博士(水産科学)高田兵衛 学位論文題名
Spatial distributions of iron controlling the primary production in the North Pacific Ocean . Bering Sea and Japan Sea
(北太平洋、ベーリング海、及び日本海の基礎生産を コントロールする鉄の空間分布)
学位 論文内容の要旨
海洋において、鉄は基礎生産者である植物プランクトンの生長にとって非常に重要な 微量栄養素のーっと考えられている。また、植物プランクトンが利用できる鉄は主に溶 存態である無機イオン種と考えられており、酸化環境下の海水中における鉄のほとんど は植物プランクトンが利用しづらぃ3価の水酸化鉄として存在し、その溶解度及び溶解 速度は非常に低いと考えられていた。しかしながら、実際の海水中において生物活動の 高 い 表 層 混 合 層 ( お よ そ50〜75m以 浅 ) で3価 鉄 の 溶 解度 は 高 く 、10 0m付 近で 極小値をとるものの、有機物の分解層である中深層(およそ10 0m以深)で徐々に増 加 して いく 傾向に ある 。こ のこ とから 溶存 鉄( くO.22ルm)は溶存無機イオン態鉄 の他に、有機配位子が3価鉄と特異的に錯体を形成する溶存有機錯体鉄として存在する ことが明らかとなった。最近、表層混合層では一部の植物プランクトンや従属栄養バク テリアが放出する有機配位子が、3価鉄の溶解度をコントロールしていると考えられて いる。一方、中深層での3価鉄の溶解度、溶存鉄濃度が増加している理由として、表層 で作られた有機物(死骸やデトライタスなど)が変性、分解を重ねて生成されたフミン 物質的(海洋性腐植様物質)な有機配位子が中深層での3価鉄の溶解度及ぴ溶存鉄濃度 をコントロールしていると考えている。しかしながら、これらは一部の海域に限ったも のであり、一般的な解釈には未だ至っていない。
そこで本研究は、基礎生物生産にとって必須の微量元素である鉄及び3価鉄の溶解度 の表層から深層までの詳細な鉛直分布を様々な海域で示す。更に、それらと対応する各 層の海洋性腐植様物質螢光強度の測定から3価鉄と錯形成する有機配位子の動態を解明 ―1163―
し、表層における基礎生物生産を支える鉄の供給源と挙動を明らかにすることを目的と する。
観測は夏季及ぴ冬季における北西部北太平洋の亜寒帯、亜熱帯及ぴ移行域のOmから 30 0m(1)、西部北太平洋の日本海溝付近及び半閉鎖的海域である日本海及びべーリ ン グ 海 で の0ー55 00m、更 に 北 部 北 太 平 洋 の 西 部 (165°Eラ イ ン 上) 及び 東部
( 165°Wラ イ ン 上 ) に お け る 中 緯 度 域 (40―50°N) で の5―3000m(2) において鉛直的に海水を採取した。測定項目は栄養塩、クロロフイルa濃度、従属栄養 バクテリアセル数、海洋性腐植様物質螢光強度、3価鉄の溶解度、溶存鉄濃度及ぴ全可 溶性鉄濃度(未ろ過の鉄濃度)である。
(1)夏季での北西部北太平洋の亜寒帯、亜熱帯及び移行域の表層混合層において、植 物プランクトンによる取り込みのため栄養塩及び溶存鉄は非常に低い値を示した。同様 に海洋性腐植様物質螢光強度も低い値を示し、その要因として光分解によるものと考え られる。また、3価鉄の溶解度は非常に高い値を示した。これは植物プランクトン及び 従属栄養バクテリアの中で、3価鉄と溶存有機錯体鉄を形成する有機配位子を放出する 種が存在するとの報告があり、それらの有機配位子が表層での3価鉄の溶解度を高めた た め と 考 え ら れ る が 、 本研 究 で は こ れ ら の 要 因 を 特 定す る に 至 ら な か っ た 。 