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古 川  敦

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Academic year: 2021

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創価大学教育学会第14 回教育研究大会報告 基調講演(要旨)

創価教育学にアプローチするための基礎知識

―『創価教育学体系』(全4巻)の立ち位置、および、

根本概念としての「真理の認識」と「価値の創造」―

 

        古 川  敦

要  約

 こんにちは。古川敦と申します。本日は創価大学教育学会の大会にお招きいただ き、まことにありがとうございます。今回の講演の題目は、「創価教育学にアプロー チするための基礎知識」です。主な内容は、『創価教育学体系』(全4巻)[以下、『体 系』と略記]の立ち位置、および、根本概念としての「真理の認識」と「価値の創造」、

ということになります。むずかしい話をするつもりはありませんので、とにかく、お 聞きいただければと思います。どうかよろしくお願いいたします。

 そこで、まず最初に、呼称についてですが、研究者として牧口先生に接する場合に は、論文執筆のときもそうですが、「牧口常三郎」という名前をそのまま使用させて いただいております。師匠筋に当たる方ですから、当然「牧口先生」ないし「牧口常 三郎先生」と記すべきであると思われるかもしれません。しかしながら、ソクラテス、

カント、デューイなどを、わざわざ「ソクラテス先生」とか「カント先生」とかいわ ないのと同じように、世界の知的な遺産を築き上げた人物として尊敬するという意味 で、あえて「牧口」あるいは「牧口常三郎」といわせていただきます。これは、決して、

ぞんざいに扱っているわけではありませんので、どうかあらかじめご承知おきくださ い。

 わたしは、文学部で社会学を、大学院では教育社会学を専攻しました。主たる専門 分野は、フランスの社会学者デュルケムの「教育3部作」――『教育と社会学』(1922)、

『道徳教育論』(1925)、『フランス教育発達史』(1938)――の再評価に当たります。

これらの業績は、デュルケムが社会学者であったということから、多くの場合、社会 学の観点から紹介・翻訳・解釈がなされてきました。したがって、これまで、それら が教育および教育学の観点からきちんと評価されるということが、ほとんどなされて こなかったように思われてなりません。ところが、そのデュルケムが、『体系』のな

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かでは一番多く登場しています。通算では 47 回にのぼるのです。デューイは 2 ない し 3回くらいですから、はるかに多い回数です。ある意味で、牧口にとってもっとも 重要な人物の 1人であったといえるでしょう。

 こうして、わたしは、社会学の側から牧口の教育思想に入っていくことになりまし た。デュルケムと牧口常三郎の関係を知るようになったのは、学部の 3年生のときに

『体系』を初めて読んだ折でした。ただし、当時は、東西哲学書院版の牧口全集で読 んだので、かなりむずかしく感じて、ほとんど理解できないまま、ちょっと面白いな という印象くらいしか持っていませんでした。その後、大学院の修士課程のときにデュ ルケムの『フランス教育発達史』に魅せられるようになり、ひょっとすると、デュル ケム理解が必ずしも的確になされてこなかったのではないか、という疑念が生じてき ました。そして、もしも牧口がこの本を読んだとしたら、どのように認識し評価する であろうか、という興味を抱くようになったのです。

 実は、後になって気づかされたことがあります。それは、デュルケムと牧口は、同 志の関係にあるのではないか、ということです。『道徳教育論』は、ソルボンヌにお いて、主として小学校の教師に向けておこなわれた公開講義であり、デュルケムの側 からすると、牧口のような教師が現れたら、きっと小躍りしたにちがいない、と思う ようになりました。それが、おおよそ 20代後半の頃からです。しかし、この時点では、

創価教育学を本格的に研鑽しようというところまではいたっていませんでした。

 ところが、博士課程に在籍していた 26 歳のときに大病を患い、創価学会の創立 50 周年に当たる 11月18日は、前日の手術を経て、日大板橋病院の集中治療室にいました。

