一四
︵ 30 ︶− a M 軒 e A ロ乳− ique de Sai ロ tJean ︵一六二四−一大八四︶− a M 官 e A ロ乳− ique ﹀− a M 巾 re A 讐身らの姪︒﹃ポール・ロワヤ
ル﹄の主要人物︒− a S 持 ur Saint ? EupF 恥 mie − Jacque − i ロ e P 訟 Ca −︵一六二八−一六大一︶ パスカルの妹︒− a SO 叩⊂ r 野 iq 仁 et
︵ 2Fg ・ de Saint ? Christine ︶︵一六四二 1 ハ八九︶︒﹃ポール・ロワヤル﹄のー a SRur 廿イ an 爪 Oise のモデル︒
︵ 31 ︶ Sainte ・ Beu く e ⁚ヽ Qr †わ童已 t ・ I p .付 N り
︵ 32 ︶ Adam ⁚ 9 :雇鼓旨⁚打冬旨 p 一 N ミ
︵ 33 ︶ P − Ontherlant ⁚ h ぎー㌫軋∴訃 J 訂 hQ 亀 T §へこ n ヨ監守 q p ■−○訟
一方︑サント=ブーヴが好んだのは︑医師あがりの隠士アモンだった︒
PP HamOn :○− i ︷巳 re mOd 験 te − mOra − i 裟 e d 色 iBt − CO ロ訂 sse 宅 insinuant ﹀ eSt i ロく Oqu 恥 ﹇ dans ︼ a 冒︑尽且﹀ et nO ロ P 諾 Ca −∨
apO − Og − Ste a 已舞 ar 粥 umentS r ∈− es ● M ■ HamO コ eS 二 e persO ロ na 笥 que −.〇 n Se 已 r8 ︑ Ondre − e mie 一転﹀ d ㌃ cr ℡首 mentV ㌢−ぶ︷ at
d ﹀恥 me de Sai ロ t ? Beu く e −抄 sa p ∽ヌ hO −○的・ e e ロ nemie du ︷ apa 讐・ A 已 Our de ce sai 已 persO ロコ age Sai 已? H 訂 uve く Oit tOut
勺 01 丁声 O ﹂苛−:: ︵ Mp 軋 me LeTO ヾ︼ p .¢︶
自 然 感 情 覚 書
二 ローマ文学の場合
手 塚 伸 一
ギリシア人が牧畜民族であったに対し︑ローマ人は農耕民族であり︑山岳居住者であった︒ふつう︑ギリシア人と
ローマ人の違いは︑このような言葉で説明される︒この説明は︑したがってローマ人には団体的規律を受けいれる下
地があり︑それが彼らをすぐれた兵士にしたて︑軍事的に優秀を才能が政治的才能と結びついて︑ローマという世界
に冠たる国家を築きあげた︑文化面について言うなら︑独自の文化をもたなかった故にこそ︑ギリシア文化を唯々
として受けいれ︑すぐれた継承者となってそれを後世に伝えた︑とつづく︒
事実︑ローマ人の文化は︑ギリシア文化を抜きにしては考えられないわけで︑文学に限って見ても︑ローマ文学と
言われるものは︑ギリシアのヘレニズム文学との交流によってようやく生まれ︑その影響を受けつつ成長したのだっ
た︒ところで︑文学が個人の営みによる以上︑団体的規律を重んずる云々といったその国民性とどのようにつながる
か︑という疑問が生ずるのは当然であり︑その疑問に答えた最初の人としてスクール夫人 グム Fdame d の Sta 巴がい
る︒彼女はその﹃社会体制との関連において考察された文学論﹄ De − a − itt 爪 ratur の dans ses rappOrt 〜 a く eC − es
institut ㌻ ns sOC 岩.− es ︵一八〇〇年︶ のはじめの部分でそのことに触れ︑ギリシア人は詩においてすでに最高度の発
達をとげている︑ローマ人はぎリシアの詩を模倣しただけであるから︑両者の詩を比較するとき︑ローマの詩がかな
自然感情覚書︵手塚︶ 一五
一六 り劣ることは否めない︑とまず言って︑ローマに文学が生まれたとき︑すでに国家が完成していたことが︑ローマ文 学の方向を決定したと強調する︒﹁もともとローマ人は芸術︑とりわけ文学を軽蔑していた︒そうでなくなったのは︑
物を書くという才能が︑哲学者︑弁論家︑歴史家たちによってさまざまな事象ヤ一般人の道徳に有用であると示され
て以後のことなのである︵ 1 ︶﹂そのときローマ文学を特徴づけるのは︑国家への奉仕と世論指導という姿勢であろう︒
﹁有用 utE ︵爪ということが︑ラテン文学を生みだす力︵ 2 ︶ L だからである︒ここから﹁ローマ人はギリシア人ほどに
は文学に従事しなかったが︑哲学的観察における明敏さとひろがりによってざ∴リシア人よりすぐれているのであり︑
人間精神の領域で数世紀の優位にたつ︵ 3 ︶﹂という表現が可能となってくる︒夫人はこうして︑ローマは文学では劣る
かもしれをいが︑その哲学的思考は高く評価されるべきであり︑文学中にあらわれる貴族的性格︑自制心︑個人尊重
の思想︑道徳意識等によって︑ローマ人はギリシア人より上位に置かれると結論する︒この緒論は︑フランス革 A 叩を
経たスクール夫人が︑ローマの共和制に対する親近感からくだしたものと言われているが︑民族的優劣の問題を一応
措けば︑ホラーティウス p HOrat 小 us ヨ accus ︵前六五−八年︶ の﹁征服されたギリシアはその猛々しい勝利者を
征服し︑文化を粗野なラティウムへと輸入した︵ 4 ︶﹂﹁わが祖国ラティウムは︑文学よりも勇敢さと輝かしいその武勲
とで︑名をとどろかせているけれども︑もしわが詩人が時をかけてたんねんにものを推敲することを誰も厭わないと
したなら︑そうはをらなかったでしょう︵ 5 ︶﹂﹁詩人は読者のためになり︑悦ばれようと望みますが︑同時に人の生活
に楽しみと益をもたらすような言葉を盛ろうと試みます︵ 6 ︶﹂というようなあまりに名高い言葉︑あるいはキケロ P 戸
T . CicerO ︵前一〇六−四三年︶ が挙げる﹁正義と義務の尊重︑徳行︑敬神︑誠実︵ 7 ︶﹂をどの古代ローマ人の特質を
踏まえており︑夫人のローマ人あるいはローマ文学に対する観察は的確であると言えよう︒ローマでは学問あるいは
芸術に対する趣味が︑教養ある一部の人士のあいだにとどまり︑一般大衆にまでは及ば夜かった︒ローマ人の大衆的
地盤から︑芸術︑文学が生まれなかったことも︑ギリシアの場合と異なって︑それらにつねに啓蒙的︑指導的役割を
もたせることになる︒スクール夫人の ﹁有用﹂とはそのことを指している︒それ故︑ローマ国民という総体を見る場 各 H ︑彼らの偉大な才能は﹁三種類のもの︑政治的な︑実際的な︑道徳的なものからなりたち︑芸術的でも︑文学的で
もなく︑言葉のもっとも広い意味において︑ほとんど知的ですらなかった︵ 8 ︶﹂と権諭する学者さえいるほどだが︑
ヨーロッパ文学はぎリシア文学以上にローマ文学の直接の影響下におかれているのだから︑ローマ人の自然感情をあ