表 層 混 合 層 以 深 の 中 層(100−30 0m)で は 、 栄 養 塩濃 度 、 海 洋 性 腐植 様物 質螢 光強度及び溶存鉄濃度は増加する傾向にあった。これは、海洋性腐植様物質、溶存鉄及 ぴ3価鉄の溶解度は表層由来の沈降粒状有機物質の分解により生成されたためと考えら れる。また、栄養塩と溶存鉄、3価鉄の溶解度及ぴ海洋性腐植様物質螢光強度は、それ ぞれ相関係数は高いものの、亜寒帯域、亜熱帯域及び移行域によって傾き及び切片が大 きく変化した。このことは有機配位子と栄養塩とでは違う分解過程を有していることを 示している。しかし、海洋性腐植様物質と溶存鉄及び3価鉄の溶解度は、亜熱帯域、亜 寒帯域及び移行域に関わらず強い相関関係を示した。このことから、北西部北太平洋中 層における3価鉄と有機錯体鉄を形成する有機配位子は海洋性腐植様物質である可能性 を示した。
冬 季に おいて 、塩 分及 ぴ水 温はOmから15 0mま で均 一な 値を示 すこ とか ら、 冬季 鉛直混合が見られた。これらの混合層での栄養塩、溶存鉄、3価鉄の溶解度及ぴ海洋性 腐植様物質螢光強度の値は夏季に比べ高い値を示したものの、3価鉄の溶解度及び従属 栄養バクテリアセル数との相関関係はほとんど見られなかった。また、植物プランク卜
ン に と っ て 必 須の 微量 栄養 元素 であ る溶 存カ ドミ ウム も溶 存鉄と 同様 に高 い値 を示 し た 。混 合層 での カドミ ウム の高 い要 因を りン酸塩との関係より、中深層と同様のカドミ ウ ム: リン 酸塩 のモル 比を 得た こと から 、冬季鉛直混合によって中深層のカドミウムが 表 層に 供給 され たこと が示 され た。 この ことから、冬季における表層での高い溶存鉄濃 度もカドミウム同様、冬季鉛直混合によって中深層の溶存鉄が供給されると考えられる。
よ って 、冬 季鉛 直混合 によ る栄 養塩 及び 鉄の供給が春季植物プランクトンブルームを引 き起こすと考えられる。
(2) 西部 北太 平洋 、日 本海 及ぴ べー リング海における表層付近での高い3価鉄の溶解 度 は植 物プ ラン クトン 及び バク テリ アな どの有機配位子の放出が考えられ、一方、溶存 鉄 濃度 、全 可溶 性鉄濃 度( 未ろ 過鉄 濃度 )及ぴ栄養塩濃度が低い要因として、植物プラ ン クト ンの 取り 込みに よる もの と考 えら れる。それ以深では海域に関係なく、栄養塩、
溶 存 鉄 濃 度 、 海 洋 性 腐 植 様 物 質 螢 光 強 度 及 ぴ3価 鉄 の 溶 解 度 は 中 深 層 ( お よ そ1000 m)で 極 大 値 を とり 、そ の後 緩や かな 減少 傾向 であ った 。一 方、全 可溶 性鉄 濃度 に茄 い て は 、 溶 存 鉄 濃 度 と は 異 な る 鉛 直 分 布 を 示 し た 。 西 部 北太 平 洋 で は4000m以 深 で 急 激 な増 加が 見ら れ、深 層で の懸 濁粒 子の 存在 が考 えら れる 。ま た、 日本海においては2 OO Om付 近 ま で は 溶 存 鉄 と 同 様 の 分 布 を 示 し た も の の 、2500m以 深 で 急 激 に 減 少 し 、 底 層 ま で 一 定 の 値 を 示 し た 。 こ れ は2500m以 深 で 異 な る 水 塊 が 移 流 し た た め と 考えられる。更に、北部北太平洋での西部及び東部における水温及び塩分は表層から中深 層 ( 〜1000m)にか けて 亜熱 帯、 亜寒 帯及 び移 行域 の違 いが 見られ るも のの 、深 層( > 10 00m)にお ける 東西 での 違い は見 られ なか った。 しか しを がら 、西 部における溶存鉄 濃度及び全可溶性鉄濃度は東部に比ベ高い値を示した。これらの要因として、西部では大気 からの鉄供給量が東部より非常に多いためと考えられる。また、西部(165°E)及び東部