その日、100周年のときには、お日さまのもとにいたいと強く念願した次第です。そ して、30歳になって、香川県の小さな短期大学に就職。36歳のときに 2度目の長期入 院を余儀なくされました。その際、あと 3年しか生きられないとしたら、何を勉強す るか、と考える機会があったのです。そこで、もう一度、牧口先生の本が読みたいと 思うようになり、改めて創価教育学に挑戦するようになりました。

 今度は、第三文明社から出ていた牧口全集を少しずつ読み進んでいくと、とてつも なくすぐれた学者がこの世にまだおられたのだ、ということがわかりました。それが、

当時、教育学部教授であった、牧口研究第一人者の斎藤正二博士でした。とにかくお 会いしたくてしかたがなく、何の連絡もせずに、突然自宅を訪ねました。それからは、

押しかけ弟子として接してくださり、学問することの喜びを味わわせていただきまし た。牧口研究についても、デュルケム研究についても、いろいろなことを質問してぶ つかっていくことにより、さまざまな可能性が開かれていきました。

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【1】 テキスト・クリティークの心構え

 さて、本題に入る前に申し上げておきたいことがあります。それは、牧口研究をお こなう際には、テキスト・クリティークの心構えを確認しておくことが必要だという ことです。実際のところ、創価教育学の研究については、土台そのものがまだできあ がっていないように思われてなりません。研究者もそれなりにおられるとは思います が、今日においても、共通理解や共通認識によって築き上げられた土俵そのものがき ちんと確立されていない状態にある、と考えられるからなのです。

 そこで、わたしは、牧口の著作にチャレンジするに当たり、まずは次の 2点を確認 することから出発しました。

 

  ○おのれ自身の小さな狭い境涯で、偉大な人物の著作を評価しないこと。

  ○予断と先入観念を可能なかぎり排除していく努力を怠らない。

 

 偉大な人物の著作に挑戦しようとするときに、もっとも心しなければならないのは、

おのれ自身の小さくて狭い生命空間やささやかな経験に依拠して、手前勝手な論をな さないことではないかと思います。ところが、デュルケムが、デューイがというときに、

往々にして、多くの方々が、原典をつまみ食いしながら、原著者の意向はそっちのけ にして、自分にとって都合のいいような考察を展開する傾向があるように思われます。

それゆえ、わたしは、具体的に、以下の 3 つの心構えを銘記していくことにしました。

これは、デュルケム研究においても通底するものだと思います。

 

  1)まずもって、原著者が生きた時代をふりかえってみることが必要である。

  2)あくまでも、テキストを正しく認識することに徹すべきである。

  3)考察は、つとめて帰納的・実証的に進められなければならない。

 

 『体系・第1巻』が発刊された昭和5年の秋というのは、教育改造への機運が高まり を見せていた頃でありました。しかしながら、翌々年には五・一五事件が起きて、牧 口の強力なサポーターであった犬養毅が殺されてしまう、ある意味で危うい時期でも あったように思われます。

 昭和初年といえば、社会学や教育学の領域で、大きな進歩が成し遂げられたときで した。牧口がデュルケムの著作を引用・参照しているのは、このことの反映であると もいえるでしょう。ただし、今日からふりかえってみると、当時のデュルケム解釈は、

少なくとも教育の領域における業績に関するかぎり、必ずしも適切になされていたと はいえない部分がありました。そして、牧口は、そのデュルケムを批判しているのです。

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つまり、牧口は、デュルケムに関するまちがった解釈を批判しているわけであり、本 当のところは、デュルケムとそれほど変わらないことをいっているとしても、決して 過言ではないのです。とはいうものの、このことは、これから地道に証明していかな ければならないし、それがわたし自身の今後の課題にほかならないのです。

 また、いかなる研究も、テキストを正しく理解できるように努力することから出発 しなければなりません。そして、そのために、考察は帰納的・実証的に進められなけ ればならない。牧口はどんな本を読んだのか。どんな人に会ったのか。そういうこと を 1 つ 1 つ確認していきもせず、現代的な問題関心に即して、牧口はああだったとか、

