立身出世主義の系譜と論理 : 明治期を中心に
その他のタイトル The change and the structure of the notion
"Rissin‑Shusse" in Meiji Japan
著者 竹内 洋
雑誌名 関西大学社会学部紀要
巻 7
号 1
ページ 33‑49
発行年 1975‑11‑04
URL http://hdl.handle.net/10112/00023158
立 身 出 世 主 義 の 系 譜 と 論 理
—明治期を中心に一一
竹 内
洋
「天ハ自ラ助クルモノヲ助ク」(「西国立志編」)。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造ら ず 」 1) (「学問のすすめ」)。「少年よ大志を抱け Boys,be ambitious 」 ! 2) (W. S . Clark) 。「身を 立て名を挙げやよはげめよ」(小学校唱歌「あおげば尊し」)。「男児立志出郷関」。 これらは,近 代日本において人口に膳灸し,人々の情熱を掻きたてた影響力の大きなキャッチフレーズ群であ
った。
そして,これらは人々を立身出世へと駆動するキャッチフレーズとして理解された。立身出世 主義が,近代日本人のエネルギーのオリエンティルングとなった支配的観念 3) であったことは,
1)福沢諭吉「学問のすすめ」の剪頭の一節が「人間平等の原理」ではなく, 「立身出世の機会均等」の側 面から受容された点については,前田愛「明治立身出世主義の系譜ーー『西国立志編』から「帰省」まで ー」文学, V .3 3 , N . 4 , 1 9 6 5 年,参照。
このような受けとり方は受け手の誤読というより,福沢の「学問のすすめ」にそのような含みがあった ようにおもわれる。 「天は人の上に……」に続けて,福沢はいう。 「 . . …•人は生まれながらにして貴賎・
貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり,無学なる者は貧人となり下 人となる」(「学問のすすめ」 ( 1 8 7 21 8 7 6 年)永井道雄編「日本の名著 3 3 : 福沢諭吉」中央公論社, 1 9 6 9 年,所収, 5152 頁 ) 。
2) W . S . C l a r k ( 1 8 2 61 8 8 6 ) が 1 8 7 7 年 5 月帰国の折,見送りにきた札幌農学校学生にむかってかたった言 葉である(渡辺寅次郎「札幌農学校に偉大なる精神的感化を見台せしクラーク氏の回顧」成功, V . 1 8 , N . 2 , 1 9 0 6 年 1 月号, 3 3 頁)。一学校学生への言葉がかくも語り伝えられたのは,それが近代日本人の上昇志 向願望に適確な表現をあたえたからであろう。
3)社会的上昇移動は,富,権力,威信などの増大をもたらすから,あらゆる時代,社会,個人にみられる 普逼的傾向である,といいきれるだろうか。
ウェーバ (M. Weber) は,近代資本主義が遭遇しなければならなかった頑強な妨害は「伝統主義的な 生活態度」であったという。労働の集約度を高めるために企図された出来高賃金は,その意図に反して,
労働の増大ではなく減少を結果した場合が多かったこと,つまり従来 1モルゲンの刈り入れにつき 1マル クの報酬で, 1 日 2 . 5 モルゲン刈り入れ, 2 . 5 マルクの賃金を得ていた労働者は,出来高賃率が 1 モルゲン につき 0 . 2 5 マルク引きあげられたことによって期待されたように 3 モルゲン刈り入れ, 3 .7 5 マルクの賃金 を得るのではなく, 2 モルゲン刈り入れ 1 日 2 . 5 マルクの賃金を得ることで「足れり」とした場合が多か ったことを指摘する。 「報酬の多いことよりも,労働の少ないことの方が彼を動かす力であった」「人は
「生まれながらに」できるだけ多くの貨幣をえようと願うものではなくて,むしろ単純に生活する,つま り習慣としてきた生活をつづけそれに必要なものをえることだけを願うにすぎない」とのべる ( D i eP r o ‑ t e s t a n t i s c h e Ethik und d e r :}Geist< d e s k a p i t a l i s m u s , 1 9 0 41 9 0 5 , 梶山カ・大塚久雄訳「プロテ スタンテイズムの倫理と資本主義の精神(上)」岩波文庫, 6365 頁 ) 。
経済労働についてのウェーバーのこのような指摘は,社会的上昇移動についてもあてはまろう。社会的 上昇移動が望ましいとされ,それが行動価値となるのは超歴史的普遍的傾向とはいえない。
いわんや,上昇移動をめぐってのそれ以外のさまざまな槻念 ( m o b i l i t yc u l t u r e ) にいたっては,時 代,社会によって異なっている。たとえば上昇移動者を s e l f ‑ m a d eman と呼ぶアメリカ社会と, n o u ‑
