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(1)

アイザィア・バーリンによる自由概念の分析にかん する一考察 : ベアタ・ポラノフスカ=シグルスカの 議論を素材として

著者 濱 真一郎

雑誌名 同志社法學

巻 63

号 3

ページ 1477‑1525

発行年 2011‑09‑30

権利 同志社法學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013823

(2)

同志社法学 六三巻三号一九(    

―ベアタ・ポラノフスカ=シグルスカの議論を素材として―

濱        真  一 

一 二 三 

は じ め に

 本稿は、英国の思想史家であるアイザィア・バーリン(

Is aia h B er lin

)による自由概念の分析について、ポーランドの法哲学者であるベアタ・ポラノフスカ=シグルスカ(

B ea ta P ola no w sk a- Sy gu lsk a

)の研究に依拠しながら、考察を加

一四七七

(3)

(    同志社法学 六三巻三号二〇

えることを目的としている。バーリンによる自由概念の分析は、彼の教授就任講演である﹁二つの自由概念(

Tw o

C on ce pt s o f L ib er ty

1

﹂(一九五八年)によって提示されたが、その講演における分析は、当初から数多くの反響を呼んできた

)2

。近年では、英国の政治哲学者であるジョン・グレイ(

Jo hn G ra y

)が、バーリンにかんする研究書

)3

を著して以来、バーリンに対する注目が改めて高まってきている。とくに、バーリンの価値多元論(

va lu e- plu ra lis m

)と、自由を根源的価値とする彼のリベラリズムの両立可能性について、活発な議論がなされている

)4

。あるいは、アメリカの法哲学者であるロナルド・ドゥオーキン(

R on ald D w or kin

)は、バーリンによる自由概念の分析に、批判的な考察を加えている 5

。 以上で確認したように、バーリンによる自由概念の分析は、今日でも大きな関心を呼び続けている。本稿は、こうした状況を踏まえて、彼による自由概念の分析について、改めて考察することを目的としている。なお、本稿は先述のように、ポラノフスカ=シグルスカの研究に依拠する。彼女は、ポーランドのヤギェロン大学の上級講師であり、バーリンと直接交流しながらバーリン研究を行ってきた人物である。ここで、彼女のバーリン研究について確認しておこう。 ポラノフスカ=シグルスカは、冷戦下のポーランドにおいて、バーリンの自由論に関心を有した。彼女は、ポーランドの大学で研究を進めると同時に、英国在住のバーリンと書簡をやりとりし、後にオックスフォード大学に留学し、バーリンのもとで研究する機会も得た 6

。バーリンは、旧ロシア帝国領ラトヴィアの首都リガに生まれ、ペトログラードにてロシア革命を目撃し、当地における資本家やユダヤ人に対する排斥から逃れるために、家族で英国に移住した(バーリンの父は材木商で、バーリン家はユダヤ人であった)。あるいは彼は、第二次世界大戦後に、旧ソヴィエト連邦にて英国政府の仕事をした際に、スターリン政権によって迫害を受けていた詩人や作家と接した経験を持つ 7

。そうしたバーリンにとって、冷戦下のポーランドにおいて、自分の自由論に関心を抱いたポラノフスカ=シグルスカは、大いになる共感の対象になったと思われる。ともあれ、ポラノフスカ=シグルスカが、バーリンに直接教えを受けつつバーリン研 一四七八

(4)

同志社法学 六三巻三号二一(     究を行った人物であるということを、ここで確認しておきたい。 ポラノフスカ=シグルスカの業績であるが、彼女には、バーリンにかんするポーランド語で書かれた研究書 8

がある。あるいは彼女は、法哲学・社会哲学国際学会連合(

IV R

)の、インターネット上のエンサイクロペディアで、﹁アイザイア・バーリン﹂の項目 9

を執筆している。さらに、バーリンの死後に刊行された、バーリンとポラノフスカ=シグルスカの共著である﹃未完の対話(

Unfinished Dialogue

₁₀

﹄(二〇〇六年)には、両者のあいだの書簡のやりとり、対話、バーリンへのインタビュー、およびポラノフスカ=シグルスカによるバーリンにかんする論文が、収録されている。本稿は、この共著に所収されているポラノフスカ=シグルスカの三つの論文を参照しながら、検討を進めることにする。三つの論文とは、﹁バーリンの自由の教説にかんする再検討(

O ne M or e V oic e o n B er lin ’s D oc tr in e o f L ib er ty

)﹂(一九八九年)、﹁自由にかんする二つの見解―バーリンとハイエク(

Tw o V isi on s o f L ib er ty : B er lin a nd H ay ek

)﹂(一九八九年)、および﹁抽象的理念としての﹃自由﹄のたそがれ?(

T he T w ilig ht o f ‘L ib er ty ’ a s a n A bs tr ac t I de al?

)﹂(一九九八年)である ₁₁

。これらの論文は、執筆時期がやや古くなっているけれども、彼女がバーリンとのやりとりを通じてそれらを著したことや、バーリンによる自由概念の分析に対する誤解が未だに残っている状況に鑑みれば、本稿で取り上げることには少なからぬ意義があると思われる。 さて、バーリンは、教授就任講演である先述の﹁二つの自由概念﹂において、自由概念を二つに区別した。すなわち、積極的自由(

po sit iv e l ib er ty

)と消極的自由(

ne ga tiv e l ib er ty

)の自由概念である(これらの自由概念の概要は、本稿の第一章で確認する)。以下で、括弧つきで﹁二つの自由概念﹂という場合、それは本教授就任講演のことを意味する。この講演は、当初は単行本 ₁₂

