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玉葉和歌集における字余り句の性向

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Academic year: 2021

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(1)Title. 玉葉和歌集における字余り句の性向. Author(s). 鈴木, 淳一. Citation. 北海道學藝大學紀要. 第一部, 7(2): 73-82. Issue Date. 1956-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3619. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第7 巻 第 2 号. 2月 昭和31年1. 北海道学芸大学紀要 (第一部). 玉葉和歌集 における字余り句の性向 鈴. .. 木. 淳. 一. (北海道学芸大学旭川分校国文学研究室). f the hyper.netres lcies 。 Juni chi SUZUK工: Tendel ’ ‘G oku 6‐VVakashn’ in ‘ y y. 〔一〕 玉葉和歌集は風雅集とともに十三代集の中で京極派の和歌を代表する勅撰集であり、 二条派 に対抗した藤原為兼・永福門院らが歌壇に新風を送りこんだ異色ある勅撰集である。 その新風とい われるものは新古今の世界から発展した象徴性と加えて自然描写における透徹した写実 生に ある こ. とはつとに指摘せられる所であり、 かつその用語法の大胆にして実感を重ん じ、 万葉の姿を指向し た こ と は こ れま た す で に 述 べ ら れ て い る 点 で あ る。 しか しそ の特 質 と い われ る も の の 個 々 を易q決 し. てその実態を確実に把握することは今後に残された問題であろう。 そこでこの論では、 玉葉集に非 常に多いといわれる字余り歌の問題、 またそれに関連する声調の問題をいささか考えてみる ことに. した。 それにはこの論でなしたような統計的調査をさらに徹底的に押進め、 その結果結論が導き出. され る こと な の で あっ て、 こ こ で は ひ とつ の 見 通 しを 立て 得 る に と どま り、 また 音 韻 上 の 考 察 を 施. したことも、 音韻そのものに理解のゆきと どかない点 があるかと懸念している。 しかし文学と文学 を理解してゆく方途と しての語学を応用する方法、 換言すれば文学へ語学が参加する在り方はこの. ような点に求められるという事例にはなると思うのである。 〔二〕 玉葉集の字余り句 玉葉集の春上の部をみると (一) 字余り句の形態. (1) 今 日に あ げ て 昨 日 に似 ぬ は み な 人 の心 に 春 の た ち に け ら しな. 紀. (6) は る 霞 か す みな れ た る け しき か な む月 も あさ き日 数 と 思ふ に. 従三位為子. (20). 松 の 雪 き え ぬ や い づ こ 春 の 色に都 の 野 べ は かす み行 く 頃. (36). 年ふ れ どか は らぬ も の は 鴬 の 春 しり そ む る 声 に ぞ あ り け る. 定. 貫 之 家. ・ 中納言定頼 (番号は国歌大観番号). などの字余り歌がかなり見受けられ る。 大体字余り句の和歌における効果は、 その句の箇所だけ. が声調に渋滞を生じて、 歌の調子 がそれだけ重厚になり、 作者の詠まんとした意図が強くうち出さ れるようになる。 即ち和歌の発想内容がその作者にとって必然的なものであり、 五七音の定型に収. めきれない場合にのみ字余りとなるのである。 このことは歌の心と詞の両面について言い得 るので あって、 前掲の例歌中、 「声にぞありける」「日数と恩ふに」 の字余り句は、 表現したい心の衝動に 従っておのずからあらわれた現象である し、 「春の色に」 は表現しようとする心の結果というより. はむしろ詞そのも のの字余りと見なす方がよいであろう。 こうした例は、 「和歌の浦に」 「伊勢の 海の」 な ど古典和歌に多く教えられる。 しかし 「声にぞありける」 「日数と思ふに」 の如・ き字余句 も、 それが古典和歌において常套的な表現形式に化すると、 詞自体の字余りとなって、 「和歌の浦 に」 などの字余 りとはなはだ性質が似通ってくるのである。 字余りに関して藤原為家の 「詠歌一体」 に次のように述べている。 - 73 -.

