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Mini−Essay Writingの指導について
一情報工学部1年生の英作文学習の実践報告一
伊 藤 武 久
(人間科学)
0.はじめに
平成元年(1989年)4月から9月までの前期,九州工業大学情報工学部電子 情報工学科1年1番から40番までの40名,機械システム工学科1年の同じく1 番から40番までの40名,合計80名に対して英語作文の宿題指導を行った。以下
は,この2クラスにおけるEnglish writing学習の(1)目的,(2)方法,(3)結果 について述べ,ついで(4)英作文初学生の英文に発見せらるる問題点を瞥見し た報告書である。尚,後尾の(5)反省,に限っては,前年度1988年,やはり1 年の電子情報工学科学生前期40名,後期40名に対して行ったほぼ同様の方法に
よる英作文指導の経験から得られたものも加味されていることを言い添えてお
く。
1.目的
80名学生の新学期当初の平均的英語力と判断されるものに適応する英作文授
業の目的なり方針をいきなり述べる前に若干の予備説明が妥当であろう。1年
生は英語A(週1回,90分,通年)と英語B(Aに同じ)を履修する。原則的
には,英語Aでは,Bや2年次以降の, C, D 1, D 2と区分されて,英語の
communicative, functionalな能力,すなわち, listening, speaking,あるいは
writingの力の開発が目論まれる。ただし,我々は「聞く」,「話す」,「書く」
の3能力を一括りにして,こればかりを英語の実用的能力とみなさない。また
「読む」力を育てる事に専ら腐心する英語教育を古風で非実用的であるとする 世間流行の考えにも従わない。何故なら,情報化社会の将来の若き工学戦士に
とって,科学技術の英文を素早く,かつ正確に「読む」技能は,優れて実用的 な英語力の筈であるからである。
さて,英語Aの授業方式には,LL教室の教育機器を援用しての音声指導と か,生身のnative speakerによる発話訓練とかがあり,現に本学部でもそれら は行われているのであり,私が「書く」技能の訓練を考えたのには,とりたて てこれといって立派な理由があってのことではない。強いて言えば,私自身が,
大切だとは承知しつつも英文を書くのを何となく億劫がるところがあるので,
さぞや学生はこれを嫌悪するであろうから,その救済法なり解決策の端緒を 探ってみたいと思ったから,ぐらいのところである。
今も言う通り,語学のいわゆる4技能の学習のうちで,学習者が最も敬遠す るのは「書く」訓練である。これは明白である。それ故,私が英作文指導の第 1の目的・方針とすべきものは,学習者の側における作文恐怖症(composi−
tion−phobia),もしくは嫌悪感(abhorance)の除去でなければならない。その ため,すでに中学校の作文指導においてすら生徒たちに強要されるあの頑なな 完全主義(perfectionism)はこの際無用のものとみなす。そこから第2の方針 が定まる。現在の英語力の本学部学生に望むべき英文は,acceptable(まずま ず)な英語,そして読む人にとってはなんとかunderstandableな英文である。
さしあたって,平均的な到達目標をそこに置く。勿論,received(標準的)で,
naturalな英語の作文こそ願わしいのだが,それは他日に達成を期すべき究極 の目標であろう。
英文を綴る作業は「なにしろしんどい」ものと初手から相場が決まっていて,
学習者の不興を買い,教授者の不評を招いているが,本質的には難しいもので はない筈である。一代の碩学福原麟太郎の言葉として国弘正雄が紹介したもの に見られる通りである(「時事英語研究」,研究社,1987年8月号)。福原は