らためて探ってみることはやはり欠かせないのである︒多分それはギリシア人の自然感情と同一線上にあって︑それ
を発展させたものであろうことは充分予想できるが︑微妙な違いはあるだろうし︑また新しい自然感情も発見され
て︑スクール夫人のローマ人観を補うことにもなるはずである︒
ローマ文学の流れを迫ってみて︑まず最初に目を引くのが︑農業論の多さであろう︒その主だったものを年代順
に並べてみるとつぎのようにをる︒最初が大力トー Cat ︒ M 且︒ r ︵前二三四−一円九年︶ の ﹃農業論﹄ De Agr 小
Cu − tura ︑ついでサセルナ父子 Saserna ︵前二世紀末︶ の﹃農業論﹄ De Agr Cu − tura ︑ワルロー M 一 T .く arrO
︵前一一六−二七年︶ の﹃農業論﹄ De Re 声 ust 小 ca とつづき︑これらの集大成であるウェルギリウス P ・ Verg ご ius
MarO ︵前七〇−一九年︶ の﹃農耕詩﹄ GeOrg 訂 a がくる︒紀元後にはいってもコルメラ LJ . M . COF ヨ e −− a ︵五〇
年頃︶ の﹃農業論﹄ D 爪声 e 声 ustica が書かれている︒この種の農耕に関する教訓文学は︑ギリシアのへーシオド
ス︑ニーカンドロス等にも見られたが︑ローマ時代に人ってこれだけの数のものが出たということは︑農業に対する
ローマ人の関心の強さを物語り︑生活的自然感情のあらわれとして捉えられようが︑ローマ文学全体を通じての自然
感情の表現も︑農業に関連したものが多いのは充分首肯できる︒こまかな項目にわけて几頂面に農業に関するさまざ
まな注意を述べるこれらの書物の内容は︑時代を経るにつれていよいよくわしくなり︑ローマの変わることのない農 業立国政策を示すが︑国の基盤を農業においたという点でも︑ローマはあきらかにガリアを先導している︒
つぎにローマ文学史にしたがって作家個々の自然感情の表現を見ていきたいが︑文学最盛期であるアウダストウス
帝 Au 粥 uStuS ︵前六三−後一四年︶時代以前の詩人のなかで逸してをらないのが︑ルクレーティウス T . Lucre ︵ ius
Carus ︵前九四〜−五五〜年︶ である︒宗教のきずなと死の恐怖から人間を救おうと科学と哲学と文学を一つに集め
た壮大な叙事詩﹃事物の本性について﹄ D の RerumNatura は︑﹁賢人たちの教えによって守られた静かな高台︵ 9 ︶﹂
自然感情覚書 ︵手塚︶ ︼七
一八 に立ち︑動乱の世から目をそむけた詩人が︑時間を越えて自然と人間についてめぐらした思索の軌跡であり︑筆者の
問題とする自然感情とは無縁に見えるかもしれをいが︑彼がここでその師エビクーロス Ep 芽 urOS ︵前三四二〜−二
七一〜年︶ の﹁隠れて生きよ﹂の教えを一歩進めて︑﹁やわらかい芝生に友とともに互いに身をよこたえて︑水流る
岸のほとり︑高き木の枝陰に︑ことに気候はほほえみ︑めぐる季節が緑の草を花々でかぎるとき︵空﹂にいれば︑多く
のよろこびが与えられると言っていることに注目しよう︒師のエビクーロスが籠もったのは︑アテーナイの一角であ ったが︑ルクレーティウスは隠れて住むにもっともふさわしい場所として︑野山あるいは田園を考えているのであ
る︒テオクリトスからはじまったこの考えは︑ルクレーティウス以後のローマ文学に顕著にあらわれ︑ローマ人の自 然感情の主流となるものである︒
キケロから﹁青年詩人﹂と呼ばれたアレクサンドレイ派の系統を引く詩人たちのなかで︑最大の詩人といわれるカ
トゥルス G ・<・ Catu −−亡 S ︵前八四 1 ・・・︐・五四年︶は︑ホラーティウスほどには繊細でないとしても︑恋のよろこびと
苦しみ︑裏切られた悲 L みを直裁にうたったいかにもローマ的な詩人であるが︑その﹃詩篇四六﹄につぎの任篇があ
一る︒ ia ヨ uer e 呵 e − idO ∽ re 許 rt tepOreS −
Ham cae − i PrO → aequ − nOCt −巴 is
HOCundis Nephyri si −の SCit aureis ・
L ⁝. quantur Phrygi 小︶ Catu −訂︶ Camp −
Nicaea ぷ ue ag の r uber a の StuOSae い
Ad c − aras Asiae uO −の HnuS urb 巾 S .
1am mens pra の tr の p 乙 ans auet uagar −︶
Iam − aet 小 s − ud ㌻ ped2S u − geSCun −・
O du − c の S COmitum ua 訂︷ e cOe ︷ us ︸
LOnge quOS S 小 mu − a dOmO prO 訂 ctOS
Diuersae uar ㌻ e uiae repOrtant ・︵ n ︶
︵仮訳︶ すでに春はあたたかな日々をもたらし︑
すでに彼岸どきの荒れ模様の空も︑
心地よい西の微風にしずまっている︒
カトゥルスよ︑プリユギアの野山も
燃えさかるニーケアの豊かな畑もあとにして︑
アシアの名高い都の方へとんでいこう︒
すでにあこがれにふるえる心は放浪の・旅を思い︑
すでに足はよろこびに新たな力を見出している︒
さらば︑道づれの■たのしい人たちよ︒ われらはこんなに遠くまで来るために︑ともに家郷を出でたった︒
さまざまを道がわれらをべつべつに連れかえすだろう︒
春がきたよろこびがここでもうたわれているわけだが︑そのとき︑旅に出ようという発想がまた一つ加わる︒をぜ
旅にでようとするかはこの詩から読みとるほかないが︑そこには︑ルクレーティウスをはじめとする当時の文人の考 え方が反映しているのであろう︒現に自分が住んでいる場所を去るという願望は︑すでにローマ人に根強かったよう
である︒ ついでウェルギリウスの時代がくる︒彼が世に出たのは﹃牧歌詩﹄ BucO − ica によってであるが︑テオクリトスの
﹃牧歌詩﹄をラテン語に再現しょうという試みから出発したものであるにせよ︑彼がこれをつくったという事実の裏
自然感情覚書︵手塚︶ 一九
二〇
には︑﹁自然への郷愁︵讐﹂がある︒テオクリトスのそれと較べて︑一層柔軟繊細な趣をたたえ︑借用した要素を結合﹂し
て彼自身の色合を強くだしたところ︑さすがにローマ第一の詩人の名に恥じないと言われているが︑ウェルギリウス の三つの代表作にそれぞれギリシア文学のモデルがあったということ︑そして先例とは異なった詩的発しさを見せて
くれることほど︑ローマ文学とギリシア文学の関係について雄弁に語るものはないだろう︒﹃牧歌詩﹄はテオクリト スの︑﹃農耕詩﹄はへーシオドスその他の︑﹃アエネーイス﹄ Aeneis はホメ一口スその他の先例にしたがったもので
ありながら︑そこにはつねに別の美が見られるのである︒ところで︑先にのべた﹁自然への郷愁﹂はどこからきたの
