「道徳」の授業における「理由づけ(Reasoning)」
の意義 : 教職に関する科目「道徳の指導法」を通 した「理由づけを尊重する態度」の育成
著者 米原 優
雑誌名 静岡大学教育実践総合センター紀要
巻 23
ページ 11‑17
発行年 2015‑02‑27
出版者 静岡大学教育学部附属教育実践総合センター
URL http://doi.org/10.14945/00008884
「道徳」の授業における「理由づけ
(Reasoning)」の意義
一―教 職に関する科 目「道徳の指導法」 を通 した 「理 由づけを尊重する態度」の育成――
米原 優
The Importance of 'Reasoning'in Moral Education:
Activities to Develop 'Respect for Reasoning' in Moral Education Courses in Universities
Masaru YONEHARA
Abstract
Bcrnard Crick,、 vho、vas chairman ofthc adviso,group On Education for Citizcnship and thc Teaching of Dcmocracy in Schools、 says that Rcspcct For Rcasoning.is onc of thc prcsuppositions of citizcnship cducation ln this papct l claim that this rcspcct is also a prcsupposition of moral cdtlcatiolt in clcmcntary and middlc schools in Japan、 and that tcachers mtlst acquirc thc habit of giving rcasons lo thcir studcnts and collcagucs l also proposc sOmc activitics to undcrstand thc signillcancc ofrcasoning、 which is practiscd in moral cducation courscs in univcrsitics for aspiring tcachcrs
キ ー ワ ー ド 道 徳 教 育 道 徳 の 指 導 法 理 由 づ け (Reasoning)
は じめ に
平成26年 10月 21日 に公表 された 中央教育審議会 (中教審)「道徳 に係 る教育課程 の改善等 について (答 申)」 (以下 「答 申」 と略)は、小・ 中学校 の 「道徳」
の時間を 「「特別の教科 道徳」(仮称)Jと して、正式 に教科化す ることを提言す るものであった (中央教育 審議 会 2014,56頁)。 また、検定教科書の導入 (同,
1415頁)、 さらには、教員による小・中学生の道徳性 の評価や、その指導要録への記載 も提言 され てお り(同,
1517頁)、 大 きな注 目を集 めている。
大学の教員養成課程の教職 に関す る科 目 「道徳 の指 導法」にお いて も、「道 徳」の教科化後 を見据 え、それ に対応 できる知識や技能の提供 を 目指 した授業 を、今 の段 階か ら行 つてお く必要がある。た とえば、検 定教 科書 に盛 り込まれ る内容を予想 した上で、そ うした内 容 を扱 った小・ 中学校 の 「道徳Jの授 業計 画 を作成 し
*静岡大学教育学部社会科教育講座
た り、 さらには、道徳性 の評価の書 き方 も取 り上げ る とい った こ とを検討すべ きか もしれ ない。
しか し、検 定教科書 に関 しては、「答 申」の中では「こ のため、「特別 の教科 道徳J(仮称)を学校 教育法施行 規則 及 び学習指導要領 に位置付 けるための制度改正 を 行 つた後 、「特別の教科 道徳」(仮称)の 特性 を踏 まえ、
