ヨーセフII世治下における検閲制度と言論・表現の 自由
著者 足立 昌勝
雑誌名 法經論集
巻 43
ページ 1‑21
発行年 1979‑03‑31
出版者 静岡大学法経短期大学部
URL http://doi.org/10.14945/00008939
ヨーセブH世治下における検閲制度と言論・表現の自由
ヨ・一・セブII世治下における検閲制度と書論・表現の自由
附四 、 、 、 、 、
はじめにオーストリアにおける検閲制度の歴史
ヨーセブ∬世治下における検閲制度と書論・表現の自由
むすび
一七八一年﹁検閲法﹂試訳
一 はじめに
足
立
昌
勝
われわれが近代市民社会を考えるときには︑個人の人格的自覚とともにそこから表出する言論・表現の自由を考えなけ
ればならない︒旧体制は支配的イデオロギーを維待するため完備した検閲制度を持ち︑検閲機構を持っていた︒人民が個
人として人格的にめざめ︑言論・表現の自由を要求し︑体制批判・政治的批判の自由を求めたときは︑それはすぐれて政
治的要求となったのである︒
われわれがこれから問題とするハプスブルク家のヨーセブH世︵鱗o°︒の喜﹃︶は︑プロイセンのフリートリヒE世︵
閏ユ㊦響一穿悶しとともに︑啓蒙君主として知られているが︑彼は人民の要求なくして政治的批判の自由を人民に与えた︒
一 1
一
それはたった九年間という短かい期間であったが︑ヨーセブH世の残した統治理念はその後ヨーセブ主義︵参ωω℃露誘ヨ¢ω︶
として一八四八年の三月革命の源流の一つとなったことからも明らかなように︑啓蒙主義を超えた国民主権の原理をヨー ヘエいセフ∬世の統治理念の中に見出すことができるのではないであろうか︒
本稿では特に検閲制度と言論・表現の自由の問題を取り上げ︑ヨーセブ∬世によってどの程度の言論.表現の自由が与
えられたかを明らかにすることとする︒
⁝七六五年八月一八日にインスブルックで神聖ローマ帝国皇帝フランツー世 ︵男簿コNH°︶が急死したごとにより︑ロ
←ドイッ王ヨ←フ匙が皇童なり・女帝マリァニアレー弘ア︵竃器夢⑩曇巳との共同統治︵罫9α−①淵三
の時代が始まった︒しかし共同統治を進めるには︑ヨーセブ∬世の性格・理念はマリァ.テレーシアのそれとはあまりに へ3︸も異なっていたので︑しばしば対立した︒その両者を仲介したのがカウニツ宰相︵Oo冨鶏葵雪Nげジ≦雲N鉱﹀三9回囚騨守
葺N︶である︒このような状態で共同統治が行われている間に︑ほとんどすべての領域で改革が進められ︑ ﹁一七八C ︵4︶年にマリア・テレーシアが死亡した時には︑国家は根本的に変っていた汐
ヨーセブH世は一七八〇年に単独統治者︵≧︸Φ一準曾凄゜︸δ饗ソになった以降は︑その理念を絶対的支配者として推進す
ることになった︒ ふヨ ヨーセブH世が実現せんとした理念を︑一七六五年にヨーセブ豆世がマリア・テレ;シアに提出した建白書 ︵UΦ多− へ 物゜ξ率︶や諸勅令へ∪ΦすΦゴ円象パrO①ω禽N℃讐Φ三噛菊のω︒圃薮◎7<①3乙妻轟等︾を素材として明らかにすることは︑
われわれに課せられた課題の一つであろう︒以下︑簡単にそれに言及しておくこととする︒
従来の封建的領邦国家の諸要素すなわち①完結的支配形態としての領邦ー国家としての統一性の欠除︑②貴族へψ野号︶
八の特権の賦与︑③人民の土地・貴族への緊縛︑④教会と国家との一体化ー支配的イデオロギーとしてのキリスト教︑を
一r2一
h
一セブH世治下における検閲制度と言論・表現の良由 」
廃棄し︑啓蒙主義思想に依挺した新しい国家理念を創造することが︑
把握してみると︑次のようになる︒
ハロイ 、 、 、
ト
、
ヘホニ
、 、 、ヨーセブ豆世によって企図された︒それを総括的に
この国家理念は一般的に
社会の萌芽を見い出すことができる︒書主の位置するところに人民代表議会を置くと︑
いることか!しかし議会制は近代市民社会にとってなくてはならない要素であるから︑
う側面も忘れてはならない︒
︵1︶ ヘ へ貴族の特権を制限し︑中央集権的統一国家の育成︒そのための宮僚機構の育成・人材の登用︒人民の土地・貴族への緊縛を廃棄し︑人民の人間性・法主体性の尊重︒ ぐ統一的法典の編纂・整備と領主裁判権の制限11司法改革︒国家と宗教を分離し︑人民の僑教の自由を認め︑︑検閲を緩和する︒商・工業の育成・振興︒ .教育制度の改革︒ へ7︸ ﹁福祉国家へ≦◎窺ドξ房゜・寅舞︶﹂と呼ばれている︒しかし︑われわれは︑この中に近代市民︑ ︑ なんと近代国家の形態と酷似して それは単なる萌芽にすぎないとい
このような視点については︑別稿で詳述する︒ヨーセブH世研究としては以下のものがある︒職︒冨箋℃①N鋼Ω影毒ぎ①菖
器奨賑◎器喜︒・閏゜国ぎΦぴ凶繊◎胃置︒7窪︒αq冨喜貯︒︸指○り㌶NNΦ舞鷺①ぎo§﹀三勲夷山響﹀蕊も・繭゜窯憩二=伽δ菊゜7qδ2︻薦
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一3−一
︵2︶︵3︶
((54
㌧ノ)
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進藤牧肇ドイッ近代成立史﹄勤墓膚房︑充六九年︑壬ハ五頁以下︒同﹁すストリア嚢専制主義し﹃岩波講座゜世
界歴史︑π︑岩婆.店︑充七〇年︑三七〇頁以下︒丹後壷﹁ハプスブルク帝国における啓蒙的絶対主義の政治構造﹂.有望専紀要二三︑汚︑充七六年︑五蚕以下︒田熊文雄︑+八世紀すストリアにおける国制改革﹂茜洋史ぎ
九九自万︑一九七五年︑三九頁以下︒倉田稔﹁ハプスブルグ帝国と重商主義ーマリア・テレジアとヨーセブ2世の経済政策
⁝﹂ ﹃三田学会雑誌﹄七一巻五号︑一九七八年︑一八九頁以下︒ ..