であろうか︒アウダストウス帝の平和政策︑農業振興政策とも︑もちろんそれは無縁でをいが︑ベル・レットル叢書
のウェルギリウス篇の編者サン・ドニロ de Sa 訂 t ・ Dm ロ is は農民の出という彼の出生にその最大の理由を見出す︒
ウェルギリウスは︑森と潅木のあいだに成長した感受件の強い農民の子であった︒それに健康もすぐれているとは言
い難い︒長じても︑生まれ故郷の清澄夜自然が彼の脳裏を去ることは壕いのである︒﹁彼はその故郷の自然と農耕生
活に深く結びついた農夫であった︒故郷を離れて︑ローマ︑ナポリにいても農夫でありつづけたし︑農夫として︑土
に対する愛情︑素朴な生活への趣味を守った︒したがってその想像力は具体的である︵空﹂だから︑同じ牧歌詩を書い
ても彼とテオクリトスとでは当然その風景がちがってくる︒テオクリトスの舞台がシシリアで田園的であるに対し︑
ウェルギリウスの舞台は特定の場所というより一般的場所であり︑田園的というより農耕的になってきたと言えよう
か︒彼がこれを書いたとき︑ローマにはまだ平和は訪れていなかった︒﹁牧歌的単純さと文学的鋭さのまじりあった人
工の世界を︑芸術家の手にをる自然を舞台にして︑現実とは遠く隔たった汚れない雰囲気のなかで措いてみせた︵ 14 ︶﹂
という評が生まれる余地は充分残されているのである︒
しか L 彼にとって自然 ︵田園と言ったほうがよいかもしれない︶ は︑人工的自然と評されようとも︑やはり心のや
すらぎを得るところであったことはたしかである︒その点ではテオクリトスと同様である︒自然の描写はもちろんあ
るが︑自然に対する精緻なまなざしはむしろつぎの﹃農耕詩﹄にうかがわれ︑ここでは一筆讃きといった特徴ある描 写法が目立つ︒
﹃ ra 軋 nus F si − u 小 s pu − cherrima ︶ p − nuS − n hOrt 耳
pOpu − us i ロぎ u 小耳 ab 訂∽ in ヨ Ont 詳 u ∽ a − t 小〜⁚︵讐
森で一番美しい木はとねりこ︑庭では松︑
川のほとトソではポプラ︑高山では樅︒
nec − acrimis ︹ rudel 小 s AmOr neC gramina r ㌻ is
nec cyt − SO Saturantur apeS neC 軒 Onde cape −− a2 ・︵讐
残酷な恋の神は涙に︑育苗 T は水の流れに︑
蜂はうまごやしに︑山羊は木の葉に飽くことがない︒
このような表現も︑ウェルギリウスの詩にテオクリトスのそれより人工的な感じを与える一つの要素であるが︑こ
の表現法の影響は大きく︑フランス近代詩にも随所にその痕跡が見出せるのである︒それよりもここで特に注目しな
ければならをいのはつぎのような自然の捉え方である︒少々長いが引用する︒
E ま︷ i ロ Ctu ヨ Ny ヨ phae ︹ rude − i P2 川 r の DapFn 小∋
ロ ebant ︵ uOS COry − i tes ︷ es 空﹇ロ umina Nymp − Jis ︶︶
cum cOmp − e 舛 a 〜 ui cOrpuS m 軒 rab ご m nat 小
atqu の deOS atque a 旨・ a uOCat Crude − ia mater ・
NOn u −− i pastOS ≡ is egere diebus
賢 gida ︶ Daphn 仰︶ bOueS ad ロ u2ina ⁚ nu −− a neque
−許 au 小 t quadrupe 〜﹀ neC gram ⁝.㌃ att 茸 t h の rbam .
自然感情覚書 ︵手塚︶ a ︼︼︼︻ Je 賃 l
ニー
Daphn ︶ tuOm POenOS e ︻− a ヨー n 票 mu 訂 s の一芸 nes
inter tum mOnt 爪 Sque 訂 r 恒 si − uaeque − OquOntur .
VEs ut arbOribus decOri est ︶ ut uEbus uua の︶
ut greg 夢 us taur −︶ Seg の teS u ︷ p − n 明亡詳 us ar2S ︶
tu d 采 uS Omne tuis . POStquam ︷ e 許 ta ︵ u − eruntu
− pSa Pa − es agrOS a ︵ que − p 〜 e re − iqu 小 t ApO −−〇・
Grand ㌻ saep の qu 訂 us mandau 小 mus hOrdea su − c 小 s ︶
⁝.訂− i 舛−○− ium et st 巧一打 s nascuntur auen 発い
prO mO −︻ i u ㌻− a ︶ prO purpureO narC 訂 O
carduOS et SP − n ㌃ surg − t pa − iurus acut 訂・︵ワ
︵仮訳︶ ダフニスは死んだ︒残酷な死の犠牲となって︒ニンフは泣いた︒
小川とはしぼみがそれを見ていた︒痛ましくも母親は
わが子の亡骸をかきいだいて
あまりの仕打ちと神々と天を憎んだ︒
家畜の群れを連れだすものもいなくなった︑
草原にも泉にも︒馬も牛も
ま
飲もうとはしなかった︒草を食もうともしなかった︒
ダフニス︑君が死んで砂漠のライオンさえ坤いたのだ︒
あかし 山と森がそれを 証する︒ 二二
ぶどうの木が樹木を︑その房がぶどうの木を︑
実り多き収穫が豊かな大地を飾るように
君はわたしたちの名著そのものだった︒ 君がいなくなって︑パレスもアポロも野山から姿を消した︒
大麦がとれるはずだった畠には︑今
毒麦とからす麦が生えている︒
愛らしいすみれにかわって︑美しい水仙にかわって
とげのあるいばらとあざみが咲いている︒
このダフニスについては︑それがカエサルとも︑彼の友人︑身内のものとも言われ︑あるいはまた﹃第四歌﹄でイ
エスの到来を予言し︑ここでその死を予言したとも言われて古来詮索が盛んであるが︑そのことを今問題にする必要
はあるまい︒一人の人間の死をめぐって︑詩人とともに動物︑草花をも含めたあらゆる自然が喪に服するという発想
に注意を払うだけで充分である︒これを自然の擬人化と片づけてしまうには︑あまりに生々しく詩人の働失する心が
読者に伝わってきて︑前号の﹃ギリシア文学の場合﹄で分類した﹁自然そのものが自己の感情と同じ感情をもつもの
としての認識 L に非常に近い感じすら与えるのである︒もちろん︑厳密に言えば︑ここには話者︵詩人︶ がいて︑ダ
フニスと自然を等距離で眺めているが故に︑その範疇には人らをいだろう︒しかし︑この自然感情は︑古典的︑素朴
的ではあろうが︑主観的 − 感傷的自然感情と呼んでもいいほどの■印象を与える︒ダフニスの死を悼む気持があまり
に強いが故に︑話者と自然の距離をほとんど感じさせないのである︒この詩は︑テオクリトスの﹃牧歌詩﹄の第一曲.