「英語を話すのがいちばんやさしく,書くのがその次にやさしく,読むのがい
MinrEssay Wri6ngの指導について 3 ちばん難しい」と言った。国弘は敷延する。話すという営みは「内容的にも,
ことばの難易という点からいっても自分のわくを越えるものではありません。
つまり話すレベルというのは自分自身なのでして,それ以上でもそれ以下でも ないのです。・…ところが読みこむ,という段になると,その相手は世界的文 豪だったり,思想家だったり,ノーベル賞受賞の科学者だったりするわけです から,当方の手のとどく範囲ではありません。・…完全に読みこもうとすれば,
知的水準や文学的素養,感受性や知識などの面において,相手と同等でなくて も,少なくともその域をうかがえる程度の高みにこちらがあることが欠かせな くなります。・…そう軽々しく,英語は読めるけどなどと,げに申すまじく候
…・ B」書くことは話すことに次いでやさしいと福原は言うし,大雑把を承知 で国弘の指摘をなぞれば,writingという営みとて,「内容的にも,ことばの難 易という点からいっても自分のわくを越えるものでは」なく,その「レベルも やはり自分自身なのでして,それ以上でも,それ以下でもない」のである。か りに思想内容のことは別としても,自分が現在持ち合わせている文章表現力
(つまり語彙プラス構成力プラス望むべくは或程度の感受性)のレベルの英語 しか書けないのだから,自分のレベル以上の和文英訳を試みるべくにわかに和 英辞典の文例によりかかって字句をこねくってみたところで,たいていはチン
プンカンプンの文しか出来ないわけである。
おおよそ,母国語においてすら,「読む」,「聞く」の認識先行の能力と「書 く」,「話す」の機能型の能力とのあいだには段差があるのは致しかたない仕儀 である。まして英語が後天的に取得される言語である時は両者間の落差は甚だ
しい。高校3年の英語が読んで聞いて理解でき,中学3年の英語がきちんと書
けて話せる大学生ならむしろ頼もしいくらいなのである。従って,英作文クラ
スの指導に当たって第3の方針,それもすこぶる実用本位の方針として,学生
には自前の英語表現力で可能な内容を扱わせる,というのが定められなければ
ならない。この措置が必要なのは,大学生ともなると自分の貧弱な英語力を顧
みず,あるいは棚にあげて,和英辞典に強引な助勢をさせて,箸にも棒にもか
からない珍文をでっちあげるからである。この弊を招来させないためにも通常
の小和文英訳の段階から,無理な直訳の禁止,意訳の奨励が肝要である。日本 文の内容を英語に100パーセント置き換えようといくら思っても,対処できる 英語表現力がたとえば60パーセントしかない者は,意味不明瞭な直訳文を捏造 する愚を招く。それよりはむしろ日本文の方を思い切って90パーセントなり85 パーセントなりに約めて,それになら対処できる英語力を使って,解ってもら える文を書くほうが余程得策なのである。
念のために断っておくことがある。この報告書がmini−essay writing指導の 実践報告を標榜するといっても,教室の全時間がmini−essay訓練にあてられ たのではない。後述の通り,essayは宿題として課せられたのである。教室で は「Co初〃砲η碗加εEηg伝んW功仇g:現代英語の表現演習」(成美堂)がテキ ストとして用いられ,各週各一章の消化に殆ど全部の時間が費やされた。学生 が板書した英文を私が添削する。昔ながらの英作文授業であった。その際前 述の第3の方針に第2の方針を補佐させたのは言うまでもない。そして,その 第3についてであるが,いくら自前の英語で書くべしと言っても,永遠永却に これを続けたのでは進歩がない。知らぬ間に,高度で濃密な内容の文章がもの にできるわけではない。常に英語表現力のbrushing upとbuilding upが図ら れねばならないのは無論である。一方,上達を阻む心理的抑止力の英作文 phobiaやabhorenceは,これまたじっとしていてもひとりでに除去できるも のではない。無理にでも追い出さねばならない。教室外のmini−essay assign−