ヨーセブ∬世はすで三七六四年三月二七日の選帝侯会議で−㌣了ドイッ王に選ばれていた︒その会議および儀式につ
いては︑ゲーテが﹁詩と真実﹂の中で詳細に描写している︵ゲーテ・小牧健夫訳﹃詩と真実駈第一部︑岩波文庫・一九七
七年︑二=二頁以下︶︒
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さらに︑進藤牧郎﹃ドイツ近代成立史﹄一一八〇頁︑注︵6︶参照︒
国象僅胃傷○胃鱒葬ωず睾ψ 伊゜ 僧゜ O二 ω゜ ω幽H°
鰻鯨書鰭い錘照ゆ謹窮難認詳騨︒馨騒鵡.轟聾器羅羅㌔砧建野
一・ S一
ヨーセブII世治下における検閲制度と言論・表現の自由
へ6︶︵7︶ およゲ≦蒼葛章鎚し゜Pω譲舞参照︒この健白書は︑ヨーセブ∬世の全体像を解明する上で必要不可欠なものであるへ牽響§登︒°育器ω§髭霧b冨§含奮尋曼圃゜・翁騨黒翼酵§雰︒竃豊娼ω・︒︒・§︶◎ヨーセブ∬世の単独統治の︐時代︵瞬七八〇﹁九〇︶の︐法典集としては︑公的なものとしてO霧Φ欝Φ甕傷く①嬬霧磐鼠Φδぎ㍉器欝猷゜冨゜ミ㎞鍵一刈゜︒①H◎︒鰹゜ があり︑これは一七八〇年以来の法典集であり︑︐私的なも︐のとしてq8①暮囚3窟窃象婁噛簿鼠g°げ毘霧§§儀禽潮讐弓§q9霧鍛巴器富﹄・器喜戸霧繰①囚゜.国゜甲ぴ藝傷㊤霞撃品害魯く露︒疑歪謎象鼠ΩΦω︒墓ヨ魯霧ω翼①臣紳誓響く①量且§σq二︒︒¢︒傷Φこ.壽魯蕊㎝出⑩ρがある︒ −爵﹄・ぎωき曽α゜・§円㊦窪ω・竃≦器︒薮喜︒蓼ぎ巳︒乙・婁鉱ω霧N§ωぶ条ω紛藝・r壽二8α繍︒︒・録望昏
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認も︒°・︑ ︐− ︐ . ・︐− ︑ ・︑ . ︐ ・
、
」
一5−一
ニ オーストリアにおける検閲制度の歴史
神聖ローマ帝国における検閲は︑宗教改革に対する弾圧に端を発し︑その後︑一般的書物・絵画・新聞に対しても検閲
制度が設けられ︑それは領邦君主による人民の絶対的支配を貫徹するために必要不可欠の制度となった︒特にオーストリ
アにおいては︑ヨーセブ∬世の単独統治下の検閲の緩和・廃止の時代を除いて︑一八四八年の三月革命まで厳しい検閲制
︵1︶ ・度が続いたのである︒ ︵2︶ ︵3︶ ?︶ そこでわれわれは︑フランツ・フォン・リスト︑ヨーハン・ヴェントリンスキー︑ヨーゼフ・ゼーガル︑ユリウス・マル ︵5︶ ︵6︶クス︑ヘルマン・コンラートなどによりながら︑神聖ローマ帝国およびオーストリアにおける検閲制度の歴史を概観する
こととする︒
一6一
(一
j 一五一七年にルターが九十五力条の提題をヴィッテンベルクの教会の扉に掲示したことは︑帝国統一のイデかロ
ギーをカトリック教会に求あていた皇帝カールV世︵溶舘岡く°︶にとって憂慮ずべき事態であった︒皇帝は⁝五二一年︑ ︵7︶ヴォルムスの帝国議会の後で︑ルターの著作を禁止・焚書とし︑将来にわたって同様なことが起らない様にするために︑
すべての書物の印刷を検閲の下におくこととする勅令︵ぐく.◎弓§の①門 ︼田伽節榊︶を公布した︒だがこの勅令は︑皇帝がスペイ へ8︶ン国王を兼ねていること︑すでにルターに理解を示す領邦霜主が存在することなどにより︑ ﹁一片の紙片にとどまった︒﹂
そこで皇帝は︑一五二四年︑議会決議︵幻Φざげ舞ぴ゜・δ傷く05Z響浮胃α導︶ で贋ヴォルムスの勅令を可能なかぎり遵守し︑
それに従うこと﹂および﹁誹殿文書.絵画を今後完全に除去し︑これ以上普及させないために︑すべての窟憲は印刷所そ ハヨレの他どこでも応急的に検閲すべきこと縞を︑領邦君主に厳命した︒
ー・弓・ド謎互〆♂鉱革の決議︵狽薯ゴ︐聾雛多ψ鑑くーー︒羅薯ーぱ︑先の厳命を引き合いに出した上で・・すべての印刷所お
ヨー・一一一セブ∬世治下における検閲制度と言論・表現の自由
よび書籍行商人へ七ご琴ぼ豊諾り︶に対して︑すべての官憲は可能なかぎり入念に監視する﹂ことを規定し︑ ﹁さらに新しい
ことが印捌ざれないことおよび秘密裏または公然と作られようが特別に誹殿する文書が印励され︑売りものとされまたは陳
列されることは︑すべての官憲すなわち指定された思慮分別のある者によって︑あらかじめ検閲されるべきである︒かく
してそこに欠陥が見出されたときは︑それを印刷し︑売ることは重い刑罰のもとで許されず︑厳しく禁止され︑押収され
るべきであり︑その命令に違反する作者︵︒婆9︑印刷者および販売者は官憲等によって処罰されるべきであ麺﹂と規
定している︒この決議は︑一五二四年のそれとは異なり︑検閲の対象を著者・販売者にまで広げ︑検閲違反者に対して刑
罰を科することを定めた︒
また一五三〇年の決議︵頭Φ陣象鋸げ8郎巴く8︾轟゜・ぴ¢茜︶では︑検閲・処罰対象が絵画等︵Ωoヨ鱗露①ωo伽霞傷霞αq剛①劉
象讐︶に広げられ︑刑罰も身体もしくは財産刑と定められた︒さらに︑ ﹁みずから望んだ官憲がここ︵訴追コ筆者︶にお
