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密教文化 Vol. 1995 No. 189 001松長 有慶「四恩説の再検討 P1-26」

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(1)

弘 法 大 師 ・ 空 海 の 四 恩 説 は 、 一 般 に 、 父 母 、 国 王 、 衆 生 、 三 宝 の 四 種 を 対 象 と す る 恩 を さ し 、 そ れ は 般 若 訳 の ﹃ 大 乗 本 生 心 地 観 経 ﹄ (以 下 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ と 略 称 す る ) に 典 拠 が あ る と 考 え ら れ て い る 。 さ ら に ま た こ の 四 恩 説 の 中 に 、 国 王 の 恩 を 含 む と こ ろ か ら 、 そ れ は 大 師 の 国 家 観 な い し 天 皇 観 の 骨 核 を な す 思 想 と 見 倣 さ れ る こ と も 少 な く な い 。 弘 法 大 師 の 思 想 の 中 で は 、 四 恩 に 対 す る 関 心 は 高 く 、 そ れ に 対 す る 研 究 は 比 較 的 多 い 。 戦 後 ほ ぼ 半 世 紀 の 間 に 、 四 恩 に 関 し て は 、 十 数 篇 に 及 ぶ す ぐ れ た 研 究 が 発 表 さ れ て い る 。 筆 者 も ま た 先 賢 の 騨 尾 に 付 し て 、 こ の 問 題 に つ い て 研 究 を 進 め て い る う ち に 、 諸 先 学 の 卓 見 と は 若 干 相 違 す る 見 解 を 持 つ こ と に な っ た 。 そ の 点 に つ い て 報 告 し 、 さ ら に 批 判 を 仰 ぎ た い と 考 え て い る 。 四 恩 と い う 言 葉 が 漢 訳 仏 典 に 現 れ る の は 古 く 三 世 紀 に 遡 る 。 そ れ 以 来 近 世 に 編 纂 さ れ た 文 献 に い た る ま で 、 四 種 の 恩 と い う 言 葉 を 含 め て 、 そ の 用 例 は 少 な く な い が 、 内 容 に つ い て か な ら ず し も 一 定 し て い る わ け で は な い 。 大 別 す れ 四 恩 説 の 再 検 討

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密 教 文 化 ( 1 ) ば 、 つ ぎ の 六 種 と な る 。 1 四 恩 が 四 摂 法 の 意 味 を も つ も の 。 2 母 、 父 、 如 来 、 説 法 法 師 の 四 種 の 恩 が 初 出 す る ﹃ 正 法 念 処 経 ﹄ の 説 。 3 四 恩 と い う 言 葉 が あ っ て も 、 そ の 内 容 が 不 明 な も の 。 4 国 王 、 父 母 、 施 主 、 法 界 一 切 衆 生 が 四 恩 と み な さ れ て き た ﹃ 諸 仏 境 界 摂 真 実 経 ﹄ ( 以 下 ﹃ 摂 真 実 経 ﹄ と 略 称 ) の 説 。 5 父 母 、 衆 生 、 国 王 、 三 宝 を 四 恩 と 説 く ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 説 。 6 師 長 、 父 母 、 国 王 、 施 主 を 四 恩 と す る 宋 代 以 降 の 説 。 こ れ ら の う ち 、 3 を 除 け ば 、 ほ ぼ 年 代 順 に 並 べ て あ る 。 1 の 用 例 が 最 も 古 く 、 後 漢 の 安 世 高 訳 ﹃ 仏 説 自 誓 三 昧 経 ﹄ 、 後 漢 の 支 婁 迦 識 訳 ﹃ 雑 讐 喩 経 ﹄ 、 呉 の 支 謙 訳 ﹃ 維 摩 経 ﹄ 、 西 晋 の 竺 法 護 訳 ﹃ 生 経 ﹄ 、 同 ﹃ 普 曜 経 ﹄ 、 ﹃ 須 真 天 子 経 ﹄ 等 に 、 四 恩 の 語 を 見 出 す 。 こ れ ら に つ い て は 、 先 学 に よ っ て 検 討 が 行 わ れ て き た 。 そ の 結 果 、 羅 什 以 前 の 訳 語 で あ る 四 恩 は ( 2 ) 現 在 い わ れ る よ う な 四 恩 で は な く 、 四 摂 を 指 す こ と が 明 ら か に な っ た 。 2 元 魏 の 般 若 流 支 に よ っ て 五 三 九 年 に 漢 訳 さ れ た ﹃ 正 法 念 処 経 ﹄ 巻 六 十 一 に は 、 四 恩 と い う 言 葉 が 見 当 ら な い が 、 ( 3 ) 四 種 の 恩 が 説 か れ て い る 。 こ こ で は 聞 法 の 重 要 性 が 指 摘 さ れ 、 説 法 の 功 徳 の 偉 大 さ が 強 調 さ れ て い る 。 人 々 が 説 法 を 聞 く こ と が 出 来 る の は 、 母 、 父 、 如 来 、 説 法 の 法 師 の お か げ で あ る 。 し た が っ て 、 こ の 四 種 の ( 恩 ) 人 を 供 養 す れ ば 、 無 量 の 福 を 得 て 、 現 世 に は 人 か ら 讃 歎 さ れ 、 未 来 世 に は 悟 り を 得 る こ と が で き る と い う 。 ( 4 ) ﹃ 正 法 念 処 経 ﹄ に は 、 サ ン ス ク リ ッ ト 文 の 存 在 す る 他 の 経 論 か ら の 引 用 文 が い く つ か 指 摘 さ れ て い る が 、 当 該 個 所

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に 相 当 す る サ ン ス ク リ ッ ト 文 は な い 。 一 方 チ ベ ッ ト 訳 は 漢 訳 と 比 較 的 よ く 対 応 し て い る 。 当 該 個 所 の 最 初 に 、 四 種 の 恩 人 を 挙 げ る と こ ろ で は 、 母 、 父 の 順 に 出 す 。 つ づ く 説 明 の 個 所 に な る と 父 母 と な る 。 こ の 経 典 の 中 に 母 を 父 に 先 行 ( 5 ) さ せ る 記 述 が 認 め ら れ る こ と は ﹃ 正 法 念 処 経 ﹄ が イ ン ド 的 な 色 彩 を 残 し て い る こ と を 物 語 っ て い る 。 ま た 父 母 に 対 し て 恩 を 報 ず る に は 、 父 母 を し て 仏 法 に 住 せ し め る こ と と す る 記 述 は 、 イ ン ド に お け る 父 母 に 対 す る 報 恩 行 の あ り か た ( 6 ) の 伝 統 を 守 っ て い る と み て よ い 。 た だ し 報 恩 の 対 象 と し て 、 四 種 の 人 を 挙 げ る が 、 そ の 中 で も 、 法 を 説 い て く れ た 師 の 恩 を 最 も 強 調 し 、 父 母 の 恩 は 付 随 的 に 言 及 さ れ て い る に す ぎ な い 。 も っ と も こ の 部 分 は 、 説 法 を 聞 く こ と に 主 題 が あ る た め 、 説 法 の 師 の 恩 に つ い て く わ し い の は 当 然 の こ と と い え る 。 以 上 の 考 察 か ら ﹃ 正 法 念 処 経 ﹂ に 説 か れ て い る 四 種 の 恩 は 、 弘 法 大 師 の 四 恩 説 に 影 響 を 与 え た と さ れ る ﹃ 心 地 観 経 ﹄ 所 説 の 、 父 母 、 衆 生 、 国 王 、 三 宝 の 四 恩 説 と は 系 統 を 異 に す る も の と 見 て よ い 。 つ い で 四 種 の 恩 と し て は ま と め ら れ て い な い が 、 東 晋 代 失 訳 の ﹃ 舎 利 弗 問 経 ﹄ に は 、 在 家 者 に は 父 母 の 恩 が 大 で 、 ( 7 ) 出 家 者 に と っ て は 師 の 恩 が 重 い と さ れ る 。 こ の 経 典 が 在 家 と 出 家 に 恩 の 対 象 を 分 け た 点 は 特 徴 的 で あ る が 、 そ の 後 に こ の 種 の 考 え を 表 明 し た 経 典 な い し 文 献 を 見 出 す こ と は で き な い 。 3 四 恩 と い う 言 葉 が あ っ て も 、 そ の 内 容 が 不 明 な も の は 、 六 世 紀 以 後 の 文 献 の 中 に 少 な か ら ず 見 出 さ れ る 。 中 国 関 係 の 資 料 の 中 に 、 四 恩 の 語 が 現 れ る の は 、 北 魏 の 普 泰 二 年 (五 三 一 ) の も の が 最 初 で あ り 、 そ れ 以 後 、 陥 唐 ( 8 ) 宋 代 に わ た っ て 多 く の 文 献 に 認 め ら れ る と の 説 が あ る が 、 そ こ に は 初 出 に 関 す る く わ し い 説 明 が 欠 け て い る 。 も し こ の 説 に 信 を 置 く と す れ ば 、 そ れ は ﹃ 正 法 念 処 経 ﹄ の 漢 訳 年 代 よ り 八 年 早 い こ と に な る 。 四 恩 説 の 再 検 討

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密 教 文 化 現 存 の 資 料 の 中 で 、 四 恩 に つ い て 記 し た 最 初 期 の 文 献 は 、 北 周 の 道 安 が 五 七 〇 年 に 著 わ し た ﹃ 二 教 諭 ﹄ の つ ぎ の 記 ( 9 ) 述 が そ の 一 つ と 見 倣 さ れ て い る 。 ( 10 ) ﹁ 其 の 脱 俗 の 誠 を 録 す れ ば 、 四 事 を 消 す に 足 ら ん 。 其 の 高 尚 の を 採 れ ば 、 四 恩 を 報 ず べ し 。 ﹂ た だ こ れ だ け の 記 述 で は 、 四 恩 が な に を 意 味 す る か 明 瞭 で は な い 。 ま た 北 周 の 時 代 、 衛 元 崇 の 廃 仏 論 に 対 す る 反 論 と し て 、 王 明 広 が 五 七 九 年 に 上 表 し た 文 ( ﹃ 広 弘 明 集 ﹄ 巻 十 所 収 ) の 中 に (1 1 ) ﹁ 沙 門 の 孝 た る や 上 は 諸 仏 に 順 じ 、 中 は 四 恩 を 報 じ 、 下 は 含 識 の 為 に す 。 三 者 匿 し か ら ず 。 大 孝 は 一 な り 。 ﹂ と あ る 。 こ の 記 述 に よ っ て 、 こ こ で 述 べ ら れ て い る 四 恩 に は 仏 と 衆 生 が 含 ま れ ず 、 後 の ﹃ 心 地 観 経 ﹄ 所 説 の 四 恩 と は 別 で あ る こ と が 分 か る が 、 そ の 内 容 に つ い て は 依 然 と し て 不 明 で あ る 。 法 琳 が 道 教 か ら の 攻 撃 に 対 し 反 発 し て 著 わ し た ﹃ 破 邪 論 ﹄ 巻 上 (﹃ 広 弘 明 集 ﹄ 所 収 ) 中 の 武 徳 五 年 (六 二 二 ) 正 月 十 二 日 の 啓 に は 、 ( 12 ) ﹁ 道 を 行 じ て 以 て 四 恩 を 報 じ 、 徳 を 立 て て 以 て 三 有 に 資 す る な り 。 ﹂ と 。 こ こ に も ﹁ 四 恩 を 報 ず ﹂ と の 記 事 が 見 出 さ れ る が 、 そ の 内 容 に つ い て は 記 載 が な い 。 さ ら に 善 導 ( 六 一 三 -六 八 一 ) の ﹃ 安 楽 行 道 転 経 願 生 浄 土 法 事 讃 ﹄ (略 称 ﹃法 事 讃 ﹄ ) 巻 下 に は 、 論 呼 く 四 恩 ・ 三 友 ・ 帝 王 ・ 人 王 ・ 師 僧 ・ 父 母 ・ 善 知 識 ・ 法 界 衆 生 の 為 に ・ 三 障 を 断 除 し ・ 同 じ く 阿 弥 陀 仏 国 に 往 生 す る こ と を 得 ん 。 ﹂ と あ る 。 文 章 の 上 か ら み れ ば 、 こ の 四 恩 は 王 、 師 、 父 母 、 善 知 識 、 衆 生 を 含 ま ず 、 し か も こ れ ら の 人 と 同 類 の 救 済 さ