として刊行され、その後、バーリンの﹃自由にかんする四つの試論(

Four Essays on

Liberty

₁₃

﹄(一九五九年、邦訳の書名は﹃自由論 ₁₄

﹄)などに収録されている。本稿では、バーリンの﹃自由(

Liberty

₁₅

﹄(二

一四七九

(5)

(    同志社法学 六三巻三号二二

〇〇二年)に収録された﹁二つの自由概念 ₁₆

﹂を参照する。

一 バーリンによる自由概念の分析

1 ﹁自由﹂の用語法 本章は、バーリンが自由概念を分析する際の、彼の主たる主張が何であるかについて確認することを目的とする。結論を先に提示するならば、バーリンの主たる主張は、消極的自由の擁護ではない。むしろそれは、積極的自由は歪曲されやすいという分析なのである。なお、﹁自由﹂の英語の原語としては、

‘li be rty ’

‘f re ed om ’

がある。両者を区別する用法もあるが、本稿ではとくに区別しない。バーリンも、その両者を同じ意味で用いている ₁₇

。さらに、バーリンは概念(

co nc ep t

)を、それと同義ではない別の言葉や表現でいい換える場合もある ₁₈

。よって、以下でも、自由の﹁概念﹂だけでなく、他の表現(﹁観念(

id ea

)﹂や﹁見方(

vie w

)﹂など)を用いることがある。 ﹁人間の自由(

hu m an lib er ty

)﹂の問題は、政治理論の領域だけでなく、哲学、社会心理学、文学などでも検討される。文学では、孤立した個人の観点から自由が描写される。現代の現実は、実存主義を生み出し、こうした人間の自由の観念を誘発したのである。それに対して、社会的な文脈で自由が考察されることもある。本章で取り上げる論者たちは、いずれも、社会的な文脈で自由について論じている ₁₉

。 なお、バーリンは用語法が厳密でなく、﹁個人の自由(

in div id ua l li be rty

)﹂﹁社会的自由(

so cia l li be rty

)﹂﹁政治的自由(

po lit ic al lib er ty

)﹂という用語を、同義で用いている。例えば、フリードリヒ・A・ハイエク(

F rie dr ic h A . H ay ek

)が﹁政治的自由﹂という場合、彼はその用語を、﹁自分たちの政治体制の選択への人々の参加 ₂₀

﹂として理解さ 一四八〇

(6)

同志社法学 六三巻三号二三(     れるような、バーリンの用語法でいえば﹁積極的自由﹂に類するものとして理解している。バーリン自身は、﹁政治的自由﹂を、﹁積極的自由﹂とは捉えずに、それを﹁個人の自由﹂として理解している ₂₁

。このことを踏まえた上で、議論をはじめよう。

2 二つの自由概念 バーリンは自由の概念を、以下の二つに区別している。すなわち、﹁積極的自由﹂と﹁消極的自由﹂である。彼は、その両者をそれぞれ、﹁~への自由(

fre ed om to

)﹂と﹁~からの自由(

fre ed om fr om

)﹂と表記する場合がある ₂₂

。これらの自由概念について、簡単に確認しておこう。 積極的自由は、﹁誰が主人であるか﹂および﹁誰によって私は支配されているか﹂ ₂₃

、あるいは﹁だれがわたくしを統治するのか﹂および﹁わたくしがなんであるべきか、なにをなすべきか、なんであるべきでないか、なにをなすべきでないか、ということをだれがいうことができるのか﹂ ₂₄

、あるいはより一般的には﹁あるひとがあれよりもこれをすること、あれよりもこれであること、を決定できる統制ないし干渉の根拠はなんであるか、まただれであるか﹂ ₂₅

という問いによって確認できる。この問いに対する答えは、積極的な自己支配(

se lf- m as te ry

)ないし自己実現(

se lf- re ali za tio n

)という観念である。結局、積極的自由とは、何らかの﹁真﹂の目的に従って、自己支配ないし自己実現を行う自由なのである ₂₆

。 以上のような、目的論的な積極的自由に対して、バーリンは非目的論的で開かれた自由の概念を提示する。それは、消極的自由の概念である。この概念は、自由にかんする二つの問いによって確認される。すなわち、﹁どんな範囲にわたって私は主人であるか﹂および﹁どれぐらい私は支配されているか﹂、﹁自分が主人である領域、主人であるべき領域

一四八一

(7)

(    同志社法学 六三巻三号二四

はどれぐらい広いか﹂ ₂₇

、ないし﹁政府がどれほど私に干渉するか﹂および﹁わたくしにはなにをする自由が、あるいはなんである自由があるか﹂ ₂₈

、より一般的には、﹁主体―一個人あるいは個人の集団―が、いかなる他人からの干渉もうけずに、自分のしたいことをし、自分のありたいものであることを放任されている、あるいは放任されているべき範囲はどのようなものであるか﹂ ₂₉

という問いである。 先述の積極的自由にかんする第一の問いへの答えは、統制の起源に関係する。それに対して、消極的自由にかんする第二の問いへの答えは、統制の範囲に関係する ₃₀

。消極的自由にとって重要なのは、自分自身の主人であることではなく、自分がなす選択を他人から妨げられないことである。積極的自由は、﹁私は自分自身の主人である﹂という言明が含意する自己支配というメタファーに基づいて、人々の﹁真﹂の目的を実現するために、人々を嚇し、抑圧し、拷問にかけることを可能とする ₃₁

。対する消極的自由は、そうした目的の実現を追求しない。重要なのは、自由を行使する目的ないし条件とは区別された、自由そのものなのである ₃₂

3 バーリンの議論の価値と独創性 バーリンの批判者たちは、その多くが消極的自由の概念に集中し、その概念の狭さを批判したり、その概念と古典的自由主義との関連を明らかにしたりする者もいた。しかし、ポラノフスカ=シグルスカにいわせれば、バーリンの議論の価値と独創性は、消極的自由にかんする議論にではなく、むしろ積極的自由に対する鋭い批判にある。バーリンは消極的自由の説明に九頁を費やし、積極的自由の概念の批判には二四頁を費やしている ₃₃