教材 と して具備 すべ き要件 に留意 しつつ、民間発行者 の創意工夫を生かす とともに、バ ランスの とれた多様 な教科書 を認 めるとい う基本的な観点 に立 ち、教科書 検 定の具体 化 に取 り組む 必要があるJ(同,14頁)と
言 われ てい るだ けで あ る。 それ ゆえ、検定のあ り方が 具体 的 に示 され てい ない今 の段階で、検定教科書の内 容 を予想 し、それ を踏 まえた授業 を大学が提供す るこ
とは困難である。
また 、道徳性 の評価や その指導要録への記載につい て も、「なお、「特別 の教科 道徳J(仮称)や学校の教 育活動全体 を通 じて行 う道徳教育の評価 について、指 導要録 の具体 的な改善策等につ いては、今後、文部科
米原
優
学 省 にお いて 、更 に専 門的 に検討 を行 うこ とが求 め ら れ るJと言われ るのみで あ り (同,17頁)、 小 中学 生 の道 徳性 を ど うや つて評価 し、それ を どの よ うに、
どの くらいの文 量 で記載す るのか 、 とい った具体案 は 未 だ に提 示 され て いない。 したが つて 、教科 化後 に教 員 が道徳性 の評価 を し、それ を指 導要録 に記載す るこ とにな る と して も、今 の段 階でそれ に対応 した授 業 を 大学 で行 うことは難 しいであろ う。
しか し、だか らと言 つて、教科化後 を見据 えた大学 側 の対策 が 、現段 階 で全 くで きない とい うわ けで もな ぃ。 とい うの も、教科化後の 「道徳」の指導方法のあ り方については、「答 申Jの中で具体的 な提 言 が な され てお り、そ ういつた指導す る上で必須 となる態度の育 成 を 目標 と した授業 を、教員志望の学生に提供す るこ とは、今か らで も可能であるよ うに思われ るか らであ る。 そ して、 こ うした態度 とは 「理 由づ けを尊重す る 態度 (Respect for Reasoning)」 であると論 じるのが、
本稿 の 目的 で あ る。 また、学生がそ うい った態度 を備 え るために 、「道徳の指導法 │の 授業で行 うべ きことも 提 案す る。
構成 は以 下の通 りであ る。まず 、次節 にお いて 、「答 申Jの中で 、 ど うい つた 「道徳」 の指導 方法 が提言 さ れ てい るのか を確認す る。 また、そ うした指導方法が 導 入 されれ ば 、小 。中学生は 自身 の意 見や 行 為の理 由 を考 え、それ を表明す る とい う 「理 由づ けJの実践 が 求 め られ る よ うにな る とい うことも明 らか にす る。続 く、第2節で 「理由づけを尊重す る態度」 とい う概念 の紹介を行 う。 これ はイギ リスの政治哲学者バーナー ド・ ク リックが ンテ ィズンシ ンプ教育 の諸前提 の一つ とす る ものであるが、そ うした態度は教科化後 の 「道 徳Jを担 当す る教 員 も備 えるべ き ものであ る と考 え ら れ る。最後 に、第3節において、そ うした態度 の育成 のために、「道徳 の指導法」の授業内で行 うべ き ことを い くつか提案す る。
第1節 「答 申」が提言す る 「道徳」の指導方 法
「答申Jの「(4)多様で効果的な道徳教育の指導方 法へと改善する」の 「①多様で効果的な指導方法の積 極的導入についてJでは、現状の指導方法の課題につ いて、次のように言われている。
道徳教育の指導 方法 をめ ぐっては、 これ まで も、
例 えば、道徳 の時間にお いて 、読み物 の登場人物 の心情理解 にのみ偏 つた形式的な指導が行われ る 例 があ るこ とや 、発達の段 階な どを十 分 に踏 まえ ず 、児童 生徒 に望ま しい と思われ る分 か りきつた こ とを言わせた り書かせた り授業になつている例 が ある ことな ど、多 くの課題 が指摘 されている。
(同,11頁)
