万葉集巻第一・二の和歌表記の漢字
石 井 久 雄
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問 題万葉集の和歌の表記における漢字の様相を,仮名主用表記巻について 万葉集における仮名と漢字(2013年,同志社国文学 78 pp.168-157)
同(2)(2014年,同志社国文学 80 pp.165-154)
で記し,また
万葉集巻第十九の和歌表記の漢字 (2015年,本誌 64 pp.1-23)
で記した。検討の方針を示した程度に過ぎないので,同じ対象でさらに続ける 必要がある。しかし,和訓主用表記巻における漢字を眺める必要もあり,ここ でまず巻第一・巻第二に触れる。
一字で一拍に対応するものを仮名と言うこととして,漢字と言うのは,仮名 を除くすべてである。巻第二175番歌
3175 夢<いメ>に谷<だに> 不見在<みざり>し物<もノ>を
欝悒<おほほしく> 宮出<みやで>も為<する>か さひノ隈廻<くまミ>を は,漢字として,正訓による「夢<いメ>」「宮出<みやで>」「為<する>」「隈廻
<くまミ>」,義訓による「欝悒<おほほしく>」,借訓による「谷<だに,助詞>」,
および漢文の語順の倒置「不見<みず>」を含む「不見在<みざり>」を,見せて いる。「在<助動詞>」「物<助詞>」も,正訓であろう。このような漢字の状態を 整理するための前提を,巻第一・巻第二について記す。
万 葉 集 は,漢 字 本 文・訓 み 下 し と も,澤 瀉 久 孝『萬 葉 集 注 釋』全20巻
(1957−1968年,中 央 公 論 社),お よ び そ の『本 文 篇』(1970年)・『索 引 篇』
(1977年)による。和歌は,詞書・左注などを含まないとともに,「一云」な
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どで示される異文等も含まない。歌番号を4桁で示して,第1桁を「1」巻第 一雑歌,「2」巻第二相聞,「3」巻第二挽歌の部立に当て,第2-4桁を旧国歌大 観番号に当てる。例えば,いま引用した短歌の「3175」の第1桁「3」は,巻 第二挽歌に所在することを示している。ピリオドを置いて句順を示すことがあ り,短歌のばあいにはハイフンを入れて.-1のように記す。
挙例に当たっては,仮名は平仮名で記す。ただし,乙類音に対応すると考え られるものは片仮名により,かつハ行・バ行エ列を「フ・ブ」と表し,なおヤ 行エ列を「ユ」と表す。清音・濁音への対応を,澤瀉に従って区別する。必要 に応じて,漢字の訓み,ないし仮名の原文や注記を,< > に括る。上の引用 もこの方針に従っている。
2
漢字の総量万葉集巻第一・巻第二の歌数は,句数とともに
雑歌 短歌 68首340句・長歌16首 386句・合計 84首 726句,
相聞 短歌 53首265句・長歌 3首 121句・合計 56首 386句,
挽歌 短歌 78首390句・長歌16首 689句・合計 94首1079句 であり,
全体として 短歌199首995句・長歌35首1196句・合計234首2191句 である。
この和歌を記す漢字を以下で取り上げる。
和歌を記した文字の数量は,次のようである。部立および短歌・長歌を横軸 とする。全体というのは,2巻を合算したものである。巻第三が雑歌・譬喩歌
・挽歌で構成され,巻四が相聞である,ということを顧みるならば,巻第一・
巻第二で万葉集の最小構成であると判断することができて,つまり当の2巻を まとめて扱うことは妥当である。
表の縦軸は,文字・漢字の異なり・延べ,文字延べに対する漢字延べの百分 率,漢字の平均出現頻度,漢字の最大頻度である。漢字の最大頻度を示すつい でに,出現頻度上位10位の頻度および漢字も示す。検算用の仮名の異なり・