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れ る べ き 対 象 と 見 ら れ る で あ ろ う 。 し か し こ の 場 合 の 四 恩 と い う 語 は 、 文 脈 か ら 見 て 、 お そ ら く 具 体 的 な 内 容 を も た ず 、 王 、 師 、 父 母 、 友 、 そ し て 一 切 衆 生 な ど 、 生 類 を す べ て 含 め た 概 念 で あ る と 考 え ら れ る 。 (14) 文 献 だ け で な く 、 造 像 記 等 の 銘 文 の 中 に も 、 四 恩 と い う 言 葉 を 見 る 。 龍 門 の 石 刻 文 に は 、 四 恩 の 文 字 が 四 回 現 わ れ 、 ( 15 ) そ の う ち 最 古 の も の は 五 四 一 年 の ﹃ 西 魏 洛 州 霊 厳 寺 沙 門 燦 造 石 像 記 ﹄ で 、 こ こ で も ﹁ 四 恩 を 報 ず ﹂ と 記 さ れ て い る 。 ま た い く つ か の 銘 文 中 に は 、 師 僧 、 父 母 、 法 界 衆 生 の 文 字 も 見 え る が 、 か な ら ず し も こ れ ら が 四 恩 と 結 び つ い て い る わ け で は な い 。 以 上 を 綜 合 し て 考 え る と 、 す で に 六 世 紀 の 前 半 期 以 降 、 ﹁ 四 恩 を 報 ず ﹂ と い う 表 現 が し ば し ば 文 献 と か 刻 文 に 現 わ れ る が 、 い ず れ も そ の 内 容 を 具 体 的 に 知 る こ と は で き な い 。 こ れ ら は 四 恩 の 語 が な い け れ ど も 、 報 恩 の 対 象 と し て 如 来 を 含 め て 四 種 の 人 を 挙 げ る ﹃ 正 法 念 処 経 ﹄ 、 さ ら に 国 王 、 三 宝 を 含 む ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 四 恩 と も 異 っ た 用 例 で あ る こ と は 間 違 い な い 。 4 の 般 若 訳 ﹃ 摂 真 実 経 ﹄ 巻 下 、 金 剛 界 外 供 養 品 第 五 に ( 16 ) ﹁ 四 恩 を 報 ぜ ん が 為 に 、 道 場 を 建 立 し 、 是 の 法 を 修 す る 者 は 云 々 ﹂ と あ る が 、 四 恩 の 内 容 は 記 さ れ て い な い 。 し か し 同 経 巻 下 、 建 立 道 場 発 願 品 に 、 ( 17 ) ﹁ 是 の 法 を 作 し 已 っ て 、 廻 向 発 願 す 。 此 の 功 徳 を も っ て 、 第 一 に 国 王 、 第 二 に 父 母 、 第 三 に 施 主 、 第 四 に 法 界 一 切 衆 生 を し て 、 悉 く 皆 速 や か に 無 上 菩 提 を 証 せ ん 。 ﹂ と い う 記 述 が あ る 。 四 恩 に 関 す る 先 行 研 究 で は 、 此 の 両 方 の 記 載 を 一 つ に ま と め て 、 国 王 、 父 母 、 施 主 、 衆 生 の 四 種 の 人 を 四 恩 と み な す の が 通 例 で あ る 。 と こ ろ が こ の 両 方 の 記 述 は 、 同 一 経 典 と は い え 、 別 々 の 品 に 分 か れ て い る た め 、 四 恩 説 の 再 検 討

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密 教 文 化 ( 18 ) そ れ ら を 無 批 判 に 結 び 付 け る 見 解 に は 再 考 の 余 地 が 残 さ れ て い る 。 む し ろ 前 者 の ﹁ 四 恩 を 報 ぜ ん が 為 に ﹂ の 四 恩 は 、 先 述 の 3 の 分 類 に 入 る 四 恩 で あ り 、 後 者 の 四 種 の 人 は 、 供 養 の 対 象 と な る 四 種 の 恩 人 の 列 挙 と 見 倣 さ れ る べ き で あ ろ う 。 般 若 よ り 時 代 の わ ず か に 遡 る 唐 代 初 期 の 菩 提 流 志 の 訳 ( 七 〇 八 年 ) に な る ﹃ 一 字 仏 頂 輪 王 経 ﹄ 巻 四 に は 、 供 養 の 対 象 と し て ( 19 ) 二 国 王 王 族 、 二 大 臣 僚 佐 、 三 過 現 一 切 師 僧 父 母 、 四 業 道 冥 官 、 五 十 方 施 主 、 六 十 方 法 界 六 道 四 生 三 塗 八 難 一 切 有 情 。 ﹂ の 六 種 を 掲 げ て い る 。 ま た 同 じ く こ の 経 典 に 、 呪 を 諦 す の は ( 20 ) 二 切 天 竜 八 部 、 国 王 王 族 、 大 臣 僚 佐 、 過 去 今 生 一 切 師 僧 父 母 、 十 方 檀 越 、 六 趣 四 生 一 切 有 情 同 修 行 者 。 ﹂ の 為 で あ る と 記 し て い る 。 こ れ ら に よ っ て 少 な く と も 七 世 紀 頃 に は 、 供 養 の 対 象 と し て の 六 種 の 者 が 考 え ら れ て い た が 、 ﹃ 摂 真 実 経 ﹄ に い た っ て 、 そ れ が 四 種 に 整 理 さ れ た と 想 定 す る こ と も で き る で あ ろ う 。 こ の 意 味 に お い て 、 国 王 を は じ め 、 父 母 、 師 僧 な ど を 供 養 の 対 象 と し て 挙 げ た の は 、 か な ら ず し も 般 若 が 最 初 と い う わ け で は な い 。 般 若 の 訳 よ り も 以 前 に 、 国 王 王 族 に 対 す る 言 及 が あ る こ と は 、 国 王 の 尊 重 が 唐 代 を 通 じ て の 基 本 的 な 思 想 で あ る こ と を 伺 わ せ る も の で あ る 。 ﹃ 貞 元 録 ﹄ 巻 十 七 に 収 め ら れ て い る 般 若 の 貞 元 四 年 (七 八 八 ) 十 一 月 二 十 八 日 の 日 付 を も つ 上 表 文 に は 、 ( 21 ) ﹁ 伏 し て 以 て み れ ば 、 尉 賓 に 生 ま れ 、 十 四 に し て 郷 を 離 れ 、 ( 中 略 ) 大 小 乗 を 学 び 、 誓 っ て 四 恩 を 報 ぜ ん 。 ﹂ と あ る 。 こ の 文 か ら 般 若 自 身 が 早 く か ら 3 の 分 類 に 入 る 報 恩 の 対 象 で あ っ て 、 内 容 が く わ し く わ か ら な い 四 恩 を 用 い

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( 22 ) て い た こ と が わ か る 。 こ の よ う な 点 か ら 、 般 若 は か な ら ず し も 四 恩 の 概 念 を 統 一 し よ う と す る 意 図 を も た な か っ た と み て よ い で あ ろ う 。 5 般 若 訳 ﹃ 大 乗 本 生 心 地 観 経 ﹄ に は 、 詳 細 に 四 恩 が 説 か れ て い る 。 す な わ ち 同 経 の 巻 二 報 恩 品 に は 、 ( 23 ) ﹁ 世 出 世 の 恩 に 其 の 四 種 あ り 。 一 に は 父 母 の 恩 、 二 に は 衆 生 の 恩 、 三 に 国 王 の 恩 、 四 に 三 宝 の 恩 な り 。 是 の 如 き の 四 恩 は 一 切 衆 生 、 平 等 に 荷 負 す 。 ﹂ と あ り 、 つ い で こ れ ら 四 恩 の 各 々 に つ い て の く わ し い 説 明 が あ る 。 こ こ で 国 王 の 恩 、 衆 生 の 恩 が 四 恩 の 中 に 位 置 づ け ら れ て い る 点 は 注 目 す べ き で あ り 、 こ の 四 恩 説 が 弘 法 大 師 に 影 響 を 与 え た と 一 般 に 考 え ら れ て き た 。 こ の 点 に つ い て の 検 討 は 後 に 行 う 。 6 師 長 、 父 母 、 国 王 、 施 主 と す る 宋 代 以 降 の 説 。 宋 代 の 初 頭 、 永 明 延 寿 ( 1 九 七 五 ) の 言 行 録 ﹃ 智 覚 禅 師 自 行 録 ﹄ に 、 (24 ) ﹁ 上 報 四 恩 と は 、 一 に 師 長 訓 誘 の 恩 に 報 じ 、 二 に 父 母 養 育 の 恩 に 報 じ 、 三 に 国 王 荷 負 の 恩 に 報 じ 、 四 に 施 主 供 給 の 恩 に 報 ず 。 ﹂ と あ る 。 こ の 四 恩 説 の 系 統 を 引 く も の に 、 道 誠 が 一 〇 一 九 年 に 著 し た ﹃ 釈 氏 要 覧 ﹄ と 、 宋 の 元 照 ( 一 〇 四 八 -二 一 六 ) の ﹃ 四 分 律 行 事 砂 資 持 記 ﹄ を 挙 げ る こ と が で き る 。 一 方 、 唐 の 法 蔵 ( 六 四 三 -七 二 一) の 作 と さ れ る ﹃ 賢 首 諸 乗 法 数 ﹄ の 中 に 、 国 王 、 父 母 、 師 友 、 檀 越 か ら な る 四 恩 説 と 、 ま た 別 に 、 諸 仏 、 国 王 、 父 母 、 施 者 か ら な る 四 恩 説 が 両 様 に 取 り 上 げ ら れ て い る 。 こ の ﹃ 諸 乗 法 数 ﹄ が 唐 代 に 存 在 し た と す れ ば 、 そ の 諸 説 は 般 若 の 四 恩 説 と の 関 連 性 を 考 慮 し な け れ ば な ら な い 。 し か し ﹃ 諸 乗 法 数 ﹄ は 行 深 が 一 四 恩 説 の 再 検 討

(8)

