• 検索結果がありません。

近世瀬戸内の商品流通(2)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "近世瀬戸内の商品流通(2)"

Copied!
31
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

近世瀬戸内の商品流通(2)

上  村

雅 洋   はしがき 1 讃岐国直島の概況 豆 商品流通経路と廻船(以上第240号) 皿 廻船市場(以下本号)

 むすび

 付  表 皿 廻 船 市 場  前節で取り扱った海難史料を用いて,ここでは特に前述した商品の輸送に携 った廻船に注目し,廻船市場の分布,その役割・構造・規模等について検討し てみることにする。  まず,海難史料による廻船の分布を艘数によってみると,最も多いのが安芸 の59艘で,次いで伊予47艘,讃岐26艘,周防23艘,豊後21艘,大坂20艘,備中 16艘,備前14艘,長門11艘,摂津(大坂を除く,以下同じ)10艘の順であった。海 難史料が讃岐国直島のものであるため,讃岐周辺の国々が中心となる。また, これは艘数のみを比較したものであり,廻船の規模や稼動率によって積載量が 異なり,これだけで廻船の発達した地域とそうでない地域を区別することはで きない。  そこで個々の地域ごとに,時期的な相違,廻船稼の内容,廻船の形態,廻船 の規模などについて,もう少し詳細にみて行くことにしよう。  1.大坂周辺地域  大坂は20件あり,時;期はほぼ全期間にわたるが,特に2・3期各5件と集中 している。廻船稼は,20艘ともすべて他国稼であり,他国の積荷を輸送しに出

(2)

頭1乗組人数 船 荷 彦根論叢第24!号

     第5表大坂船籍の他国稼

年 月1積 地1行 先1積

78 期 時 人 13 P3 P2

@1216

14 P5 I8 P0

T1741113

沖 沖沖 沖沖沖沖 沖直 沖沖沖沖沖沖沖

米材詩材米材米米米米米米米墨材単帯弾物米

       . 材産

下木木木蔵木回蔵三蔵蔵城蔵蔵木炭豊幡海蔵

坂坂坂坂坂 坂坂田坂坂坂上坂 坂坂 坂坂

大大大大大 大大大大大大大大 大大 大大

奥羽羽羽羽羽重羽目後後前国中佐予後向前後

陸出出出出出出出出筑越越北越土伊晦日土肥

元禄8・5 元禄15・!0 元禄16・9 元禄16・!0 宝永2・閏4 宝永6・9 正徳3・7 正徳5・6 享保2・11 享保5・2 享保5・7 享保ユ8・5 元文元・9 宝暦8・6 文化4・8 文政8・正 文政1G・3 天保14・正 午永5・9 文久2・4

12222233333557121414161718

(註)各「浦手形」 (瀬戸内海歴史民俗資料館所蔵三宅家文書)より作成。    直は,同乗船頭,沖は,沖船頭を示す。 かけている。それでは,どこからどこへ何を積みに出かけたのであろうか。第 5表によって見てみると,7期以前と12期以降とに分けられる。すなわち,7 期以前では出羽(4件)・陸奥・越後・越中・越前・北国(各1件)から城米・ 蔵米を,出羽(4件)から木材を大坂へ輸送するのに従事した。これに対し, 12期以降では件数も6件と少なく,積地は肥後2件,土佐・伊予・日向各1件 と九州・四国地域が中心となり,積荷も米・木材だけでなく,炭・薪・海産物 等も見られ,多様化してくる。そして行先は,17溢すべて大坂であった。船頭 は,二乗船頭1人,沖船頭15人であり,ほとんどが沖船頭によるもので,大坂に おける多数廻船所有者の多さが注目される。二乗舶頭1入は,享保18年(1783) に越前から大坂への城米輸送に従事したものである。廻船規模は,中規模2艘

(3)

(4人乗1,5人乗1),大規模12艘(10人乗1,!1人乗1,12人乗2,13人乗3,14人 乗1,15人乗1,16人乗1,!7人乗!,18人乗1)であり,小規模廻船は1艘も見ら れず,大規模な廻船が中心であった。しかも中規模廻船が見られるのは,14期 と16期のみであった。  摂津は10件あり,時期は,大坂と同様全期間に散在するが,特に1期3件, 2期2件と多く,他は!件ずつのみである。船籍は,神戸3艘,ニツ茶屋・脇 浜・兵庫各2艘,魚崎1艘であり,古くから廻船の発達した地域であった。1 第6表 船稼形態1(大坂周辺地域)

時期

123456789101112131415161718

年 代 貞享4∼元禄13 元禄14∼宝永7 正徳元∼享保5 享保6∼享保15 享保16∼元文5 寛保元∼寛延3 宝暦元∼宝暦10 宝暦11∼明和7 明和8 一一安永9 天明元∼寛政2 寛政3∼寛政12 享和元∼文化7 文イヒ8∼文政3 文政4一一天保元 天保2∼天保11 天保12∼嘉永3 嘉永4一一万延元 文久元∼明治3 大  坂

abcde

摂i 津

abcde

播  磨

abcde

−﹁D﹁D 2 1 ! 2

!11

3 2 1 1 1 1 1 1 1

11

2   1 1  1 淡  路

abcde

1 ワ臼 和  泉

abcde

1 紀  傍

abcde

11

1 1 1  1 合 十 二一⋮口 20 1ol 12 61 3 1 1 5 (註)各「浦手形」 (瀬戸内海歴史民俗資料館所蔵三宅家文書)より作成。   摂津は大坂を除く。    aは,他国船依存,bは領主の手船, cは自国六二を行なっている廻船, dは   自国船稼か他国船稼か不明であるがSその存在が確認される廻船,eは他国船稼   を行なっている廻船を示す。

(4)

 80 彦根論叢 第241号 期に兵庫から長崎へ酒を運んでいる1件を除き,残り9件はすべて他国稼とし て各地の積荷を輸送しに出かけている。すなわち,加賀(3件),陸奥・肥後・ 長門(各1件)から蔵米・商人米を大坂へ,日向(2件)から海産物・薪等を, 備中(1件)から台場三石・薪をそれぞれ行先は不明であるが,輸送するのに 従事していた。船頭は,三乗船頭2人,沖船頭5人で,沖船頭が多く,廻船規 模も例は少ないが,小規模1艘,中規模1艘(5人乗),大規模1艘(15人乗・ 1,400石積)の大坂と同様の大規模な廻船によるものであった。小規模1艘は, 魚崎の廻船によって備中から台場三石を運ぶために用いられた。

 播磨は9件あり,1・2・3期各1件の3期以前と10期1件,12期2件,14

期1件,15期2件の10期以降に分かれる。船籍は,坂越・網干各2艘,大塩・ 八家・明石・二形・魚崎各1艘である。船稼は,自国船稼1件,他国船稼6件 で,ほとんどが他国船として各地の荷物を積みに出かけている。自国稼廻船 は,塩を尾道へ輸送するのに携っており,他国稼廻船は,対馬(1件)から干鰯 を,出羽(1件)から商人米を,安芸(2件)から薪を,讃岐(1件)から海産物 を,伊予(1件)から木材をそれぞれたぶん大坂へ運ぶのに従事していた。船 頭は,三乗船頭5人,沖船頭2人であり,直乗船頭が多いが,沖船頭2人はい ずれも15期になって見られるようになり,多数廻船所有者が進出するようにな ったことを示すものであろう。廻船規模は,小規模5艘,大規模1艘で,小規 模な廻船である。大規模廻船は,3期の大塩船籍の11人乗300石積の廻船で, 出羽から米を運ぶのに用いられた。  淡路は3件あり,時;期は11期1件と12期2件である。船i籍は,江井浦2艘,治 島1艘で,3艘ともすべて他国へ荷物を積みに出かけている。すなわち,行先 は不明であるが,肥前(2件)から海産物・干鰯を,日向(1件)から茶・椎 茸・海産物を尾道・靹津へ運びに出かけている。船頭は,直乗船頭1人,沖船 頭2人であり,廻船規模は,小規模2艘,中規模1艘(5人乗)で,やや小規模 な廻船であった。  和泉は1件のみであり,時期は4期である。船籍は,佐野浦で,他国稼とし て対馬から干鰯・鉛を輸送しに出かけている。行先・船頭・廻船規模は不明で

(5)