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延べも添える。なお,本稿全体にわたって,数値の下位の示さないところは切 り捨てている。
この下半の排列は,左から右へ,部立を掲載順に置き,一つの部立のうちで 短歌・長歌としている。相聞が,分量が小さいためにか繋がらないが,この排 列によって,文字・漢字の下線部の数値が,小から大への順序で,左から右へ 万葉集巻第一・二の和歌表記の漢字 ― 3 ―
滑らかに並ぶことになっている。文字・漢字の異なり・延べ,文字延べに占め る漢字延べの比率,および漢字の平均出現頻度が,その数値である。短歌・長 歌を先にして横軸を作ると,数値の並びの滑らかさが得られない。つまり,部 立の特徴のほうが,短歌・長歌の違いより明瞭であるということである。
次に,漢字の一覧を掲げる。漢字一字ごとに,上の表の下半の順序で出現頻 度を示す。ただし,頻度0は空白とする。漢字の排列は,常用漢字表にあるも のをその掲載順序で挙げ,その後に,常用漢字表にないものを,ユニコードの 順序で挙げる。ユニコードも与えられていないものも,適宜置いてある。
一覧に示した漢字は,異体を整理しつつも,異体であるか判別できなかった ものがある。異体であろうと推測したものと,独立の漢字であろうと推測した ものとを,挙げる。○ は当の漢字である。
・ 第1ページ第3欄 叫 右が立刀である。
「敵<あた>見有<みたる> 虎か○吼<ほゆる>ト」(3199.50)
・ 第1ページ第5欄 咲 右が「笈」である。
「秋芽<あきはギ>ノ ○<さき>て散去<ちるぬる>」(2120.-4)
・ 第3ページ第3欄 ! 「垣」の右下「旦」が「血」である。
「鳥○<トくら>立<たて> 飼し雁ノ児」(3182.-1)
この漢字について,澤瀉注釈(巻第二 pp.314-315)に説明がある。 「垣」
の異体かとも感じられるが,しばらく別字とする。
・ 第3ページ第3欄 " 左が立心偏であり,右が「可」である。
「怜○<うまし>国<くに>ソ 蜻島<あきづしま>」(1002.11)
この「怜"」の語および漢字について,澤瀉注釈(巻第一 pp.48-49)に説 明がある。漢字「"」は「可」の異体としてもよさそうに感じられるが,しば らく別字とする。
・ 第3ページ第5欄 # 上が雨冠であり,下が「泳」である。
「泣<なく>涙<なみだ> ○霂<こさメ>に落<ふれば>」(3230.14)
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万葉集巻第一・二の和歌表記の漢字 ― 5 ―
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出現漢字一覧では,巻第一・巻第二の全体における出現頻度,つまり合計値 を示していない。次に,その合計値によって漢字を排列する。上位10字は,
部立別・長歌短歌別に文字・漢字の分量を示した表で紹介した。ここでは,最 下位まで示す。累積の状況も算出する。出現順位1位の漢字は,合計出現頻度 110で1字「有」であり,累積比率は20.86‰(=110/漢字延べ5271)であ る。4位は,合計出現頻度99で2字「山,不」であり,最上位からの5字の 累積比率は97.89‰(=(110+107+101+99×2)/5271)である。
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累積頻度は,上位75位までの80字で504.45‰に達し,239位までの273字 で813.50‰,330位までの408字で900.96‰となっている。漢字80字あるい は273字・408字というのは,漢字の異なり795字から見るならば,ほぼ1割