密 教 文 化 三 八 七 年 に 編 集 し た も の で あ り 、 唐 代 の 思 想 の 確 実 な 記 録 と 見 倣 す こ と は で き な い 。 し た が っ て そ れ が 法 蔵 と 関 わ り ( 25 ) を も つ こ と に つ い て は 疑 っ て か か る 必 要 が あ り 、 ﹃ 諸 乗 法 数 ﹄ は 明 代 以 降 の 成 立 と 見 倣 す 説 に 同 意 す る 。 以 上 の 理 由 を も っ て 、 法 蔵 の 説 と 伝 え ら れ る 四 恩 説 に つ い て は こ こ で は 射 程 外 に 置 く 。 本 論 文 は 日 本 へ の 繋 が り を 重 視 す る た あ 、 宋 代 以 降 の 四 恩 に つ い て は こ れ 以 上 深 く 立 ち 入 る こ と を 避 け た い 。 二 古 代 日 本 に お け る 四 恩 日 本 の 文 献 の 中 で 、 四 恩 と い う 言 葉 が 最 初 に 現 れ る の は 、 推 古 三 十 六 年 (六 二 八 ) と 推 定 さ れ る 戊 子 年 十 二 月 十 五 ( 26 ) 日 付 の 朝 風 文 を 載 せ た 法 隆 寺 所 蔵 の ﹃ 金 銅 釈 迦 三 尊 造 像 記 ﹄ で あ る 。 そ こ に は 、 融 評 願 し て 敬 て 釈 迦 仏 像 を 造 り た て ま つ る 。 此 の 願 力 を 以 て 、 廿 世 匹 慰 、 六 道 四 生 、 倶 に 正 覚 を 成 ぜ ん 。 ﹂ と あ る が 、 四 恩 の 内 容 に つ い て は 不 明 で あ る 。 一 方 、 斉 明 四 年 ( 六 五 八 ) に 当 る と 思 わ れ る 戊 午 年 十 二 月 付 の 河 内 観 心 寺 所 蔵 の ﹃ 金 銅 阿 弥 陀 仏 造 像 記 ﹄ に は 、 ( 28 ) ( マ マ へ か ) ﹁ 此 の 功 徳 を も っ て 、 其 の 夫 を 過 し 往 か せ 、 及 び 七 世 父 母 を 以 て 生 々 世 々 、 恒 に 浄 土 に 生 れ 、 乃 至 法 界 衆 生 に い た る ま で 悉 く 此 の 願 に 同 ぜ し め ん 。 ﹂ と あ り 、 ま た 宝 元 五 年 ( 斉 明 五 年 ) 己 未 正 月 の ﹃ 西 琳 寺 縁 起 ﹄ 所 載 の ﹃ 金 銅 阿 弥 陀 仏 像 造 記 ﹄ に は 、 ( 28 ) ﹁ 願 わ く は 此 の 功 徳 を も っ て 、 現 世 親 族 、 福 を 万 世 に 延 し 、 七 世 父 母 、 随 意 に ロ ロ に 往 き 、 含 霊 の 類 、 斯 の 願 力 に 同 ぜ し め ん 。 ﹂

(9)

( 29 ) と あ る 。 ま た 時 代 は 少 し 下 が る が 、 天 平 年 中 と 見 倣 さ れ て い る 知 恩 院 所 蔵 の ﹃ 勝 婁 師 子 吼 経 ﹄ の 願 文 に は 、 ( 30 ) ﹁ 七 世 父 母 、 現 在 父 母 、 六 親 春 属 、 一 切 無 邊 、 法 界 衆 生 、 誓 願 仕 奉 。 ﹂ と 書 か れ て い る 。 こ れ ら に ﹁ 七 世 父 母 ﹂ と あ る と こ ろ か ら 、 法 隆 寺 所 蔵 の 前 掲 の ﹃ 造 像 記 ﹄ に 、 ﹁ 七 世 四 恩 ﹂ と あ る 四 恩 は 、 父 母 を 意 味 し て 用 い ら れ た 可 能 性 が 高 い 。 も っ と も ﹁ 七 世 四 恩 、 六 道 四 生 ﹂ と 、 単 な る 文 字 、 数 字 あ わ せ の た め に 、 七 世 と 四 恩 が 結 び 付 け ら れ た と す る 考 え も 、 低 い 確 立 で は あ る が 、 捨 て 切 れ な い こ と を 付 言 し て お か ね ば な ら な い 。 さ ら に 法 隆 寺 所 蔵 に な り 、 神 護 景 雲 元 年 (七 六 五 ) 九 月 五 日 の 奉 写 に な る ﹃ 喩 伽 師 地 論 ﹄ 巻 二 二 の 写 経 願 文 に 、 ( 31 ) ﹁ 聖 朝 を 栩 け 奉 り 、 退 い て は 四 恩 を 報 じ 、 兼 ね て 群 品 を 救 わ ん ( 中 略 ) 退 い て 願 わ く は 篤 く 四 恩 を 蒙 り 、 浬 葉 の 山 に 枕 し 、 菩 提 の 樹 に 坐 さ ん 。 位 は 潅 頂 を 感 じ 、 力 を 降 魔 に 奪 う を 、 広 く 法 界 に 及 ぼ さ ん 。 六 道 有 識 は 苦 を 離 れ 楽 を 得 、 斎 し く 覚 道 に 登 ら ん 。 ﹂ と あ る 。 こ の 願 文 に は 、 四 恩 と い う 言 葉 が 二 度 出 て く る 。 前 者 の 四 恩 は 恩 の あ る 人 を 意 味 し 、 後 者 は 四 種 の 恩 そ の も の と も 解 せ ら れ 、 若 干 ニ ュ ア ン ス を 異 に し て い る 。 た だ 現 代 人 の 理 解 の 上 で は 、 両 者 は 内 容 を 異 に す る よ う に 見 え る が 、 同 一 の 文 の 中 に 、 こ の よ う に 同 じ 言 葉 が 現 れ る こ と に 注 目 し た い 。 お そ ら く こ の 願 文 の 作 者 、 あ る い は 奈 良 時 代 の 人 の 常 識 と し て 、 恩 を 与 え る 人 と 、 恩 そ の も の が 、 同 時 に 四 恩 と い う 言 葉 の 中 に 込 あ ら れ て 使 わ れ て い た と 考 え る こ と も 許 さ れ る か も し れ な い 。 前 に 挙 げ た 上 代 の 諸 々 の ﹃ 造 像 記 ﹄ に 見 ら れ た 四 恩 が 父 母 や 衆 生 と と も に 用 い ら れ て い る こ と か ら 、 そ れ ら と 近 い 概 念 で あ る こ と は 、 こ の ﹃ 喩 伽 師 地 論 ﹄ の 願 文 の 場 合 も 例 外 で は な か ろ う 。 四 恩 説 の 再 検 討

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密 教 文 化 ま た 天 平 廿 年 (七 四 八 ) 戊 子 六 月 廿 三 日 の 日 付 の あ る ﹃ 樗 伽 経 ﹄ 巻 二 の 践 文 に は 、 ( 32 ) ﹁ 伏 し て 願 く は 、 四 恩 を し て 遠 く 生 を 孕 む を 絶 ち 、 長 く 安 養 に 投 じ 、 正 に 妙 果 を 証 し 、 永 く 宝 樹 に 遊 ば し め ん 。 ﹂ と あ る 。 こ こ で も 、 四 恩 が 輪 廻 す る 者 と し て 捉 え ら れ て い る 。 以 上 い ず れ の 文 献 に よ っ て も 四 恩 は 四 種 の 恩 の 意 か ら 、 わ れ わ れ が 現 に 恩 を 受 け い る 人 を 指 し 、 そ れ ら の 人 は 輪 廻 に さ ま よ っ て い る か ら 、 な ん ら か の 善 業 の 功 徳 に よ っ て 救 済 さ れ る べ き 対 象 と 見 倣 さ れ て い た こ と が わ か る 。 さ ら に ま た 奈 良 時 代 に 作 ら れ た 銘 文 や 写 経 の 践 文 に は 、 ﹁ 四 恩 の お ん た め ﹂ と い う 表 現 が 多 い 。 す な わ ち 神 亀 四 年 ( 33 ) ( 34 ) (七 四 一 ) の 興 福 寺 所 蔵 の ﹃ 観 禅 堂 鐘 銘 ﹄ 、 天 平 十 三 年 (七 四 一 ) の 根 津 美 術 館 所 蔵 の ﹃ 大 般 若 波 羅 蜜 多 経 ﹄ 巻 一 二 、 天 ( 35 ) 平 勝 宝 七 年 (七 五 五 ) の 同 美 術 館 蔵 の ﹃ 大 唐 内 典 録 ﹄ 巻 一 〇 な ど に は 、 ﹁奉 為 四 恩 ﹂ と あ る 。 同 様 に 天 平 勝 宝 六 年 ( 七 ( 36 ) 五 四 ) 潤 十 月 廿 九 日 付 の ﹃ 仏 説 潅 頂 経 ﹄ 巻 四 に は 、 ﹁ 御 為 四 恩 ﹂ と 記 さ れ て い る 。 さ ら に 天 平 勝 宝 六 年 ( 七 五 四 ) 九 月 ( 37 ) 廿 九 日 の 医 王 寺 所 蔵 の ﹃ 大 般 若 波 羅 蜜 多 経 ﹄ に は 、 ﹁ 報 四 恩 之 重 ﹂ の 語 が 見 え る 。 ( 38 ) 平 安 時 代 に な る と 、 最 澄 は 四 恩 と い う 術 語 を 用 い な か っ た と い う 報 告 が あ る が 、 最 澄 の 滅 後 ほ ど な く 弟 子 の 仁 忠 に よ っ て 書 か れ た ﹃ 叡 山 大 師 伝 ﹄ に は 、 ( 39 ) ﹁ 四 恩 の 奉 為 に 毎 日 法 華 金 光 明 般 若 等 の 大 乗 経 を 読 諦 し て 、 一 日 も 閾 か ず 、 解 怠 あ る こ と な し 。 ﹂ と 、 ﹁ 奉 為 四 恩 ﹂ の 語 を 見 出 す こ と が で き る 。 ま た 弘 仁 十 三 年 ( 八 二 二 ) 薬 師 寺 の 景 戒 に よ っ て 著 わ さ れ た ﹃ 日 本 霊 異 ( 40 ) ( 41 ) 記 ﹄ 巻 上 、 三 十 五 に も ﹁ 奉 為 四 恩 ﹂ の 表 現 が あ る 。 さ ら に ﹃ 東 大 寺 桜 会 縁 起 ﹄ に よ れ ば 、 天 平 年 中 に 、 不 空 絹 索 観 音 像 を 造 り 、 法 華 堂 に 安 置 し た と き 、 ﹁ 奉 為 四 恩 ﹂ に 祈 ら れ て い る 。 ま た さ ら に ﹃ 東 大 寺 調 諦 文 稿 ﹄ の 中 に 、 四 恩 と い う 言 葉 が 三 度 現 れ る 。 こ の 調 諦 文 稿 は 延 暦 後 期 か ら 、 大 同 、 弘 仁 、

