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社会参画と女性のキャリア形成事例集

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Academic year: 2021

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  はじめに ……… 3   研究の概要 ……… 6

 

社会参画と女性のキャリア形成事例集

  意思決定の場への参画 生活改良普及員の経験をもとに男女共同参画を推進 … …… N P O 法人やまぐち男女共同参画会議 … 理事長   相本艶子さん(山口県) … 11 専門職として働き続けながら女性技術士のネットワークを構築 … …… N P O 法人女性技術士の会 … 理事長   岩熊眞起さん(東京都) … 18 働きつつ、活動を継続、女性のネットワークを形成 … …… みんなの学校 in松本企画委員会 … 代表   田口輝子さん(長野県) … 24 商工会議所管理職の職業キャリアから   地域の男女共同参画活動へ … …… 市原市男女共同参画社会を進める市民の会 … 会長   羽鳥シズ子さん(千葉県) … 30   子ども・若者への教育や支援 地域から学校を支える活動 … …… N P O 法 人 ス ク ー ル ・ ア ド バ イ ス ・ ネ ッ ト ワ ー ク … 理事長   生重幸恵さん(東京都) … 36 キャリア学習プログラム「カタリ場」が社会を変える … …… 特定非営利活動法人 N P O カタリバ … 代表理事   今村久美さん(東京都) … 42 保育士、自営業、情報誌発行の経験を活かした子育て支援 … …… N P O 法人チャイルドケアセンター大野城 … 理事長   大谷清美さん(福岡県) … 47 「ヒロシマ」発の平和教育の担い手として … …… NPO法人 ANT-Hiroshima … 理事長   渡部朋子さん(広島県) … 55   さまざまな困難をかかえた人々への支援 女性問題の学習から D V 被害女性の支援へ … …… N P O 法人さんかくナビ … 理事長   貝原己代子さん(岡山県) … 61

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思いは届く─障がいのある人が街中で普通に暮らせる   地域をつくる … …… N P O 法人トライネット … 代表理事   西川紀子さん(新潟県) … 69 看護師の専門性が生んだ「富山型」デイサービス … …… N P O 法人このゆびと〜まれ … 理事長   惣万佳代子さん(富山県) … 75   女性の活躍による地域づくり 親が主体の子育てサークルから企業や行政と協働した   まちづくりへ … …… N P O 法人シーズネットワーク … 理事長   岡本光子さん(東京都) … 80 子育て後に市議会議員になり、まちの活性化のため   N P O 法人を設立 … …… N P O 法人やまなしし朝の市の会 … 事務局長   小野鈴枝さん(山梨県) … 86 宮沢賢治の精神にもとづく〈文化創造〉と地域交流の促進 … …… N P O 法人花巻文化村協議会 … 事務局長   菊池洋子さん(岩手県) … 93 「女性学」の学習を男女共同参画プラザの運営という   仕事につなげる … …… N P O 法 人あおもり男女共同参画をすすめる会 … 副理事長   千田晶子さん(青森県) … 99 弱者のエンパワメントとコミュニティの再生を支える   マネジメント力 … …… N P O 法 人コミュニティ・サポートセンター神戸 … 理事長   中村順子さん(兵庫県) … 105 資格と経験を活かし、思いをつなげて N P O 設立へ … …… N P O 法人くらしコンシェルジュ … 代表   野村順子さん(熊本県) … 111 生涯スポーツから広がる地域の輪 … …… 十河(そごう)校区女性の会 … 会長   吉田静子さん(香川県) … 119

 

情報のページ

  女性/男女共同参画センター一覧 ……… 127   都道府県・政令指定都市   生涯学習センター一覧 …… 145

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  国立女性教育会館では、平成 22年度から平成 24年度まで「女性のキャリア形成に関する実証的・実践的 研究――複合キャリア形成過程とキャリア学習」 (科学研究費補助金 ・ 基盤研究 B ・ 研究代表者 ・ 神田道子) の調査研究をおこないました。   この研究は、職業キャリアに加えて地域(社会)課題の解決のための活動もキャリアとした上で、生涯 発達の視点から女性のキャリア形成のプロセスを明らかにし、さらに、その成果をキャリア形成支援のた めに活用することを目的にしています。   平成 22年度から平成 23年度は、 N P O や地域団体の活動や職業生活を通して活躍する女性たちを対象に インタビューをおこないました、 本事例集は、 そのインタビューの一部を好事例として掲載し、 新たなキャ リアを踏み出そうとする女性ならびに現在のキャリアを一層発展させようとする女性たちのキャリア形成 支援に資するものです。   本事例集が短大・大学のキャリア教育、男女共同参画センターや生涯学習センターなどの学習の場で広 く活用されることを願います。   なお、本事例集作成にあたりまして、インタビューに快く応じてくださった皆様、また調査研究を進め る上でご支援・ご協力いただいた皆様にこの場をかりて厚くお礼申し上げます。     平成 25年 3月 独立行政法人   国立女性教育会館   理事長   内海   房子

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1.調査研究の趣旨と目的 国 立 女 性 教 育 会 館 で は、 「 女 性 の キ ャ リ ア 形 成 支 援 に 関 す る 調 査 研 究 」( 平 成 15年 度 ~ 平 成 17年 度 ) な ら び に「 女 性のキャリア形成支援のプログラムに関する調査研究」 (平 成 19年度~平成 20年度)など、女性のキャリア形成支援を 目的とした調査研究を積み重ねてきた。本書は、平成 22年 度から取り組んでいる科学研究費補助金 【基盤研究 B 】「女 性のキャリア形成に関する実証的・実践的研究―複合キャ リア形成過程とキャリア学習」 (平成 22年度─平成 24年度、 研究代表者・神田道子)の研究成果を事例集としてまとめ たものである。 この研究は、 キャリアを「職業キャリア」だけではなく、 社会(地域)の課題解決のための活動すなわち社会活動・ 地域活動を 「社会活動キャリア」 としたうえで、 女性のキャ リアを「複合キャリア(職業キャリアと社会活動キャリア の 複 合 )」 と し て と ら え、 生 涯 発 達 と い う 個 人 的 側 面 と 社 会形成という社会的側面の両面から、その形成過程を実証 的に明らかにし、さらにその結果をふまえて、キャリア形 成のための学習プログラムの開発に取り組んだ実践的研究 である。 「 複 合 キ ャ リ ア 」 と い う 新 し い 概 念 を 提 起 し て い る だ け に、研究にあたってはその形成過程を実証的に明らかにす るために、質問紙によるアンケート調査、複合キャリア人 材についての事例研究、さらに先駆的女性の研究など、多 様なアプローチを用いた。 事 例 研 究 で は、 N P O 法 人 の 代 表 も し く は 中 心 的 立 場 で、社会(地域)の課題解決のための活動を行っている女 性、 ま た、 N P O 法 人 と い う 形 式 は と ら ず に 社 会 活 動・ 地域活動をおこなっている女性を対象に、 「複合キャリア」 の形成過程を明らかにしてきた。その研究成果を、本研究 のもうひとつの目的であるキャリア形成のための学習プロ グ ラ ム 開 発 に い か す た め に、 本 書 は 刊 行 さ れ た。 つ ま り、 男女共同参画センターなどの女性関連施設や生涯学習セン ターなどの社会教育関連施設での女性のキャリア形成支援 講座や、大学のキャリア教育などで、キャリアを発展させ た い と 考 え て い る 女 性 た ち に 事 例 を 提 供 し、 こ れ か ら の キャリアを考える一助となる情報を提供することである。 2.研究メンバー 本書は、平成 22年度からの「女性のキャリア形成に関す

