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「市民法の科学化」論と神官クイーントゥス・ムーキウス・スカエウォラの思想像一一一アルド・スキアヴォーネの議論を手がかりに一一一

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(1)

173一一『奈良法学会雑誌』第7巻3・4号(1994年3月〉 〈 論 説

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はじめに││問題の所在 第一章﹁科学化革命﹂論の構図 付 前 史 l l l ステインの

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﹁法律学の誕生﹂から﹁法知識の科学化革命﹂へ 同法学の革新形態と連続性 第二章精神の表層と基層││﹁市民団の第一人者守片山口己宮田

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訂 正 凹 ) ﹂ の 精 神 風 土 ハけアウグスティ l ヌ ス の 記 述 と 神 々 の 一 一 一 分 法 1 1 思想の系譜学を求めて 口基層││﹁貴族的理知

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昨 日 門 知 ) ﹂ おわりに

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第7巻 3・4号一一174 はじめに

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問題の所在

本稿は法思想史・精神史の手法により神官クイーントゥス・ムlキウス・スカエウォラ C E D吉田冨

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ロ民話ハ以下スカエウォラと略記する。他の人名表記にあたっても、特に必要の無い限り家名単独で略記す る)の法学像と精神像全体を検討する試みである。 周知のごとく、彼が残した﹁市民法論

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﹂十八巻は、後代の法学者の絶えざる関心の対象とな り、新しい解釈を組み立てる際の、いわば基底的枠組みとして時代を越えた長い命脈を保った。同書は、後の﹁告 示﹂的体系と並んでロ l マ法学の二大基軸となる﹁市民法﹂的体系の出発点となり、その流れは共和政末期のアルフ ェ Iヌス同﹀再開口

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、古典期前期のラベオl冨

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、古典期盛期のポンポlニウス

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宮口吉田、さらには古典期後期のウルピ ア l ヌ ス ロ

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印 巴 笠 宮 医 師 、 パ ウ ル ス

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回 一

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宮田に及ぶとされれ ω 現代の法史家も、かかる重要性に着目 し、様々な表現を用いて彼の創始者としての先駆性・偉大性を称揚し続けている。しかし、﹁市民法論﹂の現存断片 がわずかであるということもあり、彼の法学の位置づけをめぐって法史家の意見は必ずしも一致してはいな川 ω き て 、 ッ シ ウ ス スカエウォラを法思想史的・精神史的に検討しようとする際、われわれは今ひとつの困難に逢着するのである。この 問題について、三島淑臣教授は、かつて前掲の法学者ウルピア I ヌスの﹁自然法﹂思想を検討される際、以下のよう に述べられたことがある。 ﹁それゆえここには、哲学の素人が立っているというよりも、むしろ法的実践に定位しながら哲学理論を実用的見 地から自由に取捨選択してゆく法学の玄人が立っているのである。彼によって自然法の哲学は大きな混乱に引き込ま

(3)

れたが、実用法学はみのり豊かな支柱を与えられたのであった。 ( 中 略 ) こ う し て 、 ウルピアヌスにおけるギリシャ 自然法論の継承は、(中略)むしろ、彼の法学作業の内部で実働している﹃自然の理﹄あるいは﹃自然﹄、否さらに法 。ロ与を正

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の探求と把える彼の︿法﹀概念やその弁証法的探求方法そのものの中に求められるべきなので 175一一「市民法の科学化」論と神官クイーントゥス・ムーキウス・スカエウォラ あ る 。 ﹂ もちろん本稿で扱われる対象は共和政末期ロlマの法学者スカエウォラの法学と精神像であり、この記述は本稿の 対象と時代的・内容的に遠く隔たったものとなることは筆者も充分承知しているが、ここには時間的懸隔を突き抜け て両法学者聞を貫流する精神態度を読みとることができるように思われる。それは抽象的思弁による法・正義概念の 考察を、それが例え内発的なかたちであってもあるいは外からの受容によるものであっても峻拒し、自律的・技術的 な学の発展のかたちにおいてのみ外よりの刺激を生かそうとする姿勢である。それゆえ我々は、それ自身として表明 された法学者の法的世界観を自にできるわけではなく、法文の中に表された用語・論理の形式、さらには非法学文献 の断片等を精査することを通じてのみ、かかる世界定位への接近を許されるのである。 しかし、筆者の検討対象である共和政末期ロlマにおいては利用可能な史料が大変乏しいため、それはとりわけ困 難な途である。また逆説的ではあるが、その一方で残された断片を根拠として共和政末期ロ I マの法学を法思想史的 ・法哲学的に検討した欧米の先行研究は相当数にのぼっている。ひとまずイタリアにおける伝統の蓄積をアルキによ る 概 観 ( ﹀

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。 。 、 吋 ¥ ︿ 回 目 iJN ロワに従いながら紹介すれば、﹁ギリシア思想のロ17法学への影響﹂というテ1マは、 両世界大戦間期にイタリアでの中心的論題として議論されたが、その際のロ 1 マ法学とは自己完結的な学問体系とし て一般的・抽象的に観念されていたという。その後一九六

0

年代半ば以降は、具体的な法学者像に着目し、関連する 古典古代学の諸分野をも学際的に援用する手法が進められてきたとアルキは述べるが、これはいわゆるナポリ学派の

(4)

方法論を指しているものと考えられる。本稿でその作品を議論の軸として検討するアルド・スキアヴォ 1 ネ と は 、 ブ レ ト I ネらと共に、ナポリ学派の中心をなすイタリアの法思想史家であり、スカエウォラの法学像研究で学界の注目を 得た研究者である。彼はまず一九七六年に﹁法律学の誕生││共和政末期ロ I マにおける貴族文化と法思想

3

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︿ 。 ロ o w Z の)﹂と題する著作の中で従来見られなかった独自の法思想史・精神史的視点からスカエウォラに対しアプ ローチを試み、周辺諸領域の成果(古代哲学、神学、社会経済史)を援用した上で、彼の精神の多層的構造をいわば ﹁蹄分け﹂し、その社会との関わりを豊儀なレトリックを用いて明らかにした。同年に公刊されたオッコ・ベ 1 レ ン ( 9 ) ツの﹁クイーントゥス・ムlキウス・スカエウォラの市民法における学問方法論

