• 検索結果がありません。

後藤新平著「学俗接近の生活」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "後藤新平著「学俗接近の生活」"

Copied!
35
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

資料紹介

後藤新平著 「

学俗接近の生活

中 島 純 ここに紹介す る 「学俗接近の生活」 は,後藤新平 (1857-1929)の遺稿である。後藤新 平 は陸中国胆沢郡塩釜村 (現在の岩手県水沢市)出身で,その社会的出自は医師である。 後藤 は公衆衛生行政を専門 とする技術官僚 として内務省入 りし,なみな らぬ才覚で出世 し 衛生局長のポス トに登 りつめる。そ して第4代台湾総督児玉源太郎 にその行政的才腕を兄 いだされ,台湾総督府民政局長 ・長官 (1898)に起用 され,後 に満鉄初代総裁 (1906.ll -08.7)とな り,台湾,満鉄付属地での治績を評価 され,国内政治の表舞台に登場 していっ た人物である。「科学的政治家」 (信夫清三郎) と評 されるように(1)公衆衛生,社会政策, 植民地経営等の広 い領野 において,科学的調査主義 に貫かれた国家プロジェク トを数々試 みたことか ら,今 日なおその事績が多方面か ら評価 されている。 他方で後藤 は,教育家 としての発言や著作 も多 く, またその生涯においてさまざまな教 育 ・啓蒙活動を手がけて きた。わた しはこれまで,「教育家」後藤新平 の言説 と事業 に光 をあて,その歴史的意義 について考察を試みる研究を行 ってきた(2)0 「教育家」後藤新平 の思想 と行動 は,台湾総督府,満鉄総裁時代 といった植民地行政官時代にも見て取れるが, 国内政界 に復帰 してか ら, とくに大正期以降に顕著 になる。その例が,信濃木崎夏期大学 (1917年開設)であ り,東京市長時代 (1920.12-23.4) に手がけた市民教育事業である。 これ らはいずれ も成人を主 たる対象に,後藤の持論である 「学俗接近

「学俗一致」 をス ローガ ンに実施 された社会教育事業であり, ともに戦前 日本の社会教育に先鞭をっける歴 史的意義を もつ ものであった(3)0 後藤の説 く 「学俗接近

「学俗一致」 とは,20世紀 に入 り著 しい深化 と分化 をな し,急 速 に発展 していった近代科学知,学問知 と国民大衆の日常的生活世界の融和,結合を期そ うとするもので, いわば西洋文明に方向づけられた国民大衆の知的,文化的な底上げを意 味 していた。後藤 は,植民地行政官 としての経験か ら,従来の軍事力にかわる国民の広義 の生産活動をこそ日本の帝国主義的発展の原動力 とみな し- 後藤 はこれを 「文装的武備」 と呼んだ- その主体 となる民力育成 の方策 と-して, 「学俗接近」 を高唱 した。後藤 の 「学俗接近」 についての言及 は,その述作の随所に散見 されるが,個別 の主題 と してまと まった論考 としては,管見の限 りでは, この 「学俗接近の生活」 と 「学俗 の調和

(立石 駒吉編 『後藤新平論集』収載,東京堂,1911年) とがあるのみである。後者が,わずかに

(2)

5

貢 に も満たない短 い文章であることを考えれば,本資料 は,後藤の 「学俗接近」論 につ いて理解を深 める上で好個の素材 と言 えよ う。 本資料 は,水沢市立後藤新平記念館所蔵 の 「後藤新平文書」 に収録 されているもので, マイクロフィルム化 (全

8

7

リール) された分類番号でい うと,

2

4-1

0

「自筆原稿類」 にお さめ られている。原文 は,銀座伊東屋製の

4

0

0

字詰原稿用紙 に椿書体 の肉筆 で清書 され, 計

1

6

8

枚 に及んでいる。 出版を期 してまとめ られた完成原稿であることは, その整序 され た章構成 と行 き届 いた推敵の跡か らも明 らかである。 ただ し執筆 された年月は未詳であり, 上梓 されないままに遺 された理由 も定かではない。 ここでは同資料 の紹介 にあた って読 み やす さに配慮 し,旧漢字 は原則 として新漢字 に置 き換えたが,仮名遣 いはなるべ くそのま まとした。主要 と思われる事項名,人物名 には,補注を付 け添えることも考 えたが,紙幅 の関係 もあ り省 くことに した。 なお,本資料 に基づ く後藤の 「学俗接近」論 の分析,考察, とくに 「文装的武備」論 と 関わ らせての本格的検討 については,他 日の課題 とさせていただ きたい。 (1)信夫清三郎著 『後藤新平一一科学的政治家 の生涯』博文館,1941,序1頁。 (2) さ しあた り中島純 「大正 デモクラシー期後藤新平 の社会教育 思想

『日本社 会教 育学 会紀要J No.27,1991年, および同 「評伝 r国民啓蒙家JI後藤新平(D∼⑳

『月刊 東京J)1993.2-94.10を参 照 の こと。 (3)草創期 の信濃木崎夏期大学事業 に後藤が果 た した役割 について は,中島純 「信 濃木 崎夏期大学 の思想 と社会的基盤」 日本社会教育学会編 『高等教育 と生涯学 習』〔日本 の社会教 育第42集 〕, 東洋館 出版社,1998年,後藤の東京市長時代 の市民教育事業 について は,同 「後 藤新 平 東京市政 下 における教育改革 (上)

『武蔵野短期大学研究紀要』第13韓,1999年,同 「後 藤新 平東京市政 下 における社会教育事業

『東京研究4』東信望,2000年7月, を参照 されたい。 後藤新平著 学俗接近 の生活 序 吾等が一 口に文明 と呼び,或 は文明生活 と呼ぶ ところの ものは,抑 も何であるか,見や るに依 りてそは種々の解釈を容れ得べ Lと難 も,大体 に於て,人智 の結晶たる学術が,吾 等 の実生活 に十分活用せ られ,吸収せ られ,それが醇化向上せ られたる状態であるといふ ことが出来や う。 元来知識又 は学術 は,吾等の実生活 を整理 し,統御 し,指導 し改造せん とす るの志向よ り発生 した もので, それが進歩すればす る程,実生活 も亦進歩 し発展 して複雑 とな り,隻 - 5

(3)

2-富 とな り,人類の欲望 を多々益 々充足 してい くのである。故 に吾々の生活 は,知識又 は学 術 によって常 に光被せ られ,明化せ られて行かなければな らない。斯 くて始 めて知識又 は 学術 の使途 は達せ られ,実生活 は順調なる発展を遂げるのである。予が所謂学俗一致又 は 学俗接近を唱ふ る所以 も,実 に是の為 に外な らない。 今次 の世界戦 は,或 は知識の戦争 と言 はれ,或 は科学 の戦争 と呼ばれ,或 は文化 の戦争 と唱え られて居 る。 それ程 に其の戦争行為が知識,学術,又 は文明の力 によりて指導せ ら れ,支配せ られて居 る。殊 に独逸の優勢が,主 としてその燦欄たる学術の力 に侯っ ところ 多 きは,何人 と難 も看取 し居 る事実ではないか。 併 し独 り戦争のみで はない。政治 に於て も,産業 に於て も,教育 に於て も社会事業 に於 いて も日常生活 に於て も,若 し西洋が我が国よりも蓮 に勝れて居 るとす るな らば, それは 凡て其 の発達せ る知識 と進歩せ る学術 とが,遺憾な く実際の上 に活用せ られて居 る結果 に 外 な らない。即 ち予の所謂学俗一致又 は学俗接近の理想が,充分 に実現 されて居 る結果 に 外 な らない。 翻って我が国の現状を観察す るに,此の点 に於て甚だ遺憾 なきを得ない。大 に しては政 袷,産業,教育等 の問題 より,小 に しては家庭生活,個人生活の末に至 るまで,凡てが因 習旧踏 に依 り,凡智,常識 に基 いて処理せ られ,而 して甚 だ学理的進取改造の努力 に乏 し い。凡ての施政凡ての活動が,余 りに非科学的,非組織的である。それにも係 らず,学者 は超然世外 に高踏 して実社会を念 とせず,世俗 は漫然巷塵 の間に義動 して,強いて学者の 言 に耳 を掩 い,前者 は後者の知識を噸 り,後者 は前者の迂閥を噂い,斯 くして両々互 いに 相反 目 し,相排壊 して居 るの観がある。か くては文化 の独立 などは勿論の こと,産業上 の 独立 の如 きも,容易 に其の実現を望み得ないではないか。予之を患 うること久 しく,夙 く よ り学俗一致又 は学俗接近の要を唱説 して来 た。即 ち立 にその大意を述べて,江湖 に示す 所以である。 年 月 日 新平識す 第1章 学問の起源 知識や文明に対する呪祖/学問の起源は人間の実際的要求にあ り/ カルデヤ人 と天文学 /科学の女王/挨及人 とナイル河氾濫/形而上学 も亦実際的要求に始 まる一希膿,イ ン ド,支那/学問の本質/常識 と科学/実際的要求は学問の母 クルツール 吾 々が一 口