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る実証的・実践的研究―複合キャリア形成過程とキャリア 学習」の研究チームの中の、事例研究に関わったメンバー でヒアリング調査 ・ 分析 ・ 執筆をおこなった。研究メンバー は以下の通りである。 大槻奈巳    聖心女子大学文学部准教授 亀田温子    十文字学園女子大学社会情報学部教授 田中雅文    日本女子大学人間社会学部教授 渡辺三枝子    立教大学大学院ビジネスデザイン研究科特任教授 飯島絵理    国立女性教育会館研究国際室客員研究員 越智方美    国立女性教育会館研究国際室専門職員 中野洋恵    国立女性教育会館研究国際室長 西山恵美子   国立女性教育会館事業課客員研究員 野依智子    国立女性教育会館研究国際室研究員 引間紀江    国立女性教育会館事業課専門職員心得 渡辺美穂    国立女性教育会館研究国際室研究員 3.事例対象者 事例対象者は、社会(地域)の課題解決のための活動を している女性で、その活動は、子ども・障がい者・高齢者 を対象とした福祉活動、まちづくり、農山漁村の振興、文 化・芸術・スポーツの振興、災害救援活動、人権擁護と平 和活動、子育て支援活動など幅広く男女共同参画の視点で 実践されている。 また本事例集は、 こうした活動を職業キャ リアと並行しておこなっているケース、職業キャリアの延 長線上におこなっているケースなど、職業キャリアにも着 目している。 以上のような女性たちを、地域バランス・年齢バランス を考慮して 18人掲載している。 4.調査項目 本研究は、女性のキャリア形成を生涯発達という視点で とらえ、職業キャリアと社会活動キャリアの関連のプロセ スを明らかにすることを目的としている。したがってヒア リング調査では、キャリアの転機に着目しつつ、次の内容 を聞いた。 1 プ ロ フ ィ ー ル( 所 属 団 体、 年 齢、 学 歴、 職 歴、 家 族の状況、現在の活動、年収) 2 組織の運営及び社会的成果 (活動の内容、 組織体制、 人材育成、運営の課題)

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3 活 動 へ の 参 加 の プ ロ セ ス( 活 動 の き っ か け と 展 開、 活 動 開 始 時 の 困 難、 活 動 開 始 後 の 困 難、 困 難 の 乗 り越え、必要だった力) 4 連 携・ ネ ッ ト ワ ー ク( 団 体・ N P O メ ン バ ー と の つ な が り、 他 団 体・ N P O と の 連 携、 行 政 等 と の 連携) 5 家 族・ 社 会 と の つ な が り( 家 族 関 係 の 変 化、 社 会 的役割の変化、活動が社会に果たす役割) 6 活動を通した学習の経緯と得た力 7 今後に向けた展望・課題 5.実施期間 2010 年 5月 に 本 研 究 の 第 一 回 全 体 会 が 開 催 さ れ、 以 後、 ア ン ケ ー ト 調 査 や 事 例 研 究 に つ い て の プ ロ ジ ェ ク ト ・ チームが研究会と調査、調査報告会を積み重ねてきた。 2010 年 秋 に は、 調 査 項 目・ 調 査 対 象 を 確 定 し、 ヒ ア リ ン グ 調 査 を 開 始 し た。 2010 年 度 は、 N P O 活 動 を お こ な う 女 性 25人 を 対 象 に、 2011 年 6月 ま で ヒ ア リ ングを行った。その後、ボランティア・グループや地域団 体 で 活 動 す る 女 性 も 対 象 に、 2012 年 1月 ま で 調 査 を 行った。 なお、本事例集に記載の内容は、ヒアリング調査時のも のであり、その後、活動内容・組織体制が大きく変化した 団体もあることを明記しておく。  (野依   智子)

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Ⅰ 社会参画と

女性のキャリア形成

事例集

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Profile

 山口県出身。県立短期大学卒業後、都 内女子大学に編入し生活芸術を専攻。  山口県庁に入庁。生活改良普及員として、 農山漁村の現場や県庁事業係で、生活課 題の意識化、組織化、現地課題解決型の 活動支援を通じて、農山漁村女性の自立、 社会参加・参画を推進する生活行政を担 当してきた。その後、自治体職員の政策 形成能力の向上などを促進する研修業務 や消費者組織の育成、市町の消費者行政 の支援を行うなどの消費者行政の分野に も関わる。  県庁内でも、女性職員を中心に庁外の 女性ともネットワークを構築。男女平等に 向けた国際的な動きを背景に、仕事でも 男女平等を常に意識してきた。山口県男女 共同参画会議の発足当時から会員となり、 行政職員として陰から支えた。2003 年に 消費生活センター所長として県庁を退職。  現在は、「やまぐち男女共同参画会議」 の理事長として、男女共同参画に関するさ まざまな事業を実施している。また、県立 大学で非常勤講師を勤めている。(60歳代) 県立女子短期大学卒業、都内女子 大学を経て山口県庁に入庁 1980 年 「山口県婦人対策行動会議」発足 と同時にメンバーに加入 1997 年 山口県セミナーパーク(自治研修 所)主査 2002 年 山口農林事務所防府支所長 2003 年 山口県消費者生活センター所長 (2006 年退職) 山口県立大学非常勤講師(生活行 政学・社会生活論) 2008 年 山口県担い手育成総合支援協議会 事務局長(2011 年退職) 2009 年 「やまぐち男女共同参画会議」理 事長 略年表 NPO法人やまぐち男女共同参画会議 理事長 

相本 艶子

(あいもと つやこ)さん

生活改良普及員の経験をもとに

男女共同参画を推進

1

 意思決定の場への参画

山口県

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N P O 画会議の概要 【活動分野】 男女共同参画社会の形成の促進 【活動内容】 1980 年 に 12人 の 女 性 が 発 起 人 と な り、 県 下 の 600 人 の 女 性 が 参 加して「山口県婦人行動対策会議」を 立ちあげた。行政、民間、学校にも女 性 管 理 職 が ほ と ん ど い な い 中 で、 「 政 策決定の場へ女性を」をスローガンに 掲げ、県の女性行政と協力し、市町村 の自治体や女性団体と連携した活動を 展 開 し て き た。 2006 年 に N P O 法 人 化 し て、 「 や ま ぐ ち 男 女 共 同 参 画 会議」 となった。 現在の会員 230 名。 スタッフやボランティアが手弁当で活 動を担っている。 主に、県内で啓発セミナーや研究会 の開催、 推進組織の育成、 他団体との情 報交換、 情報発信等を行うとともに、 行 政に対する提言を行い、社会全体の公 益に寄与することを目的としている。 活動までのプロセス 題( に関心を持って生活改良普及員に 山口県の兼業農家で生まれ育ち、県 立女子短期大学に進学した。学生時代 にユネスコのサークル活動で取り組ん だへき地問題が、その後のキャリア選 択につながる。 当時は高度経済成長で、若者の多く が第一次産業から他産業に就職。農山 漁村に残った男性は日稼ぎに出る人が 多く、高齢者や子ども、女性が生活・ 生産活動の担い手としてさまざまな問 題を抱えていた。大学時代に取り組ん だ問題を実践でも追求したいと思った 相本さんは、生活改良普及員の資格を とり県庁に採用された。 生活改良普及員の仕事を通じた地域 人材の育成 生活改良普及員は家政学出身者が多 い。当時は普及活動の最盛期で、山口 県全体で 50人前後が活躍していた。主 に農山漁村をまわり、女性が活動しや すい小グループを育成し、課題解決の 支援を行う仕事をしていた。普及員に な っ た 1960 年 代 は 農 村 女 性 が 生 産の主力な担い手になっていった時代 で、特に農繁期は、早朝からの田植え 作業に加えて、手伝いに来る大人数の 食事づくりなどで多忙を極めた。普及 員としては主に女性を対象に、生活改 善グループを育成した。生活の中から 課題を見つけ、話し合いによる改善活 動を起こすプロセスを支援して、地域 の共同活動を組織化した。 具体的には、農繁期明けに病院通い をしないためにどうすればよいか、意 見 を 出 し や す い 小 グ ル ー プ で 話 し 合 う。栄養ある食事の確保が課題となれ ば、地域の非農家の支援で共同炊事を

