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ω平瀬巳之主口氏の論摘における解釈(以下次号所載予定)

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(1)

d

層間

文 っ平均利潤の法則﹂と﹁最大限利潤の法則﹂

f

西直

i

U 、

とし

山 本

は し が き

っ﹁最大限利潤の法則﹂についての解釈

凶越村億三郎民の論稿における解釈

的 理 論 的 説 明

制﹃表式﹄によろ論証

付 簡 単 な 要 約

︵ 以 上 本 号 所 載

ω

平瀬

巳之

主口

氏の

論摘

にお

ける

解釈

︵以

下次

号所

載予

定︶

ω

その他の諸解釈

二︑﹃経済的諸問題﹄における﹁基本的経済法則﹂についての説明

一二

︑﹁

基本

的経

済法

則﹂

の内

容規

定 む す び

﹁平均利潤の法則﹂と﹁最大限利潤の法則﹂

(2)

﹁平

均利

溺の

法則

﹂と

﹁最

大限

利潤

の法

則﹂

lま

カf

これまで本誌上においてつづけられてきた論究︑特に前稿﹃市場価格と市場価値﹄によって︑科学的経済学におけ

る価 値論 の意 義︑

その基本的内容についてはほぼ誤りない観念をつかむ乙とができたように思われる︒しかし︑科学

的経済学の理論体系全体の中で価値論の占める位置︑それのもつ理論的諮関連の広がりを確定し︑価値論について

ーーしたがってまた︑価値法則について

ll

正確な見取図を措きうるためには︑前稿の生産価格の問題にひきつづい

て︑なお少くともつぎの二つの重要な問題についての論究が必要不可欠と考えられる︒その一つは︑﹁地代の法則﹂

﹁社会主義社会における価値法則﹂の問題である︒前者において問題の中心を占めるの問題であり︑他のひとつは︑

もの

は︑

いう まで もな く︑

﹁差額地代の法則﹂の把握であり︑その正しい解決のための重要な﹁鍵﹂のひとつをなし

てい るも のは

﹁虚偽の社会的価値﹂のとらえ方である︒布げい挙げたニつの理論的問題脅究明することが伺値論の体

系的把握にとって何故に必要不可欠であるか︑というととの理由は︑本稿にひきつづいて発表されるはずの二つの

i

右の二つの問題を主題とする|!論捕において︑その説明が与えられるであろう︒それに会きだって︑本稿にお

τ

は ︑

﹁平均利潤の法則﹂と﹁最大限利潤の法則﹂の問題をとりあげ︑とれについて必要な論究をこころみるとと

にし た︒ それ は︑

乙のニつの﹁法則﹂の問題︑とくに﹁最大限利潤の法則﹂の問題が︑今日わが国において︑抽象的

な経済理論の領域でも具体的な現状分析の領域でも︑決定的な意義をもつものとしてひとつの中心的地位を与えられ

ているかに見受けられるという点を考え︑

かつ

は︑

この問題が

﹁平

均利

潤﹂

のとらえ方と直接関連をもっているこ

と︑ およ び︑

この問題の究明が本来﹁経済法則﹂そのものについての

l

ーしたがってまた︑価値法則についての

il

(3)

科学的な把握をその対象としているということをあわせ考えるとき︑平均利潤︑生産価格の問題を論究した前稿にす

ぐひきつづき本稿においてこの問題をとり上げ︑必要な検討を加えておくことがもっとも適当であると思われたから

である︒本稿において直接考察の中心を占めているのは︑右の﹁法則﹂の問題をはじめて定式化した形で提起したス

タl

リン の論 文︑

﹃ソ同盟における社会主義の経済的諸問題﹄の中の関連筒処である︒われわれはまず︑右の論文に

よって与えられた諸﹁規定﹂にたいする︑とくに﹁最大限利潤の法則﹂にたいする︑わが経済理論家たちの諸々の解

釈について簡単な考察をお乙ないたいと思う︒これによって︑同時にわれわれは︑一九五六年二月以後におけるわが

国経済理論戦線の在り方について重大な示唆と教訓とを得ることができるであろうと考えられる︒乙れにつづいて︑

われわれは改めて右の論文につき︑﹁法則﹂および﹁基本的経済法則﹂にかんする説明を概括し︑ζれを批判的に検

討し︑かくして︑主題の二﹁法則﹂のもつ理論的意義ぞできるだけ正確に︑かっ︑その充分なる広がりにおいて︑担

握すべくこころみる乙とにしたいと思う︒

﹁最大隈利潤の法則﹂についての解釈

一九五一年︑前記の論文﹃経済的諸問題﹂が発表されるや︑わが国経済学界は一大旋風がまきおこったかの観を呈

した︒諸理論家はいづれも競ってとの論文を激賞し︑絶讃的解説をものし︑けんめいに宣伝して廻ったものである︒

その中にあって︑比較的学究的な︑まとまった理論的解釈をこころみられたのは︑越村信三郎民と平瀬巳之吉民の両

民であったように思われる︒平瀬民は︑一九五四年六月︑著書﹃経済学の古典と近代﹄を公げにして︑従来の研究成

果の集大成をかねて﹁本来的独占価格H最大限利潤の理論的基礎づけ﹂を与えるべくこころみられたが︑とれにたい

﹁平

均利

潤の

法則

﹂と

﹁最

大限

利潤

の法

則﹂

(4)

﹁平

均利

糠の

法則

削﹂

と﹁

最大

限利

潟の

法則

四 して

︑越 村民 もま た︑

一九五六年二月︑著書宮丹生産論﹄ぞ発表して︑同じく従来の研究成果を総括すると同時に︑

﹁独占価格ならびに独占利潤の理論的解明﹂を志向されたものである︒両民心著書はわが国におげる﹁最大限利潤法

則﹂の理論的解明におけるニ大双聾ともいうべきものであり︑われわれの考察もまた︑当然︑両民の論稿における右

﹁法則﹂の解釈についての検討からはじめられなければならない︒われわれは︑説明の便宜上︑まず︑越村信一ニ郎民

の論稿をとり上げるζ

とと しよ う︒

越村

民は

︑ 越村信三郎民の論稿における解釈

一九五六年二足︑前記著書﹃再生産論﹂を公刊されたのち︑

最大限利潤の法則﹄︵雑誌﹁経済評論﹄十二月号所載︶ さらに同じ年の十二庁︑論文﹁独占価格と

を発表され︑著書に展開された氏の理論的解明をさらに敷桁さ

れる と同 時に

その中心的部分をより明確右形で展開されたものである︒﹁最大限利潤の法則﹂にかんする民の理論

的解明がほとんど一年の聞の批判および自己批判にも耐え︑しかも︑一九五六年ニ月の第ニ十回大会におけるスター

リン論文批判によっていささかも影響を乙うむる乙となく︑さらにより明確な形で従来の見解がそのまま堅持されて

いることは︑まζとに特筆大書すべきことといわなければならない︒われわれは︑右のニつの論著について︑

﹁最

限利潤の法則﹂にかんする民の理論的解明の内容をうかがうζ

とに しよ う︒

越村氏は︑右の論文の第一節の中でつぎのように述べられる︒

﹁スターリン論文があらわれてから︑最大限利潤の法則をめぐっていろいろの論策が発表されたけれども︑

それ ら

の多

くは

スターリンの命題解釈︑あるいは各国の経済への具体的適用と実証的研究の問題に限定され︑価値法則お

(5)