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﹄ カエウォラとセルウィウス・スルピキウス・ル 1 フ ス 表記に従いセルウィウスと略一切の法学方法論を扱いながら、前者はストア派、後者は新アカデメイア派に属したと、 両者の哲学的背景の同定に専心したこととは対照的に、幅広い観点からスカエウォラの思想像を立体的・多層的に示 そうとする試みとして多くの関心を集め、新しい流れの綱領的位置を占めることとなった。ここでの試みはさらに範 それにプ I ブリウス・ム I キウス・スカエウォラ

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囲の拡大を受け、同書の内容を中核として、 ω n m H ゆ ︿ 。 - m w

ラベオ!の三者への考察を加え、それらを全体として捉え直した序文を付した総括的著 セ ル ウ ィ ウ ス 、 作が﹁共和政期ロ!マにおける法学者と貴族││古代法思想における科学化革命の世紀

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岡 山 ﹀ ﹂ と 題 して一九八七年に公刊された。スキアヴォ I ネの手法には実証主義的立場から折々に批判も加えられており、さらに 彼のとるナポリ学派的立場自体に原理的反対も見受けられるものの、現在ひとつの存在感ある学際的方法論としてヨ ーロッパ内外の法史学界・古典古代学界における認知を受けているものと筆者は判断している。本稿は彼の作口聞を導 きの中心に捉え、筆者なりの批判的判断を留保しながら考察を試みることで、筆者自身の実証的研究にあたっての術

(5)

撒的視座を得ょうとするものである。なお、その際スカエウォラの業績を﹁科学化革命﹂と位置づけることの適否を 議論の一焦点として話を進めてゆきたい。 177一一「市民法の科学化」論と神官クイーγトゥス・ムーキウス・スカエウォラ

第一章

﹁科学化革命﹂論の構図 前史││ステインの£

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丘 四 回 開 問

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論 スカエウォラの法学を﹁科学化革命﹂と規定したのは、実はスキアヴォ l ネが最初ではない。 一九六六年に公刊さ れ 、

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門戸田ョという概念の変遷史をロlマ法初期から近世ヨーロッパ法学に至るまで通観した著作、ピ 1 タ ー・ステインの﹁レ I グラエ・ユlリス││法的ルlルから法格言まで

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﹂の第二章において、著者はプ マlニlリウスら﹁法学の創設者﹂に始まり、 共和政の終鷲に終わる時代を分析しているが、その標題を﹁法曹法と科学化革命己己門戸田工邸宅山口内田

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﹂と命名している

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お﹀。ここでは紀元前二世紀前半よりのギリシアの教育の影響が肯定さ れるが

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、実際に法学にギリシア哲学の影響が認められるのは紀元前二世紀中庸以降であるとされ ーブリウス・ム l キウス・スカエウォラ、 ユ I ニウス・ブルlトゥス、

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。ギリシア哲学の中でもとりわけロ l マ法学に方法論的影響を与えたのはアリストテレ I ス であるという立場をステインはとるが、その厳密な概念操作法の影響を最初に受けた人物としてスカエウォラの名前 を挙げるのである。ステインは彼の著作の書名(﹁定義書﹂

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ともなっている、彼の厳密な定義

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との故に彼の法学を画期的業績とした

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芦)。実は、ステインは﹁科学化革命﹂がいっ、どのよ うなかたちで行われたか、そしてその概念規定如何、を同書にて明示してはいないが、彼の意図は他の箇所で明らか る

(6)

﹁法曹法と科学化革命﹂という命名をヴィ l アッカーによって批判されたステインは、 に さ れ る の で あ る 。 つ ま り 、 ﹁ ヴ ィ l ア ッ カ l 教 授 は 、 一九七八年に公刊された論文の中で以下のように述べるのである。 クイーントクス・ム I キウスがロlマ法学に与えた衝撃の特徴を描写するのに私が﹃科学化革命﹄という語句を用いるのを好まれなかった が、そして

l

ーその誇張は共和政末期の議論を特徴づける伝統と調和しないものではないのだがーーその中に若干の レトリック的誇張の気味があるのは否めない。それにも関わらず、 ム l キウスは数多くの一般的準則を確定し明らか にすることでロlマ法を以前より合理的で科学的にした。後代の法学者は彼の作品︹﹃定義書﹄と﹁市民法論﹄︺を分 水嶺とみなした。﹂(傍線筆者) ステインの作品はスカエウォラの法学の独自性・画期性に着目し、これを評価するにあたって﹁科学 化革命﹂というアイディアを提供した。しかし、同書は本来 J m m 己完苫ユ九という概念の変遷史を通史的に論。す スカエウォラによるギリシア哲学の方法論受容を論ずる際にも、もっぱらその技術的側面に こ の よ う に 、 ることを企図しており、 検討対象を限っていた。スカエウォラの全精神像とリンクし、その中に位置づけられた彼の法学草命の実相が論じら れるためには同書の公刊より一

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年を待つ必要があり、そしてそれはさらに大胆な概念の提唱を伴ってスキアヴォ l ネの手で行われることとなった。 (二) ﹁法律学の誕生﹂から﹁法知識の科学化革命﹂ヘ さて、本節ではスキアヴォ 1 ネによるスカエウォラの法学の位置づけのあり方を検討することとするが、その際一 九七六年における﹁法律学の誕生﹂という位置づけ 3 n F 5 4 0 ロ P Z O N ) から一九八七年における﹁古代法思想の科 学化革命﹂への概念規定の変遷

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・ 0 z m H N ) の検証、そしてスカエウォラをめぐる記述の比較検討を中心

(7)

とした考察を試みたい。 ま ず 、 一九七六年の段階でスキアヴォ l ネ は

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が、ある法学者の﹁思想

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﹀﹂を完全に再構成するこ とに捧げられた最初の書物であるとの自負を表現した上で

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︿)、以下の如く述べる。﹁どちらの章 179-一ー「市民法の科学化」論と神官Pィーγ トゥス・ムーキウス・スカエウォラ も共和政末期の法学者クイーントヮス・ム l キウス・スカエウォラの知的伝記のうち若干の側面を再構成することに その中心をおいている。その選択は偶然のものではない。とりわけ第二章︹抽象化と法の形式︺で明らかとなるよう に、クイーントヮス・ムIキウスの著作の復元を通じて歴史記述上重要な問題の核心に到達したように私には思われ るのである。その問題とはすなわち、 ロ ー マ に お け る ( 従 っ て 、 い わ ば ヨ l ロ y バにおける﹀明確で自律的な知的実 践としての法律学、強く﹃科学性(由巳

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﹄を主張する法律学の﹃誕生﹄なのである。たとえクイーントゥス ・ムIキウスのはるか以前にロ l マ に お い て 法 知 識 ( ロ ロ 由 印 刷 ︼