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( 42 ) 天 長 に か け て の 作 と 見 倣 さ れ て い る か ら 、 ほ ぼ 弘 法 大 師 の 活 躍 期 と 一 致 す る 。 そ の 内 容 は つ ぎ の 通 り で あ る 。 ( 43 ) ほ ふ す く ﹁ 四 恩 の 中 に 報 ゆ る こ と 難 く 、 窮 む る こ と 難 き は 、 父 母 の 恩 に 過 ぎ じ 。 所 以 に 須 閾 太 子 は 身 を 割 り て 父 母 が 命 を 濟 ひ た ま ひ 、 忍 辱 太 子 は 眼 を 穿 ち て 、 父 の 公 の 病 を 癒 せ り 。 ﹂ こ の つ ぎ に も 父 母 に 対 す る 報 恩 行 が 述 べ ら れ て お り 、 こ の 四 恩 の 中 に 、 父 母 の 恩 を 含 む 考 え を 伺 う こ と が で き る が 、 そ の 他 の 恩 に つ い て は 記 載 が な い 。 ( 44 ) お も ﹁ 内 に 独 り 思 惟 へ ら く は 、 正 に 四 恩 を 報 い む に は 、 山 林 に 出 で 、 臨 み て 正 道 を 行 は ん に は 如 か じ 。 某 に 反 離 し 、 遠 く 深 山 に 向 か ひ て 、 樹 下 に 崖 谷 を 室 と 為 、 草 の 葉 木 の 皮 を 衣 と 為 ﹂ 。 ( 以 下 、 山 林 修 行 の さ ま の 叙 述 あ る も 略 す ) 。 朝 に た た ず は 峯 の 上 に 俳 み て 雲 霞 の 飛 び 交 ふ を 見 て 、 父 公 を 憶 ひ た て ま つ る 。 夕 に は 谷 の 底 に 居 て 、 禽 獣 の 鳴 き 遊 ぶ を 聞 き て は 、 母 氏 を 思 ひ 出 で た て ま つ る 。 是 の 如 く 出 離 を 修 め て 父 母 を 恋 ひ 慕 ふ と 錐 ど も 、 朝 夕 忍 ぶ る こ と 難 し 。 此 に 於 て 阪 り て 本 郷 に 至 る 。 ﹂ こ こ で は 四 恩 に 報 い ん が た め に 、 山 林 修 行 を な し 、 父 母 を 思 う 記 述 が あ る 。 こ の 四 恩 も 強 い て 考 え れ ば 、 そ の 中 に 父 母 が 含 ま れ る か も し れ な い 。 だ が 他 の 恩 に つ い て は 触 れ て い な い 。 一 方 ま た 、 ( 45 ) ﹁ 広 く は 生 々 の 四 恩 ・ 五 趣 ・ 四 生 も 普 く 此 の 願 に 資 て 離 苦 得 楽 せ し め む と し て 、 深 く 薬 師 如 来 の 眞 の 身 ・ 妙 な る 躰 を 慕 ひ た ま へ り 。 ﹂ と あ る 。 こ の 場 合 の 四 恩 は 救 済 の 対 象 と な る 人 を 意 味 す る 。 以 上 、 上 代 か ら 奈 良 時 代 さ ら に 平 安 初 期 に い た る ま で 、 古 代 日 本 に お い て 、 四 恩 と い う 言 葉 が ど の よ う に 用 い ら 四 恩 説 の 再 検 討

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密 教 文 化 れ て い る か を 検 証 し た 。 そ の 結 果 、 四 恩 の 内 容 に つ い て 明 か す 文 献 は ま っ た く 見 当 た ら な か っ た 。 し か し 推 古 三 十 六 年 の ﹃ 金 銅 釈 迦 三 尊 造 像 記 ﹄ の ﹁ 七 世 四 恩 ﹂ の 四 恩 は か な り の 可 能 性 を も っ て 、 父 母 の 意 味 で 用 い ら れ た と 見 倣 す こ と が で き る 。 ま た ﹃ 東 大 寺 調 請 文 稿 ﹄ 中 の 二 か 所 の 四 恩 は 、 父 母 の 恩 と の 関 連 性 を 全 面 的 に 否 認 す る こ と は で き な い が 、 生 類 全 体 が そ の 対 象 で あ る と の 想 定 も 可 能 で あ る 。 た だ そ れ ぞ れ の 場 合 、 使 用 者 に よ っ て 四 恩 の 語 の 中 に 、 父 母 や 、 友 人 や 師 匠 や 親 族 縁 者 、 さ ら に は 一 切 衆 生 を 含 め て 祈 願 さ れ て い た こ と が 推 察 さ れ る 。 三 弘 法 大 師 と ﹃ 心 地 観 経 ﹄ 唐 代 ま で の 漢 訳 経 典 の 中 で 、 四 恩 の 名 を 挙 げ 、 そ の 一 々 に つ い て く わ し く 説 明 し た 経 典 は 、 般 若 訳 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 他 に 存 在 し な い 。 同 経 巻 二 は 、 四 恩 に 、 ・ 父 母 、 衆 生 、 国 王 、 三 宝 の 四 を 掲 げ 、 そ の 内 容 に つ い て も 詳 細 で あ る 。 ( 46 ) 一 方 、 弘 法 大 師 の 著 作 の 中 で は 、 四 恩 に 言 及 し た 文 章 が 少 な く な い が 、 そ の 内 容 に 触 れ た も の は 、 ﹁ 仏 経 を 講 演 し ( 47 ) て 四 恩 の 徳 を 報 ず る 表 白 ﹂ (略 称 ﹃ 四 恩 表 白 ﹄ ﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 八 と ﹃ 教 王 経 開 題 ﹄ ) と ﹁ 先 師 の 為 に 梵 網 経 を 講 釈 す る 表 白 ﹂ ( 略 称 ﹃梵 網 経 表 白 ﹂ ﹃性 霊 集 ﹂ 巻 八 ) の 二 種 の 表 白 文 の み で あ る 。 こ の 二 種 の 表 白 文 は 内 容 に お い て 相 似 し た 点 が 少 な く な い の で 、 ご く 近 い 時 期 に 書 か れ た も の で は な い か と 考 え ら れ る 。 そ こ に は 、 父 母 、 国 王 、 衆 生 、 三 宝 の 四 が 四 恩 と し て 紹 介 さ れ 、 内 容 に つ い て も 説 明 が 加 え ら れ て い る 。 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 四 恩 説 と 比 べ て 、 並 列 の 順 序 で 、 衆 生 と 国 王 の 間 に 相 違 が あ る が 、 名 称 は 同 一 で あ る 。 た だ ﹃ 心 地 観 経 ﹄ で は 、 四 恩 そ れ ぞ れ の 内 容 に つ い て 詳 し く 解 説 し て い る に 比 し て 、 大 師 の 表 白 文 に お い て 、 い ず

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れ も 父 母 、 国 王 、 衆 生 に つ い て は 説 明 が ご く 簡 単 で 、 三 宝 の 徳 に つ い て の 叙 述 が 主 に な っ て い る 。 中 で も 先 師 の た め 講 讃 の 表 白 で あ る ﹃ 梵 網 経 表 白 ﹄ は 、 ( 48 ) ﹁ 現 前 師 僧 の 徳 は 四 恩 の 中 に 尤 も 高 く 尤 も 深 し 。 ﹂ と 云 い 切 っ て 、 四 恩 の 中 で も 三 宝 、 ま た そ の 中 で も 現 前 師 僧 の 功 を 讃 嘆 す る 文 が 大 部 分 を 占 め て い る 。 こ の 表 白 に お い て 、 四 恩 は 主 題 で は な く 、 単 に 師 の 徳 を 引 き 出 す 導 入 文 の よ う な 地 位 に 置 か れ て い る 。 弘 法 大 師 の 生 涯 と 思 想 の 中 で 、 四 恩 説 が 大 き な 位 置 を 占 め る こ と を 指 摘 し 、 戦 後 ま も な く そ の 研 究 に 着 手 し た の は 、 ( 49 ) 中 野 義 照 先 生 で あ る 。 そ れ か ら ほ ぼ 半 世 紀 、 そ の 後 の 四 恩 説 の 研 究 は 、 ほ ぼ こ の 業 績 を 踏 ま え て 進 め ら れ て き た と い っ て よ い 。 し か し そ の 後 、 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ と 弘 法 大 師 の 四 恩 説 の 関 係 に つ い て は 、 さ ら に 新 し い 見 解 が 提 出 さ れ る に い た っ た 。 こ こ で 問 題 と な る の は 、 大 師 が い つ ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 四 恩 説 を 知 り え た か と い う こ と で あ る 。 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ は 大 師 の ﹃ 御 請 来 目 録 ﹄ に も 見 当 ら な け れ ば 、 弘 仁 十 四 年 ( 八 二 三 ) の ﹃ 三 学 録 ﹄ に も そ の 名 が 存 在 し な い 。 石 山 寺 所 蔵 の ﹃ 心 地 観 経 ﹄ 第 一 の 奥 書 き に よ れ ば 、 こ の 経 典 は 般 若 が 梵 文 を 宣 し 、 日 本 か ら の 留 学 僧 霊 仙 が 筆 受 、 ( 50 ) 訳 語 し 、 元 和 六 年 ( 八 二 ) 三 月 八 日 に 完 成 し た と い う 。 こ の 経 典 が 日 本 に 伝 来 し た 時 期 の 認 定 は 、 安 然 の ﹃ 八 家 秘 録 ﹄ に 、 そ の 記 録 が 宗 叡 の 録 に あ り と い う 記 述 に 基 い て い た 。 宗 叡 の 将 来 が ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 日 本 初 伝 で あ れ ば 、 当 然 、 大 師 は こ の ﹃ 心 地 観 経 ﹄ を 見 る こ と は で き な か っ た 。 し か し 大 師 の 表 白 文 の 二 種 に 、 四 恩 説 が 具 体 的 に 述 べ ら れ て い る 。 そ の 矛 盾 を 解 決 す る た め に 、 中 野 先 生 は 一 つ の 仮 説 を 立 て た 。 す な わ ち 、 大 師 は 入 唐 中 に 、 般 若 に 親 近 し 、 そ の 教 え を 受 け た こ と は 明 ら か で あ る か ら 、 そ の 際 、 ま だ 翻 訳 四 恩 説 の 再 検 討

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密 教 文 化 さ れ て は い な か っ た が 、 そ の 梵 本 を 所 持 し て い た 般 若 の 口 か ら 、 四 恩 説 に つ い て 教 示 を 得 た と い う の で あ る 。 ( 51 ) ( 52 ) そ れ に 対 し て 、 内 藤 龍 雄 氏 は ﹃ 心 地 観 経 ﹄ を 天 長 二 年 ( 八 二 五 ) 頃 の 将 来 と み る 説 を 立 て た 。 た し か に 貞 観 四 年 ( 八 六 二 ) 十 月 七 日 、 伴 善 男 の 奏 言 の 中 に 、 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ 所 説 の 四 恩 の 名 称 が 出 て く る 。 こ の 点 に お い て 、 宗 叡 以 前 に こ の 経 典 が 伝 来 し て い た こ と は 間 違 い な い 。 そ こ で つ ぎ に 円 仁 の ﹃ 入 唐 巡 礼 行 記 ﹄ の 検 討 に 入 る 。 そ の 第 三 巻 に は 、 渤 海 国 僧 の 貞 素 が 大 和 二 年 す な わ ち 天 長 五 ( 53 ) 年 ( 八 二 八 ) 四 月 十 四 日 に 書 し た ﹁ 日 本 国 内 供 奉 大 徳 霊 仙 和 尚 を 実 す る 詩 並 び に 序 ﹂ が 収 め ら れ て い る 。 そ こ に は ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 翻 訳 者 で あ る 霊 仙 が 長 慶 五 年 (八 二 五 ) 日 本 国 王 か ら 百 金 を 賜 っ た 返 礼 に 、 金 利 一 万 粒 、 新 経 両 部 、 造 ( 54 ) 勅 五 通 等 を 貞 素 に 託 し た と 記 さ れ て い る 。 一 方 、 ﹃ 霊 仙 仏 三 蔵 行 歴 考 ﹄ に よ れ ば 、 天 長 二 年 十 二 月 に 渤 海 王 が 霊 仙 の 託 す る 表 物 を 転 送 し た こ と が 記 さ れ て い る 。 お そ ら く こ の 時 、 霊 仙 が 貞 素 に 依 託 し て 日 本 に と ど け さ せ た 新 経 両 部 が 自 ら が 訳 し た ﹃ 心 地 観 経 ﹂ と ﹃ 摂 真 実 経 ﹄ で は な か っ た か と 想 定 さ れ る 。 そ の 時 、 こ の 経 典 を 、 大 師 が 見 た と い う こ と は あ り 得 る 。 ﹃ 梵 網 経 表 白 ﹄ が 、 天 長 五 年 四 月 十 三 日 の 日 付 で あ る こ と も 、 こ の 推 定 を 裏 付 け る も の で あ ろ う 。 ( 55 ) 以 上 の よ う な 研 究 成 果 を 踏 ま え て 、 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 天 長 将 来 説 は 、 多 く の 学 者 に 承 認 さ れ る こ と と な っ た 。 た だ 中 野 先 生 は ﹃ 性 霊 集 ﹄ に 収 め ら れ て い る い く つ か の 表 白 、 表 な ど の 内 容 が 、 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ を 予 想 せ ね ば 書 か れ な い で あ ろ う と 疑 問 を 呈 す る 。 だ が こ れ ら の 中 に は 天 長 二 年 以 降 の も の 、 あ る い は ﹃ 心 地 観 経 ﹄ に 限 ら れ ず 、 他 の 経 典 の 中 に 典 拠 を 求 め う る も の も あ る 。 し た が っ て か な ら ず し も こ れ ら に よ っ て 、 大 師 が 天 長 以 降 に ﹃ 心 地 観 経 ﹄ を 初 め て 見 る 機 会 を 得 た と い う 説 を 否 定 す る こ と は で き な い 。 と は い え 、 ﹃ 紀 伊 国 伊 都 郡 高 野 峯 に 入 定 の 処 を 請 し 乞 わ る る 表 ﹄ (﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 九 ) の 中 に あ る