文化 と称す るところの もの,即 ち学問 とか宗教 とか芸術 とかいうや うな も のは,一体何の為 に起 って来 た ものであ らうか。斯 ういふ厄介な小面倒な ものを人間が作 り出きなか ったな らば,今 日吾々の生活 はもつ と簡単 に純朴 に平和 に,そ して幸福 に行 け たであ らうものを。斯 く嘆 く者 は,必ず しも独 り無為の閑人や世捨て人のみにはか ぎらな

(4)

い。現代の複雑に して煩墳なる生活渦中に血を流 して汗を絞って居 る人々に依 って々洩 ら さるる嘆声である。支那の荘子が 「大義廃れて仁義あり」 と叫び,且っ人間が聖賢の教へ に依 って,善悪邪正を弁ふるに至 った事が抑々その堕落の始めであるとして,人間の無識 無為の自然生活に還 ることを要求 したり,仏蘭西のルーソーが知識又は文明なるものが吾々 の純真なる自然性を傷 けて,俗悪不純なる堕落の深淵に誘ひ落 したのであると考へて 「須 らく自然に還れ」 と叫んだのも,畢責一味同調の考へ方である。其の他凡そ思想家 とか芸 術家 とかいふ もので,悪の点 らに自然生活の憧憶に即 して文明生活の呪祖を放って居ない ものは極めて稀である。然 らばこんなに嫌 はれ勝ちな所謂文明- 特 に知識 とか学問 とか いふ ものは,一体何の為に人間社会に発生 して来たのであ らうか。 学問 (宗教で も芸術で も政治で も皆同 じ事だが, こ々では専 ら学問に就 いて語 る。) の 起 りといふ ものは,決 して天か ら突然学者や哲人が降って来て教へ こんだのでもなければ, いたづらもの 或 は物好 きな悪戯漢があって,勝手に細工 したので もない。それが好 くとも悪 くとも,矢 張 り人間其れ自らの実際的要求が自然に産み出 したのである。換言すれば人間が実際生活 上それを必要 としたか ら起って来たのである。仮例ば医学 は人間に病巣 といふ ものがあっ て,それを除 く方法がなければ、人間は一 日も安ん じて生活す ることができないか ら起 っ て来たのである。支那太古の神農氏が自ら草の根を嘗めて万民医療の為に医薬の研究をやっ た。 これ即ち支那に於 ける医学,又 は薬物学の濫腸である。天文,数理,物理,法理,其 の他一切の科学,哲学,執れ も皆同轍である。今学問の起 りを歴史上の事実に就いて少 し く査べて見や う。 古代に於て諸学問の一番発達 して居た民族 はカルディア民族即ちバ ビロニア人,ナイル 民族即ち填及人,北部印度民族即ち欧州学者の所謂チュー トン民族等である。 今 日歴史家の説 く所 に従ふ と,右三者の中でカルディア民族 は代数学,幾何学の点では 壌及人 と同一地平線上 にあった し,天文学 に於ては凡てを凌いで最高の発達を遂げて居た と言 ほれて居 る。 さて此のバ ビロンでは,今より四千四百年前 に既に政府の物品の長短軽 重,及び容積の標準を規定 して一般人民に示 して居 る。即ち欧州の或学者 は立 に常識 と実 業上の知識 とが両立 し,且つ一定の単位標準 といふ ものが必要 になって来た兆候を認める といって居 る。 そればか りでな く,バ ビロンでは早 く天文学が異常の発達を遂げた。そ してそれはユー フラテス,チグ リース河畔の一年生植物に関係 して居 ると言われて居 るが,つまり当時の 人民が,その一年生植物を栽培 し港概するために頗る農業が発達 し,農業が発達するに従 っ て季節 と天文 とに関する知識が益々必要 となって,その必要が斯学の発達を促 した訳であ る。それにバ ビロンの地 は地域聞達、大気晶明,人々の必要 に応 じて種々の天文的実験 に 対 し多大の便宜を与へたのであった。而 して天文学の発達 は更 に暦学,代数学,幾何学の 発達を促すに至 った。 これが為に,西洋の歴史家 は天文学を以て科学の女王と叫んで居る。 - 54

(5)

-更 に吾々はナイル民族即ち挨及人の間に,土地測量学や幾何学の発達 した歴史を見 るに 及んで,一層適切な学問の発達が実際上の必要か ら起 って来たことを知 ることが出来 る。 同時に又それに依 って一見甚だ空遠 と見えるところの,所謂抽象科学が実 は悉 く日常生活 の必要か ら起 って来て居 ることをも充分 に知 る事が出来 る。 彼の歴史の父 と呼ぼるるへロ ドタスの言 ったや うに,填及の歴史 はナイル河の賜物であ る。 ナイル河の周期的氾濫 は,人々の所有する土地の境界線を常 に破壊 してその限界を分 か らな くした。その結果人々がやがて自分等の所有地を決定する場合 に境界争 ひが出来て 困 った。でその困難を救 う為 には,是非共土地測量 に関する公式やそれに付随 した研究で なければな らなか った。そ して土地測量学 に即 して幾何学の発達 したのは,理の自然であ る。其の他之 に伴ふ諸科学即ち暦学,天文学,物理学の発達 といふや うな ものの発達 も, 亦悉 く彼等填及人の日常生活の必要 に迫 られてのことであった。即ち日常生活 に関す る知 識を統一 し整理 して其の所 に一定の理法を求め,知識を立てることは填及人の実際生活上 の便宜か ら言 って必要欠 くべか らざるものであったのである。 填及人の生活が, ナイル河の周期的氾濫を土台 として居 ったが為 に,彼等の間には自然 亦周期的観念が深 く生 じて来た。挨及人 は輪廻思想が起 り,死屍保存の研究が行はれ,其 の結果 として壮大なる土木建築業が起 り,又其の土木事業 に伴ふ諸種の科学が発達 しi=の ち,之れ又実際的必然の結果であるといふ ことが出来 る。 以上 は専 ら科学的方面 に就 いて語 ったが,哲学倫理等の所謂形而上学 も又同様である。 基菅 は 「人 はパ ンのみにて生 くる事能 はず」 といったが,実際吾々は衣食住の満足丈では 安ん じて生活することが出来ない.我等 は一体何んであるか,何処か ら来て何処へ行 くも のであるか,我等を抱擁 し我等を覆載 して居 るところの森羅万象 は抑々これ何 ものである か, 自然界 と人間界 との関係如何。凡そ此等の問題 は意識的に又無意識的に,時に明確 に 時に漠然 と我等の胸を襲ふて来 る。何 とな く其等の問題が分 らない為 に,一種の不要を覚 える。充分 に安心 して生活 して居 られないや うな気がする。殊 に古代人の素朴な頭に最 も 不安 と恐怖心 とを感 じしめたものは死の事実である。 きのふまで もけふまで も,いとし可 愛 いで居た妻や子が,夜半の嵐一度吹いて忽 ち水のや うな冷いものとなって しまふ。 これ あき 人間にとっては容易に明 らめのつかぬ絶大の悲痛である。抑々死 とは何ぞ,何者の課す る ところぞ,其の意義如何。斯 うした疑問か ら宗教や形而上学が起 って来 る。希臓哲学 も印 二 度哲学 も皆義か ら始 まったので,其等 は決 して道楽半分の遊戯か ら生 じたのではない。切 実なる人間生活の要求を土台 として起 って来たのである。支那の道学 も亦同 じで,治国平 天下の実際的必要がその発達を促が したのであった。故 に,孔,孟,老,荘等が生れて盛 んに天道を説 き,人倫を教へた時代 は支那の最 も乱世 たる春秋時代であった。韓非子や南 子の刑法哲学,孫子や呉子の兵学等 に至 っては,国より実際と離れては全然考へ る事が出 来ない。

(6)