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ロ ユ 庄 の O ) ( しかし、それは質的に異なる)が存 在していたにしても、以上のことから本書の標題の説明がつけられるのである。 Q n z m W 4 0 ロ

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・ ︿ 同 ) ﹂ この段階で従来の法知識との質的断絶が明確に主張されるのである。なお、従来からの法知識との若干の連続 性もすでに慎重に留保されていることに注意されたい。しかし、彼の主張する﹁科学性官

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﹂が具体的に どのようなかたちで規定されるかの記述は残念ながら同書中にみられず、それは議論の全体的展開から読みとるしか ない。詳しくは次節に譲るとして、筆者にはそれは法律学全体の整合性・体系性を達成することではなく個々の法概 念操作の抽象性・一般性の獲得であると理解される。そして、例えば前述のステイ γ は

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への書評において、与件 ( 6 V としての現存史料の少なさを指摘しながらもスキアヴォ 1 ネのこの規定の仕方を承認する。このような﹁法律学の誕 生﹂を検証するために、 ス キ ア ヴ ォ l ネは次のような順序で議論を展開する。以下は

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の 目 次 で あ る 。 序言

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Il rifiuto della poesia 。∞ Hll 恥噌・的判ド総 「回総 0J 時総判事立が Religione “nazionale" e filosofia

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j 語録罷 島、 "'"-λ ム~t\・-4 -~ト ~t く. t\-fそI-\~告 lf'\ 11 兵士的知回開 A 制緩垣間思 L'eta della svolta. Pensiero giuridico e ragione aristocratica in Quinto Mucio Scevola 掠 11~ 昨 ー'饗婚礼 j 穏:快 1 concetti e il sistema

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員全生きょ j 期借 La formazione e la fortuna 1 1'縄樹君国 ~AJ1 且曝 Ordine logico e tradizione 1 11'謀総記 AJ 灘回開 Astrazione e pensiero giuridico

(9)

四、組合と兄弟相続人団体

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五、価値と法的形式︿包

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181-1市民法の科学化」論と神官Fィーントゥス・ムーキウス・スカエウォラ 一 、 ア ウ グ ス テ ィ I ヌスの記述巴

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巴 ロ 。 二、ギリシアの伝統

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唱ゅの由 三 、 謝 叫 捌 司 吋 門 川 副 剖 引 叫 凶 同 州 引 引 制 四、都市国家の宗教と哲学周忌巴

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巴 。 由 。 皆 五、貴族的理知と政治的第一人者何回柱。

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白 色 。 。 (傍線箇所は共通した標題である) 後者の本文自体には前者のそれを簡素化し、さらに大きな枠組みの中に整合的におさめられるよう、随所に彫琢を 施したためにしばしば表現上原型をとどめぬ箇所も見受けられる。しかし筆者が

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の 本 文 と

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所収のそれ を通観・比較の上、史料操作の実質から判断する限りでは両者の骨子は同じものと考えられれ ω そこで、このような 構成上の変更から読み取れるのは、

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スカエウォラの神学思想と、その階層的被規定性を論ずる箇所(いわゆる﹁支 配者的理知﹂を中心とした議論)が後半に後退し、法律学自身の変革と精密化の実態を論ずる議論が正面に現れるこ と 、

ω

﹁過去との断絶﹂という標題が﹁形成と運命﹂に変わったこと、の二点である。それを

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の第一章がプ -プリウス・ム 1 キウス・スカエウォラの法学にあてられている点とあわせ考察すると、スキアヴォ 1 ネの視点の徴 妙な推移が読みとれるのではないか。それは、スカエウォラの神学上の立場、階層的利害の検討よりも、法学自身の 検討を重視し、さらに従来の法知識との連続性の契機を充分に視野に入れていこうとする方向での推移である。実は

(10)

﹁ 法 律 学 の 誕 生 ﹂ か ら ﹁ 古 代 法 思 想 の 科 学 化 革 命 ﹂ へ、という概念規定の推移もそこから説明がつけられるのではない ﹁革命﹂以前を空虚と考えていく方向では決してなく、﹁革命﹂以前と以後の質的相違を充分に踏まえながらも、 ﹁革命﹂の苦床となった先行法知識の伏流と﹁革命﹂との連続性を認めつつ両者の重層的併存を論じていくというもの である。ここでの推移を推察すると、十年余りを経て研究対象の拡大を見たスキアヴォ l ネの視点はこのような方向 我々はスキアヴォ l ネ の い う ﹁ ﹃ 法 知 識 ( 曲 者

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﹄ の﹃認識論

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﹄ さて、両者を比較する際、今ひとつ自につくのは、﹁貴族的理知﹂という概念の表現法である。前者においては

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門 口 九 、 後 者 に お い て は

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という用語が用いられている。スキアヴォ l ネ は この概念について次のように規定する。 ﹁ 実 際 、 ム I キウスがそのスタンスを定める観察視角は、相互に分離した分 野としての政治と哲学の対照という視角、 一方の他方への優越という視角ではなかった。 ﹃ 貴 族 的 理 知

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﹀﹄というものであり、それは社会とその理念価値についての総体的な考え方で ある。そしてその一貫性と統合力は、かかる貴族的理知を表現する階層が社会的・政治的統治にあたっているという その立場自身から大部分由来しているのである。

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-一 切 ・ 印 、 ア ロ -mv 臼 ﹀ ﹂ こ こ で は 、

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百ロミ%という言葉が語義上持つ歴史的限定性(ルネッサンス期以降﹀に配慮してその後用語を変更 したのではないかと推定されお w なお、歴史的限定性の問題についてスキアヴォ l ネが﹁近代︿

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﹂の概念

(11)

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を古代社会に当てはめることの当否という点から論じていることを付言しておく。以下の議論では特に必要のない限 り典拠としての

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岡 山 岡 山 の み を 挙 げ る こ と と す る 。 183一一「市民法の科学化」論と神宮クイーントゥス・ムーキウス・スカエウォラ 同 法学の革新形態と連続性 本節では、個々の史料操作による法的抽象概念の描写を詳細に追うことは避け、 ハ ロ ﹀ の革新形態の実像につき主として体系論の立場に視点を限って検討を進めたい。スキアヴォ l ネは、彼の主著﹁市民 スキアヴォ l ネの議論による法学 法論﹂の編成順序につき、彼が最も説得力のある試みと評価するワトソンの業績