(3) . 鈴. 木. 津. 「させる要 なくあま さでもやすくやりぬべからん所に、わざとたたみ入れてあますことはわろし。 いかにもあまさでかなふまじき時は、 あまりたるもききにくからぬはいくもじもくるしからず」. これは詞つゞきの優美さと確かさを希求した為家の言 (謙一) として、 さきにのべた字余りの効 用と照し合わすとき、 極めて穏当な意見として ・受けとることができる。 歴代勅撰集のうち 「あまさ でかなふまじき」 場合は幾多の字余り歌が見えるのは言うま でもない。 たゞ玉葉集に至る迄の字余. り歌は、 特に版上げて問題とするべきほ どのものではなかったのに対 して、 玉葉風雅二集になると それが目立って増加し、 その形態的特質とまでなるのである。 玉葉集についてみると、 一首中に二 句の字余りが入っているのもそうとうの数を占めている。 たとえば次の如き歌である。 (175). あ だ し 色に 猶 う と ま れ ぬ 桜 花 ま っ も 惜 しむ も 物 を こ そ 恩 へ. 中納言兼季. (209) 雲 に う つ る 日影 の 色も うす く な り ぬ 花 の 光 の 夕 ば え の 空. 藤原為顕. (259) 長閑なる入相の鐘はひびきくれて音せぬ風に 花ぞ散りける. 大納言経信. (292). 為. め ぐり 行 か{ば春 に は ま た も 逢 ふ と て も け ふ の 今 宵 は 後 に しも あら じ. 兼. これらを定型に従った歌とくらべてみるといち じる しく語調の流麗味を鉄くのは明白であろう。. 詞の使い ざまが執勘で歌わんとした対象を描きつくさずにはやまないはげLい意欲が強く感じられ る。 調和と安定を尚んだ二条派にとって、 これらの歌は、 その主張に相反する歌であったに相違な. い。 二条為世の 「和歌秘伝抄」 には次のようにいっている。 「歌のよわきとはいかが心得るべきにか、 心深く 詞よろしく姿うつくしく侍るをつよき歌とは申 せ、 万葉の声遠き詞、 凡俗の心よめるこそょはき歌とは恩ひ給ひ侍れ」 「八雲御抄には言はょきもあしきもなし、 ただつづけがなりと侍めり、 是叉金言なり」. 即ち詞姿と、 詞のっ ゞけ柄の優美 さを主張し、 京極派の歌にそれが欠如 しているのを暗に非難し こは京極派の歌に字余り句の多いことをも考えに入れて差支えないであ ている口吻である が、 これを ろ う。. 定家が撰した新勅撰頃まで字余り歌はかなり存在したのであったが、 続後撰集から続千載まで二 条派歌人によって撰述された勅撰集に関しては、 目立って減少して きているのである。 今、 十三代 集の字余り歌の割合を図に示すと次のように なる。 〔歌の本女と歌数は便宜上 国歌大観によったが大体の 傾向は察知せられると思う。〕. 図. 表 A. 111. 151. 1461. 21. 244 2201 2364 19 19 9 .. 2 10 .. 15. 2144 11 3 ,. これに よると玉葉風雅の二葉が極めて字余り比率が高く、 為世の撰もしくは為世が参画 した続 古. 今・続拾遺・新後撰・続千載集は対照的に字余り歌が少ないことが明瞭 であって、 京極派を代表す. る玉葉風雅と、 二条派直統の為世が主流になった勅撰集とは異った立場にあることがよく 汲みとれ るであろう。 定家の新勅撰には割合字余り歌が多かったが、 為世の時代になって次第 に減少してき たのは、 歌の表現の形式が一層固定したためであろうと思われる。 歌集の主要なる部立は大体にお いて四季と恋と雑であり、 この三部立の歌が一番多いのは各勅撰集共通の事柄である。 それでこの. 部立に即して字余り歌の分布状態を検してみよう。 〔続拾遺と新後拾遺は 「雑春」 と 「雑秋」 の部立があるが性格が両方にとれるので今の場合何れ も 含 め な かっ た。〕 - 74 -.

(4) . 玉葉和歌集における字余り句の性向 図. 表 B. 勅 撰 集 名. 後 新 後 新勅撰1続後撰 続古今 続拾・遺 新後撰 玉 葉 続千載 続 遺 風 雅 新千載 新拾遺 差 遣 四 四季 拾 四 季恋 恋雑 恋雑 恋雑 季 恋雑 恋雑 恋雑 四 恋雑 四 恋雑 恋雑 四 恋難 恋雑 季. 雌 塁 掌. 葵当買零. の. 発雪琶亘. モ究. 掌. 喜 蔓八蓋 曇零喜八三蕃秦璽曇墨 ▲憂ニ 亘衰 雪喜。 撃 ; ; 三 六 芸三 三 ・3 、一当会三 ・、袋 ・ 三 ・ 雪ヨ ・公さ 、 芸当 一. 八. ミ. … I. ニ 署 .聖 受 コ 五 異八 ハ i九 誓8 R 八。 「. 受 モ登憂国′、美. 掌. 金署基. 挙 掌恋. 七ノ、 男 塁 憂 麦一 蚕美ー隻壷一 四 曇 , … 二 ・3 ・ 琶さ,… 副誉八i l奇警 ・八≦当 三 ≦≦三 気. この図表では玉葉風雅が 「恋」 「難」 に特に字余り歌が多く、 玉葉 「恋」 は二九・二%、 「難」 が一七・九%、 風雅集の 「恋」 が二八・八%、 「難」 が一八・八%に達している。 この前後の勅撰 集において特に高率を示しているのは注意をひくところである。 何故 「恋」 「難」 に字余りが多いかは、 玉葉風雅の性格から由来することでなければならない。 「恋」 「雑」 は四季歌に対し、 先ず心情をのべるのが本体である。 ことに玉葉風雅の恋歌は心理的. .この際注意 しなければならぬ。(謎二) に克明で、 物語的な要素を含むといわれているのは、 1 28 6 ) 人 ま も と め 書く と しも な き 玉 章 を 涙 な が ら ぞお しつつ みぬ る ( 伏見院御製 (1442) きぬぎぬに別れかねつるやすらひに あげ過ぎぬべき帰るさの道 (1507) 恩 ひ 出 づ る こ と は う つ つ か お ぼ つ か な見 は て で さめ し 明 暮 の 夢. 従三位為子 二条院宜旨. な どはその背後に平安朝的な物語の世界が存在することを暗示する。 物語的性格は玉葉風雅に始 まったのでなく、 新古今の時代から既に内蔵しておったのであった。 