いて怠惰であることが判明しをきは︑吾が皇帝の馨は・その官憲に対して刑事訴追を起し進めるべきであ^魏しとし
て︑怠惰な宮憲の処罰にも言及している︒
だが帝国内部の勢力争いは︑ルタi派の進出・ハプスブルク家に対する反目などにより︑皇帝に優位には作用せず︑一
五四八年の決議では︑一五三〇年の秩序を三三の点において改正するこ雄﹂を認めたにすぎ貧・ ︵13︶ その後の決議︵一五六七年︑一五七〇年︶で︑誹殿の対象をキリスト教・教会から皇帝や諸侯の人格にかえただけの検
閲.処罰へと変成し︑一五七〇年の決議︵魚簿ω暮゜︒︒慧o蜘く︒瓢Gα唱①蜜霧︶では︑非宗教的性格の誹殿文書のみが対象とさ
れ︑それが一五七七年の帝国警察令に導入され︑事前検閲が定められた︒ここに︑ドイッ諸国において二世紀以上も続き︑
絶対王制下における言論・表現・出版の自由に対する苛酷な弾圧の制度ができあがったのである︒
︵二︶ ヴォルムスの勅令は︑皇帝の弟が支配するオーストリアでは︑大公フェルディナント工世︵蛸霞傷ぎ§傷H°︶に
一一 V−一
よって︑その二年後に導入された︒一五二三年三月=一日の勅令は︑ルターの現存する書物・将来出版される書物を手に ハまし︑売買しおよび印刷することを禁止し︑さらに一五二八年七月二四日には︑官憲の事前の許可なしでのすべての書物の お 印刷を禁止し︑印刷所は領邦の首都に制限された︒そして同年=月五日にはヴィーンに検閲庁︵OΦ霧霧びΦゲα民Φ︶が設
置された︒
このようにして︑すストリァで箪くも君主の欝高権︵Noコ曽昏oずo即︶が成立し・厳密な意味における欝制麺が樹妾れたのであり︑その疲的性格は警紀を経ても何らの変薯受けなかつ癬 .
このような勅令にもとついて︑数多くの書物が焼かれた︒特に一五四八年のカールV世の勅令で︑グラー︑ツでは=︑
六〇〇冊︑フェルカーマルクトでは五〇〇冊︑ライバハでは荷馬車八台分の書物︵c︒閃薮㊤じ◎ぴ畠鶏︶が焚書とされ︑イ
エズス会のコーマシュ︵図o筥霧oご︶はべ;メンで六万冊の書物を燃やしたといわれてい︵麺︒
さらに︑カールW世︵猟舘一≦肇︶の治下では︑アメとムチの政策が採用された︒プロテスタントの書物を密告した者は︑
一〇グルデンの報賞金を受け取り︑家で聖書を持っており︑読み聞かせた者は追放され︑治る見込のない老人の家でのル
ター派の説教が見つけられた者は︑その妻と共に地下牢に入れられ︑みずからを一〇〇グルデンで解放しなければならな︵糊︶・などがそれである・
このような検閲制度に関しては︑マリァ・テレーシアの時代においても基本的には改良されなかった︒すなわちフラン
ツー世︵閃増§N︸・マリァ.テレーシアの夫︶によって公布された一七四六年二月一〇日の勅令では︑ ﹁印刷者︑商人・
仲買人等は誹諺的理論もしくは信仰.国家事項に関する帝国基本原則︵閃①凶︒房鵯墓猪ΦωgN︶に違反する理論︑誹殿文書︑ へれレ書物︑銅版画等を公刊してはな︑bない﹂と命じられた︒だが宗教︵ローマ・カトリック教会︑とりわけイエズス会︶の影響
からの離脱は進められ︑大学での検閲が専門検閲︵男鉾§乙・琶へと変質し・書物検閲責麺︵切鐸゜§曇7踏゜蓉箏
ヨ訂獣Oづ︶が設一置された◎
一8一
ヨーセブH世治下における検閲制度と言論・表現の自由
かくして検閲行政の側面からはローマ・カトリック教会の影響を排除し︑皇帝以下統治者の力で検閲の基⁝準の定立︑審査などをすることができるようになったが︑他方でローマ・カトリック教会は独自の立場から法皇の名による検閲を命じてい
たので︑検閲のこ重性はなお克服されず︑教会勢力の影響を排除し︑検閲の︸元化が成就されるのは︑次のヨーセブH世
の時代をまたなければならない︒
︵1︶︵2︶
︵3︶
︵4︶
︵5︶
︵6︶
︵7︶((
98
))
( ( (
12ユユ10
) ) )
ヨーセブn世の政策は︑その死とともに廃止され︑一七九五年二月二二日および︸八一〇年九月一〇日の検閲法によって︑
厳しい検閲政策が復活し︑メッテルニヒ︵ΩのヨΦ房く︒コ竃Φ驚Φヨδゴ︶ による暗黒時代を迎える︒それは三月革命による
廃絶まで続いた︵一八四八年三月一四日︶︒メッテルニヒの暗黒時代においてどのような書物が禁止されたかについては︑
り 悩怠甥¢雛竃ρ叫×曽 ○ω齢Φ噌擁①一9ωス僻ヨ噂剛αqΦα登①冨独Φ諜げΦ擁㊤一Φさ輔 弓践繭押鶏①謬¢慧餌オO∋ヨ鵡5一ωユ白α6げ⑦5 ωOげユ噛紳①溢同◎◎○ゆ㎝ー一〇◎駆◎◎ψ 一謬
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寓Φ§餌暮O§鎚斜OΦ旦゜︒畠Φぽ畠富αq①ω︒ゴ酵梓9bゆ魁轟悶゜謬器Φ即ぴ一ω︐冨09ψ霧㊤h° ︐
ゼーガルによればギ ﹁この国会でもって帝国警察令︵涛9警ω℃o認鉱oり黛§α鷲︶のその後の形態にとって決定的な段階が始ま