ある。  紀伊は6件あり,時期は,2・3・5・!5期各1件,!7期2件で,2∼5期 と15∼17;期とに集中している。船籍は,綱代・若山・広浦・新宮・湯浅各1艘 で,紀州沿岸全域にわたる。船稼は,自国稼1艘,他国稼5艘で,ほとんどが 他国稼である。自国稼廻船は,新宮の廻船によって新宮から大坂へ木材を運ん だものであった。他国稼廻船は,筑後・出羽・備後・備前(各1件)から蔵米・ 商人米を大坂へ,肥前(1件)から干鰯・海産物を播磨へ輸送するのに従事し た。船頭は直乗船頭1人,沖船頭3人で,沖船頭が多く,沖船頭3人はいずれ も15期以降である。廻船規模は,小規模1艘,中規模3艘(4人乗1,6入乗1, 8人乗1),大規模1艘(11人乗)で中・大規模の廻船であった。  2,北国・山陰地域  佐渡は!件のみであり,時期は13期である。船籍は宿根木で,他国稼として 出羽へ商人米を運びに出かけた。船頭は沖船頭,廻船規模は中規模1艘(8人 乗)であった。  越後も1件であり,時期は12期である。船籍は梶屋敷で,自国から蔵米420 石を運んでいる。廻船は,沖船頭による7人乗の中規模廻船であった。 第7表 船稼形態2(北国。山陰地域) 松 司陸奥 畠 羽1 イ  渡 1越  後 越  中 自費 劃越階1    1k  国    1誉1出  雲 石  見 時期 ﹁

abCdelabCde IabCdeabCde abcde abCde abCde abCdeabCde     abCdeabCde abcde

1  2 1 6

11

1 3 4

41

1 1 5 6 7 8 9 1 1

11

1 1 1 1  1 P 1 C 1 2  31  1  1  1 1 1 1 1 1 4 PO1  1 1 1 1 6 7 81  1  1 2 1 1 2  1 合計 3 2 13 ・1・・ 1 23 11 1    1 1 1 4  1 1 5  1 (註)第6表に同じ。

(6)

 82 彦根論叢第241号  加賀は2件あり,時期は6・9期各1件である。船籍は,向島崎・:本吉各1 艘であり,船宿は,加賀から蔵米を大坂へ運んだ自国稼が1件と積地不明で 米・小麦・商荷物を兵庫へ運ぶのに従事したものとがある。船頭は,直宮船頭 1人,沖船頭1人で,廻船規模は6人乗と7人乗の中規模廻船であった。  越前は1件のみであり,時期は14期である。船籍は吉崎浦で,他国稼として 松前江差から鱗・数の子を大坂へ運ぶのに従事していた。廻船は,直乗船頭に よる7人乗の中規模廻船であった。  出雲は5件あり,時期は,5期2件,6・11・14;期各1件である。船籍は, 雲津3艘,松江2艘で,雲津と松江に集中する。船稼は,自国稼4件,他国稼 1件である。自国稼廻船は,蔵米を大坂(2件)・江戸(1件)へ運んだり,同国 産の鉄を大坂(1件)へ輸送していた。他国稼廻船は,逸書の蔵米を大坂へ輸 送している場合であるが,伯三国も同じ鳥取藩の領域であるため,これも自国 稼と同じ性格をもつものである。船頭は,直乗船頭2人,沖船頭2人であり, 廻船規模は,中規模3艘(4人乗1,7人乗1,8人乗1),大規模1艘(10人乗) の中・大規模なものであった。  石見は6件あり,時;期は,7・10・15期各1件,17期3件で,6期以前はな く,幕末に至るほど増加の傾向がみられる。船籍は,湯之津・三隅・郷田・神 子路・松原各1艘で,各地に存在する。船稼は,自国稼5件,他国稼1件で, 自国稼が中心となる。自国稼廻船は,米・干鰯・小豆・鉄・苧・半紙を大坂等 へ輸送している。他国稼廻船は,備後尾道より畳縁布等を運ぶのに従事してい た。船頭は,二乗船頭2人,沖船頭3人であり,廻船規模は,小規模2艘,中 規模3艘(4人ee 2.5人乗!)で中・小規模なものであった。

 3.山陽地域

 長門は11件あり,時期は,2・12・13・14期各1件,16期3件,18期4件で ある。2期1件を除けば12期以降に集中し,特に幕末期に多くなっている。船 籍は,梶浦・下関各2艘,青野浦・粟浦・藤曲浦・宇部・本山・馬関各1艘で 各地に存在する。船遊は,自国稼10件,他国稼1件であり,自国稼廻船は,自 国から蔵米・商人米を中心に干鰯・炭・薪等を大坂・兵庫へ,石炭を阿波・播

(7)

磨へ運んでいた。他国稼廻船は,伊予より海産物を大坂へ輸送するのに従事し ていた。船頭は,直乗船頭7人,沖船頭3人であり,沖船頭3人は16期と18期 で,幕末期に沖船頭が見られるようになった。廻船規模は,小規模3艘,中規 模7艘(5人乗4,7人乗2,9人乗1)であり,中規模廻船を中心としたもので ある。特に18期には中規模廻船が3艘もあり,長門での廻船の大型化がみられ るQ  周防は23件あり,安芸・伊予・讃岐に次いで多い。全期間にわたって存在す るが,特に15期4件,16期2件,17期3件,18期2件と15期以降多くなってい る。船籍は,小松浦・上関・伊保各2艘,岩国・三一・今津・室積・浅江・大 畑・高泊・福川・沖神室嶋・平尾・三田尻・揚ケ之庄・阿知須・秋穂・徳山各 1件で,広範な地域に存在する,船稼は,領主の手船上1件を含め自国稼18件, 他国稼4件であり,15期以降特に他国稼が3件と注目される。自国稼廻船は,       第8表 船稼形態3(山陽地域) 時期 長   門 周   防 安   芸 備   後 1・出 囲   中     告  前 1 a b C d e a b c d e a b C d e a b C d e a b C d e a b c d e

1  2 1 1 1 1 1    1

@1

1     1   1 P   2        2 1 1 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 l1 14 15 16 12 2 17 11

18 1 4

1 !i 1 2 1  1   1 1

1113122

1 1 1 1   l 2 

11

111

113664212

1 1   1   1 1

213774凸5

1 1 1 2 1 1 1 1

11

   ユ   1 1    4    1    2 1      11 1 1

 1   1 111 1

 2       1        1

合計 4 10  12 117 !4512812921511

4 12 1 3i 4 627 (註)第6表に同じ。

(8)

 84 彦根論叢第241号 蔵米・紙を中心に海産物・薪等を大坂へ運んでいる。他国稼廻船は,加賀(1 件)から蔵米を大坂へ,薩摩(!件)から紙・椎茸等を,また肥前(2件)から石 炭を阿波等へ輸送するのに従事していた。船頭は,直訴船頭15人,沖船頭5人 であり,試乗船頭が多い。廻船規模は,小規模4艘,中規模15艘(4人乗6,5 人乗4,6人乗2,7人乗2,8人乗1),大規模!艘(10人乗)であり,中規模廻 船が中心であった。大規模廻船は,9期の伊保船籍で,大坂への木材輸送にあ たっている。  安芸は59件あり,最多の件数である。時期は,2期2件,3・6期各1件, 10期以降は毎期存在するが,特に12期以降は,12期5件,13期7件,14期9件 15期11件,16期9件,17期5件,18期7件と急増する。船籍は,大崎島16艘, 御手洗5艘,広島・小松原浦・蒲刈島・倉橋島各3艘,廿日市・木谷・竹原・ 能見島各2艘,富戸・飛渡瀬・地面御前・船越・三ツ浦・生口島・宮島・忠海・ 御方・似島・大竹・野地・水戸・阿我・江田島・瀬戸島各1艘であり,いろい ろな地域がみられるが,なかでも大崎島が圧倒的多数を占める。他には御手洗 も多い。船室は,領主の手船出1件を含め自国稼29件,他国稼30件で,自国稼 だけでなく,他国稼も多く見られる。自国稼廻船は,蔵米・紙・鉄・薪・炭を 中心に塩・木材・綿・竹・海産物・酒粕等を大坂等へ運んでいた。他国稼廻船 は,伊予(8件)・豊後(6件)・日向(5件)から薪・炭・木材等を大坂へ,土 佐(6件)から薪を上方へ,筑前・肥前(各1件)から米を大坂へ,播磨(1件) から干鰯を,長門(1件)から竹を,肥前(1件)から石炭をそれぞれ輸送する のに従事していた。要するに安芸の廻船の他国稼は,伊予・豊後・日向・土佐 の木材・薪・炭の大坂への輸送を中心とするものであった。船頭は,語誌船頭 38人,沖船頭20人で,沖船頭もかなり見られる。廻船規模は,小規模22艘,中規 模34艘(4人乗13,5入乗7,6人乗6,7人乗4,8人乗1),大規模2艘(12人乗 1,ユ4人乗1)で,中・小規模の廻船によるものであった。大規模廻船は,2期 目竹原からの塩輸送と3期の領主の手船に見られ,時期が古いため積石数に比 べ乗組人数が多かったようである。  備後は8件あり,時;期は14・16期各1件も見られるが,1期2件,2・3・

(9)