。 バーリンの教説の最も独創的な部分を、すなわち積極的概念に対する批判を取り上げて、それを精査した唯一の論者は、カナダの政治学者であるC・B・マクファーソン(

C . B . M ac ph er so n

)である。彼の議論は、積極的な自由の教説 一四八二

(8)

同志社法学 六三巻三号二五(     が特に歪曲されやすいのだというバーリンの主要な主張を、避けて通ろうとはしない唯一の議論である ₃₄

。マクファーソンは、バーリンの中心的な議論を論駁しようと試みているのである―ポラノフスカ=シグルスカによると、マクファーソンは、積極的な自由の見方(

vie w

)についての四つの中心的な想定(

as su m pt io ns

)にかんするバーリンの以下の言明を、引用する ₃₅

第一点は、すべての人間は一つの目的、ただ一つの目的、つまり、理性的自己支配という目的をもっているということである。第二点は、あらゆる理性的存在者の目的は必然的に一つの普遍的な調和的な型にはめこまれねばならず、しかもこれはあるひとが他のひとよりもより明晰に識別しうることがあるということである。第三点は、一切の葛藤、したがってすべての悲劇は、ただたんに理性と非理性的なもの、あるいはじゅうぶんに理性的でないもの―生活における未成熟・未展開の要素で、個人的たると公共的たるとを問わない―との衝突のみに由来する、そしてこの衝突は原理的には避けることのできるもので、理性的存在には起こりえないものだということである。最後に第四点は、すべての人間が理性的になってしまえば、かれらはそのすべてに同一のものであるかれら自身の本性の理性的な法に服するであろう、かくしてかれらは完全に遵法的な、同時に自由な存在となるであろうということである ₃₆

 以上の、積極的自由にかんするバーリンの四つの想定について、その要点を確認しておこう。第一の想定によると、すべての人間は、理性的自己支配というただ一つの目的を追求する存在である。第二から第四の想定によると、すべての人間が理性的存在者となり、人間本性に即した理性的な法に従うならば、すべての人間は自由な存在となり、世界の

一四八三

(9)

(    同志社法学 六三巻三号二六

すべての衝突がなくなる。マクファーソンによると、第一の想定は一元論を示唆しているけれども、実際には、第一の想定は一元論を含意しない。一元論を含意するのは、第二から第四の想定である ₃₇

。 ここで、マクファーソンのバーリン批判に戻ろう。マクファーソンによると、積極的自由の概念に内在しているのは、第一の想定のみである。いいかえれば、積極的自由の概念は、第一の想定は含意するけれども、第二から第四の一元論的想定は含意しないのである。さらに、マクファーソンに従えば、第一の想定は、第二から第四の一元論的想定と矛盾している。すなわち、﹁積極的﹂な自由概念の受容がもたらすのは、バーリンが第二から第四の想定で描写するような、一元論的な﹁あらかじめ定められた調和的な型﹂ではない ₃₈

。むしろ、マクファーソンにいわせれば、積極的自由概念の擁護は、﹁多くの生活様式や生活スタイルの急増﹂をもたらす ₃₉

。 バーリンは、自説を擁護し、以上のマクファーソンからの批判に反論を試みている。バーリンによると、第一の想定は以下を含意する。すなわち、すべての問題には一つの客観的な解答が、たった一つだけ存在しており、その解答をわれわれは知ることができる。ただ、われわれはあまりにも弱く、あまりにも愚かであるために、現世ではその解答を知ることができない。しかし、その解答は存在しているのである。私の真の自己実現と、あなたの真の自己実現は、衝突することがない。というのも、私の真の自己実現は、﹁真の自己実現はどうあるべきか﹂という問題についての理解に、依拠しているからである。真の自己実現はどうあるべきか―すなわち﹁私は何者であるべきか﹂―という問題には、唯一の正しい解答が存在している。もしもその解答が私にとって真であるならば、それはあなたにとっても真である。なぜなら、われわれは両者とも人間だからである ₄₀

。 以上で確認したように、積極的自由にかんする第一の想定は、真の自己実現にかんする問題には唯一の正しい解答(

on ly o ne tr ue a ns w er

)が存在する、ということを含意する。よって、この第一の想定は、第二から第四の一元論的な 一四八四

(10)

同志社法学 六三巻三号二七(     想定を伴うのである ₄₁

。 さて、ポラノフスカ=シグルスカは、マクファーソンを以下のように批判している。マクファーソンは、積極的自由にかんする第一の想定のみを受容し、一元論を含意する第二から第四の想定を拒絶する。彼によれば、積極的自由の擁護は、一元論的な﹁あらかじめ定められた調和的な型﹂ではなく、﹁多くの生活様式や生活スタイルの急増﹂をもたらすのであった ₄₂

。しかしながら、ポラノフスカ=シグルスカにいわせれば、マクファーソンの理論は、﹁多くの生活様式や生活スタイルの急増﹂をもたらしてくれない ₄₃

。詳しく検討していこう。 マクファーソンは、積極的自由の第一の想定(すべての人間は一つの目的を、すなわち真の自己実現をなすという目的を有している)を受容し、第二から第四の想定が含意する一元論は拒絶する。彼が一元論を拒絶するとすれば、(衝突を避けるための)普遍的な型が存在しないことになるから、真の自己実現をなす諸個人のあいだに、無数の衝突が生じてしまう。こうした衝突をいかにして避けるかという問いに対して、積極的自由を擁護する理論家たちは、どのように答えるのであろうか ₄₄

