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杉浦宗仲と梅岩心学 : 「家内之定」の末文の分析

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(1)

杉浦宗仲と梅岩心学 : 「家内之定」の末文の分析

著者 植田 知子

雑誌名 經濟學論叢

巻 64

号 4

ページ 1376‑1358

発行年 2013‑03‑20

権利 同志社大學經濟學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013775

(2)

  ︵ 【論説】

    杉 浦 宗 仲 と 梅 岩 心 学           ︱

﹁家内之定﹂の末文の分析

植   田   知   子    

        は  じ  め  に

  杉浦宗 は京都の商家杉浦三郎兵衛家の四代当主で︑名を利 喬といい︑宗仲は法名である︵以下︑宗仲と記す︶︒

  杉浦家には︑江戸期に作成された家法として三代杉浦三郎兵衛利 軌︵法名︑宗夕︶による﹁定目﹂︵﹁先代之定﹂とも

呼ばれる︶と︑四代宗仲による﹁家内之定﹂﹁家業之定﹂がある︒なかでも﹁家内之定﹂﹁家業之定﹂は︑これを記した四代宗仲が熱心な心学信奉者であったことから心学関係商家の家訓として経済史・経営史の研究者から注目され︑これまでに岡光夫 ・宮本又次 ・藤田彰典 氏らによって史料として紹介され︑さらに宮本・藤田氏と︑宮本氏所蔵史料を用いた竹中靖一氏によって詳細な検討がなされている ︒当然ながら各氏の検討の主眼は︑商家の経営理念に梅岩の教えがどのように取り込まれたかを解明するところにおかれている︒

  その一方で︑宗仲の心学に関する研究 はきわめて少ない︒この一因は︑宗仲が他の門人のように表立っては教化活動を行わなかったことにもあると見られる︒本稿は︑これまであまり関心を向けられることのなかった宗仲の心学の

(3)

  ︵

特徴︑

何を梅岩心学の本質と捉え︑その実践において重視したか

について︑﹁家内之定﹂の末文を分析することにより明らかにしようとするものである︒

稿︑﹃﹄﹃﹄﹃ ︶﹃

︑﹃﹄﹁﹂﹁︶﹃

︵﹁﹂﹁﹂﹁﹂﹁

        一  杉浦宗仲について

  はじめに杉浦家と杉浦宗仲について簡単に紹介しておこう︒

  杉浦三郎兵衛家 ︵屋号︑大黒屋︶は呉服太物小間物類を取扱った商家で︑創業 は寛文三年︵一六六三︶︒江戸期には京店を本店とし︑江戸に二店舗︵石町店・本所店︶︑それに岐阜と大坂にも出店をもつ大店であった

  杉浦宗仲は三代利軌の嗣子として享保一八年︵一七三三︶八月二〇日に生れ︑幼名を三四郎といった︒父の三代利軌は延享元年︵一七四四︶九月一一日に四三歳の若さで亡くなったため︑三四郎はわずか一二歳で家督を相続する︒

  宗仲の心学の修学歴は︑まだ三四郎と呼ばれていた数え年一一歳の時︑寛保三年︵一七四三︶の石田梅岩への入門

に始まる︒そして翌延享元年︵一七四四︶九月二四日に梅岩が急逝した後は︑梅岩高弟の﹁富岡以直

す︑門全藤斎く自得晩 性知り入に門の 10

に従ふ﹂ 11

とんりなと人のそ︒だ積﹁を鑽研てし加参には温講生﹄ずれは疑に人﹃終厚し持を自厳謹﹂﹁実篤席の以岡富や読直 家とも降以てっなの人主宗家商︒るれ︑業仲道会のとちた友のは他ら傍む営をとさ 12

(4)

  ︵ 悖﹂ずら念に信ふ云

見を誤を策商に常てしに敏る﹂機ず性天其︑﹁もてしと者営経︑た 13

と評されるものであった︒ 14

  宗仲は梅岩の教えを自らの行動指針とし︑その教えを家内や周囲の人々にも及ぼしただけでなく︑奉公人教育の一環として大黒屋の奉公人にも心学を学ばせた︒﹁日記﹂

︒﹂﹁生終︑は﹂定業家定学之内家﹁るれら見と心之をとるあ学のもるえいもで実た結びけ続宗仲の 五一七八二︶宗仲に〇歳の時記した年︵二ほいれた明︑大黒屋に富岡以直を招かてさ心天︒いてせるけ学も導指の受 に人公奉︑よとるに﹃述は子斉家論﹄などの冊が授けらの記 15