mentは第1の方針に沿う方策であったのである。
では何故mini−essay注1)の形式なのかということについて一言しておく。英 作文といえば,明治に本格的な英語教育が始まって以来,教室でも入学試験で
も,それは和文英訳と殆ど同義であった。さらに,巷間正しく称せられている 如く,英作文は英借文の謂であった。一行から数行に及ぶ日本文を,可能な限
りそれに対応できると思われる英語の表現に仕立て直すという和文英訳修業は 英語力の函養上極めて有用であり意義深い。しかしついにそれは学習の一段階,
それも初期の段階に過ぎない。早晩,模倣は創造にその所を譲らねばならない。
拘束される翻案から自由な作文に進まねばならない。と,こんな大見得を切っ
Mini−Essay Writingの指導について 5 ているこちらの耳に反発の声が聞こえてくる。「1センテンスの英語にすら基 本的な度しがたい間違いを犯す連中にessayなど笑止である。ろくに水に浮か ぶ事もできない者に100メートル泳げ,200メートルに挑めと言うようなもので はないか」なるほどもっともなご意見に思えるが,こちらとしては,「泳げる ようになってからプールに入れと言われても困る」としか答えようがない。既 述の通り,私の場合は,クラスでは和文英訳。こちらは畳の上での水練のつも り。クラス外の宿題ではmini−essay,つまりプール泳ぎなのである。承知で学 生に無理を強いているのである。
2.方 法
2.1.可能な限り週一度,授業の終わりに第1図のようなB5の用紙を配布 する。これにはエッセイ題と提出締切日を記している。因に,夏期休暇を挟ん での前期6ヵ月間の授業日数は両クラスとも12回,essayを書かせた回数は9
回であった。
2.2.作文題は第8回目の自由題を除いて全て私が考えた。
2.3.提出締切日は,用紙を配布した日(火曜日)から11日後の次週金曜日
とした。
2.4.各回の作文題と用紙配布日と提出締切日を第2図に示す。
5のAkatomboは三木露風「赤蜻蛉」の全て4節を,日本語を解さない人に 英語で解説するよう求めたもの。6番はリクルート事件についての感想を引き だそうとしたもの。多くのノンポリ学生には不評であった。9も彼らを手こず らせたとみえ,提出率は最低の60%台であった。
2.5.使用語数は150語程度が望ましいとだけ言い渡し,特に注文はつけな かった。B5用紙の21行全てを普通の字体で埋めると,大体150語から170語ぐ
らいになる。例えば,第6回の平均語数は136語であった。最大は269語,最小 は80語であった。
2.6.提出された作文には添削を施し,必要に応じて短評をつけた。これを
次の火曜日に返却する。その際,授業の初めの数分を割いて,宿題の出来具合 い等について語る。
2.7.評価はA,B, C, Dとする。 Aは特に優れたもの,たいてい3名か ら5名ぐらいであった。Cは目だって不出来のもの。これも数名であった。そ れ以外はB。締切日を守らなかったものも受付け,添削後,返却するが,評価 は1ランク下げる。つまりC成績のものだとDとなる。評価記号は用紙には 記さない。しかし全面真っ赤になって戻った作文必ずしも駄目なのではなく,
また修正の少ないもの常に優れている訳ではない事を学生に注意している。
第1図
COMPOSITION
@ 1年電子・機械 No.