。 ベアタ=ポラノフスカの理解では、この問いに対して、積極的自由を擁護する理論家たちは以下のように答えるであろう。すなわち、積極的自由のすべての擁護論は、社会を組織化するという任務を果たすために、特定の暗黙の普遍的価値(

so m e t ac it, u niv er sa l v alu e

)を想定している。この価値は、絶対不可欠で根源的なものとみなされている。さて、﹁自由﹂という用語は、大いに説得力のある魅力を備えている。よって、積極的自由を擁護する理論家たちが、自由を放棄することは難しい。そこで、理論家たちは、自由よりも優先される何らかの暗黙の普遍的価値を擁護するために、自由の意味を拡張したり、自由の意味を変化させたりする。ポラノフスカ=シグルスカによると、このような自由の意味の拡張・変化は、マクファーソンの議論においてもなされている。マクファーソンの著書からの以下の引用は、ポラ

一四八五

(11)

(    同志社法学 六三巻三号二八

ノフスカ=シグルスカの主張を裏づけている ₄₅

。すなわち、マクファーソンは以下のように述べている。﹁人々の発展的力にたいするおもな障害が除去されたならば、すなわち平等な自由が人々に認められたならば、一つの型ではなくて、定められえずまた必ずしも衝突するとはかぎらない多くの生活様式や生活スタイルの急増が生じるであろう﹂ ₄₆

。 ポラノフスカ=シグルスカによると、﹁平等な自由﹂(という暗黙の普遍的価値)を実現するために必要不可欠な﹁おもな障壁﹂の除去は、その任務を果たす権威の登場を含意する。権威は、自己実現の平等な条件を提供すると同時に、その条件を定義するに違いない。すなわち権威は、個人の独立した領域の範囲だけでなく、個人の自由の内容そのもの 000000000000

をも、決定することになるのである。結局、マクファーソンの理論モデルは、多くの生活様式や生活スタイルの急増ではなく、(一つのパターンではないとしても)制限された幅のパターンを、もたらすに違いない ₄₇

。 ポラノフスカ=シグルスカの結論はこうである。自由の積極的な捉え方はとくに歪曲されやすいという、バーリンの主要な主張は、今もなお妥当である。すなわち、もしも﹁~への自由﹂の教説が社会的機能を果たそうとするならば、その教説は、明示的ないし暗黙裏に、社会を構築するための原理を提供せねばならない。そうなると、﹁自由﹂という用語は、独立の領域という元来の意味を失い、理論家が望むものなら何でも意味するようになるのである ₄₈

。筆者の理解では、こうした状況に警鐘を鳴らすことができるという点において、バーリンの主要な主張は今もなお妥当すると思われる。 一四八六

(12)

同志社法学 六三巻三号二九(     二 自由の哲学、自由と法、そして自由の経済学 1 バーリンの理論化のレベル 本章では、バーリンによる自由概念の分析についてさらに詳しく理解するために、バーリンの理論化のレベル(

le ve ls of th eo ris in g

)を確認した上で、彼の自由の捉え方を、①自由の哲学的側面、②自由の法的側面、および③自由の経済学に分けて、検討する。なお、ポラノフスカ=シグルスカの論文 ₄₉

では、バーリンとハイエクの自由概念が比較されている。もっとも、ポラノフスカ=シグルスカ自身も断って ₅₀

いるように、彼女の論文は、ハイエクのごく一部の文献にしか言及していないため、ハイエクの理解としては不十分であると思われる。そこで本章では、ハイエクの自由概念には最小限の言及をなすにとどめて、主として、比較対象であるバーリンの自由概念のみについて検討を行いたい。 それでは、バーリンの理論化のレベルを確認しよう。ポラノフスカ=シグルスカによると、バーリンは、理論レベル(

th eo re tic al le ve l

)に留まって彼自身の教説の体系(

a bo dy o f d oc tr in e

)を提示している、というわけではない。彼はむしろ、自由にかんするメタ理論を、すなわち理論にかんする理論を定式化している ₅₁

。バーリンによる二つの自由概念にかんする分析(

an aly sis

)と、消極的自由は個人の自由のよりよい防御手段(

sa fe gu ar ds

)であるというテーゼは、彼自身の教説の体系ではないのである ₅₂

。なお、バーリン自身も、ポラノフスカ=シグルスカとの会話のなかで、このことを認めている ₅₃

2 自由の哲学的側面 続いて、①自由の哲学的側面、②自由の法的側面、および③自由の経済学が、検討される。まずは、自由の哲学的側

一四八七

(13)

(    同志社法学 六三巻三号三〇

面からみていこう。なお、以下では自由の哲学的側面について、いくつかの項目に分けて検討する。 

( a ) 自 由 の 価 値

  バーリンは、自らの思考方法において、自由に特別な価値を付与している。彼にとって、自由の価値は、人間の目的の多元性や選択をなすことの不可避性を認識することに、由来している。自由の価値にかんするバーリンの理解をみていこう。 自ら(バーリン)に向けられた、バーリンは自由を究極的な価値(

an a bs olu te v alu e

)とみなしているのだという批判を、彼は以下のように退けている。すなわち、﹁個人の自由(これはまたグループや団体の自由にもあてはまる)の境界について私が主張していることは、どのような意味での自由も絶対的な意味で不可侵であり、自足的であると言おうとしているのだ、ととってはいけない。それは不可侵ではない。その理由は⋮⋮異常な状況も起こりうるからである﹂ ₅₄

。この引用箇所から理解されるように、バーリンは、自由を究極的な価値とはみなさない。 もっとも、バーリンは自由の特別な地位(

a s pe cia l s ta tu s

)は認めている。すなわち、バーリンによると、自由は﹁人間を人間たらしめる不可譲の要素 ₅₅

﹂である。この事実ゆえに、自由は、例外的な状況においてのみ奪われるべきである。例外的な状況で奪われる場合があるという意味で、自由は、絶対的な意味で不可侵というわけではない ₅₆