10% あるいは三分の一34%,半数51% である。どれほどの異なりでどれほど
の延べを賄うかという問題は,語彙の計量では解決すべき一つの課題であり,
漢字の計量でも課題でありうる。万葉集では,部立あるいは短歌・長歌の区別 とも絡めて見る必要があり,今後の検討に委ねる。
* 処理についての注記
最初に本稿の問題を設定して,仮名・漢字を簡潔に規定した。実際はそう簡 単にもゆかないので,詳細をここに記す。今後の処理のためにメモを残すとい うことでもある。その詳細な処理の結果が,上の表の数値である。方針を変更 すれば,当然に結果の数値も異なるものになる。
原文は,漢字が復原されていればよいものとする。例えば,次の下線部4字
「伎爾鶴之」は,澤瀉注釈が武田祐吉全註釈を是として復原したものであり,
その文字により,前後まで含めてその解釈による。
1067 旅にして 物恋<こほ>しきに<之伎爾>
鶴<たづ>が<之>鳴<ね>も 不所聞有<きコユざり>せば こヒて死まし 文字が判明していれば,訓みが不明となっている箇所も取り上げる。巻第一
・巻第二の範囲では,「石みノ海 打歌山<やま>ノ」(2139.2)の下線部2字,
および「三諸ノ 神ノ神すギ ヨソ耳<ノミ>矣 自得見監乍<みつつ>」(3156.2〜
3)の3字について,澤瀉は訓を与えることができないとしている。これらは,
いずれも漢字として,上の漢字一覧のうちにも算入している。
漢字であるか仮名であるかは,一字一音のもので特に問題になり,本稿の都 合で判定する。一方で,名詞「篭<こ>,菜<な>,児<こ>,名<な>」(1001),動 詞「見<み>,来<コ>」(1014)などは漢字とする。他方で,助詞「の<之>,が
<之>,ば<者>」(1003)「や」(1010)「ゆ<従>,て<而>,は<者>」(1029)な ど
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は,研究界での一般的な扱いかたに反するところもあるが,仮名とする。「不 落<おちず>」(1006.-3)「雖有<あれド>」(1029.19)「将通<かよはむ>」(1080.- 4)の「不,雖,将」などは,倒置をして漢文の色彩をもたせているので漢字 とし,「耳我<みみがノ>嶺に」(1025.-2)「日双斯<ひなみしノ>皇子<みこノ>命 ノ」(1049.-1)「木缶<キノフ>ノ宮を」(3196.44)「引出<ひきでノ>山<やまに>」
(3215.-2)は,本来から言えば仮名であるが,後続の助詞を吸収しているの で,漢字とする。
今回は,地名を表記した一音の一字を,積極的に仮名とする。「みわ<三輪>
ノ山,なら<奈良>ノ山」(1017),「なら<寧楽>」(1080),「かぐ<香具>山」(1002),
「コせ<巨勢>道<ぢ>」(1030),「うぢ<兎道>ノ宮<みや>こ」,「いせ<伊勢>処女等
<をトめドも>」(1081)などである。この措置は,漢字の特性に注目したいか らであるが,不徹底を多分に残さなかったかと畏れる。
3
漢字「有」「見」「吾」の様相出現頻度が最も大きい漢字「有」を取り上げて,全事例を見る。漢字の多く についてそれぞれの大要を見,全体を概観するのがよいとも考えるが,ここで は一字のみを取り上げ,それによって今後に備える。なお,脈絡も所在も省略 して,出現頻度2位「見」・3位「吾」の一覧を示す。
出現の状況を,漢字の用法および脈絡により,また部立・短歌長歌によって 分ける。斜体は合計値であり,( )内は部立・短歌長歌での順位である。た だし,こうした分類によって何か特徴を見出だすことができるか,予想できな い。活用形を抽象し,用法・脈絡も適宜まとめるので,見出しが分かり難くな る。後に事例を挙げ,その挙例では当の漢字を ○ に置き換える。「而○」た り のように,「 」に括って漢字連続を示し,仮名を添えるものは,漢字
