではこうした定義をめ ぐって激しい論争が続いたが, この概念の有する 重要性については現在, 共通して認識されている。
我々は日頃, 殺人や強盗といった 「街頭犯罪 (street crime)」 に目を奪われがちである。 しか し, 人々に一層多大な損害を与え, はるかに大き な社会的コストを生じさせるのは, 「ホワイト・
カラー犯罪」 とか 「経済犯罪」 と呼ばれる企業や エリート達による犯罪なのであり, 更なる研究が 求められているのである。
《Summary》
Henry N. PONTELL Gilbert GEIS
(Translation)KONISHI Tokikazu
The discrepancy in Japan between the admirably low rate of street crimes, such as robbery, assault, and burglary, and the elevated rate of white-collar offenses challenges those who look to the characteristics of Japanese culture to explain the levels of law-breaking in the society. The article reviews episodes of upperworld crime in Japan and suggests that the communitarian ethos that inhibits street offenses does not carry over into the country’s commercial and political realms.
Keywords: Causes of street and economic crime, scandals of upperworld crime, impact of culture, communitarism, Japan
The Paradox of Economic Crime in Japan :
The Thalidomide Scourge, the Lockheed Scandal, and Endemic Political Corruption