籾て以上の予備を以て,予 は更めて学問なるものの本質を略説 Lや う。 人間 といふ ものが若 し或時期或事実を経験す る場合 に,若 し其の経験が其の時期其の場 合だけで意識の表面か ら消え去 って了ふ ものであるとしたな らば,何んな現象が起 るか, 換言すれば,人間の経験が一時一事でそれが何んの記憶 も残 らぬといふや うな ものであっ たな らば,何 うであるか。 その結果 は何物 について も一切知識 といふ ものが起 らず,常 に 接す るところの もの皆其の度毎 に始 めての経験である。始 めての経験 に して然か も終 りの 経験である。一生の内に馬な ら馬 といふ ものを百回見て も千回見て も,いっ も始めて見 る と同 じ事 になるか ら,馬 とは何んな ものといふ事の知識 は全然出来 る筈がない。斯 ういふ 事なれば吾々はいっ も突然 この地上 に天か ら降 って来た人間の如 く,此の世の ものについ て寸毒の知識 も持たないか ら,何を悪 して好 いや ら少 しも見当が付かない。従 って餓えて も食ふ事 も出来なければ,寒 くとも着 る事 も分 らないといふ訳で,結局生存が出来ない事 になる。 ところが幸 いに して人間は (動物で も程度の差 こそあれ同様。)或時期或事実 を経験す ると,それを記憶 に止 めて置いて他の場合の経験の基礎又 は予備 とし,そ して幾度 も同一 事 を経験す る事 に依 ってそれに対す る統一せる知識を得 る事が出来 る。同時に又同種の経 験 と異種の経験 とを比較 して相互の差別点及び共通点を識別 し,それを一つの組織ある観 念系列 (知識 とは元来 この ものを指すのである) とす る事が出来 る。か く個々の経験を統 一 し又 は整理 して矛盾のないものとす ることに依 って,吾々の生活を安全 に し幸福 にする ことが出来 るのである。 従 って当然の結論 として,最 もよ く統一 され整理 されたる知識が,最 もよ く人類の生活 を安全 に し幸福 にす ると言ふ事が出来 る。 吾々が 日常の経験 を積み重ねて自然に出来上が ったところの知識を常識 と名づける。普 通吾々の生活 は常識を以 って導かれて居 る。併 し常識なるものは,経験の統一又 は整理の 充分 に行 き届 いて居ないか ら,矛盾 に富んで居 る。故 に此れ丈 けに信頼 して居たのでは不 安心であり危険である。 それに常識なるものは人々の経験の範囲を出、でないか ら,広 くこ れを応用す ることが出来ない。-村の村長 としての経験を以て,一国の宰相の仕事 は出来 ないや うな ものである。 そこでどうして も, もっと確実 な統一 をや り整理を行 って,そ こか ら万古普遍の原理又 は法則を発見 し,それに依 って常 に新たなる経験を確実 に統理 して行 くと同時に,未だ経 験せざるところの ものに対 して も明確な判断を下 し又 は予断を為 し得 るや うな工夫を用い なければな らない。此の工夫即 ち之れ学術である。故 に学問 とは常識を更に確実 に統理 し た ものである。そ して何の為 にその必要があったか と言へば,要す るに吾々の実生活を最 も安全 に最 も幸福 に最 も有効 に指導す る為めである。約言すれば生活を幸福な らしむべ き 聡明を得 る為 めである。更 に之れを別方面か ら言へば, 自然 と人生 とを支配 して居 る理法 - 5 6

(7)

-を明 らめて,それを最 も好 く順応す る方法を獲得す る為めであると言ふ ことも出来 る。 学問の本質が果た して上述の如 きもの とすれば,それが外見上如何 に迂遠 な実生活 と没 交渉な もの と見えや うとも,実 は決 して吾 々の実際的要求 と離れた ものではない。否実際 的要求 こそ実 に学問其の物の母 なのである。 第2章 学俗の離隔 学俗離隔の事実/学者 と俗人,学説 と実際/学俗離隔の理由/文化史的理由/心理的理 由/社会的理由 前章 の説明に依 って学問は吾々の実際的要求か ら生み出された ものである事を知 ったが, それに も係 らず今 日学問 と実際,学徒 と実行家 との問に隔ての範が築かれて居 るのは何故 であるか。斯 ういふ疑問がやがて起 って来 るだろう。 世間の実情 に就 いて看 るに,学者の生活 と俗人の生活 とが頗 る懸絶 して居 るや うに,世 間の説 くところと実際生活 とも亦頗 る離隔 して居 る。世人 はよ く気象学者の言ふ事が当て にな らん とか,医者の言ふ事が当てにな らん とか農学者の言ふ事が当てにならんとか言ふ。 又所謂 テーブル論で実際事件 を処理す ることは出来ないといって,学者の説を軽蔑す る。 そ して此等の非難 は,或程度迄 は事実上の根拠 を有 って居 る。政治学者必ず しも政治家た り得ない,道学者敢て道徳家で もなければ, よき教育学者必ず しもよき教育家で もない。 のみな らず学者 自らがその攻究科 目に即 して,それに対応する実際事実に多 くの興味を有 っ て居 るとは限 らない。農学の研究者必ず しも自ら百姓を好む もので もなければ,経済学の 研究者敢て稼殖の業 に掌 はる事 を望む もので もない。その研究主題が如何 に実際に深関係 にあるものであ って も,その研究者 自らは多 くの場合書斎裡の-学究である。彼等の世界 は俗人 の世界 と頗 る趣 を異 に し,二者の間には其 の気質 に於て生活様式 に於て,兎角相容 れないところがある。 ニュー トンが卵子を煤でや うとして時計を煮て了 った り, カーライ ルが ヴィク トリア女王の前で知 らずに杯洗 の水 を飲んだ りしたなども,好 く学者気質を暴 露 して居 るが,兎 に角俗人か ら見 ると甚 だ実生活上 の訓練を経てないところがある。 学問其 の物の上か ら言 って も, ニュー トンの引力説が吾々の生活 と実際何程の関係があ るか。 ダーヰ ンが進化論を唱へて も唱へな くとも,俗人の生活 は別段の影響があ りそ うに もない。 ラデ ィウムの発見が一般世人 に何れ程の功徳 になったか も,亦甚だ疑問である。 斯様 な訳で,見様では学者の学者の研究 もは4Jの道楽 に過 ぎないもので,その所説 も大方 は寝言位 ゐに しか受 け取れないか も知れぬ。 然 らは何故 に学問 と実際 とは斯様 な隔絶 を来 た したのであるか。それには種々雑多な理 由があるが,予 は大体之れを文化史的,心理的,社会的の三つに分 けて説明 しや う。 (1) 文化史的理由 学問 も発生当時 に於ては殆んど常識 と余 り異 な らぬ程単純で粗雑で,従 って又俗耳 にも

(8)

入 り容 いものであったが,それが段々に発達 して来 るに従 って,頗 る複雑な精純な ものと なって専門家でないと容易に分 らないや うな ものにな った。学問の特質の一つ は抽象的 と いう点 にあるのだが,抽象的になればなる程感覚的要素が剥落 して行 って理智的に傾 くか ら,常人の見 るところ聴 くところ其侭 とは全て似たところのないものとなる。普通 は眼で 見,耳で聞いて居れば頗 る平明卑近 と思 はれる茶飯事で も,之れを学者 に説明させ ると大 変な難 しいものとなる。何 もそれ程難 しく言 はな くも分 りさうな ものと俗人 は恩ふが,併 し説明 といふ ものは根本原理 に迄潮 らねばな らんのだか ら, さう簡単な訳 には行かない。 斯様な訳 けで学問が進歩 して抽象的に複雑 になって行 けば行 く程、 自然俗人の理解 に入 り 難 いものとなるか ら,そこか ら学俗の離隔が生 じて来 る。 次 に学問が発達 して複雑 になると,それは到底人々の片手間仕事,道楽半分の仕事たる を許 さな くなる。人文の発達 に伴い万事が分業的専業的に傾 いて来 るが,学問 も亦同 じ事 で,之れが発達す ると専門的の仕事 になって来 る。学問は元来生活統一,環境処理の要求 か ら起 って来 た ものではあるが,併 し其 の研究者 自身 はそんな事 にお構ひな く,一生を研 究その ものの為 に捧 げる事 になる。それが学者の使命で,彼等 は要す るに学問其の物の研 究を深めて,其の発達を計 りさへすればいいといふ事 になる。殊 に学問その ものが益々発 達 し分化 して行 くと,一人の学者の仕事 はほんの学問の-少部分丈の範囲に止 まり,其の 範囲では非常な卓越者だが夫れ以外の点では三才の童児 にも均 しく毒 も知 るところがない といふ有様 になって,表面的には彼の仕事 は何等実社会 と関係なければ又専攻以外の学問 とも関係がないや うになる。一般俗人 は彼れが抑々何を して居 るのかを知 らない し,彼れ も亦一般世間が何 う動 いて居 るのかを知 らない。か くて両者の間には一向に何等の交渉 も 認 め られないや うになる。そ して両者の此の疎隔は文化が発達すればす る程,著 しくなっ て行 く傾向がある。之れ今 日学俗離隔を見 る所以である。

(

2

)

心理的理由 これは文化的理由の中で巳に言及 した事だが,学者其れ自らの心持 に於 いて当初 は実際 上 の必要の為めといぶ事を念頭 に置いたのが,学問が専門的になるに従 って,遂 には只学 問に対する知的興味丈で動 くや うにな り,従 って又実際を顧慮する事がな くな り自然俗世 間を遠 ざけて行 く事を指すのである。 金銭 といふ ものは人の目的を達成する, ほんの手段的の ものに過 ぎない。金銭其の物 は 本来何等の価値 もない。只それが吾々の生活上q)必要物を購ひ,或 は必要な施設を行ふ方 便 となるといふ意味に於て,精 々第三義第四義的価値を有す るに過 ぎない。が併 しそれが 吾々の生活 目的を達成す る上 に殆 ど欠 くべか らざる一つの条件物である為めに,人 々は先 づ之れを獲 る為めに努力 し狂奔す る。そ して此れが久 しい習慣 となる中に本来の目的をそっ ち除けに して,手段的なる金銭其の物を最後の目的視す る傾向を生 じて来 る。所謂守銭奴 なる者に於ては金銭 は決 して使用すべ きものではな く,それ自身が絶対終局価値であ り目