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実施し、解決を図る。そのために、集 落での会合を行う準備、 会合の進行役、 根回し、保健所の手続き、栄養の学習 などリーダーやメンバー各自が役割を 果たす。農繁期の共同託児所や労働軽 減のための省力化の工夫、経営体とし てのあり方を考える家族経営協定も生 活改善事業として行われた。 1970 年 代 後 半 は、 個 々 の 家 で 作り難くなった伝統技を使った漬物や 味噌づくりを女性の起業化に結びつけ る活動も盛んだった。集落課題に位置 づけ、共同加工所を建設し、機械を導 入し、マーケティング活動を行うなど 農 村 の 技 術 発 信 を す る 流 れ が で き て いった。 平成に入ると、女性の視点で集落の 問題点や課題を話し合い、集落ビジョ ンを提言していく活動に取り組んだ。 こうした取り組みは、地域課題の検 討を通じて、女性たちが少しずつ視野 を拡げ、社会性や社会参画の意味を考 え、 実 践 に つ な げ て い く 活 動 で あ る。 生 活 改 善 活 動 の 経 験 を 経 た 女 性 た ち が、より大きな婦人部のリーダーや市 町の農業委員になるなど、活躍の場も 広げていった。住んでいる地域の課題 を と り あ げ な が ら 人 材 教 育 を 支 援 し た。 仕事を通じた農山漁村の家族との関わり 農家経営は家族による企業運営でも ある。来年何を作り、どれだけの収益 を 上 げ て い く か と い う 経 営 目 標 や 方 針、 簿記記帳や作目分担などの役割を、 家族が会議で決めていく。同時に、生 活設計や家計費の管理、日々の家事分 担などの話し合い、生産と生活の労働 をあわせて考える必要がある。生活改 良普及員が家族経営協定にかかわると いうことは、個々の経営体の構成員で ある女性の経営参画を位置づけ、経済 面だけでなく生活の質も課題にしてい くことである。戸主の理解や農業改良 普及員との連携は不可欠で、全体を見 渡す力が必要になる。 農林部に在籍していた半分以上の年 数は、県庁の事業係で政策づくりや事 業対応に関わった。現場の経験を活か して、女性が取り組みやすい単県事業 (農村女性組織化事業)を誕生させた。 相本さんは県行政での予算編成、事業 執行などの体験を通じて、そして、役

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職が上がることで、より生活改良普及 員として全体が見えるようになったと いう。 「政策決定場面に女性を何割」 といっ た国レベルのスローガンを、地域レベ ルにどのように落としていくのかも大 きな課題だった。基幹的農業従事者の 半数以上を女性が担っているが、 J A 役員、農業委員などは男性がほとんど である。女性の生産組織の長や自治会 長もほとんどいない。集落の集会は夜 間開催が多く、参加者のほとんどが男 性である。 「あそこのお嫁さんは出しゃ ばりだ」と言われるのが嫌で、女性は 下座に固まり発言をしない。相本さん が農林事務所支所長として農村に出向 く と、 会 合 で の 女 性 の 発 言 も 増 え て、 男 性 の 共 感 を 得 る 場 面 も 多 く な っ た。 農山漁村女性の活動支援は、女性の社 会 参 画 を 進 め る 活 動 そ の も の で あ っ た。 女性の社会活動への参加 「 や ま ぐ ち 男 女 共 同 参 画 会 議 」 の 前 身 は、 1980 年 に で き た 山 口 県 婦 人 行 動 対 策 会 議 で あ る。 1975 年 に「国連婦人の 10年」が始まり、世界 や日本の動きを山口県にも定着させる 流れが起きた。女性問題対策審議会の 事務局にいた先輩女性が婦人行動対策 会議づくりを担当し、農林部にいた相 本 さ ん は こ れ を 手 伝 っ た。 「 行 動 に む すびつける」という目標の下に、多く の女性が参画して会議が発足した。発 起 人 は 民 間 教 育 関 係 者 な ど 女 性 12人 で、 行 政 関 係 者 は 裏 方 と し て 支 え た。 事務局は県の現男女共同参画課におか れ、県庁内各部局と横断的に連携協力 しながらすすめた。 もともと農林部は、農山漁村の民主 化・近代化の推進役として、女性の地 位向上、社会参加・参画を進めるため に、意識啓発や教育・研修、地域課題 解決のための学習や実践活動を支援し ていた。 行動対策会議ができたことで、 農山漁村に限らず多方面に関わるよう になる。県庁職員だった相本さんは積 極的に活動に参加はしなかったが、農 山漁村女性の支援を通じて、全体会で 条例制定の要望や女性の登用について の議論に関わった。 県庁で新設された婦人青少年課の課

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長に生活改良普及員の先輩女性が初め て 就 任 し た。 相 本 さ ん は 20人 の メ ン バーを集め、県庁内の男女共同参画を ど う 進 め る か と い う 自 主 研 究 会 を 行 い、 人事課や支援部署に提言書を出し、 冊子にまとめて配布した。国の後押し がある一方で、職場内の抵抗もあった が、それ以上に一緒にやろうという空 気があった。 職員の教育・研修や担い手育成 1997 年 か ら 3年 間、 県・ 市 町 村 職 員 の 教 育、 研 修 を 行 う セ ミ ナ ー パークに配属された。当時、地方分権 に向けた自治体職員の政策形成能力の 向上は喫緊の課題であった。民間講師 や 大 学 教 員 と の 交 渉 や 研 修 内 容 の 検 討、講義、パソコン通信知識は、その 後とても役立った。現場の問題を課題 化するプロセスは政策形成過程に通じ た。早い時期に女性のエンパワーメン ト研修やセクハラ講座など、係長や課 長補佐研修に男女共同参画視点を入れ る仕組みも県に作った。 最後 3年間は、 消費生活センター所長として消費者行 政に関わり県庁を退職した。 在職中は、 消費生活相談や、 生活学習講座の拡充、 消費者リーダーの育成・組織化など人 材教育にも力を入れた。 その後、農業の担い手を支援する団 体、山口県担い手育成総合支援協議会 の事務局長に就いた。県農業の高齢化 が進み、担い手の平均年齢は 70歳を超 えている。協議会は市町に出掛け、集 落農業の法人化の課題や必要な支援に ついて情報交換を行うが、法人役員は ほとんど男性で、基幹的農業従事者の 半数以上を占める女性たちの声が反映 されていない。相本さんは、政策決定 の場面に女性が参画し、声をあげてい くには、ある程度の人数がないと力に なり難いという。 ネットワークを培う 本来社会的な活動と県庁業務の両立 は難しい。両親の介護では、家事サー ビスなど社会的支援を活用した。勤め 続けた多くの人は、家族、親戚などの 支援が不可欠だった。 ネットワークの偏りも女性の困難の 一つであった。男性は庁内に仕事や飲 み 会 を 通 じ て 広 い ネ ッ ト ワ ー ク を 持 つ。 一 方 の 女 性 は、 職 種 が 限 定 さ れ、 家事と仕事の両立で忙しく、集まって コミュニケーションがとりづらい。積 極的に情報を取る意識も低い。相本さ んは、現場の仕事や県庁内の異動、自 主 研 修 を 通 じ て ネ ッ ト ワ ー ク を 培 い、 民間の動向も常に視野に入れていた。 県庁職員や教員、民間企業の女性管 理職が参加した 「山口県有職女性の会」 でも、さまざまな情報や先輩とのつな がりを得た。職場には大学の先輩も多 く、多くの場面を設定してくれた。当 時は専門技術員資格試験の学習会や専 門技術研修、キャリアアップ研修、ま た、国内留学・海外研修など現場課題 に対応できる人材を育てる制度や自主 的 な 取 り 組 み を 支 援 す る 環 境 が あ っ