○ 一字でその仮名のように訓むのでなく,漢字連続で仮名に対応するという ことである。
万葉集巻第一・二の和歌表記の漢字 ― 11 ―
この漢字「有」は,基本的に動詞「あり」と関係する。そのうちで,存在を 意味して独立に出現するものは,複合動詞として別に数えた「ありがよふ」を
含めても 16.36%(=(17+1)件/110件)であり,少なく感じられるが,動
詞「あり」の一般的傾向であるかもしれない。主語は,以下の例に見られるよ うに多様である。未然形が過半9件であり,次の短歌には2件が見える。3句 の主語は自分である。
3163.-3 神風ノ いせノ国にも ○益<あらまし>を 奈何<なにし>か来けむ
.-5 君<きみ>も不○<あらなく>に
他の未然形7件も挙げる。下の3件は,この3163.-5におけるように「不」の 倒置に関係する。
3221.-1 妻<つま>も○<あら>ば 採<つみ>てたゲまし
1018.-4 雲谷<くもだに>も 情<ココロ>○<あら>なも
2091.-5 家<いへ>も○猿<あらまし>を
1075.-5 妹<いも>も○勿<あらな>くに
3154.-5 君<きみ>も不○国<あらなくに>
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3164.-3 欲見<みまくほり> 吾<わが>為<する>君も 不○<あらなく>に
2135.14 さ宿<ねし>夜<よ>は 幾<いくだ>も不○<あらず>
連用形は4件あり,補助動詞や助動詞・助詞を伴う。
2094.-5 さ不寐<ねず>は遂に ○勝<ありかつ>ましじ
2119.-5 須臾<しましく>も 不通<ヨドむ>事無<なく> ○<あり>コせぬかも
3190.-3 真木柱 太<ふとき>心は ○<あり>しかド
3229.-1 難波方<なにはがた> 塩干<しほヒ>勿<な>○<あり>ソね
終止形・已然形がそれぞれ2件ある。終止形の第2件は,直前の句の末尾の 助詞「て」と結び付いて,別に分類する「(て)あり」の一つであるかもしれな い。已然形の第2件は,「雖」の倒置に関係する。
3207.37 遣悶<なぐさも>る 情<ココロ>も○<あり>やト
3224.-5 吾<わが>待<まつ>君は 石水<いしかは>ノ 貝に交<まじり>て
○<あり>ト不言八方<いはずやも>
1002.01 山<やま>ト庭<には> 村山<むらやま>○<あれ>ド
2093.-3 開<あケ>て行<いな>ば 君<きみが>名<な>は雖○<あれド>
複合動詞「ありがよふ」は,次である。
3145.-2 鳥翔成<あまがけり> ○<あり>がよひ管<つつ> 見らメドも
「(に)あり」「(て)あり」「(つつ)あり」とまとめたものは,動詞「あり」
が直前の助詞などとともに補助化しているように見られる。補助動詞化と関係 するか,理由は不明であるが,出現は次のように七音句に限られる。
2120.-2 吾妹児<わぎもこ>に 恋乍<こヒつつ>不○<あらず>は
.-5 秋芽<あきはギ>ノ 咲て散去<ちるぬる> 花に○猿<あらまし>を
「(に)あり」の「に」は,助詞のほかに助動詞「なり」・形容動詞語尾連用 形をも併せ,また「あり」との間に助詞「し,は,か」を介するものを含む。
そのうちで,次は「に」が助詞らしく,助詞であるならば,ここにまとめる意 図に反するが,「あり」は補助的であるよりは独立の動詞であり,上のほうに 算入するのが適当であることになる。しかも,次の最終の事例は,唯一の例外 万葉集巻第一・二の和歌表記の漢字 ― 13 ―
として五音句である。「に」を直前の漢字が吸収しているものが,最初の1件 および最後の3件のようにある。「雖」の関係する倒置3件がある。
3226.-4 吾<われ>此間<ココに>○<あり>ト 1035.-4 キ路<ぢ>に○<ありト>云<いふ>