この意味で玉葉風雅の恋歌は 新古今の系譜をそのまま引続いでいるのである。 物語的であることは、 王朝時代の生活に密着して. いなければならない。 場面を祐御させるために玉葉では、 いきおい写実的手法に訴え、 心の陰影を 見 落 さ な いよ う に な る の で あ る。 (註三). 次 の よ う な 歌 は 新 古 今 の 世 界 に な か った も の で あ る。. (1633) 憂 き 中 の な さ け 待 ち み る 玉 づ さょ さ す が 通 ふ も あ はれ い つ ま で. 従三位隆博. (1801). 従三位為子. 変 る上 の な げ の 情 は よ しや 聞 か じ 更 に心 の 乱 る る も う し. 古代物語的背 景への感情移入、 そういう姿で玉葉風雅の恋歌は詠まれているのである。 それだけ に象徴的な深みと拡が りを持つといってよいであろう。 (1342) 風の音の聞えて過 ぐる夕ぐれに舵びつつあれ ど問ふ人も なし(玉葉) 伏見院御製 (1343) 夕暮はかならず人をこひなれて日もかたぶけばすでに悲しき(玉葉). 遊義門 院. (1084). 二条院讃岐. み る め こ そ 入 りぬ る 磯 の 草 な ら め袖 さ へ波 の 下 に 朽 ち ぬ る(新古今). (1098) 人もまだふみみぬ山の岩がくれ流るる水を袖にせくかな(新古今). 信. 農. (662). 期. 恒. 冬 の 池 に す む に ほ ど りの つ れ も な く そ こ に通 ふ と人 に 知 な す な(古今). (714) 秋風に山の木の葉のうつろへば人のこころもいかがとぞ思ふ(古今). 素性法師. こうして三集の恋歌を並べてみると、 玉葉の恋歌は心情が直線的に綴られ、 縁語や懸詞を用いず 個々の相に即した具体的描写をして、 いかにも近代的感覚と響を有している。 こういう写実的な描. 写法は、 形態の上では表現の完全性を求めて字余りを生ずる可能性を想像してよいであろう。 表現の完全性と表裏することは、 心情の自由な表現、 即ち定型に拘束されず、 心に描くものを自 由卒直にのびのびと詠みたいという欲求であって、 前掲の. (1286)、 (1507) の 「人 ま も と め」 「おも ひ い づ る」 は この歌 で外 に 表 現 しよ う の な い 部 分 で あ る。 (2318) け ふ はい か に 涙 ふ りに し宮う ちも 更に時 雨 れ て 袖 ぬ ら す らむ 従 三位為信. 2 33 6 ) 岩屋戸にたてる松の木なれをみれば昔の人に逢ひ見るがごと ( の よ う な 雑の 歌に つ い て も略 々 同様 の こ と が い え る。. - 75 -.

(5) . 木. 鈴. 淳. 要するに、 「恋」 「雑」 に字余りが多いのは、 以上のべたような完全な自由な表現を求めたから に外ならないのであって、 新古今の時ン代の西行・慈円等の歌と深い関係をもっていると思われる。 西行・慈円の歌においては、 字余り歌がわりあいと多く (証四) 新古今集にあっては、 後鳥羽院と 共に、定家・雅経たちに見える繊麗工織な歌と対立して、直線的な真情 流露の歌が多いのであった。 . 次いで玉葉集に収載歌多い歌人の字余り歌を表にすると次の如くなる。 .〔歌人個々の総歌数は谷亮平氏の調査に従っている。 〕 (註プリ 図. 表 C. 後為 飛藤花 為 隆 常部 貫 人 崩 後伏 為 和泉式 親 基 慈 宗尊 伏 藤 実 為 藤 西 藤 永福門 見. 盤 井実. 原為家 原 俊 院兼 兼 子 成行. 原定家. 院. 氏子 忠鎮. 原 鳥羽 鳥井 園 見 計 雅 為相 院 世 博 之 暦 恒 院院氏 有. 親王. 9269626159565249373430302426222525191616 16 16141211 9 882 , 33 13 1221loil 418 12 6 5 6 4 6 2 7 7 6 3 3 3 2 2 3 i l 201. この結果は字余り歌の総歌数との比率 が二二・九%であり、 玉葉全体に対する字余り比率 一 九. 七%よりも約三%多くなる。 即ち収載歌い歌人の方に字余りが多くあることになるが、 中で玉葉集. の代表歌人、 伏見院 ・為子--為兼の姉とする説に従う (譲七) --永福門院・為兼に多く、 それ に西園寺実兼を加えた比率を 出してみると、 歌数三〇一首、 字余り歌数九六首で、 三一・八%の高 率にのぼることがわかるのである。 故に玉葉集の字余りは、 まず玉葉の中枢歌人から多く詠まれた の で あ る。. 叉一首のうち、 第何句目に字余り句が多いかを検するとおよそ次の如くになる。. 図. 表 D 〔玉葉四季についての結果〕. 句切\季 \. 第一句 第二句 第三句. 春. 上. 春. 夏. 下. 秋. 上. 下. 秋. 冬. 計. 5. 17. 12. 9. 12. 11. 0. 2. i. 5. 3. 3. 14. 4. 7. 6. 12. lo. 9. 48. 第 四 句. 0. 0. 2. 2. 2. 3. 9. 第五句. 14. 8. 4. 9. io. 5. 50. Bの. (十2). (十2). るもの2句. 同. 右. (十2). 66. (十1). 同右一首 1 』 穣 署2 187. ー80. この表は四季だけについてみたのであるが、 第一句目の字余りは六六句あり、 第五句目の字余り が五〇句あって、 概して初句と結句に多いということになる。 この傾向はおそらく玉葉全体を通 し. ていえる現 象であろう。 歌において初句字余りが最も多いのは、 外の集にはない 玉葉の声調の特質 である。 一体初句から字余り句を用いるのは、 上句が重くなって、 歌一首を非常に不安定なものに し、 しかもその字余りが伝承的に固定した詞でない場合は、 (例えば 「めぐり逢はむ」 「かはるう への」)特 に 倍 屈 の 感 を 与 え る よ う で あ る。. .. しかし初句字余り歌は、 最初から定型を無視 して詠みは じめるだけに、 作者の内部的生命を直接 6一 一7.