﹃テユルシス﹄の模倣と言われ︑そこにもたしかに次のような表現はある︒
やまいぬ げに山射も彼を悼みぬ︑狼も彼を嘆きぬ︒
自然感情覚書 ︵手塚︶ 二三
二四
森のしげみの獅子王も ダフニスの死を泣きて惜みぬ︒ もと あまた その足許にこ〜だくの 牝牛らも︑数多の牡牛ら︑
さてほ仔牛も若年も 数多集ひて嘆きをしみぬ︵讐︒
しかしこれと先のウェルギリウスを比較してみるとその違いはあまりに大きく︑テオクリトスの場合︑
動物の擬人化以上のものを見出すことはできをいだろう︒こうして牧歌詩はウェルギリウスによって︑ この筒所に
新たな自 H 然
観︑新たな美を付されて︑ルネサンス以降のヨーロッパ文学で再生することになる︒
ウェルギリウスがもっとも自己の■才能を発揮できた領域は︑牧歌的世界よりも農耕詩的世界であった︒﹃農耕詩﹄
で彼の才能は見事に結実する︒先に挙げたギリシア︑ローマの多くの農業諭に範を仰ぎ︑自然科学者︑天文学者等の 意見をも参照し︑ルクレーティウスに詩的規範を求めて完成した﹃農耕詩﹄は︑一言で言えば農耕に関する教訓詩で
あるが︑教訓詩という言葉のもつイメージとは程遠い︑詩的情緒にあふれ均整ある構成の見事な文学作品であった︒
内容を簡単に紹介すると︑﹃第一歌﹄では田園での労働と穀物の栽培︑天候などがうたわれ︑カエサルの死の際に
起こったいくつかの不思議夜現象について述べられている︒﹃第二歌﹄では樹木︑とくに︑ぶどう︑オリーブ等の果
樹の発育についての詳細な記述と名高いイタリア讃歌があり︑田園での生活のすばらしさが述べられている︒﹃第三
歌﹄では大小の家畜の飼育法についての説明があり︑ついでアルプス地方を襲った家畜の悪疫についての記述があ
る︒最後の﹃第四歌﹄は蜜蜂の飼育法についての記述であり︑農業の神アリスタエウス Ar 一翼 aeus の伝説が語られ
ている︒
この書に表現されている特徴的な自然感情を見るのに︑好個の文例がある︒
Sin ︶ has ne pOSS m natura の aCCedere par ︻− S ︶
賢 g 乙 us Obstiterit circum praecOrd ㌻ sang ⁝ S ︶
rura nJih 小 et コ g ⁝ p − ac の an 二 n ua − 1ibus amnes ︶
ロ u2 訂 a amem s Fasque − ng − Or ㌢ s ・︵空
︵仮訳︶ わたしの胸を流れる愚春さのゆえに このような・目然の神秘を理解できないなら︑
せめて野と︑谷に注ぐ水の流れを喜びとしますように︑
水のほとりと森を愛して︑光栄を求めずに暮らすことができますように︒
ルクレーティウスの説くように︑人間が心安らかに暮らすことができるのは︑自然のふところである︒自然は美し
く虚飾がない︒そこでの生活は当然︑単純素朴であり︑ヤすらざがある︒光栄などとるに足りないものをのである︒
ここまではエビクーロス派とほほ同じ考えだが︑﹁自然の神秘を理解できないなら﹂という条件のついていることに
注意を払う必要があろう︒この日然の神秘とは︑天の道︑星座︑日蝕︑月蝕︑地震︑潮の干満︑冬の太陽の沈み方の
はやさ夜どを言うのだが︑これを神秘と言い︑その原因を理解できないというところに︑自然を物質の合成物と見る
エビクーロス思想の枠を彼が破って︑自然の力︑あるいは神の力を認め︑それへの人間の従属を承認する態度がうか
がえるのである︒ただしこのことを最初に言ったのはウェルギリウスではをく︑キケロはすでにその﹃神々の本質に
ついて﹄ D の Natura DeOrum で︑ギリシアのストア派の哲学者クレアンテース声︼ eanthes ︵前三三一?・−二三
二〜年︶の説を紹介し︑それに賛意を表している︵讐︒それによると︑神という観念が人間の内に形成されるには︑凹
つの原因が考えられる︒ H は予感というものがあること︑口は大地が肥沃なことをど︑臼は嵐︑雲︑雪︑電︑早魅︑
患疫︑地震︑地鳴り︑石の雨︑赤い雨滴︑落盤︑地割れ︑天に見られる熔︑流れ星︑二重の太陽︑といった現象があ
ること︒これらによっても人間は天なる神の力を承認せざるを得ないが︑特に重要なのが例の︑天の運動の周期の規
則正しさで︑太陽︑月︑星が裁然と区別され︑それぞれが有益で美しく︑その運行に秩序があることは︑これらの
天体が偶然の産物でないことをはっきりと示し︑人間は決定的に神の存在を知らされるというのである︒ウェルギリ
自然感情覚書 ︵手塚︶ 二五
二六
ウスの考えは︑あきらかにクレアンテースとキケロの延長線上にあって︑このような自然観はやがてセネカ L . A .
Seneca ︵前四−後六五年︶ に見られるつぎのような文章に発展していく︒たとえば彼はその﹃摂理について﹄ Dn
PrO く ident ㌻で︑星の一定の運動は偶然の衝撃によるものではをいと言ったあとで︑﹁このような偉大な作業は︑それ
に心を配るある人がい浸ければ不可能である︒表面上︑知秩序で不確実夜自然現象と思われる雨とか雲︑あるいは雲
から送る稲妻とか︑山の半ば開いた頂からふきあがる物質︑地震︑そういったものそれぞれが理由をもち動機がある
のである︵乳︶﹂と神をある人という表現で呼んで︑自然の人格化であったギリシアの神とはあきらかに異なる神を想う
のである︒このように気象︑天体から神を想起する文章は︑セネカの﹃対話集﹄ D 小巴 Og −にかなりしばしば見受けら れ ︵特にその三つの﹃慰めの書﹄ D の COnSO − at5 . n のに多い︶ ローマ人の一般的対神感情を示すのだろうが︑つぎの
文意 T に出合うときわれわれは驚きに似たものを感じる︒
もし君︵ Luci − ius ︶ が鬱蒼と交錯する枝が空をかくす太古さながらの老樹の大森林︑聖なる森にくるなら︑その
樹木の大きさ︑あたりの静けさ︑平野の只中のこの奥深く陰温い眺めに心を打たれて︑神の存在について想いを寄
せるだろう︒また山の中腹に深く浸蝕された岩石の洞窟が︑人間の手によるものでなく︑自然の原因によってかく
も巨大にえぐられたものであることを知って︑君の心は宗教的神秘の感情に捉われるであろう︵舛ご︒
もちろんここにギリシアから伝わるローマ人の森林あるいは洞窟崇拝の跡を読みとることも容易であろうが︑それ
をこえて自然の去月観を前にして直接的に神性の存在を信ずるセネカが強く浮かびあがり︑ローマ人の文章でありなが
ら︑われわれに近代の思想家あるいはロマン派の詩人の文章を読んでいるようを気さえ起こさせるのである︒これは
あきらかに宗教的自然感情と名づけられるものであろう︒ここでは宗教的白然感情についてくわしくは触れず︑キリ
スト以後の時代を述べる機会に待ちたいが︑民族的自然感情︑時代的自然感情とともに︑大類型にいれることも可能
を宗教的自然感情とは︑要するに︑自然を神の作品として眺め︑そこに神の象徴を感知する感情であり︑フランス文
学で言えば︑シャトーブリアン︑ラマルチーヌ等ロマン派の詩人に特徴的であるが︑ギリシア時代から自然現象から
は感知されていたにせよ︑キケロ︑ウェルギリウスに至ってようゃくそれが文学作品にも表現されるようになり︑さ
らにセネカの時代になって自然現象ではなく︑自然の景観を前にしてのこのようを明瞭な感情表現となってあらわれ