1005.22 客<たび>にし○<あれ>ば 3142.-4 旅<たび>にし○<あれ>ば 3207.04 里<さと>にし○<あれ>ば
1036.06 沢<さは>に雖○<あれドも>
1029.18 夷<ひなに>は雖○<あれド>
1047.-2 荒野<あらのに>は雖○<あれド>
3142.-1 家<いへに>○<あれ>ば 笥に盛<もる>飯を
「に」が助動詞と見られるものとして,次の言わば対句があり,ともに助詞
「は」が入るとともに,「雖」に関係する倒置も含まれる。
3210.12 念有<おもへり>し 妹<いもに>は雖○<あれド>
.14 憑有<たノめり>し 児等<こら>には雖○<あれド>
次は,短歌一首のうちながら,名詞の漢字も,助詞「に」の吸収も,係助詞 も,述部も,述部における「有」も,対照的である。
2127.-2 遊士<みやビを>に 吾は○<あり>けり 屋戸<やど>不借<かさず>
.-5 令還<かへしし>吾<われ>ソ 風流士<みやビをに>は○<ある>
他に助動詞「に」としてよいものは,次であり,この第2件・第3件も,対照 的であると言いうる一対である。最後のものは,借訓「庭」によって助詞を記 している点で,上の 3210.12 が名詞「妹」に助詞「に」を吸収させているの と対照的である。
2120.-5 花<はな>に○猿<あらまし>を
3165.-2 うつソみノ 人<ひト>に○<ある>吾<われ>や
1032.-2 古<いにしへノ> 人<ひト>にわれ○<あれ>や
2102.-4 誰<たが>恋<こヒ>に○<あら>メ
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3213.14 妹庭<いもには>雖○<あれド>
「に」を形容動詞語尾としてよいのは次の3件である。この第2例・第3例 は,「有」の隣で,「な」の漢字・仮名の対比を見せつつ,ともに借訓「国<く に>」を見せている。その漢字「勿」は,仮名とするのが適当であるかもしれ ない。
3197.-5 ノドにか○<あら>まし
3232.-5 久<ひさ>に○勿国<あらなくに>
3234.-5 久<ひさ>に○<あら>な<名>国<くに>
「(て)あり」は,連用形2件,連体形・已然形各1件である。
3207.34 聞<きき>て○<あり>不得<えね>ば 3183.-4 念<おもひ>て○<あり>し
3199.58 著<つき>て○<ある>火<ヒ>ノ 1050.14 縁<ヨり>て○<あれ>コソ
「(つつ)あり」は,上の 2120.-2 におけるように,すべて短歌のうちに あり,また,次の最後の1件のほかは,「不」「将」の倒置に関係する。
2086.-2 恋乍<こヒつつ>不○<あらず>は
2115.-2 恋管<こヒつつ>不○<あらず>は
3223.-5 待乍<まちつつ>将○<あるらむ>
3227.-4 念乍<おもひつつ>○<あれ>ば
形容詞カリ活用語尾「かり」,形容詞連用形に後接する「あり」,副詞に後接 する「あり」は,次である。
3199.149玉手次<たまたすき> 懸て将偲<しのはむ> 恐○<かしこかれ>ドも
1021.-3 紫草<むらさき>ノ にほへる妹<いも>を にくく○<あら>ば
1052.36 雲居<くもゐ>にソ 遠<トほ>く○<あり>ける
2114.-5 君<きみ>に因<ヨり>なな 事痛<コちたく>○<あり>トも
1030.-3 楽浪<ささなみ>ノ しがノ辛碕 雖幸○<さきくあれド>
3141.-4 真幸<まさきく>○<あら>ば 亦還見む
万葉集巻第一・二の和歌表記の漢字 ― 15 ―
3199.95 万代<ヨロづヨ>に 然<しか>しも将○<あらむ>ト
「たり(助動詞完了)」は,「有」一字が助動詞に対応すると見られるもので ある。終止形4件・連体形6件である。脈絡の中略を …… とする。