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た。 N P O 会議での活動 相本さんが対策会議に本格的に携わ る よ う に な っ た の は 県 庁 を 辞 め た 2006 年 以 降 で あ る。 2011 年 に山口県担い手育成総合支援協議会を 退職するまでは、フルタイムで働きな が ら 活 動 し た。 「 山 口 県 婦 人 行 動 対 策 会 議 」 が N P O 法 人 化 し た 後 の 2009 年に理事長に就任した。 「 や ま ぐ ち 男 女 共 同 参 画 会 議 」 の 活 動 は、 主 に セ ミ ナ ー や 研 修 会 の 開 催、 啓発資料や広報による情報発信、他団 体との情報交換で、会合場所は山口市 の男女共同参画センターやカリエンテ 山口を利用している。役員 18名はボラ ンティアで、会費を運営資金にあてて 活動している。男女共同参画課に事務 局 が あ っ た 頃 は 600 人 い た 会 員 が、 高齢化などで現在 250 名ほどに減っ た。県の男女共同参画課と連携し、山 口市の男女共同参画ネットワークにも 加入し、 他団体との連携に努めている。 共同参画事業として、県内の市町・女 性団体などと連携する地区推進会議を 年に 2回実施している。 圧倒的に女性登用率が低かった時代 は、みんなで横につながり行政に女性 の 登 用 を 働 き か け る こ と で 前 に 進 ん だ。今は条例などが整備され、ある程 度 男 女 共 同 参 画 を 達 成 し た と 思 わ れ、 共通目標が見えにくくなった。社会や 経済の担い手として女性の役割が重要 になっている現在、みんなが一緒に行 政と連携を図りつつ進めていく必要が あると相本さんは考えている。 やまぐち男女共同参画会議の今後 市町の男女共同参画を担う人材の交 流会や、 人材育成講座、 講師と協議する 場など、リーダーが連携を取れる仕組 み が 必 要 で あ る と 相 本 さ ん は い う。 N P O や 女 性 団 体 が 共 同 し て 運 営 に 参画し、 縦割り行政を横断的につなぎ、 部署の担当者たちが連携する必要があ るという。 ス タ ッ フ 18人 の 立 場 は 多 様 で あ る。 市町や県職員だった人、民間企業で働 いていた人、自営の人、市会議員もい

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る。現在の課題は、組織を若い人に継 承していくことである。育成講座だけ では不十分で、 講座終了者を組織化し、 そのあとのフォローや情報提供、活躍 の場が必要であり、それを実行する人 材や、雇用に結びつける仕組みづくり が目標であるという。相本さんはリー ダー育成支援には、多様なモデルの話 も有効だという。個々のおかれている 立場は異なるが、多様なモデルの話を 聞くことで、落ち込んだ時、問題にぶ つかった時に元気をえて、展望や生き 方を考え直す参考にして頑張れる。 キャリア形成の視点から 相本さんは、大学時代に専門知識を 身につけ、生活改良普及員という専門 職を活かして、農林部でキャリアを積 んだ。働く女性の数が少なく、労働環 境や社会的サポートが今よりも厳しい 中で、職業キャリアと並行して社会活 動を継続してきたことが今の活動につ な が っ て い る。 普 及 員 の 先 輩 や 現 場、 職場内外に幅広いネットワークを培っ てきたことも相本さんがキャリアを築 く上で大きな力となった。 なお、当時は困難を克服する目標を 多 く の 女 性 が 共 有 し、 「 束 に な っ て 前 に進んだ時代」だった。国際的な女性 の人権推進の潮流を追い風として、日 本でも行政、民間で取り組みが進めら れ た と い う 時 代 背 景 も 影 響 を 与 え た。 普 及 員 は 女 性 の 多 い 職 種 で は あ っ た が、研修制度が整えられ、細くはあっ たが上に行く道筋があった。また相本 さんの場合、農家や農村地域の住民と 話し合いを通じて生活課題の解決支援 を行うという職務経験を積んできたこ とは、 現在の 「やまぐち男女共同参画会 議」における女性の課題解決の社会活 動に役立っている。 今は「これまでの時代とは違う困難 さに直面し、育児休暇や職場での通称 使用等があたりまえの若い人たちとさ らに束になるための、新しい課題や目 標設定が必要だ」という。仕事のかた わら民間の女性団体との関わりも大事 にしてきたこれまでのキャリアを生か して、今後は「女性の地位向上」から 「 男 女 共 同 参 画 」 へ の 移 行 を、 若 い 世 代とつながりながら進めていくことが 課題である。これまで女性が発言しや すい環境づくりを仕事の現場や、自身 の職場環境の改善、そして女性ネット ワークを通じた社会活動というさまざ まな場ですすめてきた相本さんの生き てきた時代とその生き方には、これか ら社会に出る学生や現在仕事をしてい る若い世代が、今後の生き方やキャリ アについて考えていくためのヒントが ある。  (渡辺   美穂)

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Profile

 大学卒業後、建設コンサルタントに勤 務するかたわら、土木分野での女性の能 力発揮を支援する目的で、土木技術者女 性の会や女性技術士の会を設立。国際女 性技術者・科学者ネットワーク運営委員 会の活動を通じて、女性が活躍できる環 境づくりや女性技術者の地位向上とキャ リア形成支援活動を行ってきた。  現在は国立高等専門学校機構理事や技 術者をめざす女子学生を支援する会代表 を歴任するかたわら、若手女性技術士の 支援の一環として、「技術サロン」を開 催し、後輩女性の育成に努めている。環 境モニタリングを行う建設コンサルタン トで、観測・調査・試験部門担当の執行 役員として勤務する一方、文部科学省で の技術教育、技術士制度に関する各種委 員会委員等を務める。 (60歳代) 1972 年 大学卒業後、株式会社建設技術研 究所入社 1983 年 土木技術者女性の会(任意団体) の創設に関与 1985 年 社団法人土木学会学会誌初代女性 編集委員となる 1993 年 女性技術士の会(任意団体)設立 1998 年 第 11 回国際女性技術者・科学者 会議日本開催 委員会副委員長に 就任 2002 年 INWES Japan (国際女性技術者・科 学者ネットワーク) 運営委員に就任 2007 年 女性技術士の会 NPO 法人化(事 務局長、2009年~ 2012年理事長) 同年 社団法人日本技術士会理事・副会 長(~ 2009 年) 2010 年 独立行政法人国立高等専門学校機 構理事(非常勤) 2011 年 公益社団法人日本技術士会 男女 共同参画推進委員会委員長 現職 株式会社東京建設コンサルタント 本社事業部環境モニタリング研究 所専任技師長 略年表 NPO法人女性技術士の会 理事長 

岩熊 眞起

(いわくま まき)さん

専門職として働き続けながら

女性技術士のネットワークを構築

1

 意思決定の場への参画

東京都

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N P O 法人女性技術士の会の概要 【活動分野】 科学技術の振興、職業能力の開発また は雇用機会の拡充 【活動内容】 「 女 性 技 術 士 の 会 」 は 科 学 技 術 の あ り方や女性の職能と生活の課題につい て、女性の視点で意見交換をするため の 分 野 横 断 的 な 連 絡 組 織 と し て、 1993 年 に 任 意 団 体 と し て 発 足 し た。 2007 年には N P O 法人となり、 社会貢献・国際貢献の理念のもと活動 を続けている。 「女性技術士の会」は、 子どもや女子中高校生が科学技術に親 しむ機会の提供、女性技術者の育成支 援、海外の技術者との交流を通じた調 査研究、仕事と生活の調和を意識した 町づくり支援、の 4つをミッションと して掲げている。 「 女 性 技 術 士 の 会 」 は 理 事 会 に よ り 運営されている。会員は所属先におい て委嘱状があれば外部での講演その他 の 活 動 に 参 加 で き る 立 場 の 人 が 多 い。 専従職員はいない。 発 足 時 に 38名 だ っ た 会 員 は N P O 法 人 化 さ れ た 2 0 0 7 年 時 点 で 1 2 1 名まで増加し、ほぼその数で推移して い る。 年 会 費 は 正 会 員 が 個 人 3 、 000 円、 団 体 10 、 000 円、 総 会 議 決 権 の な い 協 力 会 員 が、 個 人 2 、 000 円、 団 体 10 、 000 円、 賛 助 会 員 が 個 人 1口 2 、 000 円、 団 体 1 口 10 、 000 円 で あ る。 会 費 で 賄 え な い 遠 方 の 旅 費 等 の 諸 経 費 に つ い て は、会員がボランティアで対応してい る。 活動までのプロセス 企業で専門職としての活躍 岩 熊 さ ん は 1972 年 に 千 葉 大 学 園芸学部を卒業後、建設コンサルタン ト会社に正社員として入社した。当時 は日本各地で公害や環境汚染が社会問 題 と し て 認 知 さ れ 始 め た 時 期 で あ り、 化学物質の環境への影響調査の需要は 大きかった。そのため岩熊さんは、さ ま ざ ま な 仕 事 の チ ャ ン ス に 恵 ま れ た。 入 社 6年 目 の 1978 年 に は 建 設 省 ( 当 時 ) が 統 括 す る 霞 ヶ 浦 水 質 汚 濁 現 象の機構解明プロジェクトの仕事に関 わり、経験を積んだ。通常は 20年程度 の職業経験がないと合格受験が難しい とされる技術士の資格を、入社 9年目 で取得することに成功した。資格保持 者となったことで岩熊さんの会社内で の認知度も高まり、そのことが仕事を し て い く 上 で の 自 立 性 の 獲 得 に つ な がっていった。岩熊さんは時代に後押 しされ、順調な職業キャリアのスター トを切ることができたと述べている。 岩 熊 さ ん が 女 性 技 術 者 間 の ネ ッ ト ワーク作りに関わることになる最初の き っ か け は、 土 木 学 会 誌 が 1 9 8 2 年に主催した、建設省や土木建設分野 で働く女性技術者の座談会であった。 この座談会で呼びかけられ知り合っ