5・6期各1件で残りはすべて6期以前に集中している。船籍は,福山4艘, 尾道2艘,靹津・浦崎各1艘で,福山・尾道等の古くから廻船の発達した地域 が中心であった。船稼は,領主の手船稼を含め自国稼6件,他国稼1件で,ほ とんどが自国稼である。自国稼廻船は,自国から蔵米・畳表・苧・紙等を大坂 へ,また大坂から小間物・呉服等を福山へ輸送している。他国稼廻船は,16期 に肥前伊万里から瀬戸物を輸送するのに従事した。船頭は,同乗船頭4人,沖 船頭1人であり,廻船規模は,小規模1艘,中規模4艘(4人乗3,5人乗1) で,中・小規模の廻船によるものであった。  備中は16件あり,時期は,2・3・4期各2件と11期1件,14期2件,15;期 4件,16期1件,17期2件に分かれる。船籍は,蘭島4艘,笠岡・玉島各3艘, 勇崎2艘,倉敷・宮ノ浦・早島・東大島各1艘であり,乙島・笠岡・玉島が多 いが,笠岡は2・3期のみに限られる。船稼は,自国稼12件,他国稼3件で, ほとんどが自国稼である。他国稼3件は,いずれも14期以降に見られるように なり,備中での廻船の発達ぶりがうかがえる。自国稼廻船は,城米・蔵米を中 心に畳表・菜種・綿実・麦・大豆・小豆・戸主粉・鉄・銅・海産物・炭・塩等 さまざまな商品を大坂等へ運んでいる。他国稼廻船は,下関(1件)から鯛・ 鯖を大坂へ,備前(1件)から塩を,岩国(1件)から荒苧・茶・ちり紙をそれ ぞれ輸送するのに従事した。船頭は,直乗船頭11人,沖船頭4人で,直乗船頭 がやや多い。廻船規模は,小規模9艘,中規模3艘(4人乗2,5人乗1)で, 小規模な廻船であった。  備前は15件あり,時期は7∼11期を除き,ほぼ全期問に存在する。船籍は, 赤崎3艘,下津井・宇野各2艘,田ノロ・北方・牛窓・胸上・片上・金岡・福 田新田・寒河各1艘であり,児島半島地域を中心とする。船稼は,自国稼7件, 他国稼6件で,他国稼もかなり見られる。自国稼廻船は,薪・畳表・塩・海産 物・木材・米墨を大坂・岡山・高松等へ運んでいる。他国稼廻船は,讃岐直島 (2件)から埴土・薪を,小豆島(2件)から薪を,伊予松山(1件)から舟板 を,長門(!件)から雑木を輸送するのに従事した。船頭は,直乗船頭7人, 沖船頭4人であり,廻船規模は,小規模9艘,中規模1艘(4人乗)で,小規模

(10)

 86 彦根論叢 第241号 なものであった。

 4.九州地域

 筑前は7件あり,時期は,2;期1件,4期4件,17期2件である。船籍は, 博多2艘,福岡・芦屋・浜崎・若松・勝浦各1艘で,博多を中心とした地域で ある。船稼は,領主の手船稼1件を含む自国稼6件,他国稼1件で,ほとんど が自国稼であり,しかも7件とも米輸送にあたっている。自国稼廻船は,すべ て蔵米・商人米を大坂へ運ぶのに従事し,他国稼廻船も肥前の蔵米を大坂へ輸 送するのに従事していた。直乗船頭4人,沖船頭2人であり,廻船規模は,小 規模2艘,中規模2艘(4人乗1,8人乗1)で,中・小規模廻船であった。  肥前は5件あり,時;期は,2;期2件,5・15・18期各1件である。船籍は, 大堂津2艘,唐津・佐々小浦各1艘であり,内周は5件とも自国稼であった。 自国から蔵米・菜種・小麦等を大坂等へ,石炭を備前へ,また大坂から小間物 を肥前へ輸送するのに従事していた。船頭は,直乗船頭2人(2期),沖船頭2 人であり,沖船頭は15期と18期の幕末に至って見られるようになった。廻船規       第9表四阿形態4(九州地域) 隅 農 C 1 1 大 賄 摩 酔 C 1       1    2 4 薩 碗   11      1 21 向 御 1 1 C 1    1  2      1 5 日 紬 1 1  1      1 1  1 22ユ 11 後 ⑪ 1       1 2 C 1       1 2 7 1 2 2 1 2 19 豊 紬 2  1    2  1  一  ユ 8 前 武 C 1      1 2 豊 鋤 1 1 馬 弗 C 1 1 対 紬 1         1 2 後 ⑭ C 1 1 肥 始 1  1    2    1 5 前 酔 C 2       1      一       ユ 5 肥 碗 2 2      1 1     2 3 2 2 15 後目 典ドa 1  1 2 前 農C 1    2      2 15 筑 恥

1    1

11 1期時

123456789101112131415161718

計合 (註) 第6表に同じ。

(11)

模は,中規模2艘(4人乗1,6人乗1),大規模1艘(15人乗)で,中・大規模 な廻船であった。大規模廻船は,15期に蔵米輸送を行なったものである。  肥後は1件のみであり,時期は2期である。船籍は川尻で,自国から蔵米を 大坂へ輸送するのに従事している。船頭は沖船頭で,17人乗の大規模な廻船で あった。  対馬も1件のみであり,時期は18期である。船籍は府中で,自国から布糊・ 飛魚を大坂へ輸送している。船頭は沖船頭で,3人乗30石積の小規模廻船であ った。  豊前は2件あり,時期は8・15期各1件である。船籍は,中津・下小路各1 艘で,2艘とも自国から蔵米を大坂:へ輸送している。船頭は,男乗船頭1人, 沖船頭1人であり,6人乗と8人乗の中規模廻船であった。  豊後は21件あり,時期は,2・3期各1件も存在するが,10期1件,11期2 件,12期7件,13期1件,14・15・16・17期各2件と10期以降に集中する。 船籍は,高田4艘,臼杵3艘,府中・三佐各2艘,大浜・荒網代・柏江・木 築・日出上町・別府・浜脇・安岐・船井各1艘で,高田・臼杵がやや多い。船 稼は,自国稼19件,他国稼2件であり,ほとんどが自国稼であった。自国稼廻 船は,蔵米・莚を中心に大豆・海産物・干鰯・多葉粉・薪・炭・竹等を大坂等 へ運んでいた。他国稼廻船は,肥前・肥後から蔵米を大坂へ輸送するのに従事 していた。船頭は,直乗船頭10人,沖鉛頭9人で,沖船頭もかなり見られる。 廻船規模は,小規模3艘,中規模17艘(4人乗4,5人乗7,6人乗3,7人乗2, 8人乗1)で中規模の廻船であった。  日向は6件あり,時期は,5・11・13期各1件,14期2件,18期1件と散在 する。船籍は,穆佐町・延岡北町・田島町・宮之浦・油津・福島合町各1艘で あり,船稼は,自国稼5件,他国稼1件で,ほとんどが自国稼であった。自国 からは,炭・木材・薪・紙・苧・茶・干鰯・海産物・菜種・木蝋等を大坂等へ 運んでいる。他国稼廻船は,薩摩から蔵米・大豆・干物を大坂へ輸送するのに 従事していた。船頭は,警乗船頭2人,沖船頭3人であり,廻船規模は,小規 模1艘,中規模3艘(4人乗L 6人乗1,8人乗!),大規模1艘で,中規模の

(12)

 88 彦根論叢第241号 廻船であった。  薩摩は5件あり,11・12・15期各1件,17期2件で,11期以降に集中する。 船籍は,鹿児島2艘,魚崎・山川・知覧各1艘であり,船稼は,領主の手船稼 1件を含め5件とも自国稼である。すなわち,自国から蔵米・砂糖・菜種を大 坂へ輸送するのに従事していた。船頭は,沖船頭4人組,ほとんどが沖船頭で あり,廻船規模は,中規模3艘(4人乗1,8人乗2),大規模2艘(12人乗1,20 人乗1)で,大規模な廻船であった。  大隅は1件のみであり,時期は5期である。船籍は種子島で,自国から蔵 米・薪を大坂へ輸送するのに従事していた。廻船は,直乗船頭による6人乗の 中規模廻船であった0  5. 四国地域  伊予は47件あり,安芸に次いで多い。時期は,1期2件,5・6期各1件もあ るが,10期2件,11期3件,12・13期各5件,14期6件,15期3件,16期9件, 17期4件,18期6件と10期以降特に著しく増加する。船籍は,興宇島7艘,宇 和島5艘,川之石・忽那島各3艘,今治・大三島・長浜・伊方・串村各2艘, 新居浜・壬生川・岩木・大津・北条・黒島・竹浜・高浜・黒崎・佐方・松山・辻 町・入川・五々島・楠・御崎・吉田本町・岩松・三津が浜各1艘であり,興居 島・宇和島を中心とした各地に存在する。船稼は,自国稼33件,他国稼10件で, 他国稼も見られるが,自国稼が中心となっている。また他国稼は,12期以降見 られるようになる。自国稼廻船は,蔵米・薪・木材を中心に大豆・小豆・縄・ 紙・干鰯・多葉粉・海産物・竹・炭等を大坂・兵庫等へ,また大坂から酒・糠 を国元へ運んでいた。他国稼廻船は,肥前(3件)から石炭を播磨・上方へ, 土佐(3件)・豊後(2件)から薪・炭・木材を大坂へ,肥後(1件)から蔵米を 大坂へ,堺から油を,それぞれ輸送するのに従事していた。船頭は,薫煙船頭 23人,沖船頭21人であり,沖船頭もかなり一見られる。廻船規模は,小規模17 艘,中規模26艘(4人一tC 9 ,5人乗12,6人乗3,7人乗1,9人乗1),大規模1艘 (17人乗)で,中・小規模の廻船であった。大規模廻船は,13期に肥後の蔵米を 佐方の廻船が大坂まで輸送したものである。