~S3 ‑
関西大学「社会学部紀要」第 7 巻第 1 号
今日までの高等教育進学率の急ビッチの増加と,世代間上昇移動に夢を託す日本の親達の教育熱 心に充分すぎる証拠をみることができよう 4) 。
立身出世はどのようにして正当化され,賞讃されたか。なにが立身出世とされたか。立身出世 の方法はどのように考えられていたか。立身出世の動機づけ要因はなんであったか。立身出世主 義は,近代日本人の支配的観念であったがゆえに, このような立身出世をめぐっての観念は,
日本の文化(価値)や社会(社会関係)の写像ともいえる。だからこそ,立身出世は社会移動 ( s o c i a l m o b i l i t y ) に関心をもつ研究者にとどまらず,文化,思想史,日本の社会構造に関心を もつ研究者の研究テーマともなっている 6) 。 日本近代の立身出世主義は,われわれの「移動文 化 」 ( m o b i l i t yc u l t u r e ) としてだけではなく,われわれの「精神構造(史)」として重要な研究 テーマであろう。
本稿は,われわれの移動文化や精神構造(史)として立身出世主義を考察する。それゆえ社会 的上昇移動という学問用語ではなく,立身出世というフォーク・コンセプトに固執する。社会的 上昇移動観念の通文化的 ( c r o s s ‑ c u l t u r a l ) 側面よりも,上昇移動観念をめぐっての日本社会の パティキュラリスティックな側面に焦点をあてたいからである。
このような課題設定から,当然社会移動の客観的側面ではなく,その主観的側面(立身出世主 義)を対象とする。観念(イメージ)は,客観的事実(ファクト)と無関係に現実にインパクト をもたらしうる。そのかぎり両者は別個の研究テーマとなりうるが,銀念と客観的事実は,まっ たく無関係ということはありえない。信念や願望は,リアルな事実認識にもとづくとはかぎらな いが,客観的な事実・状況は,人々の信念や願望に影響をあたえずにはおかない。それゆえ,社 会移動の主観的側面を主要な対象とするにしても,その客観的側面(社会移動の量,距離,型)
にも注意していきたい。
最後に,これは精神構造研究一般のディレンマであるが,観念(立身出世主義)内容や担い手 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
の変容,変化のダイナミズム究明と,観念内容自体の論理的ダイナミズム究明は,しばしば両立 しがたく二律背反的でさえある。観念内容や担い手の変容,変化にアクセントをおくと,時間的 ダイナミズムによって観念内容の論理的ダイナミズムの解明は犠牲になりやすい。逆に,観念内
veau r i c h eと呼ぶフランス社会では,移動文化がちがう。前者では,下層から奮闘努力し上昇移動した ことにたいしプラス価値が付与されているが,後者にはそのような意味は含まれていず,新参者というイ メージである ( J . G .C a w e l t i , A p o s t l e s o f t h e S e l f ‑ M a d e Man: Changing C o n c e p t s o f S u c c e s s i n A m e r i c a , U n i v . o f C h i c a g o P r e s s , 1 9 6 5 , p . 2) 。
4) もちろん近代日本の急ヒ°ッチでの進学率上昇は, 「フム学問々々とお言ひだけれども, 立身出世すれば こその学問だ」という『浮雲』 ( 1 8 8 71 8 8 9 年)のお勢の言葉にみられるように上昇移動に動機づけられ ただけではない。リダラシィ ( l i t e r a c y )の普及は, より高度な知識への探求にむかわせるから,知識ヘ のコンサマトリィ ( c o n s u m m a t o r y )な関心からの進学要因を無視できないではあろう。
5) たとえば,川島武宜「立身出世」展望, 1931年 9 月号,岩井弘融「競争•成功•出世」河出書房, 1956 年,作田啓一「立身出世」霞見代社会心理学 8: 階級社会と社会変動』中山書店, 1 9 5 吟舌所収, 見田宗 介「「立身出世主義」の構造—-13 本近代の価値体系と信念体系ー」潮, 1 9 6 7 年1 1 月号, 門脇厚司「日本 的立身出世の意味変遷ー近代日本の精神形成研究•覚書ー」教育社会学研究,第2~ 島 1 9 6 吟三など。
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立身出世主義の系譜と論理(竹内)
容の論理的ダイナミズムにアクセントをおくと,観念内容の変容や担い手の変化の解明が疎かに . . . .