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( 56 ) ﹁ 経 の 中 に 誠 あ り 。 山 河 池 水 は 悉 く こ れ 国 主 の 有 な り 。 ﹂ の 文 は 、 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ 巻 二 報 恩 品 二 の ( 57 ) ﹁ こ の 国 界 山 河 大 地 よ り 大 海 際 を 尽 く す ま で 国 王 に 属 せ り 。 ﹂ の 思 想 を 受 け て 書 い た と い う 見 解 に つ い て は 、 一 考 の 余 地 が 残 さ れ て い る 。 こ の ﹁ 山 河 池 水 は 悉 く 国 主 の 有 な り 。 若 し 比 丘 、 他 の 許 さ ざ る 物 を 受 用 す れ ば 盗 罪 を 犯 す 。 ﹂ と い う 引 用 文 の 典 拠 に つ い て 、 筆 者 は ま だ 所 在 を 確 認 し て い な い 。 こ の 表 の 末 尾 に は 、 弘 仁 七 年 ( 八 一 六 ) 六 月 十 九 日 の 日 付 が あ る 。 も し こ の 文 が 通 説 の よ う に 、 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ か ら の 引 用 で あ る と す れ ば 、 前 述 の よ う な こ の 経 典 の 天 長 の は じ め の 初 伝 説 は 成 り 立 た な い 。 こ の 問 題 を 解 決 す る に つ い て 、 つ ぎ の よ う な い く つ か の 仮 説 が 考 え ら れ る で あ ろ う 。 ま ず 、 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ が 八 二 年 に 訳 了 さ れ た こ と は 確 か で あ る 。 し た が っ て 翻 訳 後 、 ほ ど な く 日 本 に 将 来 さ れ て 、 大 師 が そ れ を 見 る 機 会 を 得 た と の 仮 定 で あ る 。 た だ 八 二 年 か ら 八 一 五 年 に か け て の 間 に 、 こ の 経 典 が 中 国 よ り も た ら さ れ た と い う 記 事 を 伝 え る 文 献 は 見 当 ら な い 。 ま た 遣 唐 使 の 船 が こ の 間 に 帰 国 し た と い う 記 録 も な い 。 も し こ の 間 に な ん ら か の 形 で 、 こ の 経 典 が 日 本 に 将 来 さ れ た と す れ ば 、 天 長 に な っ て 翻 訳 者 の 霊 仙 が 朝 廷 に 対 す る 返 礼 と し て 、 こ の 経 典 を わ ざ わ ざ 献 上 す る 必 要 は な か っ た で あ ろ う 。 第 一 の 仮 説 の 可 能 性 は ほ と ん ど な い 。 第 二 に 、 ﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 九 の 中 の こ の 表 が 弘 仁 七 年 以 降 に 書 か れ た か 、 あ る い は 後 に 補 筆 さ れ た と の 仮 定 で あ る 。 ﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 八 ・ 九 ・ 十 の 三 巻 は 、 散 侠 し て い た 文 を 後 に 集 成 し た も の で あ る か ら 、 大 師 の 真 作 か 否 か 一 応 検 討 し て み る 必 要 が あ る 。 四 恩 説 の 再 検 討

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密 教 文 化 こ の よ う な 目 で 見 る と 、 ﹁ 経 の 中 に 誠 あ り 。 ( 中 略 ) 盗 罪 を 犯 す 者 。 加 以 ﹂ の 文 は 、 こ こ で か な ら ず し も 必 要 な 引 用 文 で は な い と も い え る 。 確 実 な 証 拠 が あ る わ け で は な い が 、 以 上 こ の 文 を 後 世 、 増 補 し た 可 能 性 が 、 あ る 程 度 の 確 率 と と も に 残 さ れ て い る 。 第 三 に 、 現 存 の 大 蔵 経 の 中 に は 、 該 当 個 所 が 見 当 た ら な い が 、 大 師 の 時 代 に は 、 そ れ を 説 く 経 典 が 存 在 し た と す る 見 か た が あ る 。 こ の 経 典 か ら の 引 用 と さ れ る 後 半 部 の ﹁ 比 丘 の 盗 罪 云 々 ﹂ の 文 が ﹃ 心 地 観 経 ﹄ に も 見 出 せ な い か ら 、 か な ら ず し も 全 体 が ﹃ 心 地 観 経 ﹄ か ら の 引 用 文 で あ る と は 断 定 し え な い 。 ま た ﹁ 比 丘 の 盗 罪 云 々 ﹂ の 個 所 は 、 大 師 の 加 筆 と も 考 え ら れ る 。 徹 底 的 に 、 経 や 律 の 中 に 、 そ の 典 拠 を 探 す 必 要 が あ ろ う が 、 ﹁ 国 土 は 悉 く 国 主 の 所 有 ﹂ と い う 特 異 な 思 想 が 、 仏 教 の 経 律 の 典 籍 に 存 在 す る 可 能 性 は 、 そ れ ほ ど 高 く な い と 考 え ら れ る 。 第 四 に 考 え ら れ る の は 、 前 述 の 中 野 説 の 部 分 的 な 適 用 で あ る 。 さ き に も 記 し た よ う に 、 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 初 伝 は 天 長 の 初 年 で 、 大 師 が こ の 時 、 初 め て そ の 内 容 に 接 し た と い う 見 解 に つ い て は ほ と ん ど 疑 う 余 地 は な い 。 大 師 が ﹃ 心 地 観 経 ﹄ に 説 か れ る 四 恩 説 を 知 っ た の は 、 早 く と も こ の 時 期 で あ る 。 な ぜ な ら ば 、 そ の 直 後 に 書 か れ た 内 容 に 近 似 性 が 認 め ら れ る 二 種 の 表 白 文 、 す な わ ち ﹃ 四 恩 表 白 ﹄ と ﹃ 梵 網 経 表 白 ﹄ の 中 だ け に 、 こ の 四 恩 説 が 紹 介 さ れ て い る に す ぎ な い 点 が 挙 げ ら れ る 。 さ ら に 他 の 個 所 で は 、 大 師 が 従 前 の 四 恩 説 に 従 っ て い る 点 に つ い て は 、 後 節 の 論 述 に ゆ ず る 。 も っ と も こ の ﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 九 に 収 め ら れ た 二 種 の 表 白 文 は 、 大 師 の ﹃ 開 題 ﹄ 類 と の 内 容 関 係 か ら 、 弘 法 大 師 以 後 の ( 58 ) 成 立 で は な い か と の 疑 問 も 提 出 さ れ て い る 。 ﹃ 性 霊 集 ﹄ の 巻 八 は 補 欠 砂 の 一 で あ り 、 あ る 部 分 は 後 世 の 増 補 で あ る 疑 い が 完 全 に 払 拭 さ れ て い る わ け で は な い か ら 、 そ の 可 能 性 も 捨 て 切 れ な い 。 い ず れ に し て も 、 通 常 い わ れ る よ う な 国 王 、 三 宝 を 含 む 四 恩 説 を 、 大 師 が 帰 朝 時 か ら 持 っ て い た と は 考 え ら れ な い 。

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以 上 の 点 か ら 見 て 、 大 師 が 在 唐 中 、 般 若 三 蔵 か ら ﹃ 心 地 観 経 ﹄ に 説 か れ て い る よ う な 四 恩 説 に つ い て は ま だ 聞 い て い な か っ た と 思 わ れ る 。 一 方 、 般 若 訳 の ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 四 恩 の く わ し い 説 明 の 個 所 は 、 サ ン ス ク リ ッ ト 原 典 も 、 チ ベ ッ ト 訳 も 存 在 せ ず 、 訳 者 の 大 幅 な 加 筆 あ る い は 創 作 と 見 倣 さ れ て い る 。 般 若 自 身 、 唐 代 の 社 会 事 情 か ら 考 え て 、 国 王 を 特 別 視 す る 思 想 を 持 っ て い た こ と は 疑 い え な い 。 こ の よ う な 点 か ら お そ ら く 大 師 は 在 唐 中 に 、 般 若 か ら 、 山 河 池 水 は 悉 く 国 王 に 属 す と い う 考 え を 耳 に し て い た こ と が 予 想 さ れ る 。 ﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 九 の 上 表 文 に ﹁ 経 の 中 に 誠 あ り ﹂ と 具 体 的 な 経 典 名 を 挙 げ ず 、 ﹁ 誠 あ り ﹂ と し た 点 、 あ る い は 後 半 の ﹁ 比 丘 の 盗 罪 云 々 ﹂ の 文 が ﹃ 心 地 観 経 ﹄ に も 見 出 し え な い 点 な ど が そ の 情 況 証 拠 と な ろ う 。 つ ま り こ の 個 所 は 、 当 時 存 在 し た い ず れ か の 経 典 か ら の 引 用 と い う よ り も 、 師 の 口 説 を 経 説 に 読 み か え た と い う 可 能 性 も 考 え ら れ る の で あ る 。 四 弘 法 大 師 の 四 恩 弘 法 大 師 の 著 作 中 に 、 四 恩 と い う 言 葉 は し ば し ば 現 れ る 。 し か し そ の 内 容 を 明 ら か に し た も の は 、 先 述 の ﹃ 梵 網 経 表 白 ﹄ と ﹃ 四 恩 表 白 ﹄ の 二 種 に す ぎ な い o 内 容 の 明 確 な 二 種 の 文 を 含 め 、 大 師 の 著 作 中 に 、 四 恩 の 語 を 見 出 し う る の ( 59 ) は 二 十 四 の 文 を 数 え る こ と が で き る 。 四 恩 に つ い て 内 容 不 詳 の 二 十 二 種 は す べ て ﹃ 心 地 観 経 ﹄ 系 の 四 恩 で は な い 。 そ の 上 、 ﹃ 四 恩 表 白 ﹄ の よ う に 、 四 恩 の 内 容 に つ い て 具 体 的 に 明 か す 文 の 中 で も 、 ( 60 ) ﹁ 風 か に 聞 く 。 三 世 の 如 来 、 十 万 の 菩 薩 は 四 恩 の 得 を 報 じ て 悉 く 菩 薩 を 証 す 。 是 の 故 に 四 恩 の 奉 為 に 、 敬 て 某 甲 の 四 恩 説 の 再 検 討

