5 207条の利益原則抵触の疑いと限定解釈の可能性
207条は,被告人の暴行と傷害結果との間の「因果関係」の存在につい て,被告人側に挙証責任を転換した規定である,と解するのが通説的な理 解であり(39),最高裁平成28年決定も,そのような理解に従った判断を示
1 はじめに
2 207条の想定する「暴行」と「傷害」
3 傷害致死罪における207条の適用
4 強盗致傷等の事例における207条の適用 (以上,3号)
5 207条の利益原則抵触の疑いと限定解釈の可能性
6 共謀成立の前後にわたる一連の暴行に対する207条適用の可否 7 結語(以上,本号)
論 説
同時傷害の特例(刑法207条)の 解釈論的問題(下)
杉 本 一 敏
(39) 207条の法的性質に関する諸見解(因果関係の存在の「許容的推定」規定と 解する理解,暴行行為者らの意思連絡の存在の「許容的推定」規定と解する理 解,因果関係の存在の「挙証責任の転換」規定と解する理解,「加重暴行」そ れ自体を実体法的要件とする固有の犯罪規定だと解する理解)については,杉 本・前掲注(4)53頁以下において検討を加えた。そこでの検討から,本条 は,因果関係の存在の「挙証責任の転換」規定と解する通説的理解が最も妥当 であり,かつ,これまでの判例とも整合するものであるとの結論が得られた。
した(本稿1)。そこで,本条における被告人側への「挙証責任の転換」
が,「疑わしきは被告人の利益に」の原則(「利益原則」)に抵触することは ないか,という点の検討が不可欠となる。そのうえで,利益原則への抵触 という疑義を払拭するような解釈・運用を試みなければならず,もしその ような解釈・運用ができないとすれば207条の適用はおよそ差し控えるべ きことになる。
以下では,利益原則に抵触しないと言えるような207条の解釈論(限定 解釈)の余地について,検討を加えることにする。検討の手がかりとする のは,最高裁平成28年決定の判示である。同決定には,207条のあるべき 限定解釈の方向性が
2
点示されている,と言うことができる。その2
点と は,同決定が,挙証責任が転換されるための前提として検察官側に立証を 要求している,2
つの前提事実に対応するものである。すなわち,〔1
〕「各暴行が当該傷害を生じさせ得る危険性を有するものであること」(行為 者各人の単独惹起の可能性)と,〔
2
〕「各暴行が外形的には共同実行に等し いと評価できるような状況において行われたこと,すなわち,同一の機会 に行われたものであること」(暴行の機会の同一性)がそれである。このよ うな前提事実が検察官によって「合理的疑いを容れない程度」において立 証された,ということが,「因果関係の不存在」について被告人側に挙証 責任を転換することの許容性を基礎づけ得るのであれば,207条の利益原 則抵触の疑いは一応払拭されたと言うことができる。以下,この点につい て,上記の2
つの「前提事実」に即して検討を加えるが,その前に,本稿 が検討の前提とする「挙証責任の転換」の理解について,ここで簡単に確 認しておく(5 . 1)(40)。5 . 1 挙証責任の転換と利益原則抵触の問題
(刑事訴訟における)「挙証責任の転換」規定とは,検察官が,当該規定
(40) 以下の「挙証責任の転換」及び「許容的推定」の前提理解は,杉本・前掲注
(4)50頁以下で確認したものと同じものである。
において「前提事実」とされている要証事実(「A」とする)について,そ の存在に寄せる裁判所の確信が証明度(41)を超えるまで立証した場合に,
犯罪成立(あるいは一定の法的効果)にとって重要な別の「要証事実」
(「B」とする)につき,被告人側にその証明責任が転換される,という内 容を定めた規定である。そのため,事実審理が一定の「解明度」(42)に達し て結審した段階で,被告人による立証が未だ証明度に達しておらず,Bが
「真偽不明」という結論になった場合には,被告人に不利な事実認定がな されることになる。周知の通り,刑法230条の
2
(名誉毀損罪における真実 性の証明)がその典型例とされ,そこでは,検察官による「名誉毀損」(A)の立証が証明度を超えるまでなされた場合,今度は被告人が,「摘示 事実の真実性」(B)の立証を,証明度を超えるまで行うべきことになる。
これと異なるのが,「許容的推定」(反証を許す法律上の推定)である(以 下の検討のために,許容的推定についてもここで確認しておく)。その典型例 として挙げられるのがいわゆる麻薬特例法18条であり,同条は,規制薬物 の輸出入等の犯罪から得た「不法収益」(その収受罪や没収が同法で問題と なる)について,不法な輸出入等を業とした「期間内に犯人が取得した財 産であって,その価額が当該期間内における犯人の稼働の状況又は法令に 基づく給付の受給の状況に照らし不相当に高額であると認められるもの」
(A)は,「当該罪に係る不法収益」である(B)と「推定する」,と規定し
(41) 問題となっている要証事実が認定されるために必要とされる,裁判所が当該 事実の存在に寄せる確信の程度の下限。利益原則が妥当する刑事訴訟において は,「合理的な疑いを容れない程度」であることが求められる。以下では便宜 的に,これを「90%」という数値でイメージしておくことにする(「刑事訴訟 における証明度=90%」)。
(42) 太田勝造『裁判における証明論の基礎』(1982)108頁以下で提示されている 概念に従い,「十分に証拠調べ・事実審理を尽くした度合」(同109頁)を表す 用語として用いる。解明度が一定程度に達し,大方証拠事実が出尽くしたと考 えられ,これ以上の証拠調べによっても新たな証拠事実が出てきて要証事実の 存否についての裁判所の確信が大きく変動することはない,と考えられる程度 にまで達したところで結審を迎える。
ている。このような許容的推定の規定においては,問題となる最終的な要 証事実はただ
1
つ,B(麻薬特例法18条で言えば,「当該罪に係る不法収益」であること)だけである。許容的推定の規定において,前提事実(A)とし て挙げられている事実は,Bの立証から独立した固有の意味を持つもので はなく,あくまで
B
の存在を強く推認させる種類の事実であり,Bの存 在に対する確信を高める事実である。しかし,このような前提事実A
が(証明度を超えて)立証されても,それだけでは未だ,Bの存在それ自体に ついて証明度を超えた立証がなされたとは言えない(仮にそのようなこと が言えるのだとしたら,そもそも推定規定を設ける必要はない)。Bの存在を 説明し得る有力な競合仮説の可能性が,まだ残っているからである(上記 の麻薬特例法18条の例でいえば,その財産は人から贈与された,返済を受けた,