。しかしながら、自由は、特別な地位を、疑う余地なく保有する。ポラノフスカ=シグルスカは、バーリンの以下の見解を引用している ₅₇

。﹁つまり、そうした状況が全く異常であり、そうしたやり方は嫌悪すべきものであって、大きな害悪のいずれかを選ばねばならぬという極めて深刻な異常事態においてのみ恕されるというまさにその理由から、通常の状態では、大多数の人びとにとって、また大抵の時代大抵の場所では、これらの境界が神聖であり、これを踏みこえることは非人間的な仕業への道に入ることになるということを、われわれは認識するのである﹂ ₅₈

。この引用から理解されるように、バーリンは、﹁人間を人間たらしめる不可譲の要素﹂としての自由に、特別な地位を付与しているのである ₅₉

一四八八

(14)

同志社法学 六三巻三号三一(      

( b ) 自 由 概 念 の 理 解

  次に、バーリンによる自由概念の理解の仕方についてみていこう。ポラノフスカ=シグルスカによると、バーリンは、消極的アプローチを受け入れ、自由を、尊重された独立の領域(

a re sp ec te d sp he re o f in de pe nd en ce

)と結びつける。彼は、その他の自由概念の解釈を、自由とは異なる諸価値の保護を目指す努力とみなす ₆₀

。ただし、バーリンは、自由概念についての消極的理解と積極的理解を、同等に妥当な理解として是認している。彼は、第一の解釈を、潜在的な選択への干渉の欠如として同定し、第二の解釈を、自分自身の主人となる個人の側の望みと同定するのである。二つの概念は、ある程度は重なり合うが、両者は同じものではない。﹁~からの自由﹂が政治的な理想であるのに対して、﹁~への自由﹂は道徳的な要求を構成する。なお、積極的な自由概念は、二つの自我 ₆₁

の理念と結合されたり個人を超越する何らかの存在に拡張されたりするときに、政治的自由を脅かすだろう。よって、バーリンに従えば、﹁より真実で、より人間味のある理想﹂を提供するのは﹁~からの自由﹂なのである ₆₂

。 

( c ) 自 由 の 領 域

  次に、自由の領域についてみていこう。本稿の第一章で確認したように、人間の自由は、例えば文学の領域では、孤立した個人の問題として論じられることがある。それに対して、バーリンが自由について論じる際には、社会的文脈が前提とされている。よって、自由は、他者によって侵害される場合がある。自由はどこまで保護されるのか。どのような場合に、自由は制限されるのか。この、自由の領域の問題を、バーリンに即してみていこう。 バーリンは、個人の消極的自由を社会的文脈に位置づける。すなわち、バーリンは自由の侵害を、直接的であれ間接的であれ、意図的であれ非意図的であれ、﹁他人の⋮⋮干渉﹂のみに関連づける ₆₃

。ここで、ポラノフスカ=シグルスカは、バーリンのアプローチの表現(

w or din g

)に注目している。バーリンは、自由を強制の欠如(

th e la ck o f c oe rc io n

)と定義づけるために、以下の表現を採用する。すなわち、潜在的な選択への干渉の欠如(

th e la ck o f o bs ta cle s t o po te nt ia l ch oic es

)という表現である。この表現においては、自由は、独立の領域とみなされている。この自由の理解は、個人

一四八九

(15)

(    同志社法学 六三巻三号三二

の自由を実現するためのいかなる条件も―﹁内的﹂条件も﹁外的﹂条件も―含まないから、断固として﹁消極的﹂である ₆₄

。 なお、バーリンは、非干渉の領域(

th e sp he re o f n on -in te rfe re nc e

)をとても大まかに定義するだけで、その領域を確定する作業には取り組んでいない。彼はただ、以下のように述べるのみである。﹁もし︹⋮⋮︺非人間化を避けねばならないとすれば、人びとが要求する最小限の領域は、他の人びとや、彼らの創った制度が、とかく侵しがちとなる最小限の領域ではあるが、最小限以上のものではなく、その境界は、積極的自由からの要求をも含めて、他の諸価値の側からするたしかに緊急な要求を抑えてまで、拡げてはならない、ということにもなる﹂ ₆₅

。しかしながら、バーリンが主張するには、この最小限の領域は、もしもわれわれが﹁われわれの自然︹本性︺をおとしめたり否定したり﹂しようとしないのであれば、尊重されねばならない ₆₆

。 以上で確認したように、バーリンは、自由の領域を確定する基準を提示していない。しかしながら、彼は非人間化を避けるためには、自由の最小限の領域を確保する必要があると強調するのである。 

( d ) 自 由 の 主 観 性 と 客 観 性

  次に、バーリンの見解において生じる重要な変化について検討しよう。バーリンは、個人の自由の特徴について、その﹁主観性﹂ないし﹁客観性﹂の理解の仕方を変更している。すなわち、バーリンは、彼の﹁二つの自由概念﹂において、自由を主観的に、すなわち人間の欲求の実現に対する干渉の欠如(

th e la ck o f ob st ac le s t o r ea liz at io n o f m an ’s de sir e

)として、定義した。したがって、自由の範囲は、個人の自己評価に依存している。ところが、﹁二つの自由概念﹂を論文集に収録する際に、同論文集の﹁序論﹂において、彼は自分の立場にかんする表現(

w or din g

)を変化させている。すなわちバーリンは、人間の選択に対する潜在的干渉の欠如(

th e la ck o f ob st ac le s t o t he p ot en tia l h um an c ho ic es

)としての自由という、自由にかんする新しい理解を提示した。ポラノフスカ 一四九〇

(16)