(165゜W)の 中 緯 度 域 (40―50゜N) は 北 太 平 洋 循 環 流 に 位 置 す る た め 、 西 部 の 高 I
い鉄濃度を含んでいる水塊は東向きに流れると考えられ、西部から東部にかけて水塊が移動 する間に、溶存鉄及び全可溶性鉄が除去され、東部では鉄の溶解平衡値(3価鉄の溶解度)
に近づぃたと考えられる。
これ らの 西部 北太平 洋、 日本 海及 び以 前報告された北西部北太平洋及びオホーツク海 の 様々 な海 域の 中深層 にお いて 、3価鉄 の溶 解度と 海洋 性腐 植様 物質 螢光強度は、海域 に 関わ らず 強い 相関関 係を 示し た。 この こと から 、海 洋に おけ る中 深層での3価鉄と有 機 錯 体 鉄 を 形 成 す る 有 機 配 位 子 は 海 洋性 腐 植 様 物 質 で あ る こ と が 明 ら か とな った 。
以上より、冬季鉛直混合、湧昇及び大気により表層に供給される鉄が海洋における基 礎 生 物 生 産 を 支 え る 重 要 な 役 割 を 果 た し て い る こ と が 明 ら か と な っ た 。
学 位 論 文 審 査 の 要 旨 主査
副査 副査 副査 副査
教授 教授 教授 助教授 助教授
久万健志 志賀直信 簗田 満 工藤 勲 磯田 豊
学位論文題名
Spatial distributions of iron controlling the primary production in the North Pacific Ocean , Bering Sea and Japan Sea
(北太平洋、ベーリング海、及び日本海の基礎生産を コントロールする鉄の空間分布)
海洋において、鉄は基礎生産者である植物プランクトンの生長にとって非常に重 要な微量栄養素のーっと考えられている。しかしながら、海洋における鉄の供給源及 びその挙動については、未だ明らかになっていない。本研究は、基礎生物生産にとっ て必須の微量元素である鉄及び3価鉄の溶解度にっいて、様々な海域の表層から深層 までの詳細な鉛直分布を測定し、海洋における鉄の挙動を明らかにする。更に、それ らと対応する各層の海洋性腐植様物質螢光強度及び化学・生物成分の測定から3価鉄 と錯形成する有機配位子の動態を明らかにし、表層における基礎生物生産を支える鉄 の供給源とその挙動を解明するために行われたものである。得られた成果は以下のよ うに要約される。
(1)夏季での北西部北太平洋の亜寒帯、亜熱帯及び移行域の表層混合層において、
植物プランクトンによる取り込みのため栄養塩及び溶存鉄は非常に低い値を 示したが、3価鉄の溶解度は非常に高い値を示した。これは植物プランクトン 及び従属栄養バクテリアの中で、3価鉄と溶存有機錯体鉄を形成する有機配位 子を放出する種が存在し、それらの有機配位子が表層での3価鉄の溶解度を高 めと 推論 した 。表 層混合層以深の中層(100一30 0m)では、栄養塩濃度、
海洋性腐植様物質螢光強度、溶存鉄濃度及び3価鉄の溶解度は深度とともに増 加する傾向にあり、表層由来の沈降粒状有機物質の分解により生成されたため と考えられる。しかしながら、溶存鉄及ぴ3価鉄の溶解度を支配する有機配位 子と栄養塩とでは違う分解過程を有していることを示した。一方、海洋性腐植 様物質と溶存鉄及び3価鉄の溶解度は、亜熱帯域、亜寒帯域及び移行域に関わ らず強い相関関係を示し、北西部北太平洋中層における3価鉄と溶存有機錯体