相続した,宝くじに当選した,等々の可能性)。しかし,許容的推定の規定 は,検察官によって
A
の立証がなされた場合に,最終的な要証事実B
の 認定もなし得るものとする。その根拠は,事実A
に基づく「事実B
の推 定」が誤りである場合には,被告人において反証することが容易である(上記の例でいえば,贈与,返済,相続,宝くじ当選等の事実があった証拠を提 出することは容易である),という事情に求められる。反証が容易だと考え られるにも拘らず,被告人が何ら反証しない場合には,その証拠不提出の 事実それ自体が事実
B
の存在を更に推認させることになり(「被告人が反 証しないのは,反証できるような事実が何もないからだ」との推認が働く),そ れによって結果的に,事実B
につき証明度を超えた4 4 4 4 4 4 4立証がなされたもの と認められる。しかし,刑事訴訟において,被告人の「証拠不提出の態 度」それ自体を事実認定の基礎とすることには疑義があることから(刑事 訴訟法317条),許容的推定の規定は,問題となっているのが「被告人側に 証拠が偏在しているなど,被告人の反証が容易である」場面であること(被告人の反証の容易性・便宜性)に着目し,例外的に,被告人の証拠不提 出の態度を
1
つの「証拠」として要証事実(B)の認定を行ってもよいと する趣旨を定めた創設規定である,と解されることになる(43)。以上で確認した「挙証責任の転換」と「許容的推定」における立証活 動の過程のイメージを,以下の図で示しておく(このイメージ図は,太田勝 造『裁判における証明論の基礎』112頁に示されている証明の模式図を参照・踏 襲したものである)。許容的推定の場合においては(【図 1 】を参照),結審 の段階で要証事実の存在に寄せる裁判所の確信(図中の●)が証明度
(90%でイメージしている)を超えた場合には「立証あり」,超えていない 場合には「真偽不明(立証なし)」とされる点において,通常の場合の立 証活動との間に何ら違いは認められない。唯一の違いは,「被告人の反証 がなされないこと」それ自体が証拠の
1
つとして機能し得ることである。これに対して,(刑事訴訟における)挙証責任の転換の場合には(【図 2 】を 参照),前提事実
A
についての立証活動は通常の場合と異ならず,事実A
に寄せる裁判所の確信(図中の●)が証明度を超えることが求められる が,それが達せられると,今度は事実B
について被告人側の立証活動が(43) 平野龍一『裁判と上訴』(1982)72─74頁,鈴木茂嗣『刑事訴訟法の基本問 題』(1988)191─192頁,井上正仁「麻薬新法と推定規定」研修523号(1992)
21─23頁,川出敏裕「挙証責任と推定」松尾浩也=井上正仁編『刑事訴訟法の 争点[第3版]』(2002)160頁,津村政孝「許容的推定について」研修659号
(2003)8─9頁,古江賴隆『事例演習刑事訴訟法』(第2版,2015)249頁,酒 巻匡『刑事訴訟法』(第2版,2020)492─493頁など参照。
【図】許容的推定(反証を許す法律上の推定)と挙証責任の転換のイメージ図
【図 1 】許容的推定 【図 2 】挙証責任の転換
解明度 50% 90%
50%
10% 90%
90% ? 50%
無罪 有罪 10%
事実 B■
事実 A●
100%
真偽不明,立証なし 立証あり
結審
結審
被告人の反証
検察側の前提事実立証による推認 検察官による事実Aに関する立証活動
証明主題(事実B)への確信
① ② ③
被告人による事実Bに関する立証活動 反証なし
証明主題への確信
証明主題(事実 A)への確信
求められ,結審の段階で事実
B
に寄せる裁判所の確信(図中の■)が証明 度を超えなければ,被告人に不利な事実認定がなされることになる。その 際,被告人の事実B
の立証における「証明度」が,検察官の立証に妥当 する証明度(=90%)と同じ程度なのか,それよりも軽減される(例えば 証拠優越で足りる)のかは,別途検討すべき問題である。犯罪成立に関わる事実に関して被告人に挙証責任が転換される場合,被 告人が罪責を免れようとするならば,「その事実の不存在」を立証しなけ ればならず,仮にその場合の証明度が検察官による立証の場合と同じであ れば,裁判所の確信が90%を超えるまで,証明度が軽減されて「証拠優 越」で足りるとすれば,裁判所の確信が50%を超えるまで,立証を尽くさ なければならない。そうだとすると,このような挙証責任の転換は,利益 原則に正面から抵触することになる(裁判所は「犯罪事実の存在」につい て,最低でも10%または50%の確信があればその事実を認定することになるた め)。そのため,挙証責任の転換が正当化されるのは,被告人に挙証責任 が転換されている要件を捨象し,検察側に挙証責任がある残りの要件だけ から構成される種類の行為を考えたとしても,既にその種の行為に「犯罪 としての当罰性」が認められる場合に限られる(「包摂基準」)(44)という考 え方が,基本的な思考方法として出発点に据えられているのが議論の現状 である。すなわち,転換規定が正当化されるのは,検察側が立証した前提 事実だけでも既に,本来ならばその当罰性の面において(当該規定の法定 刑による)処罰に値するので,挙証責任が転換されている要件は犯罪の成 立を基礎づけていない(一定の政策的観点から付加的に課された要件にすぎ ない),と認められる場合に限られる。
それでは,207条について,利益原則に抵触するという疑義を解消する ことができるだろうか。以下,最高裁平成28年決定が挙げた,検察官が立
(44) 松尾浩也「刑事訴訟における挙証責任」上智法学論集創刊号(1957)295頁
(注(二)),川出・前掲注(43)160頁,古江・前掲注(43)251頁以下など参 照。
証すべき
2
つの前提事実のそれぞれに即して,利益原則に抵触しない207 条の解釈論の可能性を模索することにしたい。5 . 2 行為者各人の単独惹起の可能性
まず,最高裁平成28年決定が,検察官が立証すべき前提事実として挙げ ている第
1
のもの,「各暴行が当該傷害を生じさせ得る危険性を有するも のであること」(行為者各人の単独惹起の可能性)について検討しよう。こ の前提事実の立証が検察官に求められる,という前提条件が設けられるこ とによって,被告人に対する挙証責任の転換は正当化されるのだろうか。この第
1
の前提事実(行為者各人の単独惹起の可能性)に着目した場合,207条が利益原則に抵触しないとする主張・論拠として,次の 2
つのものが考えられるように思われる(5 . 2 . 1 , 5 . 2 . 2)。
5 . 2 . 1 因果関係の「許容的推定」規定としての運用可能性 第