った︒﹂ ﹄8①やのΦσq巴戸勲費○二ω膳9
魚住昌良﹁宗教改革時代の諸変革﹂ ﹃ドイツ史︵新版︶恥山川出版社︑ 九七七年︑一六七頁︒
寓⑩器§傷く・房載鼠奮G︒碧巳募σq侮霧認酵゜︒伊ぴω︒ゴ凶巴Φ゜轟↓Φ扁編Φ゜寧碧割㌘冥僧零一濠メ︵﹄︒器︷G︒①σQ餌鐸費拶゜ρか
らの引用︒
Zω゜ 弊
Zの8 閏゜
Zω゜ 悶゜ 以下鶉ωGっの昏⇔⑩潟◎◎°ω犀書︐
も◎°望ω゜ と略称︶﹃↓Φ跨ω︒b︒q°︒
一9一
ノへ ノヘ ノへ
16 15 14 13
) ) ) )
A20
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A ノへ へ
191817
) ) )
︵21︶ 潟Φ尊・噂暮・︒音︒傷ぎ雛疑ξ二H磐︶﹄ω・臼ω゜・︒肉ω葛①助︒器番︒幕牙︒乙遷霧︵一㎝↓︒γ暴葭゜°︒°ω゜°︒°
Oa鶏鋤鶴6︒轡﹃貯◎器゜腎Gつ︒鱒⑩銀゜︵司轟嵩Nぎ5ピ討N計ゆ゜騨○二Gっ゜ωからの引用︶
o鼠賃きω三§︒︒・ピ︒︒驚卜︒︒︒切⁝孚§<§諄N計攣鋤゜o二゜︒誌゜
リストは︑事前検閲と事後検閲を分けて考え︑前者を﹁国有の検閲︵酵婁三藝の︒舞胃︶﹂と呼称していゑ産
字9・壽く雲じ゜︒斜・曽゜ρ゜○曾りω゜卜φ゜
孚9︒溢N<8じ゜︒N轡鴇欝pO°矯もっ゜N
﹄︒竃壽≦Φ滋曇ωξ算費゜○﹃ω燈同卜︒溝゜﹄︒訂§≦Φ裁ユ房ξ鈍費○二ω﹂b︒α6 ︐ 一 − −.≧︒壼乏︒︒び①貯≧ω讐N︐麟げΦモ憂切魯Φ量齢§偶N霧葺轟じ︒Φ鐘§鷺償建器番§8の璽゜°奉゜奔ぎ
﹀娼護﹃鐸雛・q錫滋Ω︒侮勲訂押①=︷悔︒繭翼・罫藝島壽αq鑑馨芦霧量︒§彗gN幕遷゜寓の霧αQ馨ぴΦ:a
①屠Φ聾簿ぎ算N鼠じσ塞︒ぎ孚窪ζξ蔑嚥客お謡゜°っ゜さ︒ω゜︒°
この委員会の初代委員長は︑マリア.テレーシアの御嗣医であるシュヴィrテン︵O鶏訂議く讐.◎り三︒3甑︶である・その
生涯については︑団響鴛侮O毒鼻︒︒訂ぎ費費O°ω゜器⑦隼 が詳しく述べている︒
一10−・
ミ ヨーセフ摂世治下における検閲制度と言論・表現の自由
ヨーセブR世治下における検閲制度と言論・表現の自由
マリァ・テレーシアでも解決できなかったローマ・カトリック教会の影響の排除を︑ヨーセブH世は︑一七八一年五月四 ︵1︶日の﹁決定︵菊ΦωO一爆け紬O緊︶﹂で基本的に成し遂げた︒つまり︑
司教は書物の許可・禁止に関する配下の聖職者の判断︵弓Φも9℃①o酔ヨ︶を︑ヴィーンの書物検閲の範例に合わせ︑すで
に許可された書物の読書を一般的に教会において禁正してはならない︒ ︵2︶ ︵3︶と命じ︑聖俗両界の検閲を俗界のそれすなわち国による検閲に統 した︒そして公布されたのが﹁検閲法︵N雲ω霞く霞゜aコき
くo葺犀金⑤餐c︒H︶ ﹂である◎
この法律でも︑検閲制度は存置されているが︑その一方で︑許可書物の範囲を広げることにより︑自由な討論を惹起し
ようとした︒すなわちこの法律は︑従来の制度とは機構的・内容的に非常に異なりており︑また言論・表現・出版の自由
の育成がヨーセブ∬世によってどの程度なされたかを知る上での出発点ともなるので︑重視されなければならない︒
︵イ︶ 機構
従来各領邦におかれていた検閲委員会︵N讐ω霞ぎヨ三ωω一§︶を廃止・統合し︑ヴィーンに書物検閲総委員会︵¢σ嬢畠Φ7
N窪ω弩゜︒冨奢芽︒ヨ慧゜︒ωδ箒︶を設置し︑それを検閲制度における最高決定機関とした︒各領邦における実際の検閲業務の へ4︶ために︑書物校閲署︵ω自OプΦ婦憎のく繭ω帥O灘◎りρ簿ぱ︶が存置され︑その指導は各ラント庁にゆだねられた︒さらに﹁書物の輸入を
容易にし︑嫌悪すべき強制や追い回しを廃止するために︑﹂校閲業務は︑末端の行政区域である管区︵囚話一ω︶の行政を担 ︵5︶当する管区署︵剛く円①一09ρ葺け︶にゆだねられ︑そこにおける検閲業務の基準が定められた︒
かくして行政機構と同様に︑検閲機構においても︑中央集権的一元化がすすめられ︑国家による一元的検閲業務が可能
一11一
となったのである︒
︵ロ︶ 内容
検閲制度を存置するもとで退廃的文書に対しては検閲を厳しくし︑真面目な文書に対しては寛大に行うべきであるとの
原則をたて入第一条︶︑キリスト教を全面的に批判しまたは嘲笑する書物を禁止した︵第二条︶︒しかしその一方で︑名
前が明らかにされている批判文書は︑誹殿でないかぎり︑たとえそれが君主に向けられていようとも許可することとし︵
第三条︶︑完全な作品や定期的雑誌は全体的に判断されるものであって︑部分的に不許可なものを含んでいても構わない
︵第四条︶︒学術作品は許可される︵第五条︶︒禁止目録の作製が予定される︵第六条︶一方︑各領邦における検閲に対
する不服申立が認められている︵第七条︶︒さらに︑再版に対しては︑一部の攻撃的文書に対する是正命令を除いて︑ほ
とんど許可され︵第八条︶︑特にこの制度以前のものについては︑従来の厳しい検閲を考慮して若子の例外を除き自由に
