人生最高の海外旅行はたくさんある 吉田勝 多くの旅行の中で、何をもって人生最高と言うかによるわけで、いろいろな意味で最高 の旅はいくつか思い出される。以下にはそれらを大体実施時期の順を追って思い出して みよう。 (1)南極越冬観測 文句なしに最高といえるのは1968 年から 1970 年、 1 年半近くかけて参加した日本南極観測隊の越冬 観測だ。私が30 歳から 32 歳にかけての若い時代 で、この1 年半近い期間、全く自分の考えで立て は計画に従い、観測と研究に集中した。私の担当 は地質学研究で、昭和基地から雪上車で外出し、 テント生活をしつつの野外地質調査、昭和基地に 帰着後は調査結果の整理と考察。毎日が希望に溢れ、胸躍る時ばかりだった。このとき の野外調査のデータは世界中の科学者に利用され、私自身それが一生で最も活用するデ ータとなっている。 (2)南米パタゴニアの横断調査 南極越冬の1年前に参加した南米パタゴニアの地学調査は私の最初の海外旅行でもあっ た。これは北大と広島大学共同の地質・植物調査隊で一行6人、日本を船で出てから帰 着するまで、1967 年1月から約6ヵ月間の旅だった。パタゴニアアンデスの最高峰サン バレンテイン山の直下を流れるエクスプラロドーレス河に沿って太平洋側からアンデス を横切ってアルゼンチン側のブエノスアイレ ス湖に抜けるルートだった。現地の牧童たちと 中流域まで行き、その後は氷河専攻の北大大学 院生だった成瀬廉ニ君とサンベレンティン山 から流れるパンパデニエベ氷河までの上流域 をずっと馬に乗って歩いた調査だった。その後 ブエノスアイレス湖側からまた馬に乗って馬 子と二人で峠を越えてリオエクスプラドーレ ス川上流域まで下ってアンデス横断調査を完 やまと山脈で内陸調査隊の仲間たちと パンパデニエベ氷河で助手のエリ君と
成させた。調査を終了し、サンチャゴに戻ったが、私たちの帰国船が事故で1カ月遅れ ることになり、私たちは思いがけなく1カ月間、葡萄酒と踊りに溢れるサンチャゴの街 の生活を楽しむことができ、さらによい思い出ができたのである。 (3)北米大陸キャンピングドライブ旅行90 日間 1977 年 7 月から 10 月にかけて、文部省在外研究員(短期)として北米大陸の基盤地質 学研究のテーマで、妻、息子(5歳)と娘(2.5 歳)の 4 人でロサンジェルスに上陸し、 レンタカーを借り、キャンピング用品を購入してロスーサンフランシスコ-バンクーバ ーマジソン-ハリファックスーフィラデルフィア-デンバー-ロサンジェルスのルート で、殆ど毎日がキャンプ場でのテント宿泊だった。北米のキャンプ場は現代の日本のカ ーキャンプ場など足元にもおよばない快適なものだ。例外なく途方もなく広い芝生の広 場と、広くきれいな水設備(シャワー、トイレ、炊事場)が完備しており、1 泊 1.5 ドル から3 ドル。子供たちは安心して走り回り、私は安心して仕事ができた。ロサンジェル ス、ポートランド、バンクーバ、マジソン、ワシントン、フィラデルフィア、エームズ にはそれぞれ気の置けない親戚、先輩や友人が長く住んでおり、それらの街ではテント 生活から一転して数日間御殿の暮ら しになるなど、結構ビートの効いた設 営環境だった。マジソンでは国際南極 地学シンポジウムがあり、私の南極の 地質研究結果が世界中に広まる機会 になった。多くの世界の一線の南極研 究者との知己を得ることができた。ハ リファックスでは尊敬していた岩石 研究者の山荘に家族ともども 1 週間 ほど招待され、一緒に海岸のすばらし い地質を見て回ることができた。 (4)スリランカ・インド・ネパールへの留学旅行6 カ月 1985 年 10 月から翌年の 3 月にかけて、文部省在外研究員(長期)として上記 3 カ国の 基盤地質学(古い時代の地質)研究としてスリランカ国キャンディのペラデニア大学、 インドケララ州トリバンドラムの地球科学研究センターとネパールカトマンズのトリブ バン大学にそれぞれ 2 カ月ずつ赴任し、現地の研究者らと共同研究を行った。妻と子供 たち4 人も同行した。このときの共同研究者たちはその後の私のゴンドワナ地域国際共 同研究の中心として私を助けてくれることになった。 ヨセミテのキャンプ場で(車は私たちのではない)