1
に(前提を覆してしまうようだが),207条をそもそも因果関係の存在 の「挙証責任の転換」規定ではなく,因果関係の「許容的推定」の規定と して理解・運用することができるならば,問題は最初から生じない。上述 の通り(5.1),許容的推定は「被告人側の反証の容易性・便宜性」の条件 を充たしている限り,利益原則には原理上抵触しないからである。①「行為者各人の単独惹起の可能性」によって因果関係が「推定」され るとする理論構成(許容的推定の理論構成・その①)
このような主張の論理は,次のようなものになるだろう。検察官が,前 提事実(A)として,「各暴行が当該傷害を生じさせ得る危険性を有するも のであること」(行為者各人の単独惹起の可能性)を立証する。この事実
A
の立証は,被告人の暴行と傷害との「因果関係」(要証事実である事実B)の存在をある程度まで推認(推定)させるが,それだけでは,因果関係
(事実B)の存在それ自体についての,証明度を超えた立証にはならない。
何故なら,207条の適用が問題となる事案においては,同時に他の行為者 の暴行にも傷害の単独惹起の可能性が認められているのであり,事実
A
の立証だけでは,「問題の傷害を現実に惹起したのは他の行為者の暴行で ある」という競合仮説を未だ排除できていないからである。そこで,被告 人側が「自分自身の因果関係の不存在」について証拠を提出できなかっ た,という証拠不提出の事実がそこに加味されて推認力が更に上乗せされ ることで,因果関係(事実B)について,検察側による証明度を超えた立 証がなされたと認められることになる。このような論理である。
しかし,このような論理を援用して,207条を因果関係についての「許 容的推定」規定と解することはできない(45)。この場合に,「被告人の暴行 が傷害を惹起した」という仮説を排除して,「他の行為者の暴行が傷害を 惹起した」ということを立証するのは,被告人にとって決して容易ではな い(傷害の発生機序に関する証拠が被告人に偏在しているわけではない)。し たがって,被告人には「反証の容易性・便宜性」がなく,このような「許 容的推定」規定を設けることには根拠・正当性が認められないのである。
②「特定の暴行」事実によって因果関係が「推定」されるとする理論構成
(許容的推定の理論構成・その②)
そこで近時,以上のものとは異なった理論構成によって207条を因果関 係の「許容的推定」の規定と解する見解(内山)が主張されている。
内山論文(46)は,検察官が,「①被告人ら意思連絡のない
2
人以上の暴行 が場所的・時間的に同一ないし近接した機会に加えられたものであるこ と,②その際,傷害の原因となった『特定の暴行』が行われたこと」を前 提事実として立証すれば,被告人が,「自分が行った暴行が当該『特定の 暴行』でないことの証拠を提出する(自分がその現場で何をやったかを説明 する)責任を負う」ものとし,このような形で,207条を「因果関係の推 定規定」として解釈・運用することができるとする。ここで挙げられてい(45) この点につき,杉本・前掲注(4)53─54頁参照。
(46) 内山安夫「同時傷害の特例について」東海法学54号(2017)135頁以下。同 論文は,207条を因果関係についての「許容的推定」規定と解するための様々 な理論構成の可能性を検討している。
る検察官が立証すべき事実①は,最高裁平成28年決定が挙げた(検察官が 立証すべき)第
2
の前提事実である「機会の同一性」に相当する。これに 対して事実②は,問題となっている「傷害」の原因となった特定の暴行事 実のことであり,これは,最高裁平成28年決定が挙げた(検察官が立証す べき)第1
の前提事実である「行為者各人による単独惹起の可能性」とは 異なっている。以上の説明を単純なケースで敷衍すれば,次のようになるだろう。「被 害者
A
が,意思連絡のないX
(被告人)とY
(他の行為者)によって,同一 の機会にそれぞれ頭部と腹部を1
回ずつ殴打された結果,『急性硬膜下血 腫』を生じて死亡した(しかしX,Yのどちらが頭部を殴打したのかは不明で ある)」,というケースを考えよう。この場合,まず検察官が,前提事実と して,①暴行の機会の同一性と,②急性硬膜下血腫の原因となった「頭部 への1
発の殴打」の存在を立証する。そうすると,被告人X
の側におい て,問題の「頭部への1
発の殴打」は自分が行った暴行ではない,という 反証を求められることになり,反証できなかった場合には,Xにつき因果 関係の存在を認定し得ることになる(因果関係の許容的推定)。行為者は,「自分の暴行と傷害との間の因果関係の不存在を証明することは難しいと しても,自分がどのような暴行を行ったかについて説明し証明することは 困難ではない」(47)から,この場合,被告人には反証の容易性・便宜性が認 められる,というのである。
この理論構成は,上記①のようなやり方で207条を因果関係の「許容的 推定」規定として構成することは,被告人の反証の容易性・便宜性が欠け るために不可能である,という理解に基づき,それに替えて,「特定の暴 行」という事実(すなわち,問題の傷害を惹起した暴行が特定されたこと)を
(47) 内山・前掲注(46)134頁。筑間正𣳾「刑法二〇七条(同時傷害)について」
広島法学11巻2号(1988)33頁も,行為者が,自分自身がどのような行為(暴 行)をしたのかを証明することは,検察官よりも容易である,と指摘する。ま た,鈴木茂嗣「刑法と刑事訴訟法の調和」平場安治=平野龍一編『刑法改正の 研究 2 各則』(1973)77頁。
前提事実として行為者の因果関係が推定される,という構成によって,
207条を因果関係の「許容的推定」規定と解する可能性を模索したもので
ある。しかし,このような理論構成にも,次のような疑問が生じるように 思われる。第
1
に,傷害を惹起した「特定の暴行」が自分の暴行ではない,という 反証も,被告人にとって必ずしも容易ではない。問題となるのは,上で例 示したような単純なケースだけではないからである。傷害は,行為者の「
1
発の打撃」と一対一の対応関係で発生するとは限らず,ある行為者の「一連の暴行」のいわば「合計」によって初めて生じる場合も多い。例え ば,最高裁平成28年決定(=判例41)の事件でも,問題の「急性硬膜下血 腫の傷害」を惹起した「特定の暴行」を,「後頭部に加えられた一撃」と いった単純明快な形で指し示すことはできない(上記[表 1 ]中の,同事 件の各「暴行」の内容を参照)。このように,ある一定の暴行群4の「合計」
