博士(文学)学位請求論文審査報告要旨
論文提出者氏名 谷口 紀枝
論 文 題 目 日活向島撮影所製作の新派映画研究——大衆小説から演劇、そして映画への変遷——
審査要旨
本論文は明治期の主要な映画会社 4 社が 1912 年に合併して設立された日活が東京の向島に建設した、所 謂日活向島撮影所で製作された新派映画を研究している。日活向島の新派映画は、関東大震災前の日本の 現代劇映画を代表するもので、本論文は 1910 年代の日本映画を最も顕著に表している映画類型に焦点を当 てるものである。研究対象は撮影所そのものではなく、ここから生み出された諸作品に絞られ、それらの作品が 同時代の大衆小説や新派演劇と深くかかわっていることを実証している。
全体の構成としては序章に始まり、引き続き六つの章によって日活向島映画の諸相が語られ、そのあとに結 論と資料が加えられている。
序章では映画以前の、とりわけ明治期の大衆小説の発達、新派演劇の発達、それに伴って形成される音とい う対象が、来るべき映画の誕生に非常に大きな意味を与えていることが論じられる。続いて第一章では、新聞 連載小説と新派映画の関係が、『金色夜叉』『不如帰』『己が罪』の三作品を例として論じられる。これらの作品 において、小説がまず演劇化され、そのあとで映画化されるという過程の中で、文字が声に移りゆき、大衆によ って受容されていくことになる。
第二章では海外から輸入された小説と女優の問題が論じられる。日本においては外国文学を輸入する際 に、翻訳が本格化する以前は、翻案という形が好まれた。論者はこの点に注目し、文芸作品が翻案という行程 を経て日本という地方に変容されることで、大衆にも容易に理解されたと考える。その事例として『椿姫』『復活』
『サロメ』の三作品が取り上げられ、それぞれに演劇及び映画に翻案される過程が論じられる。またその過程に おいて、従来の女形では表現が困難な女性の表象という問題が出現し、女優の必要性が語られるようになる。
第三章はフィルムが現存する日活向島作品『うき世』『二人静』の二作品を取り上げ、映像によって物語がど のように展開されているのかを検証している。ここで論者は、現存するこの二作品とも、風景を有さない日本の 近世文学の特徴に酷似しており、自然や町並みなどの風景が意識的に避けられるという特異性を示していると 考える。
第四章では日活向島の新派映画の特性を、同時代の他の映画会社の新派映画と比較することで明確化しよ うとし、所謂各社競作の『毒草』が取り上げられている。菊池幽芳原作の小説『毒草』は、大正 6 年に日活のほ か小林商会、そして天活大阪撮影所でも映画化されている。日活版では主人公を他社とは違い、お源ではな く、お品にすることによって、立花貞二郎という日活向島撮影所の人気女形を有効に生かすという戦略がとられ ているのに対し、井上正夫が監督した小林商会版では、西洋映画的な撮影技法を取り入れている。大正 6 年 ころから日本映画界は大きく変動し、映画革新の道へ向かう。『毒草』が示しているのは、井上正夫のような映 画監督・俳優が従来の新派映画とは異なる演出をする一方で、日活向島映画は従来からのスタイルを全く変 えていないということだと論者は考えている。
第五章は日活内部の革新について考察する。新劇出身の田中栄三、同じく新劇出身の脚本家桝本清など が新派の牙城であった日活向島撮影所に、新しい映画の形を出現させた。大正 7 年『生ける屍』において、田 中栄三は外国文芸の形態を借用して、新派的類型からの脱却を試みた。また従来から典型的な新派映画を 監督し続けた小口忠の『金色夜叉』も洗練された撮影技法により、所謂革新映画として高い評価を受けた。日 活向島撮影所の映画は最も保守的な映画製作を行っているといわれ続けてきたが、いくつかの革新映画を通 じて、次第に独自の美的世界を極めるようになる。その到達点ともいうべき作品が大正 11 年田中栄三監督の
『京屋襟店』であった。これは田中栄三のオリジナル脚本に基づいて製作された大作映画で、女形を用いる新 派映画ではあったが、従来の新派映画にはないリアリズムがこの作品にはあった。こうしたリアリズムの手法は、
氏名 谷口 紀枝
この後、日活向島撮影所最後の年に作られた新人監督たちの諸作品に受け継がれていく。
第六章は大正 11 年から大正 12 年の関東大震災直前までのほぼ 1 年間に作られた、新人監督たちの作品 に焦点があてられる。鈴木謙作、若山治、溝口健二の三人の監督が作った向島新派映画について、その新し さが何であったのかが論じられている。これら三人の監督は女形を使った新派映画の伝統を受け継いだ最後 の世代であったが、田中栄三のリアリズム劇からの影響がこれらの映画監督の作品に認められる。例えば、鈴 木謙作の『旅の女芸人』や『人間苦』においてはそうしたリアリズムは、自然主義的リアリズムになっているとい う。
結論として、六つの章において論じられた日活向島における新派映画の特徴は、外国作品を模倣せず、映 画を科学的にとらえないことで生まれた、叙情性溢れる世界観、人間を通して世界を見つめる向島流リアリズム にあると述べられている。
日本映画史においてこれまで詳細に語られることのほとんどなかった日活向島撮影所の新派映画について、
一次資料を多く用いて検討した本論文は、先駆的な研究として評価される。日本近世文学における風景の問 題が 1910 年代の日本映画にどれだけ関与するのか、説明に不十分なところがあるし、第 5 章および第 6 章で 扱われたリアリズムの問題についてもまだ深化されるべきところがある。しかし同時代の文学や演劇も視野に入 れた新派映画の研究は、日本映画史研究の新たな地平を開くものであり、今後この時期の日本映画に言及す る研究者が必ずこの論文を参照するであろうことは審査員全員の一致した意見であった。本論文は博士(文 学)の学位を授与するに値するものと判断される。
公開審査会開催日 2015 年 12 月 22 日
審査委員資格 所属機関名称・資格 氏 名 専門分野 博士学位名称
主任審査委員 早稲田大学文学学術院・教授 小松 弘 映画史 審査委員 早稲田大学文学学術院・教授 児玉 竜一 日本演劇研究 審査委員 早稲田大学文学学術院・准教授 藤井 仁子 映画史・映画理論 審査委員
審査委員