スリランカでは同国の地質学の父とも呼ばれる大教授に公私ともお世話になり、同教授 の自宅に下宿し、殆ど毎日同教授やその弟子たちとスリランカ国内を歩き回った。イン ドトリバンドラムでは家を一軒借りて一般 的な庶民の暮らしを経験した一方、私自身は 相変わらず共同研究者らとの野外地質調査 で南インド各地を旅行した。ネパールではカ トマンズのはずれにある北大山岳部関係者 らの「カトマンズクラブハウス」に、管理方々 宿泊し、毎日街の中心にあるトリブバン大学 にバスで通って岩石の顕微鏡観察などをす る一方、ヒマラヤの野外調査をかねて家族と アンナプルナやランタン谷のトレッキング を行った。また、この時に知遇を得たウプレ ティ博士とはその後共同でヒマラヤの地学ガイドブック計画を行うことになった。 (5)アジア・アフリカの国々での地学野外見学旅行 南極の地質学研究からゴンドワナ超大陸研究に進んだことから、ゴンドワナ超大陸を構 成していた南アジア、アフリカ、南米、オーストラリアの国々の研究者らとしばしば協 力研究を行うことになり、とりわけ私が研究リーダーとなったユネスコ・国際地質学連 合の地質対比計画プロジェクト「東ゴンドワナの原生代事件」が1996 年から 2001 年の 6年間実施され、その間、インド、ス リランカ、中国、マダガスカル、サウ ジアラビアなどで国際会議と野外巡 検(共同野外見学会)が行われ、私は 責任者側として参加した。野外見学会 は10 日間前後で、30 人前後の各国の 研究者らと寝食を共にして山野を歩 いた。興味を同じくする世界の第一線 の研究者らとの付き合いはまことに 楽しく、知り合った研究者同士はその 後長い協力関係を築いていった。 (6)ネパールでのシニアボランティア2年間 カトマンズの国立トリブバン大学の地質学教室を盛りたてる目的で、JICA シニアボラン ティアとして2年間市内の時計台にある地質学教室に赴任し、学生の指導と教員との共 インド、トリバンドラムで近所のサントシ 一家と マラウィで、集まった地元の子供たちにかこまれて
同研究を行った。このときも上記の南極越冬期間と同じように、まったく自由に計画・ 活動ができ、非常に充実した日々であった。このときの記録は 2004 年頃から本誌 (PASPORT)飛びとびの連載として書いてきており、ご存知の会員もおられるだろう。 チャウニの玄関前で使用人たちと このときは妻を同伴し、JICA から1カ月の生活費とし約 3000 ドル(約 30 万円)を受 けた。当時のネパールの収入水準は日本の10 分の一から 30 分の一だったので、平均 20 分の一とすると、日本だったら月収約600 万円受けていたことになる。そのほかに住居 費として650 ドルがあった。まあ大げさに いえば、私ども庶民からすれば王侯貴族の 生活ができたわけで、市内の豪壮な邸宅を 借り、守衛、庭師、ドライバーや女中さん ら総勢6人を雇った暮らしだった。そんな ことで、この2年間は公私ともまことに快 適で充実した日々であった。 (7)ヒマラヤの地学ガイド旅行 JICA シニアボランティア活動期間にトリ ブバン大学の共同研究者らと相談してヒマ ラヤの地学ガイドブックシリーズを出す こととし、2005年にアンナプルナとダ ウラギリの間を流れるカリガンダキ河ガ イドブックを発行した。これを皮切りに、 エベレスト地域、ランタン谷コース、北西 インドヒマラヤと、4地域のガイドブック を次々と編集発行し、毎年1回、それらの ガイドブックを利用して日本の教員らを 対象に10 日間前後の地学ツアーを行って きた。今年3月にはさらに日本全国の学生 なお、この夢のような待遇は私の赴任が終わった 2005 年からは生活費が単身者では約 5分の1に引き下げられてしまった。私たちシニアボランティアは、まずはずっと待遇 のよい JICA 職員や専門家から削るべきだと反抗したが、無視された。この事件につい てはいずれ上記連載で報告する予定である。 カトマンズ自宅玄関で使用人と飼い犬にかこまれ ダウラギリをバックに学生ヒマラヤ実習ツアー 一行(星野雄多君撮影)
を対象に参加者を募集し、カリガンダキツアーを実施した。同好の皆さんや学生達を案 内する野外ツアーは、私がこれまで経験してきた多くのものを伝えることができ、参加 者が喜んで下さること実感され、真に充実した旅行であった。今後も元気なうちは続け ていきたいと思っている。