こういっているというふうに、自分の方に引き寄せた議論を展開してしまうのは、原 著者の意志にそぐわないのではないか、と思うのです。

 わたしたちは、いろんな予断と先入観念を持っている。原典となる書物についても、

手前味噌な観点から考察するばかりで、事実をありのままに観察して分析するという ことがあまりなされないのが実情です。たとえば、人生地理学をエコロジーと結びつ けてみたり、創価教育学についても、ゆとり教育、総合的な学習、生涯学習などなど と、関連づけていこうとする。そうしたことが悪いわけではありませんが、それが行 き過ぎると、今日的な後知恵にもとづいたとんでもない解釈を生み出してしまいかね ません。創価教育学が生まれたときは、いわば国家主義の時代でありましたし、学問 的にも発達心理学というような分野はまだ確立されていなかったといえるでしょうか ら、現代的な観点から迫ろうとしても、それだけでは何らかの無理が生じてしまいます。

 とにかく、わたしたちの持っている先入観念で物事を見てしまうと、色眼鏡をかけ ているようなものですから、原典の理解も偏頗なものになる可能性が出てきます。実 のところ、これは、わたしがおのれ自身に課していかねばならない戒めでありました。

 とくに、牧口のような革命に生きた人物のことを探究しようとするのであれば、何 らかの覚悟が必要ではないかと思えてなりません。すさまじい勇気を体して巨大なも のに応戦し、貴重な著作を遺した人物ですから、アプローチしようとするわたしたち の側にもそれなりの志が求められてしかるべきでありましょう。しかし、そこまでの 勇気を持つことは、そんなに簡単なことではありません。それゆえ、革命に生きた人 物のことは、まさに革命に生きている人物のまなざしを借りていかなければ、いつま でたってもわからないままで終わってしまうような気がします。結局のところ、牧口 先生のことは、池田大作先生の著作やスピーチを通して、その眼を借りて迫っていか ないと、わからないのではないか、と思うのです。

【2】『創価教育学体系』(全4巻)の立ち位置

 ところで、このシンポジウムでわたしが問題提起させていただきたいのは、創価教 育学にアプローチするために必要不可欠な基礎知識とは何か、ということです。そし

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て、結論を先取りすると、それは【3】で触れる根本概念、すなわち、「真理の認識」

と「価値の創造」に求めらるように思われます。

 しかし、そこへ入る前に、まずは、『体系』の立ち位置を明確にしておかなければ なりません。なぜなら、多くの方々が、『体系』を読み進んでいくにつれて、理解す ることのむずかしさをよりいっそう強く感じるようになり、ことによると、読解の仕 方について適切な手順を踏んでいないのではないか、と考えられるからなのです。

 しばしば、現場の先生方とお会いしたときに気づかされるのは、とにかく『体系』

を一生懸命に勉強されているということです。それは、とてもすばらしく、ありがた いことだと思います。ところが、わたしの知るかぎり、ほとんどの方々が、理解して いくために相当な苦心をなされているようです。具体的にいうと、おおよそのところ、

第2巻価値論の真ん中あたりまで来ると、左に行っているのか右に行っているのか見 当もつかなくなり、その後は何を読んだかわからないままで終わってしまうというこ とが多いようなのです。

 ひょっとすると、『体系』は、第1巻の最初からではなく、場合によっては、後ろの 方から読んだ方がわかりやすいかもしれません。あるいは、自分に一番身近なところ から読まれた方がいいようにも思われます。本は最初から読まなければならないとい う理屈はないからです。

 それはそれとして、ここで確認しておかなければならないのは、創価教育学という 名前がついている著作物だけでも、以下のように複数のものが存在しているというこ とです。そして、これを見ただけでも、創価教育学それ自体が、どんどん発達してい ることがうかがえます。

 

     『創価教育学大系概論』(1930年春ごろ)

     『創価教育学緒論』(1930年秋から冬)

     『創価教育学体系』(全4巻、1930年から 34年)

     『創価教育学体系梗概』(1935年春ごろ)

     『創価教育法の科学的超宗教的実験証明』(1937年秋)

 