こ うした課題の指摘 を踏まえ、「答 申」は 「道徳」の正 式教科時に導入すべ き指導方法を提案 してい る。 そ し て、そ うした方法は「授業内討論の実施」「体験活動の 実践 とその価値の 自党」 とい うよ うにま とめることが で きる̀以下、 この二つ の内容 を順 に紹介す る。
①授 業内討論 の実施
この うちの授業内討論の実施 について、「答 申」では、
次 の よ うな主張が提示 され る。
道徳教育においては、児童生徒一人一人が しつか りと課題 に向き合い、教員や他の児童生徒 との対 話や討論 な どを行いつつ 、内省 し、熟慮 し、 自ら の考えを深 めてい くプロセ スがきわめて重要であ る。(同上)
また、そ うした対話や討論の意義に関 しては、「互いの 存在 を認 め尊重 し、意見 を交流 し合 う経験 は、児童 生 徒の 自尊感情や 自己への肯 定感 を高め る上 で も有効 と 考 え られ る」 と論 じられている (同上)。 さ らに、「情 報モ ラル 、生命 倫理 な ど現代 社会 を生 きる上 での課題 を扱 う場合に も、問題解決的な学習 を行 った り討論 を 深 めた りす るな ど指導方法 を工夫 してい くことが求め
られ るJとも言 われ てい る (同,12頁)。
② 体験 活動 の実践 とその価 値 の 自覚
も う一つ の体験 活動の実践 とそ の価値の 自覚に関 し、
「答申」では、「また、特に社会を形成する一員 として の主体的な生 き方に関わることな どについては、実際 に現場での体験活動 を行 うな ど、行動を通 じて実感 を もつて学ぶ こ とも重要であ る」と言われ る(同,11頁)。
さらに 、この場合の体験活動の中身や、それ を「道徳」
0乙
で行 う場合 の留意点について、次の よ うに も論 じられ てい る。
また、指導 のね らいに即 し、適 切 と考 えられ る場 合 には、「特別 の教科 道徳」(仮称)にお いて、
道徳的習慣や道徳的行為に関す る指導、問題解決 的 な学習や体験的な学習、役割演技や コ ミュニケ ー シ ョンに係 る具体的な動作や所作 の在 り方等 に 関す る学習 な どの指導 を発達の段階 を踏 まえつつ 取 り入れ る こ とも重要である。 その際は、単に活 動 を行 つて終わ るのではな く、児童生徒が活動 を 通 して学んだ ことを振 り返 り、その意義な どにつ いて考えることによ り、道徳的価値 の 自覚 を深 め、
さまざまな課題 を主体的に解決す るための資質・
能 力の育成 に資す ることとな るよ うに十分に留意 す る必要がある。(同,1112頁)
つ ま り、労働 の意義 を理解す るための職場体験や 、裁 判 の仕組 み を失口るた めに模擬裁判 を行 うといった よ う な活動 を、「道徳Jの授 業 に導入す ることが、ここで提 案 され てい る と言 え る。 また、生徒 自身 が こ うした活 動 の価値や意義 を 自覚す ることの必要性 も主張 されて い る。 さらに、そ うした 自党は 「さま ざまな課題 を主 体的 に解決す るための資質 能 力」の育成 に資す るも ので あるとも言われてい る。
以上①②のよ うな指導方法は、小・ 中学生に対 し、
自分の意見や行為の理由ない し根拠を考え、それ を表 明す るとい う「理 由づけJの実践 を求めるもの と考え られ る。 とい うの も、まず、①に関 して言えば、根拠 を示 さず、ただ断定的に意見を述べた と しても、そ う した意見の持 ち主が尊重 され ることは、まずない と考 えられ るか らである。そ して、こうした ことは、特に いわゆる少数派に属す意見の持ち主に当てはまると言 える。た とえば、「法律は常に遵守すべ きものか」「人 の ものを盗むのは絶対に許 されないのか」 といった問 題に対 し、「法は破 って もよい」「人の ものを盗んでよ いこともある」といった意見をただ表明 した ところで、
その人は 「不道徳Jと言われるだけであ り、その意見 がまともに聞かれ、尊重 され ることはまずないだろ う。