(6) . 玉業和歌集における字余り句の性向 に吐露したものと見られるのであって、 思うに京極派歌人は、 声調をある程度犠牲にしてまでも、 生命感を盛り上げることに努力 したのであった。 (1500). 思ひげるかさすが哀れにと思ふより憂きにまさりて涙ぞおっる(恋三). 永福門院. (1533) ととめあへずやがて零るる涙ゆゑ見せぬ心を人に見えぬる(恋三). 従三位親子 このような生命感の奔 騰する歌は、 二条派の調和した安定等の高い歌からみれば、 すこぶる奇異. なものに感じられたに違いない。 そしてこの内部生命感の充溢が 表現の完全と自由卒直を求めてい ったのであって、 その結果が字余り歌になったと思われる。 内部 生命感は四季の風物詠より 「恋」 「難」 の歌に露呈しているのはいうまでもないであろう。 先にふれた西行・慈円の歌もこの生命感 に溢れたものであり、 玉葉歌人はこの点でも彼 らの伝統を引継いでいるといってよい。 以上を要するに、 玉葉集には字余り句が極めて多く、 その使用の主流は玉葉集の中枢歌人にあっ. て、 就中、 部立では 「恋」 「難」 に多く、 一首の中では初句結句にあらわれる傾向にあるが、 それ は表現の自由卒直と、 完全を欲したからであり、 かく欲せしめたのは玉葉歌人の内的生命感の充溢 であ っ た と いう こ とが でき よ う。. (二) 韻 律からみた玉葉集の字余り句 さらに注意すべきことは、 玉葉集の字余り句を音韻の面からみるとき、 従来の字余りと性質を異 にするものが多く生ずるのである。 周知のように、 和歌における字余りの音韻的特質に言及したの. は本居宣長であるが、 「字音仮字用格」 及び 「玉あられ」 に次の如く述べている。(註八) 「歌に五もじ七もじの句を一もじ余して六もじ八もじによむことある是必中に右のアイ ウオの音 ある句に限れることなり (ェ音 の例なきはいかなる理にかあらむ未 考) 古今集より金葉詞花 集 な どま で は 此格 に は づ れ た ろ歌 は 見 えず。 自 然 の こ と な る故 也」. (字音仮字用格). 「五 も じの 句をフ も じ に よ み七も じの 句 を 八 も じに よむ こ と は 共 の 句 のな か らに あ い う お のも じ あ る 時 に か ぎれ る こ とな り」. (玉あられ). 宣長の言説では要するに、 H字余り句は必ず母音の音節が含まれ、 に )それは句の中にあって、 巨 } 工音節の字余りは例がなく、 鯉に の法則は、 金業詞花の頃までは厳格に守られていたというのであ. る。 「え」 を含む字余りがなかったことについては、 古代国語の音節にア行の 「ェ」 が非常に少な かったから従って字余りにもならなかったといわれている。(謡九). この説を基と して、 玉葉直前の新後撰集を検すると、 字余句中に母音音節を含まない句は、 四季 の歌の中で、 「峯の雪は」 「そへてはれぬ」 の二句だけであって、 「恋」 の部には一句もない。 こ. の時代は、 既に波行転呼音の現象があったはずであるから、 「そへては れぬ」 の 「ヘ」 は実際には 「ye 」 と発音されていたのであった。 院政時代の 「ヘ」 は語中語尾にあっては we の時代をすぎて. ye の 時 代 に 入 っ て い た か ら で あ る。 (謡一○) と こ ろ が ye は 後に e に同 化 した よ う に、 極 めて母 音. 音節 e に 近 い性 質 をも っ とい え る。 し かも この 時 代 は 「ェ」 も ye に統一きれており 語頭にある 、. ときも yeと発音されて、 母音としてのeは単に理念上存在するに過 ぎなかったから、 yeが観念的 に母音として認識される傾向にあったのではあるまいか。 もしそうだとすれば、 「そへてはれぬ」. の場合は、 当時として母音を含んだ句と見て差支えないであろう。 そこで玉葉集の語中語尾に母音を含まない句 (これを格外字余り句と呼ぶことにする。)は、 波行 の転呼によって生じた字余り句、 たとえば 「迷ひそむる」 の場合、 この頃では、 既に 「i」 になっ て い た と考 え ら れ る た め に(副 ミー-) 通 則に該当 す る と して、 除 い て も 「恋」 の部 では、 三 三 句 を 教. えるのである。 今それを列挙すれ ば、. 我も つつ み、 人 ま も と め、 そ む き は て なむ と、 人 も つ つ み、 暮 しがた き、 待 っもく る し、 今 朝 の な ご り、 涙 か きく らす、 深 き 川 の、 い かが な ると、 人 は 知 ら じ、 人 は な す に、 か は る ま じ き、 ね - 77 -.