        二

  ﹁家内之定﹂の末文について

   二・一

  ﹁家内之定﹂の作成時期と構成

のるれらえ考と   ﹁れ成ることから︑その頃作さとれたもそ︑は﹂定之内あ日が天納められた箱の箱書に明八二年︵一七八二家正月︶

16

  ﹁月一七一一︶五に年出された﹁定﹂︵元家成内之定﹂の構は徳︑まず冒頭に正

るいてれらせ載が 制﹂覚之札御﹁たし写き書を︶条九全︵ 17

︵文全二二箇条︶・末・目附録︵全六箇条︶かり条成家︒その後に続く﹁内︑之定﹂の本体部分はら 18

︒速ここで繰り返ことはせず︑早す末こ文うよしとにる入に討検の たこし述上はられた︒るあでのもべ行先い研介でのるをてれさ紹究が文全ていおに述意﹁﹂が家内定之を作成した趣 て統に対しは日々の心び一屋よお人公奉のえ黒大はに目構そがれ仲宗︑は文末︒るいてさ︑記が目条足補のに録附条 ︑ 19

(5)

  ︵

   二・二

  ﹁家内之定﹂の末文

  末文は二二箇条の条目の後ろに続けて次のように記されている

20

  右件の意 は唯人〳〵身を脩 さ︵るを以て本 とす︑主人ハ主人乃あるへき様に身を脩め︑奉公人ハ奉公人のあるへき様に身を脩るを以て本 とすへし︒今日生ある者呼 せさるハなし︑此気 は即 天地万物乃惣体となるもの也︒此気

の自然に親をしたひ︑子をあはれむの心生し︑君臣夫婦兄弟朋 友の交にいたるまて其所〳〵に於てかはりあれとも︑皆この気 の自然より生 もの也︒畢竟五倫の交といふも︑この気 の自然に生る心乃所を変 へて行 ものにて仁心是也︒かるか故に此気 の自然に反 するを私心におふはるヽといひ︑不仁にして道に違 ふ者とす︒此道理をわきまふるを以て人を万物の霊 といふ︒しかれハ其本 を能く知て︑第一に孝を忘 へからす︒孝の心を本として君 夫婦兄弟朋友のうへにおよほすときハ身不義非道にいらさるへき也

  宗仲は﹁右件﹂︑すなわち二二の条目を書き記した意趣を︑﹁身を脩るを以て本とす﹂べきことを教えるためと述べている︒

︒自のキーワード﹁気のが然言﹂あで葉るういと 分はこの部略を省文してで読末︒るけ向を意注の手み宗︑は仲題際そ︒るめ進を歩とへの課心中の学教岩梅にちだた ﹂りな何心れこ︒同︵の上︶と︑﹁心﹂問題へとる如はな二述と︶頁六一上︑﹂論家斉︵﹁﹂べそと修としる主を身︑﹁てす   ﹁本梅よて天︑謂所に学大︑﹁は岩て以いつにとこういと﹂る脩をり子て︑以をる脩を身皆是に身庶壹で人まに至る

  まず︑﹁気 ﹂という語に着目して考えてみたい︒宗仲は﹁気﹂に﹁イキ﹂という読み仮名を付けているが︑﹁イキ﹂

(6)

  ︵ うたい説にどよの︑を﹂理﹁か点そのから見ていくことにしようや︒ で﹄用で﹂段ノ答問理性﹁の答た問鄙都﹃が岩梅は語ういとい﹁が﹁彿させる︒吸は︑梅岩呼呼を吸﹂を用いて﹁性﹂﹂彷