たことは︑自然感情の発達の面から眺めるとき︑ローマ文学はぎリシア文学になかった感情を己れのものとしたこと
になる︒ホメ一口スのカリユプソーの洞窟との関連については後程述べることにして︑ふたたび﹃農耕詩﹄に戻りた
いが︑その前についでに言っておけば︑ローマ文学にはわれわれを驚かす近代的感情がしばしばあらわれ︑つぎにあ
げるキケロの文章など︑その最たるものであろう︒
この孤独のをかで︑わたしは誰とも話したくない︒朝︑わたしは鬱蒼たる原生林に入りこみ︑夕方まで出てこな
い︒君以外にわたしの好きなのはこの孤独だけだ︒この孤独のなかで︑わたしは文学作品とだけ対話をつづける︒
だが涙によってわたしは中断される︒わたしは涙に抵抗しようとする︒でもわたしたちには︑いつも変わらぬ心で
いられる力はまだない︵讐︒
これは彼が愛娘トウリア Tu −−㌻を失くしたとき︑親友アテイクス Att 訂 us へ宛てた手紙の一節であるが︑キケ
ロのものと知らされないなら︑一九世紀人の書いた手紙と信じるであろう︒ここに見られる自然感情そのものは︑心
の■憂さを自然にまぎらすと言ったもので︑先に挙げたルクレーティウスの態度とも通じ︑ウェルギリウス以下の多く
の詩人に見られる感情である︒
﹃農耕詩﹄に戻ろう︒ウェルギリウスは農民の世界を自分の肌で知っていた︒先人の書を参考にはしたが︑これこ
そ彼が自信をもって語れる世界である︒農耕の辛さ︑そこで働く人々のよろこびと悲しみは身をもって知っている︒
畑作への準備は夜明けまえからはじまっている︒夏は暑く︑冬はきびしい寒さである︒イタリアの土地がいくら豊か
だといっても︑そこから収穫を得るためには︑農夫は精︼杯働かなければならない︒このような現実を踏まえた上で
自然感情覚書 ︵手塚︶ 二七
二八
の田園生活の讃歌は︑自然の全的受容と︑結局は死すべき人間の生あるかぎりの懸命な働きに対するこの上ないゃさ
しさを深く秘めて︑敬虞の情とある種の悲哀感さえただよい︑ウェルギリウスを先例を越えたローマ最高の詩人とし
ているのである︒ここで彼は農耕生活の尊さを教えながら︑さまざまを思索を展開する︒農耕生活と思索を見事に一
致させたと言えようか︒以後︑ローマの文学者たちはこれに倣って︑農耕生活を営みながら思索にふけることを理想
的生活と考えるようになる︒自然の全的受容は自然に対する愛情につながり︑ウェルギリウスのやさしさが動物にま
で及んでいることにも注意を払おう︒家畜の飼育についてうたった﹃第三歌﹄には︑その愛情が随所にあふれ︑それ
がもっとも精密な自然観察となってあらわれる︒動物同士の愛情︑その病気と死によって人間に似たものとしての捉 え方で︑ウェルギリウスはフランシス・ジャムの直接の視である︒ここでは自然観察のこまやかさと見る目のあたた
かさを感じさせる文例を一つあげるにとどめる︒
Tum −茸 uidas cOru − preSSO ter gutture uOC の S
aut quater − ngem 小 nant et saep の Cub 小− ibus a −︵ is
nesc ⁝ O qua praetnr 〜○−訂 um du − ced ㌢ e − aeti
int の r S の訂訂− iis strep − tant いー亡 ua 二 mbribus actis
prOgen 訂 m pa → uam du − c 小 sque reu 小器 re n 己 OS −︵讐
︵仮訳︶ そういうとき︑からすは喉をしぼりあげて
三回︑四回︑鋭い声をひびかせる︒
そして︑ときに急に高みにある巣にとんでいき︑
薫かげでにぎやかにおしゃべりをする︒
雨があがったとき︑巣にいる雛を見るときのうれしそうなこと︒
ローマ帝国の起源とその成長を讃美する叙事詩﹃アエネーイス﹄は︑﹁ローマの高大な過去と壮麗な現代を措くの みではをく︑更にそれらのすべてをつつむ永遠の相のもとに︑自然と人と国とを見さだめ︑生とともに死を見つめて
いた︵警﹂ウェルギリウスをあますところなく伝えるが︑ここにおける自然は ﹃イーリアス﹄と同様︑直喩として用 いられることが多く︑われわれの期待に答えてくれるほどの自然観察は見当たらない︒アエネーアスが目的地イタリ
アに上陸する場面でも︑将来ローマとをるべき土地の風物のもっと生き生きとした描写が望まれるはずと思われるが︑
つぎの引用に見られるようにさらりと流している感じが強いのである︒この叙事詩のテーマが︑前半はアエネーアス
とディドーとの恋︑後半がトゥルヌスとの戦闘といったように人間中心に展開していることとも︑それは無関係でを
いのだろう︒
見ればティベルの川波が︑流れも楽しくこの森の︑
間に早い渦を巻き︑多量の砂で黄で染まり︑
流れて海に落ちている︒川の岸と川床に︑
なじむ種々の鳥どもは︑川のまわりにまた上に︑
歌って空気をヤわらげつ︑森にしきりに飛びかよう︒
アエネーアスは部下たちに︑航路をまげて陸岸に︑
舶を向けよと命令し︑心も楽しく山陰深い
流れに向って寄せてゆく︵讐︒
﹃第一巻﹄の有名な嵐の描写にしても︑あえて言うなら︑ウェルギリウス的であるよりもホメ一口ス的であろう︒
しかしその直喩はホメ一口スに比して一層精細になり︑古典的比喩としての完成を示す︒
自然感情覚書 ︵手塚︶ 二九
三〇
︵カ︑︑︑ルラが敵を血祭りにあげて︶
そのさまあたかも神聖な︑鷹が飛んで費え立つ︑
岩より軽く舞い上り︑雲間に高く飛ぶ鳩に︑
迫ってつかまえ瓜の立つ︑脚で内臓裂き出だし︑ むし 血糊と撲ったその羽を天よりはらはら散らすよう︵㌘︶︒
もう一つ気づくことは︑直喩が人間の感覚にまで及んでいることである︒
︵女神がウェヌスが夫ウォルカーヌスをかきいだく︒ウォルカーヌスはたちまち︶
例の煩を身中に︑燃やして熱は常のよう︑
骨の髄まで焼き入って︑とろける骨をかけめぐる︑ らい そのさま時に電光を︑伴う雷の轟きの︑
さ中に火の矢がひらめいて︑鋭い光が雷雲を︑
貫き走るに異ならず︵讐︒
﹃田園詩﹄︑﹃農耕詩﹄にうかがわれた人里をはなれて静かに暮らしたいという願望は︑﹃アエネーイス﹄にあって
も︑神話的ギリシアの最初の歌謡者であり︑詩人の祖といわれるムーサエウス P ビレ SaeuS の口からこう語らせるこ
とによって示される︒国民的大叙事詩を書き濠がらも︑ウェルギリウスの心境はついに変わることがなかったのであ
ろ・フ︒ 誰にも定まる家はない︒われらは自由に蔭多い︑
しとねかわぎし 森と荷の河岸と︑小川の水うけ新鮮な︑
緑を見せる牧場とを︑住居ときめてここに棲む︵讐︒
ウェルギリウスの同時代人ホラーティウスも自然をうたった詩人である︒彼はすでにその第二作﹃諷刺詩﹄ Sat 小 rae
中の ﹃田舎ねずみの物語﹄で言っている︒
私の願いはこうだった︒それほど大きくなくてよいが︑ちょっとした土地が手に入り︑そこに庭と家があり︑そ こんこん の傍には漬漠とわく泉とその上手に森でもあればよかったのだ︵釦︶︒
ここで彼は︑与えられた農園での静かな生活と都会のわずらわしい生活を対比的に措く︒この物語の後半はそのた
とえ話である︒都会のねずみが田舎のねずみに向かって︑田舎で暮らしていてなにが楽しいのだ︑この世に生きてい