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こ の 配 列 か ら 、 まず個々の核と ﹁市民法論﹂で扱われているテ I マの多くは十二表法の配列にまでさかのぼり得るものであり、 最古の解答と解釈との実践に基づくものであるということ。州 W なるテーマの古拙性。 論点相互の連関の不明瞭性。ある素材から次の素材 へと論述を導く議論の進め方の論理を推測するのが不可能なこと。その上で、 かかる﹁市民法論﹂の再構成像からは、 ポンポ l ニ ウ ス の ﹁ 類 別 に ( 向 。 ロ 何

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﹂ ( 同 ) ・ r N W N u 企)という言葉から一般に考えられるような、整然とした

(12)

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﹂とし ての位置づけと彼による再構成の試みとを批判する。つまり、分類体系のレベルでは旧来からの一般的配列のモデル にはまだ優先権があり、それが、 る 。 そ れ 故 、 ﹁市民法論﹂を条件 e つけるものとして感じられていたことが明らかにされるのであ ﹁市民法論﹂におけるぷ宮町巾也九的手法の適用は体系レベルではなく、個々のテ l マと関わる概念操 作のレベルで高度かつ集中的になされたのだとスキアヴォ I ネは論ずるのである

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1 何 回 ) 。 実は、体系レベルでの変革の対案は法学者集団の外から提示されている。それは紀元前五五年にキケロ I 冨

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の﹁弁論家について(。。。

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﹂において相当詳細に展開される﹁学問官日)﹂論

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のうち、法学に関わる箇所である。本稿ではその中 でも要点のみを引用するにとどめよう。 ﹁今日学聞に含まれているもののほとんど全ては、 も文脈上その中に含まれている︺。 かつてとり散らかされた、乱雑な状態にあったのである︹法学 。

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同﹂﹁まず、全ての市民法を極めて小数の類

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門 田 ) に分割するよう。次いで同様にそれらの類の部 分を分割するよう。そのときそれぞれの定義

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色ロ在。)の意味を明らかにするよう。そうすれば、諸君は円満なる 市民法の学聞を手にするであろう、それは扱い難く不明瞭であるというよりはむしろ量が多く豊富である

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-﹂ ここからまず明らかになることであるが、 キ ケ ロ I は個々の学を評価するにあたって、その学の個別性やその内容 185-ー「市民法の科学化」論と神官Fィ ー ン ト ゥ ス ・ ム ー キ ウ ス ・ ス カ エ ウ ォ ラ -基礎付けよりも、その全体を通じて貫流するもの、すなわち首尾一貫した方法を重視する。それは

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﹂であり、いかなる体系的学を構築するためにも、首尾一貫した理論的形式と、特別な分析技術として の

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遣が、必要なものとして前提されるのである。ここでは、

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習 と い う 概 念 は 、 ﹁ 学 問 ( 回 目 ) ﹂ を 実現する前提として観念される。個々の知識

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﹀の独自の発展によっては﹁体系﹂的形式に至れないというキ ﹁ 体 系

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-ケ ロ I の確信がここで明らかにされる。それは、配列と、経験の多様性との総合こそが科学であるというキケロ l の 信念である

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包 ー さ ) 。 こ の 議 論 か ら は 、 ﹁ 諸 知 識 守

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の純粋に歴史的な発展﹂と、﹁論 理的 H 体系的配列﹂との対立関係が明らかになってくる。さて、このようなキケロ 1 のいわば﹁外からの﹂批判は実 際に法学者たちによってどのような扱いを受けたのであろうか。この間いについて、スキアヴォ l ネはキケロ l の 唱 道した方法は、ローマ法文化の積極的承認を得ることはなく、せいぜい﹁ヘレニズム的百科全書主義

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﹀﹂の枠内でのささやかな承認を得たに留まるとする。そして、﹁市民法論﹂においても、キケロ l の言うようなかたちでの根本的変容はみられないとする

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お ) 。 続いて議論は、紀元前回六年に書かれた﹁プル l トゥス﹂における法学の位置づけに移る

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。ここで引用を繰り返すことは差し控えるが、まず、本 来多義的である

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という概念が﹁弁論家について﹂の段階では﹁体系の構成﹂と捉えられていたのに対し、﹁ブ ル l トゥス﹂においては﹁総体における学問知識﹂と捉えられているという変遷が指摘される。つまり、﹁ブル I ト ゥス﹂においては、学はもはや﹁体系の完成﹂という尺度では計られず、

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立のへの枠内での分析的手法の熟達

(14)

第7巻 3・4号一一186 度で計られ、それこそが、可能なあらゆる構成的・分類的解決を越えて法学を変える、という主張に変化するのであ る。このような主張においては、スカエウォラの法学は、他の法学者たちのそれと一緒に前史時代へと追いやられる のである。それは、体系的構成という点から判断しても、総体における

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のへの熟達の点においても低く評 価すべき作品であった。それはキケローにとって﹁規準無き集積の混沌﹂にすぎなかったのである。 しかし、そのような判断をうけるにしても、 スカエウォラにとって、既に存在していた古い知識と、それ自身の論 理 付 け 令 指

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の配列

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を完全に転倒させることは考えられないことだった。都市国家公言芹何回印)にお ける法(吉田)の歴史、そしてそこから形成される配列は彼の決して無視できない存在であった。スカエウォラは ﹁ 歴 史 的 配 列

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﹂と﹁論理的配列

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どを峻別し、後者を前者へ従属させる確かな立場 を取ったとスキアヴォ l ネは指摘する

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河 戸 同 ︼ ・ 品 。 ) 。 スカエウォラに対して﹁新しい論理﹂と﹁古い 歴史﹂、そして﹁学聞の形式﹂と﹁法(吉田)の歴史性﹂を接合するという難問が提出されたのである。 スカエウォラがあくまで守ろうとし、それを基に再提案を行った﹁歴史的配列﹂の祖型の具体的態様如何 が問題となる。十二表法、先行の法学著作、口頭での解答の連なりの記憶等、流入している可能性のある諸要素を列 ス キ ア ヴ ォ I ネはそれを﹁社会という宇宙を記述するためにあらわされた法的象徴と、その機能上のヒ そ こ で 、 挙 し た 後 で 、 エ ラ ル キ l の地図﹂と表現する

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会)。そしてそこにある社会とは、擬古調で小さな田舎社会 であり、初期共和政期の古いロ I マを暗示するという。そこでは交易は貧弱で、その極性は完全に血縁関係を向いて おり、経済の多くは家庭内でなされるような社会なのである。そして、彼のいう﹁歴史的配列﹂ の理念上の中心は ﹁ ﹃ 家 族