-5

8

(9)

-的である。 これは一種の錯誤的心理作用である。然か も極めて自然な心理作用である。 学問の場合 に於ては, これと全然意義を異 にして居 るが,只同様の心理作用の働 く事 は 事実で,初め手段的,方便的に観 じられて居たものが,やがてはそれ自身終局の目的化 さ れて学者 は只純粋な知的興味丈 けで学問に携 はる事 になる。換言すれば学問の為めに学問 フイロス,

をする事 になる。 プラ トー流 に言へば知 識に対する愛の為めに学問をする事 になる。故 に学者の念頭 は直接実生活が目的でな くな り,従 って実生活を閉却 して了ふ傾 きがある。 此の点に於て,俗人の生活 と学者の生活 との間には一筋の溝渠が穿たれる。学俗離隔は此 の点か らも起 って来 る。 付記 知識 といふ ものは元来手段的のものとして見 らるべきか,其れ自身目的として考へ らるべきものかは, 頗 る問題である。英米流のプラグマチス トや功利主義者 はこれを手段的に見るし,独乙流の理想主義者 は此れを 目的に見 る。兎に角人生の終局 目的が,真,善,美であるとすれば,真に対応する知識 は之れを直ちに目的 と見 られる。併 し斯 ういふ議論 は暫 く哲学者の思索 に委せて置いて, ここでは只初めに実際的要求か ら生 じて来た学 問が、やがて其れ自身 目的として考へ られるや うに傾いて行 ったといふ事実丈を,記憶 して置けばよい。 (3)社会的理由 一般世人の日常生活 は至 って単純な もので,普通の生活経験 に基いて意識的に処理 して い丈 けで別段 さう不便を感 じない。それどころではな く極 く普通の場合に於ては,却 って 常識の方が勝を制することがある。近世的の大工場を経営するとか大農場を経営す るとか いふ場合 は特別 として,尋常一様の生活 に於てはなま じ学問などに依 るよりも,経験的知 識又 は常識で行 く方が一層安全で一層有効である。よ く無智な人間の方が仕事をするとか, 馬鹿な人間の方が金を溜めるとかいふが,或程度 まで之 は真理である。尤 もこれには種々 の理由があって,仮例ば少 し頭のあるものまでは恥ぢてやれない事や悪いと思 って出来な い事で も、無智なものは平気でやるといふや うな事情 にも依 るのだが,一面か ら言へば学 問の理屈などは下手 に囚はれずに,慣熟 した常識智,経験智を自由に働か して行 く方が, 卑近な生活 はより相応 しいといふ理由に基 くのである。 斯ふいう事情な ら俗人 は余 り学識を必要 としない。学智を重ん じない,学智を顧みない。 従 って学問 といふ ものに遠 ざか り,学者 といふ ものに遠 ざかる。 挟て学者の方か らいふ と彼等 は学問の為 に学問を して居 る人であるか ら,普通人 と大分 生活の目的を異 にして居 る。従 って普通人の生活に余 り用事がない し,又普通人の生活を 蔑視する。のみな らず彼等の仕事 は元来思索的,精神的のものであるか ら,俗事 に煩 はさ れる事 は大の禁物である。実生活 はな煩雑な騒々 しいものである。学究生活 は閑寂な純正 な,静思的なものである。二者 は其の様式 に於て怒 らして も相容れない。従 って学者 は自 分等の生活を一層有効 に しその目的を一層 よ く成就する為めに,成 る可 く俗生活を回避 し や うとす る。学者が実生活 に対 して取 る回避的態度 は自己擁護の為めに必要な手段である。 斯 ういふ訳 けで俗人 は学問か ら遠 ざか り学者か ら遠 ざかる。つまり双方互 ひに反対の方 向に離れて行 く, こゝか ら.して当然学俗の離隔が生ずるのである.

(10)

3

章 学問 と実生活 との交渉 人文史的,人文地理的瞥見/学問と実際的背景/古代希膿人の生活 と学芸/羅馬人の気 風 と学問/英,栄,独,仏の国民性 と学風/印度及支那 と其の教学/ 日本民族 と学術/ 実際 と学問とは不可難的関係を有す 前章叙述 の如 く現今 に於ては学問 と実際生活,学者 と俗人の間に非常 の離隔を生 C,殆 ん ど没交渉であるかの如 く見倣 さるるに至 った。然 らば学問 と実際生活 とは単 にその起源 時代 にのみ関係があ って, それが発達す ると同時 に最早関係が無 くな ったのであるか。断 じて左様 の事 はない。予 は先づ順序 として人文的に又人文地理的に,学問 と実際 との交渉 の事実 に一瞥を与へや うと思 う。 学問が実際生活 と無交渉 に単独の発展を遂 げるものでないといふ証拠 に,学問には常 に 実際的背景が伴 って居 る。歴史的に言へば,時代相 といふ ものがその背景 とな って居 り, 地理的に言へば国家又 は民族的要求が背景 とな って居 る。同時 に又学問 は単 に背景 に対応 し適順す る許 りではな く,背景其の物を改造 し変化す る。換言すれば時代の趨勢を変更 し 或 は国家や民族 の生活 を改造す る。要す るに二者 は交互 に相影響 し,相変化す る相互作用 を有 って居 る。之れ取 りも直 さず,学問 と実際生活 とが,不可離的関係を保 って居 る事の 証拠である。今 この関係を,事実 に就 いて略述 Lや う。 右の希膿人 は気候風土の最 も優れた土地 に住み,且つ三面海 を回 らして何処 とも自由に 貿易の出来 る地位 に立 って居 た。だか ら産業商業凡て発達 し充分 に富む事 も出来 た。 のみ な らず海 を隔てて填及, ヤフイニシャ,更 に遠 く亜刺比亜,バ ビロン,印度等の諸文明国 (当時の) を控へ,当時の総有 る文明を摂取 し,或 は経験す る事が出来 た。彼等の望みは, 殆 ど達せ られない ものがない程の幸福 を担 って居 た。彼等 は祝福 されたる国民であった。 従 って彼等 は充分 に現世 を楽 しむ事が出来,又現世 に希望 を持っ事が出来 た。故 に彼等 には暗い影 もなければ,偏屈なところもない。極 めて快活で元気で現世的で,然 も貴族的 で上品である。それに伴 って彼等 の間には現世的で快活で然か も優美で高尚な学問が発生 した。希臓哲学 は即 ちそれであって,一方 には美学,一方 には教学の発達 して万家の調和, 均整語調を説 いた。同時 に又彼等の現世的物質的興味に即 して 自然科学が発達 し,或 は万 家の起源を説 き,或 は物体の本質を説 き,或 は人体の構造や動植物の性質などを説 いた。 皆之れ彼等 の実生活 に即 した ものであ った。其 の他彼等 の間 に非常な発達を遂 げた所の政 治学で も,雄弁術で も論理学で も修辞学で も音楽で も,皆彼等 の実生活 に相応 しい もので あ った。何れ も彼等 の実生活上の必要が生 み出 した ものであ った。 そ して猶興味深 い事 は 彼の国民が其 の勢力 を失ふ と同 じに,彼等の快活中正 な調和的な哲学が,漸 く偏頗 な或 は 非現世的な もの とな った事である。多分 の厭世気分を帯 びたェ ピキュ リアニズムや矢鱈 に 禁欲的なス トイシズムや,神秘的宗教的なネオプラ トニズム等がそれである。 同時 に科学 - 60

(11)

-的方面 は萎磨振 るはざる状態 に陥 った。 更 に之れを羅馬人 に就 いて見 るに彼等 は極めて実際主義の国民であったか ら,哲学の如 き高尚な学問は殆んど発達 しなか った。彼等 は実行を重ん じた。故 に彼等の間にはス トイ シズムの如 き厳粛な意志的な,道徳哲学が重ん じられた。又彼等 は国家主義,帝国主義, 侵略主義の国民であったか ら,政治学 とか法理学 とか,雄弁術 とか兵学 とかいふ ものが発 達 した。そ してそれ等の学風が凡て国民の気風 によって彩 られて居た0 英国人 も亦極めて実際を重んずる国民である。換言すれば経験主義常識主義の国民であ る。故 に英国の学風 は経験主義常識主義を以て貫かれ,従 って又 自然科学,道徳学,政治 学,経防学,功利主義 といふや うな ものが大 に発達 した。米国亦然 りである。然 るに独乙 になるとその趣を大 に異 に し,彼等 は元来理想主義乃至理性主義の国民である。単なる経 験の世界や常識だけでは,満足の出来ない国民である。凡てを根本的に総合的に思索的に, 従 って又哲学的に究め尽 さねば承知の出来ない国民である。故 に彼等の間には,真の意味 に於 ける哲学が非常 に発達 した。科学 に して も,彼等の科学 は哲学的色彩を濃厚に帯 びて 居 る。へ ッケルとがオス トワル ドなどは,哲学的科学者又は科学的哲学者 と言 ってい ゝ。 仏蘭西人 は元来二重性格の国民で,頗 る矛盾に富んで居 る丈 けに,一方 は極めて実験的 実証的なところがあ り乍 ら,然か も他方 には甚だ神秘的,直覚的乃至芸術的なところがあ る。デカル トの二元論哲学を始 め、パスカル,ベーメ, コント (初めは極端な実証主義で 行 き乍 ら遂 には人類教など言 って妙 に宗教的に傾いて居 る。)近 くはベルグソン, ポア ン カ レーなどの諸学者に就 いて観察す るな らば, よ くその国民的特色が窺 はれや う。 猶印度人の実生活 と印度の教学,支那人の実生活 と支那学の特色等を対照 して見れば, 更 に著 るしく二者の不可離的関係を探 ることが出来 る。 酷熱 と猛獣 と大蛇 とに攻め られっっ,然か も衣食 も不自由なく実生活上の心配の少なかっ た古代印度人 は, 自然の趨勢 として厭世的な喋想生活,思索生活に向った。彼等 は彼等の 余裕を愉快に楽 しむには,余 りに不幸な自然を有 して居た.彼等は衣食の