再版できるようにした︵第九条︶︒ ハ ぽ さらにこの法律には何らの罰則規定もなく︑刑法上の処罰︵ヨセフィ⁝ナ刑法典第二編第五三条←弟五六条︒しかしこ ヘ へれは一般的に検閲を規定したものでなく︑侮辱罪に相当するものである︒第六一条︒これは神に対する冒漉を規定したも
ので︑本来言論・出版を扱ったものではないが︑弾圧規定として使われるおそれはあった︶以外には存在しない︒ へ い この﹁検閲法﹂は︑それと同時に公布された勅令で︑ ﹁今後︑新聞︑暦などは︑書かれた印刷出版許可︵Hヨ鷺審鉾霞︶
なしで印刷されてはならない﹂と補完され︑また一七八二年には︑ ﹁パンフレットおよび書物にはつねに著者の本名を印
刷せねばならず︑ペン・ネーム︵①巳δ欝Φ↓葭2鈎§の︶ を印刷してはならない︒そうしなければ︑印刷出版許可は与えら ハお れてはならない﹂と規定して︑ ﹁検閲法﹂を補充した︒
一一 P2・一
この法律は元来検閲を予定しでいるものであり︑本来の検閲からの自由・出版の自由を保障したものではない︒しかし︑
ヨーセブH世治下における検閲制度と言論・表現の自由
政治的権利としての表現の自髄を考えた場合には︑馨棊によって政漁的批判を許したことは︑当時の支配体制においては・まさに画期的なものといわざるを得ない︒もはやそれは啓蒙絶対主義の原理ではなく︑近代市民社会の欠くことので
きない原理であるがゆえに︑それから︑ヨーセブ∬世の個人的な心の大きさ・寛大性を導出するだけではなく︑革命性こ
そが問題とならなければならない︒
公布の翌年︵一七八二年︶にオーストリアめ啓蒙思想家ブルーマウア;︵qo審募≧◎駐ごdごヨ鍵霞︶は︑ ﹁広げられた ヘ へ検閲からの自由およびそれによって反対や文筆家の意見に開かれた広野は一般的啓蒙に少なからず恵まれた収穫を約束し︑ ︵10︶人間の理性の最上のもののために作られたこの法律は︑おそらべ︑実際に実りを結んだはじめてのものであろう﹂と述べ
て︑ヨーセブ∬世の英断を賛美した︒ ︵11︶ しかしこの批判の自由は︑ヨーセブ豆世に敵意を持つ者によって悪用されたといわれている︒ ヴェントリンスキーに ︵12︸よれば︑最初の二ヵ月間で︑ヴィーンだけで一〇〇〇冊を超える書物が出版され︑それは︑検閲そのものが非常に柔軟に
行われた結果であり︑最初の二年間でただの三・四の作品が禁止されたにすぎず︑何らかの価値のある雑誌・新聞はすべ ︵13︾て許可されたといわれている︒
そして一七八七年二月二四日に︑ヴィ!ンに限定してはいるが︑事前検閲嗣度は廃止され︑出版者は事後的に検閲を受
ければよいことになった︒もし事後的審査で不許可になったときには︑その作品の出版者はそれを流通させてはならず︑ ︵14︶流通させたときには︑五〇グルデンの罰金を支払わなければならないと定められた︒
このような体制は長続きせず︑ヨーセブ∬世は︑その死の直前に︵一七九〇年一月二〇日︶この制度を廃止し︑事前検
閲を要求する一七八一年体制に戻した︒そして死とともに︑一七八一年体制そのものが廃止され︑元の厳しい検閲制度が
行われた︵国o律①ξ9<oコピρ寄⑩O︶︒
一13−一
ここでわれわれは︑人民の言論・表現・出版の自由を大胆にまで認める法律がでてきた原因とその意昧を考えなければ
ならない︒その際に前提となることは︑この法律は人民の側からする運動によってつくられたものではなく︑上から与え
られたものであるということである︒
ヨーセブR世の国家理念・統治理念は︑身分制的秩序にもとつく二元的支配を廃棄し︑中央集権的︐=兀的支配を貫徹
することであり︑人民を諸々の栓桔から解放し︑ ﹁福祉国家﹂を実現することである︒この理念からみると︑身分制的特
権は障害以外の何ものでもなく︑この特権の廃棄こそが主たる霞標となる︒特権は入民の弾圧と結びついており︑被抑圧
階級である人民の言論・表現の自由とりわけ政治的批判の自由の是認は︑特権廃棄への第一の道程であろう︒
すでにみてきたように︑ヨーセブ豆世は大胆なまでに人民の言論・表現・出版の自由を認めた︒しかしその自由も︑ヨ
ーセブ∬世の死とともに廃棄され︑ドイツとの間に精神的な﹁万里の長城﹂がつくられたといわれるような︑一八四八年
迄続く暗黒時代・精神的鎖国時代が現出した︒
では︑なぜヨーセブ∬世の一〇年間だけ自由が認められたのか︒その自由は単なる仇花と終ったのであろうか︒
われわれは︑ヨーセブ∬世の一〇年間を考えるに際しては︑つねに人民のカを考えなければならない︒ ﹁人民による政
治﹂を念頭においたがゆえに︑領主・貴族および教会から人民を解放し︑人民に依拠した政治を考えたが︑それを上まわ
る貴族の抵抗が存在し︑特にフランツH世︵頃轟餐国゜︶の圧政となって逆行する︒つまり領主.貴族︒教会などの特権
階級と人民との間の対抗関係の中から近代市民社会は誕生してくることをヨーセブH世は知らなかったのである︒人民解