こ うした意見 を聞いて もらうためには、そ う言 える
理 由を 丁寧 に説明す ることが必要 となるよ うに思 われ る。 この点で、 自分の意見の根拠 を述べ る とい うこと は、特 に多数派が少数派の意見に も耳を傾 け、両者の 間で対話 を成 立 させ るた めに、必要な ことであろ う。
また 、様 々な問題 の討論 にあたつては、誰 もが少数派 になる可能性がある以上、そ うした討論 にカロわる人す べ てが、常 日頃そ うす る習慣 を身 につ けてお く必要が ある。そ して、「道徳」の授業で この よ うな討論 を行 う のであれ ば、それ に参加す る小・ 中学生 もまた、 自分 の意見の根拠 を考え、それ を表明す る習慣 を持つ こと が求め られ るであろ う。
また 、② にお ける活動体験は、何 らかの意義があ り、
それ ゆ えに、「道徳Jの授 業内での実践が必要な もの と 考え られ てい るよ うに思われ る。そ して、小・ 中学生 自らがその意義 な どについて考えるとい うことは、換 言すれ ば、「こういつた活動や体験はなぜZ、要 なのか」
自分 自身で考えるとい うこ とであろ う。す なわち、② においては、こ ういったかたちで、 自分が しているこ との理 由を考え、それを表 明す ることが、小・中学生 に求め られている と言える。
この よ うに①② の よ うな指導方法は、小・ 中学生に 自分の意見や行為の理 由について考 え、それ を表明す るこ とを求めるものである。 そ して、そ うした指導 を 行 う教員は 「理 由づ けを尊重す る態度」 を持 つていな ければな らない と考 えられ る。そ こで、 こ うした態度 をシテ ィズンシ ップ教育の諸前提の一つ とす るイギ リ スの政治哲学者パーナー ド・ クリックの主張を参照 し つつ 、そ う言える理 由を次節 で明 らかにす る。
第2節 「理 由づ けを尊重す る態度」 の重要性 ク リックは 「シテ ィズンシ ップ教育 と学校 での民主 主義教育に関す る諮 問委員会」の委員長 を務 めた人物 で あ り、同委員会が1998年に提出 した最終答 申書 をも とに、イギ リスでは2002年か ら 「シテ ィズンシ ップJ
が 中等教育の必修教科 となっている。 この最終答 申書 に よれ ば、シテ ィズンシ ップ教育の 日標 は次の通 りで あ る。
私 た ちの 目指す ところは、 この国の政治文化にお ける変化に他 な らない。その変化 とは、まず、人 々 が 自分 たちの ことを、市民生活に影 響 を及ぼそ う
米原
優
とい う意志 を持 ち、実際にそ うす る こともで き、
また 、そ うす る用意 もできてお り、 さらには、話 した り行動す る前 に証拠 を比較検討す る批半」的能 力 を備 えた活動 的市民で あ る と考 え るよ うにな る とい うことである。 さらには、ボランテ ィア活動 や公 共へ の奉仕 とい つた存在す る伝統 の 中で も最 善 の もの を増強 し、また 、若 い人 々へ と徹底的 に 拡 張 し、 さらには、若 い人 々が各 々、 自分 自身 の 中に新た な在 り方 を 自信 を持 つて 見いだせ るよ う に な る とい う こ と で あ る。(Crick 2000,pp 23/12頁、以後訳書 は引用部 の収録 頁のみ を付記 す る。また、訳は全て筆者 自身 による ものである)
つ ま り、政治参加やボランテ ィア活動 な どの社会参加 を通 じて 、人 々の生活 をよ りよい ものへ と改善 しよ う とい う意欲 を持つ 「活動的市民Jの育成 が、 シテ ィズ ンシ ップ教育の 目的である と言える。