J

L

酒己こそはなかっ たが併 し自然の無情を恨 まぬ訳 には行かなか った。 ここか らして彼等の院憩的な,主観的 な,厭世的な解脱哲学が生み出された。彼等 は現世 に望みを断 って,超越的な貞如の月に 心 の平安を得や うとした。印度哲学 は要す るに彼等の最後の望みたる,解脱的要求を満た す機関 として生れ出た ものであった。 支那 になると印度 とは甚だ趣を異 に しその自然か ら言 って も,人々身を労せず しては衣 食することが出来なか ったと同時に,其の他の点 に於ては印度 に於 けるや うな自然の迫害 はなか った。彼等 は印度人のや うに暢気 に隈想 に耽 ってる暇がなかった。同時に又 自己の 内部 に安息境を求めずには居 られない程,彼等の自然 は冷酷な又は畏怖すべ きものではな か った。彼等 はよ く働 きさへすればそれでよか った。か くて彼等 は最 も実際的気分 に富ん だ国民 とな り,同時に彼等の文化 も亦実際的の風格を帯ぶるものとなった。

(12)

彼等 の民族精神か ら咲 き出でた正統 の花 は儒教であ った。 そ して儒教の根本精神 は孔子 の思想で,孔子の思想 はこれ治国平天下 の道,同時に最 も常識的な実践倫理的な ものであ る。だか ら西洋人 は孔子の教へを以て コンモ ンセ ンス, ドク トリン (常識教学) と呼んで 居 る。孔子 の思想 には未来 に関す る思想,解脱的思想乃至神秘的思想 は少 しもない。老子 などは最 も超越 して居 るに も係 らず,要す るに彼れの太極 と呼び無極 と呼び,無名 と呼ぶ 所 の もの も実 は物質のまだ個体 を成 さざる原子,又 は元原子の状態を指すのに過 ぎない。 即 ち唯物論である。のみな らず彼れは彼れの様式 を以て道徳 を説 き,平天下 の道 を説 くの が 目的で,決 して純粋究理的興味に駆 られて哲学 を説 き,天地の真実義を説 こうとした訳 で はない。老子 に して巳に然 り,他 は推 して知 るべ きである。 更 に日本の歴史 に就 いて見 るに, 日本 は支那 の学術制度を取 り入れ更 に支那朝鮮 を通 し て印度の思想文化 を取 り入れたが,夫れ等 の もの も決 して長 く其の侭の状態で用 ゐ られな か った。凡て 日本民族 の実際的要求 に依て変更せ られ改造せ られた。仏教の厭世思想で さ へ も,現世的な 日本民族 の手 に移 っては道楽半分 の詩的な,そ して甘い厭世思想 と化 した。 失意せ る公達上勝の遺悶の具 とな り,或 は失意の宮人の慰安の具 とな った。然 らざれば涙 脆 き詩人 の落花流水 に,松韻波声 に,訳 もな く覚 ゆる悲哀の情 を色づける唯一 の装飾的思 想 とな った。次 ぎに剛健 と,死 を軽んず る思想 との,最 も必要であった鎌倉時代,即 ち武 家時代 に豪壮 なそ して死 を庇 とも恩 はぬ禅 の思想が栄え,組織的,政治的,産業的であっ た徳川時代 の最 もそれに適当 した儒教が重んぜ られた といふや うな事実 は,執れ も皆国民 の実際的要求が,思想文教 に如何なる影響 を与へたかを力強 く示す ものである。 其 の他十字軍 の戦争が中世期の文教 に斎 した影響,大陸発見乃至大陸探検が近世文明に 及 ぼ した影響,宗教改革が近代思想 の最 も有力な原動力 とな った事実,或 は近世産業 の発 達 と科学 の進歩 との不可分的関係等,執れ として実際 と学問 との深交渉を語 らざるものは ない。 之れを要 す るに学術 は実際的刺激 に依 って誘導せ られ,実際生活 は学術の刺激 に依 って 変改せ られ る。二者 は決 して個々独立 の存在 と して,無交渉 に発展す るもので はないので ある。 第4章 文明生活の意義 と俗人の識見 文明の魅力/文明生活 とは何ぞ/ 自然生活 と人文生活/受動的に自然に制せ らるる生活 自然生活 に於 ける自然観/人文生活の特色/ 自然利用/人文生活 に於 ける自然観/文明 生活の意義/ 自然解釈 と学問/学問と文明生活/学問の力/学者 と実行家/俗人の俗見 /文明は畢責学問の賜物 今 日如何 に文明を罪悪祝 し堕落祝 し頼廃祝 して是れを呪訳 し攻撃す るもの と難 も,然か も衷心か ら世 の復古逆転を希ふ ものはない。現在の制度 を封建制度 に,憲法政治を専制政 一6

(13)

2-(ママ) 治 に,学校教育を寺小屋教育 に,工場工業を家内手工 に,汽車を寵 に,汽船を帆船 に,郵 便を飛脚に退化せ しめて迄 も,猶昔の未開生活に復帰 したいと希ふ事 は, 白頭半死の老翁 と難 も猶敢てせざるところであ らう。現代文明には確かに幾多の欠陥がある。是れに反抗 す るものは往々に して復古思想を叫ぶのであるが,併 し東京 に住む者が一面都会生活の悪 口を言い乍 ら猶いざとなると田舎生活 に還 る決心がないや うに,昔時の生活其の侭 に還 る 事を心か ら望む ものはない。人々は都会へ と集住する。都会へ と集住する心 は即ち文明生 活を求むる心である。 より文明を求むる心 は膿て人々を駆 って,都会へ都会へ と追 ひ込む のである。而 して之れ現代 に於 ける共通の事実である。 然 らば現代人 に対 して斯 くも絶大なる魅力を有する,所謂文明生活とは抑 も何であるか。 予 は第

1

章 に於て も既 に言 った事であるが,人間は自己の生活を安全 に又幸福 に指導 し 保障する為めに,遠界の統一 を求め整理を計 らうとする。然 し此の欲求の極めて強烈 に働 くものと然 らざるものとがある。此の欲求の強烈に働 くものの態度 は受動的となる。 自然 界 に対 して能動的で自然 に制せ られず して自然を制するもの之れを人文生活 と言ひ, 自然 界に対 して受動的で自然を制せず して却 って自然に制せ らるるもの之れを自然生活 と呼ぶ。 自然生活 に於ては人類 は水土草木 と同様,只自然界の一部分 として存在するに過 ぎない。 彼等 は只 自然の与ふるものを取 り自然の与へざるものは取 らず,徒 らに自然の強迫を怖れ その暴威 に委かせて何等為す ことを知 らない。そ して彼等 は只本能の命ずるところに従 っ て,恵々然 として何等の変化 もなき単調の生涯を終 るのみである。彼等 は何等生涯に備へ るの用意 もなければ生活改善の努力 もな く,一重に自然的欲望の起伏 に委せて眼前の飽満 と逸楽 とを求むるのみ。故 に彼等の生活 は常に不安である。常 に強迫 されて居 る。 そ して此の不安此の恐怖 に対 しては極めて幼稚なる自然崇拝の宗教がある許 りである。 彼等の自然界解釈, 自然界統一の道 は只此の自然的宗教あるのみである。即 ち彼等 にとり ては山 も川 も木 も石 も,雷雲 も怒涛 も星宿 も天空 も,動物 も吹 く風 も降る雨 も,悉 く皆隠 れたる一種の神秘力の現 はれである. そ して其の神秘力 は要するに自分等 と同様な意志を 持 ち,感情を有する一個の生物であると考へ る。所謂擬人的解釈である。 立 に於ての彼等の自然界制御の道, 自然界利用の道 は,只祈祷に依 りてそれ等の威力あ る生物,即 ち神々の御機嫌をとる事である。神の心 に絶対服従を為す事である。或は舞踏, 或 は呪文,或 は頒徳或 は供物,或 は犠牲等の手段によりて一向専心神々の心を喜ばせると こ いふ事の他 に,彼等 は幸福増進の為めに何等の積極的方法 も知 らない。即ち彼等 は全然 自 然界の奴隷である。 (ママ) 併 し乍 ら斯の如 き方法では只彼等の気安 となるだけで丈 けで,依然 として横暴なる自然 の意のままになる外ない。真 に自然を支配 し自然を制御 して自分等の生活をより安全 に, より幸福を導いて行 く事が出来ない。 そ こで人類が少 しく発達 して来 ると,今度 は只自然を怖れ自然の暴威 に低頭平身 して居