よぴ剰余価値の法則の発展あるいは具体化としての最大限利潤の法則を︑理論的に追求しようとするこ乙ろみは比較 的す くな い︒

もちろん最大限利潤の法制の探究は世紀の大問題であり︑その理論の全面的展開には︑かなりの日子と︑r根気づよ

い研究とが要請されるのであって︑との小論では︑とうていその全体をつくすことは不可能であるが︑紙幅のゆるす

範問

内で

その論理構造の輪廓を平易にのべてみたい﹂

︵前

出︑

コ一

ペー

ジ﹀

越村民の菜蹟は︑もちろん︑右の数すくないこころみのうちの︑もっともすぐれたものといわなければならない︒

右の論文では︑紙帽の都合上︑とうてい﹁その全体をつくすことは不可能である﹂が︑

しか

し︑

一 九

一 ニ

O

年以来民が

ニ十数年間にわたって積んでこられた研究成果ぞ総括して成った著害﹁再生産論﹄の中には︑

一最 大限 利潤 の法 則﹂

についての担論的解明が全面的に展開されているはずである︒のみならず︑ζの著書は︑一氏自身の↑はしがき﹂の言

主に あろ とお り︑

﹁従来の語生産論は︑ほとんどまったく﹃価値﹂の次元において問題を処理するにすぎなかったの

であ

るが

木骨

一一

では

問題

をさ

らに

すす

めて

﹃生産価格﹄体系のもとにおける再生産構造をとりあっ一かい︑

さら に

﹃市場価格﹄ならびに﹁独占価格﹄体系のもとにおける再生産の構造を探究した﹂点を︑その﹁特徴﹂としているも

のである︒その構想はまことに雄大無限であり︑その論理構造また広大無比でゐる︒とのような理論的成果を全面的

に検討するには相当の時間と根気づよい論究が必要であるが︑本稿では︑紙栢の都合上︑とうていその全体をつくす

ことはできないので︑その﹁論理構造﹂の性格だけでもとれをできるだけ的確にとちえるべくつとめたいと思う︒以

下 ︑

﹁最大限利潤の法則﹂にかんする越村民の解釈についての検討を︑便宜上︑

つぎ の一 二つ の項 目に 分っ て︑ 順次 に

これをおとなうことにした︒

ω

理論的説明︑例

﹃表 式﹂ によ る論 証︑ 川円

簡単な要約︒これらの内容上の関連は

﹁平

均利

潤の

法則

﹂と

﹁最

大限

利潤

の法

則﹂

(6)

﹁平

均利

潤の

法則

﹂と

﹁最

大限

利潤

の法

則﹂

~

行論において示されるであろう︒

≪) 

理論的説明

まず

﹁価値法則﹂および﹁剰余価値の法則﹂という言葉の内容について︑民の著書は︑どのような説明を与えて

いるであろうか?

民の

著書

は︑

﹁序章﹂舎のぞき︑第一章以下第八章まで︑八章から成り︑とくにその第三章およ

び第

四章

は︑

それ

ぞれ

﹁単純な価値法則のもとにおける再生産の構造﹂および﹁剰余価値の法則のもとにおける再

生産心構造﹂と題されている︒したがって︑右のニ法則にかんする説明は︑その第一ニ︑四章の中で与えられているは

いかんながら︑そのような説明は省略されているようである︒第三章の表題に用いられずと考えられるのであるが︑

た﹁単純な価値法則﹂という言葉も︑通常は資本制以前の商品信産について云われるものであるが︑しかし︑第三章

では

円+

4+旨という︑完全な資本制高品生産だけがとり上げられている︒のちにみられるように︑価値法則につい

ては

︑民

は︑

﹁価値どおりの交換﹂または﹁価値と価格との一致﹂という︑常識的知識をそのまま受け容れていられ

るの

であ

る︒

﹁剰余価値の法則﹂の内容についての説明としては︑その第四章の官頭の﹁剰余価値の法則﹂と題され

た一節の中の﹁資本主義の基本法則は剰余価値の法別であり︑資本家は︑あたえられた生産条件のもとで︑かれの買

いいれた賃銀労働者の労働力︑すなわち可変資本のなかから︑できるだけ多くの剰余価値を生産し︑そしてそれを流

通過

程の

なか

で実

現し

よう

ん﹂

努力

する

︵前

出︑

八八

lu

﹀ ︑

という文章しか見当らないようである︒ぞれゆえ︑ゎ

﹁価値法則﹂および﹁剰余価値の法則﹂のみならず︑

則﹂をあわせて四﹁法則﹂が一挙に理論的に解明されている最後の第八章﹁最大限利潤の法則と独占価格体系のもと れ

われ

とし

ても

﹁平均利潤の法則﹂および﹁最大恨利潤の法

(7)

における再主産の構造﹂に︑ただちに入ってゆくことが適当であるように忠われる︒

第八章心区一域の﹁理業資本主誌の段階から独占資本全一義心段階への移行﹂と題対日れだ第一自の中で︑むれわれば烹

ず︑つぎのような説明令見出すことができる︒

﹁資本主義的生産の目的は︑資本の生産的なはたらきによって︑できるだけ大きな剰余価値を︑あるいは利潤令理

得すろととでゐる︒

じかじながら︑内由競争をたてまえとする産業資本主義

ω

段階においては︑とのような最大限利潤の追及は︑相々

の資本家たらの主観的意図にとどまり︑客観的にそれら﹄実現するととはほとんど不可能であった︒なぜ紅ら資本と野

働との移動が自由に行われるところでは︑高い利潤一平をあげる産業部門にむかつてその他の部門から資本が流入し︑

その結果資本と也産の過剰をきたし︑との競争の重圧あ一うけて各資本家たちは︑やむなく平均利潤の獲神中そもって満

足レなければならなかったからでゐる︒

最大限利潤の追及という資木家たちの主観的意図が︑少数のびとびとによってある程度まで容観的に実現きれるよ

うになったのは︑資本の集中と組占とが高度に発達をとげた現代の資本主義のもとにおいてのみである﹂︵前出︑二五

七ペ

ージ

︑協

同点

j

木︶

ο

まず︑われわれの注意をひくのは︑

﹁最 大限 利潤 の芭 及一

︑と いう 言葉 であ る︒

﹁で

︑き るピ け大 量な 利潤 巻獲 浮ず る

ζと﹂すなわち﹁最大限利潤の追及﹂!!こ机ば﹁資本主義的生産の日的﹂であり︑どの資本主義にも妥当するσだ

かち産業資本五一転でも独占資本主義でも︑資本主義であるかぎり︑﹁最大限利潤の追及﹂はおこなわれる︒ただ︑市民

業資支i

++

↓義 では

﹁自 由時 争﹂ がめ るた ちに

それは﹁主観的怠悶﹂だけ托終り︑

﹁客 観的

﹂に は実 現さ れえ ない が︑

﹁平

均利

潤の

法則

﹂と

﹁設

大限

利潤

の法

則﹂

(8)