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た同業の女性たちと意気投合し、志を 共有する同士で専門性を高め、研鑽の 機 会 を 作 ろ う と い う こ と に な っ た。 1983 年、 岩 熊 さ ん は 約 30名 の 女 性 土 木 技 術 者 と と も に、 「 土 木 技 術 者 女性の会」を設立し、関東地区の世話 役 を 引 き 受 け た。 1991 年 か ら 1997 年 ま で は 事 務 局 長 を 務 め、 当時はまだ数少ない土木分野で技術士 として働く女性の活躍を支援する取り 組みを行った。 岩熊さんたちが「土木技術者女性の 会 」 を 立 ち あ げ た 頃 は、 「 山 の 神 が 怒 るから女性はトンネルに入れない」と いう考え方が、業界内で広く受け入れ ら れ て い た 時 代 で あ っ た。 そ の た め、 たとえ専門資格を所持していても、女 性が技術者として現場の経験を積むこ とにはさまざまな困難があった。こう し た 問 題 を 解 決 す る た め、 「 土 木 技 術 者女性の会」では土木の現場の見学会 や女子学生との交流を企画し、実施し た。こうした試みは現在まで続いてい る。 岩 熊 さ ん は 1985 年 に 土 木 学 会 学会誌の初代編集委員になり、女性に 土木業界でのキャリアを身近に感じて も ら え る よ う 広 報 活 動 に も 力 を 入 れ た。その一環として「土木の日」の制 定 に も 尽 力 し た。 「 土 木 技 術 者 女 性 の 会」の創成期は、自分にとって「仲間 を作った時期」であったと岩熊さんは とらえている。 「女性技術士の会」の設立 立ちあげから約 10年間にわたり「土 木技術者女性の会」の中心メンバーと し て 活 躍 し て き た 岩 熊 さ ん で あ っ た が、いつまでも同じ団体にいるのはよ く な い と 考 え、 「 女 性 技 術 士 の 会 」 を 1993 年 に 任 意 団 体 と し て 立 ち あ げ た。 会 員 の 業 績 発 表 の 場 の 提 供 や、 ( 建 設 事 業 な ど の ) 見 学 会、 技 術 士 全 国 大 会 へ の 参 加 な ど の 活 動 を 展 開 し、 会員同士の交流を深めてきた。また女 性技術士の実態把握を目的としたアン ケート調査を、 1996 年、 1 9 9 9 年 お よ び 2003 年 に 実 施 し て い る 他、会員向けニュースレターを発行し 情報発信に努めている。 1999 年 に 技 術 者 教 育 の 質 的 同 等性を国際的に担保する必要性が叫ば れ、 日 本 技 術 者 教 育 認 定 機 構 ( J A B E E )が設立され、 J A B E E

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課 程 が 日 本 で も 導 入 さ れ た。 翌 2000 年 に は 技 術 士 法 が 改 正 さ れ 技術者教育プログラムの審査・認定を 行う制度が導入された。こうした新た な 動 き に 対 応 す る 過 程 で、 「 女 性 技 術 士の会」としても女性技術士の声を発 信することの重要性を再認識した。 「女 性技術士の会」は社団法人日本技術士 会 と 連 携 し つ つ、 J A B E E 課 程 に 在籍している女子学生や女性修習技術 者(技術士補の有資格者)の支援を開 始している。 公的な活動範囲を広げるために、 「女 性 技 術 士 の 会 」 は 2007 年 11月 に N P O 法 人 に な っ た。 N P O 法 人 化 に際しては、定款の整備や事業内容の 策定、総会の準備など任意団体であっ た時にはなかったさまざまな業務が発 生した。こうした作業は、企業の管理 部長として人事や財務全般を統括して きた岩熊さんの職業経験が役に立った という。 会員の力量形成と次世代リーダーの 育成 「 女 性 技 術 士 の 会 」 の 活 動 の 幅 は 海 外にも広がっていった。会員は国際女 性 技 術 者・ 科 学 者 会 議( 以 下、 I C W E S )への参加と報告を通じて 力量を形成し、段階的な成長を遂げて き た。 1999 年 に 第 11回 国 際 女 性 技術者・科学者会議が幕張で開催され た が、 「 女 性 技 術 士 の 会 」 は 協 賛 団 体 と し て 会 議 を 運 営 し た。 2002 年 の I C W E S 1 2( オ タ ワ ) に は 11 名 の 会 員 が 参 加 し、 2005 年 の I C W E S 1 3 (ソウル)では英語で の ポ ス タ ー セ ッ シ ョ ン を 行 っ た。 2008 年の I C W E S 1 4(リール) で は、 「 女 性 技 術 士 の 会 」 が こ れ ま で 行ってきた女子学生への働きかけを発 表 し た。 2011 年 に オ ー ス ト ラ リ アで実施される予定の I C W E S 1 5 では、海外の報告者と協力して、国際 パネルを計画中である。 「 女 性 技 術 士 の 会 」 で は 会 の 次 世 代 を担うリーダーの育成にも力を入れて い る。 「 女 性 技 術 士 の 会 」 の 意 思 決 定 機関である理事会を構成する理事の年 齢層は 50代半ばが中心であるが、理事 会の中に 40ー 50歳代の会員を中心とし た「リーダー会」を設置し、将来の理 事候補の育成に努めている。 「リーダー 会 」 の メ ン バ ー は「 女 性 技 術 士 の 会 」 が行うプロジェクトごとに、技術サロ ン 開 催 リ ー ダ ー や 国 際 会 議 リ ー ダ ー、 日韓交流会リーダーのように理事会よ り 指 名 さ れ プ ロ ジ ェ ク ト を 実 施 す る。 理事は各リーダーのサポート役にまわ り、 事 業 規 模 や 予 算 配 分 等 に つ い て、

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助言を行っている。プロジェクト終了 後 は 各 リ ー ダ ー が 報 告 書 を 提 出 す る が、理事との連携の中で行うこうした 一 連 の 作 業 を き ち ん と 遂 行 す る こ と で、意識の高いリーダーが育っていく という。 今後に向けた展望・課題 岩熊さんは「女性技術士の会」のメ ンバーは女性管理職であり、技術士と いうライセンスを持っている人たちの 集まりであるので、それにふさわしい ことをやるべきだと考えている。専門 職女性の集団という会の特性を活かし つ つ、 他 の N P O 法 人 と は 差 別 化 を はかっていきたいというのが、岩熊さ んの願いである。 今後の展望としては、 以下の 3点を目標としている。 第 1に、 これまで以上に日本技術士会と連携を 強化していくこと。日本技術士会は男 性主導の組織であるため、まずは日本 技術士会内部に男女共同参画委員会の 設立を働きかけていきたいと思ってい る。第 2点としては 「女性技術士の会」 の次世代育成である。上に述べたリー ダー会のメンバーから、理事になるよ うな人材を輩出していけたらと考えて い る。 ま た 若 い 女 性 が 国 境 を 越 え て、 活躍できるような環境を作りたいとも 考えている。具体的には、 I C W E S の よ う な 国 際 会 議 へ の 出 席 な ど の 際、 補助金が出せるような団体になること を目標としている。しかし「女性技術 士の会」は有職の女性専門職集団であ るが故に、民間の助成団体からの助成 金の交付対象となりにくいのが現在の 悩みであると岩熊さんは語る。この点 は、 「 女 性 技 術 士 の 会 」 の 課 題 と し て 岩熊さんが指摘した、今後どのように して財政基盤を強化していくかという 点とも関連してくる。メンバーのボラ ンティア活動のみに依存するのではな く、企業が資金を提供してもよいとみ なすような団体になることが次の目標 である。 キャリア形成の視点から 岩熊さんは技術士という専門資格を 基盤として、自身の職業キャリアを一 歩一歩築いてきた。その過程で出会っ た専門職の女性たちとのネットワーク を ゼ ロ か ら 作 り 上 げ、 「 土 木 技 術 者 女 性の会」や「女性技術士の会」の活動 を行ってきた。職業キャリアと社会活