(14)

ることの代 りに, 自ら進んで自然界を統御 し支配 し利用 しや うとす る積極的能動的の態皮 を とるや うになる。彼等 は只河水の氾濫を傍観 して居ない。河水其の物の性質を考へ,究 めて, これに応ず る適当の方策を考へ る。彼等 は只暴風の荒れ狂ふを傍観 して居ない。暴 風の性質を攻究 して出来得 る丈 けその被害を受 けないや うな手段を考へ る。彼等 は自己の 食物を自然の与へ るままに受 けて満足 して居ない。 自然力を利用 して積極的に食物獲得の 手段を講ず る。或 は溝渠を穿ち或 は堤防を築 き,以て彼等の生活 に出来得 る丈 け好適な状 態 に万事を整理 し改造する。斯の如 く積極的能動的に自然を制御 し行 く生活,之れを人文 生活 と名づける。 人文生活 に於ては,人々は自然を以 って絶対 に左右 し得ざるものとは考へて居ない。 自 然を以て不合理 に して乱暴なる神意の練縦の下 にあるものと考へない。それを以 って一定 の法則 に支配せ らるる合理的統一的の存在 と考へ る。そ して飽 く迄その理法を研究 し真相 を押 し究めて,依 って以 って此れを自由に統御 し支配す るの道を講ず る。 斯 く自然の理法を明 らめて合理的に自然を利用す る生活, これが真の意味に於 ける人間 生活の特色で,所謂文化 とは此の道程を指すのである。独乙の大哲学者 フィヒテが自我 に 依 って自然界又 は物質界を征服 して行 く苦悶の生活, これが道徳生活であ り人間生活の実 相であると説 いた。同 じく独乙現代の哲学者 オイツケ ンが精神生活 に依 って物質界を征服 しこれを精神化 し行 く過程が,即 ち人間の歴史の根本意義であると説 いて居 る。 ダーヰ ン のや うに自然界 に飽 くまで順応 して行 くところに人間の進歩があると見 るの も,此等二者 の如 く自然界を征服 して行 く処 に人間生活の向上があると見 るの も,只立場の相違見様の 相違 に過 ぎないのであって,要す るに自然の精神 を探知 して之れを利用 し,以 って人類生 活の内容を豊富 に しその幸福を増進 して行 くところに,吾等が生活の特色があり向上があ るといふ点 に於ては相戻 らない。而 して斯かる生活の高 い程度 に達 した状態を指 して文明 生活 と呼ぶのである。 挟て自然の精神を探知すると言 ひ, 自然の理法を究めるという言ふが,此の役 目に応ず るものは宗教あ り,神話あり,芸術がある。併 し乍 ら是等の ものは未だ合理的に自然の心 を理解す るものではない。即 ち最 も正 しさ意味に於て自然解釈の任を負ふて居 るものは哲 学及 び科学で,即 ち一 口に学問はそれである。 吾々は学問なるものの力 に依 って自然の意志, 自然の作用を攻究する。同時に学問なる ものの力に依 って明 らめ得たる自然の理法を実生活の上 に応用 し便従する。宗教や芸術や 乃至常識等 に依 って も或程度迄此の事が出来ないではないが,併 しそれは甚だ不確実で部 分的で一時的で,到底万邦 に処 し万代 に徹 して,誤 らない体の客観普遍の確実性を有 って 居ない。真 に客観性 と確実性 とを具へた自然統一の道, 自然利用の道 は只学問又 は学術 に 依 ってのみ可能である。 この事の当然の結論 として,文明生活 とは学問の力に依 って人類 幸福増進の為めに, 自然力を利用 し駆使す る生活なりといふ事が出来や う。即 ち知 る,文 一6

(15)

4-明 とは之れ学問の賓なることを。 現代人 は瀕 りに其の文明を誇 って居 る。利欲の他には何等の念ふところもなき者 も,日々 の衣食の他 には何等の意なきもの も,無智蒙昧学問の何たるを知 らざる者 も,均 しく文明 を唱和 し講義 して居 る。而 してその文明とは畢尭 これ学問の賜物なるに至 っては,往々に して之れを忘れて居 る。 学問の力 は実 に偉大である。昔時の人 はその肉眼に依 って見得 る範囲以上 は見 る事が出 来なか った。然 るに現代 に於てはよ く幾十百億万里の遠 きを見,或 は-毛端 に一国を形成 する程の微力生物を見 る事が出来 る。之れ学問の力である。而 して此の如 き驚 くべ きレン ズを砂中の混合物 より造 り出す。之れ学問の力である。昔時の人 には世界は全 く不可知の ものであった。然 るに現代 は汽車汽船の力を借 りて,よく数旬 に して之れを一周する事が 出来 る。之れ学問の力である。而 してかの取 り止めもなき湯気の力を応用 して斯かる汽車 汽船を造 り出す。之れ学問の力である。その他電信,電話,無線電信,無線電話の如 き, 飛行機の如 き,潜航艇の如 き,或 は電気工業,化学工業の如 き,凡そ昔人の夢想だ も及ぼ ざりし幾多の驚 くべ き発明発見,悉 くこれ学問の力に他な らない。現代人か ら若 し学問の 結果を奪ひ去 ったな らば,かれ らの運命 は只死あるのみである。 人々は学問の力を離れては一時 も存在出来ない程学問の支配を受 けて居 るにも係 らず, 直接其の事を考へずに只パ ンを求むる上 に,衣服を調整する上 に,汽車汽船に来 る上 に, 売買の契約をす る上 に,享楽を貴 る上 に差 し当 り必要がないといふ事の為に,之れを閉却 Lや うとする。即 ち学問の力 は常 に間接 に働 く傾向ある事の為に,之れを閑人の閑事 とし て軽視 しや うとす る。のみな らず俗人 は凡て皮相の観察のみを事 とする為めに真に学問の 効果を理解 して居ない。彼等 は無意味に捨てる金があって も,決 して理化学研究所や医学 研究所の為めにそれを用ゐや うなどとは夢想だに しない。正直此等の者が,何れ程一国文 明の上 に生活向上の上 に有効な ものであるかを,会得 して居ないか らである。 此の度の戦争 に於て独乙が現 は した優秀な力 は,決 してその脆力ではない。大学の講堂や 理化学の実験室か ら来た力である。腕力が強 くて金があったか らとて,決 して国力が強盛 になるものではない。 こころみ 試 に恩へ,立 に肺病患者のや うに顔面蒼 白の-学究あるとす る。而 して彼れは日夜実験 室 に花々としてクル ップ砲なり,潜航艇な りの発明の為めに余念ないとする。而 して首尾 よ く其等の発明を完成 したとする。 その場合此の-学究 と鬼の如 き将軍な り提督な りと, 執れが戦闘力あ りとするか, これ一つの問題である。又立 に痩せ衰へた-哲学者あ りとす る.そ して大学の講堂で フィヒテの如 く勇ま しき愛国的精神を鼓吹 して,一般国民の精神 を至大の感化を与へたとす る。その場合此の哲学者 と数個師団の兵力 と,何れが愛国の目 的を連する上 により有効であるか, これ一つの問題である。又立 に-工学者あり, 白面近 眼何等威風な しとする。而 して彼れは書斎裡 に々として化学工業上の新発見に関する論文

(16)

