甲州道中における商品流通の展開と運輸機構
‑甲州郡内地方を中心に‑
安藤正人
はじめに
7甲州における商品生産と流通事情二寛政〜化・政期における商品流通の展開と荷拙問屋制の成立 三第末・維新期における商品流通の展開と荷継問屋制の発展
四明治初年'宿駅制度脆止後の運輸機構まとめにかえて
はじめに
本稿は'甲州郡内地方(都留郡)の甲州道中宿駅を対象として'近世後期から明治初期にかけての商品流通の展開の
動向と'これに促されて起こる街道輸送械梢の変化の過程を具体的に明らかにしようとするものである。
本稿の分析にあたって筆者が持っている大きい意味での問題関心は、幕藩制解体期において全国的に進行する陸運
・水道の機構的変化を'単に交通制度史的観点でとらえるのではなく'市場構造ないし商品流通との有機的連関性に
おいてとらえ'国内市場形成期におけるその意義を正当に位置づけることにある。運輸が'流通する商品荷物を離れ
て存在しえない以上、その機構的変化は結局のところ市場構造の変化によって引き起こされる二次的現象に過ぎない
甲州道中における摘晶流通の展開と運輸機構(安藤)
史料館研究紀要第一〇号
\
二 と
いう
見
方も
できるし.
かし
反 面、
商 品 の 流
通が
運 輸 機 構
抜きに
存
在えないしことも
事 実
であり、
運 輸 機 構 の
体具的
な 形 態 が 商 品 流 通
ないし
市 場 構
造のあり
方を
1 両 で 規
定し
てはいたこと
否 定
でない。き
要
すに'る
運 輸 機
構も
大きな
意 味 で の 市
場構造の
一つの
環なの
であっ
て' 幕 蕃 制 解 体 期 に お け る そ の 変
化の
具
体的
分
析は'国内
市
場の
形 成 過
程を
明ら
か に
する
上でも
不 可
欠な
意
義を
持っ
ていると
考
える。
本
稿の
分
析は'
右のよなう
観
点立ちなに
があたもさしら
り 甲 州
道中の
運 輸 機
構の
変 遷 過 程 を 制 度
史的側面を中
心に
明ら
か
にし
たも
の に
過ない。たぎ
だそ
の 際、
分 析 の
主眼
を 置 い た の は
次のよなう
点
である。
従 来 幕 藩 制 解 体
期におけ
る 陸 上 商 品 運
輸の
変 遷 過 程 は、
脇
往還に活
動の
基
盤をおく
非 特 権
的・
農 民 的 な 私 的 運 輸
業(が代表)中馬的である
の 進 出 に
よっ
て 本 街 道 の 特 権
的・
幕
藩制的な
宿駅
運輸
機
構が
衰
微し
てい‑
過
程とし
て 描 か
れがること
多
かたこっ。
れに
対 し 本 稿 で は'
むし
ろ 宿
駅自
身 が、
農
民的
商品
流
通の
展開と
ヽ ヽ ヽ ヽ 私 的 運 輸
業の進出に
対
応し
てい
かに己自
変 革 を
遂げ
てい
運輸業の展開が幕藩制的流通運輸機構の解体を促す〝外からの実践〃であったとすれば'宿駅の内部から起こるこのヽヽヽヽような自己変革の動きは'幕藩制的流通運輸機構解体の〝内からの契機〃と言うべきものであって'その検証は本稿(1)の重要な課題である。
なお'付け加えれば'本稿の分析にあたって聾者はもうひとつの問題関心を持っている。それは天保七(一八三六)
年に郡内地方に発生し'甲州全域に拡大した甲州天保一挟(郡内騒動)の歴史的背景に関する問題である。この一挟
は'天保期に激発する農民闘争の中で'幕領における最大規模の闘争として'また世直し一校への転回性を持った画(2)期的な闘争として特に注目されているものであるが'一挺発生の直接的な要因となったのは市場構造'とりわけ米穀
市場の問題であり'また闘争の主体となったのは甲州道中の宿駅下層良民'すなわち半プロ的な交通労働者であっ
た.従ってこの1投を理解するためには'何よりも郡内地方のおかれた市場構造的位置と'甲州道中の宿駅下層良民