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動キャリアの並列型とみなすことがで きるだろう。 岩熊さんにとり、 職業キャ リアと社会活動キャリアは別個のもの で は な く、 相 互 補 完 的 な 関 係 に あ る。 職業キャリアを構築する上で直面した 困難が、 「土木技術者女性の会」や「女 性技術士の会」の社会活動キャリアを 推進していく力となってきたからであ る。 岩熊さんは結婚後も技術士として企 業 で 働 き 続 け て き た が、 上 司 や 同 僚、 親族からは「女性は早く家庭に入った 方 が よ い 」 と か、 「 奧 さ ん が( 夫 の 世 話をせず)旦那さんがかわいそう」な どと言われたことがあった。幸い夫は こうした周囲の意見を気にせず、育児 にも協力的であった。子どもはある程 度社内でキャリアを積んで課長に昇進 した後、 37歳の時に出産した。ベビー シッターを雇用し、母の助けも借りな が ら 育 児 と 仕 事 の 両 立 を 図 っ て き た。 家族のサポートと家事・育児の外部化 を組み合わせながら、子育てと仕事の 両 立 を は か っ て き た と も い え る だ ろ う。 働く女性にとり、第一子の出産時期 については若い時に産んで子離れの時 期を早くするのと、ある程度キャリア を積んだ後、知恵もネットワークも資 金も潤沢に蓄えた後に出産する、とい う 2つの考え方があるが自分は後者を 選択したと、岩熊さんは語る。現在夫 は 北 海 道 勤 務 の た め 別 居 し て い る が、 お互いが自立してどのように仕事をし ていくかなどを、話し合っている。上 京すると二人で食事をしたりする良好 な関係を築いているという。 イ ン タ ビ ュ ー 時 点( 2010 年 )、 岩 熊 さ ん は セ カ ン ド キ ャ リ ア と し て、 環境コンサルタント企業に技術者とし て 勤 務 し な が ら、 「 女 性 技 術 士 の 会 」 の理事長をつとめていた。その後、業 界再編の中で新たな環境コンサルタン ト企業の上席技術者として勤務するか たわら、国立高専機構の理事として教 育機関の運営や女性研究者支援に関わ り、また横浜国立大学はじめ非常勤講 師として技術者教育の授業を担当して いる。 今後の課題としていた日本技術士会 男 女 共 同 参 画 委 員 会 も 2011 年 に 発足し、その委員長を務めている。職 業キャリアと社会活動キャリアを両立 しつつも、その比重は、社会活動キャ リアに徐々に移ってきた。岩熊さんが 設立メンバーの一人である「女性技術 士 の 会 」 も ま た 設 立 か ら 20年 を 経 て、 企業からの助成の対象となり得るよう な、よりプロフェッショナルな集団へ と転機の時を迎えている。理工系分野 へ の 女 性 の 進 出 を 後 押 し す る よ う な、 岩熊さんたちの活動は、今後ますます 重要なものとなっていくだろう。夫婦 とも多忙で、一緒にゆっくり食事をす る時間もない状況のようである。  (越智   方美)

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Profile

 両親の教育方針もあり、高校卒業時に は、手に職を持って経済的に自立する道 を強く志向していた。専門職として保育 士をめざし、大学で資格を取得。1972 年就職に際し、信州大学医学部の教職員 のための保育園が開設されることにな り、その立ちあげから関わる。1989年 に同園長に就任。  定年後も嘱託園長として勤務していた が、2011年に松本市の市議会議員選挙 の折に、仲間から議員候補に押し出され、 市民型選挙で当選した。無所属の市議会 議員として政治参画を果たす。  一方、学生時代から女性の地位向上や 社会の動きに関心を持っていたので、仕 事と並行して社会活動をずっと行ってき た。現在はみんなの学校in松本企画委 員会代表、I(アイ)女性会議長野県本 部議長を務めている。 (60歳代) 1972 年 長野県福祉大学校保育学科卒業 信州大学付設おひさま保育園勤務 1975 年 I(アイ)女性会議参加 1980 年 松本市婦人のつどい実行委員会参 加 1989 年 信州大学付設おひさま保育園園長 2002 年 みんなの学校 in 松本企画委員会代 表 2011 年 松本市市議会議員。保育園嘱託園 長と兼務 略年表 みんなの学校in松本企画委員会 代表 

田口 輝子

(たぐち てるこ)さん

働きつつ、活動を継続、

女性のネットワークを形成

1

 意思決定の場への参画

長野県

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みんなの学校 in松本企画委員会の 概要 【活動分野】 社会教育の推進、男女共同参画社会形 成の促進、子どもの健全育成 【活動内容】 「 み ん な の 学 校 in松 本 企 画 委 員 会 」 は 2002 年 4月 に 設 立 さ れ た 自 主 的な団体で、メンバーは 50人。県内の 主だった女性主体の団体メンバーで構 成している。役員は代表と事務局長 2 名。役員は無報酬。会の収入源につい ては、映画会を年 1回主催し、映画会 のチケット収入( 25万円~ 30万円)を 会の運営費に充てている。 事業は行政との協働事業として、講 座 ・ 講演会を年 3回程度開催している。 テ ー マ は「 女 性 の エ ン パ ワ ー メ ン ト 」 に 関 す る こ と や「 松 本 女 性 史 を 学 ぶ 」 など。また、適宜、時事・社会問題に ついて研修会を実施している。昨年は エ イ ズ 問 題 を テ ー マ に 研 修 会 を 開 き、 研 修 後、 長 野 県 に エ イ ズ・ H I V 感 染症の予防対策強化を申し入れた。 講座の企画などを通してネットワー クが広がり、主体的に社会の問題に取 り組む仲間が育っている。 活動までのプロセス 職業を持って経済的に自立する道を 志向 田口さんは、 育つ過程で両親から 「仕 事を持って経済的に自立することやそ のために手に職をつけられように資格 を取っておくこと」とよく言われてい た。高校卒業時には、両親から実用的 で結婚後の家事にも役立つので、栄養 士の資格を取ることを勧められた。栄 養士になることにそれほど強い気持ち はなかったが、ともかく東京の栄養士 専門学校に進学した。そして、 3年間 管理栄養士養成科に在籍したが、学ぶ うちに、栄養士として働き続ける将来 への魅力が薄れる。そこで、もともと 子 ど も が 好 き な こ と や 教 育 に 関 心 が あったことから、専門的な職業として 自らの希望で保育士をめざし、長野県 福祉大学校保育学科に進学。保育士資 格を取得した。 仕事と家庭の両立に日々努力 1970 年代、 働く女性は増加。 「ポ ストの数ほど保育所を」と保育園が求 められた時代。田口さんが大学を卒業 し た 1972 年 に、 信 州 大 学 医 学 部 付設おひさま保育園が、病院の教職員 のための保育園として開設されること になった。田口さんは、新任保育士と して新しい保育園の立ちあげから関わ ることになった。保育園を開設する仕 事は大変だったが、やり甲斐や喜びも 大きく仕事にも家庭生活にも一つ一つ 努力を重ねた。 田口さんの家族は、夫と子ども 3人 の 5人家族。 3人の子どもの内、 2人 は双子。現在、子どもはもう独立して いる。田口さんは「夫は、もともと働