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密 教 文 化 仏 等 を 造 り 云 々 。 ﹂ と 、 不 詳 の 四 恩 の 用 法 に 従 う も の を 含 ん だ 文 も あ る 。 ﹁ 四 恩 の (奉 ) 為 に ﹂ 、 ﹁ 四 恩 を 報 ず ﹂ 、 ﹁ 四 の 広 徳 を 報 ず ﹂ 、 ﹁ 四 恩 ( の 広 徳 ) を 報 じ 奉 る ﹂ と い っ た 表 現 は 、 こ の 他 に も 、 つ ぎ の よ う な 文 の 中 に 見 出 す こ と が で き る 。 す な わ ち ﹁ 為 知 識 華 厳 会 願 文 ﹂ 、 ﹁ 奉 為 四 恩 図 二 部 大 曼 茶 羅 ⋮ ⋮ 願 文 ﹂ (以 上 ﹃ 性 霊 集 ﹂ 巻 七 ) ﹁ 招 提 寺 達 嘲 文 ﹂ 、 ﹁ 有 人 為 亡 親 修 法 事 願 文 ﹂ 、 ﹁高 野 山 万 燈 会 願 文 ﹂ ( 以 上 ﹃ 性 霊 集 ﹂ 巻 八 ) 、 ﹁ 高 野 寺 鐘 知 識 文 ﹂ 、 ﹁ 高 野 建 立 壇 場 結 界 啓 白 文 ﹂ ( 以 上 ﹃性 霊 集 ﹄ 巻 九 ) 、 ﹁綜 芸 種 智 院 式 # 序 ﹂ ( 以 上 ﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 十 ) 、 ﹃ 秘 蔵 宝 鍮 ﹄ 巻 中 ( 第 四 往 心 の 十 四 問 答 ) な ど が そ れ に 当 る 。 こ れ ら の 用 例 は 、 上 代 か ら 奈 良 時 代 お よ び 平 安 初 期 の 文 献 と 銘 に 現 れ る 四 恩 と い う 言 葉 の 一 般 的 な 使 わ れ か た と 異 な る も の で は な い 。 さ ら に ま た 大 師 の 文 中 に は 、 ﹁ 四 恩 を 洗 瀞 せ ん ﹂ 、 ﹁ 四 恩 を 沃 が ん ﹂ 、 ﹁ 四 恩 を 栩 け 奉 り ﹂ 、 ﹁ 四 恩 を 抜 済 せ ん ﹂ と い う 表 現 も 見 出 さ れ る 。 ﹁ 為 式 部 笠 丞 願 文 ﹂ ( ﹃ 性 霊 集 ﹂ 巻 六 ) 、 ﹁ 菅 平 章 奉 為 四 恩 造 功 徳 願 文 ﹂ ( ﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 七 ) 、 ﹁ 招 提 寺 燵 襯 文 ﹂ 、 ﹁ 勧 進 奉 造 仏 塔 知 識 書 ﹂ ( 以 上 ﹃性 霊 集 ﹄ 巻 八 ) 、 ﹃ 理 趣 経 開 題 ﹄ 、 ﹃ 弘 仁 の 遺 識 ﹄ な ど が そ の 例 で あ る 。 四 恩 を 洗 灘 し 、 抜 済 す る 対 象 と す る 見 解 と ﹃ 心 地 観 経 ﹄ 所 説 の 四 恩 と は 両 立 す る も の で は な い 。 父 母 、 国 王 、 衆 生 は 抜 済 の 対 象 と は な り え て も 、 三 宝 が 救 済 さ れ る 必 要 は な い か ら で あ る 。 と く に ﹃ 平 城 天 皇 潅 頂 文 ﹄ ( ﹃ 一二 昧 耶 戒 序 ﹄ ) に は ( 61 ) ﹁ 三 世 を 達 観 す る に 、 皆 是 れ 我 が 四 恩 な り 。 四 恩 皆 三 悪 趣 に 堕 し て 無 量 の 苦 を 受 く 。 吾 は 是 れ 彼 の 子 、 亦 彼 の 資 な り 。 我 に 非 ざ れ ば 誰 か よ く 抜 済 せ ん 。 是 の 故 に 大 慈 大 悲 の 心 を 発 す べ し 。 ﹂ と あ る 。 ﹁ 四 恩 み な 三 悪 趣 に 堕 し 、 無 量 の 苦 を 受 く ﹂ つ ま り 四 恩 は 輪 廻 す る 当 体 で あ る か ら 、 も と よ り 三 宝 を そ の 中

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に 含 む も の で は な い 。 こ れ ら に よ っ て 大 師 の 文 章 の 中 に は 輪 廻 す る 四 恩 と 、 四 種 の 恩 人 を さ す ﹃ 心 地 観 経 ﹄ 所 説 の 四 恩 と の 二 種 の 性 格 の 違 っ た 四 恩 説 が あ る こ と を 認 め ざ る を え な い 。 ま た 大 師 の 文 中 に は 、 コ 切 衆 生 す べ て 四 恩 な り ﹂ の 表 現 と そ れ に 似 た 文 が い く つ か あ る 。 す な わ ち ﹁ 藤 大 使 為 亡 児 設 斎 願 文 ﹂ (﹃ 性 雲 集 ﹄ 巻 六 ) 、 ﹁ 為 葛 摂 津 参 軍 設 先 考 忌 斎 願 文 ﹂ (﹃ 性 雲 集 ﹄ 巻 七 ) 、 ﹁ 藤 左 近 将 監 為 先 批 設 三 七 斎 願 文 ﹂ 、 ﹁ 高 野 山 万 灯 会 願 文 ﹂ ( 以 上 ﹃ 性 雲 集 ﹄ 巻 八 ) 、 ﹃ 平 城 天 皇 潅 頂 文 ﹄ 、 ﹃ 大 日 経 開 題 ﹄ (隆 崇 頂 不 見 本 ) 、 ﹃ 十 往 心 論 ﹄ 巻 一 な ど で あ る 。 こ れ ら の 例 文 は 、 一 切 衆 生 は 四 恩 で あ る 。 あ る い は 衆 生 を 己 身 お よ び 四 恩 と 見 よ 、 と い う 趣 旨 の 文 で あ る 。 こ の 場 合 の 四 恩 は 、 三 宝 を 含 む 四 恩 で な い こ と は 前 述 の 通 り で あ る 。 し か し こ れ ら の 用 例 を 子 細 に 検 討 し 、 そ れ ぞ れ の 文 章 に 含 ま れ て い る 意 図 を 推 察 す れ ば 、 こ れ ら の 四 恩 の 語 は 、 父 母 あ る い は そ れ に 師 を 加 え る 場 合 も あ る と 見 て よ い 。 ま た 前 述 の ﹃ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹄ の 中 に ﹁ ま た 三 世 を 達 観 す る に み な こ れ 我 が 四 恩 な り 、 四 恩 み な 三 悪 趣 に 堕 し て 無 量 の 苦 を 受 く 。 吾 は こ れ 彼 の 子 な り 。 ま た 彼 が 資 な り 。 ﹂ の 、 ﹁ 吾 は こ れ 彼 の 子 な り 。 ま た 彼 が 資 な り 。 ﹂ と い う 表 現 は 、 こ の 場 合 の 四 恩 が 両 親 と 師 を 意 味 す る こ と を 物 語 っ て い る 。 以 上 に よ っ て 前 述 の 推 古 三 十 六 年 の ﹃ 造 像 記 ﹄ に あ る ﹁ 七 世 四 恩 、 六 道 四 生 ﹂ の 用 例 、 あ る い は 上 代 か ら 奈 良 時 代 に か け て の ﹁ 七 世 父 母 、 六 親 春 属 、 法 界 衆 生 ﹂ 等 の 表 現 を も つ 文 献 と 同 じ 系 列 の 中 で 、 大 師 は 四 恩 と い う 語 を 用 い て い る と 見 て よ い で あ ろ う 。 ﹃ 葛 木 忌 斎 願 文 ﹄ に 、 ﹁ 十 世 の 四 恩 ﹂ と 記 さ れ て い る こ と も 、 ﹁ 七 世 四 恩 ﹂ と の 関 連 性 を 想 四 恩 説 の 再 検 討

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密 教 文 化 定 さ せ る も の で あ る 。 あ る い は ま た ﹁ 有 人 為 先 師 修 法 事 願 文 ﹂ (以 上 ﹃ 性 雲 集 ﹄ 巻 八 ) に は 、 四 恩 と い う 言 葉 は 存 在 し な い が 、 ﹁ 二 親 の 恩 、 厳 君 の 恩 、 大 師 の 恩 ﹂ の 三 種 の 恩 が 掲 げ ら れ て い る 。 も ち ろ ん こ の 願 文 は 師 の 徳 を 賛 え る 目 的 を も つ た め 、 師 の 恩 に つ い て の 叙 述 が 主 と な っ て い る 。 し か し 弘 法 大 師 が こ の 文 中 で 恩 を 説 く の に 、 親 の 恩 と 君 の 徳 を 簡 単 で あ っ て も 触 れ て い る こ と は 、 大 師 の 恩 に 対 す る 視 点 が 伺 え て 面 白 い 。 五 ま と め 四 恩 説 に つ い て は 現 在 ま で 、 有 益 な 研 究 が 数 多 く 発 表 さ れ 、 筆 者 は そ れ ら か ら 大 い な る 稗 益 を 受 け て き た 。 と は い え 最 近 、 先 学 の 研 究 の 跡 を た ど る に つ れ て 、 い く つ か の 疑 念 が 生 じ て き た こ と も 事 実 で あ る 。 そ の 最 大 の 理 由 は 、 従 来 の 四 恩 説 の 研 究 が 、 少 な か ら ず ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 四 恩 説 に 密 着 し 過 ぎ て い た 点 に あ る 。 四 恩 説 を 研 究 す る の は 日 本 の 研 究 者 で あ る か ら 、 四 恩 、 空 海 、 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 三 者 を 結 び 付 け る の は 当 然 の こ と か も 知 れ な い 。 中 国 の 漢 代 か ら 唐 代 ま で の 文 献 を 検 索 す る に も 、 日 本 の 奈 良 、 平 安 の 資 料 を 取 り 扱 う 時 も 、 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 四 恩 説 を 頭 に 置 き 、 そ れ に 基 い て 論 じ よ う と す る 傾 向 が 強 い の も や む を え な い こ と と い え よ う 。 し か し 三 度 、 四 恩 を ﹃ 心 地 観 経 ﹄ と 結 び つ け る 固 定 観 念 か ら 脱 し て 考 察 を 進 め る と 、 従 来 の 定 説 と は い さ さ か 違 っ た 流 れ が 存 在 す る こ と に 気 が つ く 。 四 恩 説 の 主 流 は 中 国 で も 日 本 で も 、 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 四 恩 で は な く 、 前 述 の 四 恩 説 の 六 種 の 分 類 の 中 で は 、 3 に あ た る 内 容 不 明 の 四 恩 説 で あ っ た 。