そ して、教科化後の 「道徳」 にお ける指導 との関連 で特 に重視すべ きは、そ うした活動的市民は 「話 した り行動す る前に証拠 を比較検討す る批判的能力」 を有 した人 と考え られているとい うことである。 この場合 の証拠 とは、 自分の意見や行為 を正 当化す る証拠であ ろ う。そ して、こ うした証拠の探求を欠か さず、「なぜ そ う言 えるのか」「なぜそ うす るのかJと い う聞いに常 に答 える心構 えのあ る人 が、批判 的能 力 を有 した活動 的市民で あ る と言 える。
そ して ク リックによれば、 この よ うな活動的市民 の育成 を 目指す 「教 え込み教育 とは異 なる 自由なシテ ィズンシ ップ教育 とい う企図」 は
'自
由、寛容、真理 を尊重 す る態 度 、理 由づ けを尊 重す る態度 (Respect for Reasoning)Jの 四つの 「諸前提Jに基づ くもので なけれ ば な らない (ibid,p156/219頁 )。 つ ま り、
これ ら四つの ものが学校 に存在 していなけれ ば、まっ と うなシテ ィズンシ ップ教育は不可能 とい うわけであ る。
この うちの「理 由づけを尊重す る態度Jに関 しては、
次の よ うに も言 われ てい る。
教師 は、 と りわ け新 しい クラス と対 面す る際や 、 何 らかの変更を行 う際 には特 に、物事 が特 定の仕 方で行われ る理 由を提示 しなければな らない。幼
い子 どもに提示 され る理 由は しば しば理解 されな いか もしれない と反論す るのは、的外れである。
とい うの も、理 由を提示す る習慣や提示 され るの を期待す る習慣 は、(暗記 とは異 な る)学 習方法や 、
(受動 的服 従 とは異 な る)政治上 の民主主義 の双 方 に とつて、基本的な ものであるとい うのが、真 実だか らで あ る。(ibid,p 165/232頁 )
また、「理由を提示す る とい うことや、さらには、理由 を提示 し、何 を どのよ うに教 えるのか正当化す る とい うことの義務づ け さえ も、〔教師 の〕正 当な権威 を破壊 す る ものではない。 逆 に理 由の提示の拒否 は 〔生徒の 側 の〕言 いな りか反抗 の どち らか を招 くので あ る」 と も言われ てい る (ibid〔 〕は筆者の補足 を表す)。
確 かに、教師が 「なぜ そ う言 うのかJ「なぜ そ うす る のかJとい う問いに、ちやん と答 えよ うとしないので あれ ば、生徒 もそ うしよ うと思わな くなるだろ う。そ の よ うな状況下において、批判的能力を備 えた活動的 市民の育成 は まず 不可能 であ る。 それ ゆえ、そ うした 人 の育成 を 目標 とす るシテ ィズンシ ップ教育 に携 わ る 人は、常に 自分の言動の理 由を誠実に説明す る用意の ある人でなけれ ばな らない。理 由づけを尊重す る態度 を持 つ人 とはそ うい つた人であろ う。 そ して 、教 師は その よ うな人 であ る必要が ある とい うのが、 ここで提 示 され る ク リックの考 えである と言 える。
批判的能 力 を備 えた人の育成 を 目標 とす るシテ ィズ ンシ ップ教育 に携わ る教師は、理由づ けを尊重す る態 度 を持つ人で なけれ ばな らない、 とい うク リックの考 えは、妥当な ものであるよ うに思われ る。 しか し、そ もそ も、そ うした人 の育成 が 目標 として設 定 され てい るのはなぜ で あろ うか。 それ は、おそ らく、特 に政治 に関わ る問題 を互 いに論 じるに当たっては、そ うした 討論 に参加す る人た ちは「公共的理 由Jを提 示す る能 力 を持 っていな けれ ばな らない とい う認識 が、 ク リッ
クを始め、シテ ィズンシ ップ教育を推進す る人た ちの 間 にあ るか らだ と思 われ る。
この 「公共的理 由Jに関 し、カナ ダの政治哲学者 キ ム リッカは 「シテ ィズンシ ップ理論Jについて論 じる 中で、次の よ うに述べ てい る。
リベ ラル な市民 た ちは、単に好みを述べ た り、脅