同志社法学 六三巻三号三三(     =シグルスカによると、ここにおいて、自由の観念は客観的な性質を獲得したのである ₆₇

。 以上で確認したように、バーリンの自由の観念は、主観的なものから客観的なものへと変化した。彼の立場のこうした変化は、彼の考えに対する批判的な議論によって引き起こされた ₆₈

。ポラノフスカ=シグルスカは、バーリンの見解の変化を、以下のように評価している。すなわち、自由の﹁客観的﹂な理解は、それが自由を保護するためのよりよい防御手段を確保する限りで、﹁より安全﹂な定義を提供する。自分の自由の範囲について決定する発言権を、個人が有すると考えられると、自由という言葉は相対的なものとなり、その結果、操作の技術へのドアが開かれることになる ₆₉

。 

( e ) 政 治 的 自 由 の 捉 え 方

  次に、ポラノフスカ=シグルスカは、バーリンの政治的自由の捉え方について検討している ₇₀

。彼女によると、例えばハイエクは、﹁自分たちの政治体制の選択への人々の参加 ₇₁

﹂という意味での﹁政治的自由﹂の概念について、分析を行っている。ハイエクの見解では、この意味での﹁政治的自由﹂は、﹁個人の自由﹂という観念と混同されるべきではない。なぜならば、この意味で政治的に自由な国民は、必ずしも自由な諸個人からなる国民であるとは限らないからである ₇₂

。 ハイエクが﹁政治的自由﹂と呼ぶものは、バーリンにとっては、積極的自由の一形態―すなわち共同的な自己統治(

co lle ct iv e se lf- dir ec tio n

)としてのそれ―である。バーリンもこの用語(﹁政治的自由﹂)を採用するけれども、彼はそれをハイエクとはきわめて異なる形で、すなわち﹁個人の自由﹂として理解する ₇₃

。 以上で確認したように、バーリンは、個人の自由と、集合的自由(

co lle ct iv e fre ed om

)との混同は危険だと考える。彼は集合的自由に対して、以下のような態度を取る ₇₄

。﹁自分自身によって統治されることを欲する、あるいはとにかく自分の生活が統制される過程に参画したいと願う気持は、行動の自由な範囲を求める願望と同じく深い願望であり、そしておそらく歴史的にはそれ以上に古いものであるだろう。しかし、それとこれとは同じものを求めているのではない。

一四九一

(17)

(    同志社法学 六三巻三号三四

実際、その二つの間の相違はたいへんなものであって、そこからついに今日世界を支配しているイデオロギーの大衝突がもたらされたほどの相違なのである ₇₅

﹂。この引用箇所から理解されるように、バーリンは個人の自由(行動の自由)と、集合的自由(統制過程に参画する自由)との混同を、危険視するのである。 なお、その他の形態の集合的自由として、例えば、国家の独立を希求する自由があげられている(バーリンはこの理解を、国家から拡張し、階級、人種、共同体、職業といった社会集団も含めている)。バーリンは、このような集合的に解釈された自由も、個人の自由の観念とは区別されるべきだと主張する。すなわち彼は、集合的自由と個人の自由を区別し、それらを混同することを戒めるのである ₇₆

。 

( f ) 内 面 の 自 由 を 脅 か す も の

  次に、内面の自由を脅かすものについての、バーリンの理解について検討しよう。バーリンにとって、﹁内面の自由﹂は、﹁積極的自由﹂におおよそ相当する。彼によると、積極的自由は、本人の感情あるいは道徳的ないし知的な弱さによって妨害されるのではない。むしろ、彼の解釈では、積極的自由は他者(

ot he r pe op le

)―バーリン自身は﹁外的な自然あるいは他人﹂という表現を用いている―によって抑圧されうるのである ₇₇

。 

( g ) バ ー リ ン の 自 由 の 哲 学

  最後に、ポラノフスカ=シグルスカは、バーリンの自由の哲学を以下のようにまとめている。すなわち、バーリンの研究は、正確であると評することはできない。このことは、彼の研究スタイルの問題だけに由来するのではない。ポラノフスカ=シグルスカは、バーリンの、自由概念にかんする以下の見解を引用している。﹁概念のあいまいさ、そこに含まれている規準の多様性は、主題そのものの属性であって、われわれの測定方法が不完全であるとか、われわれが正確な思考をなしえないとかいうことからきているのではない ₇₈

﹂。この引用箇所から理解されるように、バーリンは自由の問題についての最終的な解決は存在しないという想定の下に、自分の教説を構築し 一四九二

(18)

同志社法学 六三巻三号三五(     ている ₇₉

。すなわち彼は、自由概念はあいまいであると理解するがゆえに、自由の哲学も正確なものではありえないと考えているように思われる。

3 自由の法的側面 次に、自由の法的側面(

le ga l a sp ec ts

)について、バーリンがどのような捉え方をしているのかをみていこう。バーリンは、基本的には、自由の法的側面にかんする議論を発展させてはいない。しかしながら、ポラノフスカ=シグルスカによると、ある程度までは、自由にかんするバーリンの論文に散見される見解や暗示から、彼の立場を引き出そうと試みることができる。また、バーリンが引用する論者の選択そのものが、ある意味で彼の立場を明らかにする。すなわちバーリンは、消極的自由について考察する際に、トマス・ホッブズ(

T ho m as H ob be s

)を肯定的に引用し、ジェレミー・ベンサム(

Je re m y B en th am

)にも言及する。さらに、自説を補強するために、ジョン・ロック(

Jo hn L oc ke

)も参照している ₈₀

。このことを確認した上で、検討を開始しよう。 バーリンによると、ホッブズがいうには、﹁自由な人間とは、⋮⋮それをしようという意志をいだいたことをするのを妨げられないひとのことである ₈₁

