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で原爆の影響と考えられる白血病のた め亡くなったが、その死後、同級生の 小学生らが街頭で呼びかけた募金をも とに、 「原爆の子の像」が建てられた。 この物語は日本では教科書に掲載され ているため、広く知られている。 ボランティア通訳の方が禎子さんの 短い一生と、像の建立運動の経緯をま と め た 絵 本『 お り づ る の 旅 』( P H P 研究所、 うみのしほ作、 狩野富貴子絵) を読み聞かせたところ、アフィファさ んとサイフィさんは戦争に巻き込まれ 苦しんだ禎子さんの生涯と、アフガニ スタンの現状を重ね合わせ、とても感 激 し た。 帰 国 し た サ イ フ ィ さ ん か ら、 『 お り づ る の 旅 』 を ぜ ひ ア フ ガ ニ ス タ ンでも出版し、紛争に苦しむ子どもた ちを勇気づけたいとの要望があり、渡 部さんは、紛争のため困難な生活を強 いられているアジアの子どもたちにこ の絵本を届けようと考えた。出版社と の交渉を経て、著作権の関係で絵本を 翻訳出版することはできないが、絵本 に翻訳文を貼り付けて加工したものを アフガニスタンに贈ることになった。 日本語の文章の上に、訳語が印刷さ れた紙を貼り付ける作業は、この活動 に賛同した学生ボランティアにより行 われ、アフガニスタンの子どもたちに 届けられた。 ダリ語からはじまった 『お り づ る の 旅 』( 英 文 書 名“ Paper Crane Journey ”) を 広 め る 活 動 は、 現在では英語、ネパール語、スペイン 語、フランス語、ドイツ語、タガログ

語など各言語に翻訳され、広島の被爆 の実相を世界の紛争地域の人々にわか りやすく伝える有効な手段のひとつと なっている。 そ の 後、 「 ANT-Hiroshima 」 が 制 作支援をした 『マッシュルームクラブ』 『 ヒ ロ シ マ ナ ガ サ キ 』 等 の 被 爆 者 の 苦 悩 を 描 い た ド キ ュ メ ン タ リ ー を 通 じ て、 「 ANT-Hiroshima 」 の 活 動 の 成 果が目にみえるようになると、家族の 対応にも変化がみえはじめた。渡部さ んが市民活動を開始した当初は戸惑っ ていた子どもたちも、成人した現在は 母 の 活 動 に 理 解 を 示 し、 「 ANT- Hiroshima 」 の 事 業 に 協 力 し て く れ るようになった。 2002年からはアフガン難民支援 も 行 い、 生 涯 学 習 セ ン タ ー や 公 民 館、 学校教育の現場で、ボランティアワー クや国際協力についての講義や出前講 座を通じて平和を尊重する心を伝えて いる。

キャリア形成の視点から

渡部さんのキャリアの軌跡は、法律 事務所の事務局長という重責をともな う職業キャリアと、国際協力や平和教 育 を 主 眼 と す る「 ANT-Hiroshima 」 を核とした社会活動キャリアの両立と いう点に大きな特色があると言えるだ ろう。通常、 多くみられるパターンは、 若い時には職業キャリアが主要な活動 であったのが、いくつかの転機を経て 社会活動キャリアに主軸が移行すると いうものである。これは職業キャリア を通じて生活の糧を確保しながら、人 的・ 経 済 的 ネ ッ ト ワ ー ク を 広 げ つ つ、 社会的に意義のある活動に徐々に力を 注いでいく、という形をとっているこ とが多い。 しかし、渡部さんの場合は、配偶者 が 開 業 し た 法 律 事 務 所 と い う い わ ば 「 フ ァ ミ リ ー・ ビ ジ ネ ス 」 に 対 す る コ ミ ッ ト メ ン ト は 十 全 に 果 た し つ つ、 「 ANT-Hiroshima 」 の 活 動 を 継 続 し て き た 点 が 他 の 事 例 と は 異 な っ て い る。 イ ン タ ビ ュ ー の 中 で 渡 部 さ ん は、 「 男 女 平 等 」 や「 ジ ェ ン ダ ー」 と い う 言葉で活動を語ってはいない。 しかし、 「 ANT-Hiroshima 」 の 活 動 の 原 点 が、 「(夫の仕事とは別の)自分の居場所が ほ し か っ た か ら 」 と い う 語 り か ら は、 法律事務所の事務局長という有償労働