を草 しっっあ りとす る。その場合、此の-読書子の活動 と手腕ある-実業家の活動 と,結 局何れが多 く生産的活動を営んで居 るか, これ又大 に問題である。俗人 は只その実行の形 を見形式上の結果のみを見て,彼等学者等の為す ところを迂な りと考へ るであ らう。併 し 乍 ら実行者 は甚だ得易いが独創的研究家,偉大なる説法家の方が遥かに得難 い。のみな ら ず彼等の事業の方が遥かに普遍的永遠的で,その人生 に及ぼす影響 は殆んど量 り知 る事が 出来ない。 ここである。実 は此の力である。俗人が真に理解 し会得 して,研究的活動 の偉大 さを仰 ぎ見なければな らぬのはこの力である。その形の貧弱 さとその効果の直接でないとの為め に,学術を蔑視 し学徒を軽視するは俗人皮相の識見である。光栄ある現代文明は実 に只其 等 の賜物ではないか。而 して俗人の富 とその富を有効 に活躍せ しめ得 る事 とは,姫て又文 明其の物の賜物ではないか。 第5章 西洋文明の特色 中世期の暗黒時代/十字軍の影響/文芸復興運動/経験派 と唯理派/ 自然科学の勃興/ 新学説,新発見,新発明/機械力応用 と能率増進/諸学の発達 と実生活改造/富の創造 力は思想な り/西洋文明の特色は学俗一致 学問知識の立場か ら見た欧州の中世期 は,確かに暗黒時代であった。形式化 された基督 教が絶対の権威を揮 って,人間の思想を圧迫 し自由を被奪 した。そ して一切の学問 と知識 とは,基督教の従順なる奴隷 とな り野間 となって,唯そを弁護 し擁護す る事を至上の任務 とした。真理探究の機関たるべ きア リス ト- トルの形式論理学 は, ここでは基督教義を牽 強付会す る道具 にされて了 った。所謂 スコラ哲学 は基督教義を解釈す る為 めの御用哲学 に 過 ぎなか った。併 しこんな不 自然な状態 は決 して永続 きすべき筈 はない。躯て大反動が来 なければな らなか った。そ して遂 にそれは来た。 七回に亘 る十字軍の戦争 は形の上 に於てその目的を達 し得なか ったが,然 し異邦の文明, 東方の学者等 との接能の仲介 とな って,中世期の暗黒なる舞台面 に自由討究の微光 を授 け た。即 ち当時学問の

叢 たりし亜刺比亜乃至希腺 との交通の途開 され,希臓語 は新たに研 究 され,斯 くて大 にその智能を啓発せ らるると同時に, 自由討究, 自由思索の志向が強調 さるるに至 った。而 して間 もな く土耳其民族 によって為 されたコンスタンチノープルの陥 落 は,幾多学芸の士を伊太利 に走 らせ,それが機運 となって伊太利を中心 に所謂文芸復興 運動が起 るに至 った。 し 文芸復興運動 は,その形 に於て こそ古学復興を示 して居 るが,その精神 に於ては自由観 秦, 自由討究, 自由思索 に依 って, 自然界及び人間界の実相真義を究めや うとす る溌刺た る要求である。 シモ ンズが 「文芸復興の歴史 は欧州民心 に於 ける自覚的自由の到達の歴史 である」 と言 ったやうに,それは永 く閉 されて居た欧州民心の真 自覚の発現である。即 ち -6

(17)

6-その特色 は飽迄人間力を信 じ,人間力を依頼せん とす る独立 自由の精神,一切 の物象を学 理的に推 し究 めん とす る旺盛 なる研究的精神である。而 して此等の精神か ら自然 に生れ来 たった ものが,欧州の所謂近代文明である。 文芸復興運動をその旗章 として起 って来 た宮勃たる研究的精神は,大様二種の傾向を取 っ て流れ進んだ。- は経済派の流れ,他 は唯理派の流れである。何れ も過去の因習を鞄棄 し, 自由の精神を以て合理的に真理を討究せん とす る志向に変わ りはないが,只前者 は感覚的 経験を以て真智の経験 とな し,後者 は理性的思惟 を以て真智の根源 となす丈である。即 ち 立場の相違である。然 し何れに して も,その研究の方法 は一切の独断,空想,憶測 を排 し て,最 も合理的な最 も組織的なメ トーデに依頼 した。此れ即 ち科学的研究法又 は科学的研 究の態度 と称 さるものである。而 して此れ こそ実 に欧州文明の基礎 とな り,中核 となって 居 るところの ものである。 唯理派,経験派,共 に科学的ではあるが,併 し所謂 自然科学 なるものは本来の性質 とし て,最 も実験実証 を尚ぶ ものである丈 けに,それは寧 ろ経験派の流れに添 って発達 した。 そ して一 口に学問 と呼ぶ中で も,此の自然科学 (或 は実験科学)が最 も深 く,広 く,強 く, 欧州文明を支配す るに至 った。 自然科学 の発達 につれて驚 くべ く多 くの発見発明が為 され,驚 くべ く広大な機智 の世界 が開拓 された。その中最 も早 く頭を拾 げた ものは天文学地理学等であって,是等 は文芸復 興期 に於て巳に驚 くべ き大変革 をや った。 コロンブスの亜米利加発見, ヴァスコダガマの 喜望峰回航,マゲル ランの太平洋横断等 によりて,世界地理の観念 は大 いに開明せ られ, コペルニクスの地動説及軌道正 円説, ケプラーの軌道楕 円説, ガ リレオの新遊星発見, ブ ルノーの地球非中心説等 によりて,天界又 は宇宙 に関わる旧来の観念 は根本的に改造せ ら れ,先づ吾人の世界観が新 にされた。之れに次 いでニュー トンの引力説 は,天界に関す る 知識を一層確実 にす ると同時に, 自然界解釈の一大鍵輪を与へた。此頃よりして学界 は漸 く非常の活気 を帯 び来 り, フランク リンの電気発見, ワッ トの蒸気力応用, ミシン トン, ファル トン等の汽船発明, トリーヴヰ ックやスチーブンソン等の汽車発明, ブラック, ラ ボアジェー等 の化学発見, ジェンナ-の種痘法発明, クック, ホィ- トス トン等 の電信考 莱, グラ-ム,ベルの電話開始 といふ有様で,続 々として科学の力が形の上 に現 ほれて来 た。勿論此れ等応用的方面が盛んになる根本 には,純正 なる科学研究が着々として歩 を進 こ めて居 った事 は事実で,凡そ天地間一切の事 は,その精神的たると物質的たるとを問はず, - として科学 の対象 た らざるものはな く科学的処置を蒙 らざるものはないといふ有様になっ た 。 斯 くの如 き科学的研究の進歩発達が実生活の上 に及ぼ した影響 は,固より量 り知 るべか らざるもので,中で も先づ最 も眼 につ くのは機械の発明である。機械の発明に依 って人間 は可能力の範囲を著 しく拡大 し,今迄の人類 には到底不可能 と考へ られ,或 は夢想 だに し

(18)

得なか った多 くの事が出来 るむや うになった。人間の視力 は,元来動物のそれにも劣 るの であるが,望遠鏡 とか顕微鏡 とかいふ ものの発明に依 って,その能力を幾千倍幾万倍する 事が出来 るや うになった。吾々の足を用ゐての歩行力は,終 日に して猶十里内外を出でな いのであるが,汽車 とか自動車 とか電車 とかいふ機械の力を借 る事に依 って,それを幾倍 幾十倍する事が出来 るや うになった。又人間各 自の生産力は至 って貧弱なもので,僅かに 数人の需要を充た し得 るに過 ぎないのであるが,機械の力を用ゐれば之れを何十倍何百倍 することが出来 る。童 に量の上 に於て機械力が偉大である許 りでな く,又その質に於て, 人間の力を幾千倍するも到底不可能な事が,機械力に依 って可能 となる場合が少 くない。 仮例へば空中飛行,水底潜航の如 きは即ちこれである。 か くて機械の発明が人間の能率を著 るしく増大すると同時に,其れが自然の結果 として 産業又 は富の生産力が以上の発達を遂げた。機械 は人力の幾百倍何千倍の仕事を しても而 も疲労を感ずる事 もなければ不平を訴へる事 もない。かかる大組織の生産の為めには,義 気又 は電気の如 き動力の発見が,甚大の関係を有 して居 ること勿論である。其の他理化学 の発達 は,一方に事物の性質を一変する魔術的改造力を生み出 して来た。その侭では人間 の為めに何の用 もなさないとか,或は廃物等 に化学的加工力を加へる事に依 って, それは 忽ち本来の性質を一変 して貴重なる必要品 となる。仮例ばセルロイ ド製造工業,繊維工業 等 に於 けるが如 し。 又医学方面等に於て も,或 は解剖学の研究に基 き,或 は生理学の進歩に依 り,或 は細菌 学の発達 に順 C,外科医的にも内科医的にも大なる発達を遂げ,血清療法であるとかⅩ線 療法であるとか,化学的療法であるとか種種雑多の新奇なる医療法が発見され, 自然の迫 害か らして人類の生活を安全に伴証するに至 った。 是等の外,農業を対象 として何れ丈 けの特殊科学が起 り,商業を対象 として何れ丈 けの 特殊科学が生 C,工業を対象 として何れ丈 けの特殊科学が起 ったか。又或は政治を或 は敬 育を,或 は社会を対象 として何れ丈 け多数の特殊科学を生み出 したか。兎に角今 日に於て は如何なるものと難 も,科学的研究の対象 となって居ないもの′は無いと言 って も可 い。そ してそれ等無数の科学的分析 は大抵皆応用科学に属するもので,其の目的とするところは 人類の実生活改造,実生活豊富 にある。結局人類の幸福増進にある。 而 して斯の如 き科学的精神 は,今や人類活動の一切を支配 し統御 し整理 し増進 し改良 し つつ,人類の自然克服の大進行曲 となって人間精神力の偉大 さを高調 しつつある。俗人 は 生産力を以て栄に資本や労力だと思 って居 るが,実 は人間の思想力である。思想の産物た る学術の力である. この故 にエフィシェンシー (能率増進法) に於 ける一方の権威者たる エマーソンは、「近世の富を作 り又作 りつつあるものは,労働で も資本で も土地で もな く, アイデア それは思想である」 と喝破 したのである。 以上 に依 って知 らるる如 く,欧州文明の特色 はその飽迄理智的,方法的,組織的,科学 -6