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1 の 四 摂 事 に あ た る 古 い 訳 語 の 四 恩 は こ こ で は 除 外 し て 考 え よ う 。 ま ず イ ン ド で も 中 国 で も 、 人 倫 に あ っ て 恩 は 重 要 な 意 味 を も つ 。 六 世 紀 初 頭 に 漢 訳 さ れ た ﹃ 正 法 念 処 経 ﹄ で は 、 母 、 父 、 如 来 、 説 法 法 師 の 四 種 が 報 恩 の 対 象 と な っ て い る 。 こ れ ら 四 種 の 恩 人 は 、 日 常 生 活 の 中 で 、 説 法 を 聞 く 功 徳 を 自 分 に も た ら し て く れ る も の と し て 謝 恩 の 意 が 表 さ れ て い る 。 こ の 中 で 両 親 に 対 す る 報 恩 は 、 両 親 を 仏 道 に 向 わ せ る こ と で あ り 、 如 来 と 法 師 に 対 す る 報 恩 は 、 自 ら が 仏 の 教 え に 従 い 、 功 徳 を 積 む こ と と さ れ る 点 は 、 イ ン ド 仏 教 の 影 響 が 残 っ て い る 。 六 世 紀 こ ろ か ら 中 国 社 会 で は 、 四 恩 に 報 謝 す る 思 想 が 、 文 献 や 碑 文 に 現 れ る 。 た だ し そ の 内 容 に つ い て 具 体 的 に 報 告 し た 事 例 を 見 出 す こ と は で き な い 。 た だ 、 そ れ ら の 使 用 例 か ら 考 え る と 、 お そ ら く 四 恩 と い う 言 葉 を 使 用 す る 者 も 、 明 確 に 四 種 の 対 象 を も つ 恩 人 と い う 意 識 を も た ず 、 と き に は 漠 然 と 、 父 母 、 師 あ る い は 場 合 に よ っ て は 、 友 人 、 親 族 、 衆 生 の 意 を こ の 言 葉 の 中 に 込 め て 用 い た の で は な い か と 考 え ら れ る 。 日 本 で も 上 代 か ら 、 平 安 初 期 に い た る ま で 、 四 恩 と い う 言 葉 は 、 中 国 に お け る こ の よ う な 伝 統 的 な 思 想 を 継 承 し て 使 用 さ れ て い た と 見 て よ い で あ ろ う 。 一 方 、 九 世 紀 の 唐 代 に な る と 、 四 恩 説 は 大 き な 転 換 点 を 迎 え る 。 般 若 は 、 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 中 で 、 四 恩 と い う 言 葉 を 用 い て 、 父 母 、 衆 生 、 国 王 、 三 宝 の 恩 を そ れ ぞ れ 詳 細 に 説 明 し て い る 。 こ れ ら 両 経 の 当 該 個 所 は 、 サ ン ス ク リ ッ ト 原 典 と チ ベ ッ ト 訳 が 存 在 し な い と こ ろ か ら 、 お そ ら く イ ン ド 起 源 で は な く 、 中 国 社 会 の 情 勢 が 、 翻 訳 に 反 映 さ れ た と 見 て よ い 。 弘 法 大 師 は 、 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ 所 説 の 四 恩 説 を 二 度 、 文 中 に 用 い て い る が 、 そ れ を 知 っ た の は 天 長 二 年 以 降 で あ る 。 そ れ 以 前 か ら 大 師 は 四 恩 と い う 言 葉 を 再 三 に わ た っ て 使 っ て い る け れ ど も 、 そ の 用 例 は 日 本 に お い て 古 来 か ら の 考 え か た に 添 っ て い る こ と が 判 明 し た 。 天 長 二 年 以 降 、 前 述 の 二 種 以 外 の 文 献 に 現 れ る 大 師 の 四 恩 説 も 、 依 然 と し て 従 来 の 四 恩 説 の 再 検 討

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密 教 文 化 説 の 継 承 で あ る 。 ま た 四 恩 の 名 を 具 体 的 に 説 く 大 師 の 二 種 の 文 の 中 で 、 ﹃ 梵 網 経 表 白 ﹄ で は 、 四 恩 が そ の う ち の 三 宝 の ま た そ の 一 つ の 師 僧 の 恩 の 高 き を 説 く 文 の 導 入 部 と し て 用 い ら れ て い る に 過 ぎ な い 。 も う 一 つ の ﹃ 四 恩 徳 表 白 ﹄ で は 、 四 恩 の 具 体 的 な 説 明 の 後 に 、 そ れ と は 違 っ た 従 来 の 四 恩 説 の 用 例 を 入 れ こ ん で い る 。 以 上 の 点 か ら 考 え る と 、 天 長 二 年 以 降 、 大 師 は ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 四 恩 の 思 想 を 知 っ た 。 し か し そ れ 以 後 も 依 然 と し て 日 本 古 来 の 四 恩 思 想 を 持 ち 続 け て い た と 見 て よ い で あ ろ う 。 大 師 の 書 い た 文 の 中 に 、 四 恩 の 語 は 頻 出 す る 。 ま た ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 四 恩 説 は 、 国 王 を そ の 中 に 含 あ る な ど き わ め て 特 異 な 説 で あ る こ と と 、 大 師 が ﹃ 心 地 観 経 ﹄ の 四 恩 説 を 日 本 に 初 め て 紹 介 し た と さ れ る こ と な ど に よ っ て 、 従 来 四 恩 ( 62 ) 説 は 大 師 独 特 の 思 想 の よ う に 考 え ら れ て き た 。 確 か に 大 師 の 中 に は 、 仏 道 を 行 ず る こ と に よ っ て 国 家 の 恩 を 報 ず る と い う 思 想 が あ る 。 ﹃ 秘 蔵 宝 鎗 ﹄ 巻 中 に お け る ( 63 ) ﹁ 経 を 読 み 、 仏 を 礼 し て は 国 家 の 恩 を 報 じ 、 観 念 坐 禅 し て は 四 恩 の 徳 に 答 う 。 ﹂ と あ る よ う に 、 仏 教 の 修 行 は 、 国 家 の 恩 と 四 恩 に た い す る 報 謝 と み る 。 た し か に 国 家 に 対 す る 報 恩 行 と し て 仏 道 を 位 置 づ け る 考 え は 大 師 の 創 見 と い っ て よ い で あ ろ う 。 だ が 前 掲 の 文 に も 明 ら か な よ う に 、 同 時 に そ れ は 父 母 や 師 、 さ ら に は 一 切 衆 生 に そ の 恩 恵 を も た ら す 修 行 で も あ っ た 。 ﹃ 性 雲 集 ﹂ に 収 め ら れ て い る 各 種 の 文 の 中 に は 、 造 像 、 写 経 、 講 経 な ど 仏 道 を 行 じ た 功 徳 を 、 鳥 、 獣 、 魚 、 虫 、 花 や 木 な ど 生 き と し 生 け る も の す べ て の 成 仏 の た め に 廻 向 し よ う と い う 願 い が き わ め て 多 い の で あ る 。

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大 師 の 国 家 へ の 視 点 が 特 異 で 、 従 来 日 本 の 社 会 の 中 で そ の 例 を 見 な か っ た た め に 、 そ れ に 対 し て 過 度 の 重 心 を か け 国 家 の 恩 を 含 む ﹃ 心 地 観 経 ﹄ 所 説 の 四 恩 説 を 大 師 独 特 の 四 恩 説 で あ る と 短 絡 さ せ 、 そ の 行 動 を 一 方 的 に 判 断 す る 愚 を わ れ わ れ は 犯 し て は な ら な い 。 四 恩 説 の 再 検 討 を 通 じ て 、 大 師 の 四 恩 に 関 す る 思 想 が 中 国 で は 唐 代 、 日 本 で は 上 代 か ら の 伝 統 的 と い っ て よ い 父 母 な ど 身 近 な 存 在 か ら 一 切 衆 生 に い た る ま で に 対 す る 報 恩 思 想 に 従 っ て い る こ と が 明 瞭 に ( 64 ) な っ た 。 生 類 全 般 に い た る ま で 救 済 し 、 成 仏 に 向 か わ せ よ う と 願 う 大 師 の 思 想 に つ い て は 、 昨 年 発 表 し た 拙 稿 を あ わ せ 参 照 し て い た だ け れ ば 幸 い で あ る 。 注 (1 ) 四 恩 説 の 類 型 を 五 種 に 分 け た の は 、 岡 部 和 雄 ﹁ 四 恩 説 の 成 立 ﹂ (﹃ 仏 教 思 想 4 恩 ﹄ 平 楽 寺 書 店 昭 和 五 四 年 一 八 四 -一 八 五 頁 ) で あ る 。 筆 者 は ﹃ 摂 真 実 経 ﹂ と ﹃心 地 観 経 ﹄ の 四 恩 説 は 異 質 と 考 え て い る た め 、 般 若 訳 と し て 一 括 す る こ と な く 、 そ れ ぞ れ の 四 恩 説 を 別 立 し 、 合 計 で 六 種 に 分 類 し た 。 ( 2 ) 佐 々 木 憲 徳 ﹁仏 教 の 恩 思 想 を 究 め て 浄 土 門 の そ れ に 及 ぶ ﹂ ( ﹃梅 原 勧 学 古 稀 記 念 論 文 集 顕 真 学 苑 論 集 ﹄ 四 七 号 昭 和 三 〇 年 十 一 月 ) が 、 こ れ に つ い て 論 じ た 最 初 の 論 文 で あ る が 、 さ ら に 多 く の 訳 語 例 を 挙 げ た の は 、 壬 生 台 舜 ﹁仏 教 に お け る 恩 の 語 義 ﹂ ( ﹃仏 教 の 倫 理 思 想 と そ の 展 開 ﹄ 所 収 大 蔵 出 版 昭 和 五 〇 年 三 月 三 一 九 ー 三 一 二 頁 ) で あ る 。 ( 3 ) 大 正 蔵 一 七 巻 三 五 九 頁 中 。 チ ベ ッ ト 訳 東 北No 287 ( 4 )Saddharmsamya の サ ン ス ク リ ッ ト 本 はS Levi が ネ パ ー ル で 発 見 し 、 そ れ に つ い て 林 黎 光 の 研 究 が あ り 、 わ が 国 で は 山 田 龍 城 、 木 村 秀 雄 、 水 野 弘 元 、 大 地 原 豊 、 中 谷 英 明 各 氏 の 紹 介 が あ る 。 ま たSiksasamuaccaya に も ﹃ 正 法 念 処 経 ﹂ の 一 部 の 引 用 が 存 在 す る 。 ( 5 ) 漢 訳 仏 典 で も 、 後 世 に な る と 、 父 、 母 の 順 に 翻 訳 し て い る 。 母 系 制 社 会 を 主 と す る イ ン ド と 、 家 父 長 的 な 中 国 社 会 の 家 族 関 係 が 、 翻 訳 の 上 に も 反 映 し た と い わ れ て い る 。 ( 6 ) 中 村 元 ﹁ 恩 の 思 想 ﹂ (﹃ 仏 教 思 想 4 恩 ﹄ 四 六 頁 ) 。 松 長 有 慶 ﹁空 海 に み る 忠 と 考 ﹂ (﹃ 印 仏 研 ﹄ 四 三 -二 平 成 七 年 三 月 ) 七 六 -八 二 頁 。 ( 7 ) 大 正 蔵 二 四 巻 九 〇 二 頁 下 -九 〇 三 頁 上 。 四 恩 説 の 再 検 討

