鬼と肉食に関する説話研究
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(2) 働力の維持」からr仏教の教えを守らせる」こ. ようになった。. とへと理由を変化させつつ、人々の問で固く禁. これら第一章から第三章までを見てみると、. じられていた肉食禁止は、説話を通じて次第に. 「残虐極まりない」という鬼のイメージは実は. 広められていった。しかし、やはり肉食は人に. 間違いなのではないかと思わせる。人の興趣を. とって非常に止めづらいものだったようで、説. 理解し、時には身代わりとなって人の悪意を背. 話内ですら、人の肉食に関する説話が消えるこ. 負い、仏教の教えを重んじる姿からは、心優し. とはなかった。中々肉食を止めない一般人に対. い鬼の姿が垣間見えるのである。それにも関わ. して、更に肉食は厳しく禁じられていった。し. らず、人に惚れられ、蔑まれる姿は哀れに思え. かし、仏道の従事者である僧達の肉食を許して. てならない。これだけ人に尽くしたr鬼」だか. しまったことによって、時として仏道の守護者. らこそ、最後には惚れられる対象から信仰され. ともなる鬼に対しても肉食を許すしかなくなっ. る対象へと変化していった。羅刹女となり、仏. てしまった。京の都人にとって、公に肉食を許. 教を修行する僧達の手助けをすると同時に(修. された鬼は羨ましくもあり、憎らしい存在とな. 行に集中しきれない者達を罰する役割も果たし. っていったのだろう。その結果、肉食を許され. た。元々は幽霊だった鬼が、日本に来て異形の. た鬼は人から蔑まれる存在へとなっていった訳. ものへと姿を変えられながらも、必死で人間の. だ。逆にこのことは、それだけ京の人々が肉を. 為に働き、やっとの思いで鬼は仏教の守護者と. 好んでいたということを物語っているのであ. して、その地位を上げることが出来た。. る。. しかし、仏教の守護者として出世した鬼とは. 第二章では、人食いについて見た。鬼が人を. 言え、やはり上司である毘沙門天には勝てず、. 食べる行為は、物語の興趣を高めたり、人が人. 制裁を加えられることが多い。『今昔物語集』. を食べるという最大の禁忌を鬼の行為として置. 巻十七43「籠鞍馬寺遁羅刹鬼難僧語」に至って. き換えたものである。鬼が人の究極の負の行為. は、明らかに僧に非があったにも関わらず、仏. を肩代わりしてくれたことで、人は自らが傷つ. 教を尊ぶ僧に手を出したとして、鬼は毘沙門天. くことはなく、人食い説話を読むことが出来る. に殺されてしまっている。人に蔑まれる立場か. ようになった。特に母が鬼と化して子供を食べ. ら抜けだし、やっと得た地位でさえ、鬼の身の. ようとするような説話は、今日、子供に対する. 安全は保障されなかった。. 母の愛情が負の方向に働いたときの母の様子を. 一見、鬼は人に危害を加える凶悪な加害者と. 語ったものと捉えられていたが、実際は母親に. 思われがちだが、その本質は都人の地方に住む. 対する子供の怨みが母を鬼とし、子供が母親を. 人々や外国人に対する偏見を背負わされた最大. 倒すことを正当化したものであるという結論に. の被害者と言えるだろう。. なった。つまり鬼が人を食べることは、物語の 興趣にしろ、親の身代わりにしろ、人の為に行 っていた行為だと言える。. 第三章では、人の身体観について見た。鬼が 人の身体の一部を残す理由から考察していった が、そこには死後も現世に残りたい、未練を残. 主任指導教官 山口 眞琴. さずに往生したいという人々の思いが込められ. 指導教官 山口眞琴. ていた。このような人々の思いを考慮した結果、. 鬼は人の意識が残りやすい頭部をわざわざ残す. 一291一.
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