        三  梅岩教学の根本

   三・一  学問の目的

  梅岩は自身の学問の目的を︑﹁人之有

也﹂︵﹁問答﹂上四頁︶︑﹁人ノ道ト云ハ五倫也﹂︵﹁語録﹂下二三三頁︶︑﹁教 ノ道ハ人 倫ヲ明カニスルノミ﹂︵﹁問答﹂上三六頁︶と述べている︒これは︑﹁人には道というものがあり︑それは人間社会における君臣・父子・夫婦・長幼・朋友の基本的関係を正しく保つための五倫の道である︒五倫の道を人々が実行するよう教え導くことが学問の役割である﹂ということで︑梅岩が︑﹁五倫 五常 ノ道ヲ以テ︑我ヨリ以下ノ人ニ︑教ンコトヲ志 ﹂︵同︑上七頁︶とした理由もここにある︒

  そして︑﹁人ヨリ禽 獣草 木マデ﹂すべてのものが﹁天ニ受 テ以テ生ズル理﹂︵同︑上四頁︶であるところの﹁性﹂を知れば︑﹁五常 五倫 ノ道ハ其中ニ備 ﹂︵同︑上五頁︶っている︒よって孟子は︑﹁性ヲ知 ルヲ先 トス︵まず自分の本性

を知れ︶﹂︵同︑上一一頁︶と教え︑﹁尽

則知 ︵心をきわめて本性を知れば天を知ることになる︶﹂︵同︑上 一一頁︶と説いた︒梅岩にとってこの言葉は︑﹁我 心ニ合 ヒ疑 ナキヲ以テ︑教 ヲ立 モト﹂︵同︑上一一頁︶としたのである︒

  ここで問題となるのが︑﹁性﹂とは︑﹁心﹂とは何かということである︒

(7)

  ︵

   三・二

  ﹁性ヲ知ル﹂とは

梅岩の﹁呼吸﹂

  ﹁段く引を葉言の次はで﹂ノ性答問理性︑﹁てし関に﹂︒

  孔子易 一陰 一陽

︒継

善也 ︒成

性也 トノ玉フ︒︵同︑上一〇〇頁︶

  これは︑﹁天地は陰と陽との交互のあらわれであって︑それ以外の何ものでもない︒その陰と陽とが交互に発展してゆく形をどこまでも続けてやむ時のないところをさして善といい︑そうした善を完成するものが性である

︒て呼吸に見立て次陽のように述べるを陰るのうことであ︒梅岩は︑天地 ﹂︑いと 21

  呼 ハ天地ノ陰陽ニシテ︑汝ガ息ニハ非ズ︒因テ汝モ天地ノ陰陽ト一致 ニナラザレバ︑忽 ニ死スルナリ︒陰陽ノ外ニ汝ガ命ナキコト明白ナリ︒吸 息ハ陰ナリ︑吐 息ハ陽ナリ︒継 之者ハ善ナリ︒身ノ動 モ静 ナルモ天地ノ陰陽ナリ︒易 ト何ゾ替 コトアラン︵同︑上一〇〇一〇一頁︶

  梅岩は︑絶え間なく行なわれる呼吸作用を通して天と人との関係を説明するが︑梅岩のいう﹁呼吸﹂とは人の息そのものではない︒

  人ノ寝 入タル時ニテモ無 ニシテ動 クハ呼 ノ息 ナリ︒其呼吸ハ我 息ニハ非ズ︒天地ノ陰陽ガ我体 ニ出入シ形 ノ動

クハ天地浩 然ノ気ナリ︒我ト天地ト渾 然タル一物ナリト貫 通スル所ヨリ︑人ノ性ハ善ナリト説 玉フ︒自 ニシテ易

(8)

  ︵ ︑頁三〇一上ヘ同︵リ合ニ︶

  人が寝ている間も無意識に繰り返される呼吸︒梅岩のいう﹁呼 ﹂とは︑天地の陰陽が自分の身体に出入している﹁天地浩然ノ気︵天地の間に満ちている非常に盛んな精気︶﹂を指す︒そして︑﹁形 ノ動 ク︵形あるものが動く︶﹂のはその作用を受けている証であり︑それによって自分自身と天地とが完全に一体となった状態︑それが﹁無心﹂︵同︑上一〇三頁︶であり︑﹁天地ノ心﹂︵同︑上一二五頁︶になった状態で︑孟子のいう﹁性善﹂にあたる︒さらに︑