放の質および量を正しく認識していない哲自己に与えられ・みずから創出した時代状況を誤解したがゆえに︑ ﹁人民によ
る政治﹂にはならず︑単に﹁人民のための政治﹂に終ってしまったのである︒
これをいいかえるならば︑ヨーセフ∬世により上から与えられた自由を十分に行使・享有できるほどの政治的勢力とし
では︑人民は育っておらず︑その霞由に答えるだけの能力・余裕が人民の側に存在しなかった︒したがっで︑そのことか
一14一
ヨーセブH世治下に諭ける検閲制度と言論・表現の自由
ら隔七九〇年以降の貴族体制・旧体制への復帰・逆行に︑人民は抵抗しえなかった︒ このようなことによって︑ヨーセブ∬世の国家理念・統治理念巻過少評価してはならない︒なぜならば︑われわれは彼
の統治の一〇年間の中に︑絶対専制君主の枠の中で最大限の進歩的政策をみることができ︑またそれは︑一八四八年の三
月革命の理論的支柱として再生されてくるからである︒
((21
))
︵3︶︵4︶
((65
))
︵7︶︵8︶
︵9︶ 筒oげ勲暮≦Φ裁ユ房ξ費勲ρ堕し◎°一ミ゜人民の精神生活を束縛していたローマ・カトリック教会の力︵ζ器ぎ︶を排除することは︑啓蒙暑主にとって是非やらねばならない課題であった︒つまり地力分権的・二元的国家を=兀的な中央集権国家に導くには︑領主・貴族の権力と教会の権力が樫楷となったのである︒前者は臣民令︵q簿曾霞奮冨8三≦︶滋ピ9ミ゜︒日︶︑刑罰令︵OQ訂鑑醤富9ぐoヨピ︐蛉嬬︒︒じ
r農奴制廃止令︵﹃鉱げ鉱αqΦ蕩象鑑富霊亭Φげ§αq°︒窟冨轟巷響ピμピ嵩︒︒尉︶︑租税・農地規則︵ω8蕊㌣暑傷︽瀞㌶醒奉讐寂建ロσQ≦きHρP嵩゜︒の︶などによつて廃棄され︑後者は寛容令︵↓9霞きN饗3緊ノδヨ属HO°類︒︒同︶︑修道院廃止令︵<魯o門争
謬§σq傷霧︾漏遵のび§σQ毘曾囚︸α韓鶏くoヨ一紳ド一刈◎︒鱒︶ などによって除去された︒賑8Φ喜寄︒饗欝畠Φぎ田乱げまげ毘霧§紳霧似2浮σ&曾§α︒創Φの国爵⑩房脳︒ω︒冨閏゜蒙弩象溶凶゜申げ猷己曾葭鵯?
鴨慧雲く霧o憎曾舅σQ象¢乱O①ωΦ欝o貯①ぎ曾憩︒︐電§p酔貯oプ魯く①暮ぎ薮轟・ピbσ雲P≦納Φコ嵩︒︒鈎OQ・㎝寄搾その要約については︑﹄畠象コ芝雪響繭蕊ξ野費ρ ωのお謡やが詳しい︒なお︑附でその全条文を試訳したので参照された炉︒
﹁検閲法﹂の前文および同日の勅令禽◎鵠Φ穿曾くoヨ同ピ¢寄゜︒H°汐鏑$①筈囚3葛房警①ぎ・鉾鉾Oこω゜総癖︶を参
照︒麟o鑓多冨紳ぎヨト◎ドP嵩○◎N°凶歪臼80讐ズ門o冨酵o①ぎ鉾㊤゜04Go°締c◎搾
拙訳﹁ヨセフィ;ナ刑法典﹂試訳︑ ︵一︶および︵二・完︶︑静岡大学法経短期大学部研究紀要﹃法経論集隔四一号︵一
九七八年︶︑五七頁以下︑四二号︵一九七九年︶︑五五頁以下参照︒
綴o鵠①簿Φ酔き§犀゜①の寄c◎日゜貯職oω①讐穴8冨房9興り艶鉾O虞Gっ曇頓○ゆド︑
篤o鑓①ξ簿−くo鶯同◎︒の餅嵩◎◎紳一糞q◎器冨国き霊富停Φぎ費鉾◆○二ω゜帆器6
奥平教授は︑表現の自由を﹁個人主義的﹂なもの︑ ﹁社会効用的﹂なものおよび﹁政治的権利﹂としてのものに分類し︑
﹁政治的権利としての表現の自由﹂の立場から現代的問題を深く研究している︵︑﹃表現の自由とは何か﹄中公新書︑申央
一15−一
ノへ
1413
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1211
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公論社︑昭和四九年︶︒
輸゜訂§≧°繭ωb◎圃§窪g切σ8寓︒鐸§碧驚蓉葭O°・g農魯雰ぎ栖幣酵§碗§傷ζ暮霞舞塁詩簿傷建警傷魯﹀轟馨Φヨ豊
寄◎︒ひ◎°≦δ5お曵ρP齢聖
煽o冨§芝①a甑蕊ξ噂黛野O°博ω゜お9
ぎ冨毒≦魯脅凶蕊ξ︾孕鉾O°矯◎◎.Hωも︒β 当時︑どのような本が出版されたかについては︑転o冨蒙諺8房¢ロ冒ヨ避①♪
ρρの○二◎o°燦控く蓉自◎ご竈層¢°㊤゜O二ω゜同Φ茶磐 を参照︒
白多㊤弓≦Φ乙ユ蕊ξ℃僧゜勲○ご◎◎°影P
ぎ莚彗≦−窪脅ヨ゜︒ご鴇勲ρOこG◎︒嶺ωの
四 むすび
われわれ遷啓蒙專製主とりわけ上からの革命を行ったとい紅れるヨ←フH世治下の検閲制度と慧凶論・護の畠
のかかわりおよびそのもつ意味を検討してきた・をこにおいて彼が人民の言論・表現の畠とりわけ政治的批判の畠を
是認したが︑結果的には叢の反感を契させ︑それに対する人民の蜂撃なく︑激鵠にみれば叢藩った.しかし域
視的にみるならば︑その政治的批判の自由を容認する理念は人民の中に深く残り︑一八四八年の三月革命となって華開くの
である︒ ︵1︸ さいごに︑イギリスの著名な法学者ブラックスト3ンの検閲廃止に関する文章を︑長文であるが労をいとわず引用する
こととする︒ −
出版の自由は自由国家の本質にとって絶対不可欠なものである︒それは︑文書は公表以前には印剣を抑制されない