(7) . 鈴. 木. 淳. て や 忘 る る と、 心 な ら ば、 夜 さむ な らば、 人 や か は る、 ま さ る か た の、 我 も 人 も、 恨 み はて なむ. と、 恨みやらむ、 弱りはつる、 心なれば、 かくてやみなむと、 心づきし、 おとも待たず、 せめて さ ら ば、 き は に な り て、 情 も や と、 涙 こ ぼ れ、 移 る か た の、 よ しや き か じ、 人 の 見す る、. であり、 四季の部 では同様の方法で二九句教えられる。 これを前の新後撰集の字余り句と対照す ると、 玉葉集においては、 非常に格外字余り句 が多いといわなければならない。 比較的字 余りが多 い新勅撰 集 (一四・四%) と新拾遺集 (一五・六%、 図表 Aによる) の格外字余り句は、 新勅撰で は四季恋を通 じ、 o 春 や ま だ こ ぬ と (色寒み春やまだこぬと恩ふま で山の桜を雪 かとぞ見る 源 o 忘 れ なむ と (忘れなむと恩ふ心 の悲しきは憂もうからぬものにぞありける o 春 の 波 の (春の波のいり江に迷ふ初草のはっかに見えし人ぞ恋しき. 家. o 雲 と な ら ば (恋死ぬる夜はの畑の雲とならば君が袖にや分きて時雨む 慈. 重之). 在原滋春) 隆) 円). の僅か四句であり、 新拾遺集では、 四季恋部を通 じて格外字余りは一句も見当らない。 新拾遺集 は十 三代集でも最後から二番目の勅撰 集であるから、 十三代集全体をみても、 たまにその格 が乱れ るのがあっても、 おそらくかような類であろう。 古来の格にできるだけ従うのが典雅な勅撰 集の性 格でも あったはずである。 その中にあって、 玉葉集がかくま で格外字余りの 多いことは、 二条派の 歌人によって撰せられた外の勅撰 集とは、 明確に異った傾向にあることを示唆するのである。 さかのぼって古今 集においては、 字余り歌数四季だけで七一句あり(註一二) 四季の総歌数三四二 首の比率は二0・七% で、 割合からすれば玉葉集より多くなるのであるが、 古代からの字余りの通 則に合致しないのは さすがになく、 わずかに、 (205). 日 ぐら しの な き つ る な べ に 日 は く れ ぬ と恩 ふ は 山 の 陰 に ぞ あ り け る. 説人不知. の一首だけである。 この 「敵まくれぬと」 という句は、 宣長の 「玉あられ」 における解釈によれ. ば、 「と」 の 音 節 を 下 句 に 続 け、 「と 恩 ふ は」 の 字 余 句 に して、 「恩 ふ」 に 母 音 の 「お」 を 認 め、. 字余りの通則をあてはめようとする。 宣長の解釈の是非はしばらく措 き、 この見方に従うと、 前掲 の玉葉・新勅撰の格外字余り句のうち、 圏点を附したものは格外字余り句 とならないわけである。 それを具体的に示すならば、 (1291) 恨みかね背き果てなむ (と思ふにぞ) 浮世につらき人も恋 しき (玉粟恋一) (1589) 恋しさの寝てや忘るる (と思へども) また名残そふ夢の面影 (玉葉恋三) (1724) つらければかくてやみなむ (と思へども) 物忘れせぬ恋にもあるかな (玉葉恋五) ( 76) 色寒み春やま だこぬと (と思ふまで) 山の桜を雪かとぞみる (新勅撰春下). (867) 忘れなむ (と思ふ心の) 悲しきは憂きもうからぬものにぞありける (新勅撰恋四) の玉葉恋三句、 新勅撰の恋四季の二句である。 玉葉四季には 「~と」 という字余句は見えない。 従って宣長の通則に該当するのは玉葉四季恋で五九句ある計算になる。 しか しな が ら、 (1695) よしさらば恨みはてなむと恩ふきはに日頃覚えぬ哀れさぞそふ (玉葉恋四). は 「と」 を何れの句につけても完全な字余りであるし、 o い か が な ると (ただつねにこそとはまほしけれ) o 情 も や と (心に待ち しほ どもすぎぬる). (玉葉). (玉葉). も 「と」 を何れにつけても通 則が該当しないのである。 宣長の考え方はまことに鋭い観察である が 「何々と」 の字余りの場合、 はたして和歌に妥当す るか否か、 そもそも字余りで母音を必ず含む というのは、 和歌の五 音七音が分離できなし・ひと続きの、 いわゆる文節の如き役目をなしているた 一 78 一.