﹁平

均利

潤の

法則

﹂と

﹁最

大限

利溜

の法

則﹂

独占 資本 主義 では

﹁ある程度まで客観的に実現されるようになった﹂だけである︑といわれる︒ところが︑同じ第

八章の第三の︑とくに﹁最大限利潤の法則﹂と題された節の中では︑ほかならぬ右の﹁最大限利潤の追及﹂は︑独占

資本主義にのみ固有の﹁基本的経済法則﹂である︑と説明されている︒ー!﹁独占資本主義の段階において︑独占資本

家たちの行動を規定する基本的経済法則は最大限利潤の追及である﹂

︵前

出︑

二六

四ペ

ージ

傍点1

山本

︶︒

ζれら二種

の説明を並べてみると︑そこには︑﹁最大限利潤の追及﹂という資本制生産一般の規定的﹁動機﹂または﹁目的﹂と︑

﹁最大限利潤の法則﹂という﹁基本的経済法則﹂そのものとの︑あきらかな混同がみられるようである︒だが﹁最大

限利潤の法則﹂そのものについての説明は︑いづれ後段において与えられるはずである︒われわれは︑つぎに︑右と

同じ節で展開されている独占についての説明をみることにしよう︒

﹁資本主義社会においては︑資本家たちのあいだで︑商品販路の獲得をめヤつてはげしい競争がおζなわれる︒こ

の競争において勝利をおさめる唯一の武器は︑その価格を安くすることである︒商品の価格ぞ安くするには︑労働の

生産力巻高める必要があり︑そのためには︑また︑協業や分業や機械を高度に利用しなければならぬ︒しかもこれら

の方法を高度に利用できるのは︑生産の規模の大きな企業にかぎられる︒だから大資本は原則として︑つねに小資本

を圧倒する︒競争にやぶれた中小資本の一部とその販路とは大資本に吸収され︑それによってますます集中と独占の

傾向がつよめられる︒ひとたびある産業部門に独占が成立すると︑乙の独占資本家はその商品を生産価格以上の独占

価格 で販 売し

そこからばく大な独占利潤をつかみとるようになる︒

資本の集中は︑信用制度︑とりわけ銀行の発展によって加速度的におしすすめられる︒:::群小の企業のなかに︑

銀行信用を背景とした大規模の産業資本が成立して︑他より先んじて経営の合理化をおとない︑資本構成を高度化し

(9)

他の産業の競争を排除して販路を独占すれば︑それによって大きな超過利潤を獲得し︑それを永続化することができ る﹂

︵前 出︑ ニ豆 八ペ ージ

Q

とζ

では

まず︑独占についてほとんど常識となっていること︑すなわち︑独占が資本の集中によってつくり出さ

れる乙と︑それが﹁協業や分業や機械を高度に利用できる大規模な企業﹂である乙と︑それが﹁経営の合理化ぞおこ

︵ 註 ︶

ない︑資本構成を高度佑したもの﹂である乙と︑が述べられている︒だが︑とこで見落すことのできないのは︑以一土

すべてのととが︑その最後で﹁販路の独占﹂︑それによる﹁超過利潤の獲得﹂ということに帰着せしめられている点

であ

る︒

﹁独占利潤H最大限利潤﹂の理論的解明号ばもっぱら独占価杭会中心として展開しようとすろ民の論理構造

は︑はやくもここに示されているのである︒

︵註﹀﹁資本の集積と集中﹂したがってまた﹁高度構成の大資本﹂が﹁独占﹂と不可分離である乙とは︑今日常識となっている︒

ところが︑著畜﹁再生産論﹄の結章たる第八章の末尾に総括されたその﹁結論﹂の聞は︑つぎのような主張から成っているの

であ

CI −

−﹁ 独占 利潤 率が 比較 的低 い場 合︑ 低度 構成 の資 本を 投下 する 部門 に独 占が 成立 して も︑ その 生産 物の 独占 価格 は価

値より低いことがありうる︒この場合には︑その差績は平均利潤の法則陀したがって他の産業部門に流れきる︒しかし独占は

平均利潤をこえる剰余価値のすべてが他の部門に流失するのを防止するのにゃくだっ﹂︵前出︑三一四三一五ぺl少︑傍点

|山本︶︒生産物価値より低い独占価格︑白分の生産した剰余価値の一部が他の荒業部門に流れ去るのをみすみす見逃さなければならない低度構成の独占︑独占利潤の法則よりもさらに一段と強力な平均利潤の法則︑ーーすべてこれちは︑独占なるも

のが︑その経済的本質のすべてそ昇華しつくして︑たんなる販路の独占に化しおわったときにのみ︑したがって︑たんなる独占﹁価格﹂の次元においてのみ︑存在しうるものである︒

さて︑以上ぞ﹁まえおき﹂として︑問題の核心たる﹁独占価格と独占利潤﹂の問題に入ることにしよう︒民は︑第

八章の第二の︑﹁独占価格および独占利潤﹂と題された節において︑まず﹁独占価格および独占利潤の理論的解明﹂

平均 利潤 の法 則﹂ と﹁ 最大 限利 潤の 法則

ブ工

(10)

﹁平 均利 潤の 法則

﹂と

﹁最 大限 利潤 の法

則﹂

がい かに

﹁立ちおくれている﹂かということを強調され︑その﹁理由﹂

につ いて

g

のように説明されている︒

﹁そのもっとも大きな理由の一

つは

︑独占商品の価格が︑他の一般の商品とちがって︑その生産に社会的に平均的

に必要とされる労働量によっても︑つまりその商品の内在的な価値によっても規定されず︑さらにその費用価格に平

均利潤をくわえたところの生産価格によっても規定されないで︑もっぱら買手の欲望と支払能力とによって規定され

るか らで ある

﹂︵ 前出

︑ニ

l

=六

O

lu y

独占商品の価格が﹁もっぱら買手の欲望と支払能力とによって規定される﹂と︑

なぜ

﹁独占価格および独占利潤

の理論的解明が立ちお

くれ

なければならないのか||われわれ

には

︑その閣の﹁論理構造﹂は容易につかめない︒

だがその﹁理由﹂の意味は︑右の民の説明につづくつぎのパラグラフが示しているように︑それが﹁錯覚をよぴお乙

す﹂ところにあるようである︒

﹁乙の事実ぞ皮相に観察すると︑独占価格は労働価値説に立脚する諸法則から逸脱した簡略であるかにみえ︑その

解明には狭義の価値法則も︑剰余価値の法則も︑平均利潤の法則も︑ゃくしていえば価値法則一般が﹀無効であるか

のよ うな 錯覚 をよ びお とす ので ある

﹂爪 前出

二六

O

l u ν

︑傍

点l

山 本

﹀ ︒

もちろん︑右の﹁錯覚﹂を除去し︑﹁立ちおくれ﹂ぞ克服すべき課題は︑氏の双肩にかからまるをえない︒民によ

れば︑﹁労働価値説および剰余価値論の立場からする独占価格と独占利潤の理論的解明の手がかりは︑すでにはやく

からマルクスじしんによってあたえ

られ てい る﹂

︵前 出

︑二 六

0 1

一一

六一

1

﹀の であ って

︑﹁ わ

れわ れは

﹃ 資

本論 ﹄

のいたるとζろで断片的ではあるが︑きわめて示唆に富んだ重要命題にぶつかるのである﹂

︵前

︑二

六 一ぺ l夕

︑傍 点

l

山本﹀との乙とである︒だが︑月いたるとζろでぶつかる﹂はずの﹁重要命題﹂のうち︑氏がわれわれに教示されらの

(11)

は︑わずかについさの一節だけであるF

﹁独占価格は商品の生産価格によっても︑価値によっても規定会れず︑買手の欲望および支払舘力によって規定さ

れているのであって︑この独占価格の考案は︑市場価格の現実的運動を研究する競争論に属する﹂︵インスティトゥト

版第三巻︑八一四ページ︑訳帥l一O

七七

ペ!