ことにのみ存し︑そこに含まれている罪となる表現は全く無処罰で許されるということではない︒すべての自由な人
一16一
ヨーセブ正世治下における検閲制度と言論・表現の自由
問は︑自己の思想を発表する疑いのない権利を有する︒このことは︑出版の自由を破壊することが命じられることを
禁止している︒しかし彼が無礼な︑悪意のあるまたは違法なことを公に発表するならば︑彼は自己の無礼な言動その
ものの結果の責任を負うであろう︒かって︑革命の前後を問わず行われた︑出版が検閲官の無制限な力に従属するこ
とは︑意見の自由をたった一人の者の偏見に従属させ︑自己をすべての学術的︑宗教的および政治的対象の専制的な
誤謬のない裁判官にさせんとする以外の何ものでもないであろう︒これに反して︑平穏︑良き秩序︑憲法および宗教︑
この唯一の確かな市民的自由の礎石の維持のために︑その公表後に裁判所の不偏不党な審理により有害と宣告された
危険な侮辱的な文書のすべてを厳格に処罰することは絶対不可欠である︒意思の自由の濫用のみが法律的処罰の対象
であるかぎり︑このように︑個人の意思の自由は制限されない︑このやり方で︑また思想および出版の自由も決して
制限されない︒人は個人的意見をいつでも自由に発表することができる︒国家の目的を破壊する間違った原則の公表
と普及のみは︑国家が処罰する犯罪である︒誰も自己の部屋に毒を隠すことを妨げられないが︑ただ人は毒を精力剤
の様に買ってはならないだけである︑と有名な著述家は言う︒この文章に我々は以下のような所見を付け加えること
ができる︒出版が監視者の権勢欲のもとで行われるかぎり︑良い目的には向けられ得ないので︑相応した処罰を科さ
れずに出版は何らの悪意もなく濫用され得ることが法律の有益な厳しさによって証明されたならば︑いわば出版の自
由の日常的濫用を予防することは必要であろうという従来の︑理性的出版の自由の制限に奉仕してきた唯一の納得で
きる議論は︑その重さおよび強さを完全に失うであろう︒かくして人は︑出版の無統制を非難することは出版の自由
を主張することであるということを正しいと思うであろう︒
︿1︶ ≦讐§Cロぎ押ω§ρO︒ヨ幕葺§宙・茸ぽ訂蓄゜栖図さ讐轟○臨゜疑嵩刈゜︒のこ◎8プ↑5︒︒°
一17一
附醐七八一年コ検閲法﹂試訳
皇帝陛下は︑書物の検閲を将来︑簡易かつ単純に扱わせるために︑従来の規定に変更を加えることが至尊の役割である
ことを見い出した︒このような意図で次のように定めた︒今後全領邦の下にただ一つの書物検閲総委員会︵切口畠霞NΦ㌣
ω霞塾窪営ぎ3§δω帥§︶が存在し︑ヴィーンに集められ︑それによって述べられた決定は︑ヴィーンならびに領邦におけ
る書物の許可・禁止に関し一定の規準に役立ち︑領邦における従来の検閲委員会︵Nの器葭ωパoヨ慧ω臨§︶は廃止され︑各
領邦に書物校閲署︵Oσ儲OゲΦ円りO〜議ω一〇嵩ω拶ヨ鈴︶ のみが存置され︑地域の検閲業務においてとられるべき注意の指導は今後各
ラント庁の監督にゆだねられ︑任されるべきである︒その際には︑至高なる見解は消滅する︒
第一条 いかなる教養および啓蒙も生じ得ない非道徳的内容および不合理な狼談を含んでいるものすべてに対しては厳
格であり︑教養︑知識および正常の文章が存在するそれ以外の作品すべてに対してはより寛大であるべきである︒なぜな
らば前者は大群衆および低能力者によって読まれるが︑後者は既に準備された心情および文章の中の確固とした魂に熱中
するからである︒
一18一
第二条 カトリックおよび時にはキリスト教を体系的に攻撃する作品は︑神聖な宗教を公然とおよび無信仰の流布して
いる所説を普及させるために嘲笑的に茶化してもしくは神の属性の迷儒的曲解および不真正な熱狂的僑心ぶりによって軽
蔑的に表現した作品とともに許すことはできない︒
第三条 誹殿文書でない批判は︑たとえ著者が望む君主から最下層の者に打撃を与えようとも︑著者が名前を印刷させ︑
それによって自己を事物の真理に対する保証人︵匂σ葺αq㊦︶と示しているときには︑真理を愛する者すべてにとってこのよ
うな方法で真理を手に入れるときは喜びであるにちがいないので︑特に︑禁止されてはならない︒
ヨー一セブ∬世治下における検閲制度と言論・表現の自由
第四条完全な作品︵Ω導NΦ≦Φ罫Φ︶および定期的雑誌は︑作品そのものの中にのみ有用なものが含まれているので︑
個々の攻撃的箇所のゆえに禁止されてはならない︒まさにそのような大きな作品は︑心情においてそのような攻撃的箇所
が有害な結果をもたらす人間の手にめったに入らない︒しかし結論において︑単純なパンフレットとみなきれる一部の定
期的雑誌が実際に禁止書物の部類に属したときは︑たとえそれがすでにこの点において︑完全な作品を予約しまたは完全
な購入を申し込んだ者にだけ交付されるべきであるとしても︑それがまさに宗教︑善良な風俗または国家および君主を全