(13)

 土佐は1件のみであり,時期は13期である。船籍は下芳浦で,自国から薪を 輸送している。船頭は沖船頭であり,8人乗の中規模廻船であった。  讃岐は29件あり,安芸・伊予に次いで多い。時;期は,ほぼ全;期間にわたる。 船籍は,直島7艘・塩飽5艘,高松・乃生各3艘,小豆島2艘,小田・丸亀・ 大薮・北坂出・引田・屋島・庵治浦各1艘であり,直島・塩飽・高松が中心で ある。塩飽は,1・2・4・11・15期各1件で,塩飽廻船の盛衰に照応するよ うに比較的古い時;期に見られる。船稼は,自国稼16件,他国稼11件で,他国稼 もかなり存在する。しかも讃岐の場合は,他国稼が6期以前に多く,自国稼は 14期以降に多くなり,廻船発展の一般的傾向と逆の動きが見られる。これは, 塩飽・直島等のように他国稼の運賃積船として元禄一頃まで活躍していた廻船 が,享保;期以降衰退し,直島の廻船において見たように他国稼には不向きな小 規模廻船として存続していったことによるものと思われる。自国稼廻船は,自 国から蔵米・塩を中心に薪・海産物・青物・醤油・切石等を大坂・兵庫・高松 等へ運んでいる。他国樽廻船は,肥前(3件)から薪・竹・大豆・小豆・海産          第10表 船稼形態5(四国・東海地域) 伊   予 土   佐 讃   岐 阿   波 尾   張 駿   河 合     計 時期

a b C d e a b C d e a b C d e a b c d e a b C d e a b C d e a  b  C  d  e

1 2 1 6  1 2 3  6 2 1 工      1 2 13   12  2 13 3 1 9  ユ 3 2  9 4 1 2 6  1  6    6 5 1 1 5    6    5 6 1 1   1   2 3    6  1 3 7 1 1    1  1  1 8 1 2    2    2 9 1 1  2 10 2 1 1  5  2 11 1   3 1   1 2  1 10    2 12 1   3 1 1 1 1       1 10    17  1 10 13 3 2 1   1 1 6   14    6 14 2   6 2 1   6 1 9   27    9 15 4   三 2 3 3   1 工 14   24  1 14 16 4   6 1 2 2 1 17    13  1 17 17 1   2 2 1 3 1 14   ユ9   14 18 1   6 1 9   18    9 合計 16  33 5 910   1 5  17 11 1 2 4 1126 5186 16126 (註)第6表に同じ。   5期の廻船1艘は船籍が不明なため省いた。

(14)

 90   彦根論叢  第241号 物・干鰯を,備前(2件)から海産物を,伊予(1件)から薪を,石見(ユ件)か ら城米を江戸へ,出羽(1件)から木材を大坂へ,安芸(1件)から生鯛を,周 防(1件)から干鰯を,それぞれ輸送するのに従事した。他国稼を行なってい たのは,塩飽5艘,直島3艘,小豆島2艘,丸亀1艘であり,塩飽・小豆島の 廻船はすべて他国稼を行なっていた。特に石見の城米や出羽の木材という長距 離輸送には,塩飽廻船があたった。船頭は,直乗船頭24人,沖船頭2人で,ほ とんどが直乗船頭である。廻船規模は,小規模18艘,中規模5艘(4人乗!,5 人乗1,6人乗2)で,小規模なものであった。しかし,古い時期の塩飽廻船等 の規模が不明なため計算に入れられず,全体として小規模な廻船であったよう に見えるが,塩飽廻船等の規模は中・大規模であったと推定されるから,6期 以前の中・大規模の廻船から12期以降の中・小規模の廻船へと変化したと見る のが現実に近いであろう。  阿波は3件あり,時期は2・10期各2件である。船i籍は,日和佐・明之神・ 中善業各1艘であり,船稼は他国稼2件である。他国稼廻船は,日向(1件)か ら炭・海産物・木材・酒を,伊予(1件)から薪を輸送するのに従事した。船 頭は,当意船頭1人,沖船頭1人であり,廻船規模は,小規模1艘と伊予から 薪を輸送した10人乗の大規模廻船1艘とであった。

 6,東海地域

 尾張は4件あり,時期は,8・14・15・16期各1件で,14期以降にやや集中 する。船籍は,常滑2艘,小野・多屋各1艘である。船稼は,4件とも他国稼で あり,豊前(1件)から蔵米を大坂へ,安芸(2件)・伊予(1件)から塩を,そ れぞれ輸送するのに従事しており,塩廻船としての活躍が目立つ。船頭は,直 乗船頭3人,沖船頭1人であり,廻船規模は,中規模3艘(8人乗1,9人乗2) の中・大規模な廻船であった。  駿河は1件のみであり,時期は17期である。船籍は蒲原で,備中笠岡より城 米を江戸へ輸送するのに従事していた。船頭は直乗船頭であり,廻船規模は不 明だが,米2,126俵余積んでおり,大規模な廻船であった。  7.小   括

(15)

 以上海難史料に見られた各地の廻船について,各地域ごとにその時期・船 籍・船稼の形態・船頭・廻船規模等の特色を見てきたのであるが,ここでは 逆にそれぞれの特色をもつ地域はどこがあげられるのか,まとめて整理してお こう。  まず時期では,比較的廻船数の多い地域ほど当然全期間にわたって存在する ことになる。したがって,安芸・伊予・讃岐・周防・大坂・備中・備前・摂津・ 播磨等が,ほぼ全期間にわたる。しかし詳細に検討すると,5期以前にもかな り廻船が見られる地域としては,大坂・摂津・播磨・備前・備中・備後・周 防・筑前・讃岐・紀伊という瀬戸内の東部地域を中心とした比較的古くから廻 船の発達した地域があげられる。一方,!2期以降にかなりの比重をもつ地域と しては,安芸・長門・伊予・豊:後・薩摩・尾張という瀬戸内の西部地域を中心 とした地域があげられる。  船籍は,ほとんどの場合がそれぞれの国の各地域に1∼2艘程度と分散して いるが,国によってある特定の地域に少し集中する場合も見られた。例えば, 摂津(10件)では神戸(3件),出雲(5件)では雲津(3件),安芸(59件)では 大崎島(16件)・御手洗(4件),備後(8件)では福山(4件),備中(16件)で は乙島(4件),豊後(21件)では高田(4件),伊予(47件)では幽居島(7件)・ 宇和島(5件),讃岐(28件)では直島(6件)・塩飽(5件)があげられるが,そ の国の廻船数の多少によって左右される。  船舶は,全体で領主の手船稼5件を含め自国稼192件,他国稼127件,不明15 件であり,自国稼の方がやや多い。時期的には,8期までは自国稼41件,他国 稼46件とほぼ同数か,やや他国稼の方が多く見られる。これに対し,9期以降 は自国稼151件,他国稼81件で,16期を除いてすべて自国稼の方が上回ってい る。これは,古くから廻船が発達し他国稼の多い大坂・摂津:・播磨・紀伊・讃 岐等が,8期以前においてかなりの比重を占めたことによるものであろう。 自国稼の比較的多い地域は,出雲・石見・長門・周防・備後・備中・筑前・豊 後・薩摩・伊予等があげられる。一方,他国稼の比較的多い地域は,大坂・摂 津・播磨・紀伊・安芸・備前・讃岐である。領主の手船稼は,いずれも11期以

(16)