?﹀

と乙ろで︑乙のマルクスの﹁︑きわめて示唆に富んだ重要命題﹂なるものは︑越村民自身によって︑さきに﹁いちじ

るしい立ちおくれ﹂の﹁もっとも大きな理由﹂として︑すでに引証ずみのところである︒それゆえ︑同じこの﹁重要

命題﹂から︑さらに別種の﹁示唆﹂をひき出すととは︑きわめて困難であるように考えられる︒だが︑右の課題解決を

双屑に担う越村氏にとって︑困難はありえない︒民は︑ただちに右の﹁重要命題﹂からつぎのようなっ不唆﹂そひき

出され︑乙れが﹁展開﹂をはかられるのである︒

﹁そ れで はこ

ζにマルクスのいわゆる欲望とはなにか︒それはさきにもふれたように︑﹁諸商品にたいする市場で

代表される欲望﹄号︑より具体的にいえば︑生産的または個人的消費をみたすために︑諸商品を生産手段または消費

資料として購買しようとする一定の社会的欲望の分量を指すのである︒したがって社会的欲望は︑たんなる各人の絶

対的欲望をいみするものではなく︑つねに﹁支払能方ある欲望﹄をさし︑それはスミスその他の古典派経済学者によ

勺て﹃有効需要﹄とよばれているものとほぼ同様である︒

だから社会的欲望の一部は生産手段にたいする資本家の購買力によって規定され︑他の一部は消費資料にたいする

労働者階級︑産業資本家︑商人︑金融業者︑地主その他のひとびとの所得

11

賃銀︑産業利潤︑商業利潤︑利子︑地

代等ーーーによって規定される︒しかもこれらの購買代金や所得は︑直接にか︑間接にか︑社会の総労働より流れでて

﹁平

均利

潤の

法則

﹂と

﹁最

大限

利潤

の法

郎﹂

(12)

﹁平

均利

潤の

法郎

﹂と

﹁最

大限

利潤

の法

則﹂

わかもかであり︑したがってそ和は骨骨骨に除︑すべ寸ぃ骨骨物かみ炉るいは価値のにない手かあか︒

だから独占商品巻生産価格以上に販売することによって独占資本家の獲得する特別の超過利潤は︑社会の他の諸成

員の

一昨

静か

んJ

b︑ わル かか 骨骨 心秒 一昨 にす ぎな い﹂

︵前 出︑ 一一 六一 ベ l

p︑

傍点

!山

本﹀

マルクスは︑独占価格について︑それが﹁買手の欲望および支払能力によって規定される﹂と述べ︑﹁欲望﹂と﹁支

払能力﹂とをはっきり区別し︑並べて書いているのであるが︑越村民は︑そのうちの﹁欲望﹂だけをとりあげ︑しか

もこれを﹁支払能力ある欲望﹂であると説明されるのである︒

これ

では

マルクスが独占価格についてなぜ﹁欲望﹂

と﹁支払能力﹂とを区別じて書いたか︑そしてまた︑

これ にた いし て︑

第三巻第十章﹁市場価値諭﹂においてなぜ

﹁社会的欲望︵ここではづねに支払龍力ある欲望のことど

と世

一日

かな

けれ

ばな

らな

かっ

たか

ということが見失われ

るばかりでなく︑当面︑独占価格の理論的解明の展開にとっても︑いささか支障をきたすものといわなければならな

いであろう︒と乙ろで︑問題は︑

の購賀代金や所得は︑直接にか︑間接にか︑社会の総労働より流れてくるものでみのり︑したがってそれは究極的には ﹁価格﹂の次元にではなくして︑まさに﹁価値﹂の次元に存する︒民は︑

﹁こ

れら

すべて価値物かあるいは価値のにない手なのである﹂と主張されている︒はたして︑そのとおりであろうか?

﹁購買代金や所得﹂をもって購入される諸商品が︑﹁社会の総労働より流れでてくるもの﹂︑﹁すべて価値物かあるい

︵ 註 ︶

は価値のにない手いである乙とはうたがいない︒﹁しかし︑購買代金や所得﹂そのものが︑どうして︑﹁社会の総労骨

より流れでてくるもの﹂︑﹁価値物かあるいは価値のにない手﹂であるといえるのであろうか?

たと

えば

﹁金

融業

者﹂がたんなる株価の値上りによってかきあつめた莫大な﹁あぶく銭﹂日所得をとってみよう︒ζの所得は︑直接に

もせよ︑はたまた間接にもせよ︑どのようにして﹁社会の総封働より流れでてくる﹂のであろうか?あるいは︑目

(13)

額の国債の利子所得によって生活している利子生活者をとってみよう︒

その 利子 所得 は︑

どのような意味で︑﹁価値

物﹂であるということができるか?もっと身近かな例をとれば︑たんなる価格騰貴によって商人が獲得する所得部

分を挙げることもできる︒とれらはすべてたんなる貨幣所得であリ︑それ自体なんらの﹁価値物﹂をもあらわすもの

でなく︑むしろ︑他人のすでに所有している価値物の横奪をあらわすにすぎないQまたもし︑民が右の﹁購買代金や

所得﹂はいずれも一定額の貨幣量であり︑その貨幣量一そのものが一定量の価値をあらわすものであり︑

また

それが

社会的総生産物︑したがってまた﹁社会の総労働﹂の一定可除部分にたいする権利名義ぞあらわすものであるがゆえ

﹁価値物かあるいは価値のにない子﹂勺あると主張されるのであれば︑むしろ﹁とれらの

したがって一定額の価値をあらわす﹂と云うべきであって︑ に︑﹁購買代金や所得﹂が購買代金や所得は︑いずれも一定額の貨幣をあらわし︑

﹁直

接に

か︑

定﹂はまったく不要であり︑無用の混乳をひきお乙すだけである︒だが︑

間接 にか

社会の総労働より流れでてくるもの﹂とか︑﹁したがってそれは究極的には﹂とかいう﹁規

その 場合 にも

問題は残る︒﹁購買代金や

所得﹂が賀幣所得であるから﹁価値物﹂であるというのは︑純然たるトゥトロギーでしかないからである︒

︵註

︶氏 の云 われ る﹁ 伺催 物﹂ と﹁ 桁値 のに はい 手﹂ とは

︑い った い︑ どの よう にち がう ので ゐろ うか

?金 貨幣 は﹁ 何倍 物﹂

であって︑銀行券や紙幣は﹁価値のにない手﹂である︑とでも主張されるのであろうか?そもそも︑乞食の収入は︑﹁究極

的に は﹂

﹁価 値物

﹂で ゐる ので あろ うか

︑﹁ 価佑 のに ない 手﹂ であ るの であ ろう かけ

時村民ば︑右のように︑マルクスの独占価格にかんする説明の引用についで三つのパラグラフをP

並べ

﹁だ

から

という言葉をニつ用いてこれらの一ニ節を連結させ︑そレて最後のパラグラフにおいてようやく︑

︵ 註 ︶

社会の他の諸成員の所得からの︑たんなる価値の移転にす宮ない﹂という﹁結論﹂に到達されているのであるが︑

﹁特 別超 過利 潤は

﹁平 均利 潤の 法則

﹂と

﹁最 大限 判潤 の法 則﹂

(14)