るものは︑みないつかは死なねばならない︑生命は長くないのだから︑生ある内に楽しく暮らそう︑と言って都会に
誘いだす︒都会に出てご馳走を食べていると︑犬のうなり声がなりひびく︒田舎ねずみは早々にもとの生活に戻って
いくというのである︒この︑田舎への逃避と生ある一瞬を楽しもうという考えが︑以後の彼の詩の基調音となる︒
抒情詩の集大成である﹃カル︑︑︑ナ﹄ Carmina には︑そのような感情をうたった詩が数多く見られ︑ロンサールに
大きな影響を与えるのである︒たとえば﹃第一巻一七﹄は︑嫉妬深い恋人に苦しむ少女に︑彼の農園に逃がれてくる
フォーヌ ように呼びかける詩である︒この農園では牝山羊たちが夏の炎暑ヤ風雨から牧神に守られて︑悠々と木苺や立じやこ う草をさがし求め︑人間関係のわずらわしさをど一切ない︒なぜなら︑
D 小 me tuentur ︶ d 小 s p − etaS mea
e − Musa cOrd 申訳︵・ H 岩. tib 小 cOp − a
自然感覚情書︵手塚︶ 三一
三二
manab訂ad p−enum be甘gnO
ru→小s hOnOrum Opu−enta cOrniい︵31︶
︵仮訳︶ 神々はわたしを守り︑わたしの信心とわたしの詩は神々に
賞でられる︒ここでは︑お前のために田園の豊かを飾りが
その寛大な角から満ちあふれ
お前に向かってたっぷりと注がれるだろう︑
からである︒さらに彼は季節の移り変わりをしばしばうたった︒たとえば春の歌はこの調子ではじまる︒
Di芦−ge→e n㌻es︶redeunt㌻m gram⁝.a Camp−S
arbOr夢usque cOmaの
mu︻at︵erra u訂es et decrescのロ︵iaコpaS
ロum5.a praetereun︷い︵讐
︵仮訳︶ 雪も立ちさり︑すでに野には青蓋Tがもどり︑
木々は芽ぶく︒
大地は新た夜衣をまとい︑水かさの減った川は
岸辺に沿ってゆるやかに流れる︒
冬の描写もあってこうはじまる︒
ノ﹁乙わS ut a−ta s︵のt n小uのCand訂−um
SOraCtのn宍∴am sus︵ineant OnuS
SFae−abOranteS gduque
ロumina cOnSt叫terint anutOり︵お︶
︵仮訳︶ 見えるだろう︑厚い雪に覆われた
純白のソーラクテの峯が︒
森は重い荷物に疲れはて︑もう耐えることができない︒
川の水も︑きびしい氷にその涜れを閉ぎされた︒
春の歌はつぎのようにつづく︒春がくれば美の三女神がニンフ達と踊りだす︒しかしなにごとも不滅を望んではな
らないのだ︒才月がわれわれに与えてくれる忠告がそれである︒寒さは微風にヤわらげられ︑春は夏の足の下に消
え︑夏も果実の父︑秋がその贈り物をもたらせば滅び︑ヤがてまた冬がやってくる︒われらも死せば影と塵になろ
う︒今日という日に︑天上の神が明日の一瞬をつけ加えてくれるかどうかを誰が知っていよう︒冬の詩は︑炉に薪を
高くつみ︑四冬を越した上等の酒を酌もう︑明日がどうなるかなどとは思いわずらわず︑今日の一瞬を楽しめばよ
い︑あとのことは神の御心のままにまかせよう︑とつづくのである︒
彼が季節をうたうとき︑ほとんどつねにそこには︑時の流れに対する恐怖と死の影がともにあり︑それを振り払う
ようにこの一瞬を大切にという叫びがあがる︒これは彼がエビクーロス思想を体していたからだとふつうは説明され る︒﹁エビクーロス思想の本質をなす観照のひとつは︑一瞬一瞬じたいが持っている価値ということであった︵讐﹂そ
のとき﹁死の思いさえも︑にがく苦しいものどころか︑生によっていまここに在るということの意味が一新されて︑ そこに死の価値のすべてが投入される︵讐﹂のである︒
この自然感情はアルカイオス︑カトゥルスにすでに認められたそれの変形したものであろうが︑ホラーティウスに
自然感情覚書 ︵手塚︶ 三三
三四
あってとくに目をびくのは︑その軽快な自然描写が人生訓話と結びつくことと︑功利的関心と無縁の冬をうたったこ
とである︒しかし彼にとってなににもまして尊いものは︑やはり都会を去って田園でのしあわせな一瞬だったので
ある︒
エレギア詩人として名高いティブルス A 夢 ius T 謀 u 亡 us ︵前四八〜−一九年︶はホラーティウスの友人であり︑本
質的には恋愛詩人であるが︑青春時代を田園で送っていたせいか︑彼もまたそこでの生活のやすらかさへのあこがれ
をうたいつづけた︒エレギア E − egia ﹃第一巻の一﹄が︑その典型的な詩である︒
m の︼∃元 a paup の rtaS u 小 ta traduFe ユト︶
dum meus ads 己 uO − ucea : gne 訂 cus ︸
− pS の S の ram teneraS maturO tempOre u 訂 s
rust 訂 us et 許 c ご i g → and 岩. pOma manu ﹀
nec Spe 〜 d 邑小 tuat ︶ Sed 草 u 粥 um S の mper aCeruOS
praebeat et p 訂 nO p − ngu − a muSta − acu ・
NOn 巾 gO dFit5 . S patrum 中 uctusque r ぷ⁝→○﹀
quOS tu − itant − quO COnd 小 ta messis auO ⁚
parua seges sat 小〜 eSt ︶ nOtO requ − eSnere − ectO
si − ic の t 具 sO − itO meHnbra − euare tOr 〇.
心 uam iuua 二 mm 許 s uentOS aud 訂 c 亡 ban ︻ em
et dOHn −ロ am tenerO COnt −ロ u ㌃ s の S 小 nu
a き ge − idas h 詳 ernu 〜 aqua 〜 Cum Pder 小 t Auster ︶
S 宍 urum SO ヨ nOS − gn のど uante sequ ︵讐
︵仮訳︶ わたしはと言えば︑貧しさがのどかな暮しをさせてくれますように︒
消えることなく︑煩が炉で燃えていますように︒
農夫として︑幸多き季節に可憐なぶどうの若苗を植え︑
また︑成長した若木を巧みな手で植えることができますように︒
希望の女神がわたしをだまさず︑つねに収穫を豊かに︑
こくのある新酒でわたしの酒樽を満たしてくれますように︒
わたしには︑父親の富も︑かつて納屋につまれた収穫物が
祖先にもたらした収入も欲しくありません︒
わずかな麦畑で充分なのです︒もし親しい寝床に休めるなら︑
なじんだ裾に身体をのばせる覆ら︒
ベットから嵐の音を聞いていられたら︑
胸に恋人を抱くことができたら︑なんたるよろこび︒ アウスチル あるいは南風が凍える雨を降らせるとき︑
心地よい火にあたって心静かに眠ることができますなら︒
彼の理想もやさしい恋人とともに田園で素朴平安な生活を営むことであり︑ウェルギリウス︑ホラーティウスの二
人の考え方と驚くほど似ているのである︒
ローマ文学史上最後の大詩人オウィディウス P ・〇<小数 us NasO ︵前四三−後一七〜年︶には︑とりたてて言うほ