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、家族の維持に関わるもの 遺 言 公

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、遺贈

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立 与 、 地役権 占 有 (印巾 H 4EC 丹

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由 ) 187-一ー「市民法の科学化」論と神官クイーントクス・ムーキウス・スカエウォラ

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、その他周辺的なもの 問 答 契 約 ( 田 仲 訂 正 日 間 昨 日 。 ) 、 ア ク ィ l リウス法

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-白 ) 、 組 合 ( 凹

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、不当利得返還請求

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他 かかる構成の背後には、紀元前二世紀の市民と社会との変容により消し去られる前の、まだ都市化されぬ 社会、農村組織の中で閉ざされ、交易の拡大に接触していない社会が存在すると指摘した上で、このことをいち早く 指摘した十九世紀末の法史家ゃフレーマ l の先見性を称揚するのである。スキアヴォ l ネによる以上の考察から、スカ そ し て 、 エウォラの法学卒新の多層性、すなわち体系レベルでの古層の残存と概念操作レベルでの精密化・革新の態様の一端 をうかがうことができた。また、彼と彼に続く法学者群によって成し遂げられた法学改革が、当時の知的風土の中で 外からの批判との絶えざる緊張関係にあり、それが自己自身による変革への牽引力となっていたことも明確に示され たと思われる。上記の検討から明らかになるように、この改革の直接的原型を特定の著作・思想に求めることは不可 能であるし、精密な概念操作のあり方を特定の学派の受容に帰すことも困難である

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︼ ・ ぉ l ω ω ロ 内 ・ 切 さ g m p F H N 一 戸 匂 ・ ω 主 " ロ -N ω ) 。しかし、彼の法学像に親縁性を持つ今一つの思想像を指摘することは可能であ り、さらにその系譜学をたどることで、概念操作の相互輸血による間接的影響の可能性を検討することも容易となる。 次章ではこのことを課題として検討してみたい。

(16)

第二章

精神の表層と基層││﹁市民団の第一者(買吉巳宮

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の精神風土

ハ門アウグスティ

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ヌスの記述と神々の三分法││思想の系譜学を求めて 本章の目的は、スカエウォラの法学における思考法と親縁性を有し、その母胎となった彼の神学面での思考法の実 像の探求を行ない、そのことを通じてスカエウォラの多層的精神像の再構成に資することにある。その際、まず彼に 影響を与えた可能性のあるギリシアの諸思想潮流を検討し、次に、ギリシア思想の受容形態を規定した精神の基層と しての﹁貴族的理知﹂のあり方を検討するという順序をとる。前者の考察は、全てアウグスティlヌス﹀玉川口丘町

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門 笠 ) ﹂ の 一 節 の 検 討 か ら 始 ま る 。 ﹀ 己 E w -Z 印 の ﹁もっとも学識のすぐれた祭司長︹犬神官︺ スカェウォラはコ一種の神予を区別したと、書に語られているが、その第 一は詩人によるものであり、第二は哲学者によるものであり、第三は国家の指導者︹第一人者︺ に よ る も の で あ る 。 かれによれば、第一のものは、神々にふさわしくない多くのつくりごとを含んでいるからとるにたらず、第二のもの は、余分のものや、それを知ることが人民に有害であるものをももっているから国家にはあわない。この余分のもの については、大した問題はない。法律に通じた学者がいつもいっているように、 ﹃余分のものは害にならない﹄から である。しかし、人民にひろまると害になるというところのものはなんであるか。 スカェウォラによれば、 ﹃ そ れ は ヘ ル グ レ ス や 、 アェスクラピウスや、カストルや、ポルルグスは神ではないというようなことである。 ︹ 実 際 知 者 達 によって明らかにされるように︺それらは人間であって、 そのほかにはなんであ 人間の条件に従って滅び去った﹄ 0 る か 。 ﹃神々であるところのものについて、国家は正しい援をもっていないということである。まことの神は、性も 年齢もきまった肢体ももっていないから﹄。祭司長︹大神官︺はこのようなことを民衆に知らせることを欲しない。か

(17)

4ミ~~'国縦士 j郎総 o

l:e:

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盟主

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~ν 話 4ミ ~心土-{/ ~J 0 吋正、必州出会 l恒護~ ~ ~ t-( d,-¥J ~社~^ば~ム 4ミ心~~t(ò O ~兵~必' ぶ~ t(o ft\':込W!t~~t(ò AJ iN'ぱt(ò 0~~ 崎市 o Relatum est in litteras doctissimum pontificem Scaevolam disputasse a philosophis

tertium a principibus civitatis. a poetis

alterum tria genera tradita deorum: unum Primum genus nugatorium dicit esse

quod multa de dis fingantur indigna; secundum non congruere civitatibus

quod habeat aliqua supervacua

aliqua etiam quae obsit populis nosse. De supervacuis non magna causa est ; solet enim et a iuris peritis dici: Superflua non nocent. Quae sunt autem illa

quae Aesculapium

Castorem

Pollu-prolata in multitudinem nocent? 官 aec

inquit

non esse deos Herculem

fuerint et humana condicione defecerint.' Quid aliud? homines quod enim a doctis

proditur cem; ‘Quod eorum qui sint di non habeant civitates vera simulacra

quod verus Deus n 巴 c sexum habeat nec aetatem nec definita corporis membra' Haec pontifex nosse populos non vult; nam falsa esse non Expedire igitur existimat fallii religione civitates. (Aug. De civ. dei 4

27)J 111 余君主緋 0.¥$ 副 C"') ~J 0 似葉市 l話 A ばt(o K i そf-¥-t:--快 l ト

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:f!t'U小笠'制く惇古話帳軍需 Q 古語謀総千) .内心 P や(制限・走者ト網干 )..p~ (' .jJ.-t:--ト h 且一 Marcus Terentius Varro 0 榊と斗吋 Fν 広州心~.jJ.よ j梨{)!.!-O/(J~潟市 (Schiavone , GNRR

p.74)' tくやト~t:一 時~~~':為剥-H-黒星 E必時組主主拠出 V ト,-t:--':t:ヘ KI ト "'~KKÚ .p.jJ.心れ J~ .jJ. iミ F 制.jJ.' ~0 鑑娘-H-~~~':も古 ~1 尉れ J兵.;J.)ti' 器製も~('.jJ. 0 -R会 l溢邸主」古蛍,_j.jJ.~ (Schiavone

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pp.74-77)' ム '~~Ú ,_j\---,.p-t:--ト h 且{高話網 Ú ペ J0 -K 「定 0

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p.77f.)