﹁平

均利

潮崎

の法

則﹂

と﹁

最大

限利

潤の

法問

右のととき起過利潤が﹁たんなる価値の移転﹂にす

yc

ない こと は︑

﹁たんなる価格の勝賞﹂ひとつによって充分説明

されるのであって︑ことさら

﹁有

効需

要﹂

にかんするマルクスの命題を並べたてたり︑すこぶる問題ある

﹁論

理構

造﹂を組立てる必要ば毛頭なかったのである︒

︿註

︶お そら く不 用意 に用 いら れた こと であ ろう が︑ ここ に﹁ 所得

﹂と いう 言葉 がか かげ られ てい るこ とは

︑見 逃せ ぬ問 題を ふ くん でい る︒ 生産 手段 にた いす る資 本家 の購 買代 金は

︑﹁ 所得 し﹂ のう ちか ら支 払わ れる もの であ ろう か? 氏自 身が すぐ つづ いて 引用 会れ てい るマ ルク スの 説明 の中 の﹁ 利潤

﹂と いう 言葉 を︑ 氏は

︑﹁ 所得

﹂と 見誤 られ たも ので あろ うか

いずれにせよ︑独占価格によって独占資本家の獲得する特別超過利潤が︑社会の他の成員の所得からの︑たんなる

価値の移転にすぎないことを﹁首尾よく﹂論証しおえられた越村民は︑との﹁論証﹂された命題巻基礎として︑さら

に﹃資本論﹄からの引用に依拠しつつ︑

これ から ただ ちに

﹁独占価格ならびに独占利潤の法則﹂にかんする理論的

解明を一挙に展開されるのである︒

﹁マルクスは明確にのべている︒

﹃種々の生産部面における剰余価値の平均利潤への均等佑が︑人為的または自然的な独占により︑またとくに土

したがって︑独占によっで影響される商品の︑生産価格をとえ︑価値

をこえて騰貴する独占価格が可能となるとしても︑そのことによっては︑商品の価値によってあたえられる限界は

止揚されないであろう︒特定の商品の独占価格は︑他の商品生産者の利潤の一部分を︑独占価格をもっ商品に移譲

独占 価格 は︑

地所有の独占によって妨害されるとしても︑

するだけであろう︒

︵中

略!

山本

︶:

::

との

場合

には

現実 強賃

・・

・:

・お よび 他の 資本 家た ちの 利

潤の控除によって支払われるであろう︒独占価格が商品価格の正常的な規制におよぼす限界は︑かたく規定された︑

(15)

正被に計算されうるものであろう﹄︒

一部の論者は︑独占佑された商品が︑生産価格や価値から背離するという事実に幻惑されて︑独占の形成

J

Lト 仁 川 一

価値法則や平均利潤の法則がその作用をまったく停止するかのように論ずろけれども︑それは短見であり︑誤謬であ

る︒独占価格の成立と独占利潤の発皇とによって︑個々の商品はかならずしも価値どおりに販売されず︑したがって

せまいいみでの等価交換の原則は蕗棄されるが︑社会的見地からみれば︑総商品の価値と価格とは一賞し︑したがっ

︿ 註一

て広義の価値法則は︑いぜんとして作用しつづけている︒また独占化された産業の獲得する独占利刊の率は︑一一苅全な

自由競争のもとで成立する平均利潤率を上まわるから︑との一いみでは平均利潤の法則は修疋をvづけろ︒しかしながら

独トいから排除された諸産業問にはいぜんとして自由競争が行われ︑社会の総剰余価値のうち一︑独市資本に帰属する利

潤をのぞいた残余の分け前をめヤって︑分捕り競争と白兵戦とが民嗣される︒ζうした競争の結果︑かれらのあいだ

に従前より低い水準においてではゐるが︑やはり平均利潤が成ーするととはあきらかである︒また同一店業において

複故の独占が成立する場合には︑これらの山内資本間にも競争が行われ︑非独占部門とはちがった水準のうえで平均

利潤が成立する場合もありうる︒だから独占の形成によって平均利樹の法則はいちじるしい修正をうけるが︑その作

︑︵

註一

用は完全に停止するものではない︒

︷ 註 ゴ 一

︵ 註 凹

︶ 門 註 五

だから独占価格と独占利潤の法則は︑価値法則および剰余価値の法則︑平均利潤の法則の高度の

でゐ

り︑

それは資本の集中と独占という事実によってゆがめられ︑

しかもこの法則を理解するためには︑独占産業の生産過程毎分析するだけでは不じゅうぶんであり︑独占超過利潤

が他の産業よりの剰余価値の移譲である以上︑生産と流通との両過程を包括する社会的資本の総再生産過程のなかで 時型化した価値法期にほかならない︒

﹁平

均利

潤の

法則

﹂と

﹁最

大限

利潤

の法

則﹂

(16)

そ の 法 則

長 Z

求涌

す 潤

る の

必 法

T

あ 」

る雇

の 大 で 限 あ 利 る註哩

5 左

前 向

ノ、

/丈

傍点

お よ

び コ

J

ク 体 山

'' 

ノ、~

︵註一︶右の説明の冒頭におかれたマルクス﹃資本論﹄からの引用文は︑氏の雑誌論文においては︑乙の︵註一﹀を附した箇処

に註の形で挿入されている︒したがって︑これによって︑マルクスからの借用文を氏がどのように解釈され︑どのような意味合いにおいて借用されたかということが知られるのである︒乙の点︑後述︒

︵註

一一

一︶

越村

氏の

著書

では

︑こ

この

つぎ

に︑

セレ

フリ

ャ lコフ著﹁独占資本と物価﹄からのつぎの引用文がそのまま独立したパ

ラグラフとして本文中にかかげられているが︑乙れにたいして︑雑誌論文では︑それはこζに註の形で掃入されている︒||

﹁じっさいにおいては︑独占が侃値法則および生産価格法則の作用にもたらす修正はすべて︑これらの法則をすこしも排除す

るものではなく︑それらのよりいっそうの発展であり︑それらの基礎のうえに立ってこそ︑はじめて正しく理解することができるのである﹂︵傍点i山本︶︒見られるとおり︑こ乙にセレブリャ!コフの述べているのは︑ほかならぬスターリン論文によって徹底的に批判された﹁法則修正﹂論である︒おそらく︑越村氏は︑乙の大時代的な論説から︑﹁価値法則および平均利潤

の法則﹂の﹁修正﹂および﹁よりいっそうの発展﹂というところを﹁借用﹂されたものであろう︒

︵註三︶この﹁だから﹂という文字は氏の著書にはなく︑氏の雑誌論文で補足されたものである︒文意を汲みとる便宜上︑ζこ

に挿入したが︑これによって氏の﹁論理構造﹂はさらにわかりやすいものとなるであろう︒ハ註四︶この﹁独占利潤の法則﹂という言葉は︑雑誌論文では﹁最大限利潤の法則﹂に書喝さ改められている︒これによってみても︑越村氏が︑﹁独占利潤﹂と﹁最大限利潤﹂とをまったく同一視されていること︑したがって︑﹁最大限利潤の法則﹂は﹁独