なる。本稿では,立身出世主義が庶民層に浸透する明治後半期までは主として前者のアプローチ
(系譜)をとり,立身出世主義が庶民層に浸透したその意味で立身出世主義の普及,成熟,確立 期である明治後半期,大正前半期については後者のアプローチ(論理)をとりたい。立身出世主 義の形成期には.その観念内容の変容や,担い手の変化が,普及,成熟,確立期には立身出世観 念は相対的に固定するから,その論理構造が,主要な解明課題となろうからである。
1
江戸時代は身分社会であるから,基本的には階層間移動が少ない閉鎖階級社会 ( c l o s e dc l a s s s o c i e t y ) であり,地位への人員配分が属性 ( a s c r i p t i o n )原理の社会である。しかし,江戸時代 を研究したドーア ( R . P . Dore)やトーマス・スミス ( T . C . Smith) は,江戸時代にはかなりの 社会移動があったこと,地位への人員配分は業績原理であるべきとするイデオロギー ( m e r i tas i d e o l o g y )がかなり普及していたことを跡づけている 0。
ドーアやスミスがいうほど江戸時代に,社会移動,業績原理イデオロギーが存在したとすれ ば,上昇移動の規範が社会の一部に潜在したことになろう。だが,身分社会である江戸時代に,
上昇移動があらゆる人々の顕在的な行動価値となっていたわけではないことは確かであろう。上 昇移動の規範が「常識的知識」 1 1 ) (commonsense knowledge) となることは秩序原理=身分原 理そのものの否定になるわけだから。
2
上昇移動が公認の顕在的価値となったのは,近代国家をめざし官僚制や軍事.産業を運営する ために多数の能力ある人材の自発的積極的協力を必要としたがゆえに.四民平等によって完全な ものではないにしても身分制を廃止し,職業選択,居住の自由を認め, . . . . . . . . . . . 「官武一途,庶民にいた . . . . . . . . . .
るまでおのおのその志をとげ」(傍点引用者,「五条の誓文」),「人能<其オのあるところに応じ
砿励しそ乏 i と 祉 事 L , , しかして後初て生を治め産を興して業を昌にするを得べしざれば,学問は 身を立るの財本」(傍点引用者, 「学制序文」)と,上から積極的に業積原理が唱道された明治維 新以降のことである D。
このような上からの積極的な業績原理の唱道は,単に近代国家をめざしての国民の自発的能動
1) R . P . D o r e , E d u c a t i o n i n Tokagawa J a p a n , R o u t l e d g e and Kegan P a u l , 1 9 6 5 , 松居弘道訳 r 江戸
時代の教育」岩波書店, 1 9 7 0 年 。 T . C .S m i t h , • •Merit• a s I d e o l o g y i n t h e Tokugawa Period• i n R . P . D o r e e d . , A s p e c t s o f S o c i a l Change i n Modern J a p a n , P r i n c e t o n U n i v . P r e s s , 1 9 6 7 . 2) A . S c h u t z ( C o l l e c t e d P a p e r s , V . I , P r o b l e m o f S o c i a l R e a l i t y , 1 9 6 2 ) の用語。
1) このような業績原理の唱道は,一層端的には「今日人材ヲ登庸シ,門地=拘ハラス,其材二応シ,其地
二立タシムル」(岩倉具視「諸政体建定•議事院設置の建議」 1869年)や「諸役人より下民迄, 自分のオ を挙るに憚ることなく」(佐渡県判事奥平謙甫「布告」 1 8 6 8 年 1 2 月 3 日)などにみえる(引用は鹿野正直
「資本主義形成期の秩序意識」筑摩書房, 1 9 6 9 年 , 1 8 5 頁より)。
関西大学「社会学部紀要」第 7 巻第 1 号
的エネルギーの調達のためだけではなかった。明治新政府の支配者層は下級士族を中心にしたも のであったから,身分制(属性)原理を否定し,業績原理を秩序原理とすることは,自らの支配 者としての正統性獲得のためにも必要であったことには注意しなければならない。
立身出世主義がいかに多くの人々に内面化されていったかは,「西国立志編」 ( 1 8 7 1 年)や「学 問のすすめ」 ( 1 8 7 2 年)の流布と受けとられかたにみられよう。
「西国立志編」の第一編は「邦国及ビ人民ノ自ラ助クル事ヲ論ズ」ではじまり, 「政法ノ群下 ヲ圧抑スルモノハ人民ヲシテ扶助ヲ失ヒ勢力二乏カラシム)レ事ナリ……人民ヲシテソノ自己ノ為 トコロニ任セソノ志ヲ伸)レ事ヲ得サシメソレヲシテ自己二勉励進修セシムレバスナワチ人民ノ為 二真実ノ利トナル」 2) と古典的自由主義理論,市民の自主自由を説いているのだが,一般的には
. .