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しをかけるのではな く、 自分 たちの政治的要求の 理 由を提示 しなけれ ばな らな い。 さらに、 これ ら の理 由は、異 なる信仰や文化 を持つ人によつて も 理解や受容が可能 とい う意味で 「公共的J理由で な けれ ばな らない。(Kymlicka 2002,p 289/421 頁)
た とえば、イギ リスにおいて、シー ク教徒は 「キルパ ー ン」 と呼ばれ る短刀の所持 を許 可 されている (松元
2007,29頁を参照)。 そ して、 も し、 シー ク教徒でな い人が 「キルパー ンの所持 を法的に禁止すべ きだ」 と い う政 治的要求 を出すのであれ ば、シー ク教徒に も、
さ らにはその他 の人々に も理解や受容の可能な 「公共 的理 由」 を提示す る必要がある、 とい うのが ここで言 われ る こ とで あ る。確かに、 もし、そ うした理 由を提 示せ ず に このよ うな要求 を出 した として も、(脅しとい う不正 な手段 を使 わない限 り)それ が他 の人 々に、(と
りわ け、シー ク教徒に)受け入れ られ るとは考え られ ない。 それ ゆえ、 こ うした点で、公共的理 由を提示す る能力は、 自分の政治的要求を他 の人 々に受 け入れて も ら う上で必須 と言 える。 また、だか らこそ、シテ ィ ズ ンシ ップ教 育において、「話 した り行動す る前 に証拠 を比較検討す る批判的能力J(Crick 2000,p3/12頁 )
を備 えた人の育成が 目指 され てい るもの と思われ る。
そ して 、公共的理 由を提示す る能力は、特段政治的 で もな く、小・ 中学生が学校生活のなかで行 う主張 を 他 の人 に聞 いて もら う上で も必要 となるよ うに思われ る。 た とえば、合唱 コンクール で歌いたい曲があった り、学級委 員に推薦 したい人がいた として も、ただ、
「あの曲を歌いたい」「この人 を推薦 したい」と言 うだ けだ と、別 の意 見の持 ち主はそれ をま ともに聞 こ うと しないであろ う。そ うして もらうためには、異な る意 見の持 ち主 に も理解 でき、受 け入れ られ る理 由を提示 す る必要がある。 そ ういった点で、公共的理 由を提示 す る能 力は、「さま ざまな課題 を主体的 に解決す る資 質・ 能 力」(中央教育審議会 2014,12頁)の一つであ
り、「答 申」が小・中学生に理 由づ けの実践 を求 めるよ うな指導方法 を提言 してい るの も、そ うした指導 を通 じて 、公共的理 由を提示す る能 力の育成 が図れ る とい うこ とを期待 してい るか らであろ う。
だ とすれ ば、 日本の小・中学校 の 「道徳」の授 業 を
担 当す る教師 も、イギ リスのシテ ィズンシ ップ教育の それ と同様 に、理 由づ けを尊重す る態度 を持つ人でな けれ ばな らない。そ して、大学の教員養成課程 におけ る 「道徳 の指導法」の授業は、こ うした態度 の育成 と い う役害1を果 たす 必要 があ る。そ こで、次節で、そ う した役害1を果 たす には ど ういった授 業 を展開すれ ばい いの かについて、筆者 自身の見解 を提示す る。
第3節 理 由づ けを尊重す る態度 を ど う育成す るか
「道徳の指導法」の授業で、理 由づ けを尊重す る態 度 の育成 とい う目標 を実現す るには、授業計画の作成 や既存の教材 の研 究 といった授業内で一般的に行 われ る事柄の中に、受講者 自身が理 由づ けを実践 し、その 意義 を理解す る機会 を設 ける必要があろ う。 そ こで、
そ ういったかたちでの授業計画の作成や教材研究のあ り方の提示 を以下で試み る。
①授 業計画 の作成 に関 して