﹂。次に、ホッブズの見解が精査される。﹁法律はつねに﹃足かせ﹄である。たとえそれがあなたを、法律の鎖よりも重たい鎖―たとえば専制君主制とか混沌とかの鎖―につながれることから守るものであるにしても、そうなのだ。ベンタムもほぼこれと同じようなことをいっている ₈₂

﹂。 バーリンはさらに、ジョン・スチュアート・ミル(

Jo hn S tu ar t M ill

)のアプローチについて論じる際に、強制について以下のように論じている。﹁他のより大きな悪を防ぐために用いられねばならぬことがあるにしても、とにかく強制というものはすべて、それが人間の欲望をうちくだいてしまうかぎり、そのものとして悪しきものであり、また強制の

一四九三

(19)

(    同志社法学 六三巻三号三六

反対である無干渉は、それが唯一の善ではないにしても、そのものとして善きものである﹂ ₈₃

。あるいはバーリンは、積極的自由について論じる箇所で、﹁法律のないところには自由もない﹂というロックのテーゼ ₈₄

を、﹁合理主義的形而上学に基礎をおく自由主義のすべての形態 ₈₅

﹂と結びつける。以上の諸見解は、以下の信条をいいかえたものである。すなわち、﹁正気の自分の考えでやりたいと願望しえないようなものをわたくしに禁止する法律は、わたくしの自由の制限ではない ₈₆

﹂という信条である。なお、バーリン自身の立場は、ロックらのそれとは違い、﹁いかなる法律も自由の侵犯である ₈₇

﹂という、ベンサムのそれと近いのである。 以上から理解されるように、自由の法的側面にかんするバーリンの立場は、以下のようなものであると思われる。すなわち、法律は、例えそれが法律の鎖よりも重たい鎖につながれることから守るものであっても、常に足かせである、という立場である。ただし、バーリンは、法律が消滅した社会が存在できるとは考えていないし、そうした社会の実現を目指しているわけでもない。彼は以下のように述べている。理想的な社会は十分に責任ある存在によって構成されているから、そこにおいては、法律は次第に消滅していく。なぜなら人が法律を意識することはほとんどなくなるからだ

―このような想定をきわめて大胆に明確化し、その帰結を受け入れたのは、ただ一つの社会運動―アナーキストのそれ―だけだったのである、と ₈₈

。 以上で確認したように、バーリンによれば、法律は、例えそれが法律の鎖よりも重たい鎖につながれることから守るものであっても、自由にとっては常に足かせなのである。

4 自由の経済学 以上で、自由の哲学的側面と、自由の法的側面について、バーリンの理解の仕方を確認した。最後に、ポラノフスカ 一四九四

(20)

同志社法学 六三巻三号三七(     =シグルスカは、バーリンの、自由の経済学(

ec on om ic s o f f re ed om

)の捉え方に検討を加える ₈₉

。バーリンは自分の論文で、自由の経済的な特質についてほとんど取り上げていない。よって、批判者のなかには、自由の消極的な理解をバーリンが受容しているとし、すべての形態の干渉主義政策に対する極端な消極的態度を、彼に見出す。そうした批判に応える形で、バーリンは後に、自分の見解を以下のように表明した。すなわち、﹁法的自由は、搾取、蛮行、不正の極とも両立するのである。国家やその他の実効機関(

ef fe ct iv e ag en cie s

)が、積極的自由、および少なくとも最小限の消極的な自由を個々人に保障するために介入することは、圧倒的に支持されている ₉₀

﹂。この引用箇所から理解されるように、バーリンは、国家による干渉を認めているのである。 なお、バーリンは、きわめて誤って彼に帰せられた自由放任主義的アプローチを拒絶したり、その問題を発展させたりすることをしていない。とはいえ、彼の﹁二十世紀の政治思想﹂という論文には、示唆的な一節が示されている。すなわち、﹁われわれが社会に築いたものを放棄して、しばらくの間でも、昔の不正義と不平等と絶望的な悲惨に戻れるかなどと思って見ることは、現実的でもなければ、道徳的にも考えてよいことでもない﹂ ₉₁

。この引用箇所に示されているように、バーリンは、国家による干渉がなかった悲惨な時代に戻ろうとは、考えていないのである。 以上から明らかなように、バーリンが極端な消極的見解をとるというのは、まったく正しくない。消極的自由への彼の主張は、メタ教説的レベル(

m et a- do ct rin al le ve l

)で解釈されるべきである―彼の主張は、危険な歪曲に対してよりよく抵抗できる自由概念の擁護なのである。なお、既に確認したように、ポラノフスカ=シグルスカがいうには、バーリンのこの主張は、自由概念にかんする一つの分析なのであって、教説の体系と混同されてはならない。バーリンは、そうした教説の体系を発展させてはいないのである ₉₂

一四九五

(21)

(    同志社法学 六三巻三号三八

三 自由一般と個別的自由

1 自由と個別的自由 以上の第二章では、バーリンの自由の捉え方を検討することを通じて、彼の主要なテーゼが、積極的自由を擁護するという教説の体系ではなく、自由にかんする分析―第一章の内容を踏まえれば、積極的自由は歴史的に見て歪曲されやすいという分析―であるということを、確認した。本章では、バーリンによる自由概念の分析にかんする理解を深めるために、自由(

lib er ty

)について論じる論者と、個別的自由(

lib er tie s

)について論じる論者の見解を、比較検討する作業を行う。すなわち、バーリンは、自由という一般的観念について論じる。それに対して、個別的自由について論じる論者が存在する。例えば、哲学者のカール・R・ポパー(