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(18)

る神々﹂、﹁哲学者による神々﹂、﹁国家の第一人者による神々﹂)の系譜学を考証しようと試みる。 ス キ ア ヴ ォ 1 ネ は 、 類 ( m m w D己与を通じて区別を行う三分法的枠組みは、スカエウォラにおいてよく知られているが、しかし、神々につ いての多様な知識をかかる形式に従って配置するのはスカエウォラが始めてではない

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︿ 4 ﹀ と述べた上で、このような分類のモデルに類似したものを求めて、まずウアッロ l 、ついでディオ l ・ コ ッ ケ I イ ア l ヌスロ百円

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印の記述を検討する。もちろんそれに先だってスキアグォ l ネ は 、 ニ己 これらとスカエウォラ・ウ アッロl聞の個別な系譜を想定することは不可能であり、唯一注意を払い得る仮定は、彼らまでさかのぼり得る、相 対的に古い時期の共通の祖型官

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叶む)、かかる慎重な留保に立った上で、彼は﹁神々の三分法はかくして今ひとたび ││プルタルコスやディオーより決定的なやり方で││ストア派内部に置き得る思想の連なりにさかのぼるようにお もわれる。かかる連なりは確かにアエティウスやプルタルコスよりも古く、アエティウスがその著書で用いた最も重 要な史料、すなわち

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以降の年代のものではないと仮定することができる。それ故それは紀元前 一世紀を降るものではないのである。

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閉 山 戸 円 } ・ ∞ 戸 ) ﹂ と 述 べ 、 三 分 法 の 祖 型 の 独 自 の 構 造 は 、 。 ハ ナ ︿ 8 V エ テ ィ ウ ス 司 山 口

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己印から遠からぬところにあるストア派というかなり限られた 文化環境にさかのぼり得るのであると主張する

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閉 山 閉 山 w 同 ) ・ ∞ N) 。 さ ら に 彼 は こ の よ う に 結 論 寺 つ け る 。 ﹁従って、証拠の鎖はあることをかなり正確に指し示し、それを裏付けつつ閉じることとなる。それは、神々に関す る知識の三分法の周囲に、ある教義上の核心が凝固して存在するということである。その核心は紀元前一世紀を降ら ぬ時期に形成され、 ほぼ確かにストア派に起源を有する。。ハナエティウスとポシl ド lニウスよりさらに遡り、初期

(19)

ストア派に至る思想の系譜が問題となり得ょう。しかしともかく、とりわけパナエティウスの著作を通じて、 ス キ l ピオ I・サークル周辺のロlマの知識風土にこのような思索が流入し、 ム lキウス ︹スカエウォラ︺││彼はかかる 哲学の教えに確かに親しみをもっていた i ーーの知識に入り込んでその一部をなしたと考えることには根拠がある。 191-r市民法の科学化」論と神宮クイーントゥス・ムーキウス・スカエウォラ

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岡 山 削 州 場 開 ︼ ・ ∞ ω 一 匂 -M H h p w ロ ロ ・ 回 。 ω ゆ H 2 ) ﹂ ﹁それを知ることが人民に有害であるもの﹂

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英雄神格化説と神人同形説批判 スキアヴォlネによる発想の系譜学の探求は、次に、前掲史料中の哲学者による神々の批判の理由として語られた ﹁それを知ることが人民に有害であるもの守宮広吉℃ロロ田口 O 印印巾どという箇所の解釈をめぐって行なわれる。彼に か否か、学識者の限られた範囲を越えて思想が拡散するかが、スカエウォラ の評価基準として問題とされるという

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岡 山 戸 間 y m v N ﹀。批判の対象は二つにわけられ(﹁英雄神格化説 よ れ ば 、 ﹁人民にひろまると害になる﹂

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﹂批判と﹁神人同形説官

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。)﹂批判)、そのそれぞれがストア派とかかわりがあるし、 相互に連関もあるのだが、各々が民衆に拡散した結果、貴族秩序に及ぼす危険の種類を規準として分けられるのであ る

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州 君 。 ロ ゆ ・ 0 Z H N H N ' 同y c s それではまず、より重要な﹁英雄神格化説﹂の問題から始めよう。その思想史的背景につき、 スキアヴォlネは以 下のように述べる。 ﹁その知的背景の端緒は今ひとたびストア派の教説におかれるのだが(ストア派は全テキストを 通じて絶えず支配的な枠組みとして現れる)、 ストア派によると若干の神の誕生は 字 犬 雄 ・ 善 行 を つ ん だ 者 ﹄ の 神 格 化現象と関わっているらしい。極めて古くまで遡る理論、既に前五世紀のギリシア﹃合理主義﹄において知られる理 論が問題となっていた。それは、クリティアlスわユ

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における心理的懐疑主義に近く、おそらくソlクラテlス の時代におけるプロディクス

3 .

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叫によって既に形成されていた。ストア派はすばやくこの手がかりを取り入れ

(20)

ハ 9 U 発展させた。ゼノ 1 ン

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の弟子であるベルセウス司

2

田 宮 口 ∞ は 、 フィロデムス H U E Z 己 巾

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5

によって伝えられ る作品(このテキストの影響は、 ﹁神々の本質について﹂におけるキケロlの引用(りゅ

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・ Y N P H E ) の 中

Z 何 回 N W H ) ・

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﹂ 、 にも明瞭に認められる)の断片の中でプロディタスの教えを明確に引用している。 ﹁ ︹ 前 掲 の ︺ 。 ハ ナ エ テ ィ ウ ス と ポ シ l ド 1 ニウスの仲介によってこの考えが広められたということもありそうなこと

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の F -m 凶 4 。 ロ P で あ る 。 一方で、この同じ英雄神格化説がエンニウスによって受け入れられ、彼を通じて大スキlピオ 1 のサークル スカエウォラの漠然とした言及の背後には英 雄神格化説の記憶とストア派哲学総体を結ぶこのような流れがあったのである。さて、ここで挙げられる個々の神々 内に浸透した 0 3 n E m ︿ 。 ロ ク 。 Z 岡 山 戸 間 ) ・