 92  彦根論叢 第241号 前であり,周防・安芸・備後・筑前・薩摩(各ユ件)において見られ,ほとんど が蔵米輸送に従事した。それでは,逆にどのような地域が他国船に依存して商 品輸送を行なっていたのかといえば,松前・陸奥・出羽・加賀等の北国地域と 筑後・肥前・肥後・日向の九州地域,および土佐がこれにあたる。  次に,廻船の発展を前掲した第6表∼第10表によって,他国船依存から自国 船育成へ,自国船充実から他国船稼進出へとしてとらえてみると,その発展の 動きの一端が,越後・越中・加賀・越前・石見・周防・安芸・備中・対馬・日 向・薩摩・伊予の各地において見られる。また幕末に至ってもなお強く他国船 に依存している廻船の発達の遅れた地域としては,松前・肥前・肥後・土佐が あげられる。要するに,船稼の形態から次の4つの廻船発展段階に地域を区分 できる。第1に,廻船が古くから発達していた地域として大坂・摂津・播磨・ 紀伊・備前・讃岐・阿波等の瀬戸内東部地域。第2に,12期(文化期)以降特に 著しく廻船の発展がみられた地域として周防・安芸・豊後・伊予等の瀬戸内西 部地域。第3に,幕末に至ってある程度の廻船の発展がみられた地域として加 賀・越後・佐渡・越中・越前・出雲・石見・長門・備中・対馬・豊前・日向・ 薩摩等の北陸・山陰・九州地域。第4に,幕末に至っても廻船発展の比較的遅 れた地域として松前・肥前・肥後・土佐等の比較的遠隔な地域があげられる。 ただしこの場合,遠隔地から讃岐までくるの1こは比較的大規模な廻船が必要で あるため,遠隔地においても小規模廻船の発展は見られたものの,中・大規模 廻船の発展までは至らず,したがって中・大規模廻船は依然として他国船に依 存していたのでこのような結果が見られたのかも知れない。  船頭は,第11表によれば全体で直乗船頭171人,沖船頭123人,不明40人であ り,三乗船頭の方が多い。時期的にも全期間を通じてほとんどの時期で,ほぼ 同数か直乗船頭の方がやや多い程度である。ただし5期以前は,史料の記述が 簡素で形式が明確に整っていないため不明の割合が高い。沖船頭が比較的多い 地域は,大坂・摂津・紀伊・豊後・日向・薩摩・伊予・讃岐である。一方,二 乗船頭が比較的多い地域は,播磨・長門・周防・安芸・備後・備中・備前・筑 前であった。

(17)

第11表 船頭の形態 時 期  年

代蘇瀬同船馴不明

合  計

123456789101112131415161718

貞享4∼元禄13 元tt14一一宝永7 正徳元∼享保5 享保6∼享保15 享保16∼元文5 寛保元∼寛延3 宝暦元∼宝暦10 宝暦11∼明和7 明和8 一一ee永9 天明元∼寛政2 寛政3∼寛政12 享和元∼文化7 文イヒ8∼文政3 文政4∼天保元 天保2 ・一天保11 天保12∼嘉永3 嘉永4∼万延元 文久元∼明治3

4414▲ρ067

 1

32465948482

    1 

9臼2111

296412211362019635

      !11 

1!1

87ρ00D﹁D11

11111212

275320343838069137

121111    12233332

合 i 二=ロ 171 123 40 334 比 率(%) or L 2 36.8 12.0 100. 0  (註)各「浦手形」(瀬戸内海歴史民俗資料館所蔵三宅家文書)より作成。  船頭の形態においても,廻船の発展過程を直乗船頭から沖船頭へとしてとら えることが可能である。すなわち,それは,1艘のみの廻船所有者による自己 船頭である直直船頭から多数廻船所有者による雇用船頭である沖船頭の出現と して理解することができる。このように考えると船頭の形態によって,地域を 次のように分けることができよう。第1に,廻船が古くから発達し,沖船頭 が古くから存在した地域として大坂・摂津・紀伊・安芸・備中。第2に,12期 (文化期)以降に廻船の発展が見られ,直乗船頭だけでなく沖船頭もかなり出 現するようになった地域として播磨・北国(加賀・越後・佐渡・起中・越前)・出 雲・長門・周防・備前・肥前・豊後・伊予。第3に,近世前期には沖船頭が多 少見られるものの,幕末に至って廻船の発展が乏しく,跡乗船頭が中心で沖船

(18)

 94 彦根論叢第24!号 頭の新たな出現がほとんど見られない地域として備後・讃岐があげられる。た だし第3の場合は,廻船の発展が見られなかったというより,むしろ廻船の発 展が近世前期にあり,それ以後には以前のような活躍が見られなくなった地域 と考えた方がよいであろう。  廻船規模は,第12表によれば全体で小規模101艘,中規模146艘,大規模29 艘,不明58艘であり,20人乗の大規模廻船も見られるが,2∼5人乗の中・小 規模廻船を中心とする廻船が過半数を占めている。時期的な変化は,全体とし ては明確でない。次に,廻船規模を少し幅をもたせて,1∼3人乗の小規模廻

船,2∼5人乗の中・小規模廻船,4∼9人乗の中規模廻船,6∼12人乗の

中・大規模廻船,10人乗以上の大規模廻船に分け,それぞれの廻船がどのよう な地域に存在していたのかを見ることにしよう。第1に,小規模廻船を中心と する地域は,播磨1・讃岐・備前。第2に,中・小規模廻船を中心とする地域は, 石見・長門・安芸・備中・筑前・伊予。第3に,中規模廻船を中心とする地域 は,紀伊・北国(加賀・越後・佐渡・越中・越前)・周防・備後・豊後・日向。第 4に,中・大規模廻船を中心とする地域は,出雲・薩摩・尾張。第5に,大規 模廻船を中心とする地域は,大坂があげられる。  そして廻船規模においても,廻船の発展を小規模廻船から中規模廻船へ,さ らに大規模廻船へという廻船の大規模化としてとらえることができるのであ る。しかし,それを単純に大規模廻船の多い地域の方が,小規模廻船の多い地 域より廻船の発展度が高いと言い切ることはできない。というのは,前述した ように海難史料が讃岐直島のものであることと,廻船規模と航行距離とが密接 な関係にあることが影響して,讃岐周辺地域の廻船は,讃岐との距離が短くな るため比鞍的小規模なものとなり,讃岐から遠ざかるにつれてしだいに廻船規 模が大きくなる傾向が見られるからである。ところが,そのような影響も一地 域を一つの単位で考えれば考慮に入れなくてもすみ,廻船の大規模化現象がみ てとれる。例えば,出雲では11期まで中規模廻船であったのが,14期には大規 模廻船が見られるようになり,安芸では16期以降小規模廻船よりむしろ中規模 廻船の比重が高まった。伊予でも15期以降6人乗や7人乗の中規模廻船も見ら

(19)

。遷と9邦︵蜘採懸岬田髄溢麗簗瓢罐曜侭圏鍵擢低懸︶ ﹁譲肝鯉﹂ゆ︵認︶ O.OOH 寸Qっσっ cq卜ncrりaりocrり寸。りaり。うQり。り①一〇りト

HNT’id一一   HoミNoりaりQり。りQq

寸.ト目 QQ 回 rl 一 一 ou rl

oO寸①①Qり寸州㎝

 一 詫 如 窓下 卜.QQ ①N 一一 cu 一 rl ou rl r−1 N rl cつHr■ or N 叢/マ Qっ@寸 N 。っ の 寸 αっ

H

一 rl r咽H 州

H

H

H H H

H

H

州 円 囲

H

H

一一 rl N cu N cu 一 ∼㊤HのH寸Hoっ州NHH州O桝 卜.oっ寸 O︾H  寸 oつ円ゆ州QつNO寸Hゆ

Hoり的N⑩Oqr咽Oqscrりト寸H①oooト

       一司一4一1c窺Nr州目 縮/マ    一1  [イr祠  r→    c「)r一{ひqQq囚  Hσq  cつ  cqNQつ rく c団 

寸Nr{一寸

NN㊤Qり㊤㊤のHLΩ

 寸寸寸LΩ①①卜寸

H

H H HT一一   一

 HHC滴

H

H 州  H H cq

H

① QQ 卜 ㊤ ゆ 野 灘  黙  岳 N.Ooっ 囲O肖  eqり⑩Qっαっ

HのNC刈QQ寸卜oOり①

   一祠  r判r一引r幽くr→ cつ 州 ⊂N N ▼一{ oつ

 N−o㊤卜①oトゆ

   州

HHHC渦Nのαり寸。冒

。り 。測H(刈戸→ 一 M tr一{

H

N

詫・マ 。っNH 遜 黙 /マ ︵駅︶辮 雲 影 甲っ?r∼熈︽螺 眼職工∼寸藁懐 σっ苧i∼c9目蟻K 自己眠∼c潮迷眠 恨迷区∼“掻罧 αっR高∼oつど鰍 トξ転∼四二憐 ㎝H掻駅∼⑳蔭姻 囚蔭調∼只窓K ①艇裾∼。D屡器 ト興窓∼嵩塑舶 O円塵側∼峠塵舶 αっD子∼隠転蟹 の爆暇∼雪転僻 雪迷子∼り嘩轡 ゆ迷子∼偲三田 ト艇舶∼三嘩熈 。っ g曄暇∼ず慨凪

驚く屡課

Hcu。りtf n o卜。り①9iヨ曽三鷺lf2 s)i fll

罧盤

属理 出島黙鍋島  螺。qH綜

(20)