作文題 氏名
Mini−Essay Writingの指導について 7 第2図
No 作文題 配布日 締切日
1
Let me introduce myself
4/25 5/92
My high school life
5/9 5/193 Computer and I
5/30 6/94 From Iizuka, with love
6/6 6/165
Akatombo
6/20 6/306
Thank you, Mr. Rikuruto
6/27 7/7 7Asummer day at home
7/4 9/148 自由題
7/4 9/149 Amini−essay on mini−essay writing
9/19 9/29ungrammaticalな箇所が目に立っても,ともかく文章がなんとかunderstand−
ableであり,内容がlivelyでかつpersuasiveなessayは,語法に誤りは少なく,
従って充分にunderstandableではあるが,生気の無い,つまらない内容の文 より好ましいと思うからである。既述の通り,このassignmentの狙いは,第 一に英語作文への親しみの育成,第二に「書く」英語にたいする自前の能力の 活用であるので,「いかに書くか」が「なにを書くか」に優先するのは致しか たないが,それでも後者がまったく念頭にないのではどうかと思うからである。
3.結 果
3.1.両クラスの熱心さの如何を第3図にしてみる。各数字を2.5倍すれば そのままパーセンテージになる。
9回平均の提出率は電子が87.5%,機械が85%。全回提出した者は電子20名,
機械19名。一度も提出しなかった者は両クラスとも皆無。まずまずと言うべぎ か。出し遅れは,電子平均8.25%,機械12.5%10人に1人の割合というところ。
よしとすべきであろう。授業へのattendanceと演習へのparticipationとこの
第3図
電子情報 機械システム
回
提出 遅延 未出
1
39
1 12
39 4
13 39
1 14 39
6 15
38 8
26
28
312
7
33 33
78 33 4
79 27 0
13平均 35
3.3 5回
提出 遅延 未出
1
40 0 0
2
38 8
23
35
3 84 33
5 75
31
4 96 31 3 9
7
37
9 38 37 12
39 24
1 16平均 34
5 6assignmentの提出を単位認定の主要件と定めておいたから,学生の中には 嫌々ながら一文をこねあげ,締切日に間に合わせたらしい者,あるいはつい出
しそびれ大幅に提出を遅らせた者がいる。また毎回遅滞なく,苦心の作を発表 した大方の学生についても,その全員が喜びと共にこれを行ったかどうか疑わ しいところがある。従って,本教室の第1の方針・目的がどれほど達成された かは把握しがたい。ただし,全くの徒労に終わった訳ではないらしいのは第9 回の作文を読んで解った。
3.2. タイプライターで清書したものは僅かに1名であった。パソコンや
ワープロの普及時代の申し子,しかも情報工学部学生にしては案外の数字に見
えるが,恐らくは僅少の和文英訳以外は英文など書いたためしのない者達ばか
りであろうから,不思議とするには当たるまい。99名が手書きであったが,な
かには名状しがたくひどいhandwritingもあった。こちらの判読力に挑むかの
ような,なぐり書きであった。penmanshipの不足というよりはetiquetteの欠
Mini−Essay Wridngの指導について 9 如と言うべきである。(二度目は許さないと注意して,ともかくも添削して返す。)
3.3.締切日に続く週末,60枚から70枚のピースを子細に読み,メモを取る。
各葉に施す添削は,前述第2の方針に沿って,初歩的な文法上の誤り,誤字の 修正を専一として,せっかくの原文の姿がかき消えるほどのむやみな改修はお
こなわない。学生の意気込みを消沈させてはことであるからだ。
4.学生の英語
4.1. 「日本人の英語」(マーク・ピーターセン,岩波新書)は今も版を重 ねているが,これは「日本人の(書く)英語」についての病状報告とその処方 箋というべきものであって,すこぶる身につまされる内容を持つ8主2)私の80 名の学生の英語は同書に記載されている病例のことごとくを,その最も初歩的,
最も幼稚な種類において豊富に有する。いわく,冠詞,数と一致,可算名詞と 不可算名詞,前置詞,時制と相,関係詞,態,動詞と副詞,副詞と論理構造,
接続詞,等等にわたって,同著書が指弾した違反の好(?)例が学生文中には 目白押しである。それらをここに逐一転記したところで,好奇心の幾分は満足 せられても,何等の稗益も期し得ないであろうから,以下にはごく酷い事例の 若干を記して,おおよそを推察していただくことにする。
4.1.1.信じがたい誤り
*swimmed, drinked, tryed, tooked, flyed, teached, maked, sleeped,
singed,(焦がした,にあらず。 singの過去形のつもり), keeped, leaved
*「それら」をitsと書く。(itの複数だからsをつけたと言う事であろう)
*可算と不可算名詞の区別の無視,無知め例は数知らず。Ihave a news.
He brought me a happy information.
4.1.2.笑えない誤り
Education eats money.教育は金を喰う。(餓鬼道に堕ちた「教育」?)
Politicians are moved by money.政治家は金で動かされる。
(金に感泣する政治家?)