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﹀ ﹂ つ ま り 、 の祭儀はロlマ民衆の記憶と感受性に根ざしたものであり、両者において家族の伝統、都市国家の歴史と宗教感情が 独自の凝集力ある総体のかたちをとって結びあっているのである。両者が結びついた際の危険性をスキアヴォ I ネ は 以下のように論ずる。 ﹁彼がとりわけ恐れたに違いないものは、英雄・善行を積んだものを神格化する現象を、もは や遠い過去に帰することができる出来事ではなくて、現在に対して聞かれており、現在を解釈しそれに介入する仮説 として把握する ζ とであったであろう。 3 n F F m w ︿ ODP 。 Z H N m W H Y S F ) ﹂民衆の感受性と哲学的省察がこの一点で調和 すれば、それは都市国家末期の変容に投影され得るであろうという指摘である。その背後には、 スカエウォラが生き た時代特有の政治状況が色濃く反映されていた。この点について彼はこのように述べている。﹁新人

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ロ 。 ョ ) の率いる若干の家系と若干の反貴族集団の威信がコントロールの限界を越えて増大する可能性があった。最初のスキ ー ピ オ 1 の﹃神秘主義﹄からカエサルに至る一連の貴族はこの線に従って動いた。そして家系間の不和に旧来の制度 と権力への脅威を見るグループとの緊張は以前よりも大きいものであった。カト!とスキ l ピオ!の不和、前百八十 一年のヌマの偽書の醜聞、それに対して法務官クイーントゥス・ベティリウスが結果的にとった︹焚書という︺激越

(21)

な姿勢こそがこの緊張の現れであったと思われる。﹂﹁このような歴史を背景として、そしてスキlピオ!とカトlの 時代とは比べものにならないほど困難な時代に

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つ ま り マ I リウスの隆盛が貴族の権力体系に投げかけた影と共に ありながら││ム l キウスが次のように考えたとしても驚くにはあたらない。つまり、民衆と知者との接合は有り得 193一一「市民法の科学化」論と神官グィーントゥス・ムーキウス・スカエウォラ ることだが、都市国家の理念生活におけるこれほど微妙な点における接合は、貴族制度の安寧にとって危険な機会を 生み出すやもしれないという考えである。

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同 ・ ﹀ ﹂ 次に﹁神人同形説

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﹂批判に移ろう。 スキアヴォ I ネによれば、この批判も思想的淵源をスト ア派に求めるのは容易であるという。これはゼノ i ンからクリシ y ポス、初期から中期のストア派にあまねく見られ、 伝達の際多大な調整と妥協を伴うにしても、 ス キ l ピ オ i ・サークルのパナエティウスとポシ l ド l ニウスに無縁で はないという

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そして、同説批判がもたらす政治的危険については以 下のように論ずるのである。 ﹁神官︹スカエウォラ︺ の不安の対象は明らかである。それは仮説の真偽ではなく、そ の説が歓迎された場合、都市国家の宗教秩序に及ぼすであろう結果である。それは、全戸 l マ神殿組織がそれに拠つ て立つ﹃像守山 H H E U 2 m C ﹄への信仰、が突然崩壊することを意味するのである。

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制 ) ﹂ 詩作の排斥と質実剛健の風土 前節における検討によって、 スカエウォラの発想法の系譜の一端が明らかになったものと思われる。しかし、ギリ シアの諸思想の受け入れにあたっても、彼自身が固有の価値によってその評価を下し、独自の選択を行っていること、 す な わ ち 、 いわば表層の思想潮流の底にあって自己の存在を主張する基層の価値が働いていることも確かである。そ

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第7巻3・4号一一ー194 のことはアウグスティlヌスの史料中で、第一の類型である﹁詩人による神々﹂が排斥されていることからも窺える。 ロ 1 7 貴族の心性に本来根ざした質実剛健の伝統について、次のように指摘する。 ス キ ア ヴ ォ I ネ は 、 ﹁ 紀 元 前 一 世 紀初頭まで、作詩の実践は貴族制の生活モデルに全く異質であった。部分的にではあってもこの状態を変えるのは、 叶ギリシア模倣の官

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﹄経験であった。紀元前三世紀と二世紀の農業貴族は、土地、武具、そして政治との 日々の関係を実践することに根ざした固有の生活意識を未だ広く反映していた。かかる生活意識は、確かにその固有 の理念世界を発展させる立場にある以上、詩人の作品についてそれを肯定的に評価したりそれに関わったりする可能 性はほとんど全て遠ざけていた。(∞の

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﹂しかし、その伝統に対して、紀元前三世紀末から二 世紀全体を通じて新しい傾向が入り込み、詩作に対して寛容な雰囲気も交錯する。両者の交差は次のような表現を与 えられる。﹁古い農村的枠組みの変容と没落は、新しい農業・商業・庇護関係三者の交錯官ロロ

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己完巾)と、はるかに階層化の進んだ社会団体の形成という圧力のもとで、古い貴族制の 政治的文化的一体性に、容易に修復しがたい亀裂をもたらした。

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閉 山 戸 ℃ ・ ∞ ∞ 戸 ) ﹂ こ の よ う に 多 様 な 潮流と時代の変容を背景として、彼は重要で、すぐれて政治的な決断をした。それは彼が目前にその動揺と崩壊を見 ていた貴族的世界と文化との関係を重視する決断である

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﹁国家の第一人者﹂の神々と社会経済史的危機 彼自身の思想を規定する基層の実像がこのことからも明らかになる。それは前章第二節でも触れた﹁貴族的理知 ︹ お )

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﹀﹂である。その伝統と変容についてスキアヴォlネは次のように論ずる。 す な わ ち 、 ﹁貴族的理知﹂は前二世紀貴族固有の任務と知識を反映している。そして前回世紀と三世紀の古い農村 世界からも若干の修正を経てものの見方を受け継いでおり、それが含む﹁哲学

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白 血 ) ﹂ は 、 ( ム l キ ウ ス の ﹁ 知

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者﹂としての新しい学問ではないにしても)土地所有によって示される社会的・政治的諸関係の織りなす世界がそう であるのと同じく堅聞で密度の濃いものである (∞円

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ところが、紀元前二世紀にはじめて そのような古い世界が傷つく。矛盾は増大し続け、共和政末に全共和政貴族をなぎ倒して止んだ。その矛盾とは、 195一一「市民法の科学化」論と神官クィーγトゥス・ムーキウス・スカエウォヲ ﹁社会的・政治的諸関係を固定化させ、農業収入の優先形態という、時代背景の影響を大きく受けた形式の枠内で凍 結させる傾向﹂と、他方での ﹁ ﹃ 帝 国 主 義 的 ﹄ 拡 大 の 選 択 ﹂ との間に存在するものである。後者が絶えず古い枠組み に、経済面・社会面・政治面でのダイナミ γ クな新要素を導入し続けた。例えば農業外活動の増大、新社会階層の形 成、古い制度上の形式の摩耗、がそれである