=交通労働者の存在形態を具体的に把握することが不可欠の条件となる.本稿の分析は'そのための前提作業のひと(3)つとしての意味をも持つ。
注
(‑)ただし'本来の意味での〝内からの契機〃は'当然のこ
とながら'幕藩権力の流通運輸支配政克そのものの変質と解体の中に求める必要があり'本稿で明らかにしようとす
る幕藩制解体期の運輸機構の具体的変遷過程も'最終的には'流通運輸支配を権力維持の枢軸のひとつとして持つ幕
藩制国家の解体過程の一環として位置づけられなければならない。これは'太稿の分析にあたって筆者が持っている
甲州道中における商品流通の展開と運輸機構(安藤) 大きな意味での第二の問題関心と言えるものであるが'本稿では'これに言及することができなかった。
(2)Jたとえば深谷克己「幕藩制国家論の課題」(r歴史学研究J四二l)など。
(3)なおこの間題については'拙稿「甲州天保一投の展開と
背景1米穀市場を中心に」(「天保期の階級闘争J(仮)所
収予定)を参府のこと。
三
\
義 (1) 明治7 (1874)年山梨県物産表
史料飴研究紀要第一〇号
(注) 村上直 「山梨県の明治前期統計資料について」 (r甲斐史学
」 6)第3表を 一部 修正
一甲 四
州に
お
ける
商
生 品
産と
流 通 事 情
最初に'甲
州における
商品
生
産の
概 況
を'明
治 初 期 の 統 計 資
料を
利
用たし
村 上
直・
有 泉 貞 夫
(1
) 両
氏の
研 究 成
果によっ
て 見
ておきたい。
表 山
は' ほ ぼ 近
世後期の
生 産 規
模を
反映し
て い る
考えれ明治とるら
七 ( 一 八
七四
)
年「
府 県 物 産 表
」により'
生 産 額 二
万円
以 上
のも
の を 多 い
順に
並
べたのも
である。
繭 が 第
二位、
生 糸 が
第四
位にあっ
て' 合 わ せ て 全 生 産 額 の 二
一六・
%をめ占
ており'
養 蚕 製 糸
県てのとし
特
徴を
示 し
ていほる
か' 海
気
絹(郡織物)'内
繰
綿t.
縞 木 綿' 実
綿'葡萄'
煙
草などに'
畑 作 物
商品
生 産 と 農 村 加 工
業の
発
展をかう
がい
知ること
が
でき
る。
次に'
主
要な
商 品 生 産 の 地 域
的
義(2)明治12(1879)年山梨県部別生産高比率
(
史料館研究紀要第一〇号六ひメし一)*)A(表切)'まず繭は甲府盆地の東部にあたる東八代・東山梨両郡(「東郡」と通称)で合計五七二二%を生産している。
この地域は米作の比重も依然高いが'甲州では最も養蚕地帯としての性格が頚著である.生糸は西山梨郡が他郡を圧
倒しているが'これは大規模製糸工場を持つ甲府が含まれるからである。綿作は中巨摩郡に集中しており'隣接するにし一)jtウ南巨摩郡を合わせれば七四・六%に達する。甲府盆地西部にあたるこの地威(「西郡」と通称)も米作の比重はやはり
高いものの'他郡との相対的な比較からすれば1応綿作地帯と見ることができるOまた北巨摩郡を中心とした北西部
地域は'米・雑穀のほかにはとりたてて言うほどの商品生産が見られず、自給的な米作地帯と考えてよい。一方'南くL)なA北都留郡(「郡内」と通称)は'盆地部各部(あわせて「国中」と通称)とはかなり異なった地理的条件を有する山間地帯
で'農業生産の比重は小さく'絹織物(海気絹)の生産に頼るところが大きかった(海気絹は真似にはないが'嘉川では
第七位にある)。従って、この地域は一応機業地帯と言うことができる。
以上のような地帯構造は、近世中期以降の農民的商品生産の継起的発展の中で形成されてきたものであったが'そ
れは当然に商品流通の新たな展開を伴った。その第一は'江戸を中心とした関東・近国と甲州在方荷主との城下町特