どの自然感情の表出はをい︒しかし ﹃名婦の書簡﹄ HerOidum 田 pistu − ae 中の ﹃ペーネロペーからウリクセース
自然感情覚書 ︵手塚︶ 三五
三六
へ﹄に
昔のトロイア城も︑今はこがねの麦畑︑プリユギア人の血で肥えた土地が刈入れを待って豊かに波うっている︒
半ばに埋もれたもののふらの骨が︑反りかえった鋤にうたれ︑朽ちほろびた宮殿のあとには︑夏草がおい繁ってい
る︒しかし︑勝利したあなたは帰って来ない′︵3
7︶ という一節があり︑夫の帰還のあまりの遅さと年月のめぐりを対比させるのだが︑トロイア城跡の情景描写がデイ ドロをはじめとする近代人をして廃墟の美に目覚めさせたはるかかなたの原型であるというのは︑すこし言い過ぎで あろうか︒彼はローマ詩人のなかでは﹃アルス・アマトリア﹄ArsAmatOr小aのようを︑もっとも社交性に富んだ 詩を書いた人だが︑黒海沿岸に追放されてからは﹃悲歌﹄Tristiaと﹃黒海からの書簡﹄Ep小〜邑aのe舛POntOとい う︑僻地での生活のみじめさと気候のきびしさをうたって︑身の不幸を欺くとともに罪の許しを求める個人的色彩の 強い詩を書いた︒ここには︑たとえば海を荒れ狂わすはげしい暴風雨の描写があり︵警︑物みな凍らせるすさまじい 冬の描写がある︵讐と同時に︑魅力的なローマ市の広場︑寺院︑劇場︑柱廊などへの愛惜と︑おだヤかなたたずまいの 田園への限りない望郷の念がある︵空︒ウェルギリウスの﹁自然への郷愁﹂が︑追放という外的事情のために一層凝 縮し︑それがほとばしり出た感じである︒望郷の歌の典型と言うべく︑これがフランス文学ではデュ・ベルレイある いはユゴーへとつをがるのだが︑ここに見られる自然感情は︑祖国へ戻りたいという切をる願いのあらわれであっ て︑その願いを更につのらせる暴風︑冬などの描写があるわけであり︑やはり客観的−生活的自然感情として捉え られるべきものであろう︒ アウダストウス帝の死︵後一四年︶以降のローマでは︑もっぱら諷刺詩︑歴史︑叙事詩︑小説などが生産されるよ うになって︑人間あるいは人間関係だけを問題にする文学が主流を占めるので︑自然感情という点からはとりあげる べき作品はほとんどない︒そのころの文学傾向をベルシウスA一句ersiusF−accus︵後三四1六二年︶は的確に指摘 する︒﹁ほれ見給え︑ギリシア語でばっかりたわいもないことをほざいている連中が︑英堆詩の趣なんかを持ち込ん でいるじゃないか︑鎮守の森の情緒を歌えるようを芸術家でもない連中がさ︒草刈り寵︑いろり︑畜舎の豚達︑乾草 にむせる秋祭りといった様を豊かを田園生活をたたえることもせずに︵瓜︶﹂ 大いなるパーン ︵牧神︶ はゃはり死んだのかもしれない︒人間社会が文学のテーマになって︑ある者はそれを諷刺 し︑ある者は歴史に逃がれ︑田園への憧憬はもはや文学の主題とはならない︒しかしべルシウスにとって︑ローマ文 学の正統な伝統は︑ウェルギリウスの﹃牧歌詩﹄﹃農耕詩﹄の世界をつぐものでなければなら夜かったのである︒そ してその伝統はときおり思いだしたようにコルメラの﹃農業論﹄ぁるいはぐつと後世になるがアウソーニウス P . P ︷.
Au50 日㌻ s ︵後三一〇〜−三九四年︶ の﹃田園詩﹄ Idy 亡 ia を生みだしたが︑それは田園への憧憶が長い期間文学には
あらわれなかったとしても︑ローマがあいかわらず農業国であり︑田園に憩いを求めるのがすでにローマ人一般の風 習として定着したことを示すものであった︒このことは︑ベルシウスより時代はさがるがマールクス・アウレーリウ
ス帝 M 一 A ・ Aure − ius ︵後一二一−一八〇年︶ の言葉によってもうかがわれる︒﹁憩いの場所にと︑人々は田園や海
浜や山地を求める︒おまえにもまた︑そうしたものを熱望する習わしがある︵讐﹂ もっともこれはストア派の哲学者 である皇帝が言ったことなので︑こういう態度はとるべきではない︑哲学者たるもの︑おのれ自らの心の内にまさる
小田園はない︑とつづくのだが︑ローマ人一般に田園に対する趣味がひろまっていたことはあきらかであり︑田園に
還れという文学による指導は充分すぎるほど果たされたのである︒この風習を背景に︑そしてテオクリトス︑ウェル
ギリウスの伝統をうけて一つの見事な文学作品が生まれた︒それがギリシア譜で善かれた小説︑ロンゴス LOngOS の﹃ダフニスとクロエー﹄である︒二世紀後半から三世紀までのあいだに善かれたと推定されるこの小説は︑当時の
披潤万丈の筋立ての小説のをかにあって︑舞台をレスボスに固定し︑牧童と少女のプラトニックな恋愛が四季の移り
変りにつれて成熟していく様を措いてその清純さで名高いが︑これがもてはやされた理由を言う必要はをいだろう︒
ここでの自然描写も︑それ以前のギリシア︑ローマ文学の影響をうけ﹁夏はテオクリトスの︑春はウェルギリウスの
﹃牧歌﹄の︑秋はホーマーの﹃イーリアス﹄のぶどう摘みと酒造り︵讐﹂を思い起こさせるが︑純粋に物語の進行を示
自然感情覚書 ︵手塚︶ 三七
三八
すためだけに季節の描写が登場してきたことは︑客観的自然感情がレアリスムにつながるものとは言え︑注目すべき
であろう︒とくに冬は生活的功利的関心と結びつきにくいので︑その描写はギリシア︑ローマ文学では稀であり︑先
に挙げたホラーティウスの詩︑またオウィディウスの詩とともに記憶されるべきである︒一応その箇所を引用して
おく︒
さて冬が来た︒ダフニスとクロエーにとり戦さよりいっそうつらい冬である︒とつぜんに一面の大雪が降ってあ
らゆる道をすっかり閉ざし︑農夫たちをみな家に閉じこめてしまった︒冬の川瀬は勢いよくたぎりおち︑氷が張り つめ︑あたりの木々もいま折れようと思われる景色︑どこもかしこも地面はまったく見えずに︑ただ泉のほとりと
か流れのほとりとかいったとこだけがわかる︵亜︶︒
以上︑ローマ文学の流れに沿いながら︑その主だった詩人の作品を通して︑自然感情のあらわれ方をごく大ざっぱ
に見てきたわけだが︑ローマ人の自然感情のほとんどは︑やはりその最大の詩人ウェルギリウスに集約的に見出され
ると言えよう︒一応ここでローマ人に特徴的な自然感情を分類整理してみる︒
Hカトゥルス︑ホラーティウスに代表される︑春あるいは移り変る季節がなんらかの人間的関心と結びつく感情︒
ローマ文学の場合は︑旅に出ようとか︑このひと時を楽しもうという発想と結びついたが︑これはギリシアのアルク
マーンの詩に見られた自然感情が変形深化したものと言えよう︒
ロルクレーティウス︑ウェルギリウス︑ホラーティウス︑ティブルス等に見られた田園を憧憬し︑そこに寵もって
精神の■やすらぎを求めたいという願望︒これにはテオクリトスの影響とルクレーティウスを経て導入されたエビクー
ロス哲学の影響が大きいが︑ローマが農業をもって国の基礎としていたことが背景にあって︑それらの影響を受けや
すい環境であったことも事実である︒テオクリトスの自然は牧歌的なものであり︑牧童が理想的人間像であったが︑
ローマ人の場合︑・目然とは田畑のことであhソ︑そこに籠もるというのは︑農耕に従事することを意味した︒さらにテ
オクリトスの場合は自然に対するものが都会であったが︑ローマ人にあってはそれが拡大され︑政治とか社会とかあ