1028.-4 白妙<しろたフ>ノ 衣<コロも>乾○<ほしたり>
2095.-2 吾<われ>はもや 安見児<やすみこ>得○<えたり>
3147.-5 大王ノ 御寿<みいノち>は長<なが>く 天足○<あまたらしたり>
2124.-5 君が見し髪 乱○<みだれたり>トも
3232.-3 コきだ雲<くも> 繁<しゲり>荒○<あれたる>か
1029.32 春草ノ 茂<しゲく>生○<おヒたる> …… 百礒城ノ 大宮処<ドコロ>
1033.-4 浦さビて 荒○<あれたる>京<みやこ>
1079.19 我<わが>宿○<ねたる> 衣<コロも>ノ上<うフ>ゆ
3199.49 敵<あた>見○<みたる> 虎<とら>か叫吼<ほゆる>ト
3199.53 指挙○<ささゲたる> 幡<はた>ノ靡<なびき>は
「なり(助動詞指定)」も,「有」一字が助動詞に対応すると見られる。
3150.08 玉○<たまなら>ば 手に巻持<まきもち>て
.10 衣○<きぬなら>ば 脱<ぬぐ>時も無<なく> 吾<わが>恋<こふる>
1023.-3 白水郎○<あまなれ>や いらごノしまノ
特に,場所の名詞に後接して存在を意味するものは,連体形でのみ出現する。
1073.-3 倭○<やまトなる> 吾<わを>松<まつ>椿<つばき>
2091.-3 山ト○<なる> 大島<おほしまノ>嶺<ね>に
2135.04 言<コト>さへく 辛<から>ノ埼○<さきなる> いくりにソ
3172.-2 島宮<しまノみや> 上<うフノ>池○<いケなる> 放鳥<はなちドり>
「り(助動詞)」は,漢字「有」が単独で対応するというよりは,前接する動 詞と「有」とが熟合してその全体に訓が対応するというようにも,見える。
3210.11 念○<おもへり>し 妹<いもに>は雖有<あれド>
.13 憑○<たノめり>し 児等<こら>には雖有<あれド>
3213.11 念○<おもへり>し 妹庭<いもには>雖在<あれド>
― 16 ― 万葉集巻第一・二の和歌表記の漢字
.13 恃○<たノめり>し 妹庭<いもには>雖有<あれド>
3206.-5 敷布<しくしく>に 常にト君が 所念○<おもほせり>ける
1052.18 春山<あをやま>ト しみさビ立○<たてり>
1052.30 宜<ヨロし>なフ 神<かむ>さビ立○<たてり>
2103.-2 吾<わが>里に 大雪<おほゆき>落○<ふれり>
3210.26 吾妹子<わぎもこ>が 形見に置○<おける> 若児<みドりこ>ノ
3213.26 吾妹子<わぎもこ>が 形見に置○<おける> 緑児<みドりこ>ノ
1005.20 大夫<ますらを>ト 念○<おもへる>我<われ>も
2135.36 大夫<ますらを>ト 念○<おもへる>吾<われ>も
3213.08 コちゴちに 枝<ユだ>刺○<させる>如<ゴト>
3144.-2 磐代<いはしろ>ノ 野中<のなか>に立○<たてる> 結松<むすびまつ>
3210.06 趨出<はしりで>ノ 堤<つつみ>に立○<たてる> 槻木<つキノキ>ノ
3223.-2 鴨山ノ 磐根<いはね>し巻○<まける> 吾<われ>を鴨<かも>
3146.-2 後<ノち>将見<みむ>ト 君が結○<むすべる> 磐代ノ 子松がうれを
3169.-2 茜刺<あかねさす> 日<ひ>は雖照○<てらせれド>
この事例の排列は,助動詞「り」の活用形による。前接する動詞を,「り」の 活用形とともに整理するならば,次のようである。
置く 2(連体) 念ふ 4(連用2・連体2) 念ほす 1(連用)
刺す 1(連体) 立つ 4(終止2・連体2) 憑む 2(連用)
照らす 1(已然) 降る 1(終止) 枕く 1(連体) 結ぶ 1(連体)