権的商人を介在しない他国間流通(以下これを広域的流通と言う)であり、その第二は、甲州一国内部における各生産(3)地帯相互の直接的な流通関係(以下これを地方的流通という)である。(4)今、中初狩駅陸運会社の明治五(1八七二).年「荷物運輸帳」によって'甲州道中郡内地方における明治初年の商
品流通状況を具体的に見てみよう.表矧がこれを集計したものである。言うまでもなく甲州道中は甲・信州と江戸・
関東を結ぶ幹線街道として富士川水運と共に甲州の最も重要な大動脈であったが'同時に郡内地方と国中地方とを結
ぶ地方的流通路としても重要な役割を果たしていた。従って'この表によって広域的流通と地方的流通の両側面の概
況を同時にとらえることができるのである。
まず'表側‑aによって甲信州から東京・横浜・八王子方面への「下り荷」を見ると'第一に多いのは篠巻・繰綿
の一二七駄である。その内八九駄は中巨摩郡綿作地帯の在方荷主から直接発送されたもの、残りの三八駄は甲府綿商
人からのもので'殆どが八王子の荷受問屋に送られている。次に多いのは生糸・屑糸(キピソなど)の一一二駄で内'
(衷 3) 明治5(1872)‑ 6(1873)年 中初狩駅 陸運会社輸送荷物
(単位 ・駄)
a 「下 り荷」(東京 ・横浜 ・八王子方面向)
三三駄は信州糸'また甲州糸七九駄
の 内 七
割にあたる
五 六 駄 の 荷
主は甲
府の
生 糸 商 人
であるこ。
れのら
生 糸
類は
大 半 が 横
浜・
神 奈
川に
送ら
れ
ている。
以
上 が
虫も
重
要な「
下り
荷
」であが'そのる
は か 煙
草・
矢
砂など
が比較的
多い
部 類 に
入る。
次に'
表
伶によcっI
て 東
京・
横 浜
方面
から
の
「
上り
b
「下り荷」 (郡内地
㌃這‑竺≡ご甲府甲諸州村方向)計 篠巻 .繰
綿 81 172
2l2423l 25
蛸 2
生糸 .屑糸 1
C 「上 り荷」 (甲 ・信州向)
史料館研究紀要第一〇号
㌃忘で東京 横 蘇神奈川 その他 計
・備 考
唐 糸 12 168.ト ヨ 31118212888022437381947502 信州向 161
唐絹 .金巾呉服 1・1197111 6∃9l3 甲府向 115
.太物 71 〟 .●81
負 .干物類金 物
荒物 .小間
初 1811166865
17
37 甲府向〝 20824
砂(坐)増燭糖
石そ の 他炭 油
不 明 I 〝 74
計 379 585̲1171
,081
(注)(1) 史料 ・「明治五年荷物運輸帳」
(2) 明治5年9月14日〜明治6年2月3日の110日間分
(3) 端数は くりあげたので,合計は実際より若干多くなった。 \iZ]荷」について見ると'甲府・勝沼など町場 t
向けの海産物・海産加工品が最も多いが'何よりも唐糸(輸入綿糸)・唐綿・金巾などの綿製品に砂糖を加え
た横浜・神奈川からの輸入品の流通が多いことが特徴
的である。以上が甲州外との広域的流通の概況であ
るが'これに対し'表榔‑bにまとめたのは国中地方から郡内地(5)方に向けられた甲州内部での地方的流通商
品である。ここでは米が一二九駄と三割以上を占めて
いて最も多いことがとりわけ注
目に価するが、その殆どは国中地方「東郡」からのも
のである。以上のように'明治初年の甲州道中にお
ける商品流通は'国内市場形成期の市場関係を反映し
て多様鬼展開を示している。この内'東京・横浜方面
向け「下り荷」の中心である綿・生糸・煙草などは'
いずれも甲州農村における農民的商品生産の発展の所産として評価しなければならない。しかしながら生糸は開港
後の生糸輸出の興隆によって急激に移出量が増大したものであり・開港前に「下り荷」として輸送された量は'比
較的少量であったろうと思われる。亘れまで甲州産生糸の多くは・「登.せ糸」として京都方面へ移出されるか、地元郡