占利潤の法則﹂としてのみ理解されていることは︑ほぽ疑いないところである︒

︵註五︶この﹁平均利潤の法則﹂という言葉は著書にはなく︑氏の雑誌論文で補足されたものである︒雑誌論文にしたがって︑便宜上︑ここに挿入しておくこととじた︒

︵註六︶この最後のパラグラフは︑雑誌論文ではつぎのように書き改められ︑その第二節の﹁表式﹂による説明の冒頭にかかげ

られ

てい

る︒

l l

﹁独占にもとずく最大限利潤の源泉の第一は︑独占部門の生産過程から直接つくり出される剰余価値であり︑

第二は社会的剰余価値の再配分と横奪である︒だから︑この法則を徹底的に理解するためには︑生産過程と流通過程との統一である社会的資本の再生産過程に着目しなければならない﹂︵前出︑四ページ︑傍点i山本Uo

(17)

マルクスおよびセレプりャlコフの著書からの引用をのぞけば︑ここにかかげられた説明は︑﹁独占価格ならびに

独占利潤の法則﹂にかんする越村民の体系的研究の成呆を要約したものというべく︑したがってまた︑民による﹁独

占価格ならびに独占利潤の理論的解明﹂の性格をうかがうに足る精砕部分であるということがで︑きる︒

﹁独 占価 格む

らびに独占利潤﹂についてのこれらの理論的説明の中には︑︑きわめて注目すべき︑重要な見解あるいは主張が数多く

ふくまれており︑簡単にその﹁論理情造の輪叫﹂をとらえがたいものがあるが︑われわれは︑とりあえず︑それらの

見解または主張を列挙し︑つぎの﹁表式﹂による説明への﹁手がかり﹂を得ることにしよう︒

﹁価 値ど おり の交 換﹂

すなわち︑﹁等価交換の原則﹂が﹁価値法則﹂であるという見解︒︵ただし︑民はこれ

に﹁ 伸一 義の

﹂と いう 以定 を附 され

つぎの﹁広義の価値法則﹂と使い分けψ

され る︒

︶乙 の見 解は

これまでし

ばしば論証してきたように︑もっともありふれた︑もっとも粗雑な﹁価値法則﹂論である︒

一総商品の佃値と価格との一致﹂が﹁広義の価値法則﹂であるという見解︒ひとくちに︑﹁総商品の価値と価

格との一一規﹂といっても︑論者によっでその意味する内容は︑必ずしも同一ではない︒民がζの﹁一致﹂の内容

をど刈りようにとらえていられるかは︑﹁甘え式﹂による説明がこれを明らかにするであろう︒

﹁独占利潤率が平均利潤率を上まわること﹂が﹁平均利潤の法則の修正﹂であるという見解︒

独占利潤率がギ均利同率を上まわるのは理の当然で︑むしろ上まわろからこ一ぞ拙占利調なのだということができ

るのであるが︑越村民は︑弱者たる平均利潤の側に立って︑それがあわれはかなくも独占利潤によって凌駕され

︐﹃︐﹄よリア﹄︑

tωV130﹁平均利潤の法則ば修正を受けた

7

と慨嘆されたものであろう︒しかし﹁法則が修正される﹂と去っ

ては

﹁びいきのびき倒じ﹂である︒

﹁平 均利 潤の 法則

﹂と

﹁最 大限 利潤 の法 則﹂

(18)

﹁平

均利

潤の

法則

﹂と

﹁最

大限

利潤

の法

l¥ 

占﹁ 独 から排除された諸麓業関ではいぜんとして自由競争がおζなわれ︑平均利潤が成立する﹂という主張︒

一定産業部門から

排除﹂され︑流入を阻止されていても﹁自由競

争﹂

がおこなわれているというのは︑ま乙と

に珍らしい函期的主張である︒しかし︑このような﹁自由競争﹂や﹁平均利潤﹂は︑同じ町の屑屋たちの聞にも

成り立つ﹁自由競争﹂であり︑同種産業の中企業および小企業の聞にもそれぞれ成り立ちうる﹁平均利潤﹂であ

る︒かくして一国社会の中では︑各種各様の

自由競争

平和利潤﹂とがあらゆる農業部門の隅々にまでお

ζな

われ

その種類と数は︑越村氏の数学的方法ぞもってしでもとうてい算定しえられないであろう︒

﹁社

会の

剰余

価値総額のうち︑まず独占利測が平和複に控除され︑しかるのち︑その残り物をめぐって分捕り

競争と白兵戦とが展開される﹂という︑まζ

とに

迫真

的な

主張

ただ一言申しそえれば︑ζのような迫真的主張色︑﹁表式﹂による説明の場面では︑跡形もなく消え失せてしま

うべき役廻りとなっているのである︒

﹁同一産業で複数の独占が成立するときには︑独占利潤

はな

くなり︑平均利潤が生れる﹂という主

張 ︒

現実には伺一産業で完全単一の独占が成立

する

相場

合は

ほと

んど

あり

えな

いの

であ

るか

ら︑

かく

ては

︑独占はあれ

ども独占利潤はほとんどありえないというζ

とに

なる

ので

ある

﹁ 広 ︑ 載

価値法則がいぜんとしてりっぱに作用しつづけ︑自由競争がいたるところでりっぱにおこなわれ︑複

数独占間でも独占外でもいたるところでりっぱに平均利潤が成立している乙とが︑とりもなおさず

価値法則が

ゆがめられ︑崎型化される乙とであり︑平均利潤の法則がいちじるしい修正をうけるということである﹂という

まさに感鎖すべき逆説的な主張︒法則がりっぱに作期するととが︑修

正さ

れる

ζとでゐる︒﹁法則﹂がりっぱに

(19)

貫徹されることがゆがめられるζと︑暗型他することである

c 1

このような﹁主張﹂の﹁論理構造﹂は︑

1

な ん と規 定す べ︑ きで あろ うか げ

﹁﹃商品の価値によってあたえられる限界は止揚されない﹄というマルクスの叙述は︑総商品の価値と価格との

一致を論説しているものである﹂という見解︒

問題のマルクスの叙述が見出されるのは︑﹁資本論﹄第三巻第五十章﹁競争の仮象﹂の後半においてであって︑

ルク

スは

︑ そこ では まず

﹁新追加労働により生直手段または不変資本部分に年々新たに追加される価値の︑労

賃・利潤および地代という相異なる収入諸形態への分化および分解は︑価値そのものの限斜・これらの相異なる

範隠間に分配〜パルる価値総額を・なんら変化させない﹂︿インスティトゥト版︑九一四ページ︑訳悶l

一 一 一

O九

ペー

ジ﹀

と述べて︑以下︑乙れについて詳細な説明を贋聞しているのである︒それゆえ︑民によって引用された右のマル

︵ 註 ︶

クスの叙述は︑民の主張されるような︑﹁総商品の価値と価格との一致

r

広義の価値法則﹂論とは︑さしあたり

関係はないものである︒とはいえ︑このことは︑おのマルクスからの引用文が︑別様の意味で︑このきい︑重要

な意義をもつものとなる乙とを妨げるものではない︒それは︑価値から背離するような生産価格や独占価格をも

らこんで再生産論をいかように﹁深佑﹂しようとしても︑結局は︑﹁伯値によって与えられる限界﹂によって規

制されぎるをえないということ︑﹁価値﹂の次一五を離れての﹁独占価出﹂体系等々なるものがおよそ成り光らえ

ないということを的確に指示しているからである︒ζ

の点 につ いて は︑

なお行論において論及せねばならない︒

︵註

︶な お︑ つい でな がら

︑マ ルク スか らの 引用 文!