上に事例を並べて,210番歌と213番歌とで同文と言ってよさそうである箇 所に,下線を施した。漢字「有」で数えるならば,3対に及ぶ。213番歌の注 釈で,澤瀉は,210番歌の異伝であると言い(注釈巻第二 p.459),口訳も省 略している(同 p.460)。このようなばあいに,数値をどのように評価するか ということは,難しい問題であるが,そこに本文があるので,とりあえず,本 文のままに見ることとする。
以上のほかは,漢字「有」に音の対応を求めることができない。直前などの 万葉集巻第一・二の和歌表記の漢字 ― 17 ―
漢字と連鎖して一体化したものに,音ないし語の一体が対応する。
1038.11 畳○<たたなはる> 青垣山<あをがきやま>
2135.27 嬬隠○<つまゴもる> 屋上<やがみ>ノ山<やま>ノ
3196.49 然○鴨<しかれかも> 綾<あや>に憐<かなしみ>
これら3件は,音「る」ないし「れ」との対応を求めることができそうにも 見えるが,感覚的に落ち着かないところがある。
3151.-1 如是○<かからむ>ト 予<かねて>知<しり>せば
これは,漢字「有」が助動詞「む」を吸収していると見ることもできるが,
残りの漢字「如是」と音「かか」とを対応させることができない。「如是有」
が,語「かかり」に対応するとともに,助動詞を吸収している,と見るのが穏 当である。
「而有」は,完了の助動詞「たり」に対応し,熟合の元の接続助詞「て」を 示すが,同じ助動詞を「有」一字で示す10件に対して,1件にとどまる。
3230.29 手火<たビ>ノ光ソ 幾許<ココだ>照而○<てりたる>
「爾有」は,指定の助動詞「なり」に対応し,助動詞・助詞など「に」を示 す。同じ助動詞を「有」一字で示すのと同数で,7件が見られる。未然形2件・
連体形4件・已然形1件であり,連体形のうちの3件が存在の意味である。
1050.47 神随爾○<かむながらなら>し
1052.42 水<みづ>コソは 常爾○<トコしフなら>メ
1013.06 神代従<かミヨより> 如此爾○<かくなる>らし
2134.-1 石<いは>み爾○<なる> 高角山<たかつのやま>ノ
1068.-2 大伴<人名おほトも>ノ み津<つ>ノ浜爾○<はまなる>
.-4 忘貝<わすれがひ> 家爾○<いへなる>妹<いも>を 忘て念<おもフ>や
1013.07 古昔<いにしへ>も 然爾○<しかなれ>コソ
「不有」は,打ち消しの助動詞「ざり」に対応する。ただし,正しくは「不
▽有」とでも表示するのがよく,「▽」は動詞であって,動詞の打ち消し「不
▽」すなわち「▽ず」がまず成り立つ。その「不▽」に「有」が付いて,「▽
― 18 ― 万葉集巻第一・二の和歌表記の漢字
ずあり > ▽ざり」となる。そのように考えられる。「不有▽」ではない。出 現した8件のうちでは,次の第6例「不所聞有○<きコユざり>せば」の動詞部 分が,既に倒置「所聞<きコゆ>」を含んで複雑であるが,それで ▽ であると 考えれば,齟齬するところがない。
8件は,未然形2件・連用形4件・連体形2件であり,連用形はすべて助動 詞「き」が後接する。
2140.-5 吾<わが>不恋○<こヒざら>む
3173.-5 島<しまノ>御門<みかど>は 不荒○益<あれざらまし>を
1016.03 不喧○<なかざり>し 鳥も来<き>鳴<なき>ぬ
.05 不開○<さかざり>し 花もさけれド
3181.-4 今<いま>見<みれ>ば 不生○<おヒざり>し草<くさ>
1067.-4 鶴<たづ>が鳴<ね>も 不所聞○<きコユざり>せば
1073.-5 不吹○<ふかざる>勿<な>勤<ゆメ>
2102.-3 不成○<ならざる>は 誰<たが>恋<こヒ>に有<あら>メ
漢字「有」について,以上で全事例を見た。
類義の漢字「在」を見る。出現順位は全体で102位,挽歌長歌で48位である。
一覧表を作らず,直ちに事例を挙げる。
3166.-5 令視<みす>ブき君<きみ>が ○<あり>ト不言<いはなく>に