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く女性を十分に認めていて、決して女 性を蔑視しない人。子育て期には 3人 の子どもがいて、フルタイムの仕事を 抱えての家事 ・ 育児は、 それは大変だっ た。そうした日常生活の大変さは、夫 の目にもよく見えて、夫は家事や子育 てに非常に協力的であった。家族の原 則は、家族の誰かに我慢のしわ寄せを しない、できる人ができることを引き 受 け る と い う 方 式 で 乗 り 切 っ て き た 」 と仕事と家庭生活の両立について語っ ている。 使命感から社会活動に参画、女性の ネットワークを形成 フ ル タ イ ム の 仕 事 を 持 つ 田 口 さ ん が、 社 会 活 動 に 関 わ っ た 動 機 は、 「 何 かしなければというやむにやまれぬ気 持からだった」と言う。 田 口 さ ん が「 I ( ア イ ) 女 性 会 議 」 の活動に参加したのは、国際婦人年の 1975 年。 1970 年 代 か ら 80年 代は、日本社会に活気があり、さまざ まな女性の活動も熱気があった頃。田 口さんが活動の中で、特に印象深く覚 え て い る の は、 1985 年 の 男 女 雇 用機会均等法の制定の頃。均等法の制 定に強い関心を持ち、働く女性たちに とっての法律がよりよい内容になるよ う願って、仲間と上京し、国会へのロ ビー活動などにも積極的に参加したこ と。そして、その頃活動を通して「目 標を共有する仲間との活動は、新しい つながりを手に入れた楽しさと一人で はなく共に行動している充実感を得る ことができ、仕事に対する活力ももら えた」と自分と違う職業や所属の人と の交流が広がる社会活動の楽しさに目 覚める。 1980 年 に は、 現 在 活 動 し て い る「 み ん な の 学 校 in松 本 企 画 委 員 会 」 の前身の「松本市婦人のつどい実行委 員会」 に参加。女性団体と力を合わせ、 大きな催しを企画し、女性主体のネッ トワークを形成した。女性団体が力を 合わせて活動をしたことが、女性セン タ ー を 求 め る 要 望 活 動 に も つ な が り、 そ う し た 動 き が 1999 年 の パ レ ア 松本、松本市女性センターの設立に結 実した。田口さんは、女性センターは

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男女共同参画の発信の拠点であり、多 くの人が交流する団体活動にとって大 事な拠点なので、今後ますます充実さ せたいと願っている。 原動力は、仲間とのつながりと強い 意志 田 口 さ ん が 現 在 代 表 を 務 め て い る 「 み ん な の 学 校 in松 本 企 画 委 員 会 」 は 2002 年 に 設 立 さ れ た 団 体 で、 男 女共同参画社会の形成の促進を図る活 動、子どもの健全育成を図る活動、社 会 教 育 の 推 進 を 図 る 活 動 を し て い る。 会員は松本市内の主だった女性団体の メンバーで構成されている。 社会活動への参加を妨げる要因とし て、活動する時間がないことや家族や 職場の理解がないことがよく挙げられ るが、田口さんは、年次有給休暇を利 用し、 1日を午前、午後、夜間と分け てしっかり時間管理をし、時間を徹底 的に有効に使っている。職場の理解に つ い て は、 1989 年 に 保 育 園 園 長 に就任してからは、働く人の働きやす さ や 環 境 整 備 に 一 層 力 を 入 れ て お り、 「 そ れ は、 と り も な お さ ず 自 分 自 身 の 社会活動との両立のしやすさにもつな がった」と語っている。 また、田口さんは活動について「団 体活動は人間の集まり、メンバーとの つながりが大切だと思っている。その た め に は 相 手 を 信 頼 す る こ と が 基 本。 会 議 の 場 で は お 互 い に 考 え て い る こ と、思っていることなど意見をよく聞 き、気持ちをキャッチすることが重要 だと考え、代表として少数意見も大事 にすることを心がけてきた。仲間のお 互いに対する理解が大事だと思う。メ ンバーはフルタイムで働く自分の状況 を十分理解してくれている。行事を行 う時には、チームを組んで行う。毎年 の企画テーマは、議論し、やりたいこ と を 持 っ て い る 人 に 手 を 挙 げ て も ら い、提案により決定。役割分担をその 都度行う。それぞれができる役割を果 た す。 『 み ん な の 学 校 』 で は、 や り た いことがやれることが重要で、活動に は楽しさも必要。また、学んだことを 行政に政策提言し、政策に反映される こともやり甲斐につながっている」と 言っている。メンバーそれぞれの独自

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性ややりたいことを大事にしつつ、そ れぞれができる役割を担いながら活動 し、団体としてまとまっていく。こう し た こ と か ら、 団 体 活 動 の 継 続 に は、 メンバーひとりひとりにとっても団体 にとっても、プラスになる関係を築く ことが肝要だとわかる。 さらに、困難の乗り越えに必要だっ た こ と に つ い て、 「 活 動 し て い く 中 で は周囲の無理解などもあったが、いち いち気にしない。いろいろな困難を乗 り越えるには、活動を続けていくのだ という強い意志と共に活動している仲 間がいるという信頼感がある。そのた めにも、コミュニケーションをよくと ることが重要」だと述べている。 市議会議員に押し出され、政治参画 ずっと同じ職場で働き続けてきた田 口 さ ん は、 2009 年 に お ひ さ ま 保 育園で 60歳定年を迎える。 2年の定年 延長があり、嘱託園長として働いてい た 2011 年 に 松 本 市 の 市 議 会 議 員 選挙があった。その折、長く議員の職 責を果たしていた信頼のおける女性議 員が引退。何とか女性議員を継続させ たいという願いを持つ仲間から議員候 補に押し出された。そして、家族も立 候補を応援してくれたので、思い切っ て 無 所 属 で 市 議 会 議 員 に 立 候 補 し た。 その結果、市民型選挙で 38人中 7位で 当 選 を 果 た す こ と が で き た。 現 在 は、 議員として男女共同参画の推進と教育 問題に重点的に取り組んでいる。 また、 ずっとライフワークとして取り組んで きている保育園の仕事も、保育支援を 医学部教職員対象にとどまらず、大学 の女性研究者支援のために全学に広げ ていこうとしている。 田口さんは、これまでの自分のキャ リアを振り返り、好きな保育士として の仕事をずっと続けて経済的に自立を し、仕事と同時に社会活動ともかかわ りを持ち、仲間と一緒に本当にやりた い活動にも携わってこられたことに満 足している。

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男女共同参画の視点から 「男は仕事、 女は家庭」 を乗り越えて 働く女性の現状を見ると、結婚、出 産、子育てを機に職業を中断する女性 が多い。しかし、田口さんは、子育て 期 に も 職 業 を 中 断 せ ず に 継 続 し て い る。さらに、社会活動にも携わり、仕 事と活動と家庭を鼎立している。田口 さ ん の 学 校 選 択 や 職 業 選 択 の 背 景 に 「 女 性 も 手 に 職 を 持 つ こ と 」 を 強 く 勧 めた性別役割分担意識に捉われていな い家庭教育の影響がうかがえる。そし て、仕事・活動・家庭の鼎立を支えた のは、家族の理解や協力であった。田 口さん自身が「家族の原則は家族の誰 かに我慢のしわ寄せをしない。家事・ 育児もできる人ができることを引き受 けるという方式で乗り切ってきた」と 語っている。家族全員が柔軟にその時 その時、家庭生活に必要な役割を引き 受け、協力し合うことが、仕事と活動 の継続を支えた大きな要素だった。家 族、 特 に パ ー ト ナ ー と し て の 男 性 が、 女 性 が 職 業 を 続 け る こ と に 理 解 を 示 し、 応 分 に 家 庭 責 任 を 果 た す こ と が、 女性の職業継続と社会活動継続にとっ て大事であることがわかる。 ク・ フ・バランスの実現 田口さんは就業当初から働く人の環 境 の 整 備 に 強 い 意 欲 を 持 っ て い た が、 「 園 長 に 就 任 し て か ら は、 よ り 一 層 働 く人の働きやすさに力を入れた。それ は、とりもなおさず自分自身の社会活 動 と の 両 立 の し や す さ に も つ な が っ た」と語っている。 今、 女 性 も 男 性 も、 仕 事 や 子 育 て、 自己啓発、社会活動等さまざまな活動 を自分の希望するバランスで展開でき るワーク・ライフ・バランスの実現が 求められている。田口さんが複数の活 動 を バ ラ ン ス よ く 行 え た 要 因 と し て、 田 口 さ ん 自 身 が キ ャ リ ア を 積 み 重 ね、 待遇や雇用環境の整備を遂行できる園 長の地位に就いたことが大きかったで あろう。 こ れ は、 管 理 的 な 地 位 に 就 く 人 が、 仕事だけにまい進することに価値を置 くのではなく、仕事と調和を取りなが ら家事や育児、学習や活動などに携わ る生き方や働き方に価値を置く考えを 持つこと、それが、ワーク・ライフ・ バランスの実現にとって重要な要素で あることを示唆している。  (西山   恵美子)