(19)

8-的な ところにある。彼等欧州人 は常 に二点間の最短距離即 ち直線を通 りなが ら,而か も最 も有効 な方法 は何か と考へて居 る。或意味に於て彼等 は甚だ骨惜みの民族で,而か も極 め て欲の深 い民族である。如何 にせば最 も少 い労力,最 も少 い費用最 も少 い時間で,最 も多 くの価値を作 り出す事が出来 るか といふ ことを考えて居 る。 そ してそれを教へ るものは科 学又 は科学的工夫の外 はない。彼等 は甚だ経験 を重ん じるが,併 しより多 く智識 を重ん じ る。故 に彼等 は経験 を単 に経験のままに放任 して置かないで,常 に其の経験 を科学的に考 究 し,整理 しや うと努 めて居 る。凡ての経験 を飽迄科学的に研究 し合理的に整理 しや うと す る努力の結果 として万事が進歩的であ り向上的である。従 って又常 に能率を増進 し富を 増進 して居 る。之れ高遠 なる学理が 日常茶飯事 の上 にまで 自在 に応用せ られっっあるの証 で,予 の所謂学俗接近が実現せ られて居 るのである。而 して西洋文明の特色 は,実 に立 に あると言 はねばな らぬ。 第6章 希膿人 と独 乙人 学問,思想 は実生活 に役立つものたるを要す/吾々の理想は霊肉一致/古代希膿人の特 性/現世的,調和的/ホーマーの詩/希膿人 と体育/希膿神話/希膿の哲人や政治家/ 希膿人 は霊肉合致,学俗一致の民族/独 乙人の特性/合理的,組織的/ヘーゲルの語/ 独乙人にあ りては一切が理想の顕現/ フ レデ リックの態度/独乙では学問が生 きて居 る 個人 の上か ら言 って も,国家の上か ら言 って も,学問乃至思想 といふ ものが,只単 にそ れ 自身の領域丈 けに掘跨 し,或 は篭居 して何等実際的方面 との交渉を欠いて居 るな らば, それは本来の志向に背 くもの と言 はなければな らない。 それ等の姿が何んなに絢欄たるも のであ って も, それは天上 の星輝 と同 じく吾々自身の ものではない。吾々自身の ものであ り,吾々の為めにあるな らば,それは吾々の生活 に対 して直接又 は間接 に,何等か役立っ ものでなければな らない。 それ等の ものは吾々の生活 に対 して役立っ ところが多 ければ多 い程,有意義 とな り生 きた力 とな り,同時 に吾々の生活其 の物 は益々有効な,潤沢な,光 輝 あるもの となる。一言 に して尽せば,所謂学俗接近 し或 は一致 してこそ,始めて学 はそ の光 を増 し俗 はその効力を増すのである。 然 るに古来学即 ち精神的活動 と,俗即 ち物質的活動 と- 換言すれば霊 と肉との二者程、 元来一致 し或 は結合すべ くして兎角疎遠 し,帝離 し来 った ものはない。 これが為めに人生 二 には多 くの損失があ り,多 くの悲劇がある。二者の葛藤,抗争,背馳,分裂- それ に伴 ふ矛盾 と混乱 の為 に,吾々は何んなに多 くの損失を招 いた り苦悶の種子を蒔いた りして居 るか分 らない。尤 もこの矛盾 と, この混乱 とがあ って,始 めて人生 に努力があ り進歩があ り,涙があるのだか ら,一概 にこれを否定 し去 る事 は出来 ないが,併 し吾人の理想 は,飽 迄二者即 ち学俗- もっと哲学的に言へば,霊 肉の一致,調和 にあ らねばな らぬ。 挟て斯 くいふ理想的立場か ら見て,世界の民族中比較的吾人 の意を得て居 るものは,古

(20)

代希魔人 と,独逸人 とのや うに思 はれる。今少 しく之れについて述べて見や う。 古代希臓人の根本的特性 は,現世的 といふ ことと,調和的 といふ ことであった。現世的 といふ事 は膿て物質的,功利的,実行的,倫理的に傾 き,又 自然浅薄な,卑俗 に堕 し易い ものであるが,彼等希膿人 は不思議 にこのまま陥 らなか った。彼等 は物質の讃美者であり, 肉の讃美者であると同時に,又霊の讃美者であり高遠なる理想の讃美者であった。彼等 は 感覚的であると同時に理性的であ り,理性的であると同時に実行的であ り,実行的である と同時に芸術的であった。彼等 に於ては,理想 と現実 とは常に適当の釣合を保 って居た。 形式 と内容 とは常 に相即 して居た。彼等の思想彼等の人生観 は,科学的で哲学的で芸術的 で,而か も実行的であった。彼等 は理智 と直覚 と智性 と感情 との融和を保 って居た。聡明 なる洞察力 と,強盛なる実行力 とを兼ね備へて居た。高尚に して溌刺たる精神 と,優美 に して壮健なる肉体 とを併有 して居 た。彼等の足 は確かに地を踏 まえて居 ると同時に,その 眼 は遥かに天上を仰 いで居た。凡ての調和を保 ち,凡ての平衡を保 って居た。学俗一致 は 素 より当然の結果であった。 希臓人が先づ最初 に読 まさるる教科書 は,偉大なるホーマーの詩であった。 ホーマーの 詩 は,基督教民族 に於 けるバイブルの如 く,儒教国民 に於 ける論語の如 く,彼等希腺民族 の教養の基礎であった。斯 く最初芸術的に始め られた彼等の教育 は,躯て知育 と体育 と, 音楽教育 とに依 って完成 された。特 に現世的な彼等 は, 自然, また肉体の練磨即 ち体育を 重ん じた。彼等位 ゐ,釣合の取れた立派な肉体を讃美 した国民, は殆んど他 に例がない。 有名なるオ リンピアの競技場 に於て,優勝を占めた者 は月桂冠 を戴 き紫衣を纏 ひ,四頑曳 引の馬車 に乗 りて郷人護衛の下 に帰郷 し,そこで大凱旋式が挙行 され,躯て名工 によりて 其 の肖像が調刻せ られ永久後世 に保存せ られたといふ事実- 他邦 に於ては一国 を安危 の 場合より救 ひ出 した大将軍 などに対 してのみ見 らるべ き,斯の如 き優待の事実か ら観察 し て も,彼等希魔人が如何 に体育を重ん じたか といふ事が推想せ られる。希臓の彫像が,殆 ん ど皆活力 に充 ちた威風堂々たる男性の肉体をモデルとして居 るの も,亦宜な りと言 はね ばな らぬ。而 して此の現世的な肉体の歎美者 は,同時に又科学,哲学,芸術等総有 る文化 の創造者であった。 彼等の神話 は,最 もや く霊肉一致 (学俗一致又 は学俗接近 といふ事を推 し詰めて行けば, 霊肉一致の理想 に到達す る)の理想を体現 して居 る。希腺人の神 は基督教の神や印度の神 のや うに,超越的で もなければ抽象的で もない。血 もあり肉 もあ り,愛欲憎悪嫉妬復讐の 情 もある。最 も人間的な神である。超絶的な神通力 と同時に,総有 る人間的弱点を具へた 神である。神であ り乍 ら或 は恋 し,或 は失恋 し,或 は怒 り或 は悲 しむ といふ有様である。 軍神マース (希臓名ア レス)が当 って軍将 として出陣 し,敵 に撃破せ られて傷を負 ひ,苦 痛 に堪えず号巽 して遁走 したことが, ホーマーの詩 にある。此れなどは神 として柳かの滑 稽 に類 して居 るが、然 し如何 にも人間的で,頗 る自然ではないか。 - 7

参照

関連したドキュメント

 ここで,先生との個人的な思い出に触れることをお許しいただきたいと思います。私

 加えて、従来の研究においてフョードロフの思想の形成時期を指摘するためにしばしば言及さ れてきた2つの断片にも触れておこう

学的方法と︑政治的体験と国家思考の関連から︑ディルタイ哲学への突破口を探し当てた︵二︶︒今や︑その次に︑

 福沢が一つの価値物を絶対化させないのは、イギリス経験論的な思考によって いるからだ (7) 。たとえばイギリス人たちの自由観を見ると、そこにあるのは liber-

大学で理科教育を研究していたが「現場で子ども

に着目すれば︑いま引用した虐殺幻想のような﹁想念の凶悪さ﹂

このような背景のもと,我々は,平成 24 年度の 新入生のスマートフォン所有率が過半数を超えると

わからない その他 がん検診を受けても見落としがあると思っているから がん検診そのものを知らないから