 したがって、『体系』は、その一連の流れのなかに位置づけていかねばなりません。

そうすると、『体系』は、あくまでも、発達途上における中間報告にほかならないこ とがわかってくるのです。

 実は、『体系』それ自体も、1巻、2巻、3巻、4巻と、どんどん視野が広がり、大き く飛翔しています。それゆえ、どの巻も同じように読んでいくと、きっと大きな壁に ぶつかってしまうでしょう。

 それに、『体系』は、それ自体が未完成の状態にありました。というのも、『体系』には、

第 4 巻教育方法論の次に、第 5 巻教育方法論(下)の出版が予定されていたからです。

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けれども、これは、さまざまな事情のためか、とうとう出版されませんでした。ただし、

その一部分は、『牧口常三郎全集・第9巻』(第三文明社)に収められています。

 こうして、創価教育学体系というのは、当初の計画では、総論と各論を合わせて 12 巻、もしくは、それ以上になることが予定されていたのですが、結局は総論の 4巻だ けで終わってしまいました。そして、総論すら完結することはなかった、というわけ です。

 また、改めて確認すべきなのは、創価教育学そのものが、青年時代から積み重ね られてきた教職体験と学問的な研鑽の結晶であるということです。『体系』の淵源は、

少なくとも『人生地理学』(1903)に、さらには北海道での教職時代(1893-1901年)

にまでさかのぼらなければなりません。『教授の統合中心としての郷土科研究』(1912)、

『地理教授の方法及内容の研究』(1916)などの著作も、決して無関係ではないのです。

あえていえば、創価教育学は、それらすべての集大成として位置づけられてしかるべ きでありましょう。

 しかも、牧口常三郎は常に発達途上人でありました。したがって、創価教育学も常 に発達するのです。だから、『体系』をいくら熱心に読み進んでみても、それだけに 目を奪われてしまっていては、とうてい牧口の全体像に迫ることはできないように思 われます。『体系』を金科玉条のように読んでいくと、牧口の最晩年の飛躍、境涯の 広がりが、まったく読めなくなってしまいます。具体的にいうと、価値論もどんどん 発達していって、戦後に出版された戸田城聖補訂版の『価値論』は、このことを踏ま えて出版されているのです。

【3】創価教育学の根本概念==「真理の認識」と「価値の創造」

 ところで、創価学園の創立者である池田大作先生は、校訓の第一に、

 

  「真理を求め、価値を創造する、英知と情熱の人たれ。」

 

 という命題を掲げられています。そして、この指針は、必要最小限のことばであり ながら、十分過ぎるほどの明晰さを体して、「創価教育思想」、なかんずく、「創価思想」

の根幹を、象徴的に表現されたものでありましょう。しかも、「創価」の源流を開拓 せられた牧口常三郎先生は、「人類普遍の真理」の探究を誠心誠意に貫き通した「思 想家」として、また、「価値創造」という人類覚醒運動を現実世界のなかで創始した「革 命家」として、処遇されねばならないように思われます。

 それゆえ、すでに申し上げた通り、創価教育学の基軸は、「真理の認識」と「価値 の創造」という二元的な思考に存している、といえるでしょう。それが、創価教育学 の根本概念にほかならない。強いて表現すれば、この対概念こそ、人類普遍の原理で

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ある、ということができる。

 このことは、創価教育学に関する最初の著作『創価教育学大系概論』のなかに、はっ きりと記されているのです。斎藤正二博士は、『牧口常三郎の思想』(第三文明社、

2010年)の冒頭部分で、それを明示しています。したがって、この基軸を踏まえたう えで一連の著作を読み解いていかなければ、どんでもない理解の仕方が生まれてくる 可能性が生じてくるのです。

 しかしながら、この対概念は、長い間、正しく認識されることはなく、見向きもさ れていませんでした。というのも、『体系』のなかには、このことに関する論述が明 確なかたちで展開されてないからです。そして、1965年に出版された『牧口常三郎全 集』(東西哲学書院)には、先ほど提示した『体系』前後の著作物は『創価教育学体 系梗概』だけしか収録されませんでした。そのほかのものの存在が明らかにされたの は、1984年に第三文明社の『牧口常三郎全集・第8巻』が出版されたときでした。つ まり、『体系』の出版からほぼ 50年の間、この対概念については、ほとんど触れられ ないままの状態にあったのです。