She is one age.彼女は一歳である。(美空ひばり?マリリン・モンロー?)
日本語の一語一句を英語の相当語句で置き換えていく典型的な直訳英文の見 本である。程度の差はあれ,日本人である間はいつまでもついてまわる宿命的 な誤謬である。本人が気づけばよし,気づかなければ気づいた人が注意して,
根気よく直すより他はない。できるだけ多く英文を書いて,できるだけ多くの 誤りを自覚することである。
4.1.3.長文にありがちな誤り
僅か150語程度の文ではあっても,mini−essayをものすると称する限り,単 なる和文英訳とは違って,起承転結の案配,因果関係への配慮,論理的な構成 への目配り等が必要となってくる。そのため,1編中の文たちを前後照応させ る接続機能の語や語句が多用される。「とくに」,「したがって」,「ところで」,
「なぜならば」,等の類である。前引ピーターセン本でも全20章中の最後の4 章がこの問題に充当せられ,同書の一番の読みどころとなっている。そしてこ の方面においても,学生たちは,ピーターセンが憐れんだ「日本人の英語」の 書き手たち(学術論文を英語で書くほどの知識人たち)の立派な後継者となっ ている。3つの場合を挙げるに止める。
*「なぜなら」
Idid not study. Because I was tired.
このBecauseは気になる。まるで独立の副詞のように扱っているからだ。な ぜこの種の使い方が学生英文に頻出するかについては思い当たる節がある。そ れは,Whyで始まる疑問文の答は普通Because...と受けるという慣用が中学英 語以来の英問英答練習でかれらに染み込んでいるせいであるに違いない。
Idid not study, because I was tired.とすれば済むものを,そうしないのは,
後続の理由文を従えるべき「なぜならば」が彼らの論理の意識のなかではむし ろ前文に強くもたれかかっているからであろう。だからBecause I was tired, I did not study.と書く,或いは,と書けるのだと気がついている学生が少ない のである。
*「とくに」
Mini−Essay Wridngの指導について 11
Especially I like pop music.
especiallyは決して文頭に用いてはならないのに,判で押したように,学生は こう書く。これも日本語の習慣に引きずられているのである。
* 「ところで」
Loηg〃2αηぴ由oηατyρ∫(】oηzε励omアy Eηgli∫んはBy the wayを説明して Altough this expression seems to suggest that you are going to add unimpor.
tant information, in fact it is often used to introduce a subject that is really
very important to you.といっている。ゆめ軽々しく「ところで」と切り出 してはいけないとの親切な注意である。日本語の方の「ところで」は,言葉も 軽ければ含意も浅い。そこで,つい何気なくこの表現が出てくる。またこの語 句は話の継ぎ穂,たね,展開に困った時(それは宿題を課せられた学生にとど まらず,誰にも身に覚えのある事である。)には重宝な道具だという面もあり,
とにかく便利である。There are four people in my family. They are my parents, my sister and I myself(そして早くも)By the way we have a cat,
too.なのである。(こちらは,あきれて, By the way I hate cats.とつぶやき たくなる。)
4.2.Miniモssayは唯の和文英訳とは違う。ある主題について首尾一貫し た主張なり,感想なり,描写なりをまとめなければならない。しかし学生の身 にとってはこれがEasier said than doneなのである。それはなぜなのか,と いう点について若干の私見を付加しておきたい。
「読む」のがいちばん難しいと福原が言ったのは,この受信型英語能力,つ まり読み手の側の外国語理解のレベルが,すでに出来上がって現前する読み物 の内容のレベルの下風にたつことが通常であると判じたからであろう。一方,
「書く」のが本質的に易しいというわけは,この発信型英語能力,つまり書き 手の側が現前させようとする読み物のレベルは当人の現在の書く能力の以上に も以下にも出ないからであるに他ならない。書けないものは書けない,従って,
書けるほどのものを書くしかないのであるから,これは楽である,というわけ
であろう。別言すれば,たとえば3のレベルの読解力は3以上のレベルの読み
12 伊藤武久