!?

℃の こと によ って は商 品価 値に よ三

︑与 えら れる 限界 は止 揚さ れな い であ ろう よ 1

1は

︑民 の論 文の 他の 個処 にお いて

︑別 様の

﹁役 割﹂ を受 持に され てい る︒ すな わち

︑前 記論 文の 中で 最大 限利

﹁平 均利 潤の 法則

﹂と

﹁最 大限 利潤 の法 則﹂

(20)

﹁平 均利 潤の 法則

﹂と

﹁最 大限 利溺 の法 則﹂

ニ O

制帽 の源 泉が 説明 され るさ い

その 第四 の源 泉と して

﹁栂 民地 や従 属図

の収

奪﹂ が挙 げら れ

つぎ のよ うに 述べ られ てい

るの

で ある

︒|

|円 く

︑﹁

8

らに 締民 地や 従属 闘に おい ては

帝国 主総 諸問 の政 治的 機力 によ る終 慣例

外的

強制 によ って

住民 の労 働 と所 得と 宮と が富 崎市 収奪 され る︒

ζの よう な蕗 終的 収務 の過

程は

正常 な経 悼別 法則 の適 用の 簡閲 外で ある

︒− 十九 ザル レか かか レ予

価似の総稲によってあたえられる限界は止揚されない︒独占体が獲得し︑収緑ずる分は従属閣の住民がとれをうしはうのでめ

る﹂

︿前 出︑ 一一 ぺ

l

︑傍

l

山本

︶︒

越村 氏に よれ ば︑ 帝国 主義 諸国 は﹁ 政治 的権

力﹂

に物 を云 わぜ て後 進国 の﹁ 労働 と所 得と 富﹂ とを 直接 に強 奪す るの だそ うで ある

︒と 乙ろ で

︑ 一 方が 強奪 して ふと

ζろ

に入 れれ ば

︑他

方は

それ だけ 失う し

︑一 方 のプ ラス は他 方の マイ

ナス

︑両 者を 合せ た総 額は 相変 らず 同じ

まま

であ る

︒だ から

︑﹁

価償 の総 額に よっ てあ たえ られ る限 界は 止揚 され ない

︑﹂

とい うわ りで ある

sだ

が︑

乙の よう な論 法に よっ て完 全に

﹁止 揚﹂ され るの は

︑﹁

商品

の臨

剛健

によ

っ て与

えら

れる 限界

﹂という︑

ほか なら ぬマ ルク スの 叙述 の其 窓そ のも ので ある

以上︑

簡単に列議しただけでも

﹁独占価格ならびに独占利潤﹂にかんする趨論的解明が︑いかに目覚まし

ぃ︑画期的な猪見解ならびに主張を﹁集大成

したものであるかが知られるであろう︒そ

ζでわれわれは︑布のごと

き画期的な﹁論週構造﹂が︑さらに氏の﹃表式﹄による論証によっていかに突事に袈付けされているかを見定めねば

ならない︒おそらく︑民は︑そζ

では︑民のもっとも得意とされる﹁数学的方法﹂を縦横に駆使して

︑われわれに︑

おどろくべく精彩ある︑

前人未踏の﹃表式﹄分析

を展開してくれるであろう︒

(ロ)

﹃法式﹄による論証

民の蒋術省の録後の第八寧

最大限利測の法則と独占価絡体系のもとにおける再生産の倒的進﹂は

︑その第五務国の︑

﹁独占価格下の再生産表式﹂と題された儲から末尾までが﹁独占価総下の再生時の綿進﹂の﹁表式分析﹂に充

てゐれ

(21)

であ

るが

これとほとんど全く同ち内容の一説明は︑前記諭す︵の第二節にそのまま引き写されてある︒われわれは︑ま

ず右の第八章の中から﹁一般的説明﹂に充てられた部分をとり出し︑つぎにその﹃表式﹂による論証については論文

の第二節から引いてζれをかかげるととにしよう︒

ます︑民は︑著書第八章の一独占価格下心再生崖表式一と題された節の中で︑

つい ぎの よう に述 べら れる

Q

﹁ζの問題を考察するにあたり︑一国の全産業を︑これまでどおり︑仕立国手段を生南する詰I部門と︑労働

g

用の

消費資料を生産する第E部門と︑資本家用の消費資料を生産する第E部門とに分割することにしよう︒

いま社会のある特定の部門に独占資本が成立し︑その資本家が︑平均利潤以上に独占による超過利潤を要求するよ

うになると︑再生屈の構造はいちむるしく変化する︒この場合︑社会の全産業によって生産された総剰余価値のう

ち︑独占資本家によって欲求主れ︑拙占商品にたいする社会的需要額によって規定ぎれた一定の独占利潤が︑独占資

一定の︑より低い水準をもっ︑平均利潤本に吸引され︑そののこりの剰余価値がその他の産業部門の資本家たちに︑

率ぞもって︑それぞれの資本の大きさに応じ︑配分されることになるであろう︒﹂

公刷

出︑

二六

六ぺ

ly

︑傍点i

山 本

︶ ︒

見ら れる とお り︑

ζの﹁論理構造﹂は︑さきの﹁理論的解明﹂と同じも

ω

である︒そこで︑民は︑これにつづいて

つぎのように﹁理論的解明一の﹁表式﹄的展開をばかられI部門に独占が成立する場合﹂と題する節を設けて︑﹁ 第

﹁いまかりに︑生産手段を生落する第

I

部門に独占資本が形成され︑その資本が他のあらゆる部門の競争を排除し

︑︹

註一

て独占による高利調を穫得するとすれば︑再主産の構造はどゅように変化するかということを検討しよう︒

第I部門に独占が成立するといっても︑資本主義社会において︑第I部門のすべてが独占資本の支配下に立つとい

﹁平

均利

潤の

法則

﹂と

﹁最

大限

利潤

の法

則﹂

(22)

﹁平 均利 潤の 法則

﹂と

﹁最 大限 利潤 の法 則﹂

うことはありえないわけであり︑したがって︑げんみつにいえば︑第

I

部門巻さらに独占部門と非独占部門との二つ

の副次部門化分割しなければなちぬのであるが︑乙とではかんたん化のため︑第

I

部門のすべてが独占されていると

いう仮定をとることにする︒ζの仮定のもとで分析された結田市が判明すれば︑さらに仮定ぞ具体化する乙とによって

法則を現実に接近注せることが可能となるからである︒

このような仮定のもとで︑独占下の再生産表式はつぎの形をとる︒

まえ と同 様化

︑︵

註二

まず︑直接的生産過程の機能的結果としてつくりだされた各部門の生産物の︑価値体系下における再生産の表式は︑

P

十︿

午冨

HU

H4︿

hu

十︿

1E

HH

4司 日

開.めて

J F

← 冨

ωH4︿ω

わ+︿+冨H巧

舟開

山市

問問

②草

ほ臨時迫器棚w

刷物

志富

踊廿

湖沼

道湖

崎明

↑ぬ

︶菌

件ゆ

B

陥闘

志ぬ

︶富

︑︷

註三

であり︑また平均利潤の法則に支配される生産価格体系のもとでの再生産表式は︑

H

n

ド;