に就いていることが、必ずしも渡部さ ん が 本 当 に 取 り 組 み た い こ と で は な か っ た た め、 精 神 的 な 充 足 に は つ な が っ て い な か っ た こ と が み て と れ る。 渡部さんは家事・育児・介護、法律事 務所の仕事に加え、自身のライフワー ク と も い え る「 ANT-Hiroshima 」 の 運営という、複数の役割を長年にわた り両立してきた。 今後の課題のひとつとして渡部さん は、ワーク・ライフ・バランスを保ち つつ、平和教育に関する活動を次の世 代にどのように引き継いでいくかとい う 点 を あ げ て い る。 現 在 渡 部 さ ん は、 「 ANT-Hiroshima 」 の 活 動 を 通 じ て、 平和教育の次世代の担い手の育成にも 熱心に取り組んでいる。そのために他 の団体やNPO法人と戦略的に協働し ながら事業を行っていくように心がけ ている。 たとえば、紛争地帯で暮らす子ども た ち が 描 い た 絵 画 を 販 売 す る チ ャ リ テ ィ ー イ ベ ン ト“ Art Party ” は あ え て「 ANT-Hiroshima 」 単 独 で 事 業 を 行わずに、実行委員会形式で実施して いる。その際に必要となる、関係者の 合意形成をファシリテートする役割を 渡 部 さ ん が 受 け 持 ち、 運 営 面 で は 「 ANT-Hiroshima 」 の ス タ ッ フ や ボ ランティアの人たちに任せるよう努め ている。こうすることにより、他の組 織との連携関係も深まり、スタッフの 学びにもつながっている。 「 ヒ ロ シ マ 」 発 の 平 和 を 願 う 心 を、 次の世代につなぎながら、これからも 渡部さんはアリのように着実に歩みを 重ねていくことだろう。

(越智

  方美)

Profile

 岡山県津山市出身。高校卒業後、公認 会計士事務所と織物機械商社での勤務 を経て、公務員の夫と結婚。専業主婦 として二女一男を育てつつ、生協活動や PTA活動にかかわる。

  そ の 後、 友 人 に 誘 わ れ て 岡 山 女 性 フォーラムに参加したことをきっかけに 女性問題に取り組むようになる。岡山市 で開催された日本女性会議の事業部長を 務めたあと、岡山市の条例づくりや女性 議員を増やすための活動を積極的に行 う。

 活動を通じて全国的なネットワーク ともつながる中で、DV被害者支援とそ の問題解決に強い関心を持ち、「NPO法 人さんかくナビ」を共同で立ちあげる。

現在は、さんかくナビの理事長として、

DV被害を受けた女性と子どもへの幅広 い支援活動を行っている。 (60歳代)

1963 年 津山市の高校を卒業後、公認会計 士事務所で働き、その後岡山市の 企業に勤務

1972 年 28 歳で結婚、3 人の子どもを育て ながら生協や PTA 活動を行う 1986 年 「岡山女性フォーラム」のシンポ

ジウムに初めて参加

1995 年 「日本女性会議’97 岡山」の実行 委員長に就任

1998 年 「女性を議会へ」の地方責任者に 就任し、99 年の統一地方選に向 けて活動

2000 年 「さんかく岡山」条例研究・普及 研究グループ代表に就任 2001 年 「DV 防止サポートシステムをつな

ぐ会・岡山」運営委員長に就任 2002 年 岡山市のさんかく条例成立(条例

づくりに携わる)

2004 年 「NPO 法人さんかくナビ」を立ち あげ理事長に就任

2005 年 岡山で初めての民間シェルターを 開設し、デート DV 防止プロジェ クトを設立

略年表

ドキュメント内 社会参画と女性のキャリア形成事例集 (ページ 56-59)

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