という形でしか「傷害の原因となった暴行」を特定できない場合,それら の暴行群4が「自分のものでない」とする反証は,果たすことが困難な,極 めて複雑なものとならざるを得ないように思われる。他方,このような場 合には「特定の暴行」が認められないとして207条の適用を排除するとい うのであれば,同条の適用範囲は著しく狭められ,端的に
1
発の暴行が特 定された単純なケースとの間に不均衡が生じてしまう。第
2
に(より重要な点だが),そもそも,「傷害の原因となった暴行の存 在が特定される」という前提事実は,被告人の「因果関係」を推定する関 係にはないものと思われる。上記の単純なケースで言えば,問題の「急性 硬膜下血腫」の原因が「頭部への1
発の殴打」であると特定されたとして も(前提事実の認定),そのことから,「Xがその暴行の主体であるという こと」(要証事実=Xの因果関係)は何ら推認されないからである(48)。(48) せいぜい,2人の行為者(X,Y)が一連の暴行に関与していたのだから,X が問題の暴行の主体であるという要証事実は2分の1(50%)の確率で真であ る,と言える程度である。
まとめると,許容的推定の理論構成・その①においては,前提事実(各 行為者の単独惹起の可能性)に要証事実(被告人の因果関係)を推定する力 は認められるが,他方で,被告人側における反証の容易性・便宜性がない ことになり,逆に,理論構成・その②においては,被告人側における反証 の容易性・便宜性が認められる場合はあり得るが,他方で,そもそも前提 事実(傷害を惹起した暴行が特定されること)に要証事実(被告人の因果関 係)を推定する力が認められない,ということになる。以上からすれば,
207条を因果関係の「許容的推定」として理解・運用することは,やはり
無理であると考えざるを得ない。5 . 2 . 2 因果関係の「挙証責任の転換」の正当化可能性
そうすると,本条は,因果関係についての「挙証責任の転換」規定であ ると解する他はない(49)。それでは,傷害結果に対する因果関係について,
被告人への「挙証責任の転換」を正当化することはできるだろうか。
そこで問われるのは,「当該傷害を生じさせ得る危険性を有する」暴行 に出たこと(検察官が立証すべき第1の前提事実)があれば,「当該暴行が 当該傷害を惹起した」という事実(傷害の惹起=暴行と傷害との間の因果関 係)がなくても,刑法204条(傷害罪)の処罰対象とされるだけの当罰性が あるか,という点である。同時傷害から「傷害の惹起」という部分を取り 除いたとしても,既にその「残部」である暴行の事実それ自体に「犯罪と しての相当の可罰性」が認められる,との指摘はあるが(50),問題は,そ の事実に対して,刑法208条(暴行罪)ではなく,刑法204条(傷害罪)の
(49) なおこの他に,207条は,各行為者の間に「意思連絡」があったことを推定 する規定である,と解する見解も主張されている(意思連絡推定説)。しかし,
「意思連絡」の推定という構成は,207条の文言には合致しない。また,裁判実 務は,行為者間の「意思連絡の不存在」が積極的に認定される場合に,むしろ その受け皿のように207条の適用を試みていると見受けられることから(判例 12,16,19,20,25,28,30,33,34,35,36,38),この見解は少なくとも現 在の裁判実務には合致しない。
(50) 松尾浩也『刑事訴訟法 下』(新版補正第二版,1999)24─25頁,光藤景皎『口述 刑事訴訟法 中』(1992)128頁,上口裕『刑事訴訟法』(第2版,2011)372頁。
法定刑をもって臨むことが許容されるかである。
これが許容される余地があるとすれば,その根拠は,暴行罪と傷害罪と の連続性という点に求める以外にないものと思われる。最高裁は,傷害罪 における傷害を「生活機能に障碍を与えることであって,汎く健康状態を 不良に変更した場合を含む」と定義し(51),身体(の全体又は一部分)に生 じた生理的機能障害を,定義上その程度を問わず,広くそこに包摂してい る(52)。そのような前提からすると,有形力が被害者の身体に到達する
「接触型」の暴行がなされた場合には,その有形力が一定の強さ以上であ れば,被害者の身体(少なくとも接触した部分)に何らかの生理的機能障害
(傷害)が生じているケースが殆どではないかと思われる。その限りで,
接触型の暴行罪と傷害罪との境界は流動的であり(53),両罪はその限りで,
いわばグラデーションのような連続性を持っていると言える(更に,204条 はその法定刑の幅が広く,軽微な傷害から重大な傷害まで様々な程度・性格の 傷害事実をカバーするものであることから,傷害罪の中でも引き続き軽度から 重度へのグラデーションが継続していると言える)。
そして,207条の適用が問われた過去の判例を見る限り([表 1 ]の「各
『暴行』の内容」欄を参照),207条に言う「暴行」は「接触型」のものに限
(51) 最決昭和32・4・23刑集11巻4号1393頁(「胸部に疼痛を生ぜしめた」こと を,傷害罪の「傷害」と認めている)。
(52) 松本時夫「傷害の意義」石川弘=松本時夫編『刑事裁判実務大系9 身体的 刑法犯』(1992)283頁,丸山雅夫「刑法における『傷害』の程度と結果的加重 犯(上)」判時1521号(1996)177─179頁など参照。
(53) 松本・前掲注(52)283─284頁は,暴行と傷害との概念的区別を曖昧なもの にすることに対しては警鐘を鳴らしつつも,実態として,人の身体に暴行が加 えられたときは「医学的にはなんらかの生理的機能障害が生じているというこ とはできるかも知れ」ず,あとは,明白な外的症状を伴っているか否かによっ て,「生理的機能障害の発生を立証できる場合には傷害罪に当たるとされ,立 証できない場合に暴行罪に問われるという状況にあるということも可能かもし れない。」「生理的機能の障害が極めて軽微なものであるときは,傷害罪を適用 した場合と暴行罪として処罰した場合とでさほど量刑に差異は出てこないであ ろうということもいえるかもしれない。」と指摘している。また,高田・前掲 注(3)96頁,岡野光雄『刑法各論25講』(1995)29頁参照。
られており,相手の身体に対する有形力の到達(接触)が必ず要求されて いる(54)。そうすると,少なくとも,「程度の重い傷害」(典型的には,「死 因」となったような傷害)との関係で207条の適用が問題となっているよう な場合には,そのような重い傷害を「単独で惹起した可能性」がある接触 型の暴行(検察官によって第1の前提事実が立証された暴行)というのは,
最低でも,被害者の身体に「一定程度の」生理的機能障害を惹起している ものと考えられるのである。したがって,そのような暴行は,単なる暴行 罪(208条)の枠内に収まるものではなく,その当罰性はむしろ傷害罪