まず 、授業計画の作成 に関 しては、「計画の作成者に 対す る改善案 と、そ ういつた改善が必要 と言 える理 由 を提示す る」とい う活動 と、「改善案 を提示 され 、それ を受 けいれた計画の作成者が、受 け入れた理 由を説明 す るJとい う活動 を入れ ることで、そ うした計画の作 成や 改善の過程 において、 自分で理 由づ けを実践 し、
その意義 を理解す る機会 を設 けることがで きる。
現在 、筆者が担 当 している静岡大学教育学部の 「道 徳指導論 (D組)」 では、そ ういったかたちでの授業計 画 の作成 を行 つてい る。そのおお まかな流れ は以下の
とお りで ある。
1 毎 回 し名程度 の発表者 が、 自身の 「道徳」の授業 計画 (一時間分)を発表す る
2 参加者全員が発表者の中か ら一人 を選び (発表 を 行 つた者 は 自分以外の発表者の中か ら一人を選び)、
当人の授業計画の問題点 と改善案 を A4‑枚以内で 執筆 して 、授業担 当者 (筆者)に提 出す る (発表 か ら一週間後が締 切)。 その際、改善が必要 と言 える理 由 も書 く。提 出物 は、授業担 当者が参加者全員 に公 表す る
3 発表者 は、参加 者か らの改善案 を踏 まえ、 自身の 授 業計画 を修正 し、修正後の計画 を授業担 当者に提
米原
優
出す る(改善案提 出か ら一週 間後が締切)。その際 に、
誰 の指摘 を元 に、どこを ど う変 えたの か も明記す る。
また 、授 業担 当者 は修 正後 の授業計画 も参加者全員 に公表す る
4 授 業担 当者は修正後の授業計画を提 出 した発表者 と個別 に面談 し、問題点の指摘 を行 う。その際、他 者か らの改善案 を受 け入れ て しま つたた めに、新た な問題 を発生 させ てい る と見受 け られ る場 合 には 、
「なぜ その改善案 を受 け入れ たのか」 とい う点の説 明 を求 め る
この うちの2や 3の活動 は 、「そ うした改善が必要 と言 え る理 由を的確 に指摘 した改善案 こそ、聞 き入れ られ る もの であ る」 をい う認識 を参加 者が持つ とい うこと を 目指 した ものである。 また、4は「他者か ら提示 さ れ た改 善案 をただ受 け入れ るだ けでは、かえって改悪 につなが るこ ともあ る」、 さらには、「他 の人 々の案 を 受 け入れ る前 に、そ うした案 を受 け入れ る (または、
退 け る)理由を考 える必要 が あ る」 とい うこ との把握 を意 図 した活動 で ある。 そ して、 これ らの活動 を通 し て 、「自身の授業計画 をよ りよい ものにす る上で も、さ らには、他 の人 の授業計画 を よ りよ くす る とい う点で も、理 由づ けは重要 にな るJとい うよ うに して、理 由 づ けの意義 を理解す ることが、 こ ういつたかたちで授 業計画 の作成 と改善 を行 うこ との狙 いで あ る。
② 初 材研 究 に関 して
また(教材研 究に関 して言 えば、「既存の教材 におい て提示 され る道徳的な主張の根拠 を考えるJとい う活 動 を取 り入れ る ことに よ り、理 由づ けの実践や その意 義 の理解 が可能 にな る と言 える。
た とえば、文部科学省作成 の教材 である『 私たちの 道徳 中学校』 では、「自分 で考 え実行 し責任 を もつJ (文部科学省 2014,22頁)、 さらには 「正義 を重ん じ 公正・ 公 平 な社会 を」(同,160頁 )とい った主張が提 示 され てい る。 そ して 、 これ らの主張は多 くの人 に と つて 「分か りきつたJことであ る し、 こ うした主張が 載 った教材 をそのまま使 うのでは 、「答申」で批判 され る 「児童 生徒 に望ま しい と思 われ る分 か りきった こ と を言わせた り書かせた り授業」(中央教育審議 会 2014,
11頁)になつて しま うだ ろ う。 しか し、「なぜ 自分で