 さて、『創価教育学大系概論』では、教育の 2 大目的として「真理の認識」と「価 値の創造」が掲げられており、その両者が幸福生活をつかむための条件であること、

また、前者は「内潜創造」に、後者は「外顕創造」に相当していることが、明らかに されているのです。それらは、牧口の用語法にならうと、「知識する」と「創価する」

というふうに表現することができるでしょう。

 そして、この対概念は、牧口自身の生命境涯の深まりと視野の広がりにしたがって、

以下のように、階層構造的なかたちで発達を遂げていくのです。

 

   「真理の認識」     「価値の創造」

    知識する        創価する    第1 の次元     創価教育学       教育実践    第2 の次元     南無妙法蓮華経     創価教育学   第3 の次元  

 まず、第1 の次元において、教師の教育実践が目指すところは、子どもの 2 つの活動、

すなわち、「知識する」(真理の認識)と「創価する」(価値の創造)を推進していく ことにある、ということが示唆されています。それは、第2 の次元にいたると、今度は、

そのような教師の教育実践が「価値の創造」に、その実践を踏まえて学問的に探究し ようとする創価教育学は「真理の認識」に当たることが、確認されていくのです。そ のうえ、さらに、第3 の次元においては、創価教育学という「相対的な真理」を求め ていく「価値の創造」に対すれば、「絶対的な真理」である南無妙法蓮華経を体得し ていこうとするのが「真理の認識」に相当する、ということになるのです。

 ただし、これは、あくまでも、かぎりなく簡略化したとらえ方でしかありませんので、

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まことに申し訳ありませんが、より詳しくは、拙著、『幸福に生きるために』(第三文 明社、2001年)の「補説2」、および、『牧口常三郎と創価教育学』(論創社、2009年)

の第1章を、参照していただければと思います。必ずしも、この通りに読まねばなら ないわけではありませんが、多少なりともヒントにはなるだろうと考えております。

 ところで、『体系』は、第2巻の半ばで、真理にも「絶対的な真理」と「相対的な真理」

がある、と論じられるようになります。それゆえ、このあたりから、原著者の胸中は よりいっそう大きく深く掘り下げられていくようになり、論述自体にもそのことが明 確に現れてくるのです。そして、第4巻の終わりの方では、「絶対的な真理」である南 無妙法蓮華経を根本とする日蓮仏法に依拠して、創価教育学における「信・行・学」

が明確化されるにいたります。

 

   信  幸福生活の根本法を強く信じて疑わない。

   行  教育技術を磨き、熟練の域に達すること。

   学  教育技術における普遍の真理を探究する。

 

 これは、「絶対的な真理」への「信」を踏まえたうえでなされる、「行」(価値の創造)

であり、「学」(真理の認識)なのです。しかも、この時点で、「理論から実践へ」で はなく、「実践から理論へ」の流れが改めて確立されているように思われます。そして、

牧口の教育法も、「学」から「行」に進む「学習指導主義」から、「行」から「学」へ と進む「生活指導主義」へ、方向性の転換が図られているのではないか、と考えられ るのです。

 かくして、日蓮仏法への確信が得られた後には、大きな変革が成し遂げられるよう になりました。『体系』の中間報告的な域を越えて、その後の『創価教育学体系梗概』

では、「信の確立」の重要性が宣言せられます。そして、最終的な結論にたどりつい た最高峰の著作に当たる『創価教育法の科学的超宗教的実験証明』では、創価教育の 根本は法華経の信仰にある、また、創価教育学は南無妙法蓮華経の信仰にもとづいた ことによって完成することができた、と述べられているのです。

 さらに、このことにより、創価教育学それ自体のうえに、学問的にも根本的な変化 がもたらされることになりました。つまり、根本の法への「信の確立」にいたるまで の研究の過程においては、いわば原因から結果を科学的に導き出していく方法が採用 されていたのに対して、「信の確立」以後は、実際生活において実現していく過程の なかで、結果から原因を探究していく「信解法」(一信、ニ行、三学)が樹立されて いくのです。具体的には、とにかく、信ずるに足る人の言を踏まえて、実際に実践し てみて、その結果を虚心坦懐に検討することにより、何らかの法則を見いだしていこ う、というのです。