(204条)の法定刑でもって臨むのに値するもの,と考えられる。これに対 して,207条の適用が問題となっているのが「軽微な傷害」である場合に は,そのような軽微な傷害を「単独で惹起した可能性」がある接触型の暴 行(検察官によって第1の前提事実が立証された暴行)がなされても,必ず しも,それによって被害者の身体に何らかの「傷害」が生じているものと は考えられない。このような暴行に対しては,傷害罪ではなく,暴行罪の 法定刑でもって臨むのが相当であると考えられる。そのため,このような 暴行が207条の適用条件を充たし,(罪名として)傷害罪の成立が認められ たとしても,その具体的な量刑が208条(暴行罪)の法定刑の上限を超え ることは許されないものと解する。以上のような解釈は,208条が,「暴行 を加え,傷害に至らなかったときは」と規定し,暴行を加えながら全く傷 害に至らない場合が「例外」であるような論理関係の文章になっているこ と(55)とも整合するように思われる。
以上で提示したのは,何らかの生理的機能障害の惹起を必然的に伴って4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 いると考えられる程度に達している4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4「暴行」は,既に傷害罪(204条)の 法定刑でカバーされるべきものであり,それを認めているのが207条であ る,という解釈論である。このような解釈論を前提にするならば,このよ
(54) 暴行罪(208条)において「接触型」とともに処罰対象とされている「非接 触型」の暴行は,207条においては排除されている。
(55) 内山・前掲注(46)136頁・注35も参照。
うな暴行は,それが現に「重大な傷害」を惹起したこと(因果関係)が立 証されているわけではないのだから,少なくとも,このような暴行に対し て204条(傷害罪),205条(傷害致死罪)の法定刑の上限に近い量刑(ある いは,傷害罪・傷害致死罪の量刑相場の上限に近い量刑)をすることは許され ない,と解すべきである。
5 . 2 . 3 被告人の立証における証明度の軽減
本稿は,上で示した解釈論(5 . 2 . 2)による限り,問題の「傷害の 惹起」(因果関係)が検察官によって立証されていなくても,検察官が第
1
の前提事実(被告人の単独惹起の可能性)を立証すれば,それだけで既 に,被告人を傷害罪の法定刑によって処断することが実質的に基礎づけら れる,と考える。そのため,挙証責任の転換が利益原則に抵触する,とい う疑義は生じない。他方,挙証責任が転換された場合に,被告人側の立証において設定され る「証明度」を軽減し,「証拠優越の程度」で足りるとすべきである(そ れによって,利益原則抵触の疑義を幾分か払拭する),との主張もなされてい る(56)。前出の[図 2 ]で説明するならば,被告人の立証の結果,被告人 主張の真実性に対する裁判所の確信が90%を超えた場合(図中の①の場合)
(56) 細谷泰暢「判解」『最高裁判所判例解説 刑事篇 平成28年度』(2019)22頁は,
最高裁平成28年決定が,検察官について「証明」,被告人について「立証」と いうように異なった文言を用いていることから,同決定は,挙証責任が転換さ れたときの「被告人側が負う立証の程度については,検察官と同程度のものま では求めないとの解釈の余地を残して,今後の検討に委ねたものとみることも できるように思われる。」と解説している。また,渡辺・前掲注(2)482頁 も,207条において挙証責任が転換されたときの被告人側の立証は,「証拠の優 越程度」になされれば足りると主張している。なお,最高裁平成28年決定の事 件(判例41)のX・Yについての差戻し第一審判決(名古屋地判平成30・11・
26裁判所ウェブサイト)は,被告人による「因果関係の不存在」の立証につい て,「適正な処罰の必要性と立証の難易度の調和の観点から実質的に」考えて
「証拠の優越の程度で足りる」との判断を示した(同判決に関する宇藤崇「判 研(名古屋地判平成30・11・26)」法教467号〔2019〕132頁も,この判示を支 持している)。
には,証明度が(検察官立証において設定されたのと同等の)「合理的な疑い を容れない程度」であっても被告人主張の事実が認定されるが,被告人主 張の真実性に対する裁判所の確信が90%には達せず,50%を超える(証拠 優越)に止まった場合(図中の②の場合)には,証明度が「証拠優越の程 度」にまで軽減されなければ被告人主張の事実は認定されない。
本稿は,上述の通り,仮にこのような証明度の軽減がなくても207条は 利益原則に反しない,と解するものであるが,しかし「証明度」の設定は
(単純に,それが高ければ高いほど誤判の可能性が減って「真実発見」に資す る,といった関係が認められるものでは全くなく),あくまで「適用される当 該実体法の規範目的」や「証明困難」(負担の分配)に関する政策的決定の4 4 4 4 4 4 問題4 4であるから(57),被告人側の立証については証明度が軽減され「証拠 優越」の程度で足りるものとする解釈論も,それ自体,採用可能であると 思われる。
5 . 3 同一の機会
次に,最高裁平成28年決定において検察官が立証すべきだとされている 第
2
の前提事実,「各暴行が外形的には共同実行に等しいと評価できるよ うな状況において行われたこと,すなわち,同一の機会に行われたもので あること」について検討しよう。このように,問題の複数の暴行が「同一(57) 太田・前掲注(42)第5章参照。「高い証明度を要求することは,存在する 事実が真実に反して存在するとは認定されない蓋然性が高くなることを意味す る」(太田・前掲注(42)153頁,引用文中の下線は原文)。刑事訴訟に即して いえば,検察官に対して高い「証明度」を要求すれば,その分だけ,「真実と しては存在している犯罪事実が認定されずに終わる」という蓋然性も高くなる ことを意味する。つまり,「証明度を高く設定すること」と,「真実に合致した 裁判の蓋然性を高めること」とは無関係であり(むしろ両者は相反し得る),
証明度の設定問題は,「被告の保護の必要性」などの「規範目的と具体的正義」
によって決せられるべき事柄である(これは,「自由心証主義とは無関係」な,
純粋に「法の解釈適用としての法律問題」である)(太田・前掲注(42)153 頁,156頁)。
の機会」に行われたことを要求する,という207条の運用のあり方は,下 級審判例において以前から見られたところである(58)。最高裁平成28年決 定は,下級審判例に見られたのと重なり合う表現で,最高裁として初めて