考 え実行 しな けれ ばな らないのか」とか 、「公正・公平 な社会を作 らなければな らないのはなぜ か」 とい うよ うに、その主張の根拠 を問 うこ とはで きる し、それ を 主題 に した討 論 を 「道徳」の授業 で行 うこ とも可能 で あ るよ うに思われ る。
そ して、「道徳 の指導法」における既存の教材 の研究 は、その よ うに して、根拠を問えるよ うな主張が提示 され ていないか とい う観点か らの検討 を行 い、小・ 中 学校の「道徳Jの 授業における討論の主題 を探 し出す、
とい う方向で行 うべきであろ う。 とい うの も、そ うす る ことで、分か りきったことを言わせ書かせ る授業 を
「道徳」の授業でや って しま うとい うこ とを防げる と 考 え られ るか らで ある。すなわち、 この よ うに して、
一見分か りきつた ことの よ うに見える主張の根拠 を問 うこ とが、 よ りよい 「道徳Jの授 業の実施 につ なが る と言える。そ して、これ も理 由づけの意義の一つであ る し、そ うした意義 の認識 が、そ こで提示 され る道徳 的主張の根拠 を問 うとい う方向で 、既存 の教材 の研 究 を行 うとい うことの狙いである。
結論
以上で見て きた よ うに、教科化後 の 「道徳」 は 自分 の意見や行為の理 由を考え、それ を表明す るとい う理 由づ けの実践 を小 。中学生に求めるものであ り、それ を担 当す る教師は理 由づけを尊重す る態度 を持 つた人 でなければな らない と言 える。そ して、大学の教員養 成課程 の 「道徳 の指導法」 の授 業は、そ うした態度 の 育成 に資す る もので なけれ ばな らない。
本稿 では、そ ういった大学の授業で行 うべ き活動 を 提案 した が、何 よ りも大事 なのは大学 の授 業担 当者 自 身 がそ うした態度 を持つ ことであ る。つま り、授業担 当者は、学生に対 し、 自身の意見や行為の理 由を常に 誠 実に説明す る用意がなけれ ばな らない。 この点に関 して は、授業担 当者 自身の心構 えも重要であるが、そ うい った態度 で授 業 を行 つているか どうかをチェ ック す るための仕組 み作 りも、大学側 に求め られ るよ うに 思われ る。
こ うした 「道徳」 に関す る大学の取 り組み に関 し、
「答 申」では、「あわせて、各大学において道徳教育の 指導 に 当た る教員の養成 のために も、大学における道 徳 教育に係 る教 育研 究組織 の改善・ 充実 に向 けた積極
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的 な取組 が期待 され る」(同,19頁)と言われている が 、そ うした取 り組みは 「理 由づ けを尊重す る態度 を 持 つ 人の育成」 とい う目標の実現 に寄与す るものでな
けれ ば な らないだろ う。
文 献表
Crick, Bernard 2000 ′ssθ/sa,′ゴ′ゴz″,sヵィ′ LOndon and New York:cOntinuum[バーナー ド・ ク リック (関日正司監訳)『シティズンシップ教育論――政治 哲学と市民』法政大学出版局、2011年。]
Kymlicka, Wil1 2002 ιゥ?ι〕mpο′η4/ ′bノゴ′ゴ´′ノ Phゴノοs●ρl′ ′″ 五?trOducrゴ α■ 2nd ed OxfOrd:
Oxford university Press[w キム リッカ (千葉 員・岡崎晴輝訳者代表)『新版 現代政治理論』 日本 経済評論社、20o5年 。]
中央教育審議会 2014「道徳に係 る教育課程の改善等 について (答申)」
http://wⅦ″ mext gO jp/b menu/shingi/chukyo/chu kyoO/toushin/1352890 htm
松元雅和 2007『リベラルな多文化主義』慶應義塾大 学出版会。
文部科学省2014『私たちの道徳 中学校』廣済堂あ かつき株式会社。