鉄 を 形 成 す る 有 機 配 位 子 は 海 洋 性 腐 植 様 物 質 で あ る 可 能 性 を 示 し た 。 冬 季に お いて 、 .表 層混合層 の栄養塩 、溶存鉄 、3価鉄の溶 解度及び 海洋性 腐 植様物質 螢光強度の値は夏季に比ベ高く、冬季鉛直混合より中深層の栄養塩、
溶 存鉄及び 海洋性腐 植様物質 が表層に供 給された と考えら れ、冬季 鉛直混合に よ る こ れら の 表層 へ の 供給 が 春季 植 物 プラ ン ク トンブルー ムを引き 起こすと 推 定した。
(2)西部 北太平洋 、日本海 及ぴべー リング海 における表 層付近で の高い3価鉄の溶 解度は植 物プラン クトン及 びバクテ リアなど の有機配位 子の放出が考えられ、
一方、溶 存鉄濃度 、全可溶 性鉄濃度 (未ろ過 鉄濃度)及 び栄養塩濃度が低い要 因として 、植物プ ランクト ンの取り 込みによ るものと考 えられる。それ以深で は海 域 に 関係なく 、栄養塩、 溶存鉄濃 度、海洋 性腐植様 物質螢光 強度及び3価 鉄 の 溶 解 度 は ヰ 深 層 ( お よ そ1000m)で 極 大 値 を と り 、 そ の 後 緩 や か な 減 少傾向で あった。 一方、全 可溶性鉄 濃度にお いては、溶 存鉄濃度とは異なる鉛 直 分 布 を 示 し た 。 西 部 北 太 平 洋 で は4000m以 深 で 急激 な 増加 が 見 られ 、 深 層 で の 懸 濁 粒 子 の 存 在 が 考 え ら れ る 。 ま た 、 日 本 海に お いて は2000m付 近 ま で は 溶 存 鉄 と 同 様 の 分 布 を 示 し た も の の 、2500m以 深 で急 激 に 減少 し 、 底 層 ま で 一 定 の 値 を 示 し た 。 こ れ は2500m以 深 で 異な る 水塊 が 移 流し た た めと考えられる。更に、北部北太平洋での西部及び東部における水温及び塩分は 表 層 か ら 中 深 層 ( 〜1000m)に か けて 亜 熱帯 、 亜 寒帯 及 び 移行 域 の違 い が 見 られ る も のの 、 深層 (>1000m)にお け る東 西 で の違 い は見 ら れ なか った 。し かしながら、西部における溶存鉄濃度及び全可溶性鉄濃度は東部に比べ高い値を示 した。これらの要因として、西部では大気からの鉄供給量が東部より非常に多いた め と 考 え ら れ る 。 ま た、 西 部 (165゜E) 及ぴ 東 部 (165°W)の 中 緯度 域 (4 0−50°N)は 北太平洋 循環流に 位置する ため、西 部の高い鉄 濃度を含んでいる 水塊は東向きに流れると考えられ、西部から東部にかけて水塊が移動する問に、溶 存鉄及び全可溶´陸鉄が除去され、東部では鉄の溶解平衡値(3価鉄の溶解度)に近 づいたと 考えられ る。これ らの西部 北太平洋 、日本海及 び以前報告された北西 部北 太 平 洋及びオ ホーツク海 の様々な 海域の中 深層にお いて、3価 鉄の溶解 度 と海洋性 腐植様物 質螢光強 度は、海 域に関わ らず強い相 関関係を示した。この こと か ら 、海洋に おける中深 層での3価 鉄と溶存 有機錯体 鉄を形成 する有機 配 位子は海 洋性腐植 様物質で あり、海 洋におけ る溶存鉄濃 度及びその分布を決め る重要な因子であると結論づけた。
以 上の成果 は、海洋に おける鉄 の挙動を 支配する化学因子並びに冬季鉛直混合、湧 昇 及 び大 気 に より 表 層 に供給され る鉄が海 洋におけ る基礎生 物生産を 支える重 要な 役 割を果た しているこ とを明ら かにした ものであ り、審査員一同は申請者が博士(水 産 科学)の 学位を授与 される資 格のある ものと判 定した。