その面は受容されなかった。原題の " S e l fH e l p " が「西国立志編」(傍点引用者)と訳されたこ とに,また 、 S e l fH e l p " を「自助論」とうけとめても,自助=自主自立は「自己の手腕を以て自 己の運命を作り出す」こと,あるいわ「自己独立の計を為す」 3) ことと立身出世における奮闘努力 主義としての自主,ないしは経済的自立としてのみ受容された。かくて, 「西国立志編」は「字
...............
々句々ミナ身ヲ立テ家ヲ興スノ金言格論ニシテ」 4) (傍点引用者)と, もっぱら立身出世教本と して受容された。
一方,「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」ではじまる「学問のすすめ」 も「人間 平等の原理」としてよりも, 「立身出世の機会均等」の側面から理解された&)。 このようなうけ . . . . . .
とめ方の一例は,日比谷平佐衛門のつぎのような述懐にうかがえよう。 . . . . . . . . . . . . . . . . . . 「何時まで人に頭を下げ る身分で終りたくはないと考えて居った。当時最も深く感動したのは福沢翁の文明論で『人間は . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
元来平等なものである。天は人の上に人を作らず,町人が武士に劣って居ると限られる道理はな . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
い。唯知識の勝ぐれたものは無知者を圧倒して社会の上位に立つことのみは何人も争ふことの出 来ない真理である』と云ふ議論には大に感服したのである」 e) (傍点引用者)。
2)中村正直訳「西国立志編」 1 8 7 1 年 ( S .S m i l e s , 函 I fH e l p , 1 8 6 7 ) 。
3)雑誌「成功」 ( 1 9 0 2 年1 0 月創刊号)編集主幹村上俊蔵(濁浪)は「自助苺主人」というペンネームをつ かい,「発刊之辞」で「中村敬宇先生の西国立志編」を賞讃し,「発刊之大旨」に「自助的人物の養成」を . . .
掲げている。村上が「西国立志編,原名自助論」(傍点引用者)の影響をうけたオヒ°ニオン• リーダーで あったことはまちがいない。かれにおける「自助」とはなにか。かれは「自助的人物」についてつぎのよ うにいう。 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
「自ら重んじ,自ら営為し自ら勤労し,自己の手腕を以て自己の運命を作り出す人物を云ふなり,即ち 世間に自ら営為するを知らず,自ら勤労するを解せず,徒に大言壮語し以て自ら得たりとする者あるも. . . . . . . .
此の如きは余輩の所謂自助的人物にあらざるなり,自ら助けず自ら重んぜず,自己独立の計を為す能はず して,徒に遊惰にのみ耽り居る人物あるも,此の如きは余輩の目的に反するものにて即ち不自助的人物た るなり」(傍点引用者,村上濁浪「成功は何を教へんとして世に出でしゃ」同誌, V . 1 , N . 5 , 1 9 0 3 年 2 月 号 , 25 頁 ) 。
自助とは経済的自立ないしはその過程における奮闘努力主義(自主)とされていて,政治的社会的自主 自由の面にはまったくふれられていないことに注意。
4) 千河岸貫ー『日本立志編ー名修身規範」雙書房, 188~. 1 頁 。 5) 前註の 1)参照。
6) 日比谷平佐衛門「余の努力法」成功,V . 2 4 , N . 6 , 1 9 1 3 年 2 月号.4 8 頁 。
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立身出世主義の系譜と論理(竹内)
このようにして受容された「西国立志編」には毎日 4 , 5 0 人が印刷にあたり,これを販売した本 屋は一財産をこしらえ,「誠に難有しとして之を神棚へのせて,毎朝拝礼するものすらあった」 7)
というような売れゆきであり, 「学問のすすめ」初編は22 万部売れたという。立身出世主義は維 新を境にして,急速にひろがっていった。
. . . . . . . . . . . 3
このようにして,上からの近代的業績原理の唱道が上昇移動の規範として内面化されたのは, . . . . . . . . .