「同一の機会」という適用条件を明示した点にその意義がある。以下では まず,従前の諸判例において,どのようなケースで,どのような事情に着 目して「同一の機会」性が認められているのかを概観する(5 . 3 . 1)。 そして,ここでも問われるべきなのは,検察官によってこの事実が立証 されることが被告人への(因果関係についての)挙証責任の転換を正当化 し得るか,という点である。近時,207条を,暴行が「同一の機会」にな されること(それによって傷害発生等の危険性が高まること)を根拠とした 一種の「加重暴行罪」規定として再構成する見解が,有力に主張されてい る(辰井,樋口など)。これは,「同一の機会」になされた暴行は(単なる暴 行とは異なり),それだけで既に傷害罪の法定刑でもって臨むだけの実質を 伴った特別なものであると解することで,207条の挙証責任の転換に向け られる疑義を解消しようとするアプローチに他ならない。そこで,利益原 則抵触の疑いを払拭できる理論構成の候補として,このアプローチの援用 可能性についても検討を加えることにする(5 . 3 . 2)。
5 . 3 . 1 判例における「同一の機会」
過去の諸判例を見ると,「同一の機会」が肯定されている客観的な状況
(58) その条件を最初に明確に定式化した判例18は,次のように述べていた(その 上で,同判例の事案については207条の適用を否定している)。207条の適用が 認められるのは,原則として,「(イ)数人による暴行が,同一場所で同時に行 なわれたか,または,これと同一視し得るほど時間的,場所的に接着して行な われた場合のように,行為の外形それ自体が,いわゆる共犯現象に強く類似す る場合に限られ,かりに,(ロ)右各暴行間の時間的,場所的間隔がさらに広 く,行為の外形面だけでは,いわゆる共犯現象とさして強度の類似性を有しな い場合につき同条の適用を認め得るとしても,それは,右時間的,場所的間隔 の程度,各犯行の態様,さらに暴行者相互間の関係等諸般の事情を総合し,右 各暴行が社会通念上同一の機会に行なわれた一連の行為と認められ,共犯者で ない各行為者に対し生じた結果についての責任を負わせても著しい不合理を生 じない特段の事情の認められる場合であることを要する」。
は様々であるが(判例については後掲[表 2 ]を併せて参照されたい),大き く分けて
2
つのタイプが認められる(59)。( 1 )第
1
に,複数の暴行が行われた場所が同一であるか又は非常に近接しており,且つ,それらの暴行が時間的にも極めて近接し又は連続して いる場合である。このような場合としては,( 1 ─①)先行者が意思連絡な く暴行(第1暴行)を開始した後で,後行者がそれに加勢するつもりで,
又はそれに急遽同調して暴行(第2暴行)に出た場合(また,この第2暴行 の時点で両者の間に意思連絡が生じていても構わない(60))(加勢・同調のケー ス。判例4 , 5 , 7 ,15,16,27,31,32,33,36など),あるいは,( 1 ─②)
先行者が意思連絡なく暴行を開始し,後行者がそれを制止する意図で仲裁 のために介入したが,その際の被害者の反応や態度に腹が立って自らも突 発的に暴行を開始した場合(制止後に突然暴行に出るケース。判例19,25, 30など)が判例において多数見られる。これらの場合,各暴行は同一の場 所で,時間的に接続した形でなされている。更に実質的に見れば,これら のケースでは,少なくとも後行者の側においては先行者の暴行について認 識があることから(61),先行者の暴行が,後行者が暴行に出る直近の主観 的な動機づけ・きっかけとなっており,かつ,両暴行の間には,暴行行為 者と被害者との間の不穏な対峙状態がいったん解消されたと言えるような 状況の変化もない。( 1 )のケースにおける判例は,このような事情でも って「同一の機会」性を基礎づけているものと見受けられる。
(59) この2類型については,樋口・前掲注(38)8─15頁で示されている(1)
「興奮状態」類型と(2)「不穏・支配状況」類型の区別・分析を参照。本文に おける以下の( 1 ),( 2 )の2種類の分類は,同論文の分類に従っている。
(60) なお,その場合は,「暴行の途中から共謀がある場合」(後述6),というこ とになる。
(61) これに対して,先行者の方は後行者の暴行を(同時進行的に)認識していな い,というケースはある。一例を挙げれば,判例23の事案(X・Yが,X方に 無断で上がり込んでいたAを認め,XがAに対して暴行を加えた直後,Xが 警察に電話するために暴行現場を離れた間に,Yが同所において被害者Aに 暴行を加えた)。
( 2 )第
2
に,複数の暴行が,比較的大きな場所的移動,又は(/且 つ),比較的長い時間的経過をまたいで行われているが,それらの一連の 暴行は,行為者らが被害者を自動車に乗せて終始同行している,又は,被 害者を自宅や施設内で監護・養育しているなど,被害者を一定の支配的・閉鎖的な状況の下に置き続けている間に行われた,という場合が挙げられ る。この種の場合にも,「同一の機会」を認定する判例が多数存在する。
このようなケースとしてまず目につくのは,( 2 ─①)一定の期間にわた り,被害者を同一の場所で(状況の変化なく)支配下に置いていた複数の 行為者が,その間にそれぞれ何度も暴行を加えた(個々の暴行についての 行為者間の意思連絡は認定できない),というものである(虐待のケース。判 例2,14,28はこのようなケースにつき「同一の機会」性を認めている)。ま
た,( 2 ─②)複数の暴行の間に,被害者を自動車に乗せて各所を連れ回す
などの場所的な移動や,被害者を支配下に置く行為者側に人の入れ替わり あるなどの状況の変化があったが,しかしその間,被害者が暴行行為者ら のうちの少なくとも誰かの支配下には置かれ続けていたという場合におい ても,「同一の機会」性が認められ得る(支配状況が引き継がれているケー ス)。この種の場合において,「同一の機会」が否定された4 4 4 4 4ケースでは,① 問題の暴行の間に時間的・場所的な隔たりがあり,②各暴行行為者が相互 に相手の暴行を認識しておらず,③各暴行行為者において暴行に出た動機 に共通性がなく,各暴行行為者の間に利害が一致するような人間関係が
(場合によっては面識も)ない,という理由が挙げられている(判例17,18, 34)。他方,「同一の機会」が認定された4 4 4 4 4ケースでは,①場所的・時間的な 隔たりはあるが,その間,暴行行為者のうちの(少なくとも)誰かが被害 者と一緒に行動して被害者を自分の支配下に置いており,②各暴行行為者 が他の暴行行為者の暴行を(予見・)認識しており,③各暴行行為者が暴 行に出た動機・理由にも共通性があった,という理由が挙げられている