一︿

︼斗

;司

HH

JF

UH

十︿

民一

一p

uu

d

間・

ω一 ぐ

日 → +

HVU川川川J

へ お

~ わ+︿+宮

UH宅

除間

中山

知ぬ

︶昨

同町

宮設

w w 由時湿器出略語

S F

雨宮蕊

踏斗

円判

通道

湖踏

S

除副首議

件仇

M B

舟闘志QU歯菌

(23)

であ

る︒

しかしながら︑第I部門の生産物︵生産手段︶にたいする社会昨骨野心が争ルレかか卦

hu

上了ぃ生産手段の庄産p

︑円

註四

しかも第I部門O資本が特定の資本家によって独占きれていて︑他の部門からの資本の流入が排除

価格 もを 超過 し︑

されている場合には︑第I

部門 の資 本家 は︑ その 生一 周物 の生 屈価 格

VH

号こえた独占価格

Z

そも三︑販売することがで

き︑この

L

と︑費用価格門戸十タとの差額を独占利潤として獲得することになる︒乙の独占利潤&と平均利潤

DM

との

差額は︑第I部門の独占にもとずく特別超過利潤であり︑それはけっきょくのとζろ︑非独占部円である第E︑第E

︑︵

註五

部門に帰属すべき平均利潤DU︑nれから︑独占の力によって吸引したものにぽかならない︒

非独占部円である第E︑第E部門では︑自由競争と資本の自由移動が行われるから︑その生産物は︑費用価格に平

︵註

六︶

均利潤をくわえたところの生産価れをもって販売される︒

だが︑独占資本主義のもとにおいて︑非独占部門の諸資本に配分される利潤の総額は︑自由な産業資本主義の段階

におけるそれとちがって︑剰余価値の社会的総額Mではなく︑そのうちから独占部門1に吸引される独占利潤をさし

ひいた残余︑すなわち︑冨

l p

にほ かな らな い︒

だから︑剰余何値卒を一定とするかぎり︑独占資本主義のもとにおいて︑非独占部門に配分される平均利潤の率は

完全自由競争のもとにおいて成託すお平均利潤率よりも低下する︒ここに︑独占資本主義のもとにおける一般産業ーが

︑︹

註七

なぜ長期にわたって出滞するかという原因の一つがよ乙たわっている︒

そこで第E

部門 の生 産物 は︑ その 費用 価格 わい 一ー ア

に︑低められた平均利潤

L

をくわえた生産価格をもって販売

される︒乙の独占によって圧縮された第二次の生原価格を︑完全自由下の信一次生産価格下一と区別するために乞であ

﹁平

均利

潤の

法則

﹂と

﹁最

大限

利潤

の法

則﹂

(24)

﹁平

均利

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利潤

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らわすことにb

ょう

同様に第E部門の生産物も︑費用価格炉二︿羽に平的︑利潤払をくわえた第二次の生産価格乙をもって販売される︒

︑︵ 註八

だから独占価格体系のもとにおける一舟生産の表式はつぎの形となる︒

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この場合︑第I部門の独占利潤&と︑第E︑第E部門の平均利潤払︑払は︑剰余価値の総額

M

の再担分されたもの

にすぎないから︑第

I

部門の生産物の独占価格守山と︑信

E

︑第

E

部門

m w 生産物の生産価裕守的およびみとの総和は︑社

︑︵ 註九

会的生産物の総価値額

W

にひ とし くな る︒

すなわち独占の形成によって個々の産業部門の生産物の価格は︑その価値ゃ︑さらに完全な自由競争のもとにおい

て成立する生産価格から背離するけれども︑社会全体として考察すれば︑価値法則は保持されており︑剰余価値の法

門註

十︶

則も︑平均利潤の法則も︑ゆがめられ︑修正された形ではあるが︑いぜんとして作用をつづけているのである︒

独占価格の体系のもとにおいて︑単純再生産が支障なく行われるための条件は︑各市門の生産物にたいする需要額

︑︵ 註十 一﹀

と供給額とが︑この価格体系のもとでそれぞれ一致すること︑すなわち︑

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(25)

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註二

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︵註

八︶

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︑一

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造は

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よう

に変

化す

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﹂と

いう

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に注

意さ

れた

い︒

﹁価

値﹂

次元から離れて︑一生産価格﹂体系︑一独占価格﹂休系のもとで﹁再生産構造﹂がどのように﹁変化する﹂かを探求することが

氏の限目となっているのであるれわれわれもまた︑氏の接尾に附して︑氏の︵数学的干刀法﹂により︑﹁一丹佳彦構造﹂がいかに全面的な変化径とげるかということを︑とくと見E芯めることにレょう︒なお︑ついでながらいえば︑

7 W M

スに

ゐつ

ては

﹁再生産﹂は﹁単純再恒産一と﹁拡大再生産﹂との二種にかぎられ︑しかも︑この二種のどちらであるかによって︑﹁再生産

の構造﹂は法則的に決定されるのであり︑そのほかには︵変化﹂のしょうもないのである︒

︵註四︶見られるとおり︑まずはじめに︑一なんらかの一理由﹂があり︑それによってつまに生産手段にたいする社会的需要が高

まり︑つぎにそれが生産価格を超過するととになり︑さてそ乙に︑一第I部門の資本が特定の資本家によって独占されてい

る﹂という事実があるとき︑その一版完価格な芯ものがずなわら独占価格となる︑という次需である︒なんと強大なる影醤カ宇佐もつ覆面の﹁理由﹂であることよ!

︵註五︶ところが︑いまや独占利潤の源泉が他部門のほかならぬ平均利潤からの﹁吸引分﹂であることが判明した現在︑覆面の

﹁理由﹂はたちまち﹁独占の力﹂にとってかわられる︒しかも︑との﹁独占の力﹂たるや︑他部分の資本家の懐中H所得からばかり﹁吸引﹂して︑勤労者その他の購買者の懐中にはきらきら限をつけぬという︑まことに反資本主義的なものなのでゐ

︵ 註

Jハ︶他部門から締め出されようと︑すこしでも競争らしきもの︑があり︑すとしでも移動しつる余地があれば︑自由競争と嗣

由移動はりっぱにおこなわれる︒平均化されない利潤でも︑平均利潤と呼んでなんの差支えがあろうか?

︵註七︶独占資本主義のもとで独占外の﹁産業﹂がなぜ長期にわたって沈滞せざるをえないかといえば︑それは︑ほかならぬ独占資本による支配と強圧のおかげである︒もっとも︑白分たちの生産した剰余価航のうら︑最良の部分を独占に進呈しておい

て︑さてその浅りをお巧いに分捕りあうことしかできない上うな︑完全無気力な二般産業﹂にとってほ︑そもそも﹁長期にわたって出滞﹂することしか能がないのであろうが︒

︵詮九︶氏の得意とされる﹁数学的方法﹂の適用によってつくりピされた右の三つの︵存生涯表式﹂なるものをただ波置してみ

﹁平均利潤の法則﹂と﹁最大限利潤の法則一

参照

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