われわれがなすべきこと
著者 藤井 和夫
雑誌名 エコノフォーラム21 : 学生と教職員のインターコ
ミュニケーション誌
号 24
ページ 55‑55
発行年 2018‑03‑14
URL http://hdl.handle.net/10236/00026879
Econo Forum 21/No.24 55
シリーズチャペル<経済と倫理>
企業の不祥事が続いています︒東洋ゴム︑日産︑神戸製鋼等々︒地震の国日本の防災を担ったり︑世界に冠する技術と品質を代表する企業ばかりです︒こんなことでは︑厳しいグローバルな競争の中で最大の強みであるはずの︑きめ細かい確かな仕事という日本の製造業の評価はどうなるのでしょうか︒企業が︑しっかりしてくれなくては困ります︒いや︑企業もコスト競争の合理化のためにギリギリのところで仕事をしているから仕方がないとか︑規制そのものが時代に合わないというなら︑彼らに基本を守ってもらうための新しい法律や規制が必要になります︒国も常に適切なルール作りをしてくれなくては困ります︒
では︑われわれ個人は関係ないのでしょうか? もし何かできるとすれば︑どうすべきなのでしょうか? そのことについて︑実は歴史から学べることがあります︒
最近ポーランドにかかわる講演を聞く機会があって思い出したのは︑一九八九年の体制転換の後で︑社会主義時代にはみんな等しく不便で貧しかった生活が︑人によって経済状態に雲泥の差がある世の中に激変した時のことでした︒当時︑やっかみ半分で大きなニュースになっていたのは︑前の年の長者番付の上位が︑翌年はごっそり経済に関する犯罪行為者として糾弾されるという現象でした︒社会システムの転換に伴う法整備が︑現実の変化を追いかけて次々に行われ︑前年には罪に問われない行為でも︑翌年法律が定められると非合法になったのです︒
市場経済の基礎である自由な経済活動には︑法的︑制度的な枠組みが必要です︒利権や汚職にまみれる途 上国の政財界を見てもわかるように︑ビジネス・チャンスを巡って経済行動は大きくぶれるもので︑許される範囲を逸脱することもしばしばです︒そこで政府による規制や法律の出番になります︒今では立法府︑行政府の動きは民意を反映しますが︑過去の歴史の近代化の過程では︑権力者の行動に民意を反映させるために︑権力に近い身内の人々の特権的な行動に対抗して︑一般の人々の大衆としての動きがありました︒民主主義のルールがない当時は︑反乱や革命や騒動がそういうものだったのです︒
ある意味で︑現在でも事情はあまり変わりません︒社会の支持を失うと生き残れぬ企業も︑選挙で国民の支持を不可欠とする政治家も︑民意をリードして形成するというよりは︑それを﹁後追い﹂するものです︒ 先のポーランドの例のように︑政治家の作る法律は遅れるものであり︑先手を打ってはくれません︒それゆえに︑あるべき社会に向かって世の中を動かす力の先頭には︑民意︑つまり個人個人の意思表示がなくてはなりません︒
続発する企業の不祥事に社会がうんざりしている今︑格差の問題等で経済社会の基本的な仕組みへの信頼が揺らぎ始めている今︑歴史上繰り返し起こった革命や騒動に代わる︑民主主義にふさわしいよりスマートな民意の表し方を真剣に探す時ではないでしょうか︒法律の不備や遅れをこっそり利用して︑税金逃れのために個人の資産をどこかの南の島に形だけ移してみるようなゆがんだ合理主義に︑猫も杓子も走っている場合ではなかろうと思うのです︒
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