  天地ヲ人ノ上ニテイハヾ︑心ハ虚 ニシテ天ナリ︒形ハフサガツテ地ナリ︒呼 ハ陰陽ナリ︒コレヲ継 者ハ善ナリ︒用ヲ為 所ヲ主 ル体ハ性ナリ︒是ヲ以テ見ヨ︒人ハ全 体一 ノ小 天地ナリ︒︵同︑上一〇五頁︶

といい︑﹁呼吸﹂の﹁用ヲ為所ヲ主ル体︵作用の主体︶﹂が﹁性﹂であるから︑﹁性ヲ知ルヲ先トス﹂ということになる︒

   三・三

  ﹁心ヲ知ル﹂とは

  次に︑﹁心﹂とは何か︒

  梅岩は三五︑六歳の頃まで︑﹁性を知れりと定めゐたまひしに︑何となく其性に疑ひおこり﹂︵﹁事蹟﹂下六一四頁︶︑﹁我ガ性ヲ知ラネバスマヌコト﹂︵﹁語録﹂下一五〇頁︶と思って方々を尋ね歩いた︒その時に出会った﹁隠遁の学者﹂︵小

栗了雲︶から︑﹁汝ハ心ヲ知 リト思 ラメド︑未 ﹂︵﹁問答﹂上七頁︶という指摘を受け︑さらに︑﹁心ハ一身ノ主 ナリ﹂︵同︑ 上八頁︶という示唆を得る︒それから約一年半後︑梅岩は︑﹁堯 ノ道ハ孝 弟而已﹂︵同︑上八頁︶という境地に到達し︑

(9)

  ︵

﹁人ハ孝 悌忠信︑此外子 ナキコトヲ会 シテ︑二十年来ノ疑 ヲ解 ﹂︵同︑上八頁︶いたという︒﹁孝弟﹂は﹁仁ヲ行フノ本﹂︵﹁語録補遺﹂下四三九頁︶であり︑梅岩はここに至って天の生成︑すなわち﹁仁﹂こそが﹁心﹂であるということを会得する︒そして︑

  心ヲ知 ルヲ先 トスベシ︒心ヲ知レバ身ヲ慎 ム︒身ヲ敬 ムユヘニ礼ニ合 フ︒故ニ心安シ︒心安キハ是仁ナリ︒仁ハ天ノ一元 ナリ︒天ノ一元気ハ万物ヲ生ジ育 フ︒此心ヲ得ルヲ学 問ノ始トシ終 トス︒︵﹁問答﹂上一一二頁︶

心を知ることは﹁仁﹂を養うことに繋がることを洞察する︒梅岩が︑﹁呼 存スル間 ハ︑心ヲ以テ性 ヲ養 フヲ我任 トスルコトナリ﹂︵同︑上一一二頁︶という強い決意に至るまでにはこのような道程があった︒

   三・四  道徳的実践の必要性

  では︑心を知ればそれで学問の目的は達成されたと言えるのか︒﹁心ヲ知トキハ︑直 ニ賢人ニテ候ヤ﹂︵﹁問答﹂上九

頁︶という問いに梅岩は︑﹁否 ︑身ニ行 ザレハ賢人ニアラズ﹂︵同︑上九頁︶と答え︑﹁聖人ノ学 問ハ行 ヲ本 ﹂︵同︑上六頁︶とし︑心を知った後は次の段階としてその実践の必要性を説く︒

  実践する際に心掛けるべき要点として︑少なくとも梅岩は次の二点をあげている︒

  第一に︑﹁心ヲ知ル﹂といってもそこには私知と聖知の区別があること︒﹁私 知トハ品 品ノ了 ヲ加 ルユヘニ︑自然ノ知 ニアラズ﹂︵同︑上一一三頁︶とし︑それに対して聖知は︑﹁向ヒ視 物ヲ則心ト為 玉フ︵相対するものの心を自分の心

とする︶﹂︵同︑上一一三頁︶ことである︒物にはそのあり方としての形があるが︑その﹁形ヲ直 ニ心︵形がそのまま心︶﹂︵同︑

(10)