K ar l R . P op pe r

)、社会学者のレイモン・アロン(

R ay m on d A ro n

)、およびR・ドゥオーキンらである。後者の論者たちは、自由という一般的観念(

ge ne ra l id ea

)について論じることを拒絶し、個別的自由について論じる。ポパーは方法論の観点から、アロンとドゥオーキンは政治的な立場から、そうした議論をなしている。 ポラノフスカ=シグルスカは、これらの二つのアプローチを比較し、そのいずれが、個人の自由の優れた防御手段を生み出すのかについて、検討している。なお、彼女は、主としてポパーとバーリンの方法論の違いを検討している。それは、その両者の研究手法が、他の論者たちのそれと比べて、高度に発展した方法論に依拠しているからだとされる ₉₃

。なお、ポラノフスカ=シグルスカは、自由という一般的観念について論じる論者として、バーリンと並んで、ハイエクをあげている ₉₄

。ただし、本稿の第二章で確認したように、ポラノフスカ=シグルスカは、ハイエクのごく一部の文献にしか言及していないため、本章でも、ハイエクの自由の捉え方については、最小限の言及をなすにとどめたい。 一四九六

(22)

同志社法学 六三巻三号三九(     2 個別的自由について論じる論者(1)―ポパー 

( a ) 自 由 と い う 言 葉 の 意 味 の 分 析 は 本 質 主 義 的 か 

 バーリンは、教授就任講演である﹁二つの自由概念﹂の冒頭において、﹁自由(

fre ed om

)﹂という言葉の二つの中心的な意味を分析すると、述べている。バーリンとは対照的に、ポパーは、言葉と意味について論じるのは重要ではない(

un im po rta nt

)と、主張した―ポパーのこの主張は、彼の方法論的な反本質主義(

m et ho do lo gic al an ti- es se nt ia lis m

)に基づいている。彼が擁護する反本質主義と、彼が批判する本質主義(

es se nt ia lis m

)の基本的特徴については、以下で議論を進めるなかで言及する。 こうしたポパーの、言葉と意味の分析を、反本質主義に基づいて批判する議論に照らすならば、自由という言葉の意味を分析するバーリンの説明は、本質主義的ということになるのであろうか。ポラノフスカ=シグルスカによると、以下の四つの理由で、バーリンの説明は本質主義的ではない ₉₅

。というのも、第一に、バーリンの構想は、自由の本質(

th e na tu re

)を洞察することではなく、歴史的に自由に帰されてきた二つの主要な意味に、批判的検討を加えることだからである。第二に、自由の積極的教説の歪曲に対してとても敏感なバーリンのテーゼは、二つの概念のいずれかを採用することの実践的帰結について、検証可能(

te st ab le

)だからである。(筆者の理解では、バーリンは、自由概念そのものの本質を洞察することにではなく、二つの自由概念を擁護することの実践的帰結の検証に、関心を有している。)第三に、積極的自由および消極的自由についてのバーリンの定義は、唯名論的(

no m in ali st

)だと称されるべきだからである。というのも、彼の定義は、ポパーが要請したように、右辺から左辺へ(

fro m th e rig ht to th e le ft

)読まれねばならないからである ₉₆

。 この第三の理由について理解するためには、ポパーの、定義を右辺から左辺へと読むべきだという要請について、確

一四九七

(23)

(    同志社法学 六三巻三号四〇

認する必要がある。彼はオーストリア出身で、ニュージーランドおよび英国で活躍した人物であり、ドイツ語ないし英語で文章を書くため、横書きの命題を念頭に置いて議論をしている。例えば、

‘A p up py is a y ou ng d og .’

という命題においては、

‘is a y ou ng d og ’

の箇所が右辺であり、

‘A p up py ’

の箇所が左辺ということになる。ポパーのいう﹁右辺から左辺へ﹂とは、日本語(縦書きの日本語)の場合は、﹁下から上へ﹂﹁後ろから前へ﹂ということになる。﹁子犬とは若い犬である﹂という命題においては、﹁若い犬である﹂の箇所が右辺であり、﹁子犬とは﹂の箇所が左辺なのである。 さて、ポパーによると、アリストテレス主義的解釈や本質主義的解釈は、定義を左辺から右辺に読む。すなわち、例えば﹁小犬とは何であるか﹂という問いは、左辺にある語によって提起され、右辺にある定義子によって答えられる、ということになる。このように、本質主義的解釈においては、定義は左辺から右辺へと読まれる。それに対して、現代科学においては、定義は後ろから前へ、あるいは右辺から左辺へと読まれねばならない。すなわち、例えば﹁小犬とは若い犬である﹂という定義についての科学的見解は、﹁小犬とは何であるか﹂という問題に対する答えであるよりも、むしろ﹁われわれは若い犬を何と呼ぶべきか﹂という問いに対する答えということになる。ポパーによると、﹁右辺から左辺へ﹂というアプローチによって特徴づけられる科学的な定義の用い方は、アリストテレス的あるいは本質主義的解釈とは対置されて、定義の唯名論的解釈と呼ぶことができる ₉₇

。 以上から理解されるように、バーリンによる自由概念の分析は、(ポパーのいう意味で)本質主義的というわけではない。バーリンの分析が本質主義的でないのは、先に確認したように、積極的自由および消極的自由についての彼の定義が、唯名論的だと称されるべきものだからである。すなわち、彼の定義は、ポパーが要請したように、右辺から左辺へ読まれるべきものだからである。このことを示すために、ポラノフスカ=シグルスカは、バーリンの以下の文章を引用している ₉₈

。すなわち、﹁自由という言葉︹⋮⋮︺の政治的な意味の第一―わたくしはこれを﹃消極的﹄

ne ga tiv e

一四九八

参照

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