(8) . 玉業和歌集における字余り句の性向. めであろうから、 古今集で. (411) 名 に しお はぱい ざ こ と と は む 宮 こ どり わ が 思 ふ 人 はあ り やな しやと. 7) 郭公みねの雲にやまじりにしありとはきけどみるよ しもなき (44 な どでも 「と」 は 句 末、 句 中 に あ る と こ ろ を み れ ば や は り 「と」 は上 句 に つく も の と い え るよ 、. う で あ る。 「と ば か り」 と い う譜 も あ る が、 これ は 既 に 副 詞化 した 語 と 見 て よ い で あ ろ う そ こ で 。. 字余りの通則が句の緊密性から出発 している以上、 「と」 が何れの句に緊密であるかを吟味しなけ れば、 云えないことのように思われる。 ともかく前述の格外字余りにならない句を 宣長に従って 、 それぞれ除去したとすると、 玉葉集恋と四季の格外字余りは五九句、 新勅撰では二句となるのであ る。. 以上で玉葉集にいわゆる字余り句の音韻通則が該当しない句のいかに多いかが明らかであろう 。. 玉葉集全部にわたった結果ではないが、 おそらくこの傾向は、 全般を通して変らない現象と想像さ れる。 玉葉集は風雅集とともに、 字余り句数の多いことは十三代集中で 異例に属するのであるが 、 単に数の上でなら古今集より少ないのであ り、 更にいえば、 新勅撰・新拾遺集とも大差 ないであろ う。 しかしその字余り句が他の勅撰集とは韻 律的にかなりの懸隔あることが明確となれば 字余り 、 歌の多い玉葉集は、 従来の勅撰集になかった新 しい声調を開拓したといわなければならない 即ち 。 和歌の内面的な韻 律を、 二条家に温存された常態に依存せず、 さきに述べた内部的生命感の充溢か ら発する表現の自由・完全性の要 求に基いて、 声調を自在に駆使し、 その結果が今までの声調を打. 破するものとなったのである。 二条派との対 抗上、 為兼たち京極派歌人が 歌の声調をこのような 、 従来よりも遥かに自由な息づきをする方向に展開させて行ったのは、 けだし自然の成行 きであった. と考えられる。 そしてこの現象は、 同じ系列に属する風雅集につ いても同様な傾向にあることが容 易に想像されるであろう。 八代集・十三代集をみるとき、 玉葉・風雅に至り、 その中の京極派歌人 の歌にいたると特に声調の上で今までよりも異質なものを感ずる根底には、 韻律の中に以上のよう な自 由 性 が 存 在 して い た こ と を 知 る の で ある。. 玉藁歌人は、 和歌を心と詞との融合によって、 優美に纏め上げるという観念、 即ち調和と安定を 重ずる在来の主張とは、 およそ縁の遠い、 むしろ、 調和せざる不安定な姿に好んで走ったのであっ. た。 彼らは、 内面 生活を直叙の形式 で発想し、 従来の格調を故意に破壊しようとさえ努めたのであ る。 彼らが生きた社会も、 持明院・大覚寺両統の更迭、 外題の警報しきりなる動揺多き不安定な社 会であったであろう。 そうした時代に、 感懐を歌に託するには、 優美と調和のみを重じてはいられ. まい。 玉葉・風雅の歌の姿に おける不安定性は、 韻 律声調の自由さから由来するものの、 結局は彼 らの内面生活の赤裸々な告白の反映であった。 玉葉・風雅はその意味で、 和歌の本来の生命を再び. 彼ら自身の手に呼び戻したのである。 ここに中世 和歌の新風の意義が見出せるのであって この精 、 神は、 下って南北朝時代の、 戦乱のさ中 から生じた宗良親王の 「新葉集」 の精神にはるかにつらな るも の で あ ろ う。. (三) 玉葉集独自の字余り句 次に字余り句の量的な面について若干考えて見よう。 図表 (D) に掲げた玉葉四季部の字余り句 数はおよそ一八七句である。 このうち古今集以来、 成句的表現になっている語句、 例えば 「思ひ 、 いでて」 「物にぞありける」 といった語句が多量にのぼることは常套的な表現法に頼った中世歌壇 にあっては当然であるけれども、 それらの外に、 「たえずもあらなむ」 「うすくなりぬ」 等のごと き、 勅撰集においては、 玉葉集のみにしか使用されていないような字余り句が相当の数をかぞえる こ とが できる。 も ち ろん これ らと い え ども、 従 来 の 成句 的 表現 を 踏 襲 して い る の で あ っ て、. 89 ) わが宿の柳の糸はほそくともくる鴬のたえずもあらなむ (玉葉春上) ( - 79 -. 右近大将道綱母.