物には歯がたたない,しかるに世には8,9,10の読み物が充満している,だ から「読む」のは難しい。しかも,読まないで済ます訳にはいかない場合が多 い。また読めるものだけを読んでおればよいという事では持があかない。(読 解力に関係する「書く」問題つまり日本語への翻訳の話は今は取り上げない で置く。)他方,3のレベルの作文力はさしあたってそれ以上のものを現出さ せるのは無理である。無理だとすれば,3のままでいいさと尻をまくるか,英 文を書かねばならない事態の生ずるのは英文を読まねばならない場合の多さと は比べられないほど低いのが大方の人にとって普通であるのであっさりあきら める。結局英文を書くというのは楽である,というよりは安易にこれを棚上げ にする事が出来るという具合になる。しかし,である。大学生として読まねば ならぬ英語,辞書などの助けを借りて悪戦苦闘しながらおぼろげながらも理解 している英語,そういうものに比べたらお話にならない程度の,例えば3なら 3のレベルの書く能力に安住してはおれなくなったとき,英作文は俄然難しい ものに豹変する。楽でも何でも無くなる。
更に,人が英作文を敬遠する理由が他に二つ考えられよう。一つは,「読む」,
「聞く」,「話す」と違って「書く」仕事だけが,何かに記された文字の行列の 姿で痕跡をとどめるといういやらしさである。自信の作,自慢の出来映えなら,
痕跡も楽しいであろうが,そうでないときは正視するに忍びない。二つ目は,
「書く」という営為に本質的に関わる問題である。というのは,「書く」とは,
要するに,考えること,感じることであるというのっぴきの無さである。「文 は人なり」とはけだし名言である。いくら10のレベルの思考力や感受性があろ うとも,それを幼稚な3のレベルの英文でしか伝え得ないならば,現前するも のはついに3でしかない。その時いやらしさとのっぴきの無さとが結びあって 人を殆ど絶望させるのである。これを懲笑する人々には,ではひとつ400字か ら800字の間の語数の日本文でなにかエッセイを書いてみたまえと言いた
い6注3)
Mini−Essay Wri6ngの指導について 13
5.反省
5.1.先ず,学生たちがこのminiモssay assignmentをどう評価したかを記 す。彼らの評言あるいは感想を第9回出題のAmini−essay on miniモssay writ−
ingから摘出して以下に並べてみる。
苦しさを訴えたもの。
*日本語で先ず作文してそれを英訳した。
*和英辞典を離せなかった。
*語彙不足を痛感した。
*一つを仕上げるのに3時間以上かかった。
*和文英訳と違う難しさに閉口した。
*日本語の文すらふだんから進んで書いたことがないのに,英文だから参っ
た。
*夜遅くまで岬吟して取り組んだ。
*受験英語の勉強が終わってくつろいでいた矢先にこれだから恨めしかった。
*高校では1行か2行の英訳だったから100語以上の文は苦しかった。
*工学の専門科目のレポートに追われて,いつも英作は後回しであった。
*「赤とんぼ」が特に難しかった。
*早く早く,性能の良い翻訳機械の出現するよう願っている。
*定期試験形式よりこの宿題方式のほうが助かると思って辛抱した。
苦しさの中に光明を見たもの。
*辛かったが,良かったと思う。自力でも続けるようにしたい。
*英語そのものが好きになった。
*「書く」ことで,他の面の英語学習に真剣に向かう姿勢が生まれた。
*なんだか書くことが嫌でなくなったような気がする。
*おかげで英語への劣等意識が薄れたと思う。
*書く苦しさと同時に書く喜びを知った。
*以前よりも辞書を引き,文法書を調べる癖がついた。
*英文を読むときに,前より気をつけて読むようになった。
*この授業が終わったのは嬉しいが,一面残念でもある。
苦しさを言わないもの。
*英作文クラスは楽しみだった。
*このクラスは続けるべきだ。
*あっという間の6ヶ月であった。
5.2.最後に,私自身の反省を記してこの拙ない報告を終わりたいと思う。
*一部学生の微温的,あるいは積極的評価が若干あるものの,この英作文ク ラスで私が学生80名とともに向かった目標に我々はどれくらい近づいたのか はっきりしない。僅か6ヶ月,12回のクラス,9種のmini−essayでは余りにも 数量が不足である。
*課題作文は初級のクラスでは自由題作文より優れた結果を生む。これは第 8回の作文が全回中一番不振であったことから知られる。また課題それ自身に ついて言えば,「凝った」題はいけない。平凡に越した事はない。
*学生が提出した作文のことごとくに目を通し,これに添削を施して,遅く ならないうちに返却するという古拙な指導法は,ultra−modernな, abstruseな,