1052.11 埴安<はにやす>ノ 堤<つつみノ>上<うフ>に ○立<ありたた>し
2087.-1 ○管<ありつつ>も 君<きみ>をば将待<またむ>
3155.12 哭耳<ねノミ>を 泣乍<なきつつ>○<あり>てや
3207.18 隠耳<コもりノミ> 恋管<こヒつつ>○<ある>に
3196.62 遣悶<なぐさも>る 情<ココロ>も不○<あらず>
3213.12 念有<おもへり>し 妹庭<いもには>雖○<あれド>
次では,「あり」の初頭が直前の語と融合している。
万葉集巻第一・二の和歌表記の漢字 ― 19 ―
3167.42 春花<はるばな>ノ 貴○<たふとからむ>ト
1006.-4 家○<いへなる>妹<いも>を 懸<かケ>て小竹櫃<しのひつ>
3217.31 時不○<トきならず> 過去<すギにし>子等<こら>が
3175.-2 夢<いメ>に谷<だに> 不見○<みざり>し物<もノ>を
その他。
3167.57 御○<みあら>かを 高知座<たかしりまし>て
1062.-1 ○<あり>ね良<ヨし> 対馬ノ渡<わたり>
最後の事例を澤瀉は訳して「島山の目に立つ対馬の海路」とし,「あり」を
「目に立つ」と解釈することについて控えめに注釈している(注釈巻第二 p.390)。
次では,一覧の見出しの立てかたを変え,あまり抽象せずに原文の文字連鎖 を写す。「有」では原文を括った「 」を,外すこととする。
― 20 ― 万葉集巻第一・二の和歌表記の漢字
漢字「見」は,基本的に動詞「見る」と関係する。動詞「見る」で,下のほ うに連体形・依然形を集めてあり,「見れど」の一部を除いて靡きが漢字に吸 収されていることが知られる。複合動詞「振り放け見る」でも同様である。部 立や長歌・短歌の別によって左右されない,この動詞の表記の特徴である。
最後に挙げた「やすみこ」は人名であり,地名におけると同様に「見」を仮 名として処理すべきであった。いま都合によってこのままとし,ここまでに提 示した数値にも相応のずれが含まれているものと承知することとする。
万葉集巻第一・二の和歌表記の漢字 ― 21 ―
次は,出現順位3位「吾」と類義「我」とである。
漢字「吾」では名詞「われ」も出現し,連体詞「わが」主格・属格に近い頻 度であるが,漢字「我」では名詞「われ」が少ない。「我」の最下行のものは,
助詞を吸収しているので,仮名でなく漢字として取り上げている。
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終 わ り に正訓の尖端を垣間見たとも言い得ないところであるが,本稿はこれで閉じ る。
もともと,仮名に対してどのように漢字が入ったかという関心で,始めた。
妙な問題であると思われるであろうが,仮名を主軸にして古今和歌集から始め ると,そのような問題になる。漢字をほとんど交えなかったであろう表記様式 に対して,問題解決のためは,歴史を下ってゆくのが妥当であろう。
仮名を専らとする表記様式はどのように生まれたか,という問題も成り立 つ。歴史的な関係は明瞭でないが,少なくとも誕生の環境ないし背景として,
― 22 ― 万葉集巻第一・二の和歌表記の漢字
万葉集の仮名主用表記巻における漢字も顧みられてよいであろう。その検討の 端緒は,本稿の冒頭に触れた。仮名主用表記巻のやはり環境ないし背景とし て,和訓主用表記巻も見ておかなければならないであろう。その着手が本稿で ある。
古今和歌集を検討するには,翻刻は必須である。万葉集がもし行草書で記さ れていたならば,翻刻をするであろう。楷書であるが,古今和歌集と同様の方 針で翻刻してしまう,という方針を,万葉集を扱い始めてから採っている。歴 史に当代当代のたちばで向かうのが,王道であるとしても,意図的に現代の眼 で眺めることも許してほしいと願う。
万葉集巻第一・二の和歌表記の漢字 ― 23 ―