(24)

密 教 文 化 ( 8 ) 内 藤 龍 雄 ﹁ わ が 国 古 代 文 献 に お け る 四 恩 に つ い て ﹂ (﹃ 印 仏 研 ﹂ 三 -二 、 昭 和 三 〇 年 三 月 三 六 二 頁 ) 。 ( 9 ) 内 藤 龍 雄 ﹁ 再 び 四 恩 に つ い て ﹂ (﹃ 印 仏 研 ﹂ 九 -一 、 昭 和 三 六 年 一 月 二 二 四 頁 ) 。 た だ し こ の ﹁ 四 恩 ﹂ を 内 藤 氏 は 四 摂 事 の 意 味 に 理 解 し て い る が 、 そ れ に つ い て は 、 岡 部 和 雄 氏 (前 掲 論 文 一 八 七 頁 ) の 反 論 が あ る 。 ( 10 ) 大 正 蔵 五 二 巻 一 四 三 頁 中 。 ( 11 ) 同 一 五 八 頁 下 。 ( 12 ) 同 四 七 七 頁 中 。 ( 13 ) 同 四 七 巻 四 三 八 頁 上 中 。 ( 14 ) 水 野 清 一 ・ 長 広 敏 雄 ﹃龍 門 石 窟 の 研 究 ﹂ ( 東 方 文 化 研 究 所 報 告 第 十 六 冊 昭 和 一 六 年 八 月 ) 二 四 三 -二 六 三 頁 。 ( 15 ) 岡 部 和 雄 前 掲 論 文 一 八 ○ 頁 。 ( 16 ) 大 正 蔵 一 八 巻 二 八 ○ 頁 上 。 ( 17 ) 同 二 八 四 頁 中 。 ( 18 ) 諸 研 究 者 の う ち 、 こ の 点 に 気 付 い て い た の は 、 壬 生 台 舜 博 士 ( 前 掲 書 三 四 二 頁 ) で あ る 。 ( 19 ) 大 正 蔵 一 九 巻 二 五 二 頁 上 。 ( 20 ) 同 一 九 巻 二 五 〇 頁 下 。 ( 21 ) 大 正 蔵 五 五 巻 八 九 三 頁 上 。 ( 22 ) 頼 富 本 宏 ﹁ 般 若 訳 諸 経 典 中 の 四 恩 ﹂ ( ﹃中 国 密 教 の 研 究 ﹂ 所 収 大 東 出 版 社 、 昭 和 五 四 年 十 一 月 九 八 頁 ) 。 ( 23 ) 大 正 蔵 三 巻 二 九 七 頁 上 。 ( 24 ) 卍 続 蔵 二 -一 六 -一 。 ( 25 ) 岡 部 利 雄 前 掲 論 文 一 八 七 頁 参 照 。 ( 26 ) こ の 点 を 最 初 に 指 摘 し た の は 、 内 藤 龍 雄 ﹁ わ が 国 古 代 文 献 に お け る 四 恩 に つ い て ﹂ ( ﹃ 印 仏 研 ﹂ 三 -二 、 一 六 二 頁 ) で あ る 。 (27 ) 竹 内 理 三 編 ﹃ 寧 楽 遺 文 ﹂ 下 巻 ( 昭 和 五 一 年 十 月 訂 正 四 版 ) 九 六 二 頁 下 。 ( 28 ) 同 九 六 三 頁 下 。 ( 29 ) 勝 又 俊 教 ﹁ 四 恩 思 想 の 諸 形 態 ﹂ ( ﹃ 豊 山 教 学 大 会 記 要 ﹂ 創 刊 号 昭 和 四 六 年 六 月 、 ﹃ 弘 法 大 師 の 思 想 と そ の 源 流 ﹄ 山 喜 房 、 昭 和 五 六 年 三 月 に 再 録 、 二 一二 八 頁 ) に こ れ ら の 文 献 の 所 在 が 示 さ れ て い る 。 ( 30 ) ﹃ 寧 楽 遺 文 ﹂ 中 巻 (昭 和 五 一 年 訂 正 四 版 ) 六 一 二 頁 上 。 ( 31 ) 同 六 三 七 頁 下 。 ( 32 ) 同 六 二 〇 頁 下 。 ( 33 ) 同 下 巻 九 六 九 頁 上 。 ( 34 ) 同 中 巻 六 一 八 頁 上 。 ( 35 ) 同 六 二 五 頁 上 。 ( 36 ) 同 六 二 四 頁 上 。 ( 37 ) 同 六 二 三 頁 下 。 ( 38 ) 壬 生 前 掲 書 三 四 四 頁 。 ( 39 ) ﹃伝 教 大 師 全 集 ﹂ 第 五 付 録 。 (世 界 聖 典 刊 行 会 昭 和 五 〇 年 四 月 復 刊 本 三 頁 ) 。

(25)

( 40 ) ﹃ 日 本 霊 異 記 ﹄ (﹃ 日 本 古 典 文 学 大 系 ﹄ 70 岩 波 書 店 ) 一 五 五 頁 。 ( 41 ) ﹃ 東 大 寺 要 録 ﹄ 巻 八 (﹃ 続 々 群 書 類 従 ﹄ 第 十 一 所 収 国 書 刊 行 会 明 治 四 〇 年 二 月 一 五 〇 頁 ) 。 ( 42 ) 中 田 祝 夫 ﹃ 東 大 寺 颯 調 文 稿 の 国 語 学 的 研 究 ﹂ ( 風 間 書 房 昭 和 五 四 年 九 月 再 版 本 ) 一 九 九 頁 。 ( 43 ) 同 二 九 頁 。 ( 44 ) 同 一 二 一 -一 二 二 頁 。 ( 45 ) 同 一 二 四 頁 。 ( 46 ) ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 第 三 輯 (密 教 文 化 研 究 所 昭 和 五 三 年 二 月 復 刊 版 ) 五 〇 五-五 〇 八 頁 。 第 一 輯 七 二 二 一 七 一 五 頁 。 ( 47 ) 同 第 三 輯 五 〇 八 i 五 二 頁 。 ( 48 ) 同 五 〇 九 頁 。 ( 49 ) 中 野 義 照 ﹁ 弘 法 大 師 の 恩 と 救 と に 関 す る 思 想 ﹂ ( ﹃密 教 文 化 ﹂ 五 ・ 六 合 併 号 昭 和 二 四 年 三 月 ) 一 -二 頁 。 ( 50 ) 大 正 蔵 五 五 巻 一 二 六 頁 上 。 ﹃ 諸 阿 閣 梨 真 言 密 教 部 類 総 録 ﹂ 巻 上 。 (51 ) 内 藤 龍 雄 ﹁ わ が 国 古 代 文 献 に お け る 四 恩 に つ い て ﹂ ( ﹃ 印 仏 研 ﹄ 三 -二 、 一 六 三 頁 ) 。 ( 52 ) ﹃ 三 代 実 録 ﹄ (﹃ 増 補 六 国 史 ﹄ 昭 和 五 七 年 一 〇 月 復 刻 版 ) 。 ( 53 ) ﹃ 続 日 本 後 紀 ﹄ 十 一 (﹃ 国 史 大 系 ﹂ 本 一 二 九 頁 ) 。 ( 54 ) ﹃ 大 日 本 仏 教 全 書 ﹄ 一 二 二 ﹁ 遊 方 伝 叢 書 ﹂ 一 ( 名 著 普 及 会 、 昭 和 五 九 年 七 月 復 刻 第 二 刷 一 五 五 頁 ) 。 ( 55 ) 中 野 義 照 ﹃ 密 教 の 信 仰 と 倫 理 ﹄ (教 育 新 潮 社 昭 和 四 五 年 九 月 ) 四 二 ー 四 七 頁 。 ( 56 ) ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 第 三 輯 五 二 四 頁 。 (57 ) 大 正 蔵 三 巻 二 九 七 頁 下 。 (58 ) 向 井 隆 健 ﹁ 弘 法 大 師 と ﹃ 心 地 観 経 ﹄ ﹂ ( ﹁豊 山 教 学 大 会 紀 要 ﹂ 第 一 七 号 、 平 成 六 年 一 一 月 二 三 頁 ) 。 ( 59 ) 大 師 の 著 作 中 に 存 在 す る 四 恩 の 語 の あ る 文 を 採 集 し て そ れ ら に 分 析 を 加 え た の は 勝 又 俊 教 博 士 で あ る 。 ( ﹃ 弘 法 大 師 の 思 想 と そ の 源 流 ﹂ 二 二 四 -二 三 九 頁 。 ) そ こ で は 二 六 か 所 の 文 が 挙 げ ら れ て い る が 、 そ の 中 、 ﹃ 秘 蔵 記 ﹄ と 、 ﹃ 承 和 の 遺 誠 ﹄ つ ま り ﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 九 所 収 の ﹃ 高 雄 山 に 三 綱 を 択 び 任 ず る 書 ﹄ の 後 半 部 分 を 、 筆 者 は 大 師 の 眞 撰 と は 見 な い の で 、 合 計 二 四 の 文 を 数 え る 。 ( 60 ) ﹁弘 法 大 師 全 集 ﹂ 第 三 輯 五 〇 八 頁 。 ( 61 ) 同 第 二 輯 二 二 四 頁 、 一 六 七 頁 。 ( 62 ) こ の よ う な 意 味 に お い て 、 法 隆 寺 の ﹃ 金 銅 釈 迦 三 尊 光 背 銘 ﹄ に 記 さ れ た よ う な 四 恩 の 思 想 を 、 空 海 が 仏 教 実 践 の 中 心 に 導 き 入 れ た と す る 説 (早 坂 博 ﹁平 安 時 代 に お け る 四 恩 思 想 に つ い て ﹂ 宗 教 研 究 一 二 八 号 昭 和 四 九 年 三 月 、 一 四 〇 頁 ) な ど 多 く の 同 種 の 見 解 は 修 正 さ れ ね ば な ら な い 。 ( 63 ) ﹃ 定 本 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 第 三 巻 (密 教 文 化 研 究 所 平 成 六 年 三 月 ) 二 二 五 頁 。 四 恩 説 の 再 検 討

(26)

密 教 文 化 ( 64 ) 松 長 有 慶 ﹁空 海 に み る 生 と 死 ﹂ ( ﹃印 仏 研 ﹄ 四 二 -一 、 平 成 五 年 十 二 月 一 -十 一 頁 ) 。 本 論 文 を 作 製 す る に あ た っ て ﹁東 大 寺 謁 諦 文 稿 ﹂ に つ い て は 、 本 学 の 和 多 秀 乗 教 授 の 、 ﹃ 正 法 念 処 経 ﹄ の サ ン ス ク リ ッ ト 文 に つ い て は 、 同 じ く 生 井 智 紹 教 授 の ご 教 示 を い た だ き 恐 孚 楽 遣 文 ﹂ よ り 四 恩 の 語 を 採 録 す る に 当 た っ て は 、 平 成 五 年 度 の 本 学 卒 業 生 小 川 隆 寛 君 の 協 力 を 得 た 。 各 位 に 厚 く お 礼 申 し 上 げ る 。 ︿ キ ー ワ ー ド ﹀ 四 恩 、 空 海 、 ﹃ 心 地 観 経 ﹄ 、 父 母 、 国 王 、 生 類 全 体 。

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