(判例35,38)(62)。以上からすれば,この種の場合には,「同一の機会」の 認定において,支配状況の継続性と,各暴行行為者が暴行に出た動機・き
っかけの共通性が問題とされているものと言える(63)。 諸判例をまとめると,[表 2 ]のようになる。
(62) 「同一の機会」の認定にあたって,判例35では,キャバクラの店舗責任者A が無断欠勤を続けたうえ金銭等の返還をしなかったことから,いずれも同キャ バクラの運営関係者である行為者X・Y・ZがAに対してそれぞれ暴行を加え たというケースにおいて,①X・Yによる第1暴行とZによる第2暴行との間 に時間的に約1時間20分の間隔,場所的に約20kmの移動があるが,これらの 間,Aは行為者3人のいずれかの支配下に置かれ続けており,②ZはX・Yが Aに暴行を加えたことを認識して自らもAに暴行を加え,X・YもZがAを詰 問すること自体は十分予期・認識しており,③行為者3人はいずれもキャバク ラ経営会社の役員・従業員であり,3人の暴行はAの行動を契機としたもので あって,「その経緯,動機も基本的には同一である」という事情が挙げられて おり,判例38では,派遣会社の従業員Aの勤務・生活態度が悪いことを口実 に,派遣会社の寮長X,所長Y,同社に出入りしていたZの3人がAに対して 暴行を加えたというケースにおいて,①第1暴行と第2暴行の間には時間的に 約3時間の間隔,場所的に約30kmの移動があったが,第1暴行開始時から第 2暴行修了時までの間,X・Yはほぼ終始Aと一緒に行動しており,②Y・Z は第1・第2暴行を行い,Xは第1暴行を行うとともに第2暴行についても終 始現場にいてY・Zの暴行を認識しており,③3人いずれの暴行もAがYの意 に沿わないことに立腹して行われた点では共通する,という事情が挙げられて いる。なお,これに対して,類似のケースである判例21(第1暴行と第2暴行 との間に時間的に約20分,場所的に約2〜3 kmの移動がある)においては,
「同一の機会」が認定されるにあたって,各暴行は,行為者X・Yが被害者A を自動車に乗せて進行中にそれぞれ下車して行ったもので「時間的,場所的に 接続ないし近接した暴行」であり,「犯行場所に被告人両名以外の者はいなか ったのであるから,被害者の受傷が第三者の介在ないし被害者の自傷によって 生ずることはありえなかった」という事情が挙げられているに止まり,支配状 況の継続や,行為者の動機の共通性などの事情は明示されていない。もっと も,事実関係からすれば,同事件でもそれらの事情は認められ得るように思わ れる。
(63) ( 1 )と( 2 )の中間的なケースもあり得る。最高裁平成28年決定(判例41) の事案においては,X・Yによる第1暴行(午前6時50分頃開始)からZによ る中間暴行を経て,最終的にZによる第2暴行(午前7時50分頃)に至るま での一連の経緯に,「同一の機会」性が認められるかが問われており,各暴行 の間に一定の時間的間隔が空いている。またこの間,被害者Aは,ビル4階 にあるバーの外のエレベーターホールで第1暴行を受けた後,Yらにより,い ったんバー内に連れ戻されてしばらくそこに留まり,しばらくして再びバーの 外に走り出て,ビルの4階から3階に至る階段を下ったところでZに追いつ
[表 2 ] 判例に見られる「同一の機会」の判断
※注 下表では,各判例の事案における複数の暴行につき,①それらの時間 的・場所的な隔たりの程度,②後行者(第2暴行者)が暴行に出た動機,③ 行為者らが被害者を支配下に置いていた,と認められるような状況の有無,
④行為者間の共謀の事実に関する認定,⑤行為者が相互に他方の暴行を認 識・予見していたか否か,という諸点について記載している。
③の「支配状態の有無」については,支配状態が特に認められない場合に は「―」を記している。
④の「共謀の事実の認定」については,判決文中で,共謀の不存在という 事実が積極的に認定されている場合には「不存在」,一連の暴行の途中から初 めて共謀が遂げられた,又は,一連の暴行の途中までで共謀関係が終了して いる,という事実が認定されている場合には「途中から〇」又は「途中まで
〇」,共謀の存否に関して判決文中に積極的な記載がない場合には「―」を記 している。
⑤の「行為者双方の認識」については,行為者双方が,他方の行為者の暴 行を現認,認識,予期している事実関係が示されている場合には「〇」,現 認,認識,予期していなかった事実関係が示されている場合には「×」,現 認,認識,予期の事実関係の有無が明確にされていない場合には「(不明)」
と記載している。
番 号
判 例(同 一 機 会 性 の 認 定 の 結 論 →
○ or ×)
① 場 所 的・
時 間 的 な 隔 たり
② 後 行 者 の 暴行の動機
③ 支 配 状 態 の有無
④ 共 謀 の 認 定
⑤ 行 為 者 双 方の認識
2 大 判 昭12・
9・10 ○
12月 下 旬 〜 1月中旬
虐待 自宅内養育 ― 暴 行 の 現 認
× 4 最 決 昭25・
11・30 ○
直後 突発的同調 ― ― 認識〇
5 最 判 昭26・
9・20 ○
同 旅 館 内,
直後
や に わ に 加 勢
― ― 認識○
7 東 京 高 判 昭 3 2・1 1・5
○
直後/同時 同調 ― ― 現認○
12 熊 本 家 決 昭 3 7・4・1 6
○
同所・同時 共 通 の「投 石」 指 示 の 下で
― 不 存 在(「暴 行」につき)
認 識 ○(「投 石」 の 意 思 連絡はある)
14 東 京 高 判 昭 38・11・27
○
2月 下 旬 〜 3月18日
虐待 監護下(?) ― (不明)
15 新 潟 地 判 昭 4 0・6・1 1
○
同所・直後 同調 ― ― 現認○
16 東 京 地 判 昭 4 2・8・3 1
○
同 所・ 直 後
(「瞬間的」)
同調 ― 不存在 現認○
17 18
旭 川 地 判 昭 44・12・15
× 札 幌 高 判 昭 45・
7・14 ×
40分 の 時 間 的間隔
別個の動機 ― ― 現認×
19 秋 田 地 大 曲 支 判 昭47・
3・30 ○
同所・直後 制 止 介 入 後 に突発憤激
― 不存在 現認○
20 東 京 高 判 昭 47・12・22
○
同 所・ 連 続 的(0 時 〜 0時半と,0 時半〜1時)
(不明) ― 不存在 (不明)
21 福 岡 高 判 昭 4 9・5・2 0
○
2,3 k m, 20分の間隔
同調?