 96 彦根論叢第241号 れるようになり,廻船の発展がうかがえるのである。  最後に,それではこれまで述べてきた廻船の発展を表わす指標としての第1 の船数の増加,第2の他国船依存から自国船の育成・自国船下から他国船稼へ という船稼形態の変化,第3の直乗船頭から沖船頭へという多数廻船所有者の 出現,第4の小規模廻船から中規模廻船・大規模廻船へという廻船の大規模化 のうち,船町と沖船頭化と大規模化の関係について見てみよう。これら三者の 関係で最も多いのは,第13表によれば,自国稼を行なう直心船頭による小規模 廻船53月中あり,次に自国稼を行なう直乗船頭による中規模廻船42艘,自国稼 を行なう沖船頭による中規模廻船42艘,他国稼を行なう二乗船頭による中規模 廻船30艘,他国稼を行なう沖船頭による中規模廻船23艘と続く。さらに,これ らの相互関係について以下詳しく検討してみることにしよう。  まず,自国稼船と船頭・規模との関係についてみると,船頭では十号船頭109 人,沖船頭69人,規模では小規模74艘,中規模87艘,大規模12艘であり,自国 第13表 船稼・船頭・廻船規模の関係 時 期 型 自国稼・直乗船頭・小規模廻船 自国稼・沖船頭・小規模廻船 自国稼・直乗船頭・中規模廻船 自国稼・沖船頭・中規模廻船 自国稼・直乗船頭・大規模廻船 』自国稼・沖船頭・大規模廻船 他国稼・自乗船頭・小規模廻船 他国稼・沖船頭・小規模廻船 他国稼・直乗船頭・中規模廻船 他国稼・沖船頭・中規模廻船 他国稼・二乗船頭・大規模廻船 他国稼・沖船頭・大規模廻船    不    明 1一一5 貞享4・一一 元文5 一b

43132

6 一10 寛保元∼ 寛政2 2

251

  5

−qU52

2

14

 1

!1−v14 hs−ls 1 寛政3∼ 天保元

2578

2 

11

35387!26

    合 計 天保2∼1 明治3 [

608ρ0

∩∠111

37ρ006

   21

3622396903317

5144  1 32 17

比 率 (%)

QJ6

15.9 4.8 12. 6 !2.6 0.9 2,7 4.8

27

9.0 6.9 0.9 3,3 23,1 合 計 78 28 97 i 131 [ 334 1 100.0 (註) 各「浦手形」 (瀬戸内海歴史民俗資料館所蔵三宅家文書)より作成。   領主の手船は,自国稼に含めた。

(21)

洋船は直乗船頭が多く,中・小規模廻船が中心であったことがわかる。他国稼 船と船頭・規模との関係についてみると,船頭では直乗船頭59人,沖船頭52 人,規模では小規模25艘,中規模56艘,大規模17艘であり,他国稼船は直乗船 頭の方がやや多いものの沖船頭も多く見られ,規模でも中規模廻船が中心とな り,大規模廻船も比較的多く存在したことがわかる。  直営船頭と船稼・規模との関係についてみると,船稼では,自国稼109件, 他国稼59件,規模では小規模71艘,中規模73艘,大規模7艘であり,直乗船頭 は自国稼が多く,中・小規模廻船であったことがわかる。沖船頭と船稼・規模 との関係についてみると,船稼では自国稼69件,他国稼52件,規模では小規模 26艘,中規模66艘,大規模20艘であり,沖船頭は自国稼が多いが他国稼もかな り見られ,規模も中規模廻船が中心であるが大規模廻船も比較的多く存在する ことがわかる。  小規模廻船と船稼・船頭の関係をみると,船井では自国稼74件,他国稼25件, 船頭では直乗船頭71人,沖船頭26人であり,小規模廻船は自国稼が多く,直乗 船頭を中心としたものであったことがわかる。中規模廻船と船津・船頭の関係 をみると,船稼では自国稼87件,他国稼56件,船頭では直乗船頭73人,沖船頭 66人であり,中規模廻船は自国稼と直壁船頭がやや多いが,明確セこは表われな いことがわかる。大規模廻船と船稼・船頭の関係をみると,船稼では自国稼12 件,他国稼17件,船頭では地乗船頭7人,沖船頭20人であり,大規模廻船は他 国稼が多く,沖船頭を中心としたものであることがわかった。  要するに,自国稼・直乗船頭・小規模廻船の強い結びつきを一つの典型とす るものから,他国稼・沖船頭・大規模廻船の強い結びつきをもう一つの典型と するものに至る廻船の発展度に応じた組み合わせが見られたのであった。 む  す  び  以上,讃岐直島の多量に存在する海難史料を用いて,近世瀬戸内の商品流通 の実態とその輸送手段であった廻船の形態について,次のような点を明らかに することができた。

(22)

 98 彦根論叢 第241号  血温瀬戸を流通した商品は,50種類近くにも及んだが,その中でも米が103 件で群を抜いて多く,木材58件,薪54件,海産物39件,炭36件,干鰯18件,紙 17件,大豆・小豆14件,塩13件,鉄11件,綿10件,苧・縄10件,石炭9件と商品 が続くが,商人米・木材・薪・紙・塩・一葉粉・蝋・莚・炭・石炭等特産物を 中心に文化期以降特に集中増加する。商品の積地は,特産物の生産地域で,九 州・瀬戸内および西廻り航路圏が中心となる。大坂・上方への登せ荷は,米穀 および各地の特産品を中心とし加工度の低い商品が中心で,量的にもこれらが 商品流通量の圧倒的部分を占め,大坂・上方からの下し荷は,酒・油・呉服・ 小間物・雑貨等の加工度の高い商品を中心とし,量的にはきわめて少量であ った。ほかに干鰯・石炭・塩鯨の商品は,大坂へ送られるよりは産地から直接 消費地へ輸送される場合が多かった。米・砂糖・酒・塩・木材・薪・石炭・海 産物等の重量で嵩高な商品は,単独で1艘の廻船を満載することが可能であっ たが,麦・大豆・小豆・菜種・茶・椎茸・山菜・綿・紙・多事粉・蝋・畳表・ 苧・縄・炭・小間物・雑貨等の軽量で少量しか集荷できない商品は,主として 他商品との合荷・添荷として輸送された。麦・大豆・小豆・菜種・砂糖・油・      醤油・綿・紙・多葉粉・蝋・畳表・莚・苧・縄・竹・鉄・小間物・雑貨等の商 品輸送には,主としてその商品を産する地域の廻船である自国船が用いられ, 椎茸・塩・海産物・干鰯・木材・炭・薪・石炭等の商品輸送には他国船が比較 的多く用いられた。これらの商品を輸送した廻船の規模は,主として城米が大 規模廻船,蔵米・砂糖・木材・炭が大・中規模廻船,紙・蝋・莚・薪・石炭・鉄 が中規模廻船,麦・大豆・海産物・干鰯・綿・畳表・苧・縄・竹・小間物・雑貨 が中・小規模廻船,醤油・塩(一部)・多葉粉が小規模廻船であった。  これらの商品輸送の手段であった廻船の分布で,334艘のうち最も多いのは 安芸の59艘であり,伊予47艘,讃岐26艘,周防23艘,豊後21艘,大坂20艘,備 中16艘,備前14艘,長門11艘,摂津10艘と続く。しかし,ここで廻船の発展, ひいては地域経済の発展を考える場合,次のような点が指標として用いること が可能であった。それは,第1に廻船数の増加が見られたかどうか,第2に他 国船依存から自国船の育成,さらに他国稼への進出という変化があったかどう

(23)

か,第3に日乗船頭から沖船頭へという多数廻船所有老の出現が見られたのか どうか,第4に小規模廻船から中規模廻船・大規模廻船へという廻船の大規模 化が見られたのかどうかであった。  第1の廻船数の増加については,享保・元文期以前にすでにかなりの廻船が 存在した地域として,大坂・摂津・播磨・備前・備中・備後・周防・筑前・讃 岐・紀伊という瀬戸内の東部を中心とした比較的古くから廻般の発達した地域 があげられた。これに対し,文化期以降にかなりの増加が見られるのは,安 芸・長門・伊予・豊後・薩摩・尾張という瀬戸内の西部・九州を中心とした地 域であった。  第2の船脚形態の変化については,他国稼が古くから見られた地域として大 坂・摂津・播磨・紀伊・備前・讃岐の瀬戸内東部の古くから廻船の発達した地 域があり,文化期以降自国船の充実および他国稼への進出も見られた地域とし て周防・安芸・豊後・伊予の瀬戸内西部があった。また,幕末期にようやく他 国船依存から脱却し,自国船の育成がはかられた地域として北国・出雲・石 見・長門・備中・対馬・豊:前・日向・薩摩の北陸・山陰・九州地域があり,幕 末に至ってもなお他国船に依存していた地域として松前・肥前・肥後・土佐の 比較的遠隔の地域をあげることができた。  第3の沖船頭化については,古くから沖船頭の多かった地域として大坂・摂 津・紀伊・安芸・備中の地域,文化期以降沖船頭もかなり出現した地域として 播磨・北国・出雲・長門・周防・備前・肥前・豊後・伊予の地域,幕末期にも なお直撃船頭が多く占める地域として備後・讃岐の地域が存在した。  第4の廻船大規模化については,大規模廻船を中心とする地域として大坂, 中・大規模廻船を中心とする地域として出雲・薩摩・尾張,中規模廻船を中心 とする地域として紀伊・北国・周防・備後・豊後・日向,中・小規模廻船を中 心とする地域として石見・長門・安芸・備中・筑前・伊予,小規模廻船を中心 とする地域として播磨・讃岐・備前の各地域があげられた。  そして,以上の廻船発展の指標結果に讃岐の海難史料であるという史料の地 域的制約を加味すると,廻船市場が次のような発展段階を示していると考える