く攻撃的方法で扱う場合には︑交付を拒否すべきである︒
第五条従来︑制限的許可︵曾αq餌◎り畠Φ融ヨ︶︑続きもの︵○§↓貯§轟ぎ器︶︑学術的︵国辱&憲ω︶︑非カトリック的
︵>Oゆ鈴ずO出O凶o慶︶として許可された書物は︑今後︑単に学術的な作品としては完全に許可されるであろう︒さらに許可され
た書物と禁止された書物︵それの新たなカタログは続くであろう︶の間には︑従来評判のよかった制限変更は行われない︒
一般人の教育・読書に適しているほとんど非カトリック的でない書物は︑そのものとして当該信仰団体にだけ許可書に反
して交付されるべきである︒
第六条 しかし禁止された書物のカタログの整理は多くの考慮をしなければならないので速やかには成就され得ないの
で︑時につれ将来のものにとって適当とみなされるカタログが公表される迄の間︑現在のカタログに存在し︑許可外︵器
器ヨ霧Φ滋爆ヨ︶と定められているすべてのものは︑禁止されたものとみなされる︒
一一 P9一
第七条 各ラントで印制にもちこまれた論文の出版に関しては︑学術︑研究および宗教に本質的影響を与える若干の意
味をもつ作品のすべては︑承認のためにヴィーンの書物検閲にもってこなければならず︑さらに︑出版するラントから宗
教︑善良な風俗およびラント法に違反した内容を含んでおらず︑健康な理性に適合している旨の︑題材に精通した学識者︑
学者︑宗教的指導者または現世的指導者による名前が署名されている証明書をもってこなければならない︒完全な作品と
はなっていない重要度の低いものは︑同様な証明書の呈示によってラント庁において承認または否認され惹べきである︒
否認に対して不服である者には︑敗訴した側の費用負担で検閲委員会への不服申立書︵㊦≦ωδ二︶をもってヴィーシ向か
うことが認められる︒ポスターへ﹀蕊︒げドσq器#①︼︶︑新聞︑祈祷文などに関しては︑各ラント庁で検閲事項を審査する審議会
︵閃舞︶が手短かに審査すべきであり︑祈祷文の場合には教会の真正な精神に適合しているかどうかを配慮し︑印刷出版
許可︵囲ヨ冨ぎ舞焉︶ を与えなければならない︒
第八条 外国から領邦に輸入され︑領邦で許可された書物の再版は許可されており︑商業の単なる一部門とみなされる
からすべての申請された再印捌出版許可︵菊①ぎ箕冒無霞︶ の授与は各ラント庁に無制限にゆだねられているが︑多くの
許可された書物は自国もしくは外国︑宗教・教会慣習︑聖職者.︵ΩΦ一ω甑︒葬︒ε に対する少なからざる痛烈な文章を含ん
でいるかもしれず︑なるほど読書のさいにそれは見落とすと思われるが︑領邦で再版されたときには︑正当化の刻印と公
的認可︵ひ議の韓ぎ冨Ω暮ず鉱ω︒︒§σ脅︶が容認され︑ある階級の者に不快な感情を引き起すかもしれないので︑ヴィーンで読
まれ︑許可されるものすべては︑再版申請に際し何らの困難もないようにするために︑次のような内容の無制限的許可︵
﹀偶三歴葺¢賜︶︑制限的許可︵℃零導匿節焉︶︑隈定的許可︵↓oげ冨露捜︶ の三⁝様の表示で区別されるであろう︒印刷されている再版に際し何らの疑念も存在しない碓品には第一の判定があてがわれ︑道徳︑政治拾よび宗教の外観に関して完全に
一20−一一一
ヨーセブff世治下における検閲舗度と言論・表現の自由
否定的ではないが少なーとも反公的に雷わんとする種々の大胆な文章を含んでいる作・鷲は第二の判定があてがわれ︑そ
れは・この第二類の作品には︑再版が行われる同一の印刷地または他の場所が指定され︑ ﹁かくしてヴィーン︑プラーハ︑
リンツ等で出版された﹂という付記がなされるという区別においてのみ出版されるべきである︒最後に︑宗教または国家
を攻撃し︑何ら正当化し得ない強い文章を含んでいる作品は第三の判定群に属する︒それは︑おそらく望のような箇所が
多くにおいては現われず︑その他の内容が啓発的である場合にのみ許可されるが︑領邦における再版は︑少なくとも攻撃
的箇所の事前の緩和なしには許可されるべきではない︒
第九条 すでにこの現在の検閲機構︵N雪ω弩ω①ぎユ︒露彗αq︶以前に許可された書物に関しては︑判定における以前の厳
格さは︑各地における再版が許可されるということの保証人であろう︒かくして今まで制限されていたがA7回自由となっ
た作品に関して疑問が生ずるにすぎず︑その場合には︑再版を申請する出版者はそのつど再版する書物そのものを提出す
るとともに︑これに対する許可のためにヴィーンにある検閲委員会へと向かわなければならない︒
第十条 最後に本来の国事文書︵○◎夢碧ωω警ユ津︶に関し︑それが領邦において再版されその他翻訳に供されんとしたと
きは・テッシェンの講和条約の翻訳の際に公布された一七七九年一一月二〇日の命令にその範例があり︑そのつどそれに
対する許可は︑ヴィーンにある検閲委員会に申請されなければならない︒
一21一