動機が共通
自 動 車 に 乗 せ移動同行
― 現認○
23 神 戸 地 尼 崎 支 判 昭61・
9・12 ○
同所・直後 同調? ― ― 先 行 者 に よ
る 後 行 暴 行 の現認×
25 大 阪 地 判 昭 61・12・10
○
同 所・ 直 後
(連続)
制 止 介 入 後 に突発憤激
不存在 現認○
26 大 阪 高 判 昭 6 2・7・1 0
○
タ ク シ ー・
暴 力 団 事 務 所 で 午 前2 時〜4時半
加 勢, 動 機 が共通
支 配 的 状 態 の継続
途中から○ (不明)
27 大 阪 地 判 平 9・8・2 0
○
同所,0時〜
0時15分
同 行 者 の 喧 嘩に加勢
― 途中から○ (不明)
28 東 京 高 判 平 1 1・6・2 2
○
同 所, 数 日 間の暴行
虐待 監護下 不存在 (不明)
29 名 古 屋 高 判 平14・6・ 29 ○
公 園 駐 車 場
〜岸壁
(不明) ― 途中まで○ (不明)
30 東 京 地 判 平 1 5・2・1 8
○
同所・直後 制 止 介 入 後 に突発憤激
― 不存在 現認○
31 神 戸 地 判 平 1 5・3・2 0
○
同所・直後 同 行 者 の 暴 行に加勢
― 途中から○ (不明)
32 神 戸 地 判 平 1 5・7・1 7
○
同所・直後 同 行 者 の 喧 嘩に加勢
― 途中から○ (不明)
33 東 京 高 判 平 1 8・7・5
○
同所・直後 同 行 者 の 喧 嘩に同調
― 不存在 (不明)
34 広 島 高 岡 山 支 判 平19・
4・18 ×
27.8km,1 時 間50分 の 間隔
別個の動機,
面識なし
自 動 車 で 移 動
不存在 現認×
35 東 京 高 判 平 2 0・9・8
○
20km,1時 間20分 の 間 隔
動機が共通 自 動 車 で 移 動・同行
不存在 現 認 ×(但 し 認 識・ 予 期○)
36 神 戸 地 判 平 2 1・2・9
○
同所・直後 同 行 者 の 喧 嘩に同調
― 不存在 後 行 者 の 認 識 ○(先 行 者 側 の 予 期 は不明)
37 東 京 家 決 平 2 3・1 2・1
○
同 所・ 時 間 的に連続
動機が共通 ― ― (不明)
38 福 井 地 判 平 2 4・7・1 9
○
30km,3時 間の間隔
動機が共通 自 動 車 で 移 動・同行
不存在 現認○
39 名 古 屋 地 判 平25・7・ 12 ○
同所・直後 動 機 が 共 通 又は触発的
― ― 現認○
5 . 3 . 2 「同一の機会」要件の理論的な位置づけ(加重暴行罪説)
「同一の機会」要件は,従来の学説においては,207条の適用範囲を制約
する外在的な条件として説明されることも多かった。しかし近時,辰井論 文や樋口論文など,207条に該当する同時暴行に「固有の違法性」を見出 し,「同一の機会」要件は207条が予定する「固有の違法性」を体現したも のである,と解するアプローチが提案されるに至っている。この見解は,
「同一の機会」の下でなされる暴行は,行為者間に意思連絡がなくても,
他の暴行を触発し,又は他の暴行に触発されて,単独で孤立した形でなさ れる単純な暴行よりもその程度・態様が激しいものになる,という点に着 目し,そのような観点から,「同一の機会」要件を暴行の違法性(危険性)
を加重する要素として理解するのである(「加重暴行罪」説)。
辰井論文は,207条による傷害罪での処罰を正当化するためには,「二人 以上が関与する暴行」には客観的に見て特別な危険性があること,具体的 に言えば,「二人以上の者が同一人に対してそれぞれ暴行を加える場合,
共犯関係の有無にかかわらず,各自の暴行それ自体がエスカレートしやす く,また他者の暴行と相まって各自の暴行の限度を超えた重大な結果が発 生する危険性」があることに着目しなければならない,とする。そして,
207条はこの種の「加重暴行」それ自体を処罰する趣旨の規定である,と
いう見方を示す(64)。樋口論文も,207条の処罰対象である同時暴行に「固有の違法性」を考 かれ,3階フロアに引きずり降ろされて第2暴行を受けている。このように,
本件事案においては,暴行が加えられた場所はほぼ同所と言ってよいが,その 間に一定の時間的間隔と状況の変化が認められるところである(その意味で,
本件事案は事例類型( 1 )と( 2 )との中間的な事例と言うことができる)。
本事件の被告人Zに関する差戻し第一審判決(名古屋地支判平成28・11・25
LEX/DB 25544750)は,第1,第2暴行が「時間的場所的に近接して敢行さ
れたばかりか……同種同質ないし共通性のある目的のもと,AはX,Yなり
(第1暴行),被告人〔Z〕なり(中間の暴行及び第2暴行)に行動を支配され た状況,これを換言すれば,重大ないし悪質な暴行が繰り返されやすい危険な 状況に置かれ続けたものであることを総合考慮すると」,両暴行の間には「機 会の同一性がある」と認められる,と判示している(ここでは,事例類型
( 1 )と( 2 )にそれぞれ特徴的な要素が列挙されているのが分かる)。
(64) 辰井聡子「同時傷害の特例について」立教法務研究9号(2016)11─13頁。