  ︵ 示るべきことを︑例をがしな求ら次のように述べるめ︑をこ上一一三頁︶と考えると知が聖知である︒そして聖︒

  譬 夜寝入タルトキ︑寝 シ︑ヲボヘズ形 ヲ相 ク︒是形直 ニ心ナル所ナリ︒又孑 々水中ニ有テハ人ヲ不

︒蚊 ト変 ジテ忽 ニ人ヲ螫 ︒コレ形 ニ由 ノ心ナリ︵同︑上一一三頁︶︒

  夜寝ている時に身体を掻き︑無意識に寝相を変えるのは︑形の変化がそのまま心の現れであり︑水中にいた時は人を刺さないボウフラが蚊となって人を刺すのも︑﹁形 ニ由 ノ心︵形に応じた心︶﹂である︒そして︑すべての物はそれぞれの﹁形﹂を践む努力をしなければならない︒

形ヲ践トハ︑五倫ノ道ヲ明カニ行 ヲ云︒形ヲ践 デ行フコト︑不 能小人ナリ︒禽 獣鳥 類ハ私心ナシ︒反 テ形ヲ践 ︒皆 自然ノ理ナリ︒聖人ハ是ヲ知リ玉フ︒︵同︑上一一四頁︶

︒まけ受てしと心まめのそを﹂形﹁と︑﹁人きういとるあでべ形う行てっ従に﹂も   ﹁のか︵心私︑﹁でとこう行にらな明を道の倫五はと﹂践ヲ独りよがい獣や鳥がその形形﹂に従うように︑﹂︶え考のり﹁

  第二は︑﹁物々此形替 ニ因テ法アリ︒其物ニ因テ法ハ替ルナリ﹂︵同︑上五六頁︶︑つまり︑物にはそれぞれの﹁形﹂によって従うべき﹁法︵行動規範︶﹂があるということで︑具体的に孔子が薪や牧草︑材木などを集める役を担当した際︑与えられた仕事に満足し︑職務に励んだことを例にとり︑﹁今日我身ノアル所則 天命﹂︵同︑上三八頁︶と知り︑そして﹁我 ヲ疎 ﹂︵同上︶にしなかった孔子を模範とするよう説く︒

(11)

  ︵

  聖人ノ行 ヲ見テ法 ヲ取 ベシ︒︵中略︶  如 是君子大徳ノ行 跡ヲ見︑此 ヲ法 トシテ︑五 ノ道ヲ教 ︑天ノ命 ゼル職

ヲ知 セ︑力 行トキハ︑身脩 テ家斉 ︑国治 テ天下平 ナリ︒︵同︑上四頁︶

  要するに道徳的実践は聖人の行いを手本とし︑﹁私心﹂を退け︑﹁形ニ由ノ心﹂にしたがって︑﹁五倫の道﹂とそれぞれの﹁職分﹂において努め行うこととされた︒

        四  宗仲における梅岩心学

   四・一  梅岩の﹁呼 ﹂と宗仲の﹁気

  ここまで梅岩教学の根本部分を見てきたが︑その上で改めて﹁家内之定﹂の末文を読み返してみると︑末文の趣旨は梅岩の教えに一致している︒そこで今一度注目されるのが﹁気 ﹂という語である︒

  末文には︑﹁今日生ある者呼 存せさるハなし︑此気 は︵後略︶﹂とあり︑﹁気 ﹂は確かに呼吸を意味している︒では︑梅岩の﹁呼 ﹂と宗仲の﹁気 ﹂の違いはどこにあるのだろうか︒まず梅岩の場合︑天地の陰陽を﹁呼 ﹂に見立てて次の二点を表した︒

  ①

  ﹁天上一〇〇頁︶︑また︑地天は﹁万物の体︵すべての﹂答問︵﹁地ハ一陰一陽ナリ︵天地は陰陽から成っている︶﹂も

のの本体となる︶﹂︵同︑上一〇四頁︶とし︑天は生成する天地万物の根源であるということ︒

  ②  天地の陰陽によって︑すべてのものに﹁具体的個別性=﹃形﹄﹂

が与えられるということ︒ 22

  梅岩は﹃都鄙問答﹄において︑しばしば事物を体︵本体︶と用︵作用︶で説明するが︑それで言えば①は気の本体︑

(12)