それが下からの伝統的精神と呼応したからである。下からの伝統的精神の第ーは, 「家」制度が 内包していた精神によってかき立てられたアスピレーションであり,第二は,士族層における上 昇移動規範のレディネス ( r e a d i n e s s ) である。前者からみよう。
神島二郎の卓見によれば,幕末から維新にかけてのわが国の「家」制度は,家の自衛,発展,
二三男の家創設運動を包含していた 1) 。このような「家」精神は,家成員のアスビレーションを かき立てるものに他ならなかった。「身を立て家を興す」というのが, これである。たとえば,
二三男の家創設運動によるアスビレーションの湧出は,嘉永 6 年に生まれた川野宗太郎のつぎの ような自伝にうかがえよう。父はしばしば,つぎのように語ったという。「房キ . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . I i 十六威以上と
なれば独立自活して行く固い覚悟がなくてはならぬ。親の腟を噛るやうでは末の見込がない。自 . . . . . . . . . . . . .
ら働いて自ら活きて行くエ風をせよ。…•••自分の収入を貯蓄して,行く末の立身出世の準備をせ ょ 」 2) (傍点引用者)と。
つぎに後者,士族層を中心にした上昇移動規範のレディネスについてみよう。
江戸時代は身分社会であるから, 「我気に入働も器量も備へたるといふ共,筋目の者を凌ぎ揚 用る事なかるべきこと」 a) (「成憲百箇条」異本) というように,生得的な家格システムと官職シ . . . . . .
ステムはパラレルであったが, そのような身分社会の原則を前提としながらも, . . . 「筋目ある者の 子とて,其身に応ぜぬ奉公させ」(傍点引用者,「板倉重矩重道之遺言」)ることを戒め 4), 「仕置 役可埠知申付ーには,家老中老先祖の功有者に限るべからず。当代の器量に寄ぺきなり。……縦 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
ヘ軽き者たりといふ共,其器に当りたるものあらば取=立之ユ恥被二申付_」 5) (傍点引用者, 「 土
井大炊頭利勝遺訓」)という業績原理による上昇移動が部分的に認められ, おこなわれていた。
「足高」はその象徴的制度である。もちろん業績原理の現実への適用は,イデオロギーほどでは なかったが 8)' 業績原理の理念と事実の存在は,士族層に上昇移動の規範を潜在化させただろ う。上昇移動規範が顕在化しなく,潜在的規範にとどまるのは,身分社会の秩序原理はあくまで
7)小塚空谷「中村敬宇先生の平生」成功,V . 1 , N . 1 , 1 9 0 2 年1 0 月 号 , 2 3 頁 。 1) 神島二郎「近代日本の精神構造」岩波書店, 1 9 6 1 年 , 2 6 9 頁 。
2)川野宗太郎口述森田公美著「処世と修養実際物語:はだか一貫より」弘文堂,1 9 2 6 年 , 1 0 頁 。 3) 5)石井紫郎編 r 日本思想大系2 7 : 近凪武家思想」岩波書店, 1 9 7 4 年 , 5 0 2 頁より引用。
6) T . C , S m i t h , o p . c i t .
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も「筋目主義」だからである。また,「立レ身行レ道。揚
4名於後世 ̲7) 」(山鹿素行「山鹿語類」)と いう武士の「名」と「恥」の体面意識には能動的行動主義が含まれており,それは,よい名をも とめての競争につながり, 間接的な形であれ,上昇志向を刺激するにあずかったとも考えられ る。同時に,もっと直接的に,仲間の微小な上昇移動も名と恥の体面意識から上昇志向観念を強
<刺激することになっただろう。
水戸の下級士族の家に生まれた宮部久は,往時を回顧して,「小禄で他に財産がなかったから, . . . . . . . . . . . . . . .
安じて一家を経には行かない。其拠で是は何でも文武を以て身を立て国家の為めに努力すぺしと . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
父に訓誡せられしを服贋し,文武に達すれば栄達も出来ると云ふので,少年の頃から熱心に勉強 した 8) 」(傍点引用者)と語っているが,士族の家庭での上昇移動規範の存在を示していよう。
業績原理による上昇移動は幕末の「乱世」社会になると,理念としても事実としても一層強く なった 9) 。このようなレディネスの存在を考えれば,立身出世主義は明治維新とともに突如とし て生じたのではなく,「励起」 10) したのだと考えられよう。
しかも,明治維新後士族層は,身分制廃止,家禄廃止等により,従来の支配者層としての特権 が剥奪され,富,威信,権力などの相対的窮乏化 11) に陥入った。士族は特権的な支配階級であ ったがゆえに,客観的には「相対的窮乏化」であっても,心理的には「絶対的窮乏化」=没落士 族として意識された。「比間は在郷百姓より御内町にて女房取り迎ても苦しからず,武士の娘を百 姓え呉れてもお構なしとの御触あるよし,是等の混交勝て弄ひがたし,尊卑貴賤上下の分ち差段
ママ