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Profile

 自分が育つ家庭環境では、「手に職を」 という父親の考え方のもと、専門学校 で簿記の勉強を一生懸命行った。結婚 後23歳から市原市の商工会議所に勤め、 58歳の退職まで36年近く商工会議所と いう男性中心の職場で職業生活を継続し た。女性職員の上司はいなかったが、プ ロジェクトのスタッフになるなど、行政 関係者、女性団体関係者との交流を深め る。その後1996年50歳で女性では全国 初の商工会議所専務理事となり、管理職 を務め、男女の役割分担によらない新た な組織作りなどに取り組む。会頭の退位 に伴い58歳で退職。地域の女性代表の 一人として退職以前から、市原市の条例 づくり委員会などに関わっていた。2006 年には「市原市男女共同参画社会を進め る市民の会」を立ちあげ、会長として 活動している。長期の職業生活をもとに 地域における人的ネットワークをつくり あげ、退職後地域の男女共同参画活動に リーダーとして活躍している。(60歳代) 1966 年 専門学校に進学。父親の「手に職」の 考えから簿記などを一生懸命勉強する 1969 年 結婚後市原市へ転居。近所の人の紹介 で商工会議所につとめ、タイプ打ちか らはじめる職業生活をスタートさせる 1970年代 出産後、子育ては義母が担い、仕 事に没頭。プロジェクトスタッフ となるなど上司からも認められる 1996 年 50歳、商工会議所の専務理事に就任 組織改革を実施 2004 年 会頭の退位により、58 歳で退職 2006 年 市原市の男女共同参画社会条例づ くり参加。審議会副委員長 女性センター設立後、事業を推進 する「市民の会」会長として活動 2011 年 3.11(大震災)から岩手県大槌町 ボランティア支援活動 2012 年 「大槌町の子どもたちを支える会」 立ちあげ、理事 10/2 ~ 4(3 日間)被災地でボラ ンティア活動 2013 年 被災地支援として「写真展」開催 予定 5 月~ 2014 年 3 月まで(被 災地直後・中間・未来へ) 義母の介護と、会活動の両立を 行っている(4 年目) 略年表 市原市男女共同参画社会を進める市民の会 会長 

羽鳥 シズ子

(はとり しずこ)さん

商工会議所管理職の職業キャリアから

地域の男女共同参画活動へ

1

 意思決定の場への参画

千葉県

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市原市男女共同参画社会を進める 市民の会の概要 【活動分野】 男女共同参画社会の形成の促進 【活動内容】 市原市では男女共同参画を進めるた め 条 例 づ く り を 行 い、 2005 年 4 月に施行となった。条例づくりに取り 組 ん だ 市 民 た ち が 2006 年 4月 に 「男女共同参画社会を進める市民の会」 を設立。 24名で設立総会を行い、会長 に羽鳥シズ子さんが就任した。現在は 会員が 61名で活動している。 市民の会では、市民活動センターに 男 女 共 同 参 画 セ ン タ ー( i ほ っ と ) を設立し、市内外の団体や個人に「男 女共同参画の輪」をひろげるため講演 会や企画会を開催している。 2 0 0 6 年には設立記念事業として横浜市男女 共同参画センターの視察、市民企画講 座 (市共催) 「男の未来予報図」 を実施。 2007 年 に は 市 原 市 男 女 共 同 参 画 フォーラムに参加し「地域交流会 in市 原 」 開 催。 2008 年 市 原 市 男 女 共 同参画推進フォーラムに実行委員とし て参加するなど、市原市の男女共同参 画推進の活動を進めている。 活動までのプロセス   務・仕事に没頭 1946 年 山 口 県 に 生 ま れ た。 書 道教師をしていた父親からこれからは 手に職をもたないと社会に通用しない と よ く 言 わ れ た。 高 校 卒 業 後 は 専 門 学 校で簿記などの勉強を一生懸命に行っ た 。 結婚により市原市に転居した。近所 の 人 か ら 話 が あ り、 1969 年 23歳 で商工会議所に勤め始め、タイプ打ち からの職業生活がスタートした。商工 会は 25人程度の組織で、女性は 6、 7 人と少数であった。組織としては係長 に女性が 1名いたが、それ以上の役職 はおらず、女性は上に上がれないのか と疑問をもったこともあった。 しかし、 仕事でさまざまなことを行う機会を得 て、大いに鍛えられた。 当時の専務理事からプロジェクトの スタッフとなるように言われた。期待 さ れ た 仕 事 に 一 生 懸 命 取 り 組 む こ と で、この時期、仕事の幅をひろげ、自 分の能力を伸ばしていった。市や県の 行政関連の人々と交流をもち、人的な ネットワークもひろがった。周囲から も仕事ができると評価され、自身も積 極的に仕事に取り組んだ。 研修を受け、 経営指導員の資格を取得したのもこの 時 期 で あ る。 そ の 後 総 務 係 長 を 務 め、 事業主との中小企業相談や苦情処理も 担当し、次第に商工会議所において重 要 な メ ン バ ー と な っ て い っ た。 1995 年 か ら は、 総 務 省 行 政 相 談 員 と い う 中 心 的 な 役 割 も 果 た し て い る。

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管理職となり、男女によらない新た な組織作りに取り組む 子育ては、同居している義母が中心 となり行ってくれた。夫は最初は職業 生活の継続に反対であったが、家事や 育児に協力するようになった。家族が み な 協 力 し て 仕 事 の 継 続 を 可 能 に し、 2人目の子どもの時は育児休業を取っ たが、義母が家事・育児を行ってくれ たので羽鳥さんは仕事に没頭できたと いう。周囲の女性たちからは、家族の 協力があり羨ましい、とよく言われた そうだ。 商工会議所の会頭、副会頭につぐ管 理 職 で あ る 専 務 理 事 に 1996 年 50 歳で就任した。女性の専務理事は全国 初。商工会における女性の役職者が少 ない中で、羽鳥さんの専務理事就任は 女性の管理職進出にとって大きな前進 といえる出来事であった。 そ の 後 1998 年 に は 中 津 川 市 で も、商工会議所に女性の専務理事が誕 生している。仕事の幅はひろがり、運 営、会計も含めてすべてのことを任さ れていた。主に男性である事業主と経 営に関わる相談も行い、時には暴力団 対応などが必要とされることもあった という。通常勤務の後、夜にミーティ ングや勉強会などを行うことも多かっ た。 自らが管理職となることで、組織の 在 り 方 を 見 直 す こ と に も 取 り 組 ん だ。 男女の別は関係なく、責任の重さ、き ちんと意識的に仕事を行うことを基本 とし、女性の昇進も可能としていく組 織改革を行った。また県内の 20の商工 会 の 女 性 た ち の 勉 強 会 な ど を 実 施 し、 横のつながりを作り、女性たちのエン パワーメントにつながる活動も積極的 に展開した。 このように羽鳥さんは、商工会議所 で働く女性たちのエンパワーメントに も力を発揮している。また専務理事の 立 場 で さ ま ざ ま な 人 と 出 会 う こ と か ら、大きな力をもらっている。仕事は 「 で き な い 」 と は 言 え な い の で、 さ ま ざ ま な 人 に 助 け て も ら う こ と も 多 く あったという。仕事をする上でのお互 いの関係が重要であることが改めて認 識できた。 会 頭 の 退 位 に 伴 い 羽 鳥 さ ん も 2004 年 58歳 で 専 務 理 事 を 退 職 し た。上司に恵まれ、さまざまな仕事に

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