(24)

 100  彦根論叢 第241号 ことができる。第1に,最も古くから廻船の発達した地域としては,大坂・摂 津・紀伊・讃岐等の瀬戸内東部を中心とした地域があげられ,そこでは主とし て他国稼・沖船頭・大規模廻船という典型的な形態が比較的早い時期にみられ たσ第2に,文化期以降に廻船が発展してくる地域としては,周防・安芸・伊 予・豊後等の瀬戸内西部を中心とした地域があげられ,そこでは廻船数の増 加・自国船の充実・沖船頭の出現・廻船の大規模化がみられたσ第3に,幕末 期に至ってある程度の廻船の発展がみられた地域としては,北国・出雲・石 見・長門・日向・薩摩等の北陸・山陰・九州を中心とした地域があげられ,そ こでは他国船依存の脱却・自国船の育成が行なわれ,沖船頭・中規模廻船もみ られるようになった。第4に,幕末に至ってもまだ廻船の発展が顕著でない地 域としては,松前・肥前・肥後・土佐の遠隔地があげられ,まだ他国船にかな り依存しているようであった。 〔付記〕  本稿で用いた瀬戸内海歴史民俗資料館所蔵三宅家文書の閲覧に際しては,同館の徳山 久夫氏に便宜をはかって頂いた。ここに記して,同館ならびに同氏に感謝する次第であ る。

(25)

付表 讃破国直島海難史料一覧表(米輸送分を除く) 年月 元禄3・  6,1  7, 7  8‘  8, 7  8,  8d11  10e  l3t 4  15・閏  15‘1  16,  16,  16・  16,1 宝永元・1  元・11  元・ll  2t 3

 4e

 4,  4,  5, 2

積 地行先

積 荷 備  周兵 前 大長 目庫  魚  樫綱go抱 坂紙  酒註脚国崎  畳表117丸  大豆、小豆、鉄 船 籍

i潤肝棚錨鵜翻薪

所属 船頭 讃岐塩飽他 伊予新居浜 周防今津 自 i辮二茶屋他 山後尾道

@i

鱗割

旛磨坂副他 廻船規模 B  向 備前塩一 対  馬 播  磨 岡 tti松葉凶抱 囲羽野一大 安芸竹劇.

・司

出羽野山大    出羽野代    旧訓岡目    讃岐直島    備中玉島    摂津大坂    肥  前    摂津大坂    伊予西条  6・7日中笠岡  6・出羽津軽  6・1備  前 正徳2・ 掻津大坂  3・3備後柄津  3・3肥前平戸 ・・

ラ大・

享保

F:1野跨

 6・ 日  向  8・5出羽野代 大 古同 巴 毛 仔鑛 干鰯臓 坂保太木14COPt  塩  淡6塞}俵、塩小Sl122460、仁夫本、酒構

融臆面私臨雛醜

糖後福由小山物、戸障子、材木他 大放畳表52丸、種子、綿実    ヨ ←入口大

江大

 保太木、杉角他坂  杉保太木坂  畳表、上敷、油樽、醤油樽、雪駄他三 幅  松葉  薪  種子優17俵、小麦茎。俵  松薪  旨旨方ww 坂塩  旦那方用事荷物芸 坂苧烈}丸、挟箱、紙、櫃、行李他  干鰯161俵  方々之荷物  干種子41俵、干大豆18俵勉 戸江戸御下向荷物 、耗木、干鰯、鰭、 坂杉材本 i   一.. 1安芸隠田 摂津自壊 安芸竹原 阿波異和佐 摂津大坂 撰津大坂 麟下津州     1     …纈前下津井 摂津兵庫 瞳大堂榊 [肥 薗   糟後目山 胸波明之神 口中笠題 】安 芸 i備後輌津     く 1備中玉詞   黙止大坂

騨赤出

E

       め

       但

 人人 

入人  3  4    3  9日  1   1      重  −

沖 沖直沖沖 直

他他自他他他自他

    働

    05

 人  人人

    0

 4﹂  5 1

沖直直頁沖

他二二自他

  5人 直 3人  l  i・人  1 直i2人  1 沖{  ミ  」13人  F 自1州・人甑)

1翻旧訓

      i

醐瀦酬

沖 沖

他自 自他

直沖 船 手

懸鯛削直

癬劇副沖

嶺岐婁釧他 沖     F 12人 3人(80石) 12入 3人 3人

(26)

102    彦根論叢i 第241一号 年月 積 地 享傑8・6  9, 2  10・正  11,12  13, 2  18,ll 元文3・5 延享3・4  3・iol    i    I 安永5凋

行先

周防今津大 伊予松山 肥前平戸1 備中玉劇大 川  馬i 積 荷 備後福山大 3・11i安芸神室島1 4・91安 讃岐SL tS l 讃岐直島1     2高    芸i大     2     i大    妓1    調     1  干鼠鉛 坂畳表105丸、綿実172俵、竹皮2丸、反古他 駄  木 目柿  生鯛1繊 晦老

1

 塩木  鍋釜、鱈燭、油、紙、古手、礒石、陶器他 坂割木

lx

坂1大山 i干tS1640s…

疲黒保酷刑 賠板

臨繍

堀小山鉄、銑、釦、小豆、綿実、煙草、繰綿他 1

麹,輪碁石,聯繊撚苧他

,.12i摂津大。1離、i京鞭  3・9讃岐直島… 宝暦2・8,摂津大坂、  8。111讃 天窮元・11[伊莞:1 寛政

堰Gi鰻…大

 ・・紬 予

7 0 4 70﹂34恐4他ハU

4990コ00

    1 

1

280

1   1 12

ウ元

 和  享 伊   予lk  坂中葉軸、薪他 摂津大坂腫予松山糖300俵 ・・

9’4

D玉島

安芸広島 日  向    雲 伊予宇和島1 伊  予 摂津大坂 肥前五島 伊予岩和 豊後佐伯 1大 讃岐小豆 大  坂御用鉄、徽    i炭3900俵、松材木、麻苧、茶、半紙他    i大  数 大  数 i大 坂 伊 予齢 er285束 鰹ゆ。閣 内㈱石目 松平壱妓守鋼用荷物 i小髄鵬臨備1臓 }松継f 干鰯ユ63俵、かぎ鰯姻俵、塩鮪43三 和 籍 周防今津   備前牛窓

融醜

所属 船頭 廻船規模     L l和泉佐野1他[

  励

  恥

 人照

 2  謹U

沖直直

自他日

脚・島i自陣

E i護岐小田

1讃 岐

i讃 1

i騒吐出i直

    1     ] i備後福山1自i     E 讃岐高松1 日目  直 直i 1 一, 1   2人

Il

I I

陣ii2人(24反)

人人人

421

  1

1伊予壬生・…陣i・入    妓i他{直12人 1安芸広島;自1沖16人(150石〉

・離品別副

融宇野隔i洲

山予大津 i伊予北条

1安芸縞

費向延岡 出雲松江   朧中玉島 l i讃岐塩飽 勝予今治

 周防蝋_

巌岐大藪        直12人      自

igt予岩木削調

膳副直ll1

1伊予長浜[自  沖{5人

離講ll劃1交

1 ・固

淡路治島 伊予宇#島 豊後大浜 自自

自自自自他自 他自自

信 直情沖直

他1直

 i l   諜   沖 2人 3人 15人 4人 4人 4人 5人 5人(280石) 4人

(27)

年月

正正9356脚1111正4正68正111259野紐3

か3,ひかかか。2,㍗レひ如ψ釦ひ5。5,6,6.か7.9,

      2

和↑   化 享    文 積 地 行 先 安芸能誠 豊後高副il 安芸小松原 安芸三ツ浦 安  芸 豊後佐伯 周防大島

伊栖上1

豊 臨

    E斧山宇智島 讃岐小豆島 大  坂 坂戸 大大 積 荷 船 籍 松薪7暫間 大豆獅 薪木 松薪四目 松銀牌観1賑 樫薪脚石R i礪臓 轡薪80砧 i鋤石 1松葉

i松川

なかし木700石目 堺田八家

1鰍細

安芸小松原

i

播磨網干 1安芸小源 1 所属.