  ︵ ううろなにとこ用いと作の気は②︒

  これに対し宗仲の﹁気 ﹂は︑①﹁気﹂の一語で﹁天地万物乃惣体なるもの﹂=気の本体を表し︑②﹁イキ﹂という読み仮名を付して呼吸=気の作用を表したと考えられる︒つまり︑梅岩の﹁呼 ﹂と宗仲の﹁気 ﹂の指し示す内容はほとんど同じと見てよい︒

  では︑なぜ宗仲は﹁呼吸﹂ではなく﹁気 ﹂という語を用いたのであろうか︒この点に関して宗仲は﹁日記﹂に︑﹁先生︑

人を接得

万﹂し示とのもるなと体惣乃物地ふ天ハ気のこ︑に端発ふまたしな 23

︒という語︑以直によるものも考とえるれ思わ切適が方た てういた言葉だとい﹁︒そうすると気﹂とにっ語めなとで︑﹁気は即地万物乃惣体天る以も始のえ教直が︑はと﹂の と先記している︒こ生とは富岡以直の 24

  宗仲は梅岩没後︑斎藤全門や富岡以直に師事して心学の研鑽を積んだが︑この三師のうち師事した期間という点では以直がもっとも長い

間を﹂者学篤の門当たし行修 た年八七十ていつに直以﹁は後し︑没川謙氏は宗仲について梅︒岩・全門に学び︑二師の石 25

如の﹂るえ見にくもの こ講席を開くたとはなかっ自ら︑斯ら介し︑さらに︑﹁終生道とに深い興味を繋ぎ乍紹 26

柳・甚だ少く僅かに鎌田の泓杉人浦宗仲など数子あるのみ﹂が 記程るれさ念に係世述べている︒また︑以直との関にと門後を名︑も人のつ直以︑﹁はていも 27

︒裏なかたことをっ付るものであるけ 示ととるす唆たをとこいてにも影︑以直から受けた達響が少なくし到摘がにこれらの指は宗仲学問的にもかなりの域 直継統学のい以を仲宗者承るの一人と位置付けてと︒︑ 28

  以直の学問的傾向は︑﹁梅巖の所謂﹃形に由る心﹄に於いて性を把握したもので︑荘子の﹃萬物皆形ノ外ニ無心﹄と言つた境地を境地とした﹂

にノがれた﹁形ニ由心受︵それぞれの形け継とへとされる︒梅岩から以︑直そして宗仲 29

応じた心︶﹂を重んじる姿勢は﹁家内之定﹂の末文にも窺うことができる︒﹁身を脩る﹂にも﹁主人ハ主人乃あるへき

(13)

  ︵

様に﹂︑﹁奉公人ハ奉公人のあるへき様に﹂と述べているのがその一例である︒

  また︑宗仲は末文で﹁気 の自然﹂という言葉を繰り返すが︑これに相反するのが﹁私心におふはるヽ﹂状態で︑つまり﹁気 の自然﹂の﹁自然﹂とは︑﹁形ヲ直 ニ心﹂とすることを意味したと考えられる︒宗仲は﹁五倫の交﹂も︑﹁気

の自然に生る心乃所を変へて行はるヽものにて仁心也﹂と述べているが︑これを梅岩の言い方に直せば︑

天地の陰陽より生み出された万物がそれぞれの﹁形ヲ直 ニ心﹂とし︑﹁形 ニ由 ノ心﹂で実践する行為︑それが仁である

ということになろう︒

  このように末文の﹁気 ﹂や﹁気 の自然﹂という独特の用語は︑師梅岩の説を祖述した以直の言葉と考えられ︑宗仲が梅岩心学を理解するにあたって以直の及ぼした影響の大きさに思い至らされる︒