 ただし、牧口は、「信解法」にもとづいた「科学的超宗教的実験証明」に携わる、

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教師の 2条件を提示していることを忘れてはなりません。それが、「正直」(根本の法 を素直に受け入れることができる)と「慈悲」(子ども幸福のために尽力することが できる)であり、これも、「真理の認識」と「価値の創造」に対応していると考えら れるのです。

 牧口教育学は、まず最初に『創価教育学大系概論』においてその骨子が明確化さ れました。その具体的な中身は、『体系』(全4巻)のなかで詳しく論述されています。

しかも、その後の『創価教育学体系梗概』においては「信の確立」が宣言され、『創 価教育法の科学的超宗教的実験証明』にいたると、最終的な結論部分が明かされてい る。そして、その流れのなかで一貫して基軸になっているのが、「真理の認識」と「価 値の創造」という対概念にほかならないのです。

 以上のことは、勝手な解釈であるとの批判がなされるかもしれません。しかし、こ うした読み方も、一つの手がかりになるのではないか、と考えていただければ幸いです。

【4】創価教育学への具体的なアプローチ

 それでは、最後に、創価教育学へアプローチするには、具体的にどうしたら良いか。

そのためには、大きく分けて、2 つの方向性が考えられると思います。すなわち、医 学が基礎と臨床とに大別されているように、教育の分野においても、基礎理論から迫 るのか、それとも、現場の実践から出発するのか、ということです。

 そして、牧口が「経験から出発せよ」と示唆しているのですから、素直に考えてい けば、結局のところは、具体的な教育実践の考察からアプローチした方が、遠回りし なくていいように思われます。なぜなら、創価教育学それ自体が、牧口自身の経験と 思索の積み重ねによって生まれたものであるからです。基礎理論から入っていこうと すると、どうしても書物に依拠した哲学的な考察に陥って、牧口が鋭く批判したよう に、「二階から目薬」のごとき議論に終始してしまう可能性が強くなってくるのです。

 創価教育学は、教育方法学または教授学に収斂しているように思われます。それは、

教育実践を現象学的に把握しようとしたという意味で、今風でいえば臨床教育学に当 たるのではないでしょうか。そして、その核心部分は、教育の方法にほかなりません。

つまり、誰もが、同じ条件のもとでは、同じ結果を生み出すことができる、そういう 法則性を明らかにしていくことでありました。しかも、教育者は、子どもたちが幸福 をつかむことができるための方法に関して、新しい原理を価値創造していくことが求 められている。それが、牧口の目指した創価教育学であるにちがいないのです。

 そこで、もう 1 点だけ述べておきたいのは、創価教育学そのものにも、2 つの側 面がある、ということです。それが、「創価の教育学」と「創価教育の学」なのです。

前者は、どちらかというと基礎理論の観点から、創価教育学に関する原典を、できる かぎり正しく理解していくためのもの。また、後者は、実際の現場の経験にもとづいて、

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「創価教育法」に関する理論を生み出していくことだと思います。

 しかし、実際に子どもたちを幸福の方向へ導いていくことができるのは、現場でし かありません。したがって、「経験より出発」し、「一信、二行、三学」の道筋をたどり、「科 学的超宗教的実験証明」を積み重ねる方が、よっぽど建設的・生産的でありましょう。

 さきほど述べたように、創価教育学は、絶えず発達するのです。牧口は、みずから が樹立した学問を、そのようなかたちで遺してくれました。それゆえ、創価教育学が これから発達しうるか否かは、わたしたちが、等身大の視座に立ち、今ここから、み んなで知恵を出し合って、どのように「創価」していくかにかかっているのだと思い ます。

 以上、自分の思うところを、好き勝手にお話させていただきました。どうも、ご清聴、

まことにありがとうございました。牧口研究に魅せられた学徒の一人としては、現場 の教育者の方々のご活躍を祈るばかりでございます。

 大変にありがとうございました。

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