(9) . 鈴. 木. 津. の 「たえずもあらなむ」 と 「外山の霞立たずもあらなむ」 (後拾遺) の 「た ずもあらなむ」 な どと、 同系列に属すると見なして差支えないが、 しかし 「~もあらなむ」 という既成表現によりな がら、 玉葉の歌では 「柳一糸-鴬-絶えずもあらなむ」 というように出来るだけ新しい構成として 生かしていることを十分認めるべきで土いかと思われる。 このことは、 次のような歌の場合、 一層 明白にその事情を うかがうことができよう。. 前僧正仁澄 4) 夜半の嵐払ひかねけり今朝みれば雪の埋まぬ松杉もなし(玉業冬) (97 て という形で数多詠まれ 「 集に 」 夜半の嵐に 「 は先行勅撰 」 夜半の嵐 ける初句字余り この歌にお. いるのであるが、 それらを受継いでしかも既成表現を頗まず、 初句にすえて字余り句とし、 声調に 新しい境界を開いているのである。 試みに玉葉以前の勅撰集の数首を次に挙げてみよう。 大納言経信 (186) 月 影のすみわたるかな天の原雲ふきはらふ夜半のあらしに(金薬秋). 前参議紙盛 (305) 峯になく鹿の音近く闇ゆなり紅葉吹きおろす夜はの嵐に(新勅撰秋下) 貴曙族) 前右兵衛督為教 (693) かり枕夢もむすばずささのやのふしうき程の夜はの嵐に(続拾i たせている恰好であ 場面構成の要素に役立 かように何れの歌も結句に 「夜半の嵐に」 を置いて、. る。 ついでながら (186) の 「月 影のすみわたるかな」 の歌は、 新古今集にも経 信の歌として重出 し、 後鳥羽院が 御ロ伝にて経信を評された 「たけある」 心姿がよく感ぜられる歌であるが、 過去七 代集に既収された歌を削除された(註一三) 隠岐本新古今和歌集においても、 除棄されていないのは 理解し難い点であって、 これは例外 とすべきものか、 しばらく疑を存 して置く。 ともあれ以上のよ. うな既成表現に拠りながら、 玉葉集の (974) は、 「夜半の嵐」 が下句の 「雪のぅづまぬ松杉もな し」 という語句に助けられて、 正面から現実的に詠みすえられて、 従来とは別の新しい詠歌領域に 至っているのである。 或いは (loll) 閏 の う へ はつ もれ る 雪 に 音 も せ で よこ ぎ る霧 窓 た たく な り(玉葉多). 為. 薬. の初旬字余り 「閏のうへは」 は諸集 「閏のうへに」 という表現で、 歌われている詞である。 たと えば 2) ねやのうへに根ざしと どめよ菖蒲章尋ねてひくも同じ淀 野を(後拾遺夏) (21. 大中臣輔弘. (399) 杉 の板 を ま ば ら に ふ け る閏 の ぅ へに 驚 く ば か り 繊 ふる ら し(後拾遠多). 大江公資. (655) 閏 の ぅ へ に か た え さ しお ほ ひ 外 面 な る 葉広 柏 に 雛 ふ る な り(新古今冬). 能因法師. (493) 閏のうへに積る木の葉を吹きわけて風ぞ板間の月は見せける(斎後拾過多) 梅中納言公時. 玉葉集の 「闇のぅへは」 の字余り句は、 この歌で、 下句の 「よこぎる雛窓たたくなり」 と同列の 場に立ち、 摂がはげ しく窓を叩くといった動的な状景 との配合によって、 いわば付合的な美をかも し出しているが、 外の集の 「閏のうへに」 はそうでなく、 場面構成の要 素に用いられているのであ ol l ) の歌は、 既成表現を新しい角度から十分に生かしきった歌ということができ る。 それ故に (l よう。 同じ字余り句でも玉葉集は注意してみると外の諸集とはかような差異が見られるのである。 こういう姿態が玉葉集を一貫して流れる詠風であって、 ために玉葉集にのみ一句用いられている 字余り句は、 既成の成句的表現を踏襲していても、 やはり玉葉歌の特質と深く関連しているといっ て よ い の で ある。. (122) 曇りなく さやけきよりも中々に霞める空の月をこそおもへ(玉薬春下). 権中納言定顔. (414) 夕立の遠路をす ぐる雲の下に降来ぬ雨ぞよそに見えゆく(玉葉夏). 九条左大臣女 永福門院内侍. (542) 吹きしをる四方の草木 のうら葉見えて 風に白める秋の曙(玉薬秋上). 前参議雅右 これ らの歌の字余り句は何れも 玉葉集にのみある字余り句であり、 歌風も玉葉歌風を代表するも. (653) こよひこそ秋 とおぼゆれ月 かげに基なきて風ぞ身にしむ(玉業秋下). 十 80.