   四・二

  ﹁仁﹂と﹁孝﹂

  最後に︑宗仲は﹁仁﹂と﹁孝﹂を強調して末文を締め括っているが︑この点についても見ておきたい︒

  梅岩は人間の本質としての﹁心﹂の重要性を説き︑道徳的実践においては聖人の行いを﹁法︵行動規範︶﹂とすべきとしたが︑その一方で︑﹁心﹂は﹁性情ヲ兼﹂︵﹁語録﹂上五二八頁︶ね備えたものであるため︑人は﹁七情 ニ蔽 サレ﹂︵﹁問答﹂上一一三頁︶︑あるいは﹁人 欲ニ掩 レ﹂︵同︑上一二五頁︶て﹁無心﹂を見失う危険性があることを認識していた︒これを克服するには︑﹁心﹂を他からの影響を受けない存在として絶対化する必要があり︑梅岩はそれを︑﹁人間の本

源的な血縁的愛=﹃孝﹄︑さらにはその全体化としての﹃仁﹄に求めていった

前道︵﹂已而弟孝ハノ舜堯︒﹁るあでの﹂ 30

出︶とし︑﹁孝弟ハ仁ヲ行フノ本﹂︵﹁語録補遺﹂下四三九頁︶であり︑そして︑﹁仁ハ私心ナキヲ云﹂︵﹁語録﹂下二九二頁︶とされる︒宗仲が︑﹁五倫の交といふも︑この気の自然に生る心乃所を変へて行はるヽものにて仁心是也﹂︑あるいは︑

(14)

  ︵ ﹂はのたし調強をる孝﹁こあで徳道践実る︑なのたるれらえ考とのもいよづ基にえ考の岩梅うす︒ 仁夫おにへうの友朋弟兄婦臣ほ君てしと本を心の孝﹁よす︑﹁へを根本思想とと﹂也きるとさらいに道非義不身ハき﹂

        お  わ  り  に

  ここまでの検討から︑末文は梅岩心学を学んだ宗仲が︑その道徳的実践にあたっての基本姿勢を明示したものといえよう︒その基本姿勢とは﹁形 ニ由 ノ心﹂の重視で︑これは梅岩教学の本質が以直から宗仲へと継承されたことを示している︒

  江戸期の商家の家訓・店則類には心学の教えを取り入れたものが少なくない︒けれども︑周知のように梅岩心学はその門下により学風を異にしたから︑それらの家訓類を記した人物が誰に師事し︑影響を受けたかによって梅岩心学に対する理解やその具体的実践はかなり異なったものになったと考えられる︒

  逆井氏は︑﹁梅岩の教学原理をその実践道徳論に具体化する媒介論理としての﹃形ニ由ル 心﹄が後継者たる堵庵の﹃本心の学﹄ではまったく欠落し︑そこでは心の自己運動化および血縁関係重視にもとづく﹃我なし﹄となり︑﹃職分﹄

実践はもっぱら﹃和合﹄を尊重する﹁家業道﹂実践に落ちついた﹂

近学︵門全藤斎︱家三係関︑心たま︒るいてし析分と 31

江屋仁兵衛家︶・杉浦宗仲︵杉浦三郎兵衛家︶・由良一定

︶似︵由良七兵衛家性︱の家法の類 32

う言本心﹂とい手葉にが見えること﹁法らをるいてし摘指響家影の庵堵島のか 家良由︑も氏中竹たし目着に 33

34

  本稿の検討では︑宗仲が富岡以直に師事し

問仲の徴特の学心の宗端はれこ︑しだた︒一をれ後学の他の直以︑は今示︒いなぎ過にたしたら認がとこたし承継め 由学で質本のよ教岩梅りるにとあノ﹁形ニた心﹂を重視する姿勢をこ 35

(15)

  ︵

的傾向を注意深く観察するとともに︑宗仲が受け継いだ﹁形ニ由ノ心﹂が大黒屋の経営や奉公人管理の面でどのように実践されたのか︑その具体的検証が課題とされる︒

︶﹁﹂﹃﹄︵

︶﹁﹂﹃

︶﹁︶﹂

﹂︑︶﹁﹂﹃︑竹

︺︶ ﹂﹃﹄︵

︑岩︶﹃︑二︑石

︑二︶﹃

︶﹃︑﹁

﹂︵

︶﹁

︒︵︶﹁﹂﹃︶︒

﹂︵

(16)

  ︵

﹂﹃︶﹁

︶﹁﹂︵︶﹃

︑﹁﹂︵

10

︶︒

11

︶︒

12

13

14

15﹄︒

16︶﹂

17︶﹃

18︶﹁

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