またsophisticatedなmethodologyが誇るいかなる教育手段よりもeffectiveで あることは断言できると思う。それはmechanica1な手法の持つefficiencyへ の配慮を失するという欠点を免れないが,よりhumaneである事だけによって も相当な教育効果を期待できるであろう。しかし,2クラス80名を1人が受け 持つ事は無理というより無茶である。個々の学生へ注ぐべきエネルギーが薄め
られて,かえって彼らには失礼な事であった。
*しかし,無理や無茶を人に求めるのは相手が大学生なら,彼等に利するの
なら一向に構わないのだ,と知った。プールの中に放り込め。しばらくすれば
なんとか泳ぎだすものである。希わくば,150語程度の英文を書くのが無理で
も無茶でもない,そういう普通の事態を早く招来したいものである;注4)
Mini−Essay Wridngの指導について 15
(注1)「英語青年」誌1978年5月号にPeter Milward氏は肋ασαM斑.丑∫妙なる 一文を寄せた。これは氏が担当する事になったMini−Essay Writing欄の開設に先 立って,新しい読者投稿英作文欄の方針・抱負を述べたもの。その中に,_I
would propose the essay−or rather, what I like to call the mini−essay −as best
adapted to the nature of this co1㎜n.とある通り, mini−essayなる語は,さしあ たって氏の造語と見なしてよいだろう。この欄は同年7月号から1981年3月号まで の間,2年9ヶ月にわたって誌上に新風を送った。私はかつて同欄を興味深く読ん でいたので,80名学生の英作文を指導するにあたって,往事を想いだし,氏の ideaを借用したのである。
(注2) 正宗白鳥の研究者であるこのアメリカ人はすごる達意の日本文を書く。無論,
原稿の段階で担当の編集者による斧正があったであろうが,あきれるほど巧みな文 である。しかし,それでも尚,和習(或いは和臭)ならぬ英習(英臭)が散見され るのは(と私は思、うのだが)興味深い事である。
(注3)月刊誌「文芸春秋」の巻頭随筆ぐらいの長さ,或いはもっと短いものなら同じ 出版社の「オール読物」の{おしまいのぺ「ジ}ほどのミニサイズを考えるとよい。
前者は玉石混清だが,後者の作者達は全員安打である。短詩形文学の国ならではの にぎわいである。
(注4)二人の学生の実作を披露する。私が添削を加える前のオリジナルである。
Amini−essay on mini−essay writing
Istudy English and English composition not because I expect it will prove useful in the future, but because I am interested in those.
When I was high school student, I studied English composition great.
ly. Then, I was aware of the fact that you can not expect to master it
in two or three months no matter how hard you may study. But I have continued studying it for two years. So, when I am writing a mini.essay, I am very happy. Ilike this class. Ichanged my mind about English composition. Iwas particular about English grammer formerly. Then, my English teacher advised me, It is of course im−
portant to take care of it, but it is not wise to be too much particular
about it. Thanks to his advice, I was happer to write it. So, I am writing this mini.essay comfortably, too. I work harder so that I can
get a better grade in English. Itrust I will be able to call on your ser..v輌ces again in future.
Seriously, I like English class best of all classes.(184 words)
It was a first time that I continually wrote English. At first I don t