第一部
教育活動の一環 としてのボランティア活動
右 横 勝
1
はじめに
神奈川大学ではその教育方針 を以下のように定 めている。
「神奈川大学 は人間教育 を基礎 とした 『真 の実学』 を追求 します」 (神奈 川大学将来構想2011年)
この 『真の実学』 とい うフレーズはなかなか厄介な ものである。 どのような 経緯で この 『真の実学』なるフレーズが大学の教育方針 と定め られたのか、そ の基本的な思想 と経緯 については時系列的な議論の展開経過 を含 め一度徹底的 に辿 ることが必要であるが、 ここではこの点については深入 りしない。ただ本 稿ではこの 『真の実学』 を所与の もの として扱 い、以下の見取 り図を提示す る
ことによって筆者 自身の この点に関する個人的解釈 と主張を述べ ることにす る。
国際経営 フォー ラムNo.22
2 『真 の実学』 の見方 ・考 え方 図l (/・i2)
真の実学
現実学
⇔
現 等 体 験 ・
⇔
経 験
鮎現
・ 、 . ‥ : 一 用 ∴
上記図1に関する最低限の解説
(D 筆者 はまず もって 『真の実学』 というタームを 『現実学』 とい うタームに 置 き換 えている。真の実学を 「現実学」 と読み替 え、その 「現実」を中心 的キーワー ドにして本学の教育活動が展開され るべ きであるとい う主張が そこには込められている。
② 大学、特 に従来型大学における従来型教育活動のエ リアを左側 に列記 し、
専門学校での教育活動を右側 に列記 している。 『真の実学』 とい うターム に込められた意味は、従来型大学教育か ら一歩踏み出 し、実用性 を中心に 置 く専門学校 をある程度意識 し、同時にそれ との差別化 を図るとい う側面 があると想像 したか らである。 したがって真の実学⇒現実学 を中心縦軸 に 置 き、左右 に<虚 (座)学> と<実用学>を配置す ることになる。
③ 虚字 とい うのはもちろん偽物 とい うことではない し、価値的に劣 るとい う ことではない。む しろこの虚字 こそが学問の中心であ り真理の探究のカギ である。虚字をい う言葉が誤解 を生む とした ら 「基礎研究」 といって もよ い。いずれにせ よその主た る役割 は認識 ・理解 ・解釈 とい うことにな り、
それに係 るタームが上図最左欄 に 「学問」以下、 とりあえず思いつ くまま に列記 されている。
④ 今 日の大学 は大学ユニバーサル段階にあると言われ る。エ リー ト⇒マス⇒
ユニバーサルの段階を経て大学教育 も大 き く変貌 を遂 げなければならない 外的 ・社会的状況があるにもかかわ らず、教育の内容 と大学運営のスタイ ルが依然 としてエ リー ト段階の大学像 に とらわれているとい うことは長年 にわたって指摘 されてきた ところだ。そうした認識を持つ中で、本学にお いて も 「真の実学」なる教育方針が決定 されてきたのだろう。そ して この 場合、図の右側の専門学校 を意識 しつつ、 しか しその専門学校の教育 との 差別化が問題 となる。
⑤ 筆者 は 「真の実学」 ‑ 「現実学」 と読み替 えているが、 これが一応了解 さ れた とすれば、 「現実学」 に不可欠な もの として、学生の体験 ・経験が ク ローズアップされ る。従来、大学 はもっぱら認識 ・理解 ・解釈 を中心 とし た学問 ・教育を提供 してきたが、そこか ら大 き く一歩を踏み出 し、体験 ・ 経験の提供の分野 にまで大学が踏み出す とい うことが、現在、大学 に要請
されている、またそれが 「真の実学」 教育のひ とつの核心であるとい うの が筆者の主張である。その ことが この図 1に表現 されている。
⑥ ただ し確かに上記は筆者の主張ではあるが、 この主張には神奈川大学の 日 本の大学全体の中での位置 (大学の運営、学生の志向、大学運営の これ ま での経緯な どを含 めた位置)を念頭 に置いた ものである。東京大学 におけ る教育を論 じる場合、あるいは限 りな く専門学校的な教育を要請 され、 ま たそれを目指 している教育機関で この問題 を論 じる場合 はまた別 なニュア ンスになるのであろう。
⑦ 次に提示する図2は図 1で提示 された全般的状況認識 を神奈川大学、特 に 経営学部国際経営学科にひきつけて、具体的に論 じようとしている。
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3
体験の提供 と座学の効果
図2 (/注3)
上記図2に関する最低限の解説
(丑 図 1の最低限の解説⑤で論 じた体験 ・経験の提供 は、実 は神奈川大学経営 学部国際経営学科において もすでに様々な形で実行 されている。大学全体 としては体験学の担い手 は学部教授会以上に事務局担当部署 とい う場合が 多いが、経営学部のひ とつの特徴 はそうした体験 ・経験提供 を学部カ リキュ