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このような変容に直面して、古い貴族 的心性は本質的に静止したままであり、遠い過去の理想化と現在の抑圧が行われた。古い貴族的心性の視点からする と、新しいものは全て潜在的に敵対する存在であった。しかし前二世紀から一世紀にかけて新しい要素の圧力は大き 一連の妥協と調整を要求する圧力のもと、 な も の と な り 、 ﹁貴族的理知﹂の輪郭も一定のかたちで変形した。中堅農 村階層全体の無産階層化、新種の職業的軍践及びその指導者の進出、農業によらない財の増加と貨幣経済化の進展、 これら全てが古き貴族体制を脅かしていた。交易の増大とその結果としての貨幣の実力増大は貴族の目に悲観すべき また、腐敗の無限の成長として映るものであった ォ l ネの議論による社会経済史的背景描写の概要である。

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同 ・ ) 。 以 上 が ス キ ア ヴ 出 来 事 と し て 、 このような亀裂と、異なる諸要素の並存状況は貴族の心性にも不可避的に影響を与えることとなる。スキアヴォ l ネは、捨て去ることのできない強い保守性と、部分的に卒新を経た貴族制官江田仲 c n E N E ) の静かな共存を指摘し、 後者が新階層の世界と利害に無縁でなく、時代の求めた必要性と譲歩に対して聞かれており、その結果新要素がゆっ くりと強固で伝統的な貴族の理想に導入されると表現する窃岳 E 4 1 0 ロ ク の

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スカエウォラの法学的業績と神学理論面での努力は、このような社会経済史と心性との交錯の中に位置づけられる。 ﹁もちろん彼の見ることができた限りでは、貴族の覇権の没落はまだ必然的な経過とは映らず、混乱して不確実な未 来に満たされた危険とのみ見えた。それ故ム 1 キウスはねばり強く、また希望を失わずに文化と社会との関係を回復 するよう提案し続ける。彼はその社会が危機にあると見ていたが、全く理解を越えたものとはみていなかった。彼は 骨が折れて困難な仲介を通じてそのことを行うが、その狭い条件からうまく抜けでることができない。法学者として も神官としても

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岡山戸同 ) -H C 印 ) ﹂ 思想受容のフィルターとしての﹁貴族的理知﹂ 以上のような社会経済史的背景を有し、それによる変容をこうむった﹁貴族的理知﹂であるが、外来の思想を受け 入れる際に独自の選択規準を備えたフィルターとして機能した。その存在は、アウグスティ 1 ヌスの記述中で、哲学 ( 路 ﹀ 者による神子を﹁国家にはあわない官。ロ

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﹂という理由で排斥した点にまず現れる。それは ︹山口﹀ 哲学理論自身の内在的批判ではなく、 ﹁国家の第一人者﹂としての独自の視点からなるものである。哲学者の視点と ﹁国家の第一人者﹂の視点が複雑に絡み合って、ときに見えかくれしており、哲学者の視点が単独で用いられること がないのである 3 n F 5 4 0 D F O Z 岡山戸℃・

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ここに国家と﹁国家の第一人者﹂の微妙な関係がみられる。アウグ ス テ ィ l ヌスの記述の前段で、神々自身は﹁国家の第一人者﹂のものとして表現されていることに注意されたい。ス キアヴォ l ネ は 言 う 。 ﹁重要で微妙な代用の線がここで見分けられる。国家の宗教は、その上流市民の宗教と一致さ せられるのである。国家の政治指導者は集団的宗教の受託者でもあり、その宗教の保護伝達モデルの受託者でもある。 こ の ︹国家と﹃国家の第一人者﹄との︺交換の一見脆弱な論理の背後には、 ローマ史の中に極めて強く根付いた貴族 理念の堅牢さと豊満きが見適される。国家公

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るは民衆の勤勉で匿名的な行動の中に生き、そして彼らの行動と

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有機的に結びついた国家の第一人者の企図の中に生きる。国家の意識は第一人者の政治的所作、宗教の受託、そして 翌俗

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古田)の解釈の中につくられる。 3 n F 5 4 1 0 D P の

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河 W H y -g ) ﹂そして、その際スカエウォラの示唆に反映 しているのは前三二世紀聞の偉大な貴族階層だが、問題になるのは前一世紀初頭現在の貴族階層であり、その古く 197一一「市民法の科学化」論と神官クイーントクス・ムーキウス・スカエウォラ スカエウォラが黙示的にではあっても﹁国家の第一人 ︹ 却 ) 者﹂による神々の優越を説いたのは、このような視点に立った上でのことなのである 3 n E 国 ︿ 。 D 0

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よりの確実性が傷つけられているのを彼は見ていたとする。 ﹁貴族的理知﹂は、決して障壁ではなく精妙なフィルターとして機能したのである。 ﹁ ス カ エ ウ ォ ラ は 、 拘 -3 -J

手 J ナ t I L スキ!ピオ l ・サークルを通じて受け入れられた限りでのストア派合理主義に反対した訳ではなく、新しい法概念と その論理との潜在力を放棄する気もなかった。 ︹ 要 す る に ︺ ﹃貴族的理知﹄の限界に従ったものである。そこでの究 極目的は真理ではなく、古い都市国家とその制度の維持であった。この﹃貴族的理知﹄とは、 ム l キウスにとって反 啓蒙主義的なのではない。彼はある境界、その中ではあらゆる知識が既成の伝統とその理念的財産の解体者になり得 るような境界を定めるのに厳格であるにす、ぎないのである。 3 n E 同 4 -O D F の

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戸 ℃ ・ 呂 町 ) ﹂ わ お り 再び繰り返すが、 ローマ法学者におけるギリシア哲学の受容のあり方を探求することは容易ではない。それは、現 存史料の絶対的な乏しさの中で、主として法史料中の具体的な法概念操作のあり方の中に見いださねばならないし、 また、個々の用語法にギリシア哲学の影を論じて足りるものでもない。それは一知性の全人格としての思想との対決 であり、理想的にはまずその前提として、 かかる人格の表層から基底層までを﹁蹄分け﹂し、そこに反映した社会的 時代的諸要素を吟味して後にとりかからねばならぬ作業である。 ﹁はじめに﹂でも触れたように、 スキアヴォ l ネ の

参照

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