るいは人の世のわずらわしさといったものになってくる︒ウェルギリウスはその﹃農耕詩﹄で労働と思索を一致さ
せ︑﹁初期キリスト教の修道院にとるべき道を教えた﹂と言ったのは︑たしかT・S・エリオットだったと思うが︑
そういう見方もできるだろう︒田園に暮らすということは︑そこにあるすべてに充実したまなざしを注ぐことにな
り︑そこから精細な自然描写が生まれ︑動物への愛情がよせられる︒アッシジの聖フランチェスコはまさにウェルギ
リウスの弟子であった︒
臼ウェルギリウスにだけ見られるものだが︑自然との一体感︒ギリシアでは自然の人格化が神であり︑神は擬人化
されて文学に登場した︒また牧童が野山に住まわせた超自然の者どもであるパンもニンフも文学に登場した︒ローマ
文学もその伝統を受けついで︑野山を擬人化するし︑パンもニンフもあらわれる︒しかしダフニスの死をめぐっての
自然界の欺き方の描写には︑擬人化はあるにせよ︑それをこえてほとんど主観的 − 感傷的自然感情が表現されてい ると見ることができた︒ギリシアのアルクマーンの詩に見られた客観的 − 交感的自然感情より数歩主観的感情に近−
づいている︒ 闘牛ケロ︑ウェルギリウスにその前兆があり︑セネカに至って明瞭に示される自然の景観に神の存在を信じる宗教
的感情︒それならホメ一口スがカリユプソーの洞窟を描写したのも︑宗教的自然感情のあらわれではをいか︑という
意見が当然でてこよう︒しかしホメ一口スが神の住居としたのは︑南国の太陽熱をさえぎり︑水もある洞窟︑要する
に人間にとって好もしい場所であった︒人間の功利的︑官能的関心をそそるところが神の住居であった︒だがセネカ
の場合は功利的関心の入りこむ余地はほとんどをく︑老樹の生い茂る荘厳な眺めに︑純粋に宗教的感情がわきあがっ
てくるのである︒これは自然感情表現の歴史のなかで︑特記すべきことである︒
以上の分類によって︑ギリシア文学にはあらわれず︑ローマ文学にはじめて見出せた自然感情として︑日と佃が挙
げられ︑人間感情は時代を経るにしたがって豊かになるという平凡な結論がここでも得られるが︑ローマ人一般の最
自然感情覚書 ︵手塚︶ 三九
四〇
大公約数的自然感情としては口を指摘することができ︑社会の複雑化と流行が人間感情の形成に大きく影響した最初
の事例として記憶されるべきである︒ローマ文学は︑そのスケール︑力強さという点でギリシア文学に劣るだろう
が︑その内容を検討するとき︑哲学的思考が深まっただけでなく︑人間感情の表現が多彩にをってきたこともたしか
で︑とくにストア派の哲学者たちに近代人的な感情が見られたということは︑その哲学の根底にある人間認識につい
て多くの示唆を与えてくれるのである︒
庭園︑絵画からのアプローチは︑口に示した田園憧憬の感情がローマ人にいかに根強かったかを一層明確にする︒
ローマ人が庭園を所有していたことは︑ポンペイその他の遺跡で確認されており︑富豪の邸宅には前庭 atrium 中
庭 peristy − ium 後庭舛 yStuS の三つもの庭があったことが知られている︵讐︒前庭は採光と通風のためのものだった
が︑中庭は例外なく自然土のままで樹木が植えられ︑他または水盤があって彫像も置かれていた︒後庭は野菜や果樹 や草花の栽培に供されていたようである︒また別荘などには競戦車場兼庭園としての広大な土地があり︑いわゆるフ
ランス式庭園とかなり近いものができていたらしい︒彼らは中庭をとりかこむ壁面を風景画で飾って︑それにひろが
りをもたせ︑邸内にいながらにして広大な田園の気分を楽しむような工夫さえこらしていたのである︒
風景画としてはヴァテイカンの﹃オデュッセイア連作﹄が名高いが︑これはオデュッセイアの伝説的世界を描こう
としたものであり︑ここでとくにとりあげる必要はないだろう︒それらよりも注目をひくの■がポンペイ出土の ﹃青鷺
と蛇﹄とスタビア出土の﹃港の風景﹄の二作である︒前者は鷺が背をまるめて蛇にとびかかろうとする姿を措いて︑
ウェルギリウスの鋭い観察眼を思わせるし︑後者は微風と陽光のなかにふるえる港を描いて︑ホラーティウスの春の
軽快な自然描写を連想させるのである︒ ︵一九七一年一一月︶
註
︵ 1 ︶ Mm ︒ de ST ♭出 L b ホ㌢=ご私道ぎー♪⁚訂表内 b す革ぎ 九四ページ ︵ Te 巳 es Litt 爪 raires 廿イ a コ爪 ais ︶ ︵ 2 ︶同書九六−九七ページ
ノ ̄ヽ ( ノ■ヽ ノ■\ ( ( ノ ̄、・ ( ( ′ ̄、 ( ( ノ ̄、 ′ 、 ( ′ 、 /、 ( ′ 、 ′ 、 ノ■ヽ ( ノーヽ ノ■ヽ ′一・ヽ ′−ヽ
28272625242322212019181716151413121110 9 8 7 6 5 4 3
ヽ一/ ヽ−/ ヽ−′ ヽ−・・′ ヽ一′ ヽ−−′ ヽ・一・′ ヽ−ノ ヽ一′ ヽ J ) ヽ・_・′ ヽ_/ ヽ}′ ヽ一′ ) 、ヽ一′ ヽ_・/ ヽ一′ ) ヽ_.・′ ) ヽ_.′ ) ヽ一′ )
同書一〇一ページ HO声AC同心官ぎぶLぜ㌢邑ぎ:ぶ二一五八ページ︵L涙申e−k〜Lettres︶ ホラティウス﹁詩論﹂二〇八ページ︵筑摩書房世界文学大系六七︶鈴木一郎訳
同書二〇九ページ これらの言葉は︑たとえば﹁スキピオの夢﹂﹁法律について﹂︵中央公論社世界の名著一三所載︶などに見られる︒ レーフステツト﹁ローマ文学の背景﹂三五一ページ︵筑磨世界文学大系六七︶国原書之助訳 ルクレティウス﹁事物の本質について﹂三一三ページ︵筑摩書房世界古典文学全集二一︶藤沢・岩田訳 同書三一三ページ CATULLE.才幹耳∴畏三一ページ︵Les穿川−−esLett・・eS︶ 高津・斎藤﹁ギリシア・ローマ古典文学案内L一一四ページ︵岩波文庫別冊︶ E.日印SA−ヨ・lロEN−S編<芳GllEb罵乳首ミナ計ぎ計ヘリ㌻q3一〇ページ︵Les申e−−esLe︷tre〜︶
同書き︑針q一三ページ 加害已叫誌喜同書八二ページ b罠Q︑計色毎同書九八ページ b罵Q〜訂白﹁同書六六ページ テオクリトス﹁テユルシスの歌﹂一三〇ページ︵岩波文庫﹁ギリシア抒情詩選﹂所載︶呉茂一訳 く一芸FEG訃各鴫罵h−C等息へS七三六ページ︵LesBe︼l窮Lettr且 C−C賢5Zb吋訂3諷§:許こ望買ペ≒四一四ページ︵ト巴∴慧■尋㌢己所載巨b−iOthguede−aヨ恥iade︶
S外2帥雪Ebへ㌻91等叫計−§同書七五七−七五八ページ
S外Z軒持てEト註ヽ顎払卜罵叫託巳−ゴきこ1ヒ㌻二㌢邑巳や一六七−ハ八ページ︵LesBeesLe守es︶
C−C外声OZト入浸さり払ゝ叫許ミー↓ぎ
.莞Lざ﹁Lゞ茎﹁kと∵こ三二ページ︵C−琵SiquesGar−1ier︶ くーRG−LE黒点青書こぎ冬ぎ:一五−ハページ︵LesB已−esLe≡es︶ 泉井久之助﹁アエネーイス解説﹂四四一ページ︵筑摩世界古典文学全集二こ ウェルギリウス﹁アエネーイス﹂一四二−一四三ページ︵同書︶泉井久之助訳 同書二五大ページ 同書一七六ページ 自然感情覚書 ︵手塚︶ 四一
衣冠翁義重爺論議爺詭玉茄翁詭茄茄茜
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