他自自他自

船頭

直直直

廻船規模 10・le[土佐植島1 11,11 12e 9 13, 5 13・閏8 14. 4 1…障 14・9u安芸船引 14・91安 豊  後 脚卯時繭 薩  摩 安芸御手洗 日向美美津 周防大畑 豊  後 豊後府内     大 肥前榎津i 伊 予「     i

灘劉

長 門1 土  佐i 伊  予   ’後、上    illlI    云 楓御炭14{x]俵、矢木了昌木 播磨荒井干鰯 欄(一論纐獅    ミ    1くの木1an石目 颯髄他1茶、椎茸、盧魚

1桂心、干鰯・,maXtO俵、塩魚、纏輌木他 門11蹴

鷹窒撒

i:.e(x)fi’ 1押割本㈱貫 }松薪・雑木薪2鵠石目 F 醗奮吊目 ミ 方「鱗粉鵬さみき寵少々 14,、1,曜薦磨赤穂!松瓢  14. 9  14. 9 文致元・8 2・121紀伊和歌山安       安 芸i 安芸神室島 豊後佐伯     1 1綿実300夙121籏、木締1盛}反 別害抹董60石目  いさひ1CO!E、煎鰯蟹追俵 i醐、小鯛1潴}、あし8騎 ロ L薪2ge石目、竹皮44丸、棲皮5丸 芸杉丸太1蹴 1 伊予甲州帰 艦後山mai

欝大坂

瞬i摩鹿児島, 瞬御手洗 ’淡銘江井 薄綿畑[ 1          :豊後府内1 1    } 伊予部之石…  1 直13人 直13人

 駄

 1 2人 6人 2人     I i

際黒鳥陣陣

碧器1思郷駁

      ミ   と       ト

1謙譲1劇:乱,

         1

 輝輝直直直直輝輝沖

自他自自他自自﹁自他自

門3人

 i妖

、}照

門翻江1自1酬3入

i淡路酬他

:E俳山脚和島IE他1沖[9人  13人  13人

制献

  5人 沖:3人  ミ 沖14人  1

1舗繍他1直1,人

と        ミ    ニ 「勝黒島「引沖        ニ i土佐下馬i 自 i沖 3人 1長門青野1自 1直i5人          IS人 臣予伊方 i安芸船越「 1      ] 自

刺3人

融臼推ド引

        

醗繍壇

階三子自

     他 1安芸小松原 按芸観島自 1安芸倉橋1自1直 ;日向細島剛 自 }沖 3人 3人 3人 8人 沖[3人 副・人 直i4人 直 2人

(28)

ユ04  彦根論叢 第241号 模規船酔       鷺      ⑳人人人人人人人人人  人人人人人人人人人人人人入人人入人人入人  人人人人人4 7 3 4 4 2 3 2 1   7 3 6 5 4 6 1 8 3 3 4 3 6 5 2 5 4 3 2 2   4 4 3 2 2       L ⋮ 一 −       一 ヨ 一 一 頭船 直沖直直直直直直直  直直沖沖沖直沖直直直直椰子直直直直直直    直沖直直直      一 1 1 1 一 ヒ F        , 1  1 1 1 1 一  ミ 一 属所        ⋮ilーヒーー−一一野冊自自自剛胆自他甲子自他他自自他他自自他自自自自他自学早早  他他他自自 1  ⋮       1  1 −  1  ⋮      一 :       E 1  1 1 一 一      一 E ! 籍船 島町島島早生島島出石崎市島坂市原敷滑島島広島津川島島早島松島上島浦島島崎欝鱒遍羅輪講四輪舗蕪樋繁藤舳響響安豊備伊 日讃伊安寧播越安安︹摂安安日尾伊p伊安安 日 周讃安安安僻目備伊 紀安安備 荷積       III  一    ーー−一1−    −1 一  ーー   一−  ーー       一li一 一匡  己1一  鞭  脚       踊  馳         諏徽細鰐   ヂ  臨獄  鐸       麗 先行 地積        l  l I l 一 匡  1 一 ﹁     一日後島予向出予島島島差市畑島芸芸島原浜津佐芸向町島津芸芸田中  島島群団中敵軽 鋪難鞭編鵠 難穀  讐 號 謙騨日豊備伊日讃伊安安讃松安土伊安安備安中伊土安日周讃伊安安讃備   土肥目安備 月年 4己弓叫弓6証己q弔↓ザゆ征亜弓畷引回畦覗馬出唾弔劇凋砲弔昭、引心ザm蘭闇討弔344444555555688889101011111212姫13233333ひ455政      保       保文      天       天

(29)

年月

積 地行 先1 積 荷 i船 籍 天保5・8備  ・・81安芸大矧    ミ  5・1董伊予宇和島、  6潤7  6・IO土佐立花i         ミ  6・10土佐安満地1  7’ 41  、       ミ  7・8「安芸中尉                縮後尾道1  8・2i豊後別府i  8・2備前帯副    1     …  8・2i伊予風早I    l      1  8・8讃岐小豆島1

 ・・細予綱

・・1。

P僻綿・

 8・111石見郷田1大       ト  8・12・周   防「大    ミ        9,2隠士楠本1  9。9「備髄金岡i         1⑪・2i薩摩’ii内 ユ。量4P肺大村i上    ト     1  王1・1gi薩摩鹿児島i大 12・雪降泉堺i    と       ヒ  12s 3i伊予宇和島μ          12・111豊後才気i        キ  王3・21土中西泊i    ミ         ヒ  13・2…肥前平戸幡    ,    1    :播 磨.li ge  13・41土無宿茂汰    大   坂旨 13露1

ヒ 予・

1讐野宇鴫

   中i大 塩         iちり紙823丸㌃かもし髪38俵

備中蜘端物

        鵜

膿欝齢1総昌

        鞭         1大豆250俵・弓柄竹・七島表・re*ee・ff         Iかみ葉100丸         1松木伽石目         燃油王鰹         :松木1iめ石目        馴国欄斤        坂・鋲夷150束、苧抱3go丸辛        三農5振                   隆本鋤硝         1材網石目         1半紙37丸、ちり紙4{B丸、椎茸21箱         旨        方i石炭7㈱斤         i        坂「灘T         i麟        方休栗木300石目         睡本漸0甜                 堺 雛木謝石目        磨i礁        索隠1簸                  衷1山炭、樫木         1油15挺、杉丸太鈎本、杉貫10丁飽         1干鰯合8籔、饒重切ユ獺、鯵4萄萌蜷         …馬凹凹、雑木 虜属i船頭ヒ

船規模

5・ielH向延岡摂津御影纐石目余 11。91播磨中島1畿後尾道1婁610俵 14・正1長門粟測岸穣田i嵐薪

廉繍副直1、入

野忽細自圃・人

面雛周1交

  1安芸大碕島1偬 1直:13人        

融鰯網直i・人

…備中乙島泊陣臥

  1安芸大綬島 他1直 ,4人          くi豊後垂雪 自 1沖14人        ヒ          1罐煎片上 自i沖i2人

1播馳形…恕測3人(1㈱

i讃薦湘固・人

1安芸継目値i・人(1姻

脚鴫他国・入

;石見郷田i自 !直i5人

麟一軸自陣13人

灘贈離・・G石・

凋評尾1鱈網4畑㈲

躍繍讐開1交1欝

i薩摩山川1自 t沖18人 し       …野入川i畑沖13人(脳)

:欝闇伯i沖絵入

瞬糊姐御欄石・

綴鷺i鴛潭1交㈱石)

       ミ              1伊予忽稲島1他}直 14人(300石) 1       1       1       ’     ロ           ロ       ロ ミ         ミ    ロ    く

画之舶圃細石・

       ロ 1安芸倉矯島i他 1沖 14入(250石) 1     =  1  1      自   5人(eoe石) i長門粟浦

r 1 :, 1

瞬滑1他i。}、人

l      I     1    ,    1  1 /        1        / I      I    ヒ  /      /        /

参照

関連したドキュメント

ら。 自信がついたのと、新しい発見があった 空欄 あんまり… 近いから。

しかしながら、世の中には相当情報がはんらんしておりまして、中には怪しいような情 報もあります。先ほど芳住先生からお話があったのは

影響はほとんど見られず、B線で約3

日本でコルク製品というとコースター、コルクマット及びコルクボードなど平面的な製品が思い付く ことと考えますが、1960

「1 カ月前」「2 カ月前」「3 カ月 前」のインデックスの用紙が付けられ ていたが、3

単に,南北を指す磁石くらいはあったのではないかと思

先ほどの事前の御意見のところでもいろいろな施策の要求、施策が必要で、それに対して財