ラムの中で意識的に行 っていることであるといえる。
② 円の内側 に列記 されている様々な教育活動 は強弱の差 こそあれそれを有機 的に座学 と関連 させ ることがで きるとい うのが筆者 の主張であ り、同時に 経営学部の伝統的な思想である。そ して この ことの再確認 と更なる内実化
は、今後 ます ます重要 にな るように思われ る。
③ 筆者 は就職担当副学長 として全学的就職支援 にかかわっているが、企業 ・
団体における求められる人材は洞察力 ・行動力 ・忍耐力 ・コミュニケーショ ンカ とい うものであると日々痛感 している。その意味で もこの体験の提供 と、それに有機的にか らむ座学の充実は最重要課題であ り続 ける0
④ 問題 はどのようにしてその体験 ・経験 を教育カ リキュラム、特 に座学の部 分 と有機的に関連付 けるか とい う点であろう。そしてそれを実効的にどの
ように進めるか とい うことであろう。
⑤ ボランティアはそのような大 きな枠組みの中で位置付 けられ よう。 これを 教育活動の一環 として位置付け、大学 として この活動に対 して全面的かつ 直接的にその運営の主体 となるというのが今回の 「KU ̀̀東北"ボランティ
ア駅伝」の基本的思想である。
4 「 東北ボランティア駅伝」の構想 と運営
上記 1‑ 1で論 じた本学の教育方針 『真の実学」』 を大 きな背景 とし、上記 図 1・図2で示 したその大 きな看取 り図の中に今次の 「KU ̀̀東北"ボラン ティア駅伝」は位置付けられる。従って、今次の取 り組みは、純粋なボランティ ア活動の枠 を越 え、教育活動の一環であるというのが筆者の考 え方である。実 際そうした視点で この 「KU ̀̀東北''ボランティア駅伝」は実務 的にも運営 さ れている。大学 としてもそれ相当の費用支出もあ り、当然、費用対効果の側面
を無視す るわけにはいかない。 この場合の効果は主 として教育的効果 とい うこ とになる。現在進行形のこの取 り組みの効果はある段階で徹底的に検証 され る 必要がある。
冒頭に述べた ように本取 り組みついては、その思想、経緯、実際の展開実績、
学生の反応、広報的効果、費用対効果、その他の面 に関 し、総合的 ・包括的に 纏めの作業がある段階で行われ ることになろう。 この国際経営 フォーラムでの 寄稿 とい うよ りは大学の出版物 としてそれは提示 され ることになろう0
5 おわ りに
「国際経営 フォーラム」は国際経営研究所の出版物であることに鑑み、研究
国際経営 フォー ラムNo.22
所構成員 に対 して、 まずはお礼 を述べておきたい。本稿執筆 中の2011年7月中 旬 において研究所全員がそのメンバーである経営学部 は、参加学生数 において も協力 (引率)教員数 において も他学部のそれを大 き く凌駕 している。教育活 動の一環 としての今次の取 り組みの意味を学部 として深 く理解 してい るためで はないか と思 う。なお大学全体 としてはこの時点 (2011年7月20日)において 参加 者数 はすで に450名 にのぼ り、 9月末 まで の参加 予 定者 数 を含 め る と
800名 に迫 る勢いである。大 きな取 り組み とな りつつある。 この実績 を踏 まえ て、教育的意味付 けをさらに論 じ、実際に展開 していきたい ものである。
(注 1)筆 者、石庶
拶
姑静学長 とLて今次 の rKU ̀て東光 "ボ ランティア駅伝Jの彪潜責任者 とLて犀在 も店身 中である0本
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は筆 者が ぞの凝 集貢任 者 となることが予定 ざれ ている丘式 を戯 好 レポ‑i ・
あるいは静 芳書 と ぼ「顔を画 するo あ (までも筆 者の‑教員 とL
ての卿 乾点での周密蒼 一課を友喫
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で盆 述ざれ ているo(注2)本学教 斧方針 に膠 する教学幹部の厨 での農月交教 会に向 け筆者が準好 Lた レジュメの‑膠 である o (2010年 7月)
(注 3)犀 上
追記 :本稿執筆中に、読売新聞 (2011年7月19日 朝刊 ・東京本社版) に本学 の 「KU "東北"ボランティア駅伝」 の活動が取 り上 げられた。現時点 での活動の内容が分か りやす く包括的に紹介されている.第一部 教育 活動の一環 としてのボランティア活動 (石積文責)と第二部の間を埋める
ものとして、以下、参考に していただきたい。