(10) . 玉葉和歌集における字余り句の性向. のと思うが、 既成表現からたく みに詠嘆の領域を拡大している歌であって、 これらの字余り句が玉 葉にしか存在しない独自性も、 歌一首を介することによっておのずから明瞭になるのである。. そこで玉葉集独自の字余り句と、 為世の撰した新後撰集、 字余り歌の比較的多い新拾遺集の独自 字余り句を試みに比較してみると次のようになる。 〔四季だけを比較 した結果〕 図. 表 B. 玉葉集 新後撰 新拾遺 独 自 字 余 句. 104. 3. 四季字余句総数. 187. 26. 比. 率. 55%. 11 5% .. 20 81 23%. かくしてみると玉葉では約半数以上が玉葉集だけに使用されている字余り句である。 この中には. (539). か り 人 の 草 わ け衣 ほ しも あ へ ず 秋 の さ が 野 のょ も の 白 露(玉業秋 上). 順. 徳. 院. 1ほしもあへず」 は玉葉にのみある字余り句。〕 〔 のような玉葉時代以前の詠になるものも相当含まれてはいるけれども、 それも従来の勅撰集に入. 集されなかったのを、 玉葉集においてとりあげた意図は軽視出来ないのである。 新後撰集で独自の. 字余り句は僅か三句、 即ち 「峯の雪は」 「をさまれと思ふ」 「たえぬ星合の」 に過ぎない。 外はほ とんど成句的表現として、 先行勅撰集に用いられている句であって、 為世の詞に対する観念が専ら 先縦に従っていることを明らかに示している。 新拾遺集も二三%で、 玉葉に比すればはるかに少な い。 かく してみると玉葉集の字余り句は、 先行勅撰集より数的に多いというが、 実は形態の上で新 しい字余り句が創造されていたのであった。 これは既成の成句的表現を土台にして新たな詠法が案 出されたからに外ならぬが、 玉葉のもつ自由な、 思うがま 感ずるがま 詠む態度に深く関連する であろ う。. かく して玉葉集では、 その最も多い字歌歌の性格を通 じて、 従来の勅撰集になかった一つの新 し い傾向を韻律的な面と、形態的な面と両面にわたって発見出来るのである。 それはひと口にいえば、. 為兼卿和歌抄に(註一四). 「こ とば に て 心 をよ ま む と する と心 のま ま に 詞 の ほ ひ ゆく とはか は れ る所 ある に こ そ」. というような、 心を主体とし詞を従と見て表現の自由と完全を欲した成果に外ならない。 そこに は詞の調和と雅味の介在する余地がなかったのである。 叉為兼自らが、 o おもひみる心のままに言の葉のゆたかにかなふ時ぞうれ しき(金玉歌合). と詠んでいるのも心情に忠実ならんことを求めた態度の端的なあらわれと見てよいであろう。. 為兼らはかような方向において万葉の自由な時 :代にかえろうとし、 和歌の本質を再認識したので あった。 害撰や素性法師などの名をかりた 「歌苑連署事書」 @ミー五) に挙げてある玉葉集に対する 非謡がお むね正鵠を得ておらず、 現代からみれば、 二条家格式の煩頂なことと、 故実を専ら固守. する因襲のかたく なさを感ぜしめる外に見るべきもの少なく、 かえって玉葉集の価値を高めている ように感じられるのは、 為兼らの成効が当時いかに二条派歌人の心を動揺せしめたかを窺わせるに 十分である。 それは掘り下げてみれば、 以上のような新しい韻律と、 新しい形態に対する為世達の 驚きであり警戒でもあった。 「野守鏡」 飴!←六) にのせる訂 E謡も略 々同様であって、 これら非難書 の出現は、 玉葉集が在来の歌調を脱皮し、 新風を当時にひき起した証左とも見られるのである。. 以上、 主に字余り句の形態としての詞の質量的な面と、 内部的な韻律の面から概括して考察した が、 玉葉集の字余り句が先行勅撰集と極めて異質な方向にあることが、 ほぼ明らかになったである - 81 「.

(11) . 鈴. 木. 津. う。 た ゞ中世における字余り句の新性格といっても、 それはあくまで中世的 な一定の枠内に・おける 変貌であることには注意しなくてはならないのである。. 〔本論を草するにあたり、 西下総 一博士、 及び峯村女人氏、 江藤保定氏より助言を賜ったことを感謝する次第 で あ る。〕. E書類従二0○) 寛元元年十一月十七日河合蔵歌合 (群書類従-九九) の為家の (罰 ミー) 宝拾二年御歌合 ap 列詞、 殊に前者に為家の考えがよくあらわれてい る。 「詠歌一体」 (歌学大系本) にも 「詞なだら か に い ひ く だ しき よ げ な るは す が た の よ き な り」 と あ る。. (話二) 次田否澄氏校 玉薬和歌集解説 (岩波丈庫本) 井上豊氏 「玉葉と風雅」 ・ ) (誌三) 国歌大系本 玉葉和歌集解題 (沼波守氏校 6頁~60頁 日本女学史中世絹 (至女堂刊)5 風巻景次郎氏 (新古今時代)27頁 (謙四) 本居宣長 「新古今集美濃の家づと」 (註五) 小島吉雄氏 「新古今和歌集の研究続篇」125頁 (謎三六) 谷亮平氏 「玉葉集について」 (国語と国文学第十八巻四 号) (謡七) 松田武夫氏 「弘安本古今集について」 (文学昭和七年三月号) (註八) 本居宣長 「字音仮字用格」 おを所属弁、 及び 「玉あられ」 も じあまりの句 (註九) 橋本進吉氏 「国語の音節構造と母書の特性」 (国語音韻の研究所収) (註6) 同上書222頁 (副 ミニ) 橋本進吉氏 「波行子晋の変遷について」 (国語督韻の研究所収) (註三) 西 下経一氏枝 「古今和歌集」 (朝日古典全書) (謙三) 小島吉雄氏 「新古今和歌集の研究続編」108頁 後鳥羽院の隠岐御 樵沙新古今集桜戴上の除葉理由として 「過去の勅撰集に既収の歌」 をその一つに 教 え て お られ る。 -. ~和歌抄 (歌学犬系本) 圭函) 為雛搾 ( 言 ー (謙三) 歌苑連署事書 (宮内省図書寮歳調非久薮氏謄写本) 三春類従本. ) (